日本の映画館の総合データベースです。



豊岡市

城崎劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町
開館年 : 1923年
閉館年 : 不明
跡地は「地蔵湯」北40mの「お宿はやかわ」。

「北丹震災に罹災した湯島地区住居図」(1973年作図)には現在の城崎郵便局の場所に「温城館」が、また地蔵湯の裏に「城崎劇場」が描かれている。*1
温城館
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町(1941年・1943年)
開館年 : 1898年9月、1927年頃
閉館年 : 1960年頃
1898年9月開館。1925年5月23日北但馬地震で倒壊。その後再建。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「温城館」。1943年の映画館名簿によると経営者が春山三代松、定員320。1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1960年頃閉館。跡地は「城崎郵便局」。トキワ館/常盤座との関係は不明。

1926年10月12日、城崎温泉の劇場「温城館」の起工式を兼ねた株主総会が行われた。1927年1月中に竣工予定である。建物は鉄筋造のライト式建築であり、間口は8間半、奥行は16間、総建坪は245坪。工費は4万円。*2

1938年に前田虹映が描いた鳥瞰図『躍進の城崎温泉観光図』には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。*3

1938年に前田虹映が描いた鳥瞰図『城崎温泉観光図』には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。*4

「北丹震災に罹災した湯島地区住居図」(1973年作図)には現在の城崎郵便局の場所に「温城館」が、また地蔵湯の裏に「城崎劇場」が描かれている。*5

作者・出版年不明で竹之井が刊行した『城崎温泉御案内』、出版年不明には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。*6

昭和初期の城崎温泉にあった「温城館」の写真あり。城崎町唯一の劇場だった。湯治客や町民のための娯楽施設であり、芝居や映画の興行が行われた。西隣には検番があった。川沿いに桜が植栽されたのもこの頃である。*7

1898年9月、城崎温泉初の大衆劇場「温城館」(おんきかん)が誕生した。城崎町の有志が出資したうえで、湯島財産区が500円を援助した。同年12月には活動写真が上映され、城崎郡竹野町や城崎郡港村からも観客が訪れた。1階席と2階席があり、150人から200人を収容できた。花道や廻り舞台がある立派な芝居小屋であり、城崎唯一の劇場だったことから、『石田手記』では「当時にあっては実に驚嘆的施設」と書かれている。2005年現在の城崎郵便局の場所にあった。1923年頃には神戸の資産家らが地蔵湯の裏手に「城崎劇場」を建てたため、温城館は経営難に陥り、しばしば所有者が変わった。温城館は1925年の北丹大震災で焼失したが、いち早く再建された。北丹大震災後に再建された際の温城館の写真あり。太平洋戦争中には軍需産業の疎開先となったが、戦後まもなく営業が再開され、藤山寛美やかしまし娘らの公演した。テレビが普及する1960年頃まで映画館兼劇場として存続していた。*8

1909年に国鉄山陰本線が開業したことで、城崎温泉の客は激増した。1916年に温泉事務局が発行した『城崎温泉案内記』によると、劇場「温城館」や寄席「東亭」などがあり、演劇・講談・浄瑠璃・浪花節・芸妓の舞踊などの娯楽があった。玉突きや大弓などの遊技場も点在していた。1922年には城崎温泉土地建物会社が設立され、駅前に城崎ホテルが建設されたほか、地蔵湯の裏に「城崎劇場」が建設された。*9
大勝館
所在地 : 兵庫県豊岡市生田東122(1957年)、兵庫県豊岡市生田通122(1958年・1960年)、兵庫県豊岡市生田通(1961年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1961年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「大勝館」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。
東館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1943年・1947年・1950年・1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町99(1958年)、兵庫県出石郡出石町(1960年・1961年)
開館年 : 1941年以後1943年以前
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「東館」。1960年の映画館名簿では経営者・支配人ともに芦田一雄、木造2階建、400席、東映・松竹を上映。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「出石史料館」南西80mにある駐車場。最寄駅はJR山陰本線国府駅。

1942年の出石町の街中にあった「東館」の写真あり。右隣に出石印刷工場がある。出石町にあった芝居や映画の娯楽施設としては「永楽館」と東館があった。2006年の東館跡地の写真あり。駐車場となっている。奥に山本製陶が見える。*10
日高劇場/日高映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町(1943年・1947年)、兵庫県城崎郡日高町日置矢組35-4(1950年)、兵庫県城崎郡日高町(1953年・1955年・1958年)、兵庫県城崎郡日高町日吉(1960年)、兵庫県城崎郡日高町(1963年)
開館年 : 1903年2月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1903年2月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「日高劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日高映画劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。

1958年の日高町日置にあった「日高映画劇場」で行われたコンサートの写真あり。昭和30年代の日高町には2館の映画館があった。*11
竹野集会所/竹野集会場/竹野映劇/竹野映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡竹野町(1955年)、兵庫県城崎郡竹野町浜(1958年)、兵庫県城崎郡竹野町土居(1963年)、兵庫県城崎郡竹野町土居2756(1964年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「竹野集会所」。1955年の映画館名簿では経営者・支配人ともに杉田芳雄、構造・定員は記載なし。1958年の映画館名簿では「竹野集会場」。1958年の映画館名簿では経営者が杉田。1960年の映画館名簿では「竹野映劇」。1960年の映画館名簿では経営者が杉田ハル、支配人が細間儀朗、木造1階、定員200、邦画を上映。1963年・1964年の映画館名簿では「竹野映画劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
トキワ館/常盤座
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町宮本(1950年)、兵庫県城崎郡城崎町(1953年・1955年)、兵庫県城崎郡城崎町湯島(1958年)、兵庫県城崎郡城崎町宮本(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「トキワ館」。1950年の映画館名簿では経営者が塚本俊二、木造2階、定員500、電話が城崎呼116。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「常盤座」。1958年の映画館名簿では経営者が谷山麻男、支配人が綿田林造、鉄筋造2階、定員250、邦画・洋画を上映。1964年の映画館名簿では経営者が谷山麻男、支配人が谷口貞夫、鉄筋造2階暖房付、定員288、邦画を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。温城館との関係は不明。
永楽館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1943年・1947年・1950年・1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町柳17(1958年)、兵庫県出石郡出石町柳(1960年・1963年)
開館年 : 1901年
閉館年 : 1964年
Wikipedia : 永楽館
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「永楽館」。1950年の映画館名簿では経営者が小幡くら、木造2階、定員397。1958年の映画館名簿では経営者・支配人ともに井上二三男、木造2階、定員500、邦画・洋画を上映。1963年の映画館名簿では経営者・支配人ともに井谷豊明、木造2階、定員315、大映・日活を上映。1964年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物が現存。兵庫県指定有形文化財。現地に現存する劇場建築としては日本最古。最寄駅はJR山陰本線国府駅。

1900年に出石町の弘道小学校が建て替えられた際、古材を用いて「永楽館」が建設された。田結庄小幡氏の経営だった。2階の外窓には小学校の鎧戸がそのまま用いられている。両側に花道があり、廻り舞台もあったことで、三丹随一の劇場とされた。歌舞伎に加えて寄席や浪花節も行われ、後には映画の常設館として長く続いた。テレビ時代になって閉鎖された。*12

1901年、小幡家11代目久次郎によって芝居小屋「永楽館」が建てられた。移転を経ていない劇場建築としては日本最古とされ、明治時代から残る芝居小屋は近畿地方唯一である。歌舞伎、新派劇、寄席、活動写真などの興行が行われ、戦後には映画館として営業した。昭和40年代にテレビの影響で閉館したが、廻り舞台・花道・奈落などを有する建物は小幡家の管理の下で保存された。1987年には出石町で第1回兵庫町並みゼミが開催されると、1988年には出石城下町を活かす会が結成された。劇場建築の専門家を招いた買いが開催されたり、伝統家並みシンポジウムで永楽館が取り上げられるなどしたことで、永楽館を復元する機運が高まっていった。1998年には小幡家から出石町に建物が寄付され、その後土地も譲られることになった。1998年4月28日には出石町指定文化財となり、復元に向けた建物調査が行われた。2006年秋には復原工事が開始され、2008年夏に完成すると8月にはこけら落としで大歌舞伎が上演された。*13

兵庫県出石町は但馬の小京都と呼ばれる町である。1901年には芝居好きの小幡久治郎によって芝居小屋「永楽館」が開館した。明治から大正にかけて、歌舞伎の興行・映画の上映・政談演説会などが行われた。昭和初期に小幡久治郎が死去すると、息子の小幡謹一郎が引き継いだ。昭和40年代半ばには経営難で閉鎖された。近畿地方に現存する最古の芝居小屋とされるが、現在は老朽化によってぼろぼろの廃屋状態である。しかし、このほど出石町有形文化財に指定され、出石町主導で復元されることとなった。1階は120坪、2階は60坪、定員は702人。直径6.5メートルの手動の回り舞台がある。花道の下には奈落の通路があり、花道の上には宙乗りに用いる仕掛けがある。*14

出石永楽館は1901年に開館。木造2階建て、610m2。350人収容。当初は歌舞伎や寄席の興行を行い、のちに映画館となった。1964年に閉館。2006年には復元工事が行われ、2008年に片岡愛之助一座がこけら落としの歌舞伎公演を行った。*15

女優の片桐はいりは「出石永楽館」を訪れたことがある。片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年には出石永楽館に関する随筆が掲載されている。*16
山陰映画館/中山商工会館
所在地 : 兵庫県豊岡市円山区(1957年)、兵庫県豊岡市円山町(1958年)、兵庫県豊岡市円山(1960年・1961年)、兵庫県出石郡但東町中山(1962年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1965年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「山陰映画館」。1957年の映画館名簿では経営者・支配人ともに杉田芳雄、構造は記載なし、定員は記載なし、上映系統は記載なし、電話が豊岡112。1960年の映画館名簿では経営者が杉田芳雄、支配人が中野博太郎、構造は記載なし、定員は記載なし、上映系統は記載なし、電話が豊岡3312。1962年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「中山商工会館」。1963年の映画館名簿では経営者・支配人ともに杉田芳雄、構造は記載なし、定員は記載なし、邦画を上映、電話が豊岡3312。1965年の映画館名簿では経営者・支配人ともに杉田芳雄、木造1階暖房付、定員300、邦画を上映、電話が豊岡3312。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「但東中山郵便局」北西50mの畑など。最寄駅はJR山陰本線・京都丹後鉄道宮豊線豊岡駅。

1958年9月30日時点の「但東町中山の商店分布略図」。「中山商工会館」が描かれている。*17
出石映画劇場
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1963年・1966年)
開館年 : 1962年頃
閉館年 : 1966年頃
1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「出石映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が荒井寿、木造1階、定員290、東映・東宝・松竹を上映。1967年の映画館名簿には掲載されていない。
港劇場/豊岡湊劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡港村(1953年)、兵庫県城崎郡港村瀬戸(1955年)、兵庫県豊岡市瀬戸(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「港劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「港劇場」。1966年の映画館名簿では「豊岡湊劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。
竹野会館
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1960年)、兵庫県城崎郡竹野町土居(1963年)、兵庫県城崎郡竹野町土山(1964年・1965年・1966年・1967年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1967年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年・1965年・1966年・1967年の映画館名簿では「竹野会館」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。
池田映劇/池田映画劇場/江原池田映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町江原(1960年・1963年・1964年・1966年・1969年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1969年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「池田映劇」。1963年・1964年の映画館名簿では「池田映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「江原池田映画劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。
白鳥館/豊岡東映/豊岡東映劇場
所在地 : 兵庫県豊岡市亀山通(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、兵庫県豊岡市泉町15-2(1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「白鳥館」。1960年・1963年の映画館名簿では「豊岡東映」。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「豊岡東映劇場」。1970年の住宅地図では「豊岡東映」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では跡地に「キッサパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に「1階メンズショップOZAKI、2階フルーツパーラパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に「1階メンズショップオザキ、2階パーラーパンダ」。跡地は居酒屋「渡月」やバー「レモンハート」や花屋「たにやまB&Y」など。最寄駅はJR山陰本線・京都丹後鉄道宮豊線豊岡駅。
豊岡有楽館/有楽館
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1925年・1927年・1930年・1934年・1936年)、兵庫県城崎郡豊岡町大開通(1941年)、兵庫県城崎郡豊岡町(1943年・1947年)、兵庫県城崎郡豊岡町駅前通り(1950年)、兵庫県豊岡市大開東区(1955年・1958年)、兵庫県豊岡市大開東(1960年)、兵庫県豊岡市大開東区(1963年・1966年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1969年・1970年)、兵庫県豊岡市中央町(1973年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1980年・1985年・1988年・1989年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1989年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1923年開館。1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年の映画館名簿では「有楽館」。1955年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1958年の映画館名簿では「有楽館」。1960年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「豊岡有楽館」。1963年の映画館名簿では経営者が谷山麻男、支配人が中原典男、木造1階冷房付、定員388、東宝・松竹を上映。1970年の映画館名簿では経営者が谷山麻男、支配人が中原典雄、木造1階冷房付、定員384、松竹・東宝・洋画を上映。1970年・1974年・1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「有楽ビル 3階 映画館」。1973年の映画館名簿では経営者が谷山麻男、支配人が中原典雄、鉄筋造1階冷暖房付、384席、松竹・東宝・洋画を上映。1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「有楽館」。1973年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1989年の映画館名簿では経営者・支配人ともに谷山章文、鉄筋造2階、384席、東宝・洋画を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンファミリー豊岡」。最寄駅はJR山陰本線・京都丹後鉄道宮豊線豊岡駅。

1970年の豊岡市中央町にあった有楽ビルで撮られた記念写真あり。有楽ビルは大開通りにあり、3階には1923年開館の映画館「有楽館」が入っていた。2021年現在の跡地にはマンションが建っている。*18
豊岡劇場/豊岡劇場・豊岡シネマ/豊岡劇場1・2/豊岡劇場大ホール・小ホール
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1947年・1950年)、兵庫県豊岡市円山区(1955年)、兵庫県豊岡市円山町22(1958年)、兵庫県豊岡市円山(1960年・1963年)、兵庫県豊岡市滋茂21(1966年)、兵庫県豊岡市滋茂11(1969年)、兵庫県豊岡市元町11(1973年)、兵庫県豊岡市元町10-18(1975年・1976年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年・2022年)
開館年 : 1927年? 1933年?、1975年頃(2館化)
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1933年開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「豊岡劇場」。1970年・1974年のゼンリン住宅地図では「豊岡劇場」。1976年・1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「豊岡劇場・豊岡シネマ」(2館)。1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「豊劇 豊岡シネマ」。1995年・2000年・2005年・2010年・2012年の映画館名簿では「豊岡劇場1・2」(2館)。2012年の映画館名簿では経営会社が有限会社豊岡劇場、経営者が山崎明美、支配人が山崎浩作、1が鉄筋造1階で214席で邦画・洋画を上映、2が鉄筋造2階で70席で邦画・洋画を上映。2012年3月31日閉館。2014年12月27日再開館。2015年・2020年・2022年の映画館名簿では「豊岡劇場大ホール・小ホール」(2館)。2022年の映画館名簿では経営会社が有限会社石橋設計、経営者・支配人ともに石橋秀彦、1が148席、2が34席。2022年8月31日休館。2023年3月25日営業再開。最寄駅はJR山陰本線・京都丹後鉄道宮豊線豊岡駅。

豊岡市元町10-18の「豊岡劇場」。設計者や施工者は記載なし。構造は木造2階建。竣工年は昭和初期。*19

城崎郡日高町(現・豊岡市)出身の俳優である今井雅之は、兵庫県立豊岡高校在学時にしばしば「豊岡劇場」に通っていた。*20

女優の片桐はいりは「豊岡劇場」を訪れたことがある。片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年には豊岡劇場に関する随筆が掲載されている。*21

「豊岡劇場」に言及している書籍として中村政人『コミュニティ・アートプログラム』アートNPOゼロダテ、2013年がある。京都市の出町座や福知山市のまちのばにも言及している。*22

「豊岡劇場」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*23

「豊岡劇場」に言及している書籍として『新しいコミュニティを生み出す空間とデザイン』パイインターナショナル、2020年がある。*24

「豊岡劇場」に言及している書籍として平野隆彰(編著)『丹波発 次の生き方としての「田舎」』あうん社、2022年がある。*25

2012年3月15日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「さよなら豊岡劇場」という記事が掲載されている。*26

2012年3月16日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊岡劇場今月末に閉館」という記事が掲載されている。*27

2012年3月18日付『読売新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇半世紀に幕」という記事が掲載されている。*28

2012年3月24日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬の映画館幕引き」という記事が掲載されている。*29

2012年3月28日付『朝日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬から銀幕消ゆ」という記事が掲載されている。*30

2012年3月31日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「時代に押されきょう閉館」という記事が掲載されている。*31

2012年4月1日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇60年の歴史に幕」という記事が掲載されている。*32

2012年4月1日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「いつか復活を」という記事が掲載されている。*33

2014年の営業再開後の経営者である石橋秀彦は、中学生の頃から豊岡劇場に通っていた。石橋は中学生の頃に映画監督を志し、アイルランドの美術学校に留学すると、イギリスのロンドンでアーティストとしての活動を行った後に帰国した。日本では映画配給の仕事に携わり、2012年に豊岡劇場が閉館すると、2014年に「豊劇新生プロジェクト」を立ち上げ、クラウドファウンディングを行って改装資金を獲得、同年に営業を再開した。1927年に芝居小屋として開館した豊岡劇場は、戦時中には倉庫として使用され、戦後には映画館となった。2014年の営業再開後、大ホールでは映画上映のほかにイベントも行っている。小ホールは地域のコミュニティスペースとしても機能し、クリエイターの発表の場にもなる。ロビーはカフェ&バーとして使用している。ゆくゆくは駐車場スペースにテナントを募集することも検討している。*34

「豊岡劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*35

「豊岡劇場」に言及している書籍として、『ミニシアターのある街へ。』JTBパブリッシング、2021年がある。*36

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、高田京子「human INTEREST レトロを訪ねる 映画館編」『週刊新潮』2007年3月15日号がある。*37

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、「冬はストーブと共に」『弁当と傘』第1号、2011年がある。*38

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、石橋秀彦「地域の力を信じる・活かす 豊岡劇場の新生と『地域の力』」『地方自治職員研修』公職研、2016年7月がある。*39

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