日本の映画館の総合データベースです。



丸亀市

丸亀市の映画館
1911年5月3日の『香川新報』には、丸亀の富屋町にある「稲荷座」が常設映画館となって「世界館」に改称するという記事が掲載されている。世界館は丸亀初の常設映画館だった。1914年7月20日には新町に「新町座」が開館し、この前後には「天来館」も開館した。1915年1月16日の『香川新報』には、天来館が「帝国館」に改称するという記事が掲載されている。1920年2月には浜町に「地球館」が開館し、新築興行として日活の喜劇、尾上松之助の弥次郎兵衛・喜多八が行われた。1933年には通町に「蓬莱館」が開館した。1934年に丸亀商工会議所が製作した丸亀地図には、劇場・映画館として戎座、新町座、帝国館、地球館、大黒座、蓬莱館の6館が掲載されている。戦後の1962年時点で丸亀市には6映画館があった。*1
キネ倶楽部/戎座
所在地 : 香川県丸亀市南条町(1927年・1930年・1934年・1936年)
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1927年の映画館名簿では「キネ倶楽部」。1930年・1934年・1936年の映画館名簿では「戎座」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
丸亀劇場
所在地 : 香川県丸亀市
開館年 : 1937年11月
閉館年 : 1945年以前
映画館名簿には掲載されていない。

1937年11月、丸亀の西平山町にある「大黒座」跡地に「丸亀劇場」が開館した。丸亀検番の芸妓の舞踊が落成興行だった。1938年夏の慰安観劇の写真あり。戦後には興行が行われず、1976年9月3日に焼失した。*2
地球館
所在地 : 香川県丸亀市(1925年)、香川県丸亀市浜町(1927年・1930年・1934年・1936年)、香川県丸亀市浜町3(1941年・1943年)、香川県丸亀市浜町(1947年)、香川県丸亀市浜町3(1950年)、香川県丸亀市浜町(1953年・1955年)、香川県丸亀市浜町80(1956年・1957年・1958年)、香川県丸亀市浜町3(1960年)
開館年 : 1920年2月20日、1948年7月
閉館年 : 1960年
『全国映画館総覧 1955』によると1948年7月開館。1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1956年・1957年・1958年・1960年の映画館名簿では「地球館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1975年の映画館名簿では「レストランロンドン」。跡地は「ホテルアルファーワン丸亀」北東50mにある月極駐車場。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

1920年2月15日、丸亀の浜町で「地球館」の落成式が行われ、2月20日に開館した。戦後すぐには洋画専門館として多数の名画を上映し、映画館が復興途上だった高松市からも多くの洋画ファンを集めた。1960年に閉館し、1996年現在の跡地は駐車場となっている。1956年頃の地球館の写真あり。*3

1955年頃の丸亀市にあった「地球館」の写真あり。『獅子王リチャード』や『男の争い』の看板が見える。*4

1958年4月10日、丸亀市の洋画封切館「地球館」が日活上映館に転向し、洋画再映館「文化劇場」が洋画封切館に転向する。地球館のオープニングは『錆びたナイフ』と『遭難』。経営はいずれも矢野興行部。これに伴って西本勝太郎が経営する日活上映館「有楽座」は洋画特選館に転向した。*5
飯山劇場
所在地 : 香川県綾歌郡飯山町(1958年)、香川県綾歌郡飯山町坂本(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1964年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「飯山劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
丸亀文化劇場
所在地 : 香川県丸亀市浜町80(1957年・1958年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1964年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「丸亀文化劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が矢野岩雄、支配人が矢野槇雄、木造1階冷房付、定員252、洋画を上映、電話が丸亀668。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「玉積神社」南東70mの駐車場。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

1958年4月10日、丸亀市の洋画封切館「地球館」が日活上映館に転向し、洋画再映館「文化劇場」が洋画封切館に転向する。地球館のオープニングは『錆びたナイフ』と『遭難』。経営はいずれも矢野興行部。これに伴って西本勝太郎が経営する日活上映館「有楽座」は洋画特選館に転向した。*6
蓬莱館/丸亀蓬莱館
所在地 : 香川県丸亀市通町(1934年)、香川県丸亀市通町161(1936年・1941年)、香川県丸亀市通町(1943年・1947年)、香川県丸亀市通町161(1950年・1953年)、香川県丸亀市通町163(1955年・1958年・1960年・1963年・1964年・1965年)、香川県丸亀市通町161(1966年)
開館年 : 1932年10月
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1955』によると1932年10月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「蓬莱館」。1966年の映画館名簿では「丸亀蓬莱館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1972年・1975年の住宅地図では跡地に「スーパーイレブン」。跡地は「吉田病院」南西80mにある工事用地。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

1933年10月、丸亀の通町に「蓬莱館」が開館した。松竹や東映の作品を上映し、1965年に閉館した。1996年現在の跡地にはスーパーイレブンがある。*7

1940年の日本商工業別明細図には「蓬莱館」「日本館」「帝国館」が描かれている。*8

1952年の第870号日本商工業別明細図には「蓬莱館」が描かれている。*9
有楽座/丸亀有楽座
所在地 : 香川県丸亀市寄屋町(1957年)、香川県丸亀市富屋町(1958年・1960年・1963年)、香川県丸亀市浜町80(1965年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1980年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「有楽座」。1963年の映画館名簿では経営者が柏原孝、支配人が記載なし、鉄筋造2階冷暖房付、定員400、洋画を上映、電話が丸亀245。1965年の映画館名簿では経営者が柏原孝、支配人が記載なし、木造1階冷暖房付、定員252、洋画を上映、電話が4545。1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年の映画館名簿では「丸亀有楽座」。1972年・1975年の住宅地図では「有楽座」。1981年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「丸亀市立中央図書館」建物南西部。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

1958年4月10日、丸亀市の洋画封切館「地球館」が日活上映館に転向し、洋画再映館「文化劇場」が洋画封切館に転向する。地球館のオープニングは『錆びたナイフ』と『遭難』。経営はいずれも矢野興行部。これに伴って西本勝太郎が経営する日活上映館「有楽座」は洋画特選館に転向した。*10
パレス北浜劇場/丸亀パレス北浜劇場
所在地 : 香川県丸亀市通町173(1962年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年・1985年)
開館年 : 1960年2月25日
閉館年 : 1985年頃
1961年の映画館名簿には掲載されていない。1962年・1963年の映画館名簿では「パレス北浜劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「丸亀パレス北浜劇場」。1972年の住宅地図では「パレス北浜劇場」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「平田歯科医院」。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

1960年2月25日、丸亀市通町に「丸亀第二東映」が開館した。木造2階建て、客席は250。映写機はフィレックス、発声器はビクター。経営は植田幸男。*11
新町座/日本劇場/丸亀日本劇場
所在地 : 香川県丸亀市新町(1941年)、香川県丸亀市新町6(1943年)、香川県丸亀市新町(1947年)、香川県丸亀市新町2-6(1950年)、香川県丸亀市新町4(1953年・1955年)、香川県丸亀市新町(1958年)、香川県丸亀市新町1(1960年)、香川県丸亀市新町613(1966年・1969年・1973年・1976年)、香川県丸亀市新町6-3(1980年)、香川県丸亀市新町6-1(1985年)、香川県丸亀市新町6-3(1986年)
開館年 : 1915年10月
閉館年 : 1986年
『全国映画館総覧 1955』によると1915年10月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「ニッポン館」。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「日本劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「丸亀日本劇場」。1972年・1975年の住宅地図では「日劇」。1986年の映画館名簿では経営会社がグランド劇場、経営者が辻清治、支配人が辻茂一、木造1階、400席、にっかつ・洋画を上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「JR丸亀駅」構内の「ニッポンレンタカー丸亀駅営業所」付近。1987年の丸亀駅高架化の際に線路がやや北側に移動したため跡地が駅構内となっている。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

丸亀市の映画館「新町座」は、のちに「日劇」と呼ばれた。新町座は1914年に建築された常設映画館であり、1939年に「日本劇場」に改称した。戦後の昭和20年代には大映・東宝・新東宝・日活の一番館が日劇であり、これらの二番館が「銀映」だった。昭和30年代には映画会社の専属館の方針が強まり、日劇では大映系を、銀映では東宝系が上映された。1986年に丸亀駅等改良事業によって取り壊され、跡地は丸亀駅構内となっている。1956年頃の日劇の写真あり。*12

1940年の日本商工業別明細図には「蓬莱館」「日本館」「帝国館」が描かれている。*13
天来館/帝国館/銀映劇場/丸亀東宝劇場/丸亀銀映
所在地 : 香川県丸亀市(1925年・1927年)、香川県丸亀市新町(1936年・1941年)、香川県丸亀市新町6(1943年)、香川県丸亀市新町(1947年)、香川県丸亀市新町2-6(1950年)、香川県丸亀市新町9(1953年・1955年)、香川県丸亀市新町(1958年・1960年)、香川県丸亀市新町116(1966年・1969年)、香川県丸亀市新町1-6(1980年・1985年・1986年)
開館年 : 1923年5月
閉館年 : 1986年
『全国映画館総覧 1955』によると1923年5月開館。1925年・1927年の映画館名簿では「帝国館」。1930年・1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年・1947年の映画館名簿では「帝国館」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「銀映劇場」。1958年の映画館名簿では「丸亀東宝劇場」。1960年・1966年・1969年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「丸亀銀映」。1972年・1975年の住宅地図では「銀映」。1986年の映画館名簿では経営会社がグランド劇場、経営者が辻清治、支配人が辻茂一、木造1階、320席、成人映画を上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「JR丸亀駅」構内の「セブンイレブンKioskおみやげどころ丸亀店」付近。1987年の丸亀駅高架化の際に線路がやや北側に移動したため跡地が駅構内となっている。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

1914年には丸亀の新町に活動写真常設館「天来館」が建築され、1915年に「帝国館」に改称した。戦後の1946年には「銀映」に改称し、1956年頃には「丸亀東宝」に改称、その後再び名称を銀映に戻している。1986年に丸亀駅等改良事業によって取り壊された。*14

1940年の日本商工業別明細図には「蓬莱館」「日本館」「帝国館」が描かれている。*15
丸亀東映劇場/丸亀プラザー・丸亀東映劇場/丸亀プラザ劇場・丸亀東映劇場
所在地 : 香川県丸亀市魚屋町(1958年)、香川県丸亀市魚屋町5(1960年・1966年)、香川県丸亀市魚屋町166(1969年・1971年・1973年・1975年・1976年)、香川県丸亀市魚屋町5(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年)
開館年 : 1956年6月4日、1970年頃(ビル化)
閉館年 : 1999年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「丸亀東映劇場」。1970年の映画館名簿では経営者が丸亀東映、支配人が植田幸男、木造1階冷暖房付、定員400、東映・東宝・日活を上映。1971年の映画館名簿では経営会社が丸亀東映有限会社、経営者・支配人が植田幸男、鉄筋造4階冷暖房付、400席、東映・DNを上映。1972年の住宅地図では「2階キッサ桜 3階丸亀東映 4階ぼてじゅ」。1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「丸亀プラザー・丸亀東映劇場」(2館)。1973年の映画館名簿では経営会社が丸亀東映有限会社、経営者・支配人が植田幸男、鉄筋造4階冷暖房付、丸亀プラザーが250席で洋画を上映、丸亀東映劇場が400席で東映を上映。1975年の住宅地図では「1階丸亀東映 2階キッサ桜 3階丸亀プラザ 4階ぼてじゅ」。1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「丸亀プラザ劇場・丸亀東映劇場」(2館)。1992年の住宅地図では「1階丸亀東映 3階丸亀プラザ」。1998年の映画館名簿では経営会社が丸亀東映、経営者・支配人が植田幸男、プラザ劇場が鉄筋3階で東映劇場が1階、いずれも160席、いずれも洋画・邦画を上映。2000年の映画館名簿には掲載されていない。丸亀市最後の映画館。跡地は「吉田病院」建物東側。最寄駅はJR予讃線丸亀駅。

1956年6月4日、丸亀市魚屋町に「丸亀東映」が開館した。オープニングは東映の『三つ首塔』と『ヒマラヤの魔王』。開館披露式には東映スターの大友柳太朗などが列席した。支配人は植田幸男。丸亀市の映画館は5館となった。*16

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