閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。



浜松市

中区

浜松市の映画館
浜松市の広小路には戦後いち早く闇市ができて復興した。1956年現在の広小路には、洋画系の「国際劇場」、邦画系二番館の「文化劇場」、邦画系二番館の「浜映劇場」の3館が散在している。広小路より復興が遅れたみゆき通りには郵便局や諸銀行や松菱百貨店があり、松菱の5階には「松菱ニュース劇場」がある。*1

1956年現在現在、浜松随一の盛り場である有楽街には映画館10館が立ち並んでいる。松竹直営で松竹系封切館の「浜松松竹座」、浜活の運営による東映系封切館の「浜松東映劇場」、浜活の運営による洋画系二番館の「有楽劇場」、浜活の運営による新東宝系封切館の「富士館」、欧米系封切館の「松菱劇場」、東宝直営の東宝系封切館の「東宝劇場」、東宝直営の洋画系二番館の「名画館」、協和興行の運営による大映系封切館の「浜松大映劇場」、浜活の運営による洋画系封切館の「浜松東洋劇場」、浜活の運営による日活系封切館の「肴街劇場」である。浜松松竹座は地の利がよく、松竹東京支店管内の地方館では1-2位の成績であるが、1955年に開館した浜松東映劇場の出現で苦戦が予想されている。浜松東宝劇場は横浜=名古屋間で唯一のエアコン装置を持つ劇場であるが、東宝カラーが好まれない土地柄であり成績は芳しくない。浜松大映劇場は地の利が悪いが宣伝がうまい。松菱劇場は独自色があり高踏的雰囲気のある。浜松東映劇場は浜活系7館のモデル館として期待されている。浜松東洋劇場はアメリカ映画系のロードショー館で浜松最大のシネスコを完備している。*2

1956年の浜松市にあった映画館の写真あり。「浜松東洋劇場」、「肴街劇場」、「富士館」、「松菱劇場」、「浜松大映」、「文化劇場」、「国際劇場」、「浜松松竹座」、「浜松東映」、「浜松東宝」。*3

1953年1月1日付『浜松民報』の「映画劇場案内」によると、当時の浜松市には「東宝劇場」、「松竹座」、「東洋劇場」、「有楽座」、「大映劇場」、「銀映座」、「文化劇場」、「肴街劇場」、「松菱劇場」、「浜松座」、「南部劇場」の11館の映画館または劇場があった。1991年現在も存続している映画館または劇場は、南部劇場から改称して映画専門館となった「光洋劇場」、松菱百貨店7階にあったが肴町に新築移転した「松菱劇場」の2館のみである。*4

太平洋戦争の戦災で浜松市の中心街は焦土と化した。戦後いち早く開館した映画館は、1945年12月に板屋町広小路に開館した「文化劇場」である。バラック建築で腰掛すらなく、全員が立ち見でスクリーンを眺めた。1946年には千歳町通りに「白薔薇劇場」が開館した。白薔薇劇場は歌謡ショーや軽演劇の芝居小屋であり、やがて浜松座に変わった。この頃には「南部劇場」も開館し、地方巡業の芝居一座が長期興行することもあった。1946年から3-4年間の間には相次いで映画館が開館した。伝馬町通りの銀行建築をそのまま使って「浜松セントラル劇場」が開館し、洋画館として親しまれた。1946年11月に開館した「東洋劇場」は、木造3階建ての本格的大劇場である。相生町の「江東劇場」は変電所の煉瓦造建築を使い、三角屋根の小屋と呼ばれた。1947年から1948年頃には、板屋町の横丁に「銀映座」が開館し、後に「キャピトル劇場」に改称したが、ほどなくして閉館した。1945年から3-4年間の間に開館した映画館には、前述の劇場のほかに、「松竹座」、「三松館」、「大映劇場」、「浜松劇場」、「東宝劇場」、「名画座」などがある。昭和30年代になると、「富士館」、「国際劇場」、「棒屋松竹劇場」、「高台銀座」なども開館している。昭和30年代が映画館のピークだった。*5
浜松セントラル劇場/第2セントラル
所在地 : 静岡県浜松市伝馬町
開館年 : 1946年
閉館年 : 1946年以後1950年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年の静興社住宅地図では「第2セントラル(改造中)」。1971年の住宅地図では跡地に「浜松信用金庫」。1976年・1979年・1985年年の住宅地図では跡地に「浜松信用金庫伝馬町支店」。現在の跡地は「浜松信用金庫伝馬町支店」。

戦前には銀行として使用されていたビルの内部を改装し、1946年にはアメリカ映画の専門館として浜松セントラル劇場が開館した。後に有楽街に第2セントラルが開館すると、第2セントラルに改称し、映画会館とも呼ばれた。1991年現在の浜松信用金庫伝馬町支店の場所にあった。*6
浜松富士館/富士館
所在地 : 静岡県浜松市鍛冶町228(1958年)、静岡県浜松市鍛冶町228-2(1960年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「浜松富士館」。1958年の浜松市住宅明細地図では「富士劇場」。1960年の映画館名簿では「富士館」。1961年の浜松市明細地図では跡地に「ほていや」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「Q FACE」。

1955年頃の「富士館」の写真あり。祝開館の文字が見え、1956年公開の日本映画『栄光と驀走王』の看板がかかっている。有楽街の南側入口にあった。新東宝と大蔵映画を上映した。*7

有楽街の南入り口には富士館があった。時期不明だが祝開館の文字が見える写真があり、看板の表記は「冨士舘」(「冨」は異体字であり「舘」も俗字)。1956年公開の日本映画『栄光と驀走王』の看板がかかっている。*8
歌舞伎座
所在地 : 静岡県浜松市元肴町54(1960年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1960年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の浜松市住宅明細地図では「歌舞伎座」。1960年の映画館名簿では「歌舞伎座」。1961年の浜松市明細地図では跡地に空白。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「元魚モータープール」。
銀映座/浜松映画劇場/浜映劇場
所在地 : 静岡県浜松市板屋町(1950年)、静岡県浜松市板屋町282(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧1955』によると1946年12月開館。1950年・1953年の映画館名簿では「銀映座」。1951年の静興社住宅地図では「銀映座 小池」。1955年・1958年の映画館名簿では「浜松映画劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「浜映座」。1960年の映画館名簿では「浜映劇場」。1961年の浜松市明細地図では跡地に「(建)」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は割烹料理店「紅すずめ」北の有料駐車場「ふらっと24」付近。映画館閉館後の土地区画整理事業で道路割が変化しているので参考程度に。
文化劇場/浜松文化劇場/浜松文化劇場・広小路劇場
所在地 : 静岡県浜松市板屋町(1950年)、静岡県浜松市板屋町252(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松文化劇場
『全国映画館総覧1955』によると1945年12月開館。1950年の映画館名簿では「浜松文化劇場」。1951年の静興社住宅地図では「文化劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「文化劇場」。1958年の映画館名簿では「浜松文化劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「文化劇場」。1960年の映画館名簿では「浜松文化劇場・広小路劇場」(2館)。1961年の浜松市明細地図では「文化劇場・広小路劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1968年の住宅地図では跡地に「日本相互銀行」。1976年の住宅地図では跡地に「太陽銀行浜松支店」。1979年の住宅地図では跡地に「太陽神戸銀行浜松支店」。跡地はマンション「サーパス浜松駅前」や「ITOビル」。映画館閉館後の土地区画整理事業で道路割が変化しているので参考程度に。

戦後の1946年(昭和21年)に開館した「文化劇場」は、戦後初めて浜松市に開館した映画館だった。内部には椅子がなく、観客全員が立ち見だった。1948年(昭和23年)には木造二階建ての建物が新築された。跡地には銀行のビルが建っている。写真あり。*9

浜松市の中心部にあったすべての映画館が戦災で焼失した。終戦から4か月後の1945年(昭和20年)12月、板屋町に「文化劇場」が開館した。戦前からの映画館経営者が数人集まって浜松興行組合を発足させ、組合の直営映画館として開館させた。終戦から間もないためバラック小屋であり、天井や椅子さえもなかったため全員が立ち見だった。1947年(昭和22年)のバラック建ての文化劇場の写真あり。「Bunka THEATER」の文字や「3周年記念アメリカ映画祭」の文字が見える。『拳銃街道』の看板が見える。1998年(平成10年)現在の跡地にはさくら銀行浜松支店が建っている。*10

日活劇場(肴町時代)
所在地 : 静岡県浜松市肴町71(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の浜松市住宅明細地図には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「日活劇場」であり肴町劇場と同一所在地。1961年の浜松市明細地図では「浜松日活」。1960年以後1963年以前に肴町から鍛冶町に移転。跡地は「日本生命浜松センタービル」建物南東部。
松菱劇場(鍛冶町時代)/松菱ニュース劇場/松菱会館
所在地 : 静岡県浜松市鍛冶町124(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1953年9月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1953年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年の静興社住宅地図では後の映画館の場所に「大林寺墓地」。1953年の映画館名簿では「松菱劇場」。1955年の映画館名簿では「松菱ニュース劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「松菱百貨店」(※映画館についての言及はなし)。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「松菱会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1971年・1976年の住宅地図では跡地に「松菱百貨店」。1979年・1985年の住宅地図では跡地に「松菱」。2001年に松菱百貨店閉店。跡地は「ザザシティ浜松中央館」東の駐車場(松菱百貨店跡地)。
高台銀座
所在地 : 静岡県浜松市住吉町32(1960年・1963年)
開館年 : 1958年7月8日
閉館年 : 1964年3月
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「高台銀座」。1961年の浜松市明細地図では「高台銀座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の住宅地図では跡地に「ニューヤンマ」。1985年の住宅地図では跡地に「1階パチンコプリンス」。現在の跡地は「浜松中央警察署北部交番」東側の駐車場。最寄駅は遠州鉄道線曳馬駅。

昭和30年代になると地域の発展を願う有志が映画館の開館を計画した。1958年(昭和33年)7月8日、住吉町の北部交番の東側に映画館「高台銀座」が開館した。オープニング作品は東宝の『大当り狸御殿』、日活の『嵐を呼ぶ男』、新東宝の『ひばりの三役 競艶雪之丞変化 前編』の3本。名称は東京の銀座のにぎわいにあやかっている。姫街道と静岡県道321号の交差点であり、遠州鉄道奥山線銭取駅の目の前だったため、遠くは奥山や都田からも観客が集まった。遠鉄バスの和合町バス停にも近く、また国立病院にも近かった。敷地内には居酒屋や食堂もあった。上映作品は邦画が中心であり、3本立ての上映だった。1958年の浜松市の映画人口は1964年(昭和39年)3月に閉館した。*11
相生劇場/浜松相生劇場
所在地 : 静岡県浜松市相生町189(1963年)、静岡県浜松市相生町189-2(1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の浜松市住宅明細地図には掲載されていない。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の浜松市明細地図では後の映画館の場所に「アキ地」。1963年の映画館名簿では「相生劇場」。1966年の映画館名簿では「浜松相生劇場」。1966年の住宅地図では「相生劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の住宅地図では跡地に「パチンコニューオリエント」。現在の跡地は静岡銀行相生支店」北東50mにあるマンション「ネオステージ相生」駐車場。
白薔薇劇場/浜松シネマ(千歳町)/千歳劇場/浜松座小劇場/浜松小劇場
所在地 : 静岡県浜松市千歳町108(1950年・1960年・1966年)
開館年 : 1946年2月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松座小劇場
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「千歳劇場」。1951年の静興社住宅地図では「浜松座」。1953年・1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の浜松市住宅明細地図では「浜松座」。1960年の映画館名簿では「浜松座小劇場」。1961年の浜松市明細地図では「浜松座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「浜松小劇場」。1966年の住宅地図では「浜松座小劇場」。1968年の住宅地図では「浜松座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の住宅地図では跡地に「パチンコ浜松座」。1972年の住宅地図では跡地に「高砂園」。1976年の住宅地図では跡地に「サゴー 浜松モールプラザ サゴーホテル」。1980年の住宅地図では跡地に「高砂園本社 サゴーホテル 浜松モールプラザ」。1985年の住宅地図では跡地に「サゴー 3階 高砂観光本社など 4〜6階サゴーホテル」。現在の跡地は「ザザシティ浜松中央館」の南東のブロックの建設用地。

1946年(昭和21年)2月、千歳町大通りに「白薔薇劇場」が開館した。やがて「浜松シネマ」に、そして「浜松座」に改称された。*12


東洋劇場/浜松東洋劇場
所在地 : 静岡県浜松市鍛冶町20(1953年)、静岡県浜松市鍛冶町110(1955年)、静岡県浜松市鍛冶町20(1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1946年12月、1949年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松東洋劇場
『全国映画館総覧1955』によると1946年10月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年の静興社住宅地図では「東洋劇場」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「東洋劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「東洋映画劇場」。1961年の浜松市明細地図では「浜松東映」。1966年の映画館名簿では「浜松東洋劇場」。1966年・1968年の住宅地図では「東洋映画劇場」であり浜松日活と同じビルにあった。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の住宅地図では「東洋劇場」。1976年の住宅地図では跡地に「アキヤ」。1980年の住宅地図では跡地に空白。1985年の住宅地図では跡地に「日本生命浜松センタービル」。現在の跡地は「日本生命浜松センタービル」。

1959年(昭和34年)現在の「浜松東洋劇場」の写真あり。「TOYO」の文字が見える。*13

1957年(昭和32年)12月の「東洋劇場」の写真あり。『復讐の谷』や『朝やけ雲』『戦場にかける橋』などの看板が見るる。英語表記は「TOYO THEATRE」。終戦直後の1946年(昭和21年)12月に開館し、演劇、歌謡ショー、浪曲などを上演する演劇場だったが、1949年(昭和24年)に洋画の封切館となった。のちに鉄筋コンクリート造のビルに建て替えられた。*14

1946年(昭和21年)11月、浜松市の鍛冶町大通りの北側に東洋劇場が開館した。開館当初は芝居中心の劇場であり、東京大歌舞伎・歌謡ショー・浪曲・漫才などの実演を行っていたが、映画は上映しなかった。1955年(昭和30年)頃の東洋劇場の写真あり。「TOYO」「日活」の文字が見える。1998年(平成10年)現在の跡地には日本生命ビルが建っており、通りに面して大型のアーケードが設置されている。*15

1965年(昭和40年)の東洋劇場の写真あり。1954年のウォルト・ディズニー・プロ作品『海底二万哩』や1965年のウォルト・ディズニー・プロ作品『まぼろし密輸団』の看板がかかっている。東洋劇場ではもともと演劇や歌謡ショーなどの興行を行っていたが、やがて映画館となった。1961年の浜松市における1劇場あたりの入場者数は1日564人だったが、1964年には1日334人に減少している。1965年にはテレビの普及率が90%を超え、映画業界は勢いを失っていた。*16

浜松東映劇場(肴町168時代)
所在地 : 静岡県浜松市肴町168(1958年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松市中心市街地
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「東映劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の浜松市明細地図では「ニュー東映」。1963年・1966年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。1966年の住宅地図では「浜松東映」。1966年以後1969年以前に肴町168から肴町162に移転。跡地はカラオケ店「コート・ダジュール浜松有楽街店」が入る「hubビル」。

昭和30年代には「浜松東映劇場」が新築開館した。オープン日の写真あり。1955年公開の東映作品『水戸黄門漫遊記 幽霊城の佝僂男』の看板が見える。かつてこの場所には洋画の「第二セントラル劇場」があった。*17

1948年頃の浜松市にあった「第1セントラル劇場」の写真あり。当時は劇場前の道路が舗装されていなかった。英名は「FIRST CENTRAL THEATRE」。1947年4月には有楽街の中央に「第1セントラル劇場」が開館した。アメリカ映画の専門館だった。その後改築を行って「有楽座」に改称し、1958年には「浜松東映」に改称した。*18

浜松市の「第1セントラル劇場」は松竹座の南隣にあり、洋画の封切館だった。その後東映作品の封切館となって「有楽座」に改称した。やがて日活となり、「東映劇場」となり、建物も立て直された。*19
肴町劇場/スカラ座/浜松スカラ座
所在地 : 静岡県浜松市肴町71(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、静岡県浜松市肴町79(1969年・1973年)
開館年 : 1953年4月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松スカラ座
『全国映画館総覧1955』によると1953年4月開館。1951年の静興社住宅地図では後の映画館の場所に「中島呉服卸店」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「肴町劇場」。1958年の映画館名簿では「肴街劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「肴町劇場」。1960年の映画館名簿では「肴町劇場」。1961年の浜松市明細地図では「東洋スパル座」。1963年の映画館名簿では「スカラ座」。1966年・1968年・1972年の住宅地図では「スカラ座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜松スカラ座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1976年の住宅地図では跡地に「アキヤ」。1980年の住宅地図では跡地に空白。1985年の住宅地図では跡地に「日本生命浜松センタービル」。現在の跡地は「日本生命浜松センタービル」建物北西部。

時期不明の「肴街劇場」の写真あり。1954年公開の東宝映画『兄さんの愛情』の看板が見える。肴町通りの南側入口にあり、裏側は同一経営者の「東洋劇場」と隣接していた。洋画も上映したが、日活の青春映画が主体だった。*20

1953年4月の開館当初、祝福の花輪で埋められた肴街劇場の写真あり。初上映作品は『地上最大のショー』であり大ヒットした。住所は「肴町」だが劇場名は「肴街」だった。*21

浜松東宝映画劇場/東宝劇場/浜松東宝劇場/浜松東宝劇場・東宝名画座/浜松東宝劇場・浜松名画座
所在地 : 静岡県浜松市田町245(1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松東宝劇場・東宝名画座
1951年の静興社住宅地図では「東宝劇場」。『全国映画館総覧1955』によると1954年6月開館。1950年の映画館名簿では「浜松東宝映画劇場」。1951年の静興社住宅地図では「東宝劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「東宝劇場」。1958年の映画館名簿では「浜松東宝劇場・浜松名画座」(2館)。1958年の浜松市住宅明細地図では「東宝劇場」と「名画座」。1960年の映画館名簿では「浜松東宝劇場・東宝名画座」(2館)。1963年の映画館名簿では「浜松東宝劇場・浜松東宝名画座」(2館)。1968年・1972年のゼンリン住宅地図では「浜松東宝名画座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜松東宝劇場・浜松名画座」(2館)。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年のゼンリン住宅地図では跡地に「東宝モータープール」。1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「住友生命田町ビル」。跡地は「住友生命浜松田町ビル」。

1958年10月7日封切の『若い娘たち』の上映を報じる『東宝劇場ニュース』。「東宝劇場」は冷暖房完備の劇場であり、同じ建物の中には「名画座」もあった。*22

1954年の浜松東宝劇場の写真あり。『七人の侍』の看板がかかっている。1947年に開館した浜松東宝劇場は、田町の交差点から松菱方向に60mほど南に進んだ道路(田町新道)の西側にあった。後に名画座が併設され、東宝の直営館となった。1991年現在の跡地には銀行などが入ったビルが建っている。*23

1947年(昭和22年)2月、浜松市の田町中央通りに東宝株式会社の直営館として「浜松東宝劇場」が開館した。開館当時の浜松市には、「文化劇場」(板屋町)、「大映劇場」(田町)、「セントラル劇場」(伝馬町)、「松竹座」(肴町)などがあり、映画の全盛期を迎えつつあった。大通りに面して玄関があり、太い円柱がシンボルだった。1954年(昭和29年)に黒澤明監督の『七人の侍』を上映した際には、屋根よりも大きな看板が市民を驚かせた。1998年(平成10年)現在の跡地には学習塾や中央信託銀行の支店が入る住友生命ビルが建っている。1955年(昭和30年)頃の浜松東宝と名画座の写真あり。『どぶろくの辰』や『社長洋行記』などの看板が見える。*24

浜松日活劇場
所在地 : 静岡県浜松市鍛冶町20(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1960年以後1963年以前に浜松日活劇場が肴町から鍛冶町に移転。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜松日活劇場」。1968年のゼンリン住宅地図には掲載されておらず、「東洋映画劇場」が2軒分を占めているが、掲載されていない理由は不明。1972年のゼンリン住宅地図では「日活」であり、西隣に「東映」があった。鍛冶町時代は浜松東洋劇場に隣接していた。1973年以後1976年以前に鍛冶町から田町に移転。跡地は「日本生命浜松センタービル」。
浜松松竹映画劇場・松竹名画座/浜松松竹映画劇場・浜松松竹名画座/浜松松竹劇場・浜松ピカデリ劇場
所在地 : 静岡県浜松市鍛冶町220(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1959年1月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松松竹会館
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の浜松市住宅明細地図では後の映画館の場所に「パチンコハママツ」など。1960年・1963年の映画館名簿では「浜松松竹映画劇場・松竹名画座」(2館)。1961年の浜松市明細地図では「棒屋松竹会館」。1966年・1969年の映画館名簿では「浜松松竹映画劇場・浜松松竹名画座」(2館)。1966年・1968年の住宅地図では「松竹会館 浜松松竹 松竹名画座」。1971年の住宅地図では「松竹会館」。1972年の住宅地図では「松竹会館 浜松松竹 松竹名画座」。1973年の映画館名簿では「浜松松竹劇場・浜松ピカデリ劇場」(2館)。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1976年の住宅地図では跡地に「棒屋ビル 丸井デパート」。1980年・1985年の住宅地図では跡地に「棒屋松竹会館 丸井浜松店」。現在の跡地は「勝又ビル」。

1960年の棒屋松竹会館の写真あり。1959年1月には、棒屋松竹会館の1階から4階に浜松松竹映画劇場が、地下に浜松名画座が開館した。戦前の浜松市に11館あった映画館は浜松空襲ですべて焼失したが、戦後には文化劇場を皮切りに次々と映画館が開館した。*25

松竹座/浜松松竹座/浜松東映劇場(肴町162時代)
所在地 : 静岡県浜松市肴町162(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1947年(松竹座)、1966年以前(浜松東映)
閉館年 : 1980年頃(移転)
『全国映画館総覧1955』によると1946年8月開館。1950年の映画館名簿では「浜松松竹座」。1951年の静興社住宅地図では「松竹劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「松竹座」。1958年の浜松市住宅明細地図では「松竹座」。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「浜松松竹座」。1961年の浜松市明細地図では「松竹座」。1966年の住宅地図では「松竹座」。1968年・1971年の住宅地図では「浜松東映」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。1976年の住宅地図では「東映劇場」。1980年の住宅地図では「浜松東映劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の住宅地図では跡地に空白。1990年の住宅地図では跡地に「浜松松竹ビル」。現在の跡地は「タイトーステーション浜松」が入る「浜松松竹ビル」。

1946年12月には松竹直営の封切館である「松竹座」が開館した。戦後の都市計画では鍛冶町大通りと田町大通りを一直線に結ぶ有楽街通りが建設され、その中心部にあった。1953年公開の松竹映画『雪間草』の看板が見える写真あり。*26

1946年(昭和21年)、浜松市の有楽街に松竹株式会社の直営館である「松竹座」が開館した。終戦間もないころであり、まだ鍛冶町側の入口すらできていなかった。やがて松竹座の南隣に「第一セントラル劇場」が開館し、第一セントラル劇場は後に「有楽座」に改称している。松竹座は有楽街に人を呼び込んだ映画館とされ、有楽街の繁栄をもたらした劇場とされる。松竹座の存在は有楽街にさらに映画館を呼び、鍛冶町側入口近くの黒田稲荷の前には「富士館」が、大安寺前には「松菱劇場」が開館した。松竹座は絵看板に特色があった。1955年(昭和30年)頃の松竹座の写真あり。「優秀映画は松竹」の文字、『雪間草』の看板が見える。1998年(平成10年)現在の跡地はスナックや居酒屋の白木屋が入る雑居ビルとなっている。*27

1956年の「松竹座」の写真あり。1947年には有楽街のほぼ中央に松竹座が開館した。1954年公開の小林正樹監督作『この広い空のどこかに』の看板がかかっている。当時の浜松市には20館を超える映画館があった。*28

1956年頃の正月の「松竹座」の写真あり。野村芳太郎監督作『踊る摩天楼』の看板がかかっている。*29

時期不明の写真あり。1953年公開の『雪間草』の看板がかかっている。板屋町の文化劇場に次いで浜松市で戦後2番目に開館した映画館は、1946年に開館した有楽街の松竹座である。松竹座は松竹の直営館であり、開館時は有楽街の開通前だった。映画館が客寄せに一役買ったことで有楽街は発展した。*30

有楽座/浜松有楽劇場/浜松松竹有楽/テアトル有楽(肴町166時代)
所在地 : 静岡県浜松市肴町168(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、静岡県浜松市肴町166(1973年・1976年・1980年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1980年頃
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松市中心市街地
『全国映画館総覧1955』によると1946年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「有楽座」。1958年の映画館名簿では「有楽劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「有楽座」。1960年・1963年の映画館名簿では「有楽座」。1961年の浜松市明細地図では「有楽座」。1966年・1969年の映画館名簿では「浜松有楽劇場」。1966年・1968年・1972年の住宅地図では「有楽劇場」。1973年の映画館名簿では「浜松有楽座」。1976年の映画館名簿では「浜松松竹有楽」。1976年の住宅地図では「松竹劇場 有楽座」。1980年の映画館名簿では「テアトル有楽」。1979年・1985年の住宅地図では跡地に駐車場。1980年頃には肴町166からすぐ西側の肴町322-18に移転。跡地は「JUMBO+21有楽街店」駐輪場など。
浜松大映劇場/浜松シネマ(田町)
所在地 : 静岡県浜松市田町73(1963年・1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1962年(移転開館)
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1962年に南側の隣接地に移転。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「浜松大映劇場」。1968年・1972年の住宅地図では「浜松大映」。1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「浜松シネマ」。1976年・1979年の住宅地図では「浜松シネマ」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年の住宅地図では跡地に「パチンコワコー」。跡地は「清水銀行浜松支店」東50mの有料駐車場「ユニヴァーサルパーク有楽中央劇場」南東側。
パレス日活
所在地 : 静岡県浜松市田町15(1980年)、静岡県浜松市田町328-1(1985年)
開館年 : 1976年以後1980年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1958年の浜松市住宅明細地図では後の映画館の場所は土地区画整理事業前。1976年のゼンリン住宅地図では田町15に「長崎屋ボウル」がありパレス日活は存在しない。1980年のゼンリン住宅地図では「浜松パレス 1階駐車場・ミニレストラン 2階映画館 3階浜松パレスサウナ」。1980年・1985年の映画館名簿では「パレス日活」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1990年のゼンリン住宅地図では跡地の建物に「日本セントラルグループ」。1995年頃には「浜松シネマ・テアトル有楽1・2・3」が跡地の建物に入る。浜松パレスの建物は「河合塾浜松校」南東30mに現存。

浜松東映(板屋町時代)
所在地 : 静岡県浜松市板屋町77(1980年・1985年)
開館年 : 1980年頃(移転開館)
閉館年 : 1988年頃(移転閉館)
1979年の住宅地図では後の映画館の場所に空白。1980年頃に肴町から板屋町のスバル座があるビルに移転。1980年・1985年の映画館名簿では「浜松東映」。1985年の住宅地図では「1階浜松東映」。1988年頃に田町のウインズ笠井屋ビルに移転。2000年の住宅地図では跡地に空白。跡地は国道152号板屋町交差点北東角にある「ミズモト学園本部」東側の駐車場。
浜松オデオン・浜松ミラノ/シネマ ハッピーエンド1・2(元城町時代)
所在地 : 静岡県浜松市元城町32(1985年)、静岡県浜松市元城町223-39(閉館時)
開館年 : 1978年以後1980年以前(オデオン・ミラノ)、1986年5月(ハッピーエンド)
閉館年 : 1988年11月
1976年・1978年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では「1階ミラノ 2階オデオン 3階レストランビスケット」。1980年・1985年の映画館名簿では「浜松オデオン・浜松ミラノ」(2館)。1985年の住宅地図では「1階ミラノ 2階オデオン 3階レストランズー」。1986年5月にシネマ・ハッピーエンドに改称。1987年の住宅地図では「1階ハッピーエンド1 2階ハッピーエンド2 3階レストランズー」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の住宅地図には掲載されていない。跡地は「アルスパーキングビル」建物南側。

1986年5月、アダルトビデオ人気で客足が落ちていた成人映画館を改装し、130席のホールを2つ有する「シネマ・ハッピーエンド1&2」が開館。SBS静岡放送でパーソナリティを務めていた近藤恵理が支配人に就任し、シネマ・ハッピーエンドという名称も近藤が考案した。20代の女性がスタッフを務めたが、その中でも近藤が最年少であり、近藤は「史上最年少の女性映画館支配人」というキャッチフレーズを付けられている。受付窓口の撤去、ロビーへの花の設置、休憩時間の音楽など、成人映画館のイメージからの払しょくに努めた。オープニング作品は洋画の『チューズ・ミー』と『キスミー・グッドバイ』。その後は「スプラッタームービー・フェスティバル」と題してホラー映画を10本連続で上映した。入居していたビルの建て替えが理由で、開館から2年経ったこのほど閉館が決定し、当選者のために貸し切りで映画を上映する「二人だけのロードショー」という企画を行った。*31

1986年5月には浜松市元城町にシネマ・ハッピーエンドが開館。シネマ・ハッピーエンドの開館当時は成人映画館だったが、1988年11月にはスバル座のビルに移転して一般映画館となった。*32

スバル座/スバル座・シネマハッピーエンド(板屋町時代)
所在地 : 静岡県浜松市板屋町77(1980年・1985年)
開館年 : 1979年7月(スバル座)、1988年11月(シネマハッピーエンド)
閉館年 : 1989年5月28日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)スバル座
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年のゼンリン住宅地図では後の映画館の場所は空白。1980年・1985年の映画館名簿では「スバル座」。1985年のゼンリン住宅地図では「2階 スバル座」であり、同一ビルの1階に浜松東映があった。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年の住宅地図では跡地に空白。跡地は「ミズモト学園本部」東側の駐車場。国道152号の「板屋町」交差点北東角。

1989年5月28日、浜松市板屋町の浜松スバル座と系列のハッピー・エンドが閉館する。1979年7月にスバル座が開館した際は洋画ロードショー館だったが、ドイツやイタリアの映画を特集上映したり、未公開名作特集をするなどしてきた。1988年11月には元城町にあった成人映画館のシネマ・ハッピーエンドが、スバル座のビルに移転して一般映画館となった。*33

テアトル有楽(肴町322-18時代)
所在地 : 静岡県浜松市肴町322-18(1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1980年頃
閉館年 : 1995年頃
1968年・1971年の住宅地図では「ほていや」。1976年の住宅地図では「ユニー浜松店」。1980年頃には肴町166からすぐ西側の肴町322-18に移転。1979年の住宅地図では「1階日光電波 2階東海菜館有楽店 キャバレーロンドン 3階テアトル有楽」。1985年の住宅地図では「1階ホーエー家電有楽店 2階東海菜館有楽街店 キャバレー浜松ロンドンA館 3階テアトル有楽」。1990年のゼンリン住宅地図では間渕ビルの「3階 テアトル有楽」。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「テアトル有楽」。1990年の住宅地図では「間渕ビル 1階ホーエー家電有楽店 2階東海菜館有楽街店 キャバレー浜松ロンドンA館 3階テアトル有楽」。現在の跡地はカラオケ店「コート・ダジュール浜松有楽街店」が入る「hubビル」。

1988年2月27日、浜松市の映画館「テアトル有楽」で『愛のうつし絵』の上映が強行された。「わいせつな図画が含まれている」として映倫を通らなかったため、東京や神戸などで上映が中止されていた。全国の興行主で構成される全興連では、映倫を通らない映画は上映しないように申し合わせている。*34
浜松国際劇場/国際劇場/浜松新映劇場/新映劇場
所在地 : 静岡県浜松市旭町49(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1954年7月(国際劇場)、1960年代中頃(浜松新映劇場)
閉館年 : 1999年(移転)
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松新映劇場
『全国映画館総覧1955』によると1954年7月開館。1951年の静興社住宅地図では後の映画館の場所に「法雲寺」。1955年の映画館名簿では「国際劇場」。1958年の映画館名簿では「浜松国際劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「国際劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「国際劇場」。1961年の浜松市明細地図では「国際劇場」。1966年の住宅地図では「新映ビル 地下1階新映劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松新映劇場」。1968年・1971年のゼンリン住宅地図では「新映」。1976年・1980年のゼンリン住宅地図では「駅前繊維ビル」地下1階に「新映劇場」。1985年のゼンリン住宅地図では「新映」。1990年のゼンリン住宅地図では駅前繊維ビルの地下1階に「新映劇場」。1980年・1985年・1990年・2000年の映画館名簿では「新映劇場」。1999年4月1日に旭町から板屋町に移転してシネマハウス新映に改称。跡地は静岡県内最高層のマンションとなる予定の「一条タワー」の建設用地。

時期不明の国際劇場の写真あり。1954年日本公開のアメリカ映画『醜聞殺人事件』や1946年公開のイタリア映画『戦火のかなた』の看板が見える。浜松電報電話局の東側にあった。当初は日活映画の封切館だったが、やがて洋画上映館に変わり、浜松で初めて大型画面立体音響映画の映写装置を備えて、『聖衣』を上映した。1986年(昭和61年)現在は繊維関係問屋の店舗となっており、地下は新映劇場となっている。*35

時期不明の国際劇場の写真あり。1954年日本公開のアメリカ映画『醜聞殺人事件』や1946年公開のイタリア映画『戦火のかなた』の看板が見える。電話局(後の電電公社、現在のNTT)東側の繊維問屋街の一角に、1954年に日活映画の封切館として国際劇場が開館した。その後洋画館となり、浜松で初めて立体音響装置を設置した。初の大型映画(シネマスコープ作品)である『聖衣』も上映された。*36

1954年(昭和29年)、日活作品の封切館として「国際劇場」が開館した。板屋町の広小路通りから西に入った場所には、近く移転することが決定している法雲寺があったが、国際劇場は法雲寺の南側にあった。やがて洋画を上映するようになり、大改装した際には浜松市で初めて立体音響装置を設置した劇場となった。大型映画『聖衣』は多くの観客を集めた。1955年(昭和30年)頃の国際劇場の写真あり。1954年日本公開のアメリカ映画『醜聞殺人事件』や1946年公開のイタリア映画『戦火のかなた』の看板が見える。*37
シネマウエスト浜松
所在地 : 静岡県浜松市鍛冶町1-2 イトーヨーカドー6階(1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1985年以後1990年以前
閉館年 : 2000年以後2005年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)シネマウエスト浜松
1976年・1979年の住宅地図では後の映画館の場所に「国鉄東海道本線」線路用地。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の住宅地図では「イトーヨーカ堂浜松店 6階シネマウエスト浜松」。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「シネマウエスト浜松」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。2007年まであった「イトーヨーカドー浜松駅前店」の6階。建物そのままで跡地は「かじ町プラザ」。6階には「ホテルリブマックス浜松駅前」などが入っている。

浜松光洋劇場/光洋劇場
所在地 : 静岡県浜松市寺島町372(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1947年7月
閉館年 : 2000年以後2005年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松光洋劇場
『全国映画館総覧1955』によると1947年7月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「光洋劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「光洋劇場」。1966年・1968年のゼンリン住宅地図では「光洋映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松光洋劇場」。1980年のゼンリン住宅地図では「光洋映画」であり北から伸びる中田島街道は光洋劇場付近で終わっていた。1985年の住宅地図では「光洋劇場」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「光洋劇場」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローズ美容院」の北西側の駐車場。

浜松シネマ・テアトル有楽1・2/浜松シネマ・テアトル有楽1・2・3(田町時代)
所在地 : 静岡県浜松市田町15(2000年)
開館年 : 1995年頃(移転開館)
閉館年 : 2001年以後2005年以前
1995年のゼンリン住宅地図では「浜松シネマ・テアトル有楽1・2」。2000年の映画館名簿では「テアトル有楽1・2・3」(3館)。2000年のゼンリン住宅地図では「浜松シネマ・テアトル有楽1・2・3」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。建物は「河合塾浜松校」南東に現存する。
浜松映画劇場/浜松大映劇場/浜松中央劇場/浜松宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座/宝塚劇場・浜松中央1・2・3/浜松中央1-5
所在地 : 静岡県浜松市田町(1950年)、静岡県浜松市田町73(1953年・1955年)、静岡県浜松市田町712(1958年)、静岡県浜松市田町73(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、静岡県浜松市田町315-21(1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1946年(浜松映画劇場)、1949年(浜松大映劇場)、1962年(浜松中央劇場)、1968年(ビル化)
閉館年 : 2005年9月30日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松中央ビル
『全国映画館総覧1955』によると1946年12月開館。1950年の映画館名簿では「浜松大映劇場」。1951年の静興社住宅地図では「大映劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「大映劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「浜松大映」。1958年・1960年の映画館名簿では「浜松大映劇場」。1961年の浜松市明細地図では「浜松大映」。1963年・1966年の映画館名簿では「浜松中央劇場」。1966年の住宅地図では「浜松中央」。1968年の住宅地図では「(建)」。1969年・1973年の映画館名簿では「浜松宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座」(3館)。1971年の住宅地図では「中央ビル 地下1階洋画みゆき座 1階パチンコ中央 2階宝塚劇場 3階麻雀中央 5階中央劇場 7階洋酒喫茶中央パブ」。1976年の映画館名簿では「浜松宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松日活」(3館)。1976年の住宅地図では「中央ビル 1階浜松日活 2階宝塚劇場 4階・5階中央劇場」。1980年の映画館名簿では「宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座」(3館)。1980年の住宅地図では「中央ビル 地下1階浜松シネマ・浜松みゆき座 2階浜松宝塚劇場 3階麻雀中央 4階・5階浜松中央劇場 6階中央パブ 屋上中央ビアガーデン」。1985年の映画館名簿では「宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座・浜松中央2」(4館)。1985年の住宅地図では「浜松中央ビル 地下1階浜松みゆき座 2階浜松宝塚劇場 4階・5階浜松中央劇場」。1990年の住宅地図では「浜松中央ビル 1階中央3 2階浜松宝塚劇場 4階浜松中央劇場 5階中央2」。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「宝塚劇場・浜松中央1・浜松中央2・浜松中央3」(4館)。1995年・2000年の住宅地図では「浜松中央ビル 1階中央3 2階東宝宝塚劇場 4階浜松中央劇場・中央2」。2005年の映画館名簿では「浜松中央1-5」(5館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「清水銀行浜松支店」東50mの有料駐車場「ユニヴァーサルパーク有楽中央劇場」北側。

1962年春の写真あり。日本初の70mm映画『釈迦』の看板がある。戦前には松竹劇場があった場所に、戦後の1946年に「浜松映画劇場」が開館した。1949年には「浜松大映劇場」に改称して大映作品の封切館となった。1962年には場所を南側に移転し、1968年まで洋画専門館となった。*38

戦前の浜松市にあった「松竹劇場」は戦災で焼失したが、戦後にも松竹劇場という名称で再建された。やがて「大映劇場」に改称して大映作品の上映館となった。1961年(昭和36年)5月の大映劇場の写真あり。『釈迦』の看板が見える。大映劇場は神明坂の登り口の南側にあった。1998年(平成10年)現在は1階にパチンコ店が入り2階に「中央劇場」があるビルの位置にあった。*39

1969年の浜松中央劇場の写真あり。『ウエストサイド物語』(浜松中央劇場)や『日本海大海戦』(浜松宝塚)などのポスターが見える。現在の浜松市中区田町にあった。1968年3月に開館し、浜松中央劇場、浜松宝塚、浜松みゆき座の映画館3館、麻雀店、パチンコ店が入る娯楽ビルにあった。近隣にシネコンができたため観客数が減少し、2005年9月に閉館した。*40

2005年9月30日をもって、浜松市田町の浜松中央ビルにある4映画館とパチンコ店が閉館する。5年前に中心市街地にシネコンが開館するまでは浜松市最大の映画館だった。浜松中央ビルは中央興業所有であり6階建て。1962年に浜松大映劇場を改装して浜松中央劇場に改称。1968年に現在の浜松中央ビルが竣工した。2000年秋にはザザシティ浜松西館にヴァージンシネマズ浜松(現・TOHOシネマズ浜松)が開館し、観客数の減少が目立ち始めた。昭和60年代には約4億円の売り上げがあったが、最近は1億円前後に低迷していた。*41

2005年9月末をもって、浜松市田町の浜松中央劇場が閉館する。4スクリーン計1146席を有し、静岡県西部における複合映画館の先駆け的存在だった。現在は映画館4スクリーンとパチンコ店が入っている。経営は協和(名和公平社長)。1968年に現在の6階建てビルが竣工し、単独館が主流だった当時は浜松市内最大の映画館として客を集めた。最盛期の1985年には年間40万人の観客があった。2000年には浜松中央劇場の300m南、浜松市鍛冶町に浜松市初のシネコンが開館したことで、浜松中央劇場の観客数は20年前の1/4程度の11万7000人にまで落ち込んだ。建物の老朽化もあり、さらにビルは消防法および建築基準法における既存不適格建築物となっている。*42

2005年10月には浜松中央ビルの取り壊しが始まる。ヴァージンシネマズ浜松(現・TOHOシネマズ浜松)の開館で集客力が低下した上に、建物や設備の老朽化によって消防法や建築基準法で不適格の建物になっていた。現在の建物を取り壊した後の事業は未定。*43

浜松東映劇場・浜松東映パラス/浜松東映劇場(田町時代)
所在地 : 静岡県浜松市田町315-34 ウインズ笠井屋ビル(1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1988年頃(移転開館)
閉館年 : 2008年10月3日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松市中心市街地
1988年頃に板屋町から田町のウインズ笠井屋ビルに移転。1990年の映画館名簿では「浜松東映劇場・浜松東映パラス」(2館)。1990年の住宅地図では「笠井屋ビル 3階浜松東映 4階東映パラス」。1995年の住宅地図では「笠井屋ビル 3階浜松東映」。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。2008年10月浜松東映劇場閉館。跡地を改装して2008年12月に「シネマイーラ」が開館。
松菱劇場(肴町時代)/浜松松菱劇場/松菱映画・東宝プラザ/松菱映画・浜松東宝プラザ/松菱映画・松菱プラザ/松菱映画
所在地 : 静岡県浜松市肴町126(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1973年・1976年・1980年)、静岡県浜松市肴町317-4(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 2009年頃
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)松菱東宝会館
『全国映画館総覧1955』によると1949年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「松菱劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「松菱劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「松菱劇場」。1961年の浜松市明細地図では「松菱劇場」。1966年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松松菱劇場」。1966年・1968年・1972年の住宅地図では「松菱劇場」。1976年の住宅地図では「松菱映画」。1980年の住宅地図では「松菱東宝会館 地下1階コンバス2号店 1階松菱映画 2階松菱東宝プラザ」。1980年の映画館名簿では「松菱映画・東宝プラザ」(2館)。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「松菱映画・浜松東宝プラザ」(2館)。1985年・1990年の住宅地図では「松菱東宝会館 地下1階ケン&メリー 1階松菱映画 2階松菱東宝プラザ」。2000年の映画館名簿では「松菱映画・松菱プラザ」(2館)。2000年の住宅地図では「1階松菱映画 2階松菱東宝プラザ」。2005年・2010年の映画館名簿では「松菱映画」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。2020年4月時点でも建物の「松菱東宝会館」は現存。

1956年(昭和31年)9月の浜松市にあった映画館「松菱劇場」の写真あり。当時にはすでに完全冷房だった。有楽街(現在の肴町)にあった。芸術性の高いヨーロッパ映画などを上映していた。*44

シネマハウス新映
所在地 : 静岡県浜松市板屋町100-5(2005年)、静岡県浜松市中区板屋町100-5(2010年・2015年)
開館年 : 1999年4月1日(移転)
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)シネマハウス新映
1980年のゼンリン住宅地図では後の映画館の場所にパチンコ店「パチンコNo.1」。1999年4月1日に旭町から板屋町に移転してシネマハウス新映が開館。2000年の住宅地図では後の映画館の場所に空白。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「シネマハウス新映」。成人映画館。

1999年4月1日、成人映画の封切館としてシネマハウス新映がリニューアルオープンした。かつては駅裏にあり、近くには神社があった。朝8時まで連日オールナイト上映を行っている。会員になると珈琲1杯無料サービスもある。ロビーは広く、別にある休憩室には大型テレビが設置されている。映画館というよりちょっとしたホテルという趣がある。建物の入口は表通りではなく裏通りに面している。浜松市は福岡市や名古屋市と並ぶ成人映画館の激戦区である。経営団体は長野県松本市に本社を置く松本興行である。松本興行は全国で10館以上の映画館を運営しており、浜松市ではシネマハウス新映を含めて4館を運営している。*45

ヴァージンシネマズ浜松/TOHOシネマズ浜松
所在地 : 静岡県浜松市中区鍛冶町15 ザザシティ浜松西館3階(2005年・2010年・2015年)
開館年 : 2000年11月27日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)TOHOシネマズ浜松
1980年のゼンリン住宅地図では後のザザシティ浜松西館の場所に「SEIBU浜松店」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。2000年11月27日にヴァージンシネマズ浜松として開館。2003年11月15日にTOHOシネマズ浜松に改称。2005年・2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ浜松1-8・プレミア」(9館)。2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズ浜松1-8・プレミアスクリーン」(9館)。

シネマイーラ
所在地 : 静岡県浜松市中区田町315-34 笠井屋ビル3階(2010年・2015年)
開館年 : 2008年12月5日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)シネマイーラ
Wikipedia : シネマイーラ
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2008年12月5日、同年10月3日に閉館した浜松東映劇場の施設をそのまま使用して開館。2010年・2015年の映画館名簿では「Cinema e-ra」。

南区・東区

中野町劇場/中ノ町劇場
所在地 : 静岡県浜松市中ノ町(1955年)、静岡県浜松市中ノ町1023(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1951年2月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1951年2月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「中ノ町劇場」。1958年の映画館名簿では「中野町劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「仮設劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「中ノ町劇場」。1961年の浜松市明細地図では「中ノ町劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の住宅地図では跡地に「杉本清志」邸。跡地は「中ノ町地区自治会館」南南東80mの民家。
神徳座/笠井映画劇場/笠井劇場
所在地 : 静岡県浜名郡笠井町1138(1953年)、静岡県浜松市笠井町1136(1955年)、静岡県浜松市笠井町1138(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1937年7月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1937年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「神徳座」。1955年の映画館名簿では「笠井劇場」。1958年の映画館名簿では「笠井映画劇場」。1958年の浜松市住宅明細地図では「笠井座」。1960年・1963年の映画館名簿では「笠井劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の住宅地図では跡地に駐車場。跡地は「笠井郵便局」南南東180mにある「若木織物」駐車場。
Cine-fi長崎屋浜松可美Pit
所在地 : 静岡県浜名郡可美村東若林11-1(1985年)
開館年 : 1980年以後1985年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の映画館名簿では「Cine-fi長崎屋浜松可美Pit」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

浜北区

宮口座
所在地 : 静岡県引佐郡麁玉村宮口(1953年・1955年)、静岡県浜名郡浜北町宮口576(1958年)、静岡県浜名郡浜北町宮口(1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「宮口座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
日之出座/小松日乃出座/小松日ノ出座
所在地 : 静岡県浜名郡小野口村小松(1950年)、静岡県浜名郡浜名町小松4367(1953年)、静岡県浜名郡浜名町小松4230(1955年)、静岡県浜名郡浜北町小松4367(1958年・1960年)、静岡県浜名郡浜北町小松(1963年)、静岡県浜北市小松4367(1966年)
開館年 : 1918年5月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧1955』によると1918年5月開館。1950年の映画館名簿では「小松日之出座」。1953年の映画館名簿では「日の出座」。1955年の映画館名簿では「日之出座」。1958年の映画館名簿では「日の出座」。1960年の映画館名簿では「小松日乃出座」。1963年・1966年の映画館名簿では「小松日ノ出座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「池谷配管工業」北西隣。
貴布祢座/貴布祢劇場
所在地 : 静岡県浜名郡北浜村(1950年)、静岡県浜名郡北浜村貴布祢81(1953年)、静岡県浜名郡北浜村(1955年)、静岡県浜名郡浜北町貴布祢81(1958年・1960年)、静岡県浜名郡浜北町貴布祢(1963年)、静岡県浜北市貴布祢81(1966年・1969年)
開館年 : 1931年6月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1931年6月開館。1936年の映画館名簿では「貴布祢劇場」。1950年の映画館名簿では「貴布祢座」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1969年・1966年・1969年の映画館名簿では「貴布祢劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。浜北市最後の従来型映画館。跡地は「なゆた浜北」の建物南西部。最寄駅は遠州鉄道鉄道線浜北駅。

1930年(昭和5年)の「貴布祢劇場」の内部の写真あり。貴布祢の中心街にあり、この地域の中心的な娯楽施設だった。映画・芝居・歌謡ショーが開催された。舞台や桟敷席があり、客席は畳敷きだった。*46
TOHOシネマズサンストリート浜北
所在地 : 静岡県浜松市浜北区平口2861 サンストリート浜北3階(2010年・2015年)
開館年 : 2007年8月10日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズサンストリート浜北1-9」(9館)。

天竜区

天竜市の映画館
天竜市内にはかつて5館の映画館があった。二俣、鹿島、光明、竜川、熊の各地区に映画館があった。二俣会館、鹿島会館、光明会館の3館は昭和20-30年代に開館し、光明会館は1964年頃、二俣会館は1965年頃、鹿島会館は1972年頃に閉館した。光明会館は今も建物が残る。二俣会館は定員の2倍の1000人を収容したこともあり、2階席まで満席だったという。二俣会館では美空ひばりも公演したことがある。*47

天竜光明会館の西尾利幸代表(60歳)は、浜松市を除く小笠郡以西唯一の映画興行師である。愛知県南設楽郡鳳来町に生まれ、25歳から鳳来町で映画館を共同経営。その後は愛知県豊川市の豊川東映で映写技師を務め、1950年に静岡県浜北市にやってきた。昭和30年代初頭には静岡県天竜市の天竜光明会館の経営権を買い取り、天竜市に4館あった中で最後まで残ったが、天竜光明会館は1963年4月に閉館した。その後は天竜光明会館という名前で移動映画の巡業を行っている。*48
三嶋座/小畑劇場
所在地 : 静岡県磐田郡水窪町
開館年 : 戦前
閉館年 : 昭和20年代初頭
映画館名簿には掲載されていない。

戦前の水窪町には3館の芝居小屋があった。水窪区の水窪座は、街道の裏手、水窪川のほとりに建てられた。神原区の八幡座は、大里・清水組の裏手の山側に建てられた。小畑区の三嶋座は、附属寺の前に建てられた。楽屋などの付属施設以外の構造物はほとんど舞台のみで、広場は子どもの遊び場となっていたため、一般に(芝居小屋や劇場ではなく)「舞台」と呼ばれていた。3座とも舞台には回り舞台が設けられており、花道は興行の都度に設置された。昭和20年代初頭には三嶋座が、国鉄バスの営業所および自動車車庫・整備場に転用された。*49
大正座
所在地 : 静岡県磐田郡二俣町
開館年 : 1913年7月
閉館年 : 1947年3月
1913年(大正2年)3月、二俣町古町(後の吾妻町)に二俣劇場株式会社(俗称は大正座)が設立された。黒田政吉・渡辺銀次郎・亀井熊吉・近藤惣次郎らが発起人であり、資本金は5000円だった。同年7月、東京歌舞伎の中村歌十郎一座が招かれ、こけら落とし公演が行われた。大正末期から昭和初期の不況で経営が行き詰まり、1938年(昭和13年)には奇術師の松旭斎天佐に劇場を売り渡した。一方で松旭斎天佐らも戦時慰問などで不在がちとなり、大正座は開店休業状態だった。戦後の1947年(昭和22年)3月、二俣町吾妻町から出火した大火は民家108戸・159世帯が羅災し、大正座も被災して再建されることはなかった。跡地には二俣郵便局が移転してきたが、現在は商店街の駐車場となっている。*50
新映座
所在地 : 静岡県磐田郡龍山村555-18(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「新映座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
金川会館
所在地 : 静岡県周智郡春野町気田984-3(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「新映座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
西渡劇場
所在地 : 静岡県磐田郡佐久間町大井2371(1960年)、静岡県磐田郡佐久間町大井(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「西渡劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
浦川会館
所在地 : 静岡県磐田郡佐久間町浦川(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「浦川会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
中部映画劇場/中部公民館
所在地 : 静岡県磐田郡佐久間町半場1-1(1958年)、静岡県磐田郡佐久間町中部(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中部公民館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
八幡座/八幡劇場
所在地 : 静岡県磐田郡水窪町(1960年)、静岡県磐田郡水窪町大里(1963年)
開館年 : 戦前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「八幡劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

戦前の水窪町には3館の芝居小屋があった。水窪区の水窪座は、街道の裏手、水窪川のほとりに建てられた。神原区の八幡座は、大里・清水組の裏手の山側に建てられた。小畑区の三嶋座は、附属寺の前に建てられた。楽屋などの付属施設以外の構造物はほとんど舞台のみで、広場は子どもの遊び場となっていたため、一般に(芝居小屋や劇場ではなく)「舞台」と呼ばれていた。3座とも舞台には回り舞台が設けられており、花道は興行の都度に設置された。昭和30年代、八幡座が閉館して民間の工場となった。*51
水窪座/水窪劇場
所在地 : 静岡県磐田郡水窪町本町(1960年)、静岡県磐田郡水窪町(1963年)、静岡県磐田郡水窪町1032(1966年)
開館年 : 1916年1月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「水窪劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

戦前の水窪町には3館の芝居小屋があった。水窪区の水窪座は、街道の裏手、水窪川のほとりに建てられた。神原区の八幡座は、大里・清水組の裏手の山側に建てられた。小畑区の三嶋座は、附属寺の前に建てられた。楽屋などの付属施設以外の構造物はほとんど舞台のみで、広場は子どもの遊び場となっていたため、一般に(芝居小屋や劇場ではなく)「舞台」と呼ばれていた。3座とも舞台には回り舞台が設けられており、花道は興行の都度に設置された。昭和初期にはこの地域の換金作物としてこんにゃく鋳物生産が盛んであり、水窪座の広場はこんにゃく干し場としても使用されていた。正月には3劇場が持ち回りで歌舞伎の興行を行っていた。舞台裏や縁下に保管されている丸太で小屋組みを行い、小屋に雨よけの天幕をかけ、側面に藁むしろが吊るされて完成した。水窪座の舞台が建設された年に関しては、1916年(大正5年)1月の扁額が残っている。戦後の水窪座は常設映画館となり、水窪町では最後まで残っていたが、民間の工場と倉庫に転用された。平成の大合併にともなう公共施設の整理対象となり、転用された建物は取り壊された。*52
光明会館
所在地 : 静岡県天竜市山東437-1(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1964年頃
1960年・1963年の映画館名簿では「光明会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1997年時点で建物が残っていた。
竜映座
所在地 : 静岡県天竜市横山町757-1(1960年)、静岡県天竜市横山町757(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「竜映座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
二俣会館
所在地 : 静岡県磐田郡二俣町(1950年)、静岡県天竜市二俣町1496(1955年・1958年・1960年)、静岡県天竜市二俣1946(1966年・1969年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1971年末
『全国映画館総覧1955』によると1948年12月開館。1950年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「二俣会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「スルガ銀行天竜支店」。

1947年、二俣町吾妻町で出火した大火で「大正座」が全焼すると、二俣町から劇場や映画館がなくなった。1948年12月、岡田ゴム工業所の岡田二三社長が発起人となり、資本金350万円の7万株で、城下通りに劇場「二俣会館」を新築した。こけら落としとして松竹少女歌舞伎団が招かれ、こけら落とし公演は満員盛況だった。昭和40年代には建物が老朽化し、またテレビに観客を奪われたため、1971年末に廃業した。2001年現在の跡地はスルガ銀行である。*53
鹿島劇場
所在地 : 静岡県天竜市鹿島528(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1972年頃
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「鹿島劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。「鹿島会館」とも呼ばれた。

北区

金指劇場/引佐劇場
所在地 : 静岡県引佐郡金指町1308(1953年)、静岡県引佐郡引佐町金指1308(1955年)、静岡県引佐郡引佐町金指(1958年・1960年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「金指劇場」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「引佐劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
井伊谷映画劇場
所在地 : 静岡県引佐郡引佐町井伊谷(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「井伊谷映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
喜賀座気賀劇場/喜賀座/気賀座
所在地 : 静岡県引佐郡細江町245(1958年)、静岡県引佐郡細江町気賀676(1960年)、静岡県引佐郡細江町気賀(1963年・1966年)
開館年 : 1925年6月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧1955』によると1925年6月開館。1955年の映画館名簿では「喜賀座」。1958年の映画館名簿では「喜賀座気賀劇場」。1960年の映画館名簿では「喜賀座」。1963年・1966年の映画館名簿では「気賀座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
共栄座
所在地 : 静岡県引佐郡三ケ日町703(1955年)、静岡県引佐郡三ケ日町709(1958年)、静岡県引佐郡三ケ日町703(1960年)、静岡県引佐郡三ケ日町(1963年)、静岡県引佐郡三ケ日町703(1966年・1969年)
開館年 : 1877年(初代)、1927年(2代)
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧1955』によると1926年10月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「共栄座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西天王町児童遊園地」。

1925年(大正14年)10月12日、高台「お屋敷」の中央部に「共栄座」が落成した。土井忍作が発起人であり、その他15人の協力計画によって着工している。こけら落としは「大名代沢村長十郎一座」を招き、大入り満員で拍手喝采となった。共栄座の定員は705人であり、こけら落とし公演の入場料は50銭だったが、その後は大人20銭・小人10銭程度の場合が多かった。初代座主は石川澤太郎、2代目は吉野宇平、3代目は佐藤伊平、4代目は土井忍作、5代目は内山乙吉、6代目は佐藤敏治と続いたが、経営はなかなか苦しかった。芝居や映画の幕間に葉、「せんべいと落花生はいらんかね!」、「ラムネとサイダー」などと声を上げて売り子が客席を回った。劇場として使用されたほかには、講演会場や音楽会場としても三ヶ日町の娯楽・文化・教養に貢献してきた。時期不明の共栄座の写真あり。1979年(昭和54年)現在は遊園広場となっている。*54

明治末期から大正期には道路整備や改良が急ピッチで進み、遠三バスが気賀や豊橋と三ヶ日を定期バスでつないだ。東天王町には船着き場が設けられ、浜名湖の南岸にある鷲津まで定期船が巡航した。この頃には料理店・旅館がにぎわい、四辻を中心として芸者置屋も数軒あったため、「伊豆の下田か三ヶ日か」と呼ばれるほど活況を呈した。三ヶ日中心部の「お屋敷」と呼ばれる高台には、1877年(明治10年)頃に前身の「鯉昇座」を引き継ぐ形で「共栄座」が建てられた。1927年(昭和2年)には同一地点に木造2階建て一部3階建ての建物が新築された。桝形に区切られた畳敷きの平座であり、歌舞伎用の広い舞台、幕類や緞帳なども完備した、当時としては目を見張るほど立派な劇場だった。沢村長十郎一座が杮落としを行ったが、田舎ではめったに鑑賞できない役者であり、2日間の興行は観客が長蛇の列を作って大入り満員となった。前原緑郎の『西天王町の今昔』では、三ヶ日六区の中で最大の行政区だった西天王町について詳しく説明されている。1971年(昭和46年)には共栄座の建物が取り壊され、2011年(平成23年)現在の跡地は児童遊園地となっている。共栄座の写真あり。*55

西区

堀江劇場
所在地 : 静岡県浜名郡北庄内村堀江(1958年)、静岡県浜名郡庄内村堀江(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「堀江劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
村櫛劇場
所在地 : 静岡県浜名郡村櫛村(1955年)、静岡県浜名郡村櫛村村櫛(1958年)、静岡県浜名郡庄内村村櫛(1960年・1963年)、静岡県浜松市村櫛町(1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「村櫛劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
西遠劇場
所在地 : 静岡県浜名郡雄踏町宇布見(1953年・1955年・1958年)、静岡県浜名郡雄踏町宇布見8266(1960年)、静岡県浜名郡雄踏町宇布見(1963年・1966年)
開館年 : 1926年3月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧1955』によると1926年3月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「西遠劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

静岡県西部

湖西市

鷲津館
所在地 : 静岡県浜名郡鷲津町
開館年 : 1931年
閉館年 : 不明
1931年(昭和6年)、鷲津横須賀神社の下に、映画劇場「鷲津館」が開場した。定員400人。*56
小松劇場/新居劇場
所在地 : 静岡県浜名郡新居町浜名138(1953年)、静岡県浜名郡新居町浜名(1955年)、静岡県浜名郡新居町源太山新国通(1958年)、静岡県浜名郡新居町浜名180(1960年)、静岡県浜名郡新居町源太山(1963年)
開館年 : 1936年12月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「小松劇場」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「新居劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真では新居町源太山の範囲でひときわ目立つ建物が現在の「セブンイレブン新居町浜名店」の場所にあり、1970年のアイゼン住宅地図では「モーターボート競走会」となっているが、新居劇場との関連は不明。

昭和10年代の新居町新居にあった劇場「小松劇場」の写真あり。1階席・2階席とも大勢の人でにぎわっている。1934年(昭和9年)6月、芸者置屋の新小松が所有していた劇場「新居劇場」が焼失した。新小松は1936年(昭和11年)6月に源太山に新しい劇場を建設し、12月に「小松劇場」が開館した。*57

1876年(明治9年)5月、貸座敷業を営んでいた泉町の中野六郎平は、劇場の新築と営業を出願して許可された。1877年(明治10年)4月の芝居は新築された劇場「住吉座」で上演されたと思われる。住吉座は明治大正期の新居町の娯楽の中心であり、1906年(明治39年)頃には中町の荒木庄太郎が住吉座の座主となった。住吉座では芝居・各種講義・浄瑠璃・手品などが行われ、明治30年代後半からは活動写真も上映されるようになった。この後、船待ちにも芝居小屋「港座」が設けられ、芝居・映画会・寄席などが行われた。その後住吉座は「新居劇場」に改称した。時期不明の新居劇場の写真あり。新居劇場の所有者は何度か交代し、最終的には芸者置屋の新小松が所有していたが、1934年(昭和9年)6月25日の火災で焼失した。1936年(昭和11年)6月には新小松によって、源太山に新たな劇場の建設が開始され、同年12月に開場して「小松劇場」と呼ばれた。船町の港座も館内を改修して規模を拡大させ、1936年2月27日に改名披露興行を行った。*58
篠原会館
所在地 : 静岡県浜名郡篠原村(1958年)、静岡県浜名郡篠原村9386-3(1960年)、静岡県浜名郡篠原村篠原(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「篠原会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
入出座
所在地 : 静岡県浜名郡入出村474(1953年・1955年)、静岡県浜名郡湖西町入出(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 明治時代
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1937年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「入出座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1967年(昭和42年)12月28日、湖西町北部で唯一の娯楽施設だった「入出座」が取り壊された。入出座は明治時代に劇場として建設され、後に映画館に改修された。新所=入出=知波田の間に農免道路が建設される際に、道路用地に収容されて取り壊されている。(※取り壊し年月日が書かれているだけであり、閉館した年月日は不明。)*59
松葉座
所在地 : 静岡県浜名郡舞阪町西町(1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1928年7月
閉館年 : 1969年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「松葉座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1970年のアイゼン住宅地図では跡地に空白。跡地は「舞坂宿脇本陣茗荷屋」の北東90mにある民家。「イシガミ時計店」の北50m。最寄駅はJR東海道本線弁天島駅。

1932年(昭和7年)には舞阪町民の出資によって「松葉座」が建設され、町内唯一の劇場だった。花道がある桟敷づくりの劇場であり、芝居・映画・その他演芸・町民の催事などに利用された。1971年(昭和46年)に取り壊された。*60

1928年(昭和3年)7月には舞阪に劇場「松葉座」が開場した。戦前から戦後の舞阪の文化を支えたが、1969年(昭和44年)3月に取り壊しに着手された。『舞阪町史 中巻』に書かれている存続期間「昭和7年から昭和46年」は誤りである。*61

1928年(昭和3年)7月、舞阪に「松葉座」が開場した。1969年(昭和44年)3月、「松葉座」が取り壊された。*62
大国座
所在地 : 静岡県浜名郡鷲津町126-7(1955年)、静岡県浜名郡湖西町1289(1958年)、静岡県浜名郡湖西町鷲津(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1918年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「大国座」。1970年のアイゼン住宅地図では「大国座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「くれたけイン浜名湖」。

1918年(大正7年)、鷲津に劇場「大国座」が落成して開演した。*63

磐田市

磐田市の映画館
明治中期の磐田には劇場として、旧中泉公園に「照日座」(後の「中泉座」)、見付町に「磐田座」があった。大正時代になると映画が台頭し、1919年(大正8年)には中泉に「中活劇場」が設立された。大正後期には見付町(現・天王町)に「朝日座」が建設され、主に映画館として使用された。戦時中の朝日座ではニュース映画が上映された。*64

磐田市にもっとも映画館が多かった時期は1955年(昭和30年)頃であり、東町の「中活劇場」、中町の「松竹劇場」、西町の「花月劇場」、田町の「スバル劇場」、天王町の「見付映画劇場」の5館があった。テレビが普及すると弱小映画館が閉館した。三ヶ野にはマイカーで鑑賞する野外映画劇場(ドライブインシアター)もお目見えしたが継続しなかった。1984年には最後まで残っていた中活劇場が閉館し、磐田市から映画館が姿を消した。*65

昭和30年代前半の磐田郡竜洋町では民間で常設映画館を開館させる動きがみられた。1959年(昭和34年)には「松竹竜洋劇場」を設立するための株式の申込書が配布され、白羽21番地に冷暖房完備・独立椅子席の劇場が計画されたが、この年の皇太子御成婚を契機にテレビが急速に普及し、劇場の建設は実現しなかった。*66
磐田座/新生劇場
所在地 : 静岡県磐田郡見付町(1930年)
開館年 : 1881年以前
閉館年 : 1951年
1930年の映画館名簿では「磐田座」。1936年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。

見付西坂町にあった「磐田座」では、1881年(明治14年)にはすでに興行が行われていた。磐田座は本格的な芝居劇場であり、回り舞台や花道や下道もあった。天井は横天井であり、升目の中に呉服店の宣伝が書かれていた。1948年頃に土木建築業者の手にわたり、磐田座から新生劇場に改称、こけら落とし公演には松本幸四郎が招かれた。1951年には天竜二俣に移築された。1955年には新生劇場の跡地に西坂会館が建設された。*67

見付宿の西坂には七堂伽藍を備えた蓮光寺があったが、1911年(明治44年)に西光寺に統合されて廃止され、跡地には「磐田座」が開館した。花道と回り舞台のある2階建ての立派な劇場だった。こけら落としには沢村田之助が招かれた。終戦直後には9代目市川海老蔵(後の11代目市川団十郎)一門の松本幸四郎劇団が訪れた。8代目市川八百蔵、市川牡丹、沢村茂美次も訪れている。毎週土曜日には吾妻座から持ち込まれたフィルムで映画が上映され、当日は楽隊が呼び込みを行った。1945年(昭和20年)には周辺で強制建物疎開が行われたが、磐田座は建物疎開も空襲からも免れている。やがて「新生劇場」に改称し、後に天竜市の二俣に消え去った。*68
掛塚劇場
所在地 : 静岡県磐田郡掛塚町761(1953年・1955年)、静岡県磐田郡竜洋町掛塚(1958年)
開館年 : 1921年8月
閉館年 : 1958年以後1960年以前
『全国映画館総覧1955』によると1921年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「掛塚劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
花月劇場/磐田花月劇場
所在地 : 静岡県磐田市西町619(1955年)、静岡県磐田市中泉西町612(1960年)
開館年 : 1951年1月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧1955』によると1951年1月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「花月劇場」。1960年の映画館名簿では「磐田花月劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

かつて磐田駅前にあった善導寺の北側に花月劇場があった。戦後に開館した畳敷きの劇場であり、1952年頃には三浦環の『蝶々夫人』などが上演された。昭和30年代後半の区画整理事業で閉館。現在は善導寺の大クスのみが磐田駅前に残っている。*69
見付朝日座/朝日座/見付映画劇場
所在地 : 静岡県磐田郡見付町(1936年)、静岡県磐田市見付2751(1953年)、静岡県磐田市天王2713(1955年)、静岡県磐田市見付2751(1960年)、静岡県磐田市見付275(1963年)
開館年 : 1926年3月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1926年3月開館。1936年の映画館名簿では「朝日座」。1950年の映画館名簿では「見付朝日座」。1953年・1955年の映画館名簿では「朝日座」。1960年の映画館名簿では「朝日座」。1963年の映画館名簿では「見付映画劇場」。

見付天王町の金剛寺の西隣には「あさひ座」があった。あさひ座は200席ほどの畳敷きの芝居小屋である。*70
豊浜座/豊浜劇場
所在地 : 静岡県磐田郡豊浜村4420-1(1953年)、静岡県磐田郡豊浜村4420(1955年)、静岡県磐田郡福田町豊浜4420(1958年)、静岡県磐田郡福田町豊浜4420-1(1960年)、静岡県磐田郡福田町豊浜(1963年)、静岡県磐田郡福田町豊浜4420-1(1966年)
開館年 : 1924年9月? 1927年?
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧1955』によると1924年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「豊浜劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1927年(昭和2年)には磐田郡豊浜村に「豊浜座」が落成した。戦後には映画の時代となって「豊浜映画劇場」に改称された。近隣の村々からも自転車で大勢の観客が集まった。1955年(昭和30年)頃の写真あり。『素浪人奉行』などのポスターが見える。*71

1955年(昭和30年)頃の磐田郡福田町にあった「豊浜映画劇場」の写真あり。館内には芝居を上演できる舞台もあった。*72
福田座/福田劇場
所在地 : 静岡県磐田郡福田町(1950年)、静岡県磐田郡福田町1564-1(1953年)、静岡県磐田郡福田町1941(1955年・1958年)、静岡県磐田郡福田町福田1941(1960年)、静岡県磐田郡福田町福田(1963年)、静岡県磐田郡福田町福田1941(1966年)
開館年 : 1921年7月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧1955』によると1921年7月開館。1930年・1936年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「福田座」。1955年・1958年の映画館名簿では「福田劇場」。1960年の映画館名簿では「福田座」。1963年・1966年の映画館名簿では「福田劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「六所神社」の西130mにある雑貨店「Y&K STORE」。

福田町の商店街の中心は、本町通り映画館「福田座」のある中川通りにあった。菓子店・飲食店・銭湯・遊技場などがあった。福田座は映画館だったが芝居の興行なども行われた。『福島村誌』によると、福田座の前身は1912年(大正元年)に寄席として開館した「大正座」であり、1916年(大正5年)に廃止された。そこで横須賀町の某氏が資金を集め、1920年(大正9年)に福田座を設立したという。*73

『福田町史 資料編 民俗』には1932年製の「福田町福田区住民分布現況図」をもとにした商店分布図が掲載されている。「福田座(芝居小屋・映画館)」がある。隣接地には当時から「金友(料理屋)」があり、商店街には当時から「寺井酒店」「カジュウサ(八百屋)」「田島精肉店」「太郎衛門商店(よろず屋)」があった。*74
磐田松竹劇場/松竹映画劇/松竹映画劇場/磐田松竹映画劇場/磐田東映劇場/磐田映画劇場
所在地 : 静岡県磐田市(1950年)、静岡県磐田市中泉402(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1941年1月14日
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿では「磐田松竹劇場」。1953年の映画館名簿では「松竹映画劇」(※松竹映画劇場ではない)。1955年の映画館名簿では「松竹映画劇場」。1958年の映画館名簿では「磐田松竹映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「磐田東映劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「磐田映画劇場」。1969年の住宅地図では「東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は天平通り沿いの「foyou ジュビロード店」。

1953年(昭和28年)頃の磐田市中町にあった「松竹劇場」の写真あり。「松竹」の文字が見える。頃頃はまだテレビが普及しておらず、庶民の娯楽と言えば映画だった。*75

磐田市の中町には「松竹劇場」があった。1953年(昭和28年)4月27日、NHKダブルプレゼントショー公開ラジオ番組が松竹劇場で行われた。*76

国鉄磐田駅を北上したところの磐田市中泉402-1番地に「磐田東映(松竹)劇場」があった。1941年(昭和16年)1月14日創業。座席数は436席。町の中心街にあったため観客が多かった。なお、現在のセブンイレブン磐田ジュビロード店は中泉400-1番地にある。1953年頃の松竹劇場の写真あり。*77
スバル劇場/磐田日活劇場
所在地 : 静岡県磐田市久保(1953年)、静岡県磐田市中泉町1355-5(1955年)、静岡県磐田市中泉町1355(1958年)、静岡県磐田市中泉133-51(1960年)、静岡県磐田市中泉町1335(1963年)、静岡県磐田市中泉町1335-5(1966年)、静岡県磐田市中泉2235-5(1969年)
開館年 : 1946年12月25日? 1947年12月25日?
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1946年12月開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スバル劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「磐田日活劇場」。1969年の住宅地図では「磐田日活劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「中泉歴史公園」の西側、久保川のすぐ東側。

田町の久保川沿いの西側にあった。1946年12月25日、歌舞伎役者の沢村田之助や9歳だった美空ひばりを招いてこけら落とし公演を行った。こけら落としには長谷川一夫を招こうとしたが、出演料が高額すぎて断念している。1947年から1949年にかけて、藤山一郎、加藤大介、東海林太郎、岡春夫、ディック・ミネ、古賀正男、近江敏郎、市川右太衛門、柳谷金語楼、昔々亭桃太郎、小林旭、小暮美千代、松原操、高峰三枝子、月形竜之介、片岡千恵蔵など、そうそうたる役者を招いている。夏には22時過ぎからナイトショーが行われ、『蜘蛛の巣城』や『七人の侍』などを2本、昼間の半額で観ることができた。1963年8月には日活に貸与され、日活が10年間ほど興行した。*78

1947年12月25日のクリスマス、磐田市に芝居小屋「スバル劇場」が開館した。東京のロードショー劇場「スバル座」(「劇場」ではなく「座」)と同じスバルを冠していた。社長は時事通信社出身の鈴木修次、副社長は新聞販売店主の松本文一。先代の中村吉右衛門一座の大歌舞伎がこけら落とし公演であり、スバル劇場は大入り満員となった。当初は歌舞伎・歌謡曲・軽演劇などの実演が多く、やがて映画上映館となった。磐田市政5周年記念式典、5ヶ村合併祝賀式典もスバル劇場で行われた。*79

中泉座の跡地にはスバル劇場が建設された。磐田市が合併した際のスバル劇場の写真あり。『大砂塵』や『明日の幸福』や『めくら狼』や『赤い山』のポスターが見える。1965年(昭和40年)頃、スバル劇場は磐田日活に改称した。「日活直営 磐田日活」の文字が見える。*80
中泉中活館/磐田中活劇場/磐田中活
所在地 : 静岡県磐田郡中泉町(1936年)、静岡県磐田市中泉507(1960年・1963年・1966年・1969年)、静岡県磐田市七軒町507(1973年)、静岡県磐田市中泉507(1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1921年12月28日
閉館年 : 1983年10月
1936年の映画館名簿では「中泉中活館」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「磐田中活劇場」。1969年の住宅地図では「中活映画劇場」。1985年の映画館名簿では「磐田中活」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。磐田市最後の従来型映画館。「佐鳴予備校磐田駅前校」の南東のブロック。閉館後の区画整理事業により道路割はかなり変化しているので参考程度に。

磐田市中泉507番地、大乗院三仭坊(だいじょういんみひろぼう)の西側には「磐田中活劇場」があった。1921年(大正10年)12月28日、東町の有力者による経営で創立。座席数は379席。戦前は芝居が主だったが、戦後は洋画が主となった。1950年にはローレンス・オリビエ主演の『ハムレット』を上映。1955年(昭和30年)以後は株式会社組織だった。磐田市で最後まで残っていた映画館であり、1983年(昭和58年)10月に閉館した。現在、跡地は磐田市の公園となっている。*81

1927年に磐田郡中泉町が行った「活動写真と教育に関する調査」によると、東町の「中活劇場」の従業員は映画説明者4人・洋楽手4人・売店員1人だった。観客定員は497人であり、入場料は大人30銭・小人10銭だった。年間入場者数は5万9196人だった。*82
TOHOシネマズららぽーと磐田
所在地 : 静岡県磐田市高見丘1200番地 ららぽーと磐田3階(2010年)
開館年 : 2009年7月23日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズららぽーと磐田1-10」(10館)。

2009年7月23日、磐田市高見丘のららぽーと磐田に「TOHOシネマズららぽーと磐田」が開館した。開館記念式典には、東宝の高井英幸社長、女優の長澤まさみが出席した。長澤は子どもの頃に磐田市民文化会館で映画を観たという。10スクリーン1663席。*83

袋井市

山梨有楽座/有楽座
所在地 : 静岡県周智郡山梨町(1950年)、静岡県周智郡山梨町山梨965(1953年)、静岡県周智郡山梨町山梨(1958年)、静岡県周智郡山梨町965-1(1960年)、静岡県周智郡山梨町上山梨(1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年の映画館名簿では「山梨有楽座」。1953年の映画館名簿では「有楽座」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「有楽座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
センター ホール/センターホール
所在地 : 静岡県磐田郡袋井町1195(1958年)、静岡県袋井市高尾1195(1960年)、静岡県袋井市高尾1175(1963年)
開館年 : 1955年秋
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「センター ホール」。1960年・1963年の映画館名簿では「センターホール」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年秋、駅前東通りに「オリオン座」と「センターホール」という映画館2館が同時に開館した。*84
オリオン座/袋井オリオン座
所在地 : 静岡県磐田郡袋井町高尾(1958年)、静岡県袋井市高尾1173-1(1960年)、静岡県袋井市高尾1173(1963年)、静岡県袋井市高尾1173-1(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年秋
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「オリオン座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「袋井オリオン座」。1972年の住宅地図では「オリオン座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「スナック エスポワール」がある付近。しかし区画整理事業で道路割が完全に変化してるので場所は参考程度に。

昭和30年代の写真あり。『美しき哀愁』と『忠臣蔵』の看板がかかっている。1955年秋、磐田郡袋井町の駅前東通りに「オリオン座」と「センターホール」という映画館2館が同時に開館した。*85

1966年(昭和41年)の袋井市にあった映画館「オリオン座」の写真あり。1955年(昭和30年)、東通りから小路に入った場所に開館した。東通りには映画館「センターホール」もあった。*86
東映袋井座/袋井座/袋井ロマンス座
所在地 : 静岡県磐田郡袋井町(1930年・1936年・1950年)、静岡県磐田郡袋井町高尾2170(1953年)、静岡県磐田郡袋井町高尾1175(1955年・1958年)、静岡県袋井市1175(1960年・1966年・1969年)、静岡県袋井市高尾275(1973年)、静岡県袋井市高尾1195(1977年・1978年)、静岡県袋井市高尾1193(1980年・1985年)
開館年 : 1922年11月(袋井座)、1974年以後1978年以前(ロマンス座)
閉館年 : 1985年以後1990年以前
『全国映画館総覧1955』によると1922年11月開館。1930年・1936年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「袋井座」。1960年・1963年の映画館名簿では「東映袋井座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「袋井座」。1972年の住宅地図では「袋井座」。1973年の映画館名簿では木造2階建て380席、経営者は鈴木常一、支配人は中田邦夫、東宝・洋画・成人映画を上映。1976年・1978年の映画館名簿では「袋井ロマンス座」。1978年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造平屋建て110席、経営者は鈴木常一、支配人は中田邦夫、邦画・洋画を上映。1980年・1985年の映画館名簿では「ロマンス座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「双葉スポーツ袋井店」と「サロンドシバタ」の間にある建物付近。しかし区画整理事業で道路割が完全に変化してるので場所は参考程度に。袋井市最後の映画館。

1954年(昭和29年)正月の「袋井劇場」の写真あり。「賀正」の文字が見える。「山崎屋商店」のトラック(?)が見える。(※袋井劇場が映画館名簿におけるどの映画館を指すのかは不明)*87

1974年(昭和49年)4月29日、袋井市高尾の繁華街にあるひしだい製茶会社の製茶工場から出火し、映画館「袋井座」・商店・住宅など20棟が全半焼した。袋井座には約100人の観客がいたが、逃げて全員無事だった。*88

掛川市

大浜文化劇場
所在地 : 静岡県小笠郡大浜町報地(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「大浜文化劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
千浜文化劇場
所在地 : 静岡県小笠郡大浜町千浜(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「千浜文化劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
山口会館
所在地 : 静岡県掛川市伊達方(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「山口会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
中央劇場/掛川中央劇場
所在地 : 静岡県小笠郡掛川町掛川(1953年)、静岡県掛川市713-1(1955年)、静岡県掛川市掛川713(1958年)、静岡県掛川市73(1960年)、静岡県掛川市掛川713(1963年)、静岡県掛川市713(1966年)
開館年 : 1950年10月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧1955』によると1950年10月開館。1953年の映画館名簿では「掛川中央劇場」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年の映画館名簿では「掛川中央劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1953年(昭和28年)頃の掛川市にあった「中央劇場」の写真あり。戦後の掛川市には、肴町・連雀町・瓦町に映画館が開館した。連雀町には掛川銀行の建物があったが、1935年に解散すると協和銀行掛川支店となり、戦時中は繊維組合事務所に使用されていた。建物はやがてパチンコ屋の中央会館となった。*89

1954年(昭和29年)の掛川市にあった「中央劇場」の写真あり。1889年(明治12年)に設立された掛川銀行は全国有数の大銀行だったが、1935年(昭和10年)に解散してからは建物が繊維組合や商工会に使用され、戦後の1950年(昭和25年)9月に中央劇場の建物となった。ニュース映画と洋画の専門館だったが、昭和30年代後半にパチンコ店「中央会館」に転換された。1991年(平成3年)、都市計画道路の掛川駅松尾線を建設するために取り壊された。*90
横須賀座/横須賀映画劇場
所在地 : 静岡県小笠郡横須賀町(1955年)、静岡県小笠郡大須賀町5231(1958年)、静岡県小笠郡大須賀町1457-3(1960年)、静岡県小笠郡大須賀町中本(1963年)、静岡県小笠郡大須賀町横須賀1457-3(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年? 1969年以後1973年以前?
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「横須賀座」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「横須賀映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

明治大正期の大須賀村には芝居小屋として「翁座」があり、後には活動写真館として「横須賀座」もできた。大須賀町には1963年(昭和38年)まで映画館が1軒あったが、1980年(昭和55年)現在は存在しない。*91

1952年(昭和27年)の「横須賀映画劇場」の写真あり。「横須賀映画劇場」の文字が見える。1963年(昭和38年)夏に改装された際の「横須賀映画劇場」の写真あり。「横映」や「YOKOSUKA」の文字が見える。横須賀座/横須賀映画劇場は、戦前・戦後を通じて芝居・浪曲・演芸・映画を興行し、集会場としても活用された。*92

1952年(昭和27年)頃の「横須賀座」の写真あり。正面中央上部には「横須賀座」の文字が見えるが、入口上には「松竹・大映・東映 横須賀映画劇場」と書かれている。左右に尖塔のある個性的な建物だったが、1952年以後に改修して「横須賀映画劇場」に改称した。収容人数は小笠郡で最大であり、「南遠の娯楽の殿堂」として親しまれた。1963年(昭和38年)に閉鎖された。*93
栄劇場/東映栄劇場/掛川東映栄劇場/掛川栄劇場
所在地 : 静岡県小笠郡掛川町肴町(1953年)、静岡県掛川市239(1955年)、静岡県掛川市掛川239(1960年・1963年・1966年)、静岡県掛川市肴町239(1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1950年10月
閉館年 : 1978年3月21日
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧1955』によると1950年10月開館。1953年の映画館名簿では「掛川栄劇場」。1955年の映画館名簿では「栄劇場」。1960年の映画館名簿では「東映栄劇場」。1963年の映画館名簿では「掛川東映栄劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「掛川栄劇場」。1970年の住宅地図では「掛川栄映劇場」(原文ママ)。跡地は「後藤生花店」の西側、「高橋商店」の東側。最寄駅はJR東海道本線掛川駅。

1960年(昭和35ねん)頃の掛川市肴町にあった「栄劇」(えいげき)の写真あり。「大衆娯楽の殿堂 栄劇」の文字が見える。建物脇の街路灯には「肴町通り」と書かれている。『哀愁日記』と『若旦那の御縁談』のポスターが見える。この頃の掛川市街地には約4軒の映画館があったが、1988年(昭和63年)現在は「掛川座」のみである。数年前には都市計画事業によって栄劇の建物も取り壊され、跡地は商店街となっている。*94

1954年(昭和29年)頃の掛川市にあった「栄劇場」の写真あり。裏通りの肴町の中央、もともと旅館の姫路屋があった場所に、1950年(昭和25年)9月に開館した。木造2階建てであり、定員は550人だった。第二東映の上映館だった。掛川駅前都市計画事業で代替地をあてがわれたが、経営不振で営業の見通しが立たなかったため、1978年(昭和53年)3月21日に閉館した。建物は取り壊され、跡地は商店街となっている。*95
掛川映画劇場/掛川座
所在地 : 静岡県小笠郡掛川町(1930年・1936年・1950年)、静岡県小笠郡掛川町大手1116-4(1953年)、静岡県掛川市大手町1116-4(1955年)、静岡県掛川市大手町1116(1958年)、静岡県掛川市大手町116-2(1960年)、静岡県掛川市大手町126(1963年)、静岡県掛川市大手町1116(1966年)、静岡県掛川市大手町116-2(1969年)、静岡県掛川市大手町1116(1973年)、静岡県掛川市大手町5-9(1976年)、静岡県掛川市大手町1116-2(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1907年頃
閉館年 : 1991年2月28日
『全国映画館総覧1955』によると1909年8月開館。1930年・1936年・1950年の映画館名簿では「掛川座」。1953年の映画館名簿では「掛川映画劇場」。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「掛川座」。1970年の住宅地図では「掛川座」。掛川市最後の映画館。跡地は市営「掛川大手門駐車場」建物東側。最寄駅はJR東海道本線掛川駅。参考文献として『掛川座 ぼくのシネマパラダイス』がある。

1907年(明治40年)頃の劇場「掛川座」の竣工記念写真あり。大手町に新築された。1979年(昭和54年)現在の掛川座は、映画も演劇も上演できる掛川市唯一の劇場である。*96

1953年(昭和28年)頃の掛川市大手町にあった映画館「掛川座」の写真あり。江戸時代の掛川藩時代には大手厩と馬場があり、明治初期には掛川監獄があり、明治20年代には米茶取引所も開設された。1900年(明治33年)の掛川大火後には中町遊郭が一時的に移転してきたが、やがて中町遊郭は十九首裏に移転し、掛川座が建設された。桟敷席と枡席を持つ畳敷きの劇場であり、戦後に椅子席に改造された。*97

1907年(明治40年)頃には掛川座が建築され、1989年現在もその建物を使用している。1907年(明治40年)頃の掛川座の写真あり。*98

1953年(昭和28年)頃の「掛川座」の写真あり。『君の名は』の看板が見える。1909年(明治42年)7月10日に開場式が、7月14日に舞台開きが開催された。掛川町大手の有力者によって、厩の跡地の広場に設けられた劇場である。畳敷きの花道、枡席、回り舞台、奈落からせりあがる装置、楽屋、2階席などがあった。格天井には枡形の一つ一つに商店広告が入っていたという。演劇ととともに映画の上映も可能だった。昭和初期には木製ベンチ席となった。*99

戦後、掛川市の劇場「掛川座」は椅子席に改造され、映画・芝居・歌謡ショー・浪曲・講演会・諸行事の会場として使用された。1956年には「掛川映画劇場」に改称し、ワイドスクリーンを備えた本格的な映画館となった。1991年(平成3年)2月27日にお別れ興行を開催した。*100

1907年(明治40年)頃、芝居小屋として「掛川座」が発足した。昭和初期頃に2代目の田島氏が、1954年(昭和29年)に現在の戸塚興業が経営を引き継いだ。芝居小屋として開館したため、花道や舞台中央の昇降装置もあった。掛川には4軒の映画館があり、東映のやくざ映画や時代劇が中心の栄劇場、洋画専門の中央劇場、日活映画専門の掛川座などというふうにすみ分けられた。掛川座で岸恵子主演の『君の名は』が上映された際には、国鉄掛川駅近くまで観客の行列が続いたという。*101

1953年(昭和28年)頃の掛川市にあった「掛川座」の写真あり。『君の名は』と『とのさま街道』が上映されていた。1907年(明治40年)頃に大手町に開館した。花道や回り舞台のある本格的な劇場であり、内部は桟敷と畳敷きだったが、戦後に椅子席に改造された。1988年(昭和63年)現在の掛川市に残る唯一の劇場だが、都市計画事業によって取り壊される予定である。*102

1991年(平成3年)2月末、土地区画整理事業のために映画館「掛川座」が閉館する。14歳の美空ひばり、歌手の田畑義夫、女優の高峰三枝子、木暮実千代などが掛川座を訪れた。俳優の伊東四朗は、掛川にあった母親の実家で小中学生時代を過ごしており、「掛川座は私の芸の原点」と語る。*103

掛川市の映画館「掛川座」ではこのほど、閉館を惜しむイベントを開催した。掛川座は1991年(平成3年)2月いっぱいで閉館する。小学生時代に子役で掛川座の公演に出演したという伊東四朗が来館している。閉館理由は土地区画整理事業のため。*104

掛川市大手町にあった映画館「掛川座」は、1907年(明治40年)に開館し、1990年(平成2年)に閉館した。1991年(平成3年)に取り壊され、跡地は掛川市営駐車場となっている。2001年(平成13年)には静岡県立磐田北高校の教員が掛川座の思い出をつづった書籍『掛川座 ぼくのシネマパラダイス』を出版した。*105

2006年(平成18年)6月、総合福祉施設として「総合福祉ステーションビル 掛川座」が開業した。名称は映画館の掛川座に因んでいるが、所在地は映画館時代と異なる。

菊川市

南映画劇場
所在地 : 静岡県小笠郡小笠町高橋3430(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「南映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
菊水映画劇場
所在地 : 静岡県小笠郡菊川町六郷5(1955年)、静岡県小笠郡菊川町283(1958年)、静岡県小笠郡菊川町半済(1960年・1963年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1950年7月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「菊水映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
平田映画劇場
所在地 : 静岡県小笠郡平田町玉川1128(1953年)、静岡県小笠郡菊川町平田(1955年)、静岡県小笠郡小笠町下平川(1963年)、静岡県小笠郡小笠町下平川1128-1(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「平田映画劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「平田映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
堀ノ内劇場/堀之内劇場
所在地 : 静岡県小笠郡堀之内町(1950年)、静岡県小笠郡堀之内町240(1953年)、静岡県小笠郡菊川町1(1955年)、静岡県小笠郡菊川町堀之内223(1958年)、静岡県小笠郡菊川町堀之内(1960年・1963年)、静岡県小笠郡菊川町堀之内223(1966年・1969年・1973年・1976年)、静岡県小笠郡菊川町堀之内239(1980年)
開館年 : 1923年9月? 1924年?
閉館年 : 1981年
『全国映画館総覧1955』によると1923年9月開館。1950年の映画館名簿では「堀ノ内劇場」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「堀之内劇場」。1973年・1976年の映画館名簿では「堀ノ内劇場」。1980年の映画館名簿では「堀之内劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「駅南1号公園」西側の民家。菊川駅前は1990年代以降の区画整理事業で大きく変化しているので参考程度に。最寄駅はJR東海道本線菊川駅。

1924年(大正13年)、菊川町に劇場「堀之内劇場」が開館した。回り舞台のある本格的な劇場であり、当初は歌舞伎や浪曲などを上演した。1933年(昭和8年)からは映画を上映し、昭和30年代の映画全盛期には多くの映画ファンでにぎわった。1952年(昭和27年)の改装直後の建物の写真、1960年(昭和35年)頃の国鉄菊川駅前に掲示された映画ポスターや看板の写真あり。堀之内劇場はテレビの普及によって57年の歴史に幕を下ろした(※明確な閉館年は書かれていない)。閉館前の3日間は「サヨナラ興行」が行われ、映画ファンで満席になった。1988年(昭和63年)現在の堀之内劇場跡地は駐車場になっている。*106

『掛川・菊川・御前崎今昔写真帖』に写真が掲載されている。現物は未確認。*107

御前崎市

新谷劇場/新谷文化劇場
所在地 : 静岡県榛原郡御前崎町新谷(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「御前崎劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
御前崎座/御前崎劇場
所在地 : 静岡県榛原郡御前崎村(1953年)、静岡県榛原郡御前崎村4407(1955年)、静岡県榛原郡御前崎町4407(1958年)、静岡県榛原郡御前崎町(1960年・1963年)、静岡県榛原郡御前崎町西側(1966年・1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1955年の映画館名簿では「御前崎座」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「御前崎劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
池新田劇場/浜岡劇場/浜岡映画劇場
所在地 : 静岡県小笠郡池新田町東町(1953年)、静岡県小笠郡浜岡町3215-1(1955年)、静岡県小笠郡浜岡町3215(1958年)、静岡県小笠郡浜岡町本町(1960年・1963年)、静岡県小笠郡浜岡町池新田2215(1966年・1969年)
開館年 : 1927年9月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1927年9月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「池新田劇場」。1958年の映画館名簿では「浜岡劇場」。1960年の映画館名簿では「浜岡映画劇場」。1963年の映画館名簿では「浜岡劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「浜岡映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「揚張プロパン」西側の小規模太陽光発電所。定食屋「美津屋」の北。

戦前の浜岡町にあった商店街の地図あり。1997年(平成9年)現在の東町・本町付近。「池新田座」が描かれている。*108

1951年(昭和26年)頃の「池新田劇場」の写真あり。「池新田劇場」と「IKESHINDEN THEATRE」の文字が見える。昭和初期、小笠郡池新田村の本町に開館した。映画や学芸会などが催され、近郷の人びとを集めた。1949年(昭和24年)には静岡県立池新田高校の演劇部が池新田劇場を利用している。*109

周智郡森町

明治座
所在地 : 静岡県周智郡森町
開館年 : 明治時代
閉館年 : 1945年以前?
映画館名簿には掲載されていない。

1932年(昭和7年)現在の森町の劇場は「明治座」があるのみである。1931年度(昭和6年度)の「明治座」では、活動写真が104回、演劇が11回、浪花節が5回、計120回の興行が行われた。入場者数は活動写真が計20,452人、演劇が計4,805人、浪花節が計1,191人、総計26,448人だった。*110
森町劇場
所在地 : 静岡県周智郡森町森(1953年)、静岡県周智郡森町910(1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1935年8月? 1936年?
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1935年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「森町劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「森町タクシー」。最寄駅は天竜浜名湖鉄道天浜線遠州森駅または戸綿駅。

劇場は「明治座」のほかに「森町劇場」があった。1949年(昭和24年)3月から1950年(昭和25年)2月の第11期営業報告書によると、株式は360株・株主は79名、社長は渡辺徳三郎。*111

1936年(昭和11年)に建てられた「森町劇場」の写真あり。戦後に改修された「森町劇場」の写真あり。*112
森町中央劇場/森中央劇場
所在地 : 静岡県周智郡森町森261-5(1960年)、静岡県周智郡森町261(1963年)、静岡県周智郡森町910(1966年・1969年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「森町中央劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「森中央劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は映画館時代の建物を流用した「スーパーヒラノ」の廃墟。最寄駅は天竜浜名湖鉄道天浜線遠州森駅または戸綿駅。

1959年(昭和34年)の森町にあった「中央劇場」の写真あり。森町にはすでに「森町劇場」があったが、1956年(昭和31年)に森町で2軒目の映画館として中央劇場が開館した。*113

静岡県中部

島田市

金谷日活
所在地 : 静岡県榛原郡金谷町金屋河原376(1955年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1955年以後1958年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「金谷日活」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。第二金谷劇場に改称した可能性あり。
第二金谷劇場
所在地 : 静岡県榛原郡金谷町378(1958年)、静岡県榛原郡金谷町宮崎町(1960年)、静岡県榛原郡金谷町栄町(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。金谷日活から改称した可能性あり。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「第二金谷劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
金谷劇場
所在地 : 静岡県榛原郡金谷町栄町(1953年)、静岡県榛原郡金谷町栄町73(1955年)、静岡県榛原郡金谷町73(1958年)、静岡県榛原郡金谷町栄町(1960年・1963年)、静岡県榛原郡金谷町金谷河原78(1966年)、静岡県榛原郡金谷町栄町(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。金河座から改称した可能性あり。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「金谷劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。建物は2008年に取り壊された。
太陽館/島田太陽館
所在地 : 静岡県島田市本通り4914-4(1960年)、静岡県島田市大川町4914-4(1969年)
開館年 : 1945年11月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1945年11月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「太陽館」。1966年・1969年の映画館名簿では「島田太陽館」。1972年の住宅地図では「太陽館」。跡地は「福泉寺」の南東20mの道路用地。1980年代以後の区画整理事業で道路割が大きく変化しているので参考程度に。
島田オリオン座/島田日活オリオン/島田日活オリオン座
所在地 : 静岡県島田市7-8422(1958年)、静岡県島田市本通り7-8422(1960年)、静岡県島田市本通り7丁目(1963年)、静岡県島田市本通り7-8422(1966年)、静岡県島田市7-8422(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「島田オリオン座」。1960年・1963年の映画館名簿では「島田日活オリオン」。1966年・1969年の映画館名簿では「島田日活オリオン座」。1972年の住宅地図では跡地は空き地。現在の跡地は「中村菓子舗」の向かいの「岡本住建」。
島田東映/島田東映劇場
所在地 : 静岡県島田市日ノ出町8028(1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1976年以後1978年以前
1958年の映画館名簿では「島田東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「島田東映」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「島田東映劇場」。1972年の住宅地図では「東映劇場」。1978年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「佐鳴予備校島田本部校」の西20mの道路用地。1980年代以後の区画整理事業で道路割が大きく変化しているので参考程度に。
島田第二文化劇場/第二文化劇場/島活会館第二文化/島田第二文化島田スカラ座/スカラ座
所在地 : 静岡県島田市大津通8596-25(1958年・1960年)、静岡県島田市大津通り(1963年・1966年)、静岡県島田市大津通8596-25(1969年・1976年・1980年)、静岡県島田市大津通8569-25(1985年)、静岡県島田市大津通8596-25(1990年)、静岡県島田市大津通8569-25(1995年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1995年以降2000年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「島田第二文化劇場」。1960年の映画館名簿では「第二文化劇場」。1963年の映画館名簿では「島活会館第二文化」。1966年の映画館名簿では「島田第二文化」。1972年の住宅地図では「スカラ座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「島田スカラ座」。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「スカラ座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「洞源寺」の南西70mの道路用地。2000年代以後の区画整理で道路割が大きく変化しているので参考程度に。
実座/島田実座/島田みのる座/みのる座/カンマザールみのる座
所在地 : 静岡県島田市本通6丁目(1953年・1955年)、静岡県島田市6丁目7835(1960年)、静岡県島田市本通6丁目(1963年)、静岡県島田市本通6-7835(1966年)、静岡県島田市6-7835(1969年)、静岡県島田市6丁目7835(1969年)、静岡県島田市本通6-7835(1976年・1995年・2005年・2010年)
開館年 : 1916年
閉館年 : 2010年3月10日
『全国映画館総覧1955』によると1928年3月開館。1950年の映画館名簿では「宝座」(※実座の誤りと思われる)。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「実座」。1963年の映画館名簿では「みのる座」。1966年・1969年の映画館名簿では「島田みのる座」。1972年の住宅地図では「みのる座」。1973年の映画館名簿では「島田実座」。1976年の映画館名簿では「島田みのる座」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「みのる座」。2005年・2010年の映画館名簿では「カンマザールみのる座」。跡地は駐車場。「エンブルシティ島田」の東130m。

1916年(大正5年)に芝居小屋として開館した。1950年代に東京で映画関係の仕事をしていた太田修平が引き継いで映画館に改修したが、大正時代の煉瓦張りタイルは残っている。2010年(平成22年)3月10日に閉館した。静岡県に残る唯一の木造映画館だった。最終日の3月10日には山田洋次監督作『男はつらいよ 噂の寅次郎』を上映し、山田監督のトークショーを開催する。*114

2010年3月10日、島田市本通の島田みのる座が閉館する。経営は島田興業。1916年竣工の建物の老朽化などが理由。先代の太田修平は山田洋次監督作品『虹をつかむ男』のモデルの一人であることから、閉館日の3月10日には山田洋次監督を迎えた講演会を開催し、島田でロケが行われた『男はつらいよ 噂の寅次郎』のフィルム上映会を行う。木造平屋建て190席。芝居小屋時代の名残である楽屋や回り舞台も残る。「大勢の人が訪れて、実りがあるように」との思いで「実座」と命名された。1959年に映画館に改修した。*115

2010年(平成22年)3月10日、島田市の映画館「みのる座」が93年の歴史に幕を閉じて閉館。静岡県内の現存する映画館としてはもっとも古いとされていた。*116

閉館した島田市のみのる座を舞台とする映画の製作が進んでいる。余命僅かとなったみのる座の館主の物語である。題名は『安寧の巣』。製作費はゼロだが、みのる座やフィルムサポート島田の支援を受けている。2010年(平成22年)9月14日から9月24日頃まで現地で撮影し、2011年1月頃の完成を目指す。*117

2010年10月23日、島田市の映画館「みのる座」が閉館する。東海道本線島田駅から徒歩約10分、旧東海道沿いに商店が並ぶ本通りから小路を入って突き当りにある。建物のファサードはアール・デコ調であり、券売所には濃紫のタイルが貼られている。築94年の木造建築であり、芝居小屋として建てられた。51年前、東京の配給会社に勤めていた太田修平は、経営難で所有者が手放したみのる座を29歳で引き継いだ。全盛期の島田市には邦画4社の専門館、洋画専門館、ポルノ専門館の6館があり、みのる座は松竹作品の専門館だった。太田修平は松竹のパーティで山田洋次監督に出会い、50年にも及ぶ交流が始まった。1995年には山田監督が『虹をつかむ男』のロケハンに訪れ、みのる座の両脇の民家が空き家だと知ると「壊せますね」と言ったという。結局『虹をつかむ男』のロケは徳島県の脇町劇場で行われたが、山田監督は完成記者会見で主人公のモデルの一人に太田修平を挙げた。1964年の東京オリンピック後には島田市の映画館が相次いで閉館し、東宝や東映の作品も上映した。息子の太田晴也は音楽大学を出て教師をしていたが、1993年に太田修平から経営を継いだ。上映の中心を子ども向け作品とし、また土日営業に切り替え、落語会やコンサートなどの下士官営業も行った。100周年となる2016年までは営業を続ける予定だったが、2009年2月末には隣接する藤枝市にシネコンが開館し、『ドラえもん』の新作の観客数は前作の3分の1となった。太田晴也が閉館を決定すると、地元の建築士や大工の棟梁が建物の調査に訪れ、屋根裏からは格天井の枠や棟木札、「猿田彦」の木札などが発見された。奈落からは回り舞台の遺構や花道の痕跡も発見された。3月10日の最終興行は『男はつらいよ 噂の寅次郎』であり、山田監督も来館した上映は満員となった。10月23日には地元出身の落語家である三遊亭遊喜の公演を行う。*118

2012年(平成24年)1月5日、島田みのる座の元館主である太田修平が死去した。太田は映画館主を主人公とする山田洋次監督の映画『虹をつかむ男』のモデルとなった。太田は島田市議会議員を4期16年務め、島田市議会議長も務めた。2005年(平成17年)に旭日双光章を受章している。*119

2010年11月18日付の日本経済新聞にはみのる座の閉館に関する記事があるらしい。11月23日の勤労感謝の日には最終興行として地元の落語家の興行が行われたらしい。未確認。*120
島田文化劇場/宝塚劇場・文化劇場/島活会館宝塚劇場・島活会館文化劇場/島田宝塚劇場・文化劇場/島田宝塚劇場/島田文化
所在地 : 静岡県島田市本通4-8270-1(1953年)、静岡県島田市本通り4-8270(1960年)、静岡県島田市本通4丁目(1963年)、静岡県島田市本通り4-8270-1(1966年)、静岡県島田市4-8270-1(1969年)、静岡県島田市4丁目8270-1(1973年)、静岡県島田市本通り4-8270-1(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2005年・2010年)
開館年 : 1945年11月
閉館年 : 2010年以後2015年以前
『全国映画館総覧1955』によると1945年11月開館。1950年・1953年の映画館名簿では「島田文化劇場」。1955年の映画館名簿では「島田文化劇場」。1960年の映画館名簿では「宝塚劇場・文化劇場」(2館)。1963年の映画館名簿では「島活会館宝塚劇場・島活会館文化劇場」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「島田宝塚劇場・文化劇場」(2館)。1969年の映画館名簿では「島田宝塚劇場」。1972年の住宅地図では「1階文化ホール 2階宝塚」。1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「島田文化」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年の映画館名簿では「島田文化」。再開発後は島活会館2階。『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(2003年)を上映したらしい。跡地は「ホテル ルートイン島田」の西側にある衣料品店「島田ユニフォームセンター」。

1957年(昭和32年)の島田市の本通4丁目の北側の街並み。「文化劇場」と呼ばれた映画館「宝塚」の写真あり。2006年(平成18年)現在の跡地の写真もあり、「島田ユニフォームセンター」が見える。「ホテルルートイン島田」の2階部分には多目的文化ホールを兼ねた形で「文化」が存続している(※正確に文意を読み取れない)。*121

牧之原市

昭和館
所在地 : 静岡県榛原郡相良町(1930年・1936年)
開館年 : 1927年
閉館年 : 1940年頃
1930年・1936年の映画館名簿では「昭和館」。

1927年(昭和2年)、相良町の新丁に活動写真館「昭和館」が開館した。地元の共同出資による経営であり、川田重松が創立代表者格だった。マキノ興業の直営館だった。3階建モルタル仕上げの洋館構えであり、当時としては大建築だった。開館時はサイレント映画であり、波津の諸岡松声などの弁士が映画説明を行っていたが、1929年(昭和4年)頃にはトーキー映画も上映されるようになった。戦時色が強くなった1939年(昭和14年)から1940年(昭和15年)頃に閉館となった。建物は取り壊され、工場用建材として清水市の清水初次郎に売却された。*122
萩間館
所在地 : 静岡県榛原郡相良町萩間
開館年 : 1959年
閉館年 : 1964年
いずれの年代の映画館名簿には掲載されていない。

1959年(昭和34年)、相良町萩間地区に映画劇場「萩間館」が創立された。経営者は大寄の畑庄太郎である。場所は黒子の蛭ヶ谷入口であり、現在は萩間電話交換局と大石鉄工がある場所である。1964年(昭和39年)に閉館した。*123
地頭方劇場
所在地 : 静岡県榛原郡相良町地頭方992-10
開館年 : 1950年1月7日
閉館年 : 1966年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「地頭方劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1950年(昭和25年)1月7日、相良町地頭方992-10に「地頭方劇場」が創立された。経営者は満州から引き揚げてきた山本八郎であり、定員は250人だった。ただし『増補資料榛原郡誌』には収容人員500人とある。これ以前のこの地区に常設映画館はなく、小学校や公会堂で巡回映画を観ていた。映画上映のほかには、踊りの高松レビュー、奇術の天勝、浪曲の村田英雄らが訪れたこともある。テレビの普及で観客が減少し、1966年(昭和41年)に閉館した。*124
相良映画劇場
所在地 : 静岡県榛原郡相良町相良149(1960年)、静岡県榛原郡相良町相良(1963年)、静岡県榛原郡相良町相良149(1966年)
開館年 : 1954年12月13日
閉館年 : 1968年2月9日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「相良映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1954年(昭和29年)12月12日(※12月13日ではない)、相良町前浜の心月寺の前に「相良映画劇場」が竣工した。般若寺の小寺だった心月庵の檀徒が心月寺として独立させ、前庭に映画館を設けて付近の繁栄を図ろうとしたのである相良映画劇場は株式会社組織であり、出資者は沢田益男・久保多平・岩堀宇一郎・西谷俊一・鈴木清一など、静岡市の興行師である本間尚男が社長となった。建設費は600万円の予算であり、建坪は120坪だった。10月8日から建設を開始して12月12日に竣工。こけら落としは元松竹歌劇のオリエ津坂およびビクター専属の榎本美佐枝とその楽団である。定員800人の椅子席であり、一日3回上映される。1957年(昭和32年)2月1日には経営権者が戸塚興業に変わった。相生座との兼ね合いもあって、相良映画劇場では東映・大映・新東宝の作品が上映された。1968年(昭和43年)2月9日、火災で焼失したことで閉館となった。*125

1954年(昭和29年)12月13日、相良町前浜の心月寺の前庭に「相良映画劇場」が竣工した。相良映画劇場は株式会社組織であり、出資者は沢田益男・久保多平・岩堀宇一郎・西谷俊一・鈴木清一など、静岡市の興行師である本間尚男が社長となった。建設費は600万円の予算であり、建坪は120坪だった。こけら落としは元松竹歌劇のオリエ津坂およびビクター専属の榎本美佐枝とその楽団である。定員800人(椅子席)だったが、『増補資料榛原郡誌』には収容人員650人とある。1957年(昭和32年)2月1日には経営者が榛原町の戸塚興業に変わった。相生座との兼ね合いもあって、相良映画劇場では東映・大映・新東宝の作品が上映された。1968年(昭和43年)2月9日、火災で焼失したことで閉館となった。*126
相生座/相良文化劇場
所在地 : 静岡県榛原郡相良町福岡56-2-1(1953年)、静岡県榛原郡相良町福岡(1955年)、静岡県榛原郡相良町福岡56-1(1960年)、静岡県榛原郡相良町福岡(1963年)
開館年 : 1884年以前
閉館年 : 1980年2月
『全国映画館総覧1955』によると1937年5月開館。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「相生座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1884年(明治17年)の相良町絵図には「相生座」の建物が大きく描かれている。御荒神の福富座が廃れた跡地に開館した。1910年(明治43年)12月10日、浜横町に相生座が新築された。収容人員550人であり、ヒノキ造りの回り舞台を備えていた。月に2-3回の興行を行い、興行日には幡や太鼓が町中をふれ回る顔見世が行われた。昭和に入ると映画も上映するようになり、戦後には常設映画館として毎日昼も夜も上映した。劇場の所有者は小島好美だったが、戸塚興業が松竹・日活・東宝の作品を上映していた。1960年(昭和35ねん)には戸塚興業が相生座を買収し、「相良文化劇場」に改称した。観客が減少したことで、1980年(昭和55年)2月にはついに閉館し、12月には建物が取り壊された。1986年(昭和61年)現在の跡地は駐車場となっている。所在地は相良町福岡56-2-1。*127

1960年(昭和35年)、相良町の「相生座」は榛原町の戸塚興業の直営館となった。1964年(昭和39年)には相生座から「相良文化劇場」に改称した。1980年(昭和55年)2月には約1世紀の歴史の幕を閉じて閉館し、同年12月には建物が取り壊された。1996年(平成8年)現在の跡地は駐車場となっている。*128
大岩座
所在地 : 静岡県榛原郡川崎町静波326(1953年)、静岡県榛原郡川崎町(1955年)、静岡県榛原郡榛原町静波326(1960年)、静岡県榛原郡榛原町静波(1963年・1966年)、静岡県榛原郡榛原町静波326(1969年)、静岡県榛原郡榛原町静波(1973年・1976年)
開館年 : 1925年12月
閉館年 : 1976年以後1978年以前
『全国映画館総覧1955』によると1925年12月開館。1953年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「大岩座」。1969年の榛南地区住宅明細図では「オウイワ座」。1969年時点では南東側に「榛原スーパー」があった。1978年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート牧之原静波1丁目店」の北西端。

藤枝市

藤枝市の映画館
藤枝市郷土博物館で「なつかしの映画館」展が開催されている。藤枝市には最盛期に6館の映画館があったが、1977年(昭和52年)にシネマ・ゴール(旧・松竹館)が閉館したことで、すべての映画館が姿を消した。1956年(昭和31年)に開館した藤枝文化は10か月しか続かなかった。江崎新聞店の経営者である江崎浮山は、最盛期には藤枝市内で4館を経営した。*129
岡部劇場
所在地 : 静岡県志太郡岡部町
開館年 : 1928年以前
閉館年 : 1935年頃
1928年(昭和3年)頃の志太郡岡部町にあった「岡部劇場」で上映された「河西訓導」のチラシ、同じく1928年に岡部劇場で興行された新春歌舞伎公演のポスターの写真あり。岡部劇場は「岡部座」とも呼ばれた。藤相鉄道(後の静岡鉄道駿遠線)駿河岡部駅の駅前にあった。花道や回り舞台を備えた華やかな劇場だったが、1935年(昭和10年)過ぎには姿を消した。*130
藤枝文化映画館
所在地 : 静岡県藤枝市
開館年 : 1956年7月10日
閉館年 : 1957年5月頃
1955年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。

1956年(昭和31年)7月10日、藤枝市の静岡鉄道駿遠線(軽便)大手駅の駅前に「藤枝文化映画館」が開館した。開館当時の写真あり。「藤枝文化」「七月十日落成開館」の文字が見える。当時の藤枝市には6館の映画館があり、映画館の黄金期を迎えていた。しかし競争の激化などが理由で、1957年(昭和32年)にはもう閉館した。*131
岡部毎日会館
所在地 : 静岡県志太郡岡部町内谷(1960年・1963年)
開館年 : 1957年12月29日
閉館年 : 1970年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「岡部毎日会館」。1966年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の藤枝市住宅明細図では「岡部毎映劇場」。跡地は「しずおか焼津信用金庫岡部支店」の南南東30mの駐車場。

1957年(昭和32年)12月29日に志太郡岡部町に開館した際の「岡部毎日会館」の写真あり。開館記念の花輪が見える。『有楽町で逢いましょう』と『青い山脈』が上映され、勝新太郎・船越英二・若尾文子が舞台挨拶を行った。1970年(昭和45年)に閉館し、2007年(平成19年)現在の跡地にはコンビニが建っている。*132
東海劇場
所在地 : 静岡県志太郡青島町青木51-2(1953年)、静岡県藤枝市青島町青木51(1955年)
開館年 : 1945年以前
閉館年 : 1957年
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「東海劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。

現在の藤枝市前島にあった「東海倶楽部」の昭和初期の写真あり。当初は東海蚕木株式会社の従業員の慰安施設であり、島田の「みのる座」を参考に建設された。現在の藤枝市域では「旭光座」と並ぶ劇場だったが、1957年(昭和32年)に解体されて吉田町に移築された。「部楽倶海東」の文字が見える。*133
旭光座/藤枝旭光座/藤枝東映旭光座
所在地 : 静岡県志太郡藤枝町(1930年・1936年・1950年)、静岡県藤枝市上伝馬(1955年)、静岡県藤枝市鬼岩寺221-1(1960年)、静岡県藤枝市鬼岩寺(1963年)、静岡県藤枝市上伝馬(1966年)
開館年 : 1923年、1930年8月
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧1955』によると1930年8月開館。1930年・1936年・1950年の映画館名簿では「旭光座」。1953年・1955年の映画館名簿では「藤枝旭光座」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「藤枝東映旭光座」。1961年の藤枝市住宅明細図では「藤枝東映旭光座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「藤枝警察署上伝馬交番」北西隣にある2区画の月極駐車場。

藤枝町の上伝馬の問屋場跡に建てられたとされる「嬉春座」は、1892年(明治25年)の大風で倒壊した。その後「藤枝座」が新築され、日露戦争後の1906年(明治39年)には「戦捷座」に改称した。1919年(大正8年)には「吾妻座」に改称し、芝居と活動写真の連鎖劇などを興行した。吾妻座が旭光座の前身とされる。1923年(大正11年)に「旭光座」が新築され、こけら落としで東西合同大歌舞伎が上演された。東は松本幸四郎、西は中村雁治郎である。花道・回り舞台・枡席を備える本格的な劇場だった。その後、旭光座は江崎浮山によって経営され、1967年(昭和42年)に閉館するまで藤枝市の中心的な劇場だった。*134

戦時中の藤枝にあった映画館「旭光座」(きょっこうざ)の写真あり。上伝馬にあった。タイル張りの外壁が白く輝いていたが、敵機の攻撃対象にならないようにコールタールが塗られた。*135

戦時中の藤枝にあった「旭光座」の写真あり。上伝馬の「嬉春座」が変遷を重ね、1923年(大正12年)に本格的劇場として旭光座が開館した。芝居も映画も興行した。戦時中であるため外壁にはコールタールが塗られている。*136

戦後の藤枝市藤枝にあった映画館「旭光座」の写真あり。「市川少女歌舞伎」の看板が見える。一般に上伝馬と呼ばれる旧東海道沿いにあった。1967年(昭和42年)に閉館した。*137

昭和30年代の藤枝市にあった「旭光座」の写真あり。上伝馬の問屋場跡地にあった。回り舞台・花道・枡席などがある立派な劇場だった。1923年(大正12年)にあった杮落としでは東西合同大歌舞伎が上演され、東は松本幸四郎、西は中村雁治郎の千両役者が出演した。1955年(昭和30年)頃の数年間には全国で活動していた少女歌舞伎も上演された。藤枝市の娯楽の中心的存在だったが、1966年(昭和41年)に閉館した。*138

1960年(昭和35年)1月1日の藤枝市にあった映画館「旭光座」の写真あり。ファサードには「座光旭」と右書きの館名が書かれている。1959年(昭和34年)12月6日公開の『べらんめえ芸者』、1960年(昭和35年)1月15日公開の『丹下左膳 妖刀濡れ燕』などの看板が見える。当時は3本立てが基本であり、チャンバラ映画などが人気があった。映画以外には芝居やレビューなども興行していた。回り舞台や花道があった。*139
毎日映画劇場/藤枝毎日映画劇場
所在地 : 静岡県藤枝市喜多2578(1960年)、静岡県藤枝市喜多町(1963年)、静岡県藤枝市青島喜多町(1966年・1969年)、静岡県藤枝市喜多町(1973年)
開館年 : 1954年8月1日
閉館年 : 1972年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「毎日映画劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「藤枝毎日映画劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「毎日映画」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「SBS学苑藤枝校」。閉館後の土地区画整理事業で道路割が変化しているので参考程度に。最寄駅はJR東海道本線藤枝駅。

1954年(昭和29年)の藤枝市にあった映画館「毎日映画劇場」の写真あり。花輪がある。『浅草の夜』の看板が見える。現在の藤枝駅前3丁目にあった。通称は「毎映」。1972年(昭和47年)に閉館した。*140

1954年(昭和29年)8月1日の藤枝市に開館した際の「毎日映画劇場」の写真あり。『浅草の夜』の看板が見える。「毎映」とも呼ばれた。2007年(平成19年)現在の藤枝市駅前3丁目、藤枝市文化センターから西に100mほどの場所である。近隣市町村からも観客が訪れた。なお、6町村が合併して藤枝市が発足したのは1954年3月31日のことである。*141
テアトル毎日/藤枝テアトル毎日
所在地 : 静岡県藤枝市本町1062(1960年)、静岡県藤枝市下伝馬(1963年・1966年・1969年)、静岡県藤枝市藤枝1-4-12(1973年)
開館年 : 1956年8月11日
閉館年 : 1972年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「テアトル毎日」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「藤枝テアトル毎日」。1972年のゼンリン住宅地図では「テアトル毎日」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「養命寺」北東50mにある月極駐車場「契約駐車場テアトル毎日」。最寄駅はJR東海道本線藤枝駅。

1956年(昭和31年)の藤枝市にあった映画館「テアトル毎日」の写真あり。開館記念の花輪や『花嫁募集中』の看板が見える。1956年(昭和31年)8月11日に開館し、開館時には石原裕次郎が、1957年(昭和32年)には小林旭が訪れている。2007年(平成19年)現在の下伝馬にあり、周辺に静岡県立藤枝東高校、藤枝北高校、藤枝西高校があったことから、学生の観客でにぎわった。*142
寿館/藤枝松竹館/藤枝松竹映画劇場/藤枝大毎映画劇場/藤枝大毎劇場/シネマ ゴール
所在地 : 静岡県藤枝市若王子(1955年)、静岡県藤枝市若王子54-1(1960年)、静岡県藤枝市千歳町(1963年)、静岡県藤枝市若王寺(1966年)、静岡県藤枝市千才区若王寺(1969年)、静岡県藤枝市若王寺(1973年)、静岡県藤枝市藤枝5-9(1976年)
開館年 : 1938年以前
閉館年 : 1977年
1953年・1955年の映画館名簿では「藤枝松竹館」。1960年の映画館名簿では「藤枝松竹映画劇場」。1961年の藤枝市住宅明細図では「松竹館」。1963年の映画館名簿では「藤枝大毎劇場」。1966年の映画館名簿では「藤枝大毎映画劇場」。1969年の映画館名簿では「藤枝大毎劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「大毎」。1973年の映画館名簿では「藤枝大毎映画劇場」。1973年の映画館名簿では「藤枝大毎劇場」。1967年以前は松竹座という愛称があった。1967年にシネマ・ゴールに改称。1976年の映画館名簿では「シネマ・ゴール」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。建物は1990年焼失。跡地は「千歳公園」西北西50mにある「洞雲寺駐車場」。藤枝市最後の従来型映画館。最寄駅はJR東海道本線藤枝駅。

戦後の藤枝市にあった映画館「松竹館」の写真あり。ファサードに「松竹館」の文字が見える。現在の藤枝5丁目、洞雲寺の前にあった。設立当初は「寿館」という名称だった。1975年(昭和50年)に閉鎖された。*143

1956年(昭和31年)の藤枝市にあった映画館「松竹館」の写真あり。ファサードに「松竹館」の文字が見える。前身は大正時代に開館した劇場「寿館」であり、無声映画の時代から映画も上映していた。松竹館の後は、「大毎映画劇場」、「シネマゴール」と改称したが、1977年(昭和52年)に閉館した。シネマゴールが閉館したことで藤枝市から映画館がなくなった。*144

1938年(昭和13年)の藤枝には演劇の「旭光座」と映画の「松竹館」があったが、併立写真家の江崎浮山は両方を買い取って映画館とした。戦後の映画黄金期にはさらに「毎映」と「テアトル毎日」の2館を建設し、藤枝の映画興行界を独占していた。その後は息子である江崎友次郎が経営を引き継いだが、1970年には古い旭光座を閉館させ、次いでテアトル毎日と毎映も閉館させた。1974年7月7日の七夕豪雨では松竹館の裏手の河川が決壊して浸水したが、改築して映画館を存続させることとし、350席を122席に減らしたうえに、「シネマ・ゴール」に改称した。藤枝市はサッカーが盛んな町であり、江崎友次郎も藤枝市サッカー友の会の会員だっていたことが名称の理由である。スポーツが盛んな健康な町であるということで、シネマ・ゴールではピンク映画もポルノ映画も上映しない方針がある。*145
藤枝シネ・プレーゴ
所在地 : 静岡県藤枝市前島1-7-10 BiVi藤枝4階(2010年・2015年)、静岡県藤枝市前島1-7-10 BiVi藤枝4階(現在)
開館年 : 2009年2月28日
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : 藤枝シネ・プレーゴ
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「藤枝シネ・プレーゴ シアター1-7」(7館)。最寄駅はJR東海道本線藤枝駅。

焼津市

焼津市の映画館
焼津市文化センター1階展示室にて、焼津市歴史民俗資料館の企画展「懐かしの映画娯楽 焼津の映画館の想い出」が開催されている。焼津の映画館としては1923年(大正12年)開館の焼津座が第1号であり、1996年現在までに計9館が開館した。全盛期には同時に7館があった。昭和60年代に焼津座が閉館したことで、焼津市から映画館がなくなった。*146

1955年(昭和30年)頃の焼津市の西町踏切の脇にあった映画看板の写真あり。「浅草劇場」、「焼津座」、「ヒカリ座」、「湊座」、「オデオン座」で上映中の映画ポスターが掲示されている。*147
大生座/駿南劇場
所在地 : 静岡県榛原郡相川村、静岡県榛原郡大井川町
開館年 : 1916年
閉館年 : 昭和40年代
1930年・1936年1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。

1916年(大正5年)、下江留の相良街道(通称として田沼街道)の脇に大生座が建設された。その前身は1914年(大正3年)に建てて芝居などを行っていた掘っ立て小屋である。1916年時点では藤枝-大井川-吉田-榛原間に藤相鉄道(後の静岡鉄道駿遠線)が通じていた。大生座を建てたのは榛原郡相川村下江留(後の榛原郡大井川町下江留、現在の焼津市下江留)の大畑竹蔵であり、任侠派の人物であったが、日ごろは新派劇の脚本や浪曲/漫才の台本を手掛ける才能の持ち主だった。大生座では活動写真、浪花節、漫才、連鎖劇などの工業がおこなわれた。大生座は木造トタン葺きであり、間口は9間・奥行きは15間だった。120畳敷きの劇場であり、200人を収容した。廻り舞台や格天井を有しており、都市部の劇場に匹敵する立派さだった。場内には売店があり、幕間には売り子が予備売りを行った。なお、志太郡青島町(現在の藤枝駅付近)に東海倶楽部が開館したのは大生座の1年後である。戦前の青島町には東海倶楽部が、志太郡藤枝町には旭光座があったため、映画の封切り、浪曲の名人、有名劇団はこの2館に取られてしまい、大生座は二流の劇場とみなされた。*148

1937年(昭和12年)に支那事変が勃発すると、太平洋戦争が長期化したことで大生座は経営困難となった。終戦間際には東海倶楽部の経営者である江崎新聞店が経営を引き継ぎ、駿南劇場に改称した。映画の興行を主体として、浪曲や漫才の興行も行ったが、3年後の1948年(昭和23年)に閉鎖された。その後はカノーボーリング〔原文ママ〕が建物を使用していた。駿南劇場の建物は1983年(昭和58年)に取り壊された。p.281には駿南劇場時代の写真あり。*149

2005年現在の大井川町域には、かつて国の公認常設競馬場「藤枝競馬倶楽部相川競馬場」(1909年-1916年)、芝居小屋「大生座/駿南劇場」(1916年-1954年)という娯楽施設があった。戦後にはテレビが普及したことから、駿南劇場は昭和40年代に幕を閉じた。現在のJA大井川相川支店の西側である。『大井川町下江留区史』と同じ駿南劇場の写真あり。(※「1954年」と「昭和40年代」の関係は不明。『大井川町下江留区史』の「1948年」とも整合性が取れないが理由は不明。)*150

1955年(昭和30年)の榛原郡大井川町にあった映画館「駿南劇場」の写真あり。1916年(大正5年)、相川村の大畑竹蔵が相良街道(通称は田沼街道)沿いに芝居小屋「大生座」を開館させた。収容人員は200人。木造平屋建てトタン葺きだったが、床面には畳が敷かれ、格天井で花道もついていた。この地域では画期的な劇場であり、人々は弁当持参で来館しては芝居を鑑賞した。昭和に入ると時代劇・浪曲・現代劇・歌劇・映画も興行するようになった。1954年(昭和29年)に「駿南劇場」に改称し、映画の上映が主流となった。昭和40年代に営業を終了し、昭和50年代には建物が取り壊された。*151
吉永映画劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉永村(1955年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1955年以後1958年以前
『全国映画館総覧1955』によると1953年8月開館。1955年の映画館名簿では「吉永映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。
湊座/焼津湊座/湊映画劇場/ミナト座
所在地 : 静岡県志太郡焼津町(1930年・1936年・1950年)、静岡県焼津市昭和通3(1953年)、静岡県焼津市昭和通777(1955年・1960年)、静岡県焼津市焼津777(1963年)
開館年 : 1918年10月
閉館年 : 1961年5月
『全国映画館総覧1955』によると1918年10月開館。1930年・1936年の映画館名簿では「湊座」。1950年の映画館名簿では「焼津湊座」。1953年・1955年の映画館名簿では「湊映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「ミナト座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は昭和通り沿いの「鈴木薬局」南側の「大勝堂」。

1953年(昭和28年)の一枚図『焼津市』(職業交通社発行)には「湊劇場」が掲載されている。*152

1901年(明治34年)、国鉄焼津駅前の米穀配給所付近に芝居小屋「朝日座」が移された。駅前通り付近は茶畑が多くて人家は少なく、経営難に陥ったことから、1923年(大正2年)には昭和通りに移されて「湊座」に改称された。当時の小川新地には「見浜座」(浅草劇場の前身)や「焼津亭」(後に移されて焼津座に)があり、新富町の斯波歯科医院の場所にうかれ節や浪花節などが上演された「志友亭」があった。志友亭の場所は1966年(昭和41年)現在の中川歯科医院の隣である。湊座の開館後まもなくには志友亭が廃業している。湊座の経営者は元焼津市長の高富義一の妻であり、朝日座の経営者である川口新甫の娘だったが、昭和初期には昭和町の有志が共同で買い取って経営を続けた。湊座の開館時の昭和通りはまだ人家も少なかったが、次第ににぎわうようになって小料理屋などが開店した。湊座の前には福井屋料理店が移ってきて、1966年(昭和41年)現在の綿作の場所に家名登という料理店が移ってきた。現在の蒔田印刷店の場所には林家という料理店があり、現在の当り矢パチンコの場所には一寸バーという西洋料理店があった。やがて静岡市の大森楠山が経営者となり、その後は大森楠山の弟が経営者となった。1956年(昭和31年)には大勝堂が湊座を買い受け、東日本興業と賃貸契約を結んで営業を継続したが、1961年(昭和36年)5月に取り壊された。跡地には大勝堂が店舗を増築している。湊座が昭和通りの発展に尽くした功績は大きく評価される。*153

昭和初期の焼津にあった映画館「港座」(※湊座ではなく港座)の写真あり。現在の昭和通りにあった。当時は映画が娯楽の王様だった。*154

昭和初期の焼津にあった「港座映画劇場」(※湊座ではなく港座)の写真あり。大正町(現・昭和通り)にあった。最盛期の焼津市には7館の映画館があったが、1990年(平成2年)現在はすべて休廃館となった。*155

1954年(昭和29年)の焼津市にあった映画館「湊座」の写真あり。『荒野の三悪人』の看板が見える。現在の焼津市本町4丁目、昭和通りに面した場所にあった。当時は映画が最大の娯楽であり、1959年(昭和34年)の日本の映画人口は約12億人だった。最盛期の焼津市には8館の映画館があった。*156
オデオン座/焼津オデオン座
所在地 : 静岡県焼津市焼津512(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1953年12月開館。1957年の焼津市明細図では「オデオン座」。1959年の昭和通り名店街庇完成記念焼津市明細図では「オデオン座」。1960年・1963年の映画館名簿では「オデオン座」。1964年の焼津市住宅明細図では「オデオン座」。1966年・1969年の映画館名簿では「焼津オデオン座」。1968年の焼津市住宅明細図では「オデオン座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1984年・1987年・1990年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。現在の跡地はアパート「ヴェルディ焼津」。

1960年(昭和35年)頃の焼津市にあった映画館「オデオン座」の写真あり。水校通りにあった東宝の封切館である。美空ひばりが出演した『恋すがた狐御殿』のポスターが見える。*157

1955年(昭和30年)頃の焼津市にあった映画館「オデオン座」の写真あり。「Odeonza」のネオンが見える。2001年(平成13年)現在の焼津市焼津6丁目にあり、水産高校通りに面していた。*158

1955年(昭和30年)の焼津市にあった映画館「オデオン座」の写真あり。「Odeonza」のネオンが見える。2007年(平成19年)現在の焼津市焼津6丁目にあり、水産高校通りに面していた。焼津市には最大で8館の映画館があった。*159
焼津浅草劇場/焼津アサクサ劇場
所在地 : 静岡県焼津市焼津707(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1948年6月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1948年6月開館。1957年の焼津市明細図では「浅草劇場」。1959年の昭和通り名店街庇完成記念焼津市明細図では「浅草劇場」。1960年の映画館名簿では「焼津浅草劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「焼津アサクサ劇場」。1964年の焼津市住宅明細図では「浅草劇場」。1968年の焼津市住宅明細図では「浅草劇場」。1972年・1973年のゼンリン住宅地図では跡地に「パチンコ日光」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1984年・1987年・1990年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。現在の跡地は月極駐車場「有限会社エース貸駐車場」。

焼津の昭和通りが発展するにつれて、飲食店を中心とする歓楽街として浅草地区が生まれ、昭和通りの更なる発展にも寄与した。焼津市長の高富義一は東京の浅草六区を夢見て、観音堂や劇場を核とする楽天地の構想を立てた。1928年(昭和3年)には「見浜座」を浅草地区に移し、「歌舞伎座」と呼んで芝居や演芸を行った。同時に光心寺から観音像を勧請して静岡県の認可も取り、1929年(昭和4年)には後の「浅草劇場」前に観音堂を建立した。これが浅草という名称の由来である。開発前のこの地には田んぼが広がっていたが、飲食店を中心とする立派な歓楽街となった。1957年(昭和32年)、二級国道の開通に伴って浅草劇場は向きが変わった。この劇場の改築の際に観音堂は取り壊され、観音像は光心寺に戻っている。*160

焼津市の浅草通りという名称は浅草観音堂があったことに由来し、観音堂の横には「浅草劇場」もあった。昼間でも三味線の稽古の音が聞こえて芸妓が行きかい、大人の風情を感じる通りだった。*161
焼津東映劇場/焼津東映
所在地 : 静岡県焼津市焼津618-1(1960年)、静岡県焼津市焼津618-14(1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-6-11(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1987年以前
1972年のゼンリン住宅地図では「焼津東映」。1957年の焼津市明細図では「東映劇場」。1959年の昭和通り名店街庇完成記念焼津市明細図では「東映劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津東映劇場」。1964年の焼津市住宅明細図では「東映劇場」。1968年の焼津市住宅明細図では「東映劇場」。1973年・1979年・1984年のゼンリン住宅地図では「焼津東映」。1980年・1985年の映画館名簿では「焼津東映」。1987年・1988年・1990年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場。
第二焼津座/焼津東宝ヒカリ座/焼津大映ヒカリ座/焼津ヒカリ座/ヒカリ座
所在地 : 静岡県焼津市焼津678-9(1960年・1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-7-11(1985年)
開館年 : 1954年12月
閉館年 : 1985年以後1987年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1954年12月開館。1955年の映画館名簿では「第二焼津座」。1957年の焼津市明細図では「松竹映画ミナト座」(※ヒカリ座ではない)。1960年・1963年の映画館名簿では「ヒカリ座」。1964年の焼津市住宅明細図では「ヒカリ座」。1966年の映画館名簿では「焼津東宝ヒカリ座」。1968年の焼津市住宅明細図では「ひかり座」。1969年の映画館名簿では「焼津大映ヒカリ座」。1972年のゼンリン住宅地図では「ヒカリ座」。1973年・1976年の映画館名簿では「焼津ヒカリ座」。1973年・1979年・1984年のゼンリン住宅地図では「ヒカリ座」。1980年・1985年の映画館名簿では「ヒカリ座」。1987年・1988年・1990年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場。

1955年(昭和30年)の焼津市にあった映画館「ヒカリ座」の写真あり。『妻の心』、『チエミの婦人靴』の看板が見える。2001年(平成13年)現在の焼津市本町6丁目、神武通りに面した場所にあった。*162

1955年(昭和30年)の焼津市にあった映画館「ヒカリ座」の写真あり。『妻の心』、『チエミの婦人靴』の看板が見える。2007年(平成19年)現在の焼津市本町6丁目、神武通りに面した場所にあった。神武通りは昭和通りとともに栄えた通りであり、週末には多くの家族連れでにぎわった。*163
焼津東海劇場/東海劇場
所在地 : 静岡県焼津市中港184-4(1960年)、静岡県焼津市中港町145(1969年・1973年・1980年)、静岡県焼津市中港1-3-20(1985年)
開館年 : 1955年以後1957年以前
閉館年 : 1985年以後1987年以前
1957年の焼津市明細図では「東海劇場」。1959年の昭和通り名店街庇完成記念焼津市明細図では「東海劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「東海劇場」。1964年の焼津市住宅明細図では「東海劇場」。1972年の住宅地図では東海娯楽ビル2階の「東海劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津東海劇場」。1968年の焼津市住宅明細図では「東海娯楽ビル」。1973年のゼンリン住宅地図では「東海娯楽ビル 1階喫茶ターキー&東海パチンコ 2階東海劇場 3階東海ビリヤード 4-5階焼津ボウリングセンター 6階東海サウナブロ&ニコースビヤガーデン」。1979年のゼンリン住宅地図では「東海娯楽ビル 1階パチンコ東海ホール&ゲームコーナー 2階東海劇場 3階東海ビリヤード&小島興業事務所 6階サウナ」。1980年・1985年の映画館名簿では「東海劇場」。1984年のゼンリン住宅地図では「東海娯楽ビル 1階パチンコニューメトロ 2階東海劇場 3階東海ビリヤード&有限会社松栄」。1987年・1990年のゼンリン住宅地図では「東海娯楽ビル」があるが映画館は閉館済と思われる。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン焼津中港店」。
焼津スカラ座/スカラ座
所在地 : 静岡県焼津市焼津618(1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-6-7(1985年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1989年以後1990年以前
1957年の焼津市明細図では後の映画館の場所に「鰹水産加工」。1959年の昭和通り名店街庇完成記念焼津市明細図では後の映画館の場所に「鰹水産加工」。1964年の焼津市住宅明細図では後の映画館の場所に「関松化学工業KK」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の焼津市住宅明細図では後の映画館の場所に「アキヤ」。1972年のゼンリン住宅地図では「スカラ座(ピンク)」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津スカラ座」。1973年・1979年・1984年・1987年・1988年・1990年のゼンリン住宅地図では「スカラ座」。1980年・1985年の映画館名簿では「スカラ座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は民家。
焼津名画座/名画座
所在地 : 静岡県焼津市焼津678-33(1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-8-16(1985年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1989年以後1990年以前
1957年の焼津市明細図では後の映画館の場所に空白。1959年の昭和通り名店街庇完成記念焼津市明細図では後の映画館の場所に「松和堂カステラ」と「紋庄ラジオ店」と「服部水産加工」と「三集青果店」。1964年の焼津市住宅明細図では後の映画館の場所に「服部」(※1軒目)と「昭和堂」(※松和堂ではない)と「マスダカメラ店」と「服部」(※2軒目)と「三集屋青果店」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の焼津市住宅明細図では後の映画館の場所に「松和堂カステラ」と「マスダカメラ店」と「服部水産」と「三集屋青果」。1972年のゼンリン住宅地図では「名画座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津名画座」。1973年・1979年・1984年・1987年・1988年・1990年のゼンリン住宅地図では「名画座」。1980年・1985年の映画館名簿では「名画座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は民家。
焼津座
所在地 : 静岡県焼津市焼津612-1(1960年・1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-5-11(1985年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1989年以後1990年以前
『全国映画館総覧1955』によると1923年1月開館。1957年の焼津市明細図では「ヤイヅ座」。1959年の昭和通り名店街庇完成記念焼津市明細図では「焼津座」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「焼津座」。1964年の焼津市住宅明細図では「焼津座」。1968年の焼津市住宅明細図では「焼津座(関山博)」。1972年・1973年・1979年・1984年・1987年・1988年・1990年のゼンリン住宅地図では「焼津座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。焼津市最初の映画館であり、焼津市最後の映画館だった。跡地は「本町南公園」。

1953年(昭和28年)の一枚図『焼津市』(職業交通社発行)には「焼津座」が掲載されている。*164

1953年(昭和28年)の焼津市にあった映画館「ヤイヅ座」の写真あり。2001年(平成13年)現在の焼津市本町6丁目にあった。*165

1955年(昭和30年)の焼津市にあった映画館「ヤイヅ座」の上映作品看板の写真あり。2007年(平成19年)現在の焼津市本町2丁目、加藤造園の塀に架けられていた看板である。片岡千恵蔵主演の『復讐の七仮面』のポスターが見える。ヤイヅ座は「ヒカリ座」とともに本町6丁目にあった映画館である。*166

1981年(昭和56年)の『焼津商工名鑑』には映画興業を行う唯一の事業所として「焼津興業(株)」が掲載されている。代表者は関山博司、所在地は焼津市本町6-5-11。*167

榛原郡吉田町

吉田座/吉田中央劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉田町片岡(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1924年9月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1924年9月開館。1958年の映画館名簿では「吉田座」。1960年・1963年の映画館名簿では「吉田中央劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
神戸映画劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉田町神戸(1960年・1963年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1967年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「神戸映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の榛南地区住宅明細図では「神戸劇場」。

1959年の神戸劇場(かんどげきじょう)の写真あり。神戸の交差点近くにあった。1957年頃に建設され、1967年頃まで営業していた。広告看板には初倉地区の商店の名前も見える。跡地には民家が建っており、近くにはJAハイナン神戸支店や吉田町立自彊小学校がある。映画館前の静岡県道79号吉田大東線は交通量の増加により拡幅整備された。*168
住吉劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉田町住吉(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、静岡県榛原郡吉田町住吉2469(1969年)
開館年 : 1926年6月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1926年6月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「住吉劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の榛南地区住宅明細図では確認できず、「久保田ふとん店」の南側は空白となっている。

榛原郡川根本町

大井公会堂
所在地 : 静岡県榛原郡中川根村上長尾(1960年)、静岡県榛原郡中川根町上長尾(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「大井公会堂」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
徳山劇場
所在地 : 静岡県榛原郡中川根町徳山(1963年・1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「徳山劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
小長井座/小長井劇場
所在地 : 静岡県榛原郡本川根町114(1958年)、静岡県榛原郡本川根町小長井(1960年・1963年)、静岡県榛原郡本川根町菊川124-1(1966年)
開館年 : 1934年10月頃
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「小長井劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

戦前と戦後を通じて、「小長井座」は本川根町にあった唯一の映画館・演劇場である。湯山・大井川発電所の建設によって人口が増加したこともあり、1934年(昭和9年)9月から10月頃に東川根村小長井に建てられた。前方にはスクリーン・ステージ・楽屋などがあり、座席は4人用腰かけ椅子が約100人分並んでいた。後方には売店もあった。戦後も約20年間にわたって営業された。
*169

静岡市

葵区・駿河区

静岡県の映画館
静岡県の映画興行は全国的にみて上位にある。1959年(昭和34年)現在で静岡県には241館があり、自治体別では静岡市24館、浜松市18館、沼津市12館、清水市11館の順である。1957年度(昭和32年度)には静岡県全体で2961万人の観客があり、1人あたり11回/年を鑑賞した計算となるが、日本全体の1人あたり12回/年寄りは少ない。静岡県最高の静岡市では1人あたり24回/年となるが、静岡県最低の安部郡では1人あたり4回/年だった。静岡県の映画館の90%以上がシネスコ館であり、都市部では他の娯楽施設や喫茶店を併設した会館式の映画館が増加した。*170

近年の静岡県にはシネコンが数多く開館しており、1997年には三島市に「ジョイランドシネマみしま」、1998年には富士市に「富士シネ・プレーゴ」、清水市に「MOVIX清水」、2000年11月には浜松市に「ヴァージンシネマズ浜松」が開館した。*171

2009年(平成21年)現在の静岡市には、葵区七間町に13スクリーン、葵区御幸町に3スクリーン、清水区入船町に9スクリーン(シネコン)の計25スクリーンがある。中心市街地に13スクリーンがあるのは全国的に見て珍しい。1940年(昭和15年)の静岡大火や1945年(昭和20年)の静岡空襲によって映画館はすべて焼失したが、1946年(昭和21年)から次々と映画館が開館し、最盛期の1957年(昭和32年)には静岡市で27館、清水市で12館、蒲原町で2館、由比町で1館、計42館の映画館があった。*172

『静岡映画館物語』には「静岡市中心地・映画館マップ」が掲載されている。*173
静活株式会社
1959年(昭和34年)現在、静活株式会社は静岡市14館、清水市5館、島田市1館、沼津市1館の映画館を所有し、六大都市を除く地方の映画興行会社では全国一の経営規模を誇る。映画館のほかに、静岡大映の階下にある静岡アイスパレスも経営しており、静岡アイスパレスは静岡県唯一のアイススケート場である。年間収益は約19億円であり、投下資本の35%という好成績を示している。1919年(大正8年)創業。現在の資本金は2億5000万円であり、株主は1600人中96%が静岡市在住。1940年の静岡大火、1945年の静岡空襲では全館が焼失したが、見事に復興を遂げた。*174
新興劇場
所在地 : 静岡市静岡市七間町
開館年 : 1941年
閉館年 : 1945年?
1940年の静岡大火後の1941年に開館。1941年の写真あり。2009年時点では岩井屋・ゴール・珈琲舎茜の場所。2018年時点では泊まれる純喫茶ヒトヤ堂の場所。*175
電気館(戦後)/静岡電気館/静岡大映劇場(2代)
所在地 : 静岡県静岡市七間町3-8(1950年)、静岡県静岡市七間町14(1953年)、静岡県静岡市七間町14-4(1955年・1958年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1957年頃
1950年・1953年の映画館名簿では「電気館」。1955年の映画館名簿では「静岡電気館」。1958年の映画館名簿では「静岡大映劇場」。1957年12月には跡地に静岡大映劇場が入る静岡文化会館が開館。
静岡映画劇場
所在地 : 静岡県静岡市(1950年)、静岡県静岡市七間町4-2(1953年・1955年)、静岡県静岡市七間町4(1958年)、静岡県静岡市七間町4-2(1960年)
開館年 : 1948年
閉館年 : 1962年6月
1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「静岡映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1954年(昭和29年)1月の静岡市にあった映画館「銀映劇場」の写真あり。跡地のパチンコ西陣の1969年(昭和44年)1月の写真あり。*176

1969年(昭和44年)の静岡市にあったパチンコ店「西陣」の写真あり。現在の葵区七間町にあった。1948年に映画館「静映」(※銀映ではない)が開館し、松竹作品上映館、洋画上映館となった後、1957年(昭和32年)12月に日活作品封切館となった。1962年(昭和37年)6月に閉館し、跡地はパチンコ店「西陣」があった。*177
電気館(戦前)/セントラル劇場/銀座劇場/静岡銀座劇場
所在地 : 静岡県静岡市(1930年・1936年)、静岡県静岡市七間町3丁目(1950年)、静岡県静岡市七間町17-2(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1920年、1946年8月
閉館年 : 1961年
1930年・1936年の映画館名簿では「電気館」。1950年・1953年の映画館名簿では「銀座劇場」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「静岡銀座劇場」。1961年12月に銀座劇場の跡地に静活有楽会館が開館。

1920年(大正9年)に開館した「電気館」は静活の主力館であり、「キネマ館」と双璧とされる映画館だった。当時の映画館には全国的に電気館という名前の映画館が多かった。*178

1946年の静岡市にあった「セントラル劇場」の写真あり。『ターザンの復讐』の映画看板が見える。昔の「電気館」であり、戦後もっとも早く開館した映画館である。*179

1953年(昭和28年)9月の静岡市にあった映画館「銀座劇場」の写真あり。*180

1948年(昭和23年)の静岡市にあった「銀座劇場」の写真あり。現在の葵区七間町にあった。前身は1946年(昭和21年)8月に開館した「セントラル劇場」であり、その後銀座劇場となった。1961年12月には建て直されて「静活有楽会館」が開館した。2009年(平成21年)現在は「静岡ミラノ・2・3」となっている。*181
静岡大映劇場(初代)/静岡東映劇場(旧)/静岡日活劇場/第一劇場
所在地 : 静岡県静岡市両替町2-4(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧1955』によると1945年12月開館。1950年の映画館名簿では「静岡大映劇場」。1953年の映画館名簿では「第一劇場」。1955年の映画館名簿では「静岡東映劇場」。1958年の映画館名簿では「静岡日活劇場」。1960年の映画館名簿では「第一劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
ミリオン劇場
所在地 : 静岡県静岡市幸町43(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「ミリオン劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
玉川座/小川座/若竹座/常盤座/松竹座/静岡国際劇場/国際劇場
所在地 : 静岡県静岡市駿河町(1950年)、静岡県静岡市駿河町3-2(1953年・1955年・1958年・1960年)、静岡県静岡市駒形通1-9(1963年)
開館年 : 1870年(玉川座)、1887年(若竹座)、1946年12月(国際劇場)
閉館年 : 1963年6月
Wikipedia : 若竹座
『全国映画館総覧1955』によると1946年12月開館。1950年の映画館名簿では「静岡国際劇場」。1953年の映画館名簿では「国際劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「静岡国際劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「国際劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エンブル・シティ七間町」。

1870年に芝居小屋の玉川座として開館し、小川座を経て1887年には若竹座となった。若竹座では1897年に静岡で初の活動写真が上映されている。1940年の静岡大火後には常盤座や松竹座に名を変えた。太平洋戦争後の1946年には洋画封切館の国際劇場となった。特に映画看板が秀逸だった。1963年6月に閉館し、10月には跡地が静岡ボウリングセンターとなった。国際劇場時代の映画看板の写真が多数あり。*182

1950年(昭和25年)頃の静岡市にあった映画館「国際劇場」の写真あり。「洋画特選 国際劇場」の文字が見える。前身は1928年完成の芝居小屋「玉川座」であり、玉川座は静岡映画の発祥の地である。後に「若竹座」に改称し、1946年に国際劇場に改称して洋画専門館となった。1963年(昭和38年)6月に閉館した。*183
富士見劇場/富士見東映劇場
所在地 : 静岡県静岡市五番町35(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「富士見劇場」。1963年の映画館名簿では「富士見東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
地球座/静岡地球座
所在地 : 静岡県静岡市南町2-3-4(1955年)、静岡県静岡市南町3-4(1958年)、静岡県静岡市南町2-3-4(1960年)、静岡県静岡市南町2-3(1963年)、静岡県静岡市南町2-3-4(1966年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1966年8月29日
『全国映画館総覧1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「地球座」。1966年の映画館名簿では「静岡地球座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

静岡駅南側の南街に開館。洋画旧作2本立ての二番館。1952年12月に開館し、1957年3月には経営が静活に移行。1966年8月29日をもって閉館した。1953年12月の写真あり。*184
白鳥座/静岡第二東映劇場/東映白鳥座/静岡白鳥座
所在地 : 静岡県静岡市長谷町35(1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「白鳥座」。1960年の映画館名簿では「静岡第二東映劇場」。1963年の映画館名簿では「東映白鳥座」。1966年の映画館名簿では「静岡白鳥座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

浅間神社の石鳥居前、長谷通りと呼ばれる一角にあった。三本立ての二番館であり、入場料が安めで気軽に入れる映画館だった。1953年頃の写真あり。*185
歌舞伎座/東映静岡歌舞伎座/静岡歌舞伎座
所在地 : 静岡県静岡市両替町3丁目(1950年)、静岡県静岡市両替町2-2(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、静岡県静岡市両替町2-1(1969年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1969年以降1973年以前(移転閉館)
『全国映画館総覧1955』によると1923年2月開館。1950年・1953年の映画館名簿では「歌舞伎座」。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「静岡歌舞伎座」。1969年以後1973年以前に七間町8に移転。跡地は「静活プラザボウルビル」。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。

1922年(大正11年)に今日の青葉通りの場所に「歌舞伎座」が開館したが、1940年(昭和15年)1月15日の静岡大火で焼失した。著名建築家の村野藤吾の設計で再建されるが、1945年(昭和20年)6月19日・20日の静岡大空襲で再び焼失した。*186

両替町にあった歌舞伎座。邦画の封切館だった「歌舞伎座」は、目抜き通りから一歩それた両替町にあった。1950年頃の写真あり。*187

大正時代の1922年の開館当時の歌舞伎座の写真あり。1940年の静岡大火後の1941年には、村野藤吾の設計によって歌舞伎座が新築された。映画館のイメージを一新する、ロココを思わせる美しいカーブが特徴的だった。1941年の開館当時の写真あり。1951年のカブキ座時代の写真あり。1969年3月のカブキ時代の写真あり。*188
ロマンス座/静岡ロマンス座
所在地 : 静岡県静岡市三番町30-1(1958年・1960年)、静岡県静岡市三番町3-1(1963年)、静岡県静岡市三番町30(1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ロマンス座」。1966年の中部広報社住宅明細図では「ロマンス座」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡ロマンス座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ヴェル・エコール三番町」。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。
静岡駅南東映劇場
所在地 : 静岡県静岡市稲川町3(1963年・1966年)、静岡県静岡市稲川1-6-4(1969年)
開館年 : 1960年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「静岡駅南東映劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「駅南東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静岡オレンジホテル」。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。
駅南劇場/静岡駅南劇場
所在地 : 静岡県静岡市南町1-11(1958年)、静岡県静岡市南町1丁目11-5(1960年)、静岡県静岡市南町1-2(1963年)、静岡県静岡市南町1-11-5(1966年)、静岡県静岡市南町14-21(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「駅南劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「駅南劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡駅南劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静岡科学館る・く・る」が入る再開発ビル「エスパティオ」南側角。最寄駅はJR静岡駅。
駒形劇場/静岡駒形劇場
所在地 : 静岡県静岡市駒形33(1958年)、静岡県静岡市駒形町33(1960年)、静岡県静岡市駒形通2-1(1963年)、静岡県静岡市駒形通2-9(1966年)、静岡県静岡市駒形通2-1-25(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「駒形劇場」。1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「静岡駒形劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「駒形劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「スコーピオンハーツ」南側の駐車場。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。
静岡宝劇場/宝劇場/文化劇場/静岡文化劇場
所在地 : 静岡県静岡市安部町9(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「静岡宝劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「宝劇場」。1960年の映画館名簿では「文化劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「文化劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡文化劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「眼鏡市場静岡浅間通り店」の駐車場。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。
南風座/東映南風座/静岡南風座
所在地 : 静岡県静岡市東鷹匠町71(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1953年1月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1953年1月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「南風座」。1960年・1963年の映画館名簿では「東映南風座」。1966年の中部広報社住宅明細図では「南風座映画館」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡南風座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「マツモトキヨシ東鷹匠店」の東。「きよみずさん通り」にあり、「静岡学園中学校・高等学校」の西側すぐ。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。
城東劇場/静岡城東劇場
所在地 : 静岡県静岡市東鷹匠町(1958年)、静岡県静岡市東鷹匠町104(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「静岡城東劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「城東劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「城東劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡城東劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「太田町市場」のはす向かい。「きよみずさん通り」にあり、「静岡学園中学校・高等学校」の西側すぐ。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。
オリオン座/静岡オリオン座(初代)
所在地 : 静岡県静岡市七間町13(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1951年12月31日
閉館年 : 1971年
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「オリオン座」。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「静岡オリオン座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は昭和通りと青葉通りの交差点北西角にある有料駐車場「パーククラブ七間町」。

1959年(昭和34年)現在の「静岡オリオン座」の写真あり。「Orion」「LIVE TODAY」の文字が見える。静岡オリオン座は洋画ロードショー館であり、優れた映写設備やロマンスシートで知られている。*189

1969年(昭和44年)の旧「静岡オリオン座」の写真あり。正面の壁面には大壁画があり、「LIVE TODAY」の文字が見える。『空軍大戦略』の看板が見える。現在の葵区七間町にあった。1951年(昭和26年)12月に開館し、東海一の規模を誇った。1971年(昭和46年)10月に閉館した。*190

1951年(昭和26年)末に開館した、東海一の規模を誇る映画館。ビルの壁面には「LIVE TODAY」の文字が書かれている。1970年(昭和45年)7月には『ヨーロッパの開放』を、1971年(昭和46年)には『新・猿の惑星 バニシング・ポイント』上映。両作品の映画看板が目立つ写真あり(2枚)。1971年(昭和47年)に閉館した。*191

1854年の静岡市にあった映画館「オリオン座」の写真あり。オリオン座は洋画のロードショウ専門館であり、ややハイグレードな印象があった。2階には同伴用特別席もあった。通りに面した壁面にはオリジナルの壁画が描かれていた。他館よりやや入場料が高めだった。『第三の男』『ローマの休日』『リオグランデの砦』などを上映した。*192

『チャップリンの独裁者』の映画看板が見える1960年の写真、『007 サンダーボール作戦』の映画看板が見える1965年12月の写真、『トラ! トラ! トラ!』の映画看板が見える1965年12月あり。*193
ニュース劇場/朝日劇場/中央劇場/静岡中央劇場/静岡東宝劇場
所在地 : 静岡県静岡市七間町(1950年)、静岡県静岡市七間町12(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1983年頃(ビル化)
1950年の映画館名簿では「静岡中央劇場」。1953年の映画館名簿では「中央劇場」。1955年の映画館名簿では「静岡中央劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「静岡東宝劇場」。1983年12月17日に静岡東宝会館が竣工してビル化。

1946年にニュース劇場として開館し、洋画や東宝作品を上映。その後朝日劇場、中央劇場に改称した。その後東宝劇場、東宝シネセブンに改称し、2015年現在は東宝会館。1953年の『太平洋の鷲』の映画看板が目立つ写真あり。*194
名画座/静岡名画座/静岡カブキ(2代)/カブキ座
所在地 : 静岡県静岡市七間町8(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「名画座」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「静岡名画座」。1973年・1976年の映画館名簿では「静岡カブキ」。1980年の映画館名簿では「カブキ座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「パーク・クラブ七間町第5」。
静岡南街劇場/南街劇場
所在地 : 静岡県静岡市馬渕3-6(1958年)、静岡県静岡市馬渕町2丁目6-2(1960年)、静岡県静岡市馬渕町3-6(1963年)、静岡県静岡市馬渕町3-6-2(1966年)、静岡県静岡市泉町7-14(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1990年以後1993年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「南街劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「南街劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「静岡南街劇場」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「南街劇場」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホーチキ静岡支社」東にある月極駐車場「南街ガレージ」。最寄駅はJR東海道本線静岡駅。
百人劇場
所在地 : 静岡県静岡市伝馬町
開館年 : 1994年10月31日、2000年4月
閉館年 : 2002年3月24日
1995年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。

2002年3月24日には静岡市伝馬町の映画館「百人劇場」が閉館する。映画館が入る「メディアシティ静岡ビル」が再開発されるため。1994年のメディアシティ静岡ビルのオープンとともに開館した。座席数は105席。大型スクリーンを備えた映像ホールであり、演劇・コンサート・企業セミナーなどに利用されていた。1997年に香港映画『ブエノスアイレス』を上映すると好評だったため、短髪でミニシアター系作品を上映するようになり、2000年4月には本格的な上映を開始した。現在までに約100作品を上映しており、総観客数は3万3000人。会員組織「シネギャラリー」があり、サールナートホールと共同運営していた。最終上映作品は『ブエノスアイレス』。*195
静岡東映劇場(新)/静岡東映劇場・東映パラス劇場/静岡東映劇場・静岡ニュー東映/静岡東映劇場・静岡ニュー東映劇場/静岡東映劇場・静岡東映パラス
所在地 : 静岡県静岡市七間町12(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2008年9月12日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「静岡東映劇場」。1960年の映画館名簿では「静岡東映劇場・東映パラス劇場」(2館)。1963年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡ニュー東映」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡ニュー東映劇場」(2館)。1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡東映パラス」(2館)。1985年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡東映パラス劇場」(2館)。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡東映パラス」(2館)。2005年の映画館名簿では「静岡東映劇場」。東映直営館としては2008年9月12日に閉館したが、静活が跡地を借り受けて静岡ピカデリーZEROを開館させた。跡地はマンション「シーウェーブ七間町」。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。

1956年(昭和31年)、静岡市初の親子劇場(※2スクリーン以上を持つ映画館のことだと思われる)として開館した。下階には東映封切館の静岡東映があり、上階には洋画封切館の東映パラスがある。1959年(昭和34年)現在の建物の写真あり。*196

1960年(昭和35年)頃の静岡市の七間町通りの空撮写真あり。「東映パラス」の看板や映画看板が見える。*197
静活有楽会館
所在地 : 静岡県静岡市七間町17(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年)、静岡県静岡市葵区七間町17 静活有楽会館(2010年)
開館年 : 1961年(静岡日活劇場・ミラノ)、1988年(ミラノ1・2・3)
閉館年 : 2011年10月2日
1963年の映画館名簿では「静岡日活劇場・アートシアター ミラノ」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡日活劇場・静岡アートシアターミラノ」(2館)。1973年の映画館名簿では「並木座・静岡アートシアターミラノ」(2館)。1976年の映画館名簿では「並木座・アートシアターミラノ」(2館)。1980年の映画館名簿では「並木座・ミラノ」(2館)。1985年の映画館名簿では「静岡にっかつ並木座・ミラノ・静岡カブキ」(3館)。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では七間町17に「ミラノ1・2・3」(3館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は「静活有楽会館」。

1961年(昭和36年)の静岡市にあった映画館ビル「有楽会館」の写真あり。現在の葵区七間町にあった。1961年(昭和36年)12月、「銀座劇場」の跡地に有楽会館が開館した。1階と2階が「静岡日活」、4階と5階が洋画封切館「アートシアターミラノ」、地下にパチンコ店があった。*198
静岡文化会館
所在地 : 静岡県静岡市七間町14(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)、静岡県静岡市葵区七間町14(2010年)
開館年 : 1957年12月(静岡大映劇場)、1971年(静岡松竹劇場)
閉館年 : 2011年10月2日
港町キネマ通り : 静岡ピカデリー1・2
1960年・1963年の映画館名簿では「静岡大映」。1966年の映画館名簿では「静岡大映劇場」。1969年の映画館名簿では「静岡大映劇場・大映上小劇場」(2館)。1973年・1976年の映画館名簿では「静岡松竹劇場」。1980年の映画館名簿では「静岡松竹劇場・静岡名画座・小劇場」(3館)。1985年の映画館名簿では「静岡松竹・小劇場」(2館)。1990年・1995年の映画館名簿では「静岡松竹・静岡ピカデリー・小劇場」(3館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「静岡ピカデリー1・2・小劇場」(3館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は「静岡文化会館」。跡地はマンション「ザ・エンブル七間町」。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。

1959年(昭和34年)現在の「静岡大映ビル」の写真あり。階下にはスケートリンクがあり、屋上にはプラネタリウムがある。*199

1968年(昭和43年)の静岡市にあった、「静岡大映」が入る「文化会館」の写真あり。現在の葵区七間町にあった。1957年(昭和32年)12月に開館した。静岡初のスケートリンク「アイスパレス」、レストラン「エーワン」、屋上にプラネタリウム、ニュース喫茶などが入る総合レジャービルだった。*200
ピカデリーZERO
所在地 : 静岡県静岡市葵区七間町12(2010年)
開館年 : 2008年9月13日
閉館年 : 2011年10月2日
2008年9月12日に閉館した静岡東映劇場を引き継いで2008年9月13日に開館。2010年の映画館名簿では「ピカデリーZERO」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「シーウェーブ七間町」。最寄駅はJR東海道本線静岡駅または静岡鉄道新静岡駅。
静活会館
所在地 : 静岡県静岡市七間町15(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)、静岡県静岡市葵区七間町15(2010年)
開館年 : 1951年12月(静岡松竹劇場)、1971年(オリオン座)
閉館年 : 2011年10月2日
Wikipedia : 静岡オリオン座
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「静岡松竹映画劇場・有楽座」(2館)。1960年の映画館名簿では「静岡松竹劇場」。1963年の映画館名簿では「静岡松竹劇場・有楽座」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡松竹劇場・静岡有楽座」(2館)。1973年・1976年の映画館名簿では「静岡オリオン座・静岡有楽座」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「静岡オリオン座・有楽座」(2館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は「静活会館」。跡地は「静岡市上下水道局ビル」。

1959年(昭和34年)と1968年(昭和43年)の「有楽座」と「静岡松竹劇場」の写真あり。1959年の有楽座では『ぼくの伯父さん』を上映していた。*201

1959年(昭和34年)現在の「静活会館」の写真あり。総工費は1億5000万円。東海随一の映画の殿堂とされる。地上は松竹封切館の「静岡松竹劇場」であり、定員は1300人。回り舞台と楽屋を備えているため演劇にも使用できる。地下は洋画封切館の「有楽座」であり、定員は800人。*202

1957年(昭和32年)の静岡市にあった映画館ビル「静活会館」の写真あり。「静岡松竹劇場」「有楽座」の文字が見える。現在の葵区七間町にあった。スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』をモザイクタイルで表現した大壁画があった。1971年、「静岡松竹劇場」の跡地に「静岡オリオン座」が移転して入った。*203
静岡東宝会館
所在地 : 静岡県静岡市七間町12(2005年)、静岡県静岡市葵区七間町12(2010年・2015年)
開館年 : 1983年12月17日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 静岡東宝会館
1983年12月17日に静岡東宝会館が竣工してビル化。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「静岡東宝・静岡東宝プラザ・静岡東宝スカラ座」(3館)。2000年の映画館名簿では「静岡東宝・静岡東宝プラザ・静岡東宝スカラ座・静岡ヴェルデ東宝」(4館)。2005年・2010年の映画館名簿では「静岡東宝会館シネ1・シネ2・シネ3・シネ4」(4館)。2015年の映画館名簿では「静岡東宝会館シネ1・シネ2・シネ3・シネ4・シネ5」(5館)。

1946年にニュース劇場として開館し、洋画や東宝作品を上映。その後朝日劇場、中央劇場に改称した。その後東宝劇場、東宝シネセブンに改称し、2015年現在は東宝会館。1953年の『太平洋の鷲』の映画看板が目立つ写真あり。*204
静岡シネギャラリー1・2
所在地 : 静岡県静岡市葵区御幸町11-14
開館年 : 2003年12月20日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 静岡シネ・ギャラリー
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年の映画館名簿では「静岡シネ ギャラリー1・2」(2館)。2010年・2015年の映画館名簿では「静岡シネギャラリー1・2」(2館)。2スクリーンのミニシアター。

『映画と映画館の本 ジャックと豆の木』シネマ・ジャック&ベティ、2017年、4号には「映画館探訪 静岡シネ・ギャラリー」が掲載されている。*205
シネシティザート
所在地 : 静岡県静岡市葵区鷹匠1丁目1-1 新静岡セノバ9階
開館年 : 2011年10月5日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネシティザート
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2015年の映画館名簿では「シネシティザート1-10」(10館)。10スクリーンのシネコン。

清水区

清水市の映画館
戦前の清水市あった劇場や映画館としては、紺屋町に「歌舞伎座」、志茂町に「敷島館」、江尻跨線橋近くに「栄寿座」、電車通りに「立花館」、万世町に「オペラ館」、駒越に「不二見座」、三保に「平和館」があった。オペラ館の写真あり。*206

「歌舞伎座」や「立花館」では活動写真に加えて、旅回りの時代劇・新派劇・少女歌舞伎・ダンスも上演され、政談演説会や講習会の会場にもなった。万世町通りを折れて万世橋に向かう左側には「オペラ館」があったが、1938年には「銀映座」に代わった。銀映座の新装開店記念写真あり。*207

1909年(明治42年)には相生町に芝居専門小屋「栄寿座」が開館し、六代目尾上菊五郎が舞台開きを行った。1916年(大正5年)には松井須磨子らの芸術座が「復活」を上演し、清水市民はカチューシャの歌に熱狂したとされる。1920年(大正9年)、万世町1丁目の万世橋のたもとに、清水初の活動写真の常設館である「オペラ館」が開館した。以後の浜田地区には多くの映画館が開館したが、すべての映画館が1945年(昭和20年)の清水大空襲で焼失した。戦後には再び浜田地区に映画館が開館したが、1958年(昭和33年)頃から映画人気が陰りを見せ、1987年(昭和62年)現在は巴町に3館があるのみである。1951年(昭和26年)から1952年(昭和27年)頃の栄寿座の写真あり。*208

1912年(大正元年)の静岡県には活動写真常設館が3館あり、そのうちの1館が清水の辻にあった「敷島館」である。辻には演劇場の「栄寿座」が、江尻紺屋町には演劇場の「歌舞伎座」もあった。大正年代には現在の相生町に活動写真館「立花館」が、現在の万世町に活動写真館「オペラ館」(後の銀映座)が開館した。昭和に入ると栄寿座が改築して映画館となり、敷島館の姉妹館として郵便局本局前に「清水劇場」が開館した。1945年(昭和20年)の清水大空襲ではすべての映画館が焼失した。戦後の1946年(昭和21年)には、現在の相生町に「栄寿座」、「さくら映劇」、「セントラル劇場」、「東宝劇場」が、国鉄清水駅前に「ダイヤモンド劇場」が相次いで開館した。昭和30年代が映画の黄金期であり、前述の映画館のほかに「清水松竹劇場」、「羽衣劇場」、「清水オリオン座」、「みなと劇場」、「三保劇場」、仲浜町に「名画座」が開館した。その後はパチンコ店の大規模化の影響や、テレビやボウリングなどの隆盛もあって閉館する映画館が多く、特にレンタルビデオの出現によって決定的な打撃を受けた。1989年(平成元年)8月には清水市に最後まで残っていたオリオン座が閉館し、清水市から映画館がなくなった。*209
興津中宿公会堂/中町公会堂
所在地 : 静岡県清水市興津中町(1963年)、静岡県清水市興津中町429(1965年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1965年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1962年の清水市住宅明細図では「興津公会堂」。1963年の映画館名簿では「興津中宿公会堂」。1965年の映画館名簿では「中町公会堂」。1965年の映画館名簿では280席、東映・大映を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート清水興津駅前店」駐車場。最寄駅はJR東海道本線興津駅。

興津駅の近くには「開情館」という映画館があったとされるが、清水映画サークル協議会代表の筆者にはまったく記憶がない。毎日の上映ではなく不定期上映だったとされる。(※開情館が興津中宿公会堂のことを指すのかどうかは不明)*210
第二東映みなと劇場/みなと劇場
所在地 : 静岡県清水市下清水674(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「みなと劇場」。1960年の映画館名簿では「第二東映みなと劇場」。1962年の清水市住宅明細図では「みなと劇場」。1963年の映画館名簿では「みなと劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アーバンハイツ港橋」。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線入江岡駅。
三保劇場
所在地 : 静岡県清水市三保町488(1958年)、静岡県清水市三保192-5(1960年・1963年)、静岡県清水市三保宮方192(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三保劇場」。1962年の清水市住宅明細図では「三保劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ほっともっと清水三保店」北側の空き地。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。
由比映画劇場
所在地 : 静岡県庵原郡由比町336(1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1923年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1923年5月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「由比映画劇場」。1960年の由比・蒲原地区明細図では「由比劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「角田生花店」。最寄駅はJR東海道本線由比駅。

由比町にあった「巴座」の写真あり(撮影年不明)。1916年(大正5年)に活動写真『カチューシャ』を上映したのが映画興行の始まりである。1925年(大正14年)には巴亭から巴座に改称した。(※由比映画劇場の説明かどうかは不明)*211

昭和初期の由比町にあった常設映画館「巴座」の写真あり。1926年(大正15年)に開館し、由比町唯一の映画館だった。(※由比映画劇場の説明かどうかは不明)*212
蒲原桜座/桜座/蒲原オリオン座/蒲原オリオン
所在地 : 静岡県庵原郡蒲原町神沢198(1958年・1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1931年6月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧1955』によると1931年6月開館。1955年の映画館名簿では「蒲原桜座」。1958年・1960年の映画館名簿では「桜座」。1960年の富士川・蒲原地区明細図では「桜座映画館」。1963年の映画館名簿では「蒲原オリオン座」。1966年・1969年の映画館名簿では「蒲原オリオン」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「蒲原聖母幼稚園」北東隣の民家。最寄駅はJR東海道本線蒲原駅。

蒲原町にあった「桜座」の写真あり(撮影年不明)。大正初期から芝居・浪曲・映画などが興行された。桜座は1965年(昭和40年)頃まで続いた。1930年(昭和5年)9月30日の桜座のビラの写真あり。*213
栄寿座/清水栄寿座
所在地 : 静岡県清水市相生町67(1953年・1955年)、静岡県清水市相生町(1960年)、静岡県清水市相生町67(1966年・1969年)
開館年 : 1909年、1939年、1946年6月、1952年6月
閉館年 : 1970年
1950年の映画館名簿では「清水栄寿座」。『全国映画館総覧1955』によると1952年6月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「栄寿座」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「清水栄寿座」。1970年の清水市住宅明細図では「栄寿座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「秀英予備校清水本部校」。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。

清水市の新清水駅の北側には「栄寿座」があり、1939年(昭和14年)に劇場・映画館としての営業を開始した。映画以外には浪花節や芝居などの興行も行われ、東海道筋ではよく知られた劇場だった。1945年(昭和20年)には太平洋戦争の空襲で焼失したが、1946年(昭和21年)6月に再建されて営業を再開した。1947年(昭和22年)には専属劇団「ポート・シミズ」が結成され、歌謡やダンスなどの興行も行われた。NHKの「お笑い三人組」で人気があった歌手・女優の楠トシエは、「ポート・シミズ」で育った人物である。*214

1909年(明治42年)には相生町に「栄寿座」が開館した。1945年(昭和20年)の清水大空襲で焼失したが、戦後に営業を再開した。1970年(昭和45年)に閉館した。*215
ダイヤモンド劇場/ダイヤ劇場/清水ダイヤ劇場
所在地 : 静岡県清水市大和町22(1953年・1955年・1960年)、静岡県清水市大和町28(1966年・1969年)
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1946年9月開館。1950年・1953年の映画館名簿では「ダイヤモンド劇場」。1955年の映画館名簿では「ダイヤ劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「清水ダイヤ劇場」。1970年の清水市住宅明細図では「ダイヤ映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は清水駅前交差点南西の1978年竣工の商業ビル「カーニープレイス清水」建物北側。最寄駅はJR東海道本線清水駅。
清水羽衣劇場/羽衣劇場(旧)
所在地 : 静岡県清水市富士見町1-51(1969年)
開館年 : 1956年8月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「清水羽衣劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「羽衣劇場」。1970年の清水市住宅明細図では「羽衣劇場」。1969年以後1973年以前に富士見町から伝馬町に移転。跡地は立体駐車場「モクサンパーク」。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。
清水松竹映画劇場・清水オリオン座/清水松竹劇場・清水オリオン座/清水名画座・清水オリオン座(旧)
所在地 : 静岡県清水市相生町9(1960年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1956年12月
閉館年 : 1973年(移転閉館)
1960年・1963年の映画館名簿では「清水松竹映画劇場・清水オリオン座」。1966年・1969年の映画館名簿では「清水松竹劇場・清水オリオン座」。1970年の清水市住宅明細図では「オリオン座 松竹劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「清水名画座・オリオン座」。1973年に巴町168に移転。跡地は「東京海上日動火災保険静岡支社」。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。

1959年(昭和34年)現在の「清水オリオン」の写真あり。静活株式会社の経営である。*216

1956年(昭和31年)には相生町に「オリオン座」と「松竹映画劇場」が開館した。1966年(昭和41年)に巴町に移転し、1987年(昭和62年)現在はオリオン座が洋画専門館として、松竹映画劇場が邦画専門館として営業している。*217

1960年(昭和35年)の清水市にあった「清水オリオン座」と「松竹映画劇場」が入るビルの写真あり。「SHIZUKATSU CHAIN」の文字が見える。現在の静岡市清水区相生町にあった。戦後の清水市を代表する映画館ビルであり、1956年(昭和31年)12月に開館した。『青い女馬』と『狂った野獣』のポスターが見える。*218

1961年の清水市にあった映画館「清水オリオン座」の写真あり。『シンデレラ野郎』と『世界の夜』のポスターが見える。現在の静岡市清水区相生町にあった。洋画専門館であり、静岡市七間町にある映画館から数か月遅れで公開された。*219
東宝劇場/清水東宝劇場
所在地 : 静岡県清水市相生町31(1953年・1955年・1960年)、静岡県清水市相生町41(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1946年7月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧1955』によると1946年7月開館。1950年の映画館名簿では「清水東宝映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「東宝劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「清水東宝劇場」。1970年の清水市住宅明細図では「清水東宝」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では跡地に「パチンコ駅前会館中央店」。1982年から2019年5月31日までの跡地は「ホテルサンルート清水/清水グランドホテル」建物北側。2020年6月時点の跡地は更地。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。

1948年(昭和23年)頃の清水市にあった「清水東宝」の写真あり。「SHIMIZU - TOHO」の文字が見える。『国定忠治』の看板が見える。戦後の相生町の電車通り(現在のさつき通り)には、向かって左から「セントラル」「東宝」「さくら」の3館の映画館が並んでおり、「相生町に行く」と言えば映画鑑賞に行くということだった。*220

1944年(昭和19年)には相生町に「東宝劇場」が開館したが、1945年(昭和20年)の清水大空襲で焼失した。戦後に営業を再開したが、1987年(昭和62年)現在は閉館している。*221

1957年(昭和32年)の清水市にあった「東宝劇場」の写真あり。「SHIMIZU TOHO」の文字が見える。現在の静岡市清水区相生町にあった。昭和20年代後半に東宝の封切館として開館した。*222
セントラル劇場/清水セントラル劇場/清水松竹セントラル劇場
所在地 : 静岡県清水市相生町(1953年)、静岡県清水市相生町35(1955年・1960年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1946年7月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧1955』によると1946年7月開館。1950年の映画館名簿では「清水セントラル劇場」。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「清水セントラル劇場」。1970年の清水市住宅明細図では「セントラル劇場」。1973年の映画館名簿では「清水松竹セントラル劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「アットパーク清水相生町」。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。

1948年(昭和23年)頃の清水市にあった映画館「セントラル」の写真あり。「Central」の文字が見える。戦後の相生町の電車通り(現在のさつき通り)には、向かって左から「セントラル」「東宝」「さくら」の3館の映画館が並んでおり、「相生町に行く」と言えば映画鑑賞に行くということだった。*223

1947年(昭和22年)頃には相生町に「セントラル劇場」が開館した。1987年(昭和62年)現在は閉館している。*224

1967年(昭和42年)の清水市にあった「セントラル劇場」の写真あり。「セントラル」の文字が見える。現在の静岡市清水区相生町にあった。新清水駅を降りて斜め向かいには、左から「セントラル劇場」、「東宝劇場」、「サクラ劇場」の3館が並んでいた。*225
さくら映画劇場/清水東映さくら劇場
所在地 : 静岡県清水市相生町30(1953年・1955年・1960年)、静岡県清水市相生町40(1966年・1969年・1973年・1976年)、静岡県清水市相生町8-12(1978年)
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1978年以後1980年以前
『全国映画館総覧1955』によると1945年12月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「さくら映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「清水東映さくら劇場」。1970年の清水市住宅明細図では「さくら映画劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「清水東映」。1978年の住宅地図では「清水東映さくら」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1982年から2019年5月31日までの跡地は「ホテルサンルート清水/清水グランドホテル」建物北側。2020年6月時点の跡地は更地。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。

1948年(昭和23年)頃の清水市にあった映画館「さくら」の写真あり。戦後の相生町の電車通り(現在のさつき通り)には、向かって左から「セントラル」「東宝」「さくら」の3館の映画館が並んでおり、「相生町に行く」と言えば映画鑑賞に行くということだった。*226

1946年(昭和21年)には相生町に「さくら劇場」が開館した。1987年(昭和62年)現在は閉館している。*227

1948年(昭和23年)頃の清水市にあった映画館「さくら」の写真あり。大八車を引いて歩く人が見える。*228

1957年(昭和32年)の清水市にあった「サクラ劇場」の写真あり。「SAKURA EIGEKI」の文字が見える。現在の静岡市清水区相生町にあった。昭和20年代後半、東映の封切館として開館した。*229
蒲原劇場/蒲原映画劇場
所在地 : 静岡県庵原郡蒲原町1303(1958年)、静岡県庵原郡蒲原町蒲原(1963年)、静岡県庵原郡蒲原町蒲原1525-1(1980年)
開館年 : 1946年6月
閉館年 : 1980年以後1985年以前
『全国映画館総覧1955』によると1946年6月開館。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「蒲原映画劇場」。1963年の映画館名簿によると経営者と支配人は井上巳好、木造平屋建て、収容人員270人。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「蒲原劇場」。1969年の映画館名簿によると経営者と支配人は井上己好、木造平屋建て冷暖房あり、収容人員350人、大映・東映・洋画を上映。1973年の映画館名簿によると経営者と支配人は井上己好、木造平屋建て冷暖房あり、収容人員350人、松竹・東宝・東映・洋画を上映。1977年の映画館名簿によると経営者と支配人は井上巳好、木造平屋建て冷暖房あり、収容人員250人、邦画・洋画・成人映画を上映。1980年の映画館名簿では「蒲原映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は現存して一部が材木置き場に転用されている。2014年には「するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ」の会場となった。登録有形文化財「志田家住宅」の南南西100m。静岡県道396号沿いの「ファミリーマート蒲原本町店」の西50m。最寄駅はJR東海道本線新蒲原駅。

1982年(昭和57年)現在の「蒲原劇場」の写真あり。由比・蒲原地区では唯一の常設映画館である。*230
清水名画座(旧)/清水羽衣劇場(新)
所在地 : 静岡県清水市伝馬町110(1973年)、静岡県清水市江尻東3-9-25(1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1985年以後1989年以前
1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「清水名画座」。1970年の清水市住宅明細図では「名画座」。1970年以後1973年以前に富士見町から羽衣劇場が清水名画座の場所に移転。1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「清水羽衣劇場」。1978年の住宅地図では「羽衣劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「第3埼京ハウス」。最寄駅はJR東海道本線清水駅。

1971年(昭和46年)の清水市にあった「羽衣劇場」の写真あり。「羽衣劇場 成人映画専門館」「土曜日オールナイト」の文字が見える。現在の静岡市清水区富士見町にあった。1956年(昭和31年)8月に開館した。当初は新東宝の封切館だったが、1960年(昭和35年)に新東宝が系列から撤退すると、成人映画の専門館となった。*231
清水ボウリングセンター
所在地 : 静岡県清水市巴町168(1969年・1973年・1976年)、静岡県清水市巴町4-1(1980年・1985年)
開館年 : 1973年
閉館年 : 1989年8月31日
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年の映画館名簿では「清水シネサロンスカラ座」。1973年のゼンリン住宅地図では「清水ボウリングセンター(スカラ座)」。1973年に相生町の清水名画座と清水オリオン座が清水ボウリングセンターに移転。1976年の映画館名簿では「清水オリオン座・清水名画座・清水シネサロンスカラ座」(3館)。1978年の住宅地図では「清水ボウリングセンター 名画座 オリオン座 スカラ座」。1980年・1985年の映画館名簿では「清水オリオン座・清水名画座・清水スカラ座」(3館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「清水年金事務所」。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。

1987年(昭和62年)現在は清水市の電車通り(現在のさつき通り)から映画館が姿を消し、巴町の静活ジョイプラザで「名画座」「オリオン座」「スカラ座」が映画を上映している。現在の静活ジョイプラザの写真あり。『スタンド・バイ・ミー』のポスターが見える。*232

1966年(昭和41年)には巴町に「名画座」「スカラ座」「オリオン座」が開館した。1987年(昭和62年)現在の名画座は邦画専門館として、スカラ座は日活系邦画専門館として、オリオン座は洋画専門館として営業している。*233

1975年9月10日、清水市巴町168の映画館「オリオン座」のスクリーンで爆発が起こり、観客5人が軽いけがをした。空気清浄用のクリーニングタワーに関連した爆発とみられている。静活株式会社が運営。清水ボウリングセンターの2階にある。*234

1989年2月、静活は清水市のスカラ座を閉館させた。*235

静活は清水市巴町にある「名画座」と「オリオン座」を1989年(平成元年)8月末で同時に閉館させる。両者は1973年(昭和48年)に開館。名画座は邦画のロードショー館、オリオン座は洋画のロードショー館であり、名画座では『砂の器』(1974年)、オリオン座では『ジョーズ』(1975年)などのヒット作を生んだ。1989年2月には静活はやはり清水市の「スカラ座」を閉館させており、清水市から映画館が消えた。*236

映画全盛期の静岡県清水市には「羽衣劇場」や「みなと劇場」など多くの映画館があったが、1989年(平成元年)8月に「名画座」が閉館したことで映画館がなくなった。*237
MOVIX清水
所在地 : 静岡県清水市入船町13-15 エスパルスドリームプラザ内(2000年)、 静岡県静岡市清水入船町13-15 エスパルスドリームプラザ内(2005年)、静岡県静岡市清水区入船町13-15 エスパルスドリームプラザ4階(2010年・2015年)
開館年 : 1999年10月8日
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「MOVIX清水1-8」(8館)。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「MOVIX清水1-9」(9館)。9スクリーンのシネコン。最寄駅は静岡鉄道静岡清水線新清水駅。
夢町座
所在地 : 静岡市清水区真砂町2-31
開館年 : 2011年
閉館年 : 営業中
公式サイト : 夢町座
映画館名簿には掲載されていない。17席のミニシアター。毎月下旬の連続する8日間のみ営業。全蓋式アーケードの清水駅前銀座商店街の北端部にある名称不明のビルの2階。最寄駅はJR東海道本線清水駅。

静岡県東部

富士市

元吉電気館
所在地 : 静岡県吉原市今井本町91(1958年・1960年)
開館年 : 1951年8月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧1955』によると1951年8月開館。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「元吉電気館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1962年の吉原市住宅明細図では「元吉原電気館」。跡地は「愛鷹神社」北西120mの駐車場。最寄駅はJR東海道本線・岳南電車吉原駅。
富士文化劇場/富士大映
所在地 : 静岡県富士郡富士町本町5(1953年)、静岡県富士市本町5-35(1955年)、静岡県富士市富士町(1958年)、静岡県富士市本町5-41(1960年)、静岡県富士市本町5(1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「富士文化劇場」。1961年の富士市住宅明細図では「富士大映劇場」。1963年の映画館名簿では「富士大映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は薬局「望月しょうせいどう」北側の「岳南タクシー富士本町のりば」。最寄駅はJR東海道本線・身延線富士駅。
富士電気館/富士東映劇場
所在地 : 静岡県富士郡富士町水戸島(1950年・1953年)、静岡県富士市水戸島234(1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「富士電気館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「富士東映劇場」。1961年の富士市住宅明細図では「富士東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2020年1月廃業の日本料理店「角山」。最寄駅はJR東海道本線・身延線富士駅。
吉永映画劇場/富士岡館/吉原富士岡館
所在地 : 静岡県吉原市富士岡町(1958年)、静岡県吉原市富士岡町1(1960年)、静岡県吉原市富士岡町(1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「吉永映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「富士岡館」。1966年の映画館名簿では「吉原富士岡館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
吉原電気館/第一電気館/吉原東映(旧)
所在地 : 静岡県吉原市本町(1950年)、静岡県吉原市本町1丁目(1953年・1955年)、静岡県吉原市吉原108(1958年・1960年)、静岡県吉原市吉原本町108(1963年)、静岡県吉原市吉原108(1966年)
開館年 : 1937年7月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧1955』によると1937年7月開館。1950年の映画館名簿では「吉原電気館」。1953年・1955年の映画館名簿では「第一電気館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「吉原東映」。1962年の吉原市住宅明細図では「吉原東映」。1966年の映画館名簿では「吉原東映劇場」。1966年以後1969年以前に100m西に移転。跡地は「スルガ銀行富士吉原支店」北の有料駐車場「三井のリパーク富士吉原2丁目駐車場」東側。最寄駅は岳南電車吉原本町駅または本吉原駅。

1950年頃の吉原の街並みの地図あり。現在の「スルガ銀行富士吉原支店」の北側には「電気館」がある。*238

昭和30年代の富士市吉原本町1丁目にあった映画館「電気館」の写真あり。『鉄火奉行』の看板が見える。*239

1955年(昭和30年)の吉原電気館の写真あり。1990年(平成2年)現在の富士市吉原1丁目にあった。『鉄火奉行』の看板が見える。*240
岩淵会館/岩淵劇場
所在地 : 静岡県庵原郡富士川町岩淵(1953年)、静岡県庵原郡富士川町(1955年・1958年)、静岡県庵原郡富士川町岩淵(1963年)、静岡県庵原郡富士川町中ノ郷(1969年)
開館年 : 1947年6月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1947年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「岩淵会館」。1960年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1960年の富士川・蒲原地区明細図では「岩淵映画劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「岩淵劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。漢字表記は岩渕劇場とも。跡地は「JR東海道本線富士川駅」出入口正面の建物数軒。最寄駅はJR東海道本線富士川駅。
ひよどり劇場/ひよどり映画劇場/吉原ひよどり映画劇場
所在地 : 静岡県吉原市依田原82(1958年)、静岡県吉原市依田原町3-82(1960年)、静岡県吉原市依田原82(1963年)、静岡県吉原市依田原町3-82(1966年)、静岡県富士市依田原82(1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「ひよどり劇場」。1962年の吉原市住宅明細図では「ひよどり劇場」。1963年の映画館名簿では「ひよどり映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「吉原ひよどり映画劇場」。1970年の住宅地図では跡地に駐車場。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「寿司聖本店」などが入る「竹村ビル」。最寄駅は岳南電車吉原本町駅。
鷹岡ひかり座/昭和座/鷹岡昭和座/鷹岡昭和館
所在地 : 静岡県富士郡鷹岡町久沢180(1960年)、静岡県富士郡鷹岡町入山瀬84-1-1(1966年)、静岡県富士市鷹岡久沢(1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1960年の映画館名簿では「鷹岡ひかり座」。1963年の映画館名簿では「昭和座」。1966年・1969年の映画館名簿では「鷹岡昭和座」。1973年の映画館名簿では「鷹岡昭和館」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。
吉原日活/岳南劇場
所在地 : 静岡県吉原市今泉75(1960年)、静岡県吉原市和田町2-75(1966年)、静岡県富士市和田町75(1969年・1973年)
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 岳南劇場
『全国映画館総覧1955』によると1949年12月開館。1960年の映画館名簿では「岳南劇場」。1962年の吉原市住宅明細図では「岳南劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「吉原日活」。1970年の住宅地図では「吉原日活」。1973年の映画館名簿では「岳南劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「和田町公民館」から道路を挟んで北側の分譲住宅地。最寄駅は岳南電車吉原本町駅または本吉原駅。

昭和30年代の富士市和田町2丁目にあった映画館「岳南劇場」の写真あり。*241
富士キネマ館/富士キネマ/フジキネマ
所在地 : 静岡県富士市平垣261(1955年・1960年・1963年・1966年・1973年・1976年)
開館年 : 1921年4月
閉館年 : 1976年以後1978年以前
『全国映画館総覧1955』によると1921年4月開館。1955年の映画館名簿では「富士キネマ」。1960年・1963年・1966年・1973年・1976年の映画館名簿では「フジキネマ」。1961年の富士市住宅明細図では「キネマ劇場」。1970年の住宅地図では「キネマ劇場」。1978年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「キネマパーキング」。閉館後の土地区画整理事業で道路割が大きく変化しているので参考程度に。最寄駅はJR東海道本線・身延線富士駅。

1976年の富士市仲町にあった映画館「富士キネマ」の写真あり。「Kinema」の文字が見える。この時点では成人映画の上映館であり、三本立て300円だった。最盛期には洋画の名画が上映されていた。*242
第二電気館/吉原第二電気館/名画座/吉原名画座/大富士松竹オスカー/大富士オスカー
所在地 : 静岡県吉原市昭和通163(1960年・1966年・1969年)、静岡県富士市吉原4-18-7(1973年・1976年)
開館年 : 1948年10月
閉館年 : 1978年以後1980年以前
『全国映画館総覧1955』によると1948年10月開館。1950年・1955年の映画館名簿では吉原市に「第二電気館」。同年には富士市に「富士電気館」もあるので混同に注意。1960年の映画館名簿では「吉原第二電気館」。1962年の吉原市住宅明細図では「第二電気館」。1963年の映画館名簿では「名画座」。1966年・1969年の映画館名簿では「吉原名画座」。1970年の住宅地図では「大富士劇場」。1973年の映画館名簿では「大富士オスカー」。1976年の映画館名簿では「大富士松竹オスカー」。1978年の映画館名簿では「大富士オスカー」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「鈴木歯科医院」東側の「カミオ月極駐車場」。最寄駅は岳南電車吉原本町駅または本吉原駅。

昭和30年代の富士市昭和通りにあった映画館「第二電気館」の写真あり。『ブラボー砦の脱出』や『グレン・ミラー物語』の看板が見える。*243

1955年(昭和30年)頃の吉原市にあった「第二電気館」の写真あり。1990年(平成2年)現在の富士市の昭和通りにあった。邦画の「第一電気館」に対して、洋画専門の封切館だった。『ブラボー砦の脱出』や『グレン・ミラー物語』の看板が見える。*244
富士若草劇場/若草劇場
所在地 : 静岡県富士市平垣8-1(1960年)、静岡県富士市銀座通(1966年)、静岡県富士市本町15-11(1969年・1973年)、静岡県富士市本町14-19(1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「若草劇場」。1961年の富士市住宅明細図では「若草劇場」。1966年・1973年・1976年の映画館名簿では「富士若草劇場」。1970年の住宅地図では「若草劇場」。1980年の映画館名簿では「若草劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「サンコーポ若草」建物西側。最寄駅はJR東海道本線・身延線富士駅。
東座/吉原東座/吉原東宝東座/東宝映画館
所在地 : 静岡県吉原市吉原260(1960年・1966年)、静岡県富士市吉原260-1-1(1969年)、静岡県富士市吉原2-4-1(1973年・1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1872年2月
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 吉原東宝東座
『全国映画館総覧1955』によると1872年2月開館。1962年の吉原市住宅明細図では「東座」。1963年の映画館名簿では「吉原東座」。1970年の住宅地図では「東宝映画館」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「吉原東宝東座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静岡中央銀行吉原支店」東側の「杉山ビル」建物北側。最寄駅は岳南電車吉原本町駅または本吉原駅。

昭和30年代の富士市吉原本町4丁目にあった映画館「東座」の写真あり。1954年(昭和29年)日本公開のアメリカ映画『赤い山』の看板が見える。*245

昭和30年代の富士市域にあった「東座」の写真あり。1954年(昭和29年)日本公開のアメリカ映画『赤い山』の看板が見える。戦前の吉原では古い小屋で芝居や活動写真などが興行されており、戦後にはこれらの小屋が映画館となった。*246
富士中央劇場/富士中央
所在地 : 静岡県富士市平垣町15(1958年)、静岡県富士市平垣15(1960年・1963年)、静岡県富士市平垣15-9(1966年・1969年・1973年・1976年)、静岡県富士市平垣11-1(1980年)、静岡県富士市平垣本町11-1(1990年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1990年以後1995年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士中央劇場
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「富士中央劇場」。1961年の富士市住宅明細図では「中央劇場」。1970年の住宅地図では「中央劇場」。1985年・1990年の映画館名簿では「富士中央」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はエステサロン「素肌新館富士店」。最寄駅はJR東海道本線・身延線富士駅。
吉原東映劇場/吉原東映(新)
所在地 : 静岡県富士市吉原110(1969年)、静岡県富士市吉原2-9-28(2000年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 2000年以後2005年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 吉原東映劇場
1966年以後1969年以前に100m東から移転。1969年の映画館名簿では「吉原東映劇場」。1970年の住宅地図では「吉原東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1976年の映画館名簿では「吉原東映劇場」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「吉原東映」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は茶舗「くぼた園」東側にあるパチンコ店「アミューズメントマカオ吉原店」の廃墟。最寄駅は岳南電車吉原本町駅または本吉原駅。
吉原大映オリオン座/吉原オリオン座
所在地 : 静岡県吉原市和田町17(1960年)、静岡県吉原市和田町7(1966年)、静岡県富士市和田町7(1969年・1973年)、静岡県富士市今泉1-3-6(1976年・1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 2000年以後2001年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 吉原オリオン座
1960年の映画館名簿では「吉原大映オリオン座」。1962年の吉原市住宅明細図では「オリオン座」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「吉原オリオン座」。1970年の住宅地図では「オリオン座」。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「吉原オリオン」。2000年の映画館名簿では「吉原オリオン座」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は静岡県道22号「和田町」交差点南西にある駐車場。最寄駅は岳南電車吉原本町駅または本吉原駅。

昭和40年代の富士市今泉1丁目にあった映画館「オリオン座」の写真あり。*247

昭和30年代の富士市和田町1丁目にあった映画館「オリオン座」の写真あり。「Orion」の看板がかかる。*248

1955年の「オリオン座」の写真あり。現在の富士市今泉1丁目にあった。「Orion」の看板がかかる。『赤胴鈴之助 月夜の怪人』の看板が見える。*249

昭和40年代の富士市にあった映画館「オリオン座」の写真あり。「洋画はオリオン」の文字が見え、1955年公開の『エデンの東』や1963年公開の『シャレード』のポスターが見える。*250

1956年秋の富士市の「富士オリオン座」では、ジャン・ギャバン主演のフランス映画『ヘッドライト』、ジェームズ・ディーン主演のアメリカ映画『エデンの東』、マリリン・モンロー主演のアメリカ映画『七年目の浮気』など、立て続けに洋画の話題作が上映された。地元紙「富士ニュース」には「連日満員、熱狂的人気」と報じられた。建物は2001年頃に解体された。*251

1965年(昭和40年)5月26日の写真あり。スティーブ・マックイーン主演のアメリカ映画『ハイウェイ』、シルヴィ・ヴァルタン主演のフランス映画『アイドルを探せ』、アメリカ映画『若さでブッ飛ばせ!』の看板が見える。「オリオン座」が開館したのは昭和30年代であり、こけら落としは『有楽町で逢いましょう』だった。映画最盛期には上映を待つ親子連れが映画館の入り口から和田川の橋まで並んでいたこともある。*252

1966年頃のオリオン座の写真あり。*253

富士市の地図が掲載されており、富士裾野線と富士沼津線の交差点(和田交差点)南側の三角地帯に「オリオン座跡地」とある。*254
富士シネ・プレーゴ
所在地 : 静岡県富士市平垣270-10 ショッピングセンターパピー5階(2010年)
開館年 : 1998年12月中旬
閉館年 : 2010年4月16日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士シネ・プレーゴ
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「富士シネ・プレーゴ1-6」(6館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は更地。最寄駅はJR東海道本線・身延線富士駅。

1998年(平成10年)12月中旬、JR富士駅前のショッピングセンター「パピー」に富士シネ・プレーゴが開館予定である。運営は映画館興行の日映。総投資額は約3億5000万円。富士市・富士宮市・芝川町を商圏とし、年間15-20万人の動員、年間2億5000万円の売り上げを見込んでいる。*255

2010年4月16日、富士市唯一の映画館「富士シネ・プレーゴ」が閉館した。JR富士駅北口の商業施設「パピー」5階。6スクリーン計658席。1998年に日映が開館させた。年間約30万人の観客があり採算性は合っていたが、パピーが新耐震基準を満たしていないとして立ち退きが決定した。NPO法人のフィルムコミッション富士は映画館の復活を願って署名運動を開始している。*256

2010年4月16日、富士シネ・プレーゴが12年の歴史に幕を閉じて閉館した。富士市最大のショッピングセンターだったパピー5階に、1998年に日映が開館させた。6スクリーン675席。2008年に核施設であるパピーが耐震性を理由に閉店すると、施設からテナントが続々撤退し、富士シネ・プレーゴが最後まで残っていた。*257

沼津市

金鵄館
所在地 : 静岡県駿東郡沼津町
開館年 : 1915年
閉館年 : 1945年以前?
1915年(大正4年)には駿東郡沼津町に初めて活動写真常設館の「金鵄館」が開館した。1階は土間に長椅子が置かれ、2階は畳敷きの席だった。
沼津セントラル劇場/セントラル劇場
所在地 : 静岡県沼津市大手町200(1953年・1955年・1958年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1958年以後1960年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津セントラル劇場
『全国映画館総覧1955』によると1946年10月開館。1950年の映画館名簿では「沼津セントラル劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「静岡銀行沼津支店」。現在の跡地は1999年竣工で「静岡銀行沼津支店」が入る複合ビル「アゴラ沼津」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1955年(昭和30年)頃の沼津市にあった映画館「セントラル劇場」の写真あり。「CENTRAL」の看板、『ゼンダ城の虜』の看板が見える。往時のセントラル劇場は静岡銀行沼津支店の北隣にあり、『ターザン』や『ロビンフッド』などを上映する洋画館だった。2002年(平成14年)現在の跡地は静岡銀行沼津支店が入る複合ビルのアゴラ沼津となっている。*258

昭和30年代初期の沼津セントラル劇場の写真あり。1952年のアメリカ映画『ゼンダ城の虜』の看板が見える。あんみつ屋の広告があり、劇場前にはオート三輪が止められている。*259

昭和20年代中期の沼津セントラル劇場の写真あり。英名は「Numazu Central」。洋画専門館だった。沼津市出身の映画監督である原田眞人は、5歳だった1955年に沼津セントラル劇場でアメリカ映画を鑑賞し、自分の仕事を決めたと語っている。*260

昭和20年代の沼津市にあった静岡銀行沼津支店の写真あり。静岡銀行の北側には、洋画専門館の「セントラル劇場」があった。*261

菊栄劇場
所在地 : 静岡県田方郡戸田村547(1960年)、静岡県田方郡戸田村戸田(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 菊栄劇場
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「菊栄劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宝泉寺」の北西110mにある「民宿すずき」(廃業?)。「高田精肉店」の南東隣。
沼津名画座(単独館)
所在地 : 静岡県沼津市大手町195(1963年)、静岡県沼津市大手町169-3(1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「沼津名画座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
沼津映画劇場
所在地 : 静岡県沼津市上本町(1953年)、静岡県沼津市上本町72-1(1955年・1960年・1963年)、静岡県沼津市上本町2-71(1966年)、静岡県沼津市上本町72-1(1969年)
開館年 : 1946年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津映画劇場
『全国映画館総覧1955』によると1946年5月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「沼津映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では「1階映画劇場 2階多賀会計事務所」。1971年の住宅地図では「1階沼津映画劇場 2階多賀会計事務所」。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「沼映有料駐車場」。跡地は「スルガ銀行本店」西側の有料駐車場「三井のリパーク沼津通横町駐車場」。「沼映劇場」とも。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1960年(昭和35年)頃の沼津市にあった映画館「沼映劇場」の写真あり。『弥太郎笠』や『暗黒街の鬼』の看板が見える。沼映は通横町の西角にあった。嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』などを上映した。*262

昭和30年代中期の沼津市にあった「沼津映画劇場」の写真あり。東海道沼津宿の中心地だった本町通交差点南東角(通横町)には、沼津宿の老舗旅館である杉本旅館があった。杉本旅館の経営者は、昭和40年代まで旅館の北側に沼津映画劇場(通称:沼映)を経営していた。スルガ銀行本店の西側である。沼津映画劇場では洋画も邦画も上映された。旅館と映画館が閉館したのちは靴屋などの店舗があったが、現在は駐車場となっている。*263

1961年の沼津市にあった「沼映劇場」の写真あり。『女は二度生まれる』、『性生活の知恵』などの看板が見える。旧東海道の通横町から本町通りに左折する角にあった。2016年現在の跡地はスルガ銀行駐車場。杉本旅館が経営していた。大映作品専門だったが、やがて洋画も上映するようになった。2階には喫茶店があった。*264

沼津銀星座/銀星座/東宝銀星座/東海劇場/沼津東海劇場
所在地 : 静岡県沼津市下本町211(1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1950年11月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津東海劇場
『全国映画館総覧1955』によると1950年11月開館。1950年の映画館名簿では「沼津銀星座」。1953年の映画館名簿では「銀星座」。1955年の映画館名簿では「東宝銀星座」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「沼津東海劇場」。1968年の住宅地図では「東海劇場」。1971年の住宅地図には掲載されていない。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。国際劇場の向かいにあった。跡地は化粧品・宝くじ店「むさし屋」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1959年(昭和34年)現在の「沼津ロマンス座」の写真あり。「ロマンス座 東海劇場」という看板が見える。*265

1955年(昭和30年)頃の沼津市にあった映画館「銀星座」の写真あり。「GINSEIZA」や「東宝直営」の看板、『謎の人形師』や『花嫁の性典』の看板が見える。本町のはずれ、2002年(平成14年)現在の静岡銀行本町支店の北側にあった。銀星座が閉館する頃には向かいに「国際劇場」が開館し、ポルノ映画を上映していた。銀星座の跡地は静岡銀行本町支店の駐車場となり、向かいの国際劇場跡地も駐車場となっている。*266

昭和30年代中期の「銀星座」の写真あり。英名は「GINSEIZA」。『謎の人形師』の看板がかかっており、また肉体映画3本立として『花嫁の性典』『裸の女王』『肉体の白書』の看板もかかっている。お色気系のほうが専門館だった。晩年には日活ロマンポルノなどを上映していたが、やがて閉館して取り壊されり、南隣にあった「むさし屋」が映画館の位置に移築された。道路の向かいには姉妹館の「国際劇場」があり、国際劇場では洋画を上映していた。*267

昭和20年代の沼津市下本町の写真あり。左は映画館「銀星座」であり、やがて「東海劇場」に改称された。*268
中央劇場/沼津中央劇場
所在地 : 静岡県沼津市(1958年)、静岡県沼津市東高沢町135-55(1960年)、静岡県沼津市東高沢町135(1963年)、静岡県沼津市上土字蛭田135-55(1966年)、静岡県沼津市東高沢町135-55(1969年)、静岡県沼津市東高島町135(1973年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津中央劇場
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「中央劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「沼津中央劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「中央劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「中央有料駐車場」。沼津駅北側唯一の映画館だった。跡地は2007年竣工のマンション「ファインスクェア沼津駅前」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

沼津日活/沼津有楽座
所在地 : 静岡県沼津市城内添地町195(1960年・1963年・1966年)、静岡県沼津市城内添地町195-1(1969年・1973年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津有楽座
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「沼津有楽座」。1966年の映画館名簿では「沼津日活」。1968年・1971年のゼンリン住宅地図では「有楽座」。1969年・1973年の映画館名簿では「沼津有楽座」。1973年以後1976年以前にジョイランド沼津宝塚ビルに移転した。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「小林立体駐車場」。現在の跡地は「駅近パーキング」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

昭和40年代後半の沼津市には10館を超える映画館があった。昭和30年代の「沼津日活」の写真あり。1961年の映画『嵐を突っ切るジェット機』などのポスターが見える。1964年(昭和39年)に開館するボウルビルが建つ前の上本町通りにあった。*269
沼津国際劇場
所在地 : 静岡県沼津市下本町201-1(1958年・1960年)、静岡県沼津市下本町201(1963年)、静岡県沼津市下本町201-1(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津国際劇場
1955年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「沼津国際劇場」。1968年の住宅地図では「沼津国際劇場」。1971年の住宅地図では「国際映画劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に駐車場。跡地は月極駐車場「下本町パーキング」。「東海劇場」の向かいにあった。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。
文化劇場/戸田文化劇場/戸田文化/戸田劇場
所在地 : 静岡県田方郡戸田村(1953年)、静岡県田方郡戸田村279(1955年・1958年・1960年)、静岡県田方郡戸田村戸田(1963年・1966年)、静岡県田方郡戸田村(1969年)、静岡県田方郡戸田村279(1976年)、静岡県田方郡戸田村879(1980年)
開館年 : 1947年12月
閉館年 : 1980年以後1985年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 戸田文化劇場
『全国映画館総覧1955』によると1947年12月開館。1953年の映画館名簿では「文化劇場」。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「戸田文化劇場」。1969年の映画館名簿では「戸田文化」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年の映画館名簿では「戸田劇場」。1973年・1981年のゼンリン住宅地図では879ではなく897の位置に「文化会館」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「沼津市立戸田中学校」体育館の北70mにある駐車場。静岡県道18号沿い。
ハラマチ劇場
所在地 : 静岡県沼津市原字中町1561(1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1973年以後1976年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - ハラマチ劇場
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「ハラマチ劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ジョイランド原 天然温泉ざぶ〜ん」。最寄駅はJR東海道本線原駅。
文化劇場/沼津文化劇場
所在地 : 静岡県沼津市上本町(1953年)、静岡県沼津市上本通(1955年)、静岡県沼津市上本町17(1960年・1963年)、静岡県沼津市上本町通17(1966年)、静岡県沼津市上本通17(1969年)、静岡県沼津市上本町通り17(1973年・1976年)、静岡県沼津市上本通17(1980年)、静岡県沼津市大手町5-6-25(1985年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津文化劇場
『全国映画館総覧1955』によると1946年10月開館。1950年の映画館名簿では「沼津文化劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「文化劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「沼津文化劇場」。1968年の住宅地図では「文化劇場」。1983年のゼンリン住宅地図では「沼津文化劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の住宅地図では「沼津文化劇場」。跡地は「沼津信用金庫本店」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1955年(昭和30年)頃の沼津市にあった映画館「文化劇場」の写真あり。『二挺拳銃の息子』の看板が見える。文化劇場は2002年現在の沼津信用金庫本店の場所にあった。この場所に沼津信用金庫が移転してくると、文化劇場は沼津信用金庫の裏側で営業したが、いつしか閉館した。もっぱら洋画を上映し、沼津市で洋画と言えば文化劇場とセントラル劇場だったが、後には東映パラスや国際劇場も加わった。ただし晩年の国際劇場は洋画ポルノが多かった。文化劇場では『シェーン』や『大いなる西部』などが上映された。*270

沼津市の上本通りはかつて「シネマ通り」としてにぎわった。洋画の封切館だった沼津文化劇場跡地には沼津信用金庫本店があり、2008年(平成20年)12月13日には旧制沼津中学校出身の映画監督である渡辺邦男監督作『明治天皇と日露戦争』が上映される。1960年代から1970年代の上本通りには10近い映画館があった。上本通り商店街振興組合は2006年(平成18年)から毎年、昭和の名作映画鑑賞会やポスター展を開催している。*271

1960年頃の写真あり。アメリカ映画『腰抜け二挺拳銃の息子』の幕がかかっている。昭和20年代中期には沼津市大手町の本通町に洋画専門館の沼津文化劇場が開館した。『シェーン』などの西部劇、『ローマの休日』などのラブロマンス映画を上映した。この場所に沼津信用金庫が移転することが決定したため、1963年には文化劇場が解体された。1964年には沼津信用金庫本店の建物内北側に再び文化劇場が開館したが、昭和60年代に閉館した。しかし現在も沼津信用金庫本店の建物内には映画館の跡が残っており、昭和の映画をテーマとするイベントが開催されることもある。*272

1957年(昭和32年)の沼津市にあった沼津信用金庫本店の写真あり。仲見世通り南西にあった旧沼津商工会議所の1階南西側で営業していた。洋画上映館の「沼津文化劇場」の場所を買収し、1964年(昭和39年)に現在の建物が建てられた。沼津文化劇場は沼津信用金庫の一部を使用して営業を続けた。*273

沼津東映劇場・沼津東映パラス/沼津東映シネマ1・2
所在地 : 静岡県沼津市添地町245(1960年・1963年・1966年)、静岡県沼津市城内添地町245(1969年・1973年・1976年)、静岡県沼津市添地町245(1980年・1985年)、静岡県沼津市添地町1(1990年・2000年)
開館年 : 1958年?
閉館年 : 2002年9月13日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津東映シネマ
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「沼津東映劇場・沼津東映パラス劇場」(2館)。1968年の住宅地図では「沼津東映パラス」。1971年の住宅地図では「沼津東映パレス」(原文ママ)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「沼津東映劇場・沼津東映パラス」(2館)。1983年のゼンリン住宅地図では「沼津東映 東映パラス」。1995年・2000年の映画館名簿では「沼津東映シネマ1・2」(2館)。跡地は「イーラde」建物西端部から西側の静岡県道162号の道路にかけての部分。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1957年(昭和32年)頃の沼津市にあった映画館「東海劇場」の写真あり。「沼津東海劇場」(※東映ではなく東海)の文字が見える。『ひばり捕物帖 唄祭り八百八町』の看板が見える。2002年現在の「東映パラス」は、かつて東海劇場という名称だった。昭和30年代の後半には東映と東映パラスの2館となった。東映と言えば任侠映画であり、高倉健・鶴田浩二・進藤英太郎・江波杏子・藤純子などが人気があった。東映パラスは2002年9月13日をもって閉館した。*274

2005年(平成17年)9月現在、沼津市立図書館に映画監督の原田真人の展示コーナーを設置する計画が進んでいる。原田は沼津市出身。原田の友人である写真家の池谷俊一が、原田に関連する資料を沼津市に寄贈したことがきっかけ。原田のデビュー作『さらば映画の友よ・インディアンサマー』に登場する「沼津東映」の旗などもある。*275

2002年(平成17年)9月には「沼津東映シネマ」が閉館している。2008年(平成20年)9月12日には「静岡東映」が閉館し、同年10月3日には「浜松東映」も閉館する。これによって静岡県から東映の直営館が姿を消す。*276

1958年(昭和33年)には「沼津東映劇場」が建てられ、邦画は沼津東映劇場、洋画は沼津東映パラス劇場だった。その後、東映作品は1階のシネマ1、洋画は2階のシネマ2となった。座席数はシネマ1が643人、シネマ2が600人。2002年6月(平成14年)には沼津東映閉館の知らせを聞き、さみしい思いである。*277

昭和30年代中期の「沼津東海劇場」の写真あり。その後本町の銀星座が東海劇場の名前を受け継いでいる。夏休みには東映まんがまつりが開催された。2002年に沼津東映パラスが閉館したのち、建物は取り壊され、跡地は沼津駅西側のあまねガードの一部となった。*278

第一劇場/沼津第一劇場/沼津スカラ座/ジョイランド沼津ボウルビル
所在地 : 静岡県沼津市上本通45(1953年・1955年)、静岡県沼津市上本通町45(1960年)、静岡県沼津市上本通町(1963年)、静岡県沼津市上本通45(1966年・1969年)、静岡県沼津市上本通り45(1980年)、静岡県沼津市大手町5-12-5(2005年)
開館年 : 1936年10月、1964年10月(ジョイランド沼津ボウルビル)
閉館年 : 2008年5月
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津ボウルビル
『全国映画館総覧1955』によると1936年10月開館。1950年の映画館名簿では「沼津第一劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「第一劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「沼津第一劇場」。1962年の住宅地図では「第一劇場」。1963年の住宅地図では「沼津日活」。1966年の映画館名簿では「沼津スカラ座」。1968年の住宅地図では「沼津ボウルビル 2階スカラ座 6階名画座」。1969年の映画館名簿では「沼津スカラ座・沼津名画座」(2館)。1970年・1971年の住宅地図では「沼津ボウルビル」。1973年・1976年の映画館名簿では「沼津プラザ・沼津スカラ座」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「沼津プラザ・沼津ピカデリー・沼津スカラ座」(3館)。1983年のゼンリン住宅地図では「沼津ボウルビル 地下1階ビリヤード 1階パチンコ西陣 2階スカラ座 3階カワイスポーツ 4階ローラースケート場 5階ピカデリー 卓球台 6階沼津プラザ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「ボウルビル駐車場」。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

1964年5月13日の新聞『沼津朝日』には「地上8階地下1階の綜合娯楽センターボウル・ビル社員募集」という広告が、6月5日の新聞『沼津朝日』には「県下唯一の地上8階地下1階の綜合娯楽センターボウル・ビル社員募集」という広告が掲載されている。現物は未確認。*279

2016年1月1日の新聞『沼津朝日』には「昭和黄金時代の沼津商店街思い出散歩 第5回上本通り 仙石規」という記事があり、「昭和三十九年十月、映画館『第一劇場』(日活劇場という名のときもあった)跡に六階建ての娯楽の殿堂」とある。現物は未確認。*280

1957年(昭和32年)頃の沼津市にあった映画館「第一劇場」の写真あり。『花の喧嘩状』の看板が見える。第一劇場は「文化劇場」の筋向いにあり、邦画専門館だった。昭和30年代の後半には「沼津日活」に改称したかもしれない。跡地のボウルビルでは現在も映画館が営業している。*281

1957年の「第一劇場」の写真あり。当時は邦画専門館であり、任侠映画『花の喧嘩状』の看板がかかっている。昭和30年代後半にはボウルビルに建て替えられ、映画館・ボウリング場・屋内スケート場などが入る娯楽ビルとなった。ジョイランド沼津ボウルビルは2007年に閉鎖された。*282

沼津宝塚劇場/ジョイランド沼津宝塚ビル
所在地 : 静岡県沼津市上本通町8(1960年)、静岡県沼津市上本通町(1963年)、静岡県沼津市上本通町8(1966年)、静岡県沼津市上本通8(1969年)、静岡県沼津市上本町通り8(1973年・1976年)、静岡県沼津市上本通り8(1980年)、静岡県沼津市大手町5-9-20(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1956年3月15日(沼津宝塚劇場)、1968年10月25日(ジョイランド沼津宝塚ビル)
閉館年 : 2015年2月27日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - ジョイランド宝塚ビル
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場」。1962年・1963年・1968年の住宅地図では「沼津宝塚劇場」。1968年10月25日ジョイランド沼津宝塚ビル開業。1969年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津ミラノ座」(2館)。1970年の住宅地図では「宝塚ビル」。1973年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津ミラノ座」(2館)。1976年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座」(3館)。1980年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津グランド劇場」(4館)。1985年の映画館名簿では「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津名画座・沼津グランド劇場」(5館)。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「沼津宝塚・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津名画座・沼津グランド劇場」(5館)。2010年・2015年の映画館名簿では「沼津宝塚・沼津有楽座」(2館)。2018年の映画館名簿には掲載されていない。ジョイランド沼津宝塚ビルは現存。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

宝塚劇場→ジョイランドシネマ1(300席)、有楽座→ジョイランドシネマ2(283席)は、地上6階・地下1階建てのジョイランド沼津宝塚ビルにあった。以前はグランド劇場(148席)、ミラノ座(235席)、名画座(69席)を含む5館体制だったが、グランド劇場/ミラノ座/名画座は先に閉館している。

沼津市明治史料館『企画展 地図が語る沼津の歩み』沼津市明治史料館、2002年には1951年の「沼津市中心地商店會社案内図」が掲載されており、後にジョイランド沼津宝塚ビルが建つ場所には「沼津湯」が掲載されている。現物は未確認。*283

1956年3月1日・3月14日の『黎明新聞』には「東海劇場前に沼津寶塚劇場(鉄筋コンクリート3階建)完工、3月15日開館、こけら落とし」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*284

1968年2月4日の新聞『沼津朝日』には「現在工事中の上本通り宝塚ビル」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*285

1968年8月10日の新聞『沼津朝日』には「中央ガード南口正面の元宝塚劇場と沼津湯の跡地へ工事を進めている宝塚ビルは十月下旬に落成する」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*286

1968年10月9日の新聞『沼津朝日』には「娯楽ビルが完成 宝塚ビル24日落成式(地下二階地上六階鉄骨鉄筋コンクリート)」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*287

1968年10月25日の新聞『沼津朝日』には「宝塚ビルが開店」という内容の記事が掲載されている。現物は未確認。*288

岩村渉は戦前に沼津市大手町で弁護士事務所を開いていたが、1946年(昭和21年)には自宅を改築して銭湯の営業を始めた。銭湯はよく流行ったが、1956年(昭和31年)には銭湯をさらに改築して映画館の「宝塚劇場」を開館させた。脱衣所と浴室の間の壁を取り除いて一つのフロアにし、建物の前面には巨大な看板を掲げた。入場料は大人120円・子ども55円であり、散髪代と映画館代はほぼ同じだった。*289

このほど、沼津市大手町のジョイランド沼津宝塚ビルにあるミラノ・グランド・名画座がリニューアルオープンした。座席数を30-50席減らして座席間を広げたほか、内装を一新した。*290

1958年(昭和33年)頃の沼津市にあった映画館「宝塚劇場」の写真あり。中央ガードを登り切った正面にあり、2002年(平成14年)現在は2館の映画館やボウリング場が営業するジョイランドとなっている。*291

沼津シネマ10
所在地 : 静岡県沼津市大手町5-12-5 沼津ボウルビル(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)、静岡県沼津市大手町5-9-20 ジョイランド沼津宝塚ビル2階(2010年・2015年)
開館年 : 1980年以後1985年以前
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 沼津シネマ10
1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2018年の映画館名簿では「沼津シネマ10」。1985年の映画館名簿では沼津プラザ・沼津ピカデリー・沼津スカラ座と同一の沼津ボウルビルだった。2005年以後2010年以前にはジョイランド沼津宝塚ビルに移転した。静岡県東部唯一の成人映画館。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

シネマサンシャイン沼津
所在地 : 静岡県沼津市大手町1-1-5 BiVi沼津4階(2010年・2015年)
開館年 : 2006年4月15日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - シネマサンシャイン沼津
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「シネマサンシャイン沼津1-8」(8館)。最寄駅はJR東海道本線・御殿場線沼津駅。

2006年4月15日、沼津市のBiVi沼津にシネコン「シネマサンシャイン沼津」が開館した。沼津市出身の映画監督である原田真人の作品を特集上映する「沼津映画WEEK」が開催されており、4月15日には原田監督もトークショーで来館した。*292

2006年(平成18年)4月15日、沼津駅北口にBiVi沼津がオープンし、計1280席の映画館も開館した。沼津駅北口は開発が遅れていたが、1995年(平成7年)に静岡東部特定再開発事務所が駅北拠点開発事業を開始し、2002年(平成14年)には沼津駅北口バスターミナルを整備していた。*293

2015年4月17日、シネマサンシャイン沼津に静岡県で初めて体感型シアター「4DX」が導入される。座席が前後上下に動いたり、水しぶき・風・香り・煙などが再現される。現在は全国で8施設で4DXが導入されている。*294

シネマサンシャインららぽーと沼津
所在地 : 静岡県沼津市 ららぽーと沼津3階
開館年 : 2019年10月4日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - シネマサンシャインららぽーと沼津
10スクリーン、計1826席。佐々木興業による15サイト目のシネコン。グランドシネマサンシャインに次ぐ国内2番目の「4DX with ScreenX」、静岡県初のIMAXレーザーを導入。

2019年10月4日には大型商業施設「三井ショッピングパーク ららぽーと沼津」が開店する予定である。10スクリーン約1800席のシネコン「シネマサンシャイン」や娯楽施設の「コロナワールド」が入る。*295

2019年10月4日、「シネマサンシャインららぽーと沼津」が開館する。10スクリーン。東京・池袋の映画館に次いで国内2番目・静岡県初となる体感型シアターが導入される。映像に合わせてシートが動き、水や風が顔にかかるアトラクション的な要素を持つ。*296

御殿場市

御殿場文化劇場/文化劇場
所在地 : 静岡県駿東郡御殿場町仲町(1953年)、静岡県駿東郡御殿場町仲町14(1955年)、静岡県御殿場市仲町(1958年)、静岡県御殿場市仲町46(1960年・1963年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1923年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「文化劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「御殿場文化劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「文化劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
新橋劇場/御殿場新橋劇場
所在地 : 静岡県駿東郡御殿場町(1950年)、静岡県駿東郡御殿場町新橋1994(1953年)、静岡県駿東郡御殿場町新橋2033(1955年)、静岡県御殿場市新橋1994(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1924年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 御殿場新橋劇場
『全国映画館総覧1955』によると1924年開館。1950年の映画館名簿では「御殿場新橋劇場」。1953年の映画館名簿では「新橋劇場」。1955年の映画館名簿では「御殿場新橋劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「新橋劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「御殿場新橋劇場」。1970年の住宅地図では「マルコシホール」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「さかなや駅前店」。最寄駅はJR御殿場線御殿場駅。
御殿場東映富士劇場/富士映画劇場/御殿場富士映画劇場/御殿場東映映画劇場/御殿場東映劇場
所在地 : 静岡県御殿場市新橋2046(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1976年以後1978年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 御殿場東映劇場
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「御殿場東映富士劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1966年の映画館名簿では「御殿場富士映画劇場」。1969年の映画館名簿では「御殿場東映映画劇場」。1970年の住宅地図では「富士映画」。1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場東映劇場」。1978年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「石坂ふとん店」南西の名称不明の駐車場。最寄駅はJR御殿場線御殿場駅。
御殿場中央劇場/中央劇場
所在地 : 静岡県御殿場市新橋1991(1958年)、静岡県御殿場市新橋1999(1960年)、静岡県御殿場市新橋2001(1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 御殿場中央劇場
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「御殿場中央劇場」。1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場中央劇場」。1970年の住宅地図では「中央劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「中央劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1階に居酒屋「GOTEN 御殿場店」がある「中央ビル」。最寄駅はJR御殿場線御殿場駅。
御殿場マウント劇場/マウント映画劇場
所在地 : 静岡県駿東郡御殿場町新橋1988(1953年)、静岡県駿東郡御殿場町仲町(1955年)、静岡県御殿場市新橋1988(1960年・1963年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1952年7月
閉館年 : 2012年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 御殿場マウント劇場
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧1955』によると1952年7月開館。1953年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。1955年の映画館名簿では「御殿場マウント劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場マウント劇場」。1971年の住宅地図では「マウント会館」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は現存し、「マウント劇場」の文字が残っている。最寄駅はJR御殿場線御殿場駅。

富士宮市

富士宮市の映画館
まだ映画が活動写真と呼ばれていた時代、富士郡大宮町では3館が営業していた。1917年(大正6年)に開館した南神田の旭館、1920年(大正9年)に開館した南神田の大宮電気館、1920年(大正9年)に開館した松山町の帝国館である。戦後の映画黄金期には7館が営業しており、上記のほかに八光劇場、中央劇場、ロマンス座などがあった。帝国館、第一劇場、東宝映画劇場、東宝劇場と並ぶ文化劇場の写真あり。帝国館は後に東映となった。東宝映画劇場は1982年現在のマルトミ靴店の場所である。文化劇場は現在の有楽座である。*297

大正時代の富士郡大宮町には3館の映画館があった。1917年(大正6年)開館の旭館、1920年(大正9年)開館の大宮電気館、1920年(大正9年)開館の帝国館である。しかし、旭館と電気館は1929年(昭和4年)の大宮町大火で焼失した。戦後には中央劇場やロマンス座などの映画館が開館した。*298
上井出上井出座/上井出映画劇場/上井出
所在地 : 静岡県富士郡上井出村(1950年・1953年)、静岡県富士郡上井出村567(1958年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1950年の映画館名簿では「上井出上井出座」。1953年の映画館名簿では「上井出映画劇場」。1958年の映画館名簿では「上井手」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
富士宮東宝/東宝映画劇場/東宝劇場/大映劇場
所在地 : 静岡県富士宮市(1950年)、静岡県富士宮市大宮1038(1953年・1955年・1960年)、静岡県富士宮市本町1038(1963年)
開館年 : 1939年8月
閉館年 : 1963年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士宮東宝
『全国映画館総覧1955』によると1939年8月開館。1950年の映画館名簿では「富士宮東宝」。1953年の映画館名簿では「東宝映画劇場」。1955年の映画館名簿では「東宝劇場」。1960年の富士宮市住宅明細図では「富士宮大映」。1960年・1963年の映画館名簿では「大映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は衣料品店「リトルファッション・ヴィラ」建物西側。最寄駅はJR身延線富士宮駅。

1939年(昭和14年)には富士宮市の本町(現在の大宮町)に「富士宮大映」が開館。1963年(昭和38年)に富士宮大映が閉館。2011年(平成23年)現在の跡地は駐車場。*299

富士宮市の中心市街地を南北に流れる神田川の東地区にある本町商店街(現在のマイロード)には、東宝系の「文化劇場」と大映専門館の「富士宮大映」が並んでいた。両館ともに富士宮市議会議長や静岡県興行組合連合会長を務めた加瀬沢勇が経営者であり、息子であり元陸軍将校の加瀬沢保が実務を担っていた。両館ともに1939年(昭和14年)に開館した。*300

昭和30年代の富士宮市にあった映画館「東宝映画劇場」「文化劇場」の写真あり。両映画館が並んでいた。本町通りは富士郡大宮町時代からの繁華街であり、戦前の1939年(昭和14年)に東宝映画劇場が開館すると、戦後の1946年(昭和21年)には隣接地に文化劇場が開館した。*301

富士宮市本町2丁目には、文化劇場と東宝劇場という2つの映画館が並んでいた。時期不明だが両者が並んでいる写真あり。1955年(昭和30年)頃の東宝劇場の写真もあり。文化劇場は1946年(昭和21年)設立であり、東宝劇場は1939年(昭和14年)設立である。*302

富士宮市公式サイトに、昭和30年代の東宝劇場と文化劇場の写真あり。*303
八光劇場/日活劇場/富士宮日活劇場
所在地 : 静岡県富士宮市宮本町1418(1960年)、静岡県富士宮市宮本町(1963年)、静岡県富士宮市宮本町1418(1966年)
開館年 : 1954年4月
閉館年 : 1971年
『全国映画館総覧1955』によると1954年4月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「八光劇場」。1960年の富士宮市住宅明細図では「富士宮日活」。1963年の映画館名簿では「日活劇場」。1966年の映画館名簿では「富士宮日活劇場」。跡地は「第一交通本社」。

1954年(昭和29年)には富士宮市の宮本町(現在の宮町)に「8光劇場」(※八光ではなく8光)が開館。1971年(昭和46年)に8光劇場が閉館。2011年(平成23年)現在の跡地は駐車場。*304

富士宮市の宮本町(現在の宮町)には「8光劇場」(※八光ではなく8光)があった。商店街の発展策として地元の商業者8人が出資して映画館を誘致したが、立地が悪く一時期は不振にあえいだ。洋画・東映・日活・NCC・東和映画の混成プログラムを打ち出すと挽回し、日活の石原裕次郎・赤木圭一郎・宍戸錠・小林旭ら主演の作品には若者の行列ができている。小西常義とロマンス座の支配人である増田新作の共同経営。*305

昭和30年代の富士宮市にあった映画館「八光劇場」の写真あり。1953年(昭和28年)に開館した映画館である。すでに富士宮市には「帝国館」、「東宝映画劇場」、「第一劇場」、「文化劇場」の4館があった。八光劇場に加えて、「ロマンス座」、「中央劇場」なども開館した。八光劇場は1971年(昭和46年)に閉館した。*306

富士宮市宮本町(現・宮町)には八光劇場があった。1955年(昭和30年)頃の写真あり。*307
富士宮名画座
所在地 : 静岡県富士宮市宮町11-12(1969年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士宮名画座
1969年の映画館名簿では「富士宮名画座」。1970年の住宅地図では「名画座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「第一交通本社」。最寄駅はJR身延線西富士宮駅。
富士宮帝国館/帝国館/富士宮東映劇場
所在地 : 静岡県富士宮市大宮(1953年)、静岡県富士宮市松山町848(1955年)、静岡県富士宮市松山町884(1958年)、静岡県富士宮市松山町884-3(1960年)、静岡県富士宮市松山町884(1963年・1966年)、静岡県富士宮市西町17-3(1969年・1973年)
開館年 : 1920年
閉館年 : 1974年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士宮東映劇場
『全国映画館総覧1955』によると1952年4月開館。1950年の映画館名簿では「富士宮帝国館」。1953年・1955年の映画館名簿では「帝国館」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「富士宮東映劇場」。1960年の富士宮市住宅明細図では「東映劇場」。1970年の住宅地図では「東映劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2017年8月30日開店の「セブンイレブン富士宮西町店」。最近までパチンコ店の建物が残っていた。最寄駅はJR身延線西富士宮駅。

1925年(大正14年)には富士宮の松山町(現在の西町)に「帝国館」が開館。1955年(昭和30年)に帝国館が閉館。1957年(昭和32年)には帝国館の跡地に「富士宮東映劇場」が開館。1974年(昭和49年)に富士宮東映劇場が閉館。2011年(平成23年)現在の跡地はパチンコ遊技場。*308

富士宮市の松山通り(現在の西町)には「富士宮東映劇場」があった。もともとは松竹系上映館の「帝国館」だったが、やがて東映専門館に転換して富士宮東映劇場となった。社長は小櫛紹であり、支配人は勤続40年の表彰を受けた内田重高。*309

1954年(昭和29年)頃の富士宮市にあった映画館「帝国館」の写真あり。『大学は出たけれど』『この広い空のどこかに』の看板が見える。昭和初期から親しまれた。富士宮市西町17-3にあり、2008年(平成20年)現在の跡地はパチンコ店となっている。*310

1920年(大正9年)には帝国館が開館した。1934年の写真あり。『街の灯』(1934年、アメリカ)の看板が見える。1955年頃の帝国館の写真あり。『この広い空のどこかに』(1954年、小林正樹監督)、『大学は出たけれど』(1955年、野村芳太郎監督)、『アパッチ』(1954年、アメリカ)の看板が見える。帝国館は後に東映劇場に改称した。2009年(平成21年)現在の跡地はパチンコ店となっている。*311
富士宮中央劇場
所在地 : 静岡県富士宮市元町957(1960年・1966年)、静岡県富士宮市宮町9-3(1969年・1976年・1980年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1977年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士宮中央劇場
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「富士宮中央劇場」。1970年の住宅地図では「中央劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「エンクルーズ株式会社」東側の空き地。少なくとも2011年まで建物が残っていた可能性がある。JR身延線富士宮駅と西富士宮駅からほぼ等距離。

1957年(昭和32年)には富士宮市の元町(現在の宮町)に「富士宮中央劇場」が開館。1977年(昭和52年)に富士宮中央劇場が閉館。2011年(平成23年)現在の跡地はパチンコ遊技場。*312

富士宮市の元町(現在の宮町)には「富士宮中央劇場」があった。双葉興行のチェーンであり、社長は阿部正人。松竹系作品・独立系作品・松竹系洋画を上映した。午後10時から年中無休でナイトショーを上映し、昼間の上映回を鑑賞できない商店主らに人気があった。ナイトショーを行っているのは静岡県東部で熱海の映画館と富士宮中央劇場だけだという。*313
文化劇場/富士宮文化劇場/富士宮有楽座/東宝有楽座
所在地 : 静岡県富士宮市大宮町(1950年)、静岡県富士宮市大宮1050(1953年・1955年・1958年)、静岡県富士宮市本町2丁目(1960年)、静岡県富士宮市大宮1047(1966年)、静岡県富士宮市大宮町10-12(1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1980年以後1985年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士宮文化劇場
1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「文化劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「富士宮文化劇場」。1960年の富士宮市住宅明細図では「文化劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「富士宮有楽座」。1970年の住宅地図では「有楽座」。1980年の映画館名簿では「東宝有楽座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は衣料品店「リトルファッション・ヴィラ」建物東端部。最寄駅はJR身延線富士宮駅。

富士宮市の中心市街地を南北に流れる神田川の東地区にある本町商店街(現在のマイロード)には、東宝系の「文化劇場」と大映専門館の「富士宮大映」が並んでいた。両館ともに富士宮市議会議長や静岡県興行組合連合会長を務めた加瀬沢勇が経営者であり、息子であり元陸軍将校の加瀬沢保が実務を担っていた。両館ともに1939年(昭和14年)に開館した。*314

昭和30年代の富士宮市にあった映画館「東宝映画劇場」「文化劇場」の写真あり。両映画館が並んでいた。本町通りは富士郡大宮町時代からの繁華街であり、戦前の1939年(昭和14年)に東宝映画劇場が開館すると、戦後の1946年(昭和21年)には隣接地に文化劇場が開館した。*315

富士宮市本町2丁目には、文化劇場と東宝劇場という2つの映画館が並んでいた。時期不明だが両者が並んでいる写真あり。文化劇場は1946年(昭和21年)設立であり、東宝劇場は1939年(昭和14年)設立である。*316

富士宮市公式サイトに、昭和30年代の東宝劇場と文化劇場の写真あり。*317
ロマンス座/富士宮ロマンス座/東映ロマンス
所在地 : 静岡県富士宮市宝来町(1955年)、静岡県富士宮市宝来町316(1960年・1963年・1966年)、静岡県富士宮市宮町3-4(1969年・1973年・1976年)、静岡県富士宮市宮町5-34(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1946年、1954年10月
閉館年 : 1992年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士宮ロマンス座
『全国映画館総覧1955』によると1954年10月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「ロマンス座」。1960年の富士宮市住宅明細図では「第二東映」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「富士宮ロマンス座」。1970年の住宅地図では「ロマンス座」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「東映ロマンス」。跡地は「静岡県富士山世界遺産センター」北東の駐車場。JR身延線富士宮駅と西富士宮駅からほぼ等距離。

1946年(昭和21年)には富士宮市の宝来町(現在の宮町)に「ロマンス座」が開館。1992年(平成4年)にロマンス座が閉館。2011年(平成23年)現在の跡地は駐車場。*318

富士宮市の本町通りに続く宝来町(現在の宮町)にあるのが「ロマンス座」であり、市内でもっとも入場料の安い映画館だった。ショーやアトラクションなどの実演も行われている。経営者は増田新作であり、増田は市内7館の親睦機関である館主クラブの責任者を務めている。*319
松竹座/富士宮第一劇場/第一劇場
所在地 : 静岡県富士宮市栄町228-3(1960年)、静岡県富士宮市栄町228(1963年)、静岡県富士宮市栄町228-3(1966年)、静岡県富士宮市大宮町24-2(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1993年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 富士宮第一劇場
『全国映画館総覧1955』によると1948年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「第一劇場」。1958年の映画館名簿では「富士宮第一劇場」。1960年の映画館名簿では「第一劇場」。1960年の富士宮市住宅明細図では「第一劇場」。1970年の住宅地図では「第一劇場」。1963年・1966年・1969年・1976年の映画館名簿では「富士宮第一劇場」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「第一劇場」。跡地は「クリエイトS・D富士宮大宮店」南東のブロック北側の駐車場。最寄駅はJR身延線富士宮駅。

1946年(昭和21年)には富士宮の栄町(現在の大宮町)に「第一劇場」が開館。1993年(平成5年)に第一劇場が閉館。2011年(平成23年)現在の跡地は駐車場。*320

富士宮市で唯一の洋画専門館は、1939年(昭和14年)開館の「第一劇場」である。本町通りを南に1本下った栄町(現在の大宮町)にあった。社長を務める中野一雄は島田市でも映画館を経営していた。「名画の第一」というスローガンがあり、名作古典映画の鑑賞会やモーニングショーなど斬新な企画を行った。1993年(平成5年)に第一劇場が閉館したことで、富士宮市から映画館がなくなった。*321

昭和30年代の富士宮市にあった映画館「第一劇場」の写真あり。戦前に「松竹座」として建てられ、1945年の終戦後すぐに『愛染かつら』を上映してにぎわった。戦後には「第一劇場」に改称し、いち早くアメリカ映画の上映を開始、洋画上映館として親しまれた。*322

松竹座は客席数が多かった。5階建て以上である1934年(昭和9年)の建物の写真あり。後に第一劇場に改称した。1955年(昭和30年)頃の第一劇場の写真あり。*323

富士宮市公式サイトに、第一劇場の写真あり。*324
イオンシネマ富士宮
所在地 : 静岡県富士宮市浅間町1-8 イオンモール富士宮3階(2015年)
開館年 : 2010年11月19日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - イオンシネマ富士宮
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2015年の映画館名簿では「イオンシネマ富士宮1-6」(6館)。

2010年11月19日、富士宮市のイオン富士宮ショッピングセンターにイオンシネマ富士宮が開館する。6スクリーン909席。2010年4月にJR富士駅前の富士シネ・プレーゴが閉館してから、約半年間にわたって岳南地域は映画館空白地帯だった。静岡県東中部だけではなく、山梨県南部も商圏に見込んでいる。*325

2010年11月19日、富士宮市のイオン富士宮ショッピングセンターにイオンシネマ富士宮が開館する。6スクリーン909席。イオンシネマズの出店は静岡県初。*326

裾野市

裾野キング劇場
所在地 : 静岡県駿東郡裾野町平松474(1953年)、静岡県駿東郡裾野町平松(1955年・1958年)
開館年 : 1947年3月
閉館年 : 1958年以後1960年以前
『全国映画館総覧1955』によると1947年3月開館。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「裾野キング劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1955年以後に裾野文化劇場に改称した可能性がある。
裾野文化劇場
所在地 : 静岡県駿東郡裾野町平松(1963年)
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1963年の映画館名簿では「裾野文化劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1958年以後に裾野キング劇場から改称した可能性がある。
裾野演芸館
所在地 : 静岡県駿東郡裾野町二本松(1955年)、静岡県駿東郡裾野町佐野(1963年・1966年)
開館年 : 1897年5月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 裾野演芸館
『全国映画館総覧1955』によると1897年5月開館。1955年の映画館名簿では「裾野演芸館」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「裾野演芸館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の住宅地図では「裾野演芸館」。跡地は「竹水園工場」北の「服部パーキング」。「秀英予備校裾野駅前校」の北東。

駿東郡清水町

シネプラザサントムーン
所在地 : 静岡県駿東郡清水町玉川61-2 サントムーン柿田川本館
開館年 : 2007年12月22日
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。

2007年12月22日、駿東郡清水町に映画館「シネプラザサントムーン」が開館する。12スクリーンや計2004席はいずれも静岡県最大級。静岡県東部では5施設目のシネコン。経営は静岡市の静活。*327

駿東郡小山町

小山町の映画館
駿東郡小山町では、1921年(大正10年)に「小山劇場」が、1925年(大正14年)に「ライオン館」が開館し、映画が観られるようになった。戦後にはライオン館が「小山映画劇場」に改称し、小山劇場が「小山中央劇場」に改称した。そんな中の1951年(昭和26年)、富士紡労働組合が組合員の慰安のために映画館「労働会館」を開館させた。1956年(昭和31年)1月1日の『岳麓新聞』の「正月映画紹介」によると、小山映画劇場が『太陽は日々に新たなり』と『やがて青春』を、中央劇場が『自分の穴の中で』と『無頼の谷』を、小山労働会館が『裏町のお嬢さん』と『沙羅の花の峠』ほかを上映していた。昭和30年代後半から昭和40年代初頭には、テレビの普及などで映画館の観客動員数が減少し、小山町から映画館は姿を消した。*328
須走セントラル/須走セントラル劇場
所在地 : 静岡県駿東郡須走村241(1958年)、静岡県駿東郡小山町須走241(1960年)、静岡県駿東郡小山町須走(1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「須走セントラル」。1960年・1963年の映画館名簿では「須走セントラル劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
労働会館
所在地 : 静岡県駿東郡小山町小山47(1960年)、静岡県駿東郡小山町小山(1963年・1966年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「労働会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
小山劇場/小山中央劇場
所在地 : 静岡県駿東郡小山町藤曲54(1960年)、静岡県駿東郡小山町藤曲(1963年)、静岡県駿東郡小山町落合(1966年)、静岡県駿東郡小山町音渕(1969年)
開館年 : 1921年、1948年1月
閉館年 : 1969年以後1973年以前閉館
『全国映画館総覧1955』によると1948年1月開館。1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「小山中央劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
ライオン館/小山映画劇場
所在地 : 静岡県駿東郡小山町藤曲73(1960年)、静岡県駿東郡小山町藤曲(1963年)、静岡県駿東郡小山町落合(1966年)、静岡県駿東郡小山町藤曲73(1969年)
開館年 : 1925年、1930年11月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1930年11月開館。1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「小山映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年(昭和30年)頃の駿東郡小山町にあった映画館「ライオン館」の写真あり。「映画劇場」の看板が見える。モダンな建物である。*329

駿東郡長泉町

映画館名簿によると長泉町に映画館は存在しなかったと思われる。

伊豆

熱海市

熱海市の映画館
1953年(昭和28年)現在の熱海市には、大映系の国際劇場、東宝系の東宝劇場、松竹系のロマンス座の3館の映画館がある。ダンスホールは熱海地区に2軒、和田木に1軒あるが、ホールの設備がある旅館も多い。*330

1953年(昭和28年)に熱海市役所が刊行した『熱海』には熱海市街地図が掲載されている。主要な施設も記されており、映画館としては「国劇」(熱海国際劇場)、「宝劇」(熱海東宝劇場)、「熱劇」(後の熱海大映)、「ロマンス座」の4館が記されている。*331
電気館
所在地 : 静岡県熱海市
開館年 : 1933年頃
閉館年 : 1944年
跡地は「静岡中央銀行熱海支店」の西側にある「静岡銀行提携駐車場」。

1933年(昭和8年)頃、銀座通りに映画館の電気館が開館した。開館当日の記念写真あり。熱海で初めて無声映画を上映した映画館である。1934年(昭和9年)の丹那トンネル開通式の日には、旗行列の後に『ああ無情』(※どの作品か不明)を上映した。1944年(昭和19年)には本町の火災で電気館が焼失。1950年(昭和25年)の熱海大火後、電気館跡地にはスルガ銀行・静岡銀行・静岡中央銀行・藍沢証券などが建ち、銀座通りは熱海一の繁華街から金融街となった。2006年(平成18年)現在の電気館跡地は駐車場となっている。*332
網代映画劇場/網代映画劇場・網代ロマンス座/網代文化劇場
所在地 : 静岡県田方郡網代町(1950年)、静岡県田方郡網代町477(1953年・1955年)、静岡県熱海市網代町477(1958年)、静岡県熱海市網代旭町(1960年)
開館年 : 1945年8月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧1955』によると1945年8月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「網代映画劇場」。1955年の映画館名簿では「網代映画劇場・網代ロマンス座」(2館)。1960年の映画館名簿では「網代文化劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
国際劇場/熱海国際劇場
所在地 : 静岡県熱海市本町428(1953年)、静岡県熱海市本町284(1955年)、静岡県熱海市本町428(1960年・1963年・1966年)、静岡県熱海市本町2-27(1969年)
開館年 : 1950年10月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
『全国映画館総覧1955』によると1950年10月開館。1955年の映画館名簿では「国際劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熱海国際劇場」。1974年の住宅地図では「国際劇場」。跡地は「熱海ニューフジヤホテル」南東側の商店群の中央部。アカデミー劇場の前身館であるとされる。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「国劇」とある。*333
熱海日活
所在地 : 静岡県熱海市渚町2016(1963年)、静岡県熱海市渚町20-7(1969年)
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熱海日活」。1971年の住宅地図では「熱海日活」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「アタミトルコ」。跡地は「魯風人」がある商業ビル東側の駐車場。
大映劇場/熱海大映
所在地 : 静岡県熱海市鶴田966(1955年)、静岡県熱海市旭町2-1325(1966年)、静岡県熱海市清水町5-7(1969年)
開館年 : 1954年8月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
『全国映画館総覧1955』によると1954年8月開館。1955年の映画館名簿では「大映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「熱海宝塚劇場」と同一番地。1966年・1969年の映画館名簿では「熱海大映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1971年のゼンリン住宅地図では「京王直営ホテル熱海園 熱海大映劇場」。1974年の住宅地図では跡地に「ホテル熱海園」。跡地は「マルゲン59ビル」。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「熱劇」とある。当時は旭町という地名だった。*334
宝塚劇場/熱海宝塚劇場・熱海大映/熱海東宝劇場
所在地 : 静岡県熱海市鶴田966-1(1955年)、静岡県熱海市鶴田966(1960年・1963年)、静岡県熱海市鶴田966-5(1966年)、静岡県熱海市中央町13-4(1969年)、静岡県熱海市中央町14(1973年)
開館年 : 1937年12月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
『全国映画館総覧1955』によると1937年12月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「宝塚劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「熱海宝塚劇場・熱海大映」(2館)。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「熱海東宝劇場」。1971年の住宅地図では東宝会館であるとして「熱海東宝劇場 熱海行業KK」。1974年の住宅地図では熱海東宝会館5階に「熱海東宝劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「国際観光専門学校熱海校」。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「宝劇」とある。当時は旭町という地名だった。*335
アタミアカデミー/熱海アカデミー劇場
所在地 : 静岡県熱海市銀座1-24(1973年・1976年)、静岡県熱海市銀座1-4(1980年)
開館年 : 1969年以後1973年以前
閉館年 : 1980年4月25日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「アタミアカデミー」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。熱海ニューフジヤホテル地下にあった。1971年の住宅地図ではこの場所に「ニューフジヤホテル」がある。国際劇場の後継館であるとされる。
熱海名画座/熱海日活名画座
所在地 : 静岡県熱海市熱海959-14(1960年)、静岡県熱海市清水町595(1963年)、静岡県熱海市清水町959-14(1966年)、静岡県熱海市清水町1-16(1969年・1973年・1976年・1980年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「熱海名画座」。1976年・1980年の映画館名簿では「熱海日活名画座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では「日活名画座」。跡地は初川に架かる清水橋南すぐの「高橋薬局」。
テアトル ナギサ/熱海東映テアトルナギサ/熱海ナギサ映画劇場/熱海東映ナギサ
所在地 : 静岡県熱海市渚町2015(1958年)、静岡県熱海市銀座渚2015(1960年・1963年)、静岡県熱海市渚町2015(1966年)、静岡県熱海市渚町10-5(1969年)、静岡県熱海市銀座渚町10-5(1973年・1976年)、静岡県熱海市渚10-5(1980年・1985年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「テアトル ナギサ」。1960年の映画館名簿では「熱海東映テアトルナギサ」。1963年の映画館名簿では「熱海東映ナギサ」。1966年・1969年の映画館名簿では「熱海ナギサ映画劇場」。1971年・1974年の住宅地図では「東映ナギサ」。1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「熱海東映ナギサ」。跡地は「ローソン熱海渚店」。
ロマンス座/熱海ロマンス座
所在地 : 静岡県熱海市銀座382(1953年・1955年・1960年)、静岡県熱海市銀座364(1963年・1966年)、静岡県熱海市銀座8-13(1969年)、静岡県熱海市銀座8-9(1973年・1976年・1980年)、静岡県熱海市銀座8-13(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 2002年1月19日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧1955』によると1951年11月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「ロマンス座」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「熱海ロマンス座」。1971年・1974年の住宅地図では「ロマンス座」。2002年の休館後も映画館名簿には掲載され続けている。跡地には建物が現存。熱海市最後の映画館。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「ロマンス座」とある。*336

熱海ロマンス座が2002年1月19日から休館する。新文化興業の矢田文之社長が2001年12月に69歳で亡くなり、後継者もいないため。支配人は67歳の松浦良吉であり、47年間も映写技師としてフィルムを回してきた。1951年にロマンス座が開館。熱海市に7館あった映画館は相次いで閉館し、最後まで残った。十数年前から伊豆半島を回る移動映画会を開いてきたが、1月20日の伊東市の移動映画会を最後に終了する。*337

三島市

三島市の映画館
1959年(昭和34年)現在の三島市の映画館としては、「中央」(小中島)、「セントラル」(小中島)、「第一三島」(茶町)、「第二三島」(六反田)、「銀座」(大中島)、「東海」(大中島)、「東映」(伝馬金谷町)の7館がある。このほかには、三島産業物産館でも月数回は映画の興行が催される。*338

大正時代の三島には、六反田(現・広小路町)の「歌舞伎座」、大中島(現・本町)の「堀内座」、小中島(現・中央町)の「大正座」など、5館の劇場があった。昭和に入ると「第1三島館」、「第2三島館」、「富士館」(後のセントラル)、「銀座劇場」の各映画館が人気となった。戦後期に開館した「東海劇場」、「新日本劇場」、「中央劇場」、「東映劇場」を加えて、最盛期の三島市には8館の映画館があった。1985年(昭和60年)には三島市から映画館がなくなった。1997年(平成9年)、梅名に6館の劇場が1か所に集まった「ジョイランドシネマみしま」が開館した。*339

大正時代の三島には、六反田(現・広小路町)の「歌舞伎座」、大中島(現・本町)の「堀内座」、久保町(現・中央町)の「大正座」など、5館の劇場があった。昭和戦前期には「第1三島館」、「第2三島館」、「富士館」(後のセントラル)、「銀座劇場」の各映画館が開館した。戦後期には「東海劇場」、「新日本劇場」、「中央劇場」、「東映劇場」の映画館が開館し、最盛期の三島市には8館の映画館があった。*340

1928年(昭和3年)に高木工務所が発行した『三島町詳細図』には、活動常設館「三島館」、活動常設館「富士館」の写真が掲載されている。*341

静岡県賀茂郡賀茂村長の山本正和は、1951年から1954年に静岡県立田方農業高校に在学した。山本は三島市内に寄宿して高校に通い、当時の三島市に6館あった映画館に入り浸り、在学中の3年間で500本近く鑑賞した。映画館と独自に交渉し、月に1回の田方農業高校生半額デーを設けてもらった。*342
三島館/第一三島館
所在地 : 静岡県三島市(1950年)、静岡県三島市茶町1922(1953年・1955年)、静岡県三島市茶町1921(1960年)、静岡県三島市六反田1922(1963年)
開館年 : 1926年頃、1946年1月
閉館年 : 1962年12月11日
1926年頃に三島館として開館。1934年に第一三島館に改称。『全国映画館総覧1955』によると1946年1月開館。1949年12月に東映専門館となる。1950年10月に洋画専門館となる。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「第一三島館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1972年・1978年のゼンリン住宅地図では跡地に「三島信用金庫西支店」。現在の跡地は「三島信用金庫西支店」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅。

三島市西本町1-21(かつての茶町)には「三島館」があった。1926年(大正15年)頃に開館し、1934年(昭和9年)に「第一三島館」に改称した。1962年(昭和37年)12月11日に廃止された。1989年(平成元年)現在は三島信用金庫西支店になっている。*343

三島市西若町の青果市場から南に約100mの場所に、伊豆箱根鉄道駿豆線の三島館踏切がある。この踏切をまっすぐ南下すると、現在の三島信用金庫西支店の場所には1962年(昭和37年)まで映画館「第一三島館」があった。*344
第二三島館
所在地 : 静岡県三島市(1950年)、静岡県三島市六反田1849(1953年)、静岡県三島市六反田1894(1955年)、静岡県三島市六反田1849(1960年・1963年)
開館年 : 1934年、1946年1月
閉館年 : 1964年2月
1934年に開館。『全国映画館総覧1955』によると1946年1月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「第二三島館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1972年・1978年・1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「パチンコ八億」。現在の跡地はパチンコ店「パチンコ八億」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅。

三島市広小路町10-2(かつての六反田)には「第二三島館」があった。1934年(昭和9年)に開館し、1964年(昭和39年)2月に廃止された。1989年(平成元年)現在はパチンコ八億になっている。*345
大場劇場/東映朝日劇場/三島朝日劇場/太陽朝日座
所在地 : 静岡県三島市大場80(1955年)、静岡県三島市大場79(1960年・1963年)
開館年 : 1938年9月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1938年9月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「大場劇場」。1958年の映画館名簿では「東映朝日劇場」。1960年の映画館名簿では「三島朝日劇場」。1963年の映画館名簿では「太陽朝日座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1972年のゼンリン住宅地図では「朝日館」。1978年のゼンリン住宅地図では跡地に「車庫」。現在の跡地は「コーポ コーエイ」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線大場駅。
三島新日本劇場/三島エトアール劇場/エトアール劇場/三島東映劇場/三島国際劇場/三島劇場
所在地 : 静岡県三島市(1950年)、静岡県三島市伝馬町1220(1953年・1955年・1960年・1963年)、静岡県三島市栄町11-27(1966年)
開館年 : 1946年11月? 1947年?
閉館年 : 1964年3月
『全国映画館総覧1955』によると1946年11月開館。1950年の映画館名簿では「三島新日本劇場」。1950年11月に新日本劇場が休館。1953年に新日本劇場跡地に東映専門館のエトアール劇場が開館。1953年の映画館名簿では「三島エトアール劇場」。1954年12月22日にワイドスクリーンを設置して三島東映劇場に改称。1955年の映画館名簿では「エトアール劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「三島東映劇場」。1963年の映画館名簿では木造平屋建て420席、経営者・支配人ともに福田行芳、東映を上映。1963年4月23日に新築していた三島国際劇場が開館。1965年に三島国際劇場から三島劇場に改称したとされる。1966年の映画館名簿では「三島国際劇場」。1966年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造平屋建て210席、経営者・支配人ともに福田行芳、洋画を上映。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1972年のゼンリン住宅地図では「東映劇場跡」(※建物が残っていたと思われる)。1978年のゼンリン住宅地図では跡地に空白。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「三嶋大社駐車場」。跡地は「三嶋大社駐車場」南側。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅。

三島市大社町17-1には「新日本劇場」があった。1947年(昭和22年)に開館し、「三島エトアール」に改称した後、1955年(昭和30年)2月に「三島東映劇場」に改称した。1964年(昭和39年)3月に廃止された。1989年(平成元年)現在は三嶋大社の駐車場になっている。*346
東海劇場/三島東海劇場
所在地 : 静岡県三島市芝町1-4(1953年・1955年・1960年・1963年)、静岡県三島市芝本町10-38(1966年)
開館年 : 1927年11月、1946年
閉館年 : 1968年1月22日
『全国映画館総覧1955』によると1927年11月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「東海劇場」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三島東海劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1972年のゼンリン住宅地図では跡地に「キャバレーニュー東海」。1978年のゼンリン住宅地図では跡地に「地下1階キャバレーニュー東海 1階パチンコ富士 2階料理ふじ」。1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「八百半駐車場」。跡地は立体駐車場「ヒロセパーキング」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅。

三島市芝本町10-36には「東海劇場」があった。1946年(昭和21年)には戦後の三島市でいち早く開館した。しかし戦後の混乱期で経営不振に陥ったため、1947年(昭和22年)から1950年(昭和25年)4月までは三島地区協が完全体を借り受けて、三島労働文化会館という労働組合の拠点となった。組合員とその家族には安価で映画が提供された。1968年1月22日をもって廃止された。1989年(平成元年)現在は八百半の駐車場になっている。*347

1968年1月25日の『三島民報』には「東海劇場」の閉館とキャバレー転換を報じる記事が掲載されている。現物は未確認。三島市立図書館が原紙とCD-ROMを所蔵。*348
中央劇場/三島中央劇場
所在地 : 静岡県三島市(1950年)、静岡県三島市小中島(1953年)、静岡県三島市小中島1743(1955年・1960年)、静岡県三島市小中島本町(1963年)、静岡県三島市本町3-38(1966年・1969年)
開館年 : 1928年1月
閉館年 : 1974年1月28日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)三島市街地
『全国映画館総覧1955』によると1928年1月開館。1950年の映画館名簿では「三島中央劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「中央劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「三島中央劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「中央劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「三島中央劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1983年のゼンリン住宅地図では跡地に「第一勧業銀行三島支店」。現在の跡地は「みずほ銀行三島支店」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅。

三島市本町3-38には「中央劇場」があった。1947年(昭和22年)に開館した。1989年(平成元年)現在は第一勧業銀行の建物になっている。*349
久楽館/富士館/大勝館/セントラル劇場/三島セントラル劇場
所在地 : 静岡県三島市小中島(1953年)、静岡県三島市大中島(1955年)、静岡県三島市小中島1743(1960年)、静岡県三島市小中島本町(1963年)、静岡県三島市本町2-27(1966年・1969年・1980年)
開館年 : 1926年? 1928年1月?
閉館年 : 1985年8月31日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)三島市街地
『全国映画館総覧1955』によると1928年1月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「三島セントラル劇場」。1971年・1972年・1978年・1983年のゼンリン住宅地図では「セントラル劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパン屋「グルッペ本町店」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅。

1926年(昭和元年)には「久楽館」が「富士館」に改称した。三島市初の鉄筋コンクリート造の映画館である。1941年(昭和16年)頃に「大勝館」に改称し、戦後に「セントラル劇場」に改称した。1974年(昭和49年)の三島市にある映画館は銀座劇場とセントラルの2館のみとなった。1985年(昭和60年)8月31日をもって廃止され、三島市から映画館がなくなった。本町2-27(かつての大中島)にあった。*350
堀内座/レコード館/ポッポ座/銀座劇場/三島銀座劇場/三島明宝劇場・三島有楽座/明宝劇場・有楽座
所在地 : 静岡県三島市大中島(1953年)、静岡県三島市大中島426(1955年)、静岡県三島市大中島423(1960年・1963年)、静岡県三島市南本町2-2(1966年)、静岡県三島市南本町2-27(1969年・1973年)、静岡県三島市南本町2-2(1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1935年?、1945年12月
閉館年 : 1985年8月31日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)三島市街地
『全国映画館総覧1955』によると1945年12月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「銀座劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「三島銀座劇場」。1971年・1972年のゼンリン住宅地図では「銀座劇場」。1974年3月21日には銀座劇場を分割して明宝劇場と有楽座の2館化。1976年の映画館名簿では「三島明宝劇場・三島有楽座」。1978年・1983年のゼンリン住宅地図では「明宝劇場・有楽座」。1980年・1985年の映画館名簿では「明宝劇場・有楽座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「焼肉東海苑」専用駐車場。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅。

「堀内座」を映画館に改修して「レコード館」が開館した。堀内座は1935年(昭和10年)に廃止された「三島劇場」の建物を移築したものである。レコード館は戦後になって「ポッポ座」に改称し、その後「銀座劇場」に改称した。1974年(昭和49年)の三島市にある映画館は銀座劇場とセントラルの2館のみとなった。経営者は観客数の減少に対する対策として、銀座劇場の内部を仕切って「明宝劇場・有楽座」の2館に分けた。セントラルを含めた計3館で製作者別系列の上映を行った。1985年(昭和60年)8月31日をもって廃止され、三島市から映画館がなくなった。*351

1985年8月25日の『三島民報』には「明宝劇場・有楽座」の閉館を報じる記事が掲載されている。現物は未確認。三島市立図書館が原紙とCD-ROMを所蔵。*352
ジョイランドみしまシネマ
所在地 : 静岡県三島市梅名308-6(2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1997年11月
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「ジョイランドみしまシネマ1-6」(6館)。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線大場駅。

1997年11月、三島市に6スクリーンが入った映画館「ジョイランドシネマみしま」が開館した。経営は沼津市に本社を置く東部事業。3階に映画館の6スクリーンがあり、1階はゲームセンターとパチンコ店、2階はボウリング場がある総合娯楽ビルである。静岡県でシネコン(複合映画館)の開館は初となる。浜松市や清水市でもシネコンの建設が計画されている。榛原町に本社を置く戸塚興業は、かつて掛川市などで約20館の映画館を経営していたが、1991年に掛川座を閉館させて映画館経営から完全撤退した。*353

静岡県東部は半径5km圏内にシネコン3施設がある激戦区である。2008年には静岡県最多の12スクリーンを有する「シネプラザサントムーン」が開館し、「ジョイランドシネマみしま」は大きな影響を受けている。ジョイランドシネマみしまはシネコンでは珍しく入れ替え梨の自由席を採用しており、「同じ作品なら何度も見られる」という。シネプラザサントムーンは単館系作品も積極的に上映して幅広い客層を取り込もうとしている。2006年に沼津駅前に開館した「シネマサンシャイン沼津」は、学生が多い駅前の立地を生かそうと若者向けの作品を増やし、3D上映が可能なスクリーンも増やした。静岡県西部にある3つのシネコンはいずれもTOHOシネマズが運営しており、相乗効果で地域全体の観客動員数の底上げにつながっているという。*354

伊東市

伊東市の映画館
1951年に再建された伊東劇場は、収容人数1200人で静岡県最大の大きさだった。伊東劇場の隣には洋画専門館のロキシーがあり、さらに松竹館、演舞場、銀映と、伊東市街地には5館の映画館があった。郡部には相良劇場、テアトル(八幡野)、文化館(富戸)、宇佐美座(宇佐美)があった。大衆娯楽のうち最初に衰退したのは映画館であり、1963年10月の5館の入館者数計2万7326人は、前年同月に比べて1万310人も減少した。1館あたりでは1日平均182人という少なさだった。伊東劇場も1970年に閉館。最後まで残ったのは銀映だったが、1987年に32年の歴史の幕を閉じた。*355

1963年10月の伊東市街地の映画館5館の入場者数は計2万7326人であり、売上高は計482万1700円だった。1962年10月は計3万7636人であり、売上高は539万7000円だったため、入場者数は27%減少、売上高は11%減少となった。1963年の5館の1日平均入場者数は910人であり、1館当たりでは1日平均182人だった。テレビが普及したことや、レジャーブームで娯楽施設が豊富になったことが要因に挙げられる。*356*357
キネマホール
所在地 : 静岡県賀茂郡伊東町(1930年)
開館年 : 1920年8月14日
閉館年 : 1945年以前
1930年の映画館名簿では「キネマホール」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。

伊東市有数の商店街であるキネマ通りの名前の由来になったのはキネマホールである。1920年(大正9年)8月14日に開館式を行い、まだ映画が「活動写真」と呼ばれていた時代にキネマホールというハイカラな館名を付けた。キネマホールは火災に遭って短命に終わった。*358

『伊東の歴史と民俗寸描 地元新聞紙上に見る伊東の姿』には、「『キネマホール』その後」、「キネマホール再び 伊東・キネマ通りの発祥」という文章が掲載されている。現物は未確認。*359
富戸文化劇場
所在地 : 静岡県伊東市富戸町701(1958年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「富戸文化劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
宇佐美劇場
所在地 : 静岡県田方郡宇佐美村(1953年・1955年)、静岡県伊東市宇佐美区宇佐美(1958年)、静岡県伊東市宇佐美城宿(1960年・1963年)
開館年 : 1945年12月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1945年12月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「宇佐美劇場」。
テアトル八幡野/八幡野テアトル
所在地 : 静岡県田方郡対馬村八幡野(1953年・1955年)、静岡県伊東市対島区八幡野(1958年・1960年)、静岡県伊東市八幡野(1963年)
開館年 : 1951年9月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1951年9月開館。1953年の映画館名簿では「八幡野テアトル」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「テアトル八幡野」。1963年の映画館名簿では「八幡野テアトル」。
ロキシー劇場/伊東ロキシー/伊東東映ロキシー
所在地 : 静岡県伊東市松原(1953年・1955年)、静岡県伊東市松原町501(1958年)、静岡県伊東市松原猪戸町(1960年)、静岡県伊東市松原501(1963年)
開館年 : 1941年4月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
『全国映画館総覧1955』によると1941年4月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「ロキシー劇場」。1960年の伊東市明細図・1963年の伊東市住宅明細図では「映画劇場ロキシー(山田)」。1958年・1960年の映画館名簿では「伊東ロキシー」。1963年の映画館名簿では「伊東東映ロキシー」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の映画館名簿では跡地に「ロキシー駐車場」。現在の跡地はアーケード南端部にある「セントラルビル」であり定食屋「椿や」やガールズバー「ミラージュ」などが入っている。最寄駅はJR伊東線伊東駅。

伊東東映演舞場/伊東日活演舞場
所在地 : 静岡県伊東市松原町602(1958年)、静岡県伊東市松原602(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「伊東東映演舞場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「伊東日活演舞場」。1970年のゼンリン住宅地図では「伊東日活」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「手打庵松原店」。最寄駅はJR伊東線伊東駅。

伊東松竹館/テアトルマルマン劇場/テアトル丸万
所在地 : 静岡県伊東市松原(1953年)、静岡県伊東市栄町(1955年・1958年)、静岡県伊東市松原栄町1(1960年・1963年・1966年)、静岡県伊東市松原1-1(1969年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1930年の映画館名簿では「松竹館」。『全国映画館総覧1955』によると1941年8月開館。1950年の映画館名簿では「伊東松竹館」。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「松竹館」。1960年の映画館名簿では「伊東松竹館」。1960年の伊東市明細図では「映画劇場 第二東映」。1963年の伊東市住宅明細図では「テアトルマルマン」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「テアトル丸万」。1970年のゼンリン住宅地図では「テアトルマルマン」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。旅館「山望館」の北西30m。最寄駅はJR伊東線伊東駅。

1965年(昭和40年)頃(※誤りだと思われる)の伊東市にあった映画館「テアトルマルマン劇場」の写真あり。劇場通り(現・中央町通り)にあり、伊東市を代表する映画館だった。『日本侠客伝 白刃の盃』(1967年)や『博奕打ち』(1967年)などの看板が見える。「テアトルマルマン」「THEATRE MARUMAN」などの看板が見える。*360

伊東劇場
所在地 : 静岡県伊東市松原(1953年・1955年)、静岡県伊東市松原507(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、静岡県伊東市中央町7-2(1973年・1976年)
開館年 : 1918年5月15日
閉館年 : 1970年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
『全国映画館総覧1955』によると1950年12月開館であり鉄筋コンクリート造3階建。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「伊東劇場」。1960年の伊東市明細図・1963年の伊東市住宅明細図では「伊東劇場」であり小さな「喫茶マルマン」という建物が併設されている。1970年のゼンリン住宅地図では「伊東劇場」であり小さな「マルマン」という建物が併設されている。1978年の住宅地図では「伊東劇場」であり小さな「マルマン」という建物が併設されている。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「フリーマーケットベル」の西側の立体駐車場。「チグサ美容室」の向かい。2006年6月24日には敷地北側に「キネマカフェ伊東劇場」が開店したが、2009年12月10日に閉店した。

1918年(大正7年)5月15日、再築中の伊東劇場が完成し、盛大に舞台開きが開催された。*361

伊東劇場は1970年(昭和45年)まで営業を続けた。(※映画館名簿とは閉館時期に6年以上のずれが生じるが理由は不明)*362

伊東銀座映画劇場/伊東銀映オリオン
所在地 : 静岡県伊東市玖須美之内125(1958年)、静岡県伊東市玖須美元竹之内(1960年・1963年)、静岡県伊東市玖須美元竹之内125(1966年・1969年・1973年)、静岡県伊東市銀座元町6-10(1976年・1980年)、静岡県伊東市銀座元町6-11(1985年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1987年4月5日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「伊東銀座映画劇場」。1960年の伊東市明細図・1963年の伊東市住宅明細図では「映画劇場 伊東銀映」。1970年のゼンリン住宅地図では「伊東銀座映画劇場」。1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「伊東銀映オリオン」。1978年の住宅地図では「銀映オリオン」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。伊東市最後の映画館。跡地は「伊東市商工会議所」。

伊東銀映の開館間もない頃には東映と大映を上映し、上映作品は時代劇が多かった。俳優の大友柳太郎が映っている1956年(昭和31年)頃の写真あり。*363

1987年4月5日、伊東銀映オリオンが32年間の歴史に幕を閉じて閉館する。映画全盛期の1955年、伊東劇場・ロキシー・松竹館・演舞場に次ぐ市内5番目の映画館として、伊東市銀座元町に創業した。1986年8月、伊東銀座興業株式会社の株主総会において、映画人口の減少、建物の老朽化、幼稚園児への環境問題などを理由に閉館を決定。セブンイレブンやスーパーの誘致なども検討されたが、建物は取り壊すことが決定し、726m2の敷地を商工会館の建設地とする案が有力である。増田郁雄社長、資本金1200万円。*364*365

伊東市に最後まで残った映画館は銀映であるが、1987年に32年の歴史の幕を閉じた。*366

下田市

白浜座
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町白浜1778(1960年)、静岡県賀茂郡下田町白浜(1963年)、静岡県賀茂郡下田町白浜1778(1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「白浜座」。1971年のゼンリン住宅地図では確認できなかった。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
湊座/下田湊座
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町825(1953年・1955年・1958年)、静岡県賀茂郡下田町839(1960年)、静岡県賀茂郡下田町黒船通り(1963年)、静岡県賀茂郡下田町825(1966年)、静岡県賀茂郡下田町黒船通(1969年)
開館年 : 1884年4月19日
閉館年 : 1969年8月26日
『全国映画館総覧1955』によると1907年10月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「湊座」。1955年の映画館名簿では「下田湊座」。1958年の映画館名簿では「湊座」。1960年の映画館名簿では「下田湊座」。1963年の映画館名簿では「港座」。1966年・1969年の映画館名簿では「下田湊座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1884年4月19日には港座(※湊座ではなく港座)が創業した。*367

1969年8月26日には港座(※湊座ではなく港座)が閉館し、娯楽センターと駐車場になった。*368
下田黒船センター
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町839(1966年)、静岡県賀茂郡下田町白浜黒船通(1969年)、静岡県下田市黒船通り(1973年)、静岡県下田市3-1-4(1976年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1976年以後1978年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 下田黒船センター
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「下田黒船センター」。1971年・1976年のゼンリン住宅地図では「黒船センター」。1978年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「マックスバリュエクスプレス下田銀座店」の南東角。最寄駅は伊豆急行線伊豆急下田駅。
三幸館/下田三幸館
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町(1950年)、静岡県賀茂郡下田町549(1953年)、静岡県賀茂郡下田町下田銀座(1955年・1958年)、静岡県賀茂郡下田町550(1960年)、静岡県賀茂郡下田町下田銀座(1963年)、静岡県賀茂郡下田町550(1966年)、静岡県賀茂郡下田町銀座通(1969年)、静岡県下田市銀座通り(1973年)、静岡県下田市2-11-20(1976年)
開館年 : 1937年12月
閉館年 : 1978年以後1980年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 下田三幸館
『全国映画館総覧1955』によると1937年12月開館。1950年の映画館名簿では「下田三幸館」。1953年の映画館名簿では「三幸館」。1955年の映画館名簿では「下田三幸館」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「三幸館」。1971年・1976年のゼンリン住宅地図では「三幸館」。1971年時点では右隣には「誠心薬局」が、1976年時点では「尾形薬局」があった。1971年時点・1976年時点で左隣には「藤田呉服店」があった。1971年・1976年時点で現在の立体駐車場の場所には「東京電力沼津支店下田営業所」があった。1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「下田三幸館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「尾形薬局本店」左側の空き地。最寄駅は伊豆急行線伊豆急下田駅。

伊豆市

湯ケ島劇場
所在地 : 静岡県田方郡上狩野村湯ケ島173(1953年・1955年・1958年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「湯ケ島劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿に掲載されている出口劇場との関係は不明。
出口劇場
所在地 : 静岡県田方郡天城湯ケ島町(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿に掲載されている湯ケ島劇場との関係は不明。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「出口劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
桂座
所在地 : 静岡県田方郡修善寺町温泉場(1953年)、静岡県田方郡修善寺町桂町(1955年・1958年)、静岡県田方郡修善寺町3463-2(1960年)、静岡県田方郡修善寺町桂町(1963年)
開館年 : 1927年5月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1927年5月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「桂座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
伊豆中央劇場/修善寺中央劇場
所在地 : 静岡県田方郡北狩野村528-2(1955年)、静岡県田方郡修善寺町駅前(1958年)、静岡県田方郡修善寺町(1960年・1963年)、静岡県田方郡修善寺町駅前(1966年)、静岡県田方郡修善寺町柏久保(1969年・1973年)
開館年 : 1947年5月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧1955』によると1947年5月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「伊豆中央劇場」。1958年の映画館名簿では「修善寺中央劇場」。1960年の映画館名簿では「伊豆中央劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「修善寺中央劇場」。1972年の住宅地図では「中央映画館」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「もりの歯科クリニック」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
演芸館/土肥演芸館/土肥劇場
所在地 : 静岡県田方郡土肥町(1950年)、静岡県田方郡土肥町311(1953年・1955年・1958年・1960年)、静岡県田方郡土肥町土肥(1963年・1966年・1969年)、静岡県田方郡土肥町土肥311(1973年)、静岡県田方郡土肥町311(1976年)、静岡県田方郡土肥町土肥311(1980年)
開館年 : 1926年7月
閉館年 : 1980年以後1985年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 土肥演芸館
『全国映画館総覧1955』によると1926年7月開館。1950年の映画館名簿では「演芸館」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「土肥演芸館」。1973年のゼンリン住宅地図では「演芸館」。1973年・1980年の映画館名簿では「土肥劇場」。1981年のゼンリン住宅地図では「土肥劇場」。跡地は「スナック雅」。映画館の建物を転用していると思われる。

伊豆の国市

大仁座
所在地 : 静岡県田方郡大仁町大仁281(1953年・1955年)
開館年 : 1926年1月
閉館年 : 1955年以後1958年以前
1953年・1955年の映画館名簿では「大仁座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。
菖蒲座
所在地 : 静岡県田方郡伊豆長岡町古奈(1953年・1955年・1958年)、静岡県田方郡伊豆長岡町54(1960年)、静岡県田方郡伊豆長岡町古奈(1963年)
開館年 : 1912年2月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧1955』によると1912年2月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「菖蒲座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1951年(昭和26年)6月23日、伊豆長岡町立長岡小学校でナトコ映写機の技術講習会が開催された。ナトコ映写機やフィルムが学校に貸与され、小学校では映画教室の時間が設けられた。1948年(昭和23年)から1953年(昭和28年)にかけて、「あやめ座」・長岡小学校・江間小学校で上映された映画としては、『鐘の鳴る丘』、『風の子』、『村八分』、『ひげのある天使』、『せむしの子馬』、『トランペット少年』、『三太頑張れ』、『水島山の少年』、『にしん』、『あげはちょう』、『消えた子牛』、ウォルト・ディズニー最初の長編色彩漫画『白雪姫』などがある。*369
大仁座/大仁劇場
所在地 : 静岡県田方郡大仁町大仁281(1953年・1958年)、静岡県田方郡大仁町(1960年)、静岡県田方郡大仁町大仁(1963年)、静岡県田方郡大仁町(1966年)
開館年 : 1926年1月
閉館年 : 1966年以後1968年以前
『全国映画館総覧1955』によると1926年1月開館。1953年の映画館名簿では「大仁劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「大仁劇場」。1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では「大仁劇場」。跡地は1992年竣工のマンション「センシブル大仁」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線大仁駅。

田方郡函南町

映画館名簿によると函南町に映画館は存在しなかったと思われる。

賀茂郡東伊豆町

白田劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町白田320-12(1960年)、静岡県賀茂郡東伊豆町白田(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「白田劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
熱川映画劇場/熱川劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡城東村奈良本(1955年)、静岡県賀茂郡城東村872(1958年)、静岡県賀茂郡東伊豆町熱川(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1971年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 熱川劇場
1950年の映画館名簿には掲載されていない。『全国映画館総覧1955』によると1951年10月開館。1955年・1958年の映画館名簿では「熱川映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熱川劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「熱川映画」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「NTT西日本熱川ビル」の120m南東の民家。最寄駅は伊豆急行線熱川駅。
稲取オリオン座/オリオン座
所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取801(1960年)、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取(1963年)、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取801(1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1971年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 稲取オリオン座
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「稲取オリオン座」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「オリオン座」。1971年の住宅地図では稲取801に「鈴木常男」邸。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「宿」と思われる。最寄駅は伊豆急行線伊豆稲取駅。
喜遊座/中央劇場/稲取中央劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡稲取町(1950年)、静岡県賀茂郡稲取町清水415(1953年)、静岡県賀茂郡稲取町415(1955年・1958年)、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取415(1960年)、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取(1963年)、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取415(1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1937年7月
閉館年 : 1978年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 稲取中央劇場
『全国映画館総覧1955』によると1937年7月開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「稲取中央劇場」。1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1969年・1976年の映画館名簿では「稲取中央劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「稲取中央劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東伊豆町いきいきセンター」から道路を挟んで北東の「中央プラザ」。最寄駅は伊豆急行線伊豆稲取駅。

東伊豆町の稲取地区には「オリオン劇場」と「中央劇場」、城東地区には「白田劇場」と「熱川劇場」があったが、昭和40年代初頭には「中央劇場」を除く3館が閉館した。*370

大正時代には喜遊座という芝居小屋だったが、のちに映画館の稲取中央劇場となった。1978年(昭和53年)に閉館した後は、中央プラザとしてヤオハンの衣料部がテナントに入っていたが、2006年(平成18年)現在は福祉関係の事務所が一部を利用している。1950年の写真あり。*371

1951年(昭和26年、※ただし映画ポスターは1952-53年)頃の賀茂郡稲取町にあった「中央劇場」の写真あり。『銭形平次捕物控 からくり屋敷』(1953年)や遠山金四郎シリーズの『飛びっちょ判官』(1952年)の写真あり。*372

『伊豆半島の昭和』に写真が掲載されている。現物は未確認。*373

賀茂郡河津町

峰キネマ
所在地 : 静岡県賀茂郡河津町峰579(1960年)、静岡県賀茂郡河津町峰(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「峰キネマ」。1971年の住宅地図では確認できなかった。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
河津座
所在地 : 静岡県賀茂郡下河津村谷津(1953年)、静岡県賀茂郡下河津村1280(1955年・1958年)、静岡県賀茂郡河津町谷津(1960年・1963年・1969年)
開館年 : 1923年10月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 河津座
『全国映画館総覧1955』によると1923年10月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「河津座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の映画館名簿では「河津座」。1971年のゼンリン住宅地図では「河津座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「寺林プロパン商会」から道路を挟んで南東の向かい。
天城クラブ
所在地 : 静岡県賀茂郡上河津村湯ヶ野(1953年)、静岡県賀茂郡河津町湯ケ野192-1(1960年)、静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野(1963年)、静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野192-1(1966年)、静岡県賀茂郡河津町湯ケ野19-1(1969年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 天城クラブ
1953年の映画館名簿では「天城クラブ」。1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「天城クラブ」。1971年のゼンリン住宅地図では「天城クラブ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「坪井魚店」の7軒南東。

賀茂郡南伊豆町

南中座
所在地 : 静岡県賀茂郡南伊豆町下賀茂(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「南中座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

賀茂郡松崎町

松崎セントラル劇場/セントラル劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡松崎町松崎319(1953年)、静岡県賀茂郡松崎町319(1955年)、静岡県賀茂郡松崎町390(1958年)、静岡県賀茂郡松崎町松崎390(1960年)、静岡県賀茂郡松崎町(1963年)
開館年 : 1950年8月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - セントラル劇場
『全国映画館総覧1955』によると1950年8月開館。1953年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1955年の映画館名簿では「松崎セントラル劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1999年のゼンリン住宅地図では跡地に真野節美邸。現在の跡地は民家。
松崎劇場/松崎映画劇場/松崎映劇
所在地 : 静岡県賀茂郡松崎町中(1953年)、静岡県賀茂郡松崎町松崎355(1955年・1958年・1960年)、静岡県賀茂郡松崎町(1963年)、静岡県賀茂郡松崎町355(1969年・1973年・1976年・1985年)、静岡県賀茂郡松崎町松崎355(1990年・1995年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1995年以後1997年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 松崎劇場
『全国映画館総覧1955』によると1950年4月開館。1953年の映画館名簿では「松崎劇場」。1955年の映画館名簿では「松崎映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「松崎劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「松崎劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「松崎劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1981年のゼンリン住宅地図では跡地に「喫茶メルヘン」。1985年の映画館名簿では「松崎映画劇場」。1995年の映画館名簿では「松崎映劇」。1995年のゼンリン住宅地図では「松崎劇場 ファミリー焼肉大門」。1995年のゼンリン住宅地図では空白の建物。1999年のゼンリン住宅地図では跡地に「2階 ファミリー焼肉大門」。現在の跡地は「ファミリー焼肉大門」。

賀茂郡西伊豆町

安良里劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡賀茂村安良里(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「安良里劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
宇久須劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡賀茂村宇久須312-1(1960年)、静岡県賀茂郡賀茂村宇久須(1963年・1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「宇久須劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
田子映画劇場/田子劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡田子村255-1(1953年)、静岡県賀茂郡田子村163(1955年)、静岡県賀茂郡西伊豆町田子255(1958年)、静岡県賀茂郡西伊豆町1155-1(1960年)、静岡県賀茂郡西伊豆町田子(1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、静岡県賀茂郡西伊豆町田子1155-1(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1945年
閉館年 : 2010年以後2015年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版) - 田子劇場
『全国映画館総覧1955』によると1950年8月開館。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「田子劇場」。1960年の映画館名簿では「田子映画劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「田子劇場」。1973年・1981年のゼンリン住宅地図では「田子劇場」。跡地に映画館時代の建物が現存。1階の「かしわや食堂」は営業中。

伊豆半島の中央部・南部唯一の映画館である田子劇場は、1999年現在でも営業を続けている。100席と小さな映画館であり、戦後すぐの1945年(昭和20年)に開館した。当時は娯楽が乏しい時代であり、立ち見は当たり前、連日盛況だった。カツオ漁船に乗り組んでいた漁師は、漁から戻ると映画を観て一杯やるのが楽しみだった。2代目経営者の真野昭元(65歳)は、合わせて経営している飲食店の収入で食いつないでいる。アクション作品やアニメ作品は観客が多いが、文芸作品は観客が少ないという。*374

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