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立川市

立川市の映画館
1950年代の立川市には10館の映画館があり、立川市は「映画の街」と呼ばれた。JR立川駅の北側には「シネマ通り」があり、高松町3丁目の駐車場の隅には「立川シネマ発祥の地」がある。1925年に開館した立川市初の映画館「立川キネマ」(後の立川シネマ)の跡地である。立川飛行場が開設されると、兵士や従業員の娯楽の場として立川シネマが開館した。戦後には立川飛行場がアメリカ軍に接収され、東映、松竹、日活などの映画館も開館した。東映は立川駅南側にあるWINS立川の場所に、日活はスーパーいなげやの場所にあった。1969年には立川シネマが閉館し、また土地区画整理事業で南口の映画館が姿を消すと、1980年代半ばには松竹、中央、セントラルの「北口3館」だけになった。現在の立川シネマシティ・シネマワン付近である。1992年には北口の再開発のために揃って閉館し、以後の2年間は立川市から映画館がなくなった。1994年には6スクリーンの立川シネマシティが開館し、2004年には立川シネマシティ・シネマツーが開館した。シネマツーの開館時には音響設備だけで一般的な映画館の10倍以上の投資を行い、音楽ライブ用のスピーカーを導入したほか、著名な音響家が臨場感あふれる音響システムを構築した。2009年にはマイケル・ジャクソンのライブ映画『This is It』が大ヒットし、さらに初めてマサラ上映(ライブスタイル上映)を行ったことで、SNSなどで良質な音響が知られるようになった。2014年の『Godzilla ゴジラ』の上映の際には重低音を再現できるスピーカーを導入し、現在の音響システムが完成した。今日では全国に会員が広がっている。*1

立川市の映画館に言及している雑誌記事として、「立川と映画館」『多摩ら・び』2005年3月がある。*2
立川日活映画劇場/立川日活映劇
所在地 : 東京都立川市柴崎町2(1950年)、東京都立川市柴崎町1-189(1953年・1955年)、東京都立川市柴崎町2-184(1958年)、東京都立川市柴崎町2-89(1960年)、東京都立川市柴崎町2-184(1963年)、東京都立川市柴崎町2-11-1(1966年)、東京都立川市柴崎町2-12-1(1969年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 1969年以後1971年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「立川日活映画劇場」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川日活」。1969年の映画館名簿では「立川日活映劇」。1971年の全航空住宅地図帳では跡地に「南立川駐車場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では跡地に「南立川駐車場」。跡地は「いなげやESBI立川南口店」などが入る「エム・ケー立川南ビル」。

1952年の立川市にあった「立川日活」の写真あり。「Tachikawa Nikkatu」の文字が見える。『リオ・グランデの砦』の看板が見える。戦後すぐに洋画専門館として開館し、立川市で最も早く総天然色映画(カラー映画)が上映された映画館である。2017年現在のいなげやの場所にあった。*3
立川キネマ/シネマ立川
所在地 : 東京都北多摩郡立川町字元地3844(1930年)、東京都北多摩郡立川町旭町(1936年)、東京都立川市高松町3(1943年)、東京都立川市高松町3-96(1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市高松町3-26-3(1969年・1973年・1976年・1977年)
開館年 : 1925年? 1926年?
閉館年 : 1977年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1926年開館。1927年の映画館名簿には掲載されていない。1930年・1936年・1943年の映画館名簿では「立川キネマ」。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1977年の映画館名簿では「シネマ立川」。1967年の全住宅案内地図帳では「シネマ立川」。1971年の全航空住宅地図帳では「シネマ立川」。1978年の住宅地図では跡地に「駐車場」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「タイムズ立川高松町第6」。跡地に看板あり。立川市初の映画館。「立川シネマ」や「立川キネマ」とも。シネマ通り商店街の名に残る。

1975年頃の立川市にあった「立川シネマ」の写真あり。「シネマ立川」の文字が見える。かつて10館あった立川市の映画館の中で最も古く、「シネマ立川」や「立川キネマ」とも呼ばれた。シネマ通りに名前が残る。*4

立川は「映画の街」と呼ばれ、1950年代には10館の映画館があった。立川駅から北に向かうと「Cinema St.」(シネマ通り)と書かれたアーケードがあり、裏道に入った駐車場の隅に「立川シネマ発祥の地」と書かれた碑がある。この場所には1925年に開館した立川初の映画館「立川キネマ」(のちに立川シネマに改称)があった。*5
立川東宝劇場
所在地 : 東京都立川市錦町2-87(1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市錦町2-1-1(1969年・1973年・1976年・1978年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「立川東宝劇場」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川東宝」。1978年の住宅地図では「立川東宝」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「タウンコート立川」。
立川演芸館/立川映画劇場/立川松竹映画劇場(柴崎町)/立川名画座
所在地 : 東京都立川市南七半町(1943年)、東京都立川市柴崎町2-2616(1947年)、東京都立川市柴崎町2(1950年)、東京都立川市柴崎町2-203(1953年・1955年・1958年・1960年)、東京都立川市柴崎町2-184(1963年)、東京都立川市柴崎町2-2-13(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年)
開館年 : 1925年? 1930年?
閉館年 : 1986年4月
『全国映画館総覧1955』によると1930年開館。1943年の映画館名簿では「立川演芸館」。1947年・1950年・1953年の映画館名簿では「立川映画劇場」。1955年の映画館名簿では「立川松竹映画劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「立川名画座」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川名画座」。1971年の全航空住宅地図帳では「立川名画座」。1978年の住宅地図では「立川名画座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「柴崎中央公園」北東の道路。閉館後に道路が新設されるなどしているため場所は参考程度に。

1925年(大正14年)9月には立川駅南口に、芝居などを上映する立川演芸館が開館。1935年頃から映画の上映を始め、やがて立川名画座に改称した。勝て立川駅周辺には最大10館の映画館がひしめいていた。立川名画座は1986年4月に閉館した。*6

立川名画座に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 立川名画座」『キネマ旬報』1976年1月下旬号がある。*7
立川東映南座/東映立川南座
所在地 : 東京都立川市錦町1-16(1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市錦町1-3-18(1969年)、東京都立川市錦町1-3-17(1973年)、東京都立川市錦町1-3-18(1976年・1980年・1982年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1982年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「立川東映南座」。1960年の映画館名簿では「立川映南座」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1982年の映画館名簿では「東映立川南座」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川南座」。1971年の全航空住宅地図帳では「立川南座」。1978年の住宅地図では「立川南座」。1983年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ウインズ立川B館」建物南側。
立川大映劇場(旧)/立川大映(旧)/立川新東宝劇場/立川新東宝/立川錦座
所在地 : 東京都立川市錦町1-20(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市錦町1-4-6(1969年・1973年・1976年・1980年・1982年)
開館年 : 1947年12月
閉館年 : 1982年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「立川大映劇場」。1953年の映画館名簿では「立川大映」。1955年の映画館名簿では「立川大映劇場」。1958年の映画館名簿では「立川新東宝」。1960年の映画館名簿では「立川新東宝劇場」。1963年の映画館名簿では「立川新東宝」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1982年の映画館名簿では「立川錦座」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川錦座」。1971年の全航空住宅地図帳では「立川錦座」。1978年の住宅地図では「立川錦座」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。閉館時は成人映画館。跡地は「立川マイホーム」。
立川大映(新)/立川大映劇場(新)
所在地 : 東京都立川市錦町1-38(1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市錦町1-7-3(1969年・1973年・1976年・1980年・1982年)
開館年 : 1956年12月29日
閉館年 : 1982年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「立川大映」。1960年の映画館名簿では「立川大映劇場」。1963年の映画館名簿では「立川大映」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1982年の映画館名簿では「立川大映劇場」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川大映」。1971年の全航空住宅地図帳では「立川大映」。1978年の住宅地図では「立川映画」。1983年・1984年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「シティハイツ」。

1956年12月29日、立川市錦町1-38に「立川大映劇場」が開館した。オープニングは『君を愛す』と『編笠権八』。建坪150坪。定員330人。支配人は堀甲子錐。*8
立川松竹映画劇場
所在地 : 東京都立川市曙町2-74(1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市曙町2-8-3(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1956年12月
閉館年 : 1992年8月31日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「立川松竹映画劇場」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川松竹映画劇場」。1978年の住宅地図では「立川松竹映劇」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は群馬銀行立川支店などが入る「新鈴春ビル」中央部。

1952年の立川市にあった「立川セントラル」の写真あり。2017年現在の高島屋付近には、立川セントラル、「立川松竹」、「立川東宝」の映画館3館が並んでいた。北口には「立川シネマ」もあり、南口には「立川日活」、「立川東映」、「立川大映」、「立川名画座」などがあった。*9

1975年の立川市にあった「立川松竹」と「立川セントラル」の写真あり。立川松竹には『男はつらいよ』の看板が見える。立川セントラルには『セルピコ』の看板が見える。立川駅前再開発の一環で再開発され、シネコン「立川シネマシティ」が建っている。*10

『立川の風景 昭和色アルバム』には立川駅北口の3館が並んだ写真がある。*11
立川セントラル劇場
所在地 : 東京都立川市曙町2-79(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市曙町2-8-5(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 1992年8月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1951年11月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「立川セントラル劇場」。1967年の全住宅案内地図帳では「立川セントラル劇場」。1978年の住宅地図では「立川セントラル劇場」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は群馬銀行立川支店などが入る「新鈴春ビル」西側。

1975年の立川市にあった「立川松竹」と「立川セントラル」の写真あり。立川松竹には『男はつらいよ』の看板が見える。立川セントラルには『セルピコ』の看板が見える。立川駅前再開発の一環で再開発され、シネコン「立川シネマシティ」が建っている。*12

『立川の風景 昭和色アルバム』には立川駅北口の3館が並んだ写真がある。*13
立川中央映画劇場/立川中央映劇/立川中央劇場
所在地 : 東京都立川市曙町2-81(1958年・1960年・1963年・1966年)、東京都立川市曙町2-8-6(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1955年10月
閉館年 : 1992年8月31日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「立川中央映画劇場」。1967年の全住宅案内地図帳では「中央映画劇場」。1969年の映画館名簿では「立川中央映劇」。1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「立川中央劇場」。1978年の住宅地図では「中央映劇」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は立川シネマシティが入る「シネマシティビル」。

『立川の風景 昭和色アルバム』には立川駅北口の3館が並んだ写真がある。*14
シネマシティ シネマワン
所在地 : 東京都立川市曙町2-8-5(1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1994年10月4日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマシティ
1990年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「シネマシティ1-6」(6館)。2010年の映画館名簿では「CINEMA CITY 1-6」(6館)。2015年・2020年の映画館名簿では「立川シネマシティf・g・h・i・j・k」(6館)。

昭和30年代の立川市には10館の映画館があったが、1992年にはすべての映画館が姿を消した。1994年には6スクリーンの立川シネマシティが開館し、2005年現在は年間観客数が100万人を超える人気映画館となった。2004年には5スクリーンのシネマ2を開館させ、微妙に湾曲したスクリーン、リアルさを追求した音響システム、フットレス付シートなどの設備でファンを引き付けている。*15

1951年、洋画専門館「立川セントラル劇場」が開館。当時は立川市に米軍立川基地があり、大勢のアメリカ兵の観客もあったことから、立川市には最大で10館の映画館があった。2013年現在は立川セントラル劇場を継いだ「シネマシティ」のみである。東京郊外にある同館が年間100万人近くの入場者数を維持できるのは、近年のアニメブームの影響もあるが、音響へのこだわりが大きい。上映作品に応じて臨場感のある音を作り出す独自の音響設備を導入し、「極上音響映画祭」として上映されるミュージカル映画には関東各県からも耳の肥えた映画ファンが訪れる。*16
シネマシティ シネマツー
所在地 : 東京都立川市曙町2-42-26(2010年・2015年・2020年)
開館年 : 2004年7月
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマシティ
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年の映画館名簿では「シネマシティ2 A-E」(5館)。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「CINEMA TWO A-E」(5館)。
kino cinema 立川高島屋S.C.館1・2・3
所在地 : 東京都立川市曙町2-39-3 立川眦膕哀轡腑奪團鵐哀札鵐拭8階
開館年 : 2019年6月28日
閉館年 : 営業中
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「kino cinema 立川高島屋S.C.館1・2・3」(3館)。

2019年6月28日、立川市曙町の立川高島屋8階に「キノシネマ」が開館した。運営は木下グループ傘下のキノシネマ。JR立川駅北口に新映画館が開館するのは15年ぶり。87席、87席、25席の3スクリーンを有し、初日にはキノフィルムズが配給する『空母いぶき』『凪待ち』など5作品を上映する。1960年頃の立川市には10の映画館があり、北口にはシネマ通りがあるなど、「映画の街」と呼ばれた。1992年には立川駅北口のセントラル、中央、松竹の3館が閉館し、一時的に映画館がなくなった。1994年には地元資本のシネマシティが6スクリーンで開館し、2004年には5スクリーンを増設していた。なお、2020年中にはららぽーと立川立飛にも映画館が開館する計画がある。*17
TOHOシネマズ立川立飛
所在地 : 東京都立川市泉町935-1 ららぽーと立川立飛
開館年 : 2020年9月10日
閉館年 : 営業中
9スクリーンのシネコン。

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