日本の映画館の総合データベースです。



釧路市

北映劇場
1955年12月31日、釧路市に3館の映画館が相次いで開館した。松浦町には「日本劇場」が開館した。経営者は末永長吉郎。木造平屋建て。建坪120坪。定員350。総工費900万円。系統は邦画・洋画混合。末広町には「マリモ劇場」2階を改築して「広栄劇場」が開館した。経営者は横沢清。建坪100坪。定員320。総工費800万円。系統は邦画・洋画混合。鳥取町には「北映劇場」が開館した。経営者は浅川正敏。木造平屋建て。建坪142坪。定員306。総工費500万円。系統は邦画。*1
名称不明の映画館
1960年後半のこのほど、釧路市のツルヤ・シネマは映画デパートの建設を計画している。現在の「釧路東宝」と「セントラル」の両劇場を解体し、跡地に鉄筋コンクリート造、地下1階・地上4階建て、延床面積4120平方メートルのビルを建設する。地下は350席の小劇場、1階は貸店舗、2階・3階・4階は約1000人収容の大劇場と400席の洋画専門館を設ける。総工費1億7000万円。1961年4月に着工予定であり、同年10月に完成予定である。*2
神田館
所在地 : 北海道釧路市西幣舞町(1925年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1925年以後1930年以前
1925年の映画館名簿では「神田館」。1930年の映画館名簿には掲載されていない。
第二オペラ館
所在地 : 北海道釧路市幣舞町(1925年)、北海道釧路市西幣舞町(1930年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1930年以後1936年以前
1925年・1930年の映画館名簿では「第二オペラ館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。
第二敷島館
所在地 : 北海道釧路市西幣舞町(1930年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1930年以後1936年以前
1925年の映画館名簿には掲載されていない。1930年の映画館名簿では「第二敷島館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。
第一敷島館
所在地 : 北海道釧路市真砂町大通(1930年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1930年以後1936年以前
1925年の映画館名簿には掲載されていない。1930年の映画館名簿では「第一敷島館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。
第一オペラ館/オペラ館
所在地 : 北海道釧路市(1925年)、北海道釧路市西幣舞町(1930年)、北海道釧路市末広町5-3(1936年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1936年以後1943年以前
1925年の映画館名簿では「オペラ館」。1930年の映画館名簿では「第一オペラ館」。1936年の映画館名簿では「オペラ館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
第三敷島館
所在地 : 北海道釧路市南大通り2-7(1936年)
開館年 : 1930年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1943年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「第三敷島館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
敷島館
所在地 : 北海道釧路市南大通2(1943年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1943年の映画館名簿では「敷島館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
恵比寿座
所在地 : 北海道釧路市末広町5(1943年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1943年の映画館名簿では「恵比寿座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
東宝映画劇場
所在地 : 北海道釧路市末広町5(1943年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1943年の映画館名簿では「東宝映画劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
日活館
所在地 : 北海道釧路市南大通り2丁目(1947年)、北海道釧路市西大通2丁目(1950年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「日活館」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
ツルヤシネマ
所在地 : 北海道釧路市末広町4(1950年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「ツルヤ・シネマ」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
国際シネマ
所在地 : 北海道釧路市末広町4(1953年・1954年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1954年頃
『全国映画館総覧 1954』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿では「国際シネマ」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。
鳥取劇場
所在地 : 北海道釧路市鳥取町(1953年)、北海道釧路市鳥取町9(1954年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1954年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿では「鳥取劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。
音別座/音別劇場
所在地 : 北海道白糠郡音別村(1953年・1955年)、北海道白糠郡音別村5(1958年)、北海道白糠郡音別町中央(1960年)、北海道白糠郡音別町(1961年・1962年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1962年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「音別座」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「音別劇場」。1961年・1962年の映画館名簿では「音別座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
尺別協和会館/協糠会館/協和会館
所在地 : 北海道白糠郡音別村尺別炭鉱(1955年)、北海道白糠郡音別町尺別炭鉱(1960年)、北海道白糠郡音別町尺別(1961年)、北海道白糠郡音別町尺別炭鉱(1962年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1962年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「尺別協和会館」。1961年の映画館名簿では「協糠会館」。1962年の映画館名簿では「協和会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
新橋映画劇場
所在地 : 北海道釧路市新橋大通3(1963年)
開館年 : 1960年8月16日
閉館年 : 1963年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「新橋映画劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年8月16日、釧路市新橋に「新橋映画劇場」が開館した。モルタル平屋建て。延建坪417.5平方メートル。椅子席323。上映系統は東映・東宝・新東宝の再映館。経営は中本花子社長の東映パール。*3
桜ケ岡会館/桜ケ岡劇場
所在地 : 北海道釧路市桜ケ岡19(1958年・1960年)、北海道釧路市桜ケ岡(1963年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1963年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「桜ケ岡会館」。1963年の映画館名簿では「桜ケ岡劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。
阿寒劇場
所在地 : 北海道阿寒郡阿寒村(1953年・1955年)、北海道阿寒郡阿寒町(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「阿寒劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年1月31日、阿寒郡阿寒町の「阿寒劇場」の隣家から出火し、劇場が類焼して半焼した。経営は小宮山幸雄。*4

1960年1月31日、阿寒郡阿寒町の「阿寒劇場」の隣接工場から出火して劇場が半焼した。*5

1960年1月31日、阿寒郡阿寒町の「阿寒劇場」が類焼によって半焼した。*6

1960年4月1日、阿寒郡阿寒町の「阿寒劇場」が営業を再開した。隣家からの類焼で休館中だった。建坪125坪。モルタル2階建て。定員285人。経営は小宮山幸雄。*7
本州製紙娯楽場/本州製紙体育館/本州製紙釧路工場体育館
所在地 : 北海道釧路市大楽毛201(1961年)、北海道釧路市大楽毛(1962年)、北海道釧路市新橋大楽毛(1963年・1964年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1964年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「本州製紙娯楽場」。1962年の映画館名簿では「本州製紙体育館」。1963年・1964年の映画館名簿では「本州製紙釧路工場体育館」。1964年の映画館名簿では経営者が本州製紙、支配人が勤労課長、木造1階、定員800、邦画を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
釧路十条娯楽場/十条娯楽場
所在地 : 北海道釧路市鳥取町(1953年)、北海道釧路市鳥取町32(1955年・1958年・1960年)、北海道釧路市鳥取町184(1963年・1964年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「十条娯楽場」。1958年の映画館名簿では「釧路十条娯楽場」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「十条娯楽場」。1964年の映画館名簿では経営者が十条製紙、支配人が厚生課長、木造2階、定員800、邦画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
オデオン座/日活オデオン/日活劇場(旧)
所在地 : 北海道釧路市末広町3丁目(1953年)、北海道釧路市末広町3-2(1955年・1958年)、北海道釧路市末広町2(1960年)、北海道釧路市末広町3-2(1963年・1964年)、北海道釧路市末広町4(1965年)
開館年 : 1952年1月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年1月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「オデオン座」。1960年の映画館名簿では「日活オデオン」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「日活劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
グランドシネマ/東映グランド
所在地 : 北海道釧路市南大通1-25(1958年)、北海道釧路市南大通14(1960年)、北海道釧路市南大通1-15(1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1956年8月25日
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「グランド・シネマ」。1960年の映画館名簿では「グランドシネマ」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「東映グランド」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1956年8月25日、釧路市に「グランド・シネマ」が開館した。浅川興行株式会社の北山義郎常務と金物店主の堀内武利の共同経営。幣舞橋のロータリー角。系統は新東宝の封切と洋画の再映。定員354人。シネスコ設備を有する。釧路市の映画館は11館となった。*8
春採会館/春採劇場/釧路春採会館
所在地 : 北海道釧路市春採町太平洋炭鉱鉱業所(1953年)、北海道釧路市春採町231(1955年)、北海道釧路市春採町260(1958年)、北海道釧路市春採町231(1960年)、北海道釧路市春採(1963年)、北海道釧路市春採町(1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「春採会館」。1963年の映画館名簿では「春採劇場」。1966年の映画館名簿では「釧路春採会館」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。
釧路パール座/パール座
所在地 : 北海道釧路市松浦町17(1957年・1958年)、北海道釧路市若松町17(1960年)、北海道釧路市若松町3-16(1963年・1966年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1966年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「パール座」。1958年の映画館名簿では「釧路パール座」。1960年の映画館名簿では「パール座」。1963年の映画館名簿では「東映パール」。1966年の映画館名簿では「釧路東映パール座」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。
国民劇場/釧路国民劇場/銀映座/釧路東映劇場(末広町4-2)/第二東映/釧路オリオン劇場
所在地 : 北海道釧路市末広町4-1(1947年)、北海道釧路市末広町4丁目(1950年・1953年)、北海道釧路市末広町4-1(1954年)、北海道釧路市末広町4-2(1955年・1958年)、北海道釧路市末広町4(1960年・1963年)、北海道釧路市末広町4-2(1966年)
開館年 : 1943年以後1947年以前、1953年7月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年7月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「国民劇場」。1950年・1953年の映画館名簿では「釧路国民劇場」。1954年・1955年の映画館名簿では「銀映座」。1958年の映画館名簿では「釧路東映劇場」。1958年の映画館名簿では経営者が東映商事、支配人が中島雄二郎、木造2階暖房付、定員690、東映を上映。1960年の映画館名簿では「第二東映」。1963年の映画館名簿では「第二東映劇場」。1966年の映画館名簿では「釧路オリオン劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1963年3月30日、釧路市の「釧路第二東映劇場」が「釧路オリオン劇場」に改称して洋画二番館に転向した。支配人は飯島信雄。*9
釧路東宝劇場/釧路東宝/釧路東宝映画劇場
所在地 : 北海道釧路市末広町1丁目(1950年)、北海道釧路市末広町4丁目(1953年)、北海道釧路市末広町4-1(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1949年1月
閉館年 : 1967年頃
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「釧路東宝劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「釧路東宝」。1958年の映画館名簿では「釧路東映」(※東宝ではなく東映)。1958年の映画館名簿では経営者がツルヤシネマ、支配人が前川秀、木造2階暖房付、定員700、東宝を上映。1960年・1963年の映画館名簿では「釧路東宝」。1966年・1967年の映画館名簿では「釧路東宝映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。
名画座/釧路セントラル/セントラル劇場/釧路セントラル劇場
所在地 : 北海道釧路市末広町4丁目(1953年)、北海道釧路市末広町4-1(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1952年8月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「名画座」。1958年の映画館名簿では「釧路セントラル劇場」。1960年の映画館名簿では「釧路セントラル」。1963年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1966年・1967年の映画館名簿では「釧路セントラル劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。
釧路劇場(旧)
所在地 : 北海道釧路市末広町4丁目(1947年)、北海道釧路市末広町3丁目(1950年・1953年)、北海道釧路市末広町3-1(1955年・1958年・1960年)、北海道釧路市末広町3(1963年)、北海道釧路市末広町3-1(1966年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年1月開館。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「釧路劇場」。後継館は釧路劇場とミラノ座を収容する浅川ビル。最寄駅はJR根室本線釧路駅。

釧路市末広町3の映画館「釧路劇場」(1946年〜1994年)。1931年、浅草で弁士をしていた浅川正一が釧路の「敷島館」を買収し、浅川は末広町の3館も買収した。1945年の釧路空襲では末広町の3館が焼失したが、跡地に松竹・大映の封切館の釧路劇場として再建された。道東最大の映画興行会社だった浅川興行の旗艦館である。1957年には釧路市で『挽歌』のロケが行われた。同年秋には全国に先駆けて釧路劇場で公開され、隣の映画館まで行列が続いた。昭和30年代から40年代の釧路市北大通には8館の映画館があり、炭鉱や製紙工場の付属施設を含めると市内全体で17館もあった。1967年には2館を収容する浅川ビルが完成し、釧路劇場は邦画、ミラノ座は洋画を上映した。1994年には両館とも閉館した。閉館時の座席数は800席。*10
雄別協和会館
所在地 : 北海道阿寒郡阿寒村雄別炭山(1953年)、北海道阿寒郡阿寒村雄別炭鉱(1955年)、北海道阿寒郡阿寒町雄別炭山(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「雄別協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
釧路東映劇場(南大通2-7)/東映劇場/釧路南映/釧路南映劇場/南映劇場
所在地 : 北海道釧路市南大通り2丁目(1953年)、北海道釧路市南大通2-7(1954年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、北海道釧路市南大通2丁目(1969年・1973年・1974年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「釧路東映劇場」。1954年の映画館名簿では「東映劇場」。1955年の映画館名簿では「釧路南映」。1958年の映画館名簿では「釧路南映劇場」。1960年の映画館名簿では「釧路南映」。1963年の映画館名簿では「南映劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「釧路南映劇場」。1973年・1974年の映画館名簿では「南映劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。
マリモ劇場/広栄劇場/釧路スバル座/釧路日活劇場(新)/スバル座
所在地 : 北海道釧路市末広町(1955年・1956年)、北海道釧路市末広町4-10(1957年・1958年・1960年)、北海道釧路市末広町4(1963年)、北海道釧路市末広町4-10(1966年・1969年・1973年・1974年)
開館年 : 1954年頃、1957年1月12日
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「マリモ劇場」。1956年の映画館名簿では「まりも劇場」。1957年の映画館名簿では「広栄劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「釧路スバル座」。1963年の映画館名簿では「スバル座」。1966年・1969年の映画館名簿では「釧路日活劇場」。1973年・1974年の映画館名簿では「スバル座」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「灘万ビル」。最寄駅はJR根室本線釧路駅。

1955年12月31日、釧路市に3館の映画館が相次いで開館した。松浦町には「日本劇場」が開館した。経営者は末永長吉郎。木造平屋建て。建坪120坪。定員350。総工費900万円。系統は邦画・洋画混合。末広町には「マリモ劇場」2階を改築して「広栄劇場」が開館した。経営者は横沢清。建坪100坪。定員320。総工費800万円。系統は邦画・洋画混合。鳥取町には「北映劇場」が開館した。経営者は浅川正敏。木造平屋建て。建坪142坪。定員306。総工費500万円。系統は邦画。*11

1957年1月12日、釧路市末広町4-10に「釧路スバル座」が開館した。オープニングは『バス停留所』と『裸の天使』。1956年2月に焼失した「まりも劇場」を復旧した。定員300人。経営者は横沢清、支配人は石川幹也。*12

1958年7月2日、釧路市の洋画二番館「釧路スバル座」は「釧路大映スバル座」に改称して大映直営館となった。オープニングは『口笛を吹く渡り鳥』と『七番目の密使』の二本立。館主は浅川正敏。*13
釧路国際劇場/国際劇場
所在地 : 北海道釧路市南大通1-15(1966年)、北海道釧路市南大通1丁目(1969年・1973年・1974年)
開館年 : 1959年
閉館年 : 1974年頃
1960年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「釧路国際劇場」。1973年・1974年の映画館名簿では「国際劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年5月10日、釧路市大川町で「国際劇場」の地鎮祭が行われた。8月1日に開館予定。塩山水産の敷地だった場所に木造モルタル一部ブロック建築で新築される。座席数250。上映系統は洋画系。経営は帝国劇場株式会社。釧路市の映画館は15館となる予定。*14
国際シネマ/釧路映画劇場
所在地 : 北海道釧路市末広町4(1953年)、北海道釧路市末広町4-3(1955年・1956年・1957年)、北海道釧路市末広町4-1(1958年)、北海道釧路市末広町4-3(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年)
開館年 : 1950年以後1953年頃
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1956年の映画館名簿では「国際シネマ」。1957年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「釧路映画劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。

1964年1月10日、釧路市末広町の「釧路映画劇場」舞台裏から出火し、スクリーンとスクリーンカバーが全焼したが、客席などには被害がなかった。原因はタバコの吸い殻とみられる。*15
釧路帝国劇場/帝国劇場
所在地 : 北海道釧路市若松町7(1960年)、北海道釧路市若松町2-6(1963年・1966年)、北海道釧路市若松町2-5(1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、北海道釧路市若松町2-8(1982年)、北海道釧路市若松町2丁目(1984年)
開館年 : 1958年8月16日
閉館年 : 1984年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「帝国劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「釧路帝国劇場」。1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「帝国劇場」。1982年の映画館名簿では経営会社が吉永興業、経営者が吉永吉宏、支配人が吉永宏次、木造1階、320席、成人映画を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。

1958年8月16日、釧路市に「帝国劇場」が開館した。オープニングは『錆びたナイフ』と『赤胴鈴之助』と『天竜しぶき笠』と『不敗大関』の四本立。一部鉄筋造木造平屋建て。130坪。椅子席320。釧路市の映画館は12館となった。*16
シアターパルコ/釧路ピカデリー2(パルコ)
所在地 : 北海道釧路市黒金町13丁目(1975年)、北海道釧路市黒金町12-26(1978年)、北海道釧路市黒金町13丁目(1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1972年12月
閉館年 : 1988年頃
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1975年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「シアターパルコ」。1982年の映画館名簿では経営会社が浅川興業、経営者が浅川正敏、支配人が西村良孝、鉄筋造地下、271席、邦画・洋画を上映。1988年の映画館名簿では「釧路ピカデリー2」。1988年の映画館名簿では経営会社が浅川興業、経営者が浅川正敏、支配人が田中信一、鉄筋造地下1階、271席、邦画・洋画を上映。1989年の映画館名簿には掲載されていない。パルコ釧路店2階。跡地は「釧路駅前ホテルオーシャン」廃墟。最寄駅はJR根室本線釧路駅。
ピカデリー(旧)/釧路ピカデリー(黒金町13丁目)
所在地 : 北海道釧路市黒金町13丁目(1977年)、北海道釧路市黒金町12-26(1978年)、北海道釧路市黒金町13丁目(1980年・1985年・1988年・1989年)
開館年 : 1976年頃
閉館年 : 1989年頃
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1977年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「ピカデリー」。1988年・1989年の映画館名簿では「釧路ピカデリー」。1988年の映画館名簿では経営会社が浅川興業、経営者が浅川正敏、支配人が田中信一、鉄筋造2階、300席、洋画を上映。
日本劇場/釧路日本劇場
所在地 : 北海道釧路市松浦町14(1958年)、北海道釧路市若松町14(1960年)、北海道釧路市若松町2-11(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、北海道釧路市若松町2丁目(1985年・1990年・1992年・1994年)
開館年 : 1955年12月31日、1991年頃(ビル化)
閉館年 : 1994年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日本劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「釧路日本劇場」。1973年・1975年・1980年・1980年の映画館名簿では「日本劇場」。1985年・1990年・1991年・1992年・1994年の映画館名簿では「釧路日本劇場」。1991年の映画館名簿では経営会社が株式会社日本劇場、経営者・支配人ともに晃昇繁夫、木造1階、152席、にっかつを上映。1992年の映画館名簿では経営会社が株式会社日本劇場、経営者・支配人ともに晃昇繁夫、鉄筋造1階、61席、邦画・洋画を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。建物はばんえい競馬場外勝馬投票券発売所「ハロンズ釧路」として現存。最寄駅はJR根室本線釧路駅。

1955年12月31日、釧路市に3館の映画館が相次いで開館した。松浦町には「日本劇場」が開館した。経営者は末永長吉郎。木造平屋建て。建坪120坪。定員350。総工費900万円。系統は邦画・洋画混合。末広町には「マリモ劇場」2階を改築して「広栄劇場」が開館した。経営者は横沢清。建坪100坪。定員320。総工費800万円。系統は邦画・洋画混合。鳥取町には「北映劇場」が開館した。経営者は浅川正敏。木造平屋建て。建坪142坪。定員306。総工費500万円。系統は邦画。*17
釧路劇場・ミラノ座/釧路劇場・釧路ミラノ座
所在地 : 北海道釧路市末広町3-1(1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、北海道釧路市末広町3丁目(1985年・1990年・1992年)
開館年 : 1967年10月6日(ビル化)
閉館年 : 1994年
前身館は釧路劇場。1969年の映画館名簿では「釧路劇場・釧路ミラノ座」(2館)。1973年・1975年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「釧路劇場・ミラノ座」(2館)。1990年・1992年の映画館名簿では「釧路劇場・釧路ミラノ座」(2館)。1992年の映画館名簿では経営会社が浅川興業、経営者が松本栄三、支配人が松井久幸、釧路劇場が鉄筋造1階で460席で松竹・東宝を上映、ミラノ座が鉄筋造2階で500席で洋画を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。浅川ビル。通称は釧劇(せんげき)。跡地は「釧路市民活動センターわっと」が入るビル「パステルパーク」建物北西部。最寄駅はJR根室本線釧路駅。

1967年10月6日、釧路市の「釧路劇場」と「ミラノ座」が開館した。*18

釧路市末広町3の映画館「釧路劇場」(1946年〜1994年)。1931年、浅草で弁士をしていた浅川正一が釧路の「敷島館」を買収し、浅川は末広町の3館も買収した。1945年の釧路空襲では末広町の3館が焼失したが、跡地に松竹・大映の封切館の釧路劇場として再建された。道東最大の映画興行会社だった浅川興行の旗艦館である。1957年には釧路市で『挽歌』のロケが行われた。同年秋には全国に先駆けて釧路劇場で公開され、隣の映画館まで行列が続いた。昭和30年代から40年代の釧路市北大通には8館の映画館があり、炭鉱や製紙工場の付属施設を含めると市内全体で17館もあった。1967年には2館を収容する浅川ビルが完成し、釧路劇場は邦画、ミラノ座は洋画を上映した。1994年には両館とも閉館した。閉館時の座席数は800席。*19
東映劇場/釧路東映劇場(新)
所在地 : 北海道釧路市末広町8-1(1960年)、北海道釧路市末広町8(1963年)、北海道釧路市末広町8-1(1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、北海道釧路市末広町8丁目(1985年・1990年・1992年・1995年・1996年)
開館年 : 1959年10月
閉館年 : 1996年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「釧路東映劇場」。1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「東映劇場」。1980年・1985年・1990年・1992年・1995年・1996年の映画館名簿では「釧路東映劇場」。1992年の映画館名簿では経営会社が北日本エンタープライズ、経営者が草薙修平、支配人が牛抱幸夫、鉄筋造1階、538席、東映を上映。1997年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年10月上旬、釧路市末広町811に東映直営館「釧路東映」が開館する予定。延床面積1155平方メートル。鉄骨鉄筋造、4階建て。冷暖房設備あり。収容人員900人。*20

1959年内に東映は全国に6直営館を開館させる。9月12日には「津東映」、10月10日には「釧路東映」、10月22日には「金沢東映」、11月3日には「名古屋第二東映」、12月12日には「八幡東映」、12月24日には「和歌山東映」が開館する。年末までに直営館は62館となる。*21
万国劇場/釧路万国劇場/釧路ピカデリー2(末広町8丁目)/釧路ピカデリー(末広町8丁目)
所在地 : 北海道釧路市末広町8丁目(1973年・1975年・1978年・1980年)、北海道釧路市末広町8丁目1(1985年)、北海道釧路市末広町8丁目(1988年・1990年・1992年・1995年・2000年)
開館年 : 1970年以後1973年以前
閉館年 : 2000年8月31日
1970年の映画館名簿には掲載されていない。1973年・1975年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「万国劇場」。1988年の映画館名簿では「釧路万国劇場」。1988年の映画館名簿では経営会社が浅川興業、経営者が浅川正敏、支配人が松野実、鉄筋造1階、270席、洋画を上映。1989年の映画館名簿では「釧路ピカデリー2」。1990年・1992年・1995年・2000年の映画館名簿では「釧路ピカデリー」。1992年の映画館名簿では経営会社が浅川興業、経営者が松本栄三、支配人が松井久幸、鉄筋造1階、270席、洋画を上映。2002年の映画館名簿には掲載されていない。
釧路スガイビル
所在地 : 北海道釧路市末広町6丁目(1973年・1975年・1978年・1980年・1982年)、北海道釧路市北大通6丁目(1985年・1988年・1990年・1992年・1995年・2000年・2002年)
開館年 : 1971年3月
閉館年 : 2001年4月8日
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「テアトルスガイ・アポロシネマ」(2館)。1980年・1982年の映画館名簿では「テアトルスガイ・シネマアポロン」(2館)。1985年の映画館名簿では「テアトルスガイ・釧路シネマアポロン」(2館)。1988年・1990年の映画館名簿では「釧路テアトルスガイ・釧路シネマアポロン」(2館)。1992年・1995年・2000年・2002年の映画館名簿では「釧路テアトルスガイ・釧路シネマアポロン・釧路テアトロポニー」(3館)。1992年の映画館名簿では経営会社が須貝興行、経営者が鈴木保男、支配人が熊谷正志、いずれも鉄筋造地下1階、テアトルスガイが132席で洋画を上映、シネマアポロンが137席で洋画を上映、テアトロポニーが137席で洋画を上映。2003年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR根室本線釧路駅。

2001年4月4日の『北海道新聞』には「釧路スガイ」が4月8日をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*22

2001年4月8日、スガイ・エンタテインメントは釧路市中心部で営業する3映画館を閉館させる(※映画館名は掲載されておらず)。釧路市北大通6丁目の釧路スガイビルにあり、計約320席。これによって釧路市から映画館がなくなる。2000年11月には郊外の大型ショッピングセンターに8スクリーンのシネコンが開館し、収益が悪化していたことに加えて、1971年開館の2館の老朽化も進んでいた。同ビル内のゲームセンターやボウリング場の営業は続ける。*23

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