日本の映画館の総合データベースです。



足利市

演芸館
所在地 : 栃木県足利市(1925年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1925年以後1927年以前
1925年の映画館名簿では「演芸館」。1927年の映画館名簿には掲載されていない。
大成館
所在地 : 栃木県足利市(1925年)、栃木県足利市助戸町(1927年)、栃木県足利市助戸町3丁目(1930年・1936年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1925年の映画館名簿では「大成館」。1927年の映画館名簿では「大盛館」。1930年・1936年の映画館名簿では「大成館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。

戦前の足利市の劇場としては、主として映画を上映する「有楽館」、助戸3丁目の富永公園入口にあった活動常設館「大成館」、1丁目南裏の「高砂館」などがあった。*1

1932年の『足利市全図』には「大成館」「有楽館」「足利座」「末広座」が掲載されている。*2

1933年の足利市における活動常設館としては、株式会社の「末広座」(通4丁目)、株式会社の「大成館」(助戸3丁目)、個人経営の「有楽館」(井草町)がある。劇場としては「足利座」(通2丁目)がある。*3
足利山川センター
所在地 : 栃木県足利市山川町(1953年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1953年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「足利山川センター」。1954年の映画館名簿には掲載されていない。
晋水園映劇/晋水園劇場/東映劇場
所在地 : 栃木県足利市緑町2-3735(1941年)、栃木県足利市緑町2(1943年)、栃木県足利市緑町2-3725(1947年)、栃木県足利市緑町2丁目(1950年)、栃木県足利市緑町2-3725(1953年・1954年)
開館年 : 1936年以後1941年以前、1947年4月
閉館年 : 1954年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年4月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「晋水園映画劇場」。1943年の映画館名簿では「晋水園映劇」。1947年の映画館名簿では「晋水園劇場」。1950年・1953年・1954年の映画館名簿では「東映劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。
小俣座
所在地 : 栃木県足利郡小俣町田町5892(1953年・1955年)、栃木県足利郡坂西町小俣5892(1958年・1960年・1962年)
開館年 : 1921年8月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1921年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「小俣座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
葉鹿座
所在地 : 栃木県足利郡葉鹿町(1950年)、栃木県足利郡葉鹿町仲町448(1953年・1955年)、栃木県足利郡坂西町葉鹿448(1958年)、栃木県足利郡坂西町葉鹿(1960年)、栃木県足利郡坂西町83(1962年)
開館年 : 1924年8月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1924年8月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「葉鹿座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
御厨セントラル/福居セントラル
所在地 : 栃木県足利郡御厨町福居(1947年)、栃木県足利郡御厨町福居612(1953年・1955年)、栃木県足利郡御厨町福居(1958年・1960年)、栃木県足利郡御厨町(1962年)
開館年 : 1947年3月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年3月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「福居昭和館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「御厨セントラル」。1960年・1962年の映画館名簿では「福居セントラル」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
足利演舞場/足利アサヒ松竹/アサヒ松竹
所在地 : 栃木県足利市伊勢町218(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、栃木県足利市伊勢町(1966年)、栃木県足利市伊勢町218(1969年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「足利演舞場」。1960年・1963年の映画館名簿では「アサヒ松竹」。1966年の映画館名簿では「足利アサヒ松竹」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「アサヒ松竹」。1969年の映画館名簿では「アサヒ松竹」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「群馬銀行足利支店」東隣の駐車場など。閉館後の土地区画整理事業で敷地が変化しているので参考程度に。最寄駅はJR両毛線足利駅。

1952年8月1日、足利市の演劇専門館「足利演舞場」が映画常設館に転向して大映専門館となる。収容人員は1000人。経営者は張仁輝。*4

1959年4月20日、足利市伊勢町218の「松竹演舞場」が「アサヒ松竹」に改称した。東武鉄道アサヒ自動車映画部が張仁輝から借り受け、約150万円で館内の改装工事を行っていた。松竹封切館。*5
足利高砂館/高砂館
所在地 : 栃木県足利市通1-2696(1941年)、栃木県足利市通1(1943年)、栃木県足利市2丁目2720(1947年)、栃木県足利市通3丁目(1950年)、栃木県足利市通1-2720(1953年・1955年)、栃木県足利市通1-2698(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、栃木県足利市足利通1丁目(1970年・1971年・1972年)
開館年 : 1936年以後1941年以前、1950年2月
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年2月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「高砂館」。1966年の映画館名簿では「足利高砂館」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「映画館タカサゴ」。1969年・1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「高砂館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の住宅地図では跡地に「駐車場」。跡地はビジネスホテル「ルートイン足利駅前」南西80mの月極駐車場「通一丁目パーキング」東側。最寄駅はJR両毛線足利駅。

戦前の足利市の劇場としては、主として映画を上映する「有楽館」、助戸3丁目の富永公園入口にあった活動常設館「大成館」、1丁目南裏の「高砂館」などがあった。戦後の1947年頃には多くの市民が娯楽を求めており、「末広座」、有楽館、高砂館、3丁目の大山呉服店の一部を区切って作られた「ワンプラー劇場」などは土日になると大賑わいだった。*6

1963年の足利市にあった映画宣伝人形の写真あり。『天下を取る』の主人公である石原裕次郎の等身大人形が空中につるされている。左には映画館「高砂館」がある。高砂館は「"た"のしい "か"つどう "さ"いだい "ご"らく」というキャッチフレーズがあった。*7
足利座/足利劇場/足利サン劇場/京王劇場/足利京王
所在地 : 栃木県足利市通2-3571(1953年・1955年・1958年・1960年)、栃木県足利市通2-3750(1963年・1966年・1969年)、栃木県足利市足利通り2丁目(1973年・1974年)
開館年 : 1951年6月
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「足利劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「足利サン劇場」。1960年の映画館名簿では「京王劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「足利京王」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「足利京王劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の住宅地図では跡地に「アベ中央ビル」。跡地は中橋北詰にある「アベ中央ビル」建物西側。最寄駅はJR両毛線足利駅。

1932年の『足利市全図』には「大成館」「有楽館」「足利座」「末広座」が掲載されている。*8

1958年12月3日、足利市の「足利サン劇場」が京王映画の経営となり、「京王サン劇場」に改称して日活専門館となる。*9
末広座/末広館/末広劇場/足利末広劇場
所在地 : 栃木県足利市(1925年)、栃木県足利市通4丁目(1927年・1930年)、栃木県足利市通4丁目2801(1936年)、栃木県足利市通4(1943年)、栃木県足利市通り4丁目2791(1947年)、栃木県足利市通4丁目(1950年)、栃木県足利市通り4-2801(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、栃木県足利市足利通り4丁目(1973年・1975年)、栃木県足利市通り4-2801(1978年・1980年・1982年)
開館年 : 1923年6月
閉館年 : 1982年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1923年6月開館。1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「末広座」。1936年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「末広劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「末広館」。1966年の映画館名簿では「足利末広劇場」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「末広劇場」。1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「末広劇場」。1975年の住宅地図では「末広劇場」。1980年・1982年の映画館名簿では「足利末広劇場」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の住宅地図では「通四丁目末広モータープール お客様専用駐車場」。跡地は「足利警察署織姫交番」南東80mにある駐車場。最寄駅はJR両毛線足利駅。

1932年の『足利市全図』には「大成館」「有楽館」「足利座」「末広座」が掲載されている。*10

1933年の足利市における活動常設館としては、株式会社の「末広座」(通4丁目)、株式会社の「大成館」(助戸3丁目)、個人経営の「有楽館」(井草町)がある。劇場としては「足利座」(通2丁目)がある。*11
アサヒ座/足利アサヒ座/東宝アサヒ座/足利東宝アサヒ座
所在地 : 栃木県足利市五町3213(1957年)、栃木県足利市通り5-3213(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、栃木県足利市足利通り5丁目(1973年・1975年)、栃木県足利市通り5-3213(1978年・1980年・1985年・1990年・1992年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1994年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「アサヒ座」。1966年の映画館名簿では「足利アサヒ座」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「東宝アサヒ座」。1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「東宝アサヒ座」。1975年の住宅地図では「東宝アサヒ座」。1980年・1985年・1990年・1992年・1994年の映画館名簿では「足利東宝アサヒ座」。1990年の住宅地図では「東宝アサヒ座」。1992年の映画館名簿では木造1階、250席、経営者・支配人ともに江山忠彦、東宝を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン足利通五丁目店」南西40mにある駐車場。最寄駅はJR両毛線足利駅。
ワンプラ劇場/ワンプラー劇場/足利大映/足利日活/足利スカラ座
所在地 : 栃木県足利市通3丁目(1950年)、栃木県足利市通り3-2764(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、栃木県足利市足利通り3丁目(1973年・1975年)、栃木県足利市通り3-2764(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1949年12月(ワンプラー劇場)、1956年(スカラ座)
閉館年 : 1997年1月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「足利ワンプラー劇場」。1953年の映画館名簿では「ワンプラー劇場」。1955年の映画館名簿では「ワンプラ劇場」。1958年の映画館名簿では「ワンプラー劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「足利大映」。1966年・1969年の映画館名簿では「足利日活」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「足利日活」。1973年・1975年の映画館名簿では「足利スカラ」。1975年の住宅地図では「スカラ座」。1978年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「足利スカラ座」。1990年の住宅地図では「スカラ座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「足利商工会議所友愛会館」北西50mにある「足利商工会議所友愛会館第1駐車場」。最寄駅はJR両毛線足利駅。

戦前の足利市の劇場としては、主として映画を上映する「有楽館」、助戸3丁目の富永公園入口にあった活動常設館「大成館」、1丁目南裏の「高砂館」などがあった。戦後の1947年頃には多くの市民が娯楽を求めており、「末広座」、有楽館、高砂館、3丁目の大山呉服店の一部を区切って作られた「ワンプラー劇場」などは土日になると大賑わいだった。*12

1997年1月31日をもって、足利市通3の映画館「スカラ座」が閉館する。戦後間もないころに開館した洋画上映館「ワンプラ劇場」が前身であり、1956年に「スカラ座」となった。建物はそのままに、3月には趣味の雑誌と雑貨の店に代わり、スカラ座の名前は残る予定。富士映画興業はスカラ座のほかに足利市内で「中央劇場1・2」も経営している。*13

1997年1月31日をもって、足利市通三丁目の映画館「足利スカラ座」が閉館した。経営は富士映画興業。戦後間もなく「ワンプラ劇場」として開館し、1956年に「スカラ座」に改称した。旧国道50号沿いにあり、1970年代初頭ころまではにぎわったが、観客数が減少していた。3月には本と雑貨の店に衣替えする。*14

1997年3月8日、足利市通り三丁目に書籍・雑貨店が開店する。1月末に閉館した映画館「足利スカラ座」の建物を用いており、映写機やスクリーンをそのまま残している。名古屋市に本社がある書店のフランチャイズチェーンとなるが、富士映画興業の要望によってスクリーンで映画の予告編が上映される。なだらかなスロープ状の床面はそのままとし、壁面に書棚が設置された。*15
有楽館/東映遊楽館/足利東映有楽館/足利東映/足利東映劇場・足利東映プラザ/足利東映劇場・足利プラザ
所在地 : 栃木県足利市(1925年)、栃木県足利市井草町(1927年・1930年)、栃木県足利市井草町2408(1936年)、栃木県足利市井草町(1943年)、栃木県足利市井草町2408(1947年・1950年・1953年・1955年・1958年)、栃木県足利市井草町(1960年)、栃木県足利市井草町2408(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1921年12月、1977年8月6日
閉館年 : 2000年4月17日
『全国映画館総覧 1955』によると1921年4月開館。1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「有楽館」。1936年の映画館名簿では「足利有楽館」。1943年・1947年の映画館名簿では「有楽館」。1950年の映画館名簿では「足利有楽館」。1953年・1955年の映画館名簿では「有楽館」。1958年の映画館名簿では「足利東映有楽館」。1960年の映画館名簿では「有楽館」。1963年の映画館名簿では「東映遊楽館」。1966年の映画館名簿では「足利東映有楽館」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「足利東映有楽館」。1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「足利東映」。1975年の住宅地図では「足利東映有楽館」。1978年の映画館名簿では「足利東映劇場・足利東映プラザ劇場」(2館)。1980年・1985年の映画館名簿では「足利東映劇場・足利東映プラザ」(2館)。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「足利東映劇場・足利プラザ」(2館)。1990年の住宅地図では「足利東映プラザ劇場」。2000年の映画館名簿では経営会社が八景中央興業、経営者・支配人ともに堀越清市、鉄筋造2階、足利東映劇場が180席で東映を上映、足利プラザが162席で邦画・洋画を上映。2002年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「足利小山信用金庫本店」南西40mに現存。最寄駅はJR両毛線足利駅。

戦前の足利市の劇場としては、主として映画を上映する「有楽館」、助戸3丁目の富永公園入口にあった活動常設館「大成館」、1丁目南裏の「高砂館」などがあった。戦後の1947年頃には多くの市民が娯楽を求めており、「末広座」、有楽館、高砂館、3丁目の大山呉服店の一部を区切って作られた「ワンプラー劇場」などは土日になると大賑わいだった。*16

1921年12月、足利市に「有楽館」が開館した。同月には足利市庁舎も竣工している。*17

1922年1月、足利市井草町に吉井梅次郎によって株式会社有楽館が設立された。資本金は3万円。*18

1932年の『足利市全図』には「大成館」「有楽館」「足利座」「末広座」が掲載されている。*19

1933年の足利市における活動常設館としては、株式会社の「末広座」(通4丁目)、株式会社の「大成館」(助戸3丁目)、個人経営の「有楽館」(井草町)がある。劇場としては「足利座」(通2丁目)がある。*20

1977年8月6日、足利市に「足利東映・足利東映プラザ」が開場した。経営は東興映画であり、同社の直営館は5館となった。傍系を含めた東映の直営館は125館となった。*21

2000年4月のこのほど、足利市井草町の映画館「足利東映」(140席)と「プラザ劇場」(90席)が閉館することになった。経営状況の悪化と経営者の健康問題が理由。1977年に開館し、東映の専門館として営業していた。4月17日に映画資料料などの清算を終えており、栃木県興行環境衛生同業組合に閉館届を提出した段階で正式閉館となる。1994年6月には通5丁目の「東宝アサヒ座」、1997年1月には通2丁目の「スカラ座」が閉館している。足利市の映画館は通3丁目の洋画系「中央劇場」のみとなる。*22

2000年4月17日をもって、足利市井草町の映画館「足利東映劇場」(140席)と「足利東映プラザ」(90席)が閉館した。経営状況の悪化と経営者の健康問題が理由。2000年に入ってからは月100万円以上の赤字となっており、4月初頭に配給の東映に閉館を通告、4月10日から上映を停止し、清算が完了した4月17日をもって閉館した。*23

2000年4月中旬をもって、足利市井草町の映画館「足利東映劇場」と「足利東映プラザ」が閉館した。大正時代には現在地に「有楽館」が開館し、その後東映専門の映画館「東映有楽」に改称した。1977年に2映画館を有する現在の形態となった。*24

2018年2月に公開された綾瀬はるか主演の映画『今夜、ロマンス劇場で』は、足利市がロケ地となり、足利東映劇場は題名にもなっている「ロマンス劇場」のロケ地となった。2019年2月には第4回あしかが映像まつりの一環で、足利東映劇場跡地で『今夜、ロマンス劇場で』の上映会が開催される。8メートル×4メートルのスクリーンがそのまま残っており、約20年前に閉館した映画館が期間限定で復活する。*25
足利中央劇場/中央劇場/足利中劇・中劇シネマ2/足利中劇・足利シネマ2
所在地 : 栃木県足利市通3-3556(1957年)、栃木県足利市緑町3-3536(1958年)、栃木県足利市通3-3535(1960年)、栃木県足利市通り2-3535(1963年)、栃木県足利市通り3-3535(1966年・1969年)、栃木県足利市足利通り3丁目(1973年・1975年)、栃木県足利市通り3-3535(1978年・1980年)、栃木県足利市通り2-1-1(1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 2001年1月31日
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年の映画館名簿では「足利中央劇場」。1968年の日本住宅地図出版足利市住宅地図では「中央劇場」。1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「中央劇場」。1975年の住宅地図では「中央劇場」。1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「足利中劇・中劇シネマ2」(2館)。1990年の住宅地図では「中劇 シネマ2」。1995年・2000年の映画館名簿では「足利中劇・足利シネマ2」(2館)。2000年の映画館名簿では経営会社が富士映画興行、経営者が山田智枝子、支配人が山田健司、鉄筋造1階、足利中劇が230席、足利シネマ2が144席、いずれも邦画・洋画を上映。2002年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「通三丁目児童公園」北東50mにある駐車場。最寄駅はJR両毛線足利駅。

2001年1月末をもって、足利市通3丁目の映画館「中央劇場」が閉館する。経営は富士映画興業(山田智枝子社長)。最盛期の足利市には約10館の映画館があったが、すべて姿を消すこととなる。220席のスクリーン1と140席のスクリーン2に分かれており、洋画の専門館として愛された。1960年頃に開館し、1991年には富士映画興業が「スカラ座」とともに経営を引き継いだ。1994年には通り5丁目の「東宝アサヒ座」が閉館し、1997年にはスカラ座も閉館した。2000年4月には井草町の「東映プラザ劇場」が閉館し、中央劇場が足利市唯一の映画館になっていた。*26

2001年1月末をもって、足利市唯一の映画館「中央劇場」が閉館する。山田健司支配人。経営状態の悪化が理由。220席の中央劇場1、140席の中央劇場2の2館からなる。群馬県太田市や伊勢崎市にシネコンが開館した1996年頃から観客が減少していた。2000年4月には「足利東映劇場」と「足利東映プラザ」が閉館し、中央劇場は足利市唯一の映画館になっていた。*27

2001年1月末をもって、足利市通3丁目の「中央劇場1・2」(中劇)が閉館する。経営は富士映画興行。1960年頃に足利市初の洋画専門館として開館し、1968年には2館体制となった。1990年代には『タイタニック』、『アルマゲドン』、『スター・ウォーズ』などがブームとなり、土日は一日300〜400人が詰めかけた。2000年4月には足利市中心部の「東映劇場」と「東映プラザ」が閉館している。ピーク時の足利市には約10館の映画館があったが、中央劇場の閉館で映画館がなくなる。*28

2001年1月末をもって、足利市通3丁目の映画館「中央劇場1・2」が閉館した。同年2月9日をもって、栃木県宇都宮市曲師町の映画館「テアトル宇都宮1・2」が閉館した。1996年には群馬県太田市に10スクリーンのシネコンが開館しており、他県ではあるが中央劇場の観客数はシネコン開館直後に4割も減少した。テアトル宇都宮は1981年開館であり、『もののけ姫』と『タイタニック』に沸いた1997年には年間16万人の観客数があったが、入居するビルの契約更新にともなって閉館を決めた。2001年現在の宇都宮市にはシネコンがないが、シネコン建設の計画がある。*29
シネマックス足利
所在地 : 栃木県足利市大月町3-2 あしかがハーヴェストプレース内(2008年・2009年)
開館年 : 2007年12月
閉館年 : 2009年2月27日
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2008年の映画館名簿では「シネマックス足利1-10」(10館)。2009年の映画館名簿では「シネマックス足利1-8」(8館)。2009年の映画館名簿では経営会社が千葉興業、経営者が白井一世、支配人が新美卓也、鉄筋造2階。2010年の映画館名簿には掲載されていない。あしかがハーヴェストプレース2階。最寄駅はJR両毛線足利駅。

2009年2月27日をもって、足利市大月町の総合商業施設「あしかがハーヴェストプレース」にあるシネコン「シネマックス足利」が閉館する。経営は千葉市の千葉興行。2007年12月に開館し、2階建ての2階フロア全体に8スクリーンを有している。映画好きの吉谷宗男市長が陣頭指揮を執って誘致したシネコンであり、足利市にとっては活性化と誘客の軸として期待されていた。両毛地域では4サイト目のシネコンであり、観客数は想定の半分程度だった。*30

栃木県の県南地域はシネコンの激戦区とされる。1994年には小山市に「小山シネマロブレ5」が開館した。2005年8月には佐野市に「109シネマズ佐野」が開館した。2007年7月には小山市に「シネマハーヴェストウォーク」が開館し、同年12月には足利市に「シネマックス足利」が開館した。足利市に隣接する群馬県太田市には2サイトのシネコンがあり、県南地域プラスアルファで6サイトがひしめいている。*31

2009年2月27日をもって、足利市大月町のあしかがハーヴェストプレースにある映画館「シネマックス足利」が閉館する。8スクリーン。経営は千葉市の千葉興行。2007年12月に開館したばかりだが、観客数は想定の半分程度であり、わずか1年3カ月で撤退する。2002年頃には足利市から映画館がなくなっており、商業活性化への貢献が期待されていた。*32
ユナイテッド・シネマアシコタウンあしかが
所在地 : 栃木県足利市大月町3-2 アシコタウンあしかが内(2017年・2020年)
開館年 : 2016年3月1日
閉館年 : 営業中
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2017年・2020年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマアシコタウンあしかが1-8」(8館)。2017年の映画館名簿では経営会社がユナイテッド・シネマ、経営者が渡辺章仁、支配人が松下仁。シネマックス足利の跡地を活用。最寄駅はJR両毛線足利駅。

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