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銚子市

銚盛館
所在地 : 千葉県海上郡銚子町(1925年・1927年・1930年)、千葉県銚子市観音境内(1936年)、千葉県銚子市馬場町(1943年)、千葉県銚子市馬場町170(1947年)、千葉県銚子市馬場町(1950年)、千葉県銚子市馬場町170(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1925年以前、1946年2月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年2月開館。1925年・1927年の映画館名簿では「銚盛座」。1930年・1936年・1943年の映画館名簿では「銚盛館」。1947年の映画館名簿では「銚盛座」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「銚盛館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「圓福寺・飯沼観音参拝者駐車場」中央部東側。最寄駅は銚子電気鉄道線観音駅。

1930年の『大日本職業別明細図 第201号』には、「銚楽座」「銚子座」「銚盛館」が描かれている。*1
演芸館/銚子演芸館/銚子スカラ座
所在地 : 千葉県銚子市飯沼町(1943年)、千葉県銚子市新生町(1947年・1950年)、千葉県銚子市新生1-53(1953年・1955年)、千葉県銚子市新生町1-53(1958年)、千葉県銚子市新生1-53(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1936年以後1943年以前、1946年3月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年3月開館。1943年の映画館名簿では「銚子演芸館」。1947年の映画館名簿では「演芸館」。1950年の映画館名簿では「銚子演芸館」。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「演芸館」。1960年の映画館名簿では「銚子演芸館」。1963年の映画館名簿では「演芸館」。1966年の映画館名簿では「銚子演芸館」。1969年・1973年の映画館名簿では「銚子スカラ座」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大川干魚店」と南隣の駐車場。最寄駅は銚子電気鉄道線観音駅。
銚子富士館
所在地 : 千葉県銚子市東町285(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年)
開館年 : 1953年2月
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年2月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「銚子富士館」。1974年の映画館名簿では経営会社が山崎興行、経営者が山崎清太郎、支配人が土屋美昭、木造1階冷暖房付、350席、成人映画を上映。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「島田病院宿舎 パティオS」。最寄駅は銚子電気鉄道線観音駅。

1953年4月16日から、銚子市東町の「富士館」は『最後の無法者』『アナタハン島の真相』の2本とともに立体映画『メトロスコピックス』を上映している。立体映画に対する関心が少ないのと宣伝が不十分なため、成績は低迷している。入場料は70円であり、眼鏡は10円の保証金を取って貸している。*2
銚子大映/銚子大映劇場/銚子大暎劇場/銚子大暎
所在地 : 千葉県銚子市馬場町288(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、千葉県銚子市馬場町3-18(1985年・1986年)
開館年 : 1958年9月1日
閉館年 : 1986年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「銚子大映」。1966年・1969年の映画館名簿では「銚子大映劇場」。1975年・1985年の住宅地図では「銚子大映」。1973年・1975年の映画館名簿では「銚子大暎劇場」。1978年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「銚子大暎」。1985年の映画館名簿では経営会社が株式会社大暎興行、経営者が柴谷わか、支配人が畔上キヨ子、木造1階、440席、日活・成人映画を上映。1987年の映画館名簿には掲載されていない。1995年の住宅地図では跡地に「パチンコ国際ホール専用駐車場」。跡地はアパート「メゾンブリエA棟」。最寄駅は銚子電気鉄道線観音駅。

1958年9月1日、大映興行は池袋駅東口に「池袋大映」と「池袋大映名画座」を新築する。地上3階・地下1階建てであり、池袋大映名画座は地下に入る。同日には兵庫県明石市錦江町の既存館「明石平和」を賃借して「明石大映」とし、千葉県銚子市馬場町の既存館を賃借して「銚子大映」とする。これにより、大映興行の直営館は全国で32館となる。*3
銚子座/銚子日活/銚子日活劇場/テアトル銚子
所在地 : 千葉県海上郡銚子町(1925年・1927年)、千葉県海上郡銚子町154(1930年)、千葉県銚子市馬場町(1936年・1943年)、千葉県銚子市馬場町154(1947年)、千葉県銚子市馬場町(1950年)、千葉県銚子市馬場町154(1953年・1955年)、千葉県銚子市馬場町143(1958年・1960年)、千葉県銚子市馬場町154(1963年・1966年・1969年)、千葉県銚子市馬場町288(1973年・1975年)、千葉県銚子市馬場町154(1978年・1980年)、千葉県銚子市陣屋町2-17(1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1925年以前、1945年12月
閉館年 : 1987年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1945年12月開館。1925年の映画館名簿では「銚子館」。1927年・1930年・1936年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「銚子座」。1960年・1963年の映画館名簿では「銚子日活」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「銚子日活劇場」。1975年の住宅地図では「銚子日活」。1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「テアトル銚子」。1985年の住宅地図では「テアトル銚子」。1987年の映画館名簿では経営会社が柏木興行、経営者が柏木正雄、支配人が佐野平二、鉄筋造2階、309席、東宝を上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。1995年の住宅地図では跡地に「駐車場」。跡地は千葉県道244号・254号馬場町交差点北西40mの月極駐車場。最寄駅は銚子電気鉄道線観音駅。

1930年の『大日本職業別明細図 第201号』には、「銚楽座」「銚子座」「銚盛館」が描かれている。*4
銚子映劇/銚子東宝映画劇場/銚子映画劇場/銚子エイゲキ
所在地 : 千葉県銚子市陣屋町128(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、千葉県銚子市陣屋町2-20(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 2006年2月
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「銚子映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「銚子映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「銚子東宝映画劇場」。1973年・1975年・1985年の住宅地図では「銚子映画劇場」。1975年・1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「銚子映画劇場」。1995年の住宅地図では「銚子エイゲキ」。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「銚子エイゲキ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は千葉県道244号・254号馬場町交差点西北西70mの民家。最寄駅は銚子電気鉄道線観音駅。

1952年12月のこのほど、銚子市陣屋町に洋画専門館「銚子映画劇場」が開館した。オープニングは『ヴァージニアの決闘』。館主は柏木正雄。木造平屋建てモルタル塗り、80坪。椅子席280。銚子市初の洋画館であり、銚子市の映画館は4館となった。*5
銚子東映劇場/銚子東映/銚子マリン1・2
所在地 : 千葉県銚子市東町285(1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、千葉県銚子市東町3-1(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 2006年2月
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「銚子東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「銚子東映劇場」。1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「銚子東映」。1975年・1985年の住宅地図では「銚子東映」。1995年の住宅地図では「銚子マリン1・2」。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「銚子マリン1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場「天金専用駐車場」・「高津医院専用駐車場」。最寄駅は銚子電気鉄道線観音駅。
銚子中央映画劇場/銚子セントラル劇場/銚子セントラル
所在地 : 千葉県銚子市末広町4-281(1958年)、千葉県銚子市末広町(1960年)、千葉県銚子市末広町4-281(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、千葉県銚子市末広町5-12(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2007年2月2日
Wikipedia : 銚子セントラル
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「銚子中央映画劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「銚子セントラル」。1969年の映画館名簿では「銚子セントラル劇場」。1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「銚子セントラル」。1985年の住宅地図では「セントラル劇場」。1995年の住宅地図では「銚子セントラル劇場」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。銚子市最後の従来型映画館。跡地は「銚子信用金庫本店」南東120mの月極駐車場。最寄駅はJR総武本線銚子駅または銚子電気鉄道線仲ノ町駅。

1960年6月10日、銚子市末広町4-281の「銚子セントラル劇場」隣家から出火し、スクリーンや天井など約400平方メートルが半焼した。怪我人はいない。損害額は約300万円。経営は柏木正雄。*6

1960年7月10日、銚子市の「銚子セントラル」が類焼によって半焼した。*7

2007年2月2日、銚子市末広町の映画館「銚子セントラル劇場」が閉館する。かつて銚子市には8館の映画館があったが、銚子セントラル劇場の閉館でシネコン以外の単独映画館はすべて消えることとなる。2006年2月には「銚子マリン1・2」と「銚子映劇」も閉館していた。1958年には洋画専門館「中劇」が開館。その後中劇は銚子セントラル劇場に改称し、洋画・邦画問わず上映するようになった。銚子セントラル劇場では『タイタニック』と『千と千尋の神隠し』が大ヒットとなった。最終日まで『大奥』を上映している。閉館後の2月4日にはファン感謝デーが開催され、最後の無料上映会が行われる。*8
イオンシネマ銚子
所在地 : 千葉県銚子市三崎町2-2660-1 イオンモール銚子2階(2015年・2020年)
開館年 : 2010年3月16日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ銚子シネマ1-5」(5館)。最寄駅はJR総武本線松岸駅。

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