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hekikaicinema 2026年08月30日(日) 22:45:55履歴
宇都宮市の映画館を参照。
足利市の映画館を参照。
佐野市の映画館を参照。
所在地 : 栃木県上都賀郡鹿沼町天神町(1927年)
開館年 : 大正初期
閉館年 : 1931年頃
大正初期、鹿沼町天神町の金子喜平は材木置き場を改築して寄席「大正亭」を建てた。その後、栃木町の荒川某が所有者となり、さらに伊藤某が所有者となった。大正末期には映画が上映されるようになって「大正館」に改称した。1930年から1931年頃、建物の老朽化によって閉館した。*1
開館年 : 大正初期
閉館年 : 1931年頃
大正初期、鹿沼町天神町の金子喜平は材木置き場を改築して寄席「大正亭」を建てた。その後、栃木町の荒川某が所有者となり、さらに伊藤某が所有者となった。大正末期には映画が上映されるようになって「大正館」に改称した。1930年から1931年頃、建物の老朽化によって閉館した。*1
所在地 : 栃木県鹿沼市中田町2397(1968年)
開館年 : 1946年8月
閉館年 : 1968年頃
跡地は「まちなか交流プラザ CHAT」南東50mの道路など。最寄駅はJR日光線鹿沼駅または東武日光線新鹿沼駅。
1947年、鹿沼町中田町1251番地に高内某によって「東宝映画劇場」が設立された。座席数は510。*4
1948年に発行された藤田天真(藤田常次)『躍進鹿沼市全景絵図附商工業案内』には「末広館」「鹿沼座」「東宝映画館」が描かれている。裏面の「躍進鹿沼市商工業者加名案内覧」には「東末広町 末広館」の広告が掲載されている。*5
1951年の鹿沼市の田町通り沿いにあった「鹿沼東宝映画劇場」の際の記念写真あり。総天然色映画と書かれた『バグダッド』(※『バグダッドの盗賊』と思われる)の看板が見える。前列中央にいるのは鹿沼市長の鈴木金一郎である。閉館後には周辺で土地区画整理事業が行われ、2009年現在の跡地には民家や鹿沼市営の高層住宅が建っている。*6
1956年の『鹿沼市(市街地)明細地図』には、「鹿沼東宝映画劇場」「鹿沼映画劇場」が描かれている。おそらく「末広館」も描かれているが折れ目にあり判然としない。*7
開館年 : 1946年8月
閉館年 : 1968年頃
跡地は「まちなか交流プラザ CHAT」南東50mの道路など。最寄駅はJR日光線鹿沼駅または東武日光線新鹿沼駅。
1947年、鹿沼町中田町1251番地に高内某によって「東宝映画劇場」が設立された。座席数は510。*4
1948年に発行された藤田天真(藤田常次)『躍進鹿沼市全景絵図附商工業案内』には「末広館」「鹿沼座」「東宝映画館」が描かれている。裏面の「躍進鹿沼市商工業者加名案内覧」には「東末広町 末広館」の広告が掲載されている。*5
1951年の鹿沼市の田町通り沿いにあった「鹿沼東宝映画劇場」の際の記念写真あり。総天然色映画と書かれた『バグダッド』(※『バグダッドの盗賊』と思われる)の看板が見える。前列中央にいるのは鹿沼市長の鈴木金一郎である。閉館後には周辺で土地区画整理事業が行われ、2009年現在の跡地には民家や鹿沼市営の高層住宅が建っている。*6
1956年の『鹿沼市(市街地)明細地図』には、「鹿沼東宝映画劇場」「鹿沼映画劇場」が描かれている。おそらく「末広館」も描かれているが折れ目にあり判然としない。*7
所在地 : 栃木県鹿沼市上材木町1836(1988年)
開館年 : 1893年頃、1954年9月
閉館年 : 1988年頃
跡地は「ヤオハン北部店」北西90mにある駐車場。最寄駅はJR日光線鹿沼駅または東武日光線新鹿沼駅。
1893年頃、鹿沼町上材木町に「大二座」が設立された。大平吉太郎が出資し、二瓶由三郎が経営に当たった。大正末期には若山某の経営となって「鹿沼座」に改称した。その後「大映」や「映劇」に改称し、1968年現在も営業を続けている。*8
1934年の『大日本職業別明細図 第389号』「鹿沼町」には「鹿沼座」「末広館」が描かれている。*9
1948年に発行された藤田天真(藤田常次)『躍進鹿沼市全景絵図附商工業案内』には「末広館」「鹿沼座」「東宝映画館」が描かれている。裏面の「躍進鹿沼市商工業者加名案内覧」には「東末広町 末広館」の広告が掲載されている。*10
1956年の『鹿沼市(市街地)明細地図』には、「鹿沼東宝映画劇場」「鹿沼映画劇場」が描かれている。おそらく「末広館」も描かれているが折れ目にあり判然としない。*11
開館年 : 1893年頃、1954年9月
閉館年 : 1988年頃
跡地は「ヤオハン北部店」北西90mにある駐車場。最寄駅はJR日光線鹿沼駅または東武日光線新鹿沼駅。
1893年頃、鹿沼町上材木町に「大二座」が設立された。大平吉太郎が出資し、二瓶由三郎が経営に当たった。大正末期には若山某の経営となって「鹿沼座」に改称した。その後「大映」や「映劇」に改称し、1968年現在も営業を続けている。*8
1934年の『大日本職業別明細図 第389号』「鹿沼町」には「鹿沼座」「末広館」が描かれている。*9
1948年に発行された藤田天真(藤田常次)『躍進鹿沼市全景絵図附商工業案内』には「末広館」「鹿沼座」「東宝映画館」が描かれている。裏面の「躍進鹿沼市商工業者加名案内覧」には「東末広町 末広館」の広告が掲載されている。*10
1956年の『鹿沼市(市街地)明細地図』には、「鹿沼東宝映画劇場」「鹿沼映画劇場」が描かれている。おそらく「末広館」も描かれているが折れ目にあり判然としない。*11
所在地 : 栃木県鹿沼市東末広町1934(1993年)
開館年 : 1926年4月3日、1945年12月
閉館年 : 1993年頃
跡地は「鹿沼幼稚園」南西30mにある駐車場。最寄駅はJR日光線鹿沼駅または東武日光線新鹿沼駅。
河野辺某、萩某、斎藤某、飯村某、中条某、田野井某、吉田某の7人が発起人となり、鹿沼町東末広町1834番地に資本金1万円の合資会社末広館が設立され、1926年4月3日に「末広館」が開館した。1945年12月には日本造機株式会社の水野某に譲渡され、1968年現在は池田某が経営している。*12
1934年の『大日本職業別明細図 第389号』「鹿沼町」には「鹿沼座」「末広館」が描かれている。*13
1948年に発行された藤田天真(藤田常次)『躍進鹿沼市全景絵図附商工業案内』には「末広館」「鹿沼座」「東宝映画館」が描かれている。裏面の「躍進鹿沼市商工業者加名案内覧」には「東末広町 末広館」の広告が掲載されている。*14
1956年の『鹿沼市(市街地)明細地図』には、「鹿沼東宝映画劇場」「鹿沼映画劇場」が描かれている。おそらく「末広館」も描かれているが折れ目にあり判然としない。*15
開館年 : 1926年4月3日、1945年12月
閉館年 : 1993年頃
跡地は「鹿沼幼稚園」南西30mにある駐車場。最寄駅はJR日光線鹿沼駅または東武日光線新鹿沼駅。
河野辺某、萩某、斎藤某、飯村某、中条某、田野井某、吉田某の7人が発起人となり、鹿沼町東末広町1834番地に資本金1万円の合資会社末広館が設立され、1926年4月3日に「末広館」が開館した。1945年12月には日本造機株式会社の水野某に譲渡され、1968年現在は池田某が経営している。*12
1934年の『大日本職業別明細図 第389号』「鹿沼町」には「鹿沼座」「末広館」が描かれている。*13
1948年に発行された藤田天真(藤田常次)『躍進鹿沼市全景絵図附商工業案内』には「末広館」「鹿沼座」「東宝映画館」が描かれている。裏面の「躍進鹿沼市商工業者加名案内覧」には「東末広町 末広館」の広告が掲載されている。*14
1956年の『鹿沼市(市街地)明細地図』には、「鹿沼東宝映画劇場」「鹿沼映画劇場」が描かれている。おそらく「末広館」も描かれているが折れ目にあり判然としない。*15
所在地 : 栃木県鹿沼市奈佐原371-2(1998年)
開館年 : 1989年4月26日
閉館年 : 1998年9月4日
跡地は「奈佐原文楽用具収納庫」北東100mにある建物と駐車場。最寄駅は東武日光線樅山駅または楡木駅。
1989年4月26日、鹿沼市に栃木県初のドライブインシアター「SKC鹿沼モナミドライブインシアター」が開館する。運営は松竹シネ・ファイジャパン。宇都宮市や栃木市の郊外に位置する。スクリーンは縦8メートル×横16メートルで国内最大級。設備費は3000万円。約200台を収容する。*16
1998年9月4日をもって、鹿沼市奈佐原町の「モナミドライブインシアター」が閉館する。夜間しか上映できないことに加えて、雷や霧などで上映中断することが相次いでいた。1989年春に開館し、開館時から栃木県唯一のドライブインシアターだった。これまでに158本の作品を上映した。1人乗り1台1600円、2人以上の場合は一律で3200円だった。最終上映作品は『レインメーカー』。*17
開館年 : 1989年4月26日
閉館年 : 1998年9月4日
跡地は「奈佐原文楽用具収納庫」北東100mにある建物と駐車場。最寄駅は東武日光線樅山駅または楡木駅。
1989年4月26日、鹿沼市に栃木県初のドライブインシアター「SKC鹿沼モナミドライブインシアター」が開館する。運営は松竹シネ・ファイジャパン。宇都宮市や栃木市の郊外に位置する。スクリーンは縦8メートル×横16メートルで国内最大級。設備費は3000万円。約200台を収容する。*16
1998年9月4日をもって、鹿沼市奈佐原町の「モナミドライブインシアター」が閉館する。夜間しか上映できないことに加えて、雷や霧などで上映中断することが相次いでいた。1989年春に開館し、開館時から栃木県唯一のドライブインシアターだった。これまでに158本の作品を上映した。1人乗り1台1600円、2人以上の場合は一律で3200円だった。最終上映作品は『レインメーカー』。*17
所在地 : 栃木県真岡市荒町1040(1976年)
開館年 : 1911年、1949年10月
閉館年 : 1976年頃
跡地は「足利銀行真岡支店」北西130mにある建物。最寄駅は真岡鐵道真岡線真岡駅。
大正末期頃の真岡町の門前付近の地図あり。「真盛座」が描かれている。1911年に常設の劇場として建てられた。荒町の長蓮寺と田町の般若寺の間の一帯が門前と称され、古くから真岡町における遊興地区としての性格を有していた。*20
1925年の『大日本職業別明細図之内』「真岡町」には「劇場」が描かれている。*21
真岡町に「真盛座」があり、後に「真映」となった。やがて「真岡東宝」も開館した。*22
松原公二。1909年4月1日生まれ。出身地は益子町大字益子1067。現住所は真岡市大字新町2094。1956年現在は「真岡東宝」と「真映劇場」の館主。*23
1980年1月、真岡市の「真映劇場」が解体された。*24
開館年 : 1911年、1949年10月
閉館年 : 1976年頃
跡地は「足利銀行真岡支店」北西130mにある建物。最寄駅は真岡鐵道真岡線真岡駅。
大正末期頃の真岡町の門前付近の地図あり。「真盛座」が描かれている。1911年に常設の劇場として建てられた。荒町の長蓮寺と田町の般若寺の間の一帯が門前と称され、古くから真岡町における遊興地区としての性格を有していた。*20
1925年の『大日本職業別明細図之内』「真岡町」には「劇場」が描かれている。*21
真岡町に「真盛座」があり、後に「真映」となった。やがて「真岡東宝」も開館した。*22
松原公二。1909年4月1日生まれ。出身地は益子町大字益子1067。現住所は真岡市大字新町2094。1956年現在は「真岡東宝」と「真映劇場」の館主。*23
1980年1月、真岡市の「真映劇場」が解体された。*24
所在地 : 栃木県芳賀郡益子町960(1963年)
開館年 : 1916年5月
閉館年 : 1963年頃
跡地は「益子保育園」東60mの複数の民家。最寄駅は真岡鐵道真岡線益子駅。
2015年に益子町で開催された土祭(ひじさい)では、「まちなか映画館 太平座」というプログラムが行われ、太平座で映写技師を務めた石原賢から話を伺う企画もあった。*25
開館年 : 1916年5月
閉館年 : 1963年頃
跡地は「益子保育園」東60mの複数の民家。最寄駅は真岡鐵道真岡線益子駅。
2015年に益子町で開催された土祭(ひじさい)では、「まちなか映画館 太平座」というプログラムが行われ、太平座で映写技師を務めた石原賢から話を伺う企画もあった。*25
所在地 : 栃木県芳賀郡茂木町大字茂木178 スーパーマーケットかましん2階もぴあホール(2025年)
開館年 : 1993年
閉館年 : 2024年頃
最寄駅は真岡鐵道真岡線茂木駅。
1913年、芳賀郡茂木町に滝田和泉によって舞台付きの劇場「大正座」が開館した。戦時中には女優の水戸光子や俳優の玉川良一らが訪れ、戦後には俳優の舟木一夫らが訪れた。1986年の茂木水害後に移築され、2013年現在は3代目の滝田虎男(75)が経営している。*32
開館年 : 1993年
閉館年 : 2024年頃
最寄駅は真岡鐵道真岡線茂木駅。
1913年、芳賀郡茂木町に滝田和泉によって舞台付きの劇場「大正座」が開館した。戦時中には女優の水戸光子や俳優の玉川良一らが訪れ、戦後には俳優の舟木一夫らが訪れた。1986年の茂木水害後に移築され、2013年現在は3代目の滝田虎男(75)が経営している。*32
所在地 : 栃木県栃木市泉町366(1965年)
開館年 : 1950年9月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「雲龍寺」西70mの信栄興業管理「月極高田駐車場」。最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1959年9月22日、栃木市泉町313の「白百合座」は平屋建に改装し、「スカラ座」に改称した。定員250人。支配人は小野公寛。*33
開館年 : 1950年9月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「雲龍寺」西70mの信栄興業管理「月極高田駐車場」。最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1959年9月22日、栃木市泉町313の「白百合座」は平屋建に改装し、「スカラ座」に改称した。定員250人。支配人は小野公寛。*33
所在地 : 栃木県栃木市万町20-24(1972年)
開館年 : 1899年5月、1949年6月
閉館年 : 1972年4月9日
跡地は「下野新聞社栃木支局」東南東110mにある「田村駐車場」。最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1894年5月、栃木町万町の田村小路に栃木米麻麦取引所が設立された。1898年5月には栃木米麻麦取引所が入舟町に移転した。もとの建物はやがて劇場「明治座」となった。1897年頃の栃木米麻麦取引所の写真あり。*34
1899年1月には栃木町に栃木劇場合資会社が設立され、5月3日には劇場「明治座」の落成式が行われた。初興行には東京・明治座所属の市川小団次、市川寿美蔵、中村富十郎が来演した。*35
明治時代の栃木町にあった「明治座」の写真あり。1899年に落成し、こけら落としには市川小団次らが来演した。*36
大正末期から昭和初期の栃木町にあった「明治座」の写真あり。現在の栃木市役所の正面、下野新聞社栃木支局の脇を入った場所にあり、前の通りは明治座通りと呼ばれた。明治時代に開館し、1907年の栃木県営業便覧にも掲載されている。戦後すぐには美空ひばりの歌謡ショーが開催された。その後は映画館として使用され、「ひかり座」や「セントラル座」に改称した。*37
1925年の『大日本職業別明細図之内』「栃木町」には「明治座」が描かれている。*38
1934年の『大日本職業別明細図 第388号』「栃木町」には「明治座」「日活館」が描かれている。*39
1935年頃の栃木町にあった「明治座」前で撮られた栃木県料理業大会の記念写真あり。明治座は演芸のほかに催しにも使用された。*40
1972年4月9日、栃木市の大火によって映画館を含む7棟約150平方メートルが全焼した。*41
開館年 : 1899年5月、1949年6月
閉館年 : 1972年4月9日
跡地は「下野新聞社栃木支局」東南東110mにある「田村駐車場」。最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1894年5月、栃木町万町の田村小路に栃木米麻麦取引所が設立された。1898年5月には栃木米麻麦取引所が入舟町に移転した。もとの建物はやがて劇場「明治座」となった。1897年頃の栃木米麻麦取引所の写真あり。*34
1899年1月には栃木町に栃木劇場合資会社が設立され、5月3日には劇場「明治座」の落成式が行われた。初興行には東京・明治座所属の市川小団次、市川寿美蔵、中村富十郎が来演した。*35
明治時代の栃木町にあった「明治座」の写真あり。1899年に落成し、こけら落としには市川小団次らが来演した。*36
大正末期から昭和初期の栃木町にあった「明治座」の写真あり。現在の栃木市役所の正面、下野新聞社栃木支局の脇を入った場所にあり、前の通りは明治座通りと呼ばれた。明治時代に開館し、1907年の栃木県営業便覧にも掲載されている。戦後すぐには美空ひばりの歌謡ショーが開催された。その後は映画館として使用され、「ひかり座」や「セントラル座」に改称した。*37
1925年の『大日本職業別明細図之内』「栃木町」には「明治座」が描かれている。*38
1934年の『大日本職業別明細図 第388号』「栃木町」には「明治座」「日活館」が描かれている。*39
1935年頃の栃木町にあった「明治座」前で撮られた栃木県料理業大会の記念写真あり。明治座は演芸のほかに催しにも使用された。*40
1972年4月9日、栃木市の大火によって映画館を含む7棟約150平方メートルが全焼した。*41
所在地 : 栃木県栃木市境町8-23(1982年)
開館年 : 1925年以前、1950年3月
閉館年 : 1982年頃
跡地は「栃木銀行栃木支店」北西120mにある建物。最寄駅はJR両毛線・東武日光線栃木駅。
1934年の『大日本職業別明細図 第388号』「栃木町」には「明治座」「日活館」が描かれている。*42
1951年に描かれた「栃木市鳥観図」によると、当時の栃木市には日活系の「松竹館」、「明治座」、「文化会館」、洋画館「白百合座」の4館の映画館があった。松竹館は栃木駅前広場の北側、目抜き通りより一本西側の通り沿いにあった。残りの3館は商店街の北にある万町交番前交差点周辺にあった。*43
開館年 : 1925年以前、1950年3月
閉館年 : 1982年頃
跡地は「栃木銀行栃木支店」北西120mにある建物。最寄駅はJR両毛線・東武日光線栃木駅。
1934年の『大日本職業別明細図 第388号』「栃木町」には「明治座」「日活館」が描かれている。*42
1951年に描かれた「栃木市鳥観図」によると、当時の栃木市には日活系の「松竹館」、「明治座」、「文化会館」、洋画館「白百合座」の4館の映画館があった。松竹館は栃木駅前広場の北側、目抜き通りより一本西側の通り沿いにあった。残りの3館は商店街の北にある万町交番前交差点周辺にあった。*43
所在地 : 栃木県栃木市万町11-14(1988年)
開館年 : 1947年1月
閉館年 : 1988年頃
跡地は「栃木市役所本庁舎立体駐車場」建物北側。最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1956年8月13日の栃木市で撮られた万町3丁目の子ども会結成記念写真あり。背後は映画館「文化会館」である。「東映」の文字が見える。*44
開館年 : 1947年1月
閉館年 : 1988年頃
跡地は「栃木市役所本庁舎立体駐車場」建物北側。最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1956年8月13日の栃木市で撮られた万町3丁目の子ども会結成記念写真あり。背後は映画館「文化会館」である。「東映」の文字が見える。*44
所在地 : 栃木県栃木市箱森町38-40 ジャスコ栃木1階(1998年)
開館年 : 1986年頃
閉館年 : 1999年5月
最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1999年5月、栃木市唯一の映画館だった「ジャスコ・ファミリー・シアター栃木」が閉館した。このほど栃木市の映画ファンは会員制鑑賞サークル「蔵の街名画劇場」を結成し、7月15日にはとちぎ蔵の街観光館で初の上映会を開催する。観光館には今年度に映写機が設置されていた。不朽の名作『カサブランカ』を上映する。大平・宇都宮・佐野などからも予約が入り、70席分が10日間ほどで完売した。*45
開館年 : 1986年頃
閉館年 : 1999年5月
最寄駅は東武宇都宮線・日光線新栃木駅。
1999年5月、栃木市唯一の映画館だった「ジャスコ・ファミリー・シアター栃木」が閉館した。このほど栃木市の映画ファンは会員制鑑賞サークル「蔵の街名画劇場」を結成し、7月15日にはとちぎ蔵の街観光館で初の上映会を開催する。観光館には今年度に映写機が設置されていた。不朽の名作『カサブランカ』を上映する。大平・宇都宮・佐野などからも予約が入り、70席分が10日間ほどで完売した。*45
所在地 : 栃木県小山市中央町3-4-11(1992年)
開館年 : 1949年、1954年6月
閉館年 : 1992年頃
跡地は商業ビル「ロブレ632」建物東端部。最寄駅はJR小山駅。
1949年、小山町に映画館「銀星座」が開業した。*49
1951年の『小山町勢要覧』には「銀星座」の広告が掲載されている。「映画演劇の殿堂 清和工業株式会社」「小山駅前 電話509番」とある。*50
1952年の『小山町勢要覧』に掲載されている「小山町全図」には、「銀星座」、「昭和館」、「小山劇場」の場所に映画館の記号が描かれている。*51
1964年4月5日、小山市の小山駅前の映画館など6棟が焼失する火事があり、消防士2人が殉職した。*52
1964年4月5日午前3時20分頃、小山市本町の運動具店から出火し、隣接する映画館「銀星座」など4棟が焼失した。この火事によって消防士3人が焼死した。*53
開館年 : 1949年、1954年6月
閉館年 : 1992年頃
跡地は商業ビル「ロブレ632」建物東端部。最寄駅はJR小山駅。
1949年、小山町に映画館「銀星座」が開業した。*49
1951年の『小山町勢要覧』には「銀星座」の広告が掲載されている。「映画演劇の殿堂 清和工業株式会社」「小山駅前 電話509番」とある。*50
1952年の『小山町勢要覧』に掲載されている「小山町全図」には、「銀星座」、「昭和館」、「小山劇場」の場所に映画館の記号が描かれている。*51
1964年4月5日、小山市の小山駅前の映画館など6棟が焼失する火事があり、消防士2人が殉職した。*52
1964年4月5日午前3時20分頃、小山市本町の運動具店から出火し、隣接する映画館「銀星座」など4棟が焼失した。この火事によって消防士3人が焼死した。*53
所在地 : 栃木県小山市中央町2-8-18(1999年)
開館年 : 1940年12月
閉館年 : 1999年頃
跡地は「足利銀行尾山支店」が入る高層マンション「アトラスタワー小山城山町」南西60mの駐車場。最寄駅はJR小山駅。
1952年の『小山町勢要覧』に掲載されている「小山町全図」には、「銀星座」、「昭和館」、「小山劇場」の場所に映画館の記号が描かれている。*54
開館年 : 1940年12月
閉館年 : 1999年頃
跡地は「足利銀行尾山支店」が入る高層マンション「アトラスタワー小山城山町」南西60mの駐車場。最寄駅はJR小山駅。
1952年の『小山町勢要覧』に掲載されている「小山町全図」には、「銀星座」、「昭和館」、「小山劇場」の場所に映画館の記号が描かれている。*54
所在地 : 栃木県小山市中央町3-7-1 ロブレビル7階(2025年)
開館年 : 1994年6月9日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小山シネマロブレ
最寄駅はJR小山駅。
1994年6月8日、小山市に商業複合ビル「ロブレ」がオープンする。JR小山駅西口の再開発事業の核となり、キーテナントはイズミヤ。7階と8階には栃木県最大規模の映画街「シネマロブレ5」が入る。ロブレはスペイン語で樫の木を意味し、小山市の木であるシラカシに因んでいる。*55
1994年6月9日、有限会社銀星会館によって小山市のロブレビル7階に「シネマロブレ」が開館した。旧5スクリーン計670席。*56
1995年6月9日、小山市の商業複合ビル「ロブレ」の開業から1年が経った。JR小山駅西口再開発事業として建てられた。北関東では初めて同一階に5館を設置した「シネマロブレ5」がある。*57
開館年 : 1994年6月9日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小山シネマロブレ
最寄駅はJR小山駅。
1994年6月8日、小山市に商業複合ビル「ロブレ」がオープンする。JR小山駅西口の再開発事業の核となり、キーテナントはイズミヤ。7階と8階には栃木県最大規模の映画街「シネマロブレ5」が入る。ロブレはスペイン語で樫の木を意味し、小山市の木であるシラカシに因んでいる。*55
1994年6月9日、有限会社銀星会館によって小山市のロブレビル7階に「シネマロブレ」が開館した。旧5スクリーン計670席。*56
1995年6月9日、小山市の商業複合ビル「ロブレ」の開業から1年が経った。JR小山駅西口再開発事業として建てられた。北関東では初めて同一階に5館を設置した「シネマロブレ5」がある。*57
所在地 : 栃木県小山市喜沢1475 おやまゆうえんハーヴェストウォーク内モール棟2階(2026年)
開館年 : 2007年7月
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小山シネマハーヴェスト
港町キネマ通り : シネマハーヴェスト
最寄駅はJR小山駅。
開館年 : 2007年7月
閉館年 : 営業中
公式サイト : 小山シネマハーヴェスト
港町キネマ通り : シネマハーヴェスト
最寄駅はJR小山駅。
所在地 : 栃木県上都賀郡足尾町上間藤(1936年)
開館年 : 1917年
閉館年 : 1936年以後1941年以前
時期不明の足尾町上間藤(かみまとう)にあった劇場「城崎座」(しろさきざ)の写真あり。城崎氏が建てたことが名称の由来である。城崎座は1917年に建てられ、松本幸四郎一座がこけら落とし公演を行った。その他には市川猿之介、中村勘三郎などが来演している。半円形の屋根が特徴的であり、廻り舞台も有していた。終戦前に建物を取り壊して売却し、3000円(現在の価値で約540万円)の収益を上げた。城崎氏はこのお金で芸者を見受けしたが、芸者は1週間で逃げた。*60
1917年、足尾町上間藤に「城崎座」が建てられた。約1200人を収容した。歌舞伎、連鎖劇、映画などの興行が行われ、集会場としても用いられた。1943年に取り壊された。*61
開館年 : 1917年
閉館年 : 1936年以後1941年以前
時期不明の足尾町上間藤(かみまとう)にあった劇場「城崎座」(しろさきざ)の写真あり。城崎氏が建てたことが名称の由来である。城崎座は1917年に建てられ、松本幸四郎一座がこけら落とし公演を行った。その他には市川猿之介、中村勘三郎などが来演している。半円形の屋根が特徴的であり、廻り舞台も有していた。終戦前に建物を取り壊して売却し、3000円(現在の価値で約540万円)の収益を上げた。城崎氏はこのお金で芸者を見受けしたが、芸者は1週間で逃げた。*60
1917年、足尾町上間藤に「城崎座」が建てられた。約1200人を収容した。歌舞伎、連鎖劇、映画などの興行が行われ、集会場としても用いられた。1943年に取り壊された。*61
所在地 : 栃木県上都賀郡足尾町赤河2554(1953年)
開館年 : 明治30年代後半
閉館年 : 1953年頃
跡地は「蓮慶寺」南東70mにある「日光市足尾保健・高齢者生活福祉センター銅やまなみ館」廃墟。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線通洞駅。
大正初期の足尾町にあった「金田座」で行われた裁判の写真あり。西岡県議会議員の姿が見える。*64
大正後期の足尾町にあった「金田座」で行われた後藤新平の演説会の写真あり。後藤は足尾銅山の第1次鉱毒調査会委員を務めた。*65
足尾町の劇場「金田座」(かねたざ)。名称は座主の金田徳松に由来する。1908年刊行の『足尾案内 銅山大観』によると明治30年代後半の建築とされる。木造2階建てであり、収容人員は3000人を超した。1919年の足尾銅山争議の際には、解雇反対・飯場制度撤廃を掲げた大会の会場となった。大正初期には片山市右衛門が経営者となったが、片山市右衛門の子孫には作家の立松和平がいる。戦後には「足尾キネマ」の青木氏が経営者となり、晩年は「足尾劇場」という名称だったが、テレビの普及などによって休館した。金田座の建物は取り壊され、1998年現在の跡地には足尾町営の老人福祉施設が建っている。寛保2年(1742年)から5年間に渡って銅銭を鋳造した場所の跡地に近い。*66
1903年、足尾町赤沢に「金田座」が建てられた。後の「足尾劇場」である。金田座では映画、連鎖劇、歌舞伎、芝居などの興行が行われ、集会場としても用いられた。1955年頃には演劇場として足尾劇場が建てられた。足尾劇場は1993年に取り壊された。*67
開館年 : 明治30年代後半
閉館年 : 1953年頃
跡地は「蓮慶寺」南東70mにある「日光市足尾保健・高齢者生活福祉センター銅やまなみ館」廃墟。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線通洞駅。
大正初期の足尾町にあった「金田座」で行われた裁判の写真あり。西岡県議会議員の姿が見える。*64
大正後期の足尾町にあった「金田座」で行われた後藤新平の演説会の写真あり。後藤は足尾銅山の第1次鉱毒調査会委員を務めた。*65
足尾町の劇場「金田座」(かねたざ)。名称は座主の金田徳松に由来する。1908年刊行の『足尾案内 銅山大観』によると明治30年代後半の建築とされる。木造2階建てであり、収容人員は3000人を超した。1919年の足尾銅山争議の際には、解雇反対・飯場制度撤廃を掲げた大会の会場となった。大正初期には片山市右衛門が経営者となったが、片山市右衛門の子孫には作家の立松和平がいる。戦後には「足尾キネマ」の青木氏が経営者となり、晩年は「足尾劇場」という名称だったが、テレビの普及などによって休館した。金田座の建物は取り壊され、1998年現在の跡地には足尾町営の老人福祉施設が建っている。寛保2年(1742年)から5年間に渡って銅銭を鋳造した場所の跡地に近い。*66
1903年、足尾町赤沢に「金田座」が建てられた。後の「足尾劇場」である。金田座では映画、連鎖劇、歌舞伎、芝居などの興行が行われ、集会場としても用いられた。1955年頃には演劇場として足尾劇場が建てられた。足尾劇場は1993年に取り壊された。*67
所在地 : 栃木県上都賀郡足尾町1340(1964年)
開館年 : 1907年頃、1927年8月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「足尾赤倉郵便局」北北西110mの敷地。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線間藤駅。
1907年頃、足尾町上間藤に「いろは座」が建てられた。後の「エビス座」である。いろは座/エビス座は約600人を収容した。*68
1956年現在の足尾町の映画館としては、「足尾キネマ」、「エビス座」がある。松原にある足尾キネマは1902年創立であり、封切後半年ほどで各社のフィルムが回ってくる。1956年9月にはシネマスコープ上映館となった。エビス座は深沢にあり、シネマスコープ作品を除けば足尾キネマと同じ作品を上映している。かつて赤沢には1903年創立の金田座があったが、1956年現在は存在しない。足尾銅山の劇場としては、中才に「誠之館」が、本山に「直利座」があった。*69
足尾町深沢にあった映画館「エビス座」の写真あり。*70
1933年11月に撮影された足尾町中心部の映像『足尾行進曲』が発見された。映画館「エビス座」の経営者の孫が6年ほど前に発見し、このほど国立近代美術館フィルムセンターによって撮影時期が確認された。1933年11月からエビス座によって撮影が開始され、各映画館で封切りされる予定だった。2008年11月26日にはDVD化された映像が足尾公民館で上映された。*71
開館年 : 1907年頃、1927年8月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「足尾赤倉郵便局」北北西110mの敷地。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線間藤駅。
1907年頃、足尾町上間藤に「いろは座」が建てられた。後の「エビス座」である。いろは座/エビス座は約600人を収容した。*68
1956年現在の足尾町の映画館としては、「足尾キネマ」、「エビス座」がある。松原にある足尾キネマは1902年創立であり、封切後半年ほどで各社のフィルムが回ってくる。1956年9月にはシネマスコープ上映館となった。エビス座は深沢にあり、シネマスコープ作品を除けば足尾キネマと同じ作品を上映している。かつて赤沢には1903年創立の金田座があったが、1956年現在は存在しない。足尾銅山の劇場としては、中才に「誠之館」が、本山に「直利座」があった。*69
足尾町深沢にあった映画館「エビス座」の写真あり。*70
1933年11月に撮影された足尾町中心部の映像『足尾行進曲』が発見された。映画館「エビス座」の経営者の孫が6年ほど前に発見し、このほど国立近代美術館フィルムセンターによって撮影時期が確認された。1933年11月からエビス座によって撮影が開始され、各映画館で封切りされる予定だった。2008年11月26日にはDVD化された映像が足尾公民館で上映された。*71
所在地 : 栃木県上都賀郡足尾町2658(1964年)
開館年 : 1957年12月24日
閉館年 : 1969年
跡地は「鋳銭座跡碑」南20mの敷地。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線通洞駅。
焼失した「東映末広映画劇場」の写真あり。1989年現在の足利銀行の場所にあった。*74
1902年、足尾町に映画館「足尾キネマ」が建った。1903年、「金田座」(足尾劇場)が建った。1917年、上間藤に「城崎座」が建った。1931年、本山に「直利座」が建った。1969年には赤沢で連続火災が発生し、「末広劇場」など19世帯73人が罹災した。同年には松原大火災が発生し、足尾キネマなど30世帯が全半焼して104人が罹災した。*75
1957年12月24日のクリスマスイブ、足尾町の「足尾東映」が『旗本退屈男』と『ピラミッド』で開館した。映写技師は「桐生映劇」にいた楚山行雄。小滝の映画館を移築した建物であり、座席は当時としては珍しい1人掛け椅子だった。高倉健、小宮みつえ、朝比奈朋子が来館する実演の興行もあった。*76
1957年頃、足尾町赤沢に「足尾東映末広映画劇場」が建てられた。約600人を収容した。1969年に焼失した。*77
開館年 : 1957年12月24日
閉館年 : 1969年
跡地は「鋳銭座跡碑」南20mの敷地。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線通洞駅。
焼失した「東映末広映画劇場」の写真あり。1989年現在の足利銀行の場所にあった。*74
1902年、足尾町に映画館「足尾キネマ」が建った。1903年、「金田座」(足尾劇場)が建った。1917年、上間藤に「城崎座」が建った。1931年、本山に「直利座」が建った。1969年には赤沢で連続火災が発生し、「末広劇場」など19世帯73人が罹災した。同年には松原大火災が発生し、足尾キネマなど30世帯が全半焼して104人が罹災した。*75
1957年12月24日のクリスマスイブ、足尾町の「足尾東映」が『旗本退屈男』と『ピラミッド』で開館した。映写技師は「桐生映劇」にいた楚山行雄。小滝の映画館を移築した建物であり、座席は当時としては珍しい1人掛け椅子だった。高倉健、小宮みつえ、朝比奈朋子が来館する実演の興行もあった。*76
1957年頃、足尾町赤沢に「足尾東映末広映画劇場」が建てられた。約600人を収容した。1969年に焼失した。*77
所在地 : 栃木県上都賀郡足尾町9-3(1969年)
開館年 : 1902年
閉館年 : 1969年
跡地は「食事処川本」南50mにある建物。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線通洞駅。
1956年現在の足尾町の映画館としては、「足尾キネマ」、「エビス座」がある。松原にある足尾キネマは1902年創立であり、封切後半年ほどで各社のフィルムが回ってくる。1956年9月にはシネマスコープ上映館となった。エビス座は深沢にあり、シネマスコープ作品を除けば足尾キネマと同じ作品を上映している。かつて赤沢には1903年創立の金田座があったが、1956年現在は存在しない。足尾銅山の劇場としては、中才に「誠之館」が、本山に「直利座」があった。*78
1902年頃、足尾町松原に「足尾館」が建てられた。後の「足尾キネマ」である。足尾館/足尾キネマは約600人を収容した。1969年に焼失した。*79
1902年、足尾町に「足尾館」が建てられた。1956年現在の「足尾キネマ」である。*80
1956年9月、足尾町の映画館「足尾キネマ」でシネマスコープが上映されるようになる。*81
足尾町にあった映画館「足尾キネマ」と「エビス座」の映画割引券『ターザン大いに怒る』『蛮族の恐怖』『金星ロケット発進す』『底抜け宇宙旅行』の写真あり。*82
1902年、足尾町に映画館「足尾キネマ」が建った。1903年、「金田座」(足尾劇場)が建った。1917年、上間藤に「城崎座」が建った。1931年、本山に「直利座」が建った。1969年には赤沢で連続火災が発生し、「末広劇場」など19世帯73人が罹災した。同年には松原大火災が発生し、足尾キネマなど30世帯が全半焼して104人が罹災した。*83
川本料理店の前の道を進むと、右側に高橋クリーニング商会と書かれた建物がある。その脇の道に入ると、高橋クリーニング商会が細長い区画であることがわかる。かつてこの場所には「足尾キネマ」という映画館があった。600人を収容した。足尾キネマは1969年に焼失した。*84
1953年4月5日昼間、宇都宮市の映画館「民映」が全焼した。観客に被害はなかったが支配人ら従業員6人が焼死した。火災時の写真あり。*85
開館年 : 1902年
閉館年 : 1969年
跡地は「食事処川本」南50mにある建物。最寄駅はわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線通洞駅。
1956年現在の足尾町の映画館としては、「足尾キネマ」、「エビス座」がある。松原にある足尾キネマは1902年創立であり、封切後半年ほどで各社のフィルムが回ってくる。1956年9月にはシネマスコープ上映館となった。エビス座は深沢にあり、シネマスコープ作品を除けば足尾キネマと同じ作品を上映している。かつて赤沢には1903年創立の金田座があったが、1956年現在は存在しない。足尾銅山の劇場としては、中才に「誠之館」が、本山に「直利座」があった。*78
1902年頃、足尾町松原に「足尾館」が建てられた。後の「足尾キネマ」である。足尾館/足尾キネマは約600人を収容した。1969年に焼失した。*79
1902年、足尾町に「足尾館」が建てられた。1956年現在の「足尾キネマ」である。*80
1956年9月、足尾町の映画館「足尾キネマ」でシネマスコープが上映されるようになる。*81
足尾町にあった映画館「足尾キネマ」と「エビス座」の映画割引券『ターザン大いに怒る』『蛮族の恐怖』『金星ロケット発進す』『底抜け宇宙旅行』の写真あり。*82
1902年、足尾町に映画館「足尾キネマ」が建った。1903年、「金田座」(足尾劇場)が建った。1917年、上間藤に「城崎座」が建った。1931年、本山に「直利座」が建った。1969年には赤沢で連続火災が発生し、「末広劇場」など19世帯73人が罹災した。同年には松原大火災が発生し、足尾キネマなど30世帯が全半焼して104人が罹災した。*83
川本料理店の前の道を進むと、右側に高橋クリーニング商会と書かれた建物がある。その脇の道に入ると、高橋クリーニング商会が細長い区画であることがわかる。かつてこの場所には「足尾キネマ」という映画館があった。600人を収容した。足尾キネマは1969年に焼失した。*84
1953年4月5日昼間、宇都宮市の映画館「民映」が全焼した。観客に被害はなかったが支配人ら従業員6人が焼死した。火災時の写真あり。*85
所在地 : 栃木県日光市御幸町578(2008年)
開館年 : 1930年以後1934年以前、1953年3月
閉館年 : 2008年頃(移転)
跡地は1993年竣工のマンション「ブランニュー・スクエア」。最寄駅は東武日光線東武日光駅。
1959年1月2日、日光市御幸町に東映専門館「日光映劇」が開館した。経営は日光劇場館主の福田菊治。総工費800万円。鉄筋造平屋建て。シネスコ設備を有する。日光市の常設館は3館となった。*86
1962年5月20日午前0時10分頃、日光市御幸町の「日光劇場」から出火し、木造2階建ての劇場が焼失した。経営は守田屋興業部の福田菊雄。*87
1962年6月20日、日光市御幸町の「日光劇場」が全焼した。*88
村松友視『黄昏のムービー・パレス』には、「日光劇場」に関する随筆が掲載されている。*89
開館年 : 1930年以後1934年以前、1953年3月
閉館年 : 2008年頃(移転)
跡地は1993年竣工のマンション「ブランニュー・スクエア」。最寄駅は東武日光線東武日光駅。
1959年1月2日、日光市御幸町に東映専門館「日光映劇」が開館した。経営は日光劇場館主の福田菊治。総工費800万円。鉄筋造平屋建て。シネスコ設備を有する。日光市の常設館は3館となった。*86
1962年5月20日午前0時10分頃、日光市御幸町の「日光劇場」から出火し、木造2階建ての劇場が焼失した。経営は守田屋興業部の福田菊雄。*87
1962年6月20日、日光市御幸町の「日光劇場」が全焼した。*88
村松友視『黄昏のムービー・パレス』には、「日光劇場」に関する随筆が掲載されている。*89
所在地 : 栃木県大田原市大田原町2222(1964年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1963年
1957年には大田原市(現・中央1丁目3番地)に「大田原劇場」が創立したが、1963年に閉館して山崎百貨店に転向した。*92
開館年 : 1957年
閉館年 : 1963年
1957年には大田原市(現・中央1丁目3番地)に「大田原劇場」が創立したが、1963年に閉館して山崎百貨店に転向した。*92
所在地 : 栃木県大田原市中央1-1-3(1981年)
開館年 : 1946年11月
閉館年 : 1981年頃
跡地は「大田原商工会議所」西南西60mにある駐車場。最寄駅はJR宇都宮線西那須野駅。
1946年には大田原市(現・中央1丁目1番地)に「東宝劇場」が創立し、後に「セントラル劇場」に改称した。1974年現在も営業中である。*95
1951年頃の大田原市にあった「大田原東宝劇場」の写真あり。鶴田浩二主演の松竹作品『男の哀愁』、サマセット・モーム原作のアメリカ映画『四重奏』の看板が見える。*96
1952年11月18日、那須郡大田原町の目抜き通りで大火が発生したが、「東宝映画館」は類焼を免れた。11月19日、『丹下左膳』と『湯の町しぐれ』で入場料10円の大火見舞興行を行い、当日の収入全額を被災者に贈った。経営者は加藤晃。*97
開館年 : 1946年11月
閉館年 : 1981年頃
跡地は「大田原商工会議所」西南西60mにある駐車場。最寄駅はJR宇都宮線西那須野駅。
1946年には大田原市(現・中央1丁目1番地)に「東宝劇場」が創立し、後に「セントラル劇場」に改称した。1974年現在も営業中である。*95
1951年頃の大田原市にあった「大田原東宝劇場」の写真あり。鶴田浩二主演の松竹作品『男の哀愁』、サマセット・モーム原作のアメリカ映画『四重奏』の看板が見える。*96
1952年11月18日、那須郡大田原町の目抜き通りで大火が発生したが、「東宝映画館」は類焼を免れた。11月19日、『丹下左膳』と『湯の町しぐれ』で入場料10円の大火見舞興行を行い、当日の収入全額を被災者に贈った。経営者は加藤晃。*97
所在地 : 栃木県大田原市山の手1-4-13(1999年)
開館年 : 1905年以前
閉館年 : 1999年頃
跡地は「洞泉院」本堂北東60mにある像のある墓地。最寄駅はJR宇都宮線西那須野駅。
大田原市山の手1丁目4番地にある「新朝日座」には、1905年には東京の春木座が来演した記録がある。旧称は「第二兄弟館」、「朝日座」。1974年現在も営業中である。*98
開館年 : 1905年以前
閉館年 : 1999年頃
跡地は「洞泉院」本堂北東60mにある像のある墓地。最寄駅はJR宇都宮線西那須野駅。
大田原市山の手1丁目4番地にある「新朝日座」には、1905年には東京の春木座が来演した記録がある。旧称は「第二兄弟館」、「朝日座」。1974年現在も営業中である。*98
所在地 : 栃木県那須郡西那須野町(1958年)
開館年 : 1927年
閉館年 : 1958年頃
跡地は「妙要寺」南西90mの民家数軒。最寄駅はJR東北本線西那須野駅。
1918年4月には南郷屋で日蓮宗寺院の建立に着手され、1922年11月に妙要寺が落成した。妙要寺の近くには映画館「平和館」が建てられた。*99
戦前の西那須野町には、1927年に設立された「平和館」があった。*100
1927年には那須郡狩野村南郷屋に「平和館」が開場した。1階は板の間の椅子席、2階は畳敷き席だった。1955年頃の平和館の写真あり。*101
昭和30年代の南郷屋の写真あり。奥には西那須野に初めてできた映画館「平和館」の大きな建物が映っている。1926年頃に建設が開始され、1927年に開館した。昭和30年代に閉館した。*102
昭和中期の南郷屋にあった映画館「平和館」の写真あり。ファサードの上部に「和平」の文字が見える。美空ひばり、フランク永井などの歌謡ショーも開催された。*103
1958年の西那須野町の西栄町にあった映画館「平和館」の写真あり。「タカラビール」「歓迎 平和通り」のネオンが見える。1927年に開館した巨大な映画館である。西那須野駅近くから高柳方面に向かう道路沿いにあった。通りは平和通りと呼ばれ、1975年時点で23店が並ぶ商店街となった。*104
開館年 : 1927年
閉館年 : 1958年頃
跡地は「妙要寺」南西90mの民家数軒。最寄駅はJR東北本線西那須野駅。
1918年4月には南郷屋で日蓮宗寺院の建立に着手され、1922年11月に妙要寺が落成した。妙要寺の近くには映画館「平和館」が建てられた。*99
戦前の西那須野町には、1927年に設立された「平和館」があった。*100
1927年には那須郡狩野村南郷屋に「平和館」が開場した。1階は板の間の椅子席、2階は畳敷き席だった。1955年頃の平和館の写真あり。*101
昭和30年代の南郷屋の写真あり。奥には西那須野に初めてできた映画館「平和館」の大きな建物が映っている。1926年頃に建設が開始され、1927年に開館した。昭和30年代に閉館した。*102
昭和中期の南郷屋にあった映画館「平和館」の写真あり。ファサードの上部に「和平」の文字が見える。美空ひばり、フランク永井などの歌謡ショーも開催された。*103
1958年の西那須野町の西栄町にあった映画館「平和館」の写真あり。「タカラビール」「歓迎 平和通り」のネオンが見える。1927年に開館した巨大な映画館である。西那須野駅近くから高柳方面に向かう道路沿いにあった。通りは平和通りと呼ばれ、1975年時点で23店が並ぶ商店街となった。*104
所在地 : 栃木県那須郡黒磯町206(1963年)
開館年 : 1951年1月
閉館年 : 1963年頃
最寄駅はJR東北本線黒磯駅。
1960年1月3日、黒磯町の黒磯駅前の「東映映画劇場」において、伊藤実(22)が田村康男(17)を短刀で刺し殺した。*105
開館年 : 1951年1月
閉館年 : 1963年頃
最寄駅はJR東北本線黒磯駅。
1960年1月3日、黒磯町の黒磯駅前の「東映映画劇場」において、伊藤実(22)が田村康男(17)を短刀で刺し殺した。*105
所在地 : 栃木県那須郡西那須野町永田町6-7(1998年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1997年
跡地は「那須信用組合本店営業部」南東隣にある学習塾「グラントン学院」。最寄駅はJR東北本線西那須野駅。
1946年には西那須野駅前に「太陽劇場」が開館し、映画に加えて芝居・浪曲・演劇・演奏会などが催された。なお、桜通りと駅前通りの間には西郷別邸があったが、1947年に解放されている。1951年には「西那須劇場」(西劇)が開館して映画を上映した。1951年の開館時の西那須劇場の写真あり。「NISHINASU GEKIJO」の文字が見える。*106
1987年7月の西那須野町永田町6番7号にあった「太陽劇場」の写真あり。太陽劇場は1946年に開館し、映画のほかに浪曲や演劇の興行、各種集会などに用いられた。太陽劇場は1997年に閉館した。*107
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1997年
跡地は「那須信用組合本店営業部」南東隣にある学習塾「グラントン学院」。最寄駅はJR東北本線西那須野駅。
1946年には西那須野駅前に「太陽劇場」が開館し、映画に加えて芝居・浪曲・演劇・演奏会などが催された。なお、桜通りと駅前通りの間には西郷別邸があったが、1947年に解放されている。1951年には「西那須劇場」(西劇)が開館して映画を上映した。1951年の開館時の西那須劇場の写真あり。「NISHINASU GEKIJO」の文字が見える。*106
1987年7月の西那須野町永田町6番7号にあった「太陽劇場」の写真あり。太陽劇場は1946年に開館し、映画のほかに浪曲や演劇の興行、各種集会などに用いられた。太陽劇場は1997年に閉館した。*107
所在地 : 栃木県那須郡西那須町永田町6-3(1999年)
開館年 : 1951年2月
閉館年 : 1999年頃
跡地は「大田原信用金庫西那須野支店」南南西60mにある駐車場。最寄駅はJR東北本線西那須野駅。
1946年には西那須野駅前に「太陽劇場」が開館し、映画に加えて芝居・浪曲・演劇・演奏会などが催された。なお、桜通りと駅前通りの間には西郷別邸があったが、1947年に解放されている。1951年には「西那須劇場」(西劇)が開館して映画を上映した。1951年の開館時の西那須劇場の写真あり。「NISHINASU GEKIJO」の文字が見える。*108
1987年7月の西那須野町永田町6番3号にあった「西那須野劇場」の写真あり。西那須野劇場は1951年に開館し、「西劇」と呼ばれて親しまれた。西那須野劇場は2001年に建物が取り壊された。*109
開館年 : 1951年2月
閉館年 : 1999年頃
跡地は「大田原信用金庫西那須野支店」南南西60mにある駐車場。最寄駅はJR東北本線西那須野駅。
1946年には西那須野駅前に「太陽劇場」が開館し、映画に加えて芝居・浪曲・演劇・演奏会などが催された。なお、桜通りと駅前通りの間には西郷別邸があったが、1947年に解放されている。1951年には「西那須劇場」(西劇)が開館して映画を上映した。1951年の開館時の西那須劇場の写真あり。「NISHINASU GEKIJO」の文字が見える。*108
1987年7月の西那須野町永田町6番3号にあった「西那須野劇場」の写真あり。西那須野劇場は1951年に開館し、「西劇」と呼ばれて親しまれた。西那須野劇場は2001年に建物が取り壊された。*109
所在地 : 栃木県那須塩原市豊浦12-1 ビバモール那須塩原内(2025年)
開館年 : 2009年12月19日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR東北本線黒磯駅。
2007年7月、小山市喜沢に千葉興行のシネコン「シネマハーヴェストウォーク」が開館した。2007年12月22日、足利市大月町のあしかがハーヴェストプレースに8スクリーン計1301席の「シネマックス足利」が開館した。この2008年夏、那須塩原市の国道4号沿いに開店するショッピングモール内に、栃木県北部初のシネコンが開館する予定である。一方で、1990年には宇都宮市の「松竹ミヤマス座」、1995年には「スカラ座」、1997年には「メトロ座」が閉館した。2003年と2004年には宇都宮市に相次いでシネコンが開館した。2007年11月には「宇都宮第一東宝」が休館し、2008年1月25日をもって「宇都宮テアトル」も休館する。*110
2009年12月18日、那須塩原市豊浦のショッピングモール「ビバモール那須塩原」に、9スクリーン計1410席のシネコン「フォーラム那須塩原」が開館する。運営は山形市のフォーラムマルチプレックスシアターズ。数年前には旧黒磯市にあった映画館が閉館し、県北地域は映画館空白地帯となったため、映画館で映画を観るには宇都宮市や小山市に足を運ぶ必要があった。オープニング作品はジェームズ・キャメロン監督の『アバター』など。*111
開館年 : 2009年12月19日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR東北本線黒磯駅。
2007年7月、小山市喜沢に千葉興行のシネコン「シネマハーヴェストウォーク」が開館した。2007年12月22日、足利市大月町のあしかがハーヴェストプレースに8スクリーン計1301席の「シネマックス足利」が開館した。この2008年夏、那須塩原市の国道4号沿いに開店するショッピングモール内に、栃木県北部初のシネコンが開館する予定である。一方で、1990年には宇都宮市の「松竹ミヤマス座」、1995年には「スカラ座」、1997年には「メトロ座」が閉館した。2003年と2004年には宇都宮市に相次いでシネコンが開館した。2007年11月には「宇都宮第一東宝」が休館し、2008年1月25日をもって「宇都宮テアトル」も休館する。*110
2009年12月18日、那須塩原市豊浦のショッピングモール「ビバモール那須塩原」に、9スクリーン計1410席のシネコン「フォーラム那須塩原」が開館する。運営は山形市のフォーラムマルチプレックスシアターズ。数年前には旧黒磯市にあった映画館が閉館し、県北地域は映画館空白地帯となったため、映画館で映画を観るには宇都宮市や小山市に足を運ぶ必要があった。オープニング作品はジェームズ・キャメロン監督の『アバター』など。*111
所在地 : 栃木県塩谷郡氏家町2568(1962年)
開館年 : 1930年5月
閉館年 : 1962年5月3日
跡地は高齢者介護施設「だるまの里」と思われる。最寄駅はJR宇都宮線氏家駅。
1930年、氏家町に常設映画館「氏家劇場」が開館した。当時はまだ無声映画の時代であり、上映中に弁士がまくし立てた。戦後に映画人気が高まると、氏家町の周辺でも宝積寺町、仁井田町、烏山町、矢板町などに映画館が開館した。氏家劇場のポスターは氏家町だけでなく、宝積寺町、仁井田町、喜連川町、片岡町、大宮町、小倉町にも貼られた。自転車が多数見える氏家劇場の写真あり。氏家劇場は1956年に全面改築されて背もたれ付の椅子席となった。1958年1月2日、氏家町上町の旧丸合農具製作所の一部を改装して、氏家町2番目の映画館「新生館」が開館した。娯楽映画は氏家劇場で、高尚な作品や洋画は新生館で上映された。1959年から1960年頃にはテレビが急速に普及した。1962年5月3日には氏家劇場が大火で焼失したが、観客数が減少していたため再建されることはなかった。やがて新生館ではポルノ作品が増え、ついに1975年に閉館した。1983年現在、新生館の建物はスーパーマーケットとして用いられている。*112
開館年 : 1930年5月
閉館年 : 1962年5月3日
跡地は高齢者介護施設「だるまの里」と思われる。最寄駅はJR宇都宮線氏家駅。
1930年、氏家町に常設映画館「氏家劇場」が開館した。当時はまだ無声映画の時代であり、上映中に弁士がまくし立てた。戦後に映画人気が高まると、氏家町の周辺でも宝積寺町、仁井田町、烏山町、矢板町などに映画館が開館した。氏家劇場のポスターは氏家町だけでなく、宝積寺町、仁井田町、喜連川町、片岡町、大宮町、小倉町にも貼られた。自転車が多数見える氏家劇場の写真あり。氏家劇場は1956年に全面改築されて背もたれ付の椅子席となった。1958年1月2日、氏家町上町の旧丸合農具製作所の一部を改装して、氏家町2番目の映画館「新生館」が開館した。娯楽映画は氏家劇場で、高尚な作品や洋画は新生館で上映された。1959年から1960年頃にはテレビが急速に普及した。1962年5月3日には氏家劇場が大火で焼失したが、観客数が減少していたため再建されることはなかった。やがて新生館ではポルノ作品が増え、ついに1975年に閉館した。1983年現在、新生館の建物はスーパーマーケットとして用いられている。*112
所在地 : 栃木県塩谷郡氏家町上町2379(1976年)
開館年 : 1958年1月2日
閉館年 : 1975年
跡地は「ホテル清水荘」西20mにあるホテル清水荘専用駐車場。最寄駅はJR宇都宮線氏家駅。
1930年、氏家町に常設映画館「氏家劇場」が開館した。当時はまだ無声映画の時代であり、上映中に弁士がまくし立てた。戦後に映画人気が高まると、氏家町の周辺でも宝積寺町、仁井田町、烏山町、矢板町などに映画館が開館した。氏家劇場のポスターは氏家町だけでなく、宝積寺町、仁井田町、喜連川町、片岡町、大宮町、小倉町にも貼られた。自転車が多数見える氏家劇場の写真あり。氏家劇場は1956年に全面改築されて背もたれ付の椅子席となった。1958年1月2日、氏家町上町の旧丸合農具製作所の一部を改装して、氏家町2番目の映画館「新生館」が開館した。娯楽映画は氏家劇場で、高尚な作品や洋画は新生館で上映された。1959年から1960年頃にはテレビが急速に普及した。1962年5月3日には氏家劇場が大火で焼失したが、観客数が減少していたため再建されることはなかった。やがて新生館ではポルノ作品が増え、ついに1975年に閉館した。1983年現在、新生館の建物はスーパーマーケットとして用いられている。*113
開館年 : 1958年1月2日
閉館年 : 1975年
跡地は「ホテル清水荘」西20mにあるホテル清水荘専用駐車場。最寄駅はJR宇都宮線氏家駅。
1930年、氏家町に常設映画館「氏家劇場」が開館した。当時はまだ無声映画の時代であり、上映中に弁士がまくし立てた。戦後に映画人気が高まると、氏家町の周辺でも宝積寺町、仁井田町、烏山町、矢板町などに映画館が開館した。氏家劇場のポスターは氏家町だけでなく、宝積寺町、仁井田町、喜連川町、片岡町、大宮町、小倉町にも貼られた。自転車が多数見える氏家劇場の写真あり。氏家劇場は1956年に全面改築されて背もたれ付の椅子席となった。1958年1月2日、氏家町上町の旧丸合農具製作所の一部を改装して、氏家町2番目の映画館「新生館」が開館した。娯楽映画は氏家劇場で、高尚な作品や洋画は新生館で上映された。1959年から1960年頃にはテレビが急速に普及した。1962年5月3日には氏家劇場が大火で焼失したが、観客数が減少していたため再建されることはなかった。やがて新生館ではポルノ作品が増え、ついに1975年に閉館した。1983年現在、新生館の建物はスーパーマーケットとして用いられている。*113
所在地 : 栃木県那須郡烏山町223(1960年)
開館年 : 1920年
閉館年 : 1960年頃
跡地は「久保田屋旅館」南40mの民家など。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1915年には烏山町に電燈が灯り、旧泉町に「烏山劇場」が開設された。1923年4月には烏山町と宝積寺町の間に鉄道が開通した。*114
1875年頃、那須郡烏山町田町に常舞台が建設され、歌舞伎芝居の興行などが行われたが、1897年頃に廃止された。1897年頃には烏山町裏町に「立花座」が建設され、1921年頃に改築して「新盛館」に改称した。大正末期には「烏山劇場」も建設され、旧劇のほかに活動写真も上映された。*115
1986年の『写真で見る烏山町 明治・大正・昭和』は「烏山劇場」に言及している。現物は未確認。*116
開館年 : 1920年
閉館年 : 1960年頃
跡地は「久保田屋旅館」南40mの民家など。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1915年には烏山町に電燈が灯り、旧泉町に「烏山劇場」が開設された。1923年4月には烏山町と宝積寺町の間に鉄道が開通した。*114
1875年頃、那須郡烏山町田町に常舞台が建設され、歌舞伎芝居の興行などが行われたが、1897年頃に廃止された。1897年頃には烏山町裏町に「立花座」が建設され、1921年頃に改築して「新盛館」に改称した。大正末期には「烏山劇場」も建設され、旧劇のほかに活動写真も上映された。*115
1986年の『写真で見る烏山町 明治・大正・昭和』は「烏山劇場」に言及している。現物は未確認。*116
所在地 : 栃木県那須郡烏山町鍛冶町(1967年)
開館年 : 1953年6月
閉館年 : 1967年頃
跡地は「烏山保育園駐車場」。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1953年6月1日から、那須郡烏山町で殖産興業が経営する「平和館」と長谷川興業が経営する「アサヒ座」が無期限の休業に入る。入場料値下げや抽選サービスなど、他業者が首をかしげるほどのダンピング合戦を繰り広げて共倒れとなった。*117
開館年 : 1953年6月
閉館年 : 1967年頃
跡地は「烏山保育園駐車場」。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1953年6月1日から、那須郡烏山町で殖産興業が経営する「平和館」と長谷川興業が経営する「アサヒ座」が無期限の休業に入る。入場料値下げや抽選サービスなど、他業者が首をかしげるほどのダンピング合戦を繰り広げて共倒れとなった。*117
所在地 : 栃木県那須郡烏山町金井1-10-8(1976年)
開館年 : 1953年6月
閉館年 : 1976年頃
跡地は「栃木銀行烏山支店」南西80mの更地。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1953年6月1日から、那須郡烏山町で殖産興業が経営する「平和館」と長谷川興業が経営する「アサヒ座」が無期限の休業に入る。入場料値下げや抽選サービスなど、他業者が首をかしげるほどのダンピング合戦を繰り広げて共倒れとなった。*118
開館年 : 1953年6月
閉館年 : 1976年頃
跡地は「栃木銀行烏山支店」南西80mの更地。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1953年6月1日から、那須郡烏山町で殖産興業が経営する「平和館」と長谷川興業が経営する「アサヒ座」が無期限の休業に入る。入場料値下げや抽選サービスなど、他業者が首をかしげるほどのダンピング合戦を繰り広げて共倒れとなった。*118
所在地 : 栃木県那須郡馬頭町新町(1965年)
開館年 : 1941年7月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「白寄医院」。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1913年3月、馬頭町に株式組織で「馬頭実業倶楽部」が竣工し、開場披露には東京歌舞伎の市川九団次一座が来演した。1915年には株式組織が解散して「共栄座」に改称した。1916年4月には初めて活動写真を上映し、歌舞伎、娘芝居、浪花節、活動写真、連鎖劇、手踊りなどが行われた。1934年5月に放火で焼失した。1937年7月、椅子席の劇場で再建されて「新興館」が開館した。*119
開館年 : 1941年7月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「白寄医院」。最寄駅はJR烏山線烏山駅。
1913年3月、馬頭町に株式組織で「馬頭実業倶楽部」が竣工し、開場披露には東京歌舞伎の市川九団次一座が来演した。1915年には株式組織が解散して「共栄座」に改称した。1916年4月には初めて活動写真を上映し、歌舞伎、娘芝居、浪花節、活動写真、連鎖劇、手踊りなどが行われた。1934年5月に放火で焼失した。1937年7月、椅子席の劇場で再建されて「新興館」が開館した。*119

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小山市の銀星座は今のシネマロブレ5です。