日本の映画館の総合データベースです。

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山形市

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米沢市

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鶴岡市

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酒田市

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村山地方

寒河江市

寒河江常盤館/常盤館
所在地 : 山形県西村山郡寒河江町(1950年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1950年頃

寒河江銀映劇場/寒河江銀映
所在地 : 山形県寒河江市六供町340(1963年)
開館年 : 1956年9月10日
閉館年 : 1963年頃


1955年頃、寒河江市の六供町商店街の発展策として阿部伊助の所有地に映画館「銀映」が開館した。寒河江高校の試験日などには試験後の高校生が集まった。8年後の1963年には火災で541m2が焼失し、そのまま閉館となった。*1

1956年9月9日には村山市に「シネマ村山」が、9月10日には寒河江市に「サガエ銀映」が開館した。いずれも木造2階建てを新築した。経営は山形市の宮崎合名社であり、シネマ村山は村山商工会と、サガエ銀映は玉羽惣一と共同で経営する。宮崎合名社の社長は宮崎健。*2

宇井啓『さがえ風土記』寒河江地域史研究会、2010年は寒河江銀映に言及している。現物は未確認。*3
白岩映画劇場
所在地 : 山形県寒河江市白岩134(1965年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1965年頃
跡地は「中町公民館」北東40mの車庫。最寄駅はJR左沢線羽前高松駅。


戦後、寒河江市の三山電鉄白岩駅の北東方向向かいに「白岩映画館」が開館した。発起人は横山清一や工藤善兵衛であり、経営の中心は横山だった。『赤胴鈴之助』、『マタンゴ』、『愛と死を見つめて』、『二十四の瞳』などが上映された。寒河江市街地で上映されたフィルムが白岩に送られ、その後海味の映画館に送られたとされる。建物は公民館としても用いられた。*4

ワタナベ工房が制作した1955年頃の「白岩町並図」には「白岩映画館」が描かれている。*5
寒河江映画劇場/寒河江映劇
所在地 : 山形県寒河江市本町2-1-34(2006年)
開館年 : 1931年8月
閉館年 : 2006年頃
跡地は「本願寺」東南東60mの駐車場。最寄駅はJR左沢線寒河江駅。


1929年、寒河江本願寺の門前に映画館「昭和クラブ」が開館した。寒河江小学校東体操場の木材の払い下げを受けて建てられている。舞台があり、1階は椅子席、2階は畳敷きだった。1931年頃にはサイレント映画からトーキー映画に移行した。戦後には「寒河江映画劇場」に改称し、学校児童の集団映画鑑賞なども行われた。寒河江映画劇場の写真あり。*6

1930年5月、寒河江町に「昭和クラブ」が開設された。後の「寒河江映画劇場」である。*7

1930年5月、寒河江町に「昭和クラブ」が開設された。後の「寒河江映画劇場」である。*8

1955年頃の寒河江市の道場小路には「寒河江映画劇場」や本願寺があった。*9

「寒河江映画劇場」に言及している雑誌記事として、『サライ』1993年5月20日号がある。*10

村山市

シネマ村山
所在地 : 山形県村山市楯岡4691(1970年)
開館年 : 1956年9月9日
閉館年 : 1970年頃
跡地は「楯岡幼稚園」西北西60mの駐車場。最寄駅はJR山形線村山駅。


1956年9月9日には村山市に「シネマ村山」が、9月10日には寒河江市に「サガエ銀映」が開館した。いずれも木造2階建てを新築した。経営は山形市の宮崎合名社であり、シネマ村山は村山商工会と、サガエ銀映は玉羽惣一と共同で経営する。宮崎合名社の社長は宮崎健。*11
楯岡劇場/楯岡座/市民座/楯岡市民座
所在地 : 山形県村山市楯岡晦日町4691(1978年)
開館年 : 大正初期
閉館年 : 1978年頃
跡地は「佐藤眼科クリニック」。最寄駅はJR山形線村山駅。


明治時代、村川太蔵の資材によって芝居小屋「面白座」が開場した。大正初期には楯岡町の有力者らが資金を出しあって「楯岡座」に変わり、1933年には楯岡座で上映される作品がオールトーキーとなった。座席はござが敷かれた枡席、2階は自由席であり、座席の右側に花道があった。後に「市民座」に改称し、1951年頃には映画専門館に転向した。*12

1891年4月5日には楯岡大火が起こり、520棟が焼失した。1999年現在の十日町には大石書店があるが、その裏手にあった喜早伊勢治宅が火元である。南側は新町の高宮酒造の石蔵まで延焼した。西側は大通りから楯岡座に抜ける小路の近くより南に広がった。*13

1932年頃の楯岡町の「楯岡座」で催された時局講演会の写真あり。*14

テレビがない時代の楯岡町には常設劇場「楯岡座」があった。*15

上山市

松竹館/日活館
所在地 : 山形県南村山郡上山町二日町(1936年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前

常盤館/第五常盤館
所在地 : 山形県南村山郡上山町矢来町(1936年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前

春日館
所在地 : 山形県南村山郡上山町(1943年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前


上山町の上山駅前通りにあった劇場「明治座」の写真あり。1905年の日露戦争後に上山町で初めて開館した劇場である。*16

上山町の上山駅前にあった映画館「春日館」(かすがかん)の写真あり。前身は芝居小屋の「明治座」であり、大正末期から昭和初期に経営者が交代して活動常設館の春日館となった。*17
オリオン座
所在地 : 山形県南村山郡上山町(1947年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前

上の山国際劇場/国際劇場/上山国際劇場
所在地 : 山形県上山市北町田中1215(1966年)
開館年 : 1951年3月
閉館年 : 1966年頃

隆盛座/松竹常盤館/常盤館/トキワ館/上山常盤館/上山トキワ館
所在地 : 山形県上山市沢丁2-20(1996年)
開館年 : 1921年頃、1933年10月
閉館年 : 1996年頃
跡地は「荘内銀行 上山支店」西110mの「チャレンジひろばZERO」。最寄駅はJR山形新幹線・奥羽本線かみのやま温泉駅。


1921年には上山町の城南沢丁に新湯が開削され、十日町から親湯に至る新道に活動写真館「隆盛座」が建てられた。昭和初期に経営者が変わり、「常盤館」に改称して松竹作品の上映館となった。*18

天童市

藤野キネマ
所在地 : 山形県東村山郡天童町(1936年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前

文化劇場
所在地 : 山形県天童市本町甲850(1960年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1960年頃

天童自由館/自由館
所在地 : 山形県天童市本町850(1964年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1964年頃

天童劇場
所在地 : 山形県天童市天童甲822(1989年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1989年頃
跡地は「コンフォートホテル天童」。最寄駅はJR山形線天童駅。


『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 天童』国書刊行会、1984年には昭和初期の「天童劇場」の写真が掲載されている。現物は未確認。*19

昭和初期の天童駅前にあった「天水座」の写真あり。2004年には跡地にホテルが建てられた。2005年現在の跡地の写真あり。*20

1922年、無声映画を上映する「天童劇場」が開館した。*21
イオンシネマ天童
所在地 : 山形県天童市芳賀タウン北4-1-1 イオンモール天童2階(2025年)
開館年 : 2014年3月21日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR奥羽本線天童南駅。

東根市

第二神映
所在地 : 山形県東根市大字若木9088-47(1963年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1963年頃

東映劇場/東根映画劇場
所在地 : 山形県東根市東根69-1(1964年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1964年頃


1925年、東根町三日町に「東根劇場」ができた。*22

1925年、東根町に「東根劇場」ができた。*23

1955年頃の東根市荒宿にあった「東映劇場」で行われた成人式の写真あり。大きな公共ホールがなかったため映画館が会場となっていた。東映劇場は1949年に開館した。*24
国際神映
所在地 : 山形県東根市神町84(1987年)
開館年 : 1952年7月
閉館年 : 1987年頃
跡地は「おおつか歯科」南10mの建物。最寄駅はJR山形線神町駅。


1952年頃の東根市神町の中心部の写真あり。左の建物は「国際神映」であり、神映ビヤホールの文字も見える。戦後の神町には米軍神町キャンプが建設された。*25

1955年の東根市の「神映」前を行進するアメリカ軍楽隊の写真あり。*26

昭和30年代の東根市にあった映画館「国際神映」の写真あり。1952年に開館し、邦画と洋画を交互に上映した。*27

1991年の東根市神町のメインストリートの写真あり。1952年には右側に映画館「国際 神映」が開館し、邦画と洋画を交互に上映していた。2005年現在の跡地は山形銀行となっている。*28
フォーラム東根
所在地 : 山形県東根市蟹沢1797-1(2025年)
開館年 : 2010年11月
閉館年 : 営業中
公式サイト : フォーラム東根
最寄駅はJR奥羽本線さくらんぼ東根駅。

尾花沢市

正厳中央劇場
所在地 : 山形県尾花沢市正厳(1970年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1970年頃

六沢真養館
所在地 : 山形県尾花沢市六沢(1970年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1970年頃

延沢トキワ館
所在地 : 山形県尾花沢市延沢(1970年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1970年頃

演芸館/尾花沢演芸館
所在地 : 山形県尾花沢市梺町3604(1974年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1974年頃

尾花沢ミリオンホール
所在地 : 山形県尾花沢市中新田(1988年)
開館年 : 1977年11月
閉館年 : 1988年頃


1977年10月17日の『河北新報』朝刊には、11月に尾花沢市に映画館(※名称不明)が開館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*29

尾花沢市の市役所通りは割烹・バー・クラブなどのある歓楽地となっている。尾花沢市唯一の映画館である「ミリオンホール」は市役所通りの外れにある。*30

東村山郡山辺町

演芸館
所在地 : 山形県東村山郡山辺町
開館年 : 不明
閉館年 : 不明


1955年頃の山辺町にあった映画館・劇場「演芸館」の写真あり。羽前山辺駅の駅前通りから南に入る小路にあった。*31

東村山郡中山町

映画館名簿によると東村山郡中山町に映画館は存在しなかったと思われる。

西村山郡西川町

海味座
所在地 : 山形県西村山郡西川町海味80(1968年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 1968年頃? 1974年11月?
跡地は「山竹商店」。最寄駅はJR左沢線羽前高松駅。


1955年頃の西川町海味にあった映画館「海味座」の写真あり。「KAISHU」の文字が見える。鉱山で栄えた1949年に三山線海味駅近くに建てられた。テレビの普及によって昭和50年代に閉館した。*32

西川町海味(かいしゅう)の食品・酒販売店である山竹商店の前には、「海味座」の映写機が置かれている。1947年に山竹商店に併設して創業し、山竹商店の後藤武雄がオーナーとなった。木造2階建て、490席。三山電鉄海味駅の駅前にあり、鉱山労働者などでにぎわった。最も観客数が多かったのは嵐寛寿郎主演の『明治天皇と日露大戦争』。1968年には近くの中学生が映画教室でセシル・B・デミル監督の『十戒』を鑑賞した。1960年代から70年代には周囲の鉱山が閉山となり、三山電鉄も廃線となった。1974年11月に閉館し、2004年には建物も取り壊された。映写機のうち1台は西川町歴史文化資料館に貸し出し、もう1台は山竹商店の前に置かれた。*33

西村山郡河北町

千代田館
所在地 : 山形県西村山郡谷地町(1925年)
開館年 : 1920年6月24日
閉館年 : 1927年2月18日


1920年6月24日、谷地町初の活動常設館として「千代田館」が開館した。オープニングは日活作品『乃木将軍』である。発起人は森谷鉄太郎、工藤侶二、仲野弥五兵衛である。森谷は慶應義塾大学商学部卒であり、森谷総本店の社長を務めていた。発起人らは両羽活動写真株式会社を設立し、末広座を買収して千代田館に改称した。活動写真の上映以外には、緑声社の大会、講演会、尾上松鶴一座の公演、ダンスの興行なども行われた。1927年2月18日夜に全焼した。*34

1920年6月24日、谷地町初の活動常設館として「千代田館」が開館した。その後、「谷地商事倶楽部」、「富士館」、「谷地映画劇場」も開館した。1973年に谷地映画劇場が閉館・解体され、谷地から映画館がなくなった。*35

1906年の谷地町西小路にあった「末広座」で行われた竹本義太夫一座の公演の写真あり。1891年に新築され、1920年に活動常設館「千代田館」となった。大正時代の映画研究会の写真あり。1920年から大正末期頃に青年らが参加した。1927年2月18日夜に火災で全焼した。*36
富士館/鶴音館/松竹館
所在地 : 山形県西村山郡谷地町(1941年)
開館年 : 1930年9月頃
閉館年 : 1942年頃


1930年9月頃、森谷鉄太郎の経営によって映画常設館「富士館」が開館した。前小路から新道に通じる鶴根新道の中ほど東側、大多福稲荷の南隣である。1931年7月に富士館が閉館した。染物業の高橋清治が建物を買収すると、同年9月には内部を改修した上で「鶴音館」に改称した。1942年頃、高擶村農業会に売却され、高擶駅近くに倉庫として移築された。*37
谷地クラブ
所在地 : 山形県西村山郡河北町谷地(1962年)
開館年 : 1921年9月
閉館年 : 1962年2月27日


1921年9月、谷地町に総工費1万8000円で「谷地商事倶楽部」が建てられ、黒田太吉が社長に就任した。活動写真・芝居・歌謡曲・少女歌劇・浪花節などの興行が行われた。「クラブ」という愛称があった。1962年2月27日をもって上映を終了し、老朽化によって解体された。*38
谷地劇場/谷地映画劇場
所在地 : 山形県西村山郡河北町谷地(1973年)
開館年 : 1947年4月
閉館年 : 1973年
跡地は「河北郵便局」。最寄駅はJR山形線神町駅。


1947年2月21日、谷地町に「谷地映画劇場」が上棟された。4月に行われた開館式には女優の三条美紀が訪れている。総工費は約70万円。木羽葺、平屋建。間口8間、奥行15間。コンクリートの床面に320脚の椅子が設置されており、補助席や2階の座席を含めると500人から600人を収容できた。まず大映と松竹の作品を上映し、その後大映に代わって東宝と新東宝の作品も上映した。1952年の『山びこ学校』は大盛況だった。1958年頃には山形市の宮崎合名会社の経営となった。1973年6月15日にはモルタル壁面の一部が落ち、保健所の勧告や経営の悪化などもあっって閉館した。*39

1959年11月1日、西村山郡河北町の「谷地映画劇場」が宮崎合名社の経営となった。山形県で宮崎合名社が経営する映画館は15館となった。*40

1920年6月24日、谷地町初の活動常設館として「千代田館」が開館した。その後、「谷地商事倶楽部」、「富士館」、「谷地映画劇場」も開館した。1973年に谷地映画劇場が閉館・解体され、谷地から映画館がなくなった。*41

西村山郡朝日町

宮宿映画劇場
所在地 : 山形県西村山郡朝日町宮宿(1957年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1957年頃

大町キネマ
所在地 : 山形県西村山郡朝日町宮宿(1962年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1962年頃


1955年11月13日午後3時過ぎ、朝日町宮宿の「大町キネマ」で開催された青年団主催の文化祭で、2階観覧席が落下して34人が重軽傷を負った。*42

1955年11月13日、朝日町宮宿の映画館「大町キネマ」で開催された青年文化祭で2階観覧席が落下し、重傷1人、軽傷3人を出した。経営者は高坂五呂。*43

1955年11月13日、朝日町の「大町キネマ」で開催された連合青年団主催の青年文化祭において、建物の2階が落下して負傷者が出た。*44
あさひ映画劇場
所在地 : 山形県西村山郡朝日町水口(1968年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1968年頃

西村山郡大江町

左沢クラブ
所在地 : 山形県西村山郡大江町左沢1030(1967年)
開館年 : 1931年
閉館年 : 1966年12月


1931年、左沢町に「左沢倶楽部」が建てられた。佐藤喜四郎、佐藤幸一、松田惣助の共同出資であり、収容人員は1000人だった。1942年まで左沢町には「共楽座」と左沢倶楽部の2館の劇場があったが、同年の企業統制令によって両館が統合され、共楽座が売却されて左沢倶楽部のみが存続した。左沢倶楽部は1966年12月まで営業を続けた。*45

北村山郡大石田町

大石田劇場
所在地 : 山形県北村山郡大石田町乙690(1964年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1964年頃

置賜地方

長井市

長井演芸館
所在地 : 山形県西置賜郡長井町
開館年 : 1917年頃
閉館年 : 不明


1917年の長井にあった芝居専門の劇場「演芸館」の写真あり。1916年に山形市で開催された奥羽六県連合共進会の娯楽演芸館の払い下げを受け、長井のつつじ公園に移築された。*46

1917年には長井町のつつじ公園内に「演芸館」が開館した。1916年に山形市で開催された奥羽六県連合共進会の娯楽演芸館の払い下げを受けて移築したものである。当初は株式組織で運営された。1968年頃には改装されてアパートに転用された。長井市民文化会館と公園の整備計画が浮上したことから、1974年には土地を含めて長井市に売却され、建物は取り壊された。*47
長井映画劇場
所在地 : 山形県西置賜郡長井町(1955年)
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1955年頃

松竹館/菊水館/長井菊水館
所在地 : 山形県長井市宮1183(1973年)
開館年 : 1923年12月
閉館年 : 1974年5月30日
跡地は長井駅東北東80mの「日本生命長井支店」廃墟。最寄駅は山形鉄道フラワー長井線長井駅。


1923年の長井町の長井駅前にあった活動常設館「菊水館」の写真あり。軍服姿でラッパや銃を持った楽隊が宣伝に向かう様子である。*48

長井町初の常設映画館は「菊水館」である。1923年9月3日に上棟式を行い、10月に建物が落成すると、11月上旬に開館した。宮大工町の医師である外田修が主唱者であり、外田は外田公園を開設した人物でもある。米沢市で「ときわ館」を経営していた小林徳次が実際の経営を担い、菊水館はときわ館の出張館のような扱いだった。外田が赤字を補填していたが、1933年3月31日には外田が死去し、その後は経営者が何度も交代した。戦後にはテレビの普及によって映画は斜陽産業となり、1974年5月30日には日本生命長井支部に売却されて閉館した。*49

1974年5月、長井市の映画館「菊水館」が50年の歴史に幕を下ろして閉館した。*50
第七常盤館/長井常盤館/常盤館/長井トキワ館
所在地 : 山形県長井市小出2160(1986年)
開館年 : 1928年7月
閉館年 : 1987年8月
跡地はドラッグストア「ウエルシア長井本町店」敷地南東部。最寄駅は山形鉄道フラワー長井線長井駅。


1928年夏には長井町に小林徳次によって「ときわ館」(第七ときわ館)が開館した。オープニングは日活作品『地雷火組』である。1982年現在の長井市にはときわ館のみが残っている。*51

長井市の本町通りには長紙店や小松時計店があり、その隣には映画館「トキワ館」があった。トキワ館は1927年に開館し、1987年8月に閉館した。屋上の各世紀からは石原裕次郎、美空ひばり、三橋美智也などの歌が流れていた。小中学校の映画教室では『鐘の鳴る丘』などを鑑賞した。*52

昭和20年代の長井町にあった「ときわ館」の写真あり。「TOKIWAKAN」の文字が見える。1928年夏のお盆興行で開館した。*53

1987年8月25日の『山形新聞』朝刊には、長井市の「トキワ館」の閉館に関する記事が掲載されている。現物は未確認。*54

1987年8月29日の『山形新聞』朝刊置賜版には、長井市の映画館(※名称不明)が閉館したという記事が掲載されている。現物は未確認。*55

南陽市

双松館/文化映画劇場/文化劇場/宮内文化映画劇場/トキワ銀映(宮内町)
所在地 : 山形県東置賜郡宮内町3459(1962年)
開館年 : 1928年10月
閉館年 : 1962年頃


宮内町には「松風座」と「双松館」という2館の映画館があった。双松館は1918年に営業を開始し、横町の海野理髪店の脇の路地から奥に入った場所にあった。当初の経営者は石黒久七であり、やがて弟の石黒茂七が継いだ。1939年にはフィルム収蔵箱から出火し、同年秋に閉館した。石黒茂七は双松館の閉館前に、宮町の旧金田屋の場所に「第二双松館」を建てた。第二双松館はやがて「文化劇場」に改称し、1962年に閉館した。*56
赤湯商工会館
所在地 : 山形県東置賜郡赤湯町825(1963年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1963年頃

松風座/宮内松風座
所在地 : 山形県南陽市赤宮内町3127(1969年)
開館年 : 1853年(創立)、1934年以後1936年以前
閉館年 : 1970年10月27日
跡地は「増田屋菓子店」西北西50mの民家2軒。最寄駅は山形鉄道フラワー長井線宮内駅。


ペリーが浦賀に来航した1853年(嘉永6年)には、宮内町柳町に大竹武兵衛によって芝居小屋「松風座」が創立した。東北地方で最も古い劇場とされることもあり、経営者は6代も変わった。1951年10月には桟敷を土間に改装して長椅子を設置した。1955年以降は双葉保育園の花祭の会場にもなった。1970年10月27日に閉館した。*57

宮内町の中央部には十字路があり、南は本町、西は新町、東は横町、北は宮町に行く。西の柳町には佐藤製糸場や劇場「松風座」がある。*58

1919年の『宮内町案内』に掲載された地図には「劇場」が描かれている。*59
第三赤湯常盤館/赤湯常盤館/常盤館/赤湯トキワ館
所在地 : 山形県南陽市赤湯中町421(1973年)
開館年 : 1925年9月
閉館年 : 1973年2月
跡地は「清茂登旅館」北東20mの「ホテルサンパレス」を転用した商業ビル。最寄駅はJR山形線・山形鉄道赤湯駅。


南陽市赤湯地区には「トキワ館」があった。経営者は小林養道の父であり、高畠町・長井町・赤湯町で計3館を経営していた。なお、1925年時点の赤湯町横町には「演芸館」があり、芝居や浪曲の興行も行われていた。*60

1958年12月、「赤湯常盤館」の開館40周年、「長井常盤館」の開館35周年、「高畠トキワ銀映」の開館7周年記念特別興行が行われた。*61

1973年2月、南陽市唯一の映画館「トキワ館」が49年の歴史に幕を閉じて閉館した。*62
シネマエイムス
所在地 : 山形県南陽市新田850-1(1990年)
開館年 : 1989年頃
閉館年 : 1990年頃
跡地は「デイサービス赤湯」付近。最寄駅はJR山形線中川駅。

東置賜郡高畠町

照高館
所在地 : 山形県東置賜郡高畠町(1936年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前

高畠文化会館/文化会館
所在地 : 山形県東置賜郡高畠町(1954年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1954年頃

高盛館/高盛座
所在地 : 山形県東置賜郡高畠町2300(1962年)
開館年 : 1934年以後1936年以前、1950年8月
閉館年 : 1962年頃

和田映画劇場
所在地 : 山形県東置賜郡高畠町和田馬頭(1962年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1962年頃

糠野目座
所在地 : 山形県東置賜郡高畠町糠野目(1964年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1964年頃

トキワ映画劇場
所在地 : 山形県東置賜郡高畠町北目(1965年)
開館年 : 1962年頃
閉館年 : 1965年頃

トキワ銀映(高畠町)/高畠トキワ銀映
所在地 : 山形県東置賜郡高畠町(1972年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1972年頃
跡地は「山形銀行高畠支店」北西120mのアパート「ブルースカイ」。最寄駅はJR奥羽本線高畠駅。


昭和20年代後半の高畠町にあった「トキワ銀映」の写真あり。中央通りからやや入った場所に映画館があった。洋画に加えて石原裕次郎主演の邦画なども上映された。昭和40年代中頃に閉館した。2003年現在の跡地の写真あり。中央通りは商店主らによって「昭和ミニ資料館通り」が形成されているが、映画館跡地周辺は住宅街となっている。*63

1958年12月、「赤湯常盤館」の開館40周年、「長井常盤館」の開館35周年、「高畠トキワ銀映」の開館7周年記念特別興行が行われた。高畠トキワ銀映が開館した際の写真あり。*64

東置賜郡川西町

小松座
所在地 : 山形県東置賜郡川西町小松(1963年)
開館年 : 1907年9月5日
閉館年 : 1964年
跡地は「仏成寺」南南東70mの「松岸歯科医院」。最寄駅はJR米坂線羽前小松駅。


大正後期から昭和30年代にかけて、小松町唯一の娯楽施設として映画館「小松座」があった。1907年9月5日に株式会社小松会館として発足し、樽平酒造の経営者である井上馨(井上庄七)が取締役社長に就任した。「小松会館」時代は芝居小屋であり、芝居や浪花節などの興行が行われた。1921年には上小松田町の羽田清三郎が株式を取得し、小松座に改称して映画館とした。戦後の1964年に閉館した。中小松の南端部、1983年現在の農協倉庫の向かいにあった。*65
吉田館
所在地 : 山形県東置賜郡川西町吉田3562(1963年)
開館年 : 1952年7月
閉館年 : 1963年頃

西置賜郡小国町

小国劇場/小国映画劇場
所在地 : 山形県西置賜郡小国町129(1958年)
開館年 : 1939年4月
閉館年 : 1958年頃

小国中央映画劇場/小国中央劇場
所在地 : 山形県西置賜郡小国町(1966年)
開館年 : 1954年12月28日
閉館年 : 1966年頃


1954年12月28日、西置賜郡小国町に「小国中央映画劇場」が開館した。木造2階。ワイドスクリーンを完備。定員300人。*66

西置賜郡白鷹町

東館
所在地 : 山形県西置賜郡荒砥町
開館年 : 1924年
閉館年 : 不明


1924年の現白鷹町にあった「東館」の落成時の写真あり。芝居、歌舞伎、映画などの興行を行った。*67
鮎貝座
所在地 : 山形県西置賜郡白鷹町鮎貝(1958年)
開館年 : 1924年12月1日
閉館年 : 1958年頃


1924年12月1日と12月2日、鮎貝村の「鮎貝座」のこけら落としとして大阪歌舞伎の興行が行われて大入満員だった。*68
荒砥座/荒砥劇場
所在地 : 山形県西置賜郡白鷹町荒砥976(1965年)
開館年 : 1902年
閉館年 : 1965年頃


白鷹町の「荒砥劇場」は古い劇場であり、1902年に開館した。*69

昭和20年代の白鷹町にあった「荒砥劇場」の写真あり。「映画 ARATOGEKIJYO 演劇」の文字が見える。*70

1950年頃の白鷹町にあった「荒砥劇場」の写真あり。「映画 ARATOGEKIJYO 演劇」の文字が見える。1902年に「新甫館荒砥座」として建てられた。廻り舞台を有しており、ゴザが敷かれた枡席には1000人を収容できた。奇術・歌舞伎芝居・無声映画の興行などが行われた。戦後には改装して1階が椅子席となり、同時に荒砥劇場に改称した。*71

1969年春、白鷹町の「荒砥劇場」跡地で石澤製作所白鷹工場が操業を開始した。ミシン部品や車両部品の工場である。*72

西置賜郡飯豊町

荻生菊水館
所在地 : 山形県西置賜郡豊原村(1941年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前

椿劇場
所在地 : 山形県西置賜郡飯豊町椿(1964年)
開館年 : 1947年9月1日
閉館年 : 1963年


1947年夏には豊原村に「椿劇場」が完成し、9月1日に伏見信子一座によってこけら落とし興行が行われた。出資者は長沼清吉、管野清吉、小松周栄、船山満。建物は木造2階建であり、1階が124坪、2階が35坪。1951年秋には長沼と管野の経営となっり、1958年頃までは経営が順調だったが、テレビの普及などの結果として1963年に幕を閉じた。寿々木米若、三門博、伊丹秀子、広沢虎造、天中軒雲月(以上浪曲)、霧島昇、田端義夫、岡晴夫、近江俊郎、二葉あき子(以上歌手)、他に古川ロッパなどが来演した。*73

1947年9月1日、豊原村に「椿劇場」が建てられた。*74

1947年9月1日、豊原村に「椿劇場」が建てられた。1957年頃までは主として映画が上映され、その後1963年頃までは演劇などに使用された。寿々木米若、広沢虎造、霧島昇、岡晴夫、近江俊郎、二葉あき子、古川ロッパなどの芸能人も来演した。椿劇場は青年らにとっての文化センターだった。*75

2010年9月20日、飯豊町で「昔懐かしい、飯豊の映画館 『復刻版!椿劇場』」が開催された。「椿劇場」は飯豊町唯一の娯楽施設であり、映画、演劇、漫才、浪花節など様々な催しが行われた。*76*77

庄内地方

東田川郡三川町

イオンシネマ三川
所在地 : 山形県東田川郡三川町大字猪子字和田庫128-1 イオンモール三川2階(2025年)
開館年 : 2001年8月11日
閉館年 : 営業中
最寄駅はJR羽越本線西袋駅。

東田川郡庄内町

寿恵広座
所在地 : 山形県東田川郡余目町上猿田15(1964年)
開館年 : 1935年9月7日
閉館年 : 1963年9月14日


1935年9月7日、余目町の猿田道に「寿恵広座」が新築落成した。町報第10号に掲載。*78

1935年9月7日、余目町の猿田道に「寿恵広座」が新築落成した。*79

1935年9月、余目町の猿田町に「寿恵広座」が開館し、映画や演劇の興行を行った。寿恵広座は1963年9月14日に焼失した。*80
ムービーパレス/余目ムービーパレス
所在地 : 山形県東田川郡余目町上猿田415(1970年)
開館年 : 1954年4月
閉館年 : 1971年5月5日


1954年には余目町の「寿恵広座」隣接地に「ムービーパレス」が開館した。テレビの普及で映画産業が斜陽化し、1971年5月5日をもって閉館した。

花森安治『花森安治選集 2』暮しの手帖社、2020年はムービーパレスに言及している。現物は未確認。*81

飽海郡遊佐町

中央劇場/遊佐中央劇場
所在地 : 山形県飽海郡遊佐町舞鶴135(1960年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1960年頃
跡地は「荘内銀行遊佐支店」南西70mの民家2軒。最寄駅はJR羽越本線遊佐駅。

遊佐劇場
所在地 : 山形県飽海郡遊佐町(1964年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1964年頃
跡地は「きらやか銀行遊佐支店」南南西60mの駐車場。最寄駅はJR羽越本線遊佐駅。

最上地方

新庄市

平和館/新庄平和館
所在地 : 山形県最上郡新庄町北本町(1936年)
開館年 : 1922年9月
閉館年 : 1936年以後1941年以前


1919年9月、新庄町の新庄信用金庫裏隣にあった広場に「平和館」が建てられた。*82

1922年9月、新庄町に活動写真館「平和館」が建てられた。1962年現在の信用金庫裏側の広場の場所である。*83

1922年9月、新庄町に活動写真館「平和館」が建てられた。1981年現在の信用金庫裏側の広場の場所である。*84

1922年、新庄町初の活動写真館「平和館」が建てられた。北本町の東側である。前年の1921年には新庄町初の喫茶店も登場している。*85

1928年1月、新庄町の「平和館」で代議士の松岡俊三による雪害の講演会が行われた。松岡は山形県における雪害救済運動に取り組んだ。*86

1940年の新庄町にあった劇場「三吉座」の写真あり。三吉座は1912年に建てられ、芝居や浪曲の興行を主としていた。その後1920年には活動写真を主とする「平和館」が、1925年には「新庄キネマ」も建てられた。*87
東宝映画劇場/新庄東宝
所在地 : 山形県新庄市金沢1028(1965年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1965年頃


1950年、新庄市に映画館「新庄東宝」が開設された。*88
新庄セントラル劇場
所在地 : 山形県新庄市駅前(1965年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1965年頃

新庄キネマ/新庄松竹館/新庄映画劇場/新庄映劇/新庄映画劇場/新庄東映/新庄東映劇場
所在地 : 山形県新庄市本町4-29(1983年)
開館年 : 1928年8月
閉館年 : 1983年7月10日
跡地は複合施設「こらっせ新庄」建物北西端部。最寄駅はJR新庄駅。


1928年8月、新庄税務署裏の空き地に「新庄キネマ」が建てられた。1962年現在の「東映劇場」である。入口には銀河という名前のカフェがあった。*89

1928年8月、新庄税務署裏の空き地に「新庄キネマ」が建てられた。1981年現在の「東映劇場」である。入口には銀河という名前のカフェがあった。*90

1928年、税務署裏に「新庄キネマ映画館」が建てられ、近くにカフェ 銀河も開店した。1930年には北本町の表通りに移転して経営者も交代した。「新庄東映」の前身である。*91

1940年の新庄町にあった劇場「三吉座」の写真あり。三吉座は1912年に建てられ、芝居や浪曲の興行を主としていた。その後1920年には活動写真を主とする「平和館」が、1925年には「新庄キネマ」も建てられた。*92

1952年2月24日、新庄市北本町の「新庄映画劇場」で、入場のために入口に小学生約500人が殺到し、新庄市立北辰小学校2年の児童1人が即死した。*93

1983年7月10日の『朝日新聞』には、7月10日をもって「新庄東映」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*94
新庄日活/新庄日活劇場
所在地 : 山形県新庄市沖の町3-7(1986年)
開館年 : 1965年頃
閉館年 : 1986年頃
跡地は「エイブルネットワーク新庄店」と「イトーホーム」が入る建物。最寄駅はJR新庄駅。

三吉館/日活三吉座/三吉座/新庄三吉座/新庄三吉座1・2・3
所在地 : 山形県新庄市沖の町6-6(1989年)
開館年 : 1914年
閉館年 : 1989年頃
跡地は「山形新聞最北総支社」北90mの更地。最寄駅はJR新庄駅。


1911年、新庄町の駅前通りに常設劇場「三吉座」が落成した。万場町の小野銃砲火薬店、南本町の新庄ホテルなどとともに、新庄町における新時代の象徴とされる。*95

1935年に新庄町の「三吉座劇場」で行われた新庄町青年団ハーモニカバンドの発表会の写真あり。*96

1940年の新庄町にあった劇場「三吉座」の写真あり。三吉座は1912年に建てられ、芝居や浪曲の興行を主としていた。その後1920年には活動写真を主とする「平和館」が、1925年には「新庄キネマ」も建てられた。*97

1912年1月、五十嵐菊太郎は娯楽施設「三吉座」の建築に取り掛かったが、5月25日の大火で新築したばかりの建物が焼失した。五十嵐はすぐに再建に取り掛かり、11月25日に三吉座が開館した。*98

新庄市『新庄市史 第4巻 近現代 上』新庄市、1996年は「三吉座」で1921年9月30日から3日間興行された歌舞伎に言及している。*99

1986年6月17日の『山形新聞』朝刊内陸版には、1987年正月に新庄市の映画館「三吉座」が改築して3ホールで開館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*100
シネマアベージュ
所在地 : 山形県新庄市多門町1-2(2006年)
開館年 : 1999年
閉館年 : 2006年3月
映画館が入っていた最上広域交流センターゆめりあは現存。最寄駅はJR新庄駅。


2006年3月31日をもって、新庄市のJR新庄駅にあるビデオシアター「シネマ・アベージュ」が閉館する。国内唯一のビデオ供給業者であるソニー・シネマチックが事業から撤退するため。1980年代には新庄市から映画館がなくなったが、山形新幹線の開業に合わせ、1999年12月に最上広域市町村事務組合の運営で開館した。年間の集客数は1万5000人から2万5000人であり、年間約1900万円の収益を上げていた。赤字となった年はなく、事務組合はフィルム上映への転向も検討したが、映写室を設置することなどに約3500万円の投資が必要であり、さらにフィルム上映では作品を買い取る必要があるため、転向は見送られた。これによって最上地方から映画館がなくなり、山形県内の映画館は山形市、米沢市、三川町にある計32スクリーンに集約される。*101

2006年のこのほど、全国のビデオシアターが閉館に追い込まれた。日本唯一の配給業者であるソニー・シネマチックが事業から撤退したためである。ビデオシアターは映写室が不要で映写技師の人件費を抑えることができ、配給側への支払い契約も売り上げの数パーセント程度と軽い。1980年代後半から公共施設や商店街に開館し、最盛期は2000年頃には全国に約80か所の映画館があった。シネコンが台頭する中でも、大半のビデオシアターは営業継続が可能な成績を上げていたが、2004年にはソニー・シネマチックが市場の小ささや画質の低さを理由に撤退を決定していた。新庄市の最上広域市町村事務組合が経営していた「シネマ・アベージュ」は2006年3月31日をもって閉館した。フィルム上映への切り替えも検討されたが、設備投資にかかる費用の負担を考慮して断念している。*102

1999年、新庄市多門町にビデオシアター「シネマ・アベージュ」が開館した。運営は最上市町村圏事務組合。経営自体は黒字だったが、国内唯一のビデオ提供会社が事業から撤退したため、2006年3月に閉館した。6月17日には多目的ホール「ホール・アベージュ」に生まれ変わった。座席数は93席。*103

最上郡金山町

合資金映/金山映画劇場
所在地 : 山形県最上郡金山町(1969年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1969年頃

最上郡最上町

娯楽館
所在地 : 山形県最上郡最上町赤倉温泉(1963年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1963年頃

最上シネマ
所在地 : 山形県最上郡最上町(1972年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1972年頃


1965年頃の最上町向町にあった映画館の写真あり。「最上シネマ」の文字が見える。*104

1956年頃の最上町向町にあった「松竹劇場」の写真あり。長谷川一夫主演作『銭形平次捕物控 死美人風呂』のポスターが見える。向町には松竹と「シネマ」の2館、大堀駅近くに1館の計3館があった。*105

最上郡舟形町

舟形映画劇場
所在地 : 山形県最上郡舟形町舟形281(1969年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1969年頃


1967年4月1日、舟形町の「舟形映画劇場」を仮工場として、町が誘致したホリエ電気舟形工場が操業を開始した。*106

最上郡真室川町

笠井劇場
所在地 : 山形県最上郡真室川町
開館年 : 不明
閉館年 : 不明


1957年頃の真室川町釜淵5区にあった映画館「笠井劇場」の写真あり。*107
アヂロ劇場/安楽城劇場
所在地 : 山形県最上郡真室川町砂子沢(1963年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1963年頃

真室川劇場
所在地 : 山形県最上郡真室川町144(1965年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1965年頃


往時の真室川市街地の地図が掲載されており、「劇場」や「昭和公堂(劇場)」が描かれている。真室川劇場との関連は不明。*108

最上郡大蔵村

清水文化劇場/文化劇場/清水大蔵文化劇場
所在地 : 山形県最上郡大蔵村清水(1969年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1969年頃

最上郡鮭川村

豊里劇場
所在地 : 山形県最上郡鮭川村豊里21-2(1958年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1958年頃

最上郡戸沢村

映画館名簿によると最上郡戸沢村に映画館は存在しなかったと思われる。

このページへのコメント

はじめまして

高畠町のトキワ銀映は私の実家です
高盛座の館主さんは閉館後トキワ銀映で映写技師をされていました
そして高盛座は父親が買取り「トキワ映劇」をやっていたんです
その後トキワ映劇は閉館し借家を建て、トキワ銀映は71年に閉館し、切符売り場付近を改装して長井トキワ館でやっていたペット屋さん「精魚園」を始めましたが、72年夏に閉店しました
ちなみにトキワ館の歴史的な事は父小林養道が書いた「蛙の子は蛙」に記載されているかと思います

どうでもいい様な話を長々失礼しました

0
Posted by タキオン 2026年07月04日(土) 20:58:25 返信

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