日本の映画館の総合データベースです。



沼田市

大正座/昭和館
所在地 : 群馬県利根郡沼田町(1927年・1930年・1934年)
開館年 : 1915年
閉館年 : 1942年
1925年の映画館名簿には掲載されていない。1927年の映画館名簿では「大正館」。1930年・1934年の映画館名簿では「昭和館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「堤眼科」北東50mの石田医院廃墟。最寄駅はJR上越線沼田駅。

沼田町唯一の劇場として金子助次郎が経営する「金盛座」があった。1915年、高橋伝七は1万8000円で馬喰町1214に劇場「大正座」を設けた。1918年には川場の桑原吉右衛門と松井宗兵衛らに売却し、松井を社長とする資本金2万2000円の会社として経営された。昭和初期には武井熊吉が経営者となって「昭和館」に改称したが、間もなく閉館して売却された。*1

沼田にあった「大正座」の写真あり。1915年、鳴滝旅館の主人である高橋伝七が1万8000円という巨費を投じ、馬喰町に大正座を開館させた。開館当初は歌舞伎や色物などの興行を行っていた。1918年に資本金2万円の株式会社となり、1921年に上之町有志の経営に変わると、この頃から映画常設館となった。その後は経営者が何度か変わり、1942年に解体された。*2

1915年の沼田に完成した「大正座」の写真あり。1915年、旅館鳴滝の経営者である高橋伝七が馬喰町に大正座を開館させた。工費は18000円。1996年現在の石田医院の場所である。*3

1922年、沼田町の「大正座」が常設映画館となり、上之町有志の大正座興行倶楽部の経営となった。1929年頃、大正座が「昭和館」に改称した。*4
沼田新興館
所在地 : 群馬県利根郡沼田町馬喰町(1936年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「沼田新興館」。1936年の映画館名簿では経営者が佐藤四三郎、支配人が田屋米蔵、新興キネマを上映、電話が314呼。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
沼田新劇場/光映館
所在地 : 群馬県沼田市西倉内町
開館年 : 1950年1月
閉館年 : 1965年
映画館名簿には掲載されていない。

1950年1月、沼田町西倉内町(大字沼田823・824)に「沼田新劇場」が開館した。*5

1950年1月、沼田町下之町のお馬出し通りの奥にある路地に「沼田新劇場」が建てられた。北川醤油店の土蔵を大島昇三が改築し、約600人を収容できた。当初は歌舞伎・浪花節・文楽・ストリップなどの興行を行っていた。1960年には株式会社となって吉沢正之が初代社長に就任した。「光映館」に改称し、改称後は主として映画を上映した。1965年に閉館し、跡地は駐車場となった。*6
商栄会館/沼田銀映劇場/沼田銀座映画劇場/沼田名画座
所在地 : 群馬県利根郡沼田町(1950年)、群馬県利根郡沼田町下ノ町907(1953年)、群馬県沼田市沼田907(1955年)、群馬県沼田市下之町907(1958年・1960年)、群馬県沼田市下之町906(1963年)、群馬県沼田市下元町907(1965年・1966年・1968年)
開館年 : 1924年12月5日(商栄会館)、1949年3月(沼田銀座映画劇場)、1960年(沼田名画座)
閉館年 : 1968年1月11日(焼失)
『全国映画館総覧 1955』によると1949年3月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「銀座映画劇場」。1953年の映画館名簿では「沼田銀座映画劇場」。1955年の映画館名簿では「沼田銀映劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「沼田銀座映画劇場」。1963年・1965年・1966年・1968年の映画館名簿では「沼田名画座」。1968年の映画館名簿では経営者が石崎興行、支配人が藤井良也、木造2階暖房付、定員280、洋画を上映。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ペットショップリープ」。最寄駅はJR上越線沼田駅。

1922年、沼田町の下之町商店街の有志が親睦目的で商栄会を結成し、1924年12月には商栄会館が開設した。貸しホールと自主興行の場として使われたが、戦後にはシバタ興行部と提携して「沼田銀座映画劇場」に改称した。その後石崎興行部が経営者となって「名画座」に改称した。1968年1月に焼失した。*7

1922年10月、沼田町下之町四つ角に下之町商栄会によって商栄会館が建設された。1949年3月1日、シバタ興行部と資本提携して「沼田銀座映画劇場」に改称した。その後石崎興行部が経営者となり、「銀映」に改称して大改造が行われた。1968年1月11日の火災で全焼し、跡地は駐車場となった。*8

1924年12月5日、沼田町下之町に商栄会館が建設され、貸座敷や興行場として使用されるようになった。*9

1949年3月1日、沼田町に「沼田銀座映画劇場」(銀映)が開館した。主として永井万吉が経営している。*10

1949年、沼田町の「沼田映画劇場」が「沼田東宝映画劇場」に改称した。下之町商栄会館が「沼田銀座映画劇場」(銀映)として開館した。*11

1957年の沼田市下之町にあった映画館「銀映」の写真あり。嵐寛寿郎主演の新東宝作品『明治天皇と日露大戦争』の看板が見える。銀映は遊覧坂の手前左側にあり、洋画の上映が多かった。やがて「名画座」に改称したが、1968年に焼失した。*12
沼田劇場/沼田映画劇場/沼田東宝劇場/沼田東宝
所在地 : 群馬県利根郡沼田町(1943年)、群馬県利根郡沼田町564(1953年)、群馬県沼田市坊新田町1027(1955年・1958年)、群馬県沼田市坊新田1027(1960年)、群馬県沼田市坊新田町1027(1963年)、群馬県沼田市坊新田町1027(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1919年(沼田劇場)、1937年(沼田映画劇場)、1949年4月(沼田東宝劇場)
閉館年 : 1970年10月
『全国映画館総覧 1955』によると1949年4月開館。1940年焼失。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「沼田映画劇場」。1943年の映画館名簿では経営者が高橋伝七、定員が741、電話が沼田152。1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1949年再建&沼田東宝劇場改称。1953年の映画館名簿では「沼田東宝劇場」。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「沼田東宝」。1970年の映画館名簿では経営者・支配人ともに高橋徹、木造2階冷暖房付、定員580、東宝・松竹を上映。1970年の沼田市住宅明細図では「沼田東宝」。1970年10月閉館。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1978年解体。跡地は「清水屋呉服店」南東60mにある複数の建物。最寄駅はJR上越線沼田駅。

1915年には高橋伝七が劇場「大正座」を設けたが、1918年には桑原吉右衛門らに売却したことで、1921年には新たに「沼田劇場」を設けた。1937年には「沼田映画劇場」に改称し、1940年2月に焼失したが、同年12月に再興された。1949年4月1日には「沼田東宝劇場」に改称し、1952年現在も主として映画を上映している。*13

1927年の沼田にあった「沼田劇場」の写真あり。1921年、高橋伝七が坊新田町に沼田劇場を建て、演劇や寄席などの興行を行った。1937年には「沼田映画劇場」に改称して東宝専門の映画館となった。1940年2月に焼失したが、同年12月に再建された。1949年4月には沼田東宝映画劇場に改称した。映画産業の斜陽化に伴って閉館した。*14

1927年秋に沼田町の「沼田劇場」で行われた公演の記念写真あり。1921年に沼田町坊新田町に「沼田劇場」が設立された。館主は高橋伝七。1937年に「沼田映画劇場」に改称し、1940年2月に焼失したが、同年12月に再建された。戦後の1949年4月に「沼田東宝映画劇場」に改称した。1970年10月に廃館となった。*15

1915年、高橋伝七は沼田町馬喰町に「大正座」を建設した。高橋は中町にあった旅館鳴滝の経営者である。1918年、高梁は大正座を桑原吉右衛門と松井宗兵衛に売却し、1921年には坊新田町に「沼田劇場」を建設した。沼田劇場は桟敷造の劇場であり、芝居・浪曲・寄席などの興行が行われた。1937年には「沼田映画劇場」に改称して東宝専門館となったが、1940年の火災で焼失した。長野県松代町の「海津座」の建物と諸用具を入手し、同年12月に沼田映画劇場が再建されている。1949年4月1日には「沼田東宝劇場」に改称した。1970年に廃館となった。*16

1923年、沼田町の「沼田劇場」が東宝専門館となって「沼田映画劇場」に改称した。1924年2月15日、利根憲政俱楽部が沼田映画劇場で発会式を行った。*17

1949年、沼田町の「沼田映画劇場」が「沼田東宝映画劇場」に改称した。下之町商栄会館が「沼田銀座映画劇場」(銀映)として開館した。*18

1976年、沼田市の「沼田東宝映画館」が廃館となった。*19
沼田テアトル日活・沼田地下劇場/テアトル日活・地下劇場/沼田テアトル
所在地 : 群馬県沼田市西倉内町818(1958年)、群馬県沼田市西倉内町(1960年)、群馬県沼田市西倉内818(1960年・1963年)、群馬県沼田市西倉内町818(1966年)、群馬県沼田市西倉内町、西倉内町818(1969年)、群馬県沼田市西倉内町681(1973年・1975年・1978年・1980年)、群馬県沼田市西倉内町818(1982年・1984年・1985年・1988年)
開館年 : 1957年5月(再建)、1974年(ビル化)
閉館年 : 1988年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年12月1日開館。1957年2月焼失。1957年5月再建。1958年の映画館名簿では「テアトル日活・沼田地下劇場」(2館)。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「沼田テアトル日活・沼田地下劇場」(2館)。1970年・1973年・1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「テアトル日活・地下劇場」(2館)。1970年の映画館名簿では経営者が石崎興行、テアトル日活の支配人が斎藤肇、地下劇場の支配人が田村久四郎、テアトル日活が鉄筋造2階冷暖房付で定員330で洋画を上映、地下劇場が鉄筋造1階冷暖房付で定員220で成人映画を上映。1970年の沼田市住宅明細図では「日活テアトル」。1982年の映画館名簿では「テアトル日活・沼田地下劇場」(2館)。1982年の映画館名簿では経営会社が有限会社石崎興行、経営者が石崎謙一、支配人が丸山幸雄、テアトル日活が木造1階で360席で洋画・邦画を上映、沼田地下劇場が鉄筋造地下で200席でにっかつ・成人映画を上映。1984年・1985年・1988年の映画館名簿では「沼田テアトル」。1988年の映画館名簿では経営会社が有限会社石崎興行、経営者が石崎謙一、支配人が丸山幸雄、鉄筋造地下、140席、邦画・洋画を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン沼田西倉内町店」駐車場。最寄駅はJR上越線沼田駅。

1956年、沼田市に石崎興行が常設映画館「テアトル日活」と「地下劇場」を開館させた。「Theatre Nikkatsu」の文字が見える。1957年2月に焼失し、同年5月に再建されている。映画産業の斜陽化によって廃業し、伊勢町通りの拡幅によって取り壊された。*20

1988年には沼田市の映画館「沼田テアトル映画館」が閉館した。1956年12月に開館し、32年間にわたって日活系の映画を上映していた。昭和20-30年代の沼田市には4館の映画館があったが、現在は沼田テアトル映画館と「沼田キネマ映画館」の2館のみとなっていた。両者はいずれも石崎興行の経営。沼田キネマ映画館は1930年開館の映画館であるが、1974年には建物を建て替え、ホテルやテナントが入る映画館ビルを建設した。沼田テアトル映画館の閉館により、沼田キネマ映画館は利根沼田地方で唯一の映画館となる。*21
金盛座/沼田キネマ
所在地 : 群馬県利根郡沼田町(1925年・1927年・1930年)、群馬県利根郡沼田町馬喰町(1934年)、群馬県利根郡沼田町(1936年・1943年)、群馬県利根郡沼田町118-1(1947年)、群馬県利根郡沼田町(1950年)、群馬県利根郡沼田町681-1(1953年)、群馬県沼田市沼田681-1(1955年)、群馬県沼田市西倉内町681-1(1958年)、群馬県沼田市西倉内(1960年)、群馬県沼田市西倉内町681-1(1963年・1966年・1969年)、群馬県沼田市西倉内町665-3(1973年・1975年)、群馬県沼田市西倉内町681(1978年・1980年)、群馬県沼田市西倉内町681-1(1985年・1990年・1995年・2000年・2002年・2005年)
開館年 : 1918年(金盛座)、1930年(沼田キネマ改称)、1948年(建て替え)、1973年5月(ビル化)、2003年3月(不定期営業化)
閉館年 : 2005年5月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年の映画館名簿では「金盛座」。1927年・1930年の映画館名簿では「金盛館」。1934年・1936年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「沼田キネマ」。1970年の映画館名簿では経営者が石崎興行、支配人が田村久四郎、木造2階暖房付、定員370、東映・大映・日活を上映。1970年の沼田市住宅明細図では「沼田キネマ」。2005年の映画館名簿では経営会社が有限会社石崎興行、経営者が石崎謙一、支配人が斎藤肇、鉄筋造1階、110席、邦画・洋画を上映。2006年の映画館名簿には掲載されていない。かなめホテル1階。跡地は「沼田郵便局」南西60mにある「月極駐車場」。最寄駅はJR上越線沼田駅。

1892年、材木商の川上増造は芝居小屋を設けて興行を行った。やがて負債によって薄根の金子助次郎が所有者となり、自身の姓から「金」を、盛るように願いを込めて「盛」を取って「金盛座」と名付けた。1930年12月、金盛座は「沼田キネマ」に改称した。1940年には石崎要吉が経営者となって経営が安定した。*22

1910年の沼田町にあった「金盛座」の写真あり。1892年、川上某が現在の「沼田キネマ」の場所に芝居小屋を設立した。やがて榛名町の金子助次郎が譲り受け、金盛座として色物や活動写真などを興行した。1930年には「沼田キネマ」に改称し、1940年に石崎要吉の経営となった。*23

時期不明の沼田町にあった「金盛座」の写真あり。1892年、西倉内町の興行小屋を金子助次郎が譲り受け、「金盛座」と名付けて劇場に改造した。金盛座はやがて経営が行き詰まったため、1918年には株式会社が設立され、白亜の洋館に外観を改めて活動常設館となった。1930年には沼田キネマに改称し、1940年には石崎要吉の経営となった。この頃から正面の通りがキネマ通りと呼ばれるようになった。1948年8月、石崎興行部によって沼田キネマが改築された。1996年現在のカナメホテルの場所である。*24

1892年、川上増造は沼田町西倉内に簡単な小屋を建てて興行を始めた。やがて金子助次郎が小屋を譲り受けて「金盛座」に改称し、大改造して本式の劇場とした。1918年5月には桑原幸吉が社長に就任して株式会社組織となり、活動常設館「金盛座」として新発足した。これと同時に大改造を行い、2階建ての白亜の洋館となっている。1930年には「大正座」の営業担当だった石崎要吉の経営となり、1930年12月31日には映画専門館「沼田キネマ」に改称した。石崎興行部は1948年8月に沼田キネマを大改造し、1956年12月1日には近くに「テアトル日活」と「地下劇場」を新設した。1960年5月、シバタ興行部が経営していた「下之町銀映」を買収して「名画座」に改称したが、名画座は1968年1月11日に焼失した。1973年5月には沼田キネマが解体され、跡地に建てられた要ホテルの内部に移転した。*25

1918年5月、沼田町西倉内町の「金盛座」が株式会社化して活動常設館となった。1930年12月、沼田町の「金盛座」が「沼田キネマ」に改称して映画専門館となった。*26

1957年頃の沼田市にあった映画館「沼田キネマ」の写真あり。大勢の観客が並んでいる。沼田市には「東宝」、「銀映」、「テアトル日活」、「地下子供劇場」なども映画館もあった。やがてバイパスが完成してキネマ通りはなくなった。*27

2019年7月28日まで、かつて沼田市の中心市街地にあった映画館5館のチラシ約200点を展示する企画展が沼田市歴史資料館で開催されている。沼田市議会議長などを務めた近藤武治のコレクションであり、近藤の没後に沼田市に寄贈された。1952年から1959年にかけて「沼田キネマ」、「沼田地下劇場」、「テアトル日活」などが配布したチラシが含まれる。1954年9月8日から9月14日にかけて「沼田銀座映画劇場」で上映された『ローマの休日』、1955年1月3日から1月8日にかけて「沼田東宝劇場」で上映された『ゴジラ』などのチラシもある。5映画館の写真、1965年の住宅地図を拡大して5館の位置を示したパネルなども展示されている。*28

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