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弘前市

弘前市の映画館
「弘前東宝」と「スカラ座」は経営者が同じであり、弘前東宝は東宝の封切館であり、スカラ座は洋画の封切館である。「弘前大映慈善館」は大映封切館である。百石町には松竹直営で松竹封切館の「弘前大和館」がある。「弘前東映」は東映直営である。「弘前日活」は国営社直営で日活と新東宝の封切館である。「国際劇場」は洋画封切館である。「国民劇場」は洋画番外である。弘前駅前には「弘前ニュース劇場」がある。駅前劇場の通称を持つ「弘前映画劇場」は東映二番館かつ日活と新東宝の再映館である。百石町には洋画の「有楽座」、大映と新東宝ほかの再映館である「弘前オリオン座」、松竹や東宝ほかの再映館である「弘前日本劇場」がある。洋画再映館の「光映画劇場」は1956年春に焼失したが、現在再建中で近く開館の見込みである。*1

弘前市は青森市・八戸市に次いで第3位の人口14万人を持ち、映画館は14館がある。市街地は戦災を受けておらず、乞食が1人もいないといわれるほど住みよい町である。弘前大映慈善館、弘前ニュース劇場、弘前映画劇場、弘前オリオン座、国際劇場、弘前東宝、スカラ座、国民劇場、有楽座、弘前東映劇場、弘前日本劇場、弘前大和館、光映画劇場、弘前日活の写真あり。*2
目屋劇場
所在地 : 青森県弘前市桜庭町清水流(1958年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「目屋劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
石川旭館
所在地 : 青森県弘前市石川(1958年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「石川旭館」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
弘前大町劇場
所在地 : 青森県弘前市大町1-96(1961年)
開館年 : 1960年8月
閉館年 : 1961年1月12日
1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「弘前大町劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年11月2日、弘前市の「大町劇場」の経営が東宝関東興行に変更され、東宝二番と新東宝封切で新発足した。なお、弘前市の「銀星座」が経営不振のために閉館し、パチンコ店に転業した。*3

1960年11月2日、弘前市の弘前駅前にある邦画各社二番館「大町劇場」が東宝関東興行の傘下に入った。*4

1961年1月12日、弘前市大町1-96の「大町劇場」が隣家からの出火で類焼した。1960年8月に新築されたばかりであり、11月には関東興業の直営館となっていた。*5
竹谷劇場
所在地 : 青森県中津軽郡岩木村大浦(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「竹谷劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
斎藤劇場
所在地 : 青森県弘前市三和川合(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1962年5月13日
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「斎藤劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1962年5月13日、弘前市三和町の「斎藤劇場」が全焼した。原因は電気コンロの不始末。*6
弘前文映座
所在地 : 青森県弘前市南東町51(1958年)、青森県弘前市和徳稲田(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「弘前文映座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
弘前日活館
所在地 : 青森県弘前市桶屋町5(1958年)、青森県弘前市桶屋町(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「弘前日活館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年3月第1週、弘前市桶屋町の「弘前日活館」は第二東映上映館に転向した。経営は国映社。*7

1960年春のこのほど、弘前市桶屋町の「弘前日活館」は「弘前第二東映」に改称して第二東映上映館に転向した。経営は国映社。1960年3月19日、弘前市百石町の大映二番館「銀星座」は新東宝併映となった。*8
光映画劇場/銀星座
所在地 : 青森県弘前市鍛冶町37(1958年・1960年)
開館年 : 1955年12月3日
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「光映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年12月3日、弘前市に洋画二番館「光映画劇場」(光映劇)が開館した。社長は緒沢千寿。支配人は相馬鉄男。*9

1957年7月3日、弘前市に洋画専門館「弘前光映画劇場」(弘前光映劇)が開館した。4月に半焼し、350万円で再建された。社長は諸沢千寿。*10

1960年4月4日、弘前市鍛冶町37の「光映画劇場」が場内改装を終え、「銀星座」に改称して開館した。経営は三星興業となった。*11

1960年春のこのほど、弘前市桶屋町の「弘前日活館」は「弘前第二東映」に改称して第二東映上映館に転向した。経営は国映社。1960年3月19日、弘前市百石町の大映二番館「銀星座」は新東宝併映となった。*12
大浦座/大浦劇場
所在地 : 青森県中津軽郡大浦村賀田(1953年)、青森県中津軽郡大浦村字賀田(1955年)、青森県中津軽郡岩木村(1960年)、青森県中津軽郡岩木町大浦(1963年)
開館年 : 1947年4月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年4月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「大浦座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「大浦劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
高杉映画劇場
所在地 : 青森県弘前市高杉町241(1958年)、青森県弘前市高杉五反田(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「高杉映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
大和館/弘前大和館/松竹大和館/弘前松竹大和館/弘前日活劇場
所在地 : 青森県弘前市大字百石町(1930年)、青森県弘前市百石町50(1936年)、青森県弘前市百石町(1943年)、青森県弘前市百石町61(1947年)、青森県弘前市百石町50(1950年・1953年・1955年・1958年)、青森県弘前市百石町(1960年)、青森県弘前市百石町50(1963年)
開館年 : 1917年8月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1917年8月開館。1930年・1936年・1943年の映画館名簿では「大和館」。1947年の映画館名簿では「松竹大和館」。1950年の映画館名簿では「弘前大和館」。1953年の映画館名簿では「松竹大和館」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「弘前松竹大和館」。1963年の映画館名簿では「弘前日活劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1962年4月25日、弘前市の「日活大和館」が日活の直営館となった。経営は傍系の太陽企業。日活が経営の戸沢武と劇場賃借契約を結んだ。木造2階建て、定員480人。*13

1963年1月31日、弘前市の「弘前日活劇場」ボイラー室から出火して全焼した。損害約4500万円。弘前市ではここ数年で7軒もの劇場火災が起こっている。支配人は中村敏男。*14

1963年1月30日、弘前市の「弘前日活」が火災で焼失した。3月24日、「弘前東宝劇場」が日活直営館として再発足した。*15
茂森映画劇場
所在地 : 青森県弘前市茂森町(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「茂森映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年2月15日午後7時50分頃、弘前市の「茂森映画劇場」から出火し、劇場が全焼した。原因はボイラーの過熱。*16

1960年2月15日、弘前市茂森町の「茂森映劇」が全焼した。原因はボイラ―の過熱。*17
弘前映画劇場/弘前駅前東映/弘前駅前東映劇場
所在地 : 青森県弘前市和徳松ケ枝(1950年)、青森県弘前市駅前通り(1953年)、青森県弘前市和徳字松ケ枝30(1955年・1958年)、青森県弘前市和徳松ケ枝30(1960年・1963年)、青森県弘前市大字和徳松ケ枝30(1966年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「弘前映画劇場」。1963年の映画館名簿では「弘前駅前東映」。1966年の映画館名簿では「弘前駅前東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1966年2月、東映直営館「弘前駅前東映」が閉館した。*18
大映慈善館/弘前大映慈善館
所在地 : 青森県弘前市山道町32(1930年・1936年)、青森県弘前市山道町(1943年)、青森県弘前市山道町25(1947年)、青森県弘前市山道町(1950年)、青森県弘前市山道町32(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、青森県弘前市大字山道町32(1966年)
開館年 : 1914年9月
閉館年 : 1966年3月
『全国映画館総覧 1955』によると1914年9月開館。1930年・1936年・1943年・1947年・1950年・1953年の映画館名簿では「慈善館」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「弘前大映慈善館」。1963年の映画館名簿では「大映慈善館」。1966年の映画館名簿では「弘前大映慈善館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1914年、弘前初の活動写真常設館「慈善館」が山道町に開館した。*19

1966年3月、大映直営館「弘前大映」が大映との賃借契約を解約された。*20
国際劇場/弘前国際劇場
所在地 : 青森県弘前市桶屋町5(1958年)、青森県弘前市桶屋町(1960年)、青森県弘前市新鍛冶町41(1963年)、青森県弘前市桶屋町(1966年)、青森県弘前市桶屋町5(1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「国際劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「弘前国際劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
弘前キネマ/弘前国民映劇/弘前国民映画劇場/弘前セントラル国劇/弘前国民劇場/弘前大映劇場
所在地 : 青森県弘前市新鍛冶町(1930年)、青森県弘前市新鍛冶町41(1936年)、青森県弘前市新鍛冶町(1943年・1947年・1950年)、青森県弘前市新鍛冶町41(1953年・1955年)、青森県弘前市新鍛冶町1(1958年)、青森県弘前市新鍛冶町41(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1925年9月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1925年9月開館。1930年・1936年の映画館名簿では「弘前キネマ」。1943年の映画館名簿では「弘前国民映劇」。1947年・1950年の映画館名簿では「弘前国民映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「国民映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「弘前セントラル国劇」。1963年・1966年の映画館名簿では「弘前国民劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「弘前大映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
昭和座/昭和館/弘前日本映画劇場/弘前日本劇場/弘前日劇
所在地 : 青森県弘前市南横町38(1936年)、青森県弘前市南横町(1943年)、青森県弘前市南横町45(1953年・1955年・1958年・1960年)、青森県弘前市南横町56(1963年)、青森県弘前市南横町45(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1930年6月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1930年6月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「昭和座」。1943年の映画館名簿では「昭和館」。1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「弘前日本映画劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「弘前日本劇場」。1973年の映画館名簿では「弘前日劇」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。
弘前有楽座・弘前有楽ニュース/弘前有楽座・弘前名画座/弘前松竹/弘前松竹名画座・弘前松竹/弘前文化名画座・弘前文化劇場
所在地 : 青森県弘前市百石町56(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1977年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1977年頃
1958年の映画館名簿では「弘前有楽座・弘前有楽ニュース」(2館)。1960年の映画館名簿では「弘前有楽座・弘前名画座」(2館)。1963年の映画館名簿では「弘前松竹」。1966年の映画館名簿では「弘前松竹名画座・弘前松竹」(2館)。1969年・1973年・1975年・1977年の映画館名簿では「弘前文化名画座・弘前文化劇場」(2館)。1978年の映画館名簿には掲載されていない。
弘前宝塚劇場
所在地 : 青森県弘前市和徳松ヶ枝町33-21(1963年)、青森県弘前市大字和徳松ケ枝33-27(1966年)、青森県弘前市駅前町1-1-10(1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1986年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1986年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「弘前宝塚劇場」。1987年の映画館名簿には掲載されていない。
弘前ニューミラノ
所在地 : 青森県弘前市大字本町87-5(1985年)、青森県弘前市本町87-5(1990年・1991年)
開館年 : 1984年頃
閉館年 : 1991年頃
1984年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1991年の映画館名簿では「弘前ニューミラノ」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。
弘前ニュース劇場/弘前駅前日活劇場/弘前駅前日活
所在地 : 青森県弘前市弘前駅前広場(1958年)、青森県弘前市和徳稲田95(1960年)、青森県弘前市大町1(1963年・1966年)、青森県弘前市大字和徳稲田95(1969年)、青森県弘前市駅前町1-7(1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1991年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1991年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「弘前ニュース劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「弘前駅前日活劇場」。1975年・1978年の映画館名簿では「弘前駅前日活」。1980年・1985年の映画館名簿では「弘前駅前日活劇場」。1990年・1991年の映画館名簿では「弘前駅前日活」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。
中央劇場/弘前東映劇場
所在地 : 青森県弘前市百石町1(1953年・1955年・1958年)、青森県弘前市百石町(1960年)、青森県弘前市百石町1(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1992年)
開館年 : 1951年6月
閉館年 : 1992年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「中央劇場」。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1992年の映画館名簿では「弘前東映劇場」。1993年の映画館名簿には掲載されていない。

1958年8月9日、弘前市の東映直営館「弘前東映」が新装開館する。3月から改築中だった。*21
弘前ミラノ座/弘前ミラノ座1・2/弘前ミラノ1・2
所在地 : 青森県弘前市鍛冶町(1977年・1978年・1980年)、青森県弘前市鍛冶町43(1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1976年頃
閉館年 : 1995年頃
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1977年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「弘前ミラノ座」。1990年の映画館名簿では「弘前ミラノ座1・2」(2館)。1995年の映画館名簿では「弘前ミラノ1・2」(2館)。1996年の映画館名簿には掲載されていない。
オリオン座/弘前オリオン座/ニューオリオン・松竹オリオン座/弘前松竹・弘前オリオン座/弘前オリオン1・2
所在地 : 青森県弘前市鞘師町25(1958年)、青森県弘前市上鞘師町(1960年)、青森県弘前市上鞘師町25(1963年・1966年・1969年)、青森県弘前市元寺町35(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1955年以後1958年以前、1975年(ビル化)
閉館年 : 1995年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「オリオン座」。1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「弘前オリオン座」。1978年の映画館名簿では「ニューオリオン・松竹オリオン座」(2館)。1980年・1985年の映画館名簿では「弘前松竹・弘前オリオン座」(2館)。1990年・1995年の映画館名簿では「弘前オリオン1・2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「オリオン歯科クリニック」。

1975年、弘前市元寺町に3階建ての「オリオン会館」が建てられた。1984年にはオリオン会館を立てた工藤長が死去した。1988年4月24日のオリオン会館の写真あり。2021年現在もオリオン会館の建物はオリオン歯科が利用している。*22
弘前座/東宝映画劇場/弘前東宝映画劇場/弘前東宝映画劇場・東宝小劇場/弘前東宝映画劇場・スカラ座/弘前日活劇場・スカラ座/弘前東宝劇場・弘前スカラ座/弘前東宝スカラ/弘前東宝・弘前東宝スカラ
所在地 : 青森県弘前市元寺町(1930年)、青森県弘前市元寺町36(1936年)、青森県弘前市元寺町(1943年)、青森県弘前市元寺町36(1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)、青森県弘前市元寺町、元寺町36(1966年・1969年)、青森県弘前市元寺町36(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1919年8月、1950年6月(2館化)
閉館年 : 1995年頃
『全国映画館総覧 1955』によると弘前東宝映画劇場が1919年8月開館、東宝小劇場が1950年6月開館。1930年・1936年の映画館名簿では「弘前座」。1943年の映画館名簿では「東宝映画劇場」。1947年・1950年の映画館名簿では「弘前東宝映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「弘前東宝映画劇場・東宝小劇場」(2館)。1958年の映画館名簿では「弘前東宝映画劇場・弘前スカラ座」(2館)。1960年の映画館名簿では「弘前東宝映画劇場・スカラ座」(2館)。1963年の映画館名簿では「弘前東宝劇場・スカラ座」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「弘前日活劇場・弘前スカラ座」(2館)。1973年の映画館名簿では「弘前スカラ座」。1975年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「弘前東宝劇場・弘前スカラ座」(2館)。1990年・1995年の映画館名簿では「弘前東宝・弘前東宝スカラ」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年5月末、弘前市元寺町の洋画封切館「弘前スカラ座」が増改築を経て新装開館した。定員が622人となった。支配人は中村忠夫。*23

1963年3月24日、青森市の「弘前東宝劇場」が日活直営館として新発足した。経営は日活傍系の太陽企業。1月30日に「弘前日活」が火災で焼失していた。*24
弘前セントラル/弘前マリオン劇場
所在地 : 青森県弘前市南横町45(1986年・1988年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1985年頃(セントラル)、1988年(マリオン劇場)
閉館年 : 2001年
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1986年・1988年の映画館名簿では「弘前セントラル」。1988年の映画館名簿では経営会社がセントラルハウス、経営者・支配人ともに岡内平、鉄筋造1階、100席、邦画・洋画を上映。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「弘前マリオン劇場」。1990年の映画館名簿では経営者・支配人ともに川村健一、鉄筋造1階、108席、洋画を上映。2002年の映画館名簿には掲載されていない。

2010年6月13日、つがる市のシネコン「シネマヴィレッジ8・イオン柏」で「マリオン劇場ファンの集い」が開催された。マリオン劇場は1988年に開館し、13年後の2001年に閉館した。東北唯一のアート系映画館だったとされ、秋田県、岩手県、青森県下北地方からも観客が訪れていた。*25
弘前ニュー東映劇場/弘前ニュー東映/テアトル弘前
所在地 : 青森県弘前市桶屋町5(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1960年以後1963年以前、1975年(テアトル弘前)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : テアトル弘前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「弘前ニュー東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「弘前ニュー東映劇場」。1973年の映画館名簿では「弘前ニュー東映」。1975年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「テアトル弘前」。グランドパレス2号館1階。
ワーナー・マイカル・シネマズ弘前/イオンシネマ弘前
所在地 : 青森県弘前市高崎2-15-1 ビブレシティ(1995年・2000年)、青森県弘前市高崎2-15-1 弘前さくら野シティ内(2005年・2010年)、青森県弘前市高崎2-15-1 さくら野百貨店弘前店内(2015年・2020年)
開館年 : 1994年9月23日、2013年7月(改称)
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿では「ワーナーマイカルシネマズ弘前1-6」(6館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ弘前1-6」(6館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ弘前1-6」(6館)。

1994年9月23日、弘前市高崎岩井249に「ワーナーマイカルシネマズ弘前」が開館した。6スクリーン計1309席。*26

2021年7月4日、弘前市の「イオンシネマ弘前」で『いとみち』の舞台挨拶が行われ、横浜聡子監督、主演の駒井蓮、ジョナゴールドが登壇した。*27

2021年6月18日には弘前市の「イオンシネマ弘前」が津軽を舞台とする映画『いとみち』の青森県先行公開を開始し、12月16日まで上映した。上映期間は26週間にも及び、全国最長のロングラン上映となった。12月16日の最終上映の際には地元有志が記念イベントを開催し、主演の駒井蓮や横浜聡子監督がメッセージを寄せた。*28

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