所在地 : 広島県尾道市久保町261(1925年)、広島県尾道市久保町本通(1927年)、広島県尾道市本通261(1930年)、広島県尾道市久保町本通(1936年)、広島県尾道市久保町(1943年)、広島県尾道市(1947年)、広島県尾道市久保町261(1950年)、広島県尾道市久保町261-1(1953年)、広島県尾道市久保町(1955年)、広島県尾道市久保町261(1958年)、広島県尾道市久保町26-2(1960年)、広島県尾道市久保町261-2(1963年)、広島県尾道市久保町261-1(1966年・1969年・1973年)、広島県尾道市久保町2-5-21(1976年)、広島県尾道市久保2-5-21(1978年)
開館年 : 1924年3月27日
閉館年 : 1978年2月24日
『全国映画館総覧 1955』によると1924年9月開館。1925年・1927年・1930年・1936年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「太陽館」。1965年・1969年・1972年の住宅地図では「太陽館」。1966年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「尾道太陽館」。1978年の映画館名簿では経営会社が太陽館、経営者が村上宗興、支配人が西村孝雄、木造2階冷暖房付、385席、松竹・洋画を上映。1979年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では跡地に「さんぱストアー」。跡地は「久山内科医院」東の月極駐車場。最寄駅はJR山陽本線尾道駅。
1930年現在の尾道市における劇場と寄席は、活動常設館が「偕楽座」「太陽館」「玉栄館」、その他が「尾道劇場」「湊席」である。
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1963年の『尾道人物史』には「尾道松竹」「太陽館」、「祇園座」、「尾道会館」、「備南興栄株式会社(尾道東映・尾道日活・尾道東宝)」の映画館の広告が掲載されている。尾道松竹は「松竹直営 尾道市西御所町34番地 電話2061」、太陽館は「洋画専門封切館 尾道市久保町防地 電話2650」、祇園座は「東映・大映 尾道市西御所町 電話6533」、尾道会館は「大映封切 尾道市久保町新地 電話2553」、備南興栄株式会社は「取締役社長盛久慎蔵 専務取締役盛久晋 尾道市久保町千日前 電話5506 尾道名所千日前映画街」とある。
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時期不明の「太陽館」の写真あり。「舘陽太」の文字が見える。1924年3月に開館した。当初は松竹系の映画を上映したが、後に洋画専門館となった。日活系の「玉栄館」とともに市民に親しまれた。
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昭和初期の「太陽館」の写真あり。「舘陽太」の文字が見える。1924年に開館し、松竹系の映画が上映された。日活系の「玉栄館」とともに尾道の代表的な映画館だった。
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1924年3月27日、映画館「太陽館」が開館した。1978年2月24日、太陽館が54年の歴史に幕を閉じて閉館した。
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1924年3月27日、尾道市に松竹上映館「太陽館」が開館した。
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1962年頃の尾道市にあった映画館「太陽館」の写真あり。イタリア映画『世界残酷物語』の垂れ幕が見える。1924年3月27日、久保2丁目に尖塔のあるモダンな映画館として開館した。戦後は洋画を中心に上映した。1978年2月24日に閉館した。その後はスーパーを経て、2004年現在の建物の一部は駐車場となっている。
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1953年頃の尾道市にあった「太陽館」の写真あり。商店街の坊地口側にあった洋画専門館である。ファサードは日の出をモチーフとしている。1924年に開館し、1972年に閉館した。2021年現在の跡地は駐車場となっている。
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1978年2月24日、尾道市久保2丁目の映画館「太陽館」が54年の歴史に幕を閉じて閉館した。
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