閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。



津市

旧津市

津市の映画館
1945年の戦災では津市の映画館5館すべてが焼失した。1946年には「曙座」と「新世界」が営業を再開し、津新町駅前に「津東宝」が新規開館した。映画最盛期の津市には映画館9館(うち洋画専門館2館)があり、映画は娯楽の中心だった。2000年には8スクリーンを有するシネコンの「ワーナー・マイカル・シネマズ津」が開館。2001年に「津東宝」「津東映」「津スカラ座」の3館が相次いで閉館した。「新世界」、「大門劇場」、大門の「津東宝劇場」、初代の「津東宝劇場」、「第一劇場」、「曙座」の写真あり。*1

終戦直後には映画館「新世界」が復興し、津新町駅前に「東宝興業」が開館したほかに、1946年には「曙座」や「第一劇場」、1950年には「中日映画劇場」が開館した。1953年にはラジオ三重が開局すると、1954年には津市でテレビの受信が可能となり、家庭にテレビが普及していった。*2
共楽館/観音キネマ/享楽キネマ
所在地 : 三重県津市
開館年 : 1929年
閉館年 : 1945年以前?
1929年(昭和4年)には津観音の境内に共楽館が開館。「松竹キネマ株式会社直(営?)」の文字が見える。1931年(昭和6年)には観音キネマに改称し、1935年(昭和10年)には享楽キネマに改称している。昭和初期の写真あり。*3

津観音の境内には「享楽キネマ」があった。1921年(大正10年)に大正館として開館し、1937年(昭和12年)に享楽キネマに改称した。1937年頃の写真あり。*4

戦前の津市の津観音境内の写真あり。奥には常設映画館「享楽キネマ」が見える。2009年現在の大門駐車場付近にあった。*5
新世界
所在地 : 三重県津市丸ノ内本町(1950年)、三重県津市丸之内本町2129(1953年・1955年)
開館年 : 1921年、1946年(移転)
閉館年 : 1957年1月
『全国映画館総覧1955』によると1946年9月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「新世界」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。

1921年1月、映画館として「新世界」が開館した。戦後の「津パール劇場」の場所、2004年現在の三重会館の北西である。後に映画監督となる小津安二郎は松阪市出身であり、旧制宇治山田中学5年時に新世界で『パールの電光石火』を観ている。浪人中にも自転車で新世界を訪れて映画を鑑賞している。1932年以降は小川兵一郎が経営したが、太平洋戦争時には空襲に遭った。*6

「津東宝」、「新世界」、「曙座」の写真あり。戦後の1946年、「新世界」は1996年現在の松菱百貨店の場所で再開した。戦前のこの場所にあった石水会館は戦災を受けたが、骨組みが残っていたのを再建したのである。椅子は津東宝よりお粗末であり、映写技術や巻の切り替えも津東宝と比べて劣っていた。新世界は松竹系で始まり、やがてアメリカ映画専門館となったが、松竹系に戻った時期もあった。新世界は1957年1月に閉館した。*7

津市初の常設映画館は1915年(大正4年)に開館した。「世界館」、「大正館」に続いて、1921年(大正10年)には丸の内本町に「新世界」が開館した。当初は日活作品を上映していたが、やがて松竹作品や洋画も上映した。新世界は太平洋戦争で焼失し、移転して営業を続けていたが、1957年(昭和32年)に閉館した。戦争以前の跡地には、1959年(昭和34年)に「津パール劇場」が開館した。昭和初期の写真あり。*8

後に映画監督となる小津安二郎は、1913年(大正2年)から1923年(大正12年)まで、青春時代の約10年間を松阪市で過ごした。旧制宇治山田中学校在学中から映画に傾倒し、松阪市の映画館のみならず、津市の「新世界館」で映画を観たことも日記に綴っている。*9

戦前の津市の京口にあった映画館「新世界」の写真あり。ライオン写真館や村田紙店も見える。戦後には2009年現在の松菱デパート付近に移転した。*10
曙座(初代)/第一劇場
所在地 : 三重県津市大門町(1950年)
開館年 : 1898年、1946年7月
閉館年 : 1957年3月
『全国映画館総覧1955』によると1946年7月開館。1950年の映画館名簿では「曙座」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。

1898年、津観音の境内に芝居小屋として「曙座」が開館した。1905年には映写機を購入し、曙座で上映したり近郊を巡回したりした。*11

1955年の津市大門にあった映画館「曙座」の写真あり。1955年5月に公開された映画『バンビ』の看板が写っている。太平洋戦争前の津観音の境内には「曙座」があったが、戦災で焼失した。1946年には仁王門の西側に仮建築で再建され、1950年9月に本建築となった。歌舞伎・映画・芝居の興行を行う2500人収容の劇場であり、映画ブームとともに松竹系の映画館となった。1967年2月に閉館し、駐車場に建て替えられた。*12

戦後、津観音の境内にバラック建築の「曙座」が建ち、その後移転して本格的な劇場となった。1996年現在の大門駐車場の場所である。1955年には大門の角に松菱百貨店が開店し、4階は映画館、屋上は遊園地となっていた。この時期には津市で買い物と言えば大門・立町だったが、1963年には松菱商店街が現在地に移転した。衰退を危惧した商店街はアーケードを作り、津音頭にも「傘はいらないアーケードがある」と歌われている。*13
中日劇場/中日映画劇場/津日活劇場(初代)
所在地 : 三重県津市丸之内本町2070(1953年)、三重県津市丸之内本町(1955年)、三重県津市丸之内本町2070(1956年・1957年・1958年)、三重県津市丸之内本町(1960年)
開館年 : 1950年3月(中日劇場)、1956年5月(津日活)
閉館年 : 1962年頃(移転閉館)
『全国映画館総覧1955』によると1950年3月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「中日劇場」。1955年・1956年の映画館名簿では「中日映画劇場」。1957年・1958年・1960年の映画館名簿では「津日活劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1967年竣工の中日会館ビルには核テナントとしてジャスコ津店があったが、2000年8月6日に閉館した。跡地は「百五銀行丸之内本部棟」。

戦前の津市にあった映画館「朝日座」の写真あり。「座日朝」の文字が見える。「新興キネマ映画」の文字が見える。戦後のこの場所には中日会館やジャスコが建てられた。*14

1949年3月、「中日映画劇場」が開館した。1996年現在のジャスコの場所である。1956年5月には「津日活」に変わった。*15

中日会館は木造2階建ての建物であり、中日デパートとも呼ばれていた。400席の映画館があった。1950年の写真あり。跡地にはジャスコ津店があったが、2000年8月に閉館した。2008年現在は駐車場となっており、通り沿いのアーケードのみが残されている。*16
曙座(2代)/津松竹曙座/津松竹映画劇場
所在地 : 三重県津市大門町1131(1953年・1955年・1958年)、三重県津市大門町(1960年・1963年)、三重県津市大門町1131(1967年・1968年)
開館年 : 1950年(移転開館)、1967年1月(津松竹)
閉館年 : 1968年6月
1950年移転開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「曙座」。1965年の住宅地図では「東宝曙座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年1月津松竹改称。1967年の映画館名簿では「津松竹曙座」。1968年の映画館名簿では「津松竹映画劇場」。1968年6月閉館。跡地は「大門駐車場」。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

「津東宝」、「新世界」、「曙座」の写真あり。「曙座」は明野飛行隊の格納庫を移し、津観音の東側に大映系で再建された。公園化の計画にともなって、1950年5月には津観音の南西に移転して大きくなり、文楽や歌舞伎の興行も行われたが、映画は大映系で一貫していた。1967年1月に曙座としては閉館し、「津松竹」だった時期もある。1968年6月に閉館し、1996年現在は駐車場となっている。*17

1935年頃の「曙座」の写真あり。和風建築である。1951年に移転新築開館した「曙座」の写真あり。「AKEBONOZA」の文字が見える。現在の大門駐車場ビルの場所である。*18

津観音境内と「曙座」の写真。昭和30年代の写真あり。曙座は劇場だったが映画も上映した。「AKEBONOZA」の文字が見える。*19

大門通りと津観音境内の写真。三華堂のある交差点も見えている。左奥の建物は「曙座」であり、のちに「津松竹」に改称した。*20
大門劇場/津大門劇場
所在地 : 三重県津市大門町(1953年)、三重県津市大門町大門百貨店(1955年)、三重県津市大門町1045(1958年)、三重県津市大門町(1960年)、三重県津市大門町1045(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1969年
『全国映画館総覧1955』によると1950年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大門劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「津大門劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。映画館が入っていた「大門観光ビル」は2018年に取り壊され、2020年に「ガイナーズビル」が竣工。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

1950年3月、大門ビルの4階に「大門劇場」が開館した。『天井桟敷の人々』『河』『文化果つるところ』『狂熱の孤独』などのヨーロッパ映画が印象深く、1969年まで続いた。*21

2018年10月現在、津市の津観音に近い「大門観光ビル」の取り壊し工事が行われている。4階建て。1936年(昭和11年)に大門百貨店として建設された、1945年(昭和20年)には太平洋戦争の空襲を乗り越えた。1955年(昭和30年)には松菱百貨店となり、4階に洋画専門映画館「大門劇場」(大劇)が入った。屋上は飛行機の遊具や木馬のある遊園地であり、大門観光ビルは大門地区の娯楽の中心施設だった。1963年(昭和38年)には松菱百貨店が東丸之内の現在地に移転し、大門観光が所有者となったビルにはパチンコ店などが入っていた。1973年(昭和48年)には2階以上が火災で焼失。2015年(平成27年)には1階で最後まで営業していたパチンコ店も閉店した。2018年内をめどに取り壊され、2019年(令和元年)5月にはレストランやカフェが入る2階建ての商業ビルが建設される予定である。*22
津劇場(初代)
所在地 : 三重県津市栄町3-4-10(1958年)、三重県津市栄町3丁目(1960年・1963年)、三重県津市栄町3-4-10(1966年・1969年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1970年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「津劇場」。1965年の住宅地図では「津劇場映画館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「栄町公園」南西角付近。区画整理で周囲の道路割は完全に変化しているため場所は参考程度に。最寄駅はJR紀勢本線・近鉄名古屋線津駅。

1957年1月、津駅近くに小さな「津劇場」が開館した。洋画や新東宝などを上映し、1970年まで営業した。*23
津パール劇場
所在地 : 三重県津市丸之内本町(1963年)、三重県津市丸之内本町28(1966年・1969年・1973年)、三重県津市中央4-1(1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1959年10月
閉館年 : 1988年6月
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「津パール劇場」。1965年の住宅地図では「津パール劇場」。1980年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造1階部分278席、経営会社は三重劇場、経営者は清水義一、支配人は杉田利正、洋画を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「LTS中央ビル」。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

1959年10月、伊勢市の伊勢パール劇場の経営で洋画系の「津パール劇場」が開館。戦前には「新世界」があった場所である。後に四日市市の三重劇場系列となり、最後はヘラルドの経営となった。1988年6月、『マイ・フェア・レディ』の再映をもって閉館した。*24
新町劇場/東宝新町劇場/津日活劇場(2代)/津にっかつ劇場/ロッポニカ津
所在地 : 三重県津市一番町2160-2(1957年・1958年)、三重県津市一番町(1959年・1960年・1962年)、三重県津市一番町2160(1963年)、三重県津市一番町2160-2(1966年・1969年)、三重県津市西丸の内5-9(1973年・1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1956年頃(新町劇場)、1962年頃(津日活劇場が移転)
閉館年 : 1989年10月8日
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年の映画館名簿では「新町劇場」。1959年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「東宝新町劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「津日活劇場」。1962年移転。1965年の住宅地図では「津日活」。1980年の映画館名簿では木造1階部分245席、経営会社は太陽企業、経営者は根本悌二、支配人は武居勝男、にっかつを上映。1980年・1985年の映画館名簿では「津にっかつ劇場」。1988年ロッポニカ津改称。1989年閉館。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンマンションアトレ津新町」北側の会社事務所「プロフォートコバン」。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

1956年1月、一番町に名古屋系の経営で「新町劇場」が開館した。1958年には「東宝新町劇場」に改称して東宝系となり、1962年5月には「津日活」に改称した。1988年7月に「ロッポニカ津」に改称したが、やがて日活ロマンポルノも打ち切りとなった。*25

1989年10月8日の『伊勢新聞』に掲載された「上映作品案内」には、「ロッポニカ津」の欄に「本日にて閉館」とある。上映作品は『暴行団地』『暴行儀式』『襲う!!』*26

1989年10月上旬には津市西丸之内の映画館「にっかつロッポニカ劇場」が閉館した。12月上旬には跡地の建物を改装し、全国初の直営貸しビデオ・CD店「ビデオショップ・ロッポニカ」が開店する予定である。開店時にはビデオ約1万本とCD約7000本が置かれる予定。*27
三宝第二東映/津第二東映/津新町大映劇場/津大映劇場/津劇場(2代)/松竹津劇場/津スカラ座
所在地 : 三重県津市中新町(1960年)、三重県津市南中新町2003(1963年)、三重県津市南中町2003(1966年・1969年)、三重県津市南中新町2003(1973年)、三重県津市南丸の内12-15(1976年・1980年・1985年・1990年・2000年)
開館年 : 1959年4月(第二東映)、1976年8月(津スカラ座)
閉館年 : 2001年1月21日
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「三宝第二東映」。1963年の映画館名簿では「津第二東映」。1965年の住宅地図では「大映」。1966年の映画館名簿では「津新町大映劇場」。1969年の映画館名簿では「津大映劇場」。1973年の映画館名簿では「津劇場」。1974年津大映改称。1976年の映画館名簿では「松竹津劇場」。1976年津スカラ座改称。1980年の映画館名簿では木造平屋建、200席、経営会社は東宝中部興行、経営者は松岡増吉、支配人は千種康郎、洋画を上映。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「津スカラ座」。2000年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造2階部分208席、経営会社は津劇場、経営者・支配人ともに朝井昭男、洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地には映画館時代の建物が現存。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

1959年4月、西新町に「第二東映」が開館した。「津大映」や「津松竹」だった時期もあるが、1976年8月、名古屋の中部興行傘下の「津スカラ座」に転じた。*28

1976年8月1日、津市南丸ノ内にある映画館「津松竹」が「津スカラ座」に改称し、洋画専門館に転換する。さらに全館の一部を改築している。名古屋市で「名鉄東宝」や「スカラ座」などを経営する中部興行系列の直営館となる。大熊が主役のパニック映画『グリズリー』がオープニング作品となる。津市の洋画館は松竹洋画の「津パール」と合わせて2館となる。なお、8月12日には同じく中部興行系列の「四日市スカラ座」が新築オープンし、『ミッドウェー』がオープニング作品となる予定。*29

1980年6月25日、津市南丸之内の「津スカラ座」で開場式と披露パーティが開催された。津市の岡村市長など、来賓・関係者約100人が招待された。6月28日から営業を開始し、世界初の南極ロケを敢行した『復活の日』がオープニング作品となる。1階が駐車場、2階が劇場。座席数は208席であり、適度な傾斜がつけられている。*30

2001年4月30日には津市大門の映画館「津東宝」が閉館する。2001年1月には津市南丸之内の映画館「津スカラ座」も閉館しており、市内の従来型映画館は津市八町の「津東映シネマ」のみとなる。*31
津松竹第一劇場/津松竹第一劇場・津東宝劇場/津東宝劇場(2代)
所在地 : 三重県津市大門町(1960年・1963年)、三重県津市大門町1131(1966年・1969年・1973年)、三重県津市大門32-3(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1957年3月5日(津松竹第一劇場)、1958年(津東宝劇場)
閉館年 : 2001年4月30日
Wikipedia : 津東宝劇場
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「津松竹第一劇場」。1965年の住宅地図では「津松竹第一劇場」。1966年の映画館名簿では「津松竹第一劇場・津東宝劇場」(2館)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「津東宝劇場」。1980年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造1階部分148席、経営会社は中部共栄興行、経営者は西野文男、支配人は小林賢司、東宝を上映。2000年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造1階部分148席、経営会社は曙座、経営者・支配人ともに小林賢司、東宝を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地には映画館時代の建物が現存。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

1950年には「曙座」が津観音の南西に移転した。津観音の東側の元の曙座の建物は「第一劇場」に改称した。1957年3月に仲見世に移るまで新東宝系の映画館だった。1958年には「津東宝」となり、こじんまりとした映画館として1996年現在に至っている。*32

2001年4月9日をもって、津市大門の映画館「津東宝」が閉館した。最終日には『ドラえもん』を上映した。4月28日から30日までの3日間には「さよならファン感謝デー」が開催され、黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)、丸山誠治監督の『山本五十六』(1968年)、稲垣浩監督の『風林火山』(1969年)の3作品が500円で上映される。三重県でも有数の長い歴史を持つ映画館とされる。1898年に開館した劇場「曙座」の流れをくむ。1957年から現在地で営業していたが、映画産業の斜陽化やシネコンの進出で観客数が激減していた。*33
津東宝映画劇場/津東宝劇場(初代)/津東映劇場/津東映シネマ1・2
所在地 : 三重県津市新町駅前(1950年)、三重県津市新町(1953年・1955年)、三重県津市古河町57(1958年)、三重県津市古河町248(1960年)、三重県津市古河248(1963年)、三重県津市八町1-1-3(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1945年(津東宝劇場)、1955年(津東映劇場)
閉館年 : 2001年12月14日
『全国映画館総覧1955』によると1946年1月開館。1950年の映画館名簿では「津東宝映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「津東宝劇場」。1955年津東映改称。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「津東映劇場」。1980年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造1階部分440席、経営会社は東映、経営者は岡田茂、支配人は古池政勝、東映を上映。1965年の住宅地図では「津東映」。1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「津東映シネマ1・2」(2館)。2000年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造1階部分126席と103席、経営会社は東映、経営者は高岩淡、支配人は松本嘉正、1では東映を上映、2では邦画と洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「コート津新町」。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

「津東宝」、「新世界」、「曙座」の写真あり。久保仁の『ローカル映画館史』には、戦後の1946年1月に3館が揃って開館したと書かれている。筆者は津新町駅前に開館した「津東宝」のポスターやスチール写真を毎日のように眺めた。1955年6月には「津東映」に改称した。1958年4月には改造されて東映の直営館となった。1983年3月には再び改造され、1996年現在の「東映シネマ1・2」となった。*34

閉館直前の「津東映」の写真あり。*35

戦後の津市でいち早く営業を再開したのは「曙座」と「新世界」である。戦後には新しく、近鉄津新町駅前に「津東宝」が開館した。津東宝の定員は500人だった。昭和20年代の写真あり。*36

1945年(昭和20年)には近鉄津新町駅前に「津東宝」が開館した。1950年(昭和25年)の写真あり。1955年(昭和30年)には「津東映」となった。*37

1959年に「津東映劇場」として開館。1965年前後には東映の仁侠映画がヒットし、週末夜などは満員となった。1998年から赤字となり、2000年末にシネコンのワーナー・マイカル・シネマズ津が開館したこともあって、2001年12月14日で閉館した。閉館時の観客数は最盛期の10分の1にまで減少していた。*38

2001年12月14日をもって、近鉄津新町駅前の津市八町にある映画館「津東映シネマ」が閉館した。2001年には津市で古い映画館の閉館が相次いでおり、シネコンを除けば津東映シネマが津市唯一の映画館だった。1959年9月に開館し、東映作品を中心に上映していた。任侠映画が人気だった。1984年には劇場を2つに分けた。シネコンの影響で観客数が減少していた。最終日には邦画3作品を上映した。*39

2001年末には「津東映シネマ」が閉館。2002年1月14日には建物の解体が始まり、2月中旬には終わる予定である。跡地は25台収容の駐車場として使用される。1959年に開館。近鉄津新町駅前にあった。1960年代から1970年代には時代劇や任侠映画などで人気を博した。*40
津大門シネマ
所在地 : 三重県津市大門32-3(2005年)
開館年 : 2004年3月20日
閉館年 : 2009年7月20日
Wikipedia : 津大門シネマ
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年の映画館名簿では「津大門シネマ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地には映画館時代の建物が現存。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。

2004年3月20日、津市大門の映画館「津大門シネマ」が上映を始める。3年前に休館した「津東宝」を改装し、邦画、アジアや欧州の名画などを上映する。140席。支配人の谷口嘉吉(73)は、1984年に映画上映団体の津シネマ・フレンズを設立し、公共施設で毎年7〜8本の映画を上映してきた。津大門シネマは津シネマ・フレンズの直営館となる。スクリーンを張り替え、床を張り直し、映写機を整備し、壁を塗りなおした。毎日2作品を1日5回上映し、年間で52作品を上映する予定。津シネマ・フレンズの会員数は約1200人だが、シネコンが進出したことで激減し、解散を決意した時期もあった。入場料は大人1600円、大学生・高校生1300円、シニア1100円、中学生以下1000円。津シネマ・フレンズの会員になれば大人800円に割引される。4月上旬までは中国映画『再開』とスペイン映画『トーク・トゥ・ハー』を上映する。*41

2009年7月20日をもって、津市大門の単館系映画館「津大門シネマ」が閉館する。癌を患っている谷口嘉吉支配人(78)の健康問題が主な理由だが、2008年から続く不景気や新型インフルエンザの影響で観客巣が激減したことも理由。2001年に閉館した津東宝のオーナーが谷口に依頼し、2004年に140席の映画館として復活した。不景気の影響で観客数が2割減少し、新型インフルエンザの影響でさらに2割減少したという。最終日の上映作品は『大阪ハムレット』と『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』。*42

2004年3月20日、「津大門シネマ」が開館した。オープニングは中国映画『再見』とスペイン映画『トーク・トゥ・ハー』の交互上映であり、単館アート系らしいプログラムである。三重県でこの系統の映画館は伊勢市の「進富座」しかなかったため、津大門シネマの存在意義は小さくない。*43

かつては東宝の封切館だったが、観客数の減少で2001年に閉館し、大門商店街から映画館がなくなった。谷口嘉吉が施設を引き継ぎ、3年後の2004年にアート系のミニシアター「津大門シネマ」として開館させた。2007年時点で開館から3年足らず。2007年10月には『陸に上がった軍艦』(山本保博監督)を上映。『シッコ』や『夕凪の街 桜の国』なども上映した。*44

『4分間のピアニスト』を上映。津大門シネマの閉館により、三重県内のミニシアターは伊勢進富座のみとなった。*45

2009年7月20日に閉館。閉館の理由は支配人の谷口嘉吉(78)の健康上の問題に加えて、2008年以降の景気後退や新型インフルエンザの流行で観客数が激減したこと。最終上映作品は『大阪ハムレット』と『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』。*46

2012年春、「津大門シネマ」の支配人だった谷口嘉吉が死去した。閉館の理由は経営面の問題に加えて谷口の健康問題もあった。*47
ワーナー・マイカル・シネマズ津/イオンシネマ津
所在地 : 三重県津市桜橋3-446 津サティ隣(2005年・2010年)、三重県桜橋3-446 イオン津SC隣(2015年)
開館年 : 2000年12月15日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ津」(7館)。2015年の映画館名簿では「イオンシネマ津」(7館)。ワーナー・マイカル・シネマズ桑名、ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿に続いて、三重県3館目(ジストシネマ上野を含めると4館目)のシネコン。

2000年12月15日、津市桜橋3丁目の大型店「津サティ」北側ににシネコン(複合型映画館)「ワーナー・マイカル・シネマズ津」が開館した。正月休みにはスクリーンをフル稼働して13作品を上映。平常時の約4倍の客を集めた。このあおりを受けて、2館の老舗映画館が相次いで閉館を決め、従来からの映画館は1館だけとなる。1995年には桑名市に三重県初のシネコンが開館し、その後は鈴鹿市、上野市、津市にも開館している。三重県興行生活衛生同業組合によると、1995年以降だけで従来の映画館10館が閉館(うち1館は閉館予定)し、三重県の映画館の1/5がこの5-6年で閉館したことになる。映画人口は伸び悩んでいるが、大資本のシネコンが人気を集めて街の映画館を追い詰めている。街の映画館は繁華街や駅前にあるため駐車場が少なく、また設備が古いため若者を引き付けにくい。津市で唯一残る「津東映」(津市八町1丁目)も「先はわからない状態」という。洋画を中心に上映していた「津スカラ座」(津市南丸之内)は1月21日に閉館した。「津東宝」(津市大門)もこの春の閉館を決定している。映画上映には配給会社のフィルム焼き増し代だけでも最低約30万円がかかる。収入の6割は配給会社へ、残りで宣伝費や施設維持費などをまかなうが、ここ数年は年間200万円から300万円の赤字が続いていた。43年間の歴史に幕を閉じる「津東宝」の最終作品は『ドラえもん』である。*48

2000年12月15日、津市にシネコン「ワーナー・マイカル・シネマズ津」が開館する。シネマコンプレックスとは、広い駐車場を持つ郊外型の大型店と複数のスクリーンを持つ映画館が一緒になった複合施設である。街の活性化を期待する声がある一方で、中心市街地の空洞化を懸念する声も上がっている。全国に約40のシネコンを持つワーナー・マイカル(本社・東京都千代田区)が、津市桜橋3丁目の大型店「津サティ」北側に建設を進めている。約4800平方メートルのスペースに7スクリーンを有し、三重県最大規模(1589人収容)の映画館となる。隣の「津サティ」と共用する駐車場は1800台の車が収容可能である。シネコンは全国各地で急速に数を増やしており、三重県では1995年に桑名市、1998年に鈴鹿市で開館した。津市の中心市街地には3館の映画館があるが、大門にあり43年の歴史を持つ映画館「津東宝」は来春の閉館を決定した。ここ数年は観客数が落ちており、シネコン進出が決定打となった。八町1丁目の「津東映」は今後の方針が立てられない状況となっている。現状で東映本社の直営である津東映に閉館の話はないが、近いうちに開かれる会議では閉館を見据えた話も出るとされる。鈴鹿市にシネコンが開館したことで、洋画の話題作などでは3割ほど観客数が減少した。正月の子ども映画以降の上映予定が決まっていない。*49

2000年12月15日、津市初のシネコンであるワーナー・マイカル・シネマズ津が開館する。津サティに隣接する。7スクリーン計1589席。ワーナー・マイカルグループとしては桑名市、鈴鹿市に次いで三重県3番目のシネコン。先に開館した2館には津市から訪れる観客も多かった。年間の来館者数の目標は40万人。*50

2000年12月15日、津市桜橋の津サティの北隣に、映画館「ワーナー・マイカル・シネマズ津」が開館した。7スクリーン・約1600席。1995年開館のワーナー・マイカル・シネマズ桑名、1998年開館のワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿、1998年開館のジストシネマ上野に続いて、三重県4番目のシネコンである。いずれのシネコンも同系列のショッピングセンターに併設して相乗効果を狙っている。*51
イオンシネマ津南
所在地 : 三重県津市高茶屋小森町145 イオンモール津南3階
開館年 : 2018年11月9日
閉館年 : 営業中
津市で2施設目のシネコン。9スクリーン計1341席。一般的なイオンシネマの座席は55cm幅だが、全席にキネット社製の60cm幅コクーンシートを採用。

旧久居市・一志郡

太陽文化映画劇場/太陽文化劇場
所在地 : 三重県一志郡久居町新町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「太陽文化映画劇場」。1960年の映画館名簿では「太陽文化劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の住宅地図では「太陽文化映画劇場」。跡地は「マンハッタン」などが入る「清元新町ビル」。最寄駅は近鉄名古屋線久居駅。
共栄座
所在地 : 三重県一志郡白山町二本木(1959年・1960年・1963年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1963年頃
1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「共栄座」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。
香良洲座
所在地 : 三重県一志郡香良洲町(1960年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1932年頃
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「香良洲座」。1965年の映画館名簿では経営者・支配人ともに横井弥一、木造1階、定員450、邦画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「めぐみの広場」の西北西120mにある空き地。

明治大正期、一志郡矢野村の前川の川向こうの堤防下には「矢野前座」があった。周辺で劇場と言えば、津市の曙座、久居町の永楽座、松阪市の松阪座と巴座、一志郡波瀬村の名称不明劇場と合わせて6館があった。矢野前座の観客の大半は矢野村の住民だった。休日、正月、小正月、村や神社の祭礼などに興行を行い、月2-3日程度だった。興行は芝居が多く、しばしば浪花節や映画もあった。木戸銭と呼ばれた入場料は30銭程度だった。観客席は土間であり、興行日にはむしろが敷かれた。1932年(昭和7年)には前川にコンクリート橋が架けられ、これに前後して馬場の横井某によって「香良洲座」が建設されたため、「矢野前座」で芝居がかかることはなくなった。*52

サンデルタ香良洲にいた女性(70代?)「百五銀行の西の駐在所のあたりに映画館があったと聞いた事がある。香良洲町では1960年の日活作品『拳銃無頼帖 電光石火の男』のロケが行われ、赤木圭一郎や宍戸錠が訪れた。香良洲町民もエキストラとして映画に参加した」

サンデルタの職員(50代?)「馬場(ばんば)に映画館があったと聞いた事がある」

香良洲警察官駐在所の正面の民家に住んでいる男性(70代?)「(香良洲座や劇場という単語には反応せず)駐在所の裏には公民館の巨大な建物があった」

和洋菓子屋 ホッカイヤの主人(70代?)「ホッカイヤから約100m東、道路の南側の空き地の部分に映画館があった」
一志劇場
所在地 : 三重県一志郡一志町川合高岡駅前(1957年・1958年)、三重県一志郡一志町田尻(1960年)、三重県一志郡一志町(1963年)、三重県一志郡一志町田尻(1964年・1965年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1965年頃
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「一志劇場」。1953年の映画館名簿では経営者が西田佐三、支配人が小田一夫、木造平屋建、定員324、邦画を上映。1965年の映画館名簿では経営者が西田佐三、支配人が倉田楠夫、木造1階、定員324、松竹を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代から1980年代前半までの航空写真を見ると現在のアパート「エスポワール」の場所に巨大な建物があるが関係は不明。
多気神社前劇場
所在地 : 三重県一志郡美杉村上多気(1966年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「多気神社前劇場(休館)」。1966年の映画館名簿では経営者が田中慶一、支配人は掲載なし、木造平屋建、定員300。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
奥津劇場
所在地 : 三重県一志郡美杉村奥津(1966年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「奥津劇場(休館)」。1966年の映画館名簿では経営者が青木才久、支配人は掲載なし、木造平屋建、定員200。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
太陽映画劇場/太陽劇場
所在地 : 三重県一志郡久居町新町(1955年・1960年)、三重県一志郡久居町(1963年)
開館年 : 1953年6月29日
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧1955』によると1953年6月開館。1955年の映画館名簿では「太陽映画劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「太陽劇場・太陽文化劇場」(2館)。1963年の映画館名簿では「太陽劇場」。1965年の住宅地図では「太陽映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「マンハッタン」などが入る「清元新町ビル」南東。最寄駅は近鉄名古屋線久居駅。

1953年6月29日、久居市新町に「太陽映画劇場」が開館した。建設したのは坂元茂吉であり、経営したのは息子の坂元治郎である。やがて「太陽映画劇場」と「太陽文化劇場」の2館体制となった。坂元治郎は後に久居市議会議員に当選している。1967年に閉館した。*53
永楽座/久居劇場/久居東映/久居東映劇場/久居映画劇場
所在地 : 三重県一志郡久居町東鷹匠町(1953年)、三重県一志郡久居町鷹跡町(1955年)、三重県一志郡久居町255(1958年)、三重県一志郡久居町(1960年・1963年)、三重県一志郡久居町288(1966年)
開館年 : 1899年、1908年
閉館年 : 1968年2月26日
『全国映画館総覧1955』によると1908年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「久居劇場」。1958年の映画館名簿では「久居東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「久居東映劇場」。1965年の住宅地図では「映画 久劇」。1966年の映画館名簿では「久居映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「日本生命保険久居営業部」。

時期不明の「永楽座」の館内の写真あり。1899年、久居町の東鷹匠町に劇場として永楽座が開館した。現在の久居市役所東である。昭和40年代中頃まで、芝居や映画の興行を行っていた。夏季には深夜まで上映していた。*54

戦後の久居市には「久居劇場」(久居東映)が開館し、岩間秋子と岩間栄一の夫妻が経営した。1968年2月26日、不動産業者に売却して閉館した。*55

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