所在地 : 三重県津市新町(1947年)、三重県津市新町駅前(1950年)、三重県津市新町(1953年・1955年)、三重県津市古河町57(1958年)、三重県津市古河町248(1960年)、三重県津市古河248(1963年)、三重県津市八町1-1-3(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1945年(津東宝劇場)、1955年(津東映劇場)、1959年9月12日(建て替え)、1983年3月(2館化)
閉館年 : 2001年12月14日
『全国映画館総覧1955』によると1946年1月開館。1947年の映画館名簿では「津東宝劇場」。1950年の映画館名簿では「津東宝映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「津東宝劇場」。1955年津東映改称。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「津東映劇場」。1980年の映画館名簿では経営会社が東映、経営者が岡田茂、支配人が古池政勝、鉄筋造1階、440席、東映を上映。1965年の住宅地図では「津東映」。1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「津東映シネマ1・2」(2館)。2000年の映画館名簿では経営会社が東映、経営者が高岩淡、支配人が松本嘉正、鉄筋造1階、1が126席で東映を上映、2が103席で邦画と洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「コート津新町」。最寄駅は近鉄名古屋線津新町駅。
1959年5月4日、津市新町駅前で東映直営館「津東映劇場」の地鎮祭が行われた。8月に開館予定であり、東映の57番目の直営館となる。
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1959年9月上旬、津市大字古河248に東映直営館「津東映」が開館する予定。延床面積924平方メートル。鉄骨鉄筋造、3階建て。冷暖房設備あり。収容人員700人。
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1959年内に東映は全国に6直営館を開館させる。9月12日には「津東映」、10月10日には「釧路東映」、10月22日には「金沢東映」、11月3日には「名古屋第二東映」、12月12日には「八幡東映」、12月24日には「和歌山東映」が開館する。年末までに直営館は62館となる。
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1959年9月12日、津市新町に東映直営館「津東映」が新装開館した。鉄骨鉄筋造、冷暖房完備。座席数500。支配人は時田信。
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1959年9月12日、津市に新築によって「津東映劇場」が開館した。鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て。800人収容。
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「津東宝」、「新世界」、「曙座」の写真あり。久保仁の『ローカル映画館史』には、戦後の1946年1月に3館が揃って開館したと書かれている。筆者は津新町駅前に開館した「津東宝」のポスターやスチール写真を毎日のように眺めた。1955年6月には「津東映」に改称した。1958年4月には改造されて東映の直営館となった。1983年3月には再び改造され、1996年現在の「東映シネマ1・2」となった。
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閉館直前の「津東映」の写真あり。
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戦後の津市でいち早く営業を再開したのは「曙座」と「新世界」である。戦後には新しく、近鉄津新町駅前に「津東宝」が開館した。津東宝の定員は500人だった。昭和20年代の写真あり。
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1945年には近鉄津新町駅前に「津東宝」が開館した。1950年の写真あり。1955年には「津東映」となった。
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1959年に「津東映劇場」として開館。1965年前後には東映の仁侠映画がヒットし、週末夜などは満員となった。1998年から赤字となり、2000年末にシネコンのワーナー・マイカル・シネマズ津が開館したこともあって、2001年12月14日で閉館した。閉館時の観客数は最盛期の10分の1にまで減少していた。
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2001年12月14日をもって、近鉄津新町駅前の津市八町にある映画館「津東映シネマ」が閉館した。2001年には津市で古い映画館の閉館が相次いでおり、シネコンを除けば津東映シネマが津市唯一の映画館だった。1959年9月に開館し、東映作品を中心に上映していた。任侠映画が人気だった。1984年には劇場を2つに分けた。シネコンの影響で観客数が減少していた。最終日には邦画3作品を上映した。
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2001年末には「津東映シネマ」が閉館。2002年1月14日には建物の解体が始まり、2月中旬には終わる予定である。跡地は25台収容の駐車場として使用される。1959年に開館。近鉄津新町駅前にあった。1960年代から1970年代には時代劇や任侠映画などで人気を博した。
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