閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。


神戸市

神戸市は神戸市の映画館を参照。

阪神南地域

尼崎市

尼崎市の映画館
戦前の尼崎には映画や芝居の興行を行う多数の劇場があった。場内の「平和館」と「桜井座」は主に芝居であり、しばしば自由党の弁士の演説会が行われたが、やがて映画館として営業するようになった。西大手橋のそばの「栄倶楽部」と場内にあった「三都座」は主にトーキー映画の封切館だった。大正時代の平和館の写真あり。太平洋戦争では1トン爆弾が直撃して壊滅した。三都座の写真あり。戦後しばらくは当方の封切館として営業し、東映のスター俳優らがキャンペーンで訪れたりした。時期不明の桜井座の写真あり。桜井神社のそばにあり、付近はいつもにぎわっていた。栄倶楽部の写真あり。「松竹映画封切 日活」の文字が見える。西本町商店街の入口に近く、常に観客数が多い映画館だった。*1

昭和30年代の尼崎市の映画館・劇場一覧*2
名称所在地1955年料金1961年料金
尼崎大劇神田北通3?170円
阪神東映阪神尼崎駅南?150円
オリオン座阪神尼崎駅南55円?
南座阪神尼崎駅南55円100円
三都座阪神尼崎駅東南(南城内)55円80円
尼崎中央劇場中央商店街北70円150円
東洋劇場中央商店街北100円120円
日本劇場中央商店街北95円150円
尼崎東映三和商店街80円150円
有楽座三和商店街?150円
三和会館三和商店街??
香月劇場(グランドシネマ)阪神国道東難波電停前55円150円
尼映(尼崎大映)阪神国道難波電停前?150円
第一新花月阪神国道竹谷本通北詰?150円
第二新花月阪神国道竹谷本通北詰?80円
第一劇場(第三新花月)阪神国道西難波電停前80円80円
日栄劇場阪神出屋敷駅北95円?
東京劇場阪神出屋敷駅北?100円
若草劇場(若草東映)
大島東映
メトロ
大物東映
尼松劇場
寿座
長洲東映
常光寺映劇
松映劇場
住吉劇場
神崎銀映
近松劇場
立花中央
立花松竹
立花グランド
立花東映
塚口東映
塚口第二
塚口第三
二光劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市浜田崇徳院2-308(1960年)
開館年 : 1959年以前
閉館年 : 1963年以後
1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「二光劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「二光劇場」。映画館ではなくストリップ劇場。跡地は「二光モータープール」。
浜田映劇
所在地 : 兵庫県尼崎市浜田崇徳院2-308(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の住宅地図では「浜田劇場」。1960年の映画館名簿では「浜田映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「イスズハイツベル武庫川東2」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎センタープール前駅。
近松映劇/近松映画/近松映画劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市汐江字朝江12(1955年)、兵庫県尼崎市汐江字朝江11(1960年)
開館年 : 1951年1月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧 1955』によると1951年1月開館。1953年の映画館名簿では「近松映劇」。1955年の映画館名簿では「近松映画」。1959年の住宅地図には掲載されていないと思われる。1960年の映画館名簿では「近松映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
メトロ劇場/武庫川メトロ劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市武庫川町2丁目(1955年)、兵庫県尼崎市武庫川町2(1960年)
開館年 : 1954年8月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧 1955』によると1954年8月開館。1955年の映画館名簿では「メトロ劇場」。1959年の住宅地図では「メトロ劇場」。1960年の映画館名簿では「武庫川メトロ劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「田中病院」西側の「マンションフェニックス」駐車場。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎センタープール前駅。
三和会館
所在地 : 兵庫県尼崎市神田南通3-88(1960年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「三和映劇」。1960年の映画館名簿では「三和会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ショウワパーク神田南通駐車場」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線出屋敷駅。

1957年(昭和32年)の「三和会館」の写真あり。1955年(昭和30年)に演芸場として開館し、1957年(昭和32年)には上方演芸(現・松竹芸能)の経営に代わった。漫才を中心として落語・浪曲・奇術などが興行され、2本立て映画と変わらない95円で観ることができた。漫才師の西都ハロー・ジロー、奇術師の西尾天芳などの広告が見える。*3
尼宝劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市東大島(1955年)、兵庫県尼崎市東大島春日331(1960年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1961年
『全国映画館総覧 1955』によると1947年12月開館。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「尼宝劇場」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「尼宝劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パチンコウィング21」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎センタープール前駅。

1958年(昭和33年)頃の大島にあった「尼宝劇場」の写真あり。1946年(昭和21年)12月に松竹映画の封切館として開館し、やがて邦画各社の上映館となった。1961年(昭和36年)に休館し、そのまま閉館となった。2016年(平成28年)現在の跡地はパチンコ店になっている。*4
オリオン座
所在地 : 兵庫県尼崎市東御園町24(1955年・1960年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「オリオン座」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「オリオン座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローレルタワー尼崎」建物北東側。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。
松竹映画/松竹映画劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市杭瀬神田1(1955年)、兵庫県尼崎市杭瀬本町1(1960年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「松竹映画」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「松竹映画劇場」。1960年の映画館名簿では「松竹映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「フォロ・マジョーレ390」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線杭瀬駅。国道2号沿いにあった「尼崎松竹映画劇場/尼崎松竹」とは異なるので注意。松竹の封切館だった。
大島東映
所在地 : 兵庫県尼崎市西大島字下457-1(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「大島東映」。1963年の住宅地図では「大島東映」。銀座温泉は当時からある。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「立石菓子店」北側の民家。銭湯「銀座温泉」南西。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎センタープール前駅。
阪神東映/尼崎東映有楽座
所在地 : 兵庫県尼崎市東御園町24(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「阪神東映」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「阪神東映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎東映有楽座」。1968年のゼンリン住宅地図では「東映有楽座」。1974年の住宅地図では「土井ビルディング(建)」。1976年のゼンリン住宅地図では「土井ビルディング」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「土井ビルディング」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。

阪神電車尼崎駅が高架化された1963年(昭和38年)から1970年(昭和45年)頃までに撮られたと思われる阪神電車尼崎駅南側の写真あり。右側には映画館「有楽座」が見えているが、有楽座の隣には劇場「南座」もあり、また近くには洋画上映館「オリオン座」もあった。2008年(平成20年)現在の有楽座の跡地には土井ビルディングが建っている。*5

1955年(昭和30年)頃の阪神電車尼崎駅南にあった阪神会館の写真あり。阪神会館には「阪神東映」「阪神大映」「オリオン座」の3館の映画館が入居していた。阪神会館は1972年(昭和47年)から1973年(昭和48年)頃に閉館し、跡地には土井ビルディングが建設された。*6
立花中央映画劇場/立花中央劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市三反田千才12(1955年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年10月開館。1953年の映画館名簿では「立花中央映画劇場」。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「立花中央劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「立花中央劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は立花商店街沿いの「アーク立花ビル」。最寄駅はJR神戸線立花駅。

1955年(昭和30年)頃の三反田町にあった映画館「立花中央映劇」の写真あり。昭和30-40年代の国鉄立花駅の南北には数館の映画館があり、駅南の七松町には「立花映画劇場」があった。1954年(昭和29年)の『全国映画館名簿』によると立花中央映劇は定員300人であり、松竹作品と洋画を上映していた。*7

1955年(昭和30年)頃の「立花中央劇場」の写真あり。1950年(昭和25年)に立花商店街の東側に開館した。国鉄立花駅の南側には「立花映画劇場」(後の立花東映)と「立花グランド劇場」もあり、国鉄立花駅周辺には3館も映画館があったのである。*8
東京劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市宮内町(1958年)、兵庫県尼崎市宮内町2-37(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「東京劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「東京劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「NPC24H出屋敷パーキング」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線出屋敷駅。
尼崎有楽座/有楽座
所在地 : 兵庫県尼崎市神田北通5-140(1958年・1960年)、兵庫県尼崎市神田北通5-137(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「尼崎有楽座」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「有楽座」。1960年・1963年の映画館名簿では「有楽座」。1963年以後1966年以前に阪神電車尼崎駅南側の「阪神東映」跡地に移転して「尼崎東映有楽座」に改称したと思われる。跡地はパチンコ店「キコーナ尼崎店」建物西側。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。
立花映画/立花映劇/立花東映/尼崎立花東映劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市七ツ松橋(1955年)、兵庫県尼崎市七松橘22(1960年)、兵庫県尼崎市七松橋22(1963年)、兵庫県尼崎市七ツ松橋22(1966年)
開館年 : 1948年10月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1948年10月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「立花映画」。1955年の映画館名簿では「立花映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「立花東映」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「立花東映劇場」。1966年の映画館名簿では「尼崎立花東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「フェスタ立花南館」建物中央南側。最寄駅はJR神戸線立花駅。
尼ヶ崎東宝三都座/三都座/尼崎三都座
所在地 : 兵庫県尼崎市南城内144(1955年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1931年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1928年開館。1950年の映画館名簿では「尼ヶ崎東宝三都座」。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「三都座」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「三都座」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「三都座映劇」。1966年の映画館名簿では「尼崎三都座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「尼崎市立中央図書館」南南東60mの民家群。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。読みは「みくにざ」。


1958年(昭和33年)の「三都座」の写真あり。1931年(昭和6年)に歌舞伎劇場として開館し、1933年(昭和8年)に映画上映館に転換した。1939年(昭和14年)に東宝の直営館となり、「東宝三都座」に改称した。*9

大正初期の尼崎には芝居小屋「清水座」が建てられ、浪花節などの興行を行っていた。戦前に栄えた本町通商店街に面しており、横山エンタツの実家に近かった。浪曲師の廣澤虎造も清水座を訪れている。当時の尼崎には清水座のほかに、「桜井座」や「三都座」などの芝居小屋があった。*10

戦前の尼崎にはいくつも劇場があり、城内にあった「三都座」はトーキー映画の封切館だった。戦後しばらくの三都座は東宝の封切館として営業し、スター俳優がキャンペーンで来館したりしていた。*11

1936年(昭和11年)4月1日には尼崎市と小田村が合併し、人口約12万4000人の新・尼崎市が誕生した。尼崎市商工共和会は「大尼崎合併」として祝賀している。1936年10月8日には南城内の「三都座」(みくにざ)で祝賀式が開催され、有吉實(ありよしみのる)市長が「大尼崎について」と題した講演を行った。*12
常光寺劇場/尼崎常光寺劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市常光寺西ノ町2-11(1958年)、兵庫県尼崎市常光寺西ノ町2(1960年)、兵庫県尼崎市常光寺西の町2-37(1963年)、兵庫県尼崎市常光寺西町2-37(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「常光寺劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「常光寺劇場」。1966年の映画館名簿では「尼崎常光寺劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「常光寺南公園」西側の戸建住宅地。最寄駅は阪神電鉄阪神本線杭瀬駅。洋画館だった。
住吉劇場/尼崎住吉劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市杭瀬大崩2(1955年)、兵庫県尼崎市杭瀬大崩11(1960年・1963年)、兵庫県尼崎市杭瀬町大崩11(1966年)
開館年 : 1939年12月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1939年12月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「住吉劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「住吉劇場」。1966年の映画館名簿では「尼崎住吉劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「喫茶&カラオケ圓」。杭瀬栄町EAST商店街沿い。最寄駅は阪神電鉄阪神本線杭瀬駅。新東宝中心の封切館だった。
尼崎東映/尼崎東映劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市神田北通5丁目(1958年)、兵庫県尼崎市神田北通5-137(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「尼崎東映」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「尼崎東映」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「尼崎東映」。1966年の映画館名簿では「尼崎東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「キコーナ尼崎店」建物東側。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。
立花グランド/尼崎立花グランド/立花グランド劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市水堂字旭23(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「立花グランド映画館」。1963年の映画館名簿では「立花グランド」。1966年の映画館名簿では「尼崎立花グランド」。1968年のゼンリン住宅地図では「立花グランド映画館」。1969年の映画館名簿では「立花グランド劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「デュオ立花」建物北側。最寄駅はJR神戸線立花駅。
神崎銀映/尼崎神崎銀映
所在地 : 兵庫県尼崎市汐江東大寺(1955年)、兵庫県尼崎市汐江東大寺27-1(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「神崎銀映」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「神崎銀映」。1966年・1969年の映画館名簿では「尼崎神崎銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「尼崎信用金庫潮江支店」。最寄駅はJR神戸線・福知山線尼崎駅。

1954年(昭和29年)6月20日の国鉄尼崎駅前にあった映画館「銀映」の写真あり。2008年(平成20年)現在の銀映跡地には「尼崎信用金庫潮江支店」が建っている。*13
長洲東映/尼崎長洲東映劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市杭瀬北新町3-48(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「長洲東映」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「長洲東映」。1966年の映画館名簿では「尼崎長洲東映劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「長洲東映」。1969年の映画館名簿では「長洲東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「有限会社バンブーショッツ」を含む5軒分。「杭瀬自動車学校」のコースすぐ北。最寄駅は阪神電鉄阪神本線杭瀬駅。東映の封切館だった。
金星劇場/大物東映/尼崎大物東映劇場/大物映劇
所在地 : 兵庫県尼崎市北大物町(1960年)、兵庫県尼崎市北大物町54(1963年・1966年)、兵庫県尼崎市大物町54(1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「金星劇場」。1960年の映画館名簿では「金星劇場」。1963年の映画館名簿では「大物東映」。1964年の観光と産業の尼崎市住宅地図では「大物東映」。1966年の映画館名簿では「尼崎大物東映劇場」。1969年の映画館名簿では「大物映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「尼崎長洲郵便局」の西50mの民家群。最寄駅は阪神電鉄阪神本線・阪神なんば線大物駅。
第一劇場/第三新花月劇場/尼崎第三新花月劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市昭和通9-328(1955年・1960年・1963年)、兵庫県尼崎市昭和北通9-328(1966年・1969年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1971年
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「第一劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「第三新花月劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「第三新花月劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「尼崎第三新花月劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「第三新花月劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「新花月モータープール」。跡地はラブホテル「べんきょう部屋」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線出屋敷駅。

1957年(昭和32年)の映画館「第一劇場」の写真あり。1946年(昭和21年)にフランス映画『望郷』(1937年製作)で開館した。1957年には「第三新花月劇場」に改称したが、1971年(昭和46年)に閉館した。*14
東洋劇場/東洋第二劇場/東洋劇場・東洋第二劇場/尼崎東洋劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市神田北通3(1955年)、兵庫県尼崎市神田北通2-40(1960年)、兵庫県尼崎市神田北通2(1963年)、兵庫県尼崎市神田北通2-40(1966年・1969年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧 1955』によると1951年11月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「東洋劇場」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「東洋劇場・東洋第三劇場・東洋第二劇場」。1960年の映画館名簿では「東洋第二劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「東洋映画劇場」。1963年の映画館名簿では「東洋劇場・東洋第二劇場」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「尼崎東洋劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「東洋映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年・1976年のゼンリン住宅地図では跡地に「東洋モータープール(建)」。跡地はパチンコ店「グラン・パラダイス神田店」建物東側。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。

1958年(昭和33年)頃の神田北通にあった映画館「東洋劇場」の写真あり。1951年(昭和26年)にイギリス映画『大荒原』で開館し、洋画専門館として営業した。1953年(昭和28年)にアメリカでシネマスコープが開発されると、東洋劇場は同年中に早くもシネマスコープを導入した。1955年(昭和30年)には姉妹館の「東洋第二劇場」が開館し、やはり洋画を中心に上映した。*15
南座/尼崎南座
所在地 : 兵庫県尼崎市東御園町24(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「南座」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「阪神大映」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「阪神大映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎南座」。1968年のゼンリン住宅地図では「南座」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「土井ビルディング」建物南側。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。
新花月劇場/第一新花月劇場/尼崎第一新花月劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市昭和通8-295(1955年)、兵庫県尼崎市昭和通8-258(1960年)、兵庫県尼崎市昭和通8-295(1963年)、兵庫県尼崎市昭和北通8-256(1969年・1973年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1973年以後1977年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年10月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「新花月劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「第一新花月劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「第一新花月劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎第一新花月劇場」。1968年・1974年・1976年の住宅地図では「第一新花月劇場」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「片山興業ルート2モータープール」。跡地は2019年9月26日開店のスーパーマーケット「コノミヤ尼崎店」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線出屋敷駅。
尼ヶ崎映画劇場/尼崎映画/尼崎大映/尼映
所在地 : 兵庫県尼崎市昭和通5-182(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1977年)
開館年 : 1939年12月
閉館年 : 1977年以後1980年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1939年12月開館。1950年の映画館名簿では「尼ヶ崎映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「尼崎映画」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「尼崎大映」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎大映」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「尼崎大映」。1968年・1974年・1976年のゼンリン住宅地図では「尼崎大映」。1977年の映画館名簿では「尼映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「結婚式場平安閣(建)」。跡地はパチンコ店「a2パステ」が入る「南海ビル」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。

1958年(昭和33年)頃の「尼崎大映」の写真あり。戦前の1939年(昭和14年)に「尼崎映画劇場」として開館し、「尼映」という通称で親しまれた。戦後は大映を中心に松竹・日活・新東宝の作品を上映していたが、1955年(昭和30年)頃に大映の封切館となって尼崎大映に改称した。*16
寿座
所在地 : 兵庫県尼崎市杭瀬北新町
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1982年3月30日
1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「寿座」。映画館ではなく大衆演劇場。跡地は「川西モータープール」北の民家数軒。

昭和30年代前半の杭瀬北新町にあった劇場「寿座」の館内の写真あり。1階席と2階席があり、「座壽」の文字が見える。浪曲師の日吉川秋水と秋水嬢の親子の公演の広告が見える。*17
尼崎大劇/尼崎OS/尼崎OS劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市神田北通2(1960年・1963年)、兵庫県尼崎市神田北通2-1(1966年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1980年以後1983年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「大劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「尼崎大劇」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「尼崎OS劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎OS」。1968年・1974年・1976年のゼンリン住宅地図では「尼崎OS劇場」。1980年の映画館名簿では「尼崎OS劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1階に「ローソン阪神尼崎駅北店」が入る「太陽ビルディング」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。
出屋敷東映/日栄劇場/尼崎日栄劇場/尼崎日栄松竹/尼日栄にっかつ劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市宮内町2(1955年)、兵庫県尼崎市宮内町2-41(1960年)、兵庫県尼崎市宮内町2-81(1963年)、兵庫県尼崎市宮内町2-41(1966年・1969年・1973年)、兵庫県尼崎市宮内町2-81(1980年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1985年
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年の映画館名簿では「日栄劇場」。1963年の映画館名簿では「日栄映画劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「日栄劇場」。1966年の映画館名簿では「尼崎日栄劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「2階 日栄劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎日栄松竹」。1974年のゼンリン住宅地図では(おそらく単独施設として)「日栄劇場」。1976年のゼンリン住宅地図では「2階 出屋敷東映」。1980年・1985年の映画館名簿では「尼日栄にっかつ劇場」。1980年のゼンリン住宅地図では「日栄センター 2階尼日栄にっかつ」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「MAXISビル」建物南側。最寄駅は阪神電鉄阪神本線出屋敷駅。

1964年(昭和39年)の「日栄劇場」の写真あり。1952年(昭和27年)に松竹と東映の封切館として開館した。1973年(昭和48年)には「出屋敷東映」に改称して東映の封切館となった。1979年(昭和54年)には「尼日栄にっかつ劇場」に改称してリニューアルオープンしたが、1985年(昭和60年)に閉館した。その後、火災で焼け出された天満演舞場が尼日栄にっかつ劇場の建物に移ってきた。*18
若草映画劇場/尼崎若草劇場/尼崎若草東映劇場/若草劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市南竹谷町2-109(1960年)、兵庫県尼崎市竹谷町2-109(1963年)、兵庫県尼崎市南竹谷町2-109(1966年)、兵庫県尼崎市竹谷町2-109(1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1983年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「若草劇場」。1963年の映画館名簿では「尼崎若草劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「若草映劇」。1966年の映画館名簿では「尼崎若草東映劇場」。1968年・1976年のゼンリン住宅地図では「若草映劇」。1969年・1973年の映画館名簿では「若草映画劇場」。1974年・1980年の住宅地図では「若草映劇」。1980年の映画館名簿では「若草劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンライフ若草」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線出屋敷駅。

1957年(昭和32年)の若草映画劇場の写真あり。1955年(昭和30年)に東宝の『ジャンケン娘』と東映の『獅子丸一平』で開館し、邦画各社の作品を上映した。1983年(昭和58年)に閉館し、大衆演劇場「出屋敷天満演舞場」に代わったが、1985年(昭和60年)に火災で全焼した。*19
尼崎松竹映画劇場/尼崎松竹
所在地 : 兵庫県尼崎市杭瀬西14(1955年・1960年)、兵庫県尼崎市杭瀬字西14(1963年)、兵庫県尼崎市杭瀬町西14(1966年)、兵庫県尼崎市杭瀬西14(1969年)、兵庫県尼崎市杭瀬町西14(1973年)、兵庫県尼崎市杭瀬西14(1980年・1982年)
開館年 : 1940年12月
閉館年 : 1982年以後1985年以前
1950年の映画館名簿では「尼ヶ崎松竹」。1953年・1955年の映画館名簿では「尼崎松竹」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎松竹映画劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「尼崎松竹」。1968年・1974年・1976年のゼンリン住宅地図では「尼崎松竹」。1980年・1982年の映画館名簿では「尼崎松竹」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「マクドナルド2号線尼崎店」駐車場。最寄駅は阪神電鉄阪神本線杭瀬駅。「尼松」とも呼ばれた。杭瀬駅前すぐにあった「松竹映画/松竹映画劇場」とは異なるので注意。

1958年(昭和33年)頃の杭瀬南新町にあった「尼崎松竹」の写真あり。1940年(昭和15年)10月には娯楽規制でダンスホール「阪神会館ダンスパレス」が閉鎖され、12月にはこのダンスホールを改装して尼崎松竹が開館した。1945年(昭和20年)6月15日には尼崎空襲で被災したが、鉄筋コンクリート造だったために焼け残った。1946年(昭和21年)には上映を再開し、洋画セントラル系の封切館となった。*20
尼崎日本劇場/日本劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市昭和南通4-66(1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1990年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1990年以後1992年以前
1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「日本劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「日本劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎日本劇場」。1968年・1974年・1976年・1980年のゼンリン住宅地図では「日本劇場」。1980年・1990年の映画館名簿では「日本劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「パークンパーク昭和南通」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。

1958年(昭和33年)頃の昭和南通にあった「日本劇場」の写真あり。1955年(昭和30年)に『キッスで殺せ!』と『日本人の勲章』で開館した。当初は洋画の封切館だったが、1957年(昭和32年)には日活と新東宝の封切館となった。*21
尼崎第二新花月劇場/第二新花月劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市昭和通8(1955年)、兵庫県尼崎市昭和通8-268(1960年)、兵庫県尼崎市昭和北通8-268(1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県尼崎市西難波町4-5-9(1980年・1990年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1990年
『全国映画館総覧 1955』によると1953年開館。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「第二新花月劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「第二新花月劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「尼崎第二新花月劇場」。1968年・1974年・1976年・1980年のゼンリン住宅地図では「第二新花月劇場」。1980年・1990年の映画館名簿では「第二新花月劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ラウンドワン尼崎店」立体駐車場。最寄駅は阪神電鉄阪神本線出屋敷駅。

1957年(昭和32年)頃の「第二新花月映劇」の写真あり。1954年(昭和29年)の開館後には邦画各社の作品を上映していたが、やがて大映の封切館となり、1956年(昭和31年)にはスクリーンをシネマスコープに改修して洋画専門館となった。第一から第三まであった新花月劇場の中ではもっとも遅くまで残っていたが、1990年(平成2年)に隣接する昭和市場の火災が類焼して閉館した。*22
尼ヶ崎名画劇場香月/香月劇場/グランドシネマ/尼崎グランド劇場/尼崎グランドシネマ/グランドシネマ1・2
所在地 : 兵庫県尼崎市昭和通4-152(1955年・1960年・1963年)、兵庫県尼崎市昭和南通4-152(1966年・1969年)、兵庫県尼崎市東難波町5-16-20(1980年・1990年)、兵庫県尼崎市東難波町5-16-20 ラ・ティエラ2階(2000年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1993年8月
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1950年の映画館名簿では「尼ヶ崎名画劇場香月」。1953年・1955年の映画館名簿では「香月劇場」。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「グランドシネマ劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「グランドシネマ」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「グランドシネマ劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「尼崎グランドシネマ」。1968年・1974年・1976年・1980年のゼンリン住宅地図では「グランドシネマ劇場」。1973年の映画館名簿では「尼崎グランド劇場」。1980年の映画館名簿では「尼崎グランドシネマ」。1990年の映画館名簿では「グランドシネマ1・2」(2館)。1993年8月閉館。跡地は1996年3月竣工のアパート「ラ・ティエラ」。1996年4月13日に「シネ・ラ・ティエラ」が開館。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。
尼崎中央劇場/尼崎東宝/尼崎東宝劇場
所在地 : 兵庫県尼崎市神田北通3∸63(1958年)、兵庫県尼崎市神田北通3-39(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1994年4月10日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の尼崎市全産業住宅案内図帳では「中央劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「尼崎中央劇場」。1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では「尼崎東宝劇場」。1963年の映画館名簿では「尼崎東宝」。1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「尼崎東宝劇場」。1968年・1974年・1976年・1980年のゼンリン住宅地図では「尼崎東宝劇場」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「サンパーク供廖最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。
尼崎シネ・ラ・ティエラ1・2
所在地 : 兵庫県尼崎市東難波町5-16-20 ラ・ティエラ2階(2000年)
開館年 : 1996年4月13日
閉館年 : 2002年9月1日
「尼崎グランドシネマ」と同一地点。1996年3月竣工のアパート「ラ・ティエラ」に開館。2000年の映画館名簿では「尼崎シネ・ラ・ティエラ1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地のアパート「ラ・ティエラ」は現存。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。

1993年8月には尼崎市東難波町5丁目の映画館「尼崎グランドシネマ」が閉館した。1996年4月13日、跡地をそのまま利用して映画館「シネ・ラ・ティエラ」が開館する。10階建てビルの2階に「ティエラ1」(100席)と「ティエラ2」(50席)の2スクリーンがある。最新のビデオシアターシステムを導入。身体障碍者はエレベーターで入場できる。運営は毎日興業。オープニング作品はティエラ1が『地獄堂霊界通信』、ティエラ2が『美味しんぼ』。*23
つかしんホール
所在地 : 兵庫県尼崎市塚口本町4-8-1(1998年・2000年)
開館年 : 1995年以後1998年以前
閉館年 : 2006年4月29日?
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1998年・2000年の映画館名簿では「つかしんホール」。1998年の映画館名簿では鉄筋造1階、390席、経営会社が株式会社近畿映画劇場、経営者が林宏、支配人が隅倉吉晴、邦画・洋画を上映。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「グンゼタウンセンターつかしんひがしまち南館」。最寄駅は阪急伊丹線稲野駅。
尼崎パレス座/尼崎パレス
所在地 : 兵庫県尼崎市昭和南通4-52(1982年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)、兵庫県尼崎市昭和南通4-52 アライビル4階(現在)
開館年 : 1980年以後1982年以前
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : 尼崎パレス
1963年の尼崎全産業住宅案内図帳では後のアライビルの場所に「旅館さくら荘」。1968年のゼンリン住宅地図では後のアライビルの場所に「旅館さくら荘」。1976年のゼンリン住宅地図では後のアライビルの場所に「ひかりモータープール」。1980年のゼンリン住宅地図ではこの場所に「アライビル」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1982年の映画館名簿では経営者・支配人ともに田中弘、鉄筋造4階、63席、成人映画を上映。1982年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「尼崎パレス」。成人映画館。最寄駅は阪神電鉄阪神本線尼崎駅。

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
塚口第一劇場・塚口第二劇場/塚口第一劇場・塚口第二劇場・塚口第三劇場/尼崎塚口東映劇場・尼崎塚口第二劇場・尼崎塚口第三劇場/塚口サンサン劇場・塚口シネマ・塚口ロマン/塚口サンサン劇場1・2・3・4
所在地 : 兵庫県尼崎市上坂部(1955年)、兵庫県尼崎市塚口町825(1960年)、兵庫県尼崎市上坂部森825(1963年)、兵庫県尼崎市上坂部南口825(1966年・1969年)、兵庫県尼崎市南塚口町2-8-1(1973年)、兵庫県尼崎市南塚口町2-1-1-103(1980年・1990年・2000年・2010年)、兵庫県尼崎市南塚口町2-1-1-103 さんさんタウン1番館(現在)
開館年 : 1953年12月(第一)、1954年8月(第二)、1978年7月7日(新築)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 塚口サンサン劇場
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月・1954年8月開館。1955年の映画館名簿では「塚口第一劇場・塚口第二劇場」(2館)。1960年・1963年の映画館名簿では「塚口東映・塚口第二劇場・塚口第三劇場」(3館)。1966年の映画館名簿では「尼崎塚口東映劇場・尼崎塚口第二劇場・尼崎塚口第三劇場」(3館)。1969年・1973年の映画館名簿では「塚口第一劇場・塚口第二劇場・塚口第三劇場」(3館)。1980年の映画館名簿では「塚口サンサン劇場・塚口シネマ・塚口ロマン」(3館)。1990年・1995年・2000年・2010年の映画館名簿では「塚口サンサン劇場1・2・3・4」(4館)。最寄駅は阪急神戸本線・伊丹線塚口駅。4スクリーンの映画館。

1975年(昭和50年)の「塚口東映」と「塚口第二劇場」の写真あり。1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)にかけて開館し、第二劇場の東側には第三劇場もあった。1977年(昭和52年)には駅前再開発のためにいったん閉館し、1978年(昭和53年)には塚口さんさんタウン内で「塚口サンサン劇場」が開館した。戦後の映画ブーム期から続く尼崎市唯一の映画館である。*24

「塚口サンサン劇場」は1948年(昭和23年)に開館し、塚口駅前の再開発や阪神淡路大震災も乗り越えた。東宝や松竹の封切館であるが、2011年(平成23年)秋からミニシアター系の作品も上映している。第1弾は特撮番組を映画化した『電人ザボーガー』であり、全国で唯一35mmフィルムで上映したことで、首都圏からも観客が集まって大盛況だった。園子温監督などの個性派作品、『海洋天堂』や『人生、ここにあり!』などのドラマ作品も上映し、ジョニー・トー監督やピーター・チャン監督などアジアの有名監督作品も上映している。スタッフの戸村文彦(36)は、神戸市の「西灘劇場」(2004年閉館)や西脇市の「西脇大劇」(2007年閉館)などでも働いた経験がある。*25

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
MOVIXココエあまがさき/MOVIXあまがさき
所在地 : 兵庫県尼崎市潮江1-3-1 あまがさきキューズモール内
開館年 : 2009年10月20日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「MOVIXココエあまがさき1-11」(11館)。最寄駅はJR神戸線・福知山線尼崎駅。

西宮市

敷島劇場
所在地 : 兵庫県西宮市(1953年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1953年以後1960年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「敷島劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の跡地は「国際会館パチンコ」。現在の跡地はパチンコ店「キコーナ阪神西宮店」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線西宮駅。

阪神電車札場筋の踏切南側には映画館「敷島劇場」があった。1988年現在はパチンコ店になっている。*26

札場筋の写真に敷島劇場が見える。札場筋はその後拡幅整備され、また阪急西宮駅が上を通っている。敷島劇場跡地には2009年時点でパチンコ店が建っている。*27
東宝西宮劇場
所在地 : 兵庫県西宮市産所町(1960年)、兵庫県西宮市産所町11-2(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1960年・1969年の映画館名簿では「東宝西宮劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
日芸会館/西宮北口会館/北口会館
所在地 : 兵庫県西宮市高松町(1960年)、兵庫県西宮市高松町292(1966年・1969年)
開館年 : 1950年(演劇場として)、1956年(映画館化)
閉館年 : 1970年頃
1950年の映画館名簿では「西宮北口会館」。1953年の映画館名簿では「日芸会館」。1960年・1966年の映画館名簿では「西宮北口会館」。1969年の映画館名簿では「北口会館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「プレラにしのみや」。最寄駅は阪急電鉄神戸本線・今津線西宮北口駅。

1956年に演劇場の日芸会館が東宝の所有となり、1960年に東宝封切館の西宮北口会館が開館した。1970年頃に閉館した。
鳴尾映画劇場/西宮鳴尾東映劇場/鳴尾東映劇場
所在地 : 兵庫県西宮市鳴尾町(1960年)、兵庫県西宮市鳴尾町2-228(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1975年頃
1960年の映画館名簿では「鳴尾映画劇場」。1966年の映画館名簿では「西宮鳴尾東映劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「鳴尾東映劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「HACHIBUSE鳴尾」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線鳴尾・武庫川女子大前駅。
西宮今津大劇/今津大劇
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町(1960年)、兵庫県西宮市津門川町10-5(1966年・1969年)、兵庫県西宮市津門川町13-5(1973年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1987年8月31日
1960年の映画館名簿では「今津大劇」。1966年の映画館名簿では「西宮今津大劇」。1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「今津大劇」。1974年・1980年の住宅地図では「今津大劇」。1985年の住宅地図では「今津大劇・今津東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ロイヤル西宮今津駅前」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線・阪急電鉄今津線今津駅。
西宮今津東映/今津東映
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町(1960年)、兵庫県西宮市津門川町10-7(1966年・1969年)、兵庫県西宮市津門川町13-7(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1987年8月31日
1960年の映画館名簿では「今津東映」。1966年の映画館名簿では「西宮今津東映」。1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「今津東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
西宮国際シネマ/国際シネマ
所在地 : 兵庫県西宮市戸田町38(1960年・1963年)、兵庫県西宮市戸田町5-14(1966年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1979年以後1981年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「国際シネマ」。1965年・1974年の住宅地図では「国際シネマ」。1966年の映画館名簿では「西宮国際シネマ」。1969年の映画館名簿では「国際シネマ」。1973年の映画館名簿では「西宮国際シネマ」。1980年の映画館名簿では「国際シネマ」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場「トランクルーム西宮」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線西宮駅。
今津阪急文化会館/今津文化会館/今津文化1・2
所在地 : 兵庫県西宮市津門呉羽町(1960年)、兵庫県西宮市津門呉羽町2-24(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1995年9月
1960年の映画館名簿では「今津阪急文化会館」。1969年・1980年の映画館名簿では「今津文化会館」。1974年・1980年の住宅地図では「今津文化映画館」。1990年の映画館名簿では「今津文化1・2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。西宮市最後の従来型映画館。跡地はマンション「エステムコート西宮今津」。最寄駅は阪神電鉄阪神本線・阪急電鉄今津線今津駅。

1995年2月12日から、西宮市の映画館「今津文化」が無料の復興映画祭を開始する。『青い山脈』『陽のあたる坂道』『明日は明日の風が吹く』など、石原裕次郎や吉永小百合主演の6本が上映される。12年前に200席だったホールを120席と80席の2つに分けて鉄骨で補強したため、阪神大震災での倒壊は免れた。しかし、300キロ近くある4台の映写機は土台から倒れ、関内も天井版の一部が落ちた。*28

1995年10月初頭から、西宮市唯一の映画館「今津文化」が取り壊される。阪神大震災で半壊し、同一地点で再建するには約2億円かかるため。最後のイベントは「恐怖劇場」であり、9月第2週まで毎週末に開催される。「今津文化」は終戦直後に開館したとされ、1960年頃には大勢の観客でにぎわった。『禁じられた遊び』の上映時には一日約2000人の観客が訪れ、約200メートル離れた阪神今津駅まで行列ができるほどだった。1960年代半ばから観客が減少し、1970年代前半には成人映画の専門館となった。1980年代以降にはレンタルビデオが普及し、一日に十数人しか観客がいない時期が続いた。*29

1995年12月、西宮市津門呉羽町の映画館「今津文化」が閉館する。西宮市唯一の映画館だった。12月12日から取り壊し作業が行われている。1956年の洋画の二番館として開館し、『風と共に去りぬ』『鳥』『禁じられた遊び』などを上映した。週末には西100mの阪急今津駅まで行列ができることもあったという。1995年1月17日の阪神淡路大震災で半壊したが、2月12日には営業を再開し、入場無料の上映会などを行っていた。震災を機に観客が減少したことで閉館を決定した。*30

1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生すると、西宮市唯一の映画館「今津文化会館」は全壊した。3代目館主の田中健(52)も左足を骨折したが、西宮市には "半壊" という届けを出し、2月11日に営業を再開した。石原裕次郎や吉永小百合が出演する昭和30年代の日活作品を無料で公開し、連日にわたって被災者で大入り満員となった。しかし採算性などがネックとなって再建することはできず、西宮市から映画館が消えた。震災から8年を迎える2003年1月17日、西宮市にある酒造会社の集客施設「白鷹禄水苑」で、「シネマ・エクスカベイションinにしのみや」の第1回が開催される。今津文化会館が閉館するまでの経緯や、西宮市にあった映画撮影所の東亜キネマなどがビデオで紹介され、西宮の映画の歴史を語るトークショーも開催される。第2回以降は映画が上映される予定である。*31
TOHOシネマズ西宮OS
所在地 : 兵庫県西宮市高松町14-2-501 阪急西宮ガーデンズ5階(2010年)
開館年 : 2008年11月26日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ西宮OS1-11・プレミア」(12館)。12スクリーンのシネコン。

阪急神戸線西宮北口駅前の阪急西宮ガーデンズには映画館「TOHOシネマズ西宮OS」がある。12スクリーン計約2200席を有し、規模は関西地方トップクラスである。ODS(非映画デジタルコンテンツ)に対応しており、宝塚歌劇東京公演の中継などのイベントを定期的に開催しているため、大阪の梅田や神戸の三宮から訪れる観客も少なくない。また、リクライニングシートやペアシートを完備するプレミアムスクリーンを有しており、セレブ気分で映画を鑑賞することができる。この場所にはかつて阪急ブレーブスのホームグラウンドである西宮球場があったが、SMAPのコンサートを最後に2002年に閉鎖されていた。*32

芦屋市

芦屋会館
所在地 : 兵庫県芦屋市茶屋之町(1960年)、兵庫県芦屋市茶屋之町56(1966年・1969年)
開館年 : 1950年4月15日
閉館年 : 1970年11月30日
1953年・1960年・1969年の映画館名簿では「芦屋会館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は美容院「アトリエクロエ」。最寄駅はJR神戸線芦屋駅。

映画監督の大森和樹と小説家の村上春樹は芦屋市で生まれ育った。村上春樹は芦屋会館でジェームズ・ボンドの3本立を観たことがあるという。*33

芦屋市茶屋之町には芦屋市唯一の映画館「芦屋会館」があった。1950年(昭和25年)当時の芦屋市には娯楽施設がなかったことから、愛市会と近隣商店街の協力で同年4月15日に開館した。1951年(昭和26年)に『細雪』を上映した際には、一日に3000人もの観客が集まって長い行列を作った。1952年(昭和27年)に株式会社化したが、1959年(昭和34年)頃から経営難となり、1970年(昭和45年)11月30日に閉館した。「アシカン」と呼ばれて親しまれた。*34

1950年(昭和25年)には芦屋市茶屋之町に映画館「芦屋会館」が開館した。写真あり。*35

阪神北地域

伊丹市

伊丹劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市宮西町34(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「伊丹劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
若草劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市悠紀町520(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「若草劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
伊丹東映/伊丹東映劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市悠紀町539(1960年・1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「伊丹東映」。1965年の住宅地図では「伊丹東映劇場」。1966年の映画館名簿では「伊丹東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「尼崎信用金庫伊丹支店」。現在の跡地は「尼崎信用金庫伊丹支店」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
御園劇場/伊丹御園劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市永長町433(1960年)、兵庫県伊丹市永長町432(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「御園劇場」。1965年の住宅地図では「御園劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「伊丹御園劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「阪急伊丹駅前ゴルフ練習所」。跡地は有料駐車場「タイムズ伊丹第11」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
伊丹日活・伊丹大映/トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹
所在地 : 兵庫県伊丹市伊丹字若松町411-5(1960年・1966年)、兵庫県伊丹市伊丹字若松町42-5(1969年)、兵庫県伊丹市若松町岸田ビル6階・7階(1973年)、兵庫県伊丹市中央町1-5(1980年)、兵庫県伊丹市中央町1-5-23(1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1991年頃
1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「伊丹日活・伊丹大映」(2館)。1965年の住宅地図では西に「伊丹日活」で東に「伊丹大映」。1973年・1980年・1990年の映画館名簿では「トーエイ伊丹・ダイニチ伊丹」(2館)。1974年の住宅地図では「長崎屋 7階 ダイニチ伊丹・トーエイ伊丹」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「タイムズ阪急伊丹駅前」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。
グリーン劇場・伊丹ローズ劇場/伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市千歳町422(1973年)、兵庫県伊丹市中央町4-2-2(1980年・1990年)、兵庫県伊丹市中央4-2-2(2000年)
開館年 : 1970年
閉館年 : 2002年9月8日
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の映画館名簿では「グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」(2館)。1974年の住宅地図では「2階 グリーン劇場・ローズ劇場」。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2019年竣工のマンション「ジオ伊丹中央」。最寄駅は阪急電鉄阪急伊丹線伊丹駅。

2002年9月8日、伊丹市中央4丁目の映画館「伊丹グリーン劇場」(178席)と「伊丹ローズ劇場」(134席)が閉館する。1970年に開館した際は東宝系の封切館だった。1983年からは特撮映画のオールナイト上映を開始し、『大魔神』『ガメラ』など約200本を上映。「グリーンリボン賞」という自主製作特撮映画賞では約300メートルの行列もできた。伊丹市は1987年から1994年まで伊丹映画祭を開催し、同賞を特撮以外も含めた自主製作映画賞に発展させた。映画監督の三原光尋も同賞での入選経験がある。近隣に約1800席のシネコンが開館することが閉館の理由。*36

阪急伊丹駅近く、伊丹市中央4にあった映画館「伊丹グリーン・ローズ劇場」は、「特撮のメッカ」と呼ばれて特撮映画ファンに人気があった。1920年から1968年までの旧阪急伊丹駅跡地のビルのワンフロアにあった。東宝系の映画館であり、座席の色は劇場名にちなんで緑色と赤色だった。1980年代にはグリーン劇場が特撮上映に特化し始め、オールナイト上映は特撮ファンでにぎわった。1987年(昭和62年)秋には伊丹氏が「第1回伊丹映画祭」を開催し、大林宣彦監督や大島渚監督などの講演会やコンサートなどが行われた。伊丹映画祭は1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の影響で下火になり、2002年(平成14年)には伊丹グリーン・ローズ劇場が閉館した。2020年現在の跡地は高層マンションとなっている。*37
伊丹TOHOプレックス/TOHOシネマズ伊丹
所在地 : 兵庫県伊丹市藤ノ木1-1-1 イオンモール伊丹テラス4階(2010年)
開館年 : 2002年10月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2002年10月開館。2007年9月改称。2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ伊丹1-8」(8館)。最寄駅はJR福知山線伊丹駅。

宝塚市

宝塚大劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚大劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
新芸座
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「新芸座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
宝塚中央劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面五反田(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚中央劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
宝塚銀映劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面山ノ上(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚銀映劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
宝塚映画劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1945年?、1952年?
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。宝塚映画劇場は宝塚ファミリーランドの東端にあったと思われる。

戦後の1952年(昭和27年)、宝塚ファミリーランドの一角、入場口左手に開業した。収容人員200人。この頃の宝塚市には、宝塚駅、宝塚南口駅、逆瀬川駅付近に数館の映画館があった。*38
新花月劇場/宝塚新花月劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市伊子志亥谷(1960年)、兵庫県宝塚市伊孑志亥の谷230(1966年)、兵庫県宝塚市南口町2-4-19(1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1960年の映画館名簿では「新花月劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「宝塚新花月劇場」。1973年の住宅地図では「新花月劇場(川村)」。1979年の住宅地図では跡地に「サンビオラモータープール」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「サンビオラ第1駐車場」。宝塚市最後の従来型映画館。最寄駅は阪急電鉄阪急今津線宝塚南口駅。
シネ・ピピア
所在地 : 兵庫県宝塚市売布2-5-1 ピピアめふ5階(2010年)
開館年 : 1999年10月29日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 宝塚シネ・ピピア
2000年・2010年の映画館名簿では「シネ・ピピア1・2」。最寄駅は阪急宝塚本線売布神社駅。

1999年10月26日、宝塚市の売布神社駅前の再開発事業が完工した。6階建ての再開発ビル「ピピアめふ」には宝塚市に約30年ぶりとなる映画館などが入る。映画館は10月29日に開館し、大森一樹監督による自主製作映画の上映やトークショーが開催される。*39

2005年現在でシネ・ピピアは宝塚市唯一の映画館である。公設民営という点が特徴であり、所有者は宝塚市、運営は民間である。阪急宝塚線売布神社駅からすぐの場所にある。ピピア1とピピア2の2スクリーンがあり、どちらも座席数は50席である。音響設備は日本トップクラスであり、車いす席や補聴システムも導入されている。ピピア1は新作映画を上映するロードショー館であり、ピピア2は観客のリクエスト作の上映、市民企画枠の作品の上映、市民団体への貸しホールなど、独自のプログラムを組んでいる。1999年にシネ・ピピアが開館するまで、約30年間は宝塚市に映画館が存在しなかった。1990年には主婦らによって「宝塚に映画館をつくろう会」が設立され、のちに「宝塚・シネクラブ」に改称して映画上映会や企業との交渉などを行った。1995年の阪神大震災で存続が危ぶまれたが、半年後には上映会を再開した。震災復興再開発ビル「ピピアめふ」にシネ・ピピアが開館したことで10年間の活動が実った。「宝塚・シネクラブ」は「すみれ座」と改称して上映活動を続けている。2000年には「すみれ座」などを中心に宝塚映画祭実行委員会が結成され、2002年11月にはシネ・ピピアをメイン会場として第1回映画祭が開催された。*40

2013年1月8日、宝塚市にある公設民営の映画館「シネ・ピピア」は宝塚市にデジタル上映機器を導入するよう要望した。「『シネ・ピピア』を支える会」も4387人分の署名を添えた嘆願書を提出した。2013年春以降にはフィルムからデジタル素材での配給に切り替わり、デジタル上映機器がないと新作を上映できなくなる。導入に要する費用は10年間で約2000万円。かつて宝塚市には映画製作所があり、「映画のまち」として栄えたことから、市民の声に応えて1999年に開館した。観客数は年間4万人〜5万人。*41

2013年6月から、宝塚市の映画館「シネ・ピピア」でデジタル機器による上映が開始される。2012年末には宝塚映画祭実行委員長の河内厚郎や映画監督の大森一樹などが立ち上がり、「デジタルシネマ機器導入を求める嘆願書」に2週間で4387人の署名を集めた。宝塚市は2013年度にデジタル映写機の導入費を予算化し、リース費用は10年間で約2000万円となる。6月1日からの上映作品はデジタルシネマ革命を探るドキュメンタリー『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』や、『世界に一つだけのプレイブック』、『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』。*42

2017年9月には宝塚市の映画館「シネ・ピピア」で、新しい座席を導入するなどの改修が行われた。9月9日から1週間は『阪急電車 片道15分の奇跡』と『あん』を500円で上映する記念イベントを開催する。シネ・ピピアは2018年に開館18年を迎える。*43

2017年9月9日、宝塚市売布2丁目の映画館「シネ・ピピア」がリニューアル開館する。9月9日から9月15日は市民感謝デーとして、宝塚市民は『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』『Tap The Last Show』『海辺のリア』『ゴンドラ』の4本の入場料が1000円となる。ご当地映画『阪急電車片道15分の奇跡』と樹木希林主演の『あん』は市民も市民以外も500円となる。1999年10月、阪神淡路大震災の復興再開発ビル「ピピアめふ」5階に開館した。宝塚市が開設して民間事業者が運営する、全国でも珍しい公設民営の映画館である。*44

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。

川西市

新町映劇/新町シネマ/川西新町映劇
所在地 : 兵庫県川西市小花大畑(1958年)、兵庫県川西市小花大畑28(1960年)、兵庫県川西市小花大畑(1963年)、兵庫県川西市小花大畑28(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「新町映劇」。1963年の映画館名簿では「新町シネマ」。1966年・1969年の映画館名簿では「川西新町映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
川西東映/池田川西座/川西座
所在地 : 兵庫県川西市(1955年)、兵庫県川西市小戸(1960年・1963年)、兵庫県川西市小戸行人塚17(1966年)、兵庫県川西市小戸(1980年・1985年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1955年の映画館名簿では「川西座」。1960年の映画館名簿では「川西東映」。1963年の映画館名簿では「川西座」。1966年の映画館名簿では「池田川西座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年の映画館名簿では「川西座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。閉館後に「阪神高速11号池田線」の道路用地となった。

三田市

三輪映画劇場/三輪映劇
所在地 : 兵庫県有馬郡三輪町(1955年)、兵庫県有馬郡三田町(1958年)、兵庫県三田市三田町(1960年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1959年12月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「三輪映劇」。1958年の映画館名簿では「三輪映画劇場」。1960年の映画館名簿では「三輪映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。三映劇場。跡地は「セブンイレブン三田駅南店」西の建物。
三田劇場/三田映画劇場
所在地 : 兵庫県有馬郡三田町(1950年・1955年)、兵庫県有馬郡三田町462-1(1958年)、兵庫県三田市三田町462-1(1960年・1963年)、兵庫県三田市三田町4162-1(1966年・1969年)
開館年 : 1925年、1953年8月1日(再建再開)
閉館年 : 1972年1月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年開館。1947年11月28日被災。1953年8月1日再建再開。1950年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「三田劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「三田映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の三田市相生町にあったとされる。

1949年の三田市にあった「三田劇場」の写真あり。改築された際の写真であり、劇場の2階まで花束が並べられた。正月には行列が相生橋まで続いたこともあった。*45

『三田市史 第2巻 通史編2 近代・現代』三田市、2012年には第5章第2節に「三田の映画館と劇場問題」という節がある。現物は未確認。*46
三田フローラシアター
所在地 : 兵庫県三田市弥生ケ丘1-1-1 フローラ88ショッピングセンター(1990年)、兵庫県三田市弥生ケ丘1-1-1(2002年)
開館年 : 1988年3月18日
閉館年 : 2002年以後2005年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「三田フローラシアター」。2002年の映画館名簿では鉄筋造3階、80席、経営会社が株式会社北摂コミュニティ開発センター、経営者が高津幹男、支配人が畑中文博、邦画・洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。1スクリーン80席のビデオシアター。最寄駅は神戸電鉄公園都市線フラワータウン駅。
ワーナー・マイカル・シネマズ三田ウッディタウン/イオンシネマ三田ウッディタウン
所在地 : 兵庫県三田市けやき台1-6-4 イオン三田ウッディタウン店2番街2階
開館年 : 2000年11月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ三田ウッディタウン1-7」(7館)。最寄駅は神戸電鉄公園都市線ウッディタウン中央駅。

川辺郡猪名川町

映画館名簿によると猪名川町に映画館はなかったと思われる。

東播磨地域

明石市

明石市の映画館
1956年(昭和31年)現在の明石市において、男女ともに「趣味」の第1位は映画だった。映画をどの自治体で観るか聞いたアンケートでは、83.6%が明石市内、13.5%が神戸市、12.0%が大阪市、1.7%がその他だった(複数回答可)。*47

1964年(昭和39年)現在の明石市には洋画系1館を含む7館の映画館がある。1963年(昭和38年)には7館の総観客数が84万人であり、市民1人あたり5.6回の計算となる。しかし、1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)には総観客数が200万人近かった。*48

1968年(昭和43年)の商工名鑑には、「明石劇場」(柏木興業、1950年設立)、「明石松竹」(柏木興業、1954年設立)、「明石東映」(明宝興業、1950年設立)、「白鳥座」(明宝興業、1950年設立)、「大久保劇場」が掲載されている。*49

1980年(昭和55年)の商工名鑑には、「明石東宝・明石日活」(柏木興業、大明石町1-6-7)、「明石松竹・明石東映・明石パレス」(明和興業、本町2-9-19)、「大久保劇場」(大久保町大畑549-1、1946年設立)が掲載されている。*50

1990年(平成2年)現在の明石市には、明石喜春商店会の中に明石東宝あり。本町商店街の中に本町にっかつあり。*51
明石日活/明石平和/大映明石平和
所在地 : 兵庫県明石市錦江町(1953年)、兵庫県明石市錦江町1202(1955年・1960年)
開館年 : 1935年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1935年12月開館。1953年の映画館名簿では「明石日活」。1955年の映画館名簿では「明石平和」。1960年の映画館名簿では「大映明石平和」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三井住友銀行明石支店」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

国道2号と銀座通りの交差点の北側には「明石日活」があった。1954年の明石日活の写真あり。1954年日本公開の『ローマの休日』の看板が見える。*52
明石劇場
所在地 : 兵庫県明石市南王子町2(1953年・1955年)、兵庫県明石市南王子町(1960年)、兵庫県明石市南王子町2(1966年・1969年)
開館年 : 1945年11月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1955年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「明石劇場」。1955年の映画館名簿では経営者が柏木興業、支配人が恒元潤一、木造1階、定員220。1960年の映画館名簿では経営者が柏木約吉、支配人が深井鹿吉、木造1階暖房付、定員366、東映・大映・松竹を上映。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1964年・1966年・1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。
明石松竹
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-9(1966年・1969年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「明石松竹」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「明石駅前再開発ビル」(パピオスあかし)建物南西部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。
白鳥座/明石白鳥座
所在地 : 兵庫県明石市追手町1232(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-5-11(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1960年・1963年の映画館名簿では「白鳥座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石白鳥座」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「明石駅前再開発ビル」(パピオスあかし)建物南東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。

国道2号沿いにあった映画館の「白鳥座」。当時の明石市中心部には、白鳥座のほかに明石東映・明石東宝・本町日活などが軒を連ねていた。白鳥座の前を明石商業高校映画部の生徒らが歩いている1959年の写真あり。*53
明石東映/明石東映劇場
所在地 : 兵庫県明石市追手町1231(1958年)、兵庫県明石市追手町1232(1960年)、兵庫県明石市大明石町1-5-12(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「明石東映」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「明石東映劇場」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「明石駅前再開発ビル」(パピオスあかし)建物東部。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。
明石大久保劇場/大久保劇場
所在地 : 兵庫県明石市大久保町大畑(1960年)、兵庫県明石市大久保町大畑549(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1985年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「大久保劇場」。1966年の映画館名簿では「明石大久保劇場」。1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「大久保劇場」。1985年の住宅地図では大久保町大窪大畑249に「大久保劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大久保駅前保育所」。最寄駅はJR神戸線大久保駅。
明石パレス・明石松竹・明石東映
所在地 : 兵庫県明石市本町1-19(1980年)、兵庫県明石市本町9-19(1985年)
開館年 : 1977年以後1980年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1973年・1977年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年の映画館名簿では「明石パレス・明石松竹・明石東映」(3館)。1980年のゼンリン住宅地図では左側の建物に「1階明石松竹 2階明石シネマ」、右側の建物に「1階明石東映 2階明石パレス」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ワコーレ明石本町彩雲館」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。
本町映画劇場/本町日活
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市東本町24(1953年・1955年)、兵庫県明石市東本町45(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、兵庫県明石市本町1-14-18(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1947年? 1948年4月?
閉館年 : 2014年12月23日
『全国映画館総覧 1955』によると1948年4月開館。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「本町映画劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「本町日活」。1973年の映画館名簿では「明石本町日活」。1974年のゼンリン住宅地図では「本町日活劇場」。1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「本町日活」。跡地は2015年12月1日開館の大衆演劇場「明石ほんまち三白館」。

本町日活は1947年に演芸場を兼ねた映画館として開館。木造。1950年代後半から日活の専門館となり、日活がロマンポルノの配給を始めてからは成人映画を上映していた。2013年にはやはり柏木弘が運営する明石東宝が再開発に伴って閉館している。2014年12月23日に閉館。来年2月には本町商店街振興組合による改装工事を行い、12月に「ほんまち三白館」(みはくかん)として開館する。明治から戦前にあった演芸場「三白亭」が名称の由来。*54

明石市の本町日活は1947年に開館し、1970年代からは成人映画の上映館となった。2015年1月11日には無声映画を弁士付きで上映する記念イベントを開催。*55

明石市の本町日活は2009年で開館62年を迎える。2009年時点では兵庫県唯一の成人映画の封切館である。回り舞台や楽屋を残している。戦前の芝居小屋「三白亭」(みはくてい)が前身であり、1947年に木造入母屋造の本格的な劇場として建設された。間口18メートル、奥行き36メートル。客席は240席。三角形に組んだ大規模な木造トラス屋根が特徴。舞台部分と客席部分は平屋だが、楽屋やかまど・宿泊施設のある裏側は二層構造。開館当時は洋画や民謡ショーなどが上演された。1950年代後半に日活の専属館になると大改装を行った。石原裕次郎や浅丘ルリ子が舞台挨拶を行った。阪神淡路大震災では全壊と判定されたが、修復工事を行って上映を再開した。*56

明石日活のの延床面積は約790平方メートル。木造一部2階建て。1956年の『太陽の季節』などのヒット作が続いたころには扉が閉まらないほどだった。石原裕次郎がロケで明石市を訪れた際には、ファンに囲まれたために本町日活に入れなかったというエピソードがある。渡哲也や浅丘ルリ子も本町日活を訪れた。出演者用の楽屋や宿泊部屋が残るのは、芝居小屋として建てられた名残である。*57

JR明石駅南口の魚の棚商店街には、大正時代に芝居小屋「三白亭」が開館した。昭和時代になると映画館に転換したが、2014年に映画館としては閉館した。商店街振興組合が劇場主から建物を借り、耐震化工事を行った上で内装や外観を一新した。2015年12月1日に大衆演劇場の「明石ほんまち三白館」として開館させた。外壁は漆喰の白壁と焼杉板である。壁面やステンドグラスには千鳥がデザインされているが、これは「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」という百人一首に着想を得ている。客席は160席。*58

映画館「本町日活」の跡地を利用して、2015年12月に演劇場「明石ほんまち三白館」(みはくかん)が開館。開館から丸2年を迎える前の2017年10月に入場者10万人を超えた。*59
明石東宝映画劇場/明石東宝映劇/明石東宝劇場/明石東宝
所在地 : 兵庫県明石市(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-6(1966年)、兵庫県明石市大明石町1-6-7(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1945年11月、1953年(経営者交代)
閉館年 : 2013年9月24日
港町キネマ通り : 明石東宝
『全国映画館総覧 1955』によると1945年11月開館。1950年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1953年の映画館名簿では「明石東宝映画劇場」。1955年の映画館名簿では「明石東宝映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「明石東宝」。1966年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「明石東宝」。1974年のゼンリン住宅地図では「明石東宝」。明神ビル2階。跡地は複合商業施設「パピオスあかし」。

1995年1月17日の阪神淡路大震災では阪神間にある映画館も大きな被害を受けた。1月28日には明石東宝が営業を再開した。この時点では神戸市の三宮地区の映画館のほとんどは、入居するビルそのものが使用不可の状態だった。*60

2009年2月22日に第81回アカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』を上映する明石東宝では、1996年以来となる入場待ちの行列ができた。*61

明石東宝は1966年にビルを新築した。1990年代の映画低迷期には、「明石シネマクラブ」が休館日の明石東宝のスクリーンを借用して定期上映会を行った。1997年にはシネマコンプレックスが登場し、明石東宝の観客数がいっそう減少した。*62

明石駅南地区には戦前から芝居小屋があり、戦後には明石東宝・明石松竹・明石東映・白鳥座・明石日活館の計5館の映画館があった。1973年には明石東映と白鳥座が閉館し、明石駅南地区の一般映画館は明石東宝のみとなった。1967年頃の写真あり。明石東宝は1966年竣工の6-7階建てのビルに入居し、このビルの東側には明石東映と白鳥座が入るビルがあった。*63

1953年に明石映画銀座として開館し、後に明石東宝に改称して東宝作品の封切館となった。1966年には複合商業ビルを建設してその中に入ったが、映画館の複合ビル化の先駆け的存在だった。1960年代には加山雄三主演の若大将シリーズなどが人気であり、1970年代以降はアニメ映画が人気だった。2001年には東宝との専属契約を解除し、自前での番組編成が可能となった。2013年の閉館時までデジタルシネマ化を行わず、35mmフィルムで上映を行った。2013年9月末に閉館する。閉館時点で東宝系では兵庫県唯一の映画館だった。270席。*64

2013年9月24日、明石市大明石町の映画館「明石東宝」が閉館する。1953年に「明石映画銀座」の名前で開館し、東宝系の封切館になると明石東宝に改称した。全盛期の明石駅前には5館の映画館が並んでいた。森繁久彌の社長シリーズ、特撮怪獣映画ゴジラシリーズ、加山雄三の若大将シリーズなどが人気だったが、1970年代から観客が減少していた。*65

JR明石駅/山陽明石駅前の国道2号沿いには、かつて映画会社直営の映画館が並んでいた。それ以外を含めると、映画全盛期の明石市には7館の映画館があった。1977年の明石東宝の写真あり。藤岡弘主演の『大空のサムライ』と森繁久彌主演の『喜劇 百点満点』の看板が見えている。この頃には3館に減っていた。*66
ワーナー・マイカル・シネマズ明石/イオンシネマ明石
所在地 : 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通り1-3-2 マイカル明石1番街(2000年)、兵庫県明石市大久保町ゆりのき通1丁目3-2 イオン明石ショッピングセンター1番街
開館年 : 1997年10月23日
閉館年 : 営業中
2000年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ明石」(7館)。7スクリーンのシネコン。スクリーン4(定員492名)は兵庫県内の映画館で最大。最寄駅はJR神戸線大久保駅。

加古川市

加古川市の映画館
1946年(昭和21年)から昭和40年代前半にかけて、加古川市には6館の映画館があった。第一新興座と第二新興座(篠原町のビル内)、旭クラブ(本町)、大劇(寺家町)、加古川劇場(西本町)、日映(篠原町)である。昭和20年代の加古川劇場の写真あり。それぞれ扱う作品の系統に特徴があったが、テレビの普及とともに全国的に映画人気が衰退し、加古川市の映画館もアダルト映画や実演などに手を広げた。昭和の終焉を待たずに全館が閉館し、2001年(平成13年)にワーナー・マイカル・シネマズ加古川が開館するまで、人口20数万人の町に映画館がない時代が続いた。*67
加古川劇場/加古川映画劇場
所在地 : 兵庫県加古川市西本町(1955年)、兵庫県加古川市西本町2-128(1960年・1963年)
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1962年
1953年・1955年の映画館名簿では「加古川劇場」。1960年の映画館名簿では「加古川映画劇場」。1963年の映画館名簿では「加古川劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

加古川市立加古川小学校北側の道を西に向かい、ニッケ社宅に入る手前には雁南川橋があるが、そのたもとの右側には「加古川劇場」があった。戦後しばらくは芝居の興行を行っていたが、全面的に改装して映画館の「加古川映劇」に転換した。中心市街地からはやや離れており、1962年には営業不振で閉館した。加古川映劇という名称だった期間は短く、住民には加古川劇場として記憶されている。1952年頃の写真あり。「KAKOGAWA EIGEKI」の文字が見える。*68
宝殿映画劇場/宝殿映劇/加古川宝殿映画劇場
所在地 : 兵庫県加古川市米田町平津478-2(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「宝殿映画劇場」。1963年の映画館名簿では「宝殿映劇」。1966年の映画館名簿では「加古川宝殿映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真を見ると現在の「セブンイレブンJR宝殿駅前店」の場所に巨大な建物がある。
新興座/第一新興会館・第二新興会館
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町(1955年)、兵庫県加古川市篠原町25-1(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1932年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1953年・1955年の映画館名簿では「新興座」。1960年・1963年の映画館名簿では「第一新興会館・第二新興会館」(2館)。1966年の映画館名簿では「加古川日活新興会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では「ヤマトヤシキ 1階・2階喫茶食堂 3階喫茶パリー」。1980年の住宅地図では「1階パチンコ太陽 1階パチンコモコ 2階インベーダーリオ 2階喫茶モコ」。1984年の住宅地図では「1階パチンコ太陽・パチンコモコ 2階ゲームラスベガス・キッサモコ・ビデオレンタルマルマン」。跡地は1989年以後に2階建ての「パチンコ太陽」が新築された後、2019年11月22日開館のカラオケ店「ビッグエコー加古川駅前店」。

1932年(昭和7年)、劇場の末広劇場が映画館の新興座に転換した。『青い山脈』や『君の名は』は超満員だった。小中学生の映画教室の際には、教師に引率されて新興座に連れられた。1956年(昭和31年)12月には4階建ての映画館ビル「新興会館」に建て替えられ、第一新興会館・第二新興会館となった。ワンフロア・ワンスロープという特徴的な構造だった。座席数はいずれも260席。新興会館内には食堂・喫茶店・たこやき屋・うどん屋・飲み屋も営業していた。単独館時代の1953年の写真あり。映画館ビル時代の1961年の写真あり。ネオンアーチのすぐ無効に新興快感が見える。映画館が閉館した後、ヤマトヤシキのカコガワストアとなり、1972年(昭和47年)には百貨店のヤマトヤシキ加古川店となったが、映画館の建物を百貨店に転換するのには無理があり、1979年(昭和54年)に閉店した。1989年(平成元年)には建物が取り壊され、跡地にはパチンコ店が建った。*69

昭和30年代の加古川市にあった「新興会館」ビルの写真あり。「Shinko」「第一第二新興会館」の文字が見える。大怪獣『モスラ』の看板が見える。*70

国鉄加古川駅のすぐ南西、加古川町篠原町三桝には映画館の「新興座」があった。1899年(明治32年)12月11日に許可を得て新築し、1900年(明治33年)6月7日に寿座として初興業を行った。1915年(大正4年)12月28日には播州鉄道が持ち主となり、大成座に改称した。尾上松之助や淡海一座が常打ちに近い時代があった。加古川市の名誉市民第一号である演劇評論家の三宅周太郎は、大成座を気にかけていた。1930年(昭和5年)には持ち主が代わって新興座に改称、旭倶楽部とともに活動写真館となった。この時代には芝居と映画の双方を行う加古川劇場もあった。戦後には鉄筋コンクリート造の新興会館ビルとなり、内部には2映画館があった。その後ヤマトヤシキ加古川店となり、1980年現在はパチンコ店となっている。*71
加古川大劇
所在地 : 兵庫県加古川市寺家町478-1(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「加古川大劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年のゼンリン住宅地図では跡地に「大劇パーキング」。跡地は月極駐車場「大劇パーキング」。
加古川ひがし東映/ひがし東映/加古川ひがし東映劇場/加古川日映劇場
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町8-1(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1960年の映画館名簿では「加古川ひがし東映」。1963年の映画館名簿では「ひがし東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「加古川ひがし東映劇場」。1973年の映画館名簿では「加古川日映劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「加古川日映」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「りそな銀行加古川支店」と「播州信用金庫加古川支店」の間にある駐車場(※銀行の駐車場ではない)。
旭倶楽部/加古川東映/旭倶楽部/加古川旭クラブ
所在地 : 兵庫県加古川市本町2-356(1960年・1963年)、兵庫県加古川市本町2-365(1966年・1969年)、兵庫県加古川市本町(1973年)、兵庫県加古川市本町2-365(1977年)
開館年 : 1914年
閉館年 : 1977年以後1980年以前
1953年の映画館名簿では「旭クラブ」。1960年の映画館名簿では「加古川東映」。1963年の映画館名簿では「旭倶楽部」。1966年・1969年・1973年・1977年の映画館名簿では「加古川旭クラブ」。1973年のゼンリン住宅地図では「映画旭クラブ」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「本町公園」。

現在の本町公園の場所には映画館の「旭クラブ」があった。1928年(昭和3年)元旦に開館し、U字型の1階・2階客席を有した。大映系の萌芽と洋画を上映した。1953年の写真あり。*72

加古川市の旭クラブ。「ASAHI CLUB」や「旭クラブ」の文字が見える。昭和30年代の写真あり。若者が建物前で立ち話している。*73

1928年の加古川にあった「旭倶楽部」の写真あり。「場切封画映活日」の文字が見える。「忠臣蔵」ののぼりが見える。旭倶楽部は1927年に完成し、1928年に営業を開始した。昭和初期の旭倶楽部の従業員の写真あり。*74

1914年(大正3年)には加古川市本町に映画館の「旭倶楽部」が開館した。館内には売店があり、売り子が客席を回った。2006年(平成18年)現在の跡地は本町公園となっている。昭和初期の写真あり。*75

加古川町366番地には映画館の「旭倶楽部」があった。1927年(昭和2年)4月4日に許可を得て、木村の岡田米吉らが建設し、1928年(昭和3年)1月1日に活動写真館として開館した。写真あり。*76
加古川日活/加古川東映・シネマ興栄/加古川パレス・加古川グリーン劇場・加古川シネマ・加古川ローズ劇場/加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町(1969年)、兵庫県加古川市篠原町興栄ビル(1973年)、兵庫県加古川市篠原町3-73-4(1977年・1980年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の映画館名簿では「加古川日活」。1973年の住宅地図では「共栄ビル テーラー山崎 シネマ共栄 キッサルビー 加古川日活 加古川産業会館 カレー一番 マルハ食堂 大黒商事KK」。1973年の映画館名簿では「加古川東映・シネマ興栄」(2館)。1977年の映画館名簿では「加古川パレス・加古川グリーン劇場・加古川シネマ・加古川ローズ劇場」(4館)。1980年の住宅地図では「興栄ビル 1階グリーン劇場パレス 2階ローズ劇場 3階加古川シネマ興業 4階映写室」。1980年・1985年の映画館名簿では「加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ」(4館)。1984年の住宅地図では「興栄ビル 1階グリーン劇場・加古川東映パレス 2階ローズ劇場 3階加古川シネマ興業 4階映写室」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「加古川駅前第2パーキング」。
ワーナー・マイカル・シネマズ加古川/イオンシネマ加古川
所在地 : 兵庫県加古川市平岡町新在家615-1 イオン加古川店シネマ棟3階
開館年 : 2001年1月26日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ加古川1-8」(8館)。8スクリーンのシネコン。

高砂市

曽根太陽劇場
所在地 : 兵庫県印南郡曽根町(1955年)、兵庫県高砂市曽根町2284(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「曽根太陽劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
清栄館
所在地 : 兵庫県高砂市高砂町清水(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年・1953年・1960年・1963年の映画館名簿では「清栄館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物が現存し、「有限会社明石屋不動産」が所有する「セイエイカン」となっている。

このほど、高砂市にある旧映画館「清栄館」の建物が、事務所兼住宅として生まれ変わった。約100年前に建築され、1960年代まで映画館として営業していたという。ブラウス工場だった時期もあったが、この10年ほどは廃墟となっていた。高砂市高砂町清水町1484-1。鉄骨鉄筋コンクリート造、3階建(一部地下室)。延床面積約590m2。*77

このほど、高砂市高砂町清水町にロケ設備「エミュ・カシェット」がオープンした。運営は写真館を経営するエミュ。建物はかつての映画館「清栄館」であり、戦前に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造3階建ての建物である。*78
高砂座/東照館/高砂東照館
所在地 : 兵庫県高砂市南本町877(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1953年・1960年の映画館名簿では「東照館」。1966年・1969年の映画館名簿では「高砂東照館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。跡地は「シャーメゾン桔梗」。少なくとも2009年までは跡地にレンガ壁が残っていた。
高砂東映/高砂相生座/相生座
所在地 : 兵庫県高砂市細工町1343(1960年)、兵庫県高砂市高砂町細工1343-1(1966年)、兵庫県高砂市高砂町細工1343-1(1969年)、兵庫県高砂市高砂町細工町1348(1980年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1980年以後1982年以前
1950年・1953年の映画館名簿では「相生座」。1960年の映画館名簿では「高砂東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「高砂相生座」。1974年の住宅地図では「相生座東映」。1980年の映画館名簿では「相生座」。1982年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「善立寺」北西60mにある居酒屋「千尋」とその東の民家。

加古郡稲美町

映画館名簿によると稲美町に映画館は存在しなかったと思われる。

加古郡播磨町

映画館名簿によると稲美町に映画館は存在しなかったと思われる。

北播磨地域

西脇市

西脇市の映画館
フリーペーパーの『へそまち文化新聞』第4号、2018年10月5日には、「特集 織都と銀幕 織物の都の映画館全盛時代とその映画文化」という記事が掲載されている。
蓬莱座/西脇東宝蓬莱座
所在地 : 兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市西脇町銀座通(1960年)、兵庫県西脇市銀座通114(1963年)、兵庫県西脇市西脇114(1966年)
開館年 : 1919年2月
閉館年 : 1967年9月11日
1955年の映画館名簿では「蓬莱座」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「西脇東宝蓬莱座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1919年(大正8年)2月、株式会社蓬莱座が落成した。1931年(昭和6年)3月、蓬莱座が全焼した。1932年(昭和7年)12月、蓬莱座が再建落成した。1967年(昭和42年)9月、蓬莱座が閉館した。*79

1919年(大正8年)2月1日、蓬莱座の落成式とこけら落とし公演が行われた。午前11時半から落成式を行い、正午12時から演劇公演が行われた。大正初期の蓬莱座の写真あり。1931年(昭和6年)3月には蓬莱座が全焼したが、1万5000円を投じて再建された。1932年(昭和7年)12月22日、細田兵庫県議会議員や衣川西脇警察署長など300余人を招待して落成式が行われた。落成式の日から5日間、関西歌舞伎の片岡秀郎・嵐橘香・片岡門童・嵐佳笑などの一座を招待し、すべて新調した舞台道具で華々しくこけら落とし公演を行った。周辺住民は巨大建築物の火事にこりて再建に反対していたが、建物の周囲にコンクリートの防火塀を立てることで協議が決着した。1967年(昭和42年)9月11日、蓬莱座が閉館した。西脇区が中心となって開館させた劇場であり、半世紀近くに渡って西脇の町に娯楽を提供した。*80

1931年(昭和6年)に「蓬莱座」が火災に遭う前、西脇婦人会による敬老会の記念写真あり。「大歌舞伎」の看板が見える。蓬莱座の1階と2階では座席料金が異なっていた。ざぶとんや火鉢は別料金を払って借りることができた。*81

1967年(昭和42年)頃の映画館「蓬莱座」の写真あり。「西脇東宝HORAIZA」「蓬莱座」の文字が見える。1995年現在も蓬莱座のコンクリート防火塀の一部が残存。*82
富士映画劇場/西脇東映/西脇銀映
所在地 : 兵庫県西脇市戎町179(1960年)、兵庫県西脇市戎町(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1960年3月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「西脇銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年(昭和35年)3月、西脇で5番目の映画館として「銀映」が開館した。*83
寿座/西脇寿座
所在地 : 兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市北本町(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1926年2月
閉館年 : 1984年6月1日
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿座」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「西脇寿座」。1973年・1980年の住宅地図では「寿座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「北本町公民館」北東40mの「第一不動産月極駐車場」。

1926年(大正15年)2月、株式会社寿座が落成した。1984年(昭和59年)6月、寿座が閉館した。*84

1922年(大正11年)1月28日、西脇町の駅前に西脇館が竣工した。午後1時から開館式が行われ、西村兵庫県議会議員・橋本多可郡長・来住西脇町長・松町西脇駅長などが祝辞を述べた。午後2時からは来賓や株主などによる大宴会が催された。1925年(大正14年)に寿座に組織替えしてから、半世紀以上に渡って西脇の町に娯楽を提供した。1984年(昭和59年)6月1日、寿座が閉館した。*85

1935年(昭和10年)頃の寿座の館内の写真あり。1階の観覧席は枡席であり、弁当・料理・一升瓶持参の観客が見える。*86
西脇映画劇場/西脇映劇
所在地 : 兵庫県西脇市西脇(1955年)、兵庫県西脇市南本町2(1960年)、兵庫県西脇市南本町2(1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1982年)
開館年 : 1946年8月1日
閉館年 : 1982年以後1985年以前
1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「西脇映画劇場」。1973年・1980年の住宅地図では「西脇映画劇場」。1980年・1982年の映画館名簿では「西脇映劇」。1982年の映画館名簿では経営者が高尾常松、支配人が神子田徳太郎、木造1階、470席、にっかつ・成人映画を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート西脇南本町店」の北150mの「レオパレスユニコム弐番館」。最寄駅はJR加古川線新西脇駅。「西映」とも。

1946年(昭和21年)8月、西脇映画劇場が開館した。蓬莱座と寿座に次いで西脇で3番目の映画館である。*87

1946年(昭和21年)8月1日、西脇映画劇場が開館した。蓬莱座と寿座に次いで西脇で3番目の劇場である。当初は12人の出資者によって運営されていたが、やがて実権は中心人物の高尾常松に移行していった。1958年(昭和33年)4月18日、高尾は隣接地に鉄骨造3階建ての西脇大劇を開館させた。1960年(昭和35年)3月1日、高尾は西脇銀映を買収し、西脇において映画館3館の経営者となった。テレビの普及で映画業界が下火になったため、西脇映画劇場と西脇銀映は閉館して取り壊され、現在は西脇大劇のみが残っている。*88
西脇大劇東映/西脇大劇/西脇大劇1・2
所在地 : 兵庫県西脇市西脇町(1960年)、兵庫県西脇市南本町2(1963年)、兵庫県西脇市南本町2-1034(1966年・1969年)、兵庫県西脇市南本町2(1973年・1980年・1985年・1990年)、兵庫県西脇市西脇1034(1995年・2000年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2007年10月28日
1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「西脇大劇東映」。1973年の住宅地図では「西脇大劇」。1980年の映画館名簿では「西脇大劇」。1980年の住宅地図では「西脇大劇 2階西脇時報社・ハリマトラベルセンター」。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「西脇大劇1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。西脇市初の鉄筋コンクリート造映画館。跡地は「ファミリーマート西脇南本町店」の北180mの更地。最寄駅はJR加古川線新西脇駅。西脇市・北播地方最後の映画館。

1958年(昭和33年)4月、西映の北側に鉄筋コンクリート造3階建ての西脇大劇が開館した。*89

西脇市にあった映画館の写真あり。手前に「西脇映画劇場」、奥に「西脇大劇」と並んでいる。*90

三木市

大正館
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町
開館年 : 1915年
閉館年 : 1950年以前?
1950年の映画館名簿には掲載されていない。

1915年(大正4年)の美嚢郡三木町の明石町にあった「大正館」の写真あり。創設者のひとりである三宅貫太郎が神戸から嵐岩笑一座を招いてこけら落としを行った際の写真である。やがて映画館化して邦画専門館となり、隣接する洋画専門館の「銀映」と並んで賑わった。テレビの普及とともに閉館し、1981年(昭和56年)現在はガレージとなっている。*91

三木市の大宮八幡宮の参道に面した本町には、大正から昭和にかけて「大正館」があった。人形浄瑠璃や芝居が行われ、東北播や西神などからも観客が訪れた。1913年の播州鉄道開業を記念し、地元有志の三宅貫太郎らが建設を呼び掛けた。三木町会議員の久米要蔵、岸本磯次郎、進藤元次郎らが世話人や株主となって資金を集め、1913年に着工し、1914年に竣工した。1914年に開館した際の写真あり。こけら落としには神戸から嵐岩笑一座が招かれた。市川右団次の関西歌舞伎、人形浄瑠璃、喜劇芝居などの定期公演が行われた。1931年には第1回三木金物祭りのアトラクションである舞踊大会も行われた。建物は木造瓦葺の本格的な劇場であり、内部は3階までの吹き抜けとなっていた。1階は畳敷きで約100席の枡席であり、2階と3階にも一般客席があった。興行日以外には、敬老会、婦人会行事、村芝居などにも使用された。1928年には近くに芝居小屋「福介座」が開館したが、1932年には閉鎖されている。「戎座」は火災で焼失した。戦後の大正館は「三木東映」や洋画の「銀映」となり、昭和30年代初頭まで営業した。建物は取り壊され、2002年現在の跡地は住宅街となっている。*92
吉川文化会館
所在地 : 兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬42-1(1960年)、兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬(1963年)、兵庫県美嚢郡吉川町渡瀬42-1(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「吉川文化会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
三木映劇/三木映画劇場/三木東映/三木東映劇場
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町(1950年)、兵庫県美嚢郡三木町宮前町(1953年)、兵庫県三木市宮前町(1955年)、兵庫県三木市三木町福井1332(1958年)、兵庫県三木市三木町福井(1960年・1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年)
開館年 : 1947年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年5月開館。1950年の映画館名簿では「三木映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「三木映劇」。1955年の映画館名簿では経営者が岡田新吉郎、支配人が神子田徳太郎、木造2階、定員500、混合を上映。1958年の映画館名簿では「三木映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「三木東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「三木東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
三木銀映/三木日活銀映
所在地 : 兵庫県三木市三木町福井(1958年・1960年・1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三木銀映」。1969年の映画館名簿では「三木日活銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
昭和キネマ/三木昭映/三木昭映館
所在地 : 兵庫県美嚢郡三木町(1950年)、兵庫県美嚢郡三木町福井(1953年)、兵庫県三木市福井(1955年)、兵庫県三木市三木町福井(1960年)、兵庫県三木市三木町清水町(1963年)、兵庫県三木市本町3-7-26(1966年・1969年)
開館年 : 1929年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「昭和キネマ」。1955年の映画館名簿では経営者が高田朝次、支配人が高田政孝、木造2階、定員550、松竹・東宝を上映。1960年・1963年の映画館名簿では「三木昭映」。1966年・1969年の映画館名簿では「三木昭映館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代から1980年代の航空写真を見ると旧小河家別邸の北東90mの分譲住宅地に巨大な建物がある。

三木市にあった映画館「昭和キネマ」のチラシあり。『新しき天』などが描かれている。昭和初期に映画専門館として開館し、「大正館」や「銀映」よりも早かったとされる。時代の流れに押されて閉館し、三木市から劇場や映画館が消えた。*93

小野市

福栄座
所在地 : 兵庫県加東郡小野町(1950年)、兵庫県加東郡小野町小野(1953年・1955年)、兵庫県小野市小野町(1958年・1960年)
開館年 : 江戸時代
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「福栄座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1954年(昭和29年)頃の映画館「福栄座」の写真あり。1963年(昭和38年)頃に閉館した。1996年(平成8年)現在の上本町のスーパー付近にあった。*94

1954年(昭和29年)頃の映画館「福栄座」の写真あり。*95
朝日館/小野朝日館
所在地 : 兵庫県加東郡小野町(1950年)、兵庫県加東郡小野町垂井(1953年・1955年)、兵庫県小野市神明町(1958年・1960年)、兵庫県小野市神明町82-7(1966年・1969年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1975年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1928年開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「朝日館」。1966年・1969年の映画館名簿では「小野朝日館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では確認できず。

1954年(昭和29年)頃の映画館「朝日館」の写真あり。神明町にあった。1975年(昭和50年)頃に閉館した。*96

1954年(昭和29年)頃の映画館「朝日館」の写真あり。*97

加西市

北条映画劇場
所在地 : 兵庫県加西郡北条町北条819-1(1960年)、兵庫県加西郡北条町北条(1963年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「北条映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
住吉座/北条住吉座
所在地 : 兵庫県加西郡北条町(1955年・1960年・1963年)、兵庫県加西郡北条町北条2448(1966年)、兵庫県加西市北条町北条2448(1969年)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「住吉座」。1966年・1969年の映画館名簿では「北条住吉座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「日本生命保険北条営業部」。最寄駅は北条鉄道北条町駅。

時期不明だが北条町にあった「住吉座」の写真あり。大正期の住吉座の館内の写真あり。1階席と2階席が見える。閉館間際の外観の写真あり。1919年に開館した加西郡唯一の常小屋だった。「北条劇場」と称していた時期もある。阪神間の新派劇や軽演劇などを上演し、戦後には映画館としてもにぎわった。1970年頃に閉館した。*98

加東市

東条映画劇場
所在地 : 兵庫県加東郡東条町天神(1960年・1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「東条映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
滝野寿座
所在地 : 兵庫県加東郡滝野町(1958年・1960年)、兵庫県加東郡滝野町上滝野(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「滝野寿座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は兵庫県道17号滝野駅前交差点南東60mの「中華そば大橋専用駐車場」。最寄駅はJR加古川線滝野駅。
佐保座/社大劇/社劇場
所在地 : 兵庫県加東郡社町(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年)、兵庫県加東郡社町社(1966年・1969年)
開館年 : 1912年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「佐保座」。1955年の映画館名簿では経営者が林忠夫、支配人が丸山幸一、木造2階、定員200。1960年の映画館名簿では「社大劇」。1960年の映画館名簿では経営者が林忠夫、支配人が丸山幸一、鉄筋2階暖房付、定員450、邦画・洋画を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「社劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「兵庫県信用組合社支店」。

1912年(明治45年)4月4日、加東郡の「社劇場佐保座」で東播電気株式会社の開業式が挙行され、数百人の来賓が出席した。社劇場佐保座は現在の社町の銀座通りにあった。

『保存版 北播磨今昔写真帖』郷土出版社、2007年、p.90に「佐保座から大劇へ」が掲載されている。現物は未確認。*99

多可郡多可町

鍛冶屋劇場
所在地 : 兵庫県多可郡中町鍛冶屋(1960年・1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「鍛冶屋劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
中町映画劇場/中町映劇
所在地 : 兵庫県多可郡中村町(1953年・1955年)、兵庫県多可郡中町(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1929年3月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年3月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「中町映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「中町映画劇場」。1963年の映画館名簿では「中町映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

中播磨地域

姫路市

楽天館
所在地 : 兵庫県姫路市
開館年 : 1905年(芝居小屋)、1919年(映画館化)
閉館年 : 1945年以前?
1950年映画館名簿には掲載されていない。

姫路市の竪町筋には活動写真館「楽天館」があった。1905年(明治38年)に芝居小屋として開館し、1919年(大正8年)頃に活動写真館に改装された。昭和初期の姫路市には楽天館のほかに、「南座」(1988年現在のOS劇場)、福中町の「白鷺館」、伊居伝の「日吉館」、総社本町の「総社倶楽部」、「松竹座」(1988年現在も営業中)、坂元町の「山陽座」(1988年現在の山陽座とは異なる)、鍛冶町の「三友館」の8館の娯楽施設があった。*100

糸田恒雄(監修)『ふるさと姫路 姫路市制施行120周年記念写真集』郷土出版社、2009年に「楽天館」に関する言及あり。*101
大塩劇場
所在地 : 兵庫県印南郡大塩町(1955年・1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年の映画館名簿では「大塩劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
姫路映画劇場
所在地 : 兵庫県姫路市(1950年)、兵庫県姫路市総社本町69(1953年・1955年)、兵庫県姫路市総社本町69-1(1960年)
開館年 : 1946年頃
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「姫路映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「射楯兵主神社(総社)駐車場」。最寄駅は山陽本線山陽姫路駅・JR山陽本線姫路駅。

1946年(昭和21年)の姫路市総社本町に建設中の映画館「総社映劇」の写真あり。射楯兵主神社(総社)の境内に建設中であり、総社本町にあった公会堂から撮影している。*102

1953年(昭和28年)の姫路市総社本町にあった映画館「姫路映画劇場」の写真あり。通称は「総社映劇」。姫路市立城巽小学校の児童が映画鑑賞に向かっている。昭和40年代に閉館してボウリング場に転換されたが、ボウリング場も閉館して取り壊された。*103
姫路新星劇場/新星映画劇場
所在地 : 兵庫県姫路市直養町73(1955年・1960年)
開館年 : 1946年2月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年2月開館。1955年の映画館名簿では「姫路新星劇場」。1960年の映画館名簿では「新星映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
安志劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡安志村(1955年)、兵庫県宍粟郡安富町安志(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「安志劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
朝日館/飾磨朝日館
所在地 : 兵庫県姫路市飾磨細江(1955年)、兵庫県姫路市飾磨区細江町(1960年)、兵庫県姫路市飾磨区細江(1963年)、兵庫県姫路市飾磨区河内細江町628(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「朝日館」。1958年の住宅地図では「飾磨朝日館」。1966年の映画館名簿では「飾磨朝日館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は焼肉店「焼肉力飾磨店」。最寄駅は山陽電鉄本線・網干線飾磨駅。
飾磨太陽劇場
所在地 : 兵庫県姫路市飾磨区清水(1955年)、兵庫県姫路市飾磨区清水794(1960年)、兵庫県姫路市飾磨区清水(1963年)、兵庫県姫路市飾磨区清水町74(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「飾磨太陽劇場」。1958年の住宅地図では「太陽劇場」。1966年の住宅地図では「姫路映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1986年竣工のマンション「ナビオ姫路」。最寄駅は山陽電鉄本線・網干線飾磨駅。
白鷺館/姫路白鷺館
所在地 : 兵庫県姫路市福中内新町69(1955年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1908年
閉館年 : 1966年以後1968年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「白鷺館」。1958年の住宅地図では「映画 白鷺館」。1966年の映画館名簿では「姫路白鷺館」。1968年の住宅地図では跡地に空白。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1991年の住宅地図では跡地に駐車場。1997年の住宅地図では跡地に「豊国パーキング」。現在の跡地は立体駐車場「メガパーク」。最寄駅は山陽本線山陽姫路駅・JR山陽本線姫路駅。

昭和30年代の姫路市にあった映画館「白鷺館」の写真あり。姫路市で最も古い映画館であり、1908年(明治41年)に船場川に架かる福中橋の東側に開業した。昭和30年代頃まで残っていた。福中橋の手前に見えるのは福中派出所である。*104
中央劇場/姫路中央劇場
所在地 : 兵庫県姫路市四郷町中鈴66(1960年)、兵庫県姫路市四郷町(1963年)、兵庫県姫路市四郷町中鈴66(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の住宅地図では「中央劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「姫路中央劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR神戸線御着駅。
網干館/姫路網干館
所在地 : 兵庫県姫路市網干区新在家(1955年)、兵庫県姫路市網干区新在家486(1960年)、兵庫県姫路市網干区新在家(1963年)、兵庫県姫路市網干区新在家486(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「網干館」。1966年・1969年の映画館名簿では「姫路網干館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「網干神社」境内西側。最寄駅は山陽網干線山陽網干姫路駅。

かつて網干には3館の映画館があった。與浜の金刀比羅神社の西側には「琴平座」という芝居小屋があり、やがて映画の上映も行うようになった。昭和に入ると新在家の網干神社境内に「網干館」が開館し、新在家の東雲橋北側のバス通りには「太陽劇場」が開館した。1958年頃が映画人気のピークだった。最後まで営業していたのは太陽劇場だが、1976年の台風17号で水害の被害に遭って閉館した。*105
琴平座/網干大映/姫路網干大映
所在地 : 兵庫県姫路市網干区与浜(1955年)、兵庫県姫路市網干区与浜8(1960年・1963年)、兵庫県姫路市網干区興浜8(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「琴平座」。1960年・1963年の映画館名簿では「網干大映」。1966年・1969年の映画館名簿では「姫路網干大映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金刀比羅神社」西側のガレージ。最寄駅は山陽網干線山陽網干姫路駅。

かつて網干には3館の映画館があった。與浜の金刀比羅神社の西側には「琴平座」という芝居小屋があり、やがて映画の上映も行うようになった。昭和に入ると新在家の網干神社境内に「網干館」が開館し、新在家の東雲橋北側のバス通りには「太陽劇場」が開館した。1958年頃が映画人気のピークだった。最後まで営業していたのは太陽劇場だが、1976年の台風17号で水害の被害に遭って閉館した。*106
姫路野里東宝/野里東宝
所在地 : 兵庫県姫路市鍛冶町74(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「野里東宝」。1966年の映画館名簿では「姫路野里東宝」。1969年の映画館名簿では「野里東宝」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。
日吉館/姫路日吉館
所在地 : 兵庫県姫路市伊伝居新道(1955年)、兵庫県姫路市伊伝居馬場先(1960年・1963年)、兵庫県姫路市野里馬場先77-2(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「日吉館」。1966年・1969年の映画館名簿では「姫路日吉館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
白鷲名画座/姫路白鷺名画座/姫路名画座
所在地 : 兵庫県姫路市俵町29(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の住宅地図では「第二白鷺館」。1960年・1963年の映画館名簿では「白鷲名画座」。1966年の映画館名簿では「姫路白鷺名画座」。1968年の住宅地図では「白鷺名画座」。1969年の映画館名簿では「姫路名画座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は居酒屋「おとのは」など。
夢前会館/夢前映画会館/夢前映画劇場/広畑夢前会館
所在地 : 兵庫県姫路市広畑区広畑(1955年)、兵庫県姫路市広畑区広畑2575-1(1960年)、兵庫県姫路市広畑区夢前町(1963年)、兵庫県姫路市広畑区夢前町1-1(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「夢前会館」。1960年の映画館名簿では「夢前映画会館」。1963年の映画館名簿では「夢前映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「広畑夢前会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では「夢前会館」。跡地は「MEGAドン・キホーテ姫路広畑店」建物中央東側。最寄駅は山陽電鉄網干線夢前川駅。
姫路スカラ座
所在地 : 兵庫県姫路市南町18(1969年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1969年の映画館名簿では「姫路スカラ座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では発見できず。
姫路松竹映画劇場/姫路松映/姫路東劇東映劇場・姫路東劇日活/姫路東劇東映劇場・姫路日活
所在地 : 兵庫県姫路市光源寺前町25(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1953年1月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年1月開館。1955年の映画館名簿では「姫路松竹映画劇場」。1958年の住宅地図では「映画 松映」。1960年の映画館名簿では「姫路松映」。1963年の映画館名簿では「東劇東映・東劇日活」(2館)。1966年の映画館名簿では「姫路東劇東映劇場・姫路東劇日活」(2館)。1969年の映画館名簿では「姫路東劇東映劇場・姫路日活」(2館)。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1997年の住宅地図では跡地に「姫路駐車場」。跡地は2015年竣工のマンション「エスリード姫路」。
網干東映/網干太陽劇場/姫路網干太陽劇場
所在地 : 兵庫県姫路市網干区新在家(1955年)、兵庫県姫路市網干区新在家1348(1960年)、兵庫県姫路市網干区新在家(1963年)、兵庫県姫路市網干区新在家1348(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「網干太陽劇場」。1960年の映画館名簿では「網干東映」。1963年の映画館名簿では「網干太陽劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「姫路網干太陽劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は月極駐車場「サン・ガレージ」。最寄駅は山陽電鉄網干線山陽網干駅。

かつて網干には3館の映画館があった。與浜の金刀比羅神社の西側には「琴平座」という芝居小屋があり、やがて映画の上映も行うようになった。昭和に入ると新在家の網干神社境内に「網干館」が開館し、新在家の東雲橋北側のバス通りには「太陽劇場」が開館した。1958年頃が映画人気のピークだった。最後まで営業していたのは太陽劇場だが、1976年の台風17号で水害の被害に遭って閉館した。*107
横関平和館/横関平和座
所在地 : 兵庫県姫路市御立横関1227(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「横関平和館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「横関平和座」。1973年のゼンリン住宅地図では「平和館(映画)」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「きものうめおか御立店」。最寄駅はJR姫新線余部駅。
姫路国際ミュージック
所在地 : 兵庫県姫路市大蔵前8(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「姫路国際ミュージック」。1968年の住宅地図では「国際ミュージック劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「国際ミュージック」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。晩年はストリップ劇場。1991年・1997年の住宅地図では跡地にマンション「カルム白鷺」。跡地は1989年竣工のマンション「カルム白鷺」。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。
姫路第一国際シネマ/姫路国際シネマ
所在地 : 兵庫県姫路市南町17(1969年・1973年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では「第一・第二国際シネマ」。1969年の映画館名簿では「姫路第一国際シネマ」。1973年の映画館名簿では「姫路国際シネマ」。1974年のゼンリン住宅地図では「第二国際シネマ 結婚相談寿 サウナ富士 金融マルショー 岩本興行」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホテルリブマックス姫路駅前」。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。
聖林劇場/聖林映画劇場/帝劇/姫路帝劇
所在地 : 兵庫県姫路市(1950年)、兵庫県姫路市十二所前町(1953年・1955年)、兵庫県姫路市十二所前町70(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年1月開館。1950年の映画館名簿では「聖林劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「聖林映画劇場」。1958年の住宅地図では「映画 帝劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「姫路帝劇」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「姫路帝劇」。1968年の住宅地図では「帝劇」。1974年のゼンリン住宅地図では「帝劇」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1991年・1997年の住宅地図では跡地に駐車場。跡地は「十二所神社」北東隣の駐車場。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。
姫路文化ホール/文化ホール
所在地 : 兵庫県姫路市駅前町駅ビル(1963年)、兵庫県姫路市駅前町210(1966年・1969年・1973年・1980年・1985年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「文化ホール」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「姫路文化ホール」。1968年の住宅地図では「姫路駅ビル 3階文化ホール」。1980年・1985年の映画館名簿では「文化ホール」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は姫路駅ビル「ピオレ姫路」。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。
姫路日映劇場/日映劇場
所在地 : 兵庫県姫路市大津区天神町(1963年)、兵庫県姫路市大津区天神町1-35(1966年・1969年・1973年)、兵庫県姫路市大津区天神町1-35(1980年・1985年・1990年・1992年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1992年以後1995年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「日映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「姫路日映劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「日映劇場」。1980年・1985年・1990年・1992年の映画館名簿では「日映劇場」。1992年の映画館名簿では木造平屋、140席、経営者・支配人ともに三木七郎、邦画を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「MEGAドン・キホーテ姫路広畑店」建物中央東側。1985年頃の住宅地図で要確認。
OS松竹座/姫路OS 1・2・3・OS松竹座/姫路OS 1・2・3
所在地 : 兵庫県姫路市西呉服町9(1955年・1960年・1966年・1969年・1973年・1980年)、兵庫県姫路市白銀町77(1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1930年5月、1964年
閉館年 : 2004年12月3日
『全国映画館総覧 1955』によると1930年5月開館。1955年・1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「姫路松竹座」。1958年の住宅地図では「松竹」。1968年の住宅地図では「松竹座映画」。1974年のゼンリン住宅地図では「松竹座映画」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「OS松竹座」。1991年・1997年の住宅地図では「姫路OS松竹座」。1995年の映画館名簿では「姫路松竹座」。2000年の映画館名簿では「姫路OS松竹座」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「OPLパーク」。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。

昭和10年代の「松竹座」の写真あり。1929年(昭和4年)に11人の有志が共同で出資して「松竹座」が建てられた。1945年(昭和20年)の姫路空襲の際にも松竹座は焼け残った。レンタルビデオやDVDの普及、シネコン型映画館の登場などが影響して2004年(平成16年)12月3日、70余年の歴史に幕を下ろして閉館した。閉館後の2005年(平成17年)に撮られた「姫路OS松竹座」の写真あり。「洋画ロードショー」の文字が見える。*108

2004年12月3日をもって、姫路市白銀町の映画館「姫路松竹座」が閉館する。1929年に”旦那衆”11人が共同で出資して運営会社を設立し、1930年から営業していた。周辺には高級料亭が立ち並ぶ魚町があり、料理を楽しむ前に立ち寄る旦那衆らでにぎわった。鉄筋コンクリート造3階建て。旧切符売り場や外壁には鳥の彫刻が施されている。3階の控室には1945年7月の姫路大空襲の傷跡が残る。最終上映作品は韓国映画『オールド・ボーイ』*109

このほど、74年の歴史を持つ映画館「OS松竹座」が閉館した。1945年7月の姫路大空襲では、奇跡的に戦災を免れた建物だった。外壁には鳥の彫刻が施され、旧切符売り場には大理石が用いられるなど、重厚な外観で市民に親しまれた。*110
姫路東映劇場・姫路大劇パラス/姫路大劇場・姫路大劇パラス/姫路大劇場・姫路大劇パレス・姫路大劇アカデミー・姫路大劇プラザ・姫路大劇ロマン/姫路東映大劇場・姫路大劇パレス・姫路大劇アカデミー・姫路大劇プラザ1・2/姫路大劇1・2・3/姫路 大劇シネマ1・2・3
所在地 : 兵庫県姫路市十二所前町40(1960年)、兵庫県姫路市十二所町40(1963年)、兵庫県姫路市十二所前町40(1969年・1973年・1980年・1985年)、兵庫県姫路市忍町68(1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1955年3月
閉館年 : 2015年11月8日
Wikipedia : 大劇会館
1958年の住宅地図では「映画 大劇」。1960年の映画館名簿では「姫路東映」。1963年の映画館名簿では「姫路東映大劇」。1966年の映画館名簿では「姫路東映劇場・姫路大劇パラス」(2館)。1968年の住宅地図では「大劇会館」。1969年・1973年の映画館名簿では「姫路大劇場・姫路大劇パラス」(2館)。1974年のゼンリン住宅地図では「大劇会館 大劇アカデミー ボウリング場 70mmパレス 東映大劇場」。1980年の映画館名簿では「姫路大劇場・姫路大劇パレス・姫路大劇アカデミー・姫路大劇プラザ・姫路大劇ロマン」(5館)。1985年・1990年の映画館名簿では「姫路東映大劇場・姫路大劇パレス・姫路大劇アカデミー・姫路大劇プラザ1・2」(5館)。1991年の住宅地図では「大劇映画ビル 1階姫路東映大劇場 大劇アカデミー 2階70パレス 4階大劇プラザ1・2 5階大劇ボウル」。1995年・2000年の映画館名簿では「姫路大劇1・2・3」(3館)。1997年の住宅地図では「大劇会館 1階大劇1 2階大劇2 3階大劇3 4階カラオケ キッサタイムマシン 5階大劇ボウル」。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「姫路 大劇シネマ1・2・3」(3館)。2016年に取り壊された。2020年6月現在はホテル「野乃姫路」建設用地。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。

1956年(昭和31年)の「姫路大劇」前を通学する姫路市立城南小学校の児童の写真あり。「東映」の文字が見える。城南小学校は現在の姫路市立白鷺小学校である。まだ信号機は設置されていない。姫路大劇は1955年(昭和30年)に開館したが、60年後の2015年(平成27年)に閉館した。*111

2015年11月8日、姫路市忍町の映画館「姫路大劇シネマ」が閉館する。大手系列のシネコンに押されて観客が減少したことや、建物が老朽化したことが理由。10月中旬から500円で鑑賞できる特別上映が行われており、10月31日から111月6日には高倉健主演の『鉄道員』が上映される。現在は3スクリーン計1034席を有する。1955年に創業し、菅原文太が舞台挨拶に訪れた際には立ち見も出た。1997年には明石市に、2001年には加古川市にシネコンが開館し、2015年7月には姫路駅前に「アースシネマズ姫路」が開館。*112

2015年11月8日、姫路市忍町の映画館「姫路大劇シネマ」が閉館した。最終日には『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』など高倉健主演の映画3作品が上映され、700人が閉館を惜しんだ。1955年に大劇が創業し、ボウリング場が併設されて賑わった。運営は吉岡興業。*113
姫路東宝南座/姫路南座/姫路OS映画劇場/姫路OS劇場/姫路OS 1・2・3
所在地 : 兵庫県姫路市直養町2-5(1955年)、兵庫県姫路市直養町11-5(1963年)、兵庫県姫路市直養町2-5(1966年・1969年・1973年)、兵庫県姫路市直養町11-5(1980年)、兵庫県姫路市駅前町254(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)、兵庫県姫路市駅前町254 6階〜8階(閉館時)
開館年 : 1931年3月、1964年8月(ビル化)
閉館年 : 2016年1月31日
Wikipedia : 姫路OSビル
『全国映画館総覧 1955』によると1931年3月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「姫路東宝南座」。1958年の住宅地図では「南座」。1963年の映画館名簿では「姫路南座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「姫路OS映画劇場」。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「姫路OS劇場」。1991年の住宅地図では「姫路OSビル 6・7階姫路OS劇場」。1995年7月に3スクリーン化。1997年の住宅地図では「姫路OSビル 6階・7階姫路OS劇場」。2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「姫路OS 1・2・3」(3館)。「OSビル」は現存。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。

1995年7月1日、姫路市駅前町の映画館「姫路OS劇場」が3スクリーンの複合映画館に生まれ変わる。1964年に開館し、1スクリーン534席の大型映画館だったが、1995年4月から全面改築し、222席の「姫路OS1」、102席の「姫路OS2」、102席の「姫路OS3」に分割された。それぞれピンク色・黄色・緑色を基調とした明るい内装となった。椅子の間隔も20-25cm広げ、ロビーの階段には昇降リフトを設置した。映写距離が短くなったことで画像が鮮明となり、重低音を強調する音響設備を導入したことで臨場感が増した。これまでは東宝の邦画を専門に上映していたが、洋画も上映できるようになる。*114
姫路第一山陽座・姫路第二山陽座/第一山陽座・第二山陽座/山陽座1・2・3/シネパレス山陽座1・2・3・4
所在地 : 兵庫県姫路市光源寺前町7、8(1955年・1960年・1963年)、兵庫県姫路市光源寺前町7(1966年・1969年)、兵庫県姫路市光源寺前町8(1973年)、兵庫県姫路市光源寺前町(1980年)、兵庫県姫路市駅前町353(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)、兵庫県姫路市駅前町353 姫路フォーラスウエスト7階(閉館時)
開館年 : 1932年、1946年5月
閉館年 : 2016年1月31日
Wikipedia : 姫路フォーラス
『全国映画館総覧 1955』によると1946年5月開館。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「第一山陽座・第二山陽座」(2館)。1958年の住宅地図ではおみぞ筋の西に「第二山陽座」、おみぞ筋の東に「第一山陽座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「姫路第一山陽座・姫路第二山陽座」(2館)。1980年の映画館名簿では「第一山陽座・第二山陽座」(2館)。1985年の映画館名簿では「山陽座1・2・3」(3館)。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「シネパレス山陽座1・2・3・4」(4館)。1991年の住宅地図では「フォーラス 7階山陽座1・2・3・4」。1997年の住宅地図では「姫路フォーラスWEST 7階シネパレス山陽座」。跡地は2018年開業のホテル「ダイワロイネットホテル姫路」。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。

1987年には姫路市の映画館「山陽座」が4スクリーンの複合映画館となった。1995年には「姫路OS劇場」の全面改築に対抗して、11月頃から改装工事に入る。3スクリーンの椅子約600席を幅広のスペイン製に変え、内装はグレーを基調にして統一する。*115

昭和40年代に撮影された、十二所線に面した小溝筋商店街の入り口付近の写真あり。写真には写っていないものの、手前には映画館の「第一山陽座」と「第二山陽座」があった。1971年(昭和46年)には映画館がジャスコ姫路店となり、さらに大型商業施設の姫路フォーラスとなったが、2016年(平成28年)1月に閉店した。*116

2016年1月31日をもって、姫路市駅前町の映画館「シネ・パレス山陽座」が閉館する。同日には「姫路OS」も閉館する。山陽座は1932年に開館し、長らく姫路市街地の顔だった。*117

2016年1月31日をもって、姫路市駅前町の映画館「シネ・パレス山陽座」が閉館する。1月23日にはフィナーレ上映が始まり、1929年の作品『血煙荒神山』や1937年の作品『血煙高田の馬場』が活弁士付きで上映された。*118
アースシネマズ姫路
所在地 : 兵庫県姫路市駅前町27 テラッソ姫路4階
開館年 : 2015年7月24日
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。最寄駅はJR姫路駅・山陽電鉄山陽姫路駅。

2020年3月20日、姫路市のシネコン「アースシネマズ姫路」は西日本で初めて体験型シアター「4DX SCREEN」を導入する。静岡県沼津市の「シネマサンシャインららぽーと沼津」、東京都豊島区の「グランドシネマサンシャイン」に次いで日本3館目。*119

神崎郡神河町

映画館名簿によると神河町に映画館は存在しなかったと思われる。

神崎郡市川町

映画館名簿によると神河町に映画館は存在しなかったと思われる。

神崎郡福崎町

福崎劇場/福崎東洋劇場/福崎東洋映画劇場
所在地 : 兵庫県神崎郡福崎町(1953年・1955年・1960年・1963年)、兵庫県神崎郡福崎町福田411-1(1966年・1969年)、兵庫県神崎郡福崎町(1973年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1973年以後1980年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「福崎劇場」。1963年の映画館名簿では「福崎東洋劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「福崎東洋映画劇場」。1973年の住宅地図では「東洋映劇」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「福崎町立福崎小学校」北校舎の北120mの住宅地。最寄駅はJR播但線福崎駅。

西播磨地域

相生市

播磨劇場/播磨映画劇場/相生東映/相生東映播磨映画劇場
所在地 : 兵庫県相生市(1950年・1953年)、兵庫県相生市松の浦(1955年)、兵庫県相生市相生松浦1829(1960年)、兵庫県相生市相生松ノ浦町(1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市相生1-2-27(1969年)
開館年 : 1918年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「播磨劇場」。1958年の映画館名簿では「播磨映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「相生東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「相生東映播磨映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1942年の相生市にあった映画館「播磨劇場」の写真あり。相生港地区にあり、松浦氏が経営していた。造船所を訪れた軍艦の水兵などが見える。*120

1942年の「播磨劇場」の写真あり。1918年、造船所が厚生施設として播磨劇場を建設した。1926年8月7日に播磨劇場で行われた陪審法の模擬裁判の写真あり。映画館に転用されて「播磨映劇」となり、昭和30年代は東映の専門館だった。*121

1940年頃の相生市相生にあった「播磨劇場」で開催された出征軍人遺家族慰安会の写真あり。大正時代に造船所が播磨劇場を建設し、戦後には映画館「相生東映」に改称した。*122
相生館
所在地 : 兵庫県相生市(1950年・1953年)、兵庫県相生市相生3955(1955年)、兵庫県相生市相生(1960年・1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市相生5-1-26(1969年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1972年
1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「相生館」。1973年のゼンリン住宅地図では相生5-1-26に「播●生協上町支部建設中」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では跡地に「CO-OP相生支部」。跡地は「相生公民館」南東30mにある駐車場「相生公民館滴水庵専用駐車場」。

1942年3月の相生市にあった「相生館」の写真あり。*123

1942年3月25日の相生市にあった「相生館」の写真あり。1930年に建てられた。映画全盛期の相生市には「相生館」「播磨映劇」「旭館」の3映画館があった。1956年には3館すべてが相生興行の傘下に入り、旭館は邦画、播磨映劇は東映、相生館は洋画と邦画を上映した。*124

1930年の「相生館」開業の日の写真あり。1972年の相生館閉館前の写真あり。最盛期の相生市には3館の映画館があり、相生館は1930年から1972年まで営業した。閉館後の建物は播磨生協の店舗として使用され、コープこうべとなった後も店舗として使用された。2013年には耐震の問題でコープミニ相生みなと店が閉店し、取り壊されてからは相生公民館の駐車場となっている。*125
旭館/相生旭館
所在地 : 兵庫県相生市相生1184(1958年)、兵庫県相生市相生(1960年・1963年)、兵庫県相生市旭1184(1966年)、兵庫県相生市旭5-14-1(1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1975年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「旭館」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「相生旭館」。1973年のゼンリン住宅地図では「旭館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では跡地に「旭館 西播運輸」。跡地は「播州信用金庫相生支店」東の「西播運輸」駐車場。

1975年頃の相生市にあった「旭館」の写真あり。旭商店街入口の旭本町5丁目にあった。相生市で最後まで営業していたが、1975年に閉館した。商店街はあとに入る企業を誘致し、1977年に西播通運の本社が移転してきた。2006年現在の跡地の写真あり。映画館の建物は長らく西播通運の本社として使用されたが、2003年に取り壊された。跡地には暫定的に播州信用金庫相生支店の仮店舗が建っていたが、2006年現在は駐車場となっている。*126

時期不明の相生市にあった「旭館」の写真あり。1954年に本町商店街の北側に開館した。1962年に『キューポラのある町』が上映された際、本作品を監督した浦山桐郎(相生出身)は旭館の最後尾で観客の反応を確かめた。*127

赤穂市

振興会館
所在地 : 兵庫県赤穂市坂越町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「振興会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
みかさ館
所在地 : 兵庫県赤穂市有年横尾(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「みかさ館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
赤穂宝塚劇場
所在地 : 兵庫県赤穂市加里屋町62-4(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年・1963年)、兵庫県赤穂市加里屋53-2(1966年・1969年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「赤穂宝塚劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
満寿廻館/満寿遒館/赤穂マスノ館/マスノ館
所在地 : 兵庫県赤穂郡赤穂町(1950年)、兵庫県赤穂市(1953年)、兵庫県赤穂市加里屋寺町(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年・1963年)、兵庫県赤穂市加里屋2194(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 明治末期、1939年
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿では「満寿廻館」。1953年・1955年の映画館名簿では「満寿遒館」。1960年・1963年の映画館名簿では「マスノ館」。1966年・1969年の映画館名簿では「赤穂マスノ館」。1973年の映画館名簿では「マスノ館」。1974年のゼンリン住宅地図では「マスノ映画館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。跡地は「赤穂市加里屋駐車場」南側。

後の「満寿廼館」(ますのかん)は明治時代末期に寄席として建てられ、まもなく映画専門館に転換した。1939年(昭和14年)頃に改築され、「映画の殿堂マスノ館」として親しまれた。1973年(昭和48年)頃に閉館した。花輪が見える写真あり(※1939年頃)。*128
福栄座/赤穂東映/赤穂東映劇場/赤穂あかいトーエー/あかいトーエー
所在地 : 兵庫県赤穂郡赤穂町(1950年)、兵庫県赤穂市(1953年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1955年)、兵庫県赤穂市加里屋町2250(1958年)、兵庫県赤穂市加里屋町(1960年)、兵庫県赤穂市加里屋町2250(1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1886年3月(演劇場)、1952年(映画館化)
閉館年 : 1981年4月5日
『全国映画館総覧 1955』によると1886年3月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「福栄座」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「赤穂東映」。1966年の映画館名簿では「赤穂東映劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「赤穂あかいトーエー」。1974年のゼンリン住宅地図では「あかいトーエー」。1980年の映画館名簿では「あかいトーエー」。1980年のゼンリン住宅地図では「あかいトーエー(キッサセレナ)」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は介護施設「マスターズ倶楽部」。

1886年(明治19年)には赤穂に「福栄座」が建てられ、漫才・芝居・浪曲など演劇の殿堂だった。1952年(昭和27年)に映画専門館となって「赤穂東映」に改称した。1981年(昭和56年)4月5日をもって閉館した。昭和初期の福栄座の写真あり。*129

1968年5月の赤穂市に建設中の「アカイ東映」の写真あり。1991年現在のこの建物は主婦の店赤穂店になっている。アカイ東映で使用されていた映写機の写真あり。*130
プラット赤穂シネマ1・2・3
所在地 : 兵庫県赤穂市加里屋70-1 プラット赤穂2階(2005年・2010年・2015年)
開館年 : 2000年12月1日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「プラット赤穂シネマ1・2・3」(3館)。

宍粟市

日盛館
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「日盛館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
上野劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡西谷村(1955年)、兵庫県宍粟郡波賀町上野(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「上野劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
旭座
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町寺町(1963年)
開館年 : 1881年、1925年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「旭座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

山崎町寺町にあった劇場「旭座」の写真あり。旭座は1881年(明治14年)に開館し、1924年(大正13年)に焼失したが、1925年(大正14年)に再建された。1925年(大正14年)には中村福助が、1949年(昭和24年)には市川九団次が山崎町を訪れている(※旭座を訪れたかどうか曖昧な表現がなされている)。*131
昭和座
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町(1958年・1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町三方下垣内359(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「昭和座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
神戸劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡神戸村(1955年)、兵庫県宍粟郡一宮町神戸(1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町曲里(1963年)、兵庫県宍粟郡一宮町神戸(1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「神戸劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
一宮劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡神戸村(1955年)、兵庫県宍粟郡一宮町東市場(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「一の宮劇場」。1960年の映画館名簿では「一ノ宮劇場」。1963年の映画館名簿では「一の宮劇場」。1966年の映画館名簿では「一宮劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
三方劇場/三方映劇
所在地 : 兵庫県宍粟郡一宮町三方(1960年)、兵庫県宍粟郡一宮町三方420(1963年)、兵庫県宍粟郡一宮町梅ケ坪247-7(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「三方劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「三方映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
新富座/山崎新富座
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町(1950年・1953年・1955年・1960年)、兵庫県宍粟郡山崎町庄能(1963年)、兵庫県宍粟郡山崎町山崎(1966年)
開館年 : 1926年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「新富座」。1966年の映画館名簿では「山崎新富座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

大正時代の山崎町にあった「新富劇場」の内部の写真あり。1階席と2階席があり、「場劇富新」の文字が見える。山崎町の鴻ノ口には「新富座」が、寺町には「旭座」があった。新富座はのちに新富劇場に改称し、芝居・映画・演説会などに使われた。昭和40年代に閉館し、2002年現在の跡地は魚菜市場となっている。*132

1946年の山崎町にあった「新富座」の写真あり。開演前の光景である。毎日映画を上映していたが、しばしば著名な芸能人が来館し、芝居・歌・ショーなどの興行が行われた。2008年現在の新富座跡地の写真あり。現在は野菜などの市場になっている。*133
千種劇場
所在地 : 兵庫県宍粟郡千種村(1955年)、兵庫県宍粟郡千種村千草(1960年)、兵庫県宍粟郡千種村千草162(1963年)、兵庫県宍粟郡千種町162(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「千種劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
山映館/山映劇場/山崎山映館
所在地 : 兵庫県宍粟郡山崎町(1955年・1960年)、兵庫県宍粟郡山崎町山崎(1963年・1966年・1969年)、兵庫県宍粟郡山崎町(1973年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1973年以後1980年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「山映劇場」。1960年の映画館名簿では「山映館」。1963年の映画館名簿では「山映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「山崎山映館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。

たつの市

平和館/竜野銀映
所在地 : 兵庫県揖保郡龍野町(1950年)、兵庫県龍野市(1953年)、兵庫県龍野市龍野(1955年)、兵庫県龍野市龍野町(1957年)、兵庫県龍野市龍野町堂本34(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年・1953年・1955年・1957年の映画館名簿では「平和館」。1957年の映画館名簿では経営者が森辰蔵、支配人が森弘、鉄筋コンクリート造平屋建、500席、邦画・洋画を上映。1959年・1960年の映画館名簿では「竜野銀映」。1959年の映画館名簿では経営者が森辰蔵、支配人が森弘、鉄筋コンクリート造平屋建冷暖房付き、560席、邦画を上映。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では発見できず。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「平和館」が掲載されている。経営者は森辰蔵、所在地は竜野市富永3丁目313-5。*134
龍野劇場/竜野劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡龍野町(1950年)、兵庫県龍野市(1953年)、兵庫県龍野市龍野(1955年)、兵庫県龍野市龍野町旭町155(1960年)、兵庫県龍野市龍野町旭町(1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年の映画館名簿では「龍野劇場」。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「竜野劇場」。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では「龍劇映画館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の京洛出版住宅案内図では「神姫バス竜野営業所」。1978年の住宅地図では「神姫バス竜野営業所」。跡地は「神姫バス龍野案内所」。最寄駅はJR姫新線本竜野駅。

1913年から1914年頃の龍野にあった芝居小屋「揖玉座」の写真あり。手前に朝日橋が見えている。龍野は芸妓の多い街であり、揖玉座も繁盛した。1935年に火災で焼失し、その後「龍野劇場」となった。*135

昭和初期の龍野にあった芝居小屋「揖玉座」の写真あり。手前に朝日橋が、背後に城山が見えている。月に一度、明石や加古川から岩崎メトロや中村錦峯が地方巡業にやってきた。*136

大正時代の龍野にあった劇場「揖玉座」を揖保川越しに見た写真あり。蔵造りの揖玉座(龍野劇場)で演説会があると、新聞は聴衆千数百人と報じた。*137

昭和初期の龍野にあった劇場「揖玉座」の写真あり。素麺組合の従業員慰労会が開催されており、舞台では三味線に合わせて踊りが披露されている。*138

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「竜野劇場」が掲載されている。経営者は佐野安治、所在地は竜野市竜野町旭町155。*139
新宮劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡新宮町(1950年・1953年・1955年・1960年・1963年)、兵庫県揖保郡新宮町立町821(1966年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「新宮劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「新宮劇場」が掲載されている。経営者は船引徳二、所在地は揖保郡新宮町新宮783。*140
竜野有楽館/有楽館
所在地 : 兵庫県龍野市龍野町富永224(1963年)、兵庫県龍野市龍野町富永214-1(1966年・1969年)、兵庫県龍野市富永214-1(1973年)、兵庫県龍野市龍野町富永214-1(1980年・1982年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1982年以後1985年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の日本特殊地図協会住宅案内図帳では「龍野東映」。1963年の映画館名簿では「有楽館」。1962年〜1971年の旭地図商会龍野市住宅地図では「東映有楽館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「竜野有楽館」。1974年・1978年・1979年のゼンリン住宅地図では「映画有楽館」。1980年・1982年の映画館名簿では「有楽館」。1982年の映画館名簿では経営者・支配人ともに香川たか、鉄筋造1階、500席、にっかつ・東映を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン本竜野店」西北西140mの「ふれあ専用駐車場」と「西村不動産月極駐車場」。最寄駅はJR姫新線本竜野駅。

揖保郡太子町

新興映劇
所在地 : 兵庫県揖保郡太子町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「新興映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
太子映画劇場
所在地 : 兵庫県揖保郡太子町466(1958年・1960年・1963年)、兵庫県揖保郡太子町鵤466(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1957年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「太子映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。兵庫県道725号の鵤新町交差点南西にある「はりま十水堂」の工場は映画館の建物を転用している可能性がある。

『竜野地区商工名鑑 1957年版』の映画・演劇の欄には「太子映画劇場」が掲載されている。経営者は船引栄、所在地は揖保郡太子町鵤466-1。*141

赤穂郡上郡町

上郡劇場
所在地 : 兵庫県赤穂郡上郡町(1950年・1960年・1963年)
開館年 : 1937年、1945年
閉館年 : 1965年
1950年の映画館名簿では「上郡劇場」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「上郡劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1904年、日露戦争の戦勝を記念して上郡駅前に「日勝座」が創設された。1973年現在の酒店の長安商店付近である。日勝座からやや遅れて、旭町に「旭座」が創設された。1973年現在の野村指物店の屋敷である。1913年頃には旭座が山本惣吉の経営で「やまき座」となった。やがてやまき座の営業権が秋田氏に移り、1937年には千種川の河畔に「上郡劇場」が発足した。戦前の上郡劇場では芝居やトーキー映画の興行が行われた。1944年には鉄工所に改造され、劇場としての営業を休止した。1945年12月25日、秋田氏と姫路の興行業者の共同出資によって上郡劇場のこけら落としが行われた。戦後の上郡劇場は映画の上映が多く、その他にも様々な演劇が行われた。上郡劇場は1965年に廃業し、建物は播州繊維工業株式会社となった。*142

1937年、「上郡劇場」が開かれた。1945年、段町に上郡劇場が再建された。*143

1942年(昭和17年)の上郡町上郡にあった「上郡劇場」で開催された出征軍人家族慰安会の写真あり。1937年(昭和12年)に前身の劇場を引き継いで開館し、千種川の河畔にあった。戦後には移転して営業を再開したが、1965年(昭和40年)に閉館した。*144
中野クラブ
所在地 : 兵庫県赤穂郡上郡町中野(1960年)、兵庫県赤穂郡上郡町高田(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「中野クラブ」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

佐用郡佐用町

佐用第一劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「佐用第一劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
寿劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町136(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「寿劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
佐用劇場/佐用映劇/佐用映画劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡佐用町(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「佐用劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「佐用映劇」。1963年の映画館名簿では「佐用映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。佐用町最後の映画館。
上月映劇/上月劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡西庄村(1955年)、兵庫県佐用郡上月町530(1958年・1960年)、兵庫県佐用郡上月町上月(1963年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「上月劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「上月映劇」。1963年の映画館名簿では「上月劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
徳久劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡南光町下総久(1958年・1960年)、兵庫県佐用郡南光町徳久(1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「徳久劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
三日月劇場
所在地 : 兵庫県佐用郡三日月町(1958年・1960年・1963年)、兵庫県佐用郡三日月町三日月1117(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三日月劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

但馬地域

豊岡市

山陰映画館
所在地 : 兵庫県豊岡市円山町(1958年)、兵庫県豊岡市円山(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「山陰映画館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
大勝館
所在地 : 兵庫県豊岡市生田通122(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「大勝館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
東館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町99(1958年)、兵庫県出石郡出石町(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「東館」。1960年の映画館名簿では経営者・支配人ともに芦田一雄、木造2階建、400席、東映・松竹を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「出石史料館」南西80mにある駐車場。

1942年の出石町の街中にあった「東館」の写真あり。右隣に出石印刷工場がある。出石町にあった芝居や映画の娯楽施設としては「永楽館」と東館があった。2006年の東館跡地の写真あり。駐車場となっている。奥に山本製陶が見える。*145
竹野集会所/竹野集会場/竹野映劇/竹野映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡竹野町(1955年)、兵庫県城崎郡竹野町浜(1958年)、兵庫県城崎郡竹野町土居(1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「竹野集会所」。1955年の映画館名簿では経営者・支配人ともに杉田芳雄、構造・定員は記載なし。1958年の映画館名簿では「竹野集会場」。1958年の映画館名簿では経営者が杉田。1960年の映画館名簿では「竹野映劇」。1960年の映画館名簿では経営者が杉田ハル、支配人が細間儀朗、木造1階、定員200、邦画を上映。1963年の映画館名簿では「竹野映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
トキワ館/常盤座
所在地 : 兵庫県城崎郡城崎町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県城崎郡城崎町湯島(1958年)、兵庫県城崎郡城崎町宮本(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿では「トキワ館」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「常盤座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
日高劇場/日高映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町(1955年・1958年)、兵庫県城崎郡日高町日吉(1960年)、兵庫県城崎郡日高町(1963年)
開館年 : 1903年2月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1903年2月開館。1955年の映画館名簿では「日高劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日高映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
永楽館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県出石郡出石町柳17(1958年)、兵庫県出石郡出石町柳(1960年・1963年)
開館年 : 1901年
閉館年 : 1964年
Wikipedia : 永楽館
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「永楽館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館時代の建物が現存。兵庫県指定有形文化財。現地に現存する劇場建築としては日本最古。

出石永楽館は1901年(明治34年)に開館。木造2階建て、610m2。350人収容。当初は歌舞伎や寄席の興行を行い、のちに映画館となった。1964年(昭和39年)に閉館。2006年(平成18年)には復元工事が行われ、2008年(平成20年)に片岡愛之助一座がこけら落としの歌舞伎公演を行った。*146
竹野会館
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1960年)、兵庫県城崎郡竹野町土山(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1966年の映画館名簿では「竹野会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
出石映画劇場
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1963年・1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「出石映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が池田四郎、支配人が荒井寿、木造平屋建、290席、東映・東宝・松竹を上映。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
港劇場/豊岡港劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡港村(1953年)、兵庫県城崎郡港村瀬戸(1955年)、兵庫県豊岡市瀬戸(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「港劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「港劇場」。1966年の映画館名簿では「豊岡湊劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
池田映劇/池田映画劇場/江原池田映画劇場
所在地 : 兵庫県城崎郡日高町江原(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「池田映劇」。1963年の映画館名簿では「池田映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「江原池田映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
白鳥館/豊岡東映/豊岡東映劇場
所在地 : 兵庫県豊岡市亀山通(1955年・1960年・1963年・1966年)、兵庫県豊岡市泉町15-2(1969年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「白鳥館」。1960年・1963年の映画館名簿では「豊岡東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「豊岡東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では泉町15-2に「キッサパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では泉町15-2に「1階メンズショップOZAKI、2階フルーツパーラパンダ」。1980年のゼンリン住宅地図では泉町15-2に「1階メンズショップオザキ、2階パーラーパンダ」。
豊岡有楽館/有楽館
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1950年)、兵庫県豊岡市大開東区(1955年)、兵庫県豊岡市大開東(1960年)、兵庫県豊岡市大開東区(1963年・1966年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1969年)、兵庫県豊岡市中央町(1973年)、兵庫県豊岡市中央町9-5(1980年・1985年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1985年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1923年開館。1950年・1953年の映画館名簿では「有楽館」。1955年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「豊岡有楽館」。1973年の映画館名簿では「有楽座」(館ではなく座)。1974年・1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「有楽ビル 3階 映画館」。1980年・1985年の映画館名簿では「有楽館」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンファミリー豊岡」。
豊岡劇場/豊岡劇場・豊岡シネマ/豊岡劇場1・2/豊岡劇場大ホール・小ホール
所在地 : 兵庫県城崎郡豊岡町(1950年)、兵庫県豊岡市円山区(1955年)、兵庫県豊岡市円山(1960年・1963年)、兵庫県豊岡市滋茂21(1966年)、兵庫県豊岡市滋茂11(1969年)、兵庫県豊岡市元町11(1973年)、兵庫県豊岡市元町10-18(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1927年? 1933年?
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1933年開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「豊岡劇場」。1974年のゼンリン住宅地図では「豊岡劇場」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「豊岡劇場・豊岡シネマ」(2館)。1980年・1984年のゼンリン住宅地図では「豊劇 豊岡シネマ」。1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「豊岡劇場1・2」(2館)。2012年3月31日閉館。2014年12月27日再開館。2015年の映画館名簿では「豊岡劇場大ホール・小ホール」(2館)。

城崎郡日高町(現・豊岡市)出身の俳優である今井雅之は、兵庫県立豊岡高校在学時にしばしば「豊岡劇場」に通っていた。*147

女優の片桐はいりは『もぎりよ今夜も有難う』で豊岡劇場に言及している。*148

豊岡劇場に言及している書籍として中村政人『コミュニティ・アートプログラム』アートNPOゼロダテ、2013年がある。京都市の出町座や福知山市のまちのばにも言及している。*149

豊岡劇場に言及している書籍として『新しいコミュニティを生み出す空間とデザイン』パイインターナショナル、2020年がある。*150

2012年3月15日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「さよなら豊岡劇場」という記事が掲載されている。*151

2012年3月16日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊岡劇場今月末に閉館」という記事が掲載されている。*152

2012年3月18日付『読売新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇半世紀に幕」という記事が掲載されている。*153

2012年3月24日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬の映画館幕引き」という記事が掲載されている。*154

2012年3月28日付『朝日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「但馬から銀幕消ゆ」という記事が掲載されている。*155

2012年3月31日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「時代に押されきょう閉館」という記事が掲載されている。*156

2012年4月1日付『神戸新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「豊劇60年の歴史に幕」という記事が掲載されている。*157

2012年4月1日付『毎日新聞』には、豊岡劇場の閉館に関する「いつか復活を」という記事が掲載されている。*158

2014年の営業再開後の経営者である石橋秀彦は、中学生の頃から豊岡劇場に通っていた。石橋は中学生の頃に映画監督を志し、アイルランドの美術学校に留学すると、イギリスのロンドンでアーティストとしての活動を行った後に帰国した。日本では映画配給の仕事に携わり、2012年に豊岡劇場が閉館すると、2014年に「豊劇新生プロジェクト」を立ち上げ、クラウドファウンディングを行って改装資金を獲得、同年に営業を再開した。1927年に芝居小屋として開館した豊岡劇場は、戦時中には倉庫として使用され、戦後には映画館となった。2014年の営業再開後、大ホールでは映画上映のほかにイベントも行っている。小ホールは地域のコミュニティスペースとしても機能し、クリエイターの発表の場にもなる。ロビーはカフェ&バーとして使用している。ゆくゆくは駐車場スペースにテナントを募集することも検討している。*159

豊岡劇場に言及している雑誌の記事として、高田京子「human INTEREST レトロを訪ねる 映画館編」『週刊新潮』2007年3月15日号がある。*160

豊岡劇場に言及している雑誌記事として、「冬はストーブと共に」『弁当と傘』第1号、2011年がある。*161

豊岡劇場に言及している雑誌記事として、石橋秀彦「地域の力を信じる・活かす 豊岡劇場の新生と『地域の力』」『地方自治職員研修』公職研、2016年7月がある。*162

養父市

広谷座
所在地 : 兵庫県養父郡広谷町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町広谷(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿では「広谷座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「広谷座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
平木映画/平木映画劇場/平木八鹿東映
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町(1950年)、兵庫県養父郡八鹿町京町(1953年)、兵庫県養父郡八鹿町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町1634(1958年)、兵庫県養父郡八鹿町(1960年・1963年)
開館年 : 1949年8月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1949年8月開館。1955年の映画館名簿では「平木映画」。1958年・1960年の映画館名簿では「平木映画劇場」。1953年の映画館名簿では「平木映劇」。1955年の映画館名簿では「平木映画」。1960年の映画館名簿では「平木映画劇場」。1963年の映画館名簿では「平木八鹿東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

八鹿町の「平木映劇」が焼失した後だったか、京口の兵庫蚕種の近くには「文化会館」があり、一週間に一度くらい映画を上映していた。*163

時期不明の「平木映劇」の外観と内部の写真あり。洋風のファサードが見える。内部には2階桟敷席がみえる。活弁士の席もあった。*164
大屋会館
所在地 : 兵庫県養父郡大屋町(1969年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「大屋会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
関宮会館
所在地 : 兵庫県養父郡関宮町(1969年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年の映画館名簿では「関宮会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在ある関宮会館という公民館との関係は不明。
明延会館/明延協和会館
所在地 : 兵庫県養父郡南谷村和田(1955年)、兵庫県養父郡大屋町和田東側(1958年)、兵庫県養父郡大屋町(1960年)、兵庫県養父郡大屋町和田1085(1963年)、兵庫県養父郡大屋町(1969年)
開館年 : 1931年12月、1957年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1931年12月開館。1955年の映画館名簿では「明延会館」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「明延協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「南谷郵便局」の北北東90m。「明延一円電車」南すぐ。映画館の建物が現存。

旧協和会館は、1957年(昭和32年)に建設された福利厚生のための劇場。鉄筋コンクリート造、2階建て、亜鉛渡鉄板葺である。建坪は257坪であり、延坪は340坪である。軒高は8間。2006年(平成18年)現在は明延精工の倉庫として使用されているが、映写室には当時の映写機などが残っている。当時の建物配置図があり、協和会館、小学校、公会堂、病院、共同浴場、テニスコートなどが掲載されている。*165
ルート9劇場
所在地 : 兵庫県養父郡養父町谷間地1675-1(1985年)、兵庫県養父郡養父町上野1675-1(1990年)
開館年 : 1982年以後1985年以前
閉館年 : 1995年以後1998年以前
1980年・1982年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「ルート9劇場」。1993年の住宅地図では「ルート9劇場」。1998年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宿院商店」から兵庫県道271号を挟んで反対側付近。
八鹿映劇/八鹿映画劇場/八鹿第一映劇・八鹿第二映劇/八鹿第一映画・八鹿第二映画
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町(1955年)、兵庫県養父郡八鹿町京口(1958年)、兵庫県養父郡八鹿町(1960年・1963年)、兵庫県養父郡八鹿町8(1966年・1969年・1973年)、兵庫県養父郡八鹿町八鹿1795(1976年)、兵庫県養父郡八鹿町鹿町(1980年)、兵庫県養父郡八鹿町八鹿1795-1(1990年・2000年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 2006年
『全国映画館総覧 1955』によると1953年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「八鹿映劇」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「八鹿映画劇場」。1976年の映画館名簿では「八鹿第一映画劇場・八鹿第二映画劇場」(2館)。1980年の住宅地図では「八鹿映画」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「八鹿第一映劇・八鹿第二映劇」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「八鹿第一映画・八鹿第二映画」(2館)。2000年時点では兵庫県の郡部唯一の映画館。2003年の住宅地図では「八鹿映画劇場」。2006年に閉館したことで豊岡劇場が但馬地方唯一の映画館となった。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「八鹿郵便局」北東70mのフィットネスクラブ「にこにこ元気クラブ」。2021年時点で映画館の建物が現存。

1965年頃の八鹿町八鹿にあった映画館「八鹿映劇」の写真あり。「八鹿映劇」や「映画と演劇」の文字が見える。八鹿町の中心市街地に位置し、屋岡橋南側の川沿いにあった。平成に入ってから閉館した。*166

朝来市

朝来映画劇場/朝来映劇
所在地 : 兵庫県朝来郡朝来町新井541-1(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「朝来映画劇場」。1966年の映画館名簿では「朝来映劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
南座/和田山南座
所在地 : 兵庫県朝来郡和田山町(1955年・1958年・1960年)、兵庫県朝来郡和田山町和田山135-1(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「南座」。1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「和田山南座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
協和会館/生野協和会館
所在地 : 兵庫県朝来郡生野町(1955年・1960年)、兵庫県朝来郡生野町口銀谷985-1(1969年)
開館年 : 1917年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1917年12月開館。1955年の映画館名簿では「協和会館」。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「生野協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
ヤナセ映劇/ヤナセ映画劇場/山東ヤナセ映劇
所在地 : 兵庫県朝来郡梁瀬町(1955年)、兵庫県朝来郡山東町古市場(1958年)、兵庫県朝来郡山東町(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「ヤナセ映劇」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ヤナセ映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「山東ヤナセ映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1970年代の航空写真を見ると現在の川原町公民館の場所に巨大な建物がある。

1952年(昭和27年)、朝来郡梁瀬町の川原町に映画館が開館した。*167

1963年(昭和38年)頃の山東町楽音寺(梁瀬)にあった洋画専門の映画館「梁瀬映劇」の写真あり。1959年(昭和34年)に封切られた『レ・ミゼラブル』、『海底探検世界一周』などのフランス映画のポスターが見える。*168
神子畑協和会館
所在地 : 兵庫県朝来郡山口村(1955年)、兵庫県朝来郡朝来町(1960年・1963年)、兵庫県朝来郡朝来町佐嚢1842(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「神子畑協和会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ムーセ旧居」(ムーセハウス写真館)北東240mの森林。国道429号と神子畑川に挟まれている。デビュー間もない島倉千代子が公演を行ったことがある。

美方郡香美町

香住映画劇場/香住映劇
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1953年・1958年・1960年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「香住映劇」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「香住映画劇場」。1960年の映画館名簿では「香住映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
あずま館
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「あずま館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
大黒座/香住大黒座
所在地 : 兵庫県城崎郡香住町(1950年・1953年)、兵庫県城崎郡香住町若松(1955年)、兵庫県城崎郡香住町182(1958年)、兵庫県城崎郡香住町(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1943年
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1943年開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大黒座」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「香住大黒座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代・1970年代の航空写真では現在の若松コミュニティセンターの場所に巨大な建物がある。

美方郡新温泉町

大富座
所在地 : 兵庫県美方郡浜坂町(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1942年1月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1942年1月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「大富座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
温泉座
所在地 : 兵庫県美方郡温泉町(1953年)、兵庫県美方郡温泉町湯(1955年)、兵庫県美方郡温泉町153-2(1958年)、兵庫県美方郡温泉町(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「温泉座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。同じ町ではストリップ劇場の湯村温泉劇場の建物が現存している。
浜坂映画劇場/浜坂映劇
所在地 : 兵庫県美方郡浜坂町1144(1960年)、兵庫県美方郡浜坂町新町(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1973年以後1977年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「浜坂映劇」。1963年の映画館名簿では「浜坂映画劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜坂映劇」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。

丹波地域

丹波市

戎シネマ
所在地 : 兵庫県氷上郡成松町宮前(1955年)、兵庫県氷上郡氷上町成松(1958年・1960年)
開館年 : 1948年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1948年開館。1955年・1960年の映画館名簿では「戎シネマ」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1950年、成松町に小南松太郎が映画常設館「戎シネマ」を新築した。「成松映画劇場」とともに親しまれている。*169

兵庫県丹波市氷上町の成松商店街で、映画館の復活を目指す「成松映画館復活プロジェクト(仮)」が住民らによって発足した。2018年3月11日には成松第3公民館で近兼拓史監督の『切り子の詩』の上映会が行われる。上映会は成松商店街で開催される「丹波甲賀の里軽トラ市」の一環。かつて成松地区には「成映」と「エビス座」があったが、昭和40年代までに閉館となった。*170

丹波市が舞台の映画『恐竜の詩』の監督である近兼拓史は、丹波市民が元暴力団事務所の再生を構想する映画『銀幕の詩』の撮影と、元暴力団事務所の建物を映画館に転換させる映画館復活プロジェクトの同時進行に乗り出している。2020年春の開館と『銀幕の詩』のオープニング上映を目指している。元暴力団事務所の建物は、鉄筋コンクリート造2階建て、延床面積約260平方メートル。2階に最大80席、1階に20席のホールを整備し、裏にはカフェを設ける。改装や映写機などに約3000万円が必要だという。『銀幕の詩』は2019年3月に撮影を開始し、2020年3月に完成予定である。映画全盛期には丹波市域にも多くの映画館があったという。*171
柏原劇場/柏原映画劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡柏原町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県氷上郡柏原町本町(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「柏原劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「柏原映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1952年(昭和27年)10月に「柏原劇場」の建物前で撮られた柏原町商工会店員表彰式の写真あり。柏原劇場は1971年(昭和46年)に姿を消した。*172
黒井映劇/黒井劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡黒井町(1955年)、兵庫県氷上郡春日町黒井(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「黒井映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「黒井劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
和田映劇/和田映画劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡和田村下町(1955年)、兵庫県氷上郡和田村和田(1958年)、兵庫県氷上郡山南町和田(1960年・1966年)
開館年 : 1933年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1933年開館。1955年の映画館名簿では「和田映劇」。1958年の映画館名簿では「和田映画劇場」。1960年の映画館名簿では「和田映劇」。1966年の映画館名簿では「和田映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
谷川映劇/谷川劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡久下村(1955年)、兵庫県氷上郡山南町谷川(1960年・1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1960年の映画館名簿では「谷川映劇」。1966年の映画館名簿では「谷川劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
成松映劇/成松映画劇場/成松劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡成松町(1955年)、兵庫県氷上郡氷上町成松(1958年・1960年)、兵庫県氷上郡氷上町成松町(1966年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1913年開館。1955年の映画館名簿では「成松映劇」。1958年・1960年の映画館名簿では「成松映画劇場」。1966年の映画館名簿では「成松劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
佐治映画劇場/佐治劇場
所在地 : 兵庫県氷上郡佐治町(1955年)、兵庫県氷上郡青垣町佐治(1958年・1960年・1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「佐治劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「佐治映画劇場」。1966年の映画館名簿では「佐治劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

丹波篠山市

日置劇場
所在地 : 兵庫県多紀郡日置村(1955年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1955年以後1958年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「日置劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。
福住会館
所在地 : 兵庫県多紀郡福住町(1955年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1955年以後1958年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「福住会館」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は喫茶店「マグナムコーヒー」として現存。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。
新丹波/新丹波劇場
所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町(1950年・1953年・1955年・1960年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1950年の映画館名簿では「新丹波」。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「新丹波劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「みなと銀行篠山支店」。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。

1955年現在と思われる映画館「新丹波」の写真あり。1947年に建築された。*173

『郷友』多紀郷友会、第346号、1982年9月には「ふるさと回顧(1)思い出の楽天座」が掲載されている。*174

『郷友』多紀郷友会、第347号、1982年12月には「前号『楽天座』の記事を読んで」が掲載されており、「新丹波」にも触れられている。*175

1914年9月、新劇場「楽天座」が開館した。建てたのは小東兼蔵であり、工費は1万5000円だった。1922年には篠山土地建物株式会社の経営に移り、1週間に2回から3回の頻度で演劇・演芸・映画の興行を行った。1946年10月には客席を改造して映画常設館となり、松竹・東映・日活などを連日昼夜上映した。連日満員の時期もあったが、1959年の皇太子御成婚を機にテレビが普及し、観客数が減少した。「新丹波」の閉館後も営業を続けていたが、1967年頃からは上映するたびに赤字となり、月に3-4回の休館日を設けていた。1970年4月6日、休館日の深夜に炎上した。*176

1955年頃の多紀郡篠山町にあった映画館「新丹波」の写真あり。「楽天座」と並んで庶民の憩いの場だった。昭和40年代まで営業していた。*177

昭和40年代の篠山市乾新町にあった映画館「新丹波」の写真あり。「Sin Tanba」(※Shinではない)の文字が見える。写真撮影当時にはすでに閉館していたのか、館外にも館内にも大売り出しの旗が見える。篠山市には「楽天座」と「新丹波」の2館の映画館があり、近隣自治体からも観客が訪れた。*178
東雲座/楽天座/篠山楽天座
所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町東新町(1950年)、兵庫県多紀郡篠山町東新町(1953年・1955年)、兵庫県多紀郡篠山町東新町(1960年・1963年)、兵庫県多紀郡篠山町(1966年・1969年)
開館年 : 1914年1月
閉館年 : 1970年4月6日
『全国映画館総覧 1955』によると1914年1月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「楽天座」。1966年・1969年の映画館名簿では「篠山楽天座」。1970年の火災で焼失して閉館。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「頼尊又四郎稲荷神社」北側の未舗装駐車場。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。

現在の楽天座の場所にあった「東雲座」の写真あり。1908年に焼失した。1914年に新築された際の劇場「楽天座」の写真あり。1955年現在の改築された楽天座の写真あり。*179

昭和40年代の多紀郡篠山町にあった映画館「楽天座」の写真あり。「座天楽」の文字が見える。焼失後に改装された。*180

1958年の多紀郡篠山町の東新町にあった映画館「楽天座」の写真あり。右書きの「座天楽」の文字が見える。『素晴しき男性』『遠州森の石松』『呪いの笛』のポスターが見える。戦後の篠山には「楽天座」と「新丹波」の2館の映画館があった。*181

淡路地域

洲本市

玉尾座
所在地 : 兵庫県洲本市(1950年)、兵庫県洲本市下屋敷町(1953年・1955年)、兵庫県洲本市下屋敷町乙10-3(1960年)
開館年 : 明治時代初期、1929年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「玉尾座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1972年・1980年の住宅地図では跡地に「玉尾モータープール」。現在の跡地は有料駐車場「玉尾モータープール」。

洲本市にあった劇場「玉尾座」の写真あり。淡路島で最も古い歴史を持つ劇場であり、洲本唯一の娯楽施設として様々な興行を行った。玉尾座は1903年(明治36年)頃に現在地に移転し、昭和初期に改築を行った。1979年(昭和54年)現在の跡地にはモータープールとビルが建っており、劇場があったころの面影はない。*182

淡路島で最も古い劇場は洲本市の「玉尾座」であり、明治時代初期には既に存在していたという。1928年(昭和3年)に大改築を行い、舞台の間口は7間、奥行は6間、観客席は1500人以上を収容した。洲本市では「昭和館」や「洲本劇場」などもこの頃に建てられた。*183
洲本劇場
所在地 : 兵庫県洲本市物部60(1958年)、兵庫県洲本市常盤町(1960年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では跡地に「三熊モータープール」。跡地はパチンコ店「ホワイトハウス洲本店」。

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「洲本劇場」が掲載されている。現物は未確認。*184
旭座/旭座劇場
所在地 : 兵庫県津名郡由良町(1955年)、兵庫県洲本市由良町(1960年・1963年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年の映画館名簿では「旭座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「旭座劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では「KK旭座劇場」。1980年の住宅地図では跡地に「貸ガレージ」。跡地は「淡路信用金庫由良支店」北北西70mの建物。

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「旭座」が掲載されている。現物は未確認。*185
洲本タイガー(旧)
所在地 : 兵庫県洲本市下屋敷町(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本タイガー」。1966年の映画館名簿では紺屋町2-129に「洲本銀映・洲本タイガー劇場」があるため、1960年以後1963年以前に洲本銀映と同一ビルに移転したか、洲本銀映との経営統合がなされたと思われる。
弁天座/洲本弁天座/洲本東映/トーエイ洲本
所在地 : 兵庫県洲本市(1950年・1953年)、兵庫県洲本市内通町565(1960年)、兵庫県洲本市内通町甲565(1966年・1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町4-2-18(1980年・1990年・1992年)
開館年 : 大正初期
閉館年 : 1992年以後1995年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「弁天座」。1960年・1966年の映画館名簿では「洲本弁天座」。1969年・1973年の映画館名簿では「洲本東映」。1972年のゼンリン住宅地図では「淡路東映 弁天座」。1980年のゼンリン住宅地図では「トーエイ洲本ビル 3階 トーエイ洲本」。1980年・1990年・1992年の映画館名簿では「トーエイ洲本」。1992年の映画館名簿では鉄筋造2階、198席、経営会社がミツオ株式会社、経営者・支配人ともに太田勝敏、東映を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「カラオケ喫茶同窓会」がある「JOYビル」。

大正初期には寄席の「弁天座」が改造されて常設映画館となった。弁天座は「玉尾座」の近くにあった。*186

1953年(昭和28年)正月の洲本市にあった映画館「弁天座」の写真あり。松竹や日活の常設館だった。*187

昭和初期の洲本市本町4丁目にあった「弁天座」の写真あり。厳島神社に近い繁華街にあり、主として寄席の興行を行っていた。大正初期には日活や松竹を上映する映画館となり、鐘紡洲本工場の女工の交代日には超満員となった。昭和40年代の弁天座の写真あり。「東映」「弁天座」の文字が見える。1978年には3階建てビルに改築され、1階と2階は飲食店街、3階に映画館があった。2006年現在の建物名はJOYプラザであり、3階の映画館跡地はカラオケ店となっている。*188
洲本銀映/洲本銀映・タイガー/洲本銀映・洲本タイガー劇場/洲本銀映
所在地 : 兵庫県洲本市紺屋町(1958年・1960年)、兵庫県洲本市紺屋町2-129(1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町5-1-33(1980年・1990年・2000年・2002年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 2002年以後2005年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「洲本銀映」。1963年の映画館名簿では「洲本銀映・タイガー」(2館)。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「洲本銀映・洲本タイガー劇場」(2館)。1972年のゼンリン住宅地図では「1階銀映映画劇場 Tiger映画劇場 マージャン荘、2階淡路ボウリング 食堂ミキ」。1980年のゼンリン住宅地図では「銀映ボウル ロマンタイガー 銀映ゲームコーナー」など。1980年・1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「洲本銀映」。2002年の映画館名簿では木造1階、200席、経営会社が岡田興業、経営者が坂本佳子、支配人が柴田祐一、邦画を上映。2005年・2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ザ・クラシック駐車場」。
オリオン座/洲本オリオン座/洲本オリオン
所在地 : 兵庫県洲本市幸町2-344(1960年)、兵庫県洲本市幸町2344(1966年・1969年・1973年)、兵庫県洲本市本町5(1980年)、兵庫県洲本市本町5-4-8(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 2014年(定期上映)、営業中(不定期上映)
Wikipedia : 洲本オリオン
1951年開館。1953年・1960年の映画館名簿では「オリオン座」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「洲本オリオン座」。1972年の住宅地図では「洋画オリオン(野口)」。1980年の住宅地図では「洋画オリオン(日興商工協同組合)」。1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「洲本オリオン」。2014年に定期上映を終了し、以後は不定期上映の映画館として営業中。

2010年夏のサッカーワールドカップの際には、洲本市中心部のコモード56商店街でパブリックビューイングが開催されたが、洲本オリオンが横4.5m×縦3.5mのスクリーンを用意した。*189

洲本オリオンの初代は野口宇一。浄瑠璃小屋が前身であり、芝居小屋の「福助座」となった。洋画を上映する映画館に転換する際には名称を公募し、1951年5月に「オリオン」が開館した。映画全盛期の淡路島に16の映画館があったとされるが、現在は洲本オリオンのみである。『不都合な真実』を上映しようとした際には、集客面での不安から配給会社に難色を示されたが、地元住民らを中心に「上映する会」が開催されて試写会まで開かれ、配給会社から上映を許可された。*190

2011年夏、淡路島の映画館「洲本オリオン」は3D対応のデジタル上映設備を導入した。支配人は野口仁(45)。浄瑠璃小屋だった場所を野口の祖父が買い取り、1951年には洋画専門の映画館となった。淡路島出身の阿久悠や笹野高史は学生時代に洲本オリオンに通ったという。かつて淡路島には10数館の映画館があったが、10年前には洲本オリオンのみとなった。2011年春にはテレビのロケで笑福亭鶴瓶が洲本オリオンを訪れ、「島で唯一の映画館。これからも頑張ってやりよ」と声をかけられた。独立映画館としての自由さを活かして、プロポーズのメッセージを映写したことや、結婚式のビデオ撮影に場所を貸したこともある。*191

2013年7月16日、淡路島がロケ地となった『夏の終り』が洲本市の映画館「洲本オリオン」で先行上映され、熊切和嘉監督のトークショーが開催される。神戸市などのほかに、淡路島の洲本市と淡路市で撮影が行われた。洲本オリオン西側の洲本レトロこみち沿いの古民家、旧洲本市民会館、由良地区の民家などが撮影場所となっている。全国ロードショーは8月31日。*192

2013年8月31日から上映する『夏の終り』を最後に、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」が閉館する。9月末から10月上旬ころの予定。淡路島で唯一の映画館である。戦前に大衆演劇の一座が滞在する芝居小屋として開館し、その後常設映画館に転換した。転換当初は「福助座」という名称だったが、1951年には公募によって「オリオン」に改称した。オリオンという映画館は他地域にもあるため、後に「洲本オリオン」とした。洋画専門館だった。作詞家の阿久悠(洲本市五色町出身)や俳優の笹野高史(淡路市出身)は、洲本高校時代に洲本オリオンに足しげく通って西部劇などを楽しんだ。最盛期の淡路島には10数館の映画館があったが、約10年前には洲本市の「銀映」が閉館し、洲本オリオンのみとなった。2011年には1000万円以上を投じてデジタルシネマ上映設備を導入したが、観客の減少に歯止めがかからなかった。1951年頃の洲本オリオンの写真あり。*193

2013年10月5日、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」が閉館した。最終上映作品は10月4日夜に上映した『夏の終り』。閉館理由は観客数の減少など。淡路島で唯一の映画館だった。閉館後も不定期の映画上映やイベント開催などを検討しているという。*194

2018年5月13日、洲本市本町5丁目の映画館「洲本オリオン」で「淡路島短編映画祭 2018 トランカミランカ」が開催された。淡路島出身者が製作・出演した作品、淡路島がロケ地となった作品などを中心に約40作品を上映し、洲本市出身の映画監督である大継康高もゲスト出演した。*195

洲本オリオンに言及している雑誌記事として、重松清「星をつくった男 阿久悠と、その時代 第3回 石原慎太郎と美空ひばり」『週刊現代』2009年3月21日がある。現物は未確認。*196

淡路市

生穂劇場
所在地 : 兵庫県津名郡生穂町(1955年)、兵庫県津名郡津名町生穂1796(1958年)、兵庫県津名郡津名町生穂(1960年)
開館年 : 1929年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1929年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「生穂劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
仮屋淡路劇場/仮屋劇場
所在地 : 兵庫県津名郡仮屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町久留麻1964※明らかな誤り(1958年)、兵庫県津名郡淡路町仮屋(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「仮屋淡路劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「仮屋劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
東淡銀映
所在地 : 兵庫県津名郡淡路町久留麻(1960年)、兵庫県津名郡淡路町久留麻1964(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「東淡銀映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
岩屋淡路劇場/淡路劇場
所在地 : 兵庫県津名郡岩屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町岩屋(1960年)
開館年 : 1924年頃? 1929年?
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「岩屋淡路劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「淡路劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1924年頃、岩屋に木造瓦葺2階建の「淡路劇場」が新築された。1965年には興行主が洲本市に転出し、またその他の理由もあって閉鎖された。淡路劇場の建物は間もなく取り壊された。*197

武田信一(編)『目で見る 淡路島の100年』郷土出版社、1995年には「淡路劇場」の写真が掲載されている。1929年(昭和4年)に竣工したという。現物は未確認。*198
都志映画劇場
所在地 : 兵庫県津名郡五色町都志(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「都志映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
郡家会館
所在地 : 兵庫県津名郡郡家町(1955年)、兵庫県津名郡一宮町郡家(1960年・1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「郡家会館」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1966年の映画館名簿では「郡家会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
室津淡路劇場/室津映画劇場/室津映劇
所在地 : 兵庫県津名郡室津町(1955年)、兵庫県津名郡北淡町室津(1958年・1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「室津淡路劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「室津映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「室津映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
富島劇場
所在地 : 兵庫県津名郡富島町(1950年・1953年・1955年)、兵庫県津名郡北淡町富島(1960年・1963年)、兵庫県津名郡北淡町富島847(1966年)、兵庫県津名郡北淡町富島(1969年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「富島劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に巨大な空白の建物。跡地は「中田医院」北西100mにある農地。

1958年(昭和33年)の北淡町富島東之町にあった劇場「富島座」の館内の写真あり。1913年(大正2年)に建設された500人収容の劇場であり、回り舞台や両側の花道を備え、客席は1階・2階とも桟敷席だった。戦前は大衆演劇場として巡業の芝居などがあり、また映画の上映もあった。沢村貞子、加東大介などが来演している。北淡町では人形浄瑠璃も盛んであり、年に3回は源之丞一座などを招いた人形芝居の公演があった。戦前・戦後の富島地区は漁業で栄え、富島座と「水産クラブ」という2館の劇場があった。時代とともに映画専門館化したが、テレビの普及に押されて1967年(昭和42年)2月に閉館した。数年前までは壁面をツタが覆う建物が残っており、色あせた「大衆娯楽場」の看板もかかっていたが、その後取り壊され、1989年(平成元年)現在の跡地は駐車場として使用されている。*199
岩屋クラブ/岩屋映画劇場/岩屋映劇
所在地 : 兵庫県津名郡岩屋町(1955年)、兵庫県津名郡淡路町岩屋(1958年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1971年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「岩屋クラブ」。1955年・1958年の映画館名簿では「岩屋映劇」。1960年の映画館名簿では「岩屋映画劇場」。1969年の映画館名簿では「岩屋映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図には掲載されていない。

岩屋には劇場「淡路劇場」があったが、政争から「岩屋倶楽部」が新築され、主として色物を興行した。岩屋倶楽部は「岩屋映画劇場」に改称し、1971年現在も昼夜興行を続けてかなりの観客を呼んでいる。1971年現在の岩屋映画劇場の写真あり。*200
三島座/志筑三島座
所在地 : 兵庫県津名郡志筑町(1955年)、兵庫県津名郡津名町志筑(1958年)、兵庫県津名郡津名町志筑3029(1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「三島座」。1969年の映画館名簿では「志筑三島座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1929年(昭和4年)6月発行の『淡路之誇』によると、淡路島には「洲本玉尾座」「洲本劇場」「由良旭座」「仮屋東陽館」「岩屋倶楽部」「郡家安楽座」「賀集松旭座」「福良桝井座」「志筑三島座」など17の劇場があった。戦前の「志筑三島座」の興行は週1回であり、子供たちは宣伝文句が聞こえるとじっとしていられなかったという。何重にも立ち見ができる超満員の劇場だった。*201

南あわじ市

都劇場
所在地 : 兵庫県三原郡北阿万村(1955年)、兵庫県三原郡南淡町北阿万(1958年・1960年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「都劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
美教劇場
所在地 : 兵庫県三原郡榎列村(1955年)、兵庫県三原郡三原町榎列255(1958年)、兵庫県三原郡三原町榎列(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「美教劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
湊劇場
所在地 : 兵庫県三原郡湊町(1955年・1958年)、兵庫県三原郡西淡町湊(1960年・1966年)
開館年 : 1927年4月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「湊劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

*202
市村劇場/ワールド/三原ワールド会館
所在地 : 兵庫県三原郡市村町(1955年)、兵庫県三原郡三原町市村557(1958年)、兵庫県三原郡三原町市557(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「市村劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「ワールド」。1966年の映画館名簿では「ワールド会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

『保存版 淡路島今昔写真集』樹林舎、2006年には「市村劇場」が掲載されている。現物は未確認。*203
桝井座/福良劇場
所在地 : 兵庫県三島郡福良町(1955年)、兵庫県三原郡南淡町福良(1958年・1960年)、兵庫県三原郡南淡町福良乙751(1966年・1969年)
開館年 : 1901年(桝井座)、1947年(福良劇場)
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「福良劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図では跡地に「ガレージ」。最近まで建物が残っていた可能性がある。跡地は「真光寺」東北東50mにある駐車場。

1901年には福良で酒造業をしていた桝井光太郎が私財1万円を投じて、独力で「桝井座」を創業した。建坪は120坪、和風木造2階建、定員600。戦後には福良劇場に改称した。やがて福良劇場は廃業したが、1991年現在も建物が残っている。今考えると構造も造作も立派とは言えない。*204
阿万劇場
所在地 : 兵庫県三原郡阿万町(1955年)、兵庫県三原郡南淡町本庄(1958年)、兵庫県三原郡南淡町阿万(1960年)、兵庫県三原郡南淡町阿万上町(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「阿万劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

このページへのコメント

そうなんですね。
返答ありがとうございました。
もうちょっと探してみます。

0
Posted by こまいぬ 2020年12月22日(火) 07:44:44 返信

初めまして。
尼ケ崎名画劇場香月の劇場の名前の読み方が分からず、探しております。
もし、読み方をご存知でしたら教えていただけませんか?
よろしくお願い致します。

0
Posted by こまいぬ 2020年12月20日(日) 21:26:05 返信数(1) 返信

こんにちは。正確な読みについては私もよくわからないです。すみません。

0
Posted by  hekikaicinema hekikaicinema 2020年12月21日(月) 20:00:22

コメントをかく


利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます