閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。



鳥取市

富士劇場/富士映劇
所在地 : 鳥取県八頭郡用瀬町駅前509(1955年)、鳥取県八頭郡用瀬町509(1958年・1960年)
開館年 : 1952年9月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1955年の映画館名簿では「富士劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「富士映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
弁天座
所在地 : 島根県八頭郡河原町西池村1(1955年)、島根県八頭郡河原町1(1958年)、島根県八頭郡河原町(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「弁天座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
文化映劇/丸十映画劇場/鳥取スバル座/鳥取スバル/スパル映劇
所在地 : 鳥取県鳥取市(1950年)、鳥取県鳥取市吉方777(1953年・1955年)、鳥取県鳥取市永楽通777(1958年)、鳥取県鳥取市吉方町777(1960年)
開館年 : 1948年、1953年12月(新築?)
閉館年 : 1961年8月
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1950年の映画館名簿では「文化映劇」。1953年の映画館名簿では「丸十映画劇場」。1955年の映画館名簿では「鳥取スバル座」。1958年の鳥取市住宅案内図では「スパル座」。1958年・1960年の映画館名簿では「鳥取スバル」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「スパル映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では跡地に「アキチ」。跡地はビジネスホテル「ホテルアルファーワン鳥取」南南東70mの居酒屋「因幡宿」。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1948年(昭和23年)8月、鳥取市の永楽通りにキャバレーを新装して「文化映劇」が開館。1950年(昭和25年)12月には「丸十映劇」に改称し、1953年(昭和28年)12月には「スバル座」に改称した。東京のスバル興行の系列館であり、鳥取市唯一の洋画専門館だった。1956年(昭和31年)6月にはスバル興行から離れて休館したが、同年8月には「スパル」という個性的な名称で再開した。スパルは1961年(昭和36年)8月に閉館した。*1
大森映劇
所在地 : 鳥取県鳥取市大森町870(1958年)、鳥取県鳥取市大森区相生町870(1960年)、鳥取県鳥取市大森町780(1963年)
開館年 : 1956年3月
閉館年 : 1962年11月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の住宅地図では「大森劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大森映劇」。1963年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が西村常三、木造平屋建暖房付、250席、邦画を上映。1960年の住宅地図では「大森映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では跡地に「安東」邸と「シバタフードセンター大森店」。跡地は「マルワ相生店」敷地南西角。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

鳥取市内のその他の映画館としては、「松竹座」(1954年6月〜1960年頃)、「大森映劇」(1956年3月〜1962年11月)などがあった。*2
栄楽館
所在地 : 鳥取県鳥取市東品治町22-9(1963年)、鳥取県鳥取市東品治町113-7(1966年・1969年)
開館年 : 1961年12月
閉館年 : 1972年6月
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の鳥取市住宅詳細図では「栄楽館」。1963年の映画館名簿では経営者・支配人ともに木下修一、鉄筋コンクリート造平屋建冷暖房付、230席、洋画を上映。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「栄楽館」。1969年の住宅地図には掲載されていない。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「ホテルナショナル」北西の居酒屋「大阪新世界山ちゃん鳥取駅前店」。面する通りは永楽通りだが館名は栄楽館。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1961年(昭和36年)12月には永楽通りに東映系上映館の「栄楽館」が開館し、1962年(昭和37年)3月には洋画専門館となった。栄楽館は1972年(昭和47年)6月に閉館した。*3
日ノ丸劇場/鳥取日の丸劇場
所在地 : 鳥取県鳥取市東品治町62(1958年)、鳥取県鳥取市東品治62(1960年)、鳥取県鳥取市今町2丁目151(1963年)、鳥取県鳥取市今町2(1966年・1969年)
開館年 : 1955年4月
閉館年 : 1969年7月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の鳥取市住宅案内図では「日の丸劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日ノ丸劇場」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「日の丸映劇」。1963年の映画館名簿では経営者が米原穣、支配人が大谷武夫、鉄筋コンクリート造3階建冷暖房付、800席、松竹を上映。1966年・1969年の映画館名簿では「鳥取日の丸劇場」。1969年の住宅地図では鳥取大丸の北側に「日ノ丸映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「鳥取大丸」。跡地は「鳥取大丸」建物北東角。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1956年(昭和31年)の鳥取市に開館した「日の丸劇場」の杮落としの写真あり。「娘道成寺」の舞台である。日の丸劇場は大丸百貨店の中にあった。*4

1955年(昭和30年)4月には「日ノ丸劇場」が開館。鳥取大丸横に1億円をかけて建設された。日の丸劇場は1969年(昭和44年)7月に閉館し、鳥取大丸の売り場となった。*5
松竹座/立川映劇/鳥取立川映画劇場
所在地 : 鳥取県鳥取市立川2丁目(1955年・1958年・1960年)、鳥取県鳥取市立川2-105(1963年)、鳥取県鳥取市立川2(1969年・1973年)
開館年 : 1954年6月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1954年6月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「松竹座」。1958年の鳥取市住宅案内図では「松竹座」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「立川映劇」。1963年の映画館名簿では「立川映劇」。1963年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が西村常三、木造平屋建暖房付、250席、邦画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では「立川映劇」。1969年・1973年の映画館名簿では「鳥取立川映画劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「立川公園」西のアパート「スタンドリバー」。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

鳥取市内のその他の映画館としては、「松竹座」(1954年6月〜1960年頃)、「大森映劇」(1956年3月〜1962年11月)などがあった。*6
世界館/鳥取世界館(川端)/鳥取ニュー世界
所在地 : 鳥取県鳥取市川端2-64(1953年)、鳥取県鳥取市川端銀座(1955年)、鳥取県鳥取市川端2丁目(1958年)、鳥取県鳥取市川端銀座(1960年)、鳥取県鳥取市川端2丁目(1963年)、鳥取県鳥取市川端町2(1966年・1969年・1973年)、鳥取県鳥取市川端2丁目(1976年)
開館年 : 1914年、1947年8月
閉館年 : 1977年
『全国映画館総覧 1955』によると1947年8月開館。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「世界館」。1958年の鳥取市住宅案内図では「世界館」。1960年の映画館名簿では「鳥取世界館」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「世界館映画劇場」。1963年の映画館名簿では「世界館」。1969年の住宅地図では「世界館映劇」。1969年・1973年の映画館名簿では「鳥取世界館」。1976年の映画館名簿では「鳥取ニュー世界」。1978年に川端から南吉方に移転。1980年の住宅地図では跡地に「Sマート(シバタフードセンター)」。跡地はスーパーマーケット「エスマート川端店」。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1914年(大正3年)、鳥取県3番目の映画館として鳥取市に「世界館」が開館した。鳥取育児院(現在の鳥取こども学園)が運営資金を得るために、川端2丁目にあった寄席「幸座」を改築して映画館としたものである。大正末期から昭和戦前には松竹系映画館として、戦中から戦後には大映系封切館として営業した。戦時中には入口近くにペンキでアメリカ国旗とイギリス国旗を描き、観客はこれらの国旗を踏みつけて入場したという。戦前から昭和50年代までは鳥取映画界の名物館主である中村俊晃が館主を務めた。鳥取砂丘でもロケが行われた1958年(昭和33年)の『日蓮と蒙古大襲来』は、14日間で3万1600人の観客を集めた大ヒットとなった。映画業界が斜陽化するとポルノ作品の上映も増加し、1971年(昭和46年)11月に大映が倒産すると洋画が中心となった。1977年(昭和52年)には60年以上にも及ぶ敷地を立ち退き、近くで約100席のミニ映画館として存続した。1978年(昭和53年)には鳥取駅南側の南吉方に移転し、1991年(平成3年)には「フェイドイン」に改称した。*7

鳥取市の川端通りは若桜街道と智頭街道を結ぶ通りである。かつて鳥取市有数の歓楽街であり、川端銀座の愛称がその名残を残している。昭和初期には「帝国館」(現在の朝日生命の場所)や「世界館」(現在のSマートの場所)などの映画館もあった。*8

鳥取市の川端通りは映画で栄え、映画と共に廃れた町とされる。川端通りには2館の映画館があったが、1977年と1986年に立て続けに閉館した。2005年には川端シネマ倶楽部が結成され、空き地で野外映画上映会が開催された。2006年にも7月に2回の上映会が開催された。*9

1970年(昭和45年)の鳥取市川端2丁目にあった映画館「世界館」の写真あり。「DAINICHI」「世界館」などの文字が見える。1920年(大正9年)に川端2丁目に開館した。同時期には川端1丁目に「帝国館」も開館し、昭和初期の川端界隈は鳥取市の中心的な商業地域だった。*10

1920年には若桜街道近くの鳥取市川端1丁目に映画館「帝国館」が開館した。川端2丁目の「世界館」とともに、昭和初期に川端銀座として繁栄した商店街の中核施設が2館の映画館だった。現在の川端銀座に映画館はなく、商店街は崩壊状態にある。*11
鳥取末広映画劇場/鳥取末広映劇
所在地 : 鳥取県鳥取市吉方792-12(1953年・1955年)、鳥取県鳥取市末広温泉町(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1985年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が書かれていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「末広映画劇場」。1958年の鳥取市住宅案内図では「末広映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「鳥取末広映画劇場」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「末広映画劇場」。1963年の映画館名簿では「末広映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「鳥取末広映画劇場」。1969年の住宅地図では「末広映劇」。1980年・1985年の映画館名簿では「鳥取末広映劇」。1985年の映画館名簿では経営者が宇崎穆夫、支配人が宮川静江、木造1階、330席、東宝・洋画を上映。1986年・1988年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「エスマート末広店」建物南側。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1984年(昭和59年)の鳥取市末広温泉町にあった映画館「末広映劇」の写真あり。市川崑監督作『おはん』の看板が見える。邦画5社の封切館をはじめとして、往時の鳥取市には9館の映画館があった。末広映劇は東宝系の封切館であり、東京オリンピックの映画なども上映された。2012年(平成24年)現在の跡地はスーパーマーケットとなっている。*12
名画座/鳥取名画座
所在地 : 鳥取県鳥取市川端町1丁目(1958年)、鳥取県鳥取市川端1-42(1960年)、鳥取県鳥取市川端1-43(1963年)、鳥取県鳥取市川端町1(1966年・1969年・1973年)、鳥取県鳥取市川端町1-214(1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1955年12月末
閉館年 : 1986年1月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「名画座」。1958年の鳥取市住宅案内図では「名画座」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「名画座映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「鳥取名画座」。1969年の住宅地図では「名画座」。1980年の住宅地図では「名画座(豊島商事)」。1985年の映画館名簿では経営会社が豊島商事、経営者が能勢正友、支配人が記載なし、木造1階、200席、にっかつを上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2002年竣工のマンション「ポレスター鳥取川端」専用駐車場。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1955年(昭和30年)12月末には洋画二番館の「名画座」が開館し、1960年(昭和35年)8月には日活封切館となった。1972年(昭和47年)からは日活ロマンポルノの上映が増え、1986年(昭和61年)1月に閉館した。*13

戦後の鳥取市の川端銀座商店街には、「帝国館」(1952年の鳥取大火後に閉館)、「世界館」、「名画座」の映画館3館があった。1955年には鳥取県生活協同組合が商店街に進出し、1960年には商店街にアーケードが完成。1963年には鳥取県生協に鳥取県初のエスカレーターが設置され、試し乗りする人の行列ができた。乗る前に靴を脱ぐ人もおり、転倒して救急車が出動することもよくあった。1966年10月1日から10月21日には名画座で舟木一夫と和泉雅子主演の『絶唱』が上映され、1万2249人もの観客数を記録した。1986年には名画座が閉館し、川端銀座商店街は斜陽の時代に入った。*14

鳥取市の川端通りは映画で栄え、映画と共に廃れた町とされる。川端通りには2館の映画館があったが、1977年と1986年に立て続けに閉館した。2005年には川端シネマ倶楽部が結成され、空き地で野外映画上映会が開催された。2006年にも7月に2回の上映会が開催された。*15

鳥取市の川端通りには理容室のヘアーサロンナカイがある。向かいの駐車場はかつて映画館であり、多くの観客が行きかっていた。映画館の隣にあった生協の店舗ビルもマンションに変わっている。*16

1920年には若桜街道近くの鳥取市川端1丁目に映画館「帝国館」が開館した。川端2丁目の「世界館」とともに、昭和初期に川端銀座として繁栄した商店街の中核施設が2館の映画館だった。現在の川端銀座に映画館はなく、商店街は崩壊状態にある。*17
鳥取映劇/松竹鳥取映劇
所在地 : 鳥取県鳥取市末広温泉町(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、鳥取県鳥取市末広温泉町772(1976年・1980年)、鳥取県鳥取市末広温泉町779(1985年・1990年)
開館年 : 1956年4月
閉館年 : 1991年2月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の鳥取市住宅案内図では「鳥取映劇」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「鳥取映劇」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「鳥取映劇」。1969年の住宅地図では「鳥映会館」。1985年・1990年の映画館名簿では「松竹鳥取映劇」。1985年の映画館名簿では経営会社が松竹関西興行、経営者が仁木秀郎、支配人が栗林勇公、鉄筋造1階、319席、松竹・洋画を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「ホテルアルファーワン鳥取」東南東50mの有料駐車場「Tパーク末広」。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1956年(昭和31年)4月には鳥取市末広温泉町に洋画封切館「鳥取映劇」が開館した。鳥取市初のシネマスコープ劇場であり、開館直後の5月にはエロール・フリン主演作『覆面の騎士』を上映している。1960年(昭和35年)12月には火災で焼失したが、再建して1961年(昭和36年)7月に再開館した。1960年(昭和35年)に上映したセシル・B・デミル監督作『十戒』は28日間で約2万人を集め、鳥取映劇の最高動員記録となった。昭和30年代から40年代にかけて、『史上最大の作戦』、『戦場にかける橋』、『大いなる西部』、『太陽がいっぱい』、『アラビアのロレンス』などの洋画大作を上映した。1975年(昭和50年)には松竹の直営館となり、『タワーリング・インフェルノ』、『ジョーズ』、『男はつらいよ』シリーズなどを上映した。1991年(平成3年)2月にはミニシアター化する予定で休館したが、結局はそのまま閉館となった。*18
鳥取世界館(南吉方)/シネマスポットフェイドインWest・East
所在地 : 鳥取県鳥取市南吉方1-112(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1978年(世界館移転)、1991年(フェイドイン)
閉館年 : 2006年10月29日
1978年に川端から南吉方に移転。1980年の住宅地図では「世界館」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「鳥取世界館」。1985年の映画館名簿では経営者が中村俊晃、支配人が大橋敏子、鉄筋造1階、200席、洋画を上映。1995年の映画館名簿では「シネマスポットフェイド インWEST・EAST」(2館)。2000年の映画館名簿では「シネマスポットフェイドインWest・East」(2館)。2005年の映画館名簿では「シネマスポットフェイド インWEST・EAST」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東富安公園」東の整骨院「はっぴー骨盤 猫背整骨院整体院」。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

2006年(平成18年)10月29日、鳥取市南吉方1の映画館「シネマスポットフェイドイン」が閉館する。1991年(平成3年)に開館し、110席と70席の2スクリーンを有していた。設備の老朽化が主な理由。鳥取市の映画館は1館2スクリーンのみに、鳥取県の映画館は4館14スクリーンのみになる。1999年(平成11年)には山陰地方初のシネコンとして、日吉津村に6スクリーンのMOVIX日吉津が開館している。2007年(平成19年)には山陰地方2施設目のシネコンとして、島根県出雲市にもシネコンが開館する。*19

2006年(平成18年)10月27日をもって、鳥取市南吉方の映画館「シネマスポット・フェイドイン」が最後の上映を迎える。観客数の減少や、映写機や空調設備の老朽化が理由。鳥取市の映画館は栄町の「鳥取東映シネマ」の2スクリーンのみとなる。フェイドインは1991年に開館し、2スクリーンを有していた。運営会社は世界館。*20

2006年(平成18年)10月15日、鳥取市南吉方の映画館「フェイド・イン」が閉館する。施設の老朽化などが理由。これによって鳥取市の映画館は「鳥取東映シネマ」の1施設のみに、鳥取県全体でも「倉吉シネマエポック」「ムーヴィックス日吉津」「米子駅前サティ東宝」を合わせた4施設のみとなる。フェイド・インは1991年に開館し、無料駐車場などを有することから親しまれてきた。運営会社は世界館であり、川端通りにあった映画館「世界館」が前身である。*21

2006年(平成18年)10月29日をもって、鳥取市南吉方1の映画館「シネマスポットフェイドイン」が閉館する。経営は世界館(中村俊一郎社長)。1991年に開館し、110席と70席の2スクリーンを有している。開館から15年経って映写機や空調設備の老朽化が進み、新たな設備投資はできないとして閉館を決断した。*22

2006年(平成18年)10月29日をもって、鳥取市南吉方の映画館「シネマスポットフェイドイン」が閉館した。世界館が経営する。1991年(平成3年)に「世界館」を改装して開館した。*23
富士館/鳥取東映/鳥取東映劇場/鳥取東映劇場・鳥取東映パラス劇場/鳥取東映シネマ1・2/鳥取シネマ1・2
所在地 : 鳥取県鳥取市東品治町113-7(1953年・1955年・1958年)、鳥取県鳥取市東品治113-7(1960年)、鳥取県鳥取市東品治町113-7(1963年・1966年・1969年)、鳥取県鳥取市栄町605(1973年・1976年)、鳥取県鳥取市駅前通(1980年)、鳥取県鳥取市栄町606(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)、鳥取県鳥取市栄町606 まるもビル3階(2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1949年12月、1979年7月29日(ビル化)
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「富士館」。1958年の鳥取市住宅案内図では「鳥取東映」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「鳥取東映」。1960年の鳥取市住宅詳細図では「鳥取東映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「鳥取東映劇場」。1969年の住宅地図では「鳥取東映」。1976年の映画館名簿では「鳥取東映」。1979年7月29日ビル化。1980年の映画館名簿では「鳥取東映劇場・鳥取東映パラス劇場」(2館)。1985年の映画館名簿では「鳥取東映劇場・鳥取東映パラス」(2館)。1990年の映画館名簿では「鳥取東映・鳥取東映パラス」(2館)。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「鳥取東映シネマ1・2」(2館)。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「鳥取シネマ1・2」(2館)。鳥取県東部唯一の映画館。最寄駅はJR山陰本線・因美線鳥取駅。

1949年12月9日付『日本海新聞』には「正月には開幕か 市内に東映系の映画館誕生」という記事が掲載されている。現物は未確認。*24

1955年の「富士館」の写真あり。「松竹東映封切場」の文字が見える。『血槍富士』『新婚教室』『飛竜の門』などの看板が見える。*25

1955年から1956年には、洋画・邦画の専門館という仕組みが明確化し、映画会社との系列も固定化されつつあった。例を挙げると、鳥取市の「富士館」は東映系だった。*26

1979年7月6日付『日本海新聞』には「7ヵ月ぶり東映映画館復活 29日にオープン 邦・洋画2館お目見え」という記事が掲載されている。現物は未確認。*27

1979年7月28日付『日本海新聞』には「あすオープン 東映直営2館」という記事が掲載されている。現物は未確認。*28

1979年7月29日付『日本海新聞』には「楽しさとくつろぎのまるもビル 本日オープン」という広告が掲載されている。現物は未確認。*29

1949年(昭和24年)12月には「富士館」が開館し、1955年(昭和30年)6月には東映専門館「鳥取東映」に改称した。1978年(昭和53年)9月から休館して建物を取り壊し、1979年(昭和54年)7月には新築したビル内に邦画館「鳥取東映劇場」と洋画館「鳥取パラス劇場」として再開した。その後「鳥取東映シネマ」に改称し、やがて東映を離れてフェイドインの経営となった。*30

2008年11月1日と2日、鳥取市唯一の映画館「鳥取シネマ」が音楽ライブと映画を組み合わせたイベントを初開催する。2006年10月末に別地点の「シネマスポットフェイドイン」を閉館させ、11月3日に「鳥取東映シネマ」を改称して鳥取シネマを開館させた。『デトロイト・メタル・シティ』の上映に合わせて、上映の合間に地元ロックバンドのRENEGADERと玄翁のライブが行われる。*31

2012年11月10日、鳥取市栄町の「鳥取シネマ」で漫画家の谷口ジローの座談会「世界から見た谷口ジロー」が開催された。谷口ジローは鳥取市出身。米子市で開催されている国際漫画サミットに合わせて開催された。*32

2020年6月20日、鳥取市栄町の映画館「鳥取シネマ」が約2か月ぶりに営業を再開した。6月25日までは『パラサイト』『犬鳴村』『スーパー戦隊MOVIEパーティー』を上映し、6月26日からは『風の谷のナウシカ』などのジブリ作品を上映する。新型コロナウイルス感染症の流行の影響で、4月20日から自主的に休館していた。*33

2020年10月30日、鳥取市唯一の映画館「鳥取シネマ」でアニメ映画『鬼滅の刃』の上映が開始される。公開初日から倉吉市の「倉吉シネマエポック」と日吉津町の「MOVIX日吉津」では上映しているが、鳥取シネマでは上映されていなかった。これによって鳥取県内の3映画館すべてで同作が鑑賞できるようになった。*34

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。

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