所在地 : 青森県弘前市百石町(1925年・1927年・1930年・1934年)、青森県弘前市百石町50(1936年・1941年)、青森県弘前市百石町(1943年)、青森県弘前市百石町61(1947年)、青森県弘前市百石町50(1950年・1953年・1955年・1958年)、青森県弘前市百石町(1960年)、青森県弘前市百石町50(1963年)
開館年 : 1917年8月19日
閉館年 : 1963年1月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1917年8月開館。1925年・1927年・1930年・1934年・1936年の映画館名簿では「大和館」。1941年の映画館名簿では「松竹大和館」。1943年の映画館名簿では「大和館」。1947年の映画館名簿では「松竹大和館」。1950年の映画館名簿では「弘前大和館」。1953年の映画館名簿では「松竹大和館」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「弘前松竹大和館」。1963年の映画館名簿では「弘前日活劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。
明治時代の弘前市には常設芝居小屋として「茂森座」と「柾木座」があった。茂森座は弘前市最古の芝居小屋であり、茂森町の石川旅館の向かいにあったが、1932年に廃業した。柾木座は1919年に「弘前座」に改称し、1923年には映画館に転向した。1910年、東北育児院は活動写真の巡回上映を開始し、1914年には住吉町に弘前初の活動常設館「慈善館」を開館させた。1917年、百石町に戸沢武雄が「松竹大和館」を開館させた。1922年には国劇の前身である「方円館」が開館し、昭和初期には日本劇場の前身である「昭和館」が開館した。大正時代の松竹大和館と弘前座の写真あり。
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1915年秋、弘前市土手町の寄席「蓬莱亭」は活動常設館となって「蓬莱館」に改称した。1916年3月には閉館することになったが、戸沢忠雄によって再考することとなり、1917年8月19日には百石町に「大和館」が開館した。開館披露番組は『大尉の娘』、『十文字お秀』、アメリカ映画『獣魂』である。大和館は天活と契約していたが、やがて松竹特約館となった。
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1959年現在の弘前市百石町は華やかな商店街であり、「東映劇場」、「松竹大和館」、「有楽座」の3館の映画館がある。
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1962年4月25日、弘前市の「日活大和館」が日活の直営館となった。経営は傍系の太陽企業。日活が経営の戸沢武と劇場賃借契約を結んだ。木造2階建て、定員480人。
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1963年1月31日、弘前市の「弘前日活劇場」ボイラー室から出火して全焼した。損害約4500万円。弘前市ではここ数年で7軒もの劇場火災が起こっている。支配人は中村敏男。
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1963年1月31日午後6時5分頃、弘前市の「弘前日活劇場」ボイラー室から出火し、劇場883mが全焼した。弘前市の劇場火災はここ数年で7館目である。
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1963年1月30日、弘前市の「弘前日活」が火災で焼失した。3月24日、「弘前東宝劇場」が日活直営館として再発足した。
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