最終更新:
hekikaicinema 2026年09月01日(火) 21:15:29履歴
所在地 : 神奈川県川崎市堀川町(1943年)
開館年 : 1941年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1939年頃の川崎市の京浜川崎駅前にあった「京浜映画劇場」の写真あり。この頃の映画館には「大勝座」、「遊楽館」、「川崎館」もあった。1993年現在の跡地は道路となっている。*3
開館年 : 1941年以後1943年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1939年頃の川崎市の京浜川崎駅前にあった「京浜映画劇場」の写真あり。この頃の映画館には「大勝座」、「遊楽館」、「川崎館」もあった。1993年現在の跡地は道路となっている。*3
所在地 : 神奈川県川崎市境町(1943年)
開館年 : 1913年8月
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1913年8月、塚越の酒造家である沼田虎之助によって活動常設館「川崎館」が開館した。当初の定員は600人だったが、1917年末には建物を増築して1000人とした。横丁から路地を入って突き当りにあった。裏手を京浜電鉄大師線が走っていたため、車輪の振動や警笛などの雑音が劇場内にも聞こえてくるほどだった。*4
開館年 : 1913年8月
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1913年8月、塚越の酒造家である沼田虎之助によって活動常設館「川崎館」が開館した。当初の定員は600人だったが、1917年末には建物を増築して1000人とした。横丁から路地を入って突き当りにあった。裏手を京浜電鉄大師線が走っていたため、車輪の振動や警笛などの雑音が劇場内にも聞こえてくるほどだった。*4
所在地 : 神奈川県川崎市小川町83(1965年)
開館年 : 1946年1月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「チネチッタ」建物北西部。最寄駅はJR川崎駅。
1948年の川崎市にあった「川崎東宝」と「オデオン座」の写真あり。1993年現在の川崎ロイアル付近である。*7
開館年 : 1946年1月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「チネチッタ」建物北西部。最寄駅はJR川崎駅。
1948年の川崎市にあった「川崎東宝」と「オデオン座」の写真あり。1993年現在の川崎ロイアル付近である。*7
所在地 : 神奈川県川崎市京町1-180(1968年)
開館年 : 1956年6月
閉館年 : 1968年頃
跡地は「東日本銀行川崎支店」。最寄駅はJR南武線川崎新町駅。
1956年6月のこのほど、川崎市の南武線沿線に「京町映画劇場」が開館した。木造平屋建て。定員288人。系統は大映と東宝。経営者は辻嘉三郎社長の株式会社京町映画劇場。支配人は矢沢寛之。料金は50円。*10
開館年 : 1956年6月
閉館年 : 1968年頃
跡地は「東日本銀行川崎支店」。最寄駅はJR南武線川崎新町駅。
1956年6月のこのほど、川崎市の南武線沿線に「京町映画劇場」が開館した。木造平屋建て。定員288人。系統は大映と東宝。経営者は辻嘉三郎社長の株式会社京町映画劇場。支配人は矢沢寛之。料金は50円。*10
所在地 : 神奈川県川崎市南小田町4-32(1968年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1968年頃
跡地は「サンホームマイロードおだ店」。最寄駅はJR南武線小田栄駅。
1956年1月15日、川崎市の「小田映画劇場」が全焼した。*11
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1968年頃
跡地は「サンホームマイロードおだ店」。最寄駅はJR南武線小田栄駅。
1956年1月15日、川崎市の「小田映画劇場」が全焼した。*11
所在地 : 神奈川県川崎市堀之内9-6(1971年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1971年頃
跡地はホテル「クージュ川崎」南西の有料駐車場「ショウワパーク川崎堀之内駐車場」。最寄駅は京急川崎駅。
1959年9月9日、川崎市堀ノ内66の「堀ノ内映画劇場」が美須興行に買収され、「堀ノ内東映」に改称して東映専門館となった。*12
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1971年頃
跡地はホテル「クージュ川崎」南西の有料駐車場「ショウワパーク川崎堀之内駐車場」。最寄駅は京急川崎駅。
1959年9月9日、川崎市堀ノ内66の「堀ノ内映画劇場」が美須興行に買収され、「堀ノ内東映」に改称して東映専門館となった。*12
所在地 : 神奈川県川崎市小川町4-1(1970年)
開館年 : 1947年7月
閉館年 : 1971年11月1日
跡地は「チネチッタ」建物北東端部。最寄駅はJR川崎駅。
1946年の川崎市にあった「川崎松竹座」の写真あり。「松竹座」や「松竹映画」の文字が見える。1993年現在の川崎第1ミスボウルの場所にあった。*15
1947年の川崎市の映画館街の写真あり。中央が『飛び出したお嬢さん』を上映中の「川崎映画劇場」であり、左隣は『丹下左膳』を上映中の「銀星座」である。*16
1955年頃の川崎市にあった「川崎映画劇場」の写真あり。「●崎映画劇場」の文字が見える。『失われた大陸』の看板が見える。映画鑑賞会で訪れていた神奈川県立川崎高校の生徒が見える。*17
1971年11月1日午後0時50分頃、川崎市小川町の「川崎映画劇場」機械室付近から出火し、鉄骨モルタル建ての内部が焼失した。約130人の観客は無事だった。経営は美須興行。*18
開館年 : 1947年7月
閉館年 : 1971年11月1日
跡地は「チネチッタ」建物北東端部。最寄駅はJR川崎駅。
1946年の川崎市にあった「川崎松竹座」の写真あり。「松竹座」や「松竹映画」の文字が見える。1993年現在の川崎第1ミスボウルの場所にあった。*15
1947年の川崎市の映画館街の写真あり。中央が『飛び出したお嬢さん』を上映中の「川崎映画劇場」であり、左隣は『丹下左膳』を上映中の「銀星座」である。*16
1955年頃の川崎市にあった「川崎映画劇場」の写真あり。「●崎映画劇場」の文字が見える。『失われた大陸』の看板が見える。映画鑑賞会で訪れていた神奈川県立川崎高校の生徒が見える。*17
1971年11月1日午後0時50分頃、川崎市小川町の「川崎映画劇場」機械室付近から出火し、鉄骨モルタル建ての内部が焼失した。約130人の観客は無事だった。経営は美須興行。*18
所在地 : 神奈川県川崎市小川町13-9(1972年)
開館年 : 1955年7月1日
閉館年 : 1972年頃
跡地は「アスク川崎東口保育園」。最寄駅はJR川崎駅。
1955年7月1日、川崎市小川町に洋画専門館「川崎セントラル映画劇場」が開館した。モルタル2階建て。定員700人。経営は美須興行。*19
開館年 : 1955年7月1日
閉館年 : 1972年頃
跡地は「アスク川崎東口保育園」。最寄駅はJR川崎駅。
1955年7月1日、川崎市小川町に洋画専門館「川崎セントラル映画劇場」が開館した。モルタル2階建て。定員700人。経営は美須興行。*19
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区小川町1-24(1976年)
開館年 : 1953年9月
閉館年 : 1976年2月23日
跡地は「アレーナチッタ」建物南東部。最寄駅はJR川崎駅。
1976年2月23日昼、川崎市川崎区小川町の映画館「川崎日劇」から出火し、1953年11月に建てられた木造モルタルの建物が全焼した。ボイラー室の天井にある木材が燃えたことが原因。経営はミス・タウン会社。*20
開館年 : 1953年9月
閉館年 : 1976年2月23日
跡地は「アレーナチッタ」建物南東部。最寄駅はJR川崎駅。
1976年2月23日昼、川崎市川崎区小川町の映画館「川崎日劇」から出火し、1953年11月に建てられた木造モルタルの建物が全焼した。ボイラー室の天井にある木材が燃えたことが原因。経営はミス・タウン会社。*20
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区小川町1-20(1986年)
開館年 : 1955年10月20日
閉館年 : 1986年頃
跡地は「川崎ゼロゲート」。最寄駅はJR川崎駅。
1955年10月20日、川崎市に「川崎松竹」が開館した。1955年2月から総工費6500万円で建設中だった。美須興行の直営館であり、鉄筋コンクリート造4階建て。2階と3階にはテレビがあるロビーがあり、屋上からは川崎市内を一望できる。冷暖房完備。定員858人。*21
開館年 : 1955年10月20日
閉館年 : 1986年頃
跡地は「川崎ゼロゲート」。最寄駅はJR川崎駅。
1955年10月20日、川崎市に「川崎松竹」が開館した。1955年2月から総工費6500万円で建設中だった。美須興行の直営館であり、鉄筋コンクリート造4階建て。2階と3階にはテレビがあるロビーがあり、屋上からは川崎市内を一望できる。冷暖房完備。定員858人。*21
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区小川町4-2(1987年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1987年頃
跡地は「チネチッタ」建物南東部。最寄駅はJR川崎駅。
1956年のこのほど、川崎市小川町68に「川崎ニュース劇場」が開館した。川崎松竹株式会社が川崎映画街に建設していた。邦画・洋画の名画とニュース映画を30円の低料金で上映する。木造平屋建て。定員150人。*24
開館年 : 1956年
閉館年 : 1987年頃
跡地は「チネチッタ」建物南東部。最寄駅はJR川崎駅。
1956年のこのほど、川崎市小川町68に「川崎ニュース劇場」が開館した。川崎松竹株式会社が川崎映画街に建設していた。邦画・洋画の名画とニュース映画を30円の低料金で上映する。木造平屋建て。定員150人。*24
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区小川町4-14(1985年)
開館年 : 1946年1月
閉館年 : 1987年
跡地は「チネチッタ」建物北側中央部。最寄駅はJR川崎駅。
昭和30年代の川崎映画街の写真あり。左手に「川崎大映」や「松竹」、右手に「川崎日劇」が見える。古くから川崎駅前には、堀之内夜店通りに「大正座」「有楽座」が、東町に「川崎館」があった。1936年頃、東京の興行師である美須鑛(みすこう)が小川町に川崎映画街を作った。3代目の美須孝子がラ・チッタデッラを建設した。*29
1961年の川崎映画街にあった「川崎大映」の写真あり。「DAI●●」の文字が見える。「完全冷房」の文字が見える。大映作品『雑婚時代』の看板が見える。川崎映画街には封切館から二番館まで13館もの映画館があった。*30
1967年の川崎市小川町の川崎映画街にあった「川崎大映」の写真あり。江波杏子主演作『女賭博師』、市川雷蔵主演作『眠狂四郎無頼控 魔性の肌』など、大映作品の看板が見える。2020年現在の川崎映画街跡地はチネチッタとなっている。*31
開館年 : 1946年1月
閉館年 : 1987年
跡地は「チネチッタ」建物北側中央部。最寄駅はJR川崎駅。
昭和30年代の川崎映画街の写真あり。左手に「川崎大映」や「松竹」、右手に「川崎日劇」が見える。古くから川崎駅前には、堀之内夜店通りに「大正座」「有楽座」が、東町に「川崎館」があった。1936年頃、東京の興行師である美須鑛(みすこう)が小川町に川崎映画街を作った。3代目の美須孝子がラ・チッタデッラを建設した。*29
1961年の川崎映画街にあった「川崎大映」の写真あり。「DAI●●」の文字が見える。「完全冷房」の文字が見える。大映作品『雑婚時代』の看板が見える。川崎映画街には封切館から二番館まで13館もの映画館があった。*30
1967年の川崎市小川町の川崎映画街にあった「川崎大映」の写真あり。江波杏子主演作『女賭博師』、市川雷蔵主演作『眠狂四郎無頼控 魔性の肌』など、大映作品の看板が見える。2020年現在の川崎映画街跡地はチネチッタとなっている。*31
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区東田町10-22(1995年)
開館年 : 1951年5月
閉館年 : 1997年11月25日
跡地はマンション「ロリエタワー川崎」。最寄駅はJR川崎駅。
『キネマ旬報』1975年3月上旬号、652号には、「われらの映画館 74回 川崎国際劇場」が掲載されている。*34
1996年の川崎国際劇場の写真あり。川崎市役所前の平和通りを南に少し行った場所にあった。座席数は約200席であり、名画を安価で鑑賞できた。1997年頃に閉館した。*35
1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が47年の歴史に幕を閉じて閉館する。川崎市唯一の名画座である。昭和30年代には館内が工場街の労働者であふれかえった。閉館記念興行として『仁義なき戦い』などを上映する予定。*36
1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が47年の歴史に幕を閉じて閉館する。川崎市最後の名画座だった。1950年に開館した。昭和30年代には川崎市内に45館の映画館があり、国際劇場も年間3万人から4万人の観客を集めた。テレビの普及、景気の停滞などがあり、現在は年間4500人程度である。5年前から赤字で経営が成り立たない状況となり、ワンルームマンションに建て替えることとなった。11月15日からは『鞍馬天狗』など時代劇を特集上映し、23日から25日の最終上映作品は『鞍馬天狗・天狗廻状』『旗本退屈男・江戸城罷り通る』『天狗の安』の3本。料金は一般1200円、学生1000円、子供800円。*37
1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が閉館する。神奈川県では数少ない名画座だった。観客数の減少や建物の老朽化が閉館の理由。跡地にはマンションが建つ予定。11月15日からは「なつかしの時代劇」の特集上映がある。1960年代までは平和通り商店街が川崎市のメインストリートであり、ピーク時の1960年5月には1か月で4万2272人の観客を集めた。1983年には劇場内を区切って2スクリーン都市、邦画と洋画の上映館とした。「ゴジラ追悼」、「戦後五十年史の悲しき時代」などの特集上映を行い、ロードショー作品を上映することもあった。*38
開館年 : 1951年5月
閉館年 : 1997年11月25日
跡地はマンション「ロリエタワー川崎」。最寄駅はJR川崎駅。
『キネマ旬報』1975年3月上旬号、652号には、「われらの映画館 74回 川崎国際劇場」が掲載されている。*34
1996年の川崎国際劇場の写真あり。川崎市役所前の平和通りを南に少し行った場所にあった。座席数は約200席であり、名画を安価で鑑賞できた。1997年頃に閉館した。*35
1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が47年の歴史に幕を閉じて閉館する。川崎市唯一の名画座である。昭和30年代には館内が工場街の労働者であふれかえった。閉館記念興行として『仁義なき戦い』などを上映する予定。*36
1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が47年の歴史に幕を閉じて閉館する。川崎市最後の名画座だった。1950年に開館した。昭和30年代には川崎市内に45館の映画館があり、国際劇場も年間3万人から4万人の観客を集めた。テレビの普及、景気の停滞などがあり、現在は年間4500人程度である。5年前から赤字で経営が成り立たない状況となり、ワンルームマンションに建て替えることとなった。11月15日からは『鞍馬天狗』など時代劇を特集上映し、23日から25日の最終上映作品は『鞍馬天狗・天狗廻状』『旗本退屈男・江戸城罷り通る』『天狗の安』の3本。料金は一般1200円、学生1000円、子供800円。*37
1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が閉館する。神奈川県では数少ない名画座だった。観客数の減少や建物の老朽化が閉館の理由。跡地にはマンションが建つ予定。11月15日からは「なつかしの時代劇」の特集上映がある。1960年代までは平和通り商店街が川崎市のメインストリートであり、ピーク時の1960年5月には1か月で4万2272人の観客を集めた。1983年には劇場内を区切って2スクリーン都市、邦画と洋画の上映館とした。「ゴジラ追悼」、「戦後五十年史の悲しき時代」などの特集上映を行い、ロードショー作品を上映することもあった。*38
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区小川町14-14(2000年)
開館年 : 1980年頃
閉館年 : 2003年頃
跡地は「岩本ビル」南西側。最寄駅はJR川崎駅。
高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年には「川崎シネマ」の写真と一文解説がある。*39
開館年 : 1980年頃
閉館年 : 2003年頃
跡地は「岩本ビル」南西側。最寄駅はJR川崎駅。
高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年には「川崎シネマ」の写真と一文解説がある。*39
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区小川町1-25(2010年)
開館年 : 1962年12月1日
閉館年 : 2011年1月10日
跡地は「アレーナチッタ」建物南西部。最寄駅はJR川崎駅。
1962年3月15日、川崎市の映画館「グランド劇場」(仮称)の地鎮祭が行われた。川崎市初の70ミリ劇場である。12月1日に完成予定。経営は美須興行。*40
1962年9月27日の『神奈川新聞』横浜版には、9月26日に「川崎グランド劇場」の棟上式が行われたという記事が掲載されている。現物は未確認。*41
1962年12月1日、川崎市の川崎映画街に70ミリ劇場「川崎グランド劇場」が開館した。鉄筋造4階建て。ワンスロープ式、椅子席1000席。スクリーンは縦10メートル×横15メートル。客席は扇形であり、客席最後部はスクリーンの2倍の幅がある。総工費2億5000万円。開館披露第1作は『エル・シド』。川崎映画街には洋画5系統と邦画5系統の計10系統が揃った。経営は美須興行。*42
2011年1月10日、川崎市のチネチッタにある映画館「チネグランデ」が閉館する。老朽化が理由。神奈川県最大規模の844席を有する。最終日には『フラガール』の無料上映と李相日監督のトークショーが行われる。1962年に「川崎グランド劇場」として開館した。周辺には多くの映画館があり、「映画のデパート」と呼ばれていた。1987年にチネチッタが誕生すると「チネグランデ」に改称した。2001年には『千と千尋の神隠し』が大ヒットした。*43
開館年 : 1962年12月1日
閉館年 : 2011年1月10日
跡地は「アレーナチッタ」建物南西部。最寄駅はJR川崎駅。
1962年3月15日、川崎市の映画館「グランド劇場」(仮称)の地鎮祭が行われた。川崎市初の70ミリ劇場である。12月1日に完成予定。経営は美須興行。*40
1962年9月27日の『神奈川新聞』横浜版には、9月26日に「川崎グランド劇場」の棟上式が行われたという記事が掲載されている。現物は未確認。*41
1962年12月1日、川崎市の川崎映画街に70ミリ劇場「川崎グランド劇場」が開館した。鉄筋造4階建て。ワンスロープ式、椅子席1000席。スクリーンは縦10メートル×横15メートル。客席は扇形であり、客席最後部はスクリーンの2倍の幅がある。総工費2億5000万円。開館披露第1作は『エル・シド』。川崎映画街には洋画5系統と邦画5系統の計10系統が揃った。経営は美須興行。*42
2011年1月10日、川崎市のチネチッタにある映画館「チネグランデ」が閉館する。老朽化が理由。神奈川県最大規模の844席を有する。最終日には『フラガール』の無料上映と李相日監督のトークショーが行われる。1962年に「川崎グランド劇場」として開館した。周辺には多くの映画館があり、「映画のデパート」と呼ばれていた。1987年にチネチッタが誕生すると「チネグランデ」に改称した。2001年には『千と千尋の神隠し』が大ヒットした。*43
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区小川町4-1(2025年)
開館年 : 1987年7月25日
閉館年 : 営業中
公式サイト : チネチッタ
Wikipedia : チネチッタ (川崎市)
最寄駅はJR川崎駅。
1987年7月25日、川崎市川崎区小川町1-15に「チネチッタ川崎」が開館した。地下1階から地上7階。チネ1が432席、チネ2が250席、チネ3が296席、チネ4が296席、チネ5が168席。経営はカワサキ・ミス。*44
1991年7月6日、美須興行が経営する「チネチッタ」に新たに3館が開館した。チネチッタ5は100席、チネチッタ6は120席、チネチッタ7は80席。*45
開館年 : 1987年7月25日
閉館年 : 営業中
公式サイト : チネチッタ
Wikipedia : チネチッタ (川崎市)
最寄駅はJR川崎駅。
1987年7月25日、川崎市川崎区小川町1-15に「チネチッタ川崎」が開館した。地下1階から地上7階。チネ1が432席、チネ2が250席、チネ3が296席、チネ4が296席、チネ5が168席。経営はカワサキ・ミス。*44
1991年7月6日、美須興行が経営する「チネチッタ」に新たに3館が開館した。チネチッタ5は100席、チネチッタ6は120席、チネチッタ7は80席。*45
所在地 : 神奈川県川崎市鹿島田1153(1968年)
開館年 : 1956年6月
閉館年 : 1968年頃
跡地はマンション「ドゥーエ新川崎」。最寄駅はJR南武線鹿島田駅。
1956年6月のこのほど、川崎市鹿島田町1154に「鹿島田映画劇場」が開館した。南部線鹿島田駅前。木造平屋建て。定員430人。系統は松竹と新東宝。経営者は会田仁。支配人は和光善友。料金は40円。*46
開館年 : 1956年6月
閉館年 : 1968年頃
跡地はマンション「ドゥーエ新川崎」。最寄駅はJR南武線鹿島田駅。
1956年6月のこのほど、川崎市鹿島田町1154に「鹿島田映画劇場」が開館した。南部線鹿島田駅前。木造平屋建て。定員430人。系統は松竹と新東宝。経営者は会田仁。支配人は和光善友。料金は40円。*46
所在地 : 神奈川県川崎市小杉御殿町(1967年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1967年頃
跡地はマンション「キックオフ」。最寄駅はJR南武線武蔵中原駅。
1922年、川野時計店と川野自転車店の間に芝居小屋の「小杉館」が建てられた。やがて椅子席を設けて「中原劇場」に改称し、映画の上映や会合などに用いられた。戦後にはポルノ映画館やストリップ劇場となった。1965年頃に取り壊され、跡地は駐車場となった。(※文中の中原劇場が中原映画劇場のことなのかどうかは不明)*49
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1967年頃
跡地はマンション「キックオフ」。最寄駅はJR南武線武蔵中原駅。
1922年、川野時計店と川野自転車店の間に芝居小屋の「小杉館」が建てられた。やがて椅子席を設けて「中原劇場」に改称し、映画の上映や会合などに用いられた。戦後にはポルノ映画館やストリップ劇場となった。1965年頃に取り壊され、跡地は駐車場となった。(※文中の中原劇場が中原映画劇場のことなのかどうかは不明)*49
所在地 : 神奈川県川崎市新丸子911(1971年)
開館年 : 1956年9月11日
閉館年 : 1971年頃
跡地は「武蔵小杉マンション」。最寄駅は東急東横線新丸子駅。
1956年9月11日、川崎市新丸子911に「小杉コーパ劇場」が開館した。定員320。建設したのは中川三郎社長の株式会社劇場コーパであり、経営は新映株式会社。*50
開館年 : 1956年9月11日
閉館年 : 1971年頃
跡地は「武蔵小杉マンション」。最寄駅は東急東横線新丸子駅。
1956年9月11日、川崎市新丸子911に「小杉コーパ劇場」が開館した。定員320。建設したのは中川三郎社長の株式会社劇場コーパであり、経営は新映株式会社。*50
所在地 : 神奈川県川崎市溝ノ口433(1967年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1967年頃
1959年8月1日、川崎市溝ノ口434の「溝の口東映」が全焼した。原因はスクリーンカバー開閉用モーターの過熱。*53
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1967年頃
1959年8月1日、川崎市溝ノ口434の「溝の口東映」が全焼した。原因はスクリーンカバー開閉用モーターの過熱。*53
所在地 : 神奈川県川崎市高津区溝の口412(1990年)
開館年 : 1968年頃
閉館年 : 1990年11月25日
跡地は「ファミリーマート溝口一丁目店」があるマンション「溝口一丁目パーク・ホームズ」。最寄駅は東急田園都市線・JR南武線溝の口駅。
川崎市高津区溝の口412の「溝口映劇」(溝口映画劇場)。1990年11月25日をもって閉館した。最終上映作品は『制服の告白 処女あげます』など成人映画3作品。料金は一般1300円。300人収容。鉄筋造平屋建て。*56
開館年 : 1968年頃
閉館年 : 1990年11月25日
跡地は「ファミリーマート溝口一丁目店」があるマンション「溝口一丁目パーク・ホームズ」。最寄駅は東急田園都市線・JR南武線溝の口駅。
川崎市高津区溝の口412の「溝口映劇」(溝口映画劇場)。1990年11月25日をもって閉館した。最終上映作品は『制服の告白 処女あげます』など成人映画3作品。料金は一般1300円。300人収容。鉄筋造平屋建て。*56
所在地 : 神奈川県川崎市多摩区登戸2079-6(1982年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1983年頃
跡地は1989年竣工のアパート「サンシティ向ケ丘」。最寄駅は小田急小田原線向ヶ丘遊園駅。
1953年頃の川崎市の登戸駅前四つ角にあった映画宣伝看板の写真あり。「向ヶ丘遊園駅前 登戸銀映」は「大人55円 学生40円 子供30円」であり、『炎の氷河』や『若獅子大名』や『子の刻参上』を上映している。「大井線高津駅前 高津映画」は『雪国』や『山鳩』を上映している。*57
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1983年頃
跡地は1989年竣工のアパート「サンシティ向ケ丘」。最寄駅は小田急小田原線向ヶ丘遊園駅。
1953年頃の川崎市の登戸駅前四つ角にあった映画宣伝看板の写真あり。「向ヶ丘遊園駅前 登戸銀映」は「大人55円 学生40円 子供30円」であり、『炎の氷河』や『若獅子大名』や『子の刻参上』を上映している。「大井線高津駅前 高津映画」は『雪国』や『山鳩』を上映している。*57
所在地 : 神奈川県川崎市麻生区上麻生1-19-1 イオンスタイル新百合ケ丘6階(2020年)
開館年 : 1997年8月29日
閉館年 : 営業中
最寄駅は小田急小田原線新百合ヶ丘駅。
1997年8月29日、川崎市麻生区上麻生1−19に9スクリーンの「ワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘」が開館した。経営はワーナー・マイカル。*58
開館年 : 1997年8月29日
閉館年 : 営業中
最寄駅は小田急小田原線新百合ヶ丘駅。
1997年8月29日、川崎市麻生区上麻生1−19に9スクリーンの「ワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘」が開館した。経営はワーナー・マイカル。*58
所在地 : 神奈川県川崎市麻生区万福寺6-7-1(2025年)
開館年 : 2007年10月31日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 川崎市アートセンター小劇場
最寄駅は小田急小田原線新百合ヶ丘駅。
2007年10月、小田急線新百合ヶ丘駅前に「川崎市アートセンターアルテリオ映像館」が開館した。全国初の公営コミュニティシネマとされる。川崎市にはミニシアターがなく、アート系作品を観るには都内まで行く必要があった。113席の映像ホールでは1日4回の頻度で新作や名画などを上映している。*59
開館年 : 2007年10月31日
閉館年 : 営業中
公式サイト : 川崎市アートセンター小劇場
最寄駅は小田急小田原線新百合ヶ丘駅。
2007年10月、小田急線新百合ヶ丘駅前に「川崎市アートセンターアルテリオ映像館」が開館した。全国初の公営コミュニティシネマとされる。川崎市にはミニシアターがなく、アート系作品を観るには都内まで行く必要があった。113席の映像ホールでは1日4回の頻度で新作や名画などを上映している。*59

コメントをかく