日本の映画館の総合データベースです。


高知市

高知市の映画館
2019年9月20日から香美市土佐山田町東本町の商家で、展示会「高知の映画館資料展」が開催されている。高知市の市民団体である黄昏キネマ代表の岡本卓也(65)の調査によると、映画黄金期の1957年の高知市には32館もの映画館があったという。シネコンとミニシアターのウィークエンドキネマMを除けば、戦後の高知市で営業していたのは46館であるが、現在はあたご劇場の1館のみとなっている。*1

1950年頃の高知市には、封切館として京町に洋画館「リベラル」(1985年現在の大丸)、帯屋町に洋画館「モデル」、帯屋町に邦画館「東宝」、帯屋町に邦画館「松竹」、本町に邦画館「大劇」、中島町に邦画館「堀詰座」があった。二番館として帯屋町に洋画館「セントラル」、城見町に邦画館「大和館」、旭町に邦画館「ちとせ劇場」、旭町に洋画館「朝日劇場」、5丁目に邦画館「日劇」があった。1950年12月には邦画館「高知小劇」が開館し、1951年9月には洋画館「高知名画劇場」が開館し、高知市街地の映画館は計13館となった。やがてセントラルは東映と新東宝の二本立て上映となったが、二本立て上映を行ったのは高知が全国初だったとされる。1955年正月までに松竹劇場が閉館し、潮江の「天満劇場」が加わった。1955年5月には「あたご劇場」が開館し、同年8月には「江の口劇場」が開館した。1956年後半から1957年には10館も増加し、1957年には高知市だけで31館にも達したとされる。1956年6月にはモデル劇場にシネスコ設備が追加され、ゲイリー・クーパー主演『軍法会議』で幕を開けた。1958年2月には堀詰座が「高知東映」に改称した。1959年にはテレビブームの影響を受けて観客数が激減したが、この頃から昭和40年代中頃には高知ロケを行う映画作品が多く、土佐ブームも起こった。高知市の映画館数は1969年に17館、1979年に15館と減っていった。*2
東亜キネマ館/迎陽館
所在地 : 高知県高知市農人町(1925年・1927年)、高知県高知市農人町楽天地(1930年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1925年・1927年の映画館名簿では「東亜キネマ館」。1930年の映画館名簿では「迎陽館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。
出雲館/常盤館
所在地 : 高知県高知市桝形414(1925年)、高知県高知市桝形町(1927年・1930年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1925年・1927年の映画館名簿では「出雲館」。1930年の映画館名簿では「常盤館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。
帝国館
所在地 : 高知県高知市帯屋町(1925年・1927年)、高知県高知市新開地(1930年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1930年以後1934年以前
1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「帝国館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。
大山館
所在地 : 高知県高知市堺町使者屋橋通り(1925年)、高知県高知市堺町使者屋橋通(1927年)、高知県高知市堺町(1930年)、高知県高知市堺町40(1936年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「大山館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「大山館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
第二世界館/鳳館
所在地 : 高知県高知市本町堀詰(1925年)、高知県高知市堀詰(1927年)、高知県高知市本町堀詰(1930年、1936年・1941年)、高知県高知市本町(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年の映画館名簿では「鳳館」。1927年の映画館名簿では「第二世界館」。1930年の映画館名簿では「鳳館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「鳳館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。

時期不明の「鳳座」の写真あり。1916年、高知市の堀詰に高知市初の活動写真常設館「鳳座」が開館した。戦前の高知市には升形に「出雲館」、新京橋に「世界館」があった。鳳館は1945年の空襲で焼失した。*3
世界館
所在地 : 高知県高知市種崎町(1925年)、高知県高知市種崎町新世界(1927年・1930年・1934年)、高知県高知市新世界(1936年)、高知県高知市京町3(1941年)、高知県高知市京町(1943年)
開館年 : 1915年
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「世界館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。高知市初の活動写真館。

時期不明の「世界館」の写真あり。大正初期の高知市新京橋には活動写真館「世界館」があり、昼夜入れ替え興行が行われた。客席は男女別であり、履き物を脱いで畳敷き席に座った。*4
高知大映
1949年9月の高知市中種にあった映画館「高知大映」の写真あり。旭町の千歳館、下知の「大和館」とともににぎわった。1949年10月、大火によって焼失した。1989年現在のはりまや町1丁目である。*5
高知松竹座/高知松竹劇場/松竹座
所在地 : 高知県高知市帯屋町(1950年)、高知県高知市帯屋町54(1953年・1954年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1954年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「高知松竹座」。1953年の映画館名簿では「高知松竹劇場」。1954年の映画館名簿では「松竹座」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。
三里劇場
所在地 : 高知県高知市仁井田1531(1953年)、高知県高知市仁井田(1955年)
開館年 : 戦前
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「三里劇場」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「興隆寺」北西60mの集合住宅「五本松アパート」。
薫的座
所在地 : 高知県高知市洞ヶ島町32(1955年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「薫的座」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。
高知劇場
所在地 : 高知県高知市新本町2-23(1958年)
開館年 : 1956年12月31日
閉館年 : 1958年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「高知劇場」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。

1956年12月20日には高知市に「OS劇場」が、12月22日には「旭東宝」が、12月26日には「高知松竹劇場」が、12月27日には「はりやま劇場」が、12月30日には「高知第一劇場」が、12月31日には「朝日劇場」と「高知劇場」が開館した。12月下旬だけで7館が、1956年内には14館が増加し、高知市の映画館は31館となった。*6
高知名画劇場
所在地 : 高知県高知市本町99(1953年・1955年・1958年)
開館年 : 1951年9月6日
閉館年 : 1957年12月21日
『全国映画館総覧 1955』によると1951年9月開館。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「高知名画劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。高知小劇場の東隣。跡地は国道32号中ノ橋通り交差点南南西60mの有料駐車場「あなぶきパーク高知本町101」。最寄駅はとさでん交通伊野線大橋通電停。
中央公民館/高知中央公民館
所在地 : 高知県高知市丸の内4(1955年)、高知県高知市丸ノ内4(1958年)、高知県高知市丸の内4(1959年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1959年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年4月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「中央公民館」。1958年・1959年の映画館名簿では「高知中央公民館」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
高知名画劇場/旭劇場
所在地 : 高知県高知市本町99(1953年・1955年・1958年)、高知県高知市玉水町99(1960年)
開館年 : 1951年9月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「高知名画劇場」。1960年の映画館名簿では「旭劇場」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。
高知セントラル/セントラル劇場/MS劇場(旧)
所在地 : 高知県高知市帯屋町(1950年)、高知県高知市帯屋町26(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1951年4月
閉館年 : 1961年6月23日
『全国映画館総覧 1955』によると1951年4月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「高知セントラル」。1955年・1958年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「セントラル劇場」。1960年の映画館名簿では「MS劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「ドーミーイン高知」建物中央西側。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1959年7月2日、高知市帯屋町26の「セントラル劇場」が「MS劇場」に改称して洋画封切館として再発足した。経営は高知南国友映。同社がこれまで経営していた「MS劇場」は「帯屋東映」に改称して東映二番館となった。*7

1961年6月23日から高知市帯屋町24の洋画封切館「ニューMS劇場」が休館していたが、このほど廃館してパチンコ店に転向した。経営は南国友映社。*8
ロマンス座
所在地 : 高知県高知市本町1丁目(1957年)、高知県高知市本町82(1958年・1960年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1960年3月
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年の映画館名簿では「ロマンス座」。1959年の高知市縦横明細地図では「ロマンス」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン高知本町1丁目店」駐車場西側。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1960年3月、高知市本町85の洋画再映館「ロマンス座」がパチンコ店に転業した。経営は浜田厚進。*9
天満劇場/天満東映
所在地 : 高知県高知市梅ケ辻39(1956年・1958年)、高知県高知市梅ケ辻38(1960年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1961年7月1日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年の映画館名簿では「天満劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「天満(映)」。1960年の映画館名簿では「天満東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「藤田皮膚科」。最寄駅はとさでん交通桟橋線梅の辻電停。

1961年7月1日、高知市梅ケ辻38の「天満劇場」が休館となった。高知市の映画館は26館となった。経営は寺尾輝秀。*10
サエンバ劇場/菜園場劇場/さえんば劇場
所在地 : 高知県高知市菜園場町2(1957年)、高知県高知市田淵町(1958年)、高知県高知市菜園場町77(1960年)、高知県高知市田淵町(1963年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「サエンバ劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「さえんば劇場」。1958年の映画館名簿では経営者が水田兼水、支配人が杉本哲夫、木造1階、定員200。1959年の高知市縦横明細地図では「サエンバ日活」。1963年の映画館名簿では経営者が高田興業、支配人が森本日出男、木造1階冷暖房付、定員200、邦画を上映。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「久病院」北東40mの駐車場。最寄駅はとさでん交通御免線菜園場町電停。
盛楽座
所在地 : 高知県吾川郡森山村185(1953年)、高知県吾川郡春野村(1960年)、高知県吾川郡春野村森山862-3(1963年)、高知県吾川郡春野村森山(1964年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1964年頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「盛楽座」。1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「盛楽座」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。
はりまや劇場
所在地 : 高知県高知市浦戸町74(1958年・1960年・1963年)、高知県高知市浦戸町79(1964年)
開館年 : 1956年12月27日
閉館年 : 1964年9月29日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「はりまや劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

1956年12月20日には高知市に「OS劇場」が、12月22日には「旭東宝」が、12月26日には「高知松竹劇場」が、12月27日には「はりやま劇場」が、12月30日には「高知第一劇場」が、12月31日には「朝日劇場」と「高知劇場」が開館した。12月下旬だけで7館が、1956年内には14館が増加し、高知市の映画館は31館となった。*11

1960年3月5日、高知市浦戸町74の新東宝封切館「はりまや劇場」が第二東映封切館に転向した。経営は井上猪三美。高知市中島町66の洋画封切館「高知中劇」が新東宝封切館に転向した。経営は佐藤国夫。*12

1961年11月29日、高知市の「はりまや劇場」が洋画封切館に転向する。オープニングは『世界の独裁者たち』と『荒野の待伏せ』。東映とニュー東映の配給系統一本化に伴うもの。館主は井上猪三美。支配人は細木秀雄。*13
平和館/千松館(旧)/平和劇場
所在地 : 高知県高知市長浜町(1953年)、高知県高知市長浜町573(1955年・1958年)、高知県高知市長浜町579(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1951年9月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年9月開館。1953年の映画館名簿では「平和館」。1955年の映画館名簿では「平和劇場」。1958年の映画館名簿では「千松館」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「平和劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の住宅地図では後の主婦の店従業員宿舎の場所に「平和荘」があるが関係は不明。1980年の住宅地図では長浜579付近に「主婦の店従業員宿舎」があるが関係は不明。
高知シネマ
所在地 : 高知県高知市東播磨屋町143(1958年)、高知県高知市朝倉町143(1960年・1963年)
開館年 : 1956年8月1日
閉館年 : 1964年3月29日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「高知シネマ」。1964年3月29日閉館。1964年4月1日ストリップ劇場の高知劇場開館。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「松本皮膚泌尿器科」。最寄駅はとさでん交通御免線・伊野線・桟橋線はりまや橋電停。

1956年8月1日、高知市朝倉町143番地に「高知シネマ」が開館した。木造。定員130人。洋画系。館主は中山禎巳。支配人は山本和男。*14

1956年11月3日、高知市朝倉に「朝倉座」が開館した。木造平屋建て、178坪。収容人員304人。館主は森祐啓、支配人は福留弁吾。*15
江ノ口劇場/江ノ口東映
所在地 : 高知県高知市愛宕町2-58(1958年)、高知県高知市愛宕町58(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1955年8月17日
閉館年 : 1964年1月28日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「江ノ口劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では発見できず。1963年・1964年の映画館名簿では「江ノ口東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「高知信用金庫江ノ口支店」。最寄駅はJR土讃線高知駅。

1955年8月17日、高知市愛宕町に「江ノ口劇場」が開館した。総工費700万円。収容人員400人。東映・新東宝・大映・日活・洋画の二番館。経営者は高知市興行協会の佃佐次郎会長。新館の乱立反対を理由として、高知市興行協会との間で折衝が行われていた。*16
千松館(新)/高知千松館
所在地 : 高知県高知市種崎町332(1959年・1960年)、高知県高知市種崎332(1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1967年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「千松館」。1966年・1967年の映画館名簿では「高知千松館」。1967年の住宅地図では「千松館」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「種崎渡船場」南東200mの建物。最寄駅はとさでん交通桟橋線桟橋通五丁目電停。
高知日劇/高知日劇東映
所在地 : 高知県高知市本町筋5-161(1953年・1955年)、高知県高知市本町筋5-151(1958年)、高知県高知市本丁筋161(1960年)、高知県高知市本町筋168(1963年)、高知県高知市本丁筋162(1966年)、高知県高知市上町5-4-1(1967年・1968年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「高知日劇」。1959年の高知市縦横明細地図では「日劇」。1963年・1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「高知日劇東映」。1968年の住宅地図では「日劇」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「パチンコ昌栄会館」。跡地は「YAMAKINビル」。最寄駅はとさでん交通伊野線上町五丁目電停。
高知第一劇場/菜園場第一東映/高知第一東映/高知第一東映劇場
所在地 : 高知県高知市菜園場町127(1958年・1960年・1963年・1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1956年12月30日
閉館年 : 1968年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「高知第一劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「第一劇場」。1960年の映画館名簿では「菜園場第一東映」。1963年の映画館名簿では「高知第一東映」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「高知第一東映劇場」。1968年の住宅地図では「第一劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「車庫」。2000年の住宅地図では跡地に「共栄駐車場」。映画館の建物は「高知市さえんば保育園」南西50mに廃墟として現存。最寄駅はとさでん交通御免線菜園場町電停。

1956年12月20日には高知市に「OS劇場」が、12月22日には「旭東宝」が、12月26日には「高知松竹劇場」が、12月27日には「はりやま劇場」が、12月30日には「高知第一劇場」が、12月31日には「朝日劇場」と「高知劇場」が開館した。12月下旬だけで7館が、1956年内には14館が増加し、高知市の映画館は31館となった。*17
東宝劇場/高知東宝/高知東宝劇場(旧)
所在地 : 高知県高知市帯屋町27(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1946年11月、1954年12月1日
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年11月開館。1950年の映画館名簿では「高知東宝劇場」。1953年の映画館名簿では「高知東宝」。1955年の映画館名簿では「東宝劇場」。1958年の映画館名簿では「高知東宝劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「東宝劇場」。1960年の映画館名簿では「高知東宝」。1963年・1966年の映画館名簿では「高知東宝劇場」。1968年の住宅地図では「東宝劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。後継館は高知東宝会館。跡地はビジネスホテル「リッチモンドホテル高知」。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1955年頃の高知市にあった「高知東宝劇場」の写真あり。『山を守る兄弟』や『次郎長と小天狗 殴り込み甲州路』の看板が見える。*18
帯屋町東映/MS劇場(新)/高知MS劇場
所在地 : 高知県高知市帯屋町24(1957年・1958年・1960年・1963年)、高知県高知市帯屋町18(1966年・1969年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1971年1月11日
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年の映画館名簿では「MS劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「MS劇場」。1960年の映画館名簿では「帯屋町東映」。1963年の映画館名簿では「MS劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「高知MS劇場」。1968年の住宅地図では「MS劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「リブロード」。2000年の住宅地図では跡地に「MSビル リブロード」。跡地はビジネスホテル「ドーミーイン高知」建物中央北側。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1959年7月2日、高知市帯屋町26の「セントラル劇場」が「MS劇場」に改称して洋画封切館として再発足した。経営は高知南国友映。同社がこれまで経営していた「MS劇場」は「帯屋東映」に改称して東映二番館となった。*19
リベラル劇場/高知リベラル劇場
所在地 : 高知県高知市新京橋(1950年)、高知県高知市京町1(1953年・1955年)、高知県高知市旭町39(1958年)、高知県高知市堺町60(1960年)、高知県高知市堺町39(1963年・1966年)、高知県高知市堺町(1969年・1970年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1970年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「リベラル劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「リベラル劇場」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「高知リベラル劇場」。1968年の住宅地図では「リベラル劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「片岡ビル」。跡地は「高知銀行本店」西隣の有料駐車場「堺町パーキング」。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1952年7月の高知市新京橋にあった映画館「リベラル劇場」の写真あり。『キングソロモン』の看板が見える。下のどぶ川にはオワイ舟が浮かんでいる。1989年現在の高知大丸の場所である。*20
パレス劇場/鴨部パレス劇場/鴨部パレス/鴨部東映/高知鴨部パレス
所在地 : 高知県高知市鴨部高町64(1957年)、高知県高知市鴨部高町46(1958年)、高知県高知市鴨部町64(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1971年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「パレス劇場」。1958年の映画館名簿では「鴨部パレス劇場」。1960年の映画館名簿では「鴨部パレス」。1963年の映画館名簿では「鴨部東映」。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「高知鴨部パレス」。1968年の住宅地図では「パレス劇場」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「高知銀行朝倉支店」南東90mの月極駐車場。最寄駅はとさでん交通伊野線鴨部電停。
天満OS劇場/OS劇場/高知天満OS劇場
所在地 : 高知県高知市桟橋通1-118(1958年)、高知県高知市桟橋通118(1960年)、高知県高知市桟橋通73(1963年)、高知県高知市桟橋通1-28(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1956年12月20日
閉館年 : 1973年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「天満OS劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「OS劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「OS劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「高知天満OS劇場」。1968年の住宅地図では「OS劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「車庫」。跡地は「高知銀行南支店」南東20mの月極駐車場。最寄駅はとさでん交通桟橋線桟橋通一丁目電停。

1956年12月20日には高知市に「OS劇場」が、12月22日には「旭東宝」が、12月26日には「高知松竹劇場」が、12月27日には「はりやま劇場」が、12月30日には「高知第一劇場」が、12月31日には「朝日劇場」と「高知劇場」が開館した。12月下旬だけで7館が、1956年内には14館が増加し、高知市の映画館は31館となった。*21
大映高知大劇/高知大劇
所在地 : 高知県高知市本町60(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年)
開館年 : 1950年12月
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「高知大劇」。1959年の高知市縦横明細地図では「大劇」。1966年・1969年の映画館名簿では「大映高知大劇」。1968年の住宅地図では「大劇」。1973年・1974年の映画館名簿では「高知大劇」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。後継館は「大劇ビル」。跡地は「大劇ビル」。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。
旭東宝劇場/旭駅前劇場/高知旭名画劇場/高知旭東宝
所在地 : 高知県高知市旭駅前町12(1958年)、高知県高知市旭駅前町(1960年・1963年)、高知県高知市旭駅前通(1966年・1969年・1973年・1975年)
開館年 : 1956年12月22日
閉館年 : 1975年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「旭東宝劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「旭東宝」。1963年の映画館名簿では「旭駅前劇場」。1966年の映画館名簿では「高知旭名画劇場」。1968年の住宅地図では「旭東宝」。1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「高知旭東宝」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「サニーマート駐車場」。跡地は「てらお接骨鍼灸院」。最寄駅はとさでん交通伊野線旭駅前通電停。

1956年12月20日には高知市に「OS劇場」が、12月22日には「旭東宝」が、12月26日には「高知松竹劇場」が、12月27日には「はりやま劇場」が、12月30日には「高知第一劇場」が、12月31日には「朝日劇場」と「高知劇場」が開館した。12月下旬だけで7館が、1956年内には14館が増加し、高知市の映画館は31館となった。*22
共楽座/長浜東映/高知長浜共楽座/高知長浜文化劇場
所在地 : 高知県高知市長浜町55(1953年)、高知県高知市長浜町塩谷(1955年)、高知県高知市長浜町557(1958年)、高知県高知市長浜町571(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)
開館年 : 1927年
閉館年 : 1975年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1927年開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「共楽座」。1960年・1963年の映画館名簿では「長浜東映」。1966年の映画館名簿では「高知長浜共楽座」。1967年の住宅地図では「長浜東映」。1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「高知長浜文化劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に駐車場。跡地は「酔鯨酒造」東100mの駐車場。最寄駅はとさでん交通桟橋線桟橋通五丁目電停。
鳳館/高知堀詰劇場/堀詰座/高知東映/高知東映劇場(旧)
所在地 : 高知県高知市中島町85(1955年)、高知県高知市中島町80(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1930年以前、1953年2月
閉館年 : 1975年頃(移転)
『全国映画館総覧 1955』によると1953年2月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「堀詰座」。1960年の映画館名簿では「高知東映」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「高知東映劇場」。1968年の住宅地図では「高知東映」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の住宅地図では跡地に「トーエイパーキング」。2000年の住宅地図では跡地に「トーエイパーキング有料駐車場」。跡地は有料駐車場「タイムズトーエイパーキング」。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1960年5月4日、高知市中島町80の「高知東映」が東映の63番目の直営館となった。これまでの経営は高田興行。*23
モデル劇場/日活モデル劇場/高知日活モデル劇場(旧)
所在地 : 高知県高知市帯屋町18(1953年)、高知県高知市新京町1212(1955年)、高知県高知市帯屋町1212(1958年)、高知県高知市帯屋町123(1960年・1963年)、高知県高知市帯屋町18(1966年・1969年・1973年・1975年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1976年10月(移転)
『全国映画館総覧 1955』によると1950年4月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「モデル劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「モデル劇場」。1960年の映画館名簿では「日活モデル劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「高知日活モデル劇場」。1968年の住宅地図では「日活モデル劇場」。1980年の住宅地図では跡地に「ピコランド」。2000年の住宅地図では跡地に「アルカビル」。跡地はアルカビル。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1959年12月1日、高知市帯屋町に「高知日活モデル劇場」が開館した。日活関西支社管内で専門館として獲得。日活は館主の映宝興行との間に3年間の賃借契約を結んだ。*24

日活の直営劇場の動きを見ると、1976年7月に「蒲田日活」と「大分日活」と「小樽日活オスカー」が開館し、8月に「ナゴヤ駅前日活」が開館し、8月に「小樽日活」が閉館し、9月に「浜松日活」が閉館し、10月に「高知日活」が閉館した。*25
高知中劇/高知中劇場
所在地 : 高知県高知市中島町667(1958年)、高知県高知市中島町66(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、高知県高知市中島町99(1975年)、高知県高知市本町2-3-35(1978年・1980年・1985年)
開館年 : 1956年11月10日
閉館年 : 1985年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「高知中劇」。1959年の高知市縦横明細地図では「中劇」。1968年の住宅地図では「中劇」。1980年・1985年の映画館名簿では「高知中劇場」。1980年の住宅地図では「中劇」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「パークダイセイ本町第4」北側。最寄駅はとさでん交通伊野線大橋通電停。

1956年11月10日、高知市中島町に「高知中劇」が開館した。木造平屋建て、100坪。洋画専門館。経営は株式会社南映。*26

1960年3月5日、高知市浦戸町74の新東宝封切館「はりまや劇場」が第二東映封切館に転向した。経営は井上猪三美。高知市中島町66の洋画封切館「高知中劇」が新東宝封切館に転向した。経営は佐藤国夫。*27
朝日劇場/アサヒ劇場/高知アサヒ劇場
所在地 : 高知県高知市旭町1丁目39(1950年)、高知県高知市旭町1-129(1953年)、高知県高知市旭町1-39(1955年・1958年)、高知県高知市玉水町99(1960年)、高知県高知市旭町1-39(1963年)、高知県高知市旭町99(1966年・1969年・1973年・1976年)、高知県高知市旭町1-39(1978年・1980年・1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1926年4月、1956年12月31日
閉館年 : 1987年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1926年4月開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「朝日劇場」(※旭ではなく朝日)。1959年の高知市縦横明細地図では「朝日劇場」。1963年の映画館名簿では「アサヒ劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「高知アサヒ劇場」。1968年の住宅地図では「朝日劇場」。1980年の住宅地図では「朝日劇場」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「フォートヒル102」。最寄駅はとさでん交通伊野線旭町一丁目電停。

1956年12月20日には高知市に「OS劇場」が、12月22日には「旭東宝」が、12月26日には「高知松竹劇場」が、12月27日には「はりやま劇場」が、12月30日には「高知第一劇場」が、12月31日には「朝日劇場」と「高知劇場」が開館した。12月下旬だけで7館が、1956年内には14館が増加し、高知市の映画館は31館となった。*28
テアトル土電/高知テアトル土電/高知テアトル土電・高知土電ホール/高知テアトル土電
所在地 : 高知県高知市南播磨屋町5(1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)、高知県高知市南播磨屋町1-8-1(1978年・1980年・1985年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1989年
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「テアトル土電」。1966年の映画館名簿では「高知テアトル土電」。1968年の住宅地図では「土電会館 土電ホール テアトル土電」。1969年・1973年・1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「高知テアトル土電・高知土電ホール」(2館)。1980年の住宅地図では「とでん西武」。1985年の映画館名簿では「高知テアトル土電」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の住宅地図では跡地に「高知西武」。とでん西武2階。跡地はパチンコ店「123+Nはりまや橋店」などが入る2011年竣工の「延田ビル」。最寄駅はとさでん交通御免線・伊野線・桟橋線はりまや橋電停。

テアトル土電 土電ホールに言及している雑誌記事として、「われらの映画館 テアトル土電 土電ホール」『キネマ旬報』1974年9月がある。*29
千歳館/ちとせ劇場/高知ちとせ劇場/高知名画座
所在地 : 高知県高知市旭町1丁目(1930年)、高知県高知市旭町(1934年)、高知県高知市旭町新開地(1936年)、高知県高知市旭町1-6(1941年)、高知県高知市旭町1(1943年)、高知県高知市旭町16(1947年)、高知県高知市旭町1-6(1950年・1953年・1955年・1958年)、高知県高知市旭町1(1960年)、高知県高知市旭町6(1963年・1966年・1969年・1973年)、高知県高知市旭町1-6(1975年・1978年・1980年・1985年)
開館年 : 1924年3月
閉館年 : 1989年1月16日
『全国映画館総覧 1955』によると1924年3月開館。1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年の映画館名簿では「千歳館」。1950年の映画館名簿では「ちとせ館」。1953年の映画館名簿では「ちとせ劇場」。1955年の映画館名簿では「千歳館」。1958年・1960年の映画館名簿では「ちとせ劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「チトセ館」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「高知ちとせ劇場」。1968年の住宅地図では「ちとせ劇場」。1973年・1975年・1980年・1985年の映画館名簿では「高知名画座」。1980年の住宅地図では「名画座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パチンコセントラル」。最寄駅はとさでん交通伊野線上町五丁目電停。

高知名画座に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 高知名画座」『キネマ旬報』1973年8月がある。*30
大和館/第二東映/高知第二劇場
所在地 : 高知県高知市城見町(1943年)、高知県高知市城見町137(1947年)、高知県高知市城見町(1950年)、高知県高知市城見町171(1953年)、高知県高知市城見町137(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年)、高知県高知市城見町9-12(1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1921年4月
閉館年 : 1998年6月25日
『全国映画館総覧 1955』によると1921年4月開館。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「大和館」。1959年の高知市縦横明細地図では「大和館」。1960年の映画館名簿では「第二東映」。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「高知第二劇場」。1968年の住宅地図では「高知第二劇場」。1980年の住宅地図では「第二劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の住宅地図では跡地に「サーパス城見(建)」。跡地はマンション「サーパス城見」。最寄駅はとさでん交通御免線菜園場町電停。
高知東映劇場・高知東映パラス/高知東映劇場・高知東映パラス劇場/高知東映(新)
所在地 : 高知県高知市本町1-2-25(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1975年3月(ビル化)
閉館年 : 2004年8月31日
前身館は高知東映劇場。1978年の映画館名簿では「高知東映劇場・高知東映パラス劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では「高知東映劇場・高知東映パラス」(2館)。1980年の住宅地図では「大劇ビル」。1985年・1990年の映画館名簿では「高知東映劇場・高知東映パラス劇場」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「高知東映」。2000年の住宅地図では「大劇ビル 1階プレイタウンシティーセントラル 2階高知東映 カラオケ俱楽部 3階高田興行 4階高知東映」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。建物の大劇ビルは現存。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1975年3月、東映直営館の「高知東映パラス」が開館した。*31

1990年から1991年のこのほど、東映系の8劇場で名称変更があった。秋田東映パラスが「秋田東映シネマ2」に、新潟東映ミラノが「新潟東映パラス」に、横須賀東映パラスが「横須賀東映シネマ2」に、高知東映パラスが「高知東映シネマ2」に、鳥取東映パラスが「鳥取東映シネマ2」に、金沢東映パラスが「金沢東映2」に、富山東映パラスが「富山東映2」に、熊本東映パラスが「熊本東映シネマ2」に改称した。*32

2004年5月21日の『高知新聞』には「高知東映」が8月をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*33

2004年7月17日、高知市秦南街1丁目のイオン高知ショッピングセンターにシネコン「TOHOシネマズ高知」が開館する。高知県初のシネコンであり、9スクリーンを有する。年間65万人の集客を目指している。これに伴い、繁華街の本町1丁目にある「高知東映」は8月末での閉館を決定した。高知東映は1975年に2スクリーン計約900席で開館し、1992年に1スクリーン311席となった。*34

2004年8月31日、高知市本町1の映画館「高知東映」が閉館した。1975年3月に開館し、土佐を舞台とした『鬼龍院花子の生涯』(1982年製作)が上映された際には1日で3500人を超す観客が集まった。最終上映作品はアニメ映画『金色のガッシュベル 101番目の魔物』だったが、最終日の観客は少なかったという。今年7月にはシネコン「TOHOシネマズ高知」が開館しており、今後は東映配給作品がTOHOシネマズ高知で公開される。*35

2004年8月31日をもって、高知市本町1丁目の映画館「高知東映」が閉館した。1975年に開館し、約30年間営業していた。全盛期には数多くの名優が来館したという。*36
高知松竹/高知松竹劇場/高知松竹・高知日活モデル劇場/高知松竹劇場・高知松竹ピカデリー劇場・高知にっかつモデル劇場/高知松竹ピカデリー1・2・3/高知シネプラザ
所在地 : 高知県高知市本町85(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)、高知県高知市本町1-3-22(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1956年12月26日
閉館年 : 2005年6月17日(高知松竹)、2005年11月11日(高知シネプラザ)
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「高知松竹劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「松竹劇場」。1960年の映画館名簿では「高知松竹」。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「高知松竹劇場」。1968年の住宅地図では「松竹劇場」。1978年の映画館名簿では「高知松竹・高知日活モデル劇場」(2館)。1980年・1985年の映画館名簿では「高知松竹劇場・高知ピカデリー劇場・高知にっかつモデル劇場」(3館)。1980年の住宅地図では「高知プラザ会館」。1990年の映画館名簿では「高知松竹ピカデリー劇場・高知にっかつモデル劇場」(2館)。1995年の映画館名簿では「高知松竹映画劇場・高知松竹ピカデリー劇場・高知にっかつモデル劇場」(3館)。2000年・2005年の映画館名簿では「高知松竹ピカデリー1・2・3」(3館)。2000年の住宅地図では「高知プラザ会館 2階松竹ピカデリー映写室 3階高知松竹ピカデリー2 4階高知松竹ピカデリー3」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2013年竣工のマンション「セントラルレジデンス」建物西側。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

1956年12月20日には高知市に「OS劇場」が、12月22日には「旭東宝」が、12月26日には「高知松竹劇場」が、12月27日には「はりやま劇場」が、12月30日には「高知第一劇場」が、12月31日には「朝日劇場」と「高知劇場」が開館した。12月下旬だけで7館が、1956年内には14館が増加し、高知市の映画館は31館となった。*37

1977年7月、日活は「高知日活」を開館させた。*38

1998年7月11日、高知市本町1-3-22 高知プラザ会館4階に「高知ピカデリー1・2・3」が開館した。1が181席、2が212席、3が120席。高知にっかつモデル劇場を譲り受け、高知松竹と高知ピカデリーの跡地も用いた。経営は松竹関西興行。*39

2005年4月9日、高知市本町1の映画館「高知松竹ピカデリー」で『ハルウララ』の全国先行上映が始まった。高知競馬で113連敗中の人気馬であるハルウララを描いている。森川時久監督や出演した賀来千香子が舞台挨拶を行った。*40

2005年6月17日、松竹シネマエンタープライズによる「高知ピカデリー1・2・3」が閉館した。*41

2005年10月23日の『高知新聞』1面には「高知東宝」が2006年1月に、旧「松竹」が11月11日に閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*42

2005年10月23日の『高知新聞』28面には「高知東宝」と旧「高知松竹」の閉館が決定したという記事が掲載されている。現物は未確認。*43

高知市帯屋町1丁目のPopolo東宝ビルにある映画館「高知東宝」と本町1丁目の電車通りに面したビルにある「高知シネプラザ」の閉館が決まった。高知東宝は2006年1月末に、高知シネプラザは2005年11月中に閉館する予定。2005年6月には「高知松竹」から松竹が撤退したが、7月中旬には「高知シネプラザ」に改称して営業を再開した。しかし、売り上げはかつての3分の1程度に落ち込んでいた。*44

2005年11月11日をもって、高知市本町1丁目の映画館「高知シネプラザ」が閉館した。旧称は高知松竹ピカデリー。高知市中心部にあり、電車通りに面している。昭和50年代前半に現在の建物で開館し、女優の羽田美智子が訪れたこともあった。2004年7月にイオン高知にシネコンが開館したことで観客数が激減した。2003年には約21万5000人だったが、2004年には約4割減少した。2005年6月に松竹が撤退し、7月には改称して営業を続けていた。*45
高知東宝会館
所在地 : 高知県高知市帯屋町27(1973年・1975年)、高知県高知市帯屋町1-9-4(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1970年頃(ビル化)
閉館年 : 2006年1月29日
前身館は高知東宝劇場。1970年の映画館名簿には掲載されていない。1971年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「高知東宝・高知宝塚」(2館)。1971年の映画館名簿では経営会社が東宝関西興行、経営者が松岡辰郎、高知東宝の支配人が山本修三、高知宝塚の支配人が木村博、鉄筋造2階冷暖房付、高知東宝が564席で東宝を上映、高知宝塚が809席で洋画ロードショーを上映。1980年・1985年の映画館名簿では「高知東宝劇場・高知宝塚劇場」(2館)。1980年の住宅地図では「東宝会館 高知宝塚 高知東宝」。1990年の映画館名簿では「高知東宝1・2・高知宝塚劇場」(3館)。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「高知東宝1・2・3」(3館)。2000年の住宅地図では「ポポロ東宝 2階高知東宝2 高知東宝3 5階高知東宝1」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2007年開業のビジネスホテル「リッチモンドホテル高知」。最寄駅はとさでん交通伊野線堀詰電停。

2005年3月6日の『高知新聞』には「高知東宝会館」が時期未定だが閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*46

高知市帯屋町1丁目のPopolo東宝ビルにある映画館「高知東宝」と本町1丁目の電車通りに面したビルにある「高知シネプラザ」の閉館が決まった。高知東宝は2006年1月末に、高知シネプラザは2005年11月中に閉館する予定。高知東宝は約50年前に現在地に開館し、1969年に地下1階・地上6階建てのビルに移った。帯屋町筋商店街のアーケードにある映画館として親しまれた。2004年7月に「TOHOシネマズ高知」が開館したことで売上が低迷していた。閉館後にはビルを解体し、跡地はビジネスホテルになる予定。*47

2005年10月31日、高知市中心市街地活性化推進懇話会の会合で帯屋町1の映画館「高知東宝」と本町1の映画館「高知シネプラザ」の閉館が明らかにされた。2004年7月にシネコン「TOHOシネマズ高知」が開館したことが理由。高知東宝は2006年1月末に閉館する予定。高知東宝が入居しているビルは取り壊され、跡地にはビジネスホテルが建設される予定。*48

2006年1月29日、高知市帯屋町の映画館「高知東宝」が閉館する。高知市中心部では唯一のロードショー館だった。1954年12月、「高知東宝劇場」として開館した。1969年には地上6階・地下1階建のビルとなり、1987年には3スクリーン計約800席の映画館に生まれ変わった。2001年に上映した『千と千尋の神隠し』は連日1000人以上の観客を集め、近くの中央公園まで行列ができた。2001年には36万7000人の観客を集め、興行収入は約5億円に達した。2004年7月には高知市にシネコンが進出し、2005年の観客数は7万4000人、興行収入は9200万円にまで落ち込んだ。最終日の1月29日には『タイタニック』などを上映し、『飢餓海峡』が最終上映作品となった。*49

2006年1月29日、高知市の映画館「高知東宝会館」が36年の歴史に幕を閉じて閉館した。高知市中心部のアーケード街唯一の映画館だった。2004年には「高知東映」が、2005年11月には松竹系映画館が閉館しており、高知市中心部から一般映画館がなくなった。1月7日から1月29日までは、『砂の器』や『ロード・オブ・ザ・リング』などの名作30作品を1本500円で上映する「サヨナラフェスティバル」を実施していた。2005年10月から12月の月間入場者数は3000人台から5000人台だったが、1月は28日までに約7700人と増加した。*50

2006年1月29日をもって、高知市帯屋町1丁目の映画館「高知東宝」が閉館した。1954年に開館し、アーケード内の映画館として親しまれた。2004年には郊外に同じ東宝系のシネコンが開館し、「高知東映」や「高知松竹ピカデリー」が相次いで閉館した。高知東宝が閉館したことで、高知市中心部の封切館がすべて姿を消した。*51

2006年1月30日の『高知新聞』には「高知東宝」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*52

2006年6月4日の『高知新聞』には「高知東宝会館」跡地にロイネットホテルが進出するという記事が掲載されている。現物は未確認。*53

2007年10月、高知市帯屋町に「リッチモンドホテル高知」がオープンした。2006年1月に閉館した映画館「高知東宝」の跡地。東宝がアールエヌディーホテルズに土地と建物を貸す形で契約を交わした。映画館跡地は商業価値が高く、2006年に閉館した函館東宝ビルの跡地などにもホテルが進出している。*54
高知小劇/高知小劇場
所在地 : 高知県高知市本町99(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)、高知県高知市本町2-2-7(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 2013年3月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1950年7月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「高知小劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「小劇」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「高知小劇」。1968年の住宅地図では「小劇」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「高知小劇場」。1980年の住宅地図では「小劇」。2000年の住宅地図では「高知小劇」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は国道32号中ノ橋通り交差点南南西60mの有料駐車場「あなぶきパーク高知本町101」。最寄駅はとさでん交通伊野線大橋通電停。

2013年4月1日付『高知新聞』には、高知市の成人映画館「高知小劇」が閉館したという記事が掲載されている。現物は未確認。*55
ウィークエンドキネマM
所在地 : 高知県高知市帯屋町1-13-8 アルカビル1階(2018年)
開館年 : 2017年10月7日
閉館年 : 2019年1月23日
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2018年の映画館名簿では「ウィークエンドキネマM」。2018年の映画館名簿では経営会社が桃山商店、代表者が中村桃子、支配人が宇賀朋未。2020年の映画館名簿には掲載されていない。

2017年10月7日、高知市帯屋町1のおびさんロード商店街に映画館「ウィークエンドキネマM」が開館する。代表は映画監督の安藤桃子であり、安藤は『0.5ミリ』の撮影をきっかけに高知に移住している。1スクリーン57席。2018年12月末までの期間限定で営業する。*56

2019年1月23日、高知市帯屋町1丁目の映画館「ウィークエンドキネマM」がビル建て替え前の最終上映を行った。高知市在住の映画監督である安藤桃子が運営する。2021年春には新築される13階建てのビル内にリニューアルオープンする予定。最終上映には安藤桃子の父親である奥田瑛二、母親である安藤和津も駆け付けた。*57

「ウィークエンドキネマM」に言及している書籍として、藤森照信(文)、中馬聰(写真)『藤森照信のクラシック映画館』青幻舎、2019年がある。*58

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
あたご劇場/高知あたご劇場
所在地 : 高知県高知市愛宕町(1958年)、高知県高知市愛宕町79(1960年)、高知県高知市愛宕町1-79(1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)、高知県高知市愛宕町1-1-22(1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年・2022年)
開館年 : 1955年4月23日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : あたご劇場
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「あたご劇場」。1956年の映画館名簿では経営者が水田兼水、支配人が永幡寿男、木造2階、定員400、邦画・洋画を上映。1956年の高知市内明細地図では「アタゴ劇場」。1959年の高知市縦横明細地図では「アタゴ劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年・2022年の映画館名簿では「高知あたご劇場」。1968年の住宅地図では「あたご劇場」。1980年の住宅地図では「あたご劇場」。2020年の映画館名簿では経営者・支配人ともに水田朝雄、150席。2022年の映画館名簿では経営者が水田敦己、支配人が西川泉、150席。最寄駅はJR土讃線高知駅。

1955年4月22日の『高知新聞』広告。アタゴ劇場が「あす23日開館 開館御挨拶」とある。*59

1955年4月23日、高知市愛宕町1丁目に映画常設館「アタゴ劇場」が開館した。オープニングはフォックス映画の『荒野の襲撃』とパラマウントの『底抜け艦隊』の二本立。江ノ口地区の住民の要望によって開館が実現した。定員400の小劇場だが、客席は全席モケット張りの1人用椅子である。上映作品は邦画・洋画の自由選択。経営者は水田兼水(37)。高知市の映画常設館は14館となった。*60

1955年4月23日、高知市愛宕町に「愛宕劇場」が新設開館した。安芸市の「安芸太平館」の館主である水田定美が建設した。邦画・洋画二番館。収容人員450。総工費700万円。*61

1955年4月23日、高知市に「あたご劇場」が開館した。もともとは3月3日に開館する予定だったが、2月27日には高知県興行組合から配給各社に対して、あたご劇場にプリントを配給しないように申し入れが行われ、4月23日まで開館が遅れた。その後5月15日、高知県興行組合は再び配給各社に対して、あたご劇場への配給を取りやめるように申し入れている。高知市では新館ラッシュが起こり、既存館とあたご劇場が対立している。*62

1955年4月23日、高知市江ノ口に映画館「あたご劇場」が開設された。*63

高知市愛宕町にある映画館「あたご劇場」を支援するウェブサイトが開設された。ピアノ教師の川村香絵(33)によって製作され、コメントが可能な掲示板も設けられた。あたご劇場は1955年に開館し、高知市で最も古い映画館である。愛宕商店街の路地を右折して30メートルほどの場所にある。木造モルタル2階建て、客席数は150席。劇場主の水田兼美(85)、妻の二三(77)、息子で映写技師の朝雄(50)、娘の昌子(43)など、5人中4人が家族である。2004年夏には高知市秦南町1丁目にシネコンが開館する予定である。*64

1953年、愛宕商店街振興組合の前身組織が発足した際にネオンアーチも設置された。1996年頃には2代目のアーチが建てられた。2006年現在の愛宕商店街にはネオンアーチが7基もあり、夜になると赤と青の電飾が灯る。通りは江戸時代から愛宕神社の参道としてにぎわい、戦後には商店街が発展した。2006年現在は南北380mの商店街で71店舗が営業している。2000年には北東1kmの場所にイオン高知が開業し、2002年にはJR土讃線の高架化で共同駐車場がなくなった。2005年末の空き店舗率が26.73%であり、高知市に20ある商店街で最も高かった。店主の8割以上が60歳以上である。*65

1919年12月7日、水田兼美は高知県安芸郡安芸町に生まれた。実家は料理店と映画館「安芸太平館」を経営しており、兼美は13人兄弟姉妹の12番目だった。旧制安芸中学校時代にバイオリンに魅了され、東京の日本大学芸術学部に進学した。戦後には故郷で税務署に勤務し、その後は安芸太平館の移動班としてポータブル映写機を持って地方を巡回した。1955年春には高知市の江ノ口地区にある空き地を購入して「あたご劇場」を開館させた。その後「さえんば劇場」も開館させたが、さえんば劇場は経営不振によって1年あまりで閉館させた。近くには浜川市議会議員が経営する「江ノ口劇場」があったが、江ノ口劇場の閉館後にはあたご劇場が東映の上映権を引き継いだ。高知市においては東映二番館の「第二劇場」に次ぐ東映三番館だった。晩年には認知症となり、2009年1月22日に江ノ口川で溺れて事故死した。2009年7月4日と7月5日、テッケン(高知大学映画徹底研究会)の主催によって、「高知あたご劇場」で元館主である水田兼美の追悼無料上映会が開催された。7月4日は『牡丹燈籠』が、7月5日は『釈迦』が上映された。*66

日本映画研究家の円尾敏郎は、高知大学に在学していた1979年から1982年に「第二劇場」と「あたご劇場」に足しげく通った。*67

高知城の北東の高知市愛宕町には、1955年開館の映画館「あたご劇場」がある。館主の水田朝雄(63)の実家は大正期から映画館の経営を行っており、県外の大学を卒業した後に父親が経営するあたご劇場を手伝い始めた。経営は10年以上も赤字であり、2012年末で閉館する予定だったが、約600万円を投じてドイツ製デジタル映写機を購入し、フィルム映写機と併用しながら映画館を存続させた。2013年現在の上映本数は年間約40本であり、旧作のほかに新作も多く上映している。*68

2015年、高知市唯一の単館映画館「あたご劇場」は開館60周年を迎えた。館主の水田朝雄(66)、高知松竹にも勤務していた西川泉(44)、常連客だった岩崎千尋(58)の3人で営業している。1955年、水田朝雄の父である水田兼美によって開館した。水田朝雄は東京の大学を卒業後に帰郷してあたご劇場で働き始めた。1980年代にはレンタルビデオが普及し、1990年代には各地にシネコンが進出しだすと、2004年には高知市にもシネコンが登場した。2009年には水田兼美が事故で死去し、水田朝雄の妹の水田晶子、母の水田二三も営業に携わったが、2010年には水田晶子が癌で死去、2012年には水田二三も事故で死去した。水田朝雄は閉館も検討したが、デジタル映写機を購入して営業を続けることを決めた。*69

2017年8月26日、高知市愛宕町1丁目の「あたご劇場」で『吉田類の「今宵、ほろ酔い酒場で」』の公開が始まり、初日には主演を務める吉田類と長尾直樹監督の舞台挨拶が行われる。吉田は仁淀川町出身。*70

2021年10月、高知市の「あたご劇場」の水田朝雄館長が病気で死去した。館長の弟の妻である水田サリーが管理を、スタッフだった西川泉が上映を引き継いで営業を継続している。1955年に水田朝雄の父である水田兼美によって創業し、兼美の妻の水田二三などとともに家族で経営していた。西川泉は高知松竹ピカデリーに勤務した後にあたご劇場のスタッフになった。*71

2021年10月、高知市愛宕町1の「高知あたご劇場」の2代目館主である水田朝雄(72)が死去した。水田朝雄の弟の妻である水田サリー(42)が経営を引き継ぎ、10年ほどスタッフを務めている西川泉(51)とともに上映を続けている。水田サリーはインドネシア出身であり、家族の思いが詰まった映画館であるとして続けることを決意した。1955年に開館した映画館である。*72

「高知あたご劇場」に言及している書籍として中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*73

「高知あたご劇場」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*74

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
TOHOシネマズ高知
所在地 : 高知県高知市奏南町1-4-8 イオン高知SC 3階(2005年)、高知県高知市秦南町1-4-8 イオンモール高知3階(2010年・2015年・2020年)
開館年 : 2004年7月17日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ高知1-9」(9館)。最寄駅はJR土讃線高知駅。

2004年7月17日、イオン高知ショッピングセンターの3階と4階に、シネコン「TOHOシネマズ高知」が開館する。延床面積は約5,800m2。9スクリーン計1597席を有し、延床面積と座席数で四国最大のシネコンとなる。年間65万人の観客と8億円の売り上げを目指している。2001年の開館を目指していたが、中心市街地への影響などを理由に高知市議会が反対した。イオン側は11万人分の署名を集めて建設を申請し、高知市が認めなかったことから訴訟に発展したが、2003年9月に高知市が敗訴して建設許可が下りた。東宝関西興行は高知市帯屋町に「高知東宝」を経営しているが、シネコンとの共存を図るとしており、すぐに撤退する気はないという。*75

2004年7月17日、高知市秦南街1丁目のイオン高知ショッピングセンターにシネコン「TOHOシネマズ高知」が開館する。高知県初のシネコンであり、9スクリーンを有する。年間65万人の集客を目指している。これに伴い、繁華街の本町1丁目にある「高知東映」は8月末での閉館を決定した。高知東映は1975年に2スクリーン計約900席で開館し、1992年に1スクリーン311席となった。*76

2004年7月17日、高知市のイオン高知SC3階・4階部分にシネコン「TOHOシネマズ高知」が開館する。高知県初のシネコンであり、9スクリーンを有する。総床面積5821m2、座席数計1579席はいずれも四国最大。7月16日には『世界の中心で愛をさけぶ』に出演した長沢まさみなどが招待された開館記念式典が開催された。*77

2004年7月には高知市郊外に、高知県内初のシネコンとして「TOHOシネマズ高知」が開館。10スクリーン計約1600席。同年8月には本町1丁目の「高知東映」が閉館し、翌2005年3月には帯屋町1丁目の「高知東宝」が閉館を決定した。同年6月末には本町1丁目の「高知松竹ピカデリー」も閉館するが、高知松竹ピカデリーの支配人は運営を引き継ぐ方針を示しており、松竹の撤退後しばらくして営業を再開する予定である。TOHOシネマズ高知の開館後、高知東宝と高知松竹ピカデリーの観客数は従来の3割にまで激減していた。*78
キネマミュージアム
所在地 : 高知県高知市帯屋町1-13-8(2024年)
開館年 : 2023年11月3日
閉館年 : 営業中
前身館はウィークエンドキネマM。2024年の映画館名簿では「キネマ ミュージアム」。2024年の映画館名簿では経営会社が株式会社桃山商店、経営者・支配人ともに安藤桃子、64席。最寄駅はJR土讃線高知駅。

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