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hekikaicinema 2026年09月08日(火) 02:30:38履歴
所在地 : 大分県大分市西新町(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
1925年の大分市街図には「喜楽館」や「共楽館」が描かれている。*1
1915年、大分市初の活動常設館として株式組織の「大分館」が開館した。大分館という名称は公募による。昭和初期の活動常設館としては大分館のほかに、外堀の「有楽館」(後の日本館)、西新町の「喜楽館」もあった。大分館や有楽館は松竹蒲田・日活・新興キネマなどの作品を上映し、喜楽館は大都や全勝などの作品を上映した。トーキー時代になると、喜楽館近くの北新町に「共楽館」(後の大分劇場)もあった。*2
戦前の大分市には映画館「喜楽館」があった。「大分館」、「遊楽館」(後の「日本館」)とともに大分市の大衆娯楽を担った。喜楽館は昭和初期に西新町(現在の中央町3丁目7番地付近)に建てられた。1945年7月16日の大分空襲で被災した。*3
1941年頃の大分市街地の地図。「喜楽館」、「ニュース館」、「共楽館」、「大分館」などが描かれている。*4
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
1925年の大分市街図には「喜楽館」や「共楽館」が描かれている。*1
1915年、大分市初の活動常設館として株式組織の「大分館」が開館した。大分館という名称は公募による。昭和初期の活動常設館としては大分館のほかに、外堀の「有楽館」(後の日本館)、西新町の「喜楽館」もあった。大分館や有楽館は松竹蒲田・日活・新興キネマなどの作品を上映し、喜楽館は大都や全勝などの作品を上映した。トーキー時代になると、喜楽館近くの北新町に「共楽館」(後の大分劇場)もあった。*2
戦前の大分市には映画館「喜楽館」があった。「大分館」、「遊楽館」(後の「日本館」)とともに大分市の大衆娯楽を担った。喜楽館は昭和初期に西新町(現在の中央町3丁目7番地付近)に建てられた。1945年7月16日の大分空襲で被災した。*3
1941年頃の大分市街地の地図。「喜楽館」、「ニュース館」、「共楽館」、「大分館」などが描かれている。*4
所在地 : 大分県大分市駅前南新町(1943年)
開館年 : 1918年頃
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1915年、大分市初の活動常設館として株式組織の「大分館」が開館した。大分館という名称は公募による。昭和初期の活動常設館としては大分館のほかに、外堀の「有楽館」(後の日本館)、西新町の「喜楽館」もあった。大分館や有楽館は松竹蒲田・日活・新興キネマなどの作品を上映し、喜楽館は大都や全勝などの作品を上映した。トーキー時代になると、喜楽館近くの北新町に「共楽館」(後の大分劇場)もあった。*5
1918年頃、大分市に映画館「有楽館」が開館した。映画も上映する劇場としてはすでに大分館や喜楽館があったが、本格的な映画館は有楽館が初だった。当初は国活(国際活動写真)を上映し、後に松竹映画を上映し、「日本館」に改称してからは洋画専門館となった。後の小野建株式会社付近である。*6
開館年 : 1918年頃
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1915年、大分市初の活動常設館として株式組織の「大分館」が開館した。大分館という名称は公募による。昭和初期の活動常設館としては大分館のほかに、外堀の「有楽館」(後の日本館)、西新町の「喜楽館」もあった。大分館や有楽館は松竹蒲田・日活・新興キネマなどの作品を上映し、喜楽館は大都や全勝などの作品を上映した。トーキー時代になると、喜楽館近くの北新町に「共楽館」(後の大分劇場)もあった。*5
1918年頃、大分市に映画館「有楽館」が開館した。映画も上映する劇場としてはすでに大分館や喜楽館があったが、本格的な映画館は有楽館が初だった。当初は国活(国際活動写真)を上映し、後に松竹映画を上映し、「日本館」に改称してからは洋画専門館となった。後の小野建株式会社付近である。*6
所在地 : 大分県大分市中央通り(1943年)
開館年 : 1915年
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1915年、大分市初の活動常設館として株式組織の「大分館」が開館した。大分館という名称は公募による。昭和初期の活動常設館としては大分館のほかに、外堀の「有楽館」(後の日本館)、西新町の「喜楽館」もあった。大分館や有楽館は松竹蒲田・日活・新興キネマなどの作品を上映し、喜楽館は大都や全勝などの作品を上映した。トーキー時代になると、喜楽館近くの北新町に「共楽館」(後の大分劇場)もあった。*7
1915年、大分市に阿部壮二郎によって「大分館」が開館した。大分市における活動常設館の草分け的存在であり、大分館という館名は公募で決定した。当初は洋画を、やがて帝国キネマの作品を上映した。1964年現在の「中央映劇」の場所である。*8
1941年頃の大分市街地の地図。「喜楽館」、「ニュース館」、「共楽館」、「大分館」などが描かれている。*9
開館年 : 1915年
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1915年、大分市初の活動常設館として株式組織の「大分館」が開館した。大分館という名称は公募による。昭和初期の活動常設館としては大分館のほかに、外堀の「有楽館」(後の日本館)、西新町の「喜楽館」もあった。大分館や有楽館は松竹蒲田・日活・新興キネマなどの作品を上映し、喜楽館は大都や全勝などの作品を上映した。トーキー時代になると、喜楽館近くの北新町に「共楽館」(後の大分劇場)もあった。*7
1915年、大分市に阿部壮二郎によって「大分館」が開館した。大分市における活動常設館の草分け的存在であり、大分館という館名は公募で決定した。当初は洋画を、やがて帝国キネマの作品を上映した。1964年現在の「中央映劇」の場所である。*8
1941年頃の大分市街地の地図。「喜楽館」、「ニュース館」、「共楽館」、「大分館」などが描かれている。*9
所在地 : 大分県大分市中島六条(1961年)
開館年 : 1959年2月4日
閉館年 : 1961年頃
1959年2月4日、大分市中島六条に「中島東宝」が開館した。鉄筋ブロック造平屋建て、定員250人。代表は今井旭登。これによって大分市の映画館は21館となった。*12
開館年 : 1959年2月4日
閉館年 : 1961年頃
1959年2月4日、大分市中島六条に「中島東宝」が開館した。鉄筋ブロック造平屋建て、定員250人。代表は今井旭登。これによって大分市の映画館は21館となった。*12
所在地 : 大分県大分市長池町(1962年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1962年頃
跡地は「大分県市町村会館」建物北東部。最寄駅はJR大分駅。
大分市の長池通りにある大分県庁の南側には映画館「長池東映」があった。三船敏郎主演『羅生門』、アメリカ映画『ウエストサイド物語』や『ベン・ハー』などを上映した。*13
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1962年頃
跡地は「大分県市町村会館」建物北東部。最寄駅はJR大分駅。
大分市の長池通りにある大分県庁の南側には映画館「長池東映」があった。三船敏郎主演『羅生門』、アメリカ映画『ウエストサイド物語』や『ベン・ハー』などを上映した。*13
所在地 : 大分県鶴崎市元新町(1963年)
開館年 : 1938年
閉館年 : 1963年頃
跡地は「日銀ビル1」。最寄駅はJR日豊本線鶴崎駅。
1896年には鶴崎の横町に劇場「匿名倶楽部鶴鳴館」が設立された。1924年に元新町に移転して「共楽館」となった。2階の中央部には役員席があった。1938年に大分映画と業務提携し、改装して常設映画館となった。当初は野上勘次郎が社長であり、1940年には得丸善三郎が社長となった。戦後には安東武通が経営者となり、1949年には飯沼博士が経営者となったが、1953年には佐賀関の興行師である松尾玉男が全株式を取得した。1981年現在の跡地はニュー日銀パチンコ店となっている。*14
昭和20年代の鶴崎町にあった「共楽館」の館内の写真あり。鶴崎町で唯一の映画館だった。元は芝居小屋として旅芝居や歌舞伎の一座が行われていたが、1938年に大分映画と業務提携して常設映画館となった。*15
開館年 : 1938年
閉館年 : 1963年頃
跡地は「日銀ビル1」。最寄駅はJR日豊本線鶴崎駅。
1896年には鶴崎の横町に劇場「匿名倶楽部鶴鳴館」が設立された。1924年に元新町に移転して「共楽館」となった。2階の中央部には役員席があった。1938年に大分映画と業務提携し、改装して常設映画館となった。当初は野上勘次郎が社長であり、1940年には得丸善三郎が社長となった。戦後には安東武通が経営者となり、1949年には飯沼博士が経営者となったが、1953年には佐賀関の興行師である松尾玉男が全株式を取得した。1981年現在の跡地はニュー日銀パチンコ店となっている。*14
昭和20年代の鶴崎町にあった「共楽館」の館内の写真あり。鶴崎町で唯一の映画館だった。元は芝居小屋として旅芝居や歌舞伎の一座が行われていたが、1938年に大分映画と業務提携して常設映画館となった。*15
所在地 : 大分県大分市中央町2丁目(1964年)
開館年 : 1958年11月23日
閉館年 : 1964年頃
跡地は月極駐車場「コーヨー堂ガレージ」。最寄駅はJR大分駅。
1958年11月23日、大分市相生町に洋画再映館「第二太洋」が開館した。第1回上映作品は『荒野の無頼漢』。太洋キャバレーを映画館に改装した。収容人員200人。経営は山下年春社長の太洋興行。太洋興行は大分市に「大分東映」と「長池東映」と「文化東映」と「太洋映劇」の4館、小倉市と飯塚市に1館ずつを経営しており、第二太洋の開館で7館となった。*16
開館年 : 1958年11月23日
閉館年 : 1964年頃
跡地は月極駐車場「コーヨー堂ガレージ」。最寄駅はJR大分駅。
1958年11月23日、大分市相生町に洋画再映館「第二太洋」が開館した。第1回上映作品は『荒野の無頼漢』。太洋キャバレーを映画館に改装した。収容人員200人。経営は山下年春社長の太洋興行。太洋興行は大分市に「大分東映」と「長池東映」と「文化東映」と「太洋映劇」の4館、小倉市と飯塚市に1館ずつを経営しており、第二太洋の開館で7館となった。*16
所在地 : 大分県大分市中央町2-5-12(1966年)
開館年 : 1949年
閉館年 : 1966年頃
跡地はスーパーマーケット「トキハインダストリー若草公園店」が入る「セントポルタビル」建物北西端部。最寄駅はJR大分駅。
1958年8月のお盆興行を機に、大分市の洋画封切館「テアトル若草」は日活封切館として再出発する予定。1949年の開館時には大分市唯一の洋画専門館だったが、この数年で「大分ロマン」、「竹町大洋」、「アポロ」、「中央シネマ」と洋画館が相次いで開館し、観客が分散していた。支配人は渡辺憲一。*17
大分市の若草公園東側には、日活作品や洋画を上映する「若草映劇」があり、その裏には「大分東映」があった。若草映劇では、『旅情』、『恐怖の報酬』、『ヘッドライト』、『ローマの休日』、『愛情物語』、『鉄道員』、『道』などが上映された。*18
開館年 : 1949年
閉館年 : 1966年頃
跡地はスーパーマーケット「トキハインダストリー若草公園店」が入る「セントポルタビル」建物北西端部。最寄駅はJR大分駅。
1958年8月のお盆興行を機に、大分市の洋画封切館「テアトル若草」は日活封切館として再出発する予定。1949年の開館時には大分市唯一の洋画専門館だったが、この数年で「大分ロマン」、「竹町大洋」、「アポロ」、「中央シネマ」と洋画館が相次いで開館し、観客が分散していた。支配人は渡辺憲一。*17
大分市の若草公園東側には、日活作品や洋画を上映する「若草映劇」があり、その裏には「大分東映」があった。若草映劇では、『旅情』、『恐怖の報酬』、『ヘッドライト』、『ローマの休日』、『愛情物語』、『鉄道員』、『道』などが上映された。*18
所在地 : 大分県大分市中央町2-7-7(1966年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1966年
跡地は「岩尾ビル」。最寄駅はJR大分駅。
1966年2月16日の大分合同新聞朝刊には、「太洋映劇を買収 コーヨー堂 さしあたり倉庫に 大分市」という記事が掲載されている。現物は未確認。*19
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1966年
跡地は「岩尾ビル」。最寄駅はJR大分駅。
1966年2月16日の大分合同新聞朝刊には、「太洋映劇を買収 コーヨー堂 さしあたり倉庫に 大分市」という記事が掲載されている。現物は未確認。*19
所在地 : 大分県大分市府内町3-1-3(1968年)
開館年 : 1950年頃、1957年頃(3館化)
閉館年 : 1968年頃
跡地はパチンコ店「DAISYO」建物北側。最寄駅はJR大分駅。
1950年の大分市府内町にあった「大分中央映画劇場」の写真あり。戦後の大分市において初の本格的な劇場だった。1951年頃の2階ロビーの写真あり。フランス映画『栄光への序曲』のポスターが見える。中央映画劇場の2階席には2人掛けのロマンスシートがあった。*20
1952年以降の大分市府内町の電車通りの写真あり。「中央シネマ」の建物の跡地は、2016年現在は西日本シティ銀行大分支店となっている。*21
1955年頃の大分市中央通りにあった「中央映画劇場」(中央映劇)の写真あり。中央通り界隈には、大分銀行の並びに映画館「中央映劇」「中央シネマ」「中央松竹」「トキハ地下映劇」があった。*22
1958年8月26日、大分市の日活封切館「大分中央日活」は「第二中央」に改称して洋画封切館に転向する。転向第1回上映番組は『揚子江の脱走』と『潜航雷撃隊』。シルバーウィークには『野ばら』を上映する。*23
1964年現在の大分市の「中央映劇」の場所には、かつて「大分館」があった。*24
1963年の中央通りの写真あり。左から伊予銀行、西日本相互銀行、タクシー会社、映画館が並んでいる。伊予銀行の向かいは竹町通商店街である。2010年の跡地の写真あり。(※文章には具体的な館名が書かれていないが写真には中央シネマが写っている)*25
かつて大分市中央町には「中央映劇」(もとの大分館)があり、1983年現在はパチンコ店となっている。かつて本町界隈には「大分東映」があり、1983年現在はニチイ北側の一部となっている。かつて大分市の若松通りには「若竹日活」があり、1983年現在はきものの三星の隣で三星が経営する洋装店となっている。*26
開館年 : 1950年頃、1957年頃(3館化)
閉館年 : 1968年頃
跡地はパチンコ店「DAISYO」建物北側。最寄駅はJR大分駅。
1950年の大分市府内町にあった「大分中央映画劇場」の写真あり。戦後の大分市において初の本格的な劇場だった。1951年頃の2階ロビーの写真あり。フランス映画『栄光への序曲』のポスターが見える。中央映画劇場の2階席には2人掛けのロマンスシートがあった。*20
1952年以降の大分市府内町の電車通りの写真あり。「中央シネマ」の建物の跡地は、2016年現在は西日本シティ銀行大分支店となっている。*21
1955年頃の大分市中央通りにあった「中央映画劇場」(中央映劇)の写真あり。中央通り界隈には、大分銀行の並びに映画館「中央映劇」「中央シネマ」「中央松竹」「トキハ地下映劇」があった。*22
1958年8月26日、大分市の日活封切館「大分中央日活」は「第二中央」に改称して洋画封切館に転向する。転向第1回上映番組は『揚子江の脱走』と『潜航雷撃隊』。シルバーウィークには『野ばら』を上映する。*23
1964年現在の大分市の「中央映劇」の場所には、かつて「大分館」があった。*24
1963年の中央通りの写真あり。左から伊予銀行、西日本相互銀行、タクシー会社、映画館が並んでいる。伊予銀行の向かいは竹町通商店街である。2010年の跡地の写真あり。(※文章には具体的な館名が書かれていないが写真には中央シネマが写っている)*25
かつて大分市中央町には「中央映劇」(もとの大分館)があり、1983年現在はパチンコ店となっている。かつて本町界隈には「大分東映」があり、1983年現在はニチイ北側の一部となっている。かつて大分市の若松通りには「若竹日活」があり、1983年現在はきものの三星の隣で三星が経営する洋装店となっている。*26
所在地 : 大分県大分市府内町2-1-1(1968年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1968年頃
跡地は百貨店「トキハ本店」。最寄駅はJR大分駅。
1936年には大分市にトキハデパートが開業し、1954年に増築して都市型デパートになった際には、地下に邦画封切館「トキハ地下映劇」が開館した。*27
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1968年頃
跡地は百貨店「トキハ本店」。最寄駅はJR大分駅。
1936年には大分市にトキハデパートが開業し、1954年に増築して都市型デパートになった際には、地下に邦画封切館「トキハ地下映劇」が開館した。*27
所在地 : 大分県大分市府内町3-2(1970年)
開館年 : 1955年8月19日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
跡地は有料立体駐車場「三井のリパーク大分府内町駐車場」建物南東部。最寄駅はJR大分駅。
1955年8月19日に大分市若松通りに開館した洋画封切館「スター映画劇場」(スター映劇)の写真あり。『第三暗黒街』や『死闘の丘』の看板が見える。収容人員は450人。昭和30年代の若松通りにはスター映画劇場のほかに、「大分ロマン」や「若竹日活」などもあった。*29
開館年 : 1955年8月19日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
跡地は有料立体駐車場「三井のリパーク大分府内町駐車場」建物南東部。最寄駅はJR大分駅。
1955年8月19日に大分市若松通りに開館した洋画封切館「スター映画劇場」(スター映劇)の写真あり。『第三暗黒街』や『死闘の丘』の看板が見える。収容人員は450人。昭和30年代の若松通りにはスター映画劇場のほかに、「大分ロマン」や「若竹日活」などもあった。*29
所在地 : 大分県大分市中央町2-5-17(1972年)
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1972年頃
跡地はスーパーマーケット「トキハインダストリー若草公園店」建物北東端部。最寄駅はJR大分駅。
1961年5月のこのほど、大分市本町の「大分東映」が東映の76番目の直営館となった。東映が経営者の山下年春と5年の賃借契約を結んだ。*30
1961年5月31日、大分市に賃借によって「大分東映劇場」が開館した。鉄骨鉄筋ブロック造、3階建て。680人収容。*31
かつて大分市中央町には「中央映劇」(もとの大分館)があり、1983年現在はパチンコ店となっている。かつて本町界隈には「大分東映」があり、1983年現在はニチイ北側の一部となっている。かつて大分市の若松通りには「若竹日活」があり、1983年現在はきものの三星の隣で三星が経営する洋装店となっている。*32
開館年 : 1950年頃
閉館年 : 1972年頃
跡地はスーパーマーケット「トキハインダストリー若草公園店」建物北東端部。最寄駅はJR大分駅。
1961年5月のこのほど、大分市本町の「大分東映」が東映の76番目の直営館となった。東映が経営者の山下年春と5年の賃借契約を結んだ。*30
1961年5月31日、大分市に賃借によって「大分東映劇場」が開館した。鉄骨鉄筋ブロック造、3階建て。680人収容。*31
かつて大分市中央町には「中央映劇」(もとの大分館)があり、1983年現在はパチンコ店となっている。かつて本町界隈には「大分東映」があり、1983年現在はニチイ北側の一部となっている。かつて大分市の若松通りには「若竹日活」があり、1983年現在はきものの三星の隣で三星が経営する洋装店となっている。*32
所在地 : 大分県大分市府内町3-7-34(1975年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1975年頃
跡地はペットショップ「K9ZOO府内店」。最寄駅はJR大分駅。
1955年頃の大分市若松通りにあった日活作品の上映館「若竹映画劇場」の写真あり。「WAKATAKE」「若竹日活」の文字が見える。昭和30年代の若松通りには若竹映画劇場のほかに、「大分ロマン」や「スター映劇」などもあった。*33
かつて大分市中央町には「中央映劇」(もとの大分館)があり、1983年現在はパチンコ店となっている。かつて本町界隈には「大分東映」があり、1983年現在はニチイ北側の一部となっている。かつて大分市の若松通りには「若竹日活」があり、1983年現在はきものの三星の隣で三星が経営する洋装店となっている。*34
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1975年頃
跡地はペットショップ「K9ZOO府内店」。最寄駅はJR大分駅。
1955年頃の大分市若松通りにあった日活作品の上映館「若竹映画劇場」の写真あり。「WAKATAKE」「若竹日活」の文字が見える。昭和30年代の若松通りには若竹映画劇場のほかに、「大分ロマン」や「スター映劇」などもあった。*33
かつて大分市中央町には「中央映劇」(もとの大分館)があり、1983年現在はパチンコ店となっている。かつて本町界隈には「大分東映」があり、1983年現在はニチイ北側の一部となっている。かつて大分市の若松通りには「若竹日活」があり、1983年現在はきものの三星の隣で三星が経営する洋装店となっている。*34
所在地 : 大分県大分市府内町3-2-28(1990年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1990年頃
跡地は有料立体駐車場「三井のリパーク大分府内町駐車場」建物南東部。最寄駅はJR大分駅。
1955年頃の大分市若松通りにあった洋画中心の映画館「大分ロマン」の写真あり。花輪が見える。ジェームズ・ディーン主演『エデンの東』、アラン・ラッド主演『シェーン』、アラン・ドロン主演『太陽がいっぱい』などがヒットした。昭和30年代の若松通りには大分ロマンのほかに、「スター映劇」や「若竹日活」などもあった。*35
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1990年頃
跡地は有料立体駐車場「三井のリパーク大分府内町駐車場」建物南東部。最寄駅はJR大分駅。
1955年頃の大分市若松通りにあった洋画中心の映画館「大分ロマン」の写真あり。花輪が見える。ジェームズ・ディーン主演『エデンの東』、アラン・ラッド主演『シェーン』、アラン・ドロン主演『太陽がいっぱい』などがヒットした。昭和30年代の若松通りには大分ロマンのほかに、「スター映劇」や「若竹日活」などもあった。*35
所在地 : 大分県大分市府内町3-2-28(1990年)
開館年 : 1969年頃
閉館年 : 1990年頃
跡地は有料立体駐車場「三井のリパーク大分府内町駐車場」建物北西端部。最寄駅はJR大分駅。
1989年7月13日の『大分合同新聞』夕刊には、7月14日をもって「大分ロマン」が30年以上の歴史に幕を閉じて閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*36
開館年 : 1969年頃
閉館年 : 1990年頃
跡地は有料立体駐車場「三井のリパーク大分府内町駐車場」建物北西端部。最寄駅はJR大分駅。
1989年7月13日の『大分合同新聞』夕刊には、7月14日をもって「大分ロマン」が30年以上の歴史に幕を閉じて閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*36
所在地 : 大分県大分市西鶴崎1-9-16(1995年)
開館年 : 戦前、1973年(建て替え)
閉館年 : 1995年頃
跡地はビジネスホテル「グッドイン西鶴崎」南南東90mの民家。最寄駅はJR日豊本線鶴崎駅。
八女郡出身の入部克己は鶴崎興業を設立し、戦前に「鶴崎劇場」を開館させた。1981年現在の駅前喫茶フーラン裏付近である。1943年の水害や1945年の空襲も経験し、1950年には常設映画館に転向した。1957年には「鶴崎東映」に改称した。1972年には入部寛人が社長となり、1973年には新館が開館した。*37
開館年 : 戦前、1973年(建て替え)
閉館年 : 1995年頃
跡地はビジネスホテル「グッドイン西鶴崎」南南東90mの民家。最寄駅はJR日豊本線鶴崎駅。
八女郡出身の入部克己は鶴崎興業を設立し、戦前に「鶴崎劇場」を開館させた。1981年現在の駅前喫茶フーラン裏付近である。1943年の水害や1945年の空襲も経験し、1950年には常設映画館に転向した。1957年には「鶴崎東映」に改称した。1972年には入部寛人が社長となり、1973年には新館が開館した。*37
所在地 : 大分県大分市府内町3-7-36(2000年)
開館年 : 1986年頃(移転)
閉館年 : 2001年6月頃
跡地は「ネクサスプラザ」東20mの駐車場。最寄駅はJR大分駅。
2001年6月11日の『大分合同新聞』夕刊には、東映の直営館である「大分東映」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*38
開館年 : 1986年頃(移転)
閉館年 : 2001年6月頃
跡地は「ネクサスプラザ」東20mの駐車場。最寄駅はJR大分駅。
2001年6月11日の『大分合同新聞』夕刊には、東映の直営館である「大分東映」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*38
所在地 : 大分県大分市府内町3-2-24(2000年)
開館年 : 1976年7月、1992年(フォーラム)
閉館年 : 2003年8月17日
跡地は有料駐車場「五番街パーク」中央東側。最寄駅はJR大分駅。
日活の直営劇場の動きを見ると、1976年7月に「蒲田日活」と「大分日活」と「小樽日活オスカー」が開館し、8月に「ナゴヤ駅前日活」が開館し、8月に「小樽日活」が閉館し、9月に「浜松日活」が閉館し、10月に「高知日活」が閉館した。*39
2003年8月17日をもって、大分市府内町3丁目の府内五番街商店街にある映画館「大分シネフォーラム」が閉館する。入居するビルが売却されて立ち退きが必要になったため。1992年、「フォーラム100」として1スクリーンで開館した。現在は60人と120人の2スクリーンを有する。単館系の作品を中心として、洋画・邦画問わず名作も上映していた。最終日の17日まではレスリー・チャン主演の『カルマ』などを上映する。*40
開館年 : 1976年7月、1992年(フォーラム)
閉館年 : 2003年8月17日
跡地は有料駐車場「五番街パーク」中央東側。最寄駅はJR大分駅。
日活の直営劇場の動きを見ると、1976年7月に「蒲田日活」と「大分日活」と「小樽日活オスカー」が開館し、8月に「ナゴヤ駅前日活」が開館し、8月に「小樽日活」が閉館し、9月に「浜松日活」が閉館し、10月に「高知日活」が閉館した。*39
2003年8月17日をもって、大分市府内町3丁目の府内五番街商店街にある映画館「大分シネフォーラム」が閉館する。入居するビルが売却されて立ち退きが必要になったため。1992年、「フォーラム100」として1スクリーンで開館した。現在は60人と120人の2スクリーンを有する。単館系の作品を中心として、洋画・邦画問わず名作も上映していた。最終日の17日まではレスリー・チャン主演の『カルマ』などを上映する。*40
所在地 : 大分県大分市府内町3-7-7(2010年)
開館年 : 1984年頃
閉館年 : 2011年4月17日
後継館は「大分シネマ5 bis」。最寄駅はJR大分駅。
2011年4月9日の『大分合同新聞』には、大分市の映画館「セントラル」が4月17日をもって休館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*41
開館年 : 1984年頃
閉館年 : 2011年4月17日
後継館は「大分シネマ5 bis」。最寄駅はJR大分駅。
2011年4月9日の『大分合同新聞』には、大分市の映画館「セントラル」が4月17日をもって休館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*41
所在地 : 大分県大分市府内町2-4-8(2026年)
開館年 : 1966年頃
閉館年 : 営業中
公式サイト : シネマ5
Wikipedia : シネマ5
最寄駅はJR大分駅。
大分市府内町にはミニシアター「シネマ5」がある。1989年1月、別の興行会社が手放した映画館を田井肇が引き継いで開館させた。1990年にはその興行会社が府内町で運営していた他の4館が閉館している。田井は専門学校在学中に映画祭の企画に参加し、その後は会社員を辞めてシネマ5を経営している。開館当初は経営難だったが、1992年には『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』がヒットし、常連客が増えて経営が軌道に乗った。2004年に『いつか読書する日』を上映した際には、主演した女優の田中裕子をトークショーに呼び、3週間で約3000人の観客を集めた。2011年3月、閉館した「セントラルシネマ」の跡地に2号館である「シネマ5bis」を開館させた。*42
「シネマ5」に言及している書籍として中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*43
2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
開館年 : 1966年頃
閉館年 : 営業中
公式サイト : シネマ5
Wikipedia : シネマ5
最寄駅はJR大分駅。
大分市府内町にはミニシアター「シネマ5」がある。1989年1月、別の興行会社が手放した映画館を田井肇が引き継いで開館させた。1990年にはその興行会社が府内町で運営していた他の4館が閉館している。田井は専門学校在学中に映画祭の企画に参加し、その後は会社員を辞めてシネマ5を経営している。開館当初は経営難だったが、1992年には『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』がヒットし、常連客が増えて経営が軌道に乗った。2004年に『いつか読書する日』を上映した際には、主演した女優の田中裕子をトークショーに呼び、3週間で約3000人の観客を集めた。2011年3月、閉館した「セントラルシネマ」の跡地に2号館である「シネマ5bis」を開館させた。*42
「シネマ5」に言及している書籍として中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*43
2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
所在地 : 大分県大分市大字玉沢楠本755-1 トキハわさだタウン3階(2025年)
開館年 : 2000年12月
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR久大本線南大分駅。
2001年8月1日、大分市大字玉沢字楠本775 わさだ新都心センターに「大分シネフレックス東宝11」が開館した。11スクリーン計2022席。*44
開館年 : 2000年12月
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR久大本線南大分駅。
2001年8月1日、大分市大字玉沢字楠本775 わさだ新都心センターに「大分シネフレックス東宝11」が開館した。11スクリーン計2022席。*44
所在地 : 大分県大分市公園通り西2-1 パークプレイス大分内(2025年)
開館年 : 2002年4月25日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR大分駅。
2015年4月27日の『大分合同新聞』夕刊には、「T・ジョイパークプレイス大分」に関する記事が掲載されている。現物は未確認。*45
開館年 : 2002年4月25日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR大分駅。
2015年4月27日の『大分合同新聞』夕刊には、「T・ジョイパークプレイス大分」に関する記事が掲載されている。現物は未確認。*45
所在地 : 大分県大分市要町1番14号 アミュプラザおおいた4階(2025年)
開館年 : 2015年4月16日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR大分駅。
2015年4月20日の『大分合同新聞』夕刊には、「TOHOシネマズアミュプラザおおいた」に関する記事が掲載されている。現物は未確認。*46
開館年 : 2015年4月16日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR大分駅。
2015年4月20日の『大分合同新聞』夕刊には、「TOHOシネマズアミュプラザおおいた」に関する記事が掲載されている。現物は未確認。*46

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