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釧路市の映画館を参照。
帯広市の映画館を参照。
北見市の映画館を参照。
オホーツク地域の映画館を参照。
所在地 : 北海道中川郡幕別町止若(1963年)
開館年 : 1912年、1923年(建て替え)
閉館年 : 1965年3月
1912年に岡田要吉が設立した劇場「橘座」。1922年3月に焼失したが、1923年に白坂小太郎によって再建された。1963年に営業を中止し、芽室町の武田興業の経営となった。1965年3月に廃業して解体された。所在地は幕別町止若。*1
開館年 : 1912年、1923年(建て替え)
閉館年 : 1965年3月
1912年に岡田要吉が設立した劇場「橘座」。1922年3月に焼失したが、1923年に白坂小太郎によって再建された。1963年に営業を中止し、芽室町の武田興業の経営となった。1965年3月に廃業して解体された。所在地は幕別町止若。*1
所在地 : 北海道河東郡士幌村中士幌(1955年)
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1955年頃
1948年3月には士幌村公民館が開館し、洋裁講習会などの講座が行われた。1953年5月7日に士幌村役場が全焼すると、士幌村公民館が暫定的に役場として使用され、その後は劇場として売却された。公民館を転用した士幌劇場の写真あり。*9
1948年、士幌村に「士幌劇場」が開館した。*10
1948年3月25日、士幌村に「士幌劇場」が開館した。*11
1962年現在の士幌村の劇場・映画館には「士幌劇場」と「中士幌劇場」がある。士幌劇場は木造平屋で109坪、収容人員200人。中士幌劇場は木造平屋で175坪5、収容人員150人。*12
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1955年頃
1948年3月には士幌村公民館が開館し、洋裁講習会などの講座が行われた。1953年5月7日に士幌村役場が全焼すると、士幌村公民館が暫定的に役場として使用され、その後は劇場として売却された。公民館を転用した士幌劇場の写真あり。*9
1948年、士幌村に「士幌劇場」が開館した。*10
1948年3月25日、士幌村に「士幌劇場」が開館した。*11
1962年現在の士幌村の劇場・映画館には「士幌劇場」と「中士幌劇場」がある。士幌劇場は木造平屋で109坪、収容人員200人。中士幌劇場は木造平屋で175坪5、収容人員150人。*12
所在地 : 北海道河東郡鹿追町(1966年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1966年頃
1978年の鹿追町にあった「鹿追映劇」の写真あり。鹿追座が全焼した後、1954年に成田福安によって鹿追映劇が開館した。成田は1938年から鹿追市街地で馬車や馬そりの製造販売を行っていた人物である。1974年には鹿追映劇がゴルフ練習場に転向した。*15
開館年 : 1954年
閉館年 : 1966年頃
1978年の鹿追町にあった「鹿追映劇」の写真あり。鹿追座が全焼した後、1954年に成田福安によって鹿追映劇が開館した。成田は1938年から鹿追市街地で馬車や馬そりの製造販売を行っていた人物である。1974年には鹿追映劇がゴルフ練習場に転向した。*15
所在地 : 北海道上川郡新得町市街(1955年)
開館年 : 1923年3月
閉館年 : 1955年頃
1923年3月に開場した劇場「新得座」。設立者は不明だが、後に志賀嘉一郎が経営した。所在地は上佐幌西線36。*16
1923年3月、新得市街地の上佐幌西4線36番地に劇場「新得座」が設立されて映画や演劇の興行が行われた。やがて製材業の志賀嘉一郎が経営を継いだが、すでに市街地の中心は駅前に移行しており、村形通りは衰退の兆候を見せていた。1926年2月、新得村字新得本通南3丁目15番地に「新盛座」も設立され、1935年頃には黒田清七が経営していたが、その後経営不振で廃館となった。*17
1923年3月、屈足村字上佐幌西4線36番地に劇場「新得座」が開館した。屈足村が新得村に改称して一級村に昇格したのは同年5月1日のことである。1926年2月には新得村字新得本通南3丁目15番地に「新盛座」も開館した。*18
開館年 : 1923年3月
閉館年 : 1955年頃
1923年3月に開場した劇場「新得座」。設立者は不明だが、後に志賀嘉一郎が経営した。所在地は上佐幌西線36。*16
1923年3月、新得市街地の上佐幌西4線36番地に劇場「新得座」が設立されて映画や演劇の興行が行われた。やがて製材業の志賀嘉一郎が経営を継いだが、すでに市街地の中心は駅前に移行しており、村形通りは衰退の兆候を見せていた。1926年2月、新得村字新得本通南3丁目15番地に「新盛座」も設立され、1935年頃には黒田清七が経営していたが、その後経営不振で廃館となった。*17
1923年3月、屈足村字上佐幌西4線36番地に劇場「新得座」が開館した。屈足村が新得村に改称して一級村に昇格したのは同年5月1日のことである。1926年2月には新得村字新得本通南3丁目15番地に「新盛座」も開館した。*18
所在地 : 北海道河西郡芽室町(1981年)
開館年 : 1920年8月
閉館年 : 1981年頃
跡地は「北海道銀行芽室支店」東北東50mの「芽室町営幸町団地」。最寄駅はJR根室本線芽室駅。
1913年、清原次平らによって芽室南1線西138番地に「芽室座」が建てられた。芽室座では旧劇や新派劇、また浪曲の公演などが行われた。1920年8月、八木庄太郎が芽室東1条3丁目6番地に常設館「八代井館」を新築開館し、芽室座は経営難で1922年に閉館した。1944年、北川久四郎が八代井館の経営者となって「芽室劇場」に改称した。さらに経営者は高玉治に変わったが、やがて横山利郎を社長とする株式会社芽室劇場が設立された。口絵に芽室劇場の写真あり。*19
1913年に清原次平らによって新築された劇場「芽室座」。所在地は芽室町南1線西138。1922年に閉鎖された。1944年、北川久四郎が旧芽室座を「芽室劇場」に改称して経営した。やがて高玉治の経営となり、その後株式会社芽室劇場が設立された。*20
芽室における娯楽施設としては、1913年に「芽室座」が、1920年8月に「八代井館」が開館し、1944年には八代井館が「芽室劇場」に改称した。*21
開館年 : 1920年8月
閉館年 : 1981年頃
跡地は「北海道銀行芽室支店」東北東50mの「芽室町営幸町団地」。最寄駅はJR根室本線芽室駅。
1913年、清原次平らによって芽室南1線西138番地に「芽室座」が建てられた。芽室座では旧劇や新派劇、また浪曲の公演などが行われた。1920年8月、八木庄太郎が芽室東1条3丁目6番地に常設館「八代井館」を新築開館し、芽室座は経営難で1922年に閉館した。1944年、北川久四郎が八代井館の経営者となって「芽室劇場」に改称した。さらに経営者は高玉治に変わったが、やがて横山利郎を社長とする株式会社芽室劇場が設立された。口絵に芽室劇場の写真あり。*19
1913年に清原次平らによって新築された劇場「芽室座」。所在地は芽室町南1線西138。1922年に閉鎖された。1944年、北川久四郎が旧芽室座を「芽室劇場」に改称して経営した。やがて高玉治の経営となり、その後株式会社芽室劇場が設立された。*20
芽室における娯楽施設としては、1913年に「芽室座」が、1920年8月に「八代井館」が開館し、1944年には八代井館が「芽室劇場」に改称した。*21
所在地 : 北海道中川郡池田町(1950年)
開館年 : 1916年頃
閉館年 : 1955年頃
1916年頃に酒井源三郎が開業した劇場「富士見館」。1955年頃に廃業した。所在地は池田町池田市街。*23
開館年 : 1916年頃
閉館年 : 1955年頃
1916年頃に酒井源三郎が開業した劇場「富士見館」。1955年頃に廃業した。所在地は池田町池田市街。*23
所在地 : 北海道中川郡豊頃村字大津(1964年)
開館年 : 1952年9月
閉館年 : 1964年頃
1952年9月、十勝沖地震後には大津に長瀬藤次郎によって「ミリオン劇場」が開館した。大津唯一の娯楽機関だった。*26
開館年 : 1952年9月
閉館年 : 1964年頃
1952年9月、十勝沖地震後には大津に長瀬藤次郎によって「ミリオン劇場」が開館した。大津唯一の娯楽機関だった。*26
所在地 : 北海道足寄郡西足寄村(1950年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
西足寄村の布施延太郎。1921年10月に株式会社足寄劇場が設立されると社長に推された。*29
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
西足寄村の布施延太郎。1921年10月に株式会社足寄劇場が設立されると社長に推された。*29
所在地 : 北海道足寄郡足寄町(1972年)
開館年 : 1921年10月
閉館年 : 1972年頃
西足寄村の布施延太郎。木材業。慶応3年(1867年)に道南の檜山郡江差町に生まれ、1885年に余市町に転居して漁業に従事した。日清戦争や日露戦争にも出征している。1906年には道東の枝幸郡枝幸村に転居し、木材業に転向した。1917年には西足寄村に転居して根拠地とし、1921年10月には株式会社足寄劇場を創立、推されて社長に就任した。*32
1921年に布施延太郎が創立した「足寄劇場」。*33
1958年の足寄町にあった映画館「足寄劇場」の写真あり。「Ashi-Geki」の文字が見える。定員は400人。*34
開館年 : 1921年10月
閉館年 : 1972年頃
西足寄村の布施延太郎。木材業。慶応3年(1867年)に道南の檜山郡江差町に生まれ、1885年に余市町に転居して漁業に従事した。日清戦争や日露戦争にも出征している。1906年には道東の枝幸郡枝幸村に転居し、木材業に転向した。1917年には西足寄村に転居して根拠地とし、1921年10月には株式会社足寄劇場を創立、推されて社長に就任した。*32
1921年に布施延太郎が創立した「足寄劇場」。*33
1958年の足寄町にあった映画館「足寄劇場」の写真あり。「Ashi-Geki」の文字が見える。定員は400人。*34
所在地 : 北海道足寄郡陸別町(1974年)
開館年 : 1923年、1949年6月(建て替え)
閉館年 : 1974年頃
跡地は「JA陸別町本所」北東110mにある「陸別町移住産業研修センター」。最寄駅はJR根室本線池田駅。
「大正四年公会堂の設置・市街地に共栄座が開業することになる」(※原文ママ。共栄座の開業年が不明確)。共栄座では演奏会や演芸発表会などが行われた。共栄座で行われた演奏会の際の館内の写真あり。共栄座の外観の写真あり。*35
1920年、陸別村に富樫八百蔵によって「共栄座」が設置された。1994年現在の共栄第一まるはや支店の場所である。共栄座の外観の写真あり。*36
1923年、陸別村に「共栄座」が創立した。後の「陸別劇場」である。*37
陸別町にあった「陸別劇場」の写真あり。戦時中や戦後の陸別町には「共栄座」があったが、1949年に解体され、同年に陸別劇場が開館した。*38
2014年2月には陸別町役場は陸別町東2-2にある旧早坂商店共栄第一支店跡の建物を取得した。2014年度中に取り壊す予定。かつて「陸別劇場」だった建物である。陸別劇場時代の写真あり。*39
開館年 : 1923年、1949年6月(建て替え)
閉館年 : 1974年頃
跡地は「JA陸別町本所」北東110mにある「陸別町移住産業研修センター」。最寄駅はJR根室本線池田駅。
「大正四年公会堂の設置・市街地に共栄座が開業することになる」(※原文ママ。共栄座の開業年が不明確)。共栄座では演奏会や演芸発表会などが行われた。共栄座で行われた演奏会の際の館内の写真あり。共栄座の外観の写真あり。*35
1920年、陸別村に富樫八百蔵によって「共栄座」が設置された。1994年現在の共栄第一まるはや支店の場所である。共栄座の外観の写真あり。*36
1923年、陸別村に「共栄座」が創立した。後の「陸別劇場」である。*37
陸別町にあった「陸別劇場」の写真あり。戦時中や戦後の陸別町には「共栄座」があったが、1949年に解体され、同年に陸別劇場が開館した。*38
2014年2月には陸別町役場は陸別町東2-2にある旧早坂商店共栄第一支店跡の建物を取得した。2014年度中に取り壊す予定。かつて「陸別劇場」だった建物である。陸別劇場時代の写真あり。*39
所在地 : 北海道釧路郡釧路町桂木1-2-2 イオン釧路店横(2025年)
開館年 : 2000年11月30日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR根室本線・釧網本線東釧路駅。
2000年11月30日、釧路郡釧路町桂木1-2-2 釧路サティ横に「ワーナー・マイカル・シネマズ釧路」が開館した。8スクリーンを有する。*40
開館年 : 2000年11月30日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR根室本線・釧網本線東釧路駅。
2000年11月30日、釧路郡釧路町桂木1-2-2 釧路サティ横に「ワーナー・マイカル・シネマズ釧路」が開館した。8スクリーンを有する。*40
所在地 : 北海道厚岸郡浜中村茶内
開館年 : 不明
閉館年 : 1951年5月19日
跡地は「茶内郵便局」北西80mの広場「茶内子供遊園地」。石碑「大原劇場火災殉難者慰霊碑」あり(痕跡)。最寄駅はJR根室本線茶内駅。
1951年5月19日午後3時、浜中村茶内の「大原劇場」で上映中にフィルムに引火し、劇場に加えて民家3戸が全焼した。児童を含めて42人が焼死し、8人が重傷となった。*41
1951年5月19日、浜中村の映画館で火災が発生し、小中学生24人、幼児14人、大人4人の計42人が焼死した。*42
1951年5月19日、厚岸郡浜中村の「茶内劇場」で映写中に出火して39人が焼死した。*43
1951年5月19日午後2時50分頃、厚岸郡浜中村茶内の映画館「大原劇場」から出火し、劇場と付近の民家4戸が全焼した上、150人の観客のうち42人の焼死者と4人の重軽傷者を出した。映写中のフィルムに引火したとみられる。死者の大半は幼児と小中学生だった。*44
1951年5月19日、厚岸郡浜中村茶内の映画館「大原劇場」で教育映画が上映され、茶内小学校や茶内中学校の児童生徒など約240人が鑑賞していたが、午後2時50分頃に映写フィルムから出火した。子ども37人(うち幼児11人、小学生22人)、大人5人の計42人が焼死した。*45
開館年 : 不明
閉館年 : 1951年5月19日
跡地は「茶内郵便局」北西80mの広場「茶内子供遊園地」。石碑「大原劇場火災殉難者慰霊碑」あり(痕跡)。最寄駅はJR根室本線茶内駅。
1951年5月19日午後3時、浜中村茶内の「大原劇場」で上映中にフィルムに引火し、劇場に加えて民家3戸が全焼した。児童を含めて42人が焼死し、8人が重傷となった。*41
1951年5月19日、浜中村の映画館で火災が発生し、小中学生24人、幼児14人、大人4人の計42人が焼死した。*42
1951年5月19日、厚岸郡浜中村の「茶内劇場」で映写中に出火して39人が焼死した。*43
1951年5月19日午後2時50分頃、厚岸郡浜中村茶内の映画館「大原劇場」から出火し、劇場と付近の民家4戸が全焼した上、150人の観客のうち42人の焼死者と4人の重軽傷者を出した。映写中のフィルムに引火したとみられる。死者の大半は幼児と小中学生だった。*44
1951年5月19日、厚岸郡浜中村茶内の映画館「大原劇場」で教育映画が上映され、茶内小学校や茶内中学校の児童生徒など約240人が鑑賞していたが、午後2時50分頃に映写フィルムから出火した。子ども37人(うち幼児11人、小学生22人)、大人5人の計42人が焼死した。*45
所在地 : 北海道厚岸郡浜中村霧多布(1962年)
開館年 : 1912年以前
閉館年 : 1962年頃
明治末期、霧多布の三の通りには「霧多布座」、料理店の霧島楼、貸座敷の田中楼、花月楼、喜亭見楼などがあった。霧多布座の写真あり。*46
開館年 : 1912年以前
閉館年 : 1962年頃
明治末期、霧多布の三の通りには「霧多布座」、料理店の霧島楼、貸座敷の田中楼、花月楼、喜亭見楼などがあった。霧多布座の写真あり。*46
所在地 : 北海道川上郡標茶町(1968年)
開館年 : 1935年、1953年頃(建て替え)
閉館年 : 1968年頃
1950年の標茶町にあった「標茶劇場」の写真あり。「場劇茶標」の文字が見える。巨大な2階建であり、2階には警官席が設けられていた。映画・芝居・浪曲などの興行を行っていたが、1953年の標茶大火で焼失した。1957年の2代目標茶劇場の写真あり。初代の跡地には2代目標茶劇場が建てられたが、この建物も火災で焼失した。*47
開館年 : 1935年、1953年頃(建て替え)
閉館年 : 1968年頃
1950年の標茶町にあった「標茶劇場」の写真あり。「場劇茶標」の文字が見える。巨大な2階建であり、2階には警官席が設けられていた。映画・芝居・浪曲などの興行を行っていたが、1953年の標茶大火で焼失した。1957年の2代目標茶劇場の写真あり。初代の跡地には2代目標茶劇場が建てられたが、この建物も火災で焼失した。*47
所在地 : 北海道白糠郡白糠町庶路市街地中央(1959年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1959年頃
白糠町にある「白糠座」の前身は、明治末期に馬小屋を改造した「谷口座」である。1922年には羽田野猶家が北越館の跡地に「白糠劇場」を建設し、1924年に劇場としての認可を得た。1954年現在の白糠劇場は映画常設館となっている。1953年には庶路市街地にも映画館が開館した。*48
開館年 : 1953年
閉館年 : 1959年頃
白糠町にある「白糠座」の前身は、明治末期に馬小屋を改造した「谷口座」である。1922年には羽田野猶家が北越館の跡地に「白糠劇場」を建設し、1924年に劇場としての認可を得た。1954年現在の白糠劇場は映画常設館となっている。1953年には庶路市街地にも映画館が開館した。*48
所在地 : 北海道白糠郡白糠町明治庶路炭鉱(1964年)
開館年 : 1941年7月
閉館年 : 1964年頃
白糠郡白糠町の庶路鉱業所の福利施設である「信和会館」。1941年7月建設。700人収容。*51
開館年 : 1941年7月
閉館年 : 1964年頃
白糠郡白糠町の庶路鉱業所の福利施設である「信和会館」。1941年7月建設。700人収容。*51
所在地 : 北海道白糠郡白糠町(1971年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1971年頃
1965年頃の白糠町にあった「プリンス映劇」と「白糠座」の写真あり。プリンス映劇は松竹・大映・洋画などを上映していた。*52
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1971年頃
1965年頃の白糠町にあった「プリンス映劇」と「白糠座」の写真あり。プリンス映劇は松竹・大映・洋画などを上映していた。*52
所在地 : 北海道根室郡根室町常盤町2(1930年)
開館年 : 1909年10月2日
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1888年3月13日、根室町常盤町1丁目に劇場「常盤座」が落成した。1894年、弥生町3丁目に常磐座が落成した。*55
根室町の娯楽施設としては「根室劇場」「東館」「常盤館」がある。1909年10月2日、根室町大字常盤町2丁目4番地に常盤館が設立された。収容人数は450人であり、主として寄席の興行を行っている。経営者は荒川音次郎。*56
1890年3月、根室町常盤町に芝居小屋「常盤座」が建てられた。1893年には弥生町3丁目に移転した。小屋主は飯田広吉である。1893年には花咲町3丁目に「根室座」も開場したが、根室座は1895年10月の大火で焼失した。1900年、常盤座が根室座の経営者に譲渡されて根室座に改称した。小屋主は嵯峨啓蔵である。根室座は1909年3月に全焼した。*57
開館年 : 1909年10月2日
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1888年3月13日、根室町常盤町1丁目に劇場「常盤座」が落成した。1894年、弥生町3丁目に常磐座が落成した。*55
根室町の娯楽施設としては「根室劇場」「東館」「常盤館」がある。1909年10月2日、根室町大字常盤町2丁目4番地に常盤館が設立された。収容人数は450人であり、主として寄席の興行を行っている。経営者は荒川音次郎。*56
1890年3月、根室町常盤町に芝居小屋「常盤座」が建てられた。1893年には弥生町3丁目に移転した。小屋主は飯田広吉である。1893年には花咲町3丁目に「根室座」も開場したが、根室座は1895年10月の大火で焼失した。1900年、常盤座が根室座の経営者に譲渡されて根室座に改称した。小屋主は嵯峨啓蔵である。根室座は1909年3月に全焼した。*57
所在地 : 北海道根室市本町2-5(1963年)
開館年 : 1906年3月
閉館年 : 1963年頃
1892年7月、根室町弥生町1丁目に嵯峨啓蔵によって寄席「二六亭」が開館した。1906年2月20日には二六亭が全焼したが、3月には本町1丁目に「十二亭」として再建された。その後「朝日館」に改称して活動写真常設館となった。1933年現在の経営者は鈴木由蔵である。*58
1892年7月、根室町弥生町に寄席「二六亭」が開場した。1906年2月に全焼したが、3月には本町1丁目に再建された。その後活動常設館「東館」となり、やがて「朝日館」に改称して映画を上映した。*59
1956年の根室市本町にあった劇場「朝日館」の写真あり。イタリア映画『特攻魚雷作戦』、アメリカの西部劇『10人のならず者』の看板が見える。*60
開館年 : 1906年3月
閉館年 : 1963年頃
1892年7月、根室町弥生町1丁目に嵯峨啓蔵によって寄席「二六亭」が開館した。1906年2月20日には二六亭が全焼したが、3月には本町1丁目に「十二亭」として再建された。その後「朝日館」に改称して活動写真常設館となった。1933年現在の経営者は鈴木由蔵である。*58
1892年7月、根室町弥生町に寄席「二六亭」が開場した。1906年2月に全焼したが、3月には本町1丁目に再建された。その後活動常設館「東館」となり、やがて「朝日館」に改称して映画を上映した。*59
1956年の根室市本町にあった劇場「朝日館」の写真あり。イタリア映画『特攻魚雷作戦』、アメリカの西部劇『10人のならず者』の看板が見える。*60
所在地 : 北海道根室市本町4丁目(1967年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1967年頃
1956年の根室市本町にあった「根室銀映」の写真あり。衣笠貞之助監督作『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』、『甲武信嶽傳奇』三部作の看板が見える。*64
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1967年頃
1956年の根室市本町にあった「根室銀映」の写真あり。衣笠貞之助監督作『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』、『甲武信嶽傳奇』三部作の看板が見える。*64
所在地 : 北海道根室市本町4丁目(1973年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年頃
1951年、根室市に「中央劇場」が開館した。*65
1957年の根室市にあった「東映劇場」の写真あり。「根室東映」の文字が見える。今井正監督作の東映カラー『米』の特別有料試写会、『恋染め浪人』の看板が見える。「根室銀映」の裏手にあった。*66
1960年4月22日、根室市に「第二東映劇場」が開館した。*67
1960年春のこのほど、根室市本町の「根室東映」は「根室第二東映」に改称して第二東映に転向した。経営は寺島清司。4月23日、鈴木興行が経営する根室市鳴海町の「根室シネマ」を寺島が買収し、「根室東映」に改称して東映に転向した。*68
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年頃
1951年、根室市に「中央劇場」が開館した。*65
1957年の根室市にあった「東映劇場」の写真あり。「根室東映」の文字が見える。今井正監督作の東映カラー『米』の特別有料試写会、『恋染め浪人』の看板が見える。「根室銀映」の裏手にあった。*66
1960年4月22日、根室市に「第二東映劇場」が開館した。*67
1960年春のこのほど、根室市本町の「根室東映」は「根室第二東映」に改称して第二東映に転向した。経営は寺島清司。4月23日、鈴木興行が経営する根室市鳴海町の「根室シネマ」を寺島が買収し、「根室東映」に改称して東映に転向した。*68
所在地 : 北海道根室市本町1丁目(1982年)
開館年 : 1911年9月12日
閉館年 : 1982年頃
跡地は道道35号本町1丁目交差点北北東60mの更地。最寄駅はJR花咲線根室駅。
根室町の娯楽施設としては「根室劇場」「東館」「常盤館」がある。根室劇場は1911年5月に着工し、9月12日に落成開場式を行った。東京の帝国劇場を模した洋風建築であり、1500人を収容する。経営者は嵯峨啓蔵。根室町大字梅ケ枝町1丁目1番地。*69
1888年3月、根室町常盤町1丁目に飯田広吉によって劇場「常盤座」が開館した。1893年には弥生町3丁目に移転した。同年7月には花咲町3丁目に嵯峨啓蔵によって「根室座」が新築開館したが、1895年10月3日に火災で焼失した。1900年2月、嵯峨啓蔵は常盤座を譲り受けて根室座に改称したが、1909年3月3日に火災で焼失した。1911年9月12日、嵯峨啓蔵は有志の援助を受けて「根室劇場」を新築落成した。1933年現在の根室劇場の館主は高橋文平である。*70
1909年3月3日、根室町の劇場「根室座」が焼失した。1911年9月12日、根室町の「根室劇場」の新築落成式が行われた。*71
1911年9月12日、根室町梅ケ枝町1丁目に嵯峨啓蔵が経営する「根室劇場」の新築落成式が行われた。同年5月に起工し、工費1万円で建設された。1921年6月22日、衆議院議員の尾崎行雄が根室劇場で陸軍軍縮演説を行った。*72
1911年9月、根室町に「根室劇場」が開場した。1983年現在の「北映劇場」である。*73
根室劇場主の高橋文平。1882年7月13日に埼玉県比企郡菅谷村に生まれ、埼玉県立熊谷中学校を卒業後、1902年に第一師団歩兵第三連隊に入隊し、1904年には日露戦争に従軍した。1918年から1919年頃に釧路市に移り、その後経営破綻寸前の根室劇場を立て直した。1922年11月には正式に根室劇場の経営者となった。*74
大正末期から昭和初期の根室町梅ヶ枝町にあった「根室劇場」の写真あり。根室町には劇場として「常盤座」や「根室座」があったが、根室座が焼失した後の1911年、工費1万円で根室劇場が建てられた。経営者は嵯峨啓蔵。*75
開館年 : 1911年9月12日
閉館年 : 1982年頃
跡地は道道35号本町1丁目交差点北北東60mの更地。最寄駅はJR花咲線根室駅。
根室町の娯楽施設としては「根室劇場」「東館」「常盤館」がある。根室劇場は1911年5月に着工し、9月12日に落成開場式を行った。東京の帝国劇場を模した洋風建築であり、1500人を収容する。経営者は嵯峨啓蔵。根室町大字梅ケ枝町1丁目1番地。*69
1888年3月、根室町常盤町1丁目に飯田広吉によって劇場「常盤座」が開館した。1893年には弥生町3丁目に移転した。同年7月には花咲町3丁目に嵯峨啓蔵によって「根室座」が新築開館したが、1895年10月3日に火災で焼失した。1900年2月、嵯峨啓蔵は常盤座を譲り受けて根室座に改称したが、1909年3月3日に火災で焼失した。1911年9月12日、嵯峨啓蔵は有志の援助を受けて「根室劇場」を新築落成した。1933年現在の根室劇場の館主は高橋文平である。*70
1909年3月3日、根室町の劇場「根室座」が焼失した。1911年9月12日、根室町の「根室劇場」の新築落成式が行われた。*71
1911年9月12日、根室町梅ケ枝町1丁目に嵯峨啓蔵が経営する「根室劇場」の新築落成式が行われた。同年5月に起工し、工費1万円で建設された。1921年6月22日、衆議院議員の尾崎行雄が根室劇場で陸軍軍縮演説を行った。*72
1911年9月、根室町に「根室劇場」が開場した。1983年現在の「北映劇場」である。*73
根室劇場主の高橋文平。1882年7月13日に埼玉県比企郡菅谷村に生まれ、埼玉県立熊谷中学校を卒業後、1902年に第一師団歩兵第三連隊に入隊し、1904年には日露戦争に従軍した。1918年から1919年頃に釧路市に移り、その後経営破綻寸前の根室劇場を立て直した。1922年11月には正式に根室劇場の経営者となった。*74
大正末期から昭和初期の根室町梅ヶ枝町にあった「根室劇場」の写真あり。根室町には劇場として「常盤座」や「根室座」があったが、根室座が焼失した後の1911年、工費1万円で根室劇場が建てられた。経営者は嵯峨啓蔵。*75
所在地 : 北海道根室市梅ヶ枝町1-15(1985年)
開館年 : 1947年以後1950年以前、1977年10月6日
閉館年 : 1988年
跡地は道道35号本町1丁目交差点東北東60mの更地。最寄駅はJR花咲線根室駅。
1957年の根室市梅ヶ枝町にあった「北映劇場」の写真あり。「関東豪華浪曲大会」の看板が見える。*76
1961年9月25日、根室市梅ケ枝町1-11の「北映劇場」楽屋裏から出火して焼失した。電気コンロの過熱が原因とされる。*77
1961年9月25日、根室市の「北映劇場」が全焼した。原因は電熱器の過熱。*78
1961年9月25日、根室市の「北映劇場」が映写中に出火して全焼した。1977年10月6日、北映劇場が新築落成して開館した。*79
根室市梅ヶ枝町1-5の「北映劇場」(????年-1988年)。360席。1961年4月30日時点で根室市には「朝日館」「根室劇場」「根室銀映」「北映劇場」「根室東映」「中央劇場」の6館があり、花咲港にはサケ・マス・サンマの漁盛期の夜のみ上映する「みなと劇場」があった。大部分は鈴木良次社長の鈴木興業が経営しており、1972年には息子の鈴木淳司が経営を継いだ。1987年には館名を洋風に変えたが、最後まで残った北映劇場も1988年に閉館した。*80
開館年 : 1947年以後1950年以前、1977年10月6日
閉館年 : 1988年
跡地は道道35号本町1丁目交差点東北東60mの更地。最寄駅はJR花咲線根室駅。
1957年の根室市梅ヶ枝町にあった「北映劇場」の写真あり。「関東豪華浪曲大会」の看板が見える。*76
1961年9月25日、根室市梅ケ枝町1-11の「北映劇場」楽屋裏から出火して焼失した。電気コンロの過熱が原因とされる。*77
1961年9月25日、根室市の「北映劇場」が全焼した。原因は電熱器の過熱。*78
1961年9月25日、根室市の「北映劇場」が映写中に出火して全焼した。1977年10月6日、北映劇場が新築落成して開館した。*79
根室市梅ヶ枝町1-5の「北映劇場」(????年-1988年)。360席。1961年4月30日時点で根室市には「朝日館」「根室劇場」「根室銀映」「北映劇場」「根室東映」「中央劇場」の6館があり、花咲港にはサケ・マス・サンマの漁盛期の夜のみ上映する「みなと劇場」があった。大部分は鈴木良次社長の鈴木興業が経営しており、1972年には息子の鈴木淳司が経営を継いだ。1987年には館名を洋風に変えたが、最後まで残った北映劇場も1988年に閉館した。*80
所在地 : 北海道標津郡中標津町西1北2(1965年)
開館年 : 戦前
閉館年 : 1965年頃
跡地は「白木屋中標津店」敷地東側。最寄駅はJR釧網本線弟子屈駅。
1939年10月19日、中標津の「共楽座」で植松村長を弾劾する住民大会が開催された。1948年2月21日、共楽座で中標津農業協同組合の設立総会が催された。共楽座は1960年まで営業していた映画館である。山崎孝一の個人経営だった共楽座はテレビの普及とともに廃館となった。1981年現在のマルエーストアーの場所にあった。共楽座の写真あり。*81
1957年の中標津町西1条北1丁目にあった劇場「共楽座」の写真あり。「映劇 共楽座」の文字が見える。『踊る摩天楼』の看板が見える。*82
開館年 : 戦前
閉館年 : 1965年頃
跡地は「白木屋中標津店」敷地東側。最寄駅はJR釧網本線弟子屈駅。
1939年10月19日、中標津の「共楽座」で植松村長を弾劾する住民大会が開催された。1948年2月21日、共楽座で中標津農業協同組合の設立総会が催された。共楽座は1960年まで営業していた映画館である。山崎孝一の個人経営だった共楽座はテレビの普及とともに廃館となった。1981年現在のマルエーストアーの場所にあった。共楽座の写真あり。*81
1957年の中標津町西1条北1丁目にあった劇場「共楽座」の写真あり。「映劇 共楽座」の文字が見える。『踊る摩天楼』の看板が見える。*82
所在地 : 北海道標津郡中標津町(1972年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1972年頃
1952年、中標津町に鈴木利助・小針義雄・笹谷勝広・佐々木秀三・北山義郎・春木寅二・乾太助・山根協一・鈴木務によって常設映画館「中央劇場」(後の中標津劇場)が開館した。中標津劇場はテレビの普及とともに廃館となった。*83
開館年 : 1952年
閉館年 : 1972年頃
1952年、中標津町に鈴木利助・小針義雄・笹谷勝広・佐々木秀三・北山義郎・春木寅二・乾太助・山根協一・鈴木務によって常設映画館「中央劇場」(後の中標津劇場)が開館した。中標津劇場はテレビの普及とともに廃館となった。*83
所在地 : 北海道標津郡標津町(1970年)
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1970年頃
昭和30年代の標津町の親不孝通りにあった「標津映画劇場」の写真あり。「標劇」の文字が見える。標津町唯一の劇場であり、映画に加えて演劇も行われた。*86
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1970年頃
昭和30年代の標津町の親不孝通りにあった「標津映画劇場」の写真あり。「標劇」の文字が見える。標津町唯一の劇場であり、映画に加えて演劇も行われた。*86
所在地 : 北海道目梨郡羅臼町(1966年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1966年
跡地は「羅臼郵便局」北北西130m付近。最寄駅はJR釧網本線知床斜里駅。
1957年の羅臼町富士見町にあった「羅臼劇場」の写真あり。「太田劇場」とも呼ばれた。羅臼町には2館の劇場があり、イカ漁の漁師らでにぎわった。*87
昭和20年代から30年代の「羅臼劇場」の写真あり。1951年に羅臼村初の常設映画館として建てられた。木造2階建てであり、収容人員は550人。1966年に廃業した。*88
「羅臼劇場」に言及している書籍として、羅臼町百年史編集委員会『羅臼町百年史』羅臼町、2001年がある。現物は未確認。*89
開館年 : 1951年
閉館年 : 1966年
跡地は「羅臼郵便局」北北西130m付近。最寄駅はJR釧網本線知床斜里駅。
1957年の羅臼町富士見町にあった「羅臼劇場」の写真あり。「太田劇場」とも呼ばれた。羅臼町には2館の劇場があり、イカ漁の漁師らでにぎわった。*87
昭和20年代から30年代の「羅臼劇場」の写真あり。1951年に羅臼村初の常設映画館として建てられた。木造2階建てであり、収容人員は550人。1966年に廃業した。*88
「羅臼劇場」に言及している書籍として、羅臼町百年史編集委員会『羅臼町百年史』羅臼町、2001年がある。現物は未確認。*89
所在地 : 北海道目梨郡羅臼町本町(1990年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1990年頃
跡地は観光代理店「知床ネイチャークルーズ」北東60mの三差路付近。最寄駅はJR釧網本線知床斜里駅。
1970年の『羅臼町史』には「羅臼市街・商店街再開発マスタープラン図」が掲載されており、羅臼橋の南側には「映」と記されている。*90
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1990年頃
跡地は観光代理店「知床ネイチャークルーズ」北東60mの三差路付近。最寄駅はJR釧網本線知床斜里駅。
1970年の『羅臼町史』には「羅臼市街・商店街再開発マスタープラン図」が掲載されており、羅臼橋の南側には「映」と記されている。*90
所在地 : 北海道野付郡別海村字西別(1965年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1956年の別海町にあった「西別劇場」の写真あり。別海町には西別劇場と「西別セントラル劇場」の2館が競合していた。*91
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1956年の別海町にあった「西別劇場」の写真あり。別海町には西別劇場と「西別セントラル劇場」の2館が競合していた。*91

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