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神戸市

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姫路市

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尼崎市

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西宮市

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阪神南地域

芦屋市

芦屋会館
所在地 : 兵庫県芦屋市茶屋之町(1960年)、兵庫県芦屋市茶屋之町56(1966年・1969年)
開館年 : 1950年4月15日
閉館年 : 1970年11月30日
1953年・1960年・1969年の映画館名簿では「芦屋会館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は美容院「アトリエクロエ」。最寄駅はJR神戸線芦屋駅。

映画監督の大森和樹と小説家の村上春樹は芦屋市で生まれ育った。村上春樹は芦屋会館でジェームズ・ボンドの3本立を観たことがあるという。*1

芦屋市茶屋之町には芦屋市唯一の映画館「芦屋会館」があった。1950年(昭和25年)当時の芦屋市には娯楽施設がなかったことから、愛市会と近隣商店街の協力で同年4月15日に開館した。1951年(昭和26年)に『細雪』を上映した際には、一日に3000人もの観客が集まって長い行列を作った。1952年(昭和27年)に株式会社化したが、1959年(昭和34年)頃から経営難となり、1970年(昭和45年)11月30日に閉館した。「アシカン」と呼ばれて親しまれた。*2

1950年(昭和25年)には芦屋市茶屋之町に映画館「芦屋会館」が開館した。写真あり。*3

阪神北地域

伊丹市

寿座
所在地 : 兵庫県川辺郡伊丹町(1930年・1936年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1936年以後1943年以前
1930年・1936年の映画館名簿では「寿座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
若草劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市悠紀町(1953年・1955年)、兵庫県伊丹市悠紀町522(1958年)、兵庫県伊丹市悠紀町520(1960年・1963年)
開館年 : 1952年4月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年4月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「若草劇場」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「サニー技研」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
七福座/伊丹劇場
所在地 : 兵庫県川辺郡伊丹町(1930年・1936年)、兵庫県伊丹市伊丹桜崎(1943年)、兵庫県伊丹市伊34番地(1950年)、兵庫県伊丹市西宮町(1953年・1955年)、兵庫県伊丹市伊丹34(1958年)、兵庫県伊丹市宮西町34(1960年)、兵庫県伊丹市伊丹字桜崎34(1963年)、兵庫県伊丹市宮西町34(1964年)
開館年 : 1912年頃
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年・1943年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「伊丹劇場」。1964年の住宅地図では「伊丹劇場」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の住宅地図では跡地に「伊丹ミュージック」。1972年の住宅地図では跡地に「駐車場」。跡地はマンション「スカイハイムプレジデント伊丹」など。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

1935年頃の伊丹劇場の写真あり。1907年頃、現在の伊丹字桜崎34番地に今北金次郎ら7人が出資して芝居小屋「七福座」が建築された。建物は切妻、瓦葺、妻入の木造2階建てだった。2階席を含めて700人から800人が入場できた。正面入口は北側だった。直径約4間の廻り舞台があった。大正末期に黒木某が支配人になると「伊丹劇場」に改称され、映画館としての性格を強めた。太平洋戦争後には芝居が行われなくなり、映画館として存続した。1960年から1961年には経営者が後退し、ストリップ劇場「伊丹ミュージック」となった。1970年に閉鎖され、取り壊された。1978年現在の跡地はモータープールとなっている。*4

伊丹劇場のこけら落としの写真あり。1935年頃の伊丹劇場の写真あり。伊丹市の常設劇場としては「伊丹劇場」(前身は七福座)、「寿座」、「旭座」があり、歌舞伎などが巡業してきた。*5

1935年頃の伊丹劇場の写真あり。明治時代、猪名野神社の境内を入ってすぐ東側にあるあじさいセンター付近には「有岡座」という芝居小屋があった。1902年12月に850人収容の劇場として開館したが、1909年1月23日に失火で焼失した。その後、三本松遊廓跡地付近の櫻崎34番地には歌舞伎の芝居小屋「七福座」が開館した。木造2階建て、面積約300坪の劇場であり、直径7メートルの廻り舞台があった。舞台の下手には花道があり、花道にも舞台にもせり出しがあった。客席は中央部が桝席であり、両側が桟敷席だった。収容人数は2階も含めて500人から600人であり、舞台の真上の2階が楽屋だった。大正末期には「伊丹劇場」に改称し、映画館としての性格を強めた。戦後の伊丹劇場は映画専門館となった。1960年から1961年頃には「伊丹ミュージック」に改称してストリップ劇場となった。1970年の大阪万博を機に閉館して取り壊された。*6

1967年、伊丹市のストリップ劇場「伊丹ミュージック劇場」の入場料が1500円に上がる。ワリバシのそれ突け、やれ突けなどの特別ショーのため。1970年、兵庫県警の摘発を受けて閉館した。*7

1902年には猪名野神社の参道東側に芝居小屋「有岡座」が建てられたが、1909年に焼失した。1912年頃、今北金次郎ら7人が出資して猪名野神社の南西に芝居小屋「七福座」が建てられた。周辺地域では池田の「呉服座」と並ぶ芝居小屋とされ、歌舞伎の興行などが行われた。大正末期に派支配人が変わって「伊丹劇場」に改称した。1960年頃に経営者が変わって映画館ではなくなり、1970年に閉鎖されて取り壊された。*8
中央映画劇場/中央劇場/伊丹東映/伊丹東映劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市悠紀町(1943年)、兵庫県伊丹市悠紀町539-1(1950年)、兵庫県伊丹市悠紀町(1953年・1955年)、兵庫県伊丹市悠紀町539(1958年・1960年・1963年・1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1938年
閉館年 : 1968年
『全国映画館総覧 1955』によると1942年開館。1943年・1950年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「中央劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「伊丹東映」。1964年・1966年の住宅地図では「伊丹東映劇場」。1965年の住宅地図では「伊丹東映劇場」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「伊丹東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1972年・1990年の住宅地図では跡地に「尼崎信用金庫伊丹支店」。1974年の住宅地図では跡地に「尼崎信用金庫伊丹支店」。現在の跡地は「尼崎信用金庫伊丹支店」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

1920年には堀口鹿蔵によって芝居小屋「旭座」が建てられた。旭座に変わって、1938年には「伊丹中央劇場」が開館した。2006年現在の尼崎信用金庫伊丹支店付近である。後に「伊丹東映劇場」となり、東映・大映系の作品や演劇などが興行された。1968年まであった。*9
伊丹シネマ/伊丹日活
所在地 : 兵庫県伊丹市若松町(1958年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町411-5(1960年)、兵庫県伊丹市字若松町(1963年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町411-5(1966年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町42-5(1969年・1970年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1970年頃
1955年・1956年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「伊丹シネマ」。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「伊丹日活」。1964年・1965年・1966年・1969年の住宅地図では「伊丹日活」。1969年の映画館名簿では経営者が関西興業、支配人が浜村八郎、鉄筋造2階冷暖房付、450席、日活を上映。後継館は「トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹」。跡地は「タイムズ阪急伊丹駅前」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
伊丹大映
所在地 : 兵庫県伊丹市若松町(1958年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町411-5(1960年)、兵庫県伊丹市字若松町(1963年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町411-5(1966年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町42-5(1969年・1970年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1970年頃
1955年・1956年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「伊丹大映」。1964年・1965年・1966年・1969年の住宅地図では「伊丹大映」。1969年の映画館名簿では経営者が関西興業、支配人が浜村八郎、鉄筋造3階冷暖房付、550席、大映を上映。後継館は「トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹」。跡地は「タイムズ阪急伊丹駅前」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
御園劇場/伊丹御園劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市永長町433(1956年・1957年)、兵庫県伊丹市永長町432(1958年)、兵庫県伊丹市永長町433(1960年・1963年)、兵庫県伊丹市永長町432(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「御園劇場」。1964年・1966年・1969年の住宅地図では「御園劇場」。1965年の住宅地図では「御園劇場」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「伊丹御園劇場」。1969年の映画館名簿では経営者が大和興業、支配人が中村与四郎、木造2階冷暖房付、400席、松竹・東宝・東映を上映。1972年の住宅地図では跡地に「中村」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「阪急伊丹駅前ゴルフ練習所」。1990年の住宅地図では跡地に「伊丹第一ホテル駐車場」。跡地は有料駐車場「タイムズ伊丹第11」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹
所在地 : 兵庫県伊丹市若松町岸田ビル6階・7階(1973年)、兵庫県伊丹市若松町411-5(1975年)、兵庫県伊丹市中央町1-5(1980年)、兵庫県伊丹市中央町1-5-23(1985年・1990年)
開館年 : 1971年4月
閉館年 : 1990年頃
前身館は「伊丹日活」と「伊丹大映」。1971年4月長崎屋伊丹店開店。1973年・1975年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹」(2館)。1972年の住宅地図では「長崎屋 6階長崎屋ボウル 7階ダイニチ伊丹 トーエイ伊丹」。1974年の住宅地図では「長崎屋 7階 ダイニチ伊丹・トーエイ伊丹」。1990年の映画館名簿では経営会社が関西興業株式会社、経営者が岸田進、支配人が西野繁太郎、いずれも鉄筋造7階、トーエイが200席、ダイニチが200席、トーエイが東映を上映、ダイニチがにっかつを上映。1990年の住宅地図では「岸田ビル 7階ダイニチ伊丹 東映伊丹」。1991年・1992年の映画館名簿には掲載されていない。長崎屋伊丹店。跡地は「タイムズ阪急伊丹駅前」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
グリーン劇場・伊丹ローズ劇場/伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市千歳町422(1973年)、兵庫県伊丹市千歳町422 伊丹東阪急ビル(1975年)、兵庫県伊丹市中央町4-2-2(1980年・1985年・1990年・1995年)、兵庫県伊丹市中央4-2-2(2000年・2002年)
開館年 : 1970年
閉館年 : 2002年9月8日
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では「2階グリーン劇場 ローズ劇場」。1973年の映画館名簿では「グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」(2館)。1974年の住宅地図では「2階 グリーン劇場・ローズ劇場」。1975年の映画館名簿では「グリーン劇場・ローズ劇場」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2002年の映画館名簿では「伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」(2館)。1990年の映画館名簿では経営会社が東宝関西興行株式会社、経営者が雨宮崇、支配人が山富真治、いずれも鉄筋造2階、グリーンが198席、ローズが134席、グリーンが洋画を上映、ローズが東宝・松竹を上映。1990年の住宅地図では「3階グリーン劇場 ローズ劇場」。2002年の映画館名簿では経営会社が関西共栄興行株式会社、経営者が川口明、支配人が川東義信、いずれも鉄筋造3階、グリーンが178席、ローズが134席、グリーンが洋画を上映、ローズが東宝を上映。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2019年竣工のマンション「ジオ伊丹中央」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

2002年9月8日、伊丹市中央4丁目の映画館「伊丹グリーン劇場」(178席)と「伊丹ローズ劇場」(134席)が閉館する。1970年に開館した際は東宝系の封切館だった。1983年からは特撮映画のオールナイト上映を開始し、『大魔神』『ガメラ』など約200本を上映。「グリーンリボン賞」という自主製作特撮映画賞では約300メートルの行列もできた。伊丹市は1987年から1994年まで伊丹映画祭を開催し、同賞を特撮以外も含めた自主製作映画賞に発展させた。映画監督の三原光尋も同賞での入選経験がある。近隣に約1800席のシネコンが開館することが閉館の理由。*10

阪急伊丹駅近く、伊丹市中央4にあった映画館「伊丹グリーン・ローズ劇場」は、「特撮のメッカ」と呼ばれて特撮映画ファンに人気があった。1920年から1968年までの旧阪急伊丹駅跡地のビルのワンフロアにあった。東宝系の映画館であり、座席の色は劇場名にちなんで緑色と赤色だった。1980年代にはグリーン劇場が特撮上映に特化し始め、オールナイト上映は特撮ファンでにぎわった。1987年(昭和62年)秋には伊丹氏が「第1回伊丹映画祭」を開催し、大林宣彦監督や大島渚監督などの講演会やコンサートなどが行われた。伊丹映画祭は1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の影響で下火になり、2002年(平成14年)には伊丹グリーン・ローズ劇場が閉館した。2020年現在の跡地は高層マンションとなっている。*11
伊丹TOHOプレックス/TOHOシネマズ伊丹
所在地 : 兵庫県伊丹市藤ノ木1-1-1 ダイヤモンドシティテラス4階(2003年・2005年)、兵庫県伊丹市藤ノ木1-1-1 イオンモール伊丹テラス4階(2010年)、兵庫県伊丹市藤ノ木1-1-1 イオンモール伊丹4階(2015年・2020年)
開館年 : 2002年10月
閉館年 : 営業中
2002年の映画館名簿には掲載されていない。2002年10月開館。2003年・2005年の映画館名簿では「伊丹TOHOプレックス1-8」(8館)。2003年の映画館名簿では経営会社が東宝株式会社、経営者が高井英幸、支配人が宮井周一、鉄筋造4階。2007年9月25日改称。2008年の映画館名簿では経営会社がTOHOシネマズ株式会社、経営者が村上主税、支配人が里山憲一、鉄筋造4階。2008年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ伊丹1-8」(8館)。最寄駅はJR福知山線伊丹駅。

宝塚市

宝塚大劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚大劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
新芸座
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「新芸座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
宝塚中央劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面五反田(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚中央劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
宝塚銀映劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面山ノ上(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚銀映劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
宝塚映画劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1945年?、1952年?
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。宝塚映画劇場は宝塚ファミリーランドの東端にあったと思われる。

戦後の1952年(昭和27年)、宝塚ファミリーランドの一角、入場口左手に開業した。収容人員200人。この頃の宝塚市には、宝塚駅、宝塚南口駅、逆瀬川駅付近に数館の映画館があった。*12
新花月劇場/宝塚新花月劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市伊子志亥谷(1960年)、兵庫県宝塚市伊孑志亥の谷230(1966年)、兵庫県宝塚市南口町2-4-19(1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1960年の映画館名簿では「新花月劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「宝塚新花月劇場」。1973年の住宅地図では「新花月劇場(川村)」。1979年の住宅地図では跡地に「サンビオラモータープール」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「サンビオラ第1駐車場」。宝塚市最後の従来型映画館。最寄駅は阪急電鉄阪急今津線宝塚南口駅。
シネ・ピピア
所在地 : 兵庫県宝塚市売布2-5-1 ピピアめふ5階(2010年)
開館年 : 1999年10月29日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 宝塚シネ・ピピア
2000年・2010年の映画館名簿では「シネ・ピピア1・2」。最寄駅は阪急宝塚本線売布神社駅。

1999年10月26日、宝塚市の売布神社駅前の再開発事業が完工した。6階建ての再開発ビル「ピピアめふ」には宝塚市に約30年ぶりとなる映画館などが入る。映画館は10月29日に開館し、大森一樹監督による自主製作映画の上映やトークショーが開催される。*13

2005年現在でシネ・ピピアは宝塚市唯一の映画館である。公設民営という点が特徴であり、所有者は宝塚市、運営は民間である。阪急宝塚線売布神社駅からすぐの場所にある。ピピア1とピピア2の2スクリーンがあり、どちらも座席数は50席である。音響設備は日本トップクラスであり、車いす席や補聴システムも導入されている。ピピア1は新作映画を上映するロードショー館であり、ピピア2は観客のリクエスト作の上映、市民企画枠の作品の上映、市民団体への貸しホールなど、独自のプログラムを組んでいる。1999年にシネ・ピピアが開館するまで、約30年間は宝塚市に映画館が存在しなかった。1990年には主婦らによって「宝塚に映画館をつくろう会」が設立され、のちに「宝塚・シネクラブ」に改称して映画上映会や企業との交渉などを行った。1995年の阪神大震災で存続が危ぶまれたが、半年後には上映会を再開した。震災復興再開発ビル「ピピアめふ」にシネ・ピピアが開館したことで10年間の活動が実った。「宝塚・シネクラブ」は「すみれ座」と改称して上映活動を続けている。2000年には「すみれ座」などを中心に宝塚映画祭実行委員会が結成され、2002年11月にはシネ・ピピアをメイン会場として第1回映画祭が開催された。*14

2013年1月8日、宝塚市にある公設民営の映画館「シネ・ピピア」は宝塚市にデジタル上映機器を導入するよう要望した。「『シネ・ピピア』を支える会」も4387人分の署名を添えた嘆願書を提出した。2013年春以降にはフィルムからデジタル素材での配給に切り替わり、デジタル上映機器がないと新作を上映できなくなる。導入に要する費用は10年間で約2000万円。かつて宝塚市には映画製作所があり、「映画のまち」として栄えたことから、市民の声に応えて1999年に開館した。観客数は年間4万人〜5万人。*15

2013年6月から、宝塚市の映画館「シネ・ピピア」でデジタル機器による上映が開始される。2012年末には宝塚映画祭実行委員長の河内厚郎や映画監督の大森一樹などが立ち上がり、「デジタルシネマ機器導入を求める嘆願書」に2週間で4387人の署名を集めた。宝塚市は2013年度にデジタル映写機の導入費を予算化し、リース費用は10年間で約2000万円となる。6月1日からの上映作品はデジタルシネマ革命を探るドキュメンタリー『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』や、『世界に一つだけのプレイブック』、『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』。*16

2017年9月には宝塚市の映画館「シネ・ピピア」で、新しい座席を導入するなどの改修が行われた。9月9日から1週間は『阪急電車 片道15分の奇跡』と『あん』を500円で上映する記念イベントを開催する。シネ・ピピアは2018年に開館18年を迎える。*17

2017年9月9日、宝塚市売布2丁目の映画館「シネ・ピピア」がリニューアル開館する。9月9日から9月15日は市民感謝デーとして、宝塚市民は『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』『Tap The Last Show』『海辺のリア』『ゴンドラ』の4本の入場料が1000円となる。ご当地映画『阪急電車片道15分の奇跡』と樹木希林主演の『あん』は市民も市民以外も500円となる。1999年10月、阪神淡路大震災の復興再開発ビル「ピピアめふ」5階に開館した。宝塚市が開設して民間事業者が運営する、全国でも珍しい公設民営の映画館である。*18

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。

川西市

新町映劇/新町シネマ/川西新町映劇
所在地 : 兵庫県川西市小花大畑(1958年)、兵庫県川西市小花大畑28(1960年)、兵庫県川西市小花大畑(1963年)、兵庫県川西市小花大畑28(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「新町映劇」。1963年の映画館名簿では「新町シネマ」。1966年・1969年の映画館名簿では「川西新町映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
川西東映/池田川西座/川西座
所在地 : 兵庫県川辺郡川西町字行人塚(1930年)、兵庫県川辺郡川西町(1950年・1953年)、兵庫県川西市(1955年)、兵庫県川西市小戸(1960年・1963年)、兵庫県川西市小戸行人塚17(1966年)、兵庫県川西市小戸(1980年・1985年・1986年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1986年以後1988年以前
1930年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「川西座」。1960年の映画館名簿では「川西東映」。1963年の映画館名簿では「川西座」。1966年の映画館名簿では「池田川西座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「川西座」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。閉館後に「阪神高速11号池田線」の道路用地となった。

三田市

三輪映画劇場/三輪映劇
所在地 : 兵庫県有馬郡三輪町(1955年)、兵庫県有馬郡三田町(1958年)、兵庫県三田市三田町(1960年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1959年12月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「三輪映劇」。1958年の映画館名簿では「三輪映画劇場」。1960年の映画館名簿では「三輪映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。三映劇場。跡地は「セブンイレブン三田駅南店」西の建物。
三田劇場/三田映画劇場
所在地 : 兵庫県有馬郡三田町(1950年・1955年)、兵庫県有馬郡三田町462-1(1958年)、兵庫県三田市三田町462-1(1960年・1963年)、兵庫県三田市三田町4162-1(1966年・1969年)
開館年 : 1925年、1953年8月1日(再建再開)
閉館年 : 1972年1月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年開館。1947年11月28日被災。1953年8月1日再建再開。1950年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「三田劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「三田映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の三田市相生町にあったとされる。

1949年の三田市にあった「三田劇場」の写真あり。改築された際の写真であり、劇場の2階まで花束が並べられた。正月には行列が相生橋まで続いたこともあった。*19

『三田市史 第2巻 通史編2 近代・現代』三田市、2012年には第5章第2節に「三田の映画館と劇場問題」という節がある。現物は未確認。*20
三田フローラシアター
所在地 : 兵庫県三田市弥生ケ丘1-1-1 フローラ88ショッピングセンター(1990年)、兵庫県三田市弥生ケ丘1-1-1(2002年)
開館年 : 1988年3月18日
閉館年 : 2002年以後2005年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「三田フローラシアター」。2002年の映画館名簿では鉄筋造3階、80席、経営会社が株式会社北摂コミュニティ開発センター、経営者が高津幹男、支配人が畑中文博、邦画・洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。1スクリーン80席のビデオシアター。最寄駅は神戸電鉄公園都市線フラワータウン駅。
ワーナー・マイカル・シネマズ三田ウッディタウン/イオンシネマ三田ウッディタウン
所在地 : 兵庫県三田市けやき台1-6-4 イオン三田ウッディタウン店2番街2階
開館年 : 2000年11月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ三田ウッディタウン1-7」(7館)。最寄駅は神戸電鉄公園都市線ウッディタウン中央駅。

川辺郡猪名川町

映画館名簿によると猪名川町に映画館はなかったと思われる。

東播磨地域

明石市

明石市の映画館
1956年(昭和31年)現在の明石市において、男女ともに「趣味」の第1位は映画だった。映画をどの自治体で観るか聞いたアンケートでは、83.6%が明石市内、13.5%が神戸市、12.0%が大阪市、1.7%がその他だった(複数回答可)。*21

1964年(昭和39年)現在の明石市には洋画系1館を含む7館の映画館がある。1963年(昭和38年)には7館の総観客数が84万人であり、市民1人あたり5.6回の計算となる。しかし、1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)には総観客数が200万人近かった。*22

1968年(昭和43年)の商工名鑑には、「明石劇場」(柏木興業、1950年設立)、「明石松竹」(柏木興業、1954年設立)、「明石東映」(明宝興業、1950年設立)、「白鳥座」(明宝興業、1950年設立)、「大久保劇場」が掲載されている。*23

1980年(昭和55年)の商工名鑑には、「明石東宝・明石日活」(柏木興業、大明石町1-6-7)、「明石松竹・明石東映・明石パレス」(明和興業、本町2-9-19)、「大久保劇場」(大久保町大畑549-1、1946年設立)が掲載されている。*24

1990年(平成2年)現在の明石市には、明石喜春商店会の中に明石東宝あり。本町商店街の中に本町にっかつあり。*25
新興館
所在地 : 兵庫県明石市東本町25(1936年)
開館年 : 1930年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1943年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「新興館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
明石座
所在地 : 兵庫県明石市駅前通錦天地(1930年)、兵庫県明石市錦天地(1936年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1936年以後1943年以前
1930年・1936年の映画館名簿では「明石座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
八雲座
所在地 : 兵庫県明石市戎町(1930年)、兵庫県明石市西成町72(1936年)、兵庫県明石市西戎町(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1936年・1943年の映画館名簿では「八雲座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
土山劇場
所在地 : 兵庫県明石市二見町(1953年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1953年以後1955年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「土山劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。
明石山陽会館/テアトル明石/映画銀座
所在地 : 兵庫県明石市追手町1230(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1958年)
開館年 : 1947年11月
閉館年 : 1958年以後1960年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年11月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「明石山陽会館」。1953年の映画館名簿では「テアトル明石」。1955年・1958年の映画館名簿では「映画銀座」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
明石日活/明石平和/大映明石平和
所在地 : 兵庫県明石市錦江町(1943年・1947年・1950年・1953年)、兵庫県明石市錦江町1202(1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1935年12月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1935年12月開館。1943年の映画館名簿では「明石日活館」。1947年の映画館名簿では「明石日活」。1950年の映画館名簿では「明石日活館」。1953年の映画館名簿では「明石日活」。1955年・1958年の映画館名簿では「明石平和」。1960年の映画館名簿では「大映明石平和」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三井住友銀行明石支店」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1958年9月1日、大映興行は池袋駅東口に「池袋大映」と「池袋大映名画座」を新築する。地上3階・地下1階建てであり、池袋大映名画座は地下に入る。同日には兵庫県明石市錦江町の既存館「明石平和」を賃借して「明石大映」とし、千葉県銚子市馬場町の既存館を賃借して「銚子大映」とする。これにより、大映興行の直営館は全国で32館となる。*26

国道2号と銀座通りの交差点の北側には「明石日活」があった。1954年の明石日活の写真あり。1954年日本公開の『ローマの休日』の看板が見える。*27
明石劇場
所在地 : 兵庫県明石市南王子町2(1953年・1955年・1958年)、兵庫県明石市南王子町(1960年)、兵庫県明石市南王子町2(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1945年11月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「明石劇場」。1955年の映画館名簿では経営者が柏木興業、支配人が恒元潤一、木造1階、定員220。1960年の映画館名簿では経営者が柏木約吉、支配人が深井鹿吉、木造1階暖房付、定員366、東映・大映・松竹を上映。1964年・1964年のゼンリン住宅地図では発見できず。1967年の観光と産業の明石市住宅地図では発見できず。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。
明石松竹
所在地 : 兵庫県明石市追手町1230(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230-2(1958年)、兵庫県明石市追手町1230(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-9(1966年・1969年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「明石松竹」。1971年のゼンリン住宅地図では跡地に「明石ダイエー」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パピオスあかし」建物南西部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1960年6月6日午後11時55分頃、明石市追手町の「明石松竹劇場」天井付近から出火し、木造平屋建て445平方メートルが半焼した。原因は漏電。損害額は約500万円。大映封切と松竹二番館。経営は明宝興行。*28

1960年6月6日、明石市追手町の「明石松竹」が半焼した。原因は漏電。*29
白鳥座/明石白鳥座
所在地 : 兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1232-1(1958年)、兵庫県明石市追手町1232(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-5-11(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1951年12月、1959年12月24日(建て替え)
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「白鳥座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石白鳥座」。1967年の観光と産業の明石市住宅地図では発見できず。1971年のゼンリン住宅地図では「明石東映劇場 白鳥座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パピオスあかし」建物南東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1955年のこのほど、明石市の「白鳥座」の上映作品は邦画選択から新東宝・日活封切となった。「明石東宝」は「明石東映映劇」に改称した。いずれも明宝興業が経営。*30

1959年12月24日、明石市の旧「白鳥座」跡地に「明石東映」と「白鳥座」の2館が開館した。経営は林信太郎社長の明宝興業。*31

国道2号沿いにあった映画館の「白鳥座」。当時の明石市中心部には、白鳥座のほかに明石東映・明石東宝・本町日活などが軒を連ねていた。白鳥座の前を明石商業高校映画部の生徒らが歩いている1959年の写真あり。*32
明石東映/明石東映劇場
所在地 : 兵庫県明石市追手町1231(1958年)、兵庫県明石市追手町1232(1960年)、兵庫県明石市大明石町1-5-12(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年以前、1959年12月24日
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「明石東映」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石東映劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「明石東映劇場 白鳥座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パピオスあかし」建物東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

1955年のこのほど、明石市の「白鳥座」の上映作品は邦画選択から新東宝・日活封切となった。「明石東宝」は「明石東映映劇」に改称した。いずれも明宝興業が経営。*33

1959年12月24日、明石市の旧「白鳥座」跡地に「明石東映」と「白鳥座」の2館が開館した。経営は林信太郎社長の明宝興業。*34
明石大久保劇場/大久保劇場
所在地 : 兵庫県明石市大久保町大久保(1953年・1955年)、兵庫県明石市大久保町大窪549(1958年)、兵庫県明石市大久保町大畑(1960年)、兵庫県明石市大久保町大畑549(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1988年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大久保劇場」。1966年の映画館名簿では「明石大久保劇場」。1969年・1973年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「大久保劇場」。1978年の映画館名簿では経営者・支配人ともに古川高久、木造2階、590席、邦画・洋画を上映。1985年の住宅地図では大久保町大窪大畑249に「大久保劇場」。1988年の映画館名簿では経営者・支配人ともに古川美千代、木造1階、590席、邦画・洋画を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大久保駅前保育所」。最寄駅はJR神戸線大久保駅。
明石パレス・明石松竹・明石東映
所在地 : 兵庫県明石市本町1-19(1980年)、兵庫県明石市本町9-19(1985年・1988年)
開館年 : 1977年頃
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1977年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「明石パレス・明石松竹・明石東映」(3館)。1978年の映画館名簿では経営会社が加古川興業、経営者が大辻定次、支配人が清水武栄、パレスが鉄筋造5階冷暖房付で180席で洋画を上映、松竹が鉄筋造3階冷暖房付で180席で松竹を上映、東映が鉄筋造1階冷暖房付で180席で東映を上映。1980年のゼンリン住宅地図では左側の建物に「1階明石松竹 2階明石シネマ」、右側の建物に「1階明石東映 2階明石パレス」。1988年の映画館名簿では経営会社が明和興業、経営者が大辻定次、支配人が大辻孝輔、パレスが鉄筋造5階で180席でSTを上映、松竹が鉄筋造3階で180席で松竹・洋画を上映、東映が鉄筋造1階で180席で東映を上映。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ワコーレ明石本町彩雲館」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。
本町映画劇場/本町日活
所在地 : 兵庫県明石市東本町(1943年)、兵庫県明石市東本町45(1950年)、兵庫県明石市東本町24(1953年・1955年)、兵庫県明石市東本町45(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県明石市本町1-14-18(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1947年? 1948年4月?
閉館年 : 2014年12月23日
『全国映画館総覧 1955』によると1948年4月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「本町映画劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「本町映画劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「本町日活」。1973年の映画館名簿では「明石本町日活」。1974年のゼンリン住宅地図では「本町日活劇場」。1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「本町日活」。1978年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者が柏木良一、支配人が柏木右一、木造1階冷暖房付、374席、日活を上映。1988年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者が柏木良一、支配人が柏木右一、木造1階、374席、にっかつを上映。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2015年12月1日開館の大衆演劇場「明石ほんまち三白館」。

本町日活は1947年に演芸場を兼ねた映画館として開館。木造。1950年代後半から日活の専門館となり、日活がロマンポルノの配給を始めてからは成人映画を上映していた。2013年にはやはり柏木弘が運営する明石東宝が再開発に伴って閉館している。2014年12月23日に閉館。来年2月には本町商店街振興組合による改装工事を行い、12月に「ほんまち三白館」(みはくかん)として開館する。明治から戦前にあった演芸場「三白亭」が名称の由来。*35

明石市の本町日活は1947年に開館し、1970年代からは成人映画の上映館となった。2015年1月11日には無声映画を弁士付きで上映する記念イベントを開催。*36

明石市の本町日活は2009年で開館62年を迎える。2009年時点では兵庫県唯一の成人映画の封切館である。回り舞台や楽屋を残している。戦前の芝居小屋「三白亭」(みはくてい)が前身であり、1947年に木造入母屋造の本格的な劇場として建設された。間口18メートル、奥行き36メートル。客席は240席。三角形に組んだ大規模な木造トラス屋根が特徴。舞台部分と客席部分は平屋だが、楽屋やかまど・宿泊施設のある裏側は二層構造。開館当時は洋画や民謡ショーなどが上演された。1950年代後半に日活の専属館になると大改装を行った。石原裕次郎や浅丘ルリ子が舞台挨拶を行った。阪神淡路大震災では全壊と判定されたが、修復工事を行って上映を再開した。*37

明石日活のの延床面積は約790平方メートル。木造一部2階建て。1956年の『太陽の季節』などのヒット作が続いたころには扉が閉まらないほどだった。石原裕次郎がロケで明石市を訪れた際には、ファンに囲まれたために本町日活に入れなかったというエピソードがある。渡哲也や浅丘ルリ子も本町日活を訪れた。出演者用の楽屋や宿泊部屋が残るのは、芝居小屋として建てられた名残である。*38

JR明石駅南口の魚の棚商店街には、大正時代に芝居小屋「三白亭」が開館した。昭和時代になると映画館に転換したが、2014年に映画館としては閉館した。商店街振興組合が劇場主から建物を借り、耐震化工事を行った上で内装や外観を一新した。2015年12月1日に大衆演劇場の「明石ほんまち三白館」として開館させた。外壁は漆喰の白壁と焼杉板である。壁面やステンドグラスには千鳥がデザインされているが、これは「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」という百人一首に着想を得ている。客席は160席。*39

映画館「本町日活」の跡地を利用して、2015年12月に演劇場「明石ほんまち三白館」(みはくかん)が開館。開館から丸2年を迎える前の2017年10月に入場者10万人を超えた。*40
明石東宝映画劇場/明石東宝映劇/明石東宝劇場/明石東宝
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市追手町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-6(1966年)、兵庫県明石市大明石町1-6-7(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1945年11月、1953年(経営者交代)
閉館年 : 2013年9月24日
港町キネマ通り : 明石東宝
『全国映画館総覧 1955』によると1945年11月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1953年の映画館名簿では「明石東宝映画劇場」。1955年の映画館名簿では「明石東宝映劇」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「明石東宝」。1966年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1967年の観光と産業の明石市住宅地図では「神明ビル ダイエー明石店」(※明神ではなく神明は原文ママ)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「明石東宝」。1971年のゼンリン住宅地図では「明神ビル 3階明石東宝」。1974年のゼンリン住宅地図では「明石東宝」。1978年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者が柏木良一、支配人が柏木右一、鉄筋造1階冷暖房付、270席、東宝を上映。1988年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者・支配人ともに柏木良一、鉄筋造2階、270席、東宝を上映。2015年の映画館名簿には掲載されていない。明神ビル2階。跡地は複合商業施設「パピオスあかし」。

1995年1月17日の阪神淡路大震災では阪神間にある映画館も大きな被害を受けた。1月28日には明石東宝が営業を再開した。この時点では神戸市の三宮地区の映画館のほとんどは、入居するビルそのものが使用不可の状態だった。*41

2009年2月22日に第81回アカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』を上映する明石東宝では、1996年以来となる入場待ちの行列ができた。*42

明石東宝は1966年にビルを新築した。1990年代の映画低迷期には、「明石シネマクラブ」が休館日の明石東宝のスクリーンを借用して定期上映会を行った。1997年にはシネマコンプレックスが登場し、明石東宝の観客数がいっそう減少した。*43

明石駅南地区には戦前から芝居小屋があり、戦後には明石東宝・明石松竹・明石東映・白鳥座・明石日活館の計5館の映画館があった。1973年には明石東映と白鳥座が閉館し、明石駅南地区の一般映画館は明石東宝のみとなった。1967年頃の写真あり。明石東宝は1966年竣工の6-7階建てのビルに入居し、このビルの東側には明石東映と白鳥座が入るビルがあった。*44

1953年に明石映画銀座として開館し、後に明石東宝に改称して東宝作品の封切館となった。1966年には複合商業ビルを建設してその中に入ったが、映画館の複合ビル化の先駆け的存在だった。1960年代には加山雄三主演の若大将シリーズなどが人気であり、1970年代以降はアニメ映画が人気だった。2001年には東宝との専属契約を解除し、自前での番組編成が可能となった。2013年の閉館時までデジタルシネマ化を行わず、35mmフィルムで上映を行った。2013年9月末に閉館する。閉館時点で東宝系では兵庫県唯一の映画館だった。270席。*45

2013年9月24日、明石市大明石町の映画館「明石東宝」が閉館する。1953年に「明石映画銀座」の名前で開館し、東宝系の封切館になると明石東宝に改称した。全盛期の明石駅前には5館の映画館が並んでいた。森繁久彌の社長シリーズ、特撮怪獣映画ゴジラシリーズ、加山雄三の若大将シリーズなどが人気だったが、1970年代から観客が減少していた。*46

JR明石駅/山陽明石駅前の国道2号沿いには、かつて映画会社直営の映画館が並んでいた。それ以外を含めると、映画全盛期の明石市には7館の映画館があった。1977年の明石東宝の写真あり。藤岡弘主演の『大空のサムライ』と森繁久彌主演の『喜劇 百点満点』の看板が見えている。この頃には3館に減っていた。*47
ワーナー・マイカル・シネマズ明石/イオンシネマ明石
所在地 : 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通り1-3-2 マイカル明石1番街(2000年)、兵庫県明石市大久保町ゆりのき通1丁目3-2 イオン明石ショッピングセンター1番街
開館年 : 1997年10月23日
閉館年 : 営業中
2000年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ明石」(7館)。7スクリーンのシネコン。スクリーン4(定員492名)は兵庫県内の映画館で最大。最寄駅はJR神戸線大久保駅。

加古川市

加古川市の映画館
1946年(昭和21年)から昭和40年代前半にかけて、加古川市には6館の映画館があった。第一新興座と第二新興座(篠原町のビル内)、旭クラブ(本町)、大劇(寺家町)、加古川劇場(西本町)、日映(篠原町)である。昭和20年代の加古川劇場の写真あり。それぞれ扱う作品の系統に特徴があったが、テレビの普及とともに全国的に映画人気が衰退し、加古川市の映画館もアダルト映画や実演などに手を広げた。昭和の終焉を待たずに全館が閉館し、2001年(平成13年)にワーナー・マイカル・シネマズ加古川が開館するまで、人口20数万人の町に映画館がない時代が続いた。*48
加古川劇場/加古川映画劇場
所在地 : 兵庫県加古郡加古川町(1943年・1950年)、兵庫県加古川市西本町(1955年)、兵庫県加古川市西本町2-128(1960年・1963年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1962年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「加古川劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「加古川映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「加古川劇場」。1960年の映画館名簿では「加古川映画劇場」。1963年の映画館名簿では「加古川劇場」。1964年の加古川市全産業住宅案内図帳では「加古川劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「称名寺」西北西70mのガレージ。最寄駅はJR神戸線・加古川線加古川駅。

加古川市立加古川小学校北側の道を西に向かい、ニッケ社宅に入る手前には雁南川橋があるが、そのたもとの右側には「加古川劇場」があった。戦後しばらくは芝居の興行を行っていたが、全面的に改装して映画館の「加古川映劇」に転換した。中心市街地からはやや離れており、1962年には営業不振で閉館した。加古川映劇という名称だった期間は短く、住民には加古川劇場として記憶されている。1952年頃の写真あり。「KAKOGAWA EIGEKI」の文字が見える。*49
宝殿映画劇場/宝殿映劇/加古川宝殿映画劇場
所在地 : 兵庫県加古川市米田町平津478-2(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「宝殿映画劇場」。1963年の映画館名簿では「宝殿映劇」。1966年の映画館名簿では「加古川宝殿映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真を見ると現在の「セブンイレブンJR宝殿駅前店」の場所に巨大な建物がある。
新興座/第一新興会館・第二新興会館
所在地 : 兵庫県加古郡加古川町駅前(1936年)、兵庫県加古郡加古川町(1943年・1947年)、兵庫県加古郡加古川町駅前(1950年)、兵庫県加古川市篠原町(1955年)、兵庫県加古川市篠原町25-1(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1932年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「新興座」。1960年・1963年の映画館名簿では「第一新興会館・第二新興会館」(2館)。1964年の加古川市全産業住宅案内図帳では「新興会館 映画 喫茶 食堂」。1966年の映画館名簿では「加古川日活新興会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では「ヤマトヤシキ 1階・2階喫茶食堂 3階喫茶パリー」。1980年の住宅地図では「1階パチンコ太陽 1階パチンコモコ 2階インベーダーリオ 2階喫茶モコ」。1984年の住宅地図では「1階パチンコ太陽・パチンコモコ 2階ゲームラスベガス・キッサモコ・ビデオレンタルマルマン」。跡地は1989年以後に2階建ての「パチンコ太陽」が新築された後、2019年11月22日開館のカラオケ店「ビッグエコー加古川駅前店」。最寄駅はJR神戸線・加古川線加古川駅。

1932年(昭和7年)、劇場の末広劇場が映画館の新興座に転換した。『青い山脈』や『君の名は』は超満員だった。小中学生の映画教室の際には、教師に引率されて新興座に連れられた。1956年(昭和31年)12月には4階建ての映画館ビル「新興会館」に建て替えられ、第一新興会館・第二新興会館となった。ワンフロア・ワンスロープという特徴的な構造だった。座席数はいずれも260席。新興会館内には食堂・喫茶店・たこやき屋・うどん屋・飲み屋も営業していた。単独館時代の1953年の写真あり。映画館ビル時代の1961年の写真あり。ネオンアーチのすぐ無効に新興快感が見える。映画館が閉館した後、ヤマトヤシキのカコガワストアとなり、1972年(昭和47年)には百貨店のヤマトヤシキ加古川店となったが、映画館の建物を百貨店に転換するのには無理があり、1979年(昭和54年)に閉店した。1989年(平成元年)には建物が取り壊され、跡地にはパチンコ店が建った。*50

昭和30年代の加古川市にあった「新興会館」ビルの写真あり。「Shinko」「第一第二新興会館」の文字が見える。大怪獣『モスラ』の看板が見える。*51

国鉄加古川駅のすぐ南西、加古川町篠原町三桝には映画館の「新興座」があった。1899年(明治32年)12月11日に許可を得て新築し、1900年(明治33年)6月7日に寿座として初興業を行った。1915年(大正4年)12月28日には播州鉄道が持ち主となり、大成座に改称した。尾上松之助や淡海一座が常打ちに近い時代があった。加古川市の名誉市民第一号である演劇評論家の三宅周太郎は、大成座を気にかけていた。1930年(昭和5年)には持ち主が代わって新興座に改称、旭倶楽部とともに活動写真館となった。この時代には芝居と映画の双方を行う加古川劇場もあった。戦後には鉄筋コンクリート造の新興会館ビルとなり、内部には2映画館があった。その後ヤマトヤシキ加古川店となり、1980年現在はパチンコ店となっている。*52
加古川大劇
所在地 : 兵庫県加古川市寺家町478(1958年)、兵庫県加古川市寺家町478-1(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「加古川大劇」。1964年の加古川市全産業住宅案内図帳では「映画 東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年のゼンリン住宅地図では跡地に「大劇パーキング」。跡地は月極駐車場「大劇パーキング」。最寄駅はJR神戸線・加古川線加古川駅。
日映/加古川ひがし東映/ひがし東映/加古川ひがし東映劇場/加古川日映劇場
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町8-1(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「日映」。1960年の映画館名簿では「加古川ひがし東映」。1963年の映画館名簿では「ひがし東映」。1964年の加古川市全産業住宅案内図帳では「加古川東東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「加古川ひがし東映劇場」。1973年の映画館名簿では「加古川日映劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「加古川日映」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「りそな銀行加古川支店」と「播州信用金庫加古川支店」の間にある駐車場(※銀行の駐車場ではない)。最寄駅はJR神戸線・加古川線加古川駅。
旭クラブ/旭倶楽部/加古川東映/旭倶楽部/加古川旭クラブ
所在地 : 兵庫県加古郡加古川町(1930年・1936年・1943年・1947年)、兵庫県加古郡加古川町366(1950年)、兵庫県加古川市寺家町(1953年・1955年)、兵庫県加古川市本町2-365(1958年)、兵庫県加古川市本町2-356(1960年・1963年)、兵庫県加古川市本町2-365(1966年・1969年)、兵庫県加古川市本町(1973年)、兵庫県加古川市本町2-365(1977年)
開館年 : 1914年
閉館年 : 1977年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年・1943年の映画館名簿では「旭倶楽部」。1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「旭クラブ」。1958年・1960年の映画館名簿では「加古川東映」。1963年の映画館名簿では「旭倶楽部」。1964年の加古川市全産業住宅案内図帳では「映画 旭クラブ」。1966年・1969年・1973年・1977年の映画館名簿では「加古川旭クラブ」。1973年のゼンリン住宅地図では「映画旭クラブ」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「本町公園」。最寄駅はJR神戸線・加古川線加古川駅。

現在の本町公園の場所には映画館の「旭クラブ」があった。1928年(昭和3年)元旦に開館し、U字型の1階・2階客席を有した。大映系の萌芽と洋画を上映した。1953年の写真あり。*53

加古川市の旭クラブ。「ASAHI CLUB」や「旭クラブ」の文字が見える。昭和30年代の写真あり。若者が建物前で立ち話している。*54

1928年の加古川にあった「旭倶楽部」の写真あり。「場切封画映活日」の文字が見える。「忠臣蔵」ののぼりが見える。旭倶楽部は1927年に完成し、1928年に営業を開始した。昭和初期の旭倶楽部の従業員の写真あり。*55

1914年(大正3年)には加古川市本町に映画館の「旭倶楽部」が開館した。館内には売店があり、売り子が客席を回った。2006年(平成18年)現在の跡地は本町公園となっている。昭和初期の写真あり。*56

加古川町366番地には映画館の「旭倶楽部」があった。1927年(昭和2年)4月4日に許可を得て、木村の岡田米吉らが建設し、1928年(昭和3年)1月1日に活動写真館として開館した。写真あり。*57
加古川日活/加古川東映・シネマ興栄/加古川パレス・加古川グリーン劇場・加古川シネマ・加古川ローズ劇場/加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町(1969年)、兵庫県加古川市篠原町興栄ビル(1973年)、兵庫県加古川市篠原町3-73-4(1977年・1980年・1988年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の映画館名簿では「加古川日活」。1973年の住宅地図では「共栄ビル テーラー山崎 シネマ共栄 キッサルビー 加古川日活 加古川産業会館 カレー一番 マルハ食堂 大黒商事KK」。1973年の映画館名簿では「加古川東映・シネマ興栄」(2館)。1977年の映画館名簿では「加古川パレス・加古川グリーン劇場・加古川シネマ・加古川ローズ劇場」(4館)。1980年の住宅地図では「興栄ビル 1階グリーン劇場パレス 2階ローズ劇場 3階加古川シネマ興業 4階映写室」。1980年・1985年の映画館名簿では「加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ」(4館)。1984年の住宅地図では「興栄ビル 1階グリーン劇場・加古川東映パレス 2階ローズ劇場 3階加古川シネマ興業 4階映写室」。1988年の映画館名簿では「加古川パレス・加古川シネマ・加古川ローズ」(3館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「加古川駅前第2パーキング」。最寄駅はJR神戸線・加古川線加古川駅。
ワーナー・マイカル・シネマズ加古川/イオンシネマ加古川
所在地 : 兵庫県加古川市平岡町新在家615-1 イオン加古川店シネマ棟3階
開館年 : 2001年1月26日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ加古川1-8」(8館)。8スクリーンのシネコン。最寄駅はJR神戸線東加古川駅。

高砂市

曽根太陽劇場
所在地 : 兵庫県印南郡曽根町(1955年)、兵庫県高砂市曽根町2284(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「曽根太陽劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
清栄館
所在地 : 兵庫県高砂市高砂町清水(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年・1953年・1960年・1963年の映画館名簿では「清栄館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物が現存し、「有限会社明石屋不動産」が所有する「セイエイカン」となっている。

このほど、高砂市にある旧映画館「清栄館」の建物が、事務所兼住宅として生まれ変わった。約100年前に建築され、1960年代まで映画館として営業していたという。ブラウス工場だった時期もあったが、この10年ほどは廃墟となっていた。高砂市高砂町清水町1484-1。鉄骨鉄筋コンクリート造、3階建(一部地下室)。延床面積約590m2。*58

このほど、高砂市高砂町清水町にロケ設備「エミュ・カシェット」がオープンした。運営は写真館を経営するエミュ。建物はかつての映画館「清栄館」であり、戦前に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造3階建ての建物である。*59
高砂座/東照館/高砂東照館
所在地 : 兵庫県高砂市南本町877(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1953年・1960年の映画館名簿では「東照館」。1966年・1969年の映画館名簿では「高砂東照館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。跡地は「シャーメゾン桔梗」。少なくとも2009年までは跡地にレンガ壁が残っていた。
高砂東映/高砂相生座/相生座
所在地 : 兵庫県高砂市細工町1343(1960年)、兵庫県高砂市高砂町細工1343-1(1966年)、兵庫県高砂市高砂町細工1343-1(1969年)、兵庫県高砂市高砂町細工町1348(1980年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1980年以後1982年以前
1950年・1953年の映画館名簿では「相生座」。1960年の映画館名簿では「高砂東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「高砂相生座」。1974年の住宅地図では「相生座東映」。1980年の映画館名簿では「相生座」。1982年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「善立寺」北西60mにある居酒屋「千尋」とその東の民家。

1956年1月13日午前2時50分頃、高砂市の「相生座」から出火して建物・映写設備・プリントなどを焼いた。経営者は吉岡興行、支配人は大島清一。木造2階建て、78坪。漏電が原因とみられ、損害は約1000万円。*60

加古郡稲美町

映画館名簿によると稲美町に映画館は存在しなかったと思われる。

加古郡播磨町

映画館名簿によると稲美町に映画館は存在しなかったと思われる。

北播磨地域

西脇市

蓬莱座/西脇東宝蓬莱座
所在地 : 兵庫県多可郡西脇町114(1950年)、兵庫県多可郡西脇町西脇(1953年)、兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市西脇町(1958年)、兵庫県西脇市西脇町銀座通(1960年)、兵庫県西脇市銀座通114(1963年)、兵庫県西脇市西脇114(1966年)
開館年 : 1919年2月、1932年12月(建て替え)
閉館年 : 1967年9月11日
『全国映画館総覧 1955』によると1932年開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「蓬莱座」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「西脇東宝蓬莱座」。1963年の住宅案内図帳では「蓬莱座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫県信用組合西脇支店」南東200mの集合住宅「コートグレース2番館」。

1919年(大正8年)2月、株式会社蓬莱座が落成した。1931年(昭和6年)3月、蓬莱座が全焼した。1932年(昭和7年)12月、蓬莱座が再建落成した。1967年(昭和42年)9月、蓬莱座が閉館した。*61

1919年(大正8年)2月1日、蓬莱座の落成式とこけら落とし公演が行われた。午前11時半から落成式を行い、正午12時から演劇公演が行われた。大正初期の蓬莱座の写真あり。1931年(昭和6年)3月には蓬莱座が全焼したが、1万5000円を投じて再建された。1932年(昭和7年)12月22日、細田兵庫県議会議員や衣川西脇警察署長など300余人を招待して落成式が行われた。落成式の日から5日間、関西歌舞伎の片岡秀郎・嵐橘香・片岡門童・嵐佳笑などの一座を招待し、すべて新調した舞台道具で華々しくこけら落とし公演を行った。周辺住民は巨大建築物の火事にこりて再建に反対していたが、建物の周囲にコンクリートの防火塀を立てることで協議が決着した。1967年(昭和42年)9月11日、蓬莱座が閉館した。西脇区が中心となって開館させた劇場であり、半世紀近くに渡って西脇の町に娯楽を提供した。*62

1931年(昭和6年)に「蓬莱座」が火災に遭う前、西脇婦人会による敬老会の記念写真あり。「大歌舞伎」の看板が見える。蓬莱座の1階と2階では座席料金が異なっていた。ざぶとんや火鉢は別料金を払って借りることができた。*63

1967年(昭和42年)頃の映画館「蓬莱座」の写真あり。「西脇東宝HORAIZA」「蓬莱座」の文字が見える。1995年現在も蓬莱座のコンクリート防火塀の一部が残存。*64
富士映画劇場/西脇東映/西脇銀映
所在地 : 兵庫県西脇市戎町179(1958年・1960年)、兵庫県西脇市戎町(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1960年3月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「西脇東映」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「西脇銀映」。1963年の住宅案内図帳では「西脇銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「皇太神宮社」北東180mの駐車場。

1960年(昭和35年)3月、西脇で5番目の映画館として「銀映」が開館した。*65
寿座/西脇寿座
所在地 : 兵庫県多可郡西脇町(1943年・1947年)、兵庫県多可郡西脇町950(1950年)、兵庫県多可郡西脇町西脇(1953年)、兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市北本町947(1958年)、兵庫県西脇市北本町(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1926年2月
閉館年 : 1984年6月1日
『全国映画館総覧 1955』によると1925年10月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿座」。1963年の住宅案内図帳では「寿座」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「西脇寿座」。1973年・1980年の住宅地図では「寿座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「北本町公民館」北東40mの「第一不動産月極駐車場」。

1926年(大正15年)2月、株式会社寿座が落成した。1984年(昭和59年)6月、寿座が閉館した。*66

1922年(大正11年)1月28日、西脇町の駅前に西脇館が竣工した。午後1時から開館式が行われ、西村兵庫県議会議員・橋本多可郡長・来住西脇町長・松町西脇駅長などが祝辞を述べた。午後2時からは来賓や株主などによる大宴会が催された。1925年(大正14年)に寿座に組織替えしてから、半世紀以上に渡って西脇の町に娯楽を提供した。1984年(昭和59年)6月1日、寿座が閉館した。*67

1935年(昭和10年)頃の寿座の館内の写真あり。1階の観覧席は枡席であり、弁当・料理・一升瓶持参の観客が見える。*68

西脇市北本町890の「寿座」。設計者や施工者は記載なし。構造は木造1階建。竣工年は1926年。解体済。*69
西脇映画劇場/西脇映劇
所在地 : 兵庫県多可郡西脇町西脇1086(1950年)、兵庫県多可郡西脇町西脇(1953年)、兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市西本町3丁目(1958年)、兵庫県西脇市南本町2(1960年)、兵庫県西脇市南本町2(1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1982年)
開館年 : 1946年8月1日
閉館年 : 1982年以後1985年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「西脇映画劇場」。1953年の映画館名簿では「西脇映劇」。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「西脇映画劇場」。1963年の住宅案内図帳では「西脇映画劇場」。1973年・1980年の住宅地図では「西脇映画劇場」。1980年・1982年の映画館名簿では「西脇映劇」。1982年の映画館名簿では経営者が高尾常松、支配人が神子田徳太郎、木造1階、470席、にっかつ・成人映画を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート西脇南本町店」の北150mの「レオパレスユニコム弐番館」。最寄駅はJR加古川線新西脇駅。「西映」とも。

1946年(昭和21年)8月、西脇映画劇場が開館した。蓬莱座と寿座に次いで西脇で3番目の映画館である。*70

1946年(昭和21年)8月1日、西脇映画劇場が開館した。蓬莱座と寿座に次いで西脇で3番目の劇場である。当初は12人の出資者によって運営されていたが、やがて実権は中心人物の高尾常松に移行していった。1958年(昭和33年)4月18日、高尾は隣接地に鉄骨造3階建ての西脇大劇を開館させた。1960年(昭和35年)3月1日、高尾は西脇銀映を買収し、西脇において映画館3館の経営者となった。テレビの普及で映画業界が下火になったため、西脇映画劇場と西脇銀映は閉館して取り壊され、現在は西脇大劇のみが残っている。*71
西脇大劇東映/西脇大劇/西脇大劇1・2
所在地 : 兵庫県西脇市西脇町(1960年)、兵庫県西脇市南本町2(1963年)、兵庫県西脇市南本町2-1034(1966年・1969年)、兵庫県西脇市南本町2(1973年・1980年・1985年・1990年)、兵庫県西脇市西脇1034(1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2007年10月28日
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「西脇大劇東映」。1963年の住宅案内図帳では「西脇大劇」。1973年の住宅地図では「西脇大劇」。1980年の映画館名簿では「西脇大劇」。1980年の住宅地図では「西脇大劇 2階西脇時報社・ハリマトラベルセンター」。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「西脇大劇1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。西脇市初の鉄筋コンクリート造映画館。跡地は「西脇中本町郵便局」南南西140mの更地。最寄駅はJR加古川線新西脇駅。西脇市・北播地方最後の映画館。

1958年(昭和33年)4月、西映の北側に鉄筋コンクリート造3階建ての西脇大劇が開館した。*72

西脇市にあった映画館の写真あり。手前に「西脇映画劇場」、奥に「西脇大劇」と並んでいる。*73

フリーペーパーの『へそまち文化新聞』第4号、2018年10月5日には、「特集 織都と銀幕 織物の都の映画館全盛時代とその映画文化」という記事が掲載されている。現物は未確認。*74

三木市

吉川文化会館
所在地 : 兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬42-1(1960年)、兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬(1963年)、兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬42-1(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「吉川文化会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
昭和キネマ/三木昭映/三木昭映館
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町(1930年)、兵庫県美嚢郡三木町福井(1936年・1943年)、兵庫県美嚢郡三木町(1950年)、兵庫県美嚢郡三木町福井(1953年)、兵庫県三木市福井(1955年)、兵庫県三木市三木町福井(1960年)、兵庫県三木市三木町清水町(1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年)
開館年 : 1929年
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1929年開館。1930年・1936年・1943年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「昭和キネマ」。1955年の映画館名簿では経営者が高田朝次、支配人が高田政孝、木造2階、定員550、松竹・東宝を上映。1960年・1963年の映画館名簿では「三木昭映」。1966年・1969年の映画館名簿では「三木昭映館」。1970年・1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「尾上流日本舞踊稽古場」。最寄駅は神戸電鉄粟生線三木駅。

1938年の『三木』(播州三木要覧)には鳥観図「播磨三木要覧」が掲載されており、「大正館劇場と「昭和キネマ」が描かれている。*75

三木市にあった映画館「昭和キネマ」のチラシあり。『新しき天』などが描かれている。昭和初期に映画専門館として開館し、「大正館」や「銀映」よりも早かったとされる。時代の流れに押されて閉館し、三木市から劇場や映画館が消えた。*76

1928年、三木町の丸一町に映画専門館「昭和キネマ」が開館した。不便な場所ではあったが、戦後に「三木映劇」が開館するまでは三木町で唯一の映画館だったためにぎわった。1階は椅子席、2階は階段式の座敷であり、2階は料金が高かった。戦後に『愛染かつら』が再映された際には、階段の手すりの上まで観客がいるほどの超満員だった。*77

善福寺の西の路地を抜けると三木ネツレンの工場跡地に出る。工場跡地西側の宝来湯にはさらに路地が通じており、右に曲がると清水の洗濯場からの流れに蓋をした路地となる。ここは映画館「昭和キネマ」に通じており、路地を通るものも多かった。昭和キネマの一部はスーパーとなったが、1983年現在は閉店している。*78

『三木商工名鑑 1951年版』には映画館として「昭和キネマ」が掲載されており、経営者は高田朝次、住所は三木町丸一、電話は270と440である。映画劇場として「三木映画劇場」が掲載されており、経営者は岡田新吉郎、住所は三木町宮前、電話は463である。*79
三木銀映/三木日活銀映
所在地 : 兵庫県三木市三木町福井(1958年・1960年・1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三木銀映」。1969年・1970年の映画館名簿では「三木日活銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「旧小河家別邸」北北東60mにある民家。最寄駅は神戸電鉄粟生線三木駅。
大正館/三木映劇/三木映画劇場/三木東映/三木東映劇場
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町(1950年)、兵庫県美嚢郡三木町宮前町(1953年)、兵庫県三木市宮前町(1955年)、兵庫県三木市三木町福井1332(1958年)、兵庫県三木市三木町福井(1960年・1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1915年、1947年5月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年5月開館。1930年・1936年・1943年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「三木映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「三木映劇」。1955年の映画館名簿では経営者が岡田新吉郎、支配人が神子田徳太郎、木造2階、定員500、混合を上映。1957年・1958年の映画館名簿では「三木映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「三木東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「三木東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「旧小河家別邸」北東80mにある10軒分の民家。最寄駅は神戸電鉄粟生線三木駅。

1938年の『三木』(播州三木要覧)には鳥観図「播磨三木要覧」が掲載されており、「大正館劇場と「昭和キネマ」が描かれている。*80

『三木商工名鑑 1951年版』には映画館として「昭和キネマ」が掲載されており、経営者は高田朝次、住所は三木町丸一、電話は270と440である。映画劇場として「三木映画劇場」が掲載されており、経営者は岡田新吉郎、住所は三木町宮前、電話は463である。*81

大宮神社の参道西側にある宮前町は歓楽街であり、核として「大正館」がある。かつて三木町には栄町の「福助座」、明石町の「戎座」などの芝居小屋があったが、戦後まで残ったのは大正館のみである。正月興行には鈴木澄子らの有名劇団が訪れ、その他の時期には女剣劇、ドサ周りの一座、漫才、浪曲などの興行が行われた。1949年から1950年頃には館主が変わって映画館「三木映劇」となり、丸一町の「昭和キネマ」と競合関係にあった。やがて東映の時代劇の全盛期を迎え、「三木東映」に改称した。東映を上映するようになって勢いを得て、隣接地に「三木銀映」を建てた。現在の大正館跡地はモータープールとなっている。*82

1915年(大正4年)の美嚢郡三木町の明石町にあった「大正館」の写真あり。創設者のひとりである三宅貫太郎が神戸から嵐岩笑一座を招いてこけら落としを行った際の写真である。やがて映画館化して邦画専門館となり、隣接する洋画専門館の「銀映」と並んで賑わった。テレビの普及とともに閉館し、1981年(昭和56年)現在はガレージとなっている。*83

三木には「福介座」、「大正館」、「昭和キネマ」の3館の映画館があった。福介座と大正館は座敷席であり、昭和キネマは椅子席だった。昭和キネマではジョニー・ワイズミュラー主演の『類猿人ターザン』(1932年)などが上映された。1915年の大正館のこけら落としの際の写真あり。*84

戦前の三木にあった映画館のうち、「福介座」と「大正館」は座敷席であり、「昭和キネマ」は椅子席だった。戦後には淡路島から岡田某が大正館に来て「三木東映」に改称し、椅子席に変更して映画館とした。昭和30年代には三木東映の脇に「三木銀映」も開館した。戦後の三木には三木東映、三木銀映、「三木昭映」の3映画館があった。1959年4月10日付『神戸新聞』明美版「本日の映画案内」には三木東映、三木銀映、三木昭映の3館が掲載されている。*85

三木市の大宮八幡宮の参道に面した本町には、大正から昭和にかけて「大正館」があった。人形浄瑠璃や芝居が行われ、東北播や西神などからも観客が訪れた。1913年の播州鉄道開業を記念し、地元有志の三宅貫太郎らが建設を呼び掛けた。三木町会議員の久米要蔵、岸本磯次郎、進藤元次郎らが世話人や株主となって資金を集め、1913年に着工し、1914年に竣工した。1914年に開館した際の写真あり。こけら落としには神戸から嵐岩笑一座が招かれた。市川右団次の関西歌舞伎、人形浄瑠璃、喜劇芝居などの定期公演が行われた。1931年には第1回三木金物祭りのアトラクションである舞踊大会も行われた。建物は木造瓦葺の本格的な劇場であり、内部は3階までの吹き抜けとなっていた。1階は畳敷きで約100席の枡席であり、2階と3階にも一般客席があった。興行日以外には、敬老会、婦人会行事、村芝居などにも使用された。1928年には近くに芝居小屋「福介座」が開館したが、1932年には閉鎖されている。「戎座」は火災で焼失した。戦後の大正館は「三木東映」や洋画の「銀映」となり、昭和30年代初頭まで営業した。建物は取り壊され、2002年現在の跡地は住宅街となっている。*86

1914年、三木町に「大正館」が建てられた。三木町会議員の久米要蔵、明石町の岸本磯次郎、新藤元次郎らが株主となっている。昭和になると「三木東映」や「銀映」に改称して映画館となった。「昭和キネマ」という映画館も開館した。*87

小野市

福栄座
所在地 : 兵庫県加東郡小野町(1950年)、兵庫県加東郡小野町小野(1953年・1955年)、兵庫県小野市小野町(1958年・1960年)
開館年 : 江戸時代
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「福栄座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「小野上本町郵便局」西80mにある民家。最寄駅は神戸電鉄粟生線小野駅。

1954年(昭和29年)頃の映画館「福栄座」の写真あり。1963年(昭和38年)頃に閉館した。1996年(平成8年)現在の上本町のスーパー付近にあった。*88

1954年(昭和29年)頃の映画館「福栄座」の写真あり。*89
朝日館/小野朝日館
所在地 : 兵庫県加東郡小野町(1950年)、兵庫県加東郡小野町垂井(1953年・1955年)、兵庫県小野市神明町(1958年・1960年)、兵庫県小野市神明町82-7(1966年・1969年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1975年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1928年開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「朝日館」。1966年・1969年の映画館名簿では「小野朝日館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では確認できず。跡地はアパート「フェリシアガーデン」。最寄駅は神戸電鉄粟生線小野駅。

1954年(昭和29年)頃の映画館「朝日館」の写真あり。神明町にあった。1975年(昭和50年)頃に閉館した。*90

1954年(昭和29年)頃の映画館「朝日館」の写真あり。*91

加西市

北条映画劇場
所在地 : 兵庫県加西郡北条町(1956年)、兵庫県加西郡北条町北条(1957年・1958年)、兵庫県加西郡北条町北条819-1(1960年)、兵庫県加西郡北条町北条(1963年)、兵庫県加西郡北条町(1964年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「北条映画劇場」。1961年の住宅案内図帳では「北映映画館」。1964年の映画館名簿では経営者が岡田守、支配人が田中義和、木造1階暖房付、定員270、松竹・洋画を上映。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「天理教加西分教会」東30mの駐車場。最寄駅は北条鉄道北条町駅。
住吉座/北条住吉座
所在地 : 兵庫県加西郡北条町(1943年・1950年)、兵庫県加西郡北条町北条(1953年)、兵庫県加西郡北条町(1955年・1960年・1963年)、兵庫県加西郡北条町北条2448(1966年)、兵庫県加西市北条町北条2448(1969年・1970年)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「住吉劇場」。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「住吉座」。1950年の映画館名簿では経営者が北条劇場・川西清太郎、木造1階、定員350を上映。1955年の映画館名簿では経営者が吉岡興行、支配人が寺尾重範、木造2階、定員670、混合を上映。1961年の住宅案内図帳では「東宝映画館 住吉座」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「北条住吉座」。1970年の映画館名簿では経営者が共和映画社、支配人が上野重盛、木造1階冷房付、定員435、邦画を上映。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「円融会研修センター」。最寄駅は北条鉄道北条町駅。

時期不明だが北条町にあった「住吉座」の写真あり。大正期の住吉座の館内の写真あり。1階席と2階席が見える。閉館間際の外観の写真あり。1919年に開館した加西郡唯一の常小屋だった。「北条劇場」と称していた時期もある。阪神間の新派劇や軽演劇などを上演し、戦後には映画館としてもにぎわった。1970年頃に閉館した。*92

加東市

東条映画劇場
所在地 : 兵庫県加東郡東条町天神(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「東条映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
滝野寿座
所在地 : 兵庫県加東郡滝野町(1958年・1960年)、兵庫県加東郡滝野町上滝野(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「滝野寿座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は兵庫県道17号滝野駅前交差点南東60mの「中華そば大橋専用駐車場」。最寄駅はJR加古川線滝野駅。
佐保座/社大劇/社劇場
所在地 : 兵庫県加東郡社町(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年)、兵庫県加東郡社町社(1966年・1969年)
開館年 : 1912年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「佐保座」。1955年の映画館名簿では経営者が林忠夫、支配人が丸山幸一、木造2階、定員200。1960年の映画館名簿では「社大劇」。1960年の映画館名簿では経営者が林忠夫、支配人が丸山幸一、鉄筋2階暖房付、定員450、邦画・洋画を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「社劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫県信用組合社支店」。

1912年(明治45年)4月4日、加東郡の「社劇場佐保座」で東播電気株式会社の開業式が挙行され、数百人の来賓が出席した。社劇場佐保座は現在の社町の銀座通りにあった。

『保存版 北播磨今昔写真帖』郷土出版社、2007年、p.90に「佐保座から大劇へ」が掲載されている。現物は未確認。*93

多可郡多可町

鍛冶屋劇場
所在地 : 兵庫県多可郡中町鍛冶屋(1960年・1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「鍛冶屋劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
中町映画劇場/中町映劇
所在地 : 兵庫県多可郡中村町(1953年・1955年)、兵庫県多可郡中町(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1929年3月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年3月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「中町映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「中町映画劇場」。1963年の映画館名簿では「中町映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

中播磨地域

神崎郡福崎町

福崎劇場/福崎東洋劇場/福崎東洋映画劇場
所在地 : 兵庫県神崎郡福崎町(1953年・1955年・1960年・1963年)、兵庫県神崎郡福崎町福田411-1(1966年・1969年)、兵庫県神崎郡福崎町(1973年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1973年以後1975年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「福崎劇場」。1963年の映画館名簿では「福崎東洋劇場」。1963年の住宅案内図帳では「東洋映画劇場 藤田洋行」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「福崎東洋映画劇場」。1973年の住宅地図では「東洋映劇」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「福崎町立福崎小学校」北校舎の北120mの住宅地。最寄駅はJR播但線福崎駅。

神崎郡神河町

映画館名簿によると神河町に映画館は存在しなかったと思われる。

神崎郡市川町

映画館名簿によると神河町に映画館は存在しなかったと思われる。

西播磨地域

相生市

播磨劇場/播磨映画劇場/相生東映/相生東映播磨映画劇場
所在地 : 兵庫県相生市松ノ浦町(1950年)、兵庫県相生市松ノ浦(1953年)、兵庫県相生市松の浦(1955年)、兵庫県相生市相生松浦1829(1960年)、兵庫県相生市相生松ノ浦町(1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市相生1-2-27(1969年)
開館年 : 1918年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「播磨劇場」。1958年の映画館名簿では「播磨映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「相生東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「相生東映播磨映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1942年の相生市にあった映画館「播磨劇場」の写真あり。相生港地区にあり、松浦氏が経営していた。造船所を訪れた軍艦の水兵などが見える。*94

1942年の「播磨劇場」の写真あり。1918年、造船所が厚生施設として播磨劇場を建設した。1926年8月7日に播磨劇場で行われた陪審法の模擬裁判の写真あり。映画館に転用されて「播磨映劇」となり、昭和30年代は東映の専門館だった。*95

1940年頃の相生市相生にあった「播磨劇場」で開催された出征軍人遺家族慰安会の写真あり。大正時代に造船所が播磨劇場を建設し、戦後には映画館「相生東映」に改称した。*96
相生館
所在地 : 兵庫県赤穂郡相生町相生(1936年)、兵庫県赤穂郡相生町(1943年)、兵庫県相生市2955(1950年)、兵庫県相生市955(1953年)、兵庫県相生市相生3955(1955年)、兵庫県相生市相生(1960年・1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市相生5-1-26(1969年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1972年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年の映画館名簿では「相生館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「相生館」。1973年のゼンリン住宅地図では相生5-1-26に「播●生協上町支部建設中」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では跡地に「CO-OP相生支部」。跡地は「相生公民館」南東30mにある駐車場「相生公民館滴水庵専用駐車場」。最寄駅はJR山陽本線・赤穂線相生駅。

1942年3月の相生市にあった「相生館」の写真あり。*97

1942年3月25日の相生市にあった「相生館」の写真あり。1930年に建てられた。映画全盛期の相生市には「相生館」「播磨映劇」「旭館」の3映画館があった。1956年には3館すべてが相生興行の傘下に入り、旭館は邦画、播磨映劇は東映、相生館は洋画と邦画を上映した。*98

1930年の「相生館」開業の日の写真あり。1972年の相生館閉館前の写真あり。最盛期の相生市には3館の映画館があり、相生館は1930年から1972年まで営業した。閉館後の建物は播磨生協の店舗として使用され、コープこうべとなった後も店舗として使用された。2013年には耐震の問題でコープミニ相生みなと店が閉店し、取り壊されてからは相生公民館の駐車場となっている。*99
旭館/相生旭館
所在地 : 兵庫県相生市相生1184(1958年)、兵庫県相生市相生(1960年・1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市旭5-14-1(1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1975年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「旭館」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「相生旭館」。1973年のゼンリン住宅地図では「旭館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では跡地に「旭館 西播運輸」。跡地は「播州信用金庫相生支店」東の「西播運輸」駐車場。最寄駅はJR山陽本線・赤穂線相生駅。

1975年頃の相生市にあった「旭館」の写真あり。旭商店街入口の旭本町5丁目にあった。相生市で最後まで営業していたが、1975年に閉館した。商店街はあとに入る企業を誘致し、1977年に西播通運の本社が移転してきた。2006年現在の跡地の写真あり。映画館の建物は長らく西播通運の本社として使用されたが、2003年に取り壊された。跡地には暫定的に播州信用金庫相生支店の仮店舗が建っていたが、2006年現在は駐車場となっている。*100

時期不明の相生市にあった「旭館」の写真あり。1954年に本町商店街の北側に開館した。1962年に『キューポラのある町』が上映された際、本作品を監督した浦山桐郎(相生出身)は旭館の最後尾で観客の反応を確かめた。*101

赤穂市

振興会館
所在地 : 兵庫県赤穂市坂越町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「振興会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の赤穂市全産業住宅案内図帳では発見できず。
みかさ館
所在地 : 兵庫県赤穂市有年横尾(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「みかさ館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
赤穂宝塚劇場
所在地 : 兵庫県赤穂市加里屋町62-4(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年・1963年)、兵庫県赤穂市加里屋53-2(1966年・1969年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「赤穂宝塚劇場」。1964年の赤穂市全産業住宅案内図帳では「宝塚劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に空白。跡地は「メガネの中西」。最寄駅はJR赤穂線播州赤穂駅。

1961年10月1日、赤穂市の「赤穂宝塚劇場」が東宝に買収され、東宝関西興行の直営館となった。*102

1961年10月1日、東宝は赤穂市の「赤穂宝塚劇場」を買収し、傍系の東宝関西興行の直営館となった。赤穂宝塚劇場の社員は赤穂宝塚株式会社のままである。*103
満寿廻館/満寿遒館/赤穂マスノ館/マスノ館
所在地 : 兵庫県赤穂郡赤穂町(1950年)、兵庫県赤穂市(1953年)、兵庫県赤穂市加里屋寺町(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年・1963年)、兵庫県赤穂市加里屋2194(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 明治末期、1939年
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿では「満寿廻館」。1953年・1955年の映画館名簿では「満寿遒館」。1960年・1963年の映画館名簿では「マスノ館」。1964年の赤穂市全産業住宅案内図帳では「マスノ映画館」。1966年・1969年の映画館名簿では「赤穂マスノ館」。1973年の映画館名簿では「マスノ館」。1974年の住宅地図では「マスノ映画館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に駐車場。跡地は「赤穂市加里屋駐車場」。最寄駅はJR赤穂線播州赤穂駅。

後の「満寿廼館」(ますのかん)は明治時代末期に寄席として建てられ、まもなく映画専門館に転換した。1939年(昭和14年)頃に改築され、「映画の殿堂マスノ館」として親しまれた。1973年(昭和48年)頃に閉館した。花輪が見える写真あり(※1939年頃)。*104
福栄座/赤穂東映/赤穂東映劇場/赤穂あかいトーエー/あかいトーエー
所在地 : 兵庫県赤穂郡赤穂町(1950年)、兵庫県赤穂市(1953年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町2250(1958年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年)、兵庫県赤穂市加里屋町2250(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)
開館年 : 1886年3月(演劇場)、1952年(映画館化)
閉館年 : 1981年4月5日
『全国映画館総覧 1955』によると1886年3月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「福栄座」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「赤穂東映」。1964年の赤穂市全産業住宅案内図帳では「赤穂東映」。1966年の映画館名簿では「赤穂東映劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「赤穂あかいトーエー」。1974年の住宅地図では「あかいトーエー」。1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「あかいトーエー」。1980年の住宅地図では「あかいトーエー(キッサセレナ)」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「主婦の店赤穂店」西50mにある旧「主婦の店赤穂店」建物中央部。最寄駅はJR赤穂線播州赤穂駅。

1886年(明治19年)には赤穂に「福栄座」が建てられ、漫才・芝居・浪曲など演劇の殿堂だった。1952年(昭和27年)に映画専門館となって「赤穂東映」に改称した。1981年(昭和56年)4月5日をもって閉館した。昭和初期の福栄座の写真あり。*105

1968年5月の赤穂市に建設中の「アカイ東映」の写真あり。1991年現在のこの建物は主婦の店赤穂店になっている。アカイ東映で使用されていた映写機の写真あり。*106
プラット赤穂シネマ1・2・3
所在地 : 兵庫県赤穂市加里屋70-1 プラット赤穂2階(2005年・2010年・2015年)、兵庫県赤穂市加里屋290-10 プラット赤穂2階(2020年)
開館年 : 2000年12月1日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「プラット赤穂シネマ1・2・3」(3館)。最寄駅はJR赤穂線播州赤穂駅。

宍粟市

日盛館
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「日盛館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
上野劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡西谷村(1955年)、兵庫県宍粟郡波賀町上野(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「上野劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
旭座
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町寺町(1963年)
開館年 : 1881年、1925年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「旭座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

山崎町寺町にあった劇場「旭座」の写真あり。旭座は1881年(明治14年)に開館し、1924年(大正13年)に焼失したが、1925年(大正14年)に再建された。1925年(大正14年)には中村福助が、1949年(昭和24年)には市川九団次が山崎町を訪れている(※旭座を訪れたかどうか曖昧な表現がなされている)。*107
昭和座
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町(1958年・1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町三方下垣内359(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「昭和座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
神戸劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡神戸村(1955年)、兵庫県宍粟郡一宮町神戸(1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町曲里(1963年)、兵庫県t(1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「神戸劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
一宮劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡神戸村(1955年)、兵庫県宍粟郡一宮町東市場(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「一の宮劇場」。1960年の映画館名簿では「一ノ宮劇場」。1963年の映画館名簿では「一の宮劇場」。1966年の映画館名簿では「一宮劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
三方劇場/三方映劇
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町三方(1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町三方420(1963年)、兵庫県宍粟郡一宮町梅ケ坪247-7(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「三方劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「三方映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
新富座/山崎新富座
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町(1950年・1953年・1955年・1960年)、兵庫県宍粟郡山崎町庄能(1963年)、兵庫県宍粟郡山崎町山崎(1966年)
開館年 : 1926年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「新富座」。1966年の映画館名簿では「山崎新富座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

大正時代の山崎町にあった「新富劇場」の内部の写真あり。1階席と2階席があり、「場劇富新」の文字が見える。山崎町の鴻ノ口には「新富座」が、寺町には「旭座」があった。新富座はのちに新富劇場に改称し、芝居・映画・演説会などに使われた。昭和40年代に閉館し、2002年現在の跡地は魚菜市場となっている。*108

1946年の山崎町にあった「新富座」の写真あり。開演前の光景である。毎日映画を上映していたが、しばしば著名な芸能人が来館し、芝居・歌・ショーなどの興行が行われた。2008年現在の新富座跡地の写真あり。現在は野菜などの市場になっている。*109
千種劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡千種村(1955年)、兵庫県宍粟郡千種村千草(1960年)、兵庫県宍粟郡千種村千草162(1963年)、兵庫県宍粟郡千種町162(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「千種劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
山映館/山映劇場/山崎山映館
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町(1955年・1960年)、兵庫県宍粟郡山崎町山崎(1963年・1966年・1969年)、兵庫県宍粟郡山崎町(1973年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1973年以後1975年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「山映劇場」。1960年の映画館名簿では「山映館」。1963年の映画館名簿では「山映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「山崎山映館」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。

たつの市

揖玉館(龍野町)
中富座/平和館/竜野銀映
所在地 : 兵庫県揖保郡龍野町(1943年・1947年・1950年)、兵庫県龍野市(1953年)、兵庫県龍野市龍野(1955年)、兵庫県龍野市龍野町(1957年)、兵庫県龍野市龍野町堂本34(1960年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1960年以後1962年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「中富座」。1947年・1950年・1953年・1955年・1957年の映画館名簿では「平和館」。1957年の映画館名簿では経営者が森辰蔵、支配人が森弘、鉄筋コンクリート造平屋建、500席、邦画・洋画を上映。1959年・1960年の映画館名簿では「竜野銀映」。1959年の映画館名簿では経営者が森辰蔵、支配人が森弘、鉄筋コンクリート造平屋建冷暖房付き、560席、邦画を上映。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では跡地に「中富座跡」。1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「たばこセンター平松」など。最寄駅はJR姫新線本竜野駅。

『龍野市勢要覧 1953年版』の映画館の欄には「龍野劇場」と「平和館」が掲載されている。龍野劇場の所在地は龍野市龍野町龍野、代表者は佐野安治、電話は412。平和館の所在地は龍野市龍野町富永、代表者は森弘、電話は404。*110

『龍野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「平和館」が掲載されている。経営者は森辰蔵、所在地は龍野市富永3丁目313-5。*111
龍野劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡龍野町(1943年・1947年・1950年)、兵庫県龍野市(1953年)、兵庫県龍野市龍野(1955年)、兵庫県龍野市龍野町旭町155(1960年)、兵庫県龍野市龍野町旭町(1962年・1963年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1960年・1962年・1963年の映画館名簿では「龍野劇場」。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では「龍劇映画館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の京洛出版住宅案内図では「神姫バス龍野営業所」。1978年の住宅地図では「神姫バス龍野営業所」。跡地は「神姫バス龍野案内所」。最寄駅はJR姫新線本竜野駅。

1913年から1914年頃の龍野にあった芝居小屋「揖玉座」の写真あり。手前に朝日橋が見えている。龍野は芸妓の多い街であり、揖玉座も繁盛した。1935年に火災で焼失し、その後「龍野劇場」となった。*112

昭和初期の龍野にあった芝居小屋「揖玉座」の写真あり。手前に朝日橋が、背後に城山が見えている。月に一度、明石や加古川から岩崎メトロや中村錦峯が地方巡業にやってきた。*113

大正時代の龍野にあった劇場「揖玉座」を揖保川越しに見た写真あり。蔵造りの揖玉座(龍野劇場)で演説会があると、新聞は聴衆千数百人と報じた。*114

昭和初期の龍野にあった劇場「揖玉座」の写真あり。素麺組合の従業員慰労会が開催されており、舞台では三味線に合わせて踊りが披露されている。*115

『龍野市勢要覧 1953年版』の映画館の欄には「龍野劇場」と「平和館」が掲載されている。龍野劇場の所在地は龍野市龍野町龍野、代表者は佐野安治、電話は412。平和館の所在地は龍野市龍野町富永、代表者は森弘、電話は404。*116

『龍野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「龍野劇場」が掲載されている。経営者は佐野安治、所在地は龍野市龍野町旭町155。*117
新宮劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡新宮町(1950年・1953年・1955年・1960年・1963年)、兵庫県揖保郡新宮町立町821(1966年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「新宮劇場」。1962年の住宅案内図帳では「新宮劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西兵庫信用金庫新宮支店」。最寄駅はJR姫新線播磨新宮駅。

『龍野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「新宮劇場」が掲載されている。経営者は船引徳二、所在地は揖保郡新宮町新宮783。*118
龍野有楽館/有楽館
所在地 : 兵庫県龍野市龍野町富永(1962年)、兵庫県龍野市龍野町富永224(1963年)、兵庫県龍野市龍野町富永214-1(1966年・1969年)、兵庫県龍野市富永214-1(1973年)、兵庫県龍野市龍野町富永214-1(1980年・1982年・1984年)
開館年 : 1960年以後1962年以前
閉館年 : 1984年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では「龍野東映」。1962年・1963年の映画館名簿では「有楽館」。1962年〜1971年の旭地図商会龍野市住宅地図では「東映有楽館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「龍野有楽館」。1974年・1978年・1979年のゼンリン住宅地図では「映画有楽館」。1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「有楽館」。1982年の映画館名簿では経営者・支配人ともに香川たか、鉄筋造1階、500席、にっかつ・東映を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン本竜野店」西北西140mの「ふれあ専用駐車場」と「西村不動産月極駐車場」。最寄駅はJR姫新線本竜野駅。

揖保郡太子町

新興映劇
所在地 : 兵庫県揖保郡太子町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「新興映劇」。1961年の住宅案内図帳では発見できず。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
太子映画劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡太子町466(1957年)、兵庫県揖保郡太子町466(1958年・1960年・1963年)、兵庫県揖保郡太子町鵤466(1966年・1969年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「太子映画劇場」。1961年の住宅案内図帳では「太子映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の刊広社住宅明細図では跡地に「倉庫」。映画館の建物は「はりま十水堂」工場だったが2010年代末以降に取り壊された。跡地は「佐久間耳鼻咽喉科」西60mの駐車場。最寄駅はJR山陽本線網干駅。

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「太子映画劇場」が掲載されている。経営者は船引栄、所在地は揖保郡太子町鵤466-1。*119

赤穂郡上郡町

中野クラブ
所在地 : 兵庫県赤穂郡上郡町中野(1960年)、兵庫県赤穂郡上郡町高田(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「中野クラブ」。1964年以前の住宅案内図帳では発見できず。1964年の映画館名簿には掲載されていない。
上郡劇場
所在地 : 兵庫県赤穂郡上郡町(1950年・1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1937年、1945年12月25日
閉館年 : 1965年
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「上郡劇場」。1953年・1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「上郡劇場」。1964年以前の住宅案内図帳では「上郡映劇」。1965年の映画館名簿では経営者が秋田治郎市、支配人が秋田昭子、木造1階、定員244、邦画・洋画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「安藤歯科医院」北北東100mの駐車場。最寄駅はJR山陽本線・智頭急行線上郡駅。

1904年、日露戦争の戦勝を記念して上郡駅前に「日勝座」が創設された。1973年現在の酒店の長安商店付近である。日勝座からやや遅れて、旭町に「旭座」が創設された。1973年現在の野村指物店の屋敷である。1913年頃には旭座が山本惣吉の経営で「やまき座」となった。やがてやまき座の営業権が秋田氏に移り、1937年には千種川の河畔に「上郡劇場」が発足した。戦前の上郡劇場では芝居やトーキー映画の興行が行われた。1944年には鉄工所に改造され、劇場としての営業を休止した。1945年12月25日、秋田氏と姫路の興行業者の共同出資によって上郡劇場のこけら落としが行われた。戦後の上郡劇場は映画の上映が多く、その他にも様々な演劇が行われた。上郡劇場は1965年に廃業し、建物は播州繊維工業株式会社となった。*120

1913年、上郡町旭町に劇場「やまき座」が開かれた。1937年にはやまき座が閉鎖され、「上郡劇場」が開かれた。*121

1937年、上郡郡上郡町に「上郡劇場」が開かれた。1945年、段町に上郡劇場が再建された。*122

1942年(昭和17年)の上郡町上郡町にあった「上郡劇場」で開催された出征軍人家族慰安会の写真あり。1937年(昭和12年)に前身の劇場を引き継いで開館し、千種川の河畔にあった。戦後には移転して営業を再開したが、1965年(昭和40年)に閉館した。*123

佐用郡佐用町

佐用第一劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「佐用第一劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
寿劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町136(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「寿劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
佐用劇場/佐用映劇/佐用映画劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「佐用劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「佐用映劇」。1963年の映画館名簿では「佐用映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。佐用町最後の映画館。
上月映画劇場/上月映劇/上月劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡西庄村(1955年)、兵庫県佐用郡上月町530(1958年・1960年)、兵庫県佐用郡上月町上月(1963年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「上月劇場」。1958年の映画館名簿では「上月映画劇場」。1960年の映画館名簿では「上月映劇」。1963年の映画館名簿では「上月劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
徳久劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡南光町下総久(1958年・1960年)、兵庫県佐用郡南光町徳久(1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「徳久劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
三日月劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡三日月町(1958年・1960年・1963年)、兵庫県佐用郡三日月町三日月1117(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三日月劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

但馬地域

豊岡市

城崎劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町
開館年 : 1923年
閉館年 : 不明。
跡地は「地蔵湯」北40mの「お宿はやかわ」。

「北丹震災に罹災した湯島地区住居図」(1973年作図)には現在の城崎郵便局の場所に「温城館」が、また地蔵湯の裏に「城崎劇場」が描かれている。*124
温城館
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町(1943年)
開館年 : 1898年9月
閉館年 : 1960年頃
1898年9月開館。1925年5月23日北但馬地震で倒壊。その後再建。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「温城館」。1943年の映画館名簿によると経営者が春山三代松、定員320。1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1960年頃閉館。跡地は「城崎郵便局」。トキワ館/常盤座との関係は不明。

1938年に前田虹映が描いた鳥瞰図『躍進の城崎温泉観光図』には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。*125

1938年に前田虹映が描いた鳥瞰図『城崎温泉観光図』には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。*126

「北丹震災に罹災した湯島地区住居図」(1973年作図)には現在の城崎郵便局の場所に「温城館」が、また地蔵湯の裏に「城崎劇場」が描かれている。*127

作者・出版年不明で竹之井が刊行した『城崎温泉御案内』、出版年不明には現在の城崎郵便局の場所に「劇場」が描かれている。*128

昭和初期の城崎温泉にあった「温城館」の写真あり。城崎町唯一の劇場だった。湯治客や町民のための娯楽施設であり、芝居や映画の興行が行われた。西隣には検番があった。川沿いに桜が植栽されたのもこの頃である。*129

1898年9月、城崎温泉初の大衆劇場「温城館」(おんきかん)が誕生した。城崎町の有志が出資したうえで、湯島財産区が500円を援助した。同年12月には活動写真が上映され、城崎郡竹野町や城崎郡港村からも観客が訪れた。1階席と2階席があり、150人から200人を収容できた。花道や廻り舞台がある立派な芝居小屋であり、城崎唯一の劇場だったことから、『石田手記』では「当時にあっては実に驚嘆的施設」と書かれている。2005年現在の城崎郵便局の場所にあった。1923年頃には神戸の資産家らが地蔵湯の裏手に「城崎劇場」を建てたため、温城館は経営難に陥り、しばしば所有者が変わった。温城館は1925年の北丹大震災で焼失したが、いち早く再建された。北丹大震災後に再建された際の温城館の写真あり。太平洋戦争中には軍需産業の疎開先となったが、戦後まもなく営業が再開され、藤山寛美やかしまし娘らの公演した。テレビが普及する1960年頃まで映画館兼劇場として存続していた。*130

1909年に国鉄山陰本線が開業したことで、城崎温泉の客は激増した。1916年に温泉事務局が発行した『城崎温泉案内記』によると、劇場「温城館」や寄席「東亭」などがあり、演劇・講談・浄瑠璃・浪花節・芸妓の舞踊などの娯楽があった。玉突きや大弓などの遊技場も点在していた。1922年には城崎温泉土地建物会社が設立され、駅前に城崎ホテルが建設されたほか、地蔵湯の裏に「城崎劇場」が建設された。*131
山陰映画館
所在地 : 兵庫県豊岡市円山町(1958年)、兵庫県豊岡市円山(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「山陰映画館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
大勝館
所在地 : 兵庫県豊岡市生田通122(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「大勝館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
東館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町99(1958年)、兵庫県出石郡出石町(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「東館」。1960年の映画館名簿では経営者・支配人ともに芦田一雄、木造2階建、400席、東映・松竹を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「出石史料館」南西80mにある駐車場。

1942年の出石町の街中にあった「東館」の写真あり。右隣に出石印刷工場がある。出石町にあった芝居や映画の娯楽施設としては「永楽館」と東館があった。2006年の東館跡地の写真あり。駐車場となっている。奥に山本製陶が見える。*132
竹野集会所/竹野集会場/竹野映劇/竹野映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡竹野町(1955年)、兵庫県城崎郡竹野町浜(1958年)、兵庫県城崎郡竹野町土居(1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「竹野集会所」。1955年の映画館名簿では経営者・支配人ともに杉田芳雄、構造・定員は記載なし。1958年の映画館名簿では「竹野集会場」。1958年の映画館名簿では経営者が杉田。1960年の映画館名簿では「竹野映劇」。1960年の映画館名簿では経営者が杉田ハル、支配人が細間儀朗、木造1階、定員200、邦画を上映。1963年の映画館名簿では「竹野映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
トキワ館/常盤座
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県城崎郡城崎町湯島(1958年)、兵庫県城崎郡城崎町宮本(1960年・1963年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「トキワ館」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「常盤座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。温城館との関係は不明。
日高劇場/日高映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町(1955年・1958年)、兵庫県城崎郡日高町日吉(1960年)、兵庫県城崎郡日高町(1963年)
開館年 : 1903年2月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1903年2月開館。1955年の映画館名簿では「日高劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日高映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1958年の日高町日置にあった「日高映画劇場」で行われたコンサートの写真あり。昭和30年代の日高町には2館の映画館があった。*133
永楽館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町柳17(1958年)、兵庫県出石郡出石町柳(1960年・1963年)
開館年 : 1901年
閉館年 : 1964年
Wikipedia : 永楽館
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「永楽館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物が現存。兵庫県指定有形文化財。現地に現存する劇場建築としては日本最古。

1900年に出石町の弘道小学校が建て替えられた際、古材を用いて「永楽館」が建設された。田結庄小幡氏の経営だった。2階の外窓には小学校の鎧戸がそのまま用いられている。両側に花道があり、廻り舞台もあったことで、三丹随一の劇場とされた。歌舞伎に加えて寄席や浪花節も行われ、後には映画の常設館として長く続いた。テレビ時代になって閉鎖された。*134

1901年、小幡家11代目久次郎によって芝居小屋「永楽館」が建てられた。移転を経ていない劇場建築としては日本最古とされ、明治時代から残る芝居小屋は近畿地方唯一である。歌舞伎、新派劇、寄席、活動写真などの興行が行われ、戦後には映画館として営業した。昭和40年代にテレビの影響で閉館したが、廻り舞台・花道・奈落などを有する建物は小幡家の管理の下で保存された。1987年には出石町で第1回兵庫町並みゼミが開催されると、1988年には出石城下町を活かす会が結成された。劇場建築の専門家を招いた買いが開催されたり、伝統家並みシンポジウムで永楽館が取り上げられるなどしたことで、永楽館を復元する機運が高まっていった。1998年には小幡家から出石町に建物が寄付され、その後土地も譲られることになった。1998年4月28日には出石町指定文化財となり、復元に向けた建物調査が行われた。2006年秋には復原工事が開始され、2008年夏に完成すると8月にはこけら落としで大歌舞伎が上演された。*135

兵庫県出石町は但馬の小京都と呼ばれる町である。1901年には芝居好きの小幡久治郎によって芝居小屋「永楽館」が開館した。明治から大正にかけて、歌舞伎の興行・映画の上映・政談演説会などが行われた。昭和初期に小幡久治郎が死去すると、息子の小幡謹一郎が引き継いだ。昭和40年代半ばには経営難で閉鎖された。近畿地方に現存する最古の芝居小屋とされるが、現在は老朽化によってぼろぼろの廃屋状態である。しかし、このほど出石町有形文化財に指定され、出石町主導で復元されることとなった。1階は120坪、2階は60坪、定員は702人。直径6.5メートルの手動の回り舞台がある。花道の下には奈落の通路があり、花道の上には宙乗りに用いる仕掛けがある。*136

出石永楽館は1901年(明治34年)に開館。木造2階建て、610m2。350人収容。当初は歌舞伎や寄席の興行を行い、のちに映画館となった。1964年(昭和39年)に閉館。2006年(平成18年)には復元工事が行われ、2008年(平成20年)に片岡愛之助一座がこけら落としの歌舞伎公演を行った。*137

女優の片桐はいりは「出石永楽館」を訪れたことがある。片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年には出石永楽館に関する随筆が掲載されている。*138
竹野会館
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1960年)、兵庫県城崎郡竹野町土山(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1966年の映画館名簿では「竹野会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
出石映画劇場
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1963年・1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「出石映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が荒井寿、木造平屋建、290席、東映・東宝・松竹を上映。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
港劇場/豊岡港劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡港村(1953年)、兵庫県城崎郡港村瀬戸(1955年)、兵庫県豊岡市瀬戸(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「港劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「港劇場」。1966年の映画館名簿では「豊岡湊劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
池田映劇/池田映画劇場/江原池田映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町江原(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「池田映劇」。1963年の映画館名簿では「池田映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「江原池田映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
白鳥館/豊岡東映/豊岡東映劇場
所在地 : 兵庫県豊岡市亀山通(1955年・1960年・1963年・1966年)、兵庫県豊岡市泉町15-2(1969年・1970年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「白鳥館」。1960年・1963年の映画館名簿では「豊岡東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「豊岡東映劇場」。1970年の住宅地図では「豊岡東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では跡地に「キッサパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に「1階メンズショップOZAKI、2階フルーツパーラパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に「1階メンズショップオザキ、2階パーラーパンダ」。跡地は居酒屋「渡月」やバー「レモンハート」や花屋「たにやまB&Y」など。最寄駅はJR・京都丹後鉄道宮豊線豊岡駅。
豊岡有楽館/有楽館
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1950年)、兵庫県豊岡市大開東区(1955年)、兵庫県豊岡市大開東(1960年)、兵庫県豊岡市大開東区(1963年・1966年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1969年)、兵庫県豊岡市中央町(1973年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1988年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1923年開館。1950年・1953年の映画館名簿では「有楽館」。1955年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「豊岡有楽館」。1973年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1970年・1974年・1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「有楽ビル 3階 映画館」。1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「有楽館」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンファミリー豊岡」。最寄駅はJR・京都丹後鉄道宮豊線豊岡駅。

1970年の豊岡市中央町にあった有楽ビルで撮られた記念写真あり。有楽ビルは大開通りにあり、3階には1923年開館の映画館「有楽館」が入っていた。2021年現在の跡地にはマンションが建っている。*139
豊岡劇場/豊岡劇場・豊岡シネマ/豊岡劇場1・2/豊岡劇場大ホール・小ホール
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1950年)、兵庫県豊岡市円山区(1955年)、兵庫県豊岡市円山(1960年・1963年)、兵庫県豊岡市滋茂21(1966年)、兵庫県豊岡市滋茂11(1969年)、兵庫県豊岡市元町11(1973年)、兵庫県豊岡市元町10-18(1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年・2022年)
開館年 : 1927年? 1933年?、1975年以後1978年以前(2館化)
閉館年 : 2022年8月31日休館予定
『全国映画館総覧 1955』によると1933年開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「豊岡劇場」。1970年・1974年のゼンリン住宅地図では「豊岡劇場」。1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「豊岡劇場・豊岡シネマ」(2館)。1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「豊劇 豊岡シネマ」。1995年・2000年・2005年・2010年・2012年の映画館名簿では「豊岡劇場1・2」(2館)。2012年の映画館名簿では経営会社が有限会社豊岡劇場、経営者が山崎明美、支配人が山崎浩作、1が鉄筋造1階で214席で邦画・洋画を上映、2が鉄筋造2階で70席で邦画・洋画を上映。2012年3月31日閉館。2014年12月27日再開館。2015年・2020年・2022年の映画館名簿では「豊岡劇場大ホール・小ホール」(2館)。2022年の映画館名簿では経営会社が有限会社石橋設計、経営者・支配人ともに石橋秀彦、1が148席、2が34席。最寄駅はJR・京都丹後鉄道宮豊線豊岡駅。

豊岡市元町10-18の「豊岡劇場」。設計者や施工者は記載なし。構造は木造2階建。竣工年は昭和初期。*140

城崎郡日高町(現・豊岡市)出身の俳優である今井雅之は、兵庫県立豊岡高校在学時にしばしば「豊岡劇場」に通っていた。*141

女優の片桐はいりは「豊岡劇場」を訪れたことがある。片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年には豊岡劇場に関する随筆が掲載されている。*142

豊岡劇場に言及している書籍として中村政人『コミュニティ・アートプログラム』アートNPOゼロダテ、2013年がある。京都市の出町座や福知山市のまちのばにも言及している。*143

豊岡劇場に言及している書籍として『新しいコミュニティを生み出す空間とデザイン』パイインターナショナル、2020年がある。*144

豊岡劇場に言及している書籍として平野隆彰(編著)『丹波発 次の生き方としての「田舎」』あうん社、2022年がある。*145

2012年3月15日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「さよなら豊岡劇場」という記事が掲載されている。*146

2012年3月16日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊岡劇場今月末に閉館」という記事が掲載されている。*147

2012年3月18日付『読売新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇半世紀に幕」という記事が掲載されている。*148

2012年3月24日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬の映画館幕引き」という記事が掲載されている。*149

2012年3月28日付『朝日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬から銀幕消ゆ」という記事が掲載されている。*150

2012年3月31日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「時代に押されきょう閉館」という記事が掲載されている。*151

2012年4月1日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇60年の歴史に幕」という記事が掲載されている。*152

2012年4月1日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「いつか復活を」という記事が掲載されている。*153

2014年の営業再開後の経営者である石橋秀彦は、中学生の頃から豊岡劇場に通っていた。石橋は中学生の頃に映画監督を志し、アイルランドの美術学校に留学すると、イギリスのロンドンでアーティストとしての活動を行った後に帰国した。日本では映画配給の仕事に携わり、2012年に豊岡劇場が閉館すると、2014年に「豊劇新生プロジェクト」を立ち上げ、クラウドファウンディングを行って改装資金を獲得、同年に営業を再開した。1927年に芝居小屋として開館した豊岡劇場は、戦時中には倉庫として使用され、戦後には映画館となった。2014年の営業再開後、大ホールでは映画上映のほかにイベントも行っている。小ホールは地域のコミュニティスペースとしても機能し、クリエイターの発表の場にもなる。ロビーはカフェ&バーとして使用している。ゆくゆくは駐車場スペースにテナントを募集することも検討している。*154

「豊岡劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*155

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、高田京子「human INTEREST レトロを訪ねる 映画館編」『週刊新潮』2007年3月15日号がある。*156

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、「冬はストーブと共に」『弁当と傘』第1号、2011年がある。*157

「豊岡劇場」に言及している雑誌記事として、石橋秀彦「地域の力を信じる・活かす 豊岡劇場の新生と『地域の力』」『地方自治職員研修』公職研、2016年7月がある。*158

養父市

広谷座
所在地 : 兵庫県養父郡広谷町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町広谷(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿では「広谷座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「広谷座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
平木映画/平木映画劇場/平木八鹿東映
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町(1950年)、兵庫県養父郡八鹿町京町(1953年)、兵庫県養父郡八鹿町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町1634(1958年)、兵庫県養父郡八鹿町(1960年・1963年)
開館年 : 1949年8月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1949年8月開館。1955年の映画館名簿では「平木映画」。1958年・1960年の映画館名簿では「平木映画劇場」。1953年の映画館名簿では「平木映劇」。1955年の映画館名簿では「平木映画」。1960年の映画館名簿では「平木映画劇場」。1963年の映画館名簿では「平木八鹿東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

八鹿町の「平木映劇」が焼失した後だったか、京口の兵庫蚕種の近くには「文化会館」があり、一週間に一度くらい映画を上映していた。*159

時期不明の「平木映劇」の外観と内部の写真あり。洋風のファサードが見える。内部には2階桟敷席がみえる。活弁士の席もあった。*160
大屋会館
所在地 : 兵庫県養父郡大屋町(1969年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「大屋会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
関宮会館
所在地 : 兵庫県養父郡関宮町(1969年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「関宮会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在ある関宮会館という公民館との関係は不明。
明延会館/明延協和会館
所在地 : 兵庫県養父郡南谷村和田(1955年)、兵庫県養父郡大屋町和田東側(1958年)、兵庫県養父郡大屋町(1960年)、兵庫県養父郡大屋町和田1085(1963年)、兵庫県養父郡大屋町(1969年)
開館年 : 1931年12月、1957年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1931年12月開館。1955年の映画館名簿では「明延会館」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「明延協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「南谷郵便局」の北北東90m。「明延一円電車」南すぐ。映画館の建物が現存。

1931年末、娯楽及び集会のために「協和会館」が建てられた。建坪216坪、定員1800人。しばしば演芸会や映画会が催された。1955年頃の大屋町にあった協和会館の写真あり。合併申請書より。*161

旧協和会館は、1957年(昭和32年)に建設された福利厚生のための劇場。鉄筋コンクリート造、2階建て、亜鉛渡鉄板葺である。建坪は257坪であり、延坪は340坪である。軒高は8間。2006年(平成18年)現在は明延精工の倉庫として使用されているが、映写室には当時の映写機などが残っている。当時の建物配置図があり、協和会館、小学校、公会堂、病院、共同浴場、テニスコートなどが掲載されている。*162

1935年頃の大屋町明延にあった「協和会館」の写真あり。大きな行事や映画上映などに用いられた。*163
ルート9劇場
所在地 : 兵庫県養父郡養父町谷間地1675-1(1985年)、兵庫県養父郡養父町上野1675-1(1990年)
開館年 : 1982年以後1985年以前
閉館年 : 1995年以後1998年以前
1980年・1982年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「ルート9劇場」。1993年の住宅地図では「ルート9劇場」。1998年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宿院商店」から兵庫県道271号を挟んで反対側付近。
八鹿映劇/八鹿映画劇場/八鹿第一映劇・八鹿第二映劇/八鹿第一映画・八鹿第二映画
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町京口(1958年)、兵庫県養父郡八鹿町(1960年・1963年)、兵庫県養父郡八鹿町8(1966年・1969年・1973年)、兵庫県養父郡八鹿町八鹿1795(1976年)、兵庫県養父郡八鹿町鹿町(1980年)、兵庫県養父郡八鹿町八鹿1795-1(1990年・2000年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 2006年
『全国映画館総覧 1955』によると1953年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「八鹿映劇」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「八鹿映画劇場」。1976年の映画館名簿では「八鹿第一映画劇場・八鹿第二映画劇場」(2館)。1980年の住宅地図では「八鹿映画」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「八鹿第一映劇・八鹿第二映劇」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「八鹿第一映画・八鹿第二映画」(2館)。2000年時点では兵庫県の郡部唯一の映画館。2003年の住宅地図では「八鹿映画劇場」。2006年に閉館したことで豊岡劇場が但馬地方唯一の映画館となった。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「八鹿郵便局」北東70mのフィットネスクラブ「にこにこ元気クラブ」。2021年時点で映画館の建物が現存。

1965年頃の八鹿町八鹿にあった映画館「八鹿映劇」の写真あり。「八鹿映劇」や「映画と演劇」の文字が見える。八鹿町の中心市街地に位置し、屋岡橋南側の川沿いにあった。平成に入ってから閉館した。*164

1966年の八鹿町八鹿にあった「八鹿映劇」で行われた尺八演奏会の写真あり。八木川沿いの屋岡橋の南にあった。八鹿町には音楽ファンが多く、1971年には八鹿町文化協会が発足している。*165

朝来市

朝来映画劇場/朝来映劇
所在地 : 兵庫県朝来郡朝来町新井541-1(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「朝来映画劇場」。1966年の映画館名簿では「朝来映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
南座/和田山南座
所在地 : 兵庫県朝来郡和田山町(1955年・1958年・1960年)、兵庫県朝来郡和田山町和田山135-1(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「南座」。1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「和田山南座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
協和会館/生野協和会館
所在地 : 兵庫県朝来郡生野町(1955年・1960年)、兵庫県朝来郡生野町口銀谷985-1(1969年)
開館年 : 1917年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1917年12月開館。1955年の映画館名簿では「協和会館」。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「生野協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

『日本とともに歩んだ銀山の町 いくの』生野町中央公民館、1994年には生野協和会館の写真が掲載されている。*166

1953年の生野町口銀谷にあった「協和会館」で行われたダンスパーティの写真あり。1929年に建てられた木造洋風の建物である。生野鉱山の従業員や家族が諸行事の会場として利用した。*167
ヤナセ映劇/ヤナセ映画劇場/山東ヤナセ映劇
所在地 : 兵庫県朝来郡梁瀬町(1955年)、兵庫県朝来郡山東町古市場(1958年)、兵庫県朝来郡山東町(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「ヤナセ映劇」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ヤナセ映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「山東ヤナセ映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1970年代の航空写真を見ると現在の川原町公民館の場所に巨大な建物がある。

1952年(昭和27年)、朝来郡梁瀬町の川原町に映画館が開館した。*168

1963年(昭和38年)頃の山東町楽音寺(梁瀬)にあった洋画専門の映画館「梁瀬映劇」の写真あり。1959年(昭和34年)に封切られた『レ・ミゼラブル』、『海底探検世界一周』などのフランス映画のポスターが見える。*169
神子畑協和会館
所在地 : 兵庫県朝来郡山口村(1955年)、兵庫県朝来郡朝来町(1960年・1963年)、兵庫県朝来郡朝来町佐嚢1842(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「神子畑協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ムーセ旧居」(ムーセハウス写真館)北東240mの森林。国道429号と神子畑川に挟まれている。デビュー間もない島倉千代子が公演を行ったことがある。

美方郡香美町

香住映画劇場/香住映劇
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1953年・1958年・1960年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「香住映劇」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「香住映画劇場」。1960年の映画館名簿では「香住映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
あずま館
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「あずま館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
大黒座/香住大黒座
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1950年・1953年)、兵庫県城崎郡香住町若松(1955年)、兵庫県城崎郡香住町182(1958年)、兵庫県城崎郡香住町(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1943年
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1943年開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大黒座」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「香住大黒座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代・1970年代の航空写真では現在の若松コミュニティセンターの場所に巨大な建物がある。

美方郡新温泉町

末広座/大富座
所在地 : 兵庫県美方郡浜坂町(1943年・1947年・1951年・1952年・1953年・1955年・1958年・1959年・1960年・1961年)
開館年 : 1901年以前、1942年1月
閉館年 : 1939年12月20日、1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1942年1月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「末広座」。1947年の映画館名簿では「大富座」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1952年・1953年・1955年・1958年・1959年・1960年・1961年の映画館名簿では「大富座」。1955年の映画館名簿では経営者が井上つね、支配人が井上二三男、木造2階、定員280、混合を上映、映写機はローラー、発声器はローラー、電話は浜坂103。1958年の映画館名簿では経営者が東史郎、支配人が小谷秀史、木造2階、定員500、邦画を上映、映写機は東亜、発声器は東亜、電話は浜坂245。1960年の映画館名簿では経営者が東史郎、支配人が小谷秀史、木造2階、定員500、邦画を上映、映写機はトーア、発声器はトーア、電話は浜坂245。1962年の映画館名簿には掲載されていない。

1923年11月20日、浜坂町の「末広座」で浜坂・大庭・西浜3ヵ町村処女連合会が開催された。12月1日、末広座で四支部音楽会が開催された。12月22日、末広座で浜坂町婦人会の発会式が開催された。*170

1901年4月26日、浜坂町字御屋敷町の劇場で浜坂町町会議員の定期改選が行われた。1939年12月20日、浜坂町浜岡町の「大富座」が火災で焼失した。*171

浜坂町の御屋敷町には「大富座」(おおとみざ)があった。1901年の記録に登場することからこの時にはすでに開館していた。芝居・映画・集会などに使用されたが、1939年12月に焼失した。*172
温泉座
所在地 : 兵庫県美方郡温泉町(1953年)、兵庫県美方郡温泉町湯(1955年)、兵庫県美方郡温泉町153-2(1958年)、兵庫県美方郡温泉町(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「温泉座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。同じ町ではストリップ劇場の湯村温泉劇場の建物が現存している。
浜坂映画劇場/浜坂映劇
所在地 : 兵庫県美方郡浜坂町1144(1960年)、兵庫県美方郡浜坂町(1961年・1962年)、兵庫県美方郡浜坂町新町(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1972年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1961年の映画館名簿では「浜坂映劇」。1960年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が藤田博、木造2階冷暖房付、定員386、邦画・洋画を上映、映写機はトーワ、発声器はトーワ、電話は浜坂58呼。1962年・1963年の映画館名簿では「浜坂映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が前田博、木造2階冷暖房付、定員400、邦画・洋画を上映、映写機はセントラル、発声器はセントラル、電話は浜坂370。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜坂映劇」。1973年の映画館名簿では経営者が谷本俊一、支配人は記載なし、木造2階、300席、邦画を上映、電話は浜坂370。1975年の映画館名簿には掲載されていない。1979年の住宅地図では確認できず。跡地は「宝宣寺」本堂北西20mにある複数の敷地。最寄駅はJR山陰本線浜坂駅。

1923年には浜坂町に「末広座」が建築された。その後、末広座は「大富座」に改称し、1960年頃には大富座が「浜坂映劇」に改称した。1972年頃まで営業していた。大富座が浜坂映劇に改称した際の祝賀写真あり。*173


丹波地域

丹波市

戎シネマ
所在地 : 兵庫県氷上郡成松町宮前町(1953年)、兵庫県氷上郡成松町宮前(1955年)、兵庫県氷上郡氷上町成松(1958年・1960年・1961年)
開館年 : 1948年
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1961年の映画館名簿では「戎シネマ」。1961年の映画館名簿では経営者が小南松太郎、支配人が前田慶一、木造2階、定員500、邦画・洋画を上映。1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「エビスシネマ」南東40mにある建物。最寄駅はJR福知山線石生駅。

1950年、成松町に小南松太郎が映画常設館「戎シネマ」を新築した。「成松映画劇場」とともに親しまれている。*174
柏原劇場/柏原映画劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡柏原町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県氷上郡柏原町本町(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「柏原劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「柏原映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1952年(昭和27年)10月に「柏原劇場」の建物前で撮られた柏原町商工会店員表彰式の写真あり。柏原劇場は1971年(昭和46年)に姿を消した。*175
黒井映画劇場/黒井映劇/黒井劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡黒井町(1953年・1955年)、兵庫県氷上郡春日町黒井(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「黒井映画劇場」。1955年の映画館名簿では「黒井映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「黒井劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
谷川映画劇場/谷川映劇/谷川劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡久下村(1953年・1955年)、兵庫県氷上郡山南町谷川(1960年・1966年・1967年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「谷川映画劇場」。1955年・1960年の映画館名簿では「谷川映劇」。1966年・1967年の映画館名簿では「谷川劇場」。1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。
和田ニコニコ座/和田映劇/和田映画劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡和田村(1953年)、兵庫県氷上郡和田村下町(1955年)、兵庫県氷上郡和田村和田(1958年)、兵庫県氷上郡山南町和田(1960年・1966年・1968年)
開館年 : 1933年
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1933年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「和田ニコニコ座」。1955年の映画館名簿では「和田映劇」。1958年の映画館名簿では「和田映画劇場」。1960年の映画館名簿では「和田映劇」。1966年・1968年の映画館名簿では「和田映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
佐治映画劇場/佐治劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡佐治町(1953年・1955年)、兵庫県氷上郡青垣町佐治(1958年・1960年・1966年・1968年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「佐治劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「佐治映画劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「佐治劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
成松映劇/成松映画劇場/成松劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡成松町(1943年・1953年・1955年)、兵庫県氷上郡氷上町成松(1958年・1960年・1963年)、兵庫県氷上郡氷上町成松町(1966年・1967年)、兵庫県氷上郡氷上町(1968年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1913年開館。1930年・1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「成松劇場」。1947年・1949年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「成松映画劇場」。1955年の映画館名簿では「成松映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「成松映画劇場」。1963年・1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「成松劇場」。1968年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が前田慶一、木造2階、定員400、邦画・洋画を上映。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「だいまん」とその北側の道路とその北側の「だいまん駐車場」。最寄駅はJR福知山線石生駅。
ヱビスシネマ。
所在地 : 兵庫県丹波市氷上町成松263-3(2022年)
開館年 : 2021年7月30日
閉館年 : 営業中
2021年の映画館名簿には掲載されていない。2022年の映画館名簿では「エビスシネマ」。2022年の映画館名簿では経営会社が株式会社コドルニス、経営者・支配人ともに近兼拓史、50席。正式名称は「ヱビスシネマ。」(一文字目が「エ」ではなく「ヱ」、最後に句点)。

兵庫県丹波市氷上町の成松商店街で、映画館の復活を目指す「成松映画館復活プロジェクト(仮)」が住民らによって発足した。2018年3月11日には成松第3公民館で近兼拓史監督の『切り子の詩』の上映会が行われる。上映会は成松商店街で開催される「丹波甲賀の里軽トラ市」の一環。かつて成松地区には「成映」と「エビス座」があったが、昭和40年代までに閉館となった。*176

丹波市が舞台の映画『恐竜の詩』の監督である近兼拓史は、丹波市民が元暴力団事務所の再生を構想する映画『銀幕の詩』の撮影と、元暴力団事務所の建物を映画館に転換させる映画館復活プロジェクトの同時進行に乗り出している。2020年春の開館と『銀幕の詩』のオープニング上映を目指している。元暴力団事務所の建物は、鉄筋コンクリート造2階建て、延床面積約260平方メートル。2階に最大80席、1階に20席のホールを整備し、裏にはカフェを設ける。改装や映写機などに約3000万円が必要だという。『銀幕の詩』は2019年3月に撮影を開始し、2020年3月に完成予定である。映画全盛期には丹波市域にも多くの映画館があったという。*177

2021年7月上旬、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館する予定。建物は住民運動の末に退去した元暴力団事務所である。2020年3月に映画監督の近兼拓史が建物を取得し、開館準備が進められている。改装を手掛ける細見工務店が丹波布の座席を発案し、丹波布伝承館の卒業生らが手織りした丹波布を用いた座席が設置された。50の座席で柄がすべて異なっている。*178

2021年7月中に、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館する予定である。現在は準備が進められており、丹波布を用いた椅子や音響設備が設置された。一般的なミニシアターには2個から6個のスピーカーが設置されるが、ヱビスシネマ。にはBOSE製の13個のスピーカーが設置され、音響は「日本全国でも屈指」とされる。開館後は作品ごとに音響を調整するという。*179

2021年7月下旬、丹波市の商店街にある元暴力団事務所の建物に、約半世紀ぶりに映画館が開館する。かつて氷上町成松地区には2館の映画館があった。2009年には山口組系の暴力団が進出し、呉服店だった2階建てビルに組員らが出入りしていた。しかし、住民運動で暴力団の追い出しに成功し、2014年には地元自治会連合会が買い戻して「第3公民館」とした。近くには別の公民館があるためほとんど使われなかったが、2018年に丹波市を舞台とする作品を上映した際に近兼拓史監督が改装を提案し、2020年3月には近兼監督自らが建物を取得した。50席のミニシアターの開館を計画し、丹波布を用いた木製座席などを設置した。約50年前まで隣接地にあった「戎シネマ」に因んで「ヱビスシネマ。」と名付けた。近兼監督は映画館開館の経緯を題材とする映画『銀幕の詩』の製作も進めている。*180

2021年7月30日、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館する。映画監督の近兼拓史が開館準備を進めている。7月17日のプレオープン日には地域住民が招待され、映画『蒲田行進曲』が上映された。かつて成松には2館の映画館があり、約50年ぶりに映画館が復活する。建物は2014年に住民運動で追放された元暴力団事務所であり、2020年3月に近兼監督が建物を取得している。7月30日のプログラムは未定。*181

2021年7月30日、丹波市氷上町に映画館「ヱビスシネマ」が開館した。記念式典には西宮市出身の映画監督である近兼拓史、丹波市の林時彦市長らが出席した。2014年に住民運動で退去した暴力団事務所を近兼監督が取得。50席の座席は地元の工務店が製作し、丹波布伝承館の職人らが織り上げた丹波布を張っている。初回上映作品は近兼監督による『恐竜の詩』であり、8月12日迄上映される。*182

2021年7月30日、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館した。準備を進めてきた映画監督の近兼拓史は「ここ成松を“ナリウッド”として、エンターテインメントの街にしたい」と語る。かつて成松地区には2館の映画館があったが、約50年前に姿を消した。2009年には成松地区の呉服店だった建物に山口組系の暴力団が進出したが、地元住民が追放運動を展開し、2014年には地元自治会が建物を約1200万円で買い戻した。2020年3月には近兼が建物を取得し、映画館への改装を提案。名称は隣接する場所にあった映画館「戎シネマ」に因んでいる。丹波市春日町の細見工務店が改装を担当。「丹波らしさ」をコンセプトとしており、50の座席には丹波布を用いているほか、座席には国産杉の間伐材を使用している。丹波の棚田や山並みを内装で表現するとともに、床面は後方に向かうにつれて緑色が濃くなるようにしている。一般的なミニシアターのスピーカーは2個から6個だが、BOSE製のスピーカー13個をスクリーンの背後や天井などに設置している。1階ではポップコーン、ジュース、ヱビスビールなどを販売している。*183

2021年7月末、丹波市氷上町成松地区に映画館「ヱビスシネマ。」が開館した。8月12日までは『恐竜の詩 ディレクターズカット版』『にしきたショパン』『劇場版ほんとうにあった怖い話 〜事故物件芸人2〜』などを上映する。一般1800円、大学生1500円、高校生以下1000円。かつて成松地区は河川交通の要衝として栄え、映画館もあった。映画監督の近兼拓史は映画『恐竜の詩』の撮影の際に丹波市に惹かれ、元暴力団事務所の建物を購入して映画館に生まれ変わらせた。50ある座席の生地は丹波布である。音響面に力を入れており、スクリーン裏や壁面には13台のスピーカーが設置されている。近兼が製作中の映画『銀幕の詩』は2022年2月に丹波市でプレミア上映される予定。*184

2021年7月30日、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館した。かつて暴力団事務所があったビルを改装し、成松地区に約50年ぶりに映画館が復活した。200インチのスクリーンと13台のスピーカーを備え、近兼監督は「音響は国内最高」と語る。館名はビル近くにあった映画館「戎シネマ」に因んでいる。*185

2021年7月30日、丹波市氷上町成松にミニシアター「ヱビスシネマ。」が開館した。経営は映画監督の近兼拓史。丹波市では約50年ぶりの映画館である。2009年には呉服店だった建物が暴力団事務所となったが、2014年に地域住民らが約1200万円で買い取り、その後は集会所として使用された。2017年には近兼が映画ロケでこの建物を使用し、その後近兼が買い取って改修した。木造2階建て、延べ約400平方メートル。2階に50席のホールがあり、200インチのスクリーンを有する。一般的なミニシアターは2個から6個のスピーカーを有するが、この映画館ではスクリーン背後、天井、客席の後部などに13個も設置している。座席には国産杉の間伐材を使用し、座面や背もたれには丹波布を用いている。*186

丹波篠山市

福住会館
所在地 : 兵庫県多紀郡福住町(1955年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1952年・1953年・1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「福住会館」。1955年の映画館名簿では経営者・支配人ともに佐野寿一、構造は記載なし、定員は記載なし、上映系統は記載なし。1956年・1957年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は喫茶店「マグナムコーヒー」として現存。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。
日置劇場
所在地 : 兵庫県多紀郡日置村(1955年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1955年以後1958年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「日置劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。
新丹波/新丹波劇場
所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町(1947年・1950年・1953年・1955年・1960年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「新丹波」。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「新丹波劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「みなと銀行篠山支店」。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。

1955年現在と思われる映画館「新丹波」の写真あり。1947年に建築された。*187

『郷友』多紀郷友会、第346号、1982年9月には「ふるさと回顧(1)思い出の楽天座」が掲載されている。*188

『郷友』多紀郷友会、第347号、1982年12月には「前号『楽天座』の記事を読んで」が掲載されており、「新丹波」にも触れられている。*189

1914年9月、新劇場「楽天座」が開館した。建てたのは小東兼蔵であり、工費は1万5000円だった。1922年には篠山土地建物株式会社の経営に移り、1週間に2回から3回の頻度で演劇・演芸・映画の興行を行った。1946年10月には客席を改造して映画常設館となり、松竹・東映・日活などを連日昼夜上映した。連日満員の時期もあったが、1959年の皇太子御成婚を機にテレビが普及し、観客数が減少した。「新丹波」の閉館後も営業を続けていたが、1967年頃からは上映するたびに赤字となり、月に3-4回の休館日を設けていた。1970年4月6日、休館日の深夜に炎上した。*190

1955年頃の多紀郡篠山町にあった映画館「新丹波」の写真あり。「楽天座」と並んで庶民の憩いの場だった。昭和40年代まで営業していた。*191

昭和40年代の篠山市乾新町にあった映画館「新丹波」の写真あり。「Sin Tanba」(※Shinではない)の文字が見える。写真撮影当時にはすでに閉館していたのか、館外にも館内にも大売り出しの旗が見える。篠山市には「楽天座」と「新丹波」の2館の映画館があり、近隣自治体からも観客が訪れた。*192
東雲座/楽天座/篠山楽天座
所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町(1943年・1947年)、兵庫県多紀郡篠山町東新町(1950年)、兵庫県多紀郡篠山町東新町(1953年・1955年)、兵庫県多紀郡篠山町東新町(1960年・1963年)、兵庫県多紀郡篠山町(1966年・1969年)
開館年 : 1914年1月
閉館年 : 1970年4月6日
『全国映画館総覧 1955』によると1914年1月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「楽天座」。1966年・1969年の映画館名簿では「篠山楽天座」。1970年の火災で焼失して閉館。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「頼尊又四郎稲荷神社」北側の未舗装駐車場。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。

1936年時点の篠山町には演劇場として「楽天座」がある。所在地は篠山町東新町、経営者は篠山土地建物株式会社、収容人員は646人、演劇種別は映画・歌舞伎・その他。もともとこの場所には円通寺があった。「千歳座」として竣工し、後に小東兼蔵によって改修されて「兼栄座」に改称したが、1909年12月31日の火災で焼失した。1914年には小東兼蔵によって「楽天座」が建築され、やがて株式組織となった。*193

現在の楽天座の場所にあった「東雲座」の写真あり。1908年に焼失した。1914年に新築された際の劇場「楽天座」の写真あり。1955年現在の改築された楽天座の写真あり。*194

昭和40年代の多紀郡篠山町にあった映画館「楽天座」の写真あり。「座天楽」の文字が見える。焼失後に改装された。*195

1958年の多紀郡篠山町の東新町にあった映画館「楽天座」の写真あり。右書きの「座天楽」の文字が見える。『素晴しき男性』『遠州森の石松』『呪いの笛』のポスターが見える。戦後の篠山には「楽天座」と「新丹波」の2館の映画館があった。*196

淡路地域

洲本市

玉尾座
所在地 : 兵庫県洲本市(1950年)、兵庫県洲本市下屋敷町(1953年・1955年)、兵庫県洲本市下屋敷町乙10-3(1960年)
開館年 : 明治時代初期、1929年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「玉尾座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1972年・1980年の住宅地図では跡地に「玉尾モータープール」。現在の跡地は有料駐車場「玉尾モータープール」。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年には玉尾座が「劇場」として描かれている。*197

洲本市にあった劇場「玉尾座」の写真あり。淡路島で最も古い歴史を持つ劇場であり、洲本唯一の娯楽施設として様々な興行を行った。玉尾座は1903年(明治36年)頃に現在地に移転し、昭和初期に改築を行った。1979年(昭和54年)現在の跡地にはモータープールとビルが建っており、劇場があったころの面影はない。*198

淡路島で最も古い劇場は洲本市の「玉尾座」であり、明治時代初期には既に存在していたという。1928年(昭和3年)に大改築を行い、舞台の間口は7間、奥行は6間、観客席は1500人以上を収容した。洲本市では「昭和館」や「洲本劇場」などもこの頃に建てられた。*199
洲本劇場
所在地 : 兵庫県洲本市物部60(1958年)、兵庫県洲本市常盤町(1960年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では跡地に「三熊モータープール」。跡地はパチンコ店「ホワイトハウス洲本店」。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年には洲本劇場が「劇場」として描かれている。*200

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「洲本劇場」が掲載されている。現物は未確認。*201
旭座/旭座劇場
所在地 : 兵庫県津名郡由良町(1955年)、兵庫県洲本市由良町(1960年・1963年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「旭座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「旭座劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では「KK旭座劇場」。1980年の住宅地図では跡地に「貸ガレージ」。跡地は「淡路信用金庫由良支店」北北西70mの建物。

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「旭座」が掲載されている。現物は未確認。*202

浜松鮮魚店の店主(60代)。「浜松鮮魚店から北に見える、駐車場となっている建物の場所が映画館だった。映画館時代から建物は変わっている。塀に囲まれた部分が映画館の敷地であり、建物の大きさは今と一緒くらいだったのではないか。自身がすごく小さい(こんまい)時には東映まんがまつりが開催されていたのを覚えている。」
洲本タイガー(旧)
所在地 : 兵庫県洲本市下屋敷町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本タイガー」。1966年の映画館名簿では紺屋町2-129に「洲本銀映・洲本タイガー劇場」があるため、1960年以後1963年以前に洲本銀映と同一ビルに移転したか、洲本銀映との経営統合がなされたと思われる。
弁天座/洲本弁天座/洲本東映/トーエイ洲本
所在地 : 兵庫県洲本市(1950年・1953年)、兵庫県洲本市内通町565(1960年)、兵庫県洲本市内通町甲565(1966年・1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町4-2-18(1980年・1990年・1992年)
開館年 : 大正初期
閉館年 : 1992年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「弁天座」。1960年・1966年の映画館名簿では「洲本弁天座」。1969年・1973年の映画館名簿では「洲本東映」。1972年のゼンリン住宅地図では「淡路東映 弁天座」。1980年のゼンリン住宅地図では「トーエイ洲本ビル 3階 トーエイ洲本」。1980年・1990年・1992年の映画館名簿では「トーエイ洲本」。1992年の映画館名簿では鉄筋造2階、198席、経営会社がミツオ株式会社、経営者・支配人ともに太田勝敏、東映を上映。1993年・1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「カラオケ喫茶同窓会」がある「JOYビル」。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年には弁天座が「劇場」として描かれている。*203

大正初期には寄席の「弁天座」が改造されて常設映画館となった。弁天座は「玉尾座」の近くにあった。*204

1953年(昭和28年)正月の洲本市にあった映画館「弁天座」の写真あり。松竹や日活の常設館だった。*205

昭和初期の洲本市本町4丁目にあった「弁天座」の写真あり。厳島神社に近い繁華街にあり、主として寄席の興行を行っていた。大正初期には日活や松竹を上映する映画館となり、鐘紡洲本工場の女工の交代日には超満員となった。昭和40年代の弁天座の写真あり。「東映」「弁天座」の文字が見える。1978年には3階建てビルに改築され、1階と2階は飲食店街、3階に映画館があった。2006年現在の建物名はJOYプラザであり、3階の映画館跡地はカラオケ店となっている。*206
洲本銀映/洲本銀映・タイガー/洲本銀映・洲本タイガー劇場/洲本銀映
所在地 : 兵庫県洲本市紺屋町(1958年・1960年)、兵庫県洲本市紺屋町2-129(1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町5-1-33(1980年・1990年・2000年・2002年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 2002年以後2005年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本銀映」。1963年の映画館名簿では「洲本銀映・タイガー」(2館)。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「洲本銀映・洲本タイガー劇場」(2館)。1972年のゼンリン住宅地図では「1階銀映映画劇場 Tiger映画劇場 マージャン荘、2階淡路ボウリング 食堂ミキ」。1980年のゼンリン住宅地図では「銀映ボウル ロマンタイガー 銀映ゲームコーナー」など。1980年・1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「洲本銀映」。2002年の映画館名簿では木造1階、200席、経営会社が岡田興業、経営者が坂本佳子、支配人が柴田祐一、邦画を上映。2005年・2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ザ・クラシック駐車場」。
オリオン座/洲本オリオン座/洲本オリオン
所在地 : 兵庫県洲本市幸町2-344(1960年)、兵庫県洲本市幸町2344(1966年・1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町5(1980年)、兵庫県洲本市本町5-4-8(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 2014年(定期上映)、営業中(不定期上映)
Wikipedia : 洲本オリオン
1951年開館。1953年・1960年の映画館名簿では「オリオン座」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「洲本オリオン座」。1972年の住宅地図では「洋画オリオン(野口)」。1980年の住宅地図では「洋画オリオン(日興商工協同組合)」。1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「洲本オリオン」。2014年に定期上映を終了し、以後は不定期上映の映画館として営業中。

洲本町による鳥観図『淡路洲本町案内図』摂陽商船、1929年では後の洲本オリオンの場所に「定席」が描かれている。*207

2003年5月9日付『日本経済新聞』に掲載された「私の履歴書 阿久悠」では、阿久悠は高校時代に映画館に通ったとする記事が掲載されている。現物は未確認。*208

2010年夏のサッカーワールドカップの際には、洲本市中心部のコモード56商店街でパブリックビューイングが開催されたが、洲本オリオンが横4.5m×縦3.5mのスクリーンを用意した。*209

洲本オリオンの初代は野口宇一。浄瑠璃小屋が前身であり、芝居小屋の「福助座」となった。洋画を上映する映画館に転換する際には名称を公募し、1951年5月に「オリオン」が開館した。映画全盛期の淡路島に16の映画館があったとされるが、現在は洲本オリオンのみである。『不都合な真実』を上映しようとした際には、集客面での不安から配給会社に難色を示されたが、地元住民らを中心に「上映する会」が開催されて試写会まで開かれ、配給会社から上映を許可された。*210

2011年6月27日付『神戸新聞』夕刊には、「洲本オリオン」が3D上映設備を導入するという記事が掲載されている。現物は未確認。*211

2011年夏、淡路島の映画館「洲本オリオン」は3D対応のデジタル上映設備を導入した。支配人は野口仁(45)。浄瑠璃小屋だった場所を野口の祖父が買い取り、1951年には洋画専門の映画館となった。淡路島出身の阿久悠や笹野高史は学生時代に洲本オリオンに通ったという。かつて淡路島には10数館の映画館があったが、10年前には洲本オリオンのみとなった。2011年春にはテレビのロケで笑福亭鶴瓶が洲本オリオンを訪れ、「島で唯一の映画館。これからも頑張ってやりよ」と声をかけられた。独立映画館としての自由さを活かして、プロポーズのメッセージを映写したことや、結婚式のビデオ撮影に場所を貸したこともある。*212

2013年7月16日、淡路島がロケ地となった『夏の終り』が洲本市の映画館「洲本オリオン」で先行上映され、熊切和嘉監督のトークショーが開催される。神戸市などのほかに、淡路島の洲本市と淡路市で撮影が行われた。洲本オリオン西側の洲本レトロこみち沿いの古民家、旧洲本市民会館、由良地区の民家などが撮影場所となっている。全国ロードショーは8月31日。*213

2013年8月2日付『神戸新聞』夕刊には、2013年秋に淡路島唯一の映画館「洲本オリオン」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*214

2013年8月31日から上映する『夏の終り』を最後に、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」が閉館する。9月末から10月上旬ころの予定。淡路島で唯一の映画館である。戦前に大衆演劇の一座が滞在する芝居小屋として開館し、その後常設映画館に転換した。転換当初は「福助座」という名称だったが、1951年には公募によって「オリオン」に改称した。オリオンという映画館は他地域にもあるため、後に「洲本オリオン」とした。洋画専門館だった。作詞家の阿久悠(洲本市五色町出身)や俳優の笹野高史(淡路市出身)は、洲本高校時代に洲本オリオンに足しげく通って西部劇などを楽しんだ。最盛期の淡路島には10数館の映画館があったが、約10年前には洲本市の「銀映」が閉館し、洲本オリオンのみとなった。2011年には1000万円以上を投じてデジタルシネマ上映設備を導入したが、観客の減少に歯止めがかからなかった。1951年頃の洲本オリオンの写真あり。*215

2013年10月5日、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」が閉館した。最終上映作品は10月4日夜に上映した『夏の終り』。閉館理由は観客数の減少など。淡路島で唯一の映画館だった。閉館後も不定期の映画上映やイベント開催などを検討しているという。*216

2015年5月21日付『神戸新聞』夕刊には、淡路島が舞台の映画公開に合わせて5月30日から「洲本オリオン」が一時的に復活するという記事が掲載されている。現物は未確認。*217

2018年5月13日、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」で「淡路島短編映画祭 2018 トランカミランカ」が開催された。淡路島出身者が製作・出演した作品、淡路島がロケ地となった作品などを中心に約40作品を上映し、洲本市出身の映画監督である大継康高もゲスト出演した。*218

2020年12月21日付『神戸新聞』には、2021年1月から「洲本オリオン」で定期上映が開始されるという記事が掲載されている。現物は未確認。*219

「洲本オリオン」に言及している雑誌記事として、重松清「星をつくった男 阿久悠と、その時代 第3回 石原慎太郎と美空ひばり」『週刊現代』2009年3月21日がある。現物は未確認。*220

「洲本オリオン」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*221

淡路市

生穂劇場
所在地 : 兵庫県津名郡生穂町(1955年)、兵庫県津名郡津名町生穂1796(1958年)、兵庫県津名郡津名町生穂(1960年)
開館年 : 1929年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「生穂劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
仮屋淡路劇場/仮屋劇場
所在地 : 兵庫県津名郡仮屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町久留麻1964※明らかな誤り(1958年)、兵庫県津名郡淡路町仮屋(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「仮屋淡路劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「仮屋劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
東淡銀映
所在地 : 兵庫県津名郡淡路町久留麻(1960年)、兵庫県津名郡淡路町久留麻1964(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「東淡銀映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
岩屋淡路劇場/淡路劇場
所在地 : 兵庫県津名郡岩屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町岩屋(1960年)
開館年 : 1924年頃? 1929年?
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「岩屋淡路劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「淡路劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1924年頃、岩屋に木造瓦葺2階建の「淡路劇場」が新築された。1965年には興行主が洲本市に転出し、またその他の理由もあって閉鎖された。淡路劇場の建物は間もなく取り壊された。*222

武田信一(編)『目で見る 淡路島の100年』郷土出版社、1995年には「淡路劇場」の写真が掲載されている。1929年(昭和4年)に竣工したという。現物は未確認。*223
都志映画劇場
所在地 : 兵庫県津名郡五色町都志(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「都志映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
郡家会館
所在地 : 兵庫県津名郡郡家町(1955年)、兵庫県津名郡一宮町郡家(1960年・1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「郡家会館」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1966年の映画館名簿では「郡家会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
室津淡路劇場/室津映画劇場/室津映劇
所在地 : 兵庫県津名郡室津町(1955年)、兵庫県津名郡北淡町室津(1958年・1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「室津淡路劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「室津映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「室津映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
富島劇場
所在地 : 兵庫県津名郡富島町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県津名郡北淡町富島(1960年・1963年)、兵庫県津名郡北淡町富島847(1966年)、兵庫県津名郡北淡町富島(1969年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「富島劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に巨大な空白の建物。跡地は「中田医院」北西100mにある農地。

1958年(昭和33年)の北淡町富島東之町にあった劇場「富島座」の館内の写真あり。1913年(大正2年)に建設された500人収容の劇場であり、回り舞台や両側の花道を備え、客席は1階・2階とも桟敷席だった。戦前は大衆演劇場として巡業の芝居などがあり、また映画の上映もあった。沢村貞子、加東大介などが来演している。北淡町では人形浄瑠璃も盛んであり、年に3回は源之丞一座などを招いた人形芝居の公演があった。戦前・戦後の富島地区は漁業で栄え、富島座と「水産クラブ」という2館の劇場があった。時代とともに映画専門館化したが、テレビの普及に押されて1967年(昭和42年)2月に閉館した。数年前までは壁面をツタが覆う建物が残っており、色あせた「大衆娯楽場」の看板もかかっていたが、その後取り壊され、1989年(平成元年)現在の跡地は駐車場として使用されている。*224
岩屋クラブ/岩屋映画劇場/岩屋映劇
所在地 : 兵庫県津名郡岩屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町岩屋(1958年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1971年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「岩屋クラブ」。1955年・1958年の映画館名簿では「岩屋映劇」。1960年の映画館名簿では「岩屋映画劇場」。1969年の映画館名簿では「岩屋映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図には掲載されていない。

岩屋には劇場「淡路劇場」があったが、政争から「岩屋倶楽部」が新築され、主として色物を興行した。岩屋倶楽部は「岩屋映画劇場」に改称し、1971年現在も昼夜興行を続けてかなりの観客を呼んでいる。1971年現在の岩屋映画劇場の写真あり。*225
三島座/志筑三島座
所在地 : 兵庫県津名郡志筑町(1955年)、兵庫県津名郡津名町志筑(1958年)、兵庫県津名郡津名町志筑3029(1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「三島座」。1969年の映画館名簿では「志筑三島座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1929年(昭和4年)6月発行の『淡路之誇』によると、淡路島には「洲本玉尾座」「洲本劇場」「由良旭座」「仮屋東陽館」「岩屋倶楽部」「郡家安楽座」「賀集松旭座」「福良桝井座」「志筑三島座」など17の劇場があった。戦前の「志筑三島座」の興行は週1回であり、子供たちは宣伝文句が聞こえるとじっとしていられなかったという。何重にも立ち見ができる超満員の劇場だった。*226

南あわじ市

都劇場
所在地 : 兵庫県三原郡北阿万村(1955年)、兵庫県三原郡南淡町北阿万(1958年・1960年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「都劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
美教劇場
所在地 : 兵庫県三原郡榎列村(1955年)、兵庫県三原郡三原町榎列255(1958年)、兵庫県三原郡三原町榎列(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「美教劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
湊劇場
所在地 : 兵庫県三原郡湊町(1955年・1958年)、兵庫県三原郡西淡町湊(1960年・1966年)
開館年 : 1927年4月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「湊劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

湊町商工会は湊劇場期成同盟会を組織し、株式会社湊劇場を設立した。資本金は400株で計2万円。1926年12月に起工し、1927年4月に竣工落成した。木造2階建てであり、建坪は約80坪、定員は296人。こけら落とし公演には神戸から市川海老十郎一座を迎えた。映画では『わが青春に悔いなし』や『ゴジラ』などが上映され、高田浩吉、鶴田浩二、松尾和子らが来館した。いずれも1958年の日活作品『夜の牙』と『東京野郎と女ども』のチラシあり。現在は劇場の痕跡を見つけることも難しい。*227
市村劇場/ワールド/三原ワールド会館
所在地 : 兵庫県三原郡市村町(1955年)、兵庫県三原郡三原町市村557(1958年)、兵庫県三原郡三原町市557(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「市村劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「ワールド」。1966年の映画館名簿では「ワールド会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「市村劇場」が掲載されている。現物は未確認。*228
桝井座/福良劇場
所在地 : 兵庫県三島郡福良町(1955年)、兵庫県三原郡南淡町福良(1958年・1960年)、兵庫県三原郡南淡町福良乙751(1966年・1969年)
開館年 : 1901年(桝井座)、1947年(福良劇場)
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「福良劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に「ガレージ」。最近まで建物が残っていた可能性がある。跡地は「真光寺」東北東50mにある駐車場。

1901年には福良で酒造業をしていた桝井光太郎が私財1万円を投じて、独力で「桝井座」を創業した。建坪は120坪、和風木造2階建、定員600。戦後には福良劇場に改称した。やがて福良劇場は廃業したが、1991年現在も建物が残っている。今考えると構造も造作も立派とは言えない。*229
阿万劇場
所在地 : 兵庫県三原郡阿万町(1955年)、兵庫県三原郡南淡町本庄(1958年)、兵庫県三原郡南淡町阿万(1960年)、兵庫県三原郡南淡町阿万上町(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「阿万劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

このページへのコメント

こんにちは。お察しのように(1)玉尾座、(2)弁天座の可能性が高いとは思いますが断言はできません。

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Posted by  hekikaicinema hekikaicinema 2021年12月15日(水) 00:51:10 返信

初めまして、戦前の映写機とフィルムを収集しているはんす(@ ]映画の郷[)と申します。

以前に1933年頃の淡路島でだんじり祭りを撮影した個人撮影動画を手に入れました。手振れがひどい一本なのですが一部に映画館が写りこんでいます。

(1)下屋敷通で撮影されたと思われる場面、2本ののぼりが立っていて、1本に小さくトーキー設備導入の宣伝があり、もう1本に「〇〇座」(おそらく「〇尾座」)の館名があります。玉尾座ではないか…と思うのですがあっているでしょうか。

https://drive.google.com/file/d/12KTsYahPAhPIpqK3h_RZOpg3tZKta6On/view
https://drive.google.com/file/d/1ynieZmGNHmXPZJLe1l_0Goa2kekT7LS9/view

(2)もう一軒、やや広い通りに新興キネマの看板を立てた映画館がありました。洲本本町、弁天座ではないかと思うのですがどうでしょうか。

https://drive.google.com/file/d/1xTySrbLOQVcNTJ2T7_QMtQlV5AnleGRB/view

お忙しい中とは思いますがご教示いただけると幸いです。よろしくおねがいいたします。

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Posted by はんす 2021年10月24日(日) 20:14:22 返信

そうなんですね。
返答ありがとうございました。
もうちょっと探してみます。

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Posted by こまいぬ 2020年12月22日(火) 07:44:44 返信

初めまして。
尼ケ崎名画劇場香月の劇場の名前の読み方が分からず、探しております。
もし、読み方をご存知でしたら教えていただけませんか?
よろしくお願い致します。

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Posted by こまいぬ 2020年12月20日(日) 21:26:05 返信数(1) 返信

こんにちは。正確な読みについては私もよくわからないです。すみません。

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Posted by  hekikaicinema hekikaicinema 2020年12月21日(月) 20:00:22

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