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岐阜県の映画館

岐阜市や飛騨市、大垣市と、県内の風景が登場する映画が次々に公開され、舞台を訪れる“聖地巡礼”などの波及効果が広がる一方、県内で映画館の減少が続いている。羽島市歴史民俗資料館・映画資料館の調査によると、2000年と比べておよそ半分の8件に減った。ここ10年間で飛騨地域など映画館のない空白地帯もできており、新作映画を楽しめる環境に地域格差が生じている。映画資料館では、岐阜新聞の広告欄や業界誌などを基に県内の映画館数の推移を調べ、各館の往時の外観写真とともに伝える企画展を12月18日まで開催。東映や日活などの製作会社ができた1950年代に急増、60年代には150軒以上があったという。業界で統廃合が進み80年代までに30軒ほどに激減するものの、映画館が県内各地に点在していたことを地図や年表で紹介。*1


シネコン閉鎖。昨年末、大阪府のワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田が閉館を発表。経営不振によるシネマコンプレックス(シネコン)の閉館は国内初とされ、業界に衝撃が走った。スクリーン数5以上の複合映画館シネコンは、映画業界を斜陽から成長産業へと変容させ、この10年でスクリーン数は70%も増加した。県内でも急増し、現在6館。そのほとんどがショッピングセンターとの併設で、半径15キロ圏内にひしめく。複合商業施設の目玉として激増を遂げたシネコンは今、岐阜を舞台に新たな局面を迎えている。
昨年7月、商業施設イオン各務原ショッピングセンター内に10スクリーンを備えるワーナー・マイカル・シネマズ各務原がオープンした。東海地区初の3Dデジタルシステムも導入。ワーナー・マイカル・シネマズ各務原の開館で、県内のシネコンスクリーン数は66に達した。特に、2005年からの3年間はオープンラッシュ。大垣コロナシネマワールド(大垣市)、TOHOシネマズモレラ岐阜(本巣市)を含め、32スクリーンが上積みされた。6館のうち、5館は商業施設内にある。モレラ岐阜にあるTOHOシネマズモレラ岐阜と、カラフルタウン岐阜にあるTOHOシネマズ岐阜(岐阜市)の2館を運営する中部東宝は「今や映画館単独では成り立たない。広い駐車場と多様なコンテンツを持つ商業施設との相乗りで、より広い地域から幅広い年齢層を集めなければ、収益は確保できない」と話す。
昨年3月、先駆者のシネマ・ジャングル(羽島郡岐南町)が休館し、淘汰の幕開けを予感させた。「上映作品自体に手を加えるわけにはいかず、目を引くような独自性を出すことは難しい」(中部東宝)のが現状。4月に増床オープンを控える商業施設マーサ21(岐阜市)はこういった理由から、あえてシネコンの導入を避けた。シネックスマーゴ(関市)が入る商業施設サンサンシティマーゴを運営するサン・ストラッセの広瀬武男社長は「シネコン自体は赤字。商業施設への集客や広告効果を考えて運営している」と、シネコン経営の厳しさを明かす。*2

岐阜市

岐阜市の映画館の概観

柳ヶ瀬を中心とする一帯は岐阜市商業経済の中心部で、各種の店舗が密集し、中都市としては稀な大繁華街を形成している。中でも本市最大の丸物デパート前から平和通りを経て西へ延びる柳ヶ瀬通りは、戦後いち早く復旧し、そのにぎわいは他の追従を許さず、観光岐阜市の代表的繁華街として広く知れ渡っている。こゝから日ノ出町、神室町にかけての一帯は、いわゆる興行街で、岐阜劇場をはじめ、第一映画劇場衆楽館青雲館自由映画劇場セントラル映画劇場小劇場満鉄会館豊富座金華映画劇場満映画劇場など10指に余り、これに長良映画劇場宝塚館真砂座、およびニューフェイスの駅前日本劇場を加えるとしない映画劇場は実に15館に達し、市民1万5千名に1館の割となっている。*3


岐阜都市圏で開館したシネコン*4
1996年 シネマジャングル(羽島郡岐南町)
2000年 AMCリバーサイドモール(本巣郡真正町)
2000年 シネタウン岐阜(羽島郡柳津町)

柳ケ瀬で閉館した映画館*5
2000年 岐阜ピカデリー
2001年 シネアールイマージュ
2001年 岐阜豊富東映劇場

柳ケ瀬の映画館の観客数は、シネコン進出前の1996年が約30万2000人だったが、2001年には24万2000人と2割減少した。一方でシネコン3施設の2001年の観客数は148万人であり、柳ケ瀬7館の総観客数はシネコンの16%。岐阜市とその周辺のスクリーン数は13から43に増加。封切り率は洋画が22%から46%に増加し、邦画が25%から30%に増加。*6

満映画劇場

(岐阜市日之出町、代表者古川一男)岐阜市の繁華街柳ヶ瀬の中心部に県下最大の規模と合化設備とをもって誇る同劇場は、昭和21年4月戦後の大衆に慰安を与えようと古川氏が娯楽の殿堂として逸早く開館した。昭和24年4月、不幸火災に遭遇したが、同年11月鉄筋コンクリート建、地階、一階、二階、中二階を持つ411坪、定員1,200人の近代的建築として復興した。この建築は、建築雑誌として有名な「建築文化」1951年5月号にも、歌舞伎座、明治座等と共に、近代劇場としてその内容を紹介されたほど立派な物である。外観ばかりでなく、演劇舞台設備を始め照明装置も完備し、ローヤルL型最新水冷式映写機、ローヤル製最新切換付アンプ・デラックなど大衆娯楽の殿堂として恥ずかしからぬ施設を備え、映画のほか、東西の一流芸能人を動員して、毎週豪華なアトラクションを公開して岐阜市民を楽しませている。*7

岐阜土地興行

(岐阜市日之出町、取締役会長古川鉄男)資本金2千万円で大正13年8月設立された同社は、昭和4年、興行会の進歩発達を図るため岐阜市内の4映画館が合併し新発足したもので、岐阜市内の実でも松竹館松竹座東亜キネマ演芸館岐阜劇場などを買収して来た。現在、県下第1の収容力を有する岐阜劇場は、昭和11年総工費23万円で鉄筋コンクリート建で完成、戦災と昭和24年の2回に亘り火災に遭遇したが、その都度、内容、外観を充実させて、きょうの大劇場たらしめたものである。同社現在の直営館は8館で、岐阜市内5館の1ヶ月の興行収益は6百万円を突破している。*8

劇場名建坪収容人員所在地
岐阜劇場7801,643岐阜市
第一映画劇場3501,278岐阜市
衆楽館220842岐阜市
青雲館235800岐阜市
日本劇場230500岐阜市
那加映画劇場136不明岐阜県那珂町
長浜映画劇場194不明滋賀県長浜市
関自由映画劇場不明不明岐阜県関市

1924年(大正13年)に岐阜土地興業が設立された。それ以前から篠田軍治の実兄の土屋禎一が劇場経営をしており、1920年(大正9年)には篠田も参画している。1929年(昭和4年)に経営各館を統合。1954年(昭和29年)に篠田が岐阜土地興業の社長となり、1956年(昭和31年)に会長となった。篠田は1962年(昭和37年)に会長を退いたが、1984年(昭和59年)に社長の土屋二郎が死去すると、篠田が社長に復帰して3年間トップを務めた。篠田は1987年(昭和62年)に社長を退いて相談役となった。*9

岐阜豊富東映劇場

所在地 :
開館年 : 1945年頃
閉館年 : 2002年9月13日
Wikipedia : 豊富座
2002年9月13日をもって岐阜豊富東映劇場は閉館。近年に岐阜市郊外に相次いで開館したシネコンの影響。旅館を経営していた江崎氏が1906年に芝居小屋の豊富座を設立し、1945年頃に映画館に転換。定員は280人、座席は267席。1980年代初頭の全盛期には1日1700人以上の観客があり、切符売り場から神田町通りまで行列ができたことも。東映中部支社との契約が切れるのを機に閉館を決意。なお、東映中部支社は名古屋市の直営館の名古屋東映も9月13日に閉館させる。*10

2001年に閉館した映画館「豊富東映劇場」を改装し、2007年12月8日に大衆演劇の常設劇場「豊富座」が開館する。東海地方を拠点とする劇団「葵一門」の拠点となる予定であり、葵一門以外の劇団も出演する。改装で舞台部分を広げ、花道を設置した。*11

2011年7月1日、柳ケ瀬の豊富座が神田町の岐阜メルサファッション館に移転して、ぎふ葵劇場として開館する。191席の豊富座から、客席数300席の大型劇場に生まれ変わる。8階の旧音楽ホールを改装。豊富座は6月末で閉館。*12

2011年7月1日、ぎふ葵劇場が開館する。客席数は300席であり、大衆演劇の常設劇場としては全国屈指の規模。開館記念式典には細江茂光岐阜市長や代議士が出席。開館記念公演の一部には早乙女太一も出演。*13

自由劇場/衆楽館(衆楽)

所在地 : 岐阜市日ノ出町(柳ケ瀬)
開館年 : 1920年
閉館年 : 2006年4月10日
岐阜市日ノ出町の「自由劇場」は洋画の封切館として親しまれていたが、1999年3月6日の改装オープンを機に名称を「衆楽2」に改称する。自由劇場は岐阜市内に映画館7館を持つ岐阜土地興行が経営しており、柳ケ瀬商店街の一角にある鉄筋3階建てビルの1階にある。2階は「衆楽劇場」が入っている。戦前の自由劇場は、現在の高島屋岐阜店の北東にあった。1945年7月の岐阜空襲で焼失したが、約8か月後にバラック建てで再開館し、洋画の封切館として知られた。この映画館は1974年に閉館となったが、現在の自由劇場の場所にあった映画館を自由劇場に改称し、名前を引き継いだ。改装オープンを機に、座席数は224席から180席に削減され、音響設備の充実化が図られた。*14

2006年4月3日、岐阜土地興行の篠田元弘社長は「衆楽館」を今月10日に閉館することと発表した。衆楽館は岐阜高島屋に隣接しており、跡地には商業施設を新築して年内に開業する予定。衆楽館は1920年(大正9年)に開館した老舗であり、終戦後にはいち早く復興した。一日8000人の観客を集めた時期もあり、柳ヶ瀬の隆盛を誇る場所の一つである。1982年に上映した『E.T.』は3か月間で観客10万人を集めた。郊外のシネマコンプレックス(シネコン)に押されて観客数は伸び悩み、近年は3分の1ほどに客足が落ちていた。閉館の理由には観客数の低迷に加えて老朽化もある。4月8日から4月10日までは、かつて上映した映画を中心にした特別上映会を開催する。料金は500円。上映スケジュールは8日が『クレーマークレーマー』『荒馬と女』、9日に『未知との遭遇』『裸足の伯爵夫人』。*15

2006年4月3日、岐阜土地興行は「衆楽」の4月10日限りでの閉館を発表した。4月11日にも解体に着手する。2005年10月に岐阜高島屋がリニューアルすると、岐阜高島屋の売上高は前年比10%と好調を維持していたため、岐阜土地興行は岐阜高島屋の北出入口すぐ向かいにある「衆楽」の建て替えを決断した。上映スケジュールは8日が『クレーマークレーマー』『荒馬と女』、9日に『未知との遭遇』『裸足の伯爵夫人』、10日に『ゴッドファーザー』『雨に唄えば』。*16

シアターペルル

所在地 : 岐阜市柳ケ瀬通2
開館年 : 1987年11月20日
閉館年 : 2005年12月2日
Wikipedia : シアターペルル
1987年、柳ケ瀬の中心部にあるビルの4階に、139席の映画館として「シアターペルル」が開館。ロードショー作品と単館系作品の双方を上映してきた。しかしシネマコンプレックスの隆盛で客足が伸び悩んだことから、2001年8月には単館系専門の映画館にリニューアルされた。岐阜県で初となる単館系専門の映画館である。8月25日からはアート系アメリカ映画『彼女を見ればわかること』が上映され、若い女性の人気を得た。*17

昔から柳ケ瀬は「映画の町」だったが、映画産業が斜陽化するにつれて各映画館の観客数も減少しているが、「シネアール・イマージュ」(1991年開館・74席)と「シアター・ペルル」(1987年開館・75席)はアート系作品で女性客を中心に支持を集めている。双方とも中嶋屋が運営している。1992年のシアター・ペルルの売り上げは、前年比20%増加。館内での飲食を原則禁止とし、その代わりにロビーでコーヒーのサービスをするなど、雰囲気作りに気を使っている。*18

1986年に開館。良質な映画を上映するミニシアターの先駆け的存在、全国的にも珍しいミニシアターだった。2005年12月2日をもって閉館。入居するペルルビルを含めた再開発事業が進んでいるため。*19

シネアールイマージュ

所在地 : 岐阜市柳ケ瀬通
開館年 : 1991年11月22日
閉館年 : 2001年8月31日
1991年11月にアート系ミニシアターとして開館。岐阜県では一般上映されにくいアート系の作品を隔月で「ナイトシアター」として上映し、固定客をつかむなど人気を集めている。1996年11月には開館5周年を迎え、11月23日からは『天使の涙』(ウォン・カーウァイ監督)、『愛のめぐりあい』(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)、『キッズ・リターン』(北野武監督)の3作品を1週間ずつ記念上映する。*20

岐阜市柳ケ瀬通のシアターペルルが1991年11月22日に新劇場の「シネアール・イマージュ」を開館させる。場所はシアターペルルの東隣。ファッションビル「イマージュ」(旧近鉄アミコ)の4階。74席。11月22日から12月6日までの上映作品は『エンジェル・アット・マイ・テーブル』。12月7日から1月3日は『おしゃれ泥棒』と『いつも二人で』と『暗くなるまで待って』のオードリー・ヘップバーン主演3作品。11月22日には開館記念イベントとして室井滋のサイン会やトークショーなどを開催。*21

ペルル直営。ファッションビル「イマージュ」の改装に合わせて6000万円を投じて開館した。高級素材を用いた大き目のソファ席が74席。ロビーではコーヒーの無料サービス。*22

11月28日から12月18日まで、オードリー・ヘップバーンの『麗しのサブリナ』、エリザベス・テーラーの『陽のあたる場所』、イングヂッロ・バーグマンの『カサブランカ』を上映。カサブランカは岐阜市初のニュープリント版の上映。*23

1993年5月29日から上映する『ロレンツォのオイル 命の詩』の午前中の入場者にコーヒーとチーズケーキのモーニングサービスを提供。コーヒーとチーズケーキは好きなだけ食べることができる。平日のみ。*24

1993年8月から、午後7時以降に上映するナイトシアターを開催。偶数月の第二水曜・木曜。第1回は8月18日・19日のビクトル・エリセ監督作『マルメロの陽光』。スペインの画家であるアントニオ・ロペスを題材としている。*25

1991年11月にシアターペルルの姉妹館として開館。2001年6月には入居する柳ケ瀬ビルが岐阜地方裁判所に破産申請し、同所での営業が困難となったため、8月末をもってやむなく閉館する。20-30代の女性(ヤングミセス層)が客層。*26

岐阜日活/岐阜ピカデリー

所在地 :
開館年 : 1956年
閉館年 : 2001年1月31日
1956年に岐阜日活として開館。1980年代に名古屋市の洋画配給会社の傘下に入って洋画封切館となり、1983年の高倉健主演『南極物語』は連日満員となり、入れ替え時に非常口を開放したほどだった。1990年代後半のシネコン進出の波を受け、シネコンと上映作品が重複するピカデリーの客足は鈍った。2001年1月13日から「さよならフェスティバル」と題して『風と共に去りぬ』などの名作を上映し、1月31日をもって閉館する。*27

2003年末に建物が岐阜ピカデリーから不動産会社の野々垣産業の手に渡った。岐阜ピカデリー跡地に2004年7月末にイベントホール「club-G」が開館する。映画館の音響装置をライブ用に転用。スクリーンはそのまま残す。座席はすべて取り除いて立ち見とし、400-500人をスタンディングで収容可能に。可動式のいすも150席ある。後方にはドリンクカウンターを設置。*28

岐阜東宝・岐阜松竹

所在地 :
開館年 :
閉館年 :
1956年6月、岐阜土地興行が岐阜東宝と岐阜松竹の2館を開館させた。岐阜東宝のこけら落としは東宝の『白夫人の妖恋』。八千草薫と山田真二が舞台挨拶を行った。岐阜松竹はニュース映画館としてのスタートだった。岐阜東宝では『ゴジラ』や『男はつらいよ』シリーズなどの人気作を上映。劇場通りという通りの名前の由来となった。新たに地下1階・地上8階建ての映画館の建設を計画しており、5階から8階を映画館とする予定。1974年に岐阜東宝で上映した『日本沈没』はその大迫力に貧血で倒れる観客が続出し、何度も救急車が呼ばれた。岐阜市出身の映画監督である神山征次郎は18歳まで岐阜にいたが、「隣の喫茶店でお茶を飲んで映画を観るのがデートの定番じゃったわい」と語る。「わしのデビュー作は地下の松竹で上映させてもらったんじゃよ」。岐阜市長良児童センター長の内藤紀男は「(岐阜)東宝といえば『社長シリーズ』『ゴジラ』『七人の侍』。(岐阜)松竹といえば名監督小津安二郎の作品と、イメージがすぐ結びつくくらいインパクトのある映画館だった」と語る。*29

CINEX(シネックス)

所在地 :
開館年 : 1995年3月22日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : CINEX
1995年3月22日に開館。総工費約30億円。地下1階・地上8階建て。延べ床面積は5700平方メートル。*30

岐阜東宝と岐阜松竹の2館を取り壊して、1995年3月22日に開館したシネックス。開館後3カ月時点では観客数が3割増となった。4スクリーン643席にくわえて、飲食店、カラオケスペース、ゲームセンターなどを加えたアミューズメントビル。岐阜県で初めて車いすスペースを設置。*31

1995年3月23日、地下1階・地上8階建ての複合レジャービル「シネックス」が開館。映画館経営の岐阜土地興行と喫茶店経営の粥川商会が約30億円で共同建設。5階から7階には4館の映画館があるが、4館がそろうのは岐阜県で初めて。69席から292席の中小規模館でありる。1階から3階はアミューズメント施設「ギーゴ」。1階は喫茶店とハンバーガーショップ。地下はイタリア料理店と台湾料理店。4映画館で年間40万人の利用を見込む。*32

各務原市

ワーナー・マイカル・シネマズ各務原

開館年 : 2007年8月
閉館年 :

羽島郡

シネマジャングル

所在地 : 羽島郡岐南町上印食
開館年 : 1996年11月30日
閉館年 : 2007年3月
岐阜県では初の郊外型劇場として、1996年11月30日には6スクリーンの「シネマ・ジャングル」が開館する。1500台分の駐車場を持つ。岐阜市柳ケ瀬で「シアターペルル」を経営するペルルグループによる。シネマコンプレックスと呼ばれるこのような劇場は、近年には日本国内にも進出が続いている。最も大きなスクリーンは201席であり、最も小さなスクリーンは80席。6スクリーンで736人席がある。スタジアム式傾斜型シート配列を採用し、車いす用スロープも設けられる。平日でも夜間上映を実施する。3階建の建物の2階以上が映画館であり、1階には書店・CDショップ・レストランが入居する。国道21号と国道22号が交差する岐南インターのすぐ北側。運営するペルルグループは「岐阜市やその周辺部はもろちん、北は郡上郡まで、南は名古屋市まで商圏にしたい」と話す。*33

TOHOシネマズ岐阜

所在地 : 岐阜県羽島郡柳津町
開館年 : 不明
閉館年 : 営業中
2005年10月29日から12月16日にはTOHOシネマズぎふで、美濃市が舞台の「ミラクルバナナ」を上映。愛知・岐阜両県の上映館8館では観客動員数が最多となっており、12月4日時点で4021人の観客を集めている。錦織良成監督、小山田サユリ主演。先行上映では錦織監督と出演者らがTOHOシネマズぎふで舞台挨拶を行った。*34

大垣市

大垣東映劇場・大垣スター劇場

所在地 : 岐阜県大垣市郭町3-69
開館年 : 1948年
閉館年 : 1997年1月17日
21日午後、大垣市の繁華街にある映画館の外壁が突然崩れ落ち、歩道を歩いていた女性が、落ちてきたタイルでけがをするという事故があった。事故があったのは、大垣市郭町3-69の映画館などが入る雑居ビル「大垣東映会館」で、同日午後3時半ごろ、同ビルの南側外壁が約161平方メートルにわたって崩れ落ちた。同ビル前の歩道を歩いていた会社員吉村孝子さんが、崩れ落ちてきたタイルで、ひざに軽いけがを負った。事故当時、歩道には吉村さんを含めて3人が歩いていたが、他の2人は逃げて無事だった。大垣署の調べでは、同会館は鉄筋4階建て、延べ床面積約800平方メートル。1階にはスナックや飲食店など9店舗、2、3階が映画館、4階は電気機械室になっている。外壁はタイル張り(1個縦5センチ、横10センチ)で、歩道に面した南側外壁の約8割が崩れ落ちた。最大で縦約11メートル、横約21メートルのタイルがモルタルごとはがれ落ちた。同ビルは昭和44年11月に建てられ、内装などの手直しはしていたものの、外壁は当時のままで、南側の壁と同時期に造られた北側の壁は所々亀裂が入っている状態。現場は、JR大垣駅から南へ約1キロほどの商店街で、飲食店やパチンコ店などが並んでいる。事故当時、ビル内の飲食店などは営業しておらず、映画館内には約15人の客がいた。*35


約半世紀にわたって親しまれてきた大垣市郭街東2の映画館・大垣東映会館(松岡健代表)が、17日で閉館する。西濃地方にある5映画館のうち同会館には2館が入っており、残るのは大垣東宝会館(同市栗屋町)内の3館のみ。郊外型の複合アミューズメント施設が主流となる中、街の風景を彩った映画館が姿を消していく。同会館は1948年、松岡代表の祖父健三さんが芝居小屋を譲り受けて操業。60年代の映画ブームで急成長。70年代はカラーテレビの普及などでブームは下火となったが東映“ヤクザ映画”の人気に支えられて好調に推移。当時、市内にあったほかの8軒が軒並み入場者を減らす中で、同館は健闘した。69年に現在の鉄筋4階建ての会館を建設。2つのスクリーンを持ち、テナントとして13店が入居。当時としては画期的な施設だった。ヤクザ映画と日活の成人映画で年間最高15万人の入場者があり、大人の遊び場としてにぎわった。その後、邦画界の低迷、洋画の話題作に人気を奪われ、入場者は年々減少。他館が次々と閉館する中、洋画と子供向け映画を主力に営業を続けたが、最近は一日の入場者が数人という日も少なくなかった。施設の老朽化も激しく、「最終的に閉館を決断せざるをえなかった」という。*36

大垣東宝・大垣スカラ座・大垣シネマ

所在地 : 岐阜県大垣市栗屋町34
開館年 :
閉館年 : 2000年以後2010年以前
シネコンを除けば大垣市最後の映画館。

大垣コロナシネマ

所在地 :
開館年 : 2005年12月17日
閉館年 : 営業中
大垣市三塚町の大型商業施設「ロックシティ大垣」のアミューズメント施設「大垣コロナワールド」が17日、パチンコ店など一部を除き営業を始めた。全国にアミューズメント施設を展開する「コロナ」が建設。私設は鉄骨3階建て延べ約2万平方メートル。10スクリーン計1551席ある映画館、ボウリング場、カラオケ、インターネットカフェ、まんが喫茶、レストラン、託児施設などを備えている。*37

関市

シネックスマーゴ

開館年 : 2003年11月21日
閉館年 : 営業中
関市倉知に21日にオープンするマーゴシネマ館は、複合映画館(シネマコンプレックス)とゲームコーナーや飲食店などがある一大アミューズメント施設。中濃地域初のシネコンとなり、東濃地域や飛騨地域からの集客も期待される。映画館「シネックス マーゴ」は8館からなり、最大スクリーンで313席の広さ。シートはスタジアム形式で見やすさに配慮した。シート最前列とスクリーンの間が広いため、ゆったりと観賞できる。県内映画館初のペアシートが設けられており、2人で鑑賞したいカップルにお勧め。*38


大型ショッピングセンター「サンサンシティマーゴ」を運営するサン・ストラッセが、関市倉知のマーゴ本館北隣に建設していた「マーゴシネマ館」が完成。21日のグランドオープンを前にした19日、地元、取引先関係者ら約230人を招いて完成式と内覧会を行った。同館は、中濃地区初のシネマコンプレックスと県内最大級のアミューズメントを併設しており、鉄骨2階建て延べ約8500平方メートル。1階は岐阜土地興行の「シネックスマーゴ」で、8スクリーン(客席総数1389席で全指定席)を持つ。*39


〔要約〕岐阜市の名鉄新岐阜駅前に次いで岐阜県2店目のスターバックスが関市の「サンサンシティマーゴ」にオープンする。2003年11月21日のマーゴシネマ館のオープンで集客力がアップし、安定した利用が見込めると判断した。*40

可児市

東雲座/ひかり劇場

所在地 :
開館年 : 大正以前(劇場として)、1960年(映画専門館として)
閉館年 : 1965年頃
昭和初期の東雲座では週2-3回の頻度で映画が上映され、上映のたびに恵那の大井にある配給元から映写機が持ち込まれた。ざぶとんや火鉢が5銭程度で貸し出された。1935年(昭和10年)には1階に映写室が設置され、しだいに単なる劇場から映画館としての性格を強めた。1955年には映写室を2階に移動させた。1960年には花道などを撤去して映画専門館に改修され、東雲座からひかり劇場に改称した。しかしテレビが普及するにあたって客足が減り、1965年頃に閉館となった。*41

多治見市

多治見市の映画館

多治見には明治時代から榎元座があり、その他にはかつて本町通にあった文化劇場、1984年現在も営業中の多治見館がある。*42

榎元座

開館年 : 不明
閉館年 : 不明
太平洋戦争後の多治見市において、榎元座は娯楽の殿堂であり、1953年(昭和28年)にはショールの巻き方が流行した『君の名は』が榎元座で公開された。1958年(昭和33年)9月、新町を練歩く榎元座の宣伝隊の写真あり。(吉岡勲・丹羽秀夫(監修)『写真集 思い出のアルバム 多治見』郷土出版社、1984年、p.135))

キネマ多治見館/多治見大映/多治見シネマ

所在地 : 岐阜県多治見市錦町3丁目6
開館年 : 1925年
閉館年 : 2004年
Wikipedia : 多治見シネマ
1931年頃の写真あり。空前のヒットとなった黒沢明監督作『七人の侍』を上映中の多治見館*43

2004年1月31日をもって、多治見市錦町の映画館「多治見シネマ」が閉館する。東濃地方最後の映画館だった。レンタルビデオやDVDの普及などで客を奪われた。1925年に「キネマ多治見館」として設立され、戦後の映画黄金期には「大映多治見」の名称で流行の喜劇シリーズなどを上映した。テレビの隆盛に伴う映画の衰退の中で、多治見市では老舗の「榎本座」、「文化劇場」が相次いで閉館していた。1970年代の多治見シネマは山口百恵主演の青春映画がヒットするなどしたが、1980年代後半からはビデオの普及で経営が悪化した。1990年には愛知県を中心にアミューズメント施設を運営するコロナグループ(本社愛知県小牧市)の傘下に入った。効率化のために館内を多治見シネマ1・2の2館に分け、カラオケも併設するなどして再出発を図ったが、駐車場の狭さが難点となった。往年には一日500人以上だった来場者が近年は80人前後にまで落ち込んだ。1年ほど前から閉館が検討され、昨年秋ごろに正式に決まった。最終日の上映作品は『ラスト・サムライ』『ファインディングニモ』『マトリックス3』である。閉館イベントは特に予定していない。*44

東濃地域唯一の映画館である多治見市錦町の「多治見シネマ」は、複合映画館(シネコン)が台頭したことによる経営難のために、2004年1月いっぱいで休館する。再開のめどは立っていない。多治見シネマは120席と110席の2スクリーンに加えてカラオケ施設がある。1990年4月からは愛知県内を中心にシネマコンプレックスを展開するコロナグループの関連会社が運営している。設立は古く、「多治見館」「多治見大映劇場」を経て、現在の多治見シネマとなった。コロナグループは1年ほど前から休館についての検討を始め、2003年秋に休館を決定した。映画「タイタニック」を上映した1998年1月の観客数は約1万5000人だったが、2003年10月は約2200人にまで落ち込んでいた。中津川市方面から足を運ぶ観客もいた。*45

2004年1月31日に多治見シネマが閉館し、東濃地域から映画館がなくなった。このため、2004年4月6日からは岐阜新聞東濃版に愛知県小牧市の小牧シネマワールドの上映時間情報が掲載される。*46

2004年1月31日に多治見市錦町3丁目の多治見シネマが休館した。シネコンが主流になったことや、レンタルビデオの普及で客を奪われ、採算が合わなくなったため。東濃地方最後の映画館だった。1カ月の観客数は2000人を切る状態だった。建物や駐車場は借り物であるため、赤字が続いていた。120席と108席の2スクリーン。カラオケ店も併設していた。運営はコロナグループの関連会社である大五興行。大正末期に活動写真の常設館「キネマ多治見館」として開館。戦中には休館した。1950年代には『七人の侍』などを上映。その後は多治見大映に改称して大映作品を上映した。1990年にはコロナグループの傘下に入り、多治見シネマに改称した。全盛期の昭和30年代には、東濃地方だけで約20館の映画館があった。*47

多治見シネマのある錦町は土岐川の南側であり、昔からの旧市街である。映画館はすでに閉館しており、戦前の建築と思われるセセッション風のデザインの建物にはテナント募集の看板が出ていた。*48

多治見温泉(銭湯)の南側にある新羅神社の脇には映画館「多治見シネマ」さんがあった。2004年頃に閉館したらしく、2006年時点でも建物はそのままだった。*49

笠原劇場

所在地 :
開館年 : 1934年
閉館年 : 1966年
1926年(大正15年)10月に竣工した笠原町公会堂は800人を収容し、映画や演劇などの催しも行っていたが、本格的な興行には適していなかった。1934年(昭和9年)には公会堂の改築を行い、娯楽施設の笠原町金昇館となった。1952年(昭和27年)には金昇館が笠原劇場に改称し、娯楽施設であるとともに集会場としても使用された。1963年(昭和38年)1月21日には焼失したが、後日に再建された。1966年には笠原劇場が閉館し、施設はスーパーの玉野屋に利用された。*50

1952年(昭和27年)には金昇館が笠原劇場として生まれ変わった。テレビの普及とともに寂れ、1966年(昭和41年)に閉館となった。笠原劇場の跡地はタマノヤ倉庫となっている。幕が下りているホール内の写真あり。*51

土岐市

イオンシネマ土岐(名称は推測)

開館年 : 2021年度以降
2014年8月26日、土岐市はイオンモールが同市に出店する多機能複合商業施設の店舗計画の概要を発表した。東濃地域唯一となる映画館やスポーツクラブなども入る予定。岐阜県内でイオンモールは大垣市と各務原市の2店があるが、敷地面積では既存2店を上回って県内最大となる見込み。2019年に開業予定。同市の土岐口財産区が所有する中山鉱山(同市土岐津町土岐口)の跡地と周辺地区の利活用事業で、イオンモールが事業予定者として正式に選定された。私設の敷地面積は約20万平方メートル。*52

岐阜県土岐市土岐津町にイオンモール土岐の建設を進めているイオンモールは、投資計画の見直しや建築資材の高騰などが理由で、開業を2019年度から2021年度以降に変更した。延期や撤退ではないことを強調している。イオンモール肺音を中核とする商業施設であり、岐阜県には大垣市と各務原市にある。*53

恵那市

若宮座

開館年 : 不明
閉館年 : 不明
中野方若宮座(昭和初期)。中野方の地芝居は「曙座」と「若宮座」という常設の劇場をふたつも有し、盛んにおこなわれた。「若宮座」では、明治から昭和の初期にかけて村人が競って劇を熱演した。その後、戦争激化にともなって軍需工場の倉庫となったが、戦後は劇団や地芝居の上演や映画の上映で利用された。*54

岩邑劇場

所在地 : 旧岩村町
開館年 : 不明
閉館年 : 不明
岩邑劇場の祝賀会(昭和9年)。旧岩村町。岩村町の柳町にあった岩邑劇場。当時、周辺には歌舞伎座や玉突場などがあり、娯楽施設が建ち並んでいた。*55

大井劇場(大栄座)

所在地 : 岐阜県恵那市大井町
開館年 : 1909年
閉館年 : 1971年
幕末から明治にかけて、現在の恵那市立第一大井小学校の校地には大栄座という名前の芝居小屋があった。1909年には現在地に新築移転して大井劇場(通称大栄座)となり、戦前は歌舞伎や講演会にも使われた。1936年11月には大同電力笠置発電所の竣工披露式の会場となっている。戦後は映画上映がメインとなった。1971年に閉館。建物は改築され、1階は喫茶店などの入る大井プラザ名店街に、2階はボーリング場となったが、2006年時点で2階は家具展示場である。*56

オリオン座

所在地 : 岐阜県恵那市大井町中央通り
開館年 : 1951年
閉館年 : 1967年頃
恵那市には2館の映画館があった。『夜明け前』(1953年公開)の映画看板がかかるオリオン座の写真あり。*57

1951年(昭和26年)には恵那市大井町中央通りに映画専門館のオリオン座が開館。通りよりやや奥まった位置にあった。ファサード上部に「ORION」のロゴが入り、その下に大きく「オリオン座」の看板が掲げられた。『夜明け前』の映画看板がかかる写真あり。大井町中央通りの商店街近代化事業によって周囲は様変わりしたが、オリオン座付近にあった松林堂や清進堂は新築の建物で2006年時点でも営業を続けている。*58

1951年(昭和26年)に中央通り1の通りの奥に映画館のオリオン座が開館した。『夜明け前』(1953年公開)の映画看板がかかるオリオン座の写真あり。p.712には「1949年頃より1967年頃まで映画館」とある。*59

中津川市

中津川市を舞台とする映画

1957年(昭和32年)公開の映画『青い山脈』は松林宗恵が監督を務めた。中津川市で3つの映画館を経営していた篠田初太郎が東宝に対してロケ地としての使用を働きかけ、国鉄中央本線で視察に訪れた松林監督が恵那山を背後にした街を見て「イメージにぴったり」と即決した。撮影は1957年(昭和32年)8月に行われている。雪村いづみ、久保明、司葉子、宝田明、淡路恵子、志村喬、草笛光子などが出演した。*60

安岐座/阿木公会堂

所在地 : 岐阜県恵那郡阿木村(現・岐阜県中津川市)
開館年 : 1860年
閉館年 : 昭和30年代?
1859年(安政6年)に取り壊した見沢舞台の跡地に、1860年(万延元年)3月に安岐座が完成。1914年(大正3年)には改修工事が行われ、板葺きを瓦葺きに、天井を張り替え、名称を安岐座から阿木公会堂に改称した。戦時中の1944年(昭和19年)には名古屋の陸軍造兵廠が阿木村に疎開し、阿木公会堂の床を取り除いて兵器の建設機械を設置したが、翌年には終戦を迎えたためあまり用をなさずに運び出された。1946年(昭和21年)2月には公会堂として復興し、1950年(昭和25年)には劇場化されて映画も上映されるようになった。テレビが普及すると次第に使われなくなり、やがて貸し倉庫となった。阿木公会堂は1982年(昭和57年)に取り壊され、跡地には1983年(昭和58年)3月に阿木保育園が建設された。*61

1933年(昭和8年)には安岐座にて、国鉄明知線の開通を記念した祝宴の写真あり。明治時代中期には恵那郡各地で舞台の改築や新築が行われ、阿木村では安岐座が新築された。*62

寿座

所在地 : 岐阜県恵那郡阿木村(現・岐阜県中津川市)
開館年 : 1892年
閉館年 : 1956年
1891年(明治24年)、阿木村川上の「竹の腰の観音堂」横に舞台を建設する工事を開始し、1892年(明治25年)10月に萱葺きの舞台「寿座」が完成した。1928年(昭和3年)の歌舞伎の上演中の写真あり。1956年(昭和31年)の公演を最後に閉館した。*63

1956年(昭和31年)に寿座で行われた最後の歌舞伎上演の写真あり。1891年(明治24年)、寄付金を基に阿木川上の竹の腰観音堂続きの土地に舞台の新築が始まり、翌1892年(明治25年)に茅葺きの舞台「寿座」が完成した。1956年(昭和31年)の公演を最後に閉館した。*64

中央座

開館年 : 大正初期以前
閉館年 : 1932年
中央座(大正初期)。当時、中津川の下町にあった中央座は大変人気があった。遠くは坂下・馬籠・福岡辺りからも芝居見物に人が訪れたという。しかし、昭和7年7月に全焼し、現在は残っていない。*65


建築中の芝居小屋。明治44年6月頃の写真である。下町のたんぼの中に建築中の中央座である。しかし寿命の短い劇場で、21年後に焼失したが、中津町を中心に唯一の娯楽機関として近村の人々に親しまれたものである。*66


中央座は下町の間酒造店から西へ数10歩、左へ曲るとそこに建っていた。遠く坂下・馬籠・福岡あたりからも、村民が芝居見物に来たという。昭和7年7月に全焼した。写真は大正初期のものであろう。*67

旭座/旭映画劇場

開館年 : 戦前(劇場)、1950-51年頃(映画館)
閉館年 : 1966年以後
開演中の旭座の舞台。旭座が旧花木町に竣工したのは、天保11年(1849)の5月であった。以来この地方の唯一の劇場として栄えたもので、舞台では中津名物の川上文楽の演出であろうか。観客も女性が多いようである。写真は明治37、38年頃か。出征家族慰問会であった。*68


松井須磨子の来演。大正6年4月22、23日の午後5時から、東京芸術座の松井須磨子が、旭座で当時流行の「復活」カチューシャを演じた。入場料50銭。その時の中津町役場宛に「今度御地におうかがい申し上げますについては首尾よく演じ了せますやう御ひゐき御見物のほどひとへにお願い申し上げます。東京芸術座すま子」と肖像入りのエハガキが届いた。2年後、彼女は島村抱月の急死の後を追って、大正8年自殺した。写真は大正6年4月のもの。*69


映画劇場開設。戦後、芝居劇場では観客が少なくなり、旭座は映画劇場に改装された。娯楽に飢えた大衆が昼も夜も映画館に殺到する大入り満員が続いた昭和25、26年頃の劇場風景である。*70


映画劇場「旭座」開設(昭和25-26年)。戦後に入り、芝居劇場だった「旭座」は観客数が減少したため、映画劇場に改装された。まだテレビが一般化しておらず、娯楽に飢えた当時の大衆は昼も夜も映画館に殺到し、毎日のように満員となった。*71

東映劇場

所在地 : 中津川市東太田町
開館年 : 1957年以前
閉館年 : 1960年以後
1957年の写真あり。*72

ロビン映画劇場

所在地 : 岐阜県恵那郡福岡町(現・岐阜県中津川市)
開館年 : 1957年
閉館年 : 不明
1957年(昭和32年)の開館当日のロビン映画劇場の写真あり。恵那郡福岡町野尻にあった映画館。開館を待ちきれない人でにぎわった。*73

付知劇場

所在地 : 岐阜県恵那郡付知町(現・岐阜県中津川市付知町)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1969年
下付知字大新田にあった永徳座はやがて大新座に改称し、郡下最高の舞台と称された。1898年(明治31年)頃に大新座で付知初の映画の上映が行われている。1919年(大正8年)に漏電で焼失すると、1923年(大正12年)3月に再建されて付知劇場となった。1969年(昭和44年)12月1日の「浪曲名人会」の興行を最後に閉館した。付知劇場の跡地には近代建築の豊演堂医院が建っている。1969年の最後の演芸の際の写真あり。*74

閉館直前の1968年の付知劇場の写真あり。大正時代に開館した付知劇場では素人歌舞伎などが行われた。1968年に閉館となった。*75

高山市

高山旭座

開館年 : 昭和初期(芝居小屋)、1984年(移転)
閉館年 : 2014年8月31日(9月1日が最終営業)
高山市三福寺町の映画館「高山旭座」が、今秋にも閉館することが明らかになった。飛騨地域唯一の映画館が幕を下ろすことになる。飛騨市古川町で昭和初期に芝居小屋として始まった「旭座」は、第2次世界大戦前後に映画館に衣替えし、1984年に高山市に移転。郊外の駐車場付きの映画館は当時は珍しく、話題になった。別館もでき、97年に上映した「タイタニック」では半年間に約3万人を集客したが、富山県にできたシネマコンプレックスや少子化の影響で、昨年の来館者はピークの約10万人から約5万人にまで減っていた。閉館後の跡地には、スーパーマーケット「ファミリーストアさとう」(同市石浦町)が出店予定という。*76



31日に閉館する高山市三福寺町の映画館「高山旭座」で23日から、最後のロードショー「もういちど」の上映が始まる。撮影監督として参加した同市在住のカメラマン古川誠さんが同作を多くの人に見てもらおうと奔走、市民の来館を呼び掛けている。高山旭座は1984年に飛騨市古川町から移転して30年がたつ老舗で現在、飛騨地域で唯一の映画館。来館者の減少などを理由に31日に閉館することが決まっていた。*77

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