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所在地 : 東京市赤坂区青山
開館年 : 1909年7月
閉館年 : 不明
1909年7月、深川に「豊年館」が、品川に「八ツ山活動館」が、青山に「喜楽館」が、本所に「大和館」が、日本橋に「両国館」が開館した。*1
開館年 : 1909年7月
閉館年 : 不明
1909年7月、深川に「豊年館」が、品川に「八ツ山活動館」が、青山に「喜楽館」が、本所に「大和館」が、日本橋に「両国館」が開館した。*1
所在地 : 東京市芝区
開館年 : 1909年8月
閉館年 : 不明
1909年8月、芝に「神明館」が、本所に「江東館」が、浅草に「鳥越電気館」が、小石川に「博松館」が、渋谷に「渋谷館」が開館した。*2
開館年 : 1909年8月
閉館年 : 不明
1909年8月、芝に「神明館」が、本所に「江東館」が、浅草に「鳥越電気館」が、小石川に「博松館」が、渋谷に「渋谷館」が開館した。*2
所在地 : 東京市芝区
開館年 : 1911年1月
閉館年 : 不明
1911年1月、本郷に「第八福宝館」が、芝に「第二福宝館」が、赤坂に「万歳館」が開館した。3月、浅草公園に「金竜館」が、丸ノ内に「帝劇」が開館した。*3
開館年 : 1911年1月
閉館年 : 不明
1911年1月、本郷に「第八福宝館」が、芝に「第二福宝館」が、赤坂に「万歳館」が開館した。3月、浅草公園に「金竜館」が、丸ノ内に「帝劇」が開館した。*3
所在地 : 東京市赤坂区
開館年 : 1911年1月
閉館年 : 不明
1911年1月、本郷に「第八福宝館」が、芝に「第二福宝館」が、赤坂に「万歳館」が開館した。3月、浅草公園に「金竜館」が、丸ノ内に「帝劇」が開館した。*4
開館年 : 1911年1月
閉館年 : 不明
1911年1月、本郷に「第八福宝館」が、芝に「第二福宝館」が、赤坂に「万歳館」が開館した。3月、浅草公園に「金竜館」が、丸ノ内に「帝劇」が開館した。*4
所在地 : 東京市芝区浜松町2-47(1934年)
開館年 : 1928年6月
閉館年 : 1934年以後1936年以前
跡地は「イズミ洋菓子店」などが入る「イズミビル」付近。最寄駅は都営地下鉄浅草線・大江戸線大門駅。
芝区の芝公園正面大通りの一角には「大門館」があったが、1923年9月1日の関東大震災で焼失した。バラックとして仮開館していたが、1928年6月には工費4万円で本建築の「芝富士館」が開館した。施工は清水組。東京における木造新築の先駆例とされる。定員は700。*5
1935年の『大日本職業別明細図 第427号』「芝区全図」には、「芝富士館」、「芝園館」、「日日谷日活館」、「飛行館」が描かれている。*6
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「芝富士館」。*7
開館年 : 1928年6月
閉館年 : 1934年以後1936年以前
跡地は「イズミ洋菓子店」などが入る「イズミビル」付近。最寄駅は都営地下鉄浅草線・大江戸線大門駅。
芝区の芝公園正面大通りの一角には「大門館」があったが、1923年9月1日の関東大震災で焼失した。バラックとして仮開館していたが、1928年6月には工費4万円で本建築の「芝富士館」が開館した。施工は清水組。東京における木造新築の先駆例とされる。定員は700。*5
1935年の『大日本職業別明細図 第427号』「芝区全図」には、「芝富士館」、「芝園館」、「日日谷日活館」、「飛行館」が描かれている。*6
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「芝富士館」。*7
所在地 : 東京市赤坂区溜池30(1934年)
開館年 : 1913年7月、1924年(改築)
閉館年 : 1934年以後1936年以前
跡地は「ザイマックス赤坂111ビル」東隣の「細川ビル」。最寄駅は東京メトロ銀座線・南北線溜池山王駅。
1915年秋から1921年春まで、弁士の徳川夢声は赤坂区溜池の洋画専門館「葵館」に通勤出演していた。徳川という姓は葵を家紋とした徳川家に因んでいる。1955年時点の葵館の跡地には自動車会社が建っている。*8
かつて赤坂区にあった活動写真館「葵館」は洋画の封切館であり、弁士の徳川夢声は葵館で有名になった人物である。徳川という姓が葵館に因んでいるのではないかと推測する者もいる。*9
1915年秋から1921年春まで、弁士の徳川夢声は7年に渡って「葵館」に勤務しており、1917年には葵館の主任弁士に就任している。1923年9月に起こった関東大震災で焼失したが、翌年の1924年には再建され、小説家の村山知義が奇妙な緞帳を描いた。溜池と虎ノ門の中間には葵橋停留場があり、停留場から数軒溜池寄りの左側に葵館があった。関東大震災の直後には神楽坂の「牛込館」と人気を二分した。大正中期の葵館の写真あり。1983年現在の跡地の写真あり。*10
1923年9月の関東大震災後、赤坂溜池に洋画専門館「葵館」が開館した。徳川夢声が専属弁士を務めた。*11
1923年9月1日の関東大震災において日活は本社を失い、さらに30館の直営館のうち16館を失った。第一福宝館、第五福宝館、第六福宝館、第八福宝館、オペラ館、三友館、キネマ倶楽部、葵館、本所相生館、鳥越館、中央館、横浜電気館、神奈川演芸館、横浜館、上野みやこ座、大正館の16館である。*12
1913年7月、日活直営館として「葵館」が開館した。1923年9月1日の関東大震災において日活は本社を失い、さらに30館の直営館のうち16館を失った。第一福宝館、第五福宝館、第六福宝館、第八福宝館、オペラ館、三友館、キネマ倶楽部、葵館、本所相生館、鳥越館、中央館、横浜電気館、神奈川演芸館、横浜間、上野みやこ座、大正館の16館である。1924年10月、日活直営館として葵館が開館した。1931年12月、赤坂溜池の葵館が日活直営館となった。1932年12月、葵館の直営が廃止された。1935年9月1日には日本興行株式会社を合併し、葵館など11館を取得した。*13
東京・赤坂の洋画封切館「葵館」の外観・緞帳・内部の写真あり。吉川清作が設計したバラック建築であり、吉川は「神田日活館」なども設計している。緞帳には村山知義が率いるMAVO一派が制作した特徴的なレリーフがあった。*14
開館年 : 1913年7月、1924年(改築)
閉館年 : 1934年以後1936年以前
跡地は「ザイマックス赤坂111ビル」東隣の「細川ビル」。最寄駅は東京メトロ銀座線・南北線溜池山王駅。
1915年秋から1921年春まで、弁士の徳川夢声は赤坂区溜池の洋画専門館「葵館」に通勤出演していた。徳川という姓は葵を家紋とした徳川家に因んでいる。1955年時点の葵館の跡地には自動車会社が建っている。*8
かつて赤坂区にあった活動写真館「葵館」は洋画の封切館であり、弁士の徳川夢声は葵館で有名になった人物である。徳川という姓が葵館に因んでいるのではないかと推測する者もいる。*9
1915年秋から1921年春まで、弁士の徳川夢声は7年に渡って「葵館」に勤務しており、1917年には葵館の主任弁士に就任している。1923年9月に起こった関東大震災で焼失したが、翌年の1924年には再建され、小説家の村山知義が奇妙な緞帳を描いた。溜池と虎ノ門の中間には葵橋停留場があり、停留場から数軒溜池寄りの左側に葵館があった。関東大震災の直後には神楽坂の「牛込館」と人気を二分した。大正中期の葵館の写真あり。1983年現在の跡地の写真あり。*10
1923年9月の関東大震災後、赤坂溜池に洋画専門館「葵館」が開館した。徳川夢声が専属弁士を務めた。*11
1923年9月1日の関東大震災において日活は本社を失い、さらに30館の直営館のうち16館を失った。第一福宝館、第五福宝館、第六福宝館、第八福宝館、オペラ館、三友館、キネマ倶楽部、葵館、本所相生館、鳥越館、中央館、横浜電気館、神奈川演芸館、横浜館、上野みやこ座、大正館の16館である。*12
1913年7月、日活直営館として「葵館」が開館した。1923年9月1日の関東大震災において日活は本社を失い、さらに30館の直営館のうち16館を失った。第一福宝館、第五福宝館、第六福宝館、第八福宝館、オペラ館、三友館、キネマ倶楽部、葵館、本所相生館、鳥越館、中央館、横浜電気館、神奈川演芸館、横浜間、上野みやこ座、大正館の16館である。1924年10月、日活直営館として葵館が開館した。1931年12月、赤坂溜池の葵館が日活直営館となった。1932年12月、葵館の直営が廃止された。1935年9月1日には日本興行株式会社を合併し、葵館など11館を取得した。*13
東京・赤坂の洋画封切館「葵館」の外観・緞帳・内部の写真あり。吉川清作が設計したバラック建築であり、吉川は「神田日活館」なども設計している。緞帳には村山知義が率いるMAVO一派が制作した特徴的なレリーフがあった。*14
所在地 : 東京市赤坂区伝馬町1-1(1936年)
開館年 : 1923年10月
閉館年 : 1936年以後1941年以前
跡地は「赤坂Kタワー」北東40mの「MTG赤坂見附駐車場」敷地北側。最寄駅は東京メトロ銀座線・丸ノ内線赤坂見附駅。
1916年には赤坂にオペラ劇場「ローヤル館」が開場し、「椿姫」や「天国と地獄」などのオペラが上演された。やがてローヤル館は「帝国館」に改称し、邦画を上映する映画館に転向した。無声映画時代の青山にも映画館「青山館」があった。*15
1923年9月に関東大震災が起こった際、松竹キネマの直営館は「牛込平和館」、「動坂松竹館」、「麻布松竹館」、「品川帝国館」、「赤坂帝国館」の5館のみであり、その他の映画館は歩合または小屋借りだったため、直接の損害額は低かった。*16
1923年9月には関東大震災が起こり、松竹の映画館も大きな被害を受けた。震災後の10月9日にまず「麻布松竹館」が復興し、10月15日には「品川帝国館」、10月16日には「牛込松竹館」、10月19日には「赤坂帝国館」と「動坂松竹館」が営業を再開した。*17
1936年の『大日本職業別明細図 第469号』「赤坂区」には、「帝国館」、「青山館」が描かれている。*18
1941年の『大東京区分図三十五区之内 赤坂区詳細図』では「赤坂帝国館」。*19
開館年 : 1923年10月
閉館年 : 1936年以後1941年以前
跡地は「赤坂Kタワー」北東40mの「MTG赤坂見附駐車場」敷地北側。最寄駅は東京メトロ銀座線・丸ノ内線赤坂見附駅。
1916年には赤坂にオペラ劇場「ローヤル館」が開場し、「椿姫」や「天国と地獄」などのオペラが上演された。やがてローヤル館は「帝国館」に改称し、邦画を上映する映画館に転向した。無声映画時代の青山にも映画館「青山館」があった。*15
1923年9月に関東大震災が起こった際、松竹キネマの直営館は「牛込平和館」、「動坂松竹館」、「麻布松竹館」、「品川帝国館」、「赤坂帝国館」の5館のみであり、その他の映画館は歩合または小屋借りだったため、直接の損害額は低かった。*16
1923年9月には関東大震災が起こり、松竹の映画館も大きな被害を受けた。震災後の10月9日にまず「麻布松竹館」が復興し、10月15日には「品川帝国館」、10月16日には「牛込松竹館」、10月19日には「赤坂帝国館」と「動坂松竹館」が営業を再開した。*17
1936年の『大日本職業別明細図 第469号』「赤坂区」には、「帝国館」、「青山館」が描かれている。*18
1941年の『大東京区分図三十五区之内 赤坂区詳細図』では「赤坂帝国館」。*19
所在地 : 東京市芝区愛宕町1-13(1941年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地は「愛宕神社」社殿北東80m付近。最寄駅は東京メトロ日比谷線虎ノ門ヒルズ駅。
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「愛宕キネマ」。*22
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
跡地は「愛宕神社」社殿北東80m付近。最寄駅は東京メトロ日比谷線虎ノ門ヒルズ駅。
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「愛宕キネマ」。*22
所在地 : 東京市麻布区森元町1(1943年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地はマンション「ブランシェ東麻布」付近。最寄駅は都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅。
1935年の『大東京区分図三十五区之内 麻布区詳細図』では「河合キネマ」。*23
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地はマンション「ブランシェ東麻布」付近。最寄駅は都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅。
1935年の『大東京区分図三十五区之内 麻布区詳細図』では「河合キネマ」。*23
所在地 : 東京市麻布区三河台町(1943年)
開館年 : 1923年10月
閉館年 : 1945年頃
跡地は「六本木エルビル」付近。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
1923年9月に関東大震災が起こった際、松竹キネマの直営館は「牛込平和館」、「動坂松竹館」、「麻布松竹館」、「品川帝国館」、「赤坂帝国館」の5館のみであり、その他の映画館は歩合または小屋借りだったため、直接の損害額は低かった。*24
1923年9月には関東大震災が起こり、松竹の映画館も大きな被害を受けた。震災後の10月9日にまず「麻布松竹館」が復興し、10月15日には「品川帝国館」、10月16日には「牛込松竹館」、10月19日には「赤坂帝国館」と「動坂松竹館」が営業を再開した。*25
1941年の『大東京区分図三十五区之内 赤坂区詳細図』では「新興館」。*26
1945年5月1日、東京市の「麻布大映劇場」の経営が大映から松竹に移譲された。*27
開館年 : 1923年10月
閉館年 : 1945年頃
跡地は「六本木エルビル」付近。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
1923年9月に関東大震災が起こった際、松竹キネマの直営館は「牛込平和館」、「動坂松竹館」、「麻布松竹館」、「品川帝国館」、「赤坂帝国館」の5館のみであり、その他の映画館は歩合または小屋借りだったため、直接の損害額は低かった。*24
1923年9月には関東大震災が起こり、松竹の映画館も大きな被害を受けた。震災後の10月9日にまず「麻布松竹館」が復興し、10月15日には「品川帝国館」、10月16日には「牛込松竹館」、10月19日には「赤坂帝国館」と「動坂松竹館」が営業を再開した。*25
1941年の『大東京区分図三十五区之内 赤坂区詳細図』では「新興館」。*26
1945年5月1日、東京市の「麻布大映劇場」の経営が大映から松竹に移譲された。*27
所在地 : 東京市芝区西芝浦3(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「住友不動産田町ビル」建物南側。最寄駅はJR京浜東北線田町駅。
1937年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「芝浦キネマ」。*32
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「住友不動産田町ビル」建物南側。最寄駅はJR京浜東北線田町駅。
1937年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「芝浦キネマ」。*32
所在地 : 東京市芝区田村町1(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「西新橋スクエア」建物南西端部。最寄駅は都営地下鉄三田線内幸町駅。
1935年の『大日本職業別明細図 第427号』「芝区全図」には、「芝富士館」、「芝園館」、「日日谷日活館」、「飛行館」が描かれている。*33
1937年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「日活館」。*34
1945年2月、東京の「麻布日活館」、「芝日活館」、「日比谷日活館」、「鳥越キネマ」、「新宿日活館」、「大塚日活館」が興行整備によって営業を休止した。同年5月、空襲によって日比谷日活館、芝日活館、「新宿日活館」、「荏原大映劇場」、「中延大映劇場」、「大崎大映劇場」、「横浜大映劇場」が全焼した。*35
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1945年頃
跡地は「西新橋スクエア」建物南西端部。最寄駅は都営地下鉄三田線内幸町駅。
1935年の『大日本職業別明細図 第427号』「芝区全図」には、「芝富士館」、「芝園館」、「日日谷日活館」、「飛行館」が描かれている。*33
1937年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「日活館」。*34
1945年2月、東京の「麻布日活館」、「芝日活館」、「日比谷日活館」、「鳥越キネマ」、「新宿日活館」、「大塚日活館」が興行整備によって営業を休止した。同年5月、空襲によって日比谷日活館、芝日活館、「新宿日活館」、「荏原大映劇場」、「中延大映劇場」、「大崎大映劇場」、「横浜大映劇場」が全焼した。*35
所在地 : 東京都港区麻布宮村町1(1964年)
開館年 : 1925年以前、1953年1月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「ライオンズマンション麻布十番」。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
「麻布日活館」は「末広座」を改築した2階建ての映画館である。屋根は低いが、客席・廊下・休憩室などはゆったりしている。定員は1000人。*40
1929年10月、麻布区に「麻布日活館」が開館した。1933年頃は日活直営館が最も少なかった時期であり、神田日活館、上野日活館、帝都座、八丁堀日活館、四谷日活館、日比谷日活館、麻布日活館、両国日活館、本所日活館、大東京、神楽坂日活館、横浜の喜楽座の12館しかなかった。戦時中の1945年4月、空襲で麻布日活館が焼失した。*41
1935年の『大東京区分図三十五区之内 麻布区詳細図』では「日活館」。*42
1945年2月、東京の「麻布日活館」、「芝日活館」、「日比谷日活館」、「鳥越キネマ」、「新宿日活館」、「大塚日活館」が興行整備によって営業を休止した。同年5月、空襲によって日比谷日活館、芝日活館、「新宿日活館」、「荏原大映劇場」、「中延大映劇場」、「大崎大映劇場」、「横浜大映劇場」が全焼した。*43
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*44
開館年 : 1925年以前、1953年1月
閉館年 : 1964年頃
跡地は「ライオンズマンション麻布十番」。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
「麻布日活館」は「末広座」を改築した2階建ての映画館である。屋根は低いが、客席・廊下・休憩室などはゆったりしている。定員は1000人。*40
1929年10月、麻布区に「麻布日活館」が開館した。1933年頃は日活直営館が最も少なかった時期であり、神田日活館、上野日活館、帝都座、八丁堀日活館、四谷日活館、日比谷日活館、麻布日活館、両国日活館、本所日活館、大東京、神楽坂日活館、横浜の喜楽座の12館しかなかった。戦時中の1945年4月、空襲で麻布日活館が焼失した。*41
1935年の『大東京区分図三十五区之内 麻布区詳細図』では「日活館」。*42
1945年2月、東京の「麻布日活館」、「芝日活館」、「日比谷日活館」、「鳥越キネマ」、「新宿日活館」、「大塚日活館」が興行整備によって営業を休止した。同年5月、空襲によって日比谷日活館、芝日活館、「新宿日活館」、「荏原大映劇場」、「中延大映劇場」、「大崎大映劇場」、「横浜大映劇場」が全焼した。*43
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*44
所在地 : 東京都港区三田同朋町6(1964年)
開館年 : 1925年以前、1947年4月
閉館年 : 1964年頃
跡地はマンション「ビジデンス三慶」北20mの工事現場。最寄駅は都営地下鉄三田線三田駅。
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「三田キネマ」。*45
開館年 : 1925年以前、1947年4月
閉館年 : 1964年頃
跡地はマンション「ビジデンス三慶」北20mの工事現場。最寄駅は都営地下鉄三田線三田駅。
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「三田キネマ」。*45
所在地 : 東京都港区麻布十番2-3(1965年)
開館年 : 1955年9月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「麻布十番会館」。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
1948年には麻布十番商店街が演芸場の建設と営業許可を東京都に申請し、ようやく1952年6月には麻布坂下町の雑式通り沿いに寄席「十番倶楽部」が開場した。開場時のトリは8代目桂文楽であり、8代目林家正蔵、3代目三遊亭小圓朝、林家三平などが名を連ねた。十番倶楽部の運営は本職の興行師ではなく商店街組合が担っている。しかし十番倶楽部は経営難であり、1955年には閉館に追い込まれた。*46
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年9月には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*47
開館年 : 1955年9月
閉館年 : 1965年頃
跡地は「麻布十番会館」。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
1948年には麻布十番商店街が演芸場の建設と営業許可を東京都に申請し、ようやく1952年6月には麻布坂下町の雑式通り沿いに寄席「十番倶楽部」が開場した。開場時のトリは8代目桂文楽であり、8代目林家正蔵、3代目三遊亭小圓朝、林家三平などが名を連ねた。十番倶楽部の運営は本職の興行師ではなく商店街組合が担っている。しかし十番倶楽部は経営難であり、1955年には閉館に追い込まれた。*46
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年9月には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*47
所在地 : 東京都港区麻布十番2-9(1965年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1965年頃
跡地はマンション「麻布十番中央マンション」建物東側。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*48
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1965年頃
跡地はマンション「麻布十番中央マンション」建物東側。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*48
所在地 : 東京都港区麻布十番2-9(1965年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1965年頃
跡地はマンション「麻布十番中央マンション」建物西側。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*49
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1965年頃
跡地はマンション「麻布十番中央マンション」建物西側。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅。
戦前の麻布十番には2館の映画館があったが、いずれも戦時中の空襲で焼失した。戦後の1951年12月、「麻布中央劇場」と「麻布映画劇場」が同時に開館し、1952年には「麻布日活」が、1955年には十番倶楽部を改装して「麻布名画座」が開館した。*49
所在地 : 東京都港区芝二本榎1-50(1963年)
開館年 : 1947年9月
閉館年 : 1963年頃
跡地はマンション「高輪26番館」。最寄駅は都営地下鉄浅草線・京急本線泉岳寺駅。
1949年3月、武蔵野映画劇場株式会社は「高輪劇場」と、同年9月には「中野映画劇場」と提携して傘下に収めた。1951年7月には「自由ケ丘武蔵野館」を新築し、また、「辰巳武蔵野館」を買収した。*50
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*51
開館年 : 1947年9月
閉館年 : 1963年頃
跡地はマンション「高輪26番館」。最寄駅は都営地下鉄浅草線・京急本線泉岳寺駅。
1949年3月、武蔵野映画劇場株式会社は「高輪劇場」と、同年9月には「中野映画劇場」と提携して傘下に収めた。1951年7月には「自由ケ丘武蔵野館」を新築し、また、「辰巳武蔵野館」を買収した。*50
1962年9月から1963年9月までに、東京都では神田東映(千代田区)、高輪映画(港区)、神楽坂東映(新宿区)、松竹座(台東区)、入谷金美(台東区)、石原ミリオン(墨田区)、白髭映劇(墨田区)、千田シネマ(江東区)、娯楽館(品川区)、大井映画(品川区)、ユニオン座(目黒区)、久ヶ原ロマン座(大田区)、長原映劇(大田区)、蒲田映劇(大田区)、蒲田銀映(大田区)、蒲田名画座(大田区)、沼袋映劇(中野区)、テアトル中野(中野区)、北映座(豊島区)、巣鴨映劇(豊島区)、巣鴨日活(豊島区)、三島館(荒川区)、荒川大映(荒川区)、志村大映(板橋区)、高砂文化(葛飾区)、新小岩銀映(葛飾区)、平井東映(江戸川区)、八光館(八王子市)、青梅セントラル(青梅市)、調布銀映(調布市)、町田東映(町田市)、月光館(目黒区、演芸場転向)の32館が廃館となった。*51
所在地 : 東京都港区芝2-1-28(1967年)
開館年 : 1924年1月
閉館年 : 1967年頃
跡地は「芝アネックスビル」。最寄駅は都営地下鉄三田線芝公園駅。
1935年の『大日本職業別明細図 第427号』「芝区全図」には、「芝富士館」、「芝園館」、「日日谷日活館」、「飛行館」が描かれている。*52
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「芝園館」。*53
東京の洋画上映館「芝園館」の外観・内部の写真あり。バラック建築である。封切館ではなくセカンドランの映画館だった。*54
1965年12月5日、港区芝2-1-28の「芝園館」2階正面ロビー売店付近から出火し、耐火造4階建ての劇場の一部が焼失した。大正末期に建設された東京最古の洋画封切館である。スクリーンの脇には石造の孔雀の飾りや貴賓席があり、大辻司郎や徳川夢声などの弁士が活躍した映画館でもある。*55
港区芝には映画館「芝園館」があった。無声映画時代には徳川夢声などが弁士を務めたが、東京では早く1930年にトーキー映画館となった。1967年3月の芝園館の写真あり。手前は都電の線路である。*56
開館年 : 1924年1月
閉館年 : 1967年頃
跡地は「芝アネックスビル」。最寄駅は都営地下鉄三田線芝公園駅。
1935年の『大日本職業別明細図 第427号』「芝区全図」には、「芝富士館」、「芝園館」、「日日谷日活館」、「飛行館」が描かれている。*52
1935年の『大東京区分図三十五区之内 芝区詳細図』では「芝園館」。*53
東京の洋画上映館「芝園館」の外観・内部の写真あり。バラック建築である。封切館ではなくセカンドランの映画館だった。*54
1965年12月5日、港区芝2-1-28の「芝園館」2階正面ロビー売店付近から出火し、耐火造4階建ての劇場の一部が焼失した。大正末期に建設された東京最古の洋画封切館である。スクリーンの脇には石造の孔雀の飾りや貴賓席があり、大辻司郎や徳川夢声などの弁士が活躍した映画館でもある。*55
港区芝には映画館「芝園館」があった。無声映画時代には徳川夢声などが弁士を務めたが、東京では早く1930年にトーキー映画館となった。1967年3月の芝園館の写真あり。手前は都電の線路である。*56
所在地 : 東京都港区高輪1-3-3(1973年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1973年頃
跡地はマンション「プレミストタワー白金高輪」建物北側。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線白銀高輪駅。
1969年の港区にあった「魚籃京映」前の写真あり。7系統の路面電車が魚籃坂下停留場に停車している。魚籃坂下の商店街にあった映画館である。*57
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1973年頃
跡地はマンション「プレミストタワー白金高輪」建物北側。最寄駅は東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線白銀高輪駅。
1969年の港区にあった「魚籃京映」前の写真あり。7系統の路面電車が魚籃坂下停留場に停車している。魚籃坂下の商店街にあった映画館である。*57
所在地 : 東京都港区北青山3-12-9 青山花茂ビル9階(1993年)
開館年 : 1989年9月
閉館年 : 1993年頃
映画館が入っていた「青山花茂ビル」は現存。最寄駅は東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線表参道駅。
1989年9月、港区北青山3-12-9 青山花茂ビル8階に「キノ青山」が開館した。経営はパシフィック・シネマジャパン。座席数89。*58
開館年 : 1989年9月
閉館年 : 1993年頃
映画館が入っていた「青山花茂ビル」は現存。最寄駅は東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線表参道駅。
1989年9月、港区北青山3-12-9 青山花茂ビル8階に「キノ青山」が開館した。経営はパシフィック・シネマジャパン。座席数89。*58
所在地 : 東京都港区六本木6-2-27 WAVE地下1階(1998年)
開館年 : 1983年11月19日
閉館年 : 1999年12月31日
跡地は「六本木ヒルズメトロハット」付近。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
1983年10月3日の『読売新聞』夕刊には、11月に194席のミニシアター「シネ・ヴィヴァン六本木」が開館する予定という記事が掲載されている。現物は未確認。*59
1983年11月19日、港区六本木6-2-27 WAVEビル地下1階に西武百貨店文化事業部によって「シネ・ヴィヴァン六本木」が開場した。194席。*60
1999年12月31日、「シネヴィヴァン六本木」の東京テアトルへの委託契約が完了し、西友に返還された。*61
開館年 : 1983年11月19日
閉館年 : 1999年12月31日
跡地は「六本木ヒルズメトロハット」付近。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
1983年10月3日の『読売新聞』夕刊には、11月に194席のミニシアター「シネ・ヴィヴァン六本木」が開館する予定という記事が掲載されている。現物は未確認。*59
1983年11月19日、港区六本木6-2-27 WAVEビル地下1階に西武百貨店文化事業部によって「シネ・ヴィヴァン六本木」が開場した。194席。*60
1999年12月31日、「シネヴィヴァン六本木」の東京テアトルへの委託契約が完了し、西友に返還された。*61
所在地 : 東京都港区六本木4-9-2(2007年)
開館年 : 1993年頃
閉館年 : 2007年頃
映画館が入っていた「俳優座ビル」は現存。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
東京都港区にある俳優座ビル。1980年竣工。設計は白鳳建築設計事務所、施行は鹿島建設。旧「俳優座劇場」の老朽化に伴う建て替えによって、劇場、店舗、集合住宅などを併せ持つ複合ビルとなった。*62
開館年 : 1993年頃
閉館年 : 2007年頃
映画館が入っていた「俳優座ビル」は現存。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
東京都港区にある俳優座ビル。1980年竣工。設計は白鳳建築設計事務所、施行は鹿島建設。旧「俳優座劇場」の老朽化に伴う建て替えによって、劇場、店舗、集合住宅などを併せ持つ複合ビルとなった。*62
所在地 : 東京都港区新橋3-25-19(2010年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 2014年8月31日
Wikipedia : 新橋文化劇場
跡地は居酒屋「サカナヤオアジ」付近。最寄駅はJR新橋駅。
「新橋文化劇場・ロマン劇場」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*63
倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)、「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。*64
開館年 : 1957年
閉館年 : 2014年8月31日
Wikipedia : 新橋文化劇場
跡地は居酒屋「サカナヤオアジ」付近。最寄駅はJR新橋駅。
「新橋文化劇場・ロマン劇場」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*63
倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)、「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。*64
所在地 : 東京都港区六本木3-8-15(2015年)
開館年 : 2006年3月11日
閉館年 : 2015年6月14日
Wikipedia : シネマート六本木
映画館が入っていた「日拓ビル」は現存。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
2015年6月14日をもって、港区六本木の映画館「シネマート六本木」が閉館する予定。株式会社エスピーオーが運営している。2006年3月にアジア映画の専門館として開館した。4スクリーン座席数計440席を有する。2015年8月8日をもって定期建物賃貸借契約が満了することが閉館の理由。株式会社エスピーオーが運営する映画館はシネマート新宿とシネマート心斎橋の2施設となる。*65
開館年 : 2006年3月11日
閉館年 : 2015年6月14日
Wikipedia : シネマート六本木
映画館が入っていた「日拓ビル」は現存。最寄駅は東京メトロ・都営地下鉄六本木駅。
2015年6月14日をもって、港区六本木の映画館「シネマート六本木」が閉館する予定。株式会社エスピーオーが運営している。2006年3月にアジア映画の専門館として開館した。4スクリーン座席数計440席を有する。2015年8月8日をもって定期建物賃貸借契約が満了することが閉館の理由。株式会社エスピーオーが運営する映画館はシネマート新宿とシネマート心斎橋の2施設となる。*65
所在地 : 東京都港区台場1-7-1 アクアシティお台場内(2025年)
開館年 : 2000年4月22日
閉館年 : 営業中
最寄駅はゆりかもめ台場駅。
2000年1月20日、メディアージュの1階と2階にマルチプレックスシネマ「シネマメディアージュ」が開館すること発表された。メディアージュはソニーグループによる都市型エンタメ施設であり、東宝が36億円を投資して映画館を建設する。経営はソニーが100%出資する子会社のソニー・アーバン・エンタテイメント(SURE)。*66
2000年4月22日、港区台場1-7-1 アクアシティお台場メディアージュに「シネマメディアージュ」が開館した。総座席数3006席。*67
開館年 : 2000年4月22日
閉館年 : 営業中
最寄駅はゆりかもめ台場駅。
2000年1月20日、メディアージュの1階と2階にマルチプレックスシネマ「シネマメディアージュ」が開館すること発表された。メディアージュはソニーグループによる都市型エンタメ施設であり、東宝が36億円を投資して映画館を建設する。経営はソニーが100%出資する子会社のソニー・アーバン・エンタテイメント(SURE)。*66
2000年4月22日、港区台場1-7-1 アクアシティお台場メディアージュに「シネマメディアージュ」が開館した。総座席数3006席。*67

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