日本の映画館の総合データベースです。管理人「かんた」のみが編集可能。


東京23区

千代田区は千代田区の映画館を参照。
中央区は東京都中央区の映画館を参照。
港区は東京都港区の映画館を参照。
台東区は台東区の映画館を参照。
墨田区は墨田区の映画館を参照。
江東区は江東区の映画館を参照。
葛飾区は葛飾区の映画館を参照。
江戸川区は江戸川区の映画館を参照。
文京区は文京区の映画館を参照。
豊島区は豊島区の映画館を参照。
北区は東京都北区の映画館を参照。
荒川区は荒川区の映画館を参照。
足立区は足立区の映画館を参照。
新宿区は新宿区の映画館を参照。
中野区は中野区の映画館を参照。
杉並区は杉並区の映画館を参照。
板橋区は板橋区の映画館を参照。
練馬区は練馬区の映画館を参照。
渋谷区は渋谷区の映画館を参照。
目黒区は目黒区の映画館を参照。
品川区は品川区の映画館を参照。
世田谷区は世田谷区の映画館を参照。
大田区は大田区の映画館を参照。

八王子市

八王子市は八王子市の映画館を参照。

立川市

立川市は立川市の映画館を参照。

武蔵野市

武蔵野市は武蔵野市の映画館を参照。

町田市

町田市は町田市の映画館を参照。

多摩北部

三鷹市

三鷹サンヨー劇場/三鷹東映劇場(旧)
所在地 : 東京都三鷹市下連雀282(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿では「三鷹東映劇場」。1960年の映画館名簿では「三鷹サンヨー劇場」。1962年の三多摩地区商工住宅名鑑では「サンヨー劇場」。1963年の映画館名簿では「三鷹東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三平ストア三鷹店」建物東部。最寄駅はJR中央本線三鷹駅。
三鷹文化映画劇場/三鷹文化劇場
所在地 : 東京都三鷹市下連雀230(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、東京都三鷹市下連雀3-21-36(1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1954年7月
閉館年 : 1988年
『全国映画館総覧 1955』によると1954年7月開館。1955年の映画館名簿では「三鷹文化映画劇場」。1958年の映画館名簿では「三鷹文化劇場」。1960年の映画館名簿では「三鷹文化映画劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「三鷹文化劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「タイムズさくら通り駐車場」。最寄駅はJR中央本線三鷹駅。
三鷹大映劇場/三鷹大映/三鷹東映/三鷹オスカー
所在地 : 東京都三鷹市下連雀256(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、東京都三鷹市下連雀3-35-5(1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1946年6月(三鷹大映)、1977年(三鷹オスカー)
閉館年 : 1990年12月30日
『全国映画館総覧 1955』によると1946年6月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「三鷹大映劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「三鷹大映」。1973年・1976年の映画館名簿では「三鷹東映」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「三鷹オスカー」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。三鷹市最後の映画館。跡地は商業施設「三鷹コラル」建物南側。最寄駅はJR中央本線三鷹駅。

三鷹市にあった名画座「三鷹オスカー」の写真あり。「三鷹 名画劇場 オスカー」の文字が見える。『青い体験』、『続 青い体験』、『新 青い体験』を上映中。*1

府中市

府中コニー劇場
所在地 : 東京都府中市府中9315(1959年)、東京都府中市並木通9315(1960年)、東京都府中市並木通9126(1961年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1961年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1961年の映画館名簿では「府中コニー劇場」。1961年の映画館名簿では経営者が東日本興行、支配人が太田敏夫、木造1階暖房付、定員335、洋画を上映。1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は商業施設「武蔵府中ル・シーニュ」建物南西部。最寄駅は京王線府中駅。
府中松竹館/府中文化劇場/府中東映劇場/府中東映
所在地 : 東京都北多摩郡府中町新宿(1943年)、東京都北多摩郡府中町(1950年)、東京都北多摩郡府中町9096(1953年)、東京都府中市府中町新宿9096(1955年)、東京都府中市府中9096(1958年・1963年)、東京都府中市宮町1-20-5(1966年・1969年・1973年・1976年・1978年・1979年)
開館年 : 1940年
閉館年 : 1978年12月
『全国映画館総覧 1955』によると1940年開館。1943年の映画館名簿では「府中松竹館」。1949年の映画館名簿では「府中松竹座」。1950年の映画館名簿では「府中松竹館」。1953年・1955年の映画館名簿では「府中文化劇場」。1958年の映画館名簿では「府中東映劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「府中東映劇場」。1964年の府中市商工住宅名鑑では「府中東映」。1969年・1978年の住宅地図では「府中東映」。1973年・1976年・1978年・1979年の映画館名簿では「府中東映」。1979年の映画館名簿では経営会社が大津興業、経営者・支配人ともに大津昭、木造1階冷暖房付、202席、東映・成人映画を上映、「12月閉館」とある。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート府中宮町店」が入る「大津ビル」。最寄駅は京王線府中駅。

1959年3月20日、府中市府中9096の「府中文化劇場」が「府中東映」に改称した。定員450。経営は佐藤健三、館主は大津三男。*2
府中国際劇場
所在地 : 東京都府中市府中町9315(1955年)、東京都府中市宮西町1-16(1958年)、東京都府中市本町9315(1960年)、東京都府中市宮西町1-16(1963年)、東京都府中市宮西町1-16-2(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1980年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「府中国際劇場」。1964年の府中市商工住宅名鑑では「国際映画劇場」。1969年の住宅地図では「国際劇場」。1978年の住宅地図では「国際映画劇場」。1980年の映画館名簿では経営会社が日本映画興行、経営者・支配人ともに八木脩、木造1階、367席、洋画を上映。1981年・1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「府中グリーンハイツ」。最寄駅は京王線府中駅。

府中国際劇場に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 府中国際劇場」『キネマ旬報』1976年4月下旬号がある。*3
新映座/府中新映座
所在地 : 東京都府中市宮西町5-25(1958年)、東京都府中市本町3-5622(1960年)、東京都府中市宮西町5-25(1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、東京都府中市宮西町5(1985年)、東京都府中市宮西町5-25(1986年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1986年頃
1956年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「府中新映座」。1964年の府中市商工住宅名鑑では「新映座」。1969年の住宅地図では「府中新映座」。1978年の住宅地図では「新映座」。1980年の映画館名簿では経営会社が日本映画興行、経営者・支配人ともに八木脩、木造1階、150席、にっかつ・成人映画を上映。1987年・1988年の映画館名簿には掲載されていない。府中市最後の従来型映画館。跡地はマンション「ボヌール府中」。最寄駅は京王線府中駅。
TOHOシネマズ府中
所在地 : 東京都府中市宮町1-50 くるる5階(2006年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 2005年3月17日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2006年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ府中1-8・プレミアスクリーン」(9館)。

2005年3月17日、府中市宮町にシネコン「TOHOシネマズ府中」が開館した。9スクリーン。開業日の3月17日には『ローレライ』の舞台挨拶が行われ、主演の役所広司や樋口真嗣監督らが挨拶した。1960年代の府中市には市役所前などに3館の映画館があったが、1970年代後半までに相次いで閉館し、これまで20年以上も常設映画館が存在しなかった。なお、隣接する多摩市の多摩センター駅前には、11月にシネコン「ワーナー・マイカル・シネマズ多摩センター」が開館する予定であり、周辺地域のスクリーン数が一気に増加する。*4

昭島市

武蔵野教育映画会館/昭島武蔵野館
所在地 : 東京都昭島市築地270(1957年・1958年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1964年頃
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「武蔵野教育映画会館」。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「昭島武蔵野館」。1962年の住宅地図では「武蔵野教育映画」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンクレイドル東中神」北北東60mにある民家数軒。最寄駅はJR青梅線東中神駅。
昭島文化/昭島文化劇場/昭島東映劇場/昭島東映映画劇場
所在地 : 東京都昭島市昭和町福島827(1955年)、東京都昭島市昭和町福島(1956年)、東京都昭島市福島827(1957年・1958年・1960年)、東京都昭島市福島町827(1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1952年8月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年8月開館。1955年・1956年の映画館名簿では「昭島文化」。1957年の映画館名簿では「昭島文化劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「昭島東映劇場」。1963年の映画館名簿では「昭島東映映画劇場」。1964年・1965年の映画館名簿では「昭島東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「昭島市立玉川会館」北東40mの民家。最寄駅はJR青梅線東中神駅。

1960年頃の昭島市の八清住宅にあった「昭島東映」の写真あり。『大江戸の侠児』『あゝ特別攻撃隊』『女の牙』『上段霞斬り』などの看板が見える。1943年に開館した「八清映画劇場」を引き継いで開館した。*5
拝島映劇/拝島映画劇場
所在地 : 東京都昭島市拝島2969(1958年・1960年・1963年・1964年・1965年)、東京都昭島市拝島松原2956(1967年・1968年・1969年・1973年)、東京都昭島市拝島松原町5-2-21(1975年・1976年・1980年)、東京都昭島市松原町5-2-21(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1957年頃、1965年以後1967年以前(建て替え)
閉館年 : 2010年頃
1955年・1956年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「拝島映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が北村実、支配人が北村慎吾、木造1階暖房付、定員364、邦画・洋画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年・1968年の映画館名簿では「拝島映画劇場」。1969年の映画館名簿では「拝島映劇」。1969年の映画館名簿では経営者・支配人ともに北村次郎、鉄筋造1階、定員298、邦画・洋画を上映。1973年・1975年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「拝島映画劇場」。2008年の映画館名簿では鉄筋造3階、117席、経営会社が株式会社拝島映画、邦画・洋画を上映。2011年の映画館名簿には掲載されていない。拝島ビル2階。2018年頃取り壊し。跡地は2021年竣工のマンション「エクセレントシティ拝島駅前」。最寄駅はJR青梅線・八高線・五日市線・西武拝島線拝島駅。

「拝島映画劇場」に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 112回 拝島映画劇場」『キネマ旬報』1976年10月、第693号がある。*6

「拝島映画劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*7
MOVIX昭島
所在地 : 東京都昭島市田中町573-1-1モリタウン内
開館年 : 2006年3月15日
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。

調布市

調布銀映座/調布銀映
所在地 : 東京都北多摩郡調布町布田小島分180(1955年)、東京都調布市小島町180(1958年・1960年)、東京都調布市小島町1-34-1(閉館時)
開館年 : 1952年11月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年11月開館。1955年の映画館名簿では「調布銀映座」。1958年・1960年の映画館名簿では「調布銀映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エクレール調布」。最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

1953年頃の調布市にあった調布銀座のネオンの写真あり。「調布銀座」の文字が見える。左手にはパチンコ店があり、向かいには調布市に2館あった映画館の片方である「調布銀映」があった。*8

1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*9

調布市にあった2館の映画館の片方が「調布銀映」である。1955年(昭和30年)以後に開館し、1963年(昭和38年)以前に閉館した。調布銀座商店街の旧甲州街道側の入口角にあり、現在の映画館跡地にはビルが建っている。当時は映画館とパチンコ店が娯楽の中心であり、集団就職で東京重機工業に就職した若者らは、日曜日に調布銀映映画を観てパチンコで遊んだという。*10
調布劇場/調布映画劇場
所在地 : 東京都北多摩郡調布町下布田999(1955年)、東京都調布市下布田町999(1958年・1960年・1966年・1969年)、東京都調布市布田2-21(閉館時)
開館年 : 1948年
閉館年 : 1970年頃
1955年・1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「調布映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1972年竣工のマンション「シュロス調布」。最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

調布市にあった2館の映画館の片方が「調布映画劇場」である。前身は大正期に開館した劇場「調布劇場」である。旧甲州街道の布田駅前交差点から調布駅に向かって約200mの場所にあった。調布映画劇場は1970年(昭和45年)に閉館したとされ、跡地には1972年(昭和47年)竣工のマンション「調布シュロス」が建っている。*11
パルコ調布キネマ
所在地 : 東京都調布市小島町1-38-1 調布パルコ6階(1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1989年5月25日
閉館年 : 2011年9月11日
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「パルコ調布キネマ」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。「調布パルコ」は現在も営業中。最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

1989年5月25日、調布市小島町1-38-1の調布パルコ6階に「パルコ調布キネマ」が開館した。149席。*12

2011年9月11日、調布市の映画館「パルコ調布キネマ」が閉館する。かつて角川大映撮影所があった調布市は「映画のまち」を標榜しているが、市内唯一の映画館が姿を消すこととなる。1989年5月、調布パルコの開店に合わせて6階でパルコ調布キネマが開館。1993年10月には東京テアトルが運営を引き継いだ。2003年から2004年の最盛期には年間7万人以上を集客したが、近年は約4万人に落ち込んでいた。*13
イオンシネマシアタス調布
所在地 : 東京都調布市小島町2-61−1 トリエ京王調布C館内(2020年)
開館年 : 2017年9月29日
閉館年 : 営業中
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「イオンシネマシアタス調布1-11」(11館)。最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

2017年度には京王調布駅の駅前広場の西側に建設する商業施設に、イオンシネマが開館する予定。11スクリーンで計約2100席。うち一つは500席超の大型スクリーンとなる。2011年9月に調布駅前のパルコ調布キネマが閉館してから、「映画のまち調布」をPRしているにもかかわらず映画館がなかった。*14

小金井市

小金井映画劇場/小金井映劇
所在地 : 東京都北多摩郡小金井町(1953年)、東京都北多摩郡小金井町1780(1955年)、東京都小金井市小金井1780(1960年)
開館年 : 1952年2月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年2月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「小金井映画劇場」。1960年の映画館名簿では「小金井映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
小金井セントラル
所在地 : 東京都小金井市小金井本町1-18(1958年)、東京都小金井市小金井1865(1960年)、東京都小金井市小金井本町1-18(1963年)、東京都小金井市本町1-1865(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「小金井セントラル」。1975年の航空住宅地図帳では跡地に「セントラルパチンコ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「スカイラーク小金井」。

昭和30年代の小金井市の農工大通りにあった「セントラル劇場」の写真あり。「セントラル劇場」の文字が見える。『続 殺しのライセンス』『地球のあばた』などの看板が見える。1940年には東京農工大学が設立されたが、1964年に東小金井駅が開設されるまでは武蔵小金井駅しかなかったため、農工大通りは通勤通学路としてにぎわっていた。*15
小金井名画座
所在地 : 東京都小金井市小金井2704(1958年・1960年・1963年)、東京都小金井市小金井2-2704(1966年)、東京都小金井市本町2-19-4(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1989年7月30日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「小金井名画座」。1972年の住宅地図では「小金井名画座」。1975年の航空住宅地図帳では「小金井名画座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「パークジャパン武蔵小金井第6」小金井市最後の映画館。

小平市

映画館名簿によると小平市に映画館は存在しなかったと思われる。

東村山市

久米川若草映画劇場/久米川文化劇場/久米川若草劇場/若草映画劇場
所在地 : 東京都北多摩郡東村山町久米川132(1958年・1960年・1963年)、東京都東村山市久米川133(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「久米川若草映画劇場」。1960年の映画館名簿では「久米川文化劇場」。1962年の全住宅案内図帳では「若草劇場」。1963年の映画館名簿では「久米川若草劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「若草映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「プラウド久米川」。

国分寺市

国分寺名画座
所在地 : 東京都北多摩郡国分寺町本町1-332(1958年・1960年・1963年)、東京都国分寺市本町1-332(1966年)、東京都国分寺市本町2-9-2(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「国分寺名画座」。1969年の住宅地図では「国分寺名画座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1975年の航空住宅地図帳では跡地に「パチンコ本陣」。跡地はマンション「ヴィル・フランシェ」。
国分寺映画劇場/国分寺東映劇場/国分寺東映
所在地 : 東京都北多摩郡国分寺町(1950年)、東京都北多摩郡国分寺町本町4-347(1955年・1958年・1963年)、東京都北多摩郡国分寺町347(1960年)、東京都北多摩郡国分寺町本町4-347(1963年)、東京都国分寺市本町4-347(1966年)、東京都国分寺市本町2-24-2(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1945年
閉館年 : 1988年以後1990年以前
『全国映画化総覧 1955』によると1945年開館。1950年・1955年の映画館名簿では「国分寺映画劇場」。1958年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「国分寺東映劇場」。1969年の住宅地図では「国分寺東映」。1973年・1976年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「国分寺東映」。1975年の航空住宅地図帳では「国分寺東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アメニティ国分寺」。最寄駅はJR中央線・西武多摩湖線国分寺駅。
国分寺国際劇場
所在地 : 東京都北多摩郡国分寺町本町2-3836(1958年)、東京都北多摩郡国分寺町本町2-836(1960年)、東京都北多摩郡国分寺町本町2-3836(1963年)、東京都国分寺市本町2-3836(1966年)、東京都国分寺市本町3-8-12(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「国分寺国際劇場」。1969年の住宅地図では「国分寺国際劇場」。1975年の航空住宅地図帳では「国分寺国際劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート国分寺本町三丁目店」がある「エクシードビル」。最寄駅はJR中央線・西武多摩湖線国分寺駅。

国立市

国立コニー劇場/国立コニー/国立スカラ座
所在地 : 東京都北多摩郡国立町東区22(1958年・1960年・1963年)、東京都国立市国立字東区2208(1969年)、東京都国立市東1-15-29(1973年・1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1986年? 1987年?
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「国立コニー劇場」。1960年の映画館名簿では「国立コニー」。1963年の映画館名簿では「国立コニー劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「国立スカラ座」。1975年の航空住宅地図帳では「スカラ座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「マイキャッスル国立」。最寄駅はJR中央本線国立駅。

1956年の国立市にあった「コニー劇場」の写真あり。『母と拳銃』『浅間の暴れん坊』『最高殊勲夫人』『空かける花嫁』『修羅八荒』『月光仮面 魔人の爪』『母のおもかげ』『妻恋道中』の看板が見える。旭通りの中ほどにあり、国立で唯一の遊興場だった。1962年にいったん閉館し、1967年にホームシアター「スカラ座」として再開したが、1987年に再び閉館した。*16

1955年(昭和30年)には「国立コニー劇場」という映画館が開館したが、1962年(昭和37年)に閉館した。しかし1967年(昭和42年)には国立コニー劇場跡地を改装して「国立スカラ座」が開館した。1987年(昭和62年)に閉館した。国立コニー劇場/国立スカラ座は国立市にあった唯一の映画館である。*17

2019年10月5日から10日間、国立市に映画館を設置することを目標とする映画祭「くにたち映画館」(※映画祭ではなく映画館)が開催される。JR国立駅から南東に延びる旭通り沿いには、1986年まで国立市唯一の映画館「国立スカラ座」があった。*18

約30年前に映画館が閉館した国立市で、2019年10月5日から市民団体によって「くにたち映画祭」が開催される。1986年には国立市唯一の映画館「国立スカラ座」が閉館し、国立市の映画ファンはJR立川駅前や京王府中駅前の映画館まで足を運ぶ必要がある。2018年秋には国立市への映画館の誘致をもくろむ「くにたちに映画館をふたたび実行委員会」が結成され、同年12月には初の上映会を開催していた。*19

『保存版 国分寺・国立今昔写真帖』郷土出版社、2009年に掲載されている。現物は未確認。*20

西東京市

田無文化劇場
所在地 : 東京都北多摩郡田無町(1958年)、東京都北多摩郡田無町383(1960年)、東京都北多摩郡田無町(1963年)、東京都北多摩郡田無町383(1966年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「田無文化劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ラ・ベルドゥーレ田無」。最寄駅は西武新宿線田無駅。
田無館/田無映画劇場/田無東映劇場/田無東映
所在地 : 東京都北多摩郡田無町(1950年)、東京都北多摩郡田無町620(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都田無市本町3-11(1969年)
開館年 : 1928年、1946年11月
閉館年 : 1966年8月? 1969年以後1973年以前?
『全国映画館総覧 1955』によると1946年11月開館。1950年・1955年の映画館名簿では「田無映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「田無東映」。1966年の映画館名簿では「田無東映劇場」。1969年の映画館名簿では「田無東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「イトーヨーカドー田無店」が入る大型商業施設「田無アスタ」。最寄駅は西武新宿線田無駅。

1927年(昭和2年)の田無館の写真あり。田無館は北多摩郡田無町初の映画館だった。1966年(昭和41年)に閉館し、跡地はイトーヨーカドーとなった。*21

昭和初期の映画館「田無館」の写真あり。田無初の映画館である。現在の住所は西東京市田無町2丁目3番。*22

田無初の映画館は1928年(昭和3年)開館の「田無館」である。現在のアスタ田無の北端部にあったが、映画館があったのは北口再開発前である。佐々病院の初代院長である佐々正達が有志から出資を募って田無館を開館させた。その後酒井平太郎が田無館を買い取り、「田無東映」に改称した。田無東映は1966年(昭和41年)8月に閉館し、跡地にはイトーヨーカ堂が建設された。*23
田無銀映座
所在地 : 東京都北多摩郡田無町(1958年)、東京都北多摩郡田無町402(1960年)、東京都北多摩郡田無町(1963年)、東京都北多摩郡田無町402(1966年)、東京都田無市本町4-29-14(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「田無銀映座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は青梅街道「田無駅北口」交差点すぐ南の道路用地。最寄駅は西武新宿線田無駅。

1960年の北多摩郡田無町にあった「田無銀映」の写真あり。昭和30年代の田無町には、西武新宿線田無駅北側に「田無館」・「田無文化」・「田無銀映」の3つの映画館があった。田無町の住民だけでなく、近隣自治体からも観客がやってきた。*24

『目で見る西東京・東久留米・清瀬の100年』p.123には「田無銀映」が掲載されている。*25

武蔵村山市

ワーナー・マイカル・シネマズむさし野ミュー/イオンシネマむさし村山
所在地 : 東京都武蔵村山市榎1-1-3 イオンモールむさし村山ミュー3階(2010年)、東京都武蔵村山市榎1-1-3 イオンモールむさし村山3階(2015年・2020年)
開館年 : 2006年11月14日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズむさし野ミュー1-12」(12館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマむさし村山」(12館)。

清瀬市

清瀬映画劇場
所在地 : 東京都北多摩郡清瀬町下清戸986(1958年・1960年・1963年)、東京都北多摩郡清瀬町松山1-12(1966年・1969年)、東京都清瀬市清瀬町松山1-12(1973年・1976年・1980年)、東京都清瀬市松山1-12-13(1985年・1990年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1993年2月11日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「清瀬映画劇場」。1975年の航空住宅地図帳では「清瀬映画劇場」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「倉田歯科クリニック」などが入る1994年竣工のマンション「シャルマン清瀬」。清瀬市唯一の映画館。最寄駅は西武池袋線清瀬駅。

東大和市

映画館名簿によると東大和市に映画館は存在しなかったと思われる。

東久留米市

映画館名簿によると東久留米市に映画館は存在しなかったと思われる。

狛江市

映画館名簿によると狛江市に映画館は存在しなかったと思われる。

多摩南部

日野市

日野映画劇場
所在地 : 東京都南多摩郡日野町日野台(1961年)、東京都南多摩郡日野町日野(1962年)、東京都南多摩郡日野町日野台(1963年)、東京都日野市日野町日野台(1964年)
開館年 : 1959年12月20日
閉館年 : 1964年頃
1955年・1956年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1959年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年・1962年・1963年・1964年の映画館名簿では「日野映画劇場」。1962年の三多摩地区商工住宅名鑑では「日野映画」。1964年の映画館名簿では経営者が高橋寅之助、支配人が鈴木頼之、木造1階、定員350、邦画を上映。1965年の日野市商工住宅名鑑では発見できず。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「コニカミノルタパークアスリーツ」建物中央部。最寄駅はJR中央本線豊田駅。

1959年12月20日、日野町に「日野映画劇場」が開館した。定員300。経営は高橋虎之助社長の有限会社八幡会館。*26

多摩市

多摩ニュータウンPit/ドライブインシアターMOVIX TAMA
所在地 : 東京都多摩市落合字長久保1719(1990年)、東京都多摩市落合2-1831(1992年・1995年)
開館年 : 1984年7月14日
閉館年 : 1995年頃
1990年の映画館名簿では「多摩ニュータウンPit」。1992年・1995年の映画館名簿では「ドライブインシアターMOVIX TAMA」。1992年の映画館名簿では120台、経営会社が株式会社松竹シネファイジャパン、邦画・洋画を上映。ドライブインシアター。1996年・1998年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ベネッセコーポレーション東京本部」。

多摩ニュータウンの多摩市落合2-1831にはドライブインシアター「ムービックス多摩」がある。観客は20代のカップルが圧倒的であり、休日前夜には120台収容の施設がほぼ満車となる。*27
多摩カリヨンシアター
所在地 : 東京都多摩市落合1-39-1 多摩カリヨン館8階(2000年・2002年)
開館年 : 1993年3月27日
閉館年 : 2002年以後2004年以前
2000年・2002年の映画館名簿では「多摩カリヨンシアター」。2002年の映画館名簿では鉄筋造8階、95席、経営会社が株式会社玉シネプレックス、邦画と洋画を上映。2004年・2005年の映画館名簿には掲載されていない。5スクリーンのビデオシアター。跡地は「マグレブイーストビル」。

1993年3月27日、多摩市の小田急多摩センター駅前に多摩カリヨン館が開店する。地上9階・地下2階建てで、延床面積は1万8532平方メートル。8階には約100人を収容するビデオシアターが5館入る。*28

1993年3月27日、多摩センター駅前の多摩カリヨン館8階にビデオシアター「カリヨンシアター1・2・3・4・5」が開館した。大型商業施設を中心に増えてきたビデオシアターだが、5スクリーンを有する施設は全国初である。東急レクリエーションと松竹第一興行の合弁会社である多摩シネプレックスが運営している。通常のビルのワンフロアを利用することから、高い天井高を必要としないビデオシアターが選択された。1983年、千葉県船橋市に日本初のビデオシアターが開館し、現在は全国で66スクリーンがある。東宝では1991年の配給収入の内0.9%がビデオシアターだったが、1992年には1.3%に増えている。*29

1993年3月27日、多摩市落合1-39-1の小田急デパート8階に「カリヨンシアター」5館が開館した。いずれもビデオシアター。経営は東急レクリエーションと松竹第一興行の共同出資による多摩シネプレックス。*30

多摩市にある複合型ビデオシアター「多摩カリヨンシアター」は、5館合計で482席の規模である。5館で約7億円が投じられており、うち1館には衛星放送を受信できるシステムを備えている。1993年には皇太子ご成婚の際にハイビジョン映像を無料で放映した。開館から現在までに約15万5000人を動員しており、まずまず成功している。*31
せいせきシネマックス1・2/せいせきシネサイト1・2・3
所在地 : 東京都多摩市関戸321-3 京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターA館(1990年)、東京都多摩市関戸1-11-1 京王聖蹟桜ヶ丘SC A館7階(1995年)、東京都多摩市関戸1-11-1 京王聖蹟桜ヶ丘SC A館6階(2000年・2002年・2004年)
開館年 : 1986年3月下旬
閉館年 : 2004年9月
1990年・1995年の映画館名簿では「せいせきシネマックス1・2」(2館)。2000年・2002年・2004年の映画館名簿では「せいせきシネサイト1・2・3」(3館)。2002年の映画館名簿では鉄筋造7階、101席と82席と99席、経営会社がソニー・シネマチック株式会社、邦画と洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。ビデオシアター。

1986年3月下旬、京王電鉄は聖蹟桜ヶ丘駅をはさんで京王聖蹟桜ヶ丘SCのA館とB館を建設した。京王百貨店、京王ストア、ファッションなどの専門店に加えて、洋画専門のビデオシアター2館、多目的ホールも入っている。ビデオシアターは日本初の施設であり、洋画専門の封切館である。*32
ワーナー・マイカル・シネマズ多摩センター/イオンシネマ多摩センター
所在地 : 東京都多摩市落合1-45-2 丘の上パティオ2階(2010年)
開館年 : 2005年11月15日
閉館年 : 営業中
8スクリーンのシネコン。

稲城市

映画館名簿によると稲城市に映画館は存在しなかったと思われる。

多摩西部

青梅市

青梅市の映画館
1956年の青梅市勢要覧には「青梅キネマ」「青梅大映」「青梅セントラル劇場」の広告が掲載されている。青梅キネマには「松竹 東宝 映画劇場」「青梅市青梅42」とある。青梅大映には「青梅駅前」とある。青梅セントラル劇場には「Cinema Scope」とある。*33

1961年の青梅市商工案内には映画の欄に「青梅セントラル劇場(株)」「青梅キネマ」「青梅大映映画劇場」の3館が掲載されている。青梅セントラル劇場の経営者は北村正治、所在地は青梅市勝沼8、電話番号は青梅2849。青梅キネマの経営者は北村正治、所在地は青梅市青梅42、電話番号は青梅2842。青梅大映映画劇場の経営者は北村正治、所在地は青梅市青梅120、電話番号は青梅2664。*34

戦後の娯楽の中心は映画であり、青梅市には洋画中心の「青梅セントラル劇場」、邦画の「青梅キネマ」と「青梅大映」の3館があった。3館それぞれの広告あり。*35
青梅セントラル劇場/青梅セントラル
所在地 : 東京都青梅市東青梅(1953年)、東京都青梅市青梅42(1955年)、東京都青梅市勝沼9(1958年)、東京都青梅市勝沼8(1960年)、東京都青梅市勝沼9(1963年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年開館。1953年の映画館名簿では「青梅セントラル」。1955年の映画館名簿では「青梅セントラル劇場」。1955年の映画館名簿では木造1階、定員306、洋画・混合を上映。1958年の映画館名簿では「青梅セントラル」。1960年の映画館名簿では「青梅セントラル劇場」。1963年の映画館名簿では「青梅セントラル」。1963年の映画館名簿では経営者が北村正治、支配人が北村実、木造1階、定員306、邦画・洋画を上映。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の全住宅案内地図帳では跡地に「日本生命青梅支部」。跡地は「東青梅診療所」とその南の道路。最寄駅はJR青梅線東青梅駅。

1956年の国鉄東青梅駅の南側に広がる東青梅区画整理地域の航空写真あり。10番は「青梅セントラル劇場」である。*36

戦後の一時期には東青梅に「青梅セントラル劇場」もあった。*37

1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*38
青梅キネマ
所在地 : 東京都西多摩郡青梅町(1930年)、東京都西多摩郡青梅町住江町50(1936年)、東京都西多摩郡青梅町(1943年)、東京都西多摩郡青梅町42(1950年)、東京都青梅市住江町47(1953年)、東京都青梅市勝沼町8(1955年)、東京都青梅市住江町42(1958年)、東京都青梅市青梅42(1960年)、東京都青梅市住江町42(1963年・1966年)
開館年 : 1926年頃、1945年
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1945年開館。1930年・1936年・1943年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「青梅キネマ」。1955年の映画館名簿では木造2階、定員441、松竹・東宝・新東宝を上映。1963年の映画館名簿では経営者が北村正治、支配人が伊東満、木造2階暖房付、定員441、日活・松竹を上映。1966年の映画館名簿では経営者が北村次郎、支配人が伊東満、木造1階冷暖房付、定員321、邦画・洋画を上映。1967年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の全住宅案内地図帳では跡地に空白。跡地はマンション「青梅ガーデンヒルズ」。最寄駅はJR青梅線青梅駅。

「劇場墨江座」の説明。「住吉山下に在り、近き設立なるも、両座殆んど常設館なる設備あり」*39

1951年の『青梅市展望』には「青梅キネマ」の広告が掲載されている。「常設映画館 松竹・東宝・新東宝」「電話青梅219番」とある。*40

1926年1月20日、青梅の「墨江座」が火災で焼失し、跡地には映画常設館「青梅キネマ」が開館した。「青梅大映」に関する記述もある。現物は未確認。*41

1919年7月、青梅町の住江町の有志らによって青梅墨江劇場組合が組織され、西多摩郡役所の建物を増改築して「墨江座」が開館した。墨江座と初音座が競合したことで両社の経営状態が悪化したが、1924年5月には両座が合併して新組合が発足し、両座が連携して運営された。1926年1月20日、墨江座は火災で全焼した。その後、新たに映画常設館「青梅キネマ」が新築開館した。初音座は芝居や演芸を主とし、青梅キネマは松竹キネマと契約して興行した。青梅キネマは昭和30年代前半に火災で焼失し、1995年現在の跡地にはマンションが建っている。*42

1952年の青梅市にあった「青梅キネマ」の写真あり。「OME KINEMA」の文字が見える。『エノケン・ロッパの弥次喜多ブギウギ道中』と『泣くな小鳩よ』を上映している。2004年現在の跡地の写真あり。2004年現在の跡地はキネマ通り沿いの集合住宅となっている。*43

1956年の青梅市にあった「青梅キネマ」の映画看板の写真あり。『花嫁小判』や『角帽三羽烏』が見える。住江町商店街から北に延びる、JR青梅線の跨線橋を越えて永山公園に通じる道がキネマ通りである。跨線橋の手前に青梅キネマがあり、周辺には料亭が多かった。2004年現在の跡地はマンションになっている。*44
初音座/青梅大映初音座/青梅大映劇場/青梅大映/青梅映画
所在地 : 東京都西多摩郡青梅町本町118(1936年)、東京都西多摩郡青梅町(1950年)、東京都青梅市青梅120(1953年・1955年)、東京都青梅市本町120(1958年)、東京都青梅市青梅120(1960年)、東京都青梅市本町120(1963年)、東京都青梅市青梅120(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1884年頃(初音座)、1950年(青梅大映)
閉館年 : 1973年
『全国映画館総覧 1955』によると1950年開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「初音座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「青梅大映初音座」。1953年の映画館名簿では「青梅大映」。1955年の映画館名簿では「青梅大映劇場」。1955年の映画館名簿では木造2階、定員531、大映・東映を上映。1958年の映画館名簿では「青梅大映」。1960年の映画館名簿では「青梅大映劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が北村正治、支配人が北村治郎、木造2階、定員574、邦画・洋画を上映。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「青梅大映」。1966年の映画館名簿では経営者・支配人ともに北村次郎、木造2階暖房付、定員531、邦画・洋画を上映。1970年の全住宅案内地図帳では「青梅大映」。1973年の映画館名簿では「青梅映画」。1973年の映画館名簿では経営者・支配人ともに北村次郎、木造2階冷暖房付、531席、邦画・洋画・成人映画を上映。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は月極駐車場「川窪駐車場」。最寄駅はJR青梅線青梅駅。

「劇場初音座」の説明。始め鶴寿亭と称せしが明治十七八年頃より初音座と改め近年規模を改造して名優の出演あり」*45

この地域唯一の芝居小屋として青梅町の本町には「初音座」があったが、いつ頃に建てられたのかは定かでない。1885年(明治18年)から1886年(明治19年)に寄席「鶴寿亭」を初音座に改称したとされ、1902年に本式の花道造りの舞台に改造して芝居小屋としてのこけら落としを行ったとされる。1905年の日露戦争後の好景気の際には興業のたびに大入り満員となった。不況だった1913年7月には有志が青梅劇場組合を組織し、根岸常太郎から初音座を買収した。東京の明治座に倣って大増改築を行い、11月18日から東京歌舞伎の中村勘五郎、中村竹三郎、市川海老蔵らによってこけら落としが行われた。戦後の初音座は「青梅大映」に改称して映画常設館となった。青梅大映はやがて閉館して取り壊され、1995年現在の跡地は長崎屋の駐車場となっている。*46

1961年頃の青梅市にあった「青梅大映」の写真あり。青梅駅前通りと青梅街道の交差点をさらに南に行った場所にあった。毎週土曜にはナイトショーが実施されていた。青梅市には3館の映画館があった。*47

1967年の青梅商工名鑑には映画館の欄に「青梅大映映画劇場」の1館が掲載されている。経営者は北村次郎、所在地は青梅市青梅120、電話番号は2664。*48

1970年頃には郊外型大型店の影響などで、青梅市の住江町商店街が寂れ始めた。1973年には青梅から映画館がなくなった。*49

1952年の青梅市にあった「青梅大映」、「青梅セントラル」、「青梅キネマ」の写真あり。1973年には青梅から映画館がなくなった。現物は未確認。*50
シネマネコ
所在地 : 東京都青梅市西分町3-123 青梅織物工業協同組合敷地内
開館年 : 2021年6月4日
閉館年 : 営業中
2020年・2021年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR青梅線東青梅駅。

2021年6月4日、青梅市にミニシアター「シネマネコ」が開館する。オープニング作品はスタジオジブリの『猫の恩返し』。JR青梅駅と東青梅駅の間にある、旧都立繊維試験場(登録有形文化財)を改修した建物に入居する。座席数は63席であり、最新の音響設備を導入する。改修費用などに約1億円がかかったが、半分は経済産業省の助成金を活用しており、またクラウドファウンディングで540万円を集めた。かつて青梅市には3館の映画館があったが、1973年までにすべての映画館が閉館した。近年の青梅市の商店街は、手書きの映画看板を掲げて昭和レトロな雰囲気を演出している。*51

2021年6月4日、青梅市にミニシアター「シネマネコ」が開館する。当初は5月2日の開館を予定していたが、4月25日に緊急事態宣言が発令されたことで開館を延期していた。代表は青梅市内で飲食店を経営する菊池康弘。1935年に建設された旧都立繊維試験場を約2年がかりで改修した。2018年に閉館した新潟県の「十日町シネマパラダイス」からキネット社製の椅子を譲り受けた。ロビーには地元の映画愛好家から寄贈された古い映画パンフレットや、スタッフがセレクトした映画本を並べている。オープニング作品は2002年のアニメ作品『猫の恩返し』であり、スタジオジブリに直談判して上映が実現した。*52

2021年6月4日、青梅市西分町3-123に映画館「シネマネコ」がオープンした。建物は旧都立繊維試験場をリノベーションした施設であり、東京都唯一の木造映画館である。約50年ぶりに青梅市に映画館が誕生した。劇場の椅子は新潟県の十日町シネマパラダイスから譲り受けた。カフェを併設しており、地域の憩いの場として利用されている。*53

かつて青梅市には3館の映画館があり、長年にわたって映画看板をまちおこしに利用してきたが、営業する映画館がないまま50年が経過していた。1935年以前に竣工した旧都立繊維試験場を映画館に改修した。天井を剝がし、既存の木造トラスの小屋組みをあらわにした。漆喰の下地材だった木摺りを剥がし、状態の良いものを壁に張った。間仕切り壁を撤去してエントランスホールとした。設計は池上建築設計、武藤一級建築士設計事務所、建築構造研究所。施工は中島工務店。敷地面積710.30m2、建築面積236.32m2、延床面積231.36m2、木造1階建て。*54

青梅市西分町3-123 青梅織物工業協同組合敷地内には映画館「シネマネコ」がある。旧都立繊維試験場の建物を改修し、2021年6月にオープンした。築86年の木造の洋館であり、最新のスクリーンと音響システム、フランスのキネット社製の座席などを有している。1935年に建てられた建物の天井を剥がしたことで、建物の中で木材の香りがするようになったという。かつて青梅市には3館の映画館があったが、1970年代に最後の映画館が閉館した。その後は映画看板職人である久保板観による映画看板がまちおこしにも活用されていたが、営業する映画館はない時期が続いていた。支配人の菊池康弘は俳優を志し、蜷川幸雄が主宰するニナガワ・スタジオに所属した経験もある。青梅に戻って飲食店の経営に転身し、青梅市で「炭火やきとり 火の鳥」など4軒の飲食店を経営している。国の助成金、自己資金、クラウドファンディングで資金を集めたが、クラウドファンディングの寄付者の6割は青梅市民だった。*55

青梅市西分町3-123 青梅織物工業協同組合敷地内には映画館「CINEMA NEKO」がある。JR青梅線東青梅駅から徒歩7分。青梅織物工業協同組合が所有する木造洋館は国の登録有形文化財に登録されている。養蚕が盛んだった頃の青梅市には数多くのねこがおり、ねこをキーワードとして開館した。カフェスペースを有し、オリジナルグッズも販売している。*56

青梅市西分町3丁目123の映画館「シネマネコ」を運営するのは株式会社チャスであり、10年間にわたって青梅市で飲食店を経営している。客とのやり取りから映画館の開館を志し、クラウドファンディングでは目標の500万円を超える546万3800円を集めた。リノベーションを経て360度の立体音響を体感できる映画館とし、2021年6月にシネマネコが開館した。新型コロナウイルス感染症の流行によって開館は5月から6月に延期されている。こけら落とし時には宮崎駿監督に直接手紙を出すなどし、ジブリ作品『猫の恩返し』の上映にこぎつけた。ブックカフェを併設しており、カフェのみの利用も可能である。*57

福生市

テアトル福生
所在地 : 東京都西多摩郡福生町志茂215(1953年・1955年)、東京都西多摩郡福生町志茂(1958年)、東京都西多摩郡福生町215(1960年)、東京都西多摩郡福生町志茂(1963年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1964年2月
『全国映画館総覧 1955』によると1950年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「テアトル福生」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
福生セントラル/ニュー福生
所在地 : 東京都西多摩郡福生町志茂218(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1964年2月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「福生セントラル」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ニュー福生」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

羽村市

錦亀館
所在地 : 東京都西多摩郡西多摩村(1953年・1954年・1955年・1956年)、東京都西多摩郡羽村町145(1957年・1958年・1960年・1961年・1962年)
開館年 : 1930年、1948年
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1954』によると1948年開館。『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年・1943年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿では「錦亀館」。1955年の映画館名簿では「錦亀館(移動劇場)」。1956年・1957年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「錦亀館」。1962年の映画館名簿では経営者・支配人ともに石川重一、木造1階、定員320、邦画を上映。1963年・1964年・1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「石川新聞サービスセンター」がある「樫の木ビル」。最寄駅はJR青梅線羽村駅。

2021年6月5日から8月22日、羽村市郷土博物館で企画展「錦亀館 はむらの映画館」が開催された。「錦亀館」(きんきかん)は西多摩村(現・羽村市)唯一の映画館である。1930年に開館し、ニュース映画や娯楽映画の上映、演劇や浪曲の上演、野外での映画上映会、青年団などのイベントに活用された。1965年に建物が改築され、羽村町(現・羽村市)の町民集会所となった。*58

あきる野市

五日市劇場
所在地 : 東京都西多摩郡五日市町五日市138(1953年・1955年)、東京都西多摩郡五日市町138(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1945年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1945年開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「五日市劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。建物は1977年に取り壊された。跡地は「西武信用金庫五日市支店」北北西30mの民家。

『五日市の百年 合併40周年記念写真集』五日市町、1995年に掲載されている。現物は未確認。*59
ドライブインシアターサマーランド
所在地 : 東京都あきる野市上代継白岩600 東京サマーランド西駐車場(1996年・1998年・2000年・2002年)
開館年 : 1994年
閉館年 : 2002年
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1996年・1998年・2000年・2002年の映画館名簿では「ドライブインシアターサマーランド」。2002年の映画館名簿では200台、経営会社が有限会社メディアステーション、洋画を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。ドライブインシアター。

西多摩郡瑞穂町

瑞穂パレス/みづほ劇場
所在地 : 東京都西多摩郡瑞穂町箱根崎(1954年)、東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎5-187(1955年)、東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎2338(1958年)、東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎(1960年)、東京都西多摩郡瑞穂町宿東(1961年・1962年)、東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎2338(1963年・1964年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1954』には1950年開館。『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年の映画館名簿では「みづほ劇場」。1954年の映画館名簿では経営者が瑞穂興行、支配人が中村誠一郎、木造2階、定員250、混合を上映、電話番号が瑞穂33。1955年の映画館名簿では「みづほ劇場 休館」。1955年の映画館名簿では木造2階、定員250、上映系統は記載なし、電話番号が瑞穂33。1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「みづほ劇場」。1958年の映画館名簿では「瑞穂パレス」。1957年・1958年・1959年の映画館名簿では経営者が瑞穂興行、支配人が中村誠一郎、木造1階、定員350、邦画・洋画を上映、電話番号が瑞穂33。1959年・1960年の映画館名簿では「みづほ劇場」。1961年・1963年・1964年の映画館名簿では「瑞穂パレス」。1961年の映画館名簿では経営者が北村正治、支配人が北村慎吾、木造1階、定員300、邦画・洋画を上映、電話番号が瑞穂26。1962年の映画館名簿では経営者が北村正治、支配人が記載なし、木造1階、定員300、邦画を上映、電話番号が瑞穂26。1963年の映画館名簿では経営者が北村正治、支配人が北村次郎、木造1階、定員360、邦画を上映、電話番号が瑞穂26。1964年の映画館名簿では経営者が北村正治、支配人が北村治郎、木造1階、定員360、邦画を上映、電話番号が瑞穂26。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1962年の瑞穂町にあった映画館「みづほパレス」周辺の写真あり。右端の白い建物がみづほパレスである。1961年には瑞穂町役場が竣工している。2004年のみづほパレス跡地周辺の写真あり。1962年に未舗装の農道だった道路は、拡幅されて2車線の道路となっており、道路周辺は住宅地となっている。*60

瑞穂町にあった瑞穂町公民館(元瑞穂パレス)の写真あり。撮影年不明。*61

2018年10月14日まで、西多摩郡瑞穂町の瑞穂町郷土資料館けやき館で「コレクション展 昭和のオモチャと映画ポスター」が開催されている。1950年代から1960年代には、瑞穂町に「昭和館」と「みづほパレス」という映画館2館があり、みづほパレスの木製看板も展示している。*62

西多摩郡日の出町

ワーナー・マイカル・シネマズ日の出/イオンシネマ日の出
所在地 : 東京都西多摩郡日の出町大字平井字三吉野桜木557(2010年)、東京都西多摩郡日の出町大字平井237-3 イオンモール日の出内(2015年・2020年)
開館年 : 2007年11月23日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ日の出1-9」(9館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ日の出1-9」(9館)。

西多摩郡奥多摩町

氷川会館/奥多摩会館
所在地 : 東京都西多摩郡氷川町1419(1954年)、東京都西多摩郡奥多摩町1419(1957年)、東京都西多摩郡奥多摩町氷川1419(1958年)、東京都西多摩郡奥多摩町1419(1960年・1961年)、東京都西多摩郡奥多摩町氷川1413(1962年)、東京都西多摩郡奥多摩町氷川1419(1963年・1965年)
開館年 : 1954年以前、1959年12月
閉館年 : 1965年頃
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年の映画館名簿では「氷川会館(休館)」。1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「氷川会館」。1958年の映画館名簿では「奥多摩会館」。1960年の映画館名簿では「氷川会館」。1961年・1962年・1963年・1965年の映画館名簿では「奥多摩会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年12月、映画館「奥多摩会館」が開館した。*63

西多摩郡檜原村

映画館名簿によると西多摩郡檜原村に映画館は存在しなかったと思われる。

東京都島嶼部

大島

阿久津キネマ/大島映画劇場
所在地 : 東京都元村25(1953年)、東京都大島町元町25(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年の映画館名簿では「阿久津キネマ」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「阿久津キネマ」。1963年の映画館名簿では「大島映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
大島昭和館
所在地 : 東京都中央区大島波浮港6(1950年)、東京都波浮港村(1953年)、東京都大島町波浮港17(1958年)、東京都大島町波浮港(1960年・1966年・1969年)、東京都大島町元町(1973年・1976年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1976年以後1978年以前
1950年・1953年の映画館名簿では「大島昭和館」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「大島昭和館」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。

八丈島

共映劇場/共映会館/八丈島共同映画
所在地 : 東京都八丈町字三根(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1972年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「共栄劇場」。1960年の映画館名簿では「共映劇場」。1963年の映画館名簿では「共栄劇場」。1966年の映画館名簿では「共映劇場」。1969年の映画館名簿では「共映会館」。1973年・1976年の映画館名簿では「八丈島共同映画」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。浅丘ルリ子・山本陽子・泉雅子の3人は共映会館を訪れて舞台挨拶を行ったことがあるという。

1957年(昭和32年)には八丈島の八丈町三根に映画館「共映会館」が開館した。内部は日比谷の映画館と同じ設計だった。昼夜の2本立てであり、洋画の上映も多かった。1972年に閉館した。時期不明の写真あり。*64
八丈島会館
所在地 : 東京都八丈町字三根宮の平(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1976年)、東京都八丈町三根(1978年)、東京都八丈町三根1930-1(1980年・1985年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1983年
1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「八丈島会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「八丈島会館」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「七島信用組合八丈島支店」。東京都島嶼部最後の映画館。

1956年(昭和31年)には八丈町に映画館「八丈島会館」が開館した。座席数は320席。火災で全焼した後に小規模な映画館を再建したが、1983年(昭和58年)に閉館した。1956年の開館当時の写真あり。*65

神津島

南島館
所在地 : 東京都神津島村神津5(1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「南島館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
平和映画劇場/平和劇場
所在地 : 東京都神津島村神津8(1958年・1960年・1963年)、東京都神津島村8(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「平和映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

新島

大沼座
所在地 : 東京都新島本村新島7(1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「大沼座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

このページへのコメント

新宿区神楽坂に存在した成人映画館の『クララ劇場』の記載がありません。
更新予定はありますか?

0
Posted by きまぐれ★オレンジロード 2020年11月27日(金) 08:56:25 返信数(1) 返信

東京23区については優先順位が高くないので、新宿区の映画館についてはだいぶ先になるかもしれません。

0
Posted by  hekikaicinema hekikaicinema 2020年12月01日(火) 23:05:15

コメントをかく


利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

目次

管理人/副管理人のみ編集できます