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hekikaicinema 2026年09月06日(日) 01:58:29履歴
所在地 : 徳島県徳島市塀裏土手町(1934年)
開館年 : 1929年5月
閉館年 : 1934年以後1936年以前
1929年5月、徳島市の丸新百貨店の南に「徳島映画劇場」が開館した。通称は徳劇。*4
開館年 : 1929年5月
閉館年 : 1934年以後1936年以前
1929年5月、徳島市の丸新百貨店の南に「徳島映画劇場」が開館した。通称は徳劇。*4
所在地 : 徳島県徳島市秋田町1-36(1955年)
開館年 : 1934年12月、1952年12月
閉館年 : 1957年4月
跡地はビジネスホテル「ファーストイン徳島」。最寄駅はJR牟岐線二軒屋駅。
1934年12月、徳島市秋田町の劇場「新富座」が常設映画館に転向した。1936年1月の火災で全焼したが、同年9月には「信富座」に改称して開館した。*8
1936年1月29日午前4時40分頃、徳島市秋田町1丁目の映画館「新富座」から出火し、劇場と隣接する民家4戸が全焼、1戸が半焼した。*9
1957年のこのほど、徳島市の「シントミ座」が一時閉館した。鉄筋造3階建に改築するために4月から休館して準備を進めていたが、立地条件の悪さ、建坪の狭さ、徳島市の映画館数の多さなどから方針を転換した。戦後に洋画封切館として発足し、多くの固定客を持っていたため、関係者から惜しまれている。*10
1958年頃の徳島市にあった洋画館「新富座」の写真あり。「新富座」「欧米映画封切」「Motion Picture of the World」の文字が見える。1946年に洋画専門館「信富座」として開館し、やがて新富座に改称した。*11
開館年 : 1934年12月、1952年12月
閉館年 : 1957年4月
跡地はビジネスホテル「ファーストイン徳島」。最寄駅はJR牟岐線二軒屋駅。
1934年12月、徳島市秋田町の劇場「新富座」が常設映画館に転向した。1936年1月の火災で全焼したが、同年9月には「信富座」に改称して開館した。*8
1936年1月29日午前4時40分頃、徳島市秋田町1丁目の映画館「新富座」から出火し、劇場と隣接する民家4戸が全焼、1戸が半焼した。*9
1957年のこのほど、徳島市の「シントミ座」が一時閉館した。鉄筋造3階建に改築するために4月から休館して準備を進めていたが、立地条件の悪さ、建坪の狭さ、徳島市の映画館数の多さなどから方針を転換した。戦後に洋画封切館として発足し、多くの固定客を持っていたため、関係者から惜しまれている。*10
1958年頃の徳島市にあった洋画館「新富座」の写真あり。「新富座」「欧米映画封切」「Motion Picture of the World」の文字が見える。1946年に洋画専門館「信富座」として開館し、やがて新富座に改称した。*11
所在地 : 徳島県徳島市佐古町7丁目(1968年)
開館年 : 1960年4月27日
閉館年 : 1968年頃
跡地はマンション「コアロイヤル佐古」。最寄駅はJR高徳線・徳島線佐古駅。
1960年4月27日、徳島市佐古町7-9に「佐古東映」が開館した。鉄筋造2階建て。系統は東映であり「徳島東映」と同時封切。経営は太田弥三郎。*12
開館年 : 1960年4月27日
閉館年 : 1968年頃
跡地はマンション「コアロイヤル佐古」。最寄駅はJR高徳線・徳島線佐古駅。
1960年4月27日、徳島市佐古町7-9に「佐古東映」が開館した。鉄筋造2階建て。系統は東映であり「徳島東映」と同時封切。経営は太田弥三郎。*12
所在地 : 徳島県徳島市南新町1-456(1966年)
開館年 : 1946年8月
閉館年 : 1966年頃
跡地は「阿波銀行かちどき橋支店」建物南西端部とその南の道路。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1958年12月28日、徳島市南新町の洋画館「徳島会館」が「日活徳島会館」に改称して日活直営館となった。経営する渡辺万二と日活との間で7年間の賃借契約が成立した。経営は傍系の太陽企業。*15
開館年 : 1946年8月
閉館年 : 1966年頃
跡地は「阿波銀行かちどき橋支店」建物南西端部とその南の道路。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1958年12月28日、徳島市南新町の洋画館「徳島会館」が「日活徳島会館」に改称して日活直営館となった。経営する渡辺万二と日活との間で7年間の賃借契約が成立した。経営は傍系の太陽企業。*15
所在地 : 徳島県徳島市新内町2-35(1973年)
開館年 : 1922年3月、1930年、1950年6月14日
閉館年 : 1973年頃
跡地は「両国館モータープール駐車場」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1920年末、徳島市の両国橋北詰に松竹キネマ系映画館「両国座」が開館した。両国座は1934年3月に火災で焼失し、跡地に「松竹座」が建てられた。*18
1922年には両国橋北詰東側(現・南内町1丁目)に「両国座」が開館した。1929年には全焼したが、1930年に再建されて「両国館」に改称した。*19
1922年には両国橋北詰東側に映画館「両国座」が開館した。1929年9月3日に全焼したが、1930年に再建されて「両国館」に改称した。*20
1922年3月、徳島市の両国橋北詰東側に松竹封切館「両国座」が開館した。1929年には両国座が全焼したが、1930年に「両国館」に改称して再開した。やがて東宝封切館となって「徳島東宝映画劇場」に改称した。1950年6月14日、南内町2丁目に新東宝封切館「両国新東宝」が開館した。後に両国館に改称して日活作品も上映するようになった。2021年現在の跡地は両国館モータープール。*21
1959年4月1日、徳島市の新東宝封切館「両国館」は「両国東映」に改称し、東映専門館となった。東映封切館は「徳島東映」であり、両国東映は徳島東映より1か月遅れで上映する。*22
1960年5月9日、徳島市新内町の「両国東映」が半焼した。原因は漏電。*23
開館年 : 1922年3月、1930年、1950年6月14日
閉館年 : 1973年頃
跡地は「両国館モータープール駐車場」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1920年末、徳島市の両国橋北詰に松竹キネマ系映画館「両国座」が開館した。両国座は1934年3月に火災で焼失し、跡地に「松竹座」が建てられた。*18
1922年には両国橋北詰東側(現・南内町1丁目)に「両国座」が開館した。1929年には全焼したが、1930年に再建されて「両国館」に改称した。*19
1922年には両国橋北詰東側に映画館「両国座」が開館した。1929年9月3日に全焼したが、1930年に再建されて「両国館」に改称した。*20
1922年3月、徳島市の両国橋北詰東側に松竹封切館「両国座」が開館した。1929年には両国座が全焼したが、1930年に「両国館」に改称して再開した。やがて東宝封切館となって「徳島東宝映画劇場」に改称した。1950年6月14日、南内町2丁目に新東宝封切館「両国新東宝」が開館した。後に両国館に改称して日活作品も上映するようになった。2021年現在の跡地は両国館モータープール。*21
1959年4月1日、徳島市の新東宝封切館「両国館」は「両国東映」に改称し、東映専門館となった。東映封切館は「徳島東映」であり、両国東映は徳島東映より1か月遅れで上映する。*22
1960年5月9日、徳島市新内町の「両国東映」が半焼した。原因は漏電。*23
所在地 : 徳島県徳島市籠屋町2(1974年)
開館年 : 1950年3月
閉館年 : 1974年頃
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1950年3月12日、徳島市籠屋町2丁目に松竹によって「徳島松竹映画劇場」(徳島松映)が開館した。オープニングは『栄光への道』。南新町の「松竹座」から松竹作品の封切館が移り、松竹座は「SY松竹座」に改称して松竹系洋画封切館となった。*24
1955年頃の徳島市にあった「徳島松竹映画劇場」の写真あり。『この広い空のどこかに』の看板が見える。*25
1959年4月1日、徳島市籠屋町1の洋画再映館「徳島松映」は新東宝封切館となった。これまで新東宝封切館だった「両国館」が東映専門館に転換したため。*26
1960年3月1日には第二東映が発足し、各地で第二東映上映館への転向が相次いでいる。徳島市籠屋町2の松竹封切館「徳島松竹」は第二東映上映館に転向した。経営は高瀬芳太郎。今後の徳島市における松竹封切館は未定。*27
1960年2月24日、徳島市籠屋町2丁目の洋画二番館「徳島松映」は新東宝封切館・日活二番館となった。経営は高瀬芳太郎。支配人は田中稲彦。*28
1963年6月26日午後4時30分頃、徳島市籠屋2丁目の「徳島松映」冷房機械室から出火し、木造2階建てが半焼した。経営は高瀬芳太。*29
1963年6月26日午後4時20分頃、徳島市籠屋町2丁目の「徳島松映」冷房機械室から出火し、瓦葺き木造2階建ての劇場551m2の大半が焼失した。*30
開館年 : 1950年3月
閉館年 : 1974年頃
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1950年3月12日、徳島市籠屋町2丁目に松竹によって「徳島松竹映画劇場」(徳島松映)が開館した。オープニングは『栄光への道』。南新町の「松竹座」から松竹作品の封切館が移り、松竹座は「SY松竹座」に改称して松竹系洋画封切館となった。*24
1955年頃の徳島市にあった「徳島松竹映画劇場」の写真あり。『この広い空のどこかに』の看板が見える。*25
1959年4月1日、徳島市籠屋町1の洋画再映館「徳島松映」は新東宝封切館となった。これまで新東宝封切館だった「両国館」が東映専門館に転換したため。*26
1960年3月1日には第二東映が発足し、各地で第二東映上映館への転向が相次いでいる。徳島市籠屋町2の松竹封切館「徳島松竹」は第二東映上映館に転向した。経営は高瀬芳太郎。今後の徳島市における松竹封切館は未定。*27
1960年2月24日、徳島市籠屋町2丁目の洋画二番館「徳島松映」は新東宝封切館・日活二番館となった。経営は高瀬芳太郎。支配人は田中稲彦。*28
1963年6月26日午後4時30分頃、徳島市籠屋2丁目の「徳島松映」冷房機械室から出火し、木造2階建てが半焼した。経営は高瀬芳太。*29
1963年6月26日午後4時20分頃、徳島市籠屋町2丁目の「徳島松映」冷房機械室から出火し、瓦葺き木造2階建ての劇場551m2の大半が焼失した。*30
所在地 : 徳島県徳島市蔵本町2-17(1982年)
開館年 : 1946年4月1日
閉館年 : 1982年頃
跡地は「阿波銀行蔵本支店」北北西70mの更地。最寄駅はJR徳島線蔵本駅。
1945年7月の徳島空襲では徳島市の映画館がすべて焼失したが、同年末に東新町に開館した「第一劇場」に続いて、1946年4月1日には戦後2番目の映画館として蔵本町に「平和劇場」が開館した。開館記念上映はエンタツ&アチャコの『新婚お化け屋敷』である。その後、福島町にも「福島平和劇場」が開館している。徳島平和劇場は郊外にある邦画の二番館だったが、1975年頃にはトリュフォー監督作やベルイマン監督作などのアート系作品も上映するようになった。*31
開館年 : 1946年4月1日
閉館年 : 1982年頃
跡地は「阿波銀行蔵本支店」北北西70mの更地。最寄駅はJR徳島線蔵本駅。
1945年7月の徳島空襲では徳島市の映画館がすべて焼失したが、同年末に東新町に開館した「第一劇場」に続いて、1946年4月1日には戦後2番目の映画館として蔵本町に「平和劇場」が開館した。開館記念上映はエンタツ&アチャコの『新婚お化け屋敷』である。その後、福島町にも「福島平和劇場」が開館している。徳島平和劇場は郊外にある邦画の二番館だったが、1975年頃にはトリュフォー監督作やベルイマン監督作などのアート系作品も上映するようになった。*31
所在地 : 徳島県徳島市南新町1(1983年)
開館年 : 1930年、1950年9月
閉館年 : 1983年頃
跡地は立体駐車場「SYパーキング」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1930年には徳島市の新町橋筋に「松竹座」が開館し、やがて「朝日館」に改称した。1950年3月12日、籠屋町2丁目に松竹によって「徳島松竹映画劇場」(徳島松映)が開館した。オープニングは『栄光への道』。南新町の「松竹座」から松竹作品の封切館が移り、松竹座は「SY松竹座」に改称して松竹系洋画封切館となった。*32
開館年 : 1930年、1950年9月
閉館年 : 1983年頃
跡地は立体駐車場「SYパーキング」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1930年には徳島市の新町橋筋に「松竹座」が開館し、やがて「朝日館」に改称した。1950年3月12日、籠屋町2丁目に松竹によって「徳島松竹映画劇場」(徳島松映)が開館した。オープニングは『栄光への道』。南新町の「松竹座」から松竹作品の封切館が移り、松竹座は「SY松竹座」に改称して松竹系洋画封切館となった。*32
所在地 : 徳島県徳島市東新町2-20(1997年)
開館年 : 1936年、1955年(建て替え)
閉館年 : 1997年頃
跡地はマンション「銀座アビタシオン東新町」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1936年、徳島市東新町3丁目に「第一劇場」が開館した。1945年7月の空襲で焼失したが、第一劇場は同年12月6日にいち早く再建された。*33
1935年頃の徳島市に開館したばかりの映画館「第一劇場」の写真あり。1935年頃には銀座商店街が火災に遭い、その後跡地に開館した。大映の封切館だった。*34
1936年頃の徳島市東新町にあった映画館「第一劇場」の写真あり。「新興キネマ四国封切場」の文字が見える。新興キネマの封切館であり、洋画の封切館も兼ねていた。*35
1945年5月1日、徳島市の「第一劇場」の経営が日本活動写真株式会社に移譲された。*36
1960年6月1日、徳島市東新町3の「徳島第一劇場」が大映興行の経営参加に加わる。佃勇蔵との賃借交渉が成立した。*37
1960年6月1日、徳島市東新町3で高田興行が経営していた「徳島大映第一劇場」が大映興行の経営となった。大映の直営館は全国で40館となった。*38
1955年には徳島市の「第一劇場」が鉄筋造のビルに建て替えた。斜陽化後には館内を分割し、1階を大映封切館「徳島大映第一劇場」に、2階を日活封切館「徳島日活」とした。やがて2階は洋画封切館「徳島日活オスカー」となり、1階はパチンコ店となった。1989年、「徳島にっかつ」はにっかつの経営から離れて「銀座第一シネマ」に改称し、成人映画の上映館となった。*39
開館年 : 1936年、1955年(建て替え)
閉館年 : 1997年頃
跡地はマンション「銀座アビタシオン東新町」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1936年、徳島市東新町3丁目に「第一劇場」が開館した。1945年7月の空襲で焼失したが、第一劇場は同年12月6日にいち早く再建された。*33
1935年頃の徳島市に開館したばかりの映画館「第一劇場」の写真あり。1935年頃には銀座商店街が火災に遭い、その後跡地に開館した。大映の封切館だった。*34
1936年頃の徳島市東新町にあった映画館「第一劇場」の写真あり。「新興キネマ四国封切場」の文字が見える。新興キネマの封切館であり、洋画の封切館も兼ねていた。*35
1945年5月1日、徳島市の「第一劇場」の経営が日本活動写真株式会社に移譲された。*36
1960年6月1日、徳島市東新町3の「徳島第一劇場」が大映興行の経営参加に加わる。佃勇蔵との賃借交渉が成立した。*37
1960年6月1日、徳島市東新町3で高田興行が経営していた「徳島大映第一劇場」が大映興行の経営となった。大映の直営館は全国で40館となった。*38
1955年には徳島市の「第一劇場」が鉄筋造のビルに建て替えた。斜陽化後には館内を分割し、1階を大映封切館「徳島大映第一劇場」に、2階を日活封切館「徳島日活」とした。やがて2階は洋画封切館「徳島日活オスカー」となり、1階はパチンコ店となった。1989年、「徳島にっかつ」はにっかつの経営から離れて「銀座第一シネマ」に改称し、成人映画の上映館となった。*39
所在地 : 徳島県徳島市籠屋町1-20-1(1999年)
開館年 : 1976年
閉館年 : 1999年頃
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1976年には徳島市の旧「徳島歌舞伎座」が建て替え、1階を商業施設、2階を洋画封切館の「東映パラス」と「松映ピカデリー」とした。1993年には東映パラスと松映ピカデリーが廃業し、東映パラス跡地に松竹系邦画の「徳島松竹1」、松映ピカデリー跡地に洋画封切館の「徳島松竹2」が入った。*40
開館年 : 1976年
閉館年 : 1999年頃
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1976年には徳島市の旧「徳島歌舞伎座」が建て替え、1階を商業施設、2階を洋画封切館の「東映パラス」と「松映ピカデリー」とした。1993年には東映パラスと松映ピカデリーが廃業し、東映パラス跡地に松竹系邦画の「徳島松竹1」、松映ピカデリー跡地に洋画封切館の「徳島松竹2」が入った。*40
所在地 : 徳島県徳島市籠屋町1-20-1(1999年)
開館年 : 1976年
閉館年 : 1999年頃
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1976年には徳島市の旧「徳島歌舞伎座」が建て替え、1階を商業施設、2階を洋画封切館の「東映パラス」と「松映ピカデリー」とした。1993年には東映パラスと松映ピカデリーが廃業し、東映パラス跡地に松竹系邦画の「徳島松竹1」、松映ピカデリー跡地に洋画封切館の「徳島松竹2」が入った。*41
開館年 : 1976年
閉館年 : 1999年頃
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1976年には徳島市の旧「徳島歌舞伎座」が建て替え、1階を商業施設、2階を洋画封切館の「東映パラス」と「松映ピカデリー」とした。1993年には東映パラスと松映ピカデリーが廃業し、東映パラス跡地に松竹系邦画の「徳島松竹1」、松映ピカデリー跡地に洋画封切館の「徳島松竹2」が入った。*41
所在地 : 徳島県徳島市栄町1-51(2002年)
開館年 : 1955年5月20日
閉館年 : 2002年3月24日
跡地は2007年10月27日開業のラブホテル「OSグランドホテル」。最寄駅はJR牟岐線二軒屋駅。
1955年5月20日、徳島市に「グランド・シネマ」が開館した。開館披露作品は『聖衣』。シネスコ、ビスタビジョンの両設備を備え、完全な冷暖房装置を有する近代的な映画館である。喫茶室や休憩室もある。鉄筋造3階建て。館主は赤松重男。座席数は520、収容人員は1400人。*42
1955年6月、徳島市栄町1丁目に洋画大作上映館「グランドシネマ」が開館した。徳島県初の鉄筋コンクリート造の映画館である。後に松竹封切館となって「グランド松竹」に改称し、さらに洋画封切館となって「OSグランド」に改称した。*43
1960年8月3日、徳島市栄町2の洋画封切館「グランドシネマ」は「グランド松竹」に改称して松竹封切館に転向した。経営は赤松重男。*44
1961年4月5日、徳島市籠屋町1のニュー東映館「徳島ニュー東映」はニュー東映とあわせて松竹封切館も加わった。経営は高瀬芳太郎。徳島市栄町1-4の「グランド松竹」が洋画封切館に転向したため。*45
1965年の徳島市栄町1丁目にあった洋画封切館「OSグランド」前の写真あり。次週上映の看板には1964年公開のイタリア映画『禁じられた抱擁』と1964年公開のフランス映画『輪舞』のポスターが見える。2002年に閉館した。*46
2001年12月には徳島県初のシネコンとして「北島シネマサンシャイン」が開館した。徳島市街地の「OSグランド」では2002年の正月興行の客入りが悪く、同年3月24日をもって閉館した。最終上映作品は『風と共に去りぬ』である。1955年に徳島県初の鉄筋コンクリート造の映画館として開館した。*47
2002年3月24日をもって、徳島市の映画館「OSグランド」が閉館する。最終上映作品は『風と共に去りぬ』。1955年に開館し、全盛期には500席あった客席が満席となることもあった。2000年から急激に観客が減少した。*48
2002年3月24日をもって、徳島市栄町1の映画館「OSグランド」が閉館する。3月17日には閉館を惜しむ趣旨の映画音楽演奏会が開催され、『ティファニーで朝食を』や『サウンド・オブ・ミュージック』などの曲が演奏された。1955年に「グランドシネマ」として開館したが、1980年代以降には年々観客数が減少した。*49
2002年3月24日をもって、徳島市栄町1の映画館「OSグランド」が閉館した。『ゴッドファーザー』や『インディジョーンズ』などは立ち見が出るほどの人気だった。閉館までの3週間には『風と共に去りぬ』を上映した。*50
開館年 : 1955年5月20日
閉館年 : 2002年3月24日
跡地は2007年10月27日開業のラブホテル「OSグランドホテル」。最寄駅はJR牟岐線二軒屋駅。
1955年5月20日、徳島市に「グランド・シネマ」が開館した。開館披露作品は『聖衣』。シネスコ、ビスタビジョンの両設備を備え、完全な冷暖房装置を有する近代的な映画館である。喫茶室や休憩室もある。鉄筋造3階建て。館主は赤松重男。座席数は520、収容人員は1400人。*42
1955年6月、徳島市栄町1丁目に洋画大作上映館「グランドシネマ」が開館した。徳島県初の鉄筋コンクリート造の映画館である。後に松竹封切館となって「グランド松竹」に改称し、さらに洋画封切館となって「OSグランド」に改称した。*43
1960年8月3日、徳島市栄町2の洋画封切館「グランドシネマ」は「グランド松竹」に改称して松竹封切館に転向した。経営は赤松重男。*44
1961年4月5日、徳島市籠屋町1のニュー東映館「徳島ニュー東映」はニュー東映とあわせて松竹封切館も加わった。経営は高瀬芳太郎。徳島市栄町1-4の「グランド松竹」が洋画封切館に転向したため。*45
1965年の徳島市栄町1丁目にあった洋画封切館「OSグランド」前の写真あり。次週上映の看板には1964年公開のイタリア映画『禁じられた抱擁』と1964年公開のフランス映画『輪舞』のポスターが見える。2002年に閉館した。*46
2001年12月には徳島県初のシネコンとして「北島シネマサンシャイン」が開館した。徳島市街地の「OSグランド」では2002年の正月興行の客入りが悪く、同年3月24日をもって閉館した。最終上映作品は『風と共に去りぬ』である。1955年に徳島県初の鉄筋コンクリート造の映画館として開館した。*47
2002年3月24日をもって、徳島市の映画館「OSグランド」が閉館する。最終上映作品は『風と共に去りぬ』。1955年に開館し、全盛期には500席あった客席が満席となることもあった。2000年から急激に観客が減少した。*48
2002年3月24日をもって、徳島市栄町1の映画館「OSグランド」が閉館する。3月17日には閉館を惜しむ趣旨の映画音楽演奏会が開催され、『ティファニーで朝食を』や『サウンド・オブ・ミュージック』などの曲が演奏された。1955年に「グランドシネマ」として開館したが、1980年代以降には年々観客数が減少した。*49
2002年3月24日をもって、徳島市栄町1の映画館「OSグランド」が閉館した。『ゴッドファーザー』や『インディジョーンズ』などは立ち見が出るほどの人気だった。閉館までの3週間には『風と共に去りぬ』を上映した。*50
所在地 : 徳島県徳島市東新町1-12(2002年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 2003年6月30日
跡地は有料駐車場「ミニッツパーク24h 東新町第3」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1946年12月、徳島市に東宝二番館「名画劇場」が開館した。1947年7月31日には「セントラル名劇」に改称して、『アメリカ交響楽』をオープニングに洋画ロードショー館となった。映画の斜陽化後には「徳島東映」がビルに建て替え、1階と2階を商業施設、3階と4階を映画館とした。*51
2003年6月26日をもって、徳島市の「徳島東映」が閉館した。戦後に「名画劇場」として開館し、1950年代には独立プロの作品も上映した。*52
2003年6月30日夜をもって、徳島市東新町1の「徳島東映」が閉館した。最終日には『恋愛寫眞』と『二重スパイ』を無料で上映し、約150人が訪れた。1946年12月に「徳島名画劇場」として創業し、1949年7月に法人化して「徳島東映」に改称した。1975年頃まで一か月に約1万人の観客を集めたが、その後はビデオの普及や娯楽の多様化によって減少した。2001年度と2002年度の決算は2期連続で赤字となり、閉館を決定した。*53
2004年4月29日、徳島市東新町1の「徳島東映」跡地にイベントホール「しんまち劇場707」が開館した。講演会や演劇など様々な利用が可能である。徳島東映は2003年6月に閉館していた。*54
2004年4月29日、徳島市の東新町商店街にあった映画館「徳島東映」跡地に多目的ホール「しんまち劇場707」が開館した。280席。徳島東映は2003年6月末をもって閉館していた。東新町一丁目商店街振興組合が多目的ホールへの改修を検討し、約400万円を投じて改修した。座席数を20席減らして舞台を広げ、照明や音響機器を一新した。*55
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 2003年6月30日
跡地は有料駐車場「ミニッツパーク24h 東新町第3」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1946年12月、徳島市に東宝二番館「名画劇場」が開館した。1947年7月31日には「セントラル名劇」に改称して、『アメリカ交響楽』をオープニングに洋画ロードショー館となった。映画の斜陽化後には「徳島東映」がビルに建て替え、1階と2階を商業施設、3階と4階を映画館とした。*51
2003年6月26日をもって、徳島市の「徳島東映」が閉館した。戦後に「名画劇場」として開館し、1950年代には独立プロの作品も上映した。*52
2003年6月30日夜をもって、徳島市東新町1の「徳島東映」が閉館した。最終日には『恋愛寫眞』と『二重スパイ』を無料で上映し、約150人が訪れた。1946年12月に「徳島名画劇場」として創業し、1949年7月に法人化して「徳島東映」に改称した。1975年頃まで一か月に約1万人の観客を集めたが、その後はビデオの普及や娯楽の多様化によって減少した。2001年度と2002年度の決算は2期連続で赤字となり、閉館を決定した。*53
2004年4月29日、徳島市東新町1の「徳島東映」跡地にイベントホール「しんまち劇場707」が開館した。講演会や演劇など様々な利用が可能である。徳島東映は2003年6月に閉館していた。*54
2004年4月29日、徳島市の東新町商店街にあった映画館「徳島東映」跡地に多目的ホール「しんまち劇場707」が開館した。280席。徳島東映は2003年6月末をもって閉館していた。東新町一丁目商店街振興組合が多目的ホールへの改修を検討し、約400万円を投じて改修した。座席数を20席減らして舞台を広げ、照明や音響機器を一新した。*55
所在地 : 徳島県徳島市籠屋町2-9-1(2004年)
開館年 : 1951年5月、1979年(建て替え)
閉館年 : 2004年3月31日
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1951年9月14日、徳島市籠屋町の「歌舞伎座」で火災があり、劇場と隣接する民家4戸が全焼、4戸が半焼、死者3人を出した。*56
1945年11月には徳島市に演芸上演館「新町劇場」が開場したが、やがて火災で全焼した。跡地には東京の歌舞伎座を模した「徳島歌舞伎座」として再建され、主として大衆演劇の公演を行っていたが、映画人気を機に映画を上映するようになった。1960年2月には「徳島第二東映」に改称した。1979年には「松竹歌舞伎座」がビルに建て替え、1階が商業施設、2階と3階が松竹封切館の松竹歌舞伎座となった。1993年に「徳島松竹1」が松竹系封切館となると、松竹歌舞伎座は「徳島歌舞伎座」に改称して洋画を上映していたが、1996年1月6日に休館となった。1999年には「徳島松竹1・2」が籠屋町2丁目のビルから撤退し、休館中だった徳島歌舞伎座のビルに移った。1階の商店跡地を改装して70席の「徳島松竹1」とし、徳島歌舞伎座があった2階と3階を「徳島松竹2」とした。*57
2004年3月17日をもって、徳島市の映画館「徳島松竹1・2」が閉館した。最終上映作品は『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』。*58
2004年3月末をもって、徳島市籠屋町2の映画館「徳島松竹」が閉館する。1979年に現在地に「松竹歌舞伎座」として開館した。一時期は近くで営業していたが、1999年には現在地に戻り、2002年からは松竹の関連会社が年間約30作品を上映していた。216席と70席の2スクリーン。十数年前の籠屋町周辺には6館の映画館があったが、2002年には栄町1の「OSグランド」が、2003年6月には東新町1の「徳島東映」が閉館しており、周辺の映画館は籠屋町1の「徳島東宝」のみとなる。徳島松竹は4月にも取り壊され、跡地は13-14階建てのファミリー向け分譲マンションになる予定。*59
2004年3月末をもって、徳島市籠屋町2の映画館「徳島松竹」が閉館する。1979年に邦画専門館「徳島松竹歌舞伎座」として開館した。1999年には2スクリーンの「徳島松竹1」と「徳島松竹2」にリニューアルした。2001年夏には月間入場者数が1万5000人を超えたが、その後北島町にシネコンができたことで入場者数が減少し、月間入場者数は2000人〜3000人にまで低迷していた。建物を所有する伸松建設が映画館を引き継ぐことも模索されたが、フィルムの供給などの問題から断念した。跡地には分譲マンションが建設される予定。2002年3月には「OSグランド」、2003年6月には「徳島東映」も閉館している。*60
2004年3月31日夜をもって、徳島市籠屋町2の映画館「徳島松竹」が閉館した。最終日には『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』と『クイール』を上映し、春休みとあって約300人が訪れた。2001年から観客数が落ち込み始め、2002年度には赤字に転落していた。跡地にはマンションが建設される予定。*61
2004年3月31日をもって、松竹シネマエンタープライズによる「徳島松竹1・2」が閉館した。*62
開館年 : 1951年5月、1979年(建て替え)
閉館年 : 2004年3月31日
跡地はマンション「籠屋町アビタシオン」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1951年9月14日、徳島市籠屋町の「歌舞伎座」で火災があり、劇場と隣接する民家4戸が全焼、4戸が半焼、死者3人を出した。*56
1945年11月には徳島市に演芸上演館「新町劇場」が開場したが、やがて火災で全焼した。跡地には東京の歌舞伎座を模した「徳島歌舞伎座」として再建され、主として大衆演劇の公演を行っていたが、映画人気を機に映画を上映するようになった。1960年2月には「徳島第二東映」に改称した。1979年には「松竹歌舞伎座」がビルに建て替え、1階が商業施設、2階と3階が松竹封切館の松竹歌舞伎座となった。1993年に「徳島松竹1」が松竹系封切館となると、松竹歌舞伎座は「徳島歌舞伎座」に改称して洋画を上映していたが、1996年1月6日に休館となった。1999年には「徳島松竹1・2」が籠屋町2丁目のビルから撤退し、休館中だった徳島歌舞伎座のビルに移った。1階の商店跡地を改装して70席の「徳島松竹1」とし、徳島歌舞伎座があった2階と3階を「徳島松竹2」とした。*57
2004年3月17日をもって、徳島市の映画館「徳島松竹1・2」が閉館した。最終上映作品は『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』。*58
2004年3月末をもって、徳島市籠屋町2の映画館「徳島松竹」が閉館する。1979年に現在地に「松竹歌舞伎座」として開館した。一時期は近くで営業していたが、1999年には現在地に戻り、2002年からは松竹の関連会社が年間約30作品を上映していた。216席と70席の2スクリーン。十数年前の籠屋町周辺には6館の映画館があったが、2002年には栄町1の「OSグランド」が、2003年6月には東新町1の「徳島東映」が閉館しており、周辺の映画館は籠屋町1の「徳島東宝」のみとなる。徳島松竹は4月にも取り壊され、跡地は13-14階建てのファミリー向け分譲マンションになる予定。*59
2004年3月末をもって、徳島市籠屋町2の映画館「徳島松竹」が閉館する。1979年に邦画専門館「徳島松竹歌舞伎座」として開館した。1999年には2スクリーンの「徳島松竹1」と「徳島松竹2」にリニューアルした。2001年夏には月間入場者数が1万5000人を超えたが、その後北島町にシネコンができたことで入場者数が減少し、月間入場者数は2000人〜3000人にまで低迷していた。建物を所有する伸松建設が映画館を引き継ぐことも模索されたが、フィルムの供給などの問題から断念した。跡地には分譲マンションが建設される予定。2002年3月には「OSグランド」、2003年6月には「徳島東映」も閉館している。*60
2004年3月31日夜をもって、徳島市籠屋町2の映画館「徳島松竹」が閉館した。最終日には『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』と『クイール』を上映し、春休みとあって約300人が訪れた。2001年から観客数が落ち込み始め、2002年度には赤字に転落していた。跡地にはマンションが建設される予定。*61
2004年3月31日をもって、松竹シネマエンタープライズによる「徳島松竹1・2」が閉館した。*62
所在地 : 徳島県徳島市籠屋町1-30(2006年)
開館年 : 1971年6月
閉館年 : 2006年1月27日
跡地は2009年竣工のマンション「アルファステイツ新町」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
2006年1月27日をもって、徳島市籠屋町1の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館する予定。徳島東宝は276席、東宝シネマは122席。同じビルのダイエー徳島店が11月27日をもって閉店するため。2002年には「OSグランド」、2003年には「徳島東映」、2004年には「徳島松竹」、2005年には「徳島平和劇場」が閉館しており、中心部に残るのは「徳島ホール」のみとなる。徳島東宝は1946年に現在地に開館した。1971年にはダイエー徳島店を核店舗とするビルを建設し、5階に映画館2館を構えた。*63
2006年1月末をもって、徳島市の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館する。同じビルに入るダイエー徳島店が11月27日をもって閉店することが影響したという。1946年に小屋で徳島東宝が開館した。1971年には現在のビルとなり、山口百恵主演作『伊豆の踊子』、『八甲田山』や『ゴジラ』シリーズなどの東宝系作品、『ローマの休日』『サウンド・オブ・ミュージック』『地獄の黙示録』などを上映してきた。2005年9月には「徳島平和劇場」も閉館しており、徳島東宝の閉館後には徳島市の映画館は「徳島ホール」のみとなる。*64
2006年1月27日をもって、徳島市中心部の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館する。ダイエー徳島店の撤退に伴って閉館が決定した。最終上映作品は『あらしのよるに』、『Mr. & Mrs.スミス』、『輪廻』。閉館記念興行などは予定していない。2005年から2006年にかけて徳島市では4館が閉館しており、徳島東宝と東宝シネマの閉館後には「徳島ホール」のみとなる。*65
2006年1月27日をもって、徳島市の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館した。1946年4月、平屋建の東宝封切館として開館した。やがて木造2階建となると、1971年6月には5階建ビルに建て替え、1階から4階はダイエーの店舗、5階に東宝封切館の徳島東宝と洋画封切館の東宝シネマが入った。*66
2006年1月27日夜をもって、徳島市籠屋町1の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館した。最終日には『あらしのよるに』、『輪廻』、『Mr. & Mrs.スミス』を上映し、静かに幕を閉じた。新町地区周辺から映画館がなくなり、徳島市の映画館は「徳島ホール」のみとなった。徳島東宝は1946年4月に開館した。1971年6月にはダイエー徳島店が入るビルの5階に移り、2館目の東宝シネマも開館した。1997年の『もののけ姫』などでは立ち見が出るほどの盛況だったが、2001年には北島町にシネコンが開館したことで観客が減少し、ダイエーの撤退を機に閉館することになった。*67
2006年1月27日をもって、徳島市籠屋町1の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館した。2005年11月に同じビルのダイエー徳島店が閉店し、映画館だけではビル全体の採算が取れないと判断したため。徳島東宝は1946年に開館。1971年にはダイエー徳島店が開店し、同じビルの5階に2館体制でリニューアル開館した。*68
開館年 : 1971年6月
閉館年 : 2006年1月27日
跡地は2009年竣工のマンション「アルファステイツ新町」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
2006年1月27日をもって、徳島市籠屋町1の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館する予定。徳島東宝は276席、東宝シネマは122席。同じビルのダイエー徳島店が11月27日をもって閉店するため。2002年には「OSグランド」、2003年には「徳島東映」、2004年には「徳島松竹」、2005年には「徳島平和劇場」が閉館しており、中心部に残るのは「徳島ホール」のみとなる。徳島東宝は1946年に現在地に開館した。1971年にはダイエー徳島店を核店舗とするビルを建設し、5階に映画館2館を構えた。*63
2006年1月末をもって、徳島市の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館する。同じビルに入るダイエー徳島店が11月27日をもって閉店することが影響したという。1946年に小屋で徳島東宝が開館した。1971年には現在のビルとなり、山口百恵主演作『伊豆の踊子』、『八甲田山』や『ゴジラ』シリーズなどの東宝系作品、『ローマの休日』『サウンド・オブ・ミュージック』『地獄の黙示録』などを上映してきた。2005年9月には「徳島平和劇場」も閉館しており、徳島東宝の閉館後には徳島市の映画館は「徳島ホール」のみとなる。*64
2006年1月27日をもって、徳島市中心部の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館する。ダイエー徳島店の撤退に伴って閉館が決定した。最終上映作品は『あらしのよるに』、『Mr. & Mrs.スミス』、『輪廻』。閉館記念興行などは予定していない。2005年から2006年にかけて徳島市では4館が閉館しており、徳島東宝と東宝シネマの閉館後には「徳島ホール」のみとなる。*65
2006年1月27日をもって、徳島市の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館した。1946年4月、平屋建の東宝封切館として開館した。やがて木造2階建となると、1971年6月には5階建ビルに建て替え、1階から4階はダイエーの店舗、5階に東宝封切館の徳島東宝と洋画封切館の東宝シネマが入った。*66
2006年1月27日夜をもって、徳島市籠屋町1の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館した。最終日には『あらしのよるに』、『輪廻』、『Mr. & Mrs.スミス』を上映し、静かに幕を閉じた。新町地区周辺から映画館がなくなり、徳島市の映画館は「徳島ホール」のみとなった。徳島東宝は1946年4月に開館した。1971年6月にはダイエー徳島店が入るビルの5階に移り、2館目の東宝シネマも開館した。1997年の『もののけ姫』などでは立ち見が出るほどの盛況だったが、2001年には北島町にシネコンが開館したことで観客が減少し、ダイエーの撤退を機に閉館することになった。*67
2006年1月27日をもって、徳島市籠屋町1の映画館「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館した。2005年11月に同じビルのダイエー徳島店が閉店し、映画館だけではビル全体の採算が取れないと判断したため。徳島東宝は1946年に開館。1971年にはダイエー徳島店が開店し、同じビルの5階に2館体制でリニューアル開館した。*68
所在地 : 徳島県徳島市幸町1-6(2006年)
開館年 : 1962年4月20日
閉館年 : 2006年9月28日
跡地は「徳島市役所」北70mのコインパーキング「ミニッツパーク24h 幸町第2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1962年、徳島新聞社と四国放送のビル3階・4階に600席の「徳島ホール」が設置された。徳島県で初めて階段式の客席を採用し、冷暖房も完備していた。前年にはアートシアターギルドが創設されており、1962年4月20日に『尼僧ヨアンナ』で開館した。その後には一般映画の封切館に転向した。*69
2006年9月28日をもって、徳島市幸町の映画館「徳島ホール」が封切り作品の上映を終了する。287席。徳島市唯一の映画館だった。2001年末に板野郡北島町に開館したシネコンの影響で、近年は年間数千万円の赤字が出ているため。徳島ホールは1962年に開館し、1963年から常設のロードショー館として営業していた。最終上映作品は『X-MEN ファイナルディシジョン』。9月29日以降は多目的ホールとして運営する予定。*70
2006年9月28日、徳島市唯一の映画館「徳島ホール」が封切り映画の上映を終える。2001年に隣接する北島町に8スクリーンのシネコンが開館して観客を奪われたことが理由。今後は映画上映やイベントの開催が可能な多目的ホールに衣替えする予定。1962年に開館し、1965年から封切館として営業していた。2001年以降は採算割れし、2006年夏に上映した地元が舞台の『バルトの楽園』も振るわなかった。9月28日までの最終上映作品は『X-MEN』。現在の県庁所在地で映画館がないのは群馬県前橋市のみである。*71
2006年9月28日をもって、徳島市の「徳島ホール」が一般興行を打ち切った。最終上映作品は『X-MEN ファイナルディシジョン』。徳島市は全国の県庁所在地では唯一映画館のない市となった。その後、毎月一週間程度、「徳島ホール名画劇場」として映画の上映を行った。2013年3月10日、『黒部の太陽』の上映を最後に完全に閉館したが、上映終了後にはほぼ満席の館内から拍手が起こった。*72
2006年9月28日をもって、徳島市幸町1の映画館「徳島ホール」が封切り映画の上映を休止し、徳島市には常設映画館がなくなった。最終上映作品は『X-MEN ファイナルディシジョン』。運営会社は徳島興発。1962年4月に開館し、その後常設映画館となった。レンタルビデオ店の増加や複合映画館の開館などが理由で採算割れが続いていた。9月29日から10月1日までは「シネマ歌舞伎」を上映し、改装後の10月20日には多目的文化ホールに衣替えする。旧作映画や徳島ゆかりの映画を上映したり、各種団体の発表会に用いられる予定。*73
開館年 : 1962年4月20日
閉館年 : 2006年9月28日
跡地は「徳島市役所」北70mのコインパーキング「ミニッツパーク24h 幸町第2」。最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
1962年、徳島新聞社と四国放送のビル3階・4階に600席の「徳島ホール」が設置された。徳島県で初めて階段式の客席を採用し、冷暖房も完備していた。前年にはアートシアターギルドが創設されており、1962年4月20日に『尼僧ヨアンナ』で開館した。その後には一般映画の封切館に転向した。*69
2006年9月28日をもって、徳島市幸町の映画館「徳島ホール」が封切り作品の上映を終了する。287席。徳島市唯一の映画館だった。2001年末に板野郡北島町に開館したシネコンの影響で、近年は年間数千万円の赤字が出ているため。徳島ホールは1962年に開館し、1963年から常設のロードショー館として営業していた。最終上映作品は『X-MEN ファイナルディシジョン』。9月29日以降は多目的ホールとして運営する予定。*70
2006年9月28日、徳島市唯一の映画館「徳島ホール」が封切り映画の上映を終える。2001年に隣接する北島町に8スクリーンのシネコンが開館して観客を奪われたことが理由。今後は映画上映やイベントの開催が可能な多目的ホールに衣替えする予定。1962年に開館し、1965年から封切館として営業していた。2001年以降は採算割れし、2006年夏に上映した地元が舞台の『バルトの楽園』も振るわなかった。9月28日までの最終上映作品は『X-MEN』。現在の県庁所在地で映画館がないのは群馬県前橋市のみである。*71
2006年9月28日をもって、徳島市の「徳島ホール」が一般興行を打ち切った。最終上映作品は『X-MEN ファイナルディシジョン』。徳島市は全国の県庁所在地では唯一映画館のない市となった。その後、毎月一週間程度、「徳島ホール名画劇場」として映画の上映を行った。2013年3月10日、『黒部の太陽』の上映を最後に完全に閉館したが、上映終了後にはほぼ満席の館内から拍手が起こった。*72
2006年9月28日をもって、徳島市幸町1の映画館「徳島ホール」が封切り映画の上映を休止し、徳島市には常設映画館がなくなった。最終上映作品は『X-MEN ファイナルディシジョン』。運営会社は徳島興発。1962年4月に開館し、その後常設映画館となった。レンタルビデオ店の増加や複合映画館の開館などが理由で採算割れが続いていた。9月29日から10月1日までは「シネマ歌舞伎」を上映し、改装後の10月20日には多目的文化ホールに衣替えする。旧作映画や徳島ゆかりの映画を上映したり、各種団体の発表会に用いられる予定。*73
所在地 : 徳島県徳島市蔵本町2-17-1(2010年)
開館年 : 1982年頃
閉館年 : 2009年12月
Wikipedia : シネアルテ
跡地は「阿波銀行蔵本支店」北北西70mの更地。最寄駅はJR徳島線蔵本駅。
徳島市蔵本町12-17にあった蔵本平和劇場と福島町2-4-13にあった映画館をまとめ、蔵本町2-17-1に映画館ビルを建てた。1階には商店と駐車場が入り、2階には「平和ドルビー」と「アタック平和」の2映画館が入った。支配人の大江俊二は、単館系作品の上映や小津安二郎映画祭などの優れた企画で映画ファンを集めた。平和ドルビーとアタック平和は2005年9月16日をもって閉館したが、大江が死去したのは同年7月3日のことだった。*74
2005年9月16日をもって、徳島市蔵本町2の映画館「徳島平和劇場」が58年の歴史に幕を閉じて閉館した。「平和ドルビー」と「アタック平和」の2スクリーンを有していた。7月には大江俊二社長が死去し、後継者がいないことに加えて、経営も厳しかったことが閉館の理由。1947年に開館し、2度の改築を経て1970年頃に2スクリーンとなった。東京や大阪でしか封切られない芸術系作品を上映したり、映画鑑賞グループに安価で貸し出すなどの取り組みを行っていた。2001年には北島町に複合映画館が開館し、観客は半分以下に減少した。2002年には徳島市の「OSグランド」が、2003年には「徳島東映」が、2004年には「徳島松竹」が相次いで閉館している。平和劇場の閉館によって、徳島県の単独映画館は「徳島ホール」、「徳島東宝・東宝シネマ」、「貞光劇場」の4館のみとなる。*75
2005年9月をもって、徳島市蔵本町の映画館「徳島平和劇場」(2スクリーン)が約60年の歴史に幕を閉じて閉館した。映画に情熱を燃やしていた社長の後継者がいなかったことが閉館の理由。2002年には徳島市の「OSグランド」が、2003年には「徳島東映」が、2004年には「徳島松竹」が相次いで閉館している。徳島平和劇場の閉館によって、徳島市内の映画館はわずか3館となった。*76
2008年内にも、徳島市のJR蔵本駅前に映画館「シネアルテ」が開館する。徳島市は全国の県庁所在地で唯一常設の映画館がないとされる。1947年に開館した「徳島平和劇場」(「平和ドルビー」「アタック平和」の2スクリーン)は2005年9月に閉館したが、喫茶店主の三木稔(32)が改装して復活させる。カビが生えていたアタック平和の座席を外し、1人〜3人掛けのソファ約40席を並べた。収容人数は70人。平和ドルビーは傾斜した床を平らにしてカフェに改装し、映画館に先立って2008年11月10日に開店する。当初は「OSグランド」の復活を計画したが、建物の傷みが激しかったため断念していた。*77
2008年12月23日、徳島市のJR蔵本駅近くに映画館「シネアルテ」が開館する。まずは2週間の予定で『百万円と苦虫女』を1日5回上映する。*78
2008年12月23日、徳島市蔵本町に映画館「シネアルテ」が開館した。2005年に閉館した映画館の設備を再利用した。初日には蒼井優主演作『百万円と苦虫女』を4回上映した。2009年1月5日からは『トウキョウソナタ』の上映を予定している。*79
2008年12月23日、徳島市のJR蔵本駅近くに映画館「シネアルテ」が開館した。70席。徳島市内で3店の喫茶店を経営する三木稔が、閉館していた映画館の施設を貸借して営業を再開した。うち1店の喫茶店は「シネアルテ」に隣接している。2006年に徳島ホールが封切り映画の上映を終了したことで、徳島市から常設映画館がなくなっており、前橋市に映画館が開館した2007年からは「全国の県庁所在地で唯一常設映画館がない市」となっていた。*80
2008年12月23日、徳島市蔵本町に映画館「シネアルテ」が開館した。オープニングは『百万円と苦虫女』。「平和ドルビー」があった空間をカフェに、「アタック平和」を映画館のシネアルテとした。経営者の三木稔はカフェの経営者であり、既設の座席をすべて撤去すると、大小さまざまな椅子を置いた。しかし観客数に苦しみ、翌年の2009年10月末には定期上映を終了し、12月に貸館で『犬と猫と人間と』を上映したのが最後となった。*81
2009年12月をもって、徳島市蔵本町2の映画館「シネアルテ」が閉館した。徳島市唯一の常設映画館だったため、徳島市は奈良市とともに常設映画館がない県庁所在地となった。2008年12月、「徳島平和劇場」の建物を三木稔が借り、2スクリーンのうち「アタック平和」を改装して開館した。約30本の作品を1日3回〜4回上映した。1回あたりの観客数は多くても5人程度と少なく、2009年11月には予定していた2作品の上映が配給会社の意向で中止となったこともあった。三木稔は広告費や宣伝費を捻出できなかったと語っている。2010年5月現在の跡地は居酒屋として使用されている。*82
開館年 : 1982年頃
閉館年 : 2009年12月
Wikipedia : シネアルテ
跡地は「阿波銀行蔵本支店」北北西70mの更地。最寄駅はJR徳島線蔵本駅。
徳島市蔵本町12-17にあった蔵本平和劇場と福島町2-4-13にあった映画館をまとめ、蔵本町2-17-1に映画館ビルを建てた。1階には商店と駐車場が入り、2階には「平和ドルビー」と「アタック平和」の2映画館が入った。支配人の大江俊二は、単館系作品の上映や小津安二郎映画祭などの優れた企画で映画ファンを集めた。平和ドルビーとアタック平和は2005年9月16日をもって閉館したが、大江が死去したのは同年7月3日のことだった。*74
2005年9月16日をもって、徳島市蔵本町2の映画館「徳島平和劇場」が58年の歴史に幕を閉じて閉館した。「平和ドルビー」と「アタック平和」の2スクリーンを有していた。7月には大江俊二社長が死去し、後継者がいないことに加えて、経営も厳しかったことが閉館の理由。1947年に開館し、2度の改築を経て1970年頃に2スクリーンとなった。東京や大阪でしか封切られない芸術系作品を上映したり、映画鑑賞グループに安価で貸し出すなどの取り組みを行っていた。2001年には北島町に複合映画館が開館し、観客は半分以下に減少した。2002年には徳島市の「OSグランド」が、2003年には「徳島東映」が、2004年には「徳島松竹」が相次いで閉館している。平和劇場の閉館によって、徳島県の単独映画館は「徳島ホール」、「徳島東宝・東宝シネマ」、「貞光劇場」の4館のみとなる。*75
2005年9月をもって、徳島市蔵本町の映画館「徳島平和劇場」(2スクリーン)が約60年の歴史に幕を閉じて閉館した。映画に情熱を燃やしていた社長の後継者がいなかったことが閉館の理由。2002年には徳島市の「OSグランド」が、2003年には「徳島東映」が、2004年には「徳島松竹」が相次いで閉館している。徳島平和劇場の閉館によって、徳島市内の映画館はわずか3館となった。*76
2008年内にも、徳島市のJR蔵本駅前に映画館「シネアルテ」が開館する。徳島市は全国の県庁所在地で唯一常設の映画館がないとされる。1947年に開館した「徳島平和劇場」(「平和ドルビー」「アタック平和」の2スクリーン)は2005年9月に閉館したが、喫茶店主の三木稔(32)が改装して復活させる。カビが生えていたアタック平和の座席を外し、1人〜3人掛けのソファ約40席を並べた。収容人数は70人。平和ドルビーは傾斜した床を平らにしてカフェに改装し、映画館に先立って2008年11月10日に開店する。当初は「OSグランド」の復活を計画したが、建物の傷みが激しかったため断念していた。*77
2008年12月23日、徳島市のJR蔵本駅近くに映画館「シネアルテ」が開館する。まずは2週間の予定で『百万円と苦虫女』を1日5回上映する。*78
2008年12月23日、徳島市蔵本町に映画館「シネアルテ」が開館した。2005年に閉館した映画館の設備を再利用した。初日には蒼井優主演作『百万円と苦虫女』を4回上映した。2009年1月5日からは『トウキョウソナタ』の上映を予定している。*79
2008年12月23日、徳島市のJR蔵本駅近くに映画館「シネアルテ」が開館した。70席。徳島市内で3店の喫茶店を経営する三木稔が、閉館していた映画館の施設を貸借して営業を再開した。うち1店の喫茶店は「シネアルテ」に隣接している。2006年に徳島ホールが封切り映画の上映を終了したことで、徳島市から常設映画館がなくなっており、前橋市に映画館が開館した2007年からは「全国の県庁所在地で唯一常設映画館がない市」となっていた。*80
2008年12月23日、徳島市蔵本町に映画館「シネアルテ」が開館した。オープニングは『百万円と苦虫女』。「平和ドルビー」があった空間をカフェに、「アタック平和」を映画館のシネアルテとした。経営者の三木稔はカフェの経営者であり、既設の座席をすべて撤去すると、大小さまざまな椅子を置いた。しかし観客数に苦しみ、翌年の2009年10月末には定期上映を終了し、12月に貸館で『犬と猫と人間と』を上映したのが最後となった。*81
2009年12月をもって、徳島市蔵本町2の映画館「シネアルテ」が閉館した。徳島市唯一の常設映画館だったため、徳島市は奈良市とともに常設映画館がない県庁所在地となった。2008年12月、「徳島平和劇場」の建物を三木稔が借り、2スクリーンのうち「アタック平和」を改装して開館した。約30本の作品を1日3回〜4回上映した。1回あたりの観客数は多くても5人程度と少なく、2009年11月には予定していた2作品の上映が配給会社の意向で中止となったこともあった。三木稔は広告費や宣伝費を捻出できなかったと語っている。2010年5月現在の跡地は居酒屋として使用されている。*82
所在地 : 徳島県徳島市東新町1-5-3(2026年)
開館年 : 2012年3月18日
閉館年 : 営業中
公式サイト : ufotableCINEMA
最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
2011年5月4日、アニメ制作会社のユーフォーテーブルの近藤光社長(41)が記者会見し、1年以内をめどに徳島市東新町に映画館を開館させる計画を発表した。2006年には徳島市中心部から常設映画館がなくなっている。近藤社長は徳島市出身であり、徳島市でアニメイベント「マチ☆アソビ」を企画してきた。マクドナルドなどが入っていた3階建ての守住ビルを改装し、2スクリーンでアニメ映画主体の映画館とする。*83
2012年3月18日、徳島市東新町1の東新町1丁目商店街に映画館「ufotable CINEMA」が開館する。アニメ制作会社のユーフォーテーブルが手掛け、アニメを主体とした映画館となる。ユーフォーテーブル代表の近藤光(42)は徳島市出身である。1階がグッズ販売店、2階が71席と29席の2スクリーンとなる。地下1階にはアニメイトが入る。3月18日には文化庁によるプロジェクト「アニメミライ」の4作品が先行上映され、声優のトークイベントが開催される。*84
2012年3月18日、徳島市東新町1の商店街内に映画館「ユーフォーテーブルシネマ」が開館した。71席と29席の2スクリーン。2006年1月に「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館して以来、約6年ぶりに徳島市中心部に映画館が復活する。運営するユーフォーテーブルはアニメ制作会社であるが、ユーフォーテーブルシネマはアニメ映画に限らず上映する予定。*85
開館年 : 2012年3月18日
閉館年 : 営業中
公式サイト : ufotableCINEMA
最寄駅はJR高徳線・牟岐線徳島駅。
2011年5月4日、アニメ制作会社のユーフォーテーブルの近藤光社長(41)が記者会見し、1年以内をめどに徳島市東新町に映画館を開館させる計画を発表した。2006年には徳島市中心部から常設映画館がなくなっている。近藤社長は徳島市出身であり、徳島市でアニメイベント「マチ☆アソビ」を企画してきた。マクドナルドなどが入っていた3階建ての守住ビルを改装し、2スクリーンでアニメ映画主体の映画館とする。*83
2012年3月18日、徳島市東新町1の東新町1丁目商店街に映画館「ufotable CINEMA」が開館する。アニメ制作会社のユーフォーテーブルが手掛け、アニメを主体とした映画館となる。ユーフォーテーブル代表の近藤光(42)は徳島市出身である。1階がグッズ販売店、2階が71席と29席の2スクリーンとなる。地下1階にはアニメイトが入る。3月18日には文化庁によるプロジェクト「アニメミライ」の4作品が先行上映され、声優のトークイベントが開催される。*84
2012年3月18日、徳島市東新町1の商店街内に映画館「ユーフォーテーブルシネマ」が開館した。71席と29席の2スクリーン。2006年1月に「徳島東宝」と「東宝シネマ」が閉館して以来、約6年ぶりに徳島市中心部に映画館が復活する。運営するユーフォーテーブルはアニメ制作会社であるが、ユーフォーテーブルシネマはアニメ映画に限らず上映する予定。*85
所在地 : 徳島県徳島市南末広町4-1 イオンモール徳島5階(2025年)
開館年 : 2017年4月27日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR牟岐線阿波富田駅。
『徳島人』メディコム、2013年2月号には「シネマ全盛期をふりかえる」という記事が掲載されている。*86
開館年 : 2017年4月27日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR牟岐線阿波富田駅。
『徳島人』メディコム、2013年2月号には「シネマ全盛期をふりかえる」という記事が掲載されている。*86

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