日本の映画館の総合データベースです。

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大垣市

大垣市の映画館
1946年5月現在の大垣市には「東宝」、「帝劇」、「日劇」、「大劇」の4娯楽施設があるが、5月14日には中心市街地のビル1階を改装して「生必会館」が開館する。戦後に退職した三菱重工業の元社員らで組織する日本生必株式会社が経営する。*1

1946年9月末には大垣市最大の1500人を収容する「大垣小劇場」が開館する。「日劇」、「大劇」、「東宝」、「帝劇」、「生必」と合わせて6館体制となり、戦災前より2館増加することとなる。*2

月刊雑誌『西美濃わが街』124号、1987年には江巣奨による「大垣映画館ものがたり」が掲載されている。岐阜県図書館や大垣市立図書館が所蔵している。*3
日吉座
所在地 : 岐阜県大垣市(1925年)
開館年 : 大正時代頃
閉館年 : 不明


大垣市屈指の事業家である日下部庄吉。3万円を投じて劇場「日吉座」を建てた。日吉座は東海一と謳われた。*4

1923年現在の大垣市には、劇場として郭町の「日吉座」、活動写真館として南寺内町の「蓬莱館」、寄席として「御殿館」がある。*5

大正時代頃の大垣市には、興行場として演劇専門の「日吉座」、「宝福館」、洋画なども上映する「松竹館」や「日活館」があった。*6

大正末期の地図「大垣市中尋常高等小学校校区」には「日吉座」「日活」「宝福」が描かれている。*7

1930年現在の大垣市にある劇場または寄席。劇場は郭町の「日吉座」がある。活動常設館は外側町の「宝福館」、南寺内町の「松竹館」、郭町の「日活館」がある。寄席は「同志館」がある。*8

大垣市にあった劇場「日吉座」の写真あり。日下部庄吉が自身の姓と名から一文字ずつ取って名付けた。1945年7月に戦災で焼失した。*9
昭栄館/日活館
所在地 : 岐阜県大垣市郭町24(1936年)
開館年 : 大正時代頃
閉館年 : 1938年12月14日


大正時代頃の大垣市には、興行場として演劇専門の「日吉座」、「宝福館」、洋画なども上映する「松竹館」や「日活館」があった。*10

大正末期の地図「大垣市中尋常高等小学校校区」には「日吉座」「日活」「宝福」が描かれている。*11

1930年現在の大垣市にある劇場または寄席。劇場は郭町の「日吉座」がある。活動常設館は外側町の「宝福館」、南寺内町の「松竹館」、郭町の「日活館」がある。寄席は「同志館」がある。*12

1938年12月14日、大垣市郭町の松竹・日活系映画館「日活館」2階観覧席付近から出火し、木造2階建の劇場が全焼した。*13
教育文化ニュース館/大垣文化ニュース館
所在地 : 岐阜県大垣市郭町1(1943年)
開館年 : 1940年頃
閉館年 : 1945年頃
跡地は新大橋交差点北西30mの「安藤証券大垣支店」付近。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


柴田興行社長の柴田光治郎。1933年から岐阜市の「岐阜劇場」に勤務し、営業主任などを務めて退社した。1934年には岐阜市日之出町1丁目に「岐阜小劇場」を建てた。1940年以降には大垣市の「大垣劇場」、「大垣ニュース館」、「日吉座」、一宮市の「旭座」、「福井劇場」を経営した。*14

1941年の『大日本職業明細図 第661号』には「ニュース映画館」「東宝映画」「大垣映画劇場」「帝国劇場」が描かれている。*15
大垣東宝映画劇場/大垣東宝映劇/大垣東宝劇場(戦前)
所在地 : 岐阜県大垣市郭町1(1943年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「大垣城ホール」付近と思われる。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1941年の『大日本職業明細図 第661号』には「ニュース映画館」「東宝映画」「大垣映画劇場」「帝国劇場」が描かれている。*16
豊福座/宝福館/帝国劇場(戦前)
所在地 : 岐阜県大垣市南寺内町4(1943年)
開館年 : 大正時代頃
閉館年 : 1945年頃
跡地は水門川に架かる「美登鯉橋」北西40mの駐車場付近と思われる。最寄駅は養老鉄道線西大垣駅。


大垣市屈指の事業家である日下部庄吉。3万円を投じて劇場「日吉座」を建てた。日吉座は東海一と謳われた。*17

大正時代頃の大垣市には、興行場として演劇専門の「日吉座」、「宝福館」、洋画なども上映する「松竹館」や「日活館」があった。*18

大正末期の地図「大垣市中尋常高等小学校校区」には「日吉座」「日活」「宝福」が描かれている。*19

昭和初期の大垣市にあった「宝福館」の写真あり。多数のポスターが貼られている。*20

1930年現在の大垣市にある劇場または寄席。劇場は郭町の「日吉座」がある。活動常設館は外側町の「宝福館」、南寺内町の「松竹館」、郭町の「日活館」がある。寄席は「同志館」がある。*21

1941年の『大日本職業明細図 第661号』には「ニュース映画館」「東宝映画」「大垣映画劇場」「帝国劇場」が描かれている。*22
帝国劇場(戦後混乱期)
所在地 : 岐阜県大垣市寺内町(1947年)
開館年 : 1945年10月
閉館年 : 1946年11月


大垣市にあった映画館「帝国劇場」は太平洋戦争の戦災で焼失したが、1945年10月15日夜から寺内町にある元中●●●工場講堂を常設映画館とした。なお、南●町にも東亜航機の元工場を用いた映画館「日本劇場」が開館する。(※●は文字がつぶれて判読できず)*23

太平洋戦争で芝居小屋・映画館ともに全焼した大垣市では、1945年秋の最近になって「厚生劇場」、「東宝日本劇場」、「帝国劇場」の3館が映画や演劇の公演を開始した。3館とも軍需工場施設の部分転用である。*24

1945年10月、大垣市寺内町4丁目にある中山製鋼倉庫を改修して「帝国劇場」が開館した。田中印刷の田中義夫と山田なつの共同。1946年11月には帝国劇場が閉館し、竹島町に「松竹映画劇場」が新築開館した。*25
蓬莱館/松竹館/大垣映画劇場/大垣劇場(旧)
所在地 : 岐阜県大垣市南寺内町(1947年)
開館年 : 1923年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
跡地は「大悲院」南南西60m付近と思われる。最寄駅は養老鉄道線西大垣駅。


大正時代頃の大垣市には、興行場として演劇専門の「日吉座」、「宝福館」、洋画なども上映する「松竹館」や「日活館」があった。*26

1923年現在の大垣市には、劇場として郭町の「日吉座」、活動写真館として南寺内町の「蓬莱館」、寄席として「御殿館」がある。*27

1930年現在の大垣市にある劇場または寄席。劇場は郭町の「日吉座」がある。活動常設館は外側町の「宝福館」、南寺内町の「松竹館」、郭町の「日活館」がある。寄席は「同志館」がある。*28

1941年の『大日本職業明細図 第661号』には「ニュース映画館」「東宝映画」「大垣映画劇場」「帝国劇場」が描かれている。*29
丸物映画劇場
所在地 : 岐阜県大垣市郭町(1951年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1951年頃

赤坂劇場
所在地 : 岐阜県不破郡赤坂町(1963年)
開館年 : 1933年
閉館年 : 1963年頃
跡地はアパート「ハイツ暖」。最寄駅はJR東海道本線美濃赤坂駅。


1914年に不破郡役所が発行した『不破郡案内』には、「劇場 垂井町 泉座」と「劇場 赤坂町 新栄座」の広告が掲載されている。*30

1933年、赤坂町子安町に「赤坂劇場」が開館した。その後、老朽化していた「新栄座」が廃館となった。*31

1933年5月21日、不破郡赤坂町の「赤坂劇場」で岐阜県商工団体連合会の総会が開催された。この総会では岐阜県観光協会の設置が提案された。*32
日本劇場/大垣大映
所在地 : 岐阜県大垣市郭町3-82(1964年)
開館年 : 1946年3月21日
閉館年 : 1964年頃
跡地は「セブンイレブン大垣郭町3丁目店」建物部分。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1946年3月21日、大垣市に2000人を収容できる映画館「日本劇場」がお目見えした。「東宝劇場」、「帝国劇場」、「大垣劇場」と合わせて4映画館体制となった。近いうちには「大垣小劇場」も開館する予定である。*33
主婦の店会館/ニュース劇場(戦後)/大垣主婦会館
所在地 : 岐阜県大垣市林町2-111(1966年)
開館年 : 1958年6月1日
閉館年 : 1966年頃
跡地は「コメダ珈琲店大垣林町店」駐車場。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1958年6月1日、大垣市林町の映画館「主婦の店会館」の開館式が行われた。武藤嘉門岐阜県知事も出席している。経営者は大垣市の連合婦人会員や有力者の夫人たち。映画館は不潔な雰囲気の場所が多く、経営者らは家族連れで楽しく鑑賞できる映画館を理想としていた。主婦の店を開店させた久世久子らは婦人たちに出資を呼びかけ、65人が出資している。工費は600万円、延べ140坪、2階建て。定員250人。ニュース、文化映画、記録映画などを上映する。入場料は大人20円、子供10円という安さ。テレビホールや集会場もあり、文化事業などに用いる予定。会館前の空き地はブランコや滑り台を有する子供遊園地にする予定。営利より社会事業面に重点を置いた、全国でも珍しい映画館である。*34
盛栄座/墨俣盛栄座
所在地 : 岐阜県安八郡墨俣町(1968年)
開館年 : 1932年以前
閉館年 : 1968年頃
跡地は「墨俣東コミュニティーセンター」。最寄駅はJR東海道本線穂積駅。


田中義夫は田中印刷所の創業者である。1932年には安八郡神戸町の「信栄座」と墨俣町の「盛栄座」のオーナーとなった。*35

殿町には「盛栄座」があり、映画や芝居が行われた。当時の墨俣町では唯一の娯楽だった。年1回は料芸組合の「舞ざらえ」という舞踊や寸劇が行われた。館内の写真あり。*36

1935年頃の墨俣町にあった劇場「盛栄座」の館内の写真あり。*37

墨俣町には劇場「盛栄座」があり、大垣市の映画館との掛け持ちで経営されていた。羽島市竹鼻町の「朝日座」よりもやや大きな劇場だった。盛栄座の裏手には墨俣料芸組合の見番があった。見番は1992年現在の中町コミュニティセンターの場所である。*38

墨俣町の盛栄社は、飲食店や芸妓置屋などで結成された組合である。*39
大垣劇場/大垣東映劇場(旧)
所在地 : 岐阜県大垣市郭町3-69(1969年)
開館年 : 1945年10月(芝居小屋?)、1948年(映画館化)、
閉館年 : 1969年頃
跡地はマンション「キャッスルハイツ大垣郭町」。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。

大垣シヤトル/大垣日活/大垣日活劇場
所在地 : 岐阜県大垣市郭町3-207(1973年)
開館年 : 1956年3月6日
閉館年 : 1973年5月
跡地は「大垣共立銀行本店」から岐阜県道57号を挟んで西にあるパン屋「ヒシヤの店リボリ」。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1956年3月5日、大垣市郭町3の映画館「大垣シヤトル」の落成式が行われる。一般公開は3月6日からである。総工費2000万円。鉄筋コンクリート造3階建て。延べ250坪、収容人員500人。最新式ウェスタン発生装置、冷暖房装置などを有する。今まで大垣市になかった日活系統の映画館。大垣市の映画館は7館となった。*40

1961年3月1日、大垣市郭町3の「大垣シヤトル」が61番目の日活直営館となって「大垣日活」に改称した。経営する大垣シヤトルと日活との間に3年間の賃借契約が結ばれた。経営は傍系の太陽企業。*41

1973年のこのほど、大垣市の映画館「大垣日活劇場」が閉館した。1955年頃の大垣市には9館、周辺町村にも9館があったが、1972年までに大垣市内の8館を除いてすべて閉館した。大垣税務署の調査によると、1963年には年間計91万人の入場者があったが、1972年には年間計33万人にまで激減している。大垣市内では副業的な経営者が多いので持ちこたえているとされる。*42

日活の直営館を見ると、1972年11月に「梅田日活ロマン」が開館し、1973年2月に「浜松日活」が開館し、4月に「小田原ロマン」が開館し、5月に「水戸ロマン」が開館した。1972年7月には「久留米日活」が閉館し、12月には「浜松スカラ座」と「浜松日活」が閉館し、1973年3月には「大牟田日活」が閉館し、5月には「大垣日活」が閉館した。*43
大垣スイト会館/スイト会館/大垣松竹/大垣松竹映画劇場(郭町3)
所在地 : 岐阜県大垣市郭町3-84(1973年)
開館年 : 1946年3月(木造)、1954年6月25日(鉄筋造)
閉館年 : 1976年11月23日
跡地は「セブンイレブン大垣郭町3丁目店」の駐車場部分。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


田中義夫は田中印刷所の創業者である。1953年、田中印刷所は興行部門と印刷部門を一本化し、田中印刷興行株式会社(※後に興行を興業に改称)を設立して田中義夫が社長に就任した。1954年11月、大垣市に松竹封切館「スイト会館」を新築開館させた。1972年頃のスイト会館の写真あり。*44

1954年6月25日、大垣市の「スイト会館」で開館記念式が行われる。1953年暮れから西濃地方初の鉄筋4階建てへの改築工事を進めていた。社長は堀江進。座席はスタジアム式であり、冷暖房装置、ビクター高級発声器を備えている。オープニング作品は『陽は沈まず』であり、松竹系作品を上映する。*45

1966年の大垣市竹島町にあった映画館「大垣松竹劇場」の入口付近の写真あり。竹島町には大垣松竹劇場以外に、「テアトル国際」と「竹島劇場」があり、また近くには「日劇」や「東映会館」もあったため、周辺は映画を観る観客でにぎわっていた。*46
平和劇場/大垣東宝劇場(旧)
所在地 : 岐阜県大垣市栗屋町47(1977年)
開館年 : 1919年5月
閉館年 : 1977年頃
跡地は有料駐車場「名鉄協商大垣栗屋町駐車場」。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


大垣東宝興業は栗屋町の大垣東宝映画館を取り壊し、大垣東宝会館を建設する。従来の東宝封切り館のほかに、東宝系洋画封切館、邦画・洋画の成人映画館の2館を併設する。現在の建物は木造(一部鉄筋コンクリート造)2階建てで老朽化が進んでいた。1977年1月24日から取り壊し作業に入り、その後鉄筋コンクリート造7階建てのビルの建設作業を行う。1階は岐阜県初の映画館専用駐車場25台分と喫茶店。2階は成人向け館の特選劇場(120席)、3階・4階は東宝封切館の大垣東宝(326席)、5階・6階は東宝系洋画封切館の大垣スカラ座(283席)。総工費は2億3000万円。8月2日開館予定。*47
大垣国際日活劇場/大垣国際劇場/大垣テアトル国際
所在地 : 岐阜県大垣市竹島町43(1983年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1983年頃
跡地は雑貨店「バルーンアート&ギフト アリサ」北にある駐車場。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1954年6月25日、大垣市郭町3丁目の映画館「大垣スイト会館」が開館する。社長は堀江進。1953年暮れから鉄筋コンクリート造4階建てを新築しており、鉄筋コンクリート造の映画館は西濃地方初である。9時30分から開館記念式典を開催。座席はスタジアム式であり、冷暖房装置やビクター高級発声器を備える。この日から『陽は沈まず』を封切り、松竹系映画を上映する。*48

1967年1月10日午後2時30分頃、大垣市竹島町の「国際劇場」1階看板室付近から出火し、木造モルタル一部2階建ての劇場のうち14m2が焼失、隣接する映写技師宅が全焼した。*49
竹島劇場/大垣大映竹島劇場/大垣竹島劇場
所在地 : 岐阜県大垣市竹島町38(1986年)
開館年 : 1959年7月1日
閉館年 : 1985年11月25日
跡地はバー「WAVE」などが入っている「ホライゾンビル」。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1959年7月1日、大垣市に「竹島東映」が開館した。定員450。冷暖房完備。社長は松尾稔。*50

1985年11月25日、大垣市竹島町の映画館「竹島劇場」が26年の歴史に幕を閉じて閉館する。写真あり。11月23日から11月25日の3日間は無料開放され、『銭形平次捕物控 八人の花嫁』と『宇宙怪獣ガメラ』が上映される。1959年5月の大垣まつりに合わせて開館した。映画全盛期の竹島町には6館もの映画館がひしめいていた。大映や第二東映の邦画を上映していたが、1971年には大映が倒産し、成人映画専門の映画館となった。1986年秋には跡地に鉄筋コンクリート造8階建てのビル「ハウスセブン」が建つ予定である。1階に婦人服などのテナント、2階に70-80席の小劇場を設け、婦人対象の作品があれば上映したいとする。3階は飲食店、4階以上はビジネスホテルとなる。*51

1985年11月25日、大垣市竹島町の映画館「竹島劇場」が26年の歴史に幕を閉じて閉館した。写真あり。1959年5月に開館し、大映や第二東映の作品を中心に上映していた。勝新太郎や田宮二郎らのスターが舞台挨拶に訪れたこともあった。会社としての竹島劇場は、安八郡墨俣町、輪之内町、不破郡垂井町、養老郡養老町など西濃地方を中心に8館の映画館を経営していた。1971年の大映倒産後には成人映画専門館となった。かつて竹島町には竹島劇場のほかに、「国際劇場」、「ロマン座」、「日劇」、「日活」、「大垣松竹」も含めた6館があったが、吸収や閉館を繰り返した。竹島町にある「大垣松竹」も1986年1月に閉館する予定であり、親会社の田中印刷興業の写真スタジオになる予定。*52
ロマン座/大垣ロマン座/大垣松竹映画劇場(竹島町)
所在地 : 岐阜県大垣市竹島町60(1986年)
開館年 : 1952年12月30日(ロマン座)、1976年11月26日(大垣松竹)
閉館年 : 1974年(ロマン座)、1986年1月31日頃(大垣松竹)
跡地は「田中工業契約駐車場」。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1952年12月30日、大垣市竹島町に洋画専門館「ロマン座」が開館する。写真あり。経営は大垣土地興行株式会社であり、同社の直営館である「国際劇場」の左横にある。これで大垣市の映画館は6館となった。座席数は350であり、ビロード張りで1人1脚。アメリカ・ウエスタン式の高級発声装置、冷暖房装置なども備えている。*53

田中義夫は田中印刷所の創業者である。1953年、田中印刷所は興行部門と印刷部門を一本化し、田中印刷興行株式会社(※後に興行を興業に改称)を設立して田中義夫が社長に就任した。1964年には八重垣劇場を閉館させ、1974年にロマン座を閉館させた。*54

1976年11月26日、大垣市郭町3にあった「大垣松竹映画館」が竹島町の「ロマン座」跡地に移転して開館する。1974年に25周年を迎えた大垣松竹はスイト会館の名で親しまれていたが、建物の老朽化に加えて、竹島町に映画館街を作る狙いもあり、ロマン座の建物に移転した。ロマン座は洋画上映館だったが、2年半前から経営不振で休館して倉庫となっていた。ロマン座時代の450席を360席(1階300席・2階60席)に減らして間隔を広げ、スクリーンや映写機を新しい姿に整備する。大垣松竹の旧館では11月17日から11月23日まで半額の500円で上映する。11月24日と11月25日は移動のために休業し、11月26日にロマン座跡地で営業を再開する。松竹専門館なのは変わらず、開館日には『北の宿から』と『俺たちの時』を上映する。*55

1976年11月26日、大垣市竹島町の「ロマン座」跡地に「大垣松竹映画館」が移転して新装開館する。開館を記念して、西城秀樹・野口五郎・郷ひろみらのサイン色紙、寅さんのイラスト色紙、レコードのプレゼントなどがある。新装開館する大垣松竹映画館の写真あり。*56

1986年1月には大垣市竹島町にある「大垣松竹」が閉館する予定である。親会社の田中印刷興業の写真スタジオになる予定。*57

1986年1月31日の岐阜日日新聞の上映案内。「大垣松竹」の欄には「男はつらいよ柴又より愛をこめて 祝辞」。2月1日の上映案内に大垣松竹は掲載されていない。*58
大垣東映会館
所在地 : 岐阜県大垣市郭町3-69(1995年)
開館年 : 1969年12月31日頃
閉館年 : 1997年1月17日
跡地はマンション「キャッスルハイツ大垣郭町」。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


1969年12月30日の岐阜日日新聞の上映案内に大垣東映やスター劇場は掲載されていない。12月31日の上映案内では、「大垣東映」が「29〜8 新網走番外地さいはての流れ者 不良番長王手飛車」、「スター劇場」が「本日限 女 関東三兄弟」。*59

1994年5月1日、大垣東映会館社長の松岡稔が大垣市民病院で死去した。死因は大腸がん。大垣市出身。71歳。*60

1994年1月21日午後、大垣市の繁華街にある雑居ビル「大垣東映会館」の外壁が突然崩れ落ち、歩道を歩いていた女性が落ちてきたタイルでけがをした。事故があったのは大垣市郭町3-69にある映画館ビル大垣東映会館。同ビルの南側外壁が約161平方メートルにわたって崩れ落ちた。大垣東映会館は鉄筋コンクリート造4階建てであり、延床面積は約800平方メートル。1階にはスナックや飲食店など9店舗、2階と3階が映画館、4階は電気機械室になっている。1969年11月に建てられ、外壁は当時のままだった。JR東海道本線大垣駅から南へ約1キロほどの商店街で、飲食店やパチンコ店などが並んでいる。事故当時、ビル内の飲食店などは営業しておらず、映画館内には約15人の客がいた。*61

1994年1月21日午後3時30分頃、大垣市郭町3-69の映画館「大垣東映会館」の南側外壁の一部が崩れ落ち、歩道を歩いていた女性にタイルが直撃、女性は右ひざ関節を骨折した。建物は1969年完成であり、高さは14.2メートル、南側の幅は21.9メートル。1階にはスナックなど9店舗があり、2階と3階が映画館となっている。映画館にいた15人ほどの客は無事だった。店舗は営業していなかった。大垣東映会館は大垣市中心部にあり、昼夜ともに人通りの多い場所である。*62

1997年1月17日をもって、約半世紀にわたって親しまれてきた大垣市郭町東2の映画館「大垣東映会館」(松岡健代表)が閉館する。西濃地方には5映画館があるが、大垣東映会館には2館が入っており、残るのは大垣市栗屋町の「大垣東宝会館」内の3館のみ。1948年、松岡代表の祖父である松岡健三が芝居小屋を譲り受けて創業。1960年代の映画ブームで急成長し、1970年代にはカラーテレビの普及などで映画ブームは下火となったが、東映のヤクザ映画の人気に支えられて好調に推移した。大垣市内にあったほかの8軒は軒並み入場者を減らしたが、大垣東映会館は健闘した。1969年に現在の鉄筋コンクリート造4階建ての会館を建設。2つのスクリーンを持ち、テナントとして13店が入居。当時としては画期的な施設だった。ヤクザ映画と日活の成人映画で年間最高15万人の入場者があった。邦画界の低迷や洋画の話題作に人気を奪われるなどし、入場者は年々減少。他館が次々と閉館する中、洋画と子供向け映画を主力に営業を続けたが、最近は一日の入場者が数人という日も少なくなかった。施設の老朽化も激しかった。*63

1997年1月、大垣市郭町東2丁目の映画館「大垣東映会館」が閉館した。終戦直後から約50年の歴史を閉じた。観客が減ったため。最盛期には1日2000人の観客がいたが、1日数人程度まで減っていた。*64

1997年1月17日、大垣市郭町東の映画館「大垣東映会館」が閉館した。太平洋戦争終戦直後から大垣市中心部で営業していた。現在の建物は鉄筋コンクリート造4階建て。ピーク時には1日2000人あった観客数は、最近は1日数人程度まで落ち込んでいた。3年前には外壁タイルが剥がれ落ちる事故などもあり、建物の老朽化も進行していた。事故後には大規模な改修工事も行ったが、結局は数年で閉館を決めた。最盛期は大垣市内に9館あった映画館は大垣東宝会館内の3館のみとなる。*65
大垣東宝会館
所在地 : 岐阜県大垣市栗屋町34(2000年)
開館年 : 1977年7月30日
閉館年 : 2000年秋頃
跡地は有料駐車場「名鉄協商大垣栗屋町駐車場」。最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


大垣東宝興業は栗屋町の大垣東宝映画館を取り壊し、大垣東宝会館を建設する。従来の東宝封切り館のほかに、東宝系洋画封切館、邦画・洋画の成人映画館の2館を併設する。現在の建物は木造(一部鉄筋コンクリート造)2階建てで老朽化が進んでいた。1977年1月24日から取り壊し作業に入り、その後鉄筋コンクリート造7階建てのビルの建設作業を行う。1階は岐阜県初の映画館専用駐車場25台分と喫茶店。2階は成人向け館の特選劇場(120席)、3階・4階は東宝封切館の大垣東宝(326席)、5階・6階は東宝系洋画封切館の大垣スカラ座(283席)。総工費は2億3000万円。8月2日開館予定。*66

1977年7月30日、大垣市栗屋町34に「大垣東宝会館」がオープンした。写真あり。1月から改築していた。鉄筋コンクリート造6階建て。2階に大垣シネマ(120席)、3階に大垣東宝(300席)、4階に大垣スカラ座(221席)の3館が入る。3階の集中映写室から反射鏡を用いて画面を送る画期的な方式を採用している。反射鏡は横4メートル×縦1.9メートル・厚さ10ミリであり、日本光学が製作した。*67

(※2000年11月7日の新聞記事)大垣東宝会館がひっそりと閉館し、西濃地方から映画館がなくなった。大垣市商店街振興組合連合会の安田礼三理事長は「現在の商店街は映画館を中心にして発展してきたので、何としても商店街の活性化のために残してほしかった」と残念がる。今年2000年3月24日には本巣郡真正町に16スクリーンのシネコンが開館し、さらに11月10日には羽島郡柳津町にも10スクリーンのシネコンが開館する。*68
大垣コロナワールド/大垣コロナシネマワールド
所在地 : 岐阜県大垣市三塚町字西沼523-1(2025年)
開館年 : 2005年12月17日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR東海道本線大垣駅。


2005年12月17日、大垣市三塚町の大型商業施設「ロックシティ大垣」にあるアミューズメント施設「大垣コロナワールド」が、パチンコ店など一部を除き営業を始めた。全国にアミューズメント施設を展開する「コロナ」が建設。施設は鉄骨3階建て延べ約2万平方メートル。10スクリーン計1551席ある映画館、ボウリング場、カラオケ、インターネットカフェ、まんが喫茶、レストラン、託児施設などを備えている。*69

2015年4月17日、大垣市三塚町の映画館「大垣コロナシネマワールド」に岐阜県で初めて「4DX」が導入される。映画の場面に合わせて座席が動き、顔に風や水しぶきがかかる。天井から雪を降らせたり、スクリーンの下から煙を起こしたりすることもできる。2013年4月には国内で初めて、名古屋市中川区の「中川コロナシネマワールド」に導入された。コロナグループとしては大垣で6か所目となる。改装費用は1億7000万円。*70

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