所在地 : 福岡県飯塚市吉原町423(1958年)、福岡県飯塚市吉原町422(1960年)、福岡県飯塚市吉原町(1963年・1966年)、福岡県飯塚市吉原町8-48(1969年・1973年・1975年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)、福岡県飯塚市吉原町8-48 セントラルビル(2010年・2012年・2014年・2015年)
開館年 : 1956年12月、1979年(ビル化)
閉館年 : 2015年3月26日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「飯塚セントラル映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「飯塚セントラル」。1966年・1969年の映画館名簿では「飯塚セントラル映画劇場」。1973年・1975年の映画館名簿では「飯塚セントラル劇場」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の映画館名簿では「セントラル映劇・スカラ座・飯塚日活」(3館)。1981年の住宅地図では「飯塚セントラル会館 にっかつ スカラ座 オスカー」。1985年・1990年の映画館名簿では「飯塚セントラル1・2・飯塚スカラ座・飯塚東映劇場」(4館)。1995年の映画館名簿では「飯塚シネマセントラル1-4」(4館)。2000年・2005年の映画館名簿では「飯塚シネマセントラル1-5」(5館)。2010年・2012年の映画館名簿では「飯塚シネマセントラル1-4」(4館)。2014年・2015年の映画館名簿では「飯塚シネマセントラル3・4」(2館)。2016年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は大衆演劇場「飯塚セントラル劇場」として現存。最寄駅はJR筑豊本線・後藤寺線新飯塚駅。
2005年11月26日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が新装オープンした。椅子の幅や座席の間隔を広げ、カップルシートを設置するなどした。ビルの1階・4階・5階にある計5スクリーンのうち、4階と5階の計4スクリーンで2週間休館して工事を行った。5階の「セントラル3」は168席が115席になった。1980年に飯塚セントラルが開業し、飯塚市唯一の映画館として営業していた。中高年の観客が多いが、大学生らの若者を呼ぼうと改装した。
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2008年4月11日をもって、飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が閉館する。筑豊地区唯一の個人経営の映画館である。3月22日から4月11日まで、山田洋二監督作『キネマの天地』を上映する。1979年、同じ場所で約20年続いた映画館の後を受けて開館した。5スクリーンを有し、洋画を中心に上映していた。2007年9月には地元商店街とともに初めて映画祭を開催し、その後も名作や旧作を上映するなど独自色を打ち出していた。
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2008年4月11日をもって、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が閉館する。1979年に複数スクリーンで開館し、開館当初は立ち見が出るほどだった。ビデオやDVDの普及、シネコンの台頭などもあり、観客数が激減していた。閉館感謝イベントとして500円で1986年の山田洋次監督作『キネマの天地』を特別上映しており、通常料金で『魔法にかけられて』『ジャンパー』『ライラの冒険』『ワンピース』も上映している。
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2008年4月11日に閉館する予定だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が、当面は営業を続けることとなった。2週間の休館期間を経て4月26日から営業を再開する。ビルの管理会社の配慮だという。
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2008年4月11日に閉館する予定だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が、当面は営業を続けることとなった。力武健一社長。いったん休館した後、4月26日から営業を再開する。2月に閉館が報じられると存続を求める声が相次ぎ、嘆願書も寄せられたため、力武社長が東京都の管理会社と交渉していた。1979年に複数のスクリーンを持つ映画館として開館した。
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2008年4月11日から、飯塚市の映画館「飯塚シネマセントラル」が経営難で休館している。筑豊地区の市街地に唯一残った映画館である。近く営業を再開するが、10月以降の経営には目途が立っていない。1979年から営業している飯塚シネマセントラルは、1980年代には立ち見が出るほどにぎわったが、最近は1日の観客数が約30人に減少していた。
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2008年4月26日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が営業を再開する。4月11日をもっての閉館が決まっていたが、市民の声に押されて方針を転換した。筑豊地区で唯一の街の映画館である。1960年代の飯塚市には約20館もの映画館があった。1979年には飯塚セントラルが開館し、1993年には飯塚市唯一の映画館となった。
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2008年秋以降の存続が不透明だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が、東京都の経営コンサルタント会社である未来事業が設立する新会社に譲渡されて営業を続けることとなった。飯塚市の不動産会社であるデュー・エステートが入居するビルを購入し、映画館存続に対して強い意向を示した。10月11日から休館し、売店をサロン風に改装、5スクリーンを4スクリーンに縮小したうえで、名称を変えずに再出発する。
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2008年10月に新会社で存続する予定だった飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が、急遽10月10日で閉館することとなった。東京都の不動産コンサルタント会社が急遽撤退を決めたため。映画館が入居するビルを購入したデュー・エステートが存続を希望している。
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2008年10月10日をもって、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」が閉館する。新たに経営に乗り出す予定だったコンサルタント会社が急遽撤退を決めたため。もともと2月に閉館が決定し、存続を望む声に応えていったんは閉館を見送った。その後、東京都のコンサルタント会社である未来事業が経営に名乗りを上げ、11月から同社の子会社が経営を引き継ぐ予定だったが、作品の配給が難航するなどの問題があって撤退を決めた。
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2009年3月1日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」がリニューアルオープンする。地元有志によってNPO法人もっといいづかが結成されて営業再開の目途が立った。月額1200円の会員制度を導入し、会費を運営費に充てる。会員は映画を見放題であるが、このような運営形態は全国的に見て珍しいという。
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2009年3月1日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が営業を再開することとなった。2008年10月に閉館していた。運営は福岡県に申請中のNPO法人もっといいづかが担う。ビルを所有する不動産会社の三木拓裕オーナー(45)が営業再開に向けて奔走した。入会金500円・月額1200円の会費によって運営を安定させる意向であり、個人会員は3000人を目標としている。会員は映画鑑賞料金が無料となり、同伴者には割引料金が適用される。準新作を中心に10作品を上映し、3週間ごとに上映作品を入れ替える。
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2009年3月1日、飯塚市吉原町の映画館「飯塚セントラル」がリニューアルオープンする。初日は全作品が無料開放され、3月中は一日1000円で映画が見放題である。上映作品は準新作であり、3月1日には『私は貝になりたい』、『石内尋常高等小学校 花は散れども』、『容疑者Xの献身』などが上映される。
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飯塚市吉原町の映画館「飯塚シネマセントラル」が営業を再開して約7か月が経つが、会員数は目標の半分程度と苦戦している。2009年3月以降には月間観客数が3100人から4700人に増えたが、会員数は目標の3000人に対して約1700人にとどまり、毎月約120万円の赤字が出ている。入会金500円・月額1200円の会員になると何度でも無料で映画が観られるユニークな方式を導入している。
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2008年10月には飯塚市の映画館「飯塚シネマセントラル」が閉館したが、2009年3月にはNPO法人もっといいづかの運営で営業を再開した。月額1200円で会員になると映画を見放題であり、再開当初に900人だった会員は6月に1700人台にまで増えたが、7月以降は頭打ちで退会者も出ているという。運営費を会費収入に頼っており、3000人に達しないと人件費・フィルム代・光熱費などが賄えないという。現在はビルの所有者が不足分を補填しているが、2010年3月には補填が打ち切られるという。飯塚市唯一の映画館であり、4スクリーン計519席を有する。封切りから2か月程度たった準新作を中心に上映しており、会員は入館無料、同伴者4人までは大人500人・中学生以下300円で入館できる。
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2015年3月26日をもって、飯塚市の映画館「飯塚シネマセントラル」が閉館する。これによって飯塚市から映画館が姿を消す。2008年にいったん閉館したが、2009年にはNPO法人もっといいづかが運営を引き継いだ。個人会員になれば月額1200円で見放題だった。法人・団体会員や個人会員の合計は990であり、目標の3000を大きく下回っていた。かつてはビル全体が映画館であり、地下にもスクリーンがあったという。最終上映作品は『GODZILLA』と『西遊記 はじまりのはじまり』。
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2019年12月24日、飯塚市吉原町の大衆演劇場「飯塚セントラル劇場」は2017年九州北部豪雨被災地義援金として13万4388円を飯塚市に寄託した。1956年から50年以上に渡って映画館として営業し、2017年12月に大衆演劇場として新装オープンした。2周年を記念して、11月21日に「九州北部豪雨チャリティ」と題した座長大会を開催していた。
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