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所在地 : 東京市蒲田区東蒲田4-18(1941年)
開館年 : 1937年10月6日
閉館年 : 1941年秋
跡地は「蒲田消防署」北西50mの建物。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1937年10月6日、蒲田区仲蒲田4丁目(現・蒲田本町2丁目)に高麗田興行部の経営で「蒲田愛国館」が開館した。開館番組は松竹作品『愛染かつら』。当初は松竹の五番館だったが、1938年6月には東宝上映館となり、1941年秋頃には映画上映をやめて演劇に転向した。1944年に建物疎開で解体された。定員275人。京浜急行出村駅に近かった。*3
開館年 : 1937年10月6日
閉館年 : 1941年秋
跡地は「蒲田消防署」北西50mの建物。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1937年10月6日、蒲田区仲蒲田4丁目(現・蒲田本町2丁目)に高麗田興行部の経営で「蒲田愛国館」が開館した。開館番組は松竹作品『愛染かつら』。当初は松竹の五番館だったが、1938年6月には東宝上映館となり、1941年秋頃には映画上映をやめて演劇に転向した。1944年に建物疎開で解体された。定員275人。京浜急行出村駅に近かった。*3
所在地 : 東京市大森区新井宿4(1943年)
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「新井宿会館」西40mの「マザーとりとく鳥徳商店」付近。最寄駅はJR京浜東北線大森駅。
1936年の『大東京区分図三十五区之内 大森区詳細図』では「新井キネマ」。*6
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「新井宿会館」西40mの「マザーとりとく鳥徳商店」付近。最寄駅はJR京浜東北線大森駅。
1936年の『大東京区分図三十五区之内 大森区詳細図』では「新井キネマ」。*6
所在地 : 東京市大森区入新井町4(1943年)
開館年 : 1924年6月14日
閉館年 : 1945年頃
1924年6月14日、京浜急行八幡駅前に映画館「大森キネマ」が開館した。1932年に大森新興館に改称した。戦災で廃館となった。*10
開館年 : 1924年6月14日
閉館年 : 1945年頃
1924年6月14日、京浜急行八幡駅前に映画館「大森キネマ」が開館した。1932年に大森新興館に改称した。戦災で廃館となった。*10
所在地 : 東京市蒲田区御園町2(1943年)
開館年 : 1938年12月29日
閉館年 : 1945年
1938年12月29日、蒲田区御園町2丁目に東宝直営の「蒲田東宝映画劇場」が開館した。開館番組は『エノケンのびっくり人生』と『胡椒息子』。現在の環状8号沿いにあった。当初は東宝の四番館であり、1943年には白系封切館に昇格したが、戦災で焼失した。定員456人。*13
開館年 : 1938年12月29日
閉館年 : 1945年
1938年12月29日、蒲田区御園町2丁目に東宝直営の「蒲田東宝映画劇場」が開館した。開館番組は『エノケンのびっくり人生』と『胡椒息子』。現在の環状8号沿いにあった。当初は東宝の四番館であり、1943年には白系封切館に昇格したが、戦災で焼失した。定員456人。*13
所在地 : 東京市蒲田区東蒲田2(1943年)
開館年 : 1924年5月16日
閉館年 : 1945年頃
Wikipedia : 蒲田キネマ
跡地は「パール幼稚園」北北東50mの日本料理店「喜三」付近。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
蒲田町に「蒲田電気館」が開館した後には「旭館」が開館し、1925年中頃には「蒲田キネマ」に改称した。『蒲田町史』には1924年5月16日開館と記されているが信用しがたく、『蒲田町史』は蒲田常設館や蒲田電気館も事実と相違する記述となっている。1931年1月には大蔵貢の直営となったが、同年には高麗田興行部の経営に代わった。1945年4月の空襲で焼失した。キネマ通りという名称に名残を留めているが、近年には松竹蒲田撮影所がキネマ通りの名称の由来だと勘違いしている若者も多い。*14
1924年、南蒲田に映画館「旭館」が開館した。1915年に「蒲田キネマ」に改称した。戦時中に「昭和館」に改称し、1945年4月の空襲で焼失した。*15
1932年現在の蒲田町には常設映画館として「女塚常設館」、「蒲田電気館」、「蒲田キネマ」、「蒲田富士館」がある。休業中の蒲田キネマは1924年5月16日に開館。所有者は永久保新蔵。定員337。*16
1940年の『大東京区分図三十五区之内 蒲田区詳細図』では「キネマ館」。*17
開館年 : 1924年5月16日
閉館年 : 1945年頃
Wikipedia : 蒲田キネマ
跡地は「パール幼稚園」北北東50mの日本料理店「喜三」付近。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
蒲田町に「蒲田電気館」が開館した後には「旭館」が開館し、1925年中頃には「蒲田キネマ」に改称した。『蒲田町史』には1924年5月16日開館と記されているが信用しがたく、『蒲田町史』は蒲田常設館や蒲田電気館も事実と相違する記述となっている。1931年1月には大蔵貢の直営となったが、同年には高麗田興行部の経営に代わった。1945年4月の空襲で焼失した。キネマ通りという名称に名残を留めているが、近年には松竹蒲田撮影所がキネマ通りの名称の由来だと勘違いしている若者も多い。*14
1924年、南蒲田に映画館「旭館」が開館した。1915年に「蒲田キネマ」に改称した。戦時中に「昭和館」に改称し、1945年4月の空襲で焼失した。*15
1932年現在の蒲田町には常設映画館として「女塚常設館」、「蒲田電気館」、「蒲田キネマ」、「蒲田富士館」がある。休業中の蒲田キネマは1924年5月16日に開館。所有者は永久保新蔵。定員337。*16
1940年の『大東京区分図三十五区之内 蒲田区詳細図』では「キネマ館」。*17
所在地 : 東京市蒲田区仲蒲田3(1943年)
開館年 : 1924年7月13日
閉館年 : 1945年頃
跡地は「蒲田四丁目ビル」。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1924年7月13日、蒲田町に望月直次郎の経営で日活専門館「蒲田電気館」が開館した。大正末期には尾上松之助、昭和初期には大河内傳次郎などの作品が人気だった。1932年7月、「大井昭栄館」の経営者である仙石雷渓の経営となったが、やがて望月直次郎の経営に戻った。のんべ横丁とも呼ばれる京浜蒲田商店街の入口角にあった。*27
1924年7月13日、京浜蒲田商店街の入口に映画館「蒲田電気館」が開館した。*28
1932年現在の蒲田町には常設映画館として「女塚常設館」、「蒲田電気館」、「蒲田キネマ」、「蒲田富士館」がある。蒲田電気館は1924年2月25日に開館。所有者は望月直次郎。日活映画と外国映画を上映。定員350。*29
1940年の『大東京区分図三十五区之内 蒲田区詳細図』では「電気館」。*30
開館年 : 1924年7月13日
閉館年 : 1945年頃
跡地は「蒲田四丁目ビル」。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1924年7月13日、蒲田町に望月直次郎の経営で日活専門館「蒲田電気館」が開館した。大正末期には尾上松之助、昭和初期には大河内傳次郎などの作品が人気だった。1932年7月、「大井昭栄館」の経営者である仙石雷渓の経営となったが、やがて望月直次郎の経営に戻った。のんべ横丁とも呼ばれる京浜蒲田商店街の入口角にあった。*27
1924年7月13日、京浜蒲田商店街の入口に映画館「蒲田電気館」が開館した。*28
1932年現在の蒲田町には常設映画館として「女塚常設館」、「蒲田電気館」、「蒲田キネマ」、「蒲田富士館」がある。蒲田電気館は1924年2月25日に開館。所有者は望月直次郎。日活映画と外国映画を上映。定員350。*29
1940年の『大東京区分図三十五区之内 蒲田区詳細図』では「電気館」。*30
所在地 : 東京市蒲田区東蒲田4(1943年)
開館年 : 1937年12月31日
閉館年 : 1944年
跡地は「蒲田本町二丁目公園」南東100mにある民家数軒分。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1937年12月31日、蒲田の「大勝館」隣接地に同じ高麗田興行部が経営する「蒲田映画劇場」が開館した。はじめは東宝上映館だったが、その後大都・極東・全勝キネマの混合番組を上映した。1944年夏に建物疎開で解体された。定員190人の小規模な映画館だった。*34
開館年 : 1937年12月31日
閉館年 : 1944年
跡地は「蒲田本町二丁目公園」南東100mにある民家数軒分。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1937年12月31日、蒲田の「大勝館」隣接地に同じ高麗田興行部が経営する「蒲田映画劇場」が開館した。はじめは東宝上映館だったが、その後大都・極東・全勝キネマの混合番組を上映した。1944年夏に建物疎開で解体された。定員190人の小規模な映画館だった。*34
所在地 : 東京都大田区調布大塚町725(1960年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1960年頃
跡地は「城南信用金庫雪ケ谷支店」西30mのマンション「セリゼ雪が谷」敷地北東部。最寄駅は東急池上線雪が谷大塚駅。
昭和30年代の大田区調布大塚町(現・雪谷大塚)の中原街道沿いにあった二番館「雪谷映画劇場」の写真あり。「雪ヶ谷映画劇場」(「ヶ」あり)の文字が見える。「雪谷東映」と呼ばれていた時期もある。*38
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1960年頃
跡地は「城南信用金庫雪ケ谷支店」西30mのマンション「セリゼ雪が谷」敷地北東部。最寄駅は東急池上線雪が谷大塚駅。
昭和30年代の大田区調布大塚町(現・雪谷大塚)の中原街道沿いにあった二番館「雪谷映画劇場」の写真あり。「雪ヶ谷映画劇場」(「ヶ」あり)の文字が見える。「雪谷東映」と呼ばれていた時期もある。*38
所在地 : 東京都大田区雪ヶ谷715(1960年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1960年頃
跡地は「大田南雪谷郵便局」南東30mの「ミヤビビル」。最寄駅は東急池上線雪が谷大塚駅。
1952年の大田区雪谷町(現・南雪谷)にあった二番館「雪ヶ谷サン劇場」の開館時の写真あり。「雪ヶ谷サン劇場」の文字が見える。花輪が見える。邦画と洋画の双方を上映していた。*39
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1960年頃
跡地は「大田南雪谷郵便局」南東30mの「ミヤビビル」。最寄駅は東急池上線雪が谷大塚駅。
1952年の大田区雪谷町(現・南雪谷)にあった二番館「雪ヶ谷サン劇場」の開館時の写真あり。「雪ヶ谷サン劇場」の文字が見える。花輪が見える。邦画と洋画の双方を上映していた。*39
所在地 : 東京都大田区山王2-187(1960年)
開館年 : 1924年
閉館年 : 1960年頃
跡地はマンション「グランドメゾン大森山王」建物北側。最寄駅はJR京浜東北線大森駅。
1936年の『大東京区分図三十五区之内 大森区詳細図』では「山王映画」。*40
開館年 : 1924年
閉館年 : 1960年頃
跡地はマンション「グランドメゾン大森山王」建物北側。最寄駅はJR京浜東北線大森駅。
1936年の『大東京区分図三十五区之内 大森区詳細図』では「山王映画」。*40
所在地 : 東京都大田区羽田1-277(1962年)
開館年 : 1946年10月13日
閉館年 : 1961年10月10日
跡地はマンション「アヴァンセアイル羽田」。最寄駅は京急空港線穴守稲荷駅。
1946年10月13日、「羽田演芸場」(羽田演劇場)が設立された。1953年11月26日、羽田演劇場が「いさみ座」に改称した。映画の上映と芝居の上演を行う劇場である。経営者は伊東勇太郎。定員221。1954年4月1日、旧いさみ座の北側に「羽田国際劇場」が開館した。1961年10月10日、「羽田国際劇場」が閉館した。跡地は貸工場となり、1972年10月10日には羽田ゴルフ練習場となった。所在地は羽田5-11-2である。「昭和28年末の羽田の概略と当時の家屋・略図」には「羽田いさみ映画館」が描かれている。*41
開館年 : 1946年10月13日
閉館年 : 1961年10月10日
跡地はマンション「アヴァンセアイル羽田」。最寄駅は京急空港線穴守稲荷駅。
1946年10月13日、「羽田演芸場」(羽田演劇場)が設立された。1953年11月26日、羽田演劇場が「いさみ座」に改称した。映画の上映と芝居の上演を行う劇場である。経営者は伊東勇太郎。定員221。1954年4月1日、旧いさみ座の北側に「羽田国際劇場」が開館した。1961年10月10日、「羽田国際劇場」が閉館した。跡地は貸工場となり、1972年10月10日には羽田ゴルフ練習場となった。所在地は羽田5-11-2である。「昭和28年末の羽田の概略と当時の家屋・略図」には「羽田いさみ映画館」が描かれている。*41
所在地 : 東京都大田区北糀谷町115(1963年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「大田区立しいのき園」西30mの民家など。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*42
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「大田区立しいのき園」西30mの民家など。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*42
所在地 : 東京都大田区北糀谷町115(1963年)
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1963年頃
跡地は「大田区立しいのき園」北西30mのマンション「ドーミー大鳥居」。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*43
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1963年頃
跡地は「大田区立しいのき園」北西30mのマンション「ドーミー大鳥居」。最寄駅は京急本線・京急空港線蒲田駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*43
所在地 : 東京都大田区南千束2(1963年)
開館年 : 1959年2月12日
閉館年 : 1963年頃
跡地は「チョーヤ梅酒東京支店」南西の都道318号(環七)道路上。最寄駅は東急池上線長原駅。
1959年2月12日、大田区南千束2に松竹の三番館「長原映画劇場」が開館した。座席数250。映写機・発声器ともにローヤル。経営は本橋豊重社長の本橋興行であり、支配人は服部重。*44
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*45
開館年 : 1959年2月12日
閉館年 : 1963年頃
跡地は「チョーヤ梅酒東京支店」南西の都道318号(環七)道路上。最寄駅は東急池上線長原駅。
1959年2月12日、大田区南千束2に松竹の三番館「長原映画劇場」が開館した。座席数250。映写機・発声器ともにローヤル。経営は本橋豊重社長の本橋興行であり、支配人は服部重。*44
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*45
所在地 : 東京都大田区調布鵜ノ木町79(1963年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「南久が原2丁目児童公園」北側広場。最寄駅は東急池上線久が原駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*46
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「南久が原2丁目児童公園」北側広場。最寄駅は東急池上線久が原駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*46
所在地 : 東京都大田区蒲田御園1-2(1963年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 1963年頃
跡地は「相互西蒲田ビル」建物北東部。最寄駅は東急池上線蓮沼駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*47
開館年 : 1947年
閉館年 : 1963年頃
跡地は「相互西蒲田ビル」建物北東部。最寄駅は東急池上線蓮沼駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*47
所在地 : 東京都大田区蒲田御園1-25(1964年)
開館年 : 1950年7月14日
閉館年 : 1964年頃(建て替え)
Wikipedia : テアトル蒲田・蒲田宝塚
跡地は「東京蒲田文化会館」建物西側。最寄駅は東急多摩川線・東急池上線蒲田駅。
開館年 : 1950年7月14日
閉館年 : 1964年頃(建て替え)
Wikipedia : テアトル蒲田・蒲田宝塚
跡地は「東京蒲田文化会館」建物西側。最寄駅は東急多摩川線・東急池上線蒲田駅。
所在地 : 東京都大田区蒲田御園1-25(1964年)
開館年 : 1955年12月1日
閉館年 : 1964年頃(建て替え)
Wikipedia : テアトル蒲田・蒲田宝塚
跡地は「東京蒲田文化会館」建物東側。最寄駅は東急多摩川線・東急池上線蒲田駅。
開館年 : 1955年12月1日
閉館年 : 1964年頃(建て替え)
Wikipedia : テアトル蒲田・蒲田宝塚
跡地は「東京蒲田文化会館」建物東側。最寄駅は東急多摩川線・東急池上線蒲田駅。
所在地 : 東京都大田区安方町158(1965年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1965年頃
跡地は「ローソン東矢口二丁目店」。最寄駅は東急多摩川線矢口渡駅。
1961年の大田区にあった「矢口映画館」前の上映作品看板の写真あり。『薔薇大名』や『女と命をかけてブッ飛ばせ』などの看板が見える。矢口渡荏原高校通り商店街にあったが、この商店街は2017年に安方商店街に改称した。2019年現在のローソン東矢口2丁目店付近である。*48
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1965年頃
跡地は「ローソン東矢口二丁目店」。最寄駅は東急多摩川線矢口渡駅。
1961年の大田区にあった「矢口映画館」前の上映作品看板の写真あり。『薔薇大名』や『女と命をかけてブッ飛ばせ』などの看板が見える。矢口渡荏原高校通り商店街にあったが、この商店街は2017年に安方商店街に改称した。2019年現在のローソン東矢口2丁目店付近である。*48
所在地 : 東京都大田区西蒲田6-37-3(1970年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都ではテアトル三原橋(中央区)、銀座東映(中央区)、牛込名画座(新宿区)、墨田大成館(墨田区)、自由ヶ丘松竹(目黒区)、帝都座(大田区)、コンパル映劇(葛飾区)、新小岩名画座(葛飾区)の8館が休館となった。同期間中には32館が廃館となっている。*51
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1962年9月から1963年9月までに、東京都ではテアトル三原橋(中央区)、銀座東映(中央区)、牛込名画座(新宿区)、墨田大成館(墨田区)、自由ヶ丘松竹(目黒区)、帝都座(大田区)、コンパル映劇(葛飾区)、新小岩名画座(葛飾区)の8館が休館となった。同期間中には32館が廃館となっている。*51
所在地 : 東京都大田区蒲田5-20-16(1970年)
開館年 : 1954年9月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
跡地はホテル「カプセルイン蒲田」。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1970年の大田区蒲田5丁目30番にあった「蒲田国際劇場」の写真あり。入替を待つ観客が行列を作っている。*52
開館年 : 1954年9月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
跡地はホテル「カプセルイン蒲田」。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1970年の大田区蒲田5丁目30番にあった「蒲田国際劇場」の写真あり。入替を待つ観客が行列を作っている。*52
所在地 : 東京都大田区東矢口3-4-5(1976年)
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1976年頃
跡地は「東武ストア東矢口店」北北西100mの奄美料理店「徳之島」など。
1960年の大田区の大森駅東口にあった「ひかり座」の写真あり。石原裕次郎主演の日活作品『あじさいの歌』が上映されている。*53
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1976年頃
跡地は「東武ストア東矢口店」北北西100mの奄美料理店「徳之島」など。
1960年の大田区の大森駅東口にあった「ひかり座」の写真あり。石原裕次郎主演の日活作品『あじさいの歌』が上映されている。*53
所在地 : 東京都大田区蒲田5-19-13(1987年)
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1987年頃
跡地はホテル「相鉄フレッサイン東京蒲田」建物中央部。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1955年の大田区の蒲田駅東口にあった映画街の写真あり。左は「蒲田大映」。*54
1955年頃の蒲田映画街の写真あり。左手に「蒲田大映劇場」と「蒲田東映劇場」が見える。この頃が映画の最盛期であり、大田区の映画館の約半分が蒲田駅周辺に集まっていた。*55
1955年の蒲田映画街の写真あり。左手に「蒲田大映」と「蒲田東映」が見える。蒲田大映の左隣には「蒲田ロキシー」もあった。蒲田大映には勝新太郎主演作『怪盗と判官』の看板が、蒲田東映には月形龍之介主演作『水戸黄門漫遊記』の看板が見える。この頃の蒲田には36館もの映画館があった。*56
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1987年頃
跡地はホテル「相鉄フレッサイン東京蒲田」建物中央部。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1955年の大田区の蒲田駅東口にあった映画街の写真あり。左は「蒲田大映」。*54
1955年頃の蒲田映画街の写真あり。左手に「蒲田大映劇場」と「蒲田東映劇場」が見える。この頃が映画の最盛期であり、大田区の映画館の約半分が蒲田駅周辺に集まっていた。*55
1955年の蒲田映画街の写真あり。左手に「蒲田大映」と「蒲田東映」が見える。蒲田大映の左隣には「蒲田ロキシー」もあった。蒲田大映には勝新太郎主演作『怪盗と判官』の看板が、蒲田東映には月形龍之介主演作『水戸黄門漫遊記』の看板が見える。この頃の蒲田には36館もの映画館があった。*56
所在地 : 東京都大田区蒲田5-19-11(1987年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1987年頃
跡地はホテル「相鉄フレッサイン東京蒲田」建物東端部。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1955年頃の蒲田映画街の写真あり。左手に「蒲田大映劇場」と「蒲田東映劇場」が見える。この頃が映画の最盛期であり、大田区の映画館の約半分が蒲田駅周辺に集まっていた。*57
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1987年頃
跡地はホテル「相鉄フレッサイン東京蒲田」建物東端部。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1955年頃の蒲田映画街の写真あり。左手に「蒲田大映劇場」と「蒲田東映劇場」が見える。この頃が映画の最盛期であり、大田区の映画館の約半分が蒲田駅周辺に集まっていた。*57
所在地 : 東京都大田区西蒲田5-24-10(1993年)
開館年 : 1922年7月14日、1950年2月15日
閉館年 : 1993年頃
Wikipedia : 蒲田パレス座
跡地は「東京工科大学蒲田キャンパス12号館」建物南端部。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1932年現在の蒲田町には常設映画館として「女塚常設館」、「蒲田電気館」、「蒲田キネマ」、「蒲田富士館」がある。女塚常設館は1922年3月29日に開館。所有者は須山金太郎。松竹映画を上映。定員394。*58
1922年7月14日、蒲田初の活動常設館として「蒲田常設館」が開館した。『蒲田町史』に掲載されている3月29日は上棟式の日と思われる。1945年3月の東京大空襲後、蒲田常設館は建物疎開の該当地に指定されて解体された。戦後にはこの場所に「蒲田パレス座」が建てられた。*59
1987年の大田区西蒲田5丁目24番にあった「蒲田パレス座」の写真あり。『菊地エリ 巨乳』や『女刑務所 変態看守長』などの看板が見える。「蒲田パレス座」の文字が見える。1922年7月、蒲田初の映画館「蒲田常設館」として開館した。70年以上を経た1997年に閉館した。*60
開館年 : 1922年7月14日、1950年2月15日
閉館年 : 1993年頃
Wikipedia : 蒲田パレス座
跡地は「東京工科大学蒲田キャンパス12号館」建物南端部。最寄駅はJR京浜東北線蒲田駅。
1932年現在の蒲田町には常設映画館として「女塚常設館」、「蒲田電気館」、「蒲田キネマ」、「蒲田富士館」がある。女塚常設館は1922年3月29日に開館。所有者は須山金太郎。松竹映画を上映。定員394。*58
1922年7月14日、蒲田初の活動常設館として「蒲田常設館」が開館した。『蒲田町史』に掲載されている3月29日は上棟式の日と思われる。1945年3月の東京大空襲後、蒲田常設館は建物疎開の該当地に指定されて解体された。戦後にはこの場所に「蒲田パレス座」が建てられた。*59
1987年の大田区西蒲田5丁目24番にあった「蒲田パレス座」の写真あり。『菊地エリ 巨乳』や『女刑務所 変態看守長』などの看板が見える。「蒲田パレス座」の文字が見える。1922年7月、蒲田初の映画館「蒲田常設館」として開館した。70年以上を経た1997年に閉館した。*60
所在地 : 東京都大田区西蒲田7-61-1(2018年)
開館年 : 1964年6月
閉館年 : 2019年9月5日
Wikipedia : 蒲田宝塚・テアトル蒲田
映画館が入っていた「東京蒲田文化会館」は現存。最寄駅は東急多摩川線・東急池上線蒲田駅。
「テアトル蒲田・蒲田宝塚」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*61
開館年 : 1964年6月
閉館年 : 2019年9月5日
Wikipedia : 蒲田宝塚・テアトル蒲田
映画館が入っていた「東京蒲田文化会館」は現存。最寄駅は東急多摩川線・東急池上線蒲田駅。
「テアトル蒲田・蒲田宝塚」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*61

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