日本の映画館の総合データベースです。

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尾道市

角座
所在地 : 広島県因島市田熊町(1955年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1955年頃

向民館
所在地 : 広島県御調郡向島町(1953年・1954年・1955年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1955年頃

尾道劇場
所在地 : 広島県尾道市西御所町3(1953年)、広島県尾道市西御所町(1955年)、広島県尾道市西御所町2060(1958年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1957年3月18日
跡地は「国道2号祗園橋東詰交差点」南東角の「福岡商店」など。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1930年現在の尾道市における劇場と寄席は、活動常設館が「偕楽座」「太陽館」「玉栄館」、その他が「尾道劇場」「湊席」である。*1

1939年の『大日本職業別明細図 尾道市』には「尾道劇場」が描かれている。*2

1946年8月、尾道市西御所町の演劇専門館「尾道劇場」が全焼した。*3

1957年3月18日午前2時頃、尾道市西御所町の「尾道劇場」から出火し、木造モルタル2階建て80坪が全焼した。午前3時35分に鎮火。原因は調査中。損害額約500万円。*4

1957年3月18日午前2時頃、尾道市西御所町の「尾道劇場」から出火して全焼した。東映作品『恐怖の空中殺人』と『五郎正宗』のフィルムが焼失した。*5

1957年3月18日、尾道市西御所町の「尾道劇場」が全焼した。原因はこたつの不始末。*6

1957年3月18日、尾道市西御所町の「尾道劇場」が焼失した。*7

1957年3月18日、尾道市西御所町の「尾道劇場」が焼失した。*8

1957年3月18日、尾道市西御所町の「尾道劇場」が焼失した。2度目の焼失である。*9
向島松映劇場/向島松映
所在地 : 広島県御調郡向島町(1955年)、広島県御調郡向島町兼吉(1958年)、広島県御調郡向島町(1959年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1959年頃

大浜劇場
所在地 : 広島県因島市大浜町(1956年)、広島県因島市大浜町2000(1958年)、広島県因島市大浜町(1959年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1959年頃

第二東映
所在地 : 広島県豊田郡瀬戸田町宮原(1960年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1960年頃

大谷座
所在地 : 広島県因島市中庄町529(1956年)、広島県因島市中庄町45(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃

白滝映画劇場/白滝映劇/白滝会館
所在地 : 広島県因島市重井町6678(1956年)、広島県因島市重井町南小路(1958年)、広島県因島市重井町南小路(1960年)、広島県因島市重井町字南小路6678(1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃

聚楽館
所在地 : 広島県御調郡田熊町(1950年・1953年)、広島県因島市田熊町(1954年・1955年・1958年・1960年)、広島県因島市田熊町1191(1963年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1963年頃

ニュース松竹/松栄劇場/尾道東宝(旧)/尾道大映
所在地 : 広島県尾道市久保町(1956年)、広島県尾道市久保町628(1957年)、広島県尾道市久保町598(1958年・1959年・1960年)、広島県尾道市久保町千日前(1961年・1962年)、広島県尾道市久保町598(1963年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1963年頃
跡地は商業ビル「オリエントクボ」。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1951年、尾道市に「松栄劇場」(後の尾道東宝)が開館した。*10

1951年、尾道市に「松栄劇場」(後の尾道東宝)が開館した。同年には備南興栄株式会社が設立されている。*11

1960年8月31日、尾道市久保町602の「大映スバル座」が「尾道東宝」に改称し、久保町598の「尾道東宝」が「尾道大映」に改称した。新たな尾道東宝の定員は700、新たな尾道大映の定員は450であり、座席数の多い館を東宝の上映に充てる措置である。いずれも経営は盛久慎蔵社長の備南興栄。*12
南文化会館
所在地 : 広島県豊田郡瀬戸田町(1957年・1958年)、広島県豊田郡瀬戸田町宮原(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1964年頃

常盤座
所在地 : 広島県御調郡土生町三ノ庄(1947年)、広島県因島市三庄町(1958年・1960年)、広島県因島市三庄町2746(1963年・1964年)
開館年 : 1917年5月
閉館年 : 1964年頃


1917年5月、三庄村の赤崎地区に宮地兵三郎によって「常盤座」が設立され、こけら落としには関西歌舞伎の中村雀右衛門や嵐歌升らが来演した。総工費は1万2000円であり、大阪の角座と同様の設計だった。緞帳は大阪鉄工所(後の日立造船)が寄贈している。1953年には大屋根を修理し、以後は集会場などに用いられていたが、テレビの普及後に閉鎖された。*13
祇園座/祇園東映
所在地 : 広島県尾道市祇園バシ(1950年)、広島県尾道市吉和町595(1951年)、広島県尾道市西御所町3丁目(1952年)、広島県尾道市吉和町687(1953年)、広島県尾道市吉和町新浜(1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1949年
閉館年 : 1965年
跡地は「国道2号祗園橋東詰交差点」北西角の建物など。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1955年頃の「祇園座」の写真あり。「皆様の大衆劇場 祇園座」の文字が見える。*14

1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。*15

1965年、「祇園座」が廃業した。*16

1965年、「祇園座」が廃業した。*17
百島東映劇場
所在地 : 広島県尾道市百島町1333-2
開館年 : 1961年
閉館年 : 1965年
映画館の建物は「百島簡易郵便局」南南西150mにアートスペース「日章館」として現存。最寄港は百島福田港。


斎藤潤『日本の島 産業・戦争遺産』は百島の映画館跡地に言及している。*18
偕楽座/尾道東宝映画劇場/尾道東宝映劇/尾道セントラル劇場/尾道セントラル/尾道会館
所在地 : 広島県尾道市新地(1927年・1930年・1934年)、広島県尾道市久保町(1936年)、広島県尾道市久保町新地285(1941年)、広島県尾道市久保町新地(1943年)、広島県尾道市久保町(1949年・1950年)、広島県尾道市久保町294(1953年)、広島県尾道市久保町新地285(1955年)、広島県尾道市久保町新地(1958年・1959年)、広島県尾道市久保町(1961年)、広島県尾道市久保町285(1962年)、広島県尾道市久保町新地(1963年)、広島県尾道市久保町285(1966年)
開館年 : 1940年
閉館年 : 1966年頃? 1975年?
跡地は「尾道教育会館」。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1930年現在の尾道市における劇場と寄席は、活動常設館が「偕楽座」「太陽館」「玉栄館」、その他が「尾道劇場」「湊席」である。*19

1926年頃の尾道市にあった「偕楽座」の写真あり。1876年に開館して芝居の興行や映画の上映を行い、1939年まで営業していた。二度焼失し、その後改築されて映画館の「尾道セントラル」となった。尾道セントラルは1960年頃まで営業していた。*20

1876年、芝居小屋「偕楽座」が建った。その後偕楽座は焼失した。1925年、洋館で偕楽座が新築された。1938年1月、久保町新地の偕楽座が再び焼失した。1939年、久保町新地に偕楽座が再建された。*21

1938年、尾道市の久保町新地の「偕楽座」が焼失した。1939年には久保新地に偕楽座が再建された。*22

1958年1月21日、尾道市に洋画専門館「尾道セントラル劇場」が開館した。*23

1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。*24

1958年1月21日、洋画専門館「セントラル劇場」が開館した。1975年、「尾道会館」が閉館した。*25

1958年の尾道市久保2丁目にあった洋画専門館「セントラル館」の写真あり。「CENTRAL」の文字が見える。同年1月21日をもって閉館した。1876年に開館して1939年に改築した「偕楽座」が前身である。セントラル館はやがてボウリング場となった。2004年現在は改築されて尾道市勤労会館などになっている。*26
末広館
所在地 : 広島県豊田郡瀬戸田町御寺(1960年・1963年)、広島県豊田郡瀬戸田町(1966年)、広島県豊田郡瀬戸田町御寺1122(1966年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1968年頃

日光映画劇場/日光東映
所在地 : 広島県豊田郡瀬戸田町(1957年・1958年・1960年・1963年・1966年・1968年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1968年頃

生口劇場
所在地 : 広島県豊田郡瀬戸田町(1953年・1955年・1958年・1960年)、広島県豊田郡瀬戸田町552-1(1963年)、広島県豊田郡瀬戸田町(1966年・1968年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1968年頃

向島兼吉劇場/兼吉劇場
所在地 : 広島県御調郡向島町(1955年)、広島県御調郡向島町兼吉(1958年)、広島県御調郡向島町兼吉547(1960年)、広島県御調郡向島町542-1(1963年)、広島県御調郡向島町兼吉547(1966年・1967年・1968年)
開館年 : 明治末期
閉館年 : 1968年頃? 1977年?
跡地はスーパーマーケット「オンリーワン」南の駐車場。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


明治末期には向島に芝居小屋「兼吉劇場」が開館した。それ以前にも「泉座」があった。1950年の兼吉劇場の写真あり。向島で唯一の娯楽施設であり、芝居や浪曲などが興行された。戦後には主に映画の興行を行い、立ち見が出ることもあった。兼吉劇場の建物は1977年頃に取り壊された。2004年現在の跡地は駐車場となっている。*27

1977年、「兼吉劇場」が閉館した。*28
因島映画劇場/因島東映/因島東映劇場
所在地 : 広島県御調郡土生町(1950年)、広島県御調郡土生町1899(1953年)、広島県因島市土生町(1955年)、広島県因島市土生町1899(1958年・1960年)、広島県因島市土生町1899-3(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1949年5月
閉館年 : 1970年頃

太陽館/尾道太陽館
所在地 : 広島県尾道市久保町261(1925年)、広島県尾道市久保町本通(1927年)、広島県尾道市本通261(1930年)、広島県尾道市久保町本通(1934年・1936年)、広島県尾道市久保町(1941年・1943年)、広島県尾道市(1947年)、広島県尾道市久保町261(1950年)、広島県尾道市久保町261-1(1953年)、広島県尾道市久保町(1955年)、広島県尾道市久保町261(1958年)、広島県尾道市久保町26-2(1960年)、広島県尾道市久保町261-2(1963年)、広島県尾道市久保町261-1(1966年・1969年・1973年)、広島県尾道市久保町2-5-21(1976年)、広島県尾道市久保2-5-21(1978年)
開館年 : 1924年3月27日
閉館年 : 1978年2月24日
跡地は「久山内科医院」東の月極駐車場。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1930年現在の尾道市における劇場と寄席は、活動常設館が「偕楽座」「太陽館」「玉栄館」、その他が「尾道劇場」「湊席」である。*29

1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。*30

時期不明の「太陽館」の写真あり。「舘陽太」の文字が見える。1924年3月に開館した。当初は松竹系の映画を上映したが、後に洋画専門館となった。日活系の「玉栄館」とともに市民に親しまれた。*31

昭和初期の「太陽館」の写真あり。「舘陽太」の文字が見える。1924年に開館し、松竹系の映画が上映された。日活系の「玉栄館」とともに尾道の代表的な映画館だった。*32

1924年3月27日、映画館「太陽館」が開館した。1978年2月24日、太陽館が54年の歴史に幕を閉じて閉館した。*33

1924年3月27日、尾道市に松竹上映館「太陽館」が開館した。*34

1962年頃の尾道市にあった映画館「太陽館」の写真あり。イタリア映画『世界残酷物語』の垂れ幕が見える。1924年3月27日、久保2丁目に尖塔のあるモダンな映画館として開館した。戦後は洋画を中心に上映した。1978年2月24日に閉館した。その後はスーパーを経て、2004年現在の建物の一部は駐車場となっている。*35

1953年頃の尾道市にあった「太陽館」の写真あり。商店街の坊地口側にあった洋画専門館である。ファサードは日の出をモチーフとしている。1924年に開館し、1972年に閉館した。2021年現在の跡地は駐車場となっている。*36

1978年2月24日、尾道市久保2丁目の映画館「太陽館」が54年の歴史に幕を閉じて閉館した。*37
尾道スバル座/大映スバル座/尾道東宝劇場/尾道東宝(2代)/尾道千日前松竹/尾道東映パラス劇場
所在地 : 広島県尾道市久保町602(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、広島県尾道市久保町1-12-4(1973年・1975年)、広島県尾道市久保町1-12-14(1976年・1978年)、広島県尾道市久保町1-5-16(1980年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 1980年頃? 少なくとも1989年まで継続?
跡地は「ビルF」とその南の駐車場。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1960年8月31日、尾道市久保町602の「大映スバル座」が「尾道東宝」に改称し、久保町598の「尾道東宝」が「尾道大映」に改称した。新たな尾道東宝の定員は700、新たな尾道大映の定員は450であり、座席数の多い館を東宝の上映に充てる措置である。いずれも経営は盛久慎蔵社長の備南興栄。*38

1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。*39

1976年12月25日、トーエー商事は「高松大劇パラス」、「尾道東映」、「尾道日活」、「尾道東映パラス」を賃借して直営での営業を開始した。*40
興栄座/尾道日活/尾道日活劇場
所在地 : 広島県尾道市久保町600(1957年・1958年・1960年・1963年)、広島県尾道市久保町602(1966年・1969年・1973年)、広島県尾道市久保1-5-17(1975年・1978年)、広島県尾道市久保町1-5-16(1980年・1985年)、広島県尾道市久保1-5-16(1986年)
開館年 : 1955年8月24日
閉館年 : 1987年7月10日
跡地は1988年竣工の商業ビル「オリエントクボ」。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1955年8月24日、「尾道日活」と「尾道大映」が開館したことで4映画館が一か所に集まり、尾道千日前という名称が生まれた。*41

1955年8月24日、尾道市の一か所に4館の映画館が集まり、尾道千日前と命名された。*42

1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。*43

1976年12月25日、トーエー商事は「高松大劇パラス」、「尾道東映」、「尾道日活」、「尾道東映パラス」を賃借して直営での営業を開始した。*44

1987年7月10日、尾道市久保町一丁目の映画館「尾道日活」が閉館した。「東映パラス」は小劇場としてスタートし、千日前の映画館は「尾道東映」のみとなった。*45

1987年7月10日、尾道市久保町一丁目の映画館「尾道日活」が閉館した。*46
日立因島会館/日立会館/因島日立会館
所在地 : 広島県因島市土生町平木西(1958年)、広島県因島市土生町2009(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、広島県因島市土生町2009-11(1975年)、広島県因島市三庄町3656-37(1978年・1980年)、広島県因島市土庄町2009-11(1985年)
開館年 : 1957年7月
閉館年 : 1988年
跡地は「因島総合病院」駐車場。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1957年のこのほど、因島市土庄町平木区に「日立因島会館」が開館した。鉄筋コンクリート造。地上5階建・地下1階建、延1072坪。工費1億円。3階と4階は洋画専門館「日立因島会館映画劇場」であり、2階の一角は冷暖房を完備した外国人専用席である。定員620人。スクリーンは16尺×40尺。*47

1961年11月6日、因島市土庄町の「因島会館」から『許されざる者』のフィルムが盗難に遭った。*48

2007年夏、尾道市因島土生町の「日立会館」が50年の歴史に幕を閉じる。日立造船の企業城下町である因島のシンボルだった。利用者数の減少と建物の老朽化が理由。跡地は日立造船健康保険組合に売却され、因島総合病院の駐車場になる予定。1957年7月、船溜まりを埋め立てて開館した。鉄筋造地上5階建て・地下1階建て。1階と2階は日立因島生協の本店、3階と4階は映画館・劇場、5階はレストラン・宴会場だった。広島県東部では初となるエレベーター付きのビルだった。映画館は1988年まで営業し、邦画や洋画を上映してにぎわった。1986年に日立造船因島工場が撤退し、人口急減にともなって劇場などが閉鎖された。地域の文化拠点としての役割を果たしていた。*49
大正座/因島大正座/因島シネマプラザ
所在地 : 広島県御調郡土生町(1925年、1934年・1936年・1941年・1943年・1947年、1953年)、広島県因島市土生町(1955年)、広島県因島市土生町1809(1958年・1960年)、広島県因島市土生町1812(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1990年6月頃
跡地は「因島ガス土生営業所」北東の駐車場。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


村松友視『黄昏のムービー・パレス』には、「因島大正座」に関する随筆が掲載されている。*50
玉栄館/尾道東映劇場/尾道東映
所在地 : 広島県尾道市久保町628-1(1925年)、広島県尾道市久保町(1927年・1930年・1934年)、広島県尾道市628(1936年)、広島県尾道市久保町628(1941年)、広島県尾道市久保町(1943年・1947年)、広島県尾道市628(1950年)、広島県尾道市久住町628(1953年)、広島県尾道市久保町(1955年)、広島県尾道市久保町628(1958年・1963年・1966年)、広島県尾道市久保町602(1969年)、広島県尾道市久保1-12-4(1973年)、広島県尾道市久保5-16(1975年)、広島県尾道市久保町1-5-16(1976年・1980年・1985年)、広島県尾道市久保1-5-16(1988年・1990年・1992年)、広島県尾道市久保1-12-4(1993年)
開館年 : 1910年2月
閉館年 : 1993年5月14日
跡地は1990年竣工の商業ビル「夢街道」。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1930年現在の尾道市における劇場と寄席は、活動常設館が「偕楽座」「太陽館」「玉栄館」、その他が「尾道劇場」「湊席」である。*51

1931年、映画館「玉栄館」が開館した。1946年1月、玉栄館で松竹作品『愛染かつら』が再上映され、観客による長蛇の列ができた。*52

1946年1月3日、尾道市の「玉栄館」で松竹作品『愛染かつら』が再上映され、入場を待つ観客が長蛇の列を作った。*53

1957年8月22日午後3時30分頃、尾道市久保町千日前の「尾道東映」ステージ西側から出火し、スクリーンとマスクカーテンが焼失した。原因はスクリーンとマスク開閉装置の過熱。*54

1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。*55

1976年12月25日、トーエー商事は「高松大劇パラス」、「尾道東映」、「尾道日活」、「尾道東映パラス」を賃借して直営での営業を開始した。*56

1993年5月14日、尾道市久保1丁目の映画館「尾道東映」が閉館した。1931年に「玉栄館」として開館した映画館である。尾道市の映画館は尾道駅前の「尾道松竹」のみとなった。*57

1993年5月14日、尾道市久保1丁目の映画館「尾道東映」が閉館した。「玉栄館」から62年の歴史に幕を閉じた。尾道市の映画館は尾道駅前の「尾道松竹」のみとなった。*58
尾道松竹
所在地 : 広島県尾道市東御所町(1950年・1953年・1955年)、広島県尾道市東御所町34(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、広島県尾道市東御所町6-2(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1947年6月14日、1962年頃(ビル化)
閉館年 : 2000年8月末
跡地は「シネマ尾道」。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


1947年6月、松竹は「尾道松竹」と「甲府松竹」を賃借して直営館とした。*59

1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。*60

尾道駅前に「第一劇場」が開館した。1947年6月14日、映画館「尾道松竹」が発足した。後に「駅前松竹」に改称している。2001年10月、尾道松竹が休館した。*61

1947年6月14日、尾道市の尾道駅前にある「第一劇場」が「尾道松竹」に改称して発足した。*62

1990年9月8日・9日、尾道市の尾道松竹で尾道映画サークル創立10周年を記念した第4回尾道映画祭が開催された。*63

1947年6月14日、尾道市の尾道駅前に映画館「尾道松竹」が発足した。*64

2000年9月初頭、尾道市唯一の映画館「尾道駅前松竹」が休館に入った。経営者は体調を崩して入院しているという。1947年6月14日、松竹の直営館「松竹尾道」として開館した。1960年代後半に現在の建物に建て替えた。1973年には松竹が撤退し、松竹の社員だった現在の社長が引き継いだ。1955年時点の尾道市と向島には、尾道東映、尾道日活、尾道東宝、尾道大映、太陽館、尾道会館、松竹尾道、祇園座、尾道劇場、衆楽座、浦崎文化劇場、百島東映、向島兼吉劇場、向島松映の14館があった。*65

2001年5月、尾道駅前にある尾道市唯一の映画館「尾道松竹」が再開館した。1947年には黒田泰博(73)が尾道松竹に入ったが、全盛期の尾道市には10館以上の映画館があった。1973年には配給会社の松竹が経営から撤退し、黒田が館主を引き継いだ。2000年8月には黒田の癌が発覚して入院し、2か月後には尾道松竹も休館となった。7か月間の入院で生死の間をさまよったが、病室からフィルムの買い付けを行って再開館した。*66
シネマ尾道
所在地 : 広島県尾道市東御所町6-2(2009年・2010年・2015年・2020年・2025年)
開館年 : 2008年10月18日
閉館年 : 営業中
公式サイト : シネマ尾道
Wikipedia : シネマ尾道
最寄駅はJR山陽本線尾道駅。


「シネマ尾道」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*67

「シネマ尾道」に言及している書籍として、『ミニシアターのある街へ。』JTBパブリッシング、2021年がある。*68

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