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浜松市

浜松市中心部

浜松市の映画館
戦後いち早く闇市ができて復興した広小路には、洋画系の国際劇場、邦画系二番館の文化劇場、邦画系二番館の浜映劇場の3館が散在している。広小路より復興が遅れたみゆき通りには郵便局や諸銀行や松菱百貨店があり、松菱の5階には松菱ニュース劇場がある。
*1

現在の浜松随一の盛り場である有楽街には映画館10館が立ち並んでいる。松竹直営で松竹系封切館の浜松松竹座、浜活の運営による東映系封切館の浜松東映劇場、浜活の運営による洋画系二番館の有楽劇場、浜活の運営による新東宝系封切館の富士館、欧米系封切館の松菱劇場、東宝直営の東宝系封切館の東宝劇場、東宝直営の洋画系二番館の名画館、協和興行の運営による大映系封切館の浜松大映劇場、浜活の運営による洋画系封切館の浜松東洋劇場、浜活の運営による日活系封切館の肴街劇場である。浜松松竹座は地の利がよく、松竹東京支店管内の地方館では1-2位の成績であるが、1955年に開館した浜松東映劇場の出現で苦戦が予想されている。浜松東宝劇場は横浜=名古屋間で唯一のエアコン装置を持つ劇場であるが、東宝カラーが好まれない土地柄であり成績は芳しくない。浜松大映劇場は地の利が悪いが宣伝がうまい。松菱劇場は独自色があり高踏的雰囲気のある。浜松東映劇場は浜活系7館のモデル館として期待されている。浜松東洋劇場はアメリカ映画系のロードショー館で浜松最大のシネスコを完備している。*2

浜松東洋劇場、肴街劇場、富士館、松菱劇場、浜松大映、文化劇場、国際劇場、浜松松竹座、浜松東映、浜松東宝の写真あり。*3
浜松セントラル劇場/第2セントラル
所在地 : 静岡県浜松市伝馬町
開館年 : 1946年
閉館年 : 1946年以後1950年以前?
戦前には銀行として使用されていたビルの内部を改装し、1946年にはアメリカ映画の専門館として浜松セントラル劇場が開館した。後に有楽街に第2セントラルが開館すると、第2セントラルに改称し、映画会館とも呼ばれた。1991年現在の浜松信用金庫伝馬町支店の場所にあった。*4
富士館
所在地 : 静岡県浜松市鍛治町228-2(1960年)
開館年 : 1956年?
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「富士館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

有楽街の南入り口には富士館があった。時期不明だが祝開館の文字が見える写真があり、看板の表記は「冨士舘」(「冨」は異体字であり「舘」も俗字)。1956年公開の日本映画『栄光と驀走王』の看板がかかっている。*5
歌舞伎座
所在地 : 静岡県浜松市元魚町54(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「歌舞伎座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
銀映座/浜映劇場
所在地 : 静岡県浜松市板屋町282(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1951年の住宅地図では「銀映座」。1960年の映画館名簿では「浜映劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「紅すずめ」付近であるが、映画館閉館後の区画整理事業で大きく変化しているので参考程度に。
浜松文化劇場/浜松文化劇場・広小路劇場
所在地 : 静岡県浜松市板屋町252(1960年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松文化劇場
1950年の映画館名簿では「浜松文化劇場」。1951年の住宅地図では「文化劇場」。1955年の映画館名簿では「文化劇場」。1960年の映画館名簿では「浜松文化劇場・広小路劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1991年時点の跡地には「銀行」があったらしい。跡地は「サーパス浜松駅前」や「ITOビル」であるが、映画館閉館後の区画整理事業で大きく変化しているので参考程度に。

戦後の1946年に開館した文化劇場は、戦後初めて浜松市に開館した映画館だった。内部には椅子がなく、観客全員が立ち見だった。1948年には木造二階建ての建物が新築された。跡地には銀行のビルが建っている。写真あり。*6

中ノ町劇場
所在地 : 静岡県浜松市中ノ町1023(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「中ノ町劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
笠井劇場
所在地 : 静岡県浜松市笠井町1138(1960年)、静岡県浜北市笠井町1138(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「笠井劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1966年には浜松市ではなく浜北市として掲載されているが誤りだと思われる。
高台銀座
所在地 : 静岡県浜松市住吉町32(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「高台銀座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
相生劇場/浜松相生劇場
所在地 : 静岡県浜松市相生町189-2(1966年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「相生劇場」。1966年の映画館名簿では「浜松相生劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
浜松座小劇場/浜松小劇場
所在地 : 静岡県浜松市千歳町108(1960年・1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松座小劇場
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「浜松座小劇場」。1966年の映画館名簿では「浜松小劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「浜松座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1972年のゼンリン住宅地図では跡地に「高砂園」。現在の跡地は建設用地。「ザザシティ浜松中央館」の南東のブロック。

東洋劇場/浜松東洋劇場
所在地 : 静岡県浜松市鍛治町20(1960年・1966年)
開館年 : 1946年12月、1949年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松東洋劇場
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「東洋劇場」。1966年の映画館名簿では「浜松東洋劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「東洋映画劇場」。浜松日活と同じビルにあった。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1976年のゼンリン住宅地図では跡地に「アキヤ」。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に空き地。1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「日本生命浜松センタービル」。現在の跡地は「日本生命浜松センタービル」。

1965年(昭和40年)の東洋劇場の写真あり。1954年のウォルト・ディズニー・プロ作品『海底二万哩』や1965年のウォルト・ディズニー・プロ作品『まぼろし密輸団』の看板がかかっている。東洋劇場ではもともと演劇や歌謡ショーなどの興行を行っていたが、やがて映画館となった。1961年の浜松市における1劇場あたりの入場者数は1日564人だったが、1964年には1日334人に減少している。1965年にはテレビの普及率が90%を超え、映画業界は勢いを失っていた。*7

1957年(昭和32年)12月の東洋劇場の写真あり。『復讐の谷』や『朝やけ雲』『戦場にかける橋』などの看板が見るる。英語表記は「TOYO THEATRE」。終戦直後の1946年(昭和21年)12月に開館し、演劇、歌謡ショー、浪曲などを上演する演劇場だったが、1949年(昭和24年)に洋画の封切館となった。のちに鉄筋コンクリート造のビルに建て替えられた。*8

1959年(昭和34年)現在の浜松東洋劇場の写真あり。「TOYO」の文字が見える。*9

肴町劇場/浜松スカラ座
所在地 : 静岡県浜松市肴町71(1960年・1966年)、静岡県浜松市肴町79(1969年・1973年)
開館年 : 1953年4月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松スカラ座
1955年・1960年の映画館名簿では「肴町劇場」。1963年の映画館名簿では「スカラ座」。1968年・1972年のゼンリン住宅地図では「スカラ座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜松スカラ座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1976年のゼンリン住宅地図では跡地に「アキヤ」。1980年のゼンリン住宅地図では跡地に空き地。1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「日本生命浜松センタービル」。現在の跡地は「日本生命浜松センタービル」。

1953年4月の開館当初、祝福の花輪で埋められた肴街劇場の写真あり。初上映作品は『地上最大のショー』であり大ヒットした。住所は「肴町」だが劇場名は「肴街」だった。*10

浜松東宝劇場/浜松東宝劇場・東宝名画座/浜松東宝劇場・浜松名画座
所在地 : 静岡県浜松市田町245(1960年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松東宝劇場・東宝名画座
1951年の住宅地図では「東宝劇場」。1960年の映画館名簿では「浜松東宝劇場・東宝名画座」。1963年の映画館名簿では「浜松東宝劇場・浜松東宝名画座」。1968年・1972年のゼンリン住宅地図では「浜松東宝名画座」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜松東宝劇場・浜松名画座」(2館)。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年のゼンリン住宅地図では跡地に「東宝モータープール」。1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「住友生命田町ビル」。跡地は「住友生命浜松田町ビル」。

1954年の浜松東宝劇場の写真あり。『七人の侍』の看板がかかっている。1947年に開館した浜松東宝劇場は、田町の交差点から松菱方向に60mほど南に進んだ道路(田町新道)の西側にあった。後に名画座が併設され、東宝の直営館となった。1991年現在の跡地には銀行などが入ったビルが建っている。*11

浜松松竹映画劇場・松竹名画座/浜松松竹映画劇場・浜松松竹名画座/浜松松竹劇場・浜松ピカデリ劇場
所在地 : 静岡県浜松市鍛治町220(1969年・1973年)
開館年 : 1959年1月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松松竹会館
1960年の映画館名簿では「浜松松竹映画劇場・松竹名画座」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「浜松松竹映画劇場・浜松松竹名画座」(2館)。1968年・1972年のゼンリン住宅地図では「松竹会館 浜松松竹 松竹名画座」。1973年の映画館名簿では「浜松松竹劇場・浜松ピカデリ劇場」(2館)。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1976年のゼンリン住宅地図では跡地に「棒屋ビル 丸井デパート」。1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「棒屋松竹会館 丸井浜松店」。現在の跡地は「勝又ビル」。

1960年の棒屋松竹会館の写真あり。1959年1月には、棒屋松竹会館の1階から4階に浜松松竹映画劇場が、地下に浜松名画座が開館した。戦前の浜松市に11館あった映画館は浜松空襲ですべて焼失したが、戦後には文化劇場を皮切りに次々と映画館が開館した。*12

日活劇場/浜松日活劇場/パレス日活
所在地 : 静岡県浜松市肴町71(1960年)、静岡県浜松市鍛治町20(1966年・1969年・1973年)、静岡県浜松市田町15(1980年)、静岡県浜松市田町328-1(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松市中心市街地
1960年の映画館名簿では「日活劇場」。肴町時代は肴町劇場と同一ビルにあったが、1960年代前半に肴町から鍛冶町に移転したと思われる。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「浜松日活劇場」。1968年のゼンリン住宅地図には掲載されておらず、「東洋映画劇場」が2軒分を占めているが、掲載されていない理由は不明。1972年のゼンリン住宅地図では「日活」であり、西隣に「東映」があった。鍛冶町時代は浜松東洋劇場に隣接していた。1976年の映画館名簿には浜松日活劇場もパレス日活も掲載されていない。1976年のゼンリン住宅地図では田町15の地点に「長崎屋ボウル」があり、まだパレス日活は存在しない。1970年代後半に鍛冶町から田町に移転したと思われる。1980年・1985年のゼンリン住宅地図では浜松パレスの2階に「映画館」。1980年・1985年の映画館名簿では「パレス日活」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1990年のゼンリン住宅地図では跡地の建物に「日本セントラルグループ」。1995年頃には「浜松シネマ・テアトル有楽1・2・3」が跡地の建物に入る。田町時代の建物は現存しており、「河合塾浜松校」の南東のブロック。

浜松オデオン・浜松ミラノ
所在地 : 静岡県浜松市元城町32(1985年)
開館年 : 1976年以後1980年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年の映画館名簿では「浜松オデオン・浜松ミラノ」(2館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1986年5月にシネマ・ハッピーエンドに改称した可能性がある。
シネマハッピーエンド
所在地 : 静岡県浜松市元城町
開館年 : 1986年5月
閉館年 : 1989年5月28日
1985年や1990年の映画館名簿には掲載されていない。浜松オデオン・浜松ミラノから改称した可能性がある。

1986年5月には浜松市元城町にシネマ・ハッピーエンドが開館。シネマ・ハッピーエンドの開館当時は成人映画館だったが、1988年11月にはスバル座のビルに移転して一般映画館となった。*13

スバル座/スバル座・シネマハッピーエンド
所在地 : 静岡県浜松市板屋町77(1980年・1985年)
開館年 : 1979年7月
閉館年 : 1989年5月28日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)スバル座
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年のゼンリン住宅地図には掲載されていない。1980年・1985年の映画館名簿では「スバル座」。1985年のゼンリン住宅地図では「2階 スバル座」であり、同一ビルの1階に浜松東映があった。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1990年のゼンリン住宅地図では跡地に空き地。跡地は「ミズモト学園本部」東側の駐車場。国道152号の「板屋町」交差点北東角。

1989年5月28日、浜松市板屋町の浜松スバル座と系列のハッピー・エンドが閉館する。1979年7月にスバル座が開館した際は洋画ロードショー館だったが、ドイツやイタリアの映画を特集上映したり、未公開名作特集をするなどしてきた。1988年11月には元城町にあった成人映画館のシネマ・ハッピーエンドが、スバル座のビルに移転して一般映画館となった。*14

シネマウエスト浜松
所在地 : 静岡県浜松市鍛治町1-2 イトーヨーカドー6階(2000年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 2000年以後2005年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)シネマウエスト浜松
1990年・2000年の映画館名簿では「シネマウエスト浜松」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。2007年まであった「イトーヨーカドー浜松駅前店」の6階。建物そのままで跡地は「かじ町プラザ」。6階には「ホテルリブマックス浜松駅前」などが入っている。

浜松松竹座/浜松東映/浜松東映劇場・浜松東映パラス/浜松東映劇場
所在地 : 静岡県浜松市肴町162(1966年・1969年・1973年・1976年)、静岡県浜松市板屋町77(1980年・1985年)、静岡県浜松市田町315-34 ウインズ笠井屋ビル(1990年・2000年)
開館年 : 1947年(肴町162で松竹座)、1966年以前(肴町162で浜松東映)、1980年頃(板屋町に移転)、1988年頃(田町に移転)
閉館年 : 2008年10月3日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松市中心市街地
1951年の住宅地図では肴町162に「松竹劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「浜松東映」。1973年・1976年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。1976年のゼンリン住宅地図では「東映劇場」。1980年のゼンリン住宅地図では「浜松東映劇場」。肴町時代の現在の跡地は「タイトーステーション浜松」であり、1985年のゼンリン住宅地図では跡地は空き地、1990年のゼンリン住宅地図では跡地に「浜松松竹ビル」。1980年頃に板屋町に移転し、板屋町時代はスバル座と同一ビルにあった。1980年・1985年の映画館名簿では「浜松東映」。板屋町時代の跡地は「ミズモト学園本部」東側の駐車場であり、国道152号の「板屋町」交差点北東角。1988年頃に田町のウインズ笠井屋ビルに移転。1990年の映画館名簿では「浜松東映劇場・浜松東映パラス」(2館)。1990年のゼンリン住宅地図では笠井屋ビルの「3階浜松東映、4階東映パラス」。1995年のゼンリン住宅地図では笠井屋ビルの「3階浜松東映」。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。2008年10月に浜松東映劇場が閉館すると、跡地を改装して2008年12月に「シネマイーラ」が開館した。

1950年の映画館名簿では「浜松松竹座」。1955年の映画館名簿では「松竹座」。1960年の映画館名簿には掲載されていないと思われ、同年の映画館名簿に掲載されている「浜松松竹映画劇場」とは異なる施設であると思われる。1966年の映画館名簿では「浜松東映劇場・浜松有楽劇場」(2館)。1968年のゼンリン住宅地図では「浜松東映」。1972年のゼンリン住宅地図では「松竹座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「浜松東映・スバル座」(2館)。1990年の映画館名簿では「浜松東映劇場・浜松東映パラス」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「浜松東映劇場」。

1956年の松竹座の写真あり。1947年には有楽街のほぼ中央に松竹座が開館した。1954年公開の小林正樹監督作『この広い空のどこかに』の看板がかかっている。当時の浜松市には20館を超える映画館があった。*15

1956年頃の正月の松竹座の写真あり。野村芳太郎監督作『踊る摩天楼』の看板がかかっている。*16

時期不明の写真あり。1953年公開の『雪間草』の看板がかかっている。板屋町の文化劇場に次いで浜松市で戦後2番目に開館した映画館は、1946年に開館した有楽街の松竹座である。松竹座は松竹の直営館であり、開館時は有楽街の開通前だった。映画館が客寄せに一役買ったことで有楽街は発展した。*17

1948年ころの第1セントラル劇場の写真あり。当時は劇場前の道路が舗装されていなかった。英名は「FIRST CENTRAL THEATRE」。1947年4月には有楽街の中央に第1セントラル劇場が開館した。アメリカ映画の専門館だった。その後改築を行って有楽座に改称し、1958年には浜松東映に改称した。*18

第1セントラル劇場は松竹座の南隣にあり、洋画の封切館だった。その後東映作品の封切館となって有楽座に改称した。やがて日活となり、東映劇場となり、建物も立て直された。*19

浜松光洋劇場/光洋劇場
所在地 : 静岡県浜松市寺島町(1960年)、静岡県浜松市寺島町372(1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 2000年以後2005年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松光洋劇場
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「光洋劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「光洋映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松光洋劇場」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「光洋劇場」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローズ美容院」の北西側の駐車場。

有楽座/浜松有楽劇場/浜松有楽座/浜松松竹有楽/テアトル有楽/テアトル有楽1・2・3
所在地 : 静岡県浜松市肴町168(1969年)、静岡県浜松市肴町166(1973年・1980年)、静岡県浜松市肴町322-18(1985年・1990年・1995年)、静岡県浜松市田町15(2000年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 2001年以後2005年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松市中心市街地
1960年の映画館名簿では「有楽座」。1966年の映画館名簿では「浜松有楽劇場・浜松東映劇場」(2館)。1968年・1972年のゼンリン住宅地図では「有楽劇場」。1969年の映画館名簿では「浜松有楽劇場」。1973年の映画館名簿では「浜松有楽座」。1976年の映画館名簿では「浜松松竹有楽」。1976年のゼンリン住宅地図では「松竹劇場 有楽座」。肴町166時代は浜松東映劇場(現・浜松松竹ビル タイトーステーション浜松)の南西側、ユニー浜松店(hubビル カラオケ コートダジュール浜松有楽街店)の東側。1980年頃には肴町166からすぐ西側の肴町322-18に移転。1980年・1985年のゼンリン住宅地図では「3階 テアトル有楽」。1990年のゼンリン住宅地図では間渕ビルの「3階 テアトル有楽」。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「テアトル有楽」。肴町322-18時代は浜松東映劇場の南側であり、現在の跡地は「hubビル」。1995年のゼンリン住宅地図では「浜松シネマ・テアトル有楽1・2」。2000年の映画館名簿では「テアトル有楽1・2・3」(3館)。2000年のゼンリン住宅地図では「浜松シネマ・テアトル有楽1・2・3」。田町時代はかつてパレス日活が入っていた建物。2005年の映画館名簿には掲載されていない。田町時代の建物は現存しており、「河合塾浜松校」の南東のブロック。

1988年2月27日、浜松市の映画館「テアトル有楽」で『愛のうつし絵』の上映が強行された。「わいせつな図画が含まれている」として映倫を通らなかったため、東京や神戸などで上映が中止されていた。全国の興行主で構成される全興連では、映倫を通らない映画は上映しないように申し合わせている。*20

浜松映画劇場/浜松大映劇場/浜松大映劇場・浜松中央劇場/浜松宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座・浜松大映劇場/浜松宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座・浜松シネマ/宝塚劇場・浜松中央1・2・3
所在地 : 静岡県浜松市田町73(1966年・1973年・1980年)、静岡県浜松市田町315-21(1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1946年(浜松映画劇場)、1949年(浜松大映劇場)、1962年(浜松中央劇場)、1968年(ビル化)
閉館年 : 2005年9月30日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)浜松中央ビル
1951年の住宅地図では「大映劇場」。1960年の映画館名簿では「浜松大映劇場」。1966年の映画館名簿では「浜松大映劇場・浜松中央劇場」(2館)。1968年・1972年のゼンリン住宅地図では「浜松大映」。1969年の映画館名簿では「浜松宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座・浜松大映劇場」(4館)。1973年の映画館名簿では「浜松宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座・浜松シネマ」(4館)。1976年のゼンリン住宅地図では中央ビルの「1階浜松日活、2階宝塚劇場、4階・5階中央劇場」であり、南東に隣接する建物に「浜松シネマ」。1980年の映画館名簿では「宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座・浜松シネマ」(4館)。1980年のゼンリン住宅地図では中央ビルの「地下1階浜松シネマ・浜松みゆき座、2階浜松宝塚劇場、4階・5階浜松中央劇場」であり、南東に隣接する建物に「浜松シネマ」(※浜松シネマは2度登場)。1985年の映画館名簿では「宝塚劇場・浜松中央劇場・浜松みゆき座・浜松中央2」(4館)。1985年のゼンリン住宅地図では浜松中央ビルの「地下1階浜松みゆき座、2階浜松宝塚劇場、4階・5階浜松中央劇場」であり、南東に隣接する建物は「パチンコワコー」。1990年のゼンリン住宅地図では浜松中央ビルの「1階中央3、2階浜松宝塚劇場、4階浜松中央劇場、5階中央2」であり、南東に隣接する建物は「パチンコワコー」。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「宝塚劇場・浜松中央1・浜松中央2・浜松中央3」(4館)。1995年・2000年のゼンリン住宅地図では浜松中央ビルに「1階中央3、2階東宝宝塚劇場、4階浜松中央劇場・中央2」。2005年の映画館名簿では「浜松中央1・2・3・4・5」(5館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1969年の浜松中央劇場の写真あり。『ウエストサイド物語』(浜松中央劇場)や『日本海大海戦』(浜松宝塚)などのポスターが見える。現在の浜松市中区田町にあった。1968年3月に開館し、浜松中央劇場、浜松宝塚、浜松みゆき座の映画館3館、麻雀店、パチンコ店が入る娯楽ビルにあった。近隣にシネコンができたため観客数が減少し、2005年9月に閉館した。*21

1962年春の写真あり。日本初の70mm映画『釈迦』の看板がある。戦前には松竹劇場があった場所に、戦後の1946年に浜松映画劇場が開館した。1949年には浜松大映劇場に改称して大映作品の封切館となった。1962年には場所を南側に移転し、1968年まで洋画専門館となった。*22

2005年9月30日をもって、浜松市田町の浜松中央ビルにある4映画館とパチンコ店が閉館する。5年前に中心市街地にシネコンが開館するまでは浜松市最大の映画館だった。浜松中央ビルは中央興業所有であり6階建て。1962年に浜松大映劇場を改装して浜松中央劇場に改称。1968年に現在の浜松中央ビルが竣工した。2000年秋にはザザシティ浜松西館にヴァージンシネマズ浜松(現・TOHOシネマズ浜松)が開館し、観客数の減少が目立ち始めた。昭和60年代には約4億円の売り上げがあったが、最近は1億円前後に低迷していた。*23

2005年9月末をもって、浜松市田町の浜松中央劇場が閉館する。4スクリーン計1146席を有し、静岡県西部における複合映画館の先駆け的存在だった。現在は映画館4スクリーンとパチンコ店が入っている。経営は協和(名和公平社長)。1968年に現在の6階建てビルが竣工し、単独館が主流だった当時は浜松市内最大の映画館として客を集めた。最盛期の1985年には年間40万人の観客があった。2000年には浜松中央劇場の300m南、浜松市鍛冶町に浜松市初のシネコンが開館したことで、浜松中央劇場の観客数は20年前の1/4程度の11万7000人にまで落ち込んだ。建物の老朽化もあり、さらにビルは消防法および建築基準法における既存不適格建築物となっている。*24

2005年10月には浜松中央ビルの取り壊しが始まる。ヴァージンシネマズ浜松(現・TOHOシネマズ浜松)の開館で集客力が低下した上に、建物や設備の老朽化によって消防法や建築基準法で不適格の建物になっていた。現在の建物を取り壊した後の事業は未定。*25

松菱会館/浜松松菱劇場/松菱映画・東宝プラザ/松菱映画・浜松東宝プラザ/松菱映画・松菱プラザ/松菱映画
所在地 : 静岡県浜松市肴町124(1960年)、静岡県浜松市肴町126(1966年・1973年・1976年・1980年)、静岡県浜松市肴町317-4(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1956年以前
閉館年 : 2009年頃
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)松菱東宝会館
1960年の映画館名簿では「松菱会館」。1966年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松松菱劇場」。1968年・1972年のゼンリン住宅地図では「松菱劇場」。1976年のゼンリン住宅地図では「松菱映画」。1980年・1985年のゼンリン住宅地図では松菱東宝会館の「1階松菱映画、2階松菱東宝プラザ」。1980年の映画館名簿では「松菱映画・東宝プラザ」(2館)。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「松菱映画・浜松東宝プラザ」(2館)。2000年の映画館名簿では「松菱映画・松菱プラザ」(2館)。1990年のゼンリン住宅地図では松菱東宝会館の「1階松菱映画、2階松菱東宝プラザ」。2000年のゼンリン住宅地図では「1階松菱映画、2階松菱東宝プラザ」。2005年・2010年の映画館名簿では「松菱映画」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。2019年7月時点でも建物の「松菱東宝会館」は現存する。

1956年9月の松菱劇場の写真あり。当時にはすでに完全冷房だった。有楽街(現在の肴町)にあった。芸術性の高いヨーロッパ映画などを上映していた。*26

国際劇場/浜松新映劇場/新映劇場/シネマハウス新映
所在地 : 静岡県浜松市旭町49(1960年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)、静岡県浜松市板屋町100-5(2005年)、静岡県浜松市中区板屋町100-5(2010年・2015年)
開館年 : 1954年(国際劇場として)、1960年代中頃(浜松新映劇場として)、1999年4月1日(場所移転してシネマハウス新映として)
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)シネマハウス新映
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「国際劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「浜松新映劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「新映」。1976年・1980年のゼンリン住宅地図では駅前繊維ビルの地下1階に「新映劇場」。1985年のゼンリン住宅地図では「新映」。1990年のゼンリン住宅地図では駅前繊維ビルの地下1階に「新映劇場」。1980年・1985年・1990年・2000年の映画館名簿では「新映劇場」。旭町時代の跡地は静岡県内最高層のマンションとなる予定の「一条タワー」の建設用地。1999年4月1日に旭町から板屋町に移転し、シネマハウス新映に改称。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「シネマハウス新映」。成人映画館。

時期不明の国際劇場の写真あり。1954年日本公開のアメリカ映画『醜聞殺人事件』や1946年公開のイタリア映画『戦火のかなた』の看板が見える。電話局(後の電電公社、現在のNTT)東側の繊維問屋街の一角に、1954年に日活映画の封切館として国際劇場が開館した。その後洋画館となり、浜松で初めて立体音響装置を設置した。初の大型映画(シネマスコープ作品)である『聖衣』も上映された。*27

1999年4月1日、成人映画の封切館としてシネマハウス新映がリニューアルオープンした。かつては駅裏にあり、近くには神社があった。朝8時まで連日オールナイト上映を行っている。会員になると珈琲1杯無料サービスもある。ロビーは広く、別にある休憩室には大型テレビが設置されている。映画館というよりちょっとしたホテルという趣がある。建物の入口は表通りではなく裏通りに面している。浜松市は福岡市や名古屋市と並ぶ成人映画館の激戦区である。経営団体は長野県松本市に本社を置く松本興行である。松本興行は全国で10館以上の映画館を運営しており、浜松市ではシネマハウス新映を含めて4館を運営している。*28

ヴァージンシネマズ浜松/TOHOシネマズ浜松
所在地 : 静岡県浜松市中区鍛冶町15 ザザシティ浜松西館3階
開館年 : 2000年11月27日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)TOHOシネマズ浜松
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2000年11月27日にヴァージンシネマズ浜松として開館。2003年11月15日にTOHOシネマズ浜松に改称。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「TOHOシネマズ浜松」。

シネマイーラ
所在地 : 静岡県浜松市中区田町315-34 笠井屋ビル3階
開館年 : 2008年12月5日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)シネマイーラ
Wikipedia : シネマイーラ
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2008年12月5日、同年10月3日に閉館した浜松東映劇場の施設をそのまま使用して開館。2010年・2015年の映画館名簿では「Cinema e-ra」。

浜松市浜北区

小松日乃出座/小松日ノ出座
所在地 : 静岡県浜北市小松4367(1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「小松日乃出座」。1963年・1966年の映画館名簿では「小松日ノ出座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「池谷配管工業」北西隣。
貴布祢劇場
所在地 : 静岡県浜北市貴布祢81(1969年)
開館年 : 1936年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1936年・1960年・1963年・1969年・1966年の映画館名簿では「貴布祢劇場」。跡地は「なゆた浜北」の建物南西部。浜北市最後の従来型映画館。
TOHOシネマズサンストリート浜北
所在地 : 静岡県浜松市浜北区平口2861番地1
開館年 : 2007年8月10日
閉館年 : 営業中

浜松市天竜区

天竜市の映画館
天竜市内にはかつて5館の映画館があった。二俣、鹿島、光明、竜川、熊の各地区に映画館があった。二俣会館、鹿島会館、光明会館の3館は昭和20-30年代に開館し、光明会館は1964年頃、二俣会館は1965年頃、鹿島会館は1972年頃に閉館した。光明会館は今も建物が残る。二俣会館は定員の2倍の1000人を収容したこともあり、2階席まで満席だったという。二俣会館では美空ひばりも公演したことがある。*29

天竜光明会館の西尾利幸代表(60歳)は、浜松市を除く小笠郡以西唯一の映画興行師である。愛知県南設楽郡鳳来町に生まれ、25歳から鳳来町で映画館を共同経営。その後は愛知県豊川市の豊川東映で映写技師を務め、1950年に静岡県浜北市にやってきた。昭和30年代初頭には静岡県天竜市の天竜光明会館の経営権を買い取り、天竜市に4館あった中で最後まで残ったが、天竜光明会館は1963年4月に閉館した。その後は天竜光明会館という名前で移動映画の巡業を行っている。*30
新映座
所在地 : 静岡県磐田郡龍山村(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
金川会館
所在地 : 静岡県磐田郡春野町(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
西渡劇場
所在地 : 静岡県磐田郡佐久間町大井(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
浦川会館
所在地 : 静岡県磐田郡佐久間町浦川(1963年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
中部映画劇場/中部公民館
所在地 : 静岡県磐田郡佐久間町半場1-1(1958年)、静岡県磐田郡佐久間町中部(1963年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
八幡劇場
所在地 : 静岡県磐田郡水窪町大里(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「八幡劇場」。
水窪劇場
所在地 : 静岡県磐田郡水窪町(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「水窪劇場」。
光明会館
所在地 : 静岡県天竜市山東437-1(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1964年頃
1960年・1963年の映画館名簿では「光明会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1997年時点で建物が残っていた。
竜映座
所在地 : 静岡県天竜市横山町757-1(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「竜映座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
二俣会館
所在地 : 静岡県天竜市二俣1946(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1965年頃
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「二俣会館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。「スルガ銀行天竜支店」の北側だとされる。
鹿島劇場
所在地 : 静岡県天竜市鹿島528(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1972年頃
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「鹿島劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。「鹿島会館」とも呼ばれた。

浜松市北区

井伊谷映画劇場
所在地 : 静岡県引佐郡引佐町井伊谷(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
喜賀座/気賀座
所在地 : 静岡県引佐郡細江町245(1958年)、静岡県引佐郡細江町(1960年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
共栄座
所在地 : 静岡県引佐郡三ケ日町709(1958年)、静岡県引佐郡三ケ日町703(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「共栄座」。跡地は「西天王町児童遊園地」。

浜松市西区

堀江劇場
所在地 : 静岡県浜名郡庄内村堀江(1963年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「堀江劇場」。
村櫛劇場
所在地 : 静岡県浜名郡村櫛村(1955年)、静岡県浜名郡庄内村村櫛(1963年)、静岡県浜松市村櫛町(1966年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「村櫛劇場」。
西遠劇場
所在地 : 静岡県浜名郡雄踏町宇布見(1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「西遠劇場」。

浜松市南区

Cine-fi長崎屋浜松可美Pit
所在地 : 静岡県浜名郡可美村東若林11-1(1985年)
開館年 : 1980年以後1985年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の映画館名簿では「Cine-fi長崎屋浜松可美Pit」。

静岡県西部

湖西市

新居劇場
所在地 : 静岡県浜名郡新居町源太山新国通(1958年)、静岡県浜名郡新居町源太山(1963年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「入出座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真では新居町源太山の範囲でひときわ目立つ建物が現在の「セブンイレブン新居町浜名店」の場所にあり、1970年のアイゼン住宅地図では「モーターボート競走会」となっているが、新居劇場との関連は不明。
入出座
所在地 : 静岡県浜名郡入出村(1963年)、静岡県浜名郡湖西町入出(1963年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「入出座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
松葉座
所在地 : 静岡県浜名郡舞阪町西町(1966年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「松葉座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真では舞阪町西町の範囲でひときわ目立つ建物が現在の「イシガミ時計店」の50m北にあり、1970年のアイゼン住宅地図では空き地となっているが、松葉座との関連は不明。
大国座
所在地 : 静岡県浜名郡湖西町1289(1958年)、静岡県浜名郡湖西町鷲津(1969年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「大国座」。1970年のアイゼン住宅地図では「大国座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

磐田市

磐田市の映画館
明治中期の磐田には劇場として、旧中泉公園に照日座(後の中泉座)、見付町に磐田座があった。大正時代になると映画が台頭し、1919年(大正8年)には中泉に中活劇場が設立された。大正後期には見付町(現・天王町)に朝日座が建設され、主に映画館として使用された。戦時中の朝日座ではニュース映画が上映された。*31

磐田の中町には松竹劇場があった。1953年4月27日、NHKダブルプレゼントショー公開ラジオ番組が松竹劇場で行われた。*32
磐田座/新生劇場
所在地 : 静岡県磐田市見付西坂町
開館年 : 1881年以前
閉館年 : 1951年
1950年の映画館名簿には掲載されていない。

見付西坂町にあった磐田座では、1881年(明治14年)にはすでに興行が行われていた。磐田座は本格的な芝居劇場であり、回り舞台や花道や下道もあった。天井は横天井であり、升目の中に呉服店の宣伝が書かれていた。1948年頃に土木建築業者の手にわたり、磐田座から新生劇場に改称、こけら落とし公演には松本幸四郎が招かれた。1951年には天竜二俣に移築された。1955年には新生劇場の跡地に西坂会館が建設された。*33
見付朝日座/朝日座
所在地 : 静岡県磐田市見付2751(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1950年の映画館名簿では「見付朝日座」。1953年の映画館名簿では「朝日座」。1955年の映画館名簿では「朝日館」。1960年の映画館名簿では「朝日座」。1963年の映画館名簿には掲載されていないと思われるが、同年の映画館名簿に掲載されている「見付映画劇場」との関連は不明。

見付天王町の金剛寺の西隣にはあさひ座があった。あさひ座は200席ほどの畳敷きの芝居小屋である。*34
花月劇場/磐田花月劇場
所在地 : 静岡県磐田市中泉西町612(1960年)
開館年 : 1953年以後1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿では「花月劇場」。1960年の映画館名簿では「磐田花月劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

かつて磐田駅前にあった善導寺の北側に花月劇場があった。戦後に開館した畳敷きの劇場であり、1952年頃には三浦環の『蝶々夫人』などが上演された。昭和30年代後半の区画整理事業で閉館。現在は善導寺の大クスのみが磐田駅前に残っている。*35
豊浜劇場
所在地 : 静岡県磐田郡福田町豊浜4420-1(1966年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「豊浜劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
福田座/福田劇場
所在地 : 静岡県磐田郡福田町福田1941(1966年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1950年・1953年の映画館名簿では「福田座」。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「福田劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真を見ると、現在の磐田市福田1941-1にある会社「ブリリアLED」の場所に巨大な建物がある。
磐田東映劇場/磐田映画劇場
所在地 : 静岡県磐田市中泉402(1969年)
開館年 : 1941年1月14日
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「磐田東映劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「磐田映画劇場」。1969年の住宅地図では「東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は天平通り沿いの「foyou ジュビロード店」。

磐田駅を北上したところの中泉402-1番地に磐田東映(松竹)劇場があった。1941年(昭和16年)1月14日創業。座席数は436席。町の中心街にあったため観客が多かった。なお、現在のセブンイレブン磐田ジュビロード店は中泉400-1番地にある。1953年頃の松竹劇場の写真あり。*36
スバル劇場/磐田日活劇場
所在地 : 静岡県磐田市中泉133-51(1960年)、静岡県磐田市中泉町1335-5(1966年)、静岡県磐田市中泉2235-5(1969年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「スバル劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「磐田日活劇場」。1969年の住宅地図では「磐田日活劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「中泉歴史公園」の西側、久保川のすぐ東側。

田町の久保川沿いの西側にあった。1946年12月25日、歌舞伎役者の沢村田之助や9歳だった美空ひばりを招いてこけら落とし公演を行った。こけら落としには長谷川一夫を招こうとしたが、出演料が高額すぎて断念している。1947年から1949年にかけて、藤山一郎、加藤大介、東海林太郎、岡春夫、ディック・ミネ、古賀正男、近江敏郎、市川右太衛門、柳谷金語楼、昔々亭桃太郎、小林旭、小暮美千代、松原操、高峰三枝子、月形竜之介、片岡千恵蔵など、そうそうたる役者を招いている。夏には22時過ぎからナイトショーが行われ、『蜘蛛の巣城』や『七人の侍』などを2本、昼間の半額で観ることができた。1963年8月には日活に貸与され、日活が10年間ほど興行した。*37

中泉座の跡地にはスバル劇場が建設された。磐田市が合併した際のスバル劇場の写真あり。『大砂塵』や『明日の幸福』や『めくら狼』や『赤い山』のポスターが見える。1965年(昭和40年)頃、スバル劇場は磐田日活に改称した。「日活直営 磐田日活」の文字が見える。*38
磐田中活劇場/磐田中活
所在地 : 静岡県磐田市中泉507(1985年)
開館年 : 1921年12月28日
閉館年 : 1983年10月
1969年の住宅地図では「中活映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「磐田中活劇場」。1985年の映画館名簿では「磐田中活」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。磐田市最後の従来型映画館。「佐鳴予備校磐田駅前校」の南東のブロック。閉館後の区画整理事業により道路割はかなり変化しているので参考程度に。

中泉507番地、大乗院三仭坊(だいじょういんみひろぼう)の西側には磐田中活劇場があった。1921年(大正10年)12月28日、東町の有力者による経営で創立。座席数は379席。戦前は芝居が主だったが、戦後は洋画が主となった。1950年にはローレンス・オリビエ主演の『ハムレット』を上映。1955年(昭和30年)以後は株式会社組織だった。磐田市で最後まで残っていた映画館であり、1983年(昭和58年)10月に閉館した。現在、跡地は磐田市の公園となっている。*39
TOHOシネマズ ららぽーと磐田
所在地 : 静岡県磐田市高見丘1200
開館年 : 2009年7月23日
閉館年 : 営業中
2009年7月23日、磐田市高見丘のららぽーと磐田にTOHOシネマズららぽーと磐田が開館した。開館記念式典には、東宝の高井英幸社長、女優の長澤まさみが出席した。長澤は子どもの頃に磐田市民文化会館で映画を観たという。10スクリーン1663席。*40

袋井市

センターホール
所在地 : 静岡県袋井市(1960年・1963年)
開館年 : 1955年秋
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年秋、駅前東通りにオリオン座とセンターホールという映画館2館が同時に開館した。*41
東映袋井座/袋井座
所在地 : 静岡県袋井市1175(1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1955年の映画館名簿では「袋井座」。1960年・1963年の映画館名簿では「東映袋井座」。1966年・1969年の映画館名簿では「袋井座」。1972年の住宅地図では「袋井座」。跡地は「双葉スポーツ袋井店」と「サロンドシバタ」の間にある建物付近。しかし区画整理事業で道路割が完全に変化してるので場所は参考程度に。
オリオン座/袋井オリオン座
所在地 : 静岡県袋井市高尾1173-1(1969年)
開館年 : 1955年秋
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1972年の住宅地図では「オリオン座」。跡地は「スナック エスポワール」がある付近。しかし区画整理事業で道路割が完全に変化してるので場所は参考程度に。

昭和30年代の写真あり。『美しき哀愁』と『忠臣蔵』の看板がかかっている。1955年秋、駅前東通りにオリオン座とセンターホールという映画館2館が同時に開館した。*42
袋井ロマンス座
所在地 : 静岡県袋井市高尾1193(1985年)
開館年 : 1969年以後1976年以前?
閉館年 : 1985年以後1990年以前
袋井市最後の映画館。オリオン座または袋井座から改称した可能性がある。1985年頃の住宅地図で要確認。

掛川市

山口会館
所在地 : 静岡県掛川市伊達方(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「山口会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
中央劇場/掛川中央劇場
所在地 : 静岡県掛川市73(1960年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「掛川中央劇場」。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年の映画館名簿では「掛川中央劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
横須賀映画劇場
所在地 : 静岡県小笠郡大須賀町横須賀1457-3(1969年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「横須賀映画劇場」。
栄劇場/東映栄劇場/掛川東映栄劇場/掛川栄劇場
所在地 : 静岡県掛川市肴町239(1976年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「掛川栄劇場」。1955年の映画館名簿では「栄劇場」。1960年の映画館名簿では「東映栄劇場」。1963年の映画館名簿では「掛川東映栄劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「掛川栄劇場」。1970年の住宅地図では「掛川栄映劇場」(原文ママ)。
掛川座
所在地 : 静岡県小笠郡掛川町(1930年・1950年)、静岡県掛川市大手町5-9(1976年)、静岡県掛川市大手町1116-2(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1907年頃
閉館年 : 1991年2月28日
1930年・1950年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「掛川座」。1970年の住宅地図では「掛川座」。掛川市最後の映画館。参考文献として『掛川座 ぼくのシネマパラダイス』がある。

1907年(明治40年)頃、芝居小屋として掛川座が発足した。昭和初期頃に2代目の田島氏が、1954年(昭和29年)に現在の戸塚興業が経営を引き継いだ。芝居小屋として開館したため、花道や舞台中央の昇降装置もあった。掛川には4軒の映画館があり、東映のやくざ映画や時代劇が中心の栄劇場、洋画専門の中央劇場、日活映画専門の掛川座などというふうにすみ分けられた。掛川座で岸恵子主演の『君の名は』が上映された際には、国鉄掛川駅近くまで観客の行列が続いたという。*43

1991年(平成3年)2月末、土地区画整理事業のために掛川座が閉館する。14歳の美空ひばり、歌手の田畑義夫、女優の高峰三枝子、木暮実千代などが掛川座を訪れた。俳優の伊東四朗は、掛川にあった母親の実家で小中学生時代を過ごしており、「掛川座は私の芸の原点」と語る。*44

掛川座ではこのほど、閉館を惜しむイベントを開催した。掛川座は1991年2月いっぱいで閉館する。小学生時代に子役で掛川座の公演に出演したという伊東四朗が来館している。閉館理由は土地区画整理事業のため。*45

掛川市大手町にあった掛川座は、1907年(明治40年)に開館し、1990年(平成2年)に閉館した。1991年(平成3年)に取り壊され、跡地は掛川市営駐車場となっている。2001年には静岡県立磐田北高校の教員が掛川座の思い出をつづった書籍『掛川座 ぼくのシネマパラダイス』を出版した。*46

2006年6月、総合福祉施設として「総合福祉ステーションビル 掛川座」が開業した。

菊川市

堀ノ内劇場/堀之内劇場
所在地 : 静岡県小笠郡菊川町堀ノ内223(1973年・1976年)、静岡県小笠郡菊川町堀之内239(1980年)
開館年 : 1976年以後1980年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「堀之内劇場」。1973年・1976年の映画館名簿では「堀ノ内劇場」。1980年の映画館名簿では「堀之内劇場」。『掛川・菊川・御前崎今昔写真帖』に写真があるらしい。1960年代・70年代の航空写真では「駅南1号公園」西側の民家の場所に巨大な建物がある。しかし菊川駅前は1990年代以降の区画整理事業で大きく変化しているので参考程度に。

御前崎市

新谷文化劇場
所在地 : 静岡県榛原郡御前崎町新谷(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「御前崎劇場」。
御前崎劇場
所在地 : 静岡県榛原郡御前崎町4407(1958年)、静岡県榛原郡御前崎町西側(1969年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「御前崎劇場」。
浜岡劇場/浜岡映画劇場
所在地 : 静岡県小笠郡浜岡町3215(1958年)、静岡県小笠郡浜岡町池新田2215(1969年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「浜岡映画劇場」。1963年の映画館名簿では「浜岡劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「浜岡映画劇場」。

周智郡森町

森町劇場
所在地 : 静岡県周智郡森町910(1958年)、静岡県周智郡森町(1963年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「森町劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では森町910に森町劇場、1969年の映画館名簿では森町910に森中央劇場があるが詳細は不明。
森町中央劇場/森中央劇場
所在地 : 静岡県周智郡森町910(1969年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「森町中央劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「森中央劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。Google mapには「中央劇場跡」が登録されているが、この場所にあったのが本当に森中央劇場なのかどうか不明。

静岡県中部

島田市

太陽館/島田太陽館
所在地 : 静岡県島田市本通り4914-4(1960年)、静岡県島田市大川町4914-4(1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「太陽館」。1966年・1969年の映画館名簿では「島田太陽館」。1972年の住宅地図では「太陽館」。跡地は「福泉寺」の南東20m。1980年代以後の区画整理事業で道路割が大きく変化しているので参考程度に。
島田日活オリオン/島田日活オリオン座
所在地 : 静岡県島田市7-8422(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「島田日活オリオン」。1966年・1969年の映画館名簿では「島田日活オリオン座」。1972年の住宅地図では跡地は空き地。現在の跡地は「岡本住建」。「中村菓子舗」の向かい。
島田東映/島田東映劇場
所在地 : 静岡県島田市日ノ出町8028(1960年・1966年・1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1958年の映画館名簿では「島田東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「島田東映」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「島田東映劇場」。1972年の住宅地図では「東映劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「佐鳴予備校島田本部校」の西20mの道路上。1980年代以後の区画整理事業で道路割が大きく変化しているので参考程度に。
第二文化劇場/島活会館第二文化/島田第二文化島田スカラ座/スカラ座
所在地 : 静岡県島田市大津通8596-25(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1995年以降2000年以前
1960年の映画館名簿では「第二文化劇場」。1963年の映画館名簿では「島活会館第二文化」。1966年の映画館名簿では「島田第二文化」。1972年の住宅地図では「スカラ座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「島田スカラ座」。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「スカラ座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は道路など。「洞源寺」の南西70m。2000年代以後の区画整理で道路割が大きく変化しているので参考程度に。
実座/島田実座/島田みのる座/みのる座/カンマザールみのる座
所在地 : 静岡県島田市本通6-7835(1995年・2005年・2010年)
開館年 : 1916年
閉館年 : 2010年3月10日
1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「実座」。1963年の映画館名簿では「みのる座」。1966年・1969年の映画館名簿では「島田みのる座」。1972年の住宅地図では「みのる座」。1973年の映画館名簿では「島田実座」。1976年の映画館名簿では「島田みのる座」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「みのる座」。2005年・2010年の映画館名簿では「カンマザールみのる座」。跡地は駐車場。「エンブルシティ島田」の東130m。

1916年(大正5年)に芝居小屋として開館した。1950年代に東京で映画関係の仕事をしていた太田修平が引き継いで映画館に改修したが、大正時代の煉瓦張りタイルは残っている。2010年(平成22年)3月10日に閉館した。静岡県に残る唯一の木造映画館だった。最終日の3月10日には山田洋次監督作『男はつらいよ 噂の寅次郎』を上映し、山田監督のトークショーを開催する。*47

2010年3月10日、島田市本通の島田みのる座が閉館する。経営は島田興業。1916年竣工の建物の老朽化などが理由。先代の太田修平は山田洋次監督作品『虹をつかむ男』のモデルの一人であることから、閉館日の3月10日には山田洋次監督を迎えた講演会を開催し、島田でロケが行われた『男はつらいよ 噂の寅次郎』のフィルム上映会を行う。木造平屋建て190席。芝居小屋時代の名残である楽屋や回り舞台も残る。「大勢の人が訪れて、実りがあるように」との思いで「実座」と命名された。1959年に映画館に改修した。*48

2010年(平成22年)3月10日、島田市の映画館「みのる座」が93年の歴史に幕を閉じて閉館。静岡県内の現存する映画館としてはもっとも古いとされていた。*49

閉館した島田市のみのる座を舞台とする映画の製作が進んでいる。余命僅かとなったみのる座の館主の物語である。題名は『安寧の巣』。製作費はゼロだが、みのる座やフィルムサポート島田の支援を受けている。2010年(平成22年)9月14日から9月24日頃まで現地で撮影し、2011年1月頃の完成を目指す。*50

2010年10月23日、島田市の映画館「みのる座」が閉館する。東海道本線島田駅から徒歩約10分、旧東海道沿いに商店が並ぶ本通りから小路を入って突き当りにある。建物のファサードはアール・デコ調であり、券売所には濃紫のタイルが貼られている。築94年の木造建築であり、芝居小屋として建てられた。51年前、東京の配給会社に勤めていた太田修平は、経営難で所有者が手放したみのる座を29歳で引き継いだ。全盛期の島田市には邦画4社の専門館、洋画専門館、ポルノ専門館の6館があり、みのる座は松竹作品の専門館だった。太田修平は松竹のパーティで山田洋次監督に出会い、50年にも及ぶ交流が始まった。1995年には山田監督が『虹をつかむ男』のロケハンに訪れ、みのる座の両脇の民家が空き家だと知ると「壊せますね」と言ったという。結局『虹をつかむ男』のロケは徳島県の脇町劇場で行われたが、山田監督は完成記者会見で主人公のモデルの一人に太田修平を挙げた。1964年の東京オリンピック後には島田市の映画館が相次いで閉館し、東宝や東映の作品も上映した。息子の太田晴也は音楽大学を出て教師をしていたが、1993年に太田修平から経営を継いだ。上映の中心を子ども向け作品とし、また土日営業に切り替え、落語会やコンサートなどの下士官営業も行った。100周年となる2016年までは営業を続ける予定だったが、2009年2月末には隣接する藤枝市にシネコンが開館し、『ドラえもん』の新作の観客数は前作の3分の1となった。太田晴也が閉館を決定すると、地元の建築士や大工の棟梁が建物の調査に訪れ、屋根裏からは格天井の枠や棟木札、「猿田彦」の木札などが発見された。奈落からは回り舞台の遺構や花道の痕跡も発見された。3月10日の最終興行は『男はつらいよ 噂の寅次郎』であり、山田監督も来館した上映は満員となった。10月23日には地元出身の落語家である三遊亭遊喜の公演を行う。*51

2012年(平成24年)1月5日、島田みのる座の元館主である太田修平が死去した。太田は映画館主を主人公とする山田洋次監督の映画『虹をつかむ男』のモデルとなった。太田は島田市議会議員を4期16年務め、島田市議会議長も務めた。2005年(平成17年)に旭日双光章を受章している。*52

2010年11月18日付の日本経済新聞にはみのる座の閉館に関する記事があるらしい。11月23日の勤労感謝の日には最終興行として地元の落語家の興行が行われたらしい。未確認。*53
島田文化劇場/宝塚劇場・文化劇場/島活会館宝塚劇場・島活会館文化劇場/島田宝塚劇場・文化劇場/島田宝塚劇場/島田文化
所在地 : 静岡県島田市本通り4-8270-1(1966年・1980年・1990年・1995年・2005年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 2010年以後2015年以前
1950年・1953年の映画館名簿では「島田文化劇場」。1955年の映画館名簿では「島田文化劇場」。1960年の映画館名簿では「宝塚劇場・文化劇場」(2館)。1963年の映画館名簿では「島活会館宝塚劇場・島活会館文化劇場」(2館)。1966年・1969年の映画館名簿では「島田宝塚劇場・文化劇場」(2館)。1969年の映画館名簿では「島田宝塚劇場」。1972年の住宅地図では「1階文化ホール 2階宝塚」。1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「島田文化」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年の映画館名簿では「島田文化」。再開発後は島活会館2階。『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(2003年)を上映したらしい。跡地は「シー・フィールド」。「ホテル ルートイン島田」の西。

牧之原市

大岩座
所在地 : 静岡県榛原郡榛原町静波(1976年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1960年・1963年・1966年・1969年・1976年の映画館名簿では「大岩座」。1969年の榛南地区住宅明細図では「オウイワ座」。1969年時点では南東側に「榛原スーパー」があった。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート牧之原静波1丁目店」の北西端。

藤枝市

藤枝市の映画館
藤枝市郷土博物館で「なつかしの映画館」展が開催されている。藤枝市には最盛期に6館の映画館があったが、1977年(昭和52年)にシネマ・ゴール(旧・松竹館)が閉館したことで、すべての映画館が姿を消した。1956年(昭和31年)に開館した藤枝文化は10か月しか続かなかった。江崎新聞店の経営者である江崎浮山は、最盛期には藤枝市内で4館を経営した。*54
藤枝東映旭光座
所在地 : 静岡県藤枝市鬼岩寺(1960年)
開館年 : 1938年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「藤枝東映旭光座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1960年代の航空写真を見ると現在の「藤枝警察署上伝馬交番」北西側の空き地の場所に巨大な建物がある。
藤枝毎日映画劇場
所在地 : 静岡県藤枝市青島喜多町(1969年)、静岡県藤枝市喜多町(1973年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1969年・1973年の映画館名簿では「藤枝毎日映画劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「毎日映画」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「SBS学苑藤枝校」。区画整理で大きく変化しているので参考程度に。最寄駅はJR東海道本線藤枝駅。全盛期の藤枝にあった4館の中で唯一藤枝駅前にあった。
テアトル毎日/藤枝テアトル毎日
所在地 : 静岡県藤枝市本町1062(1960年)、静岡県藤枝市下伝馬(1969年)、静岡県藤枝市藤枝1-4-12(1973年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1972年
1960年・1963年の映画館名簿では「テアトル毎日」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「藤枝テアトル毎日」。1972年のゼンリン住宅地図では「テアトル毎日」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「清水屋スポーツ」の裏の駐車場。「養命寺」と同じブロック。JR東海道本線藤枝駅から約4km。
藤枝大毎映画劇場/藤枝大毎劇場/シネマ・ゴール
所在地 : 静岡県藤枝市若王子54-1(1960年)、静岡県藤枝市千才区若王寺(1969年)、静岡県藤枝市若王寺(1973年)、静岡県藤枝市藤枝5-9(1976年)
開館年 : 1938年以前
閉館年 : 1977年
1960年の映画館名簿では「藤枝松竹映画劇場」。1963年・1969年の映画館名簿では「藤枝大毎劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では「大毎」。1973年の映画館名簿では「藤枝大毎映画劇場」。1973年の映画館名簿では「藤枝大毎劇場」。1967年以前は松竹座という愛称があった。1967年にシネマ・ゴールに改称。1976年の映画館名簿では「シネマ・ゴール」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。藤枝市最後の従来型映画館。建物は1990年焼失。JR東海道本線藤枝駅から約3km。

1938年の藤枝には演劇の旭光座と映画の松竹館があったが、併立写真家の江崎浮山は両方を買い取って映画館とした。戦後の映画黄金期にはさらに毎映とテアトル毎日の2館を建設し、藤枝の映画興行界を独占していた。その後は息子である江崎友次郎が経営を引き継いだが、1970年には古い旭光座を閉館させ、次いでテアトル毎日と毎映も閉館させた。1974年7月7日の七夕豪雨では松竹館の裏手の河川が決壊して浸水したが、改築して映画館を存続させることとし、350席を122席に減らしたうえに、シネマ・ゴールに改称した。藤枝市はサッカーが盛んな町であり、江崎友次郎も藤枝市サッカー友の会の会員だっていたことが名称の理由である。スポーツが盛んな健康な町であるということで、シネマ・ゴールではピンク映画もポルノ映画も上映しない方針がある。*55
藤枝シネ・プレーゴ
所在地 : 静岡県藤枝市前島1丁目7-10 BiVi藤枝
開館年 : 2009年2月28日
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : 藤枝シネ・プレーゴ
7スクリーンのシネコン。最寄駅はJR東海道本線藤枝駅。

焼津市

焼津市の映画館
焼津市文化センター1階展示室にて、焼津市歴史民俗資料館の企画展「懐かしの映画娯楽 焼津の映画館の想い出」が開催されている。焼津の映画館としては1923年(大正12年)開館の焼津座が第1号であり、1996年現在までに計9館が開館した。全盛期には同時に7館があった。昭和60年代に焼津座が閉館したことで、焼津市から映画館がなくなった。*56
大生座/駿南劇場
所在地 : 静岡県榛原郡相川村、静岡県榛原郡大井川町
開館年 : 1916年
閉館年 : 1948年? 1954年? 昭和40年代?
1950年や1955年や1960年の映画館名簿には掲載されていない。

1916年(大正5年)、下江留の相良街道(通称として田沼街道)の脇に大生座が建設された。その前身は1914年(大正3年)に建てて芝居などを行っていた掘っ立て小屋である。1916年時点では藤枝-大井川-吉田-榛原間に藤相鉄道(後の静岡鉄道駿遠線)が通じていた。大生座を建てたのは榛原郡相川村下江留(後の榛原郡大井川町下江留、現在の焼津市下江留)の大畑竹蔵であり、任侠派の人物であったが、日ごろは新派劇の脚本や浪曲/漫才の台本を手掛ける才能の持ち主だった。大生座では活動写真、浪花節、漫才、連鎖劇などの工業がおこなわれた。大生座は木造トタン葺きであり、間口は9間・奥行きは15間だった。120畳敷きの劇場であり、200人を収容した。廻り舞台や格天井を有しており、都市部の劇場に匹敵する立派さだった。場内には売店があり、幕間には売り子が予備売りを行った。なお、志太郡青島町(現在の藤枝駅付近)に東海倶楽部が開館したのは大生座の1年後である。戦前の青島町には東海倶楽部が、志太郡藤枝町には旭光座があったため、映画の封切り、浪曲の名人、有名劇団はこの2館に取られてしまい、大生座は二流の劇場とみなされた。*57

1937年(昭和12年)に支那事変が勃発すると、太平洋戦争が長期化したことで大生座は経営困難となった。終戦間際には東海倶楽部の経営者である江崎新聞店が経営を引き継ぎ、駿南劇場に改称した。映画の興行を主体として、浪曲や漫才の興行も行ったが、3年後の1948年(昭和23年)に閉鎖された。その後はカノーボーリング〔原文ママ〕が建物を使用していた。駿南劇場の建物は1983年(昭和58年)に取り壊された。p.281には駿南劇場時代の写真あり。*58

2005年現在の大井川町域には、かつて国の公認常設競馬場「藤枝競馬倶楽部相川競馬場」(1909年-1916年)、芝居小屋「大生座/駿南劇場」(1916年-1954年)という娯楽施設があった。戦後にはテレビが普及したことから、駿南劇場は昭和40年代に幕を閉じた。現在のJA大井川相川支店の西側である。『大井川町下江留区史』と同じ駿南劇場の写真あり。(※「1954年」と「昭和40年代」の関係は不明。『大井川町下江留区史』の「1948年」とも整合性が取れないが理由は不明。)*59
吉永映画劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉永村(1955年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1955年以後1958年以前
1955年の映画館名簿では「吉永映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。
ミナト座
所在地 : 静岡県焼津市昭和通り777(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「ミナト座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
焼津オデオン座
所在地 : 静岡県焼津市焼津512(1960年・1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「オデオン座」。1966年・1969年の映画館名簿では「焼津オデオン座」。1971年の住宅地図で焼津512の地点は空白となっている。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
焼津浅草劇場/焼津アサクサ劇場
所在地 : 静岡県焼津市焼津707(1960年・1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「焼津浅草劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「焼津アサクサ劇場」。1972年のゼンリン住宅地図では跡地と思われる707-1に「パチンコ日光」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
焼津スカラ座/スカラ座
所在地 : 静岡県焼津市焼津618(1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-6-7(1985年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1960年の映画館名簿ではスカラ座に相当する映画館は掲載されていない。1972年のゼンリン住宅地図では「スカラ座(ピンク)」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津スカラ座」。1980年・1985年の映画館名簿では「スカラ座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は民家。
焼津東映劇場/焼津東映
所在地 : 静岡県焼津市焼津618-1(1960年)、静岡県焼津市焼津618-14(1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-6-11(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1972年のゼンリン住宅地図では「焼津東映」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津東映劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「焼津東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場。
焼津東宝ヒカリ座/焼津大映ヒカリ座/焼津ヒカリ座/ヒカリ座
所在地 : 静岡県焼津市焼津678-9(1960年・1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-7-11(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「ヒカリ座」。1966年の映画館名簿では「焼津東宝ヒカリ座」。1969年の映画館名簿では「焼津大映ヒカリ座」。1972年のゼンリン住宅地図では「ヒカリ座」。1973年・1976年の映画館名簿では「焼津ヒカリ座」。1980年・1985年の映画館名簿では「ヒカリ座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場。
焼津名画座/名画座
所在地 : 静岡県焼津市焼津678-33(1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-8-16(1985年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1960年の映画館名簿では名画座に相当する映画館は掲載されていない。1972年のゼンリン住宅地図では「名画座」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津名画座」。1980年・1985年の映画館名簿では「名画座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は民家。
焼津東海劇場/東海劇場
所在地 : 静岡県焼津市中港184-4(1960年)、静岡県焼津市中港町145(1969年・1973年・1980年)、静岡県焼津市中港1-3-20(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「東海劇場」。1972年の住宅地図では東海娯楽ビル2階の「東海劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「焼津東海劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「東海劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン焼津中港店」。
焼津座
所在地 : 静岡県焼津市焼津612-1(1960年・1969年・1973年)、静岡県焼津市本町6-5-11(1985年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1972年のゼンリン住宅地図では「焼津座」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「焼津座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。焼津市最初の映画館であり、焼津市最後の映画館だった。跡地は「本町南公園」。

榛原郡吉田町

吉田座
所在地 : 静岡県榛原郡吉田町片岡(1958年・1960年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年・1960年の映画館名簿では「吉田座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
吉田中央/吉田中央劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉田町片岡(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿では「吉田中央」。1963年の映画館名簿では「吉田中央劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
神戸映画劇場/神戸劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉田町神戸(1960年・1963年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1967年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「神戸映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の榛南地区住宅明細図では「神戸劇場」。

1959年の神戸劇場(かんどげきじょう)の写真あり。神戸の交差点近くにあった。1957年頃に建設され、1967年頃まで営業していた。広告看板には初倉地区の商店の名前も見える。跡地には民家が建っており、近くにはJAハイナン神戸支店や吉田町立自彊小学校がある。映画館前の静岡県道79号吉田大東線は交通量の増加により拡幅整備された。*60
住吉劇場
所在地 : 静岡県榛原郡吉田町住吉(1958年)、静岡県榛原郡吉田町住吉2469(1969年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「住吉劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の榛南地区住宅明細図では確認できず、「久保田ふとん店」の南側は空白となっている。

榛原郡川根本町

大井公会堂
所在地 : 静岡県榛原郡中川根村上長尾(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「大井公会堂」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
徳山劇場
所在地 : 静岡県榛原郡中川根村徳山(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「徳山劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
小長井劇場
所在地 : 静岡県榛原郡本川根町114(1958年)、静岡県榛原郡本川根町小長井(1963年)
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「小長井劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

静岡市

静岡市中心部

静岡県の映画館
静岡県の映画興行は全国的にみて上位にある。1959年(昭和34年)現在で静岡県には241館があり、自治体別では静岡市24館、浜松市18館、沼津市12館、清水市11館の順である。1957年度(昭和32年度)には静岡県全体で2961万人の観客があり、1人あたり11回/年を鑑賞した計算となるが、日本全体の1人あたり12回/年寄りは少ない。静岡県最高の静岡市では1人あたり24回/年となるが、静岡県最低の安部郡では1人あたり4回/年だった。静岡県の映画館の90%以上がシネスコ館であり、都市部では他の娯楽施設や喫茶店を併設した会館式の映画館が増加した。*61

近年の静岡県にはシネコンが数多く開館しており、1997年には三島市にジョイランドシネマみしま、1998年には富士市に富士シネ・プレーゴ、清水市にMOVIX清水、2000年11月には浜松市にヴァージンシネマズ浜松が開館した。*62

『静岡映画館物語』には「静岡市中心地・映画館マップ」が掲載されている。*63
静活株式会社
1959年(昭和34年)現在、静活株式会社は静岡市14館、清水市5館、島田市1館、沼津市1館の映画館を所有し、六大都市を除く地方の映画興行会社では全国一の経営規模を誇る。映画館のほかに、静岡大映の階下にある静岡アイスパレスも経営しており、静岡アイスパレスは静岡県唯一のアイススケート場である。年間収益は約19億円であり、投下資本の35%という好成績を示している。1919年(大正8年)創業。現在の資本金は2億5000万円であり、株主は1600人中96%が静岡市在住。1940年の静岡大火、1945年の静岡空襲では全館が焼失したが、見事に復興を遂げた。*64
新興劇場
所在地 : 静岡市静岡市七間町
開館年 : 1941年
閉館年 : 1945年?
1940年の静岡大火後の1941年に開館。1941年の写真あり。2009年時点では岩井屋・ゴール・珈琲舎茜の場所。2018年時点では泊まれる純喫茶ヒトヤ堂の場所。*65
電気館/セントラル劇場
所在地 : 静岡県静岡市七間町
開館年 : 1946年
閉館年 : 1953年以前?
1953年の映画館名簿には「中央劇場」が掲載されているが関連は不明。1955年の映画館名簿には「中央劇場」も掲載されていない。

セントラル劇場は昔の電気館であり、戦後もっとも早く開館した映画館である。『ターザンの復讐』の映画看板がある1946年の写真あり。*66
銀映劇場
所在地 : 静岡県静岡市
開館年 : 1954年以前
閉館年 : 1954年以後1955年以前?
1950年や1953年や1955年や1960年の映画館名簿に「銀映劇場」という名称の映画館は掲載されていない。

1954年1月の銀映劇場の写真あり。跡地のパチンコ西陣の1969年1月の写真あり。*67
電気館
所在地 : 静岡県静岡市七間町
開館年 : 1920年
閉館年 : 1955年以後1958年以前
1930年・1936年・1950年の映画館名簿では「電気館」。1955年の映画館名簿では「静岡電気館」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。

1920年(大正9年)に開館した電気館は静活の主力館であり、キネマ館と双璧とされる映画館だった。当時の映画館には全国的に電気館という名前の映画館が多かった。*68
静岡銀座劇場
所在地 : 静岡県静岡市七間町17-2(1960年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1960以後1963年以前?
1960年の映画館名簿では「静岡銀座劇場」。1963年の映画館名簿に「静岡銀座劇場」に類する名称の映画館は掲載されていない。

1953年9月の銀座劇場の写真あり。*69
第一劇場
所在地 : 静岡県静岡市両替町2-4(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「第一劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
ミリオン劇場
所在地 : 静岡県静岡市幸町43(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「ミリオン劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
玉川座/小川座/若竹座/常盤座/松竹座/国際劇場
所在地 : 静岡市七間町、静岡県静岡市駿河町3-2(1960年)
開館年 : 1870年(玉川座)、1887年(若竹座)、1946年(国際劇場)
閉館年 : 1963年6月
Wikipedia : 若竹座
1960年・1963年の映画館名簿では「国際劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1870年に芝居小屋の玉川座として開館し、小川座を経て1887年には若竹座となった。若竹座では1897年に静岡で初の活動写真が上映されている。1940年の静岡大火後には常盤座や松竹座に名を変えた。太平洋戦争後の1946年には洋画封切館の国際劇場となった。特に映画看板が秀逸だった。1963年6月に閉館し、10月には跡地が静岡ボウリングセンターとなった。国際劇場時代の映画看板の写真が多数あり。*70
富士見劇場/富士見東映劇場
所在地 : 静岡県静岡市五番町35(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿では「富士見劇場」。1963年の映画館名簿では「富士見東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
地球座/静岡地球座
所在地 : 静岡県静岡市南町2-3-4(1966年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1966年8月29日
1960年の映画館名簿では「地球座」。1966年の映画館名簿では「静岡地球座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

静岡駅南側の南街に開館。洋画旧作2本立ての二番館。1952年12月に開館し、1957年3月には経営が静活に移行。1966年8月29日をもって閉館した。1953年12月の写真あり。*71
静岡第二東映劇場/東映白鳥座/静岡白鳥座
所在地 : 静岡県静岡市長谷町35(1960年・1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「静岡第二東映劇場」。1963年の映画館名簿では「東映白鳥座」。1966年の映画館名簿では「静岡白鳥座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

浅間神社の石鳥居前、長谷通りと呼ばれる一角にあった。三本立ての二番館であり、入場料が安めで気軽には入れる映画館だった。1953年頃の写真あり。*72
歌舞伎座/カブキ座/カブキ
所在地 : 静岡県静岡市両替町2-1(1969年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1969年以降1973年以前
1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「静岡歌舞伎座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静活プラザボウルビル」。

1922年(大正11年)に今日の青葉通りの場所に歌舞伎座が開館したが、1940年(昭和15年)1月15日の静岡大火で焼失した。著名建築家の村野藤吾の設計で再建されるが、1945年(昭和20年)6月19日・20日の静岡大空襲で再び焼失した。*73

両替町にあった歌舞伎座。邦画の封切館だった歌舞伎座は、目抜き通りから一歩それた両替町にあった。1950年頃の写真あり。*74

大正時代の1922年の開館当時の歌舞伎座の写真あり。1940年の静岡大火後の1941年には、村野藤吾の設計によって歌舞伎座が新築された。映画館のイメージを一新する、ロココを思わせる美しいカーブが特徴的だった。1941年の開館当時の写真あり。1951年のカブキ座時代の写真あり。1969年3月のカブキ時代の写真あり。*75
静岡ロマンス座
所在地 : 静岡県静岡市三番町30(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「ロマンス座」。1966年の中部広報社住宅明細図では「ロマンス座」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡ロマンス座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ヴェル・エコール三番町」。
静岡駅南東映劇場
所在地 : 静岡県静岡市稲川1-6-4(1969年)
開館年 : 1960年以後1966年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の中部広報社住宅明細図では「駅南東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡駅南東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静岡オレンジホテル」。
駅南劇場/静岡駅南劇場
所在地 : 静岡県静岡市南町14-21(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「駅南劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「駅南劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡駅南劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静岡科学館る・く・る」が入る再開発ビル「エスパティオ」南側角。
静岡駒形劇場
所在地 : 静岡県静岡市駒形通2-1-25(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「静岡駒形劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「駒形劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「スコーピオンハーツ」南側の駐車場。
文化劇場/静岡文化劇場
所在地 : 静岡県静岡市安部町9(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「文化劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「文化劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡文化劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「眼鏡市場静岡浅間通り店」の駐車場。
南風座/東映南風座/静岡南風座
所在地 : 静岡県静岡市東鷹匠町71(1966年・1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿では「南風座」。1960年・1963年の映画館名簿では「東映南風座」。1966年の中部広報社住宅明細図では「南風座映画館」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡南風座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「マツモトキヨシ東鷹匠店」の東。「きよみずさん通り」にあり、「静岡学園中学校・高等学校」の西側すぐ。近くに城東劇場もあった。
城東劇場/静岡城東劇場
所在地 : 静岡県静岡市東鷹匠町104(1966年・1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「城東劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「城東劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡城東劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「太田町市場」のはす向かい。「きよみずさん通り」にあり、「静岡学園中学校・高等学校」の西側すぐ。近くに南風座もあった。
静岡南街劇場/南街劇場
所在地 : 静岡県静岡市泉町7-14(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1990年以後1995年以前
1960年の映画館名簿では「南街劇場」。1966年の中部広報社住宅明細図では「南街劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「静岡南街劇場」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「南街劇場」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。
百人劇場
所在地 : 静岡県静岡市伝馬町
開館年 : 1994年、2000年4月
閉館年 : 2002年3月24日
2002年3月24日には静岡市伝馬町の映画館「百人劇場」が閉館する。映画館が入る「メディアシティ静岡ビル」が再開発されるため。1994年のメディアシティ静岡ビルのオープンとともに開館した。座席数は105席。大型スクリーンを備えた映像ホールであり、演劇・コンサート・企業セミナーなどに利用されていた。1997年に香港映画『ブエノスアイレス』を上映すると好評だったため、短髪でミニシアター系作品を上映するようになり、2000年4月には本格的な上映を開始した。現在までに約100作品を上映しており、総観客数は3万3000人。会員組織「シネギャラリー」があり、サールナートホールと共同運営していた。最終上映作品は『ブエノスアイレス』。*76
静岡東映劇場/静岡東映劇場・静岡ニュー東映劇場/静岡東映劇場・静岡東映パラス
所在地 : 静岡県静岡市七間町12(1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2008年9月12日
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「静岡東映劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡ニュー東映劇場」(2館)。1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡東映パラス」(2館)。1985年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡東映パラス劇場」(2館)。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「静岡東映劇場・静岡東映パラス」(2館)。2005年の映画館名簿では「静岡東映劇場」。東映直営館としては2008年9月12日に閉館したが、静活が跡地を借り受けて静岡ピカデリーZEROを開館させた。

1956年(昭和31年)、静岡市初の親子劇場(※2スクリーン以上を持つ映画館のことだと思われる)として開館した。下階には東映封切館の静岡東映があり、上階には洋画封切館の東映パラスがある。1959年(昭和34年)現在の建物の写真あり。*77
銀座劇場・静岡日活劇場/静岡カブキ座・日活並木座・静岡ミラノ/ミラノ1・2・3
所在地 : 静岡県静岡市葵区七間町17 静活有楽会館(2010年)
開館年 : 1961年(銀座劇場・静岡日活劇場)、1965年(静岡カブキ座・日活並木座・静岡ミラノ)、1988年(ミラノ1・2・3)
閉館年 : 2011年10月2日
1969年の映画館名簿では七間町8に「静岡名画座」があり七間町17に「静岡日活劇場・静岡アートシアターミラノ」(2館)。1973年の映画館名簿では七間町8に「静岡カブキ」があり七間町17に「並木座・静岡アートシアターミラノ」(2館)。1976年の映画館名簿では七間町8に「静岡カブキ」があり七間町17に「並木座・アートシアターミラノ」(2館)。1980年の映画館名簿では七間町8に「カブキ座」があり七間町17に「並木座・ミラノ」(2館)。1985年の映画館名簿では七間町17に「静岡にっかつ並木座・ミラノ・静岡カブキ」。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では七間町17に「ミラノ1・2・3」(3館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は「静活有楽会館」。
電気館/静岡大映劇場/静岡ピカデリー/静岡ピカデリー1・2/静岡ピカデリー1・2・小劇場
所在地 : 静岡県静岡市葵区七間町14(2010年)
開館年 : 1959年(静岡大映劇場)
閉館年 : 2011年10月2日
港町キネマ通り : 静岡ピカデリー1・2
1973年・1976年の映画館名簿では「静岡名画座・静岡小劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では「静岡松竹劇場・静岡名画座・小劇場」(3館)。1985年の映画館名簿では「静岡松竹・小劇場」(2館)。1990年・1995年の映画館名簿では「静岡松竹・静岡ピカデリー・小劇場」(3館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「静岡ピカデリー1・2・小劇場」(3館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は「静岡文化会館」であり、アイススケート場やプラネタリウムが入った静岡市初の複合型文化施設だった。

1959年(昭和34年)現在の静岡大映ビルの写真あり。階下にはスケートリンクがあり、屋上にはプラネタリウムがある。*78
ピカデリーZERO
所在地 : 静岡県静岡市葵区七間町12(2010年)
開館年 : 2008年9月13日
閉館年 : 2011年
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「ピカデリーZERO」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。
静岡オリオン座・静岡有楽座
所在地 : 静岡県静岡市七間町15
開館年 : 1951年末(開館)、1971年(移転開館)
閉館年 : 2011年10月2日
Wikipedia : 静岡オリオン座
1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「静岡オリオン座・有楽座」(2館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。

1951年末に開館した、東海一の規模を誇る映画館。ビルの壁面には「LIVE TODAY」の文字が書かれている。1970年7月には『ヨーロッパの開放』を、1971年には『新・猿の惑星 バニシング・ポイント』上映。両作品の映画看板が目立つ写真あり(2枚)。1971年に閉館した。*79

写真のオリオン座は洋画のロードショウ専門館であり、ややハイグレードな印象があった。2階には同伴用特別席もあった。通りに面した壁面にはオリジナルの壁画が描かれていた。多感よりやや入場料が高めだった。『第三の男』『ローマの休日』『リオグランデの砦』などを上映した。1954年の写真あり。*80

『チャップリンの独裁者』の映画看板が見える1960年の写真、『007 サンダーボール作戦』の映画看板が見える1965年12月の写真、『トラ! トラ! トラ!』の映画看板が見える1965年12月あり。*81

1959年現在の静岡オリオン座の写真あり。「Orion」「LIVE TODAY」の文字が見える。静岡オリオン座は洋画ロードショー館であり、優れた映写設備やロマンスシートで知られている。*82

1959年、1968年の写真あり。有楽座と静岡松竹劇場。1959年の有楽座では『ぼくの伯父さん』を上映していた。*83

総工費は1億5000万円。東海随一の映画の殿堂とされる。地上は松竹封切館の静岡松竹劇場であり、定員は1300人。回り舞台と楽屋を備えているため演劇にも使用できる。地下は洋画封切館の有楽座であり、定員は800人。*84
ニュース劇場/朝日劇場/中央劇場/東宝劇場/東宝シネセブン/静岡東宝会館
所在地 : 静岡県静岡市七間町12
開館年 : 1946年
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 静岡東宝会館
1980年の映画館名簿では「静岡東宝劇場」。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「静岡東宝・・静岡東宝プラザ・静岡東宝スカラ座」(3館)。2000年の映画館名簿では「静岡東宝・静岡東宝プラザ・静岡東宝スカラ座・静岡ヴェルデ東宝」(4館)。2005年・2010年の映画館名簿では「静岡東宝会館シネ1・シネ2・シネ3・シネ4」(4館)。2015年の映画館名簿では「静岡東宝会館シネ1・シネ2・シネ3・シネ4・シネ5」(5館)。

1946年にニュース劇場として開館し、洋画や東宝作品を上映。その後朝日劇場、中央劇場に改称した。その後東宝劇場、東宝シネセブンに改称し、2015年現在は東宝会館。1953年の『太平洋の鷲』の映画看板が目立つ写真あり。*85
静岡シネ・ギャラリー
所在地 : 静岡県静岡市葵区御幸町11-14
開館年 : 2003年12月20日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 静岡シネ・ギャラリー
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年の映画館名簿では「静岡シネ・ギャラリー1」(2館)。2015年の映画館名簿では「静岡シネギャラリー1」(2館)。2スクリーンのミニシアター。
シネシティザート
所在地 : 静岡県静岡市葵区鷹匠1丁目1-1 新静岡セノバ9階
開館年 : 2011年10月5日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネシティザート
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2015年の映画館名簿では「シネシティザート1-10」(10館)。10スクリーンのシネコン。

清水区

由比映画劇場
所在地 : 静岡県庵原郡由比町336(1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「由比映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
蒲原桜座/桜座/蒲原オリオン座/蒲原オリオン
所在地 : 静岡県庵原郡蒲原町神沢198(1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿では「蒲原桜座」。1960年の映画館名簿では「桜座」。1963年の映画館名簿では「蒲原オリオン座」。1966年・1969年の映画館名簿では「蒲原オリオン」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
清水名画座(初代)
所在地 : 静岡県清水市伝馬町110(1969年)
開館年 :
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1969年の映画館名簿では「清水名画座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1969年以後1973年以前に初代の清水名画座が閉館し、清水松竹劇場が清水名画座に改称した可能性がある。
清水栄寿座
所在地 : 静岡県清水市相生町67(1969年)
開館年 :
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1969年の映画館名簿では「清水栄寿座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
清水ダイヤ劇場
所在地 : 静岡県清水市大和町28(1969年)
開館年 :
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1969年の映画館名簿では「清水ダイヤ劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
清水東宝劇場
所在地 : 静岡県清水市相生町41(1969年・1973年)
開館年 :
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1969年・1973年の映画館名簿では「清水東宝劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。
清水セントラル劇場/清水松竹セントラル劇場
所在地 : 静岡県清水市相生町35(1969年・1973年)
開館年 :
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1969年の映画館名簿では「清水セントラル劇場」。1973年の映画館名簿では「清水松竹セントラル劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。
清水東映さくら劇場
所在地 : 静岡県清水市相生町40(1969年・1973年・1976年)
開館年 :
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「清水東映さくら劇場」。1973年のゼンリン住宅地図では「清水東映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホテルサンルート清水」。
蒲原劇場/蒲原映画劇場
所在地 : 静岡県庵原郡蒲原町蒲原1525-1(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「蒲原映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「蒲原劇場」。1980年の映画館名簿では「蒲原映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。建物は現存。2014年には「するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ」の会場となった。登録有形文化財「志田家住宅」の南南西100m。静岡県道396号沿いの「ファミリーマート蒲原本町店」の西50m。
羽衣劇場/清水羽衣劇場
所在地 : 静岡県清水市富士見町1-51(1969年)、静岡県清水市伝馬町110(1973年)、静岡県清水市江尻東3-9-25(1976年・1980年・1985年)
開館年 :
閉館年 : 1985年以後1989年以前
1969年の映画館名簿では「羽衣劇場」。1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「清水羽衣劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の住宅地図には掲載されていないと思われるが、番地から「モクサンパーク」の位置だと思われる。
清水オリオン座・清水名画座・清水スカラ座/清水オリオン座・清水名画座・清水シネサロンスカラ座
所在地 : 静岡県清水市巴町168(1969年・1973年・1976年)、静岡県清水市巴町4-1(1980年・1985年)
開館年 :
閉館年 : 1989年2月
1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「清水シネサロンスカラ座」。1973年のゼンリン住宅地図では「清水ボウリングセンター(スカラ座)」。1973年から1976年の間に、清水名画座と清水オリオン座がスカラ座の建物に移転してきた可能性がある。1980年・1985年の映画館名簿では「清水スカラ座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「清水年金事務所」。

1989年2月、静活は清水市のスカラ座を閉館させた。*86
清水松竹劇場・清水オリオン座/清水名画座・清水オリオン座
所在地 : 静岡県清水市相生町9(1969年・1973年)、静岡県清水市巴町168(1976年)、静岡県清水市巴町4-1(1980年・1985年)
開館年 : 1973年
閉館年 : 1989年8月31日
1969年の映画館名簿では「清水松竹劇場・清水オリオン座」。1973年のゼンリン住宅地図では「清水名画座・オリオン座」。1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「清水名画座・清水オリオン座」。1973年から1976年の間に、清水スカラ座と同一の建物に移転した可能性がある。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1970年代中頃までの建物の跡地は「東京海上日動火災保険静岡支社」。1970年代中頃以降の建物の跡地は「清水年金事務所」。

1959年(昭和34年)現在の清水オリオンの写真あり。静活株式会社の経営である。*87

静活は清水市巴町にある名画座とオリオン座を1989年8月末で同時に閉館させる。両者は1973年に開館。名画座は邦画のロードショー館、オリオン座は洋画のロードショー館であり、名画座では『砂の器』(1974年)、オリオン座では『ジョーズ』(1975年)などのヒット作を生んだ。1989年2月には静活はやはり清水市のスカラ座を閉館させており、清水市から映画館が消えた。*88

映画全盛期の静岡県清水市には羽衣劇場やみなと劇場など多くの映画館があったが、1989年8月に名画座が閉館したことで映画館がなくなった。*89
MOVIX清水
所在地 : 静岡県静岡市清水区入船町13-15 エスパルスドリームプラザ4階
開館年 : 1999年10月8日
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「MOVIX清水1-8」(8館)。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「MOVIX清水1-9」(9館)。9スクリーンのシネコン。

静岡県東部

富士市

第一電気館
所在地 : 静岡県吉原市(1955年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1955年以後1958年以前?
1953年・1955年の映画館名簿では吉原市に「第一電気館」。同年には富士市に「富士電気館」もあるので混同に注意。1958年・1960年の映画館名簿に第一電気館という名称の映画館は掲載されていない。

1955年の吉原電気館の写真あり。1990年現在の富士市吉原1丁目にあった。『鉄火奉行』の看板が見える。*90
元吉電気館
所在地 : 静岡県吉原市今井本町91(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「元吉電気館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
富士岡館/吉原富士岡館
所在地 : 静岡県吉原市富士岡町1(1960年)、静岡県吉原市富士岡町(1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「富士岡館」。1966年の映画館名簿では「吉原富士岡館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
岩淵会館/岩淵劇場
所在地 : 静岡県庵原郡富士川町中ノ郷(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1955年の映画館名簿では「岩淵会館」。1960年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「岩淵劇場」。岩渕劇場とも表記される。
第二電気館/吉原第二電気館/名画座/吉原名画座
所在地 : 静岡県吉原市昭和通163(1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年・1955年の映画館名簿では吉原市に「第二電気館」。同年には富士市に「富士電気館」もあるので混同に注意。1960年の映画館名簿では「吉原第二電気館」。1963年の映画館名簿では「名画座」。1966年・1969年の映画館名簿では「吉原名画座」。1973年の映画館名簿には掲載されていないと思われるが、大富士オスカーに改称した可能性がある。

1955年頃の第二電気館の写真あり。1990年現在の富士市昭和通りにあった。邦画の第一電気館に対して、洋画専門の封切館だった。『ブラボー砦の脱出』や『グレン・ミラー物語』の看板が見える。*91
ひよどり劇場/ひよどり映画劇場/吉原ひよどり映画劇場
所在地 : 静岡県吉原市依田原町3-82(1966年)、静岡県富士市依田原82(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「ひよどり劇場」。1963年の映画館名簿では「ひよどり映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「吉原ひよどり映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
吉原東映/吉原東映劇場
所在地 : 静岡県吉原市吉原108(1960年・1966年)、静岡県富士市吉原110(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「吉原東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「吉原東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていないと思われるが、大富士オスカーに改称した可能性がある。
鷹岡ひかり座/昭和座/鷹岡昭和座/鷹岡昭和館
所在地 : 静岡県富士郡鷹岡町久沢180(1960年)、静岡県富士郡鷹岡町入山瀬84-1-1(1966年)、静岡県富士市鷹岡久沢(1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1960年の映画館名簿では「鷹岡ひかり座」。1963年の映画館名簿では「昭和座」。1966年・1969年の映画館名簿では「鷹岡昭和座」。1973年の映画館名簿では「鷹岡昭和館」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。
吉原日活/岳南劇場
所在地 : 静岡県吉原市今泉75(1960年)、静岡県吉原市和田町2-75(1966年)、静岡県富士市和田町75(1969年・1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1960年の映画館名簿では「岳南劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「吉原日活」。1970年の住宅地図では「吉原日活」。1973年の映画館名簿では「岳南劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。
大富士オスカー/大富士松竹オスカー
所在地 : 静岡県富士市吉原4-18-7(1973年・1976年)
開館年 : 1969年以後1973年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1969年の映画館名簿には掲載されていないと思われるが、吉原名画座、吉原東映劇場のいずれかから改称した可能性がある。1973年の映画館名簿では「大富士オスカー」。1976年の映画館名簿では「大富士松竹オスカー」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
フジキネマ
所在地 : 静岡県富士市平垣261(1960年・1963年・1966年・1973年・1976年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1960年・1963年・1966年・1973年・1976年の映画館名簿では「フジキネマ」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
富士若草劇場/若草劇場
所在地 : 静岡県富士市平垣8-1(1960年)、静岡県富士市銀座通(1966年)、静岡県富士市本町15-11(1969年・1973年)、静岡県富士市本町14-19(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「若草劇場」。1966年・1973年・1976年の映画館名簿では「富士若草劇場」。1980年の映画館名簿では「若草劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「サンコーポ若草」?
吉原東座/吉原東宝東座
所在地 : 静岡県吉原市吉原260(1960年・1966年)、静岡県富士市吉原2-4-1(1973年・1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1963年の映画館名簿では「吉原東座」。1970年の住宅地図では「東宝映画館」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「吉原東宝東座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
富士中央劇場/富士中央
所在地 : 静岡県富士市平垣15(1960年)、静岡県富士市平垣15-9(1966年・1969年・1973年・1976年)、静岡県富士市平垣11-1(1980年)、静岡県富士市平垣本町11-1(1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1990年以後1995年以前
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「富士中央劇場」。1985年・1990年の映画館名簿では「富士中央」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「素肌新館富士店」。
吉原東映劇場/吉原東映
所在地 : 静岡県吉原市吉原108(1960年・1966年)、静岡県富士市吉原110(1969年)、静岡県富士市吉原2-9-28(2000年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 2000年以後2005年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「吉原東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「吉原東映劇場」。1970年の住宅地図では「吉原東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1976年の映画館名簿では「吉原東映劇場」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「吉原東映」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。
吉原大映オリオン座/吉原オリオン座
所在地 : 静岡県吉原市和田町17(1960年)、静岡県吉原市和田町7(1966年)、静岡県富士市和田町7(1969年・1973年)、静岡県富士市今泉1-3-6(1976年・1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 2000年以後2005年以前
1960年の映画館名簿では「吉原大映オリオン座」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「吉原オリオン座」。1970年の住宅地図では「オリオン座」。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「吉原オリオン」。2000年の映画館名簿では「吉原オリオン座」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年のオリオン座の写真あり。現在の富士市今泉1丁目にあった。「Orion」の看板がかかる。『赤胴鈴之助 月夜の怪人』の看板が見える。*92

1956年秋の富士市の富士オリオン座では、ジャン・ギャバン主演のフランス映画『ヘッドライト』、ジェームズ・ディーン主演のアメリカ映画『エデンの東』、マリリン・モンロー主演のアメリカ映画『七年目の浮気』など、立て続けに洋画の話題作が上映された。地元紙「富士ニュース」には「連日満員、熱狂的人気」と報じられた。建物は2001年頃に解体された。*93

1965年(昭和40年)5月26日の写真あり。スティーブ・マックイーン主演のアメリカ映画『ハイウェイ』、シルヴィ・ヴァルタン主演のフランス映画『アイドルを探せ』、アメリカ映画『若さでブッ飛ばせ!』の看板が見える。オリオン座が開館したのは昭和30年代であり、こけら落としは『有楽町で逢いましょう』だった。映画最盛期には上映を待つ親子連れが映画館の入り口から和田川の橋まで並んでいたこともある。*94

1966年頃のオリオン座の写真あり。*95

富士市の地図が掲載されており、富士裾野線と富士沼津線の交差点(和田交差点)南側の三角地帯に「オリオン座跡地」とある。*96
富士シネ・プレーゴ
所在地 : 静岡県富士市平垣270-10 ショッピングセンターパピー5階(2010年)
開館年 : 1998年12月中旬
閉館年 : 2010年4月16日
1990年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「富士シネ・プレーゴ」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。

1998年(平成10年)12月中旬、JR富士駅前のショッピングセンター「パピー」に富士シネ・プレーゴが開館予定である。運営は映画館興行の日映。総投資額は約3億5000万円。富士市・富士宮市・芝川町を商圏とし、年間15-20万人の動員、年間2億5000万円の売り上げを見込んでいる。*97

2010年4月16日、富士市唯一の映画館「富士シネ・プレーゴ」が閉館した。JR富士駅北口の商業施設「パピー」5階。6スクリーン計658席。1998年に日映が開館させた。年間約30万人の観客があり採算性は合っていたが、パピーが新耐震基準を満たしていないとして立ち退きが決定した。NPO法人のフィルムコミッション富士は映画館の復活を願って署名運動を開始している。*98

2010年4月16日、富士シネ・プレーゴが12年の歴史に幕を閉じて閉館した。富士市最大のショッピングセンターだったパピー5階に、1998年に日映が開館させた。6スクリーン675席。2008年に核施設であるパピーが耐震性を理由に閉店すると、施設からテナントが続々撤退し、富士シネ・プレーゴが最後まで残っていた。*99

沼津市

金鵄館
所在地 : 静岡県沼津
開館年 : 1915年
閉館年 : 不明
1915年(大正4年)には沼津に初めて活動写真常設館の「金鵄館」が開館した。1階は土間に長椅子が置かれ、2階は畳敷きの席だった。
宝塚劇場
所在地 : 静岡県沼津市大手町
開館年 : 1956年
閉館年 : 不明
岩村渉は戦前に沼津市大手町で弁護士事務所を開いていたが、1946年(昭和21年)には自宅を改築して銭湯の営業を始めた。銭湯はよく流行ったが、1956年(昭和31年)には銭湯をさらに改築して映画館の宝塚劇場を開館させた。脱衣所と浴室の間の壁を取り除いて一つのフロアにし、建物の前面には巨大な看板を掲げた。入場料は大人120円・子ども55円であり、散髪代と映画館代はほぼ同じだった。*100
沼津セントラル劇場
所在地 : 静岡県沼津市大手町200(1958年)
開館年 : 昭和20年代中期以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1999年竣工の複合ビル「アゴラ沼津」。

昭和30年代初期の沼津セントラル劇場の写真あり。1952年のアメリカ映画『ゼンダ城の虜』の看板が見える。あんみつ屋の広告があり、劇場前にはオート三輪が止められている。*101

昭和20年代中期の沼津セントラル劇場の写真あり。英名は「Numazu Central」。洋画専門館だった。沼津市出身の映画監督である原田眞人は、5歳だった1955年に沼津セントラル劇場でアメリカ映画を鑑賞し、自分の仕事を決めたと語っている。*102

菊栄劇場
所在地 : 静岡県田方郡戸田村547(1960年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「菊栄劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
沼津映画劇場
所在地 : 静岡県沼津市上本町72-1(1969年)
開館年 : 昭和30年代中期以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「沼津映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では「1階映画劇場 2階多賀会計事務所」。1971年の住宅地図では「1階沼津映画劇場 2階多賀会計事務所」。本町通交差点の南東角。跡地は「スルガ銀行本店」西側の駐車場。

昭和30年代中期の沼津映画劇場の写真あり。東海道沼津宿の中心地だった本町通交差点南東角(通横町)には、沼津宿の老舗旅館である杉本旅館があった。杉本旅館の経営者は、昭和40年代まで旅館の北側に沼津映画劇場(通称:沼映)を経営していた。スルガ銀行本店の西側である。沼津映画劇場では洋画も邦画も上映された。旅館と映画館が閉館したのちは靴屋などの店舗があったが、現在は駐車場となっている。*103

銀星座/沼津東海劇場
所在地 : 静岡県沼津市下本町211(1960年・1969年)
開館年 : 昭和30年代中期
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「沼津東海劇場」。1968年の住宅地図では「東海劇場」。1971年の住宅地図には掲載されていない。1973年の映画館名簿には掲載されていない。国際劇場の向かいにあった。跡地は「むさし屋」。

昭和30年代中期の銀星座の写真あり。英名は「GINSEIZA」。『謎の人形師』の看板がかかっており、また肉体映画3本立として『花嫁の性典』『裸の女王』『肉体の白書』の看板もかかっている。お色気系のほうが専門館だった。晩年には日活ロマンポルノなどを上映していたが、やがて閉館して取り壊されり、南隣にあった「むさし屋」が映画館の位置に移築された。道路の向かいには姉妹館の国際劇場があり、国際劇場では洋画を上映していた。*104

1959年(昭和34年)現在の沼津ロマンス座の写真あり。「ロマンス座 東海劇場」という看板が見える。*105
沼津中央劇場
所在地 : 静岡県沼津市東高沢町135-55(1960年)、静岡県沼津市東高島町135(1973年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「沼津中央劇場」。1971年の住宅地図では「中央劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。沼津駅北側唯一の映画館だった。

沼津国際劇場
所在地 : 静岡県沼津市下本町201-1(1969年・1973年)
開館年 : 昭和30年代中期
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「沼津国際劇場」。1968年の住宅地図では「沼津国際劇場」。1971年の住宅地図では「国際映画劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。東海劇場の向かいにあった。跡地は駐車場。
文化劇場/戸田文化劇場/戸田文化/戸田劇場
所在地 : 静岡県田方郡戸田村279(1958年・1960年)、静岡県田方郡戸田村879(1980年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1953年の映画館名簿では「文化劇場」。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「戸田文化劇場」。1969年の映画館名簿では「戸田文化」。1976年・1980年の映画館名簿では「戸田劇場」。1973年・1981年のゼンリン住宅地図では879ではなく897の位置に「文化会館」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は民家。静岡県道18号沿いであり「沼津市立戸田中学校」の北東すぐ。
ハラマチ劇場
所在地 : 静岡県沼津市原中町1561(1980年)
開館年 : 1973年以後1976年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「ハラマチ劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
沼津文化劇場
所在地 : 静岡県沼津市上本町通り17(1973年)、静岡県沼津市大手町5-6-25(1985年)
開館年 : 昭和20年代中期
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「沼津文化劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では「文化劇場」。1971年の住宅地図では「沼津文化劇場」。跡地は「沼津信用金庫本店」。

沼津市の上本通りはかつて「シネマ通り」としてにぎわった。洋画の封切館だった沼津文化劇場跡地には沼津信用金庫本店があり、2008年(平成20年)12月13日には旧制沼津中学校出身の映画監督である渡辺邦男監督作『明治天皇と日露戦争』が上映される。1960年代から1970年代の上本通りには10近い映画館があった。上本通り商店街振興組合は2006年(平成18年)から毎年、昭和の名作映画鑑賞会やポスター展を開催している。*106

1960年頃の写真あり。アメリカ映画『腰抜け二挺拳銃の息子』の幕がかかっている。昭和20年代中期には沼津市大手町の本通町に洋画専門館の沼津文化劇場が開館した。『シェーン』などの西部劇、『ローマの休日』などのラブロマンス映画を上映した。この場所に沼津信用金庫が移転することが決定したため、1963年には文化劇場が解体された。1964年には沼津信用金庫本店の建物内北側に再び文化劇場が開館したが、昭和60年代に閉館した。しかし現在も沼津信用金庫本店の建物内には映画館の跡が残っており、昭和の映画をテーマとするイベントが開催されることもある。*107

沼津東海劇場/沼津東映劇場・沼津東映パラス/沼津東映シネマ1・2
所在地 : 静岡県沼津市城内添地町245(1969年・1973年・1976年)、静岡県沼津市添地町245(1980年・1985年)、静岡県沼津市添地町1(1990年・2000年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2002年9月
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1968年の住宅地図では「沼津東映パラス」(原文ママ)。1971年の住宅地図では「沼津東映パレス」(原文ママ)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「沼津東映劇場・沼津東映パラス」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「沼津東映シネマ1・2」(2館)。

2005年(平成17年)9月現在、沼津市立図書館に映画監督の原田真人の展示コーナーを設置する計画が進んでいる。原田は沼津市出身。原田の友人である写真家の池谷俊一が、原田に関連する資料を沼津市に寄贈したことがきっかけ。原田のデビュー作『さらば映画の友よ・インディアンサマー』に登場する「沼津東映」の旗などもある。*108

2002年(平成17年)9月には沼津東映シネマが閉館している。2008年(平成20年)9月12日には静岡東映が閉館し、同年10月3日には浜松東映も閉館する。これによって静岡県から東映の直営館が姿を消す。*109

1958年(昭和33年)には沼津東映劇場が建てられ、邦画は沼津東映劇場、洋画は沼津東映パラス劇場だった。その後、東映作品は1階のシネマ1、洋画は2階のシネマ2となった。座席数はシネマ1が643人、シネマ2が600人。2002年6月(平成14年)には沼津東映閉館の知らせを聞き、さみしい思いである。*110

昭和30年代中期の沼津東海劇場の写真あり。その後本町の銀星座が東海劇場の名前を受け継いでいる。夏休みには東映まんがまつりが開催された。2002年に沼津東映パラスが閉館したのち、建物は取り壊され、跡地は沼津駅西側のあまねガードの一部となった。*111

第一劇場/沼津スカラ座・沼津名画座/沼津プラザ・沼津スカラ座/沼津プラザ・沼津ピカデリー・沼津スカラ座
所在地 : 静岡県沼津市添地、静岡県沼津市上本通り45(1980年)、静岡県沼津市大手町5-12-5(2005年)
開館年 : 1957年以前
閉館年 : 2008年5月
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1968年の住宅地図では「沼津ボウルビル 2階スカラ座 6階名画座」。1971年の住宅地図では「沼津ボウルビル」。1969年の映画館名簿では「沼津スカラ座・沼津名画座」(2館)。1973年・1976年の映画館名簿では「沼津プラザ・沼津スカラ座」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「沼津プラザ・沼津ピカデリー・沼津スカラ座」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1957年の第一劇場の写真あり。当時は邦画専門館であり、任侠映画『花の喧嘩状』の看板がかかっている。昭和30年代後半にはボウルビルに建て替えられ、映画館・ボウリング場・屋内スケート場などが入る娯楽ビルとなった。ジョイランド沼津ボウルビルは2007年に閉鎖された。*112

沼津宝塚劇場・沼津ミラノ座/沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座/沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津グランド劇場/沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津名画座・沼津グランド劇場/沼津宝塚劇場・有楽座/ジョイランドシネマ1・2
所在地 : 静岡県沼津市上本通8(1969年)、静岡県沼津市上本町通り8(1973年・1976年)、静岡県沼津市上本通り8(1980年)、静岡県沼津市大手町5-9-20(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2015年2月27日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1969年の映画館名簿では上本通8に「沼津宝塚劇場・沼津ミラノ座」(2館)。1973年の映画館名簿では上本町通り8に「沼津宝塚劇場・沼津ミラノ座」(2館)。1976年の映画館名簿では上本町通り8に「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座」(3館)。1980年の映画館名簿では上本通り8に「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津グランド劇場」(4館)。1985年の映画館名簿では大手町5-9-20に「沼津宝塚劇場・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津名画座・沼津グランド劇場」(5館)。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では大手町5-9-20に「沼津宝塚・沼津有楽座・沼津ミラノ座・沼津名画座・沼津グランド劇場」(5館)。2010年・2015年の映画館名簿では大手町5-9-20に「沼津宝塚・沼津有楽座」(2館)。2018年の映画館名簿には掲載されていない。

宝塚劇場→ジョイランドシネマ1(300席)、有楽座→ジョイランドシネマ2(283席)は、地上6階・地下1階建てのジョイランド沼津宝塚ビルにあった。以前はグランド劇場(148席)、ミラノ座(235席)、名画座(69席)を含む5館体制だったが、グランド劇場/ミラノ座/名画座は先に閉館している。

このほど、沼津市大手町のジョイランド沼津宝塚ビルにあるミラノ・グランド・名画座がリニューアルオープンした。座席数を30-50席減らして座席間を広げたほか、内装を一新した。*113

沼津シネマ10
所在地 : 静岡県沼津市大手町5-12-5 沼津ボウルビル(1985年・1990年・1995年・2005年)、静岡県沼津市大手町5-9-20 ジョイランド沼津宝塚ビル2階(2010年)
開館年 : 1980年以後1985年以前
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
1985年の映画館名簿では沼津プラザ・沼津ピカデリー・沼津スカラ座と同一ビルだった。2005年以後2010年以前にはジョイランド沼津宝塚ビルに移転した。1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2018年の映画館名簿では「沼津シネマ10」。静岡県東部唯一の成人映画館。

シネマサンシャイン沼津
所在地 : 静岡県沼津市大手町1丁目1-5 BiVi沼津
開館年 : 2006年4月15日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)沼津市街地
2006年4月15日、沼津市のBiVi沼津にシネコン「シネマサンシャイン沼津」が開館した。沼津市出身の映画監督である原田真人の作品を特集上映する「沼津映画WEEK」が開催されており、4月15日には原田監督もトークショーで来館した。*114

2006年(平成18年)4月15日、沼津駅北口にBiVi沼津がオープンし、計1280席の映画館も開館した。沼津駅北口は開発が遅れていたが、1995年(平成7年)に静岡東部特定再開発事務所が駅北拠点開発事業を開始し、2002年(平成14年)には沼津駅北口バスターミナルを整備していた。*115

2015年4月17日、シネマサンシャイン沼津に静岡県で初めて体感型シアター「4DX」が導入される。座席が前後上下に動いたり、水しぶき・風・香り・煙などが再現される。現在は全国で8施設で4DXが導入されている。*116

シネマサンシャインららぽーと沼津
所在地 : 静岡県沼津市 ららぽーと沼津3階
開館年 : 2019年10月4日
閉館年 : 営業中
10スクリーン、計1826席。佐々木興業による15サイト目のシネコン。グランドシネマサンシャインに次ぐ国内2番目の「4DX with ScreenX」、静岡県初のIMAXレーザーを導入。

2019年10月4日には大型商業施設「三井ショッピングパーク ららぽーと沼津」が開店する予定である。10スクリーン約1800席のシネコン「シネマサンシャイン」や娯楽施設の「コロナワールド」が入る。*117

2019年10月4日、「シネマサンシャインららぽーと沼津」が開館する。10スクリーン。東京・池袋の映画館に次いで国内2番目・静岡県初となる体感型シアターが導入される。映像に合わせてシートが動き、水や風が顔にかかるアトラクション的な要素を持つ。*118

御殿場市

御殿場文化劇場/文化劇場
所在地 : 静岡県御殿場市仲町(1958年)、静岡県御殿場市(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿では「御殿場文化劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「文化劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
御殿場新橋劇場
所在地 : 静岡県御殿場市新橋1994(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)御殿場市街地
1960年の映画館名簿では「新橋劇場」。1970年の住宅地図では「マルコシホール」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「さかなや駅前店」。
富士映画劇場/御殿場富士映画劇場/御殿場東映映画劇場/御殿場東映劇場
所在地 : 静岡県御殿場市新橋2046(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)御殿場市街地
1960年・1963年の映画館名簿では「富士映画劇場」。1966年の映画館名簿では「御殿場富士映画劇場」。1969年の映画館名簿では「御殿場東映映画劇場」。1970年の住宅地図では「富士映画」。1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場東映劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
御殿場中央劇場/中央劇場
所在地 : 静岡県御殿場市新橋2001(1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)御殿場市街地
1960年の映画館名簿では「御殿場中央劇場」。1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場中央劇場」。1970年の住宅地図では「中央劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「中央劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
御殿場マウント劇場/マウント映画劇場
所在地 : 静岡県御殿場市新橋1988
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 2012年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)御殿場市街地
1960年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「御殿場マウント劇場」。1980年・1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「マウント映画劇場」。

富士宮市

富士宮市の映画館
まだ映画が活動写真と呼ばれていた時代、富士郡大宮町では3館が営業していた。1917年(大正6年)に開館した南神田の旭館、1920年(大正9年)に開館した南神田の大宮電気館、1920年(大正9年)に開館した松山町の帝国館である。戦後の映画黄金期には7館が営業しており、上記のほかに八光劇場、中央劇場、ロマンス座などがあった。帝国館、第一劇場、東宝映画劇場、東宝劇場と並ぶ文化劇場の写真あり。帝国館は後に東映となった。東宝映画劇場は1982年現在のマルトミ靴店の場所である。文化劇場は現在の有楽座である。*119

大正時代の富士郡大宮町には3館の映画館があった。1917年(大正6年)開館の旭館、1920年(大正9年)開館の大宮電気館、1920年(大正9年)開館の帝国館である。しかし、旭館と電気館は1929年(昭和4年)の大宮町大火で焼失した。戦後には中央劇場やロマンス座などの映画館が開館した。*120
八光劇場
所在地 : 静岡県富士宮市宮本町(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年・1960年の映画館名簿では「八光劇場」。1963年の映画館には掲載されていないと思われる。

富士宮市宮本町(現・宮町)には八光劇場があった。1955年(昭和30年)頃の写真あり。*121
富士宮東宝劇場
所在地 : 静岡県富士宮市本町2丁目
開館年 : 1939年
閉館年 : 1955年以後
富士宮市本町2丁目には、文化劇場と東宝劇場という2つの映画館が並んでいた。時期不明だが両者が並んでいる写真あり。1955年(昭和30年)頃の東宝劇場の写真もあり。文化劇場は1946年(昭和21年)設立であり、東宝劇場は1939年(昭和14年)設立である。*122

富士宮市公式サイトに、昭和30年代の東宝劇場と文化劇場の写真あり。*123
大映劇場/富士宮日活劇場/富士宮名画座
所在地 : 静岡県富士宮市大宮1038(1960年)、静岡県富士宮市宮本町1418(1966年)、静岡県富士宮市宮町11-12(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)富士宮市街地
1960年の映画館名簿では「大映劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「富士宮日活劇場」。1969年の映画館名簿では「富士宮名画座」。1970年の住宅地図では「名画座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「第一交通本社」。最寄駅はJR身延線西富士宮駅。
帝国館/富士宮東映劇場
所在地 : 静岡県富士宮市松山町884(1966年)、静岡県富士宮市西町17-3(1969年・1973年)
開館年 : 1920年
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)富士宮市街地
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「富士宮東映劇場」。1970年の住宅地図では「東映劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン富士宮西町店」。最近まで建物が残っていた可能性がある。最寄駅はJR身延線西富士宮駅。

1920年(大正9年)には帝国館が開館した。1934年の写真あり。『街の灯』(1934年、アメリカ)の看板が見える。1955年頃の帝国館の写真あり。『この広い空のどこかに』(1954年、小林正樹監督)、『大学は出たけれど』(1955年、野村芳太郎監督)、『アパッチ』(1954年、アメリカ)の看板が見える。帝国館は後に東映劇場に改称した。2009年(平成21年)現在の跡地はパチンコ店となっている。*124
富士宮中央劇場
所在地 : 静岡県富士宮市元町957(1960年・1966年)、静岡県富士宮市宮町9-3(1969年・1976年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)富士宮市街地
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「富士宮中央劇場」。1970年の住宅地図では「中央劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「エンクルーズ株式会社」東側の空き地。最近まで建物が残っていた可能性がある。JR身延線富士宮駅と西富士宮駅からほぼ等距離。
富士宮文化劇場/富士宮有楽座/東宝有楽座
所在地 : 静岡県富士宮市本町2丁目(1960年)、静岡県富士宮市大宮1047(1966年)、静岡県富士宮市大宮町10-12(1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1980年以後1985年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)富士宮市街地
1960年の映画館名簿では「富士宮文化劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「富士宮有楽座」。1970年の住宅地図では「有楽座」。1980年の映画館名簿では「東宝有楽座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は衣料品店「リトルファッション・ヴィラ」。最寄駅はJR身延線富士宮駅。

富士宮市本町2丁目には、文化劇場と東宝劇場という2つの映画館が並んでいた。時期不明だが両者が並んでいる写真あり。文化劇場は1946年(昭和21年)設立であり、東宝劇場は1939年(昭和14年)設立である。*125

富士宮市公式サイトに、昭和30年代の東宝劇場と文化劇場の写真あり。*126
富士宮ロマンス座/東映ロマンス
所在地 : 静岡県富士宮市宝来町316(1960年)、静岡県富士宮市宮町3-4(1969年)、静岡県富士宮市宮町5-34(1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1990年以降1995年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)富士宮市街地
1960年の映画館名簿では「ロマンス座」。1970年の住宅地図では「ロマンス座」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「富士宮ロマンス座」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「東映ロマンス」。跡地は「静岡県富士山世界遺産センター」北東側の駐車場。JR身延線富士宮駅と西富士宮駅からほぼ等距離。
松竹座/富士宮第一劇場/第一劇場
所在地 : 静岡県富士宮市栄町228-3(1960年)、静岡県富士宮市大宮町24-2(1969年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1934年以前
閉館年 : 1990年以後1995年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)富士宮市街地
1960年の映画館名簿では「第一劇場」。1970年の住宅地図では「第一劇場」。1963年・1966年・1969年・1976年の映画館名簿では「富士宮第一劇場」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「第一劇場」。跡地は「クリエイトS・D富士宮大宮店」南東のブロック北側の駐車場。最寄駅はJR身延線富士宮駅。

松竹座は客席数が多かった。5階建て以上である1934年(昭和9年)の建物の写真あり。後に第一劇場に改称した。1955年(昭和30年)頃の第一劇場の写真あり。*127

富士宮市公式サイトに、第一劇場の写真あり。*128
イオンシネマ富士宮
所在地 : 静岡県富士宮市浅間町1-8 イオンモール富士宮3階
開館年 : 2010年11月19日
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)富士宮市街地
6スクリーンのシネコン。

2010年11月19日、富士宮市のイオン富士宮ショッピングセンターにイオンシネマ富士宮が開館する。6スクリーン909席。2010年4月にJR富士駅前の富士シネ・プレーゴが閉館してから、約半年間にわたって岳南地域は映画館空白地帯だった。静岡県東中部だけではなく、山梨県南部も商圏に見込んでいる。*129

2010年11月19日、富士宮市のイオン富士宮ショッピングセンターにイオンシネマ富士宮が開館する。6スクリーン909席。イオンシネマズの出店は静岡県初。*130

裾野市

裾野キング劇場
所在地 : 静岡県駿東郡裾野町平松(1958年)、静岡県駿東郡裾野町(1963年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「裾野キング劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1955年以後に裾野文化劇場に改称した可能性がある。
裾野文化劇場
所在地 : 静岡県駿東郡裾野町(1963年)
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1963年の映画館名簿では「裾野文化劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1955年以後に裾野キング劇場から改称した可能性がある。
裾野演芸館
所在地 : 静岡県駿東郡裾野町(1966年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)裾野市街地
1955年・1963年・1966年の映画館名簿では「裾野演芸館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の住宅地図では「裾野演芸館」。跡地は「服部パーキング」。「竹水園工場」の北。「秀英予備校裾野駅前校」の北東。

駿東郡清水町

シネプラザサントムーン
所在地 : 静岡県駿東郡清水町玉川61-2 サントムーン柿田川本館
開館年 : 2007年12月22日
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。

2007年12月22日、駿東郡清水町に映画館「シネプラザサントムーン」が開館する。12スクリーンや計2004席はいずれも静岡県最大級。静岡県東部では5施設目のシネコン。経営は静岡市の静活。*131

駿東郡小山町

須走セントラル劇場
所在地 : 静岡県駿東郡小山町須走241(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「須走セントラル劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
労働会館
所在地 : 静岡県駿東郡小山町小山47(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「労働会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
小山中央劇場
所在地 : 静岡県駿東郡小山町藤曲54(1960年)、静岡県駿東郡小山町音渕(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前閉館
1953年・1955年・1960年・1969年の映画館名簿では「小山中央劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
小山映画劇場
所在地 : 静岡県駿東郡小山町藤曲73(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1953年・1955年・1960年・1969年の映画館名簿では「小山映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

駿東郡長泉町

映画館名簿によると長泉町に映画館は存在しなかったと思われる。

伊豆

熱海市

熱海市の映画館
1953年(昭和28年)現在の熱海市には、大映系の国際劇場、東宝系の東宝劇場、松竹系のロマンス座の3館の映画館がある。ダンスホールは熱海地区に2軒、和田木に1軒あるが、ホールの設備がある旅館も多い。*132

1953年(昭和28年)に熱海市役所が刊行した『熱海』には熱海市街地図が掲載されている。主要な施設も記されており、映画館としては「国劇」(熱海国際劇場)、「宝劇」(熱海東宝劇場)、「熱劇」(後の熱海大映)、「ロマンス座」の4館が記されている。*133
電気館
所在地 : 静岡県熱海市
開館年 : 1933年頃
閉館年 : 1944年
跡地は「静岡中央銀行熱海支店」の西側にある「静岡銀行提携駐車場」。

1933年(昭和8年)頃、銀座通りに映画館の電気館が開館した。開館当日の記念写真あり。熱海で初めて無声映画を上映した映画館である。1934年(昭和9年)の丹那トンネル開通式の日には、旗行列の後に『ああ無情』(※どの作品か不明)を上映した。1944年(昭和19年)には本町の火災で電気館が焼失。1950年(昭和25年)の熱海大火後、電気館跡地にはスルガ銀行・静岡銀行・静岡中央銀行・藍沢証券などが建ち、銀座通りは熱海一の繁華街から金融街となった。2006年(平成18年)現在の電気館跡地は駐車場となっている。*134
国際劇場/熱海国際劇場
所在地 : 静岡県熱海市本町2-27(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1955年の映画館名簿では「国際劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熱海国際劇場」。1974年の住宅地図では「国際劇場」。跡地は「熱海ニューフジヤホテル」南東側の商店群の中央部。アカデミー劇場の前身館であるとされる。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「国劇」とある。*135
熱海日活
所在地 : 静岡県熱海市渚町20-7(1969年)
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熱海日活」。1971年の住宅地図では「熱海日活」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に「アタミトルコ」。跡地は「魯風人」がある商業ビル東側の駐車場。
熱海大映
所在地 : 静岡県熱海市清水町5-7(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熱海大映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1971年のゼンリン住宅地図では「京王直営ホテル熱海園 熱海大映劇場」。1974年の住宅地図では跡地に「ホテル熱海園」。跡地は「マルゲン59ビル」。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「熱劇」とある。当時は旭町という地名だった。*136
宝塚劇場/熱海宝塚劇場/熱海東宝劇場
所在地 : 静岡県熱海市中央町13-4(1969年)、静岡県熱海市中央町14(1973年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1953年・1955年の映画館名簿では「宝塚劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「熱海宝塚劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「熱海東宝劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の住宅地図では東宝会館であるとして「熱海東宝劇場 熱海行業KK」。1974年の住宅地図では熱海東宝会館5階に「熱海東宝劇場」。跡地は「国際観光専門学校熱海校」。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「宝劇」とある。当時は旭町という地名だった。*137
アタミアカデミー/熱海アカデミー劇場
所在地 : 静岡県熱海市銀座1-4(1980年)
開館年 : 1969年以後1973年以前
閉館年 : 1980年4月25日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「アタミアカデミー」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。熱海ニューフジヤホテル地下にあった。1971年の住宅地図ではこの場所に「ニューフジヤホテル」がある。国際劇場の後継館であるとされる。
熱海名画座/熱海日活名画座
所在地 : 静岡県熱海市清水町1-16(1969年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「熱海名画座」。1976年・1980年の映画館名簿では「熱海日活名画座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では「日活名画座」。跡地は初川に架かる清水橋南すぐの「高橋薬局」。
熱海東映テアトルナギサ/熱海ナギサ映画劇場/熱海東映ナギサ
所在地 : 静岡県熱海市渚町10-5
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1960年の映画館名簿では「熱海東映テアトルナギサ」。1963年の映画館名簿では「熱海東映ナギサ」。1966年・1969年の映画館名簿では「熱海ナギサ映画劇場」。1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「熱海東映ナギサ」。1971年・1974年の住宅地図では「東映ナギサ」。跡地は「ローソン熱海渚店」。
熱海ロマンス座
所在地 : 静岡県熱海市銀座8-9(1976年・1980年)、静岡県熱海市銀座8-13(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 2002年1月19日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
1971年・1974年の住宅地図では「ロマンス座」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「熱海ロマンス座」。2002年の休館後も映画館名簿には掲載され続けている。熱海市最後の映画館。

1953年(昭和28年)の『熱海』に掲載されている熱海市街地図では「ロマンス座」とある。*138

熱海ロマンス座が2002年1月19日から休館する。新文化興業の矢田文之社長が2001年12月に69歳で亡くなり、後継者もいないため。支配人は67歳の松浦良吉であり、47年間も映写技師としてフィルムを回してきた。1951年にロマンス座が開館。熱海市に7館あった映画館は相次いで閉館し、最後まで残った。十数年前から伊豆半島を回る移動映画会を開いてきたが、1月20日の伊東市の移動映画会を最後に終了する。*139
熱海銀座劇場
所在地 : 静岡県熱海市銀座町5−5
開館年 :
閉館年 : 営業中
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)熱海市街地
映画館ではなくストリップ劇場。2019年時点でも営業中。静岡県唯一のストリップ劇場。

三島市

三島市の映画館
大正時代の三島には、六反田(現・広小路町)の歌舞伎座、大中島(現・本町)の堀内座、久保町(現・中央町)の大正座など、5館の劇場があった。昭和戦前期には第1三島館、第2三島館、富士館(のちのセントラル)、銀座劇場の映画館が開館した。戦後期には東海劇場、新日本劇場、中央劇場、東映劇場の映画館が開館し、最盛期の三島市には8館の映画館があった。*140

静岡県賀茂郡賀茂村長の山本正和は、1951年から1954年に静岡県立田方農業高校に在学した。山本は三島市内に寄宿して高校に通い、当時の三島市に6館あった映画館に入り浸り、在学中の3年間で500本近く鑑賞した。映画館と独自に交渉し、月に1回の田方農業高校生半額デーを設けてもらった。*141
三島東映劇場
所在地 : 静岡県三島市伝馬町1220(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「三島東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
第一三島館
所在地 : 静岡県三島市茶町1921(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「第一三島館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
第二三島館
所在地 : 静岡県三島市六反田1849(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「第二三島館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
三島朝日劇場/太陽朝日座
所在地 : 静岡県三島市大場79(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿では「三島朝日劇場」。1963年の映画館名簿では「太陽朝日座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
三島東海劇場
所在地 : 静岡県三島市芝町1-4(1960年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「三島東海劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
三島国際劇場/三島劇場
所在地 : 静岡県三島市(1966年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1963年の映画館名簿に国際劇場という名称の映画館は掲載されていないが、他館から改称した可能性が高い。1966年の映画館名簿では「三島国際劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
中央劇場/三島中央劇場
所在地 : 静岡県三島市本町3-38(1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)三島市街地
1971年の住宅地図では「中央劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「三島中央劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では跡地に「第三勧業銀行三島支店」。現在の跡地は「みずほ銀行三島支店」。
富士館/セントラル劇場/三島セントラル劇場
所在地 : 静岡県三島市本町2-27(1969年・1980年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1985年8月31日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)三島市街地
1971年・1978年の住宅地図では「セントラル劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「三島セントラル劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は空き地。
三島銀座劇場/三島明宝劇場・三島有楽座/明宝劇場・有楽座
所在地 : 静岡県三島市南本町2-27(1969年)、静岡県三島市南本町2-2(1980年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1985年8月31日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)三島市街地
1971年の住宅地図では「銀座劇場」。1978年の住宅地図では「明宝劇場・有楽座」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「三島銀座劇場」。1976年の映画館名簿では「三島明宝劇場・三島有楽座」。1980年・1985年の映画館名簿では「明宝劇場・有楽座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
ジョイランドシネマみしま
所在地 : 静岡県三島市梅名308-6
開館年 : 1997年11月
閉館年 : 営業中
6スクリーンのシネコン。

1997年11月、三島市に6スクリーンが入った映画館「ジョイランドシネマみしま」が開館した。経営は沼津市に本社を置く東部事業。3階に映画館の6スクリーンがあり、1階はゲームセンターとパチンコ店、2階はボウリング場がある総合娯楽ビルである。静岡県でシネコン(複合映画館)の開館は初となる。浜松市や清水市でもシネコンの建設が計画されている。榛原町に本社を置く戸塚興業は、かつて掛川市などで約20館の映画館を経営していたが、1991年に掛川座を閉館させて映画館経営から完全撤退した。*142

静岡県東部は半径5km圏内にシネコン3施設がある激戦区である。2008年には静岡県最多の12スクリーンを有する「シネプラザサントムーン」が開館し、「ジョイランドシネマみしま」は大きな影響を受けている。ジョイランドシネマみしまはシネコンでは珍しく入れ替え梨の自由席を採用しており、「同じ作品なら何度も見られる」という。シネプラザサントムーンは単館系作品も積極的に上映して幅広い客層を取り込もうとしている。2006年に沼津駅前に開館した「シネマサンシャイン沼津」は、学生が多い駅前の立地を生かそうと若者向けの作品を増やし、3D上映が可能なスクリーンも増やした。静岡県西部にある3つのシネコンはいずれもTOHOシネマズが運営しており、相乗効果で地域全体の観客動員数の底上げにつながっているという。*143

伊東市

伊東市の映画館
1951年に再建された伊東劇場は、収容人数1200人で静岡県最大の大きさだった。伊東劇場の隣には洋画専門館のロキシーがあり、さらに松竹館、演舞場、銀映と、伊東市街地には5館の映画館があった。郡部には相良劇場、テアトル(八幡野)、文化館(富戸)、宇佐美座(宇佐美)があった。大衆娯楽のうち最初に衰退したのは映画館であり、1963年10月の5館の入館者数計2万7326人は、前年同月に比べて1万310人も減少した。1館あたりでは1日平均182人という少なさだった。伊東劇場も1970年に閉館。最後まで残ったのは銀映だったが、1987年に32年の歴史の幕を閉じた。*144

1963年10月の伊東市街地の映画館5館の入場者数は計2万7326人であり、売上高は計482万1700円だった。1962年10月は計3万7636人であり、売上高は539万7000円だったため、入場者数は27%減少、売上高は11%減少となった。1963年の5館の1日平均入場者数は910人であり、1館当たりでは1日平均182人だった。テレビが普及したことや、レジャーブームで娯楽施設が豊富になったことが要因に挙げられる。*145*146
キネマホール
所在地 : 静岡県賀茂郡伊東町
開館年 : 1920年8月14日
閉館年 : 1945年以前
1930年の映画館名簿では「キネマホール」。

伊東市有数の商店街であるキネマ通りの名前の由来になったのはキネマホールである。1920年(大正9年)8月14日に開館式を行い、まだ映画が「活動写真」と呼ばれていた時代にキネマホールというハイカラな館名を付けた。キネマホールは火災に遭って短命に終わった。*147
宇佐美劇場
所在地 : 静岡県伊東市宇佐美城宿(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「宇佐美劇場」。1955年に伊東市と合併した旧宇佐美村。最寄駅はJR伊東線伊東駅と思われる。
テアトル八幡野/八幡野テアトル
所在地 : 静岡県伊東市対島区八幡野(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿では「テアトル八幡野」。1963年の映画館名簿では「八幡野テアトル」。最寄駅は伊豆急行線伊豆高原駅と思われる。
ロキシー劇場/伊東ロキシー/伊東東映ロキシー
所在地 : 静岡県伊東市松原602(1963年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「ロキシー劇場」。1960年の伊東市明細図・1963年の伊東市住宅明細図では「映画劇場ロキシー(山田)」。1960年の映画館名簿では「伊東ロキシー」。1963年の映画館名簿では「伊東東映ロキシー」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の映画館名簿では跡地に「ロキシー駐車場」。現在の跡地はアーケード南端部にある「セントラルビル」であり定食屋「椿や」やガールズバー「ミラージュ」などが入っている。最寄駅はJR伊東線伊東駅。

伊東東映演舞場/伊東日活演舞場
所在地 : 静岡県伊東市松原602(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1960年の映画館名簿では「伊東東映演舞場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「伊東日活演舞場」。1970年のゼンリン住宅地図では「伊東日活」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「手打庵松原店」。最寄駅はJR伊東線伊東駅。

伊東松竹館/テアトルマルマン劇場/テアトル丸万
所在地 : 静岡県伊東市松原1-1(1969年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1930年の映画館名簿では「松竹館」。1950年の映画館名簿では「伊東松竹館」。1953年・1955年の映画館名簿では「松竹館」。1960年の映画館名簿では「伊東松竹館」。1960年の伊東市明細図では「映画劇場 第二東映」。1963年の伊東市住宅明細図では「テアトルマルマン」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「テアトル丸万」。1970年のゼンリン住宅地図では「テアトルマルマン」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。旅館「山望館」の北西30m。最寄駅はJR伊東線伊東駅。

1965年(昭和40年、※ただし映画ポスターはいずれも1967年)頃のテアトルマルマン劇場の写真あり。劇場通り(現・中央町通り)にあった伊東市を代表する映画館である。『日本侠客伝 白刃の盃』(1967年)や『博奕打ち』(1967年)などの看板が見える。「テアトルマルマン」「THEATRE MARUMAN」などの看板が見える。*148

伊東劇場
所在地 : 静岡県伊東市松原507(1969年)、静岡県伊東市中央町7-2(1973年・1976年)
開館年 : 1918年5月15日
閉館年 : 1970年
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1960年の伊東市明細図・1963年の伊東市住宅明細図では「伊東劇場」であり小さな「喫茶マルマン」という建物が併設されている。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「伊東劇場」。1970年のゼンリン住宅地図では「伊東劇場」であり小さな「マルマン」という建物が併設されている。1978年の住宅地図では「伊東劇場」であり小さな「マルマン」という建物が併設されている。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「フリーマーケットベル」の西側の立体駐車場。「チグサ美容室」の向かい。2006年6月24日には敷地北側に「キネマカフェ伊東劇場」が開店したが、2009年12月10日に閉店した。

1918年(大正7年)5月15日、再築中の伊東劇場が完成し、盛大に舞台開きが開催された。*149

伊東劇場は1970年(昭和45年)まで営業を続けた。(※映画館名簿とは閉館時期に6年以上のずれが生じるが理由は不明)*150

伊東銀座映画劇場/伊東銀映オリオン
所在地 : 静岡県伊東市玖須美元竹之内(1960年)、静岡県伊東市玖須美元竹之内125(1969年・1973年)、静岡県伊東市銀座元町6-10(1976年・1980年)、静岡県伊東市銀座元町6-11(1985年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1987年4月5日
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)伊東市街地
1960年の伊東市明細図・1963年の伊東市住宅明細図では「映画劇場 伊東銀映」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「伊東銀座映画劇場」。1970年のゼンリン住宅地図では「伊東銀座映画劇場」。1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「伊東銀映オリオン」。1978年の住宅地図では「銀映オリオン」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。伊東市最後の映画館。跡地は「伊東市商工会議所」。

伊東銀映の開館間もない頃には東映と大映を上映し、上映作品は時代劇が多かった。俳優の大友柳太郎が映っている1956年(昭和31年)頃の写真あり。*151

1987年4月5日、伊東銀映オリオンが32年間の歴史に幕を閉じて閉館する。映画全盛期の1955年、伊東劇場・ロキシー・松竹館・演舞場に次ぐ市内5番目の映画館として、伊東市銀座元町に創業した。1986年8月、伊東銀座興業株式会社の株主総会において、映画人口の減少、建物の老朽化、幼稚園児への環境問題などを理由に閉館を決定。セブンイレブンやスーパーの誘致なども検討されたが、建物は取り壊すことが決定し、726m2の敷地を商工会館の建設地とする案が有力である。増田郁雄社長、資本金1200万円。*152*153

伊東市に最後まで残った映画館は銀映であるが、1987年に32年の歴史の幕を閉じた。*154

下田市

白浜座
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町白浜1778(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「白浜座」。1971年のゼンリン住宅地図では確認できなかった。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1955年に下田市に合併した旧白浜村。
下田湊座
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町黒船通(1969年)
開館年 : 1884年4月19日
閉館年 : 1969年8月26日
1960年の映画館名簿では「下田湊座」。1963年の映画館名簿では「港座」。1966年・1969年の映画館名簿では「下田湊座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は伊豆急行線伊豆急下田駅だと思われる。

1884年4月19日には港座(※湊座ではなく港座)が創業した。*155

1969年8月26日には港座(※湊座ではなく港座)が閉館し、娯楽センターと駐車場になった。*156
下田黒船センター
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町白浜黒船通(1969年)、静岡県下田市3-1-4(1976年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)下田市街地
1960年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「下田黒船センター」。1971年・1976年のゼンリン住宅地図では「黒船センター」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1971年時点の跡地は「下田ボウル」。1976年時点の跡地は「ヤオハン下田店」。現在の跡地は「マックスバリュエクスプレス下田銀座店」の南東角。最寄駅は伊豆急行線伊豆急下田駅。
三幸館/下田三幸館
所在地 : 静岡県賀茂郡下田町銀座通(1969年)、静岡県下田市2-11-20(1976年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
地図 : 消えた映画館の記憶地図(全国版)下田市街地
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「三幸館」。1971年・1976年のゼンリン住宅地図では「三幸館」。1971年時点では右隣には「誠心薬局」が、1976年時点では「尾形薬局」があった。1971年時点・1976年時点で左隣には「藤田呉服店」があった。1971年・1976年時点で現在の立体駐車場の場所には「東京電力沼津支店下田営業所」があった。1973年・1976年の映画館名簿では「下田三幸館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「尾形薬局本店」左側の空き地。最寄駅は伊豆急行線伊豆急下田駅。

伊豆市

出口劇場
所在地 : 静岡県田方郡天城湯ヶ島町(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「出口劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
桂座
所在地 : 静岡県田方郡修善寺町3463-2(1960年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年・1953年・1960年・1963年の映画館名簿では「桂座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
伊豆中央劇場/修善寺中央劇場
所在地 : 静岡県田方郡修善寺町柏久保(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1960年の映画館名簿では「伊豆中央劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「修善寺中央劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。
演芸館/土肥演芸館/土肥劇場
所在地 : 静岡県田方郡土肥町土肥311(1980年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1980年以後1985年以前
1950年の映画館名簿では「演芸館」。1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「土肥演芸館」。1973年のゼンリン住宅地図では「演芸館」。1973年・1980年の映画館名簿では「土肥劇場」。1981年のゼンリン住宅地図では「土肥劇場」。跡地は「スナック雅」。映画館の建物を転用していると思われる。

伊豆の国市

菖蒲座
所在地 : 静岡県田方郡伊豆長岡町54(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「菖蒲座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
大仁劇場
所在地 : 静岡県田方郡大仁町(1966年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1953年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「大仁劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

賀茂郡東伊豆町

東伊豆町の映画館
稲取地区にはオリオン劇場と中央劇場、城東地区には白田劇場と熱川劇場などがあったが、昭和40年代初頭には中央劇場を除く3館が閉館した。*157
白田映画劇場/白田劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡城東村(1960年)、静岡県賀茂郡東伊豆町(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年の映画館名簿では「白田映画劇場」。1963年の映画館名簿では「白田劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
熱川映画劇場/熱川劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡城東村(1960年)、静岡県賀茂郡東伊豆町熱川(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1971年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「熱川映画劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「熱川劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「熱川映画」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は民家。最寄駅は伊豆急行線熱川駅。
オリオン劇場/オリオン座
所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町(1960年)、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取801(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1971年以前
1960年の映画館名簿では「オリオン劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「オリオン座」。1971年の住宅地図では801に「鈴木常男」邸がある。1973年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「宿」。最寄駅は伊豆急線伊豆稲取駅。
喜遊座/中央劇場/稲取中央劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡稲取町、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取415(1969年)
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1978年
1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「稲取中央劇場」。1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1969年・1976年の映画館名簿では「稲取中央劇場」。1971年のゼンリン住宅地図では「稲取中央劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「中央プラザ」。最寄駅は伊豆急線伊豆稲取駅。『伊豆半島の昭和』や『伊東・伊豆・下田今昔写真帖』に写真あり。

大正時代には喜遊座という芝居小屋だったが、のちに映画館の稲取中央劇場となった。1978年(昭和53年)に閉館した後は、中央プラザとしてヤオハンの衣料部がテナントに入っていたが、2006年(平成18年)現在は福祉関係の事務所が一部を利用している。1950年の写真あり。*158

1951年(昭和26年、※ただし映画ポスターは1952-53年)頃の賀茂郡稲取町にあった「中央劇場」の写真あり。『銭形平次捕物控 からくり屋敷』(1953年)や遠山金四郎シリーズの『飛びっちょ判官』(1952年)の写真あり。*159

賀茂郡河津町

河津座
所在地 : 静岡県賀茂郡河津町谷津(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「河津座」。1971年のゼンリン住宅地図では「河津座」。「寺林プロパン商会」から道路を挟んで南東の向かい。寺林プロパン商会は1971年当時からあった。
峰キネマ
所在地 : 静岡県賀茂郡河津町峰(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「峰キネマ」。1971年の住宅地図では確認できなかった。
天城クラブ
所在地 : 静岡県賀茂郡河津町湯ケ野19-1(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後
1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「天城クラブ」。1971年のゼンリン住宅地図では「天城クラブ」。当時からある「坪井魚店」の7軒南東。

賀茂郡南伊豆町

南中座
所在地 : 静岡県賀茂郡南伊豆町(1963年)
開館年 :
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「南中座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

賀茂郡松崎町

セントラル劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡松崎町(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
松崎劇場/松崎映画劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡松崎町355(1969年・1976年・1985年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1995年以後2000年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「松崎劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1973年のゼンリン住宅地図では「松崎劇場」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「松崎劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1981年のゼンリン住宅地図では跡地に「喫茶メルヘン」。1985年の映画館名簿では「松崎映画劇場」。1995年の映画館名簿では「松崎映劇」。跡地は「ファミリー焼肉大門」。

賀茂郡西伊豆町

安良里劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡賀茂村(1963年)
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「安良里劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
宇久須劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡賀茂村(1966年)
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「宇久須劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
田子劇場
所在地 : 静岡県賀茂郡西伊豆町(1963年)、静岡県賀茂郡西伊豆町田子(1980年)、静岡県賀茂郡西伊豆町田子1155-1(1985年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1945年
閉館年 : 2010年以後2015年以前
1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「田子劇場」。1973年・1981年のゼンリン住宅地図では「田子劇場」。跡地は「かしわや食堂」。「かしわや食堂」とは同一建物なのか隣接する建物なのか不明。

伊豆半島の中央部・南部唯一の映画館である田子劇場は、1999年現在でも営業を続けている。100席と小さな映画館であり、戦後すぐの1945年(昭和20年)に開館した。当時は娯楽が乏しい時代であり、立ち見は当たり前、連日盛況だった。カツオ漁船に乗り組んでいた漁師は、漁から戻ると映画を観て一杯やるのが楽しみだった。2代目経営者の真野昭元(65歳)は、合わせて経営している飲食店の収入で食いつないでいる。アクション作品やアニメ作品は観客が多いが、文芸作品は観客が少ないという。*160

田方郡函南町

映画館名簿によると函南町に映画館は存在しなかったと思われる。

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