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飯塚市

高陽館
所在地 : 福岡県嘉穂郡飯塚町西町(1930年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1930年以後1936年以前
1930年の映画館名簿では「高陽館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。
交友館
所在地 : 福岡県嘉穂郡幸袋町(1936年)
開館年 : 1936年以前
閉館年 : 1936年以後1943年以前
1936年の映画館名簿では「交友館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
パラダイス館/東宝映画劇場
所在地 : 福岡県飯塚市通町(1936年・1943年)
開館年 : 1930年以後1936年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1936年の映画館名簿では「パラダイス館」。1943年の映画館名簿では「東宝映画劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
第一毎日館/毎日館
所在地 : 福岡県嘉穂郡飯塚町西町(1930年)、福岡県飯塚市御幸町414(1936年)、福岡県飯塚市御幸町(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1936年の映画館名簿では「第一毎日館」。1943年の映画館名簿では「毎日館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
飯塚映画劇場
所在地 : 福岡県飯塚市島田町(1943年)、福岡県飯塚市吉原町(1947年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1943年・1947年の映画館名簿では「飯塚映画劇場」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
穂波館
所在地 : 福岡県嘉穂郡穂波町秋松(1930年)、福岡県飯塚市市外秋松(1936年)、福岡県飯塚市飯塚駅前(1943年)、福岡県飯塚市駅前通(1947年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1930年・1936年・1943年・1947年の映画館名簿では「穂波館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
新世界館
所在地 : 福岡県嘉穂郡二瀬町(1943年)、福岡県嘉穂郡二瀬町846(1950年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1950年以後1960年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1950年の映画館名簿では「新世界館」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
富士映劇
所在地 : 福岡県飯塚市昭和通5(1955年)、福岡県飯塚市昭和通(1958年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「富士映劇」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
大衆館
所在地 : 福岡県嘉穂郡嘉穂町大隈(1960年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「大衆館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
ロマン映劇
所在地 : 福岡県嘉穂郡幸袋町(1960年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「ロマン映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
天道館/天道映劇
所在地 : 福岡県嘉穂郡穂波村(1943年)、福岡県嘉穂郡穂波町(1960年)
開館年 : 1943年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1943年の映画館名簿では「天道館」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「天道映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
名画座
所在地 : 福岡県飯塚市立岩2041(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「名画座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
飯塚大映映劇/飯塚大映映画劇場/飯塚公楽
所在地 : 福岡県飯塚市中本町(1950年)、福岡県飯塚市島田町(1953年)、福岡県飯塚市中本町(1955年・1958年)、福岡県飯塚市中本町1167(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿では「飯塚大映映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「飯塚大映映劇」。1958年の映画館名簿では「飯塚大映映画劇場」。1960年の映画館名簿では「飯塚公楽」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
アヅマザ/吾妻座
所在地 : 福岡県飯塚市西町2-1364(1955年)、福岡県飯塚市西町(1958年)、福岡県飯塚市西町1364(1960年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「アヅマザ」。1958年・1960年の映画館名簿では「吾妻座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
朝日館
所在地 : 福岡県嘉穂郡鎮西村(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「朝日館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
庄内東映
所在地 : 福岡県嘉穂郡庄内町(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「庄内東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
中央映劇/枝国東映
所在地 : 福岡県嘉穂郡穂波町枝国(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「中央映劇」。1963年の映画館名簿では「枝国東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
嘉穂劇場
所在地 : 福岡県飯塚市春日町(1963年)
開館年 : 1931年
閉館年 : 1963年以後1966年以前、不定期営業中
Wikipedia : 嘉穂劇場
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「嘉穂劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1981年の住宅地図では「嘉穂劇場」。基本的には映画館ではなく芝居小屋。最寄駅はJR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅。
第二天竜館
所在地 : 福岡県飯塚市昭和通1(1960年)、福岡県飯塚市菰田(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「第二天竜館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
飯塚日活劇場/飯塚日活
所在地 : 福岡県飯塚市吉原町(1958年)、福岡県飯塚市中本町1141(1960年)、福岡県飯塚市中本町(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1962年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「飯塚日活」。1960年・1963年の映画館名簿では「飯塚日活」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年4月29日、飯塚市本町の「日活中央劇場」(飯塚日活)が賃貸契約によって博多興行の経営となった。上映系統は日活。*1

1962年のこのほど、飯塚市の日活直営館「飯塚日活」は賃借契約満了とともに梶原儀一に変換され、返還とともに閉館して他業種に転用された。傍系の九州興業が経営していた。*2
庄内金星映劇/庄内金星
所在地 : 福岡県嘉穂郡庄内村綱分(1960年)、福岡県嘉穂郡庄内町(1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「庄内金星映劇」。1963年・1966年の映画館名簿では「庄内金星」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
筑穂東映/筑穂東映劇場
所在地 : 福岡県嘉穂郡筑穂町元吉482(1960年)、福岡県嘉穂郡筑穂町(1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「筑穂東映」。1966年の映画館名簿では「筑穂東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
第二正栄映劇/鯰田第二正栄映画劇場
所在地 : 福岡県飯塚市鯰田1380(1958年・1960年)、福岡県飯塚市鯰田(1963年)、福岡市飯塚市鯰田簀子町1380(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「第二正栄映劇」。1966年の映画館名簿では「鯰田第二正栄映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
潤野朝日映画劇場
所在地 : 福岡県飯塚市大字潤野(1966年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「潤野朝日映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
二瀬東映/二瀬東映劇場
所在地 : 福岡県嘉穂郡二瀬町日渡(1960年)、福岡県嘉穂郡二瀬町(1963年)、福岡県飯塚市二瀬町(1966年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「二瀬東映」。1966年の映画館名簿では「二瀬東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
松竹天竜館/第一天竜館/飯塚天竜館
所在地 : 福岡県飯塚市昭和通1(1960年)、福岡県飯塚市菰田(1963年)、福岡県飯塚市昭和通1(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「松竹天竜館」。1963年の映画館名簿では「第一天竜館」。1966年の映画館名簿では「飯塚天竜館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
正栄映劇/二瀬正栄映画劇場
所在地 : 福岡県嘉穂郡二瀬町西新町(1960年・1963年)、福岡県飯塚市伊岐須298(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「正栄映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「二瀬正栄映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
西町朝日映劇/飯塚文化/飯塚文化映画劇場/飯塚文化劇場
所在地 : 福岡県飯塚市西町5丁目(1958年)、福岡県飯塚市西町1620(1960年)、福岡県飯塚市西町(1963年)、福岡県飯塚市西町1962(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「西町映劇」。1960年の映画館名簿では「西町朝日映劇」。1963年の映画館名簿では「飯塚文化」。1966年の映画館名簿では「飯塚文化映画劇場」。1969年の映画館名簿では「飯塚文化劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
第二永楽館/飯塚第二永楽館
所在地 : 福岡県飯塚市東町149(1955年・1958年・1960年)、福岡県飯塚市東町(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1952年11月27日
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「第二永楽館」。1963年の映画館名簿では「第二永楽映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚第二永楽館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1952年11月27日、飯塚市東町に「永楽館」の姉妹館「光映画劇場」が開館した。経営は永楽興行。定員275人。系統は各社選抜上映。*3
大洋映劇/飯塚大洋東映劇場/飯塚大洋映画劇場/飯塚大洋映劇
所在地 : 福岡県嘉穂郡穂波村(1953年)、福岡県嘉穂郡穂波村飯塚駅前通り(1955年)、福岡県嘉穂郡穂波町飯塚駅前通(1958年)、福岡県嘉穂郡穂波町堀池18(1960年)、福岡県嘉穂郡穂波町堀池(1963年)、福岡県嘉穂郡穂波町(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大洋映劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚大洋東映劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
松竹映画劇場/飯塚松竹劇場/飯塚松竹映劇
所在地 : 福岡県飯塚市御幸町(1947年・1950年)、福岡県飯塚市御幸町414(1953年・1955年・1958年・1960年)、福岡県飯塚市御幸町(1963年・1966年・1969年)、福岡県飯塚市飯塚3-20(1980年)
開館年 : 1943年以後1947年以前、1958年3月20日
閉館年 : 1980年以後1982年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「松竹映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「飯塚松竹映劇」。1958年の映画館名簿では「飯塚松竹映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「飯塚松竹」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚松竹劇場」。1981年の住宅地図では跡地に「ジョイ松竹」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は商業ビル「ジョイ松竹」。最寄駅はJR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅。

1958年3月20日、飯塚市の「飯塚松竹映劇」が開館する。開館第1弾は『勇み肌千両男』と『黒い花粉』。鉄筋コンクリート造、3階建て。ワンスロープ式。定員520人。冷暖房完備。*4
飯塚大映映劇/飯塚大映/飯塚大映劇場
所在地 : 福岡県飯塚市中本町(1950年・1955年)、福岡県飯塚市吉原町429(1960年)、福岡県飯塚市吉原町(1963年)、福岡県飯塚市吉原町429(1966年)、福岡県飯塚市吉原町8-41(1969年・1985年・1986年)
開館年 : 1943年以後1950年以前
閉館年 : 1986年以後1988年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿では「飯塚大映映画劇場」。1955年の映画館名簿では「飯塚大映映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「飯塚大映」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚大映劇場」。1981年の住宅地図では「飯塚大映」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「六本木ガレージ」。最寄駅はJR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅。
金春館/コンパル映劇/コンパル飯塚東映/飯塚東映/飯塚東映劇場(旧)
所在地 : 福岡県嘉穂郡飯塚町吉原町(1930年)、福岡県飯塚市吉原町3丁目(1936年)、福岡県飯塚市吉原町1(1943年)、福岡県飯塚市(1947年)、福岡県飯塚市吉原町(1950年)、福岡県飯塚市吉原町430(1953年・1955年)、福岡県飯塚市吉原町415(1958年)、福岡県飯塚市吉原町430(1960年)、福岡県飯塚市吉原町(1963年)、福岡県飯塚市吉原町8-43(1966年・1969年)、福岡県飯塚市吉原町8-48(1985年・1988年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1980年以後1982年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1936年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「金春館」。1953年・1955年の映画館名簿では「コンパル映劇」。1958年の映画館名簿では「コンパル飯塚東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「飯塚東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚東映劇場」。1981年の住宅地図では跡地に巨大な空白。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「タイムズ飯塚」。最寄駅はJR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅。

1959年6月1日、飯塚市吉原町の「コンパル飯塚東映」が東映九州支社に賃貸され、「飯塚東映」に改称して東映直営館となった。鉄筋コンクリート造。定員700人。館主は川辺直蔵。*5

1963年5月14日、飯塚市の賃借経営館「飯塚東映劇場」を東映が買い取った。鉄筋造3階建て。定員679人。東映の自社所有館は66館となった。*6
第一永楽館/永楽館/飯塚永楽館
所在地 : 福岡県飯塚市樽屋町(1936年・1943年・1947年)、福岡県飯塚市大字飯塚(1950年)、福岡県飯塚市永楽通(1953年)、福岡県飯塚市永楽町(1955年)、福岡県飯塚市永楽町1266(1958年)、福岡県飯塚市永楽通1266(1960年)、福岡県飯塚市永楽町(1963年・1966年・1969年・1990年)
開館年 : 1929年2月
閉館年 : 1992年春
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「第一永楽館」。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「永楽館」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚永楽館」。1981年の住宅地図では「永楽映画館」。1993年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「街なか子育てひろば」北の「ひよこ保育園専用駐車場」。最寄駅はJR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅。

1992年春、飯塚市本町の映画館「永楽館」が閉館する予定。ビデオの普及による観客数の減少、徳永守久社長の健康問題が理由。飯塚市は都市計画道路飯塚潤野線の街路事業代替地として永楽館の土地を買収する方向である。1929年2月に開館した。戦時中の1943年から1944年頃には片岡千恵蔵・阪東妻三郎・嵐完寿郎らが出演した『忠臣蔵』が人気を集め、数百メートルもの行列ができた。1960年をピークに観客数が減少し、最大で14館あった飯塚市の映画館は相次いで閉館した。*7
飯塚セントラル/飯塚セントラル映画劇場/セントラル映劇・スカラ座・飯塚日活/飯塚セントラル1・2・飯塚スカラ座・飯塚東映劇場/飯塚シネマセントラル1-5/飯塚シネマセントラル1-4
所在地 : 福岡県飯塚市吉原町423(1958年)、福岡県飯塚市吉原町422(1960年)、福岡県飯塚市吉原町(1963年・1966年)、福岡県飯塚市吉原町8-48(1969年・1990年・2000年)、福岡県飯塚市吉原町8-48 セントラルビル(2010年)
開館年 : 1956年12月、1979年(ビル化)
閉館年 : 2015年3月26日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「飯塚セントラル映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「飯塚セントラル」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚セントラル映画劇場」。1980年の映画館名簿では「セントラル映劇・スカラ座・飯塚日活」(3館)。1981年の住宅地図では「飯塚セントラル会館 にっかつ スカラ座 オスカー」。1990年の映画館名簿では「飯塚セントラル1・2・飯塚スカラ座・飯塚東映劇場」(4館)。2000年の映画館名簿では「飯塚シネマセントラル1-5」(5館)。2010年の映画館名簿では「飯塚シネマセントラル1-4」(4館)。跡地のビルは大衆演劇場「飯塚セントラル劇場」として現存。最寄駅はJR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅。

2005年11月26日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が新装オープンした。椅子の幅や座席の間隔を広げ、カップルシートを設置するなどした。ビルの1階・4階・5階にある計5スクリーンのうち、4階と5階の計4スクリーンで2週間休館して工事を行った。5階の「セントラル3」は168席が115席になった。1980年に飯塚セントラルが開業し、飯塚市唯一の映画館として営業していた。中高年の観客が多いが、大学生らの若者を呼ぼうと改装した。*8

2008年4月11日をもって、飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が閉館する。筑豊地区唯一の個人経営の映画館である。3月22日から4月11日まで、山田洋二監督作『キネマの天地』を上映する。1979年、同じ場所で約20年続いた映画館の後を受けて開館した。5スクリーンを有し、洋画を中心に上映していた。2007年9月には地元商店街とともに初めて映画祭を開催し、その後も名作や旧作を上映するなど独自色を打ち出していた。*9

2008年4月11日をもって、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が閉館する。1979年に複数スクリーンで開館し、開館当初は立ち見が出るほどだった。ビデオやDVDの普及、シネコンの台頭などもあり、観客数が激減していた。閉館感謝イベントとして500円で1986年の山田洋次監督作『キネマの天地』を特別上映しており、通常料金で『魔法にかけられて』『ジャンパー』『ライラの冒険』『ワンピース』も上映している。*10

2008年4月11日に閉館する予定だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が、当面は営業を続けることとなった。2週間の休館期間を経て4月26日から営業を再開する。ビルの管理会社の配慮だという。*11

2008年4月11日に閉館する予定だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が、当面は営業を続けることとなった。力武健一社長。いったん休館した後、4月26日から営業を再開する。2月に閉館が報じられると存続を求める声が相次ぎ、嘆願書も寄せられたため、力武社長が東京都の管理会社と交渉していた。1979年に複数のスクリーンを持つ映画館として開館した。*12

2008年4月11日から、飯塚市の映画館「飯塚シネマセントラル」が経営難で休館している。筑豊地区の市街地に唯一残った映画館である。近く営業を再開するが、10月以降の経営には目途が立っていない。1979年から営業している飯塚シネマセントラルは、1980年代には立ち見が出るほどにぎわったが、最近は1日の観客数が約30人に減少していた。*13

2008年4月26日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が営業を再開する。4月11日をもっての閉館が決まっていたが、市民の声に押されて方針を転換した。筑豊地区で唯一の街の映画館である。1960年代の飯塚市には約20館もの映画館があった。1979年には飯塚セントラルが開館し、1993年には飯塚市唯一の映画館となった。*14

2008年秋以降の存続が不透明だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が、東京都の経営コンサルタント会社である未来事業が設立する新会社に譲渡されて営業を続けることとなった。飯塚市の不動産会社であるデュー・エステートが入居するビルを購入し、映画館存続に対して強い意向を示した。10月11日から休館し、売店をサロン風に改装、5スクリーンを4スクリーンに縮小したうえで、名称を変えずに再出発する。*15

2008年10月に新会社で存続する予定だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が、急遽10月10日で閉館することとなった。東京都の不動産コンサルタント会社が急遽撤退を決めたため。映画館が入居するビルを購入したデュー・エステートが存続を希望している。*16

2008年10月10日をもって、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が閉館する。新たに経営に乗り出す予定だったコンサルタント会社が急遽撤退を決めたため。もともと2月に閉館が決定し、存続を望む声に応えていったんは閉館を見送った。その後、東京都のコンサルタント会社である未来事業が経営に名乗りを上げ、11月から同社の子会社が経営を引き継ぐ予定だったが、作品の配給が難航するなどの問題があって撤退を決めた。*17

2009年3月1日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」がリニューアルオープンする。地元有志によってNPO法人もっといいづかが結成されて営業再開の目途が立った。月額1200円の会員制度を導入し、会費を運営費に充てる。会員は映画を見放題であるが、このような運営形態は全国的に見て珍しいという。*18

2009年3月1日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が営業を再開することとなった。2008年10月に閉館していた。運営は福岡県に申請中のNPO法人もっといいづかが担う。ビルを所有する不動産会社の三木拓裕オーナー(45)が営業再開に向けて奔走した。入会金500円・月額1200円の会費によって運営を安定させる意向であり、個人会員は3000人を目標としている。会員は映画鑑賞料金が無料となり、同伴者には割引料金が適用される。準新作を中心に10作品を上映し、3週間ごとに上映作品を入れ替える。*19

2009年3月1日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」がリニューアルオープンする。初日は全作品が無料開放され、3月中は一日1000円で映画が見放題である。上映作品は準新作であり、3月1日には『私は貝になりたい』、『石内尋常高等小学校 花は散れども』、『容疑者Xの献身』などが上映される。*20

飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が営業を再開して約7か月が経つが、会員数は目標の半分程度と苦戦している。2009年3月以降には月間観客数が3100人から4700人に増えたが、会員数は目標の3000人に対して約1700人にとどまり、毎月約120万円の赤字が出ている。入会金500円・月額1200円の会員になると何度でも無料で映画が観られるユニークな方式を導入している。*21

2008年10月には飯塚市の映画館「飯塚シネマセントラル」が閉館したが、2009年3月にはNPO法人もっといいづかの運営で営業を再開した。月額1200円で会員になると映画を見放題であり、再開当初に900人だった会員は6月に1700人台にまで増えたが、7月以降は頭打ちで退会者も出ているという。運営費を会費収入に頼っており、3000人に達しないと人件費・フィルム代・光熱費などが賄えないという。現在はビルの所有者が不足分を補填しているが、2010年3月には補填が打ち切られるという。飯塚市唯一の映画館であり、4スクリーン計519席を有する。封切りから2か月程度たった準新作を中心に上映しており、会員は入館無料、同伴者4人までは大人500人・中学生以下300円で入館できる。*22

2015年3月26日をもって、飯塚市の映画館「飯塚シネマセントラル」が閉館する。これによって飯塚市から映画館が姿を消す。2008年にいったん閉館したが、2009年にはNPO法人もっといいづかが運営を引き継いだ。個人会員になれば月額1200円で見放題だった。法人・団体会員や個人会員の合計は990であり、目標の3000を大きく下回っていた。かつてはビル全体が映画館であり、地下にもスクリーンがあったという。最終上映作品は『GODZILLA』と『西遊記 はじまりのはじまり』。*23

2019年12月24日、飯塚市吉原町の大衆演劇場「飯塚セントラル劇場」は2017年九州北部豪雨被災地義援金として13万4388円を飯塚市に寄託した。1956年から50年以上に渡って映画館として営業し、2017年12月に大衆演劇場として新装オープンした。2周年を記念して、11月21日に「九州北部豪雨チャリティ」と題した座長大会を開催していた。*24
シネマサンシャイン飯塚
所在地 : 福岡県飯塚市菰田西3-1-1 ゆめタウン飯塚3階
開館年 : 2023年7月(予定)
閉館年 : 開館前
9スクリーンのシネコン。

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