所在地 : 岐阜県吉城郡船津町(1949年・1950年)、岐阜県吉城郡神岡町(1953年)、岐阜県吉城郡神岡町千歳(1955年・1958年)、岐阜県吉城郡神岡町(1960年・1963年)、岐阜県吉城郡神岡町船津1791(1966年・1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1916年9月
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧1955』によると1944年8月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1949年・1950年の映画館名簿では「大正座」。1953年の映画館名簿では「船津劇場」。1955年の映画館名簿では「舟津劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「船津劇場」。1967年の住宅地図では「船津劇場」。1970年の映画館名簿では経営者が中田長三、支配人が鍋島真平、木造1階暖房付、定員315、東宝・大映・東映を上映。1972年の映画館名簿には掲載されていない。1973年のゼンリン住宅地図では「船津会館」。1987年の住宅地図では跡地に「神岡町福祉会館」。神岡町福祉会館は2015年度に取り壊された。跡地は「大津神社」参道脇の駐車場。最寄駅はJR高山本線猪谷駅。
『ちょっと昔の船津の町』には「明治の頃の船津の町」の手書き地図が掲載されており、「千鳥座」と「大正座」が描かれている。
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『飛騨之船津』には「船津町市街図」が掲載されており、「大正座」が描かれている。
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船津町の警察署の咲きには芝居小屋「千鳥座」があり、後発の「大正座」とともに庶民の娯楽場だった。興行がある日には役者が人力車に乗って顔見世した。
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1921年の『飛騨の船津』(岐阜県吉城郡船津町教育会)には「大正座」が描かれている。国立国会図書館デジタルコレクションで図書館・個人送信資料となっている。
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1928年の神岡町船津にあった大津神社の大鳥居の竣工時の写真あり。右後ろには「大正座」が写っている。大鳥居は高さ約10メートル、直径70センチの石柱で建てられ、2015年現在も参道の途中にある。
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1930年の『大日本職業別明細図 第200号』には「大正座」が描かれている。
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1933年の『大日本職業別明細図 第325号』には「大正座」が描かれている。岐阜県図書館が所蔵。
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1935年の『大日本職業別明細図 第440号』には「大正座」が描かれている。
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1946年3月1日に神岡町船津の「大正座」で開催された演芸会の写真あり。「座正大」の文字が見える。
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昭和30年代に神岡町の西里通りのあった柿下旅館から撮影した写真あり。1955年公開の『二十四時間の恐怖』の看板が見える。当時の神岡町には「船津劇場」(船劇)と「中央劇場」があり、神岡鉱山でも頻繁に映画が上映されていた。
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昭和20年代から30年代には特に映画が流行し、神岡町には「船津劇場」と「中央劇場」があった。また、神岡鉱業株式会社の東町・栃洞・茂住・大津山などの会館でも盛んに上映された。
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吉城郡神岡町にあった「大正座」は演芸場だった。後に「船津劇場」に改修し、1989年現在は福祉会館となっている。昭和初期の写真あり。
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1970年の神岡町にあった「船津劇場」の写真あり。広報ネガ。1948年に「大正座」が船津劇場に改称した。
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1916年9月、神岡町に劇場「大正座」が開業した。1973年7月、「船津劇場」跡地に福祉会館が竣工した。
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神岡町「船劇」はこのほど神岡町に売却されることとなった。1916年9月に「大正座」として開館した。同年5月10日には宮下で80戸が焼失する大火があり、花園町の「千鳥座」も焼失した。千鳥座の株主は新富町に再建を決定したため、人口約1万人の船津町には大正座と千鳥座が競争することとなった。大正座の経営者が山口竹次郎であり、地元政財界の牛丸延太郎などが背後にいた。こけら落とし当日には船津町で停電が起こったが、船津町営発電所の水路に巨大な棒が流れ込んだことで出力が低下したため、千鳥座陣営の仕業と邪推する声もあった。
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船津町の「大正座」と「千鳥座」の争いはエスカレートし、大正末期には千鳥座が閉鎖されて石川県七尾市に身売りされた。大正座は桝席に畳が敷かれ、場内ではせんべいやラムネなどが売られた。戦時中には演劇の興行が行われた。1950年には神岡町本町3丁目に「中劇」が開設され、さらには巨大な「神岡会館」も加わって昭和30年代の映画黄金期を迎えた。1955年には中劇に対抗するために、「船劇」は畳敷きから椅子席とした。1964年の東京オリンピック後にはテレビが普及し、時代の波にのまれて50年あまりの歴史に終止符を打った。
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