閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。


長崎地域

長崎市

伊王島会館/伊王島町会館
所在地 : 長崎県西彼杵郡伊王島町中町(1969年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
協和会館/高島協和会館
所在地 : 長崎県西彼杵郡高島町2706(1969年)
開館年 : 1928年2月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
長崎大映劇場
所在地 : 長崎県長崎市銅座町14-3(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
跡地はパチンコ店「銅座まるみつ」。
池島会館
所在地 : 長崎県西彼杵郡外海町池島(1973年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1973年以後1980年以前
建物は宿泊施設の池島中央会館として現存。
東館/長崎東館
所在地 : 長崎県長崎市船大工町(1980年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
ニュース劇場/長崎ニュース劇場
所在地 : 長崎県長崎市台場町長崎ビル地階(1960年)、長崎県長崎市大黒町14-5(1985年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 1985年

1958年、国鉄長崎駅前に完成した長崎ビルの地下1階に映画館「長崎ニュース劇場」が開館した。座席数は120席。館主の川崎清は福岡県出身であり、東京帝国大学を卒業した後に鉄道省で官僚を務めた人物である。1958年の記録映画『太平洋戦記』が最多観客数の記録を作った。1985年、長崎ビルの取り壊しにともなって閉館した。経営会社の川崎興産は長崎市や神戸市などで書店を展開し、メトロ書店の名前は第1号店が地下のニュース劇場のロビーにあったことに因んでいる。*1
長崎駅前映劇
所在地 : 長崎県長崎市大黒町9-26(1985年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
長崎東宝劇場
所在地 : 長崎県長崎市浜町1-14(1980年)、長崎県長崎市浜町1-22(1990年)
開館年 : 1960年12月24日
閉館年 : 1990年以後1992年以前
1992年の映画館名簿には掲載されていない。長崎東宝会館は現存。
榎津東映/長崎榎津東映劇場/長崎榎津映劇/長崎日活映劇/長崎日活劇場(新)
所在地 : 長崎県長崎市万屋町5-10(1980年・1990年)
開館年 : 1955年以後1960年以前(榎津東映)、1973年以後1980年以前(長崎日活)
閉館年 : 1990年以後1992年以前
1969年の映画館名簿では「長崎日活劇場」。1980年の映画館名簿では「長崎日活映劇」。1990年の映画館名簿では「長崎日活劇場」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「長崎セントラル劇場」東隣の駐車場。
新世界映画劇場/長崎新世界映画劇場・長崎名画座/長崎新世界・長崎名画座/長崎新世界1・2
所在地 : 長崎県長崎市梅香崎町2-10(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1955年9月、1967年(ビル化)
閉館年 : 2001年1月31日
1980年の映画館名簿では「長崎新世界・長崎名画座」(2館)。1990年・2000年の映画館名簿では「長崎新世界1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ファミーユ オランダ通り」。個人経営館としては国内最大級のスクリーンを有した。

2001年1月31日、長崎市梅香崎町の映画館「新世界」が閉館する。JR長崎駅アミュプラザ長崎にシネコン「ユナイテッド・シネマ長崎」が開館したことで観客が減少したのが理由。2スクリーン、計685席。長崎市有数の大型館であり、幅14メートルのスクリーンは長崎県最大級。1993年から長崎市未公開の名画を夜間に上映する試みを行って映画ファンを引き付けていた。1955年に開館。*2

2001年1月末をもって、長崎市梅香崎町の映画館「長崎新世界劇場」が閉館する。1955年に名画座として開館し、1961年頃からは封切館となった。1967年に改装し、70ミリの「新世界1」(450席)と「新世界2」(125席)の2スクリーンで営業していた。1992年頃からは長崎未公開の作品などを上映するレイトショーを実施していた。2000年9月にはJR長崎駅前にシネコンが開館し、観客数が半分近くに減少していた。*3

2001年1月末をもって、長崎市梅香崎町の映画館「新世界」が閉館する。長崎市に本社を置く映画劇場新世界が役員会を開いて決定した。2000年9月に開館したシネコンの影響などから観客数が伸び悩んでいた。1955年9月に開館した。現在は2スクリーン計575席を有する。近年は洋画を中心に上映し、1992年からは単館系作品や過去の名作も上映していた。長崎では上映機会の少ない作品を見られることから映画ファンの間では根強い人気があった。*4

2001年1月末をもって、40年を超える歴史を持つ長崎市梅香崎町の映画館「新世界」が閉館する。レンタルビデオの普及などで全国的に映画観客数が低迷していることに加えて、2000年9月に開館した外資系シネコン「ユナイテッド・シネマ長崎」にダメを押された格好である。1992年から地元のFM放送局と提携し、単館系の作品を低料金で上映していた。*5

2001年1月31日をもって、長崎市梅香崎町の映画館「長崎新世界劇場」が閉館した。1955年に名画座として開館し、1961年頃に封切館となった。開館当時の長崎市には10館以上の映画館があったが、さらに数年で25館にまで増えている。1967年の改装で70ミリの大スクリーンを導入し、2スクリーンの映画館となった。1992年頃からはスマイルFMと提携し、最終上映終了後に長崎未公開の作品などを上映するレイトショーを実施していた。45年間で3500本から4000本を上映したという。1982年の『E.T.』が最大のヒット作だった。2月4日には「ありがとう新世界」と題したイベントが開催され、『風と共に去りぬ』ノーカット版(4時間12分)が上映されるが、長崎でのノーカット版の上映は最初で最後ではないかとされる。*6

2001年1月末をもって、長崎市梅香崎町の映画館「長崎新世界劇場」が閉館した。2月4日、「ありがとう新世界 映画ファンからの贈りもの」と題した『風と共に去りぬ』の上映会が開催され、映画ファンから関係者に対して花束が贈呈された。*7
国際劇場/長崎国際劇場/長崎松竹/長崎松竹映画劇場/長崎松竹1・2・3
所在地 : 長崎県長崎市浜町1-22(1980年)、長崎県長崎市浜町1-12(1990年)、長崎県長崎市浜町1-22(2000年)
開館年 : 1910年(電気館)、1947年(国際劇場)、1955年(長崎松竹)
閉館年 : 2002年2月28日
1910年電気館開館。1947年国際劇場開館。1955年長崎松竹改称。1964年全焼。1966年8階建てビルで営業再開。1980年の映画館名簿では「長崎松竹映画劇場」。1990年の映画館名簿では「長崎松竹映画劇場・長崎東宝劇場」(2館)。2000年の映画館名簿では「長崎松竹1・2・3」(3館)。2002年2月28日閉館。2005年の映画館名簿には掲載されていない。

2002年2月28日をもって、長崎市浜町の映画館「長崎松竹」が閉館する。2001年1月には梅香崎町の「長崎新世界劇場」も閉館している。長崎松竹は1955年に開館し、『男はつらいよ』シリーズなど松竹系の作品を上映していた。施設の老朽化、シネコン「ユナイテッド・シネマ長崎」の開館に伴なう観客数の減少などが閉館の理由。3月以降、松竹系作品はユナイテッド・シネマ長崎で上映される。2月25日から28日には「長崎松竹さよならフェスティバル」と題したイベントが開催され、長崎市や長崎県内でロケを行った作品が上映される。『神様のくれた赤ん坊』『男はつらいよ純情編』『新・喜びも悲しみも幾年月』『この子を残して』が上映される。*8

2002年2月28日をもって、長崎市浜町の映画館「長崎松竹」が46年の歴史に幕を閉じて閉館する。施設の老朽化が最大の要因だが、大型駐車場を備えたシネコンの影響などで観客数が半減していた。2001年1月には梅香崎町の「長崎新世界劇場」も閉館している。1947年に「国際劇場」として開館し、1955年に松竹の直営館となった。1964年には全焼したが、1966年に8階建ての複合商業施設内で営業を再開した。3スクリーン計522席を有する。地方都市にある松竹の直営館の中では観客数が多く、まずまずの業績だったとされるが、2000年9月にJR長崎駅ビル内にシネコンが開館すると観客数が半減した。2月26日から「さよならフェスティバル」を開催し、『男はつらいよ純情編』『神様のくれた赤ん坊』『新・喜びも悲しみも幾年月』『家族』『この子を残して』の5作品が上映される。いずれも長崎県でロケが行われた作品である。*9
長崎日活劇場(旧)/長崎東映劇場・長崎東映パラス/長崎東映シネマ1・2/長崎東映
所在地 : 長崎県長崎市本石灰町6-40(1980年・1990年・2000年・2002年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2003年3月末
1980年の映画館名簿では「長崎東映劇場」。1990年の映画館名簿では「長崎東映シネマ1・2」(2館)。2000年・2002年の映画館名簿では「長崎東映」。2002年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造2階建、200席、経営会社が東映株式会社、経営者が高岩淡、支配人が日下部保雄、東映を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。

2000年9月8日、長崎市のベルナード観光通りで『長崎ぶらぶら節』の完成記念イベントが開催され、主演の吉永小百合や深町幸男監督が出席した。『長崎ぶらぶら節』は一般全国公開に先駆けて、9月9日から「長崎東映」で先行公開される。*10

2000年9月21日、JR長崎駅の新ビル「アミュプラザ長崎」が開業し、4階には8スクリーン計1648席のシネコン「ユナイテッド・シネマ長崎」が開館した。長崎県では初の外資系シネコンである。長崎市にある既存の映画館は危機感を強めている。「長崎ステラ座」と「長崎宝塚劇場」は共通の割引特典付きスタンプカードを導入し、スタンプカードを提示すると一般1800円が1500円に、学生1500円が1300円に割り引かれる。スタンプが4個たまれば5回目は入場無料となる。長崎ステラ座は今夏にスクリーンを新しくし、階段の足元にランプを設置したり、トイレを改装するなどして固定客の維持に取り組んでいる。「長崎東映劇場」は座席幅を広げて9月9日にリニューアルオープンした。*11
長崎宝塚映劇/長崎宝塚劇場
所在地 : 長崎県長崎市本石灰町6-38(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1971年12月
閉館年 : 2005年2月18日
1969年の映画館名簿では「長崎宝塚映劇」。1971年12月開館。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「長崎宝塚劇場」。2005年2月18日閉館。2005年ビル取り壊し。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2000年9月21日、JR長崎駅の新ビル「アミュプラザ長崎」が開業し、4階には8スクリーン計1648席のシネコン「ユナイテッド・シネマ長崎」が開館した。長崎県では初の外資系シネコンである。長崎市にある既存の映画館は危機感を強めている。「長崎ステラ座」と「長崎宝塚劇場」は共通の割引特典付きスタンプカードを導入し、スタンプカードを提示すると一般1800円が1500円に、学生1500円が1300円に割り引かれる。スタンプが4個たまれば5回目は入場無料となる。長崎ステラ座は今夏にスクリーンを新しくし、階段の足元にランプを設置したり、トイレを改装するなどして固定客の維持に取り組んでいる。「長崎東映劇場」は座席幅を広げて9月9日にリニューアルオープンした。*12

2005年2月18日をもって、長崎市本石灰町の映画館「長崎宝塚劇場」が34年の歴史に幕を閉じて閉館する。『ドラえもん』や『ゴジラ』の上映で親しまれた。入居するビルが老朽化して取り壊されるため。1971年12月、東宝系映画館として開館した。開館時の座席数は約700席であり(現在は540席)、九州最大規模の劇場だった。1977年に同じく東宝系の「長崎ステラ座」が開館すると邦画を上映するようになった。現在上映中の『ハウルの動く城』が最終上映作品となる。ビルは地上4階・地下2階建てであり、2階から4階に映画館が入っている。地下のカラオケ店と1階のゲームセンターも閉館し、3月から取り壊しが始まる。*13
東宝富士館/長崎東宝富士館/長崎ステラ座
所在地 : 長崎県長崎市銅座町5-4(1980年・1990年・2000年・2005年)
開館年 : 1938年(富士館)、1977年6月10日(長崎ステラ座)
閉館年 : 2008年8月31日
Wikipedia : 長崎ステラ座
1960年の映画館名簿では「東宝富士館」。1969年の映画館名簿では「長崎東宝富士館」。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「長崎ステラ座」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。2010年取り壊し。跡地は1階に「AOKI 長崎浜の町店」が入る2015年竣工のマンション「ABITI浜町」。象徴的なステンドグラスは同じく東宝系で2008年10月開館のTOHOシネマズ長崎に移された。

2000年9月21日、JR長崎駅の新ビル「アミュプラザ長崎」が開業し、4階には8スクリーン計1648席のシネコン「ユナイテッド・シネマ長崎」が開館した。長崎県では初の外資系シネコンである。長崎市にある既存の映画館は危機感を強めている。「長崎ステラ座」と「長崎宝塚劇場」は共通の割引特典付きスタンプカードを導入し、スタンプカードを提示すると一般1800円が1500円に、学生1500円が1300円に割り引かれる。スタンプが4個たまれば5回目は入場無料となる。長崎ステラ座は今夏にスクリーンを新しくし、階段の足元にランプを設置したり、トイレを改装するなどして固定客の維持に取り組んでいる。「長崎東映劇場」は座席幅を広げて9月9日にリニューアルオープンした。*14

2008年8月31日をもって、長崎市銅座町の映画館「長崎ステラ座」が31年の歴史に幕を閉じて閉館する。1スクリーン374席。10月には茂里町の複合商業施設にシネコン「TOHOシネマズ長崎」が開館する予定であり、東宝系の作品はTOHOシネマズで上映される。ステラ座の前身は1938年開館の「富士館」であり、長崎市初の洋画封切館だった。1977年6月10日にはステラ座が開館した。ステラとはイタリア語で星を意味する。現在も年間8万人強の観客を集め、ほとんどの年で黒字となっている。閉館後の6階建てビルの活用方法は未定。2002年2月末には「長崎松竹」が、2003年3月末には「長崎東映劇場」が、2005年2月18日には「長崎宝塚劇場」も閉館している。*15

2008年8月31日をもって、長崎市銅座町の東宝系映画館「ステラ座」が31年の歴史に幕を下ろして閉館する。座席数は374席。1938年に同一地点に開館した「富士館」が前身。1977年6月、建て替えられたテナントビルの5階に「ステラ座」が開館した。一般公募された劇場名はイタリア語で星を意味する。最多観客数の記録を作ったのは2001年の『千と千尋の神隠し』であり、17週間の上映で約11万人を集めた。現在も年間約9万人を集め、ほとんどの年で黒字になるというが、10月に同じ東宝系のシネコンが開館することで閉館が決まった。フロア両側の壁にはフランス製のステンドグラスが飾られており、ステラ座といえばステンドグラスと言われた。6個のうち1個はシネコンのロビーに引き継がれる。*16

2008年8月31日をもって、長崎市銅座町の映画館「長崎ステラ座」が閉館した。376席。1938年に開館した木造2階建ての映画館「富士館」が前身。1977年に老朽化した富士館がテナントビルに建て替えられた際に、5階に長崎ステラ座が開館した。観客数は年間平均9万人があったが、2008年10月には長崎市茂里町に同じ東宝系のシネコン「TOHOシネマズ長崎」が開館するため、長崎ステラ座の閉館が決定した。長崎ステラ座のステンドグラス6枚のうち1枚はTOHOシネマズ長崎のロビーに移される予定。*17

2008年8月31日をもって、長崎市銅座町の映画館「長崎ステラ座」が閉館した。1977年6月に開館し、当時は珍しかったスタジアム形式の1スクリーン(376席)を有していた。両壁には長崎の異国情緒を表したステンドグラスが計6個飾られていた。10月にはステラ座と同じく東宝系の「TOHOシネマズ長崎」が開館する予定であり、ステンドグラスの一部はTOHOシネマズ長崎のロビーに移設される。最終上映作品は『ポケットモンスター』。*18

2010年4月現在、長崎市銅座町で2月に閉鎖されたステラビルの解体作業が行われている。長崎市中心部を代表する商業ビルだった。跡地は一時的にコインパーキングとなった後、数年後には新ビルが建設される予定。ステラビルは1977年に開業し、東宝系映画館「ステラ座」が入っていたことで知られる。真っ白で窓の少ないビルはファッション性が高く、よく待ち合わせ場所に使われた。最盛期には衣料品店を中心に13店舗が入っていたが、最終的には4店舗のみとなっていた。西浜町自治会の川副龍也会長(66)は「若い女性の人気スポットで、私はビルに入るのに勇気が必要でした」と語る。*19
長崎千日館/長崎丸山千日館/長崎千日劇場
所在地 : 長崎県長崎市丸山町1(1980年・1990年)、長崎県長崎市丸山町1-8(2000年・2010年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2015年12月31日
1980年の映画館名簿では「長崎丸山千日館」。1990年の映画館名簿では「長崎千日館」。2000年の映画館名簿では「長崎丸山千日館」。2010年の映画館名簿では「長崎千日劇場」。晩年は成人映画館。跡地に建物が現存。

2015年3月現在も、長崎市の繁華街である思案橋の裏通りに「長崎千日劇場」がたたずむ。経営者の中島儀弘(81)の父親が1955年に出来大工町に開館させた「千日劇場」の名を受け継いでいる。初代の千日劇場には喫茶店が併設されていたが、道路拡幅工事の関係で閉館した。中島は現在地に移転して2代目の長崎千日劇場を始めた。現在は成人映画専門館である。*20
長崎セントラル中央劇場・長崎セントラルシネマ劇場/長崎セントラル中央劇場・長崎セントラルシネマ/長崎ゴールドセントラル劇場・長崎東映パラス/長崎セントラル・長崎東映パラス/長崎セントラル1・2/長崎セントラル劇場
所在地 : 長崎県長崎市万屋町5-9(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1960年8月、1965年(ビル化)
閉館年 : 営業中
1990年の映画館名簿では「長崎セントラル・長崎東映パラス」(2館)。2000年の映画館名簿では「長崎セントラル1・2」(2館)。2010年の映画館名簿では「長崎セントラル劇場」。

2007年1月19日をもって、長崎市万屋町の映画館「セントラル名画座」が閉館した。2階の「セントラル劇場」は営業を継続する。セントラル名画座の跡地は不動産会社のモデルルームになる予定。1960年に日活の再上映館「日活セントラル」として開館したが、近年は不振を続けていた。2006年3月、経営する西日本文化企業は1階と2階に分かれている映画館の1階を名画座として復活させ、吉永小百合や石原裕次郎らの主演作品を500円でシリーズ上映していた。その後は海外の作品を中心に上映していたが、シネコンの進出計画があることで閉館を決定した。*21

長崎市万屋町のベルナード観光通りに近くには映画館「セントラル劇場」がある。座席数は128席。1960年8月、日活の再上映館として開館した。近年はシネコンで見られない作品を上映している。「友の会」の会員は約1000人に上る。2004年から毎年秋にはフランス映画やイタリア映画などヨーロッパの名作を上映する「浜んまち映画祭」を開催する。毎年2000人近くを集め、セントラル劇場が一年で最もにぎわう時期である。浜市商店連合会も協賛し、映画祭の半券でコーヒーが飲めるなどのサービスがある。映画祭のノウハウを学びに来た福岡県飯塚市の飯塚シネマセントラルの関係者は、「セントラル劇場は上質な映画を上映し続けてきたからこそ、客も自然と映画祭の作品を受け入れ、成功に導けた」と語る。*22

2007年に公開された吉田修一監督作『Water』では、吉田の母校である長崎県立長崎南高校や「長崎セントラル劇場」でロケが行われた。2004年9月に行われた。*23

2008年10月25日、長崎市万屋町の映画館「長崎セントラル劇場」で、『闇の子供たち』の上映に合わせて阪本順治監督のトークショーが開催される。『闇の子供たち』は10月25日から11月7日まで上映される。*24

1960年、長崎市万屋町に浦川正によって「長崎セントラル劇場」が開館した。当時は木造であり、封切り後の作品を上映する二番館だった。映画最盛期の長崎市には30以上の映画館があり、1965年には現在のビルが完成した。『若大将シリーズ』は観客が多すぎて劇場の扉を開放し、チケット売り場から背伸びして見る観客もいた。2006年には浦川正の娘である前田眞利子が劇場を継いだ。「(つまらなくて)私が寝ないか」どうかを基準に上映作品を選定しており、サンプルDVDを観ている際に眠ってしまった作品は却下している。2011年11月には8回目の「浜んまち映画祭」で、長崎ロケを行った『忘れえぬ慕情』を55年ぶりに上映した。当時を知る年配者が多数詰めかけ、久々に満席となった。2011年にはデジタル作品を上映できるDVDプロジェクターを導入し、2012年12月には初めて3D作品を上映した。現在もフィルム映写機2台は残している。*25

長崎市の浜町アーケード近くのビル2階には映画館「長崎セントラル劇場」がある。1960年に浦川正によって開館した。2009年には浦川が死去し、浦川の次女である前田眞利子が劇場を継いだ。劇場の扉やドア枠をオレンジ色に変えて明るい雰囲気とするなど、若い客が来やすいようイメージチェンジに取り組んだ。『もののけ姫』が公開された1997年の長崎市にはまだシネコンがなく、長崎セントラル劇場は毎回のように満席となった。半年間も上映が続く異例のヒットとなり、前田が暑さと過労で倒れて救急車で運ばれたこともあった。劇場内の食事と途中入場は禁止している。前田は1952年長崎市生まれ。タバコ屋や喫茶店の経営を経て2009年から社長。最も好きな作品は1968年公開の『ロミオとジュリエット』。*26

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
ユナイテッド・シネマ長崎
所在地 : 長崎県長崎市尾上町1-1 アミュプラザ長崎4階(2010年)
開館年 : 2000年9月21日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ長崎No.1-8」(8館)。
TOHOシネマズ長崎
所在地 : 長崎県長崎市茂里町1-55 みらい長崎ココウォーク6階(2010年)
開館年 : 2008年10月1日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ長崎1-9」(9館)。

2008年10月1日、長崎市茂里町の大型商業施設「みらい長崎ココウォーク」にシネコン「TOHOシネマズ長崎」が開館する。9スクリーン計1936席。長崎県で初めて幅60センチのワイドシートが導入される。ロビーのエレベーターホールには、8月31日に閉館した東宝系映画館「長崎ステラ座」から移設した紫色の円形ステンドグラスが設置される。*27

西彼杵郡時津町

西彼杵郡長与町

県北地域

佐世保市

ロマン映画劇場/江迎ロマン映画劇場
所在地 : 長崎県北松浦郡江迎町(1973年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1973年以後1980年以前
東宝中央館/東宝中央映劇/佐世保東宝中央劇場/佐世保東宝中央
所在地 : 長崎県佐世保市山県町3-18(1985年)
開館年 : 1933年3月
閉館年 : 1985年以後1990年以前
佐世保スバル座/佐世保松竹スバル座
所在地 : 長崎県佐世保市下京町10-6(1985年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
大劇/佐世保東映/佐世保東映劇場
所在地 : 長崎県佐世保市京ノ坪町1-15(1985年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
カズバ映画劇場/カズバ映劇/佐世保カズバ映画劇場/佐世保カズバ映劇/佐世保カズバ1・2
所在地 : 長崎県佐世保市島瀬町4-12(1990年)
開館年 : 1954年10月
閉館年 : 1994年以後1998年以前
1992年の映画館名簿では鉄筋造2階建、310席と269席、経営会社が九東商事、経営者が山家靖郎、支配人が今村利男、洋画・東映を上映。

1994年11月18日、佐世保市の映画館「佐世保カズバ劇場」で、小説家の井上光晴を題材としたドキュメンタリー映画『全身小説家』の招待試写会がある。1995年2月には佐世保カズバ劇場で特別上映される予定。佐世保市は井上が7歳から青年期を過ごした第二の故郷である。*28
佐世保東宝プラザ
所在地 : 長崎県佐世保市島地町2-1(1990年)
開館年 : 1969年以後1973年以前
閉館年 : 1992年以後1998年以前
1992年の映画館名簿では鉄筋造2階建、400席、経営会社が東宝九州興行、経営者が浮島好之、支配人が黒坪繁、洋画を上映。
ピカデリー映劇/佐世保ピカデリー劇場/佐世保ピカデリー/佐世保東宝ピカデリ
所在地 : 長崎県佐世保市島瀬町4-13(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 2005年1月31日
1960年の映画館名簿では「ピカデリー映劇」。1969年・1980年の映画館名簿では「佐世保ピカデリー劇場」。1990年の映画館名簿では「佐世保ピカデリー」。2000年の映画館名簿では「佐世保東宝ピカデリ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2005年1月末をもって、佐世保市島瀬町の映画館「東宝ピカデリ」が閉館する。佐世保市にある10館の中で最も多い310席を有している。1957年、ピカデリー映劇の中田正明社長(88)が開館させ、1985年からは東宝の関連会社に運営を任せていた。開館当初は個人経営だったことから配給を受けるのに苦労し、アメリカ映画ではなくヨーロッパ映画を上映していた。やがてディズニー映画などが子供の人気となり、最盛期には一日に2000人以上を集めた。現在はスタジオジブリ作品『ハウルの動く城』を上映中であり、1月31日午後6時30分からの上映が最後となる。*29

2005年1月31日をもって、佐世保市島瀬町の映画館「東宝ピカデリ」が閉館する。客足の伸び悩みや中田正明社長(88)の高齢化が理由。1957年に「ピカデリー」として開館した。当初は封切り作品の配給を受けられ宇、ヨーロッパ映画の再上映を中心に営業していた。オードリー・ヘプバーン主演『ティファニーで朝食を』の上映時には、連日380席あった座席がすべて埋まり、立ち見すらできないにぎわいだった。一日に2000人以上を集めた時代もある。現在はスタジオジブリ作品『ハウルの動く城』を上映中であり、閉館後の2月1日からは栄町の『エクラン東宝』に引き継がれる。*30
西海パールシー アイマックスドームシアター
所在地 : 長崎県佐世保市 西海パールシーセンター
開館年 : 1994年
閉館年 : 2008年8月31日
2008年8月いっぱいで、佐世保市の西海パールシーセンターにある映画館「アイマックスドームシアター」が閉館する。1994年に開館し、座席数は158席。傾斜を付けた直径18メートルのドーム型のスクリーンに広角レンズで映写している。隣接する水族館を改修してクラゲドームをオープンさせるために閉館が決まった。*31
佐世保松竹劇場・佐世保日活東館/佐世保松竹劇場・佐世保東館/佐世保日活・佐世保東館/佐世保にっかつ・佐世保東館/佐世保ロッポニカ1・2/佐世保エクラン東宝1・2
所在地 : 長崎県佐世保市栄町7-5(1980年・1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1954年9月(佐世保日活)、1988年(佐世保ロッポニカ)、1990年(佐世保エクラン東宝)
閉館年 : 2011年9月30日
Wikipedia : 佐世保エクラン東宝
1980年の映画館名簿では「佐世保日活・佐世保東館」(2館)。1990年の映画館名簿では「佐世保ロッポニカ1・2」(2館)。1990年に5階建てビル化。2000年・2010年の映画館名簿では「佐世保エクラン東宝1・2」(2館)。

佐世保市には映画館「エクラン東宝」がある。大正時代に芝居小屋「弥生座」として開館し、やがて映画も上映するようになった。1945年に空襲で焼失したが、1954年に戦前の3分の1の規模で営業を再開した。1988年に現在のビルを建て、一部はテナントとして貸している。*32
佐世保松竹映画劇場/佐世保太陽館/佐世保太陽劇場/佐世保シネマボックス太陽松竹1・太陽名画座2・太陽3・太陽4/佐世保シネマボックス太陽1-7
所在地 : 長崎県佐世保市島地町1-17(1990年・2000年・2010年・2020年)
開館年 : 1963年以後1966年以前(太陽館)、1987年(シネマボックス太陽)、1999年(7館化)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマボックス太陽
1969年の映画館名簿では「佐世保太陽館」。1980年の映画館名簿では「佐世保太陽劇場」。1986年ビル化。1990年の映画館名簿では「佐世保シネマボックス太陽松竹1・名画座2・3・4」(4館)。1992年・1998年の映画館名簿では「佐世保シネマボックス太陽松竹1・太陽2・3・4」(4館)。2000年の映画館名簿では「佐世保シネマボックス太陽松竹・太陽2-7」(7館)。2010年の映画館名簿では「佐世保シネマボックス太陽1-7」(7館)。

佐世保市の夜店公園通りにある飲食店街には、7スクリーンを有する映画館「シネマボックス太陽」がある。1955年、進駐軍相手のキャバレーを改造して「スバル座」が開館した。約40年前、現在地に2館目の「太陽劇場」が開館した。1987年、現在の7階建てビルを建設し、スバル座と大洋劇場の2館を統合、4スクリーンのシネマボックス太陽が開館した。開館を記念し、女優の松阪慶子らを招いてテープカットが行われた。1999年に3スクリーン増やして7スクリーン体制となり、長崎県ではここでしか上映しない作品もある。先にシネコンを作ってしまえば大手が進出しにくいという読みが当たった。地元に密着した取り組みを行っており、映画祭に会場を提供したり、離島で出張上映をしたりしている。*33

2019年6月22日、佐世保市の映画館「シネマボックス太陽」で、『こはく』の上映に合わせて舞台挨拶が行われた。佐世保市出身の横尾初喜監督、主演の井浦新、お笑い芸人の大橋彰(アキラ100%)、女優で横尾監督の妻である遠藤久美子の4人。7月6日に全国公開される。*34

平戸市

平戸松竹館
所在地 : 長崎県平戸市新町91(1973年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1973年以後1980年以前
館浦映劇
所在地 : 長崎県北松浦郡館浦町(1980年)
開館年 : 1973年以後1980年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
平戸市最後の映画館。

松浦市

御厨映画劇場
所在地 : 長崎県松浦市御厨町(1969年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
松浦東映/松浦東映劇場
所在地 : 長崎県松浦市志佐町1496(1969年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

西海市

大島会館
所在地 : 長崎県西彼杵郡大島町183(1969年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
大島国際映劇/大島国際映画劇場
所在地 : 長崎県西彼杵郡大島町間瀬(1969年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

北松浦郡佐々町

静楽館/佐々静楽館
所在地 : 長崎県北松浦郡佐々町本田原免189(1960年)、長崎県北松浦郡佐々町本田原免(1969年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

北松浦郡小値賀町

小値賀映劇/小値賀映画劇場
所在地 : 長崎県北松浦郡小値賀町1758(1969年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

東彼杵郡東彼杵町

東彼杵郡川棚町

東彼杵郡波佐見町

波佐見劇場/波佐見映劇
所在地 : 長崎県東彼杵郡波佐見町(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

県央地域

諫早市

銀線映劇/銀線映画劇場/諫早銀線映画劇場/諫早銀線映劇
所在地 : 長崎県諫早市栄町2(1980年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
永楽座/諫早映画劇場・諫早名画劇場/諫早プラザ ヤギ・諫早シネマ ヤギ/諫早パルファン1・2
所在地 : 長崎県諫早市栄町46(1980年・1985年・1990年)、長崎県諫早市栄町7-1(2000年・2010年)
開館年 : 1932年以前(永楽座)、1977年(諫早パルファン)
閉館年 : 2011年10月30日
Wikipedia : 諫早パルファン
1978年にビル化。1980年の映画館名簿では「諫早プラザ・ヤギ」(2館)。1990年・2010年・2010年の映画館名簿では「諫早パルファン1・2」(2館)。建物は貸しホールの文化ホール 諫早パルファンとして現存。

1955年11月、諫早市栄町の映画館「永楽座」で上映中に発砲事件があり、1人が死亡、2人が重傷を負った。親和銀行諫早支店長の息子が死亡、前川興行の部長が危篤、長崎刑務所看守部長の妻が両足に銃弾を受けて重傷。2人の容疑者が逮捕されたが、犯行は興行上の恨みが理由とみられる。*35

1942年、地元有志の出資によって諫早に「永楽座」が開館した。その後「諫早映画劇場」に改称。1977年にはファッションビルに建て替え、2スクリーンの映画館「諫早パルファン」がビルに入居した。現在はビルのテナント収入を支えにして営業を続けている。*36

2011年10月31日をもって、諫早市唯一の映画館「諫早パルファン」が休館した。観客数の減少などが理由。4階建てビルに2スクリーンを有し、3階に160席のスクリーンが、4階に240席のスクリーンがある。2月からは4階のスクリーンは利用していなかった。*37

2011年10月30日をもって、諫早市唯一の映画館「諫早パルファン」が休館した。10月31日から休館する。観客数の減少などが理由。入居するビルに2スクリーンを有し、3階に160席のスクリーンが、4階に240席のスクリーンがある。約30年前に開館した。2月からは4階のスクリーンは利用していなかった。*38

諫早市の映画館「諫早パルファン」は2011年10月に休館。2012年12月には「文化ホール諫早パルファン」として生まれ変わった。216席のメインステージ、144席のサブステージがある。映画館時代のステージはいずれも奥行き2.9メートル×幅12メートルだったが、演劇やコンサートに使いやすいようにメインステージは奥行きを4.5メートルに広げた。映画館のスクリーンは残しており、デジタル式の上映設備を導入したことで、DVDの鑑賞なども可能となった。*39

大村市

大村スバル座
所在地 : 長崎県大村市下田町343(1969年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
大村シネマ劇場/大村松竹館(新)
所在地 : 長崎県大村市東三城町4-4(1980年)
開館年 : 1969年以後1973年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
第一映画劇場/松竹館/大村松竹館(旧)/大村八木館1・2/大村八木館2
所在地 : 長崎県大村市本町450-1(1990年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1992年以後1998年以前
1990年の映画館名簿では「大村八木館1・2」(2館)。1992年の映画館名簿では「大村八木館2」。1998年の映画館名簿には掲載されていない。大村市最後の映画館。

島原地域

島原市

第一映劇/島原日活映劇/島原松竹館
所在地 : 長崎県島原市中堀町1098(1985年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1985年以後1990年以前
島原八木館1・2
所在地 : 長崎県島原市中堀町156(1990年)、長崎県島原市中堀町18 水都88ビル(閉館時)
開館年 : 1964年
閉館年 : 1991年6月4日(一度目休館)、1995年(二度目休館)、時期不明(閉館)
Wikipedia : 島原八木館
1964年開館。1980年・1990年の映画館名簿では「島原八木館1・2」(2館)。1991年6月4日雲仙岳災害により休館。1991年10月12日営業再開。1995年休館。1999年休日のみ営業再開。時期不明閉館。跡地に建物が現存。島原市最後の映画館。

島原市中堀町にある「八木館」は島原半島唯一の映画館である。経営者は八木晴恵。1991年6月3日には雲仙普賢岳の大規模災害が起こり、(建物に被害はなかったものの)6月4日から休館していた。7月上旬にはボランティア団体がアニメ映画の無料上映会を開催し、大きな反響があったことから、10月12日には通常営業を再開した。*40

1999年11月3日、島原市中堀町の水都88ビルにある映画館「八木館」が4年ぶりに営業を再開する。日曜と祝日の上映を続けたいとしている。経営者は八木晴恵(62)。1964年に島原市の要請などで開館した。1991年には雲仙普賢岳の災害などで休館を余儀なくされ、1995年に営業を再開したものの、再び休館していた。常設館を休館させている間は、島原半島の施設や学校などで出張上映を行っていた。*41

雲仙市

小浜劇場/小浜映劇/小浜映画劇場
所在地 : 長崎県南高来郡小浜町858(1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
雲仙市最後の映画館。

南島原市

五島・壱岐・対島地域

五島市

中央館/福江中央館
所在地 : 長崎県福江市錦町3-10(1980年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1969年・1980年の映画館名簿では「福江中央館」。福江中央シネマが後継館。
福江中央シネマ/平山木材商事イベントホール中央シネマ
所在地 : 長崎県福江市栄町8-7(1990年・2000年・2002年)
開館年 : 1980年以後1985年以前
閉館年 : 2002年以後2008年以前
福江中央館が前身館。1990年の映画館名簿では「福江中央シネマ」。2000年・2002年の映画館名簿では「平山木材商事イベントホール中央シネマ」。2002年の映画館名簿では鉄筋造平屋建、150席、経営会社が平山木材商事、経営者が平山禎己、支配人が平山信、邦画・洋画を上映。2008年・2010年の映画館名簿には掲載されていない。五島市最後の映画館。

対馬市

公楽/上対馬公楽映画劇場
所在地 : 長崎県上県郡上対馬町大字比田勝(1969年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
豆酘公楽劇場
所在地 : 長崎県下県郡厳原町大字豆酘(1969年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
公楽映劇/厳原公楽映画劇場/厳原映劇
所在地 : 長崎県下県郡厳原町今屋敷774(1969年)、長崎県下県郡厳原町今屋敷(1973年)、長崎県下県郡厳原町田渕(1980年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
対島最後の映画館。

壱岐市

有楽館
所在地 : 長崎県壱岐郡石田村印通寺437(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
衆楽館
所在地 : 長崎県壱岐郡芦辺町瀬戸浦(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
勝本映劇/勝本劇場
所在地 : 長崎県壱岐郡勝本町(1953年・1963年・1966年)
開館年 : 1931年10月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
雪映共楽館/共楽館/壱岐東映
所在地 : 長崎県壱岐郡郷ノ浦町(1963年)
開館年 : 1947年1月
閉館年 : 1963年以後1966年以前

南松浦郡新上五島町

奈良尾会館
所在地 : 長崎県南松浦郡奈良尾町(1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

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