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hekikaicinema 2026年08月25日(火) 13:34:38履歴
所在地 : 東京市神田区
開館年 : 1909年6月
閉館年 : 不明
1909年6月、新宿に「大幸館」が、本所に「第一ポ館」が、麹町に「番町演芸館」が、日本橋に「大森館」が、神田に「亀鶴館」が、深川に「桜館」が開館した。*3
開館年 : 1909年6月
閉館年 : 不明
1909年6月、新宿に「大幸館」が、本所に「第一ポ館」が、麹町に「番町演芸館」が、日本橋に「大森館」が、神田に「亀鶴館」が、深川に「桜館」が開館した。*3
所在地 : 東京市神田区
開館年 : 1909年10月
閉館年 : 不明
1909年10月、京橋に「八丁堀電気館」が、新宿に「福寿館」が、深川に「寿館」が、神田に「敷島館」が、本郷に「真砂館」が、深川に「深川桜木館」が、神田に「天下座」が、浅草公園に「日進館」が開館した。*4
開館年 : 1909年10月
閉館年 : 不明
1909年10月、京橋に「八丁堀電気館」が、新宿に「福寿館」が、深川に「寿館」が、神田に「敷島館」が、本郷に「真砂館」が、深川に「深川桜木館」が、神田に「天下座」が、浅草公園に「日進館」が開館した。*4
所在地 : 東京市神田区
開館年 : 1909年10月
閉館年 : 不明
1909年10月、京橋に「八丁堀電気館」が、新宿に「福寿館」が、深川に「寿館」が、神田に「敷島館」が、本郷に「真砂館」が、深川に「深川桜木館」が、神田に「天下座」が、浅草公園に「日進館」が開館した。*5
開館年 : 1909年10月
閉館年 : 不明
1909年10月、京橋に「八丁堀電気館」が、新宿に「福寿館」が、深川に「寿館」が、神田に「敷島館」が、本郷に「真砂館」が、深川に「深川桜木館」が、神田に「天下座」が、浅草公園に「日進館」が開館した。*5
所在地 : 東京市麹町区 東日児童文化劇場(1941年)
開館年 : 1939年11月17日
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地は「新有楽町ビル」(※2026年時点で再開発中)。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
昭和初期の東京には、児童専門の映画館「東日児童文化劇場」があった。ニュース映画や文化映画を上映しており、ある週の上映作品は、『起ち上る村』、『ポパイの船長』、『望遠鏡』、『村の学校図書館』、『ドナルドの少年団長』、海外ニュースなどだった。*6
1939年10月1日には映画法が施行された。11月17日、東日会館は地下の公演場を映画館「東日児童文化劇場」とし、日本初の児童映画館とした。*7
開館年 : 1939年11月17日
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地は「新有楽町ビル」(※2026年時点で再開発中)。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
昭和初期の東京には、児童専門の映画館「東日児童文化劇場」があった。ニュース映画や文化映画を上映しており、ある週の上映作品は、『起ち上る村』、『ポパイの船長』、『望遠鏡』、『村の学校図書館』、『ドナルドの少年団長』、海外ニュースなどだった。*6
1939年10月1日には映画法が施行された。11月17日、東日会館は地下の公演場を映画館「東日児童文化劇場」とし、日本初の児童映画館とした。*7
所在地 : 東京市神田区三崎町2-40(1941年)
開館年 : 1924年3月
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地は「喜久屋ビル」。最寄駅はJR・都営地下鉄水道橋駅。
1890年8月2日に劇場取締規則が改正され、それまでの劇場を大劇場、道化踊場を小劇場とする区別が行われた。既存の東京十座を守って大劇場を最大10か所とし、小劇場も認可することで実態に即した制度としたものである。1891年6月には「三崎座」が開場した。1915年11月には三崎座が「神田劇場」に改称して再出発した。資本金4万円の株式組織。1923年1月には松竹直営の劇場となり、同年6月からは松竹キネマの映画を上映していたが、同年9月1日には関東大震災に遭った。1924年3月に再興され、沢村訥子らの一座が旗上げ興行を行ったが、1925年3月には松竹の経営から離れた。*8
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*9
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「神田劇場」。*10
開館年 : 1924年3月
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地は「喜久屋ビル」。最寄駅はJR・都営地下鉄水道橋駅。
1890年8月2日に劇場取締規則が改正され、それまでの劇場を大劇場、道化踊場を小劇場とする区別が行われた。既存の東京十座を守って大劇場を最大10か所とし、小劇場も認可することで実態に即した制度としたものである。1891年6月には「三崎座」が開場した。1915年11月には三崎座が「神田劇場」に改称して再出発した。資本金4万円の株式組織。1923年1月には松竹直営の劇場となり、同年6月からは松竹キネマの映画を上映していたが、同年9月1日には関東大震災に遭った。1924年3月に再興され、沢村訥子らの一座が旗上げ興行を行ったが、1925年3月には松竹の経営から離れた。*8
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*9
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「神田劇場」。*10
所在地 : 東京市神田区須田町1(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「メトロ文化財団」が入るビル付近。最寄駅は都営地下鉄新宿線小川町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。小柳町23・24の神田館は定員250。*11
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「神田館」。*12
神田須田町1丁目の映画館「神田館」。東亜キネマ系の邦画専門館であり、寄席の小柳亭の隣にあった。1982年現在の跡地には鉄筋コンクリートの共同ビルが建っている。*13
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「メトロ文化財団」が入るビル付近。最寄駅は都営地下鉄新宿線小川町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。小柳町23・24の神田館は定員250。*11
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「神田館」。*12
神田須田町1丁目の映画館「神田館」。東亜キネマ系の邦画専門館であり、寄席の小柳亭の隣にあった。1982年現在の跡地には鉄筋コンクリートの共同ビルが建っている。*13
所在地 : 東京市神田区鍛治町2(1943年)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1945年頃
跡地は「東園ビル」付近。最寄駅はJR・東京メトロ銀座線神田駅。
1919年、神田区松田町に「神田キネマ」が開館した。1933年の区画整理時の鍛冶町2丁目の地図には神田キネマが描かれている。*14
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。松田町10の神田キネマは定員294。*15
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*16
神田鍛冶町2丁目の映画館「神田キネマ」。神田駅に最も近かった映画館であり、1982年現在の跡地には金属商の徳力本店ビルがある。*17
開館年 : 1919年
閉館年 : 1945年頃
跡地は「東園ビル」付近。最寄駅はJR・東京メトロ銀座線神田駅。
1919年、神田区松田町に「神田キネマ」が開館した。1933年の区画整理時の鍛冶町2丁目の地図には神田キネマが描かれている。*14
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。松田町10の神田キネマは定員294。*15
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*16
神田鍛冶町2丁目の映画館「神田キネマ」。神田駅に最も近かった映画館であり、1982年現在の跡地には金属商の徳力本店ビルがある。*17
所在地 : 東京市神田区五軒町(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「アキバステラキューブ」北西20mのビル付近。最寄駅は東京メトロ銀座線末広町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。外神田6丁目の映画館「日本キネマ」。五軒町1番地の日本キネマは定員245。*18
前身は寄席の新並木亭であり、地下鉄末広町駅から徒歩1〜2分の場所にあった。*19
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「日本キネマ」。*20
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「アキバステラキューブ」北西20mのビル付近。最寄駅は東京メトロ銀座線末広町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。外神田6丁目の映画館「日本キネマ」。五軒町1番地の日本キネマは定員245。*18
前身は寄席の新並木亭であり、地下鉄末広町駅から徒歩1〜2分の場所にあった。*19
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「日本キネマ」。*20
所在地 : 東京市神田区東神田町(1943年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1945年頃
1940年現在の東京興行者協会本神谷支部神田班には14館の興行場がある。神田区東神田町5の「東神田映画劇場」。所有者・興行者は横田玄司、管理人は松川健一。定員は399。*21
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1945年頃
1940年現在の東京興行者協会本神谷支部神田班には14館の興行場がある。神田区東神田町5の「東神田映画劇場」。所有者・興行者は横田玄司、管理人は松川健一。定員は399。*21
所在地 : 東京市神田区小川町3(1943年)
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「インペリアルお茶の水」建物中央部東側。最寄駅は都営地下鉄新宿線小川町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。表神保町1の新声館は定員430。*22
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*23
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「大都館」。*24
神田小川町2丁目の映画館「河合キネマ」。かつて「新声館」と呼ばれており、河合徳三郎が経営者となって河合キネマに改称した。1982年現在の跡地には小川町共同ビルが建っている。*25
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「インペリアルお茶の水」建物中央部東側。最寄駅は都営地下鉄新宿線小川町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。表神保町1の新声館は定員430。*22
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*23
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「大都館」。*24
神田小川町2丁目の映画館「河合キネマ」。かつて「新声館」と呼ばれており、河合徳三郎が経営者となって河合キネマに改称した。1982年現在の跡地には小川町共同ビルが建っている。*25
所在地 : 東京市神田区小川町3(1943年)
開館年 : 1929年1月
閉館年 : 1945年頃
跡地は「シネマリス」があるブロック。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。柳原河岸24号の神田松竹館は定員457。*26
1929年1月、「神田松竹館」が改築落成した。1941年7月、「神田松竹映画劇場」内に松竹楽芸部動画課が設置された。1942年に統制配給が行われると、「神田松竹劇場」は紅系封切場となった。*27
神田小川町3丁目の映画館「神田松竹館」。明治大学から神保町に向かう途中にあり、明治大学の学生が多かったが、戦災で木造の建物が焼失した。1982年現在の跡地にはニュー駿河台ホテルが建っている。*28
1940年現在の東京興行者協会本神谷支部神田班には14館の興行場がある。神田区小川町3-14の「松竹映画劇場」。所有者は大谷竹次郎、興行者は大谷博、管理人は三柴保。定員は362。*29
開館年 : 1929年1月
閉館年 : 1945年頃
跡地は「シネマリス」があるブロック。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。柳原河岸24号の神田松竹館は定員457。*26
1929年1月、「神田松竹館」が改築落成した。1941年7月、「神田松竹映画劇場」内に松竹楽芸部動画課が設置された。1942年に統制配給が行われると、「神田松竹劇場」は紅系封切場となった。*27
神田小川町3丁目の映画館「神田松竹館」。明治大学から神保町に向かう途中にあり、明治大学の学生が多かったが、戦災で木造の建物が焼失した。1982年現在の跡地にはニュー駿河台ホテルが建っている。*28
1940年現在の東京興行者協会本神谷支部神田班には14館の興行場がある。神田区小川町3-14の「松竹映画劇場」。所有者は大谷竹次郎、興行者は大谷博、管理人は三柴保。定員は362。*29
所在地 : 東京都千代田区有楽町1-5(1953年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1953年9月6日
1953年9月6日午後7時5分、千代田区有楽町の「スバル座」1階物置付近から出火し、535坪の劇場が全焼した。観客に死傷者なし。たばこの吸い殻の不始末が原因とみられる。*30
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1953年9月6日
1953年9月6日午後7時5分、千代田区有楽町の「スバル座」1階物置付近から出火し、535坪の劇場が全焼した。観客に死傷者なし。たばこの吸い殻の不始末が原因とみられる。*30
所在地 : 東京都千代田区神田神保町2-6(1963年)
開館年 : 1933年12月
閉館年 : 1963年頃
跡地は「九段観光ビジネス専門学校」が入るビル「AG」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「銀映座」。*33
神田神保町2丁目の映画館「銀映座」。大蔵貢が経営していた洋画専門館であり、後に東映専門館となった後、1960年頃に閉館した。1982年現在の跡地には桔梗屋ビルが建っている。*34
東京・神田の「銀映座」の外観の写真あり。設計は早稲田大学教授の佐藤功一であり、佐藤は早稲田大学大隈講堂や日比谷公会堂も設計している。*35
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*36
開館年 : 1933年12月
閉館年 : 1963年頃
跡地は「九段観光ビジネス専門学校」が入るビル「AG」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「銀映座」。*33
神田神保町2丁目の映画館「銀映座」。大蔵貢が経営していた洋画専門館であり、後に東映専門館となった後、1960年頃に閉館した。1982年現在の跡地には桔梗屋ビルが建っている。*34
東京・神田の「銀映座」の外観の写真あり。設計は早稲田大学教授の佐藤功一であり、佐藤は早稲田大学大隈講堂や日比谷公会堂も設計している。*35
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*36
所在地 : 東京都千代田区有楽町1-2(1964年)
開館年 : 1949年4月
閉館年 : 1964年頃
東京・有楽町の「丸の内日活」の写真あり。「Nikkatsu Theatre」の文字が見える。設計・施工は竹中工務店。*37
開館年 : 1949年4月
閉館年 : 1964年頃
東京・有楽町の「丸の内日活」の写真あり。「Nikkatsu Theatre」の文字が見える。設計・施工は竹中工務店。*37
所在地 : 東京都千代田区神田淡路町2-7(1965年)
開館年 : 1925年以前、1930年4月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「ワテラスアネックス」建物北東部。最寄駅は東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。淡路町2-3のシネマパリスは定員346。*38
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「シネマパレス」。*39
神田淡路町2丁目の洋画専門館「シネマパレス」。1962年頃には閉館し、1982年現在の跡地は駐車場となっている。*40
東京・神田の万世橋詰にあった洋画館「シネマパレス」の外観の写真あり。木下唯親が設計したバラック建築である。1920年公開の『カリガリ博士』などを10年後に上映するなどしていた。*41
開館年 : 1925年以前、1930年4月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「ワテラスアネックス」建物北東部。最寄駅は東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。淡路町2-3のシネマパリスは定員346。*38
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「シネマパレス」。*39
神田淡路町2丁目の洋画専門館「シネマパレス」。1962年頃には閉館し、1982年現在の跡地は駐車場となっている。*40
東京・神田の万世橋詰にあった洋画館「シネマパレス」の外観の写真あり。木下唯親が設計したバラック建築である。1920年公開の『カリガリ博士』などを10年後に上映するなどしていた。*41
所在地 : 東京都千代田区神田神保町1-6(1969年)
開館年 : 1924年6月
閉館年 : 1968年
跡地は「タキイ東京ビル」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。表猿楽町23の日活館は定員639。*43
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「日活館」。*44
東京・神田の「神田日活館」の外観・内部の写真、1階平面図あり。1923年の関東大震災後、1924年頃に吉川清作の設計でバラック建築として建てられた。1998年現在の跡地にはタキイ種苗のビルが建っている。*45
1924年5月、日活によって「神田日活館」が開館した。1929年6月、神田日活館が竣工開館した。1936年12月、日活は神田日活館など22館の直営を廃止した。*46
神田神保町1丁目の封切館「神田日活館」。寄席の喜楽の正面にあり、入口は靖国通りに面していた。*47
1952年の千代田区にあった「神田日活」の写真あり。「kanda nikkatsu」の文字が見える。*48
開館年 : 1924年6月
閉館年 : 1968年
跡地は「タキイ東京ビル」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。表猿楽町23の日活館は定員639。*43
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「日活館」。*44
東京・神田の「神田日活館」の外観・内部の写真、1階平面図あり。1923年の関東大震災後、1924年頃に吉川清作の設計でバラック建築として建てられた。1998年現在の跡地にはタキイ種苗のビルが建っている。*45
1924年5月、日活によって「神田日活館」が開館した。1929年6月、神田日活館が竣工開館した。1936年12月、日活は神田日活館など22館の直営を廃止した。*46
神田神保町1丁目の封切館「神田日活館」。寄席の喜楽の正面にあり、入口は靖国通りに面していた。*47
1952年の千代田区にあった「神田日活」の写真あり。「kanda nikkatsu」の文字が見える。*48
所在地 : 東京都千代田区神田小川町3-9(1970年)
開館年 : 1925年以前、1951年5月
閉館年 : 1970年頃
Wikipedia : 南明館
跡地はオフィスビル「BIZCORE神保町」建物南西部。最寄駅は都営地下鉄新宿線小川町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。表神保町1の南明座は定員480。*49
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*50
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「南明館」。*51
1957年から映画館の増加のペースが低下しており、転廃業した館もある。1958年9月から1959年8月までの1年間に東京都で転廃業した映画館は以下の通り。神田南明座(倉庫に転業)、銀座映画劇場(廃館)、神楽坂銀鈴座(焼失)、新宿グランド(パチンコ屋に転業)、銀座全線座(ダンスホールに転業)、渋谷全線座(貸ホールに転業)、シネマ西荻(廃館)、池袋日活(焼失)、池袋文化映画(パチンコ屋に転業)、弁天座(廃館)、文芸坐(廃館)、文芸地下(廃館)、人生坐(廃館)、大山映画劇場(廃館)、町田中央(廃館)。*52
神田小川町3丁目の映画館「南明座」。明治時代に建った「南明館」が前身であり、フランス映画の多い洋画専門館だった。1965年頃に閉館し、1982年現在の跡地には高層マンションのインペリアル御茶の水が建っている。*53
開館年 : 1925年以前、1951年5月
閉館年 : 1970年頃
Wikipedia : 南明館
跡地はオフィスビル「BIZCORE神保町」建物南西部。最寄駅は都営地下鉄新宿線小川町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。表神保町1の南明座は定員480。*49
1933年の『大日本職業別明細図 第354号』「日本橋区神田区」には、「神田キネマ」、「神田劇場」、「南明座」、「河合キネマ」が描かれている。*50
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「南明館」。*51
1957年から映画館の増加のペースが低下しており、転廃業した館もある。1958年9月から1959年8月までの1年間に東京都で転廃業した映画館は以下の通り。神田南明座(倉庫に転業)、銀座映画劇場(廃館)、神楽坂銀鈴座(焼失)、新宿グランド(パチンコ屋に転業)、銀座全線座(ダンスホールに転業)、渋谷全線座(貸ホールに転業)、シネマ西荻(廃館)、池袋日活(焼失)、池袋文化映画(パチンコ屋に転業)、弁天座(廃館)、文芸坐(廃館)、文芸地下(廃館)、人生坐(廃館)、大山映画劇場(廃館)、町田中央(廃館)。*52
神田小川町3丁目の映画館「南明座」。明治時代に建った「南明館」が前身であり、フランス映画の多い洋画専門館だった。1965年頃に閉館し、1982年現在の跡地には高層マンションのインペリアル御茶の水が建っている。*53
所在地 : 東京都千代田区神田神保町2-11(1970年)
開館年 : 1921年12月、1928年(建て替え)
閉館年 : 1970年以後1973年以前
Wikipedia : 東洋キネマ
跡地は「住友商事神保町ビル」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。南神保町4の東洋キネマは定員750。*54
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「東洋キネマ」。*55
1957年の千代田区神田神保町にあった「東洋シネマ」の写真あり。『戦塵』や『ダニー・ケイの牛乳屋』の看板が見える。*56
神田神保町2丁目の映画館「東洋キネマ」。間口12間から13間の堂々とした建物であり、1982年現在も建物が現存している。正面左側の2階にはバルコニーがある。*57
「東洋キネマ」に言及している書籍として、伊藤隆之『看板建築・モダンビル・レトロアパート』グラフィック社、2014年がある。*58
開館年 : 1921年12月、1928年(建て替え)
閉館年 : 1970年以後1973年以前
Wikipedia : 東洋キネマ
跡地は「住友商事神保町ビル」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
1927年現在の神田区にある活動写真館は、「日活館」、「東洋キネマ」、「シネマパリス」、「神田館」、「神田キネマ」、「南明座」、「新声館」、「神田松竹館」、「日本キネマ」。南神保町4の東洋キネマは定員750。*54
戦前発行の『大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図』では「東洋キネマ」。*55
1957年の千代田区神田神保町にあった「東洋シネマ」の写真あり。『戦塵』や『ダニー・ケイの牛乳屋』の看板が見える。*56
神田神保町2丁目の映画館「東洋キネマ」。間口12間から13間の堂々とした建物であり、1982年現在も建物が現存している。正面左側の2階にはバルコニーがある。*57
「東洋キネマ」に言及している書籍として、伊藤隆之『看板建築・モダンビル・レトロアパート』グラフィック社、2014年がある。*58
所在地 : 東京都千代田区有楽町2-5-1(1980年)
開館年 : 1933年12月24日
閉館年 : 1981年2月22日
Wikipedia : 日本劇場
跡地は有楽町センタービル。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
1930年の『大日本職業別明細図 第214号』「麹町区」には、「帝国劇場」、「邦楽座」、「日本映画株式会社建築場」(※後の日本劇場)が描かれている。*64
1934年の『大東京区分図三十五区之内 麹町区詳細図』では「日本劇場」。*65
1952年3月17日、日本劇場5階に新形式のショウ劇場「日劇ミュージック・ホール」が開場した。*66
「日本劇場」。設計は渡邊仁建築事務所。鉄筋混凝土造、地下3階・地上7階建。定員4000人。*67
東京・有楽町の「日本劇場」の外観・内部の写真あり。戦前の日本を代表する映画館であり、パリのゴーモン・パラス、ニューヨークのロキシー劇場と比較される。収容人員は4000人。設計者は戦前の日本を代表する建築家の渡辺仁であり、銀座の和光、日比谷の第一生命館、上野の国立博物館なども設計している。*68
開館年 : 1933年12月24日
閉館年 : 1981年2月22日
Wikipedia : 日本劇場
跡地は有楽町センタービル。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
1930年の『大日本職業別明細図 第214号』「麹町区」には、「帝国劇場」、「邦楽座」、「日本映画株式会社建築場」(※後の日本劇場)が描かれている。*64
1934年の『大東京区分図三十五区之内 麹町区詳細図』では「日本劇場」。*65
1952年3月17日、日本劇場5階に新形式のショウ劇場「日劇ミュージック・ホール」が開場した。*66
「日本劇場」。設計は渡邊仁建築事務所。鉄筋混凝土造、地下3階・地上7階建。定員4000人。*67
東京・有楽町の「日本劇場」の外観・内部の写真あり。戦前の日本を代表する映画館であり、パリのゴーモン・パラス、ニューヨークのロキシー劇場と比較される。収容人員は4000人。設計者は戦前の日本を代表する建築家の渡辺仁であり、銀座の和光、日比谷の第一生命館、上野の国立博物館なども設計している。*68
所在地 : 東京都千代田区有楽町2-6-1(1980年)
開館年 : 1923年12月、1957年
閉館年 : 1984年10月2日
跡地は「有楽町センタービル別館」。
麹町区の「邦楽座」はもともと芝居興行を行う劇場だったが、1927年4月にパラマウント社と契約して常設映画館となり、高級映画館として観客を集めている。定員は800。*69
1930年の『大日本職業別明細図 第214号』「麹町区」には、「帝国劇場」、「邦楽座」、「日本映画株式会社建築場」(※後の日本劇場)が描かれている。*70
1934年の『大東京区分図三十五区之内 麹町区詳細図』では「松竹劇場」。*71
1962年9月、松竹直営館「丸の内松竹」が外画ロードショー館に転向した。*72
開館年 : 1923年12月、1957年
閉館年 : 1984年10月2日
跡地は「有楽町センタービル別館」。
麹町区の「邦楽座」はもともと芝居興行を行う劇場だったが、1927年4月にパラマウント社と契約して常設映画館となり、高級映画館として観客を集めている。定員は800。*69
1930年の『大日本職業別明細図 第214号』「麹町区」には、「帝国劇場」、「邦楽座」、「日本映画株式会社建築場」(※後の日本劇場)が描かれている。*70
1934年の『大東京区分図三十五区之内 麹町区詳細図』では「松竹劇場」。*71
1962年9月、松竹直営館「丸の内松竹」が外画ロードショー館に転向した。*72
所在地 : 東京都千代田区有楽町1-2-3(1980年)
開館年 : 1934年2月1日
閉館年 : 1984年11月11日
Wikipedia : 日比谷映画
跡地は「日比谷シャンテ」北端部。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄日比谷駅。
1934年2月1日、東京市に東宝経営館「日比谷映画劇場」が開館した。直前の1月24日には、東宝本社が三信ビルから日比谷映画劇場内に移転している。1935年3月14日、東宝本社が日比谷映画劇場から日本劇場4階に移転した。*76
1934年の『大東京区分図三十五区之内 麹町区詳細図』では「日比谷映画劇場」。*77
「日比谷映画劇場」。設計は阿部美樹志。鉄筋コンクリート造、定員2000人。*78
東京・有楽町の「日比谷映画劇場」の外観・内部の写真あり。山手線を挟んで「日本劇場」と並び立っており、周囲には「東京宝塚劇場」もあった。完全な円形の映画館として強い存在感があった。設計は阿部美樹志であり、阿部は「新宿松竹館」も設計している。*79
1984年11月、東宝直営館「日比谷映画劇場」が閉館した。*80
開館年 : 1934年2月1日
閉館年 : 1984年11月11日
Wikipedia : 日比谷映画
跡地は「日比谷シャンテ」北端部。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄日比谷駅。
1934年2月1日、東京市に東宝経営館「日比谷映画劇場」が開館した。直前の1月24日には、東宝本社が三信ビルから日比谷映画劇場内に移転している。1935年3月14日、東宝本社が日比谷映画劇場から日本劇場4階に移転した。*76
1934年の『大東京区分図三十五区之内 麹町区詳細図』では「日比谷映画劇場」。*77
「日比谷映画劇場」。設計は阿部美樹志。鉄筋コンクリート造、定員2000人。*78
東京・有楽町の「日比谷映画劇場」の外観・内部の写真あり。山手線を挟んで「日本劇場」と並び立っており、周囲には「東京宝塚劇場」もあった。完全な円形の映画館として強い存在感があった。設計は阿部美樹志であり、阿部は「新宿松竹館」も設計している。*79
1984年11月、東宝直営館「日比谷映画劇場」が閉館した。*80
所在地 : 東京都千代田区有楽町1-1-3(1995年)
開館年 : 1940年4月16日、1955年7月14日
閉館年 : 1998年1月18日
跡地は2000年竣工の「東京宝塚ビル」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄日比谷駅。
1940年4月16日、東京市に東宝経営館「東宝四階劇場」が開館し、『土と兵隊』を上映した。1955年7月13日、東京宝塚劇場4階に「スカラ座」が新築開館し、『戦略空軍命令』を上映した。*81
開館年 : 1940年4月16日、1955年7月14日
閉館年 : 1998年1月18日
跡地は2000年竣工の「東京宝塚ビル」。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄日比谷駅。
1940年4月16日、東京市に東宝経営館「東宝四階劇場」が開館し、『土と兵隊』を上映した。1955年7月13日、東京宝塚劇場4階に「スカラ座」が新築開館し、『戦略空軍命令』を上映した。*81
所在地 : 東京都千代田区有楽町2-8-6(2000年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 2004年2月27日
跡地は2007年竣工の商業ビル「有楽町イトシア」。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
「シネ・ラ・セット」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*82
開館年 : 1957年
閉館年 : 2004年2月27日
跡地は2007年竣工の商業ビル「有楽町イトシア」。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
「シネ・ラ・セット」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*82
所在地 : 東京都千代田区有楽町2-2-3 ニュートーキョービル3階(2015年)
開館年 : 1957年10月9日
閉館年 : 2015年2月27日
Wikipedia : TOHOシネマズ有楽座
跡地は「ヒューリックスクエア東京」建物中央部。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
1962年4月18日、大映封切館の「みゆき座」が洋画ロードショー館に転向する。オープニングはメトロ作品『私生活』など。これに伴い、洋画アクション特選館「スキヤバシ東宝」が「スキヤバシ映画劇場」に改称して大映封切館に転向する。オープニングは『閉店時間』と『座頭市物語』。*86
1962年4月18日、「スキヤ橋東宝」が「スキヤ橋映劇」に改称して大映封切館となった。*87
開館年 : 1957年10月9日
閉館年 : 2015年2月27日
Wikipedia : TOHOシネマズ有楽座
跡地は「ヒューリックスクエア東京」建物中央部。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
1962年4月18日、大映封切館の「みゆき座」が洋画ロードショー館に転向する。オープニングはメトロ作品『私生活』など。これに伴い、洋画アクション特選館「スキヤバシ東宝」が「スキヤバシ映画劇場」に改称して大映封切館に転向する。オープニングは『閉店時間』と『座頭市物語』。*86
1962年4月18日、「スキヤ橋東宝」が「スキヤ橋映劇」に改称して大映封切館となった。*87
所在地 : 東京都千代田区有楽町2-5-1(2015年)
開館年 : 1984年10月6日
閉館年 : 2018年2月4日
Wikipedia : TOHOシネマズ日劇
映画館が入っていた「有楽町センタービル」は現存。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
1984年10月6日、千代田区有楽町2-5-1の有楽町マリオンに「ピカデリー1」(913席)、「ピカデリー2」(689席)、「日本劇場」(1008席)、「日劇東宝」(708席)、「日劇プラザ」(554席)の5館が開館した。*88
1984年10月、東宝直営館「日劇・日劇プラザ・日劇東宝」が開館した。*89
開館年 : 1984年10月6日
閉館年 : 2018年2月4日
Wikipedia : TOHOシネマズ日劇
映画館が入っていた「有楽町センタービル」は現存。最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
1984年10月6日、千代田区有楽町2-5-1の有楽町マリオンに「ピカデリー1」(913席)、「ピカデリー2」(689席)、「日本劇場」(1008席)、「日劇東宝」(708席)、「日劇プラザ」(554席)の5館が開館した。*88
1984年10月、東宝直営館「日劇・日劇プラザ・日劇東宝」が開館した。*89
所在地 : 東京都千代田区有楽町1-1-3 東京宝塚ビル地下(2025年)
開館年 : 2000年12月16日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : TOHOシネマズスカラ座
最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄日比谷駅。
2000年12月16日、千代田区有楽町1-1-3に656席の「スカラ座1」と184席の「スカラ座2」が開館した。旧東京宝塚劇場の跡地。*100
「みゆき座」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*101
開館年 : 2000年12月16日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : TOHOシネマズスカラ座
最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄日比谷駅。
2000年12月16日、千代田区有楽町1-1-3に656席の「スカラ座1」と184席の「スカラ座2」が開館した。旧東京宝塚劇場の跡地。*100
「みゆき座」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*101
所在地 : 東京都千代田区有楽町1-11-1 読売会館8階(2025年)
開館年 : 2004年4月24日(シネカノン)、2011年2月19日(角川シネマ)
閉館年 : 営業中
公式サイト : 角川シネマ有楽町
最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
開館年 : 2004年4月24日(シネカノン)、2011年2月19日(角川シネマ)
閉館年 : 営業中
公式サイト : 角川シネマ有楽町
最寄駅はJR・東京メトロ有楽町駅。
所在地 : 東京都千代田区外神田4-14-1 秋葉原UDX 4階(2025年)
開館年 : 2006年3月9日
閉館年 : 営業中
公式サイト : UDXシアター
最寄駅はJR・東京メトロ・つくばエクスプレス秋葉原駅。
開館年 : 2006年3月9日
閉館年 : 営業中
公式サイト : UDXシアター
最寄駅はJR・東京メトロ・つくばエクスプレス秋葉原駅。
所在地 : 東京都千代田区神田小川町3-14-3 ilusa地下1階(2026年)
開館年 : 2025年12月19日
閉館年 : 営業中
公式サイト : シネマリス
最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
2025年12月19日、東京・神保町にミニシアター「CineMalice」(シネマリス)が開館する予定。オープニングとしていずれもマレーシア映画の『タレンタイム 優しい歌』と『私は何度も私になる』を上映する。2スクリーンを有し、シアター1ではロードショーと特集上映を、シアター2では準新作・旧作の上映を行う。シアター2にはサブスク制を導入する。今年6月から8月に実施したクラウドファンディングでは設定目標額の293%、累計支援者数1479人、2143万9800円という異例の成果を上げた。*102
開館年 : 2025年12月19日
閉館年 : 営業中
公式サイト : シネマリス
最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄神保町駅。
2025年12月19日、東京・神保町にミニシアター「CineMalice」(シネマリス)が開館する予定。オープニングとしていずれもマレーシア映画の『タレンタイム 優しい歌』と『私は何度も私になる』を上映する。2スクリーンを有し、シアター1ではロードショーと特集上映を、シアター2では準新作・旧作の上映を行う。シアター2にはサブスク制を導入する。今年6月から8月に実施したクラウドファンディングでは設定目標額の293%、累計支援者数1479人、2143万9800円という異例の成果を上げた。*102

このページへのコメント
東京都千代田区にあった「丸の内日活」ですが、建物の外観写真や開館記念のパンフレット(Web検索で見つけました)では「丸ノ内日活劇場」となっています。従って正式名称は「丸の内日活」ではなく「丸ノ内日活劇場」ではないでしょうか。ご確認願いします。
https://mumeisha.fool.jp/ 返信数(1)
コメントありがとうございます。
名称についてですが、映画館名簿にはどのような名称で掲載されているか、という観点で掲載しています。この映画館名簿の場合ですと、1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿には「丸の内日活」として掲載されています。
実際に用いていた表記(今回の場合は丸ノ内日活劇場)と興行組合に登録している表記(丸の内日活)がぶれることは多くあったようです。