所在地 : 神奈川県川崎市宮前町10(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1965年)、神奈川県川崎市東田町10-22(1966年・1969年)、神奈川県川崎市川崎区東田町10-22(1973年・1976年・1980年・1985年・1988年・1990年・1995年)
開館年 : 1951年5月
閉館年 : 1997年11月25日
『全国映画館総覧 1955』では1951年5月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「国際劇場」。1958年の映画館名簿では「川崎松竹国際」。1958年の住宅地図では「国際劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「国際劇場」。1965年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「川崎国際劇場」。1985年・1986年・1988年・1990年・1995年の映画館名簿では「川崎国際1・2」。1986年の映画館名簿では経営会社が宇佐美興行、経営者・支配人ともに宇佐美謹次郎、いずれも木造1階、1が200席で邦画を上映、2が130席で邦画・洋画を上映。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ロリエタワー川崎」。最寄駅はJR東海道線川崎駅。
『キネマ旬報』1975年3月上旬号、652号には、「われらの映画館 74回 川崎国際劇場」が掲載されている。
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1996年の川崎国際劇場の写真あり。川崎市役所前の平和通りを南に少し行った場所にあった。座席数は約200席であり、名画を安価で鑑賞できた。1997年頃に閉館した。
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1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が47年の歴史に幕を閉じて閉館する。川崎市唯一の名画座である。昭和30年代には館内が工場街の労働者であふれかえった。閉館記念興行として『仁義なき戦い』などを上映する予定。
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1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が47年の歴史に幕を閉じて閉館する。川崎市最後の名画座だった。1950年に開館した。昭和30年代には川崎市内に45館の映画館があり、国際劇場も年間3万人から4万人の観客を集めた。テレビの普及、景気の停滞などがあり、現在は年間4500人程度である。5年前から赤字で経営が成り立たない状況となり、ワンルームマンションに建て替えることとなった。11月15日からは『鞍馬天狗』など時代劇を特集上映し、23日から25日の最終上映作品は『鞍馬天狗・天狗廻状』『旗本退屈男・江戸城罷り通る』『天狗の安』の3本。料金は一般1200円、学生1000円、子供800円。
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1997年11月25日をもって、川崎市川崎区東田町の映画館「川崎国際劇場」が閉館する。神奈川県では数少ない名画座だった。観客数の減少や建物の老朽化が閉館の理由。跡地にはマンションが建つ予定。11月15日からは「なつかしの時代劇」の特集上映がある。1960年代までは平和通り商店街が川崎市のメインストリートであり、ピーク時の1960年5月には1か月で4万2272人の観客を集めた。1983年には劇場内を区切って2スクリーン都市、邦画と洋画の上映館とした。「ゴジラ追悼」、「戦後五十年史の悲しき時代」などの特集上映を行い、ロードショー作品を上映することもあった。
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