日本の映画館の総合データベースです。



町田市

原町田常設館/町田常設館
所在地 : 東京都南多摩郡町田町原町田(1930年・1936年)
開館年 : 1927年9月27日
閉館年 : 1939年
1927年の映画館名簿には掲載されていない。1930年の映画館名簿では「原町田常設館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「町田常設館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。

1927年9月27日には株式会社町田常設館が設立され、10月7日には株式会社町田常設館が登記された。本店は南多摩郡町田町原町田165番地。資本金は1万6000円。1939年8月26日、株式会社町田常設館が清算結了した。*1
町田中央劇場
所在地 : 東京都南多摩郡町田町町田1237(1956年)、東京都南多摩郡町田町原町田1237(1958年)、東京都町田市原町田1237(1959年)
開館年 : 1955年7月12日
閉館年 : 1959年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年・1959年の映画館名簿では「町田中央劇場」。1959年の映画館名簿では経営者が今岡七五郎、支配人が田辺林造、鉄筋造1階暖房付、定員580、松竹・日活・新東宝を上映。1960年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三菱UFJ銀行町田駅前支店」。最寄駅は小田急小田原線町田駅・JR横浜線町田駅。

1955年7月12日、南多摩郡町田町の小田急新原町田駅隣に「町田中央劇場」が開館した。オープニングは『帰らざる河』。シネスコ専門館。椅子席610。冷暖房完備、発声装置はナイコー。経営は今岡興行。支配人は田辺林造。*2

1957年から映画館の増加のペースが低下しており、転廃業した館もある。1958年9月から1959年8月までの1年間に東京都で転廃業した映画館は以下の通り。神田南明座(倉庫に転業)、銀座映画劇場(廃館)、神楽坂銀鈴座(焼失)、新宿グランド(パチンコ屋に転業)、銀座全線座(ダンスホールに転業)、渋谷全線座(貸ホールに転業)、シネマ西荻(廃館)、池袋日活(焼失)、池袋文化映画(パチンコ屋に転業)、弁天座(廃館)、文芸坐(廃館)、文芸地下(廃館)、人生坐(廃館)、大山映画劇場(廃館)、町田中央(廃館)。*3

1927年には小田急線新原町田駅が開業したが、戦後になっても岡直三郎商店の醤油工場があるなど、街はずれという雰囲気だった。渋谷三右衛門町長は小田急駅前の開発を計画し、1953年に醤油工場が移転して1800坪の敷地が生まれた。直ちに土地区画整理事業が行われ、いち早く「町田中央映画劇場」が進出した。経営者は戦前から「町田日活館」を経営していた今岡七五郎である。「町田映画劇場」も原町田1丁目から小田急駅前に移転し、小田急駅前に歓楽街が形成された。1958年時点の町田市には、映画館として町田日活、町田映画、町田中央劇場、「町田東映」、「町田エトアール」の5館があり、うち4館は小田急駅前にあった。その後、映画館の乱立やテレビの普及を受けて町田中央劇場と町田東映が閉館し、跡地には三菱銀行町田支店や日本生命町田支部が進出した。*4

1960年の『コンサイス東京区分地図帖』には「町田映画」「町田日活」「中央映画」「町田東映」が描かれている。*5

昭和30年代の町田市にあった「町田中央劇場」の写真あり。「町田中央劇場」の文字が見える。町田で唯一の洋画専門館であり、ホンタマ醤油醸造所の跡地に開館した。1963年5月、町田中央劇場の跡地に銀行が開店した。2004年現在の跡地の写真あり。東京三菱銀行町田支店が建っている。*6

昭和40年代(※おそらく誤り)の町田市にあった洋画専門館「町田中央劇場」の写真あり。「町田中央劇場」の文字が見える。1993年現在の小田急線町田駅前の三菱銀行の場所にあった。*7

今岡七五郎(1899年〜????年)。「町田日活館」(後の町田ロマン会館)、洋画館「中央映画劇場」(跡地は東京三菱銀行町田支店)、大和市の映画館、長後の映画館と、4館の映画館を経営していた。町だしにおける興行面の第一人者とされる。*8
町田東映
所在地 : 東京都町田市原町田386(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1963年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「町田東映」。1963年の映画館名簿では経営者が前田弘、支配人が関屋勲、鉄筋造1階暖房付、定員315、東映を上映。1964年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の住宅地図では跡地に「日本生命町田支部」。跡地は「河合塾町田校」建物南側。最寄駅は小田急小田原線町田駅・JR横浜線町田駅。

1960年の『コンサイス東京区分地図帖』には「町田映画」「町田日活」「中央映画」「町田東映」が描かれている。*9

1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*10
町田エトアール劇場/町田エトワール劇場
所在地 : 東京都町田市原町田八号778(1960年)、東京都町田市原町田778(1963年)、東京都町田市原町田6-1-15(1966年・1969年・1973年・1976年・1978年・1979年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1979年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「町田エトアール劇場」。1960年の映画館名簿では経営者が富士興業、支配人が土屋静夫、木造1階冷暖房付、定員260、洋画を上映。1966年の住宅地図では「町田エトアール」。1976年・1978年・1979年の映画館名簿では「町田エトワール劇場」。1979年の映画館名簿では経営会社が富士興産、経営者が三好等、支配人が伊藤宏、鉄筋造1階冷暖房付、250席、東映・日活を上映。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「町田マルイ」建物中央部。最寄駅は小田急小田原線町田駅・JR横浜線町田駅。
日活館/町田日活/町田日活館/ロマン映画劇場/町田ロマン/町田ロマン映画劇場/町田ロマン会館
所在地 : 東京都南多摩郡町田町(1941年)、東京都南多摩郡町田町原町田(1943年)、東京都南多摩郡町田町(1947年・1950年)、東京都南多摩郡町田町原町田165(1953年・1955年・1956年)、東京都町田市原町田134(1958年・1960年・1963年)、東京都町田市原町田4-15-16(1966年・1969年・1973年・1976年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1940年
閉館年 : 2000年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1940年開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「町田日活館」。1943年の映画館名簿では「日活館」。1947年・1950年の映画館名簿では「町田日活館」。1953年の映画館名簿では「町田日活」。1955年の映画館名簿では「町田日活館」。1956年の映画館名簿では「町田日活映劇」。1958年の映画館名簿では「ロマン映画劇場」。1960年の映画館名簿では「町田ロマン」。1960年の映画館名簿では経営者が小嶺正方、支配人が曽我部俊太郎、鉄筋造2階冷暖房付、定員622、洋画を上映。1963年の映画館名簿では「ロマン映画劇場」。1966年の住宅地図では「町田ロマン劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「町田ロマン映画劇場」。1973年・1976年の映画館名簿では「町田ロマン」。1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「町田ロマン会館」。1980年の映画館名簿では経営会社がロマン、経営者が小嶺正方、支配人が加藤可一、鉄筋造1階、360席、洋画を上映。2000年の映画館名簿では経営会社が株式会社ロマン、経営者が小嶺正方、支配人が石井旭、鉄筋造2階、360席、成人映画を上映。2002年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「アパホテル町田駅東」。最寄駅は小田急小田原線町田駅・JR横浜線町田駅。

『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 町田』国書刊行会、1985年に掲載されている。現物は未確認。*11

1952年頃の町田市にあった「町田日活」の写真あり。町田で唯一の映画館であり、火災で焼失した後に再建されて「町田ロマン会館」として再開した。2004年現在の跡地の写真あり。町田ロマン会館の跡地にはウィークリーマンションが建設された。*12

1954年の町田町原町田4丁目にあった「町田日活」の写真あり。「MACHIDA NIKKATSU」の文字が見える。廃業後には長らく廃屋となっていたが、平成に入ってから取り壊された。2016年現在の跡地はサウスフロントタワー東側のウィークリーマンションである。*13

1954年の町田町にあった「町田日活」の写真あり。「町田日活」の文字が見える。オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペック主演作『ローマの休日』野立て看板が見える。2016年現在の跡地はサウスフロントタワー西側エントランス側から見ている。*14

1960年頃の町田市にあった「町田日活館」の写真あり。「お盆興行12日より」の文字、『めぐり遭い』の看板が見える。かつては今岡七五郎が経営していたが、火災で全焼した後に建て直された。1993年現在は「町田ロマン劇場」である。*15

今岡七五郎(1899年〜????年)。「町田日活館」(後の町田ロマン会館)、洋画館「中央映画劇場」(跡地は東京三菱銀行町田支店)、大和市の映画館、長後の映画館と、4館の映画館を経営していた。町だしにおける興行面の第一人者とされる。*16
まちだ東急ルシネマ
所在地 : 東京都町田市原町田6-9-7(1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1984年12月8日
閉館年 : 2000年7月
1984年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「まちだ東急ル・シネマ」。1986年の映画館名簿では経営会社がまちだ東急百貨店、経営者が三浦守、支配人が小幡真佐子、鉄筋造2階、170席、洋画ロードショーを上映。2000年の映画館名簿では経営会社が東急百貨店、経営者が内山徹、支配人が厳谷忠一、鉄筋造2階、172席、洋画ロードショーを上映。2001年の映画館名簿には掲載されていない。東急ビル2階。跡地は2019年竣工の商業ビル「アエタ町田」。最寄駅は小田急小田原線町田駅・JR横浜線町田駅。

1984年12月8日、町田市市原町6-9-7 東急ビル2階に「まちだ東急ル・シネマ」が開館した。経営は東急レクリエーションとまちだ東急百貨店の共同。座席数170。*17

2000年7月、東急レクリエーションが経営する「まちだ東急ル・シネマ」が閉館した。*18
ぱるるプラザ町田1・2・3
所在地 : 東京都町田市原町田4-1-4 ぱるるプラザ町田4階(2002年・2005年・2006年)
開館年 : 2000年10月4日
閉館年 : 2006年3月31日
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2001年・2002年・2005年・2006年の映画館名簿では「ぱるるプラザ町田1・2・3」(3館)。2001年の映画館名簿では経営会社が郵便貯金地域文化活動支援施設、経営者が中山治英、支配人が山口英明、鉄筋造4階、1が99席、2が118席、3が80席、いずれも邦画・洋画を上映。2008年の映画館名簿には掲載されていない。ぱるるシネマとも。建物の「プラザ町田ビル」は現存。最寄駅は小田急小田原線町田駅・JR横浜線町田駅。

2000年10月4日、JR町田駅前のぱ・る・るプラザ4階にビデオシアター「ぱ・る・るプラザシネマ町田1・2・3」が開館した。1が99席、2が118席、3が80席。東宝東部興行が番組提携している。*19
町田映画/町田映画劇場/町田映画劇場・ニュー町映/町映ローズ劇場・町映グリーン劇場/まちえいローズ劇場・まちえいグリーン劇場
所在地 : 東京都南多摩郡町田町(1950年)、東京都南多摩郡町田町原町田783(1953年・1955年・1956年)、東京都町田市原町田783(1958年)、東京都町田市原町田775(1960年)、東京都町田市原町田783(1963年)、東京都町田市原町田6-3-3(1966年・1969年・1973年・1976年)、東京都町田市原町田6-3-4(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2006年)
開館年 : 1949年12月、1973年(ビル化)
閉館年 : 2006年12月15日
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「町田映画劇場」。1953年の映画館名簿では「町田映画」。1955年・1956年の映画館名簿では「町田映画劇場」。1958年の映画館名簿では「町田映画・ニュー町映」(2館)。1960年の映画館名簿では「町田映画劇場・ニュー町映」(2館)。1963年の映画館名簿では「町田映画・ニュー町映」(2館)。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「町田映画劇場・ニュー町映」(2館)。1966年の住宅地図では「町田映画」と「ニュー町田」。1976年の映画館名簿では「町田グリーン劇場・町田ローズ劇場」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「町映グリーン劇場・町映ローズ劇場」(2館)。2002年・2005年・2006年の映画館名簿では「まちえいローズ劇場・まちえいグリーン劇場」(2館)。2002年の映画館名簿では経営会社が町田映画劇場有限会社、鉄筋造地下、107席と107席、邦画・洋画を上映。2008年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は「町映ビル」。商業ビルの町映ビルは「三井住友銀行町田支店」南東20mに現存。最寄駅は小田急小田原線町田駅・JR横浜線町田駅。

町映グリーン劇場・ローズ劇場に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 町映グリーン劇場・ローズ劇場」『キネマ旬報』1975年12月上旬号がある。*20

1980年の町田市にあったまちえいビルの写真あり。映画館「ローズ劇場・グリーン劇場」の看板が見える。平成に入ってから閉館した。「町映」の前身は洋画専門館「町田中央劇場」である。*21
109シネマズグランベリーモール/109シネマズグランベリーパーク
所在地 : 東京都町田市鶴間3-4-1 グランベリーモール内(2008年・2010年・2015年)、東京都町田市鶴間3-4-1 グランベリーパーク内(2020年)
開館年 : 2006年3月(モール)、2019年11月13日(パーク)
閉館年 : 営業中
2006年の映画館名簿には掲載されていない。2008年・2010年・2015年の映画館名簿では「109シネマズグランベリーモール1-10」(10館)。2017年休館。2018年の映画館名簿には掲載されていない。2019年11月再開館。2020年の映画館名簿では「109シネマズグランベリーパーク1-10」(10館)。最寄駅は東急田園都市線南町田グランベリーパーク駅。

2006年には町田氏のグランベリーモールにシネコン「109シネマズグランベリーモール」が開館した。施設の閉店と改装工事に伴い、シネコンも2017年に閉館した。2019年11月、町田市と東急電鉄が開発末うグランベリーパーク内に「109シネマズグランベリーパーク」としてリニューアル開館する。*22

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