日本の映画館の総合データベースです。



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北区

中央区

福島区

大阪名画座/野田名画座
所在地 : 大阪府大阪市福島区(1950年・1953年)、大阪府大阪市福島区茶園町106(1955年・1960年)
開館年 : 1945年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1945年開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「大阪名画座」。1960年の映画館名簿では「野田名画座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「茶園荘」があるブロック全体。最寄駅は阪神本線野田駅またはJR東西線海老江駅または大阪メトロ千日前線野田阪神駅。
玉川映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市福島区(1950年・1953年)、大阪府大阪市福島区玉川町3-213(1955年・1960年)
開館年 : 1948年3月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1948年3月開館。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「玉川映画劇場」。1961年の住宅地図では「玉川映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「プレサンス大阪ゲートシティ」。最寄駅は大阪メトロ千日前線玉川駅またはJR大阪環状線野田駅。
大映パラダイス劇場
所在地 : 大阪府大阪市福島区(1953年)、大阪府大阪市福島区中江町171-4(1955年)、大阪府大阪市福島区中江町171(1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1949年8月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年8月開館。1953年・1955年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「大映パラダイス劇場」。1963年の住宅地図では「パラダイス映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1970年の住宅地図では跡地に「日本勧業銀行西野田支店」。1976年の住宅地図では跡地に「第一勧業銀行西野田支店」駐車場と道路建設用地。跡地は「みずほ銀行西野田支店」南の道路用地。最寄駅はJR東西線野田駅または大阪メトロ千日前線野田阪神駅。
阪神松竹/阪神シネマ
所在地 : 大阪府大阪市福島区(1950年・1953年)、大阪府大阪市福島区海老江中1-47(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「阪神松竹」。1969年・1970年の映画館名簿では「阪神シネマ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「キョクトー本社ビル」北。最寄駅はJR東西線海老江駅。
福島聖天キネマ/聖天キネマ
所在地 : 大阪府大阪市福島区鷺州本通1-52(1955年)、大阪府大阪市福島区鷺州本通1-51(1960年・1963年)、大阪府大阪市福島区鷺州本通1-5(1966年・1969年)、大阪府大阪市福島区鷺州本通1-51(1973年)
開館年 : 1951年3月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年3月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年の映画館名簿では「聖天キネマ」。1963年・1966年の映画館名簿では「福島聖天キネマ」。1969年・1973年の映画館名簿では「聖天キネマ」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「メゾンシティー鷺洲」。最寄駅はJR大阪環状線福島駅。
玉川シネマ・玉川東映/玉川シネマ・玉川東映劇場/玉川シネマ/玉川東映
所在地 : 大阪府大阪市福島区玉川町3-38、玉川町3-213(1958年)、大阪府大阪市福島区玉川町3-38(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年)、大阪府大阪市福島区玉川町4-12-8(1978年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1978年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「玉川シネマ・玉川東映」(2館)。1966年の映画館名簿では「玉川シネマ・玉川東映劇場」(2館)。1969年の映画館名簿では「玉川東映」。1970年の住宅地図では「玉川シネマ会館」。1973年の映画館名簿では「玉川シネマ」。1976年・1978年の映画館名簿では「玉川東映」。1979年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ピュア玉川2」建物西端部。最寄駅はJR大阪環状線野田駅または大阪メトロ千日前線玉川駅。
福島吉本キネマ/吉本キネマ
所在地 : 大阪府大阪市福島区上福島中1-86(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市福島区福島5-6-12(1980年・1982年・1984年)
開館年 : 1928年10月
閉館年 : 1984年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1928年10月開館。1950年の映画館名簿では「吉本映画劇場」。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「吉本キネマ」。1966年の映画館名簿では「福島吉本キネマ」。1969年・1973年・1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「吉本キネマ」。1981年の住宅地図では「吉本キネマ」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン福島5丁目店」。最寄駅はJR大阪環状線福島駅またはJR東西線福島駅。

西区

若映館
所在地 : 大阪府大阪市西区九条通3-456(1960年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1960年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「若映館」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図では発見できず。
九条松竹/九条松竹・九条グランド
所在地 : 大阪府大阪市西区九条通1-81(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が記載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「九条松竹」。1960年・1963年の映画館名簿では「九条松竹・九条グランド」(2館)。1964年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図では発見できず。
九条セントラル/九条セントラル劇場/九条東宝セントラル劇場
所在地 : 大阪府大阪市西区九条通1-92(1955年・1960年・1963年)
開館年 : 1951年6月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年6月開館。1955年の映画館名簿では「九条セントラル」。1960年の映画館名簿では「九条セントラル劇場」。1963年の映画館名簿では「九条東宝セントラル劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図では発見できず。
九条大劇
所在地 : 大阪府大阪市西区本田通3-31-8(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1956年11月1日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「九条大劇」。1964年の住宅地図では「九条大劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「藤和九条コープ」。最寄駅は大阪メトロ中央線・阪神なんば線九条駅。

1956年11月1日、大阪市西区本田町3-38に日活封切館「九条大劇」が開館した。経営は西川興行。定員400人。*1
九条第一劇場
所在地 : 大阪府大阪市西区九条通2-658(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市西区九条通1-54(1970年)
開館年 : 1950年10月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年10月開館。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「九条第一劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1971年の住宅地図では「映画九条第一劇場」。最寄駅は大阪メトロ中央線・阪神なんば線九条駅。
九条銀映/九条東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市西区九条通1-84(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市西区九条通1-3-11(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1950年12月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年12月開館。1955年の映画館名簿では「九条銀映」。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「九条東映劇場」。1964年・1969年・1971年の住宅地図では「九条東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では跡地に「シオミモータープール」。跡地は「みずほ銀行九条支店」北西70mの民家。最寄駅は大阪メトロ中央線・阪神なんば線九条駅。
九条大映/九条大映・東宝九条シネマ/九条映劇・九条シネマ/九条シネマ
所在地 : 大阪府大阪市西区九条通1-95(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市西区九条通1-4-2(1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市西区九条1-17-2(1980年・1982年・1984年)
開館年 : 1951年5月
閉館年 : 1984年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年5月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「九条シネマ」。1963年の映画館名簿では「九条大映」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「九条大映・東宝九条シネマ」(2館)。1969年の住宅地図では「九条大映」。1978年の住宅地図では「同和会館 九条シネマ 九条映劇」。1980年の映画館名簿では「九条映劇・九条シネマ」(2館)。1982年・1984年の映画館名簿では「九条シネマ」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「みずほ銀行九条支店」南西30mの「朝日プラザ九条」。最寄駅は大阪メトロ中央線・阪神なんば線九条駅。
九条千日劇場/エムパイア劇場/九条東洋劇場/九条東洋劇場・九条グランド/九条東洋劇場・ニュー東洋劇場/九条東洋劇場/東洋レックスシネマ/ACT活動写真館/シネ ヌーヴォ・シネ ヌーヴォX
所在地 : 大阪府大阪市西区九条通1-54(1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市西区九条通1-16-1(1973年)、大阪府大阪市西区九条1-20-24(1980年)、大阪府大阪市西区九条1-20-24-102(1985年・1990年)、大阪府大阪市西区九条1-20-24(1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1951年12月、1997年1月18日(シネ ヌーヴォ)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネ・ヌーヴォ
『全国映画館総覧 1955』によると1951年21月開館。1955年の映画館名簿では「エムパイア劇場」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「九条東洋劇場」。1969年の映画館名簿では「九条東洋劇場・九条グランド」(2館)。1969年の住宅地図では「東洋劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1978年の住宅地図では「九条東洋劇場・九条ニュー東洋劇場」。1980年の映画館名簿では「九条東洋劇場・ニュー東洋劇場」(2館)。1985年・1990年の映画館名簿では「九条東洋劇場」。1995年の映画館名簿では「ACT活動写真館」。1997年1月18日シネ・ヌーヴォ開館。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「シネ・ヌーヴォ」。2006年シネ・ヌーヴォX開館。2015年・2020年の映画館名簿では「シネ・ヌーヴォ」と「シネ・ヌーヴォX」(2館)。シャトル九条2 1階。最寄駅は大阪メトロ中央線・阪神なんば線九条駅。

1953年6月頃のこのほど、大阪市西区九条通1-52の「九条千日劇場」は「九条エムパイア劇場」に改称した。経営者は新屋信弘。*2

1997年1月18日、大阪市西区九条にミニシアター「シネ・ヌーヴォ」が開館する予定。73席。ミニコミ誌『映画新聞』の関係者が休館中の映画館を借り受けて改装した。市民約160人から1口10万円の出資金を集めた。*3

1997年1月18日、大阪・西九条に映画館「シネ・ヌーヴォ」が開館する。全国から1口10万円の株主を募集し、その出資金で運営する点が特徴であり、152人から約2100万円を集めた。仕掛け人は長年『映画新聞』を発行してきた景山理である。市民参加型映画館は札幌市、名古屋市、福島市、山形市などにも存在する。*4

「シネ・ヌーヴォ」「シネ・ヌーヴォX」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*5

「シネ・ヌーヴォ」に言及している書籍として、『ミニシアターのある街へ。』JTBパブリッシング、2021年がある。*6

浪速区

ロマン座/新世界日活ロマン座
所在地 : 大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1955年・1960年)
開館年 : 1950年5月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年5月開館。1955年の映画館名簿では「ロマン座」。1960年の映画館名簿では「新世界日活ロマン座」。1961年の住宅地図では「新世界日活ロマン座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1967年・1971年・1975年・1980年の住宅地図では跡地に「パチンコ新世界一番」。1985年・1988年の住宅地図では跡地に「パチンコ新世界123」。1993年の住宅地図では跡地に「パークハイムノブ パチンコパーラー日劇」。2001年の住宅地図では跡地に「メゾン・デ・ユニオン パチンコユニオン」。跡地はマンション「スカイコート恵美須」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

1955年頃の新世界にあった「ロマン座」の写真あり。「ROMANZA」の看板が見える。『愛は降る星のかなたに』の看板が見える。*7
朝日劇場/新世界朝日劇場/新世界日活朝日劇場
所在地 : 大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1955年・1960年・1966年・1968年)
開館年 : 1954年9月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年9月開館。1955年の映画館名簿では「朝日劇場」。1960年の映画館名簿では「新世界朝日劇場」。1961年の住宅地図では「新東宝朝日劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「新世界日活朝日劇場」。1967年・1971年の住宅地図では跡地に空地。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1975年の住宅地図では跡地に「パチンコプラザ 麻雀 サウナ 北京料理フェイリス」。1980年の住宅地図では跡地に「パチンコ朝日会館 朝日シネマ劇場」。1988年の住宅地図では跡地に「スリーエスプラザビル サウナ 麻雀 パチンコ」。2001年の住宅地図では跡地に「パチンコアサヒ会館」。跡地は有料駐車場「三井のリパーク通天閣第6」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。
新世界大映劇場
所在地 : 大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1975年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「新世界大映劇場」。1961年・1967年・1971年・1975年・1980年の住宅地図では「新世界大映」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1988年・1993年・2001年の住宅地図では跡地に「宮竹書店 パチンコジャンボ」。跡地は料理店「ジャンボ釣船つり吉」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。
新世界東宝敷島劇場/新世界東宝敷島
所在地 : 大阪府大阪市浪速区(1950年・1953年)、大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-4-7(1982年)
開館年 : 1951年4月
閉館年 : 1984年
『全国映画館総覧 1955』によると1951年4月開館。1950年の映画館名簿では「新世界東宝敷島劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「新世界東宝敷島」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「新世界東宝敷島劇場」。1961年・1967年の住宅地図では「東宝敷島劇場」。1971年・1975年・1980年の住宅地図では「新世界敷島」。1980年の映画館名簿では「新世界東宝敷島」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1988年・1993年の住宅地図では跡地に「パチンコニュー通天」。2001年の住宅地図では跡地に「パーラーEINS」。跡地は「串かつ・ホルモン専門店朝日」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。
温泉映画劇場/新世界温泉劇場/シネマ温劇・温泉映画劇場/シネマ温劇・温泉映劇
所在地 : 大阪府大阪市浪速区(1953年)、大阪府大阪市浪速区霞町2-4(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市浪速区霞町2-4-1(1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市浪速区霞町2-4(1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東3-2-22(1985年・1988年)
開館年 : 1950年6月
閉館年 : 1988年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年6月開館。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「温泉映画劇場」。1961年の住宅地図では「映画 寄席 新花月温泉劇場」。1966年の映画館名簿では「新世界温泉映画劇場」。1967年の住宅地図では「寄席 映画 温泉 新花月劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「新世界温泉劇場」。1971年・1975年・1980年の住宅地図では「寄席 映画 温劇 新花月劇場」。1980年の映画館名簿では「シネマ温劇・新温泉映画劇場」(2館)。1985年の映画館名簿では「シネマ温劇・温泉映画劇場」(2館)。1985年の住宅地図では「寄席新花月劇場 シネマ温劇 温泉映劇」。1988年の映画館名簿では「シネマ温劇・温泉映劇」(2館)。1989年の映画館名簿には掲載されていない。1993年の住宅地図では跡地に「サイガ運輸機工資材置場」。2001年の住宅地図では跡地に「スパワールド第二駐車場」。跡地は駐車場「タイムズ ジャンジャン横丁東」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1988年4月号には「第16回 温泉映劇」が掲載されている。*8
新世界グランド劇場
所在地 : 大阪府大阪市浪速区(1950年・1953年)、大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-1-9(1985年)
開館年 : 1947年7月
閉館年 : 1987年
『全国映画館総覧 1955』によると1947年7月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「新世界グランド劇場」。1961年・1967年の住宅地図では「グランド劇場」。1971年の住宅地図では「新世界グランド劇場」。1975年の住宅地図では「グランド劇場」。1975年・1980年の住宅地図では「新世界グランド劇場」。1988年の住宅地図では跡地に空地。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1993年の住宅地図では跡地に「グランドモータープール」。2001年の住宅地図では跡地に「リパーク新世界」。跡地はお好み焼き店「鶴橋風月新世界店」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1987年4月号には「第4回 新世界グランド劇場」が掲載されている。*9
新世界松竹/公楽座/松竹公楽座/新世界公楽劇場・新世界公楽シネマ(旧)
所在地 : 大阪府大阪市浪速区(1950年)、大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1953年・1955年・1960年・1973年・1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-5-3(1985年)
開館年 : 1931年6月
閉館年 : 1987年(移転)
『全国映画館総覧 1955』によると1931年6月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「公楽座」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「新世界松竹」。1961年・1967年の住宅地図では「新世界松竹」。1971年・1975年・1980年の住宅地図では「新世界公楽座」。1973年・1976年の映画館名簿では「公楽座」。1980年の映画館名簿では「松竹公楽座」。1985年の映画館名簿では「新世界公楽劇場・新世界公楽シネマ」(2館)。1985年の住宅地図では「公楽劇場・公楽シネマ」。1988年の住宅地図では「パチンココウラク パチンコ丸三パレス 公楽劇場 公楽シネマ」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1993年の住宅地図では跡地に「パチンコゴールデン」。2001年の住宅地図では跡地に「パチンコパーラー王将」。跡地は「ビジネスホテル通天小町」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

大阪市にあった「新世界公楽座」の写真あり。「新世界公楽座」の文字が見える。*10
新世界座/新世界公楽劇場(新)
所在地 : 大阪府大阪市浪速区(1950年・1953年)、大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-3-6(1985年・1989年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1947年8月(新世界座)、1989年頃(新世界公楽劇場)
閉館年 : 2006年3月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1947年8月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1989年の映画館名簿では「新世界座」。1961年・1967年・1971年・1975年・1980年・1985年・1988年の住宅地図では「新世界座」。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「新世界公楽劇場」。1990年・1993年・2001年の住宅地図では「新世界公楽劇場」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東横イン大阪通天閣前」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1988年7月号には「第19回 新世界座」が掲載されている。*11

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1987年1月号には「第1回 新世界公楽劇場」が掲載されている。*12
シネフェスタ1・2・3・4
所在地 : 大阪府大阪市浪速区恵美須東3-4-36(2000年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東3-4-36 フェスティバルゲート7階(2005年)
開館年 : 1997年7月18日
閉館年 : 2007年3月31日
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年の映画館名簿では「シネフェスタ1・2・3・4」(4館)。2001年・2005年の住宅地図では「フェスティバルゲート 7階シネマコンプレックスシネフェスタ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「マルハン新世界店」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

1997年7月18日、大阪市浪速区恵比須3-4-36に4スクリーンの「シネフェスタ」が開館した。経営はシネフェスタ株式会社。*13
新世界日活劇場
所在地 : 大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-1-26(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1976年
閉館年 : 2015年9月30日
1961年の住宅地図では後の映画館の場所に「パチンコホール」や「グリルニュースター」や「ダルマヤ」や空地など。1967年の住宅地図では後の映画館の場所に「関西中央モータープール 新世界永文スポーツセンター」。1971年・1975年の住宅地図では後の映画館の場所に「関西中央モータープール ボウルSSS」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「新世界日活劇場」。1980年の住宅地図では「新世界日活」。1985年の住宅地図では「関西中央モータープール 朝日劇場 とんかつの店とん劇 ゲームセンターアサヒ 新世界日活」。1988年の住宅地図では「関西中央モータープール 旭劇場 とんかつの店朝日亭 ゲームセンターアサヒ 新世界にっかつ」。1993年の住宅地図では「関西中央モータープール 新世界にっかつ ゲームアサヒPXポイント」。2001年の住宅地図では「アサヒパーキングスクエア ゲームステーションアサヒ 朝日劇場 新世界日活エクセス」。跡地は大衆演劇場「朝日劇場」。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1989年3月号には「最終回 新世界日活」が掲載されている。*14

1979年12月の大阪市にあった映画館「新世界日活」と演芸場「朝日劇場」の写真あり。*15

2015年9月30日、大阪市浪速区恵美須東(新世界)の成人映画館「新世界日活」が閉館する。1954年に日活の封切館として開館した。開館当時の周囲には東邦や大映の封切館など約10館の映画館があり、新世界は一大映画街として知られた。2015年3月に死去した先代の橋本秀太郎(87)はと親交が深かった宍戸錠や高橋英樹など日活黄金時代のスターが舞台挨拶に訪れたこともあった。1976年には現在の建物に移り、座席数は約200席に減少した。1992年には約20席の女性同士やカップル専用シートを新設した。現在は旧作や性描写の多い作品を上映している。「ロマンポルノを純粋に楽しめる」として近畿地方以外からも観客が訪れる。閉館後は演芸や歌謡ショー向けのホールとに改修し、12月中旬頃に新装開館する予定。*16

「新世界日活劇場」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。*17

「新世界日活」に言及している雑誌記事として、「TEMPO スクリーン カチンコ閻魔帳 さらば!カップルシート」『週刊新潮』2015年10月1日がある。現物は未確認。*18

「新世界日活」に言及している雑誌記事として、「40年の歴史に幕を閉じた浪速のポルノ映画館『新世界日活』の荒れ放題事情」『週刊実話』2015年10月15日がある。現物は未確認。*19
日劇会館・光映座/新世界日劇地下/新世界日劇会館・新世界日劇地下劇場/日劇会館・日劇OPK/日劇会館・日劇シネマ/日劇ローズ・日劇シネマ
所在地 : 大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1955年・1960年・1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-2-8(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)
開館年 : 1947年6月、1985年頃(ビル化)
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1947年6月開館。1955年の映画館名簿では「日劇会館・光映座」(2館)。1960年の映画館名簿では「新世界日劇地下」。1961年の住宅地図では「日劇会館 東映センター 新世界東映 新世界地下劇場」。1967年の住宅地図では「日劇会館」。1971年・1975年の住宅地図では「日劇会館 新世界東映 日劇DPK」。1980年の映画館名簿では「新世界日劇会館・新世界日劇地下」(2館)。1980年の住宅地図では「日劇会館 新世界東映 日劇OPK」。1985年の映画館名簿では「日劇会館・日劇OPK」(2館)。1985年の住宅地図では空地。1988年の住宅地図では「日劇OPK 日劇会館 新世界東映」。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「日劇会館・日劇シネマ」(2館)。1993年・2001年の住宅地図では「日劇ビル 2階新世界東映・日劇シネマ・日劇会館」。2015年・2020年の映画館名簿では「日劇ローズ・日劇シネマ」(2館)。建物名は1986年10月竣工のマンション「サニーコート恵美須」(日劇ビル)。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

1955年頃の新世界にあった「日劇会館」の写真あり。『妖蛇の魔殿』や『海賊バラクーダ』の看板が見える。*20
新世界日劇/新世界東映劇場/新世界東映
所在地 : 大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1955年・1960年・1966年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-2-8(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1947年6月、1985年頃(ビル化)
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1947年6月開館。1955年の映画館名簿では「新世界日劇」。1960年の映画館名簿では「新世界東映」。1966年の映画館名簿では「新世界東映劇場」。1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「新世界東映」。1969年の映画館名簿では経営者が片桐為一、支配人が山口達弘、鉄筋造3階冷暖房付、定員630、東映を上映。1985年の映画館名簿では経営会社が新世界日劇、経営者が片桐為之、支配人が山口達弘、鉄筋造1階、630席、東映を上映。1986年の映画館名簿では経営会社が新世界日劇、経営者が片桐為之、支配人が山口達弘、鉄筋造1階、150席、東映を上映。2000年の映画館名簿では経営会社が新世界日劇、経営者が片桐為之、支配人が佐々木隆之、鉄筋造2階、136席、東映を上映。建物名は1986年10月竣工のマンション「サニーコート恵美須」(日劇ビル)。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1987年9月号には「第9回 新世界東映劇場」が掲載されている。*21
新世界国際劇場・新世界国際地下劇場
所在地 : 大阪府大阪市浪速区霞町1-1(1953年・1955年・1960年・1966年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市浪速区恵美須東2-1-32(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1930年(竣工)、1950年6月(映画館化)
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1950年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「国際劇場・国際地下劇場」(2館)。1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「新世界国際劇場・新世界国際地下劇場」(2館)。1961年・1967年の住宅地図では「新世界国際劇場」。1971年・1975年・1980年・1985年・1988年・1993年・2001年の住宅地図では「新世界国際劇場 国際地下劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「新世界国際劇場・新世界国際地下」(2館)。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「新世界国際劇場・新世界国際地下劇場」(2館)。建物名は新世界国際会館。最寄駅はJR・南海電鉄新今宮駅。

1955年頃の新世界にあった「国際劇場」の写真あり。*22

1930年には芝居小屋の「南陽演舞場」が竣工した。1950年6月には映画館に転向し、「新世界国際劇場」と「新世界国際地下劇場」が開館した。昭和40年代後半から、毎日オールナイト興行が行われている。建物には当時流行したアール・デコの装飾が施されており、基本的には外観も内装も芝居小屋時代のままである。新世界国際劇場は2階席を有する数少ない映画館であり、左右から「コ」の字型の桟敷席がせり出している。*23

「新世界国際劇場・新世界国際地下劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*24

「新世界国際劇場」に言及している書籍として、藤森照信(文)、中馬聰(写真)『藤森照信のクラシック映画館』青幻舎、2019年がある。*25

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
なんばパークスシネマ
所在地 : 大阪府大阪市浪速区難波中2-10-70 なんばパークス8階(2010年・2015年・2020年)
開館年 : 2007年4月19日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「なんばパークスシネマ1-11」(11館)。最寄駅は南海電鉄南海本線・高野線難波駅。

天王寺区

玉造ヤマト館/玉造大映
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区唐居町157(1955年・1960年)、大阪府大阪市天王寺区唐居町15(1963年)、大阪府大阪市天王寺区唐居町157(1966年)、大阪府大阪市天王寺区玉造元町2-54(1968年)
開館年 : 1947年11月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年11月開館。1955年の映画館名簿では「玉造ヤマト館」。1960年・1963年・1966年・1968年の映画館名簿では「玉造大映」。1966年の住宅地図では「玉造大映」。跡地はマンション「フローライト玉造」。最寄駅はJR大阪環状線玉造駅。
玉造東映
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区南玉造町27(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「玉造東映」。1966年の住宅地図では「玉造東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
三和劇場/上六大映
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区上本町7-65(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1955年の映画館名簿では「三和劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「上六大映」。1970年の住宅地図では「上六大映」。1976年の映画館名簿では経営会社が三和興業、経営者が圦信三、支配人が圦邦夫、木造2階冷暖房付、450席、日活を上映。同一地点で建て替え。後継館は上六東宝・上六日活。跡地は上六三和会館。最寄駅は近鉄大阪線・難波線大阪上本町駅。
近映大劇場・近映地下劇場/上六映画劇場・上六地下劇場/上六映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区上本町6-1(1955年・1960年)、大阪府大阪市天王寺区上本町7-2-1(1963年)、大阪府大阪市天王寺区上本町6-1(1966年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市天王寺区上本町6-5-28(1982年・1984年)
開館年 : 1954年12月
閉館年 : 1984年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年12月開館。1955年の映画館名簿では「近映大劇場・近映地下劇場」(2館)。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1982年の映画館名簿では「上六映画劇場・上六地下劇場」(2館)。1963年・1975年の住宅地図では「近鉄会館 上六映画劇場 上六地下劇場」。1984年の映画館名簿では「上六映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は大型商業施設「上本町ユフラ」建物西側。最寄駅は近鉄大阪上本町駅。
鶴橋東宝・鶴橋松竹シネマ/鶴橋東宝映画劇場・鶴橋松竹シネマ/鶴橋松竹シネマ
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区舟橋町42(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市天王寺区舟橋町2-2(1980年)、大阪府大阪市天王寺区舟橋町3-4(1985年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1985年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「鶴橋東宝・鶴橋松竹」(2館)。1960年の映画館名簿では「鶴橋東宝・鶴橋松竹シネマ」(2館)。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「鶴橋東宝映画劇場・鶴橋松竹シネマ」(2館)。1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「鶴橋松竹シネマ」。1983年の住宅地図では「鶴橋松竹シネマ劇場」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アミーユレジデンス真田山」。最寄駅はJR・近鉄・大阪メトロ鶴橋駅。
玉造東宝/玉造東宝映画劇場/玉造東宝・玉造大映/玉造東宝・玉造日活
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区黒門町171(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、大阪府大阪市天王寺区玉造元町2-54(1968年・1969年)、大阪府大阪市天王寺区玉造元町2-45(1975年・1978年)、大阪府大阪市天王寺区玉造元町3-26(1973年・1980年・1985年・1990年・1991年)
開館年 : 1952年10月、1967年(ビル化)
閉館年 : 1991年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年10月開館。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「玉造東宝映画劇場」。1960年の映画館名簿では経営者がOS映画、支配人が大栗正雄、木造2階、定員523、東宝を上映。1963年の映画館名簿では「玉造東宝」。1966年の映画館名簿では「玉造東宝映画劇場」。1966年の映画館名簿では経営者が三和興業、支配人が圦信三、鉄筋造2階冷暖房付、定員780、東宝を上映。1966年の住宅地図では「玉造東宝」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。1968年・1969年・1973年の映画館名簿では「玉造東宝・玉造大映」(2館)。1968年の映画館名簿では経営者が三和興業、支配人が圦邦夫、玉造東宝が鉄筋造地下冷暖房付で定員672で東宝を上映、玉造大映が鉄筋造1階冷暖房付で定員387で大映を上映。1975年・1978年の映画館名簿では「玉造東宝・玉造東映」(2館)。1975年の住宅地図では「三和会館」。1978年の映画館名簿では経営会社が三和興業、経営者が圦信三、支配人が今西孝幸、玉造東宝が鉄筋造地下1階冷暖房付で定員672で東宝を上映、玉造東映が鉄筋造地下1階冷暖房付で定員387で東映を上映。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「玉造東宝・玉造日活」(2館)。1983年の住宅地図では「三和マンション スーパートーエイ 地下1階玉造日活 2階玉造東映」。1990年の映画館名簿では経営会社が三和興業、経営者が圦邦夫、支配人が木下珙一、玉造東宝が鉄筋造2階で定員378で東宝・東映を上映、玉造日活が鉄筋造地下で定員324でにっかつ・成人映画を上映。1991年の映画館名簿では「玉造東宝」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物はドラッグストア「サンドラッグ玉造店」とライブハウス「Takara Osaka」とスポーツクラブ「VADY+玉造店」が入る「トーエイビル」として現存。最寄駅はJR大阪環状線玉造駅。
天王寺ステーションシネマ
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区天王寺駅構内(1964年)、大阪府大阪市天王寺区堀越町110(1966年・1969年・1973年・1980年)、大阪府大阪市天王寺区悲田院町10-48(1985年・1990年・1995年・2000年・2001年)
開館年 : 1962年9月21日
閉館年 : 2001年
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年・1966年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2001年の映画館名簿では「天王寺ステーションシネマ」。1964年の映画館名簿では経営者が近畿日本鉄道、支配人が松原滋夫、鉄筋造1階冷暖房付、定員228、ニュース映画を上映。1983年の住宅地図では「天王寺ステーションビル 地下1階ステーションシネマ」。2001年の映画館名簿では経営会社がきんえい、経営者が林弘、支配人が石田義一、鉄筋造地下、128席、東映を上映。2005年の映画館名簿には掲載されていない。天王寺ステーションビル地下1階。建物の天王寺ステーションビルは「天王寺ミオプラザ館」として現存。最寄駅はJR・大阪メトロ・阪堺電車天王寺駅。

1962年9月21日、大阪市天王寺区堀越町110に「天王寺ステーション・シネマ」が開館した。国鉄天王寺駅地下1階。大阪唯一のスーパーニュース劇場である。鉄骨鉄筋コンクリート造、冷暖房完備。定員210。内外ニュース、スポーツニュース、優秀短編映画、漫画を上映。上映会数は一日8回から10回。入場料は50円。*26
上六東宝・上六日活/上六シネマ1・2/ACTシネマテーク/上六シネマ
所在地 : 大阪府大阪市天王寺区上本町7-65(1977年・1978年・1980年)、大阪府大阪市天王寺区上本町6-7-2(1985年・1990年・1992年・1994年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1976年
閉館年 : 営業中
港町キネマ通り : 上六シネマ
前身館は上六大映。同一地点で建て替え。1977年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「上六東宝・上六日活」(2館)。1977年の映画館名簿では経営会社が三和興業、経営者が圦信三、上六日活の支配人が圦邦夫で鉄筋造1階冷暖房付で200席で東宝・洋画を上映、上六東宝の支配人が増田尚哉で鉄筋造2階冷暖房付で200席で東宝・洋画・日活を上映。1980年の住宅地図では「上六三和会館 地下1階上六東宝・上六日活」。1990年・1992年の映画館名簿では「上六シネマ1・2」(2館)。1992年の映画館名簿では経営会社が三和興業、経営者が圦邦夫、支配人が山口寿彦、いずれも鉄筋造地下、シネマ1が236席で東宝を上映、シネマ2が152席でにっかつ・成人映画を上映。1994年・1995年・1996年の映画館名簿では「ACTシネマテーク」。1996年の映画館名簿では経営会社が有限会社アクト、経営者・支配人ともに沢健司、鉄筋造地下、110席、邦画・洋画を上映。1998年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「上六シネマ」。1998年の映画館名簿では経営会社が松下商会、経営者・支配人ともに米田実、鉄筋造地下、83席、成人映画を上映。建物名は1976年竣工の上六三和会館。最寄駅は近鉄大阪線・難波線大阪上本町駅。

2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。

大阪市北東部

都島区

京橋大映劇場(新)
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町7-79(1958年)、大阪府大阪市都島区東野田7-35(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の住宅地図では「京橋大映」。1958年・1960年の映画館名簿では「京橋大映劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ウィスタリア京橋」北の立体駐車場「K3スカイパーク駐車場」建物東側。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。
阪映劇場
所在地 : 大阪府大阪市都島区毛馬町2-12(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「阪映劇場」。1964年の住宅地図では「阪映劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はドラッグストア「ドラッグセイムス都島毛馬店」建物北東角。最寄駅はJRおおさか東線城北公園通駅。
赤川東映
所在地 : 大阪府大阪市都島区大東町1-69(1958年・1960年)、大阪府大阪市都島区大東町1-68(1963年・1964年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「赤川東映」。1964年の住宅地図では「赤川東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「カレーハウスCoCo壱番屋都島インター店」北西40mにある6軒分の民家。最寄駅はJRおおさか東線城北公園通駅。
京橋松竹
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町7-70(1955年)、大阪府大阪市都島区東野田7-70(1960年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年10月開館。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「京橋松竹」。1959年の住宅地図では「京橋松竹」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「マンションKLM」。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。
京橋大映(旧)/京橋東宝劇場
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町7-79(1955年)、大阪府大阪市都島区東野田7-79(1960年)
開館年 : 1946年11月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年11月開館。1953年の映画館名簿では「京橋大映劇場」。1955年の映画館名簿では「京橋大映」。1959年の住宅地図では「京橋東宝」。1960年の映画館名簿では「京橋東宝劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は国道1号沿いの「協和病院」。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。
京橋劇場/京橋映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町7-152(1959年)、大阪府大阪市都島区東野田7-152(1960年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「京橋劇場」。1959年の住宅地図では「京橋映画劇場」。1960年の映画館名簿では「京橋映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「スペースみやこ」。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。
都島銀映
所在地 : 大阪府大阪市都島区都島本通3-100(1955年・1960年・1966年・1969年)、大阪府大阪市都島区都島本通3-32(1970年)
開館年 : 1948年12月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1948年12月開館。1953年・1955年・1960年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「都島銀映」。1969年の住宅地図では「都島銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「グルメシティ都島本通店」建物西側。最寄駅は大阪メトロ谷町線都島駅。
都島シネマ
所在地 : 大阪府大阪市都島区都島本通3-32(1958年・1960年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「都島シネマ」。1969年の住宅地図では「都島シネマ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宝コーポ」建物南側。最寄駅は大阪メトロ谷町線都島駅。
昭映劇場/赤川昭映劇場
所在地 : 大阪府大阪市都島区大東町1-755(1960年)、大阪府大阪市都島区大東町1-29(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1927年10月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1927年10月開館。1953年・1960年の映画館名簿では「昭映劇場」。1964年の住宅地図では「昭映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「赤川昭映劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「パークプラザ都島」。最寄駅はJRおおさか東線城北公園通駅。
アサヒ映劇/野江会館/都島会館
所在地 : 大阪府大阪市都島区内代町2-23(1958年・1960年・1969年)、大阪府大阪市都島区内代町2-21(1973年・1974年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1974年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「アサヒ映劇」。1960年の映画館名簿では「野江会館」。1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「都島会館」。1972年の住宅地図では「都島会館」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「都島ビューハイツ」。最寄駅は大阪メトロ谷町線野江内代駅。
京橋シネマ(新)/京橋東映
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町3-9-3(1977年・1978年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1976年頃
閉館年 : 1991年頃
1976年の映画館名簿には掲載されていない。1977年の映画館名簿では「京橋シネマ」。1978年の映画館名簿では「京橋シネマ劇場」。1980年の映画館名簿では「京橋シネマ」。1987年の住宅地図では「グランシャトービル 4階京橋東映」。1985年・1990年の映画館名簿では「京橋東映」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は映画館が入っていた「グランシャトービル」。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。
京橋劇場
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町7-15(1955年・1958年)、大阪府大阪市都島区東野田7-152(1960年)、大阪府大阪市都島区東野田町7-15(1966年・1969年)、大阪府大阪市都島区東野田町5-3-39(1973年・1980年・1990年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1991年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1955年・1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1980年・1990年の映画館名簿では「京橋劇場」。1959年・1972年の住宅地図では「京橋劇場」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「日本パーキング京橋駅前駐車場」。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。
京橋シネマ(旧)/京バシ東映劇場・京バシ名画座/京橋東映劇場・京橋名画座/京バシ名画座
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町7-100(1955年・1960年・1966年・1969年)、大阪府大阪市都島区東野田町3-12-3(1973年・1980年・1990年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1991年頃
1955年の映画館名簿では「京橋シネマ」。1959年の住宅地図では「京橋東映 京橋名画座」。1960年の映画館名簿では「京橋東映・京橋名画座」(2館)。1966年の映画館名簿では「京バシ東映劇場・京バシ名画座」(2館)。1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「京橋東映劇場・京橋名画座」(2館)。1972年の住宅地図では「京橋東映 京橋名画座」。1990年の映画館名簿では「京バシ名画座」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「京橋プラザビル」。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。
京橋日活アカデミー劇場/京橋日活アカデミー/京橋アカデミー劇場
所在地 : 大阪府大阪市都島区東野田町7-26(1958年・1960年・1966年・1969年)、大阪府大阪市都島区東野田町5-25(1973年)、大阪府都島区東野田町5-2-20(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 2005年1月11日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「京橋アカデミー劇場」。1959年の住宅地図では「京橋アカデミー劇場」。1960年の映画館名簿では「京橋日活アカデミー劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「京橋日活アカデミー」。1972年の住宅地図では「京橋アカデミー劇場」。1980年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「京橋アカデミー劇場」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ウィスタリア京橋」。最寄駅はJR・京阪電鉄・大阪メトロ京橋駅。

「京橋アカデミー劇場」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。*27

淀川区

淀川東映
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区宮原町270(1958年)、大阪府大阪市東淀川区宮原町280(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「淀川東映」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。
塚本映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区塚本町3-80(1955年・1960年・1961年)
開館年 : 1954年8月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年8月開館。1955年・1960年・1961年の映画館名簿では「塚本映画劇場」。1960年の住宅地図では「塚本映劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「クレールコシダ」。最寄駅はJR神戸線塚本駅。
三栄映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区三国町738(1958年・1960年・1961年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1961年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「三栄映画劇場」。1960年の全商工住宅案内図帳では「三栄劇場」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三国公園」東南東70mの空き地。最寄駅は阪急宝塚線三国駅。
トキワ映画劇場/木川トキワ映劇
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区木川西之町3-22(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「トキワ映画劇場」。1960年の住宅地図では「トキワ映劇」。1963年の映画館名簿では「木川トキワ映劇」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「木川西公園」南西すぐの民家数軒。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。
木川シネマ/木川東映/木川東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区木川西之町3-22(1959年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1966年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「木川シネマ」。1960年の映画館名簿では「木川東映」。1960年・1963年の住宅地図では「木川東映」。1963年・1966年の映画館名簿では「木川東映劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「淀川木川西郵便局」南東すぐのアパート「木川文化北棟」と「木川文化南棟」。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。
OK映画劇場/十三日活OK
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-77(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-15-4(1966年)、
開館年 : 1947年1月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年1月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「OK映画劇場」。1963年の住宅地図では「日活OK劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「十三日活OK」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「東横イン大阪阪急十三駅西口1」建物北側の「ローソン十三本町一丁目店」部分。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。
十三若草劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区十三西之町3-19(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「十三若草劇場」。1963年の住宅地図では「若草映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「十三エステートハイツ」。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。
南方大光劇場/南方大光映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区西中島町4-1(1958年)、大阪府大阪市東淀川区西中島4-1(1960年)、大阪府大阪市東淀川区西中島町4-1(1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1967年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「阪急南方大光劇場」。1960年の映画館名簿では「南方大光劇場」。1963年の住宅地図では「大光映画劇場」。跡地は「日清食品ビル」。1963年・1966年・1967年の映画館名簿では「南方大光映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「日清食品ビル」。最寄駅は大阪メトロ御堂筋線西中島南方駅または阪急京都線南方駅。
新三国映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区三国町725(1958年・1960年)、大阪府大阪市東淀川区西三国町3-5(1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1967年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「新三国映劇」。1960年・1963年・1966年・1967年の映画館名簿では「新三国映画劇場」。1960年・1963年の住宅地図では「新三国映劇」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西三国モータープール」。跡地は阪急宝塚線三国駅。
三津屋シネマ
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区三津屋南通2-62(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1969年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「三津屋シネマ」。1967年の住宅地図では「三津屋シネマ」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「武富歯科医院」などが入る「メゾン宝」。最寄駅は阪急神戸線神崎川駅。
塚本東映劇場/塚本東映
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区塚本町2-54(1958年・1960年・1963年)、大阪府大阪市東淀川区塚本町2-12-12(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1969年・1970年の映画館名簿では「塚本東映」。1967年の住宅地図では「塚本東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「グランベール塚本」。最寄駅はJR神戸線塚本駅。
加島大光映画劇場/加島大興劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区加島町1231(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「加島大光映画劇場」。1967年の住宅地図では「大光劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「加島大興劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「淀川加島郵便局」南東60mの民家数軒。最寄駅はJR神戸線加島駅。
旭劇場/三津屋旭劇場/三津屋東映/三津屋東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区三津屋北通2-15(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「旭劇場」。1960年の映画館名簿では「三津屋旭劇場」。1963年の映画館名簿では「三津屋東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「三津屋東映劇場」。1967年の住宅地図では「三津屋東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン三津屋店」南西90mにあるアパート。最寄駅は阪急神戸線神崎川駅。
三国大映
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区西三国町5-71(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「三国大映」。1967年の住宅地図では「三国大映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート三国四丁目店」建物南端部と道路用地。跡地は阪急宝塚線三国駅。
三国東映/三国劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区三国町915(1955年・1960年)、大阪府大阪市東淀川区西三国町4-107(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1926年10月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1926年10月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「三国劇場」。1963年の映画館名簿では「三国東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「三国劇場」。1967年の住宅地図では「三国劇場(島田)」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「八百鮮」などがある「バルバラ」。跡地は阪急宝塚線三国駅。
光洋映画劇場/十三東宝
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-40(1955年・1960年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-48(1963年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-12-4(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「十三東宝」。1963年の住宅地図では「十三東宝」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「東コンドルモータープール」。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。
十三アカデミー劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-81(1958年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-84(1960年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-21-19(1969年・1973年)、大阪府大阪市淀川区十三本町1-17-20(1980年・1985年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1985年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「十三アカデミー劇場」。1963年の住宅地図では「第二東映アカデミー劇場」。1974年の吉田地図では「十三アカデミー劇場」。1985年の住宅地図では「十三アカデミー」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン大阪十三本町1丁目店」などが入る「アカデミープラザ」。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。
十三弥生座
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区十三東之町3-103(1958年)、大阪府大阪市東淀川区十三東之町1-1-36(1960年)、大阪府大阪市東淀川区十三東之町3-103(1969年・1973年)、大阪府大阪市淀川区十三東2-12-33(1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1995年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「十三弥生座」。1974年の吉田地図では「十三弥生座」。1996年・1998年・2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「スチューデントピアレゾン」。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。
銀映劇場/十三東映劇場/十三東映劇場・十三ロマン
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-91(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-21-11(1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市淀川区十三本町1-20-15(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1949年8月
閉館年 : 2006年7月18日
『全国映画館総覧 1955』によると1949年8月開館。1955年の映画館名簿では「十三東映劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「十三東映劇場」。1963年の住宅地図では「十三東映」。1974年の吉田地図では「十三東映」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「十三東映劇場・十三ロマン」(2館)。1985年の住宅地図では「十三ロマン 十三東映」。2008年・2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アーバネス淀川」建物北側。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。

「十三ロマン」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。*28
十三劇場/十三劇場・十三シネマ/サンポードアップルシアター/第七芸術劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-58(1955年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2(1960年・1963年)、大阪府大阪市東淀川区十三西之町2-17-16(1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市淀川区十三本町1-7-27(1975年・1978年・1980年・1982年・1984年・1985年・1990年・1992年・1993年・1994年・1995年)、大阪府大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティ6階(1998年・1999年・2003年・2005年)、大阪府大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティビル6階(2010年・2015年・2020年・2022年)
開館年 : 1946年、1972年(ビル化)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 第七芸術劇場
『全国映画館総覧 1955』によると1946年開館。1953年・1955年の映画館名簿では「十三劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「十三劇場・十三シネマ」(2館)。1963年の住宅地図では「十三劇場」と「朝日シネマ」が異なる建物として描かれている。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「十三シネマ」。1970年の映画館名簿では経営者が十三興行、支配人が布家時男、鉄筋造1階冷暖房付、定員400、松竹・大映を上映。1977年の映画館名簿では経営会社がサンポード、経営者が山川暉雄、支配人が佐内威夫、鉄筋造1階冷暖房付、400席、東宝・松竹を上映。1978年の映画館名簿では経営会社がサンポード、経営者が山川暉雄、支配人が尾形正夫、鉄筋造6階冷暖房付、180席、東宝・松竹を上映。1985年の住宅地図では「サンポードシティ 6階サンポードアップルシアター」。1985年・1990年・1992年・1993年の映画館名簿では「サンポードアップルシアター」。1992年の映画館名簿では経営会社がサンポード、経営者が山川暉雄、支配人が益田邦一、鉄筋造6階、158席、松竹を上映。1993年第七芸術劇場改称。1994年・1995年・1998年・1999年の映画館名簿では「第七芸術劇場」。1994年の映画館名簿では経営会社がシネカノン、経営者・支配人ともに李鳳宇、鉄筋造6階、158席、松竹・成人映画を上映。1999年閉館。2000年・2002年の映画館名簿には掲載されていない。2002年7月再開館。2005年9月休館。2005年12月再開館。2003年・2005年・2010年・2015年・2020年・2022年の映画館名簿では「第七芸術劇場」。2003年の映画館名簿では経営会社が有限会社第七芸術劇場、経営者が松田昭男、支配人が松村厚、鉄筋造6階、96席、邦画・洋画を上映。2022年の映画館名簿では経営会社が第七芸術劇場、経営者・支配人ともに松田昭男、93席。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1987年2月号には「第2回 サンポード・アップル・シアター」が掲載されている。*29

「第七芸術劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*30

「第七芸術劇場 シアターセブン」に言及している書籍として、『ミニシアターのある街へ。』JTBパブリッシング、2021年がある。*31
シアターセブン
所在地 : 大阪府大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティビル5階(2018年・2020年・2022年)
開館年 : 2011年
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 第七芸術劇場
2017年の映画館名簿には掲載されていない。2018年・2020年・2022年の映画館名簿では「シアターセブン」。2022年の映画館名簿では経営会社が第七芸術劇場、経営者が松田昭男、支配人が菅野健太、36席。最寄駅は阪急京都線・神戸線・宝塚線十三駅。

「第七芸術劇場 シアターセブン」に言及している書籍として、『ミニシアターのある街へ。』JTBパブリッシング、2021年がある。*32

東淀川区

小松映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区小松南通2-18(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「小松映画劇場」。1961年の住宅地図では「小松映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大阪厚生信用金庫上新庄支店」北東130mにある複数の民家。
松鶴座
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区国次町409(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「松鶴座」。1960年の住宅地図では「松鶴座映画館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2015年竣工のマンション「プリュネ淡路本町」。最寄駅は阪急京都線・千里線淡路駅。
桜木映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区国次町406(1955年・1960年)
開館年 : 1953年4月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年4月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「桜木映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の住宅地図では「桜木映画劇場」。跡地はアパート「栗下文化」。最寄駅は阪急京都線・千里線淡路駅。
新庄ヒカリ劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区上新庄3-121(1958年・1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「新庄ヒカリ劇場」。1961年の住宅地図では「新庄ヒカリ劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「阪急京都線上新庄駅」北口西側北西30mのアパート「光文化北棟」。
江口劇場
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区小松中通5-6(1958年・1960年・1963年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1969年・1970年の映画館名簿では「江口劇場」。1963年・1967年の住宅地図では「江口劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「北おおさか信用金庫小松支店」。
淡路劇場/淡路東映
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区国次町351(1955年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町2-334(1960年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町334(1963年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町2-334(1969年・1973年・1978年・1979年)
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 1979年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1955年の映画館名簿では「淡路劇場」。1960年の映画館名簿では「淡路東映」。1961年の住宅地図では「淡路東映」。1963年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「淡路劇場」。1979年の映画館名簿では「淡路東映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「マリンズ淡路」。最寄駅は阪急京都線・千里線淡路駅。
淡路シネマ
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区国次町351(1958年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町2-132(1960年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町132(1963年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町2-131(1969年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町1-132(1973年・1976年・1978年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町2-131(1979年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1979年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1969年・1973年・1976年・1978年・1979年の映画館名簿では「淡路シネマ」。1961年の住宅地図では「淡路シネマ」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「カラオケビッグエコー淡路駅前店」などが入る「アイゼン淡路ビル」。最寄駅は阪急京都線・千里線淡路駅。
淡路ニュートーホー/淡路東宝2
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区淡路4-7-20(1981年・1982年・1985年・1988年・1990年・1995年)、大阪府大阪市東淀川区淡路4-7-7(2000年)、大阪府大阪市東淀川区淡路4-7-20(2002年)、大阪府大阪市東淀川区淡路4-7-17(2005年・2008年)
開館年 : 1980年頃
閉館年 : 2008年頃
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1981年・1982年・1985年・1988年の映画館名簿では「淡路ニュートーホー」。1981年の映画館名簿では経営会社がトーホー興業、経営者が桜田丑男、支配人が桜田芳男、鉄筋造2階、150席、にっかつを上映。1990年・1995年・2000年・2005年・2008年の映画館名簿では「淡路東宝2」。2008年の映画館名簿では経営会社が宝来興業、経営者が桜田丑男、支配人が坂本雅昭、鉄筋造2階、126席、邦画・洋画を上映。2009年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東淀川淡路郵便局」南にある2020年竣工の名称不明のマンション。最寄駅は阪急京都線・千里線淡路駅。
淡路東宝1/淡路東宝
所在地 : 大阪府大阪市東淀川区国次町420(1958年・1960年)、大阪府大阪市東淀川区国次町2-420(1963年)、大阪府大阪市東淀川区淡路本町2-294(1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年)、大阪府大阪市東淀川区淡路4-7-7(1985年・1988年・1990年・1995年・2000年・2002年・2005年・2010年・2015年・2017年)
開館年 : 1957年、1977年頃
閉館年 : 2017年5月31日
港町キネマ通り : 淡路東宝
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年・1985年・1988年・1990年・1995年の映画館名簿では「淡路東宝」。1958年の映画館名簿では経営者が宝来興業、支配人が桜田丑之助、木造1階、定員306、東宝を上映。1961年の住宅地図では「淡路東宝」。1969年・1975年の映画館名簿では経営者が宝来興業、支配人が桜田忠男、木造1階冷暖房付、定員306、東宝・洋画を上映。1977年の映画館名簿では経営会社が宝来興業、経営者が桜田五郎、支配人が桜田忠男、木造1階冷暖房付、306席、東宝・洋画を上映。1978年の映画館名簿では経営会社が宝来興業、経営者が桜田五郎、支配人が桜田忠男、鉄筋造2階冷暖房付、400席、東宝・洋画を上映。1980年の映画館名簿では経営会社が宝来興業、経営者が桜田五郎、支配人が桜田忠男、鉄筋造1階、400席、東宝・松竹・にっかつ・洋画を上映。2000年の映画館名簿では「淡路東宝1」。2002年・2005年・2010年・2015年・2017年の映画館名簿では「淡路東宝」。2017年の映画館名簿では経営会社が宝来興業、経営者が桜田丑男、支配人が坂本雅昭、229席。2018年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「淡路4公園」から商店街を挟んで南側に現存。最寄駅は阪急京都線・千里線淡路駅。

映画評論家である筆者(重政隆文)の家から最も近い映画館は「淡路東宝」である。淡路東宝では東映だけでなく東宝・松竹・洋画なども上映し、各社の作品を混ぜて上映することもある。都心の映画館の入場料は1500円だが、淡路東宝は100円安い1400円であり、情報誌を持参すれば1200円になる。大阪経済大学の生協では900円でチケットが購入できるという。1981年の井筒和幸監督作『ガキ帝国』では、不良グループが乱闘するシーンで淡路東宝のロビーがロケに用いられた。かつてロビーには売店とともにカレー屋があり、一般的なカレー皿に盛られたカレーを観客席で食べることもできたが、1987年現在は売店もカレー屋も営業していない。映画館は商店街にある宝来市場の2階にあり、チケットをもぎってもらってから階段を上がる仕組みである。ホールの天井は高く、圧迫感がないため気持ちがいい。「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1987年8月号には「第8回 淡路東宝」が掲載されている。*33

阪急淡路駅西口から西に延びるアーケードの本町通商店街のほぼ中央に映画館「淡路東宝」がある。1957年、東宝の封切館として開館した。現在の桜田丑男の曽祖父が運営する宝来興業株式会社が隣接する宝来市場を増築して開館させた。リニューアルは行われているが、外観は開館当時とほぼ変わらない。かつて淡路駅前にはペンキ屋が経営していた東映専門館や松竹専門館があったが、現在の本町通商店街に残っているのは淡路東宝のみである。かつては徒歩2-3分の場所にもう1館を経営していたが、2011年に常設映画館としての営業を終了して貸しホールとした。観客は地元住民が中心であり、平日は年配者が多いものの、休日は家族連れや中高生も訪れる。東宝の直営館ではなく、松竹や東映の作品も上映している。ロードショー作品ではなくムーブオーバー作品も上映するため、梅田の映画館で見逃した作品を目的として訪れる観客もいる。近隣の住民はだれでも子供の頃に連れられてきたことがあるという。正面入り口には大きなゴジラの絵看板が掲げられている。1階のロビーは受付と売店のみの単純な構造であり、受付でチケットを購入して2階まで階段を上る。ホールは前方がワンスロープであり、後方には段差が付いたスタジアム形式である。天井は高くスクリーンが大きい。ロビーの天井は2階分の高さがあり、ガラス張りの壁面を持つ吹き抜けとなっている。デジタルとフィルムの双方の上映が可能である。映画館に隣接して喫茶店トーホーがあり、坂本がマスターを兼務している。記憶に残るヒット作品には『世界の中心で愛をさけぶ』があり、階段の上から下まで行列が途切れず、すべての回で扉が閉められないほどの満席になった。梅田の映画館に入りきらない観客が淡路東宝まで誘導されたという。2012年9月には2週間限定のイベント上映を行い、昼間は『男はつらいよ』、夜間は東宝の特撮映画『海底軍艦』を35ミリフィルムで上映すると、『海底軍艦』はリバイバル上映されることが少ない作品だったこともあり、大阪府以外からも観客が訪れた。*34

『大阪人 OSAKA-JIN』大阪市都市工学情報センター、2010年4月号は「東淀川右岸 左岸」を特集している。「東淀川・商店街遊歩 淡路東宝」には支配人の坂本雅昭の談話が掲載されており、1956年の開館の経緯などを語っている。現物は未確認。*35

「淡路東宝・淡路東宝2」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*36

「淡路東宝」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*37

旭区

旭区の映画館
千林周辺には8館もの映画館があった。映画館「千林松竹」はやがて建て替えられてダイエー千林店(後のトポス千林店)となり、その後パチンコ店になった。千林松竹は大人の女性向きの作品が多かった。東映の時代劇を上映する「森小路劇場」(後の森小路東映)は京阪森小路駅前にあり、同一経営母体の洋画上映館は「ミリオン座」だった。現在のミリオン座跡地は1階に100円ショップのあるマンションである。森小路劇場のほうが収容人数が多かったため、東映人気が低下して洋画人気が向上すると森小路劇場とミリオン座の場所が交換された。現在のパチンコ店 パーラー千林の場所には大映専門館「江南キネマ」が、現在のパチンコ店 天竜会館の場所には東宝専門館「大宮劇場」(後の大宮東宝)が、大宮劇場の裏には大衆演劇場「寿座」があった。京阪千林駅の近くには邦画の3本立再上映館「千林劇場」があり、千林劇場は後に日活専門館となった。千林栄通商店街には洋画の三番館「千林セントラル」があった。現在の千林劇場や千林セントラルの跡地にはマンションが建っている。京街道と千林商店街の交差点近く、かき氷のかどやの筋向いには3本立格安洋画館「角座」があり、閉館後の跡地はパチンコ店が営業した後に駐車場になっている。最後まで営業していたのは森小路駅前のミリオン座であり、閉館後にはスーパーとなった。*38
千林松竹/千林名画座
所在地 : 大阪府大阪市旭区千林町3-103(1953年・1955年)、大阪府大阪市旭区千林町3-136(1960年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が記載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「千林松竹」。1960年の映画館名簿では「千林名画座」。1960年の住宅地図では「千林松竹劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「123千林店」建物北側。最寄駅は京阪本線千林駅。

1961年から1962年のこのほど、大阪市旭区の「千林名画座」はスーパーマーケットとなった。*39

かつてトポスがあった場所は映画館「千林松竹劇場」の跡地である。2009年現在は更地となっている。千林松竹劇場にはストリップショーも来演した。*40
千林角座
所在地 : 大阪府大阪市旭区森小路町8-33(1955年・1960年)
開館年 : 1953年5月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年5月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「千林角座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の住宅地図では跡地に「パチンコアサヒ」。跡地は「甘味処角屋」の筋向いにある駐車場。最寄駅は大阪メトロ谷町線千林大宮駅。
中宮映劇/中宮映画劇場(旭区)
所在地 : 大阪府大阪市旭区中宮町2-4(1965年・1966年)
開館年 : 1964年頃
閉館年 : 1966年頃
1964年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図では「中宮映劇」。1965年の映画館名簿では「中宮映劇」。1966年の映画館名簿では「中宮映画劇場」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は大阪メトロ谷町線関目高殿駅。
旭映画劇場/赤川旭映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市旭区赤川町2-9(1955年・1960年・1963年・1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1954年1月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年1月開館。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「旭映画劇場」。1964年の住宅地図では「旭映画劇場」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「赤川旭映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「キコーナ赤川店」。最寄駅はJRおおさか東線城北公園通駅。
江南キネマ
所在地 : 大阪府大阪市旭区(1950年・1953年)、大阪府大阪市旭区森小路町9-1(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1931年9月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1931年9月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1969年・1970年の映画館名簿では「江南キネマ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地のパチンコ店「ぱーらーせんばやし」では2010年に殺人事件が発生。パチンコ店「プレミアパチっとワン千林店」を経て、跡地はパチンコ店「クラブアルドーレ千林店」。最寄駅は大阪メトロ谷町線千林大宮駅。
千林劇場
所在地 : 大阪府大阪市旭区(1953年)、大阪府大阪市旭区貝脇町34(1955年)、大阪府大阪市旭区貝脇町36(1960年)、大阪府大阪市旭区貝脇町38(1963年)、大阪府大阪市旭区貝脇町36(1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市旭区清水1-18-11(1974年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年の記載なし。1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「千林劇場」。1967年の住宅地図では「千林劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エスリード千林駅前」。最寄駅は京阪本線千林駅。
大宮劇場/大宮東宝/大宮東宝劇場
所在地 : 大阪府大阪市旭区(1953年)、大阪府大阪市旭区大宮町8-9(1955年)、大阪府大阪市旭区大宮町8-105(1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市旭区大宮町8-150(1973年)
開館年 : 1950年12月
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年12月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「大宮劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「大宮東宝」。1964年の住宅地図では「大宮東宝劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「大宮東宝劇場」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はまずパチンコ店「天龍会館旭店」、跡地はパチンコ店「ジョイコム千林店」。最寄駅は大阪メトロ谷町線千林大宮駅。

千林界隈の映画館としては、「千林松竹」、駅裏の新東宝・日活上映館(名称は「千林劇場?」)、洋画の「千林セントラル劇場」、洋画の「千林角座」、大映上映館の「江南キネマ」、「大宮東宝」、森小路の洋画の「ミリオン座」、「森小路東映」などがあった。大宮東宝跡地のパチンコ店は大宮東宝の建物を利用している。*41
ミリオン座(旧)/森小路東映劇場(新)
所在地 : 大阪府大阪市旭区森小路町5-26(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市旭区新森小路中5-26(1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市旭区森小路1-8-9(1976年・1978年・1979年)
開館年 : 1951年8月
閉館年 : 1979年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年8月開館。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「ミリオン座」。1966年・1969年・1973年・1976年・1978年・1979年の映画館名簿では「森小路東映劇場」。1967年の住宅地図では「森小路東映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「メゾングリーン森小路」。最寄駅は京阪本線森小路駅。
森小路劇場/森小路東映会館・森小路松竹/森小路東映劇場・森小路劇場(旧)/森小路ミリオン座/ミリオン座・森小路劇場/森小路ミリオン座・地下・2・3/森小路ミリオン2・3/森小路ミリオン1・2(新)
所在地 : 大阪府大阪市旭区新森小路中1-245(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市旭区森小路1-4-15(1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1995年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年5月開館。1955年の映画館名簿では「森小路劇場」。1960年の映画館名簿では「森小路東映会館・森小路松竹」(2館)。1963年の映画館名簿では「森小路東映劇場・森小路劇場」(2館)。1966年の映画館名簿では「森小路ミリオン座」。1969年・1973年の映画館名簿では「ミリオン座・森小路劇場」(2館)。1980年・1985年の映画館名簿では「森小路ミリオン座・地下・2・3」(4館)。1990年の映画館名簿では「森小路ミリオン2・3」(2館)。1995年の映画館名簿では「森小路ミリオン1・2」(2館)。1996年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「スーパーナショナル森小路店」。旭区最後の映画館。最寄駅は京阪本線森小路駅。

鶴見区

鶴見館
所在地 : 大阪府大阪市城東区今福中4-26(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「鶴見館」。1960年の住宅地図では「鶴見館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ユニライフ今福鶴見駅前」の北東30mにある13軒分の住宅。最寄駅は大阪メトロ長堀鶴見緑地線今福鶴見駅。
城東日本劇場
所在地 : 大阪府大阪市城東区(1950年・1953年)、大阪府大阪市城東区三組町60(1955年・1960年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年開館。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「城東日本劇場」。1960年の住宅地図では「城東日本劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三井住友銀行徳庵支店」北西60mにある10軒以上分の住宅。最寄駅はJR片町線徳庵駅。
永楽館/放出シネマ/放出東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市城東区放出町253(1955年)、大阪府大阪市城東区放出町235-6(1960年)、大阪府大阪市城東区放出町238(1963年・1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1954年9月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年9月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「永楽館」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「放出シネマ」。1967年・1968年の映画館名簿では「放出東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2020年竣工のマンション「スプランディット放出DUE」。2018年まで映画館の建物が現存していた可能性がある。最寄駅はJR片町線・おおさか東線放出駅。
放出東映/放出東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市城東区放出町253(1958年・1960年)、大阪府大阪市城東区放出町238(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1971年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「放出東映」。1964年の住宅地図では「放出東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「放出東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2020年竣工のマンション「スプランディット放出DUE」北西30mにある住宅地。最寄駅はJR片町線・おおさか東線放出駅。

大阪市西部臨海部

西淀川区

大和田劇場
所在地 : 大阪府大阪市西淀川区大和田町365(1959年・1960年)、大阪府大阪市西淀川区大和田町356(1963年)、大阪府大阪市西淀川区大和田町365(1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1964年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「大和田劇場」。1960年の住宅地図では「大和田劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大和田中一公園南南東50mの阪神高速3号道路上。
姫島東映/姫島東宝
所在地 : 大阪府大阪市西淀川区姫里町2-139(1958年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「姫島東映」。1963年・1964年の映画館名簿では「姫島東宝」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「業務スーパー西淀川店」。最寄駅は阪神本線姫島駅。
千船劇場
所在地 : 大阪府大阪市西淀川区(1950年・1953年)、大阪府大阪市西淀川区大和田406-1(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市西淀川区大和田西1-97(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1948年8月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1948年8月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「千船劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はモスク「大阪マスジッド」西の「修成建設専門学校」南館。最寄駅は阪神本線千船駅。
野里劇場/野里大映
所在地 : 大阪府大阪市西淀川区野里町1063(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「野里劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「野里大映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「野里公園」北50mにある住宅地。最寄駅はJR神戸線塚本駅または阪神本線姫島駅。
野里東映劇場/野里東映
所在地 : 大阪府大阪市西淀川区野里町497(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「野里東映」。1966年の映画館名簿では「野里東映劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「野里東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西村電機工業」。最寄駅はJR神戸線塚本駅または阪神本線姫島駅。
リボン座/野里リボン座/野里リボン座・野里テアトルリボン/野里リボン座・野里テアトルリボン座/野里テアトルリボン
所在地 : 大阪府大阪市西淀川区野里町468-3(1955年)、大阪府大阪市西淀川区野里町468(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市西淀川区野里町2-16-24(1980年・1982年・1984年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1984年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年開館。1953年の映画館名簿では「リボン座」。1955年の映画館名簿では「野里リボン座」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「野里リボン座・野里テアトルリボン」(2館)。1973年の映画館名簿では「野里リボン座・野里テアトルリボン座」(2館)。1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「野里テアトルリボン」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「多聞寺」西の住宅地。最寄駅はJR神戸線塚本駅または阪神本線姫島駅。

此花区

此花劇場
所在地 : 大阪府大阪市此花区四貫島宮居町5(1960年・1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1960年・1963年・1966年・1967年の映画館名簿では「此花劇場」。1961年の住宅地図では「此花劇場」。1967年の住宅地図では跡地に「此花モータープール」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2002年竣工のマンション「サンコーフィラン此花」。最寄駅は阪神なんば線千鳥橋駅。
春日出東映/春日出東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市此花区春日出町2-9(1958年・1960年)、大阪府大阪市此花区春日出町下2-9(1963年)、大阪府大阪市此花区春日出町2-9(1966年・1967年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1967年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「春日出東映」。1966年・1967年の映画館名簿では「春日出東映劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は食料雑貨店「よしや春日出店」など。アーケードの春日出商店街内。最寄駅は阪神なんば線千鳥橋駅。
此花東宝/春日出シネマ
所在地 : 大阪府大阪市此花区春日出町151(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年の映画館名簿では「此花東宝」。1969年・1970年の映画館名簿では「春日出シネマ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は時計店「ナニワ時計」。最寄駅は阪神なんば線千鳥橋駅。
日本劇場/四貫島日本劇場
所在地 : 大阪府大阪市此花区四貫島大通2-14(1960年・1969年・1973年・1975年・1976年)
開館年 : 1934年3月
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1934年3月開館。1960年の映画館名簿では「日本劇場」。1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「四貫島日本劇場」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「オーエスドラッグ四貫島店」や「やまさきクリニック」などが入る「セントラルプラザ」。「三井住友銀行四貫島支店」西。最寄駅は阪神なんば線千鳥橋駅。
ブラザース劇場/四貫島ブラザース劇場/日本劇場・ブラザース/ニュー日本劇場・ニューブラザース/四貫島日劇・ブラザース
所在地 : 大阪府大阪市此花区四貫島徳平町1-4(1960年・1969年・1973年・1975年・1977年)、大阪府大阪市此花区四貫島1-7-10(1978年・1980年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1980年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1960年の映画館名簿では「ブラザース劇場」。1969年・1973年の映画館名簿では「四貫島ブラザース劇場」。1975年の映画館名簿では「日本劇場・ブラザース」(2館)。1977年の映画館名簿では「ニュー日本劇場・ニューブラザース」(2館)。1980年の映画館名簿では「四貫島日劇・ブラザース」(2館)。1981年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ハイマート千鳥橋」。最寄駅は阪神なんば線千鳥橋駅。

1952年の「四貫島ブラザース」の写真あり。撮影年不明の「四貫島ブラザース」横の写真あり。1969年の大映作品『博徒一代 血祭り不動』、同じく1969年の大映作品『関東おんな極道』の看板が見える。*42

1957年頃の大阪市此花区四貫島にあった「四貫島ブラザース」の写真あり。ジェームス・キャグニー主演の『千の顔を持つ男』のポスターが見える。阪神千鳥橋駅の近くにあり、四貫島商店街に面していた。*43
西九条明治座/明治座
所在地 : 大阪府大阪市此花区朝日橋通2-9(1958年・1960年・1969年・1973年)、大阪府大阪市此花区西九条3-15-3(1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1984年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「明治座」。1969年・1973年の映画館名簿では「西九条明治座」。1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「明治座」。1980年の住宅地図では「映画館明治座」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。此花区最後の従来型映画館。跡地はカラオケ店「ジャンカラ西九条駅前店」。最寄駅はJR大阪環状線・阪神なんば線西九条駅。
ドライブインシアタースターダスト舞洲1・2
所在地 : 大阪府大阪市此花区北港緑地2丁目 舞洲スポーツアイランド内(1996年・1998年・2000年)
開館年 : 1995年頃
閉館年 : 2000年頃
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1996年・1998年・2000年の映画館名簿では「ドライブイン・シアター スターダスト舞洲1・2」(2館)。1998年の映画館名簿では202台と178台、経営会社がエー・ビー・シー開発株式会社、経営者が荒井敬一郎、支配人が大西明二、邦画・洋画を上映。2000年の大阪府精密住宅地図では「舞洲ドライブインシアター スターダスト舞洲」。2001年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「アスクル株式会社大阪DMC」と「日立物流舞洲営業所」。最寄駅はJRゆめ咲線桜島駅。

港区

市岡大映
所在地 : 大阪府大阪市港区市岡元町5-1(1960年・1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が記載されていない。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「市岡大映」。1964年の住宅地図では「市岡大映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アイビースクエア市岡」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪メトロ中央線弁天町駅。
市岡キネマ
所在地 : 大阪府大阪市港区大阪市港区市岡港通5-94(1958年)、大阪府大阪市港区大阪市港区市岡港通5-94(1960年)、大阪府大阪市港区大阪市港区市岡浜通5-94(1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「市岡キネマ」。1965年の住宅地図では「市岡キネマ」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「市岡浜公園」北北東150mにある民家。最寄駅はJR大阪環状線・大阪メトロ中央線弁天町駅。
市岡第一映画館
所在地 : 大阪府大阪市港区市岡元町3-15(1958年・1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「市岡第一映画館」。1965年の住宅地図では「市岡第一映画館」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「プレサンスロジェ弁天町」南西50mの阪神高速17号西大阪線道路用地。最寄駅はJR大阪環状線・大阪メトロ中央線弁天町駅。
衆楽館/港衆楽館/市岡衆楽館
所在地 : 大阪府大阪市港区東田中町8-45(1958年・1960年・1963年・1966年)、大阪府大阪市港区東田中町8-7(1969年)、大阪府大阪市港区夕凪1-15-8(1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「衆楽館」。1964年の住宅地図では「衆楽館」。1966年の映画館名簿では「港衆楽館」。1969年・1970年の映画館名簿では「市岡衆楽館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「キングマンションプレソワールみなと通」。最寄駅は大阪メトロ中央線朝潮橋駅。
弥生座/市岡東映弥生館
所在地 : 大阪府大阪市港区市岡元町4-1(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市港区市岡1-4-25(1973年・1975年・1978年・1979年)
開館年 : 1952年12月17日
閉館年 : 1979年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1955年の映画館名簿では「弥生座」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1979年の映画館名簿では「市岡東映弥生館」。1965年の住宅地図では「東映弥生館」。1977年の住宅地図では「市岡東映弥生館」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ユニハイム市岡2」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪メトロ中央線弁天町駅。

1952年12月17日、大阪市港区市岡元町4丁目に「弥生館」が開館した。経営は株式会社弥生興業。松竹と東映の二本立て。*44
市岡中映/市岡中央映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市港区市岡元町2-27(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市港区南市岡2-8-2(1973年・1974年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1974年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「市岡中央映画劇場」。1971年の住宅地図では「市岡セントラル」。1973年の映画館名簿では「市岡中映」。1974年の映画館名簿では「市岡中央映画劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「天理教堀西分教会」北東40mの駐車場。最寄駅はJR大阪環状線・大阪メトロ中央線弁天町駅。
市岡東宝八千代/市岡東宝八千代劇場
所在地 : 大阪府大阪市港区市岡元町4-1(1958年・1960年・1963年・1966年)、大阪府大阪市港区市岡1-4-6(1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1980年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「市岡東宝八千代」。1963年・1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「市岡東宝八千代劇場」。1965年・1977年の住宅地図では「市岡東宝八千代劇場」。1981年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「市岡1丁目駐車場」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪メトロ中央線弁天町駅。
港日活
所在地 : 大阪府大阪市港区八幡屋宝町1-279(1963年・1966年)、大阪府大阪市港区八幡屋宝町8-45(1969年)、大阪府大阪市港区八幡屋1-10-2(1973年)、大阪府大阪市港区八幡屋1-10(1980年・1982年)、大阪府大阪市港区八幡屋1-10-2(1984年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1984年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「港日活」。1977年の住宅地図では「大晃ビル 2階港日活」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はタワー式立体駐車場「朝潮パーキング」。最寄駅は大阪メトロ中央線朝潮橋駅。
港東洋/港東洋劇場/みなと東劇
所在地 : 大阪府大阪市港区東田中町8-7-2(1958年・1960年・1963年)、大阪府大阪市港区東田中町8-7(1966年・1969年・1970年)、大阪府大阪市港区夕凪2-16-9(1973年)、大阪府大阪市港区夕凪2-16-6(1980年)、大阪府大阪市港区夕凪2-16-9(1985年・1988年・1989年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1989年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「港東洋」。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1973年の映画館名簿では「港東洋劇場」。1977年の住宅地図では「港東洋映画館」。1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「みなと東劇」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。港区最後の従来型映画館。跡地は「えさきクリニック」や「にしお歯科クリニック」や「ドレミ薬局朝潮橋店」が入る「ポートビル」。最寄駅は大阪メトロ中央線朝潮橋駅。
海遊館ホール名画劇場
所在地 : 大阪府大阪市港区海岸通1-1-10(1995年・1997年・1998年)
開館年 : 1991年5月
閉館年 : 1998年9月30日
1994年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・1997年・1998年の映画館名簿では「海遊館ホール名画劇場」。1998年の映画館名簿では鉄筋造2階、268席、経営会社が大阪ウォーターフロント開発株式会社、経営者が三宅理之、支配人が新山容子、洋画を上映。1999年の映画館名簿には掲載されていない。海遊館にはイベントホールの海遊館ホールが現存。最寄駅は大阪メトロ中央線大阪港駅。

大阪府と兵庫県にまたがる大阪湾岸に相次いで映画館が開館している。1991年5月、大阪市の天保山に名画座の「海遊館ホール」が開館した。1994年時点で観客の約9割は若者だという。1994年4月には、神戸市東灘区の六甲アイランドにドライブインシアター「MOVIX六甲アイランド」が開館した。200台収容の駐車場があり、週末の午後7時過ぎにはほぼ満杯となる。神戸ナンバーが約5割であり、大阪ナンバー・なにわナンバー・和泉ナンバーが計3割である。1994年4月末には、神戸市灘区のマヤ・エスポートにも2スクリーンを持つドライブインシアターが開館している。*45

1998年9月末をもって、大阪市・天保山の「海遊館ホール名画劇場」が休館する。1991年にオープンし、話題作や名作などを上映した。約100本の作品を主にレイトショーで上映し、延べ約13万人の入場者を集めた。*46

大正区

港館
所在地 : 大阪府大阪市港区鶴町2-18(1930年)、大阪府大阪市大正区鶴町(1934年)、大阪府大阪市大正区鶴町2-79(1936年・1941年)、大阪府大阪市大正区鶴町2(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「港館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
鶴町座
所在地 : 大阪府大阪市港区鶴町2-90(1930年)、大阪府大阪市大正区鶴町(1934年)、大阪府大阪市大正区鶴町2丁目90(1936年)、大阪府大阪市大正区鶴町2-90(1941年)、大阪府大阪市大正区鶴町2(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「鶴町座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
喜楽館
所在地 : 大阪府大阪市港区三軒屋町(1930年)、大阪府大阪市大正区三軒屋町(1934年)、大阪府大阪市大正区三軒家町西1丁目30(1936年)、大阪府大阪市大正区三軒家西1-30(1941年)、大阪府大阪市大正区三軒家西1(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「喜楽館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
永楽館
所在地 : 大阪府大阪市港区泉尾町中通(1930年)、大阪府大阪市大正区泉尾町(1934年)、大阪府大阪市大正区泉尾町仲通3-33(1936年)、大阪府大阪市大正区泉尾中通3-2(1941年)、大阪府大阪市大正区泉尾中通3(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「永楽館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
港賑館
所在地 : 大阪府大阪市大正区南恩加島町(1934年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町1-53(1936年・1941年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町1(1943年)、大阪府大阪市大正区南恩加島(1950年)
開館年 : 1934年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「港賑館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「港賑館」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
相生座/大正橋相生座
所在地 : 大阪府大阪市大正区大正通3-96(1958年)、大阪府大阪市大正区大正通3-89(1960年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「相生座」。1963年の住宅地図では「相生座」。1965年の映画館名簿では「大正橋相生座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ほくとクリニック病院」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
東宝泉尾劇場/泉尾劇場
所在地 : 大阪府大阪市大正区大正通9-6(1941年)、大阪府大阪市大正区大正通9(1943年)、大阪府大阪市大正区9丁目6(1950年)、大阪府大阪市大正区大正通9-6(1953年・1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市大正区大正通9-28(1966年・1967年)、大阪府大阪市大正区大正通9-6(1968年)
開館年 : 1937年
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1937年開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「東宝泉尾劇場」。1943年の映画館名簿では「泉尾劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「泉尾劇場」。1963年の住宅地図では「泉尾劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は大阪府道173号(大正通)「泉尾」交差点80mの2017年竣工のマンション「プレサンスロジェ大正SQUARE」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。

1958年頃の大阪市大正区泉尾にあった「泉尾劇場」の写真あり。新東宝の『関八州喧嘩陣』、東宝の『女殺し油地獄』などのポスターが見える。昭和30年代中期の泉尾商店街には、泉尾劇場のほかに「泉尾大映」、「泉尾東映」、「泉尾松竹」などの映画館もあった。*47
鶴町映画劇場/鶴町映劇
所在地 : 大阪府大阪市大正区鶴町2-50(1963年・1969年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1969年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「鶴町映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の住宅地図では「鶴町映劇」。1969年の映画館名簿では「鶴町映劇」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「にしむらケアセンター鶴町」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
恩加島映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市大正区南恩加島町50(1959年)、大阪府大阪市大正区南恩加島50(1960年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町1-50(1963年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町50(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「恩加島映画劇場」。1963年の住宅地図では「恩加島劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスナック「びばり」など。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
泉尾松竹映画劇場/泉尾松竹/泉尾永楽映劇
所在地 : 大阪府大阪市大正区泉尾中通3(1959年・1960年)、大阪府大阪市大正区泉尾中通3-2(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「泉尾松竹映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「泉尾松竹」。1963年の住宅地図では「泉尾松竹」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「泉尾永楽映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はドラッグストア「マツモトキヨシ泉尾店」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
港南劇場/日活港南劇場/大運橋港南日活
所在地 : 大阪府大阪市大正区南恩加島町1-54(1955年・1958年)、大阪府大阪市大正区南恩加島1-54(1960年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町1-54(1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1953年7月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年7月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「港南劇場」。1963年の映画館名簿では「日活港南劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「大運橋港南日活」。1967年の住宅地図では「大運橋日活港南劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は大阪府道173号(大正通)「南恩加島小学校前」交差点80m西の駐車場と6軒分の戸建て住宅地。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
大運橋映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市大正区南恩加島町1-16(1953年・1955年・1958年)、大阪府大阪市大正区南恩加島1-16(1960年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町1-16(1963年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町1-61(1966年・1969年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町1-16(1973年・1975年・1976年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「大運橋映画劇場」。1967年の住宅地図では「大運橋東映」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は大阪府道173号(大正通)「南恩加島小学校前」交差点100m南西の6軒分の戸建て住宅地。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
泉尾大映/泉尾日活
所在地 : 大阪府大阪市大正区泉尾中通2-17(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1973年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「泉尾大映」。1963年の住宅地図では「泉尾日活」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「泉尾日活」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「エンゼルマンション」西の駐車場と4軒分の民家。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
新永楽館/泉尾東映
所在地 : 大阪府大阪市大正区泉尾中2-31(1953年)、大阪府大阪市大正区泉尾中通2-31(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年・1975年・1978年)
開館年 : 1952年10月
閉館年 : 1978年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年10月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「新永楽館」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1974年・1975年・1978年の映画館名簿では「泉尾東映」。1963年の住宅地図では「泉尾東映」。1979年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1979年竣工のマンション「サンコー第8ハイツ」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。
三泉劇場/三泉映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市大正区北泉尾1-157-1(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年)、大阪府大阪市大正区三軒屋西3-6-14(1980年・1981年)
開館年 : 1952年11月22日
閉館年 : 1981年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「三泉劇場」。1963年の住宅地図では「三泉劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1981年の映画館名簿では「三泉映画劇場」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「メゾンドーム三軒屋」。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。

1952年11月22日、大阪市大正区北泉尾1-157に「三泉劇場」が開館した。オープニングは『鞍馬天狗一騎打ち』と『娘初恋ヤットン節』。経営者は松本進。定員368人。*48
恩加島市場劇場
所在地 : 大阪府大阪市大正区南恩加島98(1960年・1963年)、大阪府大阪市大正区南恩加島町98(1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市大正区南恩加島2-5-2(1980年・1982年・1984年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1984年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「恩加島市場劇場」。1963年の映画館名簿では経営者が岡村四郎、支配人が岡村進、鉄筋造3階、定員365、松竹・東映・大映を上映。1963年の住宅地図では「恩加島市場劇場」。1984年の映画館名簿では経営会社が合資会社恩加島興業、経営者・支配人が岡村進、鉄筋造1階、250席、にっかつ・成人映画を上映。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「ニッコー大正店」。大正区最後の映画館。最寄駅はJR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅。

住之江区

旭映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区(1950年)、大阪府大阪市住吉区粉浜本町2-44-1(1953年・1955年)、大阪府大阪市住吉区粉浜本町2-44(1960年)
開館年 : 1935年11月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1935年11月開館。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「旭映画劇場」。1959年の住宅地図では「旭劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ラバンジール粉浜」。最寄駅は南海電鉄南海本線粉浜駅。
住吉大劇
所在地 : 大阪府大阪市住吉区加賀屋町4-164(1959年)、大阪府大阪市住吉区東加賀屋町(1960年)、大阪府大阪市住吉区加賀屋町4-164(1963年・1966年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1966年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「住吉大劇」。1965年の住宅地図では「住吉大劇」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「えびす保育園」南50mの民家数軒。最寄駅は南海電鉄南海本線住吉大社駅。
住吉劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区浜口町414(1955年)、大阪府大阪市住吉区東加賀屋町(1960年)、大阪府大阪市住吉区東加賀屋町4-85(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1954年1月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1954年1月開館。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「住吉劇場」。1965年の住宅地図では「住吉劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はドラッグストア「ウェルシア住之江東加賀谷店」。最寄駅は南海電鉄南海本線住吉大社駅。
加賀屋松竹/加賀屋劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区中加賀屋町3-7(1958年)、大阪府大阪市住吉区中加賀屋町(1960年)、大阪府大阪市住吉区中加賀屋町3-6(1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市住吉区中加賀屋町3-1-1(1975年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1975年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「加賀屋劇場」。1960年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「加賀屋松竹」。1965年の住宅地図では「加賀屋劇場」。1975年の映画館名簿では「加賀屋劇場」。1976年・1978年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「シグマ加賀屋」。最寄駅は大阪メトロ四つ橋線北加賀屋駅。
加賀屋館/加賀屋東映/加賀屋東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区西加賀屋町2-25(1955年)、大阪府大阪市住吉区西加賀屋町(1960年)、大阪府大阪市住吉区西加賀屋町2-25(1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市住之江区西加賀屋町2-4-9(1975年・1977年)
開館年 : 1953年10月
閉館年 : 1977年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年10月開館。1955年の映画館名簿では「加賀屋館」。1960年・1963年の映画館名簿では「加賀屋東映」。1965年・1969年の住宅地図では「加賀屋東映」。1966年・1969年・1973年・1975年・1977年の映画館名簿では「加賀屋東映劇場」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「株式会社キヌガワ」。最寄駅は大阪メトロ四つ橋線北加賀屋駅。

大阪市南部

西成区

長橋劇場/西成東洋劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区長橋通8-13(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「長橋劇場」。1960年の住宅地図では「長橋劇場」。1963年の映画館名簿では「西成東洋劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は集合住宅「ハーモニービレッジ」など。最寄駅は南海高野線津守駅。
津守第一映画劇場/鶴見第一映劇
所在地 : 大阪府大阪市西成区津守町東4-100(1955年)、大阪府大阪市西成区津守東4-10(1960年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1955年の映画館名簿では「津守第一映画劇場」。1960年の映画館名簿では「鶴見第一映劇」。1960年の住宅地図では「第一映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「中津守公園」北80mの「東海モータープール」。最寄駅は南海高野線津守駅。
西成中央劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区梅南通1-21(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「西成中央劇場」。1964年の住宅地図では「西成中央劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「思温病院」建物北部。最寄駅は大阪メトロ四ツ橋線花園町駅。
天下茶屋映画劇場/天下茶屋東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区柳通2-16(1955年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「天下茶屋映画劇場」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「天下茶屋東映劇場」。1962年の住宅地図では「天下茶屋東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三井住友銀行天下茶屋支店」北の「メゾン丸菱ネクスト」。最寄駅は南海本線・大阪メトロ堺筋線天下茶屋駅。
新開映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区新開通3-17(1959年・1960年)、大阪府大阪市西成区新開通3-19(1963年)、大阪府大阪市西成区新開通3-17(1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1968年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「新開映画劇場」。1962年の住宅地図では「新開映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大阪シティ信用金庫岸の里支店」。最寄駅は大阪メトロ四ツ橋線岸里駅または南海高野線西天下茶屋駅。
花園館/花園松竹
所在地 : 大阪府大阪市西成区梅南通(1934年)、大阪府大阪市西成区梅南通1丁目13(1936年)、大阪府大阪市西成区梅南通(1941年)、大阪府大阪市西成区梅南通1(1943年)、大阪府大阪市西成区梅南通1-13(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年)、大阪府大阪市西成区梅南通13(1966年)
開館年 : 1928年頃、1947年3月
閉館年 : 1965年9月
『全国映画館総覧 1955』によると1947年3月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「花園館」。1943年の映画館名簿では「花園松竹」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「花園松竹」。1962年の住宅地図では「花園松竹」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は中華料理店「愛花園」など。花園本通り商店街沿い。最寄駅は大阪メトロ四ツ橋線花園町駅。

1928年12月1日には西成区に「鶴見館」が開館したが、「花園館」の開館も同時期である。1947年3月に戦災から復活し、松竹直営館「花園松竹」となった。1965年9月に閉館して遊戯場となった。*49

1965年9月、松竹直営館「花園松竹」が廃館となった。*50
トビタ大映
所在地 : 大阪府大阪市西成区山王町4-22(1958年・1960年)、大阪府大阪市西成区山王町4-32(1963年)、大阪府大阪市西成区山王町4-22(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「トビタ大映」。1969年の住宅地図では「飛田大映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「パラカ飛田新地第1」やたこ焼き店「あっちち本舗飛田新地本店」やガレージ。最寄駅は阪堺電軌阪堺線今船駅。
鶴見館/鶴見日活/鶴見日活館
所在地 : 大阪府大阪市西成区鶴見橋3-2(1930年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3-1-18(1934年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3-2(1936年・1941年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3(1943年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通り(1947年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3丁目(1950年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3-2(1953年・1955年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3-11(1958年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3-2(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1928年11月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1928年11月開館。1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「鶴見館」。1947年の映画館名簿では「鶴見日活館」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「鶴見日活」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「鶴見日活館」。1969年の住宅地図では「鶴見日活館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「第2酒井モータープール」。最寄駅は大阪メトロ四ツ橋線花園町駅。

1928年12月1日、西成区に鉄筋コンクリート造2階建ての「鶴見館」が開館した。1968年現在は日活直営館「鶴見日活」となっている。*51
東洋シネマ/トビタ東洋シネマ
所在地 : 大阪府大阪市西成区山王町4-14(1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1970年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「東洋シネマ」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「トビタ東洋シネマ」。1969年の住宅地図では「東洋シネマ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エムテック山王」西。最寄駅は阪堺電軌阪堺線今船駅。
旭館/東宝旭館/荻の茶屋東宝劇場/荻ノ茶屋東宝/萩之茶屋東宝/萩之茶屋銀映
所在地 : 大阪府大阪市西成区津守町(1934年)、大阪府大阪市西成区西四条1丁目9(1936年)、大阪府大阪市西成区西四条1-9(1941年)、大阪府大阪市西成区西四条1(1943年)、大阪府大阪市西成区西四条1-9(1947年)、大阪府大阪市西成区西四条1-9(1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 大正末期、1945年5月12日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「旭館」。1943年の映画館名簿では「東宝旭館」。1947年の映画館名簿では「荻ノ茶屋東宝」。1950年の映画館名簿では「萩の茶屋東宝劇場」。1953年の映画館名簿では「荻ノ茶屋東宝」。1955年・1958年の映画館名簿では「萩ノ茶屋銀映」。1960年・1963年の映画館名簿では「萩之茶屋銀映」。1966年の映画館名簿では「荻野茶屋東宝」。1969年・1970年の映画館名簿では「萩之茶屋銀映」。1969年の住宅地図では「萩之茶屋東宝銀映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「Luxe花園」。最寄駅は南海高野線萩ノ茶屋駅。

大正末期の西成区には、鉄筋コンクリート造2階建ての映画館「旭館」が開館した。1944年3月1日には吉田繁重が買収し、航空機用無線機器の軍需工場に転用された。1945年5月12日、映画館「萩之茶屋東宝」として復活した。*52
玉出座/玉出東宝映劇/玉出東宝/玉出東宝映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区玉出本通2丁目(1930年)、大阪府大阪市西成区玉出本通(1934年)、大阪府大阪市西成区玉出本通2-64(1936年)、大阪府大阪市西成区玉出本通2丁目(1941年)、大阪府大阪市西成区玉出本通(1943年)、大阪府大阪市西成区玉出本通り(1947年)、大阪府大阪市西成区玉出本通2丁目46(1950年)、大阪府大阪市西成区玉出本通2-46(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1926年4月1日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1943年4月開館。1930年の映画館名簿では「玉出座」。1934年の映画館名簿では「玉出館」。1936年の映画館名簿では「玉出座」。1941年の映画館名簿では「玉出東宝映画劇場」。1943年の映画館名簿では「玉出東宝映劇」。1947年の映画館名簿では「玉出東宝」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「玉出東宝映画劇場」。1969年の住宅地図では「玉出東宝映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパン屋「ベーカリーK」などが入るビル「玉出プラザ」。アーケードの玉出本通商店街沿い。最寄駅は大阪メトロ四つ橋線玉出駅または南海本線岸里玉出駅。

西成区で最も古い映画館は玉出本通の「玉出東宝」である。1908年2月29日、寄席の「玉出座」として開館した。1918年9月12日には金井徳次郎が所有者となり、1922年から1923年頃には映画も上映するようになると、1926年4月1日には改築して映画興行場となった。1931年には金井徳次郎が死去し、金井徳光が経営者となると本格的に映画の上映を開始した。1939年8月1日、建物が東宝株式会社に貸与されて東宝直営館となり、玉出座から玉出東宝に改称した。*53

1951年の西成区にあった映画館「玉出東宝映画劇場」の写真あり。庶民の娯楽と言えば映画だったが、1955年頃からテレビ局が開局されて放送を開始し、テレビの普及に従って映画館は姿を消していった。*54
鶴見大映・鶴見グランド/鶴見大映
所在地 : 大阪府大阪市西成区旭北通5丁目(1958年)、大阪府大阪市西成区旭北通5-1(1960年・1963年・1966年・1969年・1970年・1973年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1973年頃
Wikipedia : 鈴成座
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「鶴見大映」。1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「鶴見大映・鶴見グランド」(2館)。1969年の住宅地図では「鶴見大映」と「鶴見グランド」が別々の建物として描かれている。1970年の映画館名簿では経営会社が大和興業、支配人が記載なし、木造1階冷暖房付、鶴見大映が定員280で松竹・大映・洋画を上映、鶴見グランドが定員307で成人映画を上映。1973年の映画館名簿では「鶴見大映」。1973年の映画館名簿では経営会社が大和興業、経営者が大城菊信、支配人が記載なし、木造1階冷暖房付、280席、松竹・日活・東宝・洋画を上映。1974年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は大衆演劇場「鈴成座」として現存。最寄駅は大阪メトロ四ツ橋線花園町駅。
OP映画劇場/OP劇場/岸の里映劇
所在地 : 大阪府大阪市西成区新開通2-4(1960年・1963年)、大阪府大阪市西成区新開通2(1973年・1974年)
開館年 : 1950年10月
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年10月開館。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「OP映画劇場」。1963年の映画館名簿では「OP劇場」。1964年の住宅地図では「OP劇場」。1966年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図では「新OP劇場」。1973年・1974年の映画館名簿では「岸の里映劇」。1973年の住宅地図では「岸ノ里映劇」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。1977年の住宅地図では跡地に「服サンリバ」。跡地は「OPビル」。最寄駅は大阪メトロ四ツ橋線岸里駅。
トビタ映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区山王町4-35(1955年)、大阪府大阪市西成区山王町4-34(1960年)、大阪府大阪市西成区山王町4-35(1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市西成区山王町3-15-23(1975年・1978年・1979年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1979年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1979年の映画館名簿では「トビタ映画劇場」。1969年・1977年の住宅地図では「トビタ映劇」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「天下茶屋東1丁目児童公園」北西60m。最寄駅は阪堺電軌阪堺線今船駅。
梅南映画劇場・西成パール劇場/梅南映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区梅通3-8(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市西成区梅南通1-6-16(1975年・1976年)
開館年 : 1954年1月
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年1月開館。1955年の映画館名簿では「梅南映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「梅南映画劇場・西成パール劇場」(2館)。1964年の住宅地図では「梅南劇場」。1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「梅南映画劇場」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「梅南マンション」。最寄駅は大阪メトロ四ツ橋線花園町駅。
西成映画劇場/西成東映/西成東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区鶴見橋通6-4(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市西成区鶴見橋通3-1-18(1975年・1976年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年4月開館。1960年・1963年の映画館名簿では「西成東映」。1966年・1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「西成東映劇場」。1969年の住宅地図では「西成東映」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「鶴見橋公園」北西すぐ。最寄駅は南海高野線津守駅。
トビタOS劇場
所在地 : 大阪府大阪市西成区山王町3-11(1973年)、大阪府大阪市西成区山王町2-14-20(1975年・1978年・1980年・1983年)
開館年 : 1970年以後1973年以前
閉館年 : 1983年頃
1970年の映画館名簿には掲載されていない。1973年・1975年・1978年・1980年・1983年の映画館名簿では「トビタOS劇場」。1977年の住宅地図では「トビタOS劇場」。1983年の映画館名簿では経営会社がOS興業、経営者が岸本幸野、支配人が岸本正典、木造1階、211席、洋画特選を上映。1984年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は大衆演劇場「オーエス劇場」として現存。最寄駅は大阪メトロ御堂筋線・堺筋線動物園前駅または阪堺電軌阪堺線今池駅。
飛田東映・トビタ第一シネマ/トビタ東映・トビタ第一シネマ/飛田東映劇場・トビタシネマ/トビタ東映劇場・トビタシネマ/飛田東映・トビタシネマ
所在地 : 大阪府大阪市西成区山王町3-13(1958年)、大阪府大阪市西成区山王町(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市西成区山王町2-14-1(1975年・1978年・1980年)、大阪府大阪市西成区山王2-14-1(1985年・1990年・1992年・1994年)、大阪府大阪市西成区山王2-14-3(2000年・2005年・2010年・2012年・2014年・2015年)
開館年 : 1957年頃、1995年10月
閉館年 : 2015年3月31日
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「飛田東映・トビタ第一シネマ」(2館)。1960年・1963年の映画館名簿では「トビタ東映・トビタ第一シネマ」(2館)。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「飛田東映劇場・トビタシネマ」(2館)。1977年の住宅地図では「飛田東映」と「第一トビタシネマ」で建物が別々に描かれている。1980年・1985年・1990年・1992年・1994年の映画館名簿では「トビタ東映劇場・トビタシネマ」(2館)。1994年の映画館名簿では経営会社が樋口興行、経営者が樋口キミ子、支配人が越智孝夫、いずれも鉄筋造1階、トビタ東映が253席で邦画を上映、トビタシネマが263席で洋画を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。1996年・2000年・2005年・2010年・2012年・2014年・2015年の映画館名簿では「飛田東映・トビタシネマ」(2館)。1996年の映画館名簿では経営会社が樋口興行、経営者が樋口キミ子、支配人が樋口晃爾、いずれも鉄筋造1階、飛田東映が192席で邦画を上映、トビタシネマが192席で洋画を上映。2016年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は1995年竣工のマンション「G・HOUSE」。マンションの1階部分に映画館。建物の「G・HOUSE」は現存。最寄駅は大阪メトロ御堂筋線・堺筋線動物園前駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1987年11月号には「第11回 飛田東映」が掲載されている。*55

「飛田東映・トビタシネマ」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*56

阿倍野区

吉野館
所在地 : 大阪府大阪市住吉区王子町(1934年)、大阪府大阪市住吉区王子町1-9(1936年・1941年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「吉野館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
昭和映画劇場/文の里昭和映劇
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区昭和町西1-23(1955年・1960年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「昭和映画劇場」。1960年の映画館名簿では「文の里昭和映劇」。1960年の住宅地図では「昭和映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は焼肉店「ちえちゃん」などが入るビル「ぷく」。最寄駅は大阪メトロ御堂筋線昭和町駅。
文の里映画劇場/文の里大映
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区(1953年)、大阪府大阪市阿倍野区昭和町西1-22(1953年)、大阪府大阪市阿倍野区昭和町西1-23(1960年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「文の里映画劇場」。1960年の映画館名簿では「文の里大映」。1960年の住宅地図では「文の里映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパー「ライフ昭和町駅前店」北の居酒屋「五源大喜」など。最寄駅は大阪メトロ御堂筋線昭和町駅。
あべの東映
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1(1960年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「あべの東映」。1962年の住宅地図では「阿倍野ビル アベノ東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「馬渕教室天王寺本部校」がある「岸本ビル」建物北西部。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
メトロ劇場/西田辺東映
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区昭和町4-3-1(1955年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「メトロ劇場」。1958年・1962年の住宅地図では「西田辺東映」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「西田辺東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「トヨタカローラ南海阿倍野店」。最寄駅はJR阪和線南田辺駅または大阪メトロ御堂筋線西田辺駅。
阪南東映/阪南東宝/阪南東宝劇場
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区播磨町西1-43(1958年)、大阪府大阪市阿倍野区播磨町1-43(1960年・1963年)、大阪府大阪市阿倍野区播磨町西1-43(1964年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「阪南東映」。1960年の映画館名簿では「阪南東宝」。1962年の住宅地図では「阪南東宝」。1963年・1964年の映画館名簿では「阪南東宝劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エクセルコート帝塚山」。最寄駅は大阪メトロ御堂筋線西田辺駅。
近映座
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-78(1955年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1(1960年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-78(1963年・1964年)
開館年 : 1954年8月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「近映座」。1960年の住宅地図では「近映座」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホテルトラスティ」と「アベノセンタービル」の間付近。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
南田辺東宝劇場
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区(1950年)、大阪府大阪市阿倍野区桃ヶ池町2-14(1955年・1960年・1966年・1969年)
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年5月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「南田辺東宝劇場」。1960年の住宅地図では「南田辺東宝映画館」。1962年の住宅地図では「西田辺東宝」(※南田辺ではなく西田辺)。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「エル・プラト事業部」。最寄駅はJR阪和線南田辺駅。
アポロ座/アポロ座・阿倍野劇場/アポロ座・阿倍野セントラル・あべの劇場・阿倍野シネマ
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1(1960年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-70(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1950年12月
閉館年 : 1970年
『全国映画館総覧 1955』によると1950年12月開館。1953年の映画館名簿では「アポロ座」。1955年の映画館名簿では「アポロ座・阿倍野劇場」(2館)。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「アポロ座・あべの劇場・阿倍野シネマ・阿倍野セントラル」(4館)。跡地は「きんえいアポロビル」。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。

1951年の阿倍野区阿倍野筋にあった「アポロ座」の写真あり。1950年に村野藤吾設計で開館した。外壁には東郷青児の壁画が飾られていた。1957年には「阿倍野セントラル」と「あべの劇場」を併設したアポロ会館となった。1972年には「近映レジャービル アポロ」となった。*57
美章園劇場
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区美章園2-54(1958年・1960年・1963年)、大阪府大阪市阿倍野区美章園2-19(1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1973年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「美章園劇場」。1971年の住宅地図では「美章園劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパー「サンコー美章園店」東のマンション「グランアッシュ阿倍野美章園」。最寄駅はJR阪和線美章園駅。
阪南松竹
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区(1950年・1953年)、大阪府大阪市阿倍野区王子町1-9(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市阿倍野区王子町1-5-7(1973年・1975年)
開館年 : 1948年3月
閉館年 : 1975年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1948年3月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「阪南松竹」。1971年の住宅地図では「阪南松竹劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート阿倍野王子町店」東40m。最寄駅は阪堺電軌上町線松虫駅。

1959年6月、「阪南松竹」が閉鎖された。*58
近畿劇場・近畿地下劇場/近畿大劇場・近畿地下劇場/阿倍野近映大劇場・阿倍野近畿地下劇場/近映大劇場・近畿地下劇場
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区(1950年・1953年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1(1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-52(1980年)
開館年 : 1939年1月、1954年11月
閉館年 : 1981年
『全国映画館総覧 1955』によると1939年1月開館。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「近畿劇場・近畿地下劇場」(2館)。1960年の映画館名簿では「近畿大劇場・近畿地下劇場」(2館)。1960年の住宅地図では「近映大劇場 近畿劇場 近畿地下劇場」。1963年の映画館名簿では「近映大劇場・近畿地下劇場」(2館)。1966年の映画館名簿では阿倍野筋1-1の「阿倍野近映大劇場」と松崎町3-15-3の「阿倍野近畿地下劇場」。1969年の映画館名簿では阿倍野筋1-1の「近映大劇場」と松崎町3-15-3の「近畿地下劇場」。1973年・1980年の映画館名簿では「近映大劇場・近畿地下劇場」(2館)。1983年の住宅地図では「近映会館」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は近鉄百貨店「あべのハルカス近鉄本店」。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
近鉄スタジオ100
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43(1992年・1993年・1994年)
開館年 : 1991年頃
閉館年 : 1994年頃
1991年の映画館名簿には掲載されていない。1992年・1993年・1994年の映画館名簿では「近鉄スタジオ100」。1994年の映画館名簿では経営会社が近鉄百貨店、鉄筋造8階、90席、邦画・洋画・特選を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。近鉄百貨店8階。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
あべの文化劇場
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-45(1969年・1973年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-3-15(1975年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-45(1978年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-3-15(1980年・1985年・1990年・1995年・1998年)
開館年 : 1967年11月
閉館年 : 1998年1月
1968年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「あべの文化劇場」。1969年の映画館名簿では経営者が近畿映画、支配人が今岡敏、鉄筋造地下2階冷暖房付、定員300、洋画を上映。1979年の住宅地図では「阿倍野共同ビル 地下2階あべの文化劇場」。1998年の映画館名簿では経営会社が近畿映画劇場、経営者が林弘、支配人が石田義一、鉄筋造地下、97席、松竹を上映。2000年の映画館名簿には掲載されていない。阿倍野共同ビル地下。建物の阿倍野共同ビルは現存。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
あべの名画座/アポロシネマ8プラス1
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-86(1958年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1(1960年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-86(1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-7-47(1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1955年以後1958年以前(あべの名画座)、1998年12月(アポロシネマ8プラス1)
閉館年 : 2007年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「あべの名画座」。1990年の住宅地図では「新名画ビル 地下1階あべの名画座」。2000年・2005年の映画館名簿では「アポロシネマ8プラス1」。2007年再開発事業により閉館。跡地は「あべのキューズモール」と「ホテルトラスティ大阪阿倍野」の間の道路用地など。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
アポログリーン・アポロローズ/アポロシネマ8/あべのアポロシネマ8
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-31(1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-1(2010年・2015年・2020年)、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-1 アポロビル4階(現在)
開館年 : 1972年7月、1998年12月(シネコン)
閉館年 : 営業中
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「アポログリーン・アポロローズ」(2館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「アポロシネマ8 1-8」(8館)。2013年改称。2015年・2020年の映画館名簿では「あべのアポロシネマ1-8」(8館)。2020年の映画館名簿では経営会社が株式会社きんえい、経営者が田中耕造、支配人が日下晋太郎。1と2はアポロビル4階、3から8はルシアスビル4階。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。

重政隆文「おおさか映画館主義」『月刊せんば/月刊SEMBA』1987年6月号には「第6回 アポログリーン」が掲載されている。*59
あべのアポロシネマプラスワン
所在地 : 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-1(2020年)
開館年 : 2017年3月9日
閉館年 : 営業中
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「あべのアポロシネマプラスワン」。2020年の映画館名簿では経営会社が株式会社きんえい、経営者が田中耕造、支配人が日下晋太郎、42席。ルシアスビル4階。最寄駅は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。

住吉区

万代劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区万代西6-19(1959年・1960年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1960年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「万代劇場」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の住宅地図では発見できず、万代西6-19には朝日電気KKがある。
世界シネマ
所在地 : 大阪府大阪市住吉区長狭町47(1958年・1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「世界シネマ」。1959年の住宅地図では「世界シネマ」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の住宅地図では跡地に「大阪府西成府税事務所」。跡地は「住吉公園パインクレスト」。最寄駅は南海電鉄南海本線住吉大社駅または阪堺電気軌道阪堺線住吉鳥居前駅。
あびこ第一劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区我孫子町西3-35(1958年)、大阪府大阪市住吉区我孫子町3-35(1960年)、大阪府大阪市住吉区我孫子町西3-35(1962年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1962年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「あびこ第一劇場」。1961年の住宅地図では「第一劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ロイヤルあびこ」。
墨江映画劇場/すみえ松竹/墨江シネマ
所在地 : 大阪府大阪市住吉区墨江西3-33(1955年・1957年)、大阪府大阪市住吉区墨江西3-26(1959年・1960年・1961年・1962年)
開館年 : 1953年2月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年2月開館。1955年・1957年・1959年の映画館名簿では「墨江映画劇場」。1957年の映画館名簿では経営者が水野繁三郎、支配人が北条信治、木造平屋建、300席、邦画・洋画を上映。1959年の映画館名簿では経営者が中田照雄、支配人が西信繁夫、木造平屋建、300席、松竹を上映。1960年の映画館名簿では「すみえ松竹」。1961年・1962年の映画館名簿では「墨江シネマ」。1961年の住宅地図では「墨江シネマ」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ルアン清水丘」西50mにある民家数軒。最寄駅は阪堺電気軌道阪堺線安立町駅。
住吉東映
所在地 : 大阪府大阪市住吉区粉浜東之町5-84(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「住吉東映」。1959年の住宅地図では「住吉東映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の住宅地図では跡地に空地。跡地は「越宗整形外科病院」建物西側。最寄駅は南海電鉄南海本線住吉大社駅または粉浜駅。
沢之東宝
所在地 : 大阪府大阪市住吉区墨江東5-54(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1964年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「沢之東宝」。1961年の住宅地図では「沢之東宝」。1964年の住宅地図では跡地に「大阪銀行住吉支店」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「近畿大阪銀行住吉支店」。最寄駅は南海電鉄高野線沢ノ町駅または我孫子前駅。
あびこ劇場/あびこ松竹
所在地 : 大阪府大阪市住吉区墨江西6-60(1953年・1955年・1960年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年10月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「あびこ劇場」。1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「あびこ松竹」。1964年の住宅地図では「あびこ松竹」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は居酒屋「逸温」がある「第一オクダマンション」南のアパート2棟。最寄駅は阪堺電気軌道阪堺線我孫子道駅。
近畿粉浜劇場/粉浜劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区粉浜中之町2-58(1953年・1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市住吉区粉浜中之町57(1966年・1967年・1968年)
開館年 : 1947年11月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年11月開館。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「近畿粉浜劇場」。1963年・1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「粉浜劇場」。1965年の住宅地図では「粉浜劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の住宅地図には跡地に「藤モータープール」。跡地は中華料理店「一五亭」北東40mのアパート。最寄駅は南海電鉄南海本線粉浜駅。
あびこ東映/あびこ映画劇場/あびこ映劇
所在地 : 大阪府大阪市住吉区墨江西6-51(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1976年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「あびこ東映」。1964年の住宅地図では「あびこ東映」。1966年の映画館名簿では「あびこ映画劇場」。1969年の住宅地図では「あびこ映劇」。1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「あびこ映劇」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「シグマ」。最寄駅は阪堺電気軌道阪堺線我孫子道駅。
ピカデリー劇場/粉浜ピカデリー劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区粉浜中之町4-518(1958年)、大阪府大阪市住吉区粉浜中之町4-51(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市住吉区粉浜3-6-10(1975年・1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1976年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ピカデリー劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「粉浜ピカデリー劇場」。1969年の住宅地図では「ピカデリ劇場」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は南海電鉄南海本線住吉大社駅。

東住吉区

針中野センター劇場/針中野松竹
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区駒川町8-48(1960年)
開館年 : 1956年5月19日
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「針中野センター劇場」。1960年の映画館名簿では「針中野松竹」。1962年の住宅地図には掲載されていないと思われる。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三菱UFJ銀行針中野支店」が入る「太田ビル」。最寄駅は近鉄南大阪線針中野駅。

1961年現在の東住吉区駒川町8-48にある「針中野松竹」。1956年5月19日開設。定員433。松竹封切を上映。旧称は針中野センター。*60
矢田映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区矢田富田町(1958年)、大阪府大阪市東住吉区矢田富田町195(1960年)
開館年 : 1954年1月31日
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「矢田映画劇場」。1960年の住宅地図では「矢田映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「のぞみ信用組合矢田支店」南南西60mにある「山藤電機商会」やその南の民家。銭湯「矢田温泉」すぐ北。最寄駅は近鉄南大阪線矢田駅。

1961年現在の東住吉区矢田富田町196にある「矢田映画劇場」。1954年1月31日開設。定員258。邦画各種・番線外を上映。*61
田辺大映
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区田辺本町5-55(1955年・1960年)
開館年 : 1953年1月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年1月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「田辺大映」。1960年の住宅地図では「田辺大映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「フルーレゾン田辺本町」。最寄駅は大阪メトロ谷町線田辺駅またはJR阪和線南田辺駅または近鉄南大阪線今川駅。

1961年現在の東住吉区田辺本町5-56にある「田辺大映」。1947年12月10日開設。定員348。大映・番線外を上映。休業中。*62
バンビ劇場
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区田辺本町5-70(1955年・1960年)
開館年 : 1952年12月23日
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「バンビ劇場」。1960年の住宅地図では「バンビー劇場」。1961年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では跡地に「スーパーいいだ」。跡地は「大阪シティ信用金庫南田辺支店」。最寄駅はJR阪和線南田辺駅。

1961年現在の東住吉区田辺本町5-70にある「東劇」。1952年12月23日開設。定員326。邦画各種・番線外を上映。旧称はバンビ―劇場。*63
北田辺劇場/北田辺映劇
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区田辺東之町2-74(1955年・1960年)
開館年 : 1952年12月28日
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年3月開館。1955年の映画館名簿では「北田辺劇場」。1960年の映画館名簿では「北田辺映劇」。1960年の住宅地図では「北田辺劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では跡地に「スーパー大和百貨店」。跡地はマンション「シャルマンフジビルトモアー北田辺・並木通り」建物西側。最寄駅は近鉄南大阪線北田辺駅。

1961年現在の東住吉区田辺東之町2-74にある「北田辺映劇」(劇場)。1952年12月28日開設。定員319。松竹・番線外を上映。*64
田辺松竹/田辺東映
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区田辺本町4-20(1955年・1960年・1963年)
開館年 : 1952年12月23日
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年開館。1955年の映画館名簿では「田辺松竹」。1960年の住宅地図では「田辺松竹」。1960年・1963年の映画館名簿では「田辺東映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では跡地に「パチンコ第3会館」。跡地は「坂本マンション」。最寄駅は大阪メトロ谷町線田辺駅。

1961年現在の東住吉区田辺本町4-20にある「田辺東映」。1952年12月23日開設。定員409。東映・番線外を上映。旧称は田辺松竹映画劇場。*65
新興館/桑津東宝/桑津敷島劇場/桑津東宝敷島劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区桑津町(1934年)、大阪府大阪市住吉区桑津町39-1(1936年)、大阪府大阪市東住吉区桑津町39(1941年)、大阪府大阪市東住吉区桑津町(1943年・1947年)、大阪府大阪市東住吉区桑津町39(1950年)、大阪府大阪市東住吉区桑津町2-131(1953年)、大阪府大阪市東住吉区桑津町39(1955年)、大阪府大阪市東住吉区桑津町2-131(1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1940年
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1940年開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年の映画館名簿では「新興館」。1941年・1943年の映画館名簿では「桑津東宝敷島劇場」。1947年の映画館名簿では「桑津東宝」。1950年の映画館名簿では「桑津東宝敷島劇場」。1953年の映画館名簿では「桑津敷島劇場」。1955年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「桑津東宝敷島劇場」。1960年の住宅地図では「敷島劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「オザワ工業」。最寄駅はJR大和路線東部市場前駅。

1961年現在の東住吉区桑津町2-131にある「桑津敷島劇場」。1931年2月23日開設。定員388。邦画各種・番線外を上映。*66
針中野映画劇場/針中野東映/針中野東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区鷹合町220(1953年)、大阪府大阪市東住吉区鷹合町220-1(1955年・1960年)、大阪府大阪市東住吉区鷹合町1-1-2(1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1952年10月12日
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「針中野映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「針中野東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「針中野東映劇場」。1968年の住宅地図では「針中野東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「駒川エンビィハイツ」。最寄駅は近鉄南大阪線針中野駅。

1961年現在の東住吉区鷹合町1-2にある「針中野東映」。1952年10月12日開設。定員225。東映封切を上映。*67
田辺キネマ/田辺キネマ・田辺国際/田辺キネマ・田辺国際劇場
所在地 : 大阪府大阪市住吉区南田辺町(1934年・1936年)、大阪府大阪市東住吉区駒川町6丁目(1941年)、大阪府大阪市東住吉区駒川町6(1943年)、大阪府大阪市東住吉区駒川町6丁目17(1950年)、大阪府大阪市東住吉区駒川町6-17(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年)、大阪府大阪市東住吉区駒川町4-1-1(1985年)、大阪府大阪市東住吉区駒川4-1-1(1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年)
開館年 : 1948年4月、1959年4月8日
閉館年 : 2012年3月31日
Wikipedia : タナベキネマ
『全国映画館総覧 1955』によると1948年4月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「田辺キネマ」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「田辺キネマ」。1960年の住宅地図では「田辺キネマ劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「田辺キネマ・田辺国際」(2館)。1960年の映画館名簿では経営者が大弥、田辺キネマの支配人が勘才平次郎、田辺国際の支配人が桑原好雄、いずれも鉄筋造2階冷暖房付、田辺キネマが704席で東宝・大映・松竹を上映、田辺国際が530席で洋画を上映。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年の映画館名簿では「田辺キネマ・田辺国際劇場」(2館)。1968年・1984年の住宅地図では「田辺キネマ・田辺国際劇場」。1973年の映画館名簿では経営会社が大弥、経営者が能口久良雄、支配人が高沢武夫、田辺キネマが鉄筋造1階冷暖房付で704席で邦画を上映、田辺国際が鉄筋造2階冷暖房付で530席で洋画特選を上映。1990年の映画館名簿では経営会社が大弥興業、経営者が能口久良雄、支配人が丹羽清郷、いずれも鉄筋造1階、田辺キネマが526席で邦画・洋画特選を上映、田辺国際が405席でにっかつ・成人映画を上映。2012年の映画館名簿では経営会社が大弥株式会社、経営者が能口元良司、支配人が岡秀生、鉄筋造3階、田辺キネマが90席、田辺国際劇場が100席、いずれも邦画・洋画を上映。2013年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物はパチンコ店「123駒川店」として現存。最寄駅は近鉄南大阪線駒川中野駅。

1958年11月26日、大阪市東住吉区駒川町の「田辺キネマ」が全焼した。原因は不明。*68

1959年4月8日、大阪市東住吉区に「田辺国際会館」が開館した。鉄筋造3階建て。1958年11月に焼失した「田辺キネマ」の後継館として建設され、定員704の邦画館「田辺キネマ」と定員540の洋画館「田辺国際劇場」がある。いずれも低料金の名画選択館。*69

1961年現在の東住吉区駒川町6-17にある「田辺国際会館」は「田辺キネマ」と「田辺国際劇場」が入る。鉄筋コンクリート造3階建て。1958年11月26日に田辺キネマが火災焼失。田辺キネマは1959年1月2日開設で定員704。田辺国際会館は1959年4月8日開設で定員530。*70

2012年3月31日をもって、大阪市東住吉区の映画館「タナベキネマ」が55年の歴史に幕を閉じて閉館する。1957年に開館した。1スクリーン100席の映画館であり、旧作を二本立で上映することが多い。料金は大人1200円。運営会社は大阪市北区天神橋筋6丁目で「天六ユーラク座」を経営する大弥(だいや)。*71

大阪市東部

城東区

今福キネマ/今福東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市城東区今福町(1947年)、大阪府大阪市城東区今福中1丁目45(1950年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「今福キネマ」。1950年の映画館名簿では「今福東映劇場」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
蒲生松竹
所在地 : 大阪府大阪市城東区蒲生町(1950年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「蒲生松竹」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
日本劇場/城東日本劇場
所在地 : 大阪府大阪市城東区今津町280(1947年)、大阪府大阪市城東区今津町(1950年)、大阪府大阪市城東区三組町60(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「日本劇場」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「城東日本劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三井住友銀行徳庵支店」北西60mにある10軒以上分の住宅。最寄駅はJR学研都市線徳庵駅。
関目東映
所在地 : 大阪府大阪市城東区関目町3-6(1958年)、大阪府大阪市城東区関目3-6(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「関目東映」。1962年の住宅地図では「関目東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2015年竣工のマンション「アーバンエース関目パル」。最寄駅は京阪本線関目駅・大阪メトロ今里筋線関目成育駅。
永楽館/放出シネマ
所在地 : 大阪府大阪市城東区放出町253(1955年)、大阪府大阪市城東区放出町253-6(1958年)、大阪府大阪市城東区放出町235-6(1960年)、大阪府大阪市城東区放出町238(1963年・1966年)
開館年 : 1954年9月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1954年9月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「永楽館」。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「放出シネマ」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「スプランディット放出DUE」。最寄駅はJR学研都市線・おおさか東線放出駅。
テアトル城映
所在地 : 大阪府大阪市城東区今福町中1-47(1963年・1966年・1968年)
開館年 : 1959年12月13日
閉館年 : 1968年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1962年・1964年の住宅地図では発見できず。1963年・1966年・1968年の映画館名簿では「テアトル城映」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。ドラッグストア「サンドラッグ城東店」として建物が現存。最寄駅は大阪メトロ今里筋線・長堀鶴見緑地線蒲生四丁目駅。

1959年12月13日、大阪市城東区蒲生4丁目に「テアトル城映」が開館した。東映・日活・松竹の下番線館。東大阪におけるモデル劇場である。。*72

大阪市東部の「城東東映」、「テアトル城映」、「スミレ劇場」、「関目東映」などはいずれも二番館だった。テアトル城映は城東市場の2階にあり、開館時から空調装置を完備していた。2016年現在の城東市場は大規模薬品店となっており、映画館があった2階部分は倉庫となっている。*73
スミレ日活/城東スミレ日活
所在地 : 大阪府大阪市城東区古市南通1-27(1958年・1960年・1963年)、大阪府大阪市城東区古市町南通1-27(1966年・1968年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1968年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スミレ日活」。1962年の住宅地図では「スミレ日活映画館」。1966年・1968年の映画館名簿では「城東スミレ日活」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「TKE個別指導学院」が入るマンション「キャピタル野江」。最寄駅は京阪電鉄京阪本線野江駅。
城東東映
所在地 : 大阪府大阪市城東区今福中1-34(1959年・1960年)、大阪府大阪市城東区今福町中1-34(1963年)、大阪府大阪市城東区今福中1-34(1966年・1968年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1968年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1966年・1968年の映画館名簿では「城東東映」。1964年の住宅地図では「城東東映」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「エステート城東1」北の住宅地。最寄駅は大阪メトロ今里筋線・長堀鶴見緑地線蒲生四丁目駅。
シギノ映画劇場/シギノ映劇
所在地 : 大阪府大阪市城東区鴫野町3-22(1955年)、大阪府大阪市城東区鴫野東町(1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市城東区鴫野東町4-5(1970年)
開館年 : 1954年1月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1954年1月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「シギノ映画劇場」。1960年・1964年の住宅地図では「鴫野映劇」。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「シギノ映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「パチンコ&スロット パレットタウン」。最寄駅はJR・大阪メトロ鴫野駅。
放出東映/放出東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市城東区放出町253(1958年・1960年)、大阪府大阪市城東区放出町238(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1971年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「放出東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「放出東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「スプランディット放出DUE」北西30mにある住宅地。最寄駅はJR学研都市線・おおさか東線放出駅。
旭東会館/旭東劇場
所在地 : 大阪府大阪市城東区野江東之町4-18(1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「旭東劇場」。1955年の映画館名簿では「旭東会館」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「旭東劇場」。1968年の住宅地図では「野江旭東劇場」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では跡地に空地。跡地は「阪急オアシス高殿店」から都島通を挟んで南東向かいにある「森建物有限会社駐車場」。最寄駅は大阪メトロ谷町線野江内代駅。
シギノ大劇・シギノ東劇/シギノ大劇
所在地 : 大阪府大阪市城東区鴫野町東39-2(1955年)、大阪府大阪市城東区鴫野東町5-39-2(1960年・1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市城東区鴫野東町5-39(1973年)
開館年 : 1953年9月
閉館年 : 1976年4月末
『全国映画館総覧 1955』によると1953年9月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「シギノ大劇」。1960年・1964年の住宅地図では「鴫野大劇」と「鴫野東劇」で建物がわかれている。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「シギノ大劇・シギノ東劇」(2館)。1974年の住宅地図では「シギノ大劇」。1976年の映画館名簿では「シギノ大劇」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「読売新聞鴫野YS」やその北側のビルなど。最寄駅はJR・大阪メトロ鴫野駅。

1976年4月の大阪市城東区にあった「シギノ大劇」の写真あり。『新仁義なき戦い 組長最後の日』の看板が見える。国鉄片町線鴫野駅の近くにあった。1976年4月末をもって閉館した。*74

シギノ大劇に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 シギノ大劇」『キネマ旬報』1975年7月上旬号がある。*75

東成区

躍進鶴橋大劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区新千日(1936年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「躍進鶴橋大劇場」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
明星館
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里町381(1941年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「明星館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
大黒座/大黒館
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里町697(1936年・1941年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「大黒座」。1941年の映画館名簿では「大黒館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
第二楠館
所在地 : 大阪府大阪市東成区深江町103(1936年)、大阪府大阪市東成区深江中6-1(1941年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「第二楠館」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
楠館/第一楠館/楠映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里町52(1930年)、大阪府大阪市東成区大今里町(1936年・1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年の映画館名簿では「楠館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「第一楠館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「楠映画劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
寿館/コトブキ館/今里寿館
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里町381(1936年・1941年)、大阪府大阪市東成区大今里町(1943年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「寿館」。1941年の映画館名簿では「コトブキ館」。1943年の映画館名簿では「今里寿館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
中本倶楽部
所在地 : 大阪府大阪市東成区中通本通り1-55(1936年・1941年)、大阪府大阪市東成区中通本通1(1943年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「今里演舞場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
今里演舞場/平和劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区新今里町4(1943年・1947年)
開館年 : 1941年以後1943年以前
閉館年 : 1947年以後1950年以前
1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「今里演舞場」。1947年の映画館名簿では「平和劇場」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。
今里東宝映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里本町1-641(1953年・1955年・1958年・1959年)
開館年 : 1951年4月
閉館年 : 1959年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年4月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1959年の映画館名簿では「今里東宝映画劇場」。1959年の住宅地図では「今里東宝」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アンビエント今里駅前」や大阪府道702号大阪枚岡奈良線の歩道用地。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
中本館
所在地 : 大阪府大阪市東成区北中本町(1934年)、大阪府大阪市東成区北中本町1-140(1936年・1941年)、大阪府大阪市東成区北中本町1-104(1960年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「中本館」。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「中本館」。1960年の住宅地図では「映画 中本館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「中本交番」北50mの建物。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
今里ロマン座
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里本町1-46(1955年・1960年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年の映画館名簿では「今里ロマン座」。1959年の住宅地図では「ロマン座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「シミズメガネ今里店」。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
大東映画劇場/OK名画座
所在地 : 大阪府大阪市東成区深江中6(1943年)、大阪府大阪市東成区深江町6(1947年)、大阪府大阪市東成区深江中6丁目1(1950年)、大阪府大阪市東成区深江中6-1(1953年・1955年・1960年)、大阪府大阪市東成区深江中通6-1(1963年)
開館年 : 1941年9月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1941年9月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「大東映画劇場」。1947年の映画館名簿では「大東映画」。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「大東映画劇場」。1960年の住宅地図では「大東劇場」。1963年の映画館名簿では「OK名画座」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「BTRビューティアカデミー」やラーメン屋「辛麺屋桝元大阪本店」などが入る「たんぽぽ深江ビル」。最寄駅は大阪メトロ千日前線新深江駅。
新橋座/新橋映画劇場/新橋映劇
所在地 : 大阪府大阪市東成区猪飼野町(1934年)、大阪府大阪市東成区大今里町新橋通(1936年)、大阪府大阪市東成区猪飼野町1532(1941年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1丁目1532(1950年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1-1532(1953年・1955年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1-91(1960年・1963年・1964年・1965年)
開館年 : 1930年以後1934年以前、1950年8月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年8月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「新橋座」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「新橋映画劇場」。1959年の住宅地図では「新橋映劇」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「新橋映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンコート今里」と中華料理店「宝来亭」。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
今里松竹映画劇場/今里松竹/今里松竹劇場/東成東映/東成東宝
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里南之町1-6(1950年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1-636(1953年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町636(1955年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1-24(1958年・1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1947年10月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年10月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年の映画館名簿では「今里松竹映画劇場」。1955年の映画館名簿では「今里松竹」。1958年の映画館名簿では「今里松竹劇場」。1959年の住宅地図では「東成東映」。1960年の映画館名簿では「東成東映」。1963年・1965年の映画館名簿では「東成東宝」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1977年竣工のマンション「タウンハイツ今里」。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
玉造日活
所在地 : 大阪府大阪市東成区黒門町209(1958年)、大阪府大阪市東成区黒門町209-4(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「玉造日活」。1967年の住宅地図では「日活会館」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。1972年の住宅地図では跡地に「玉造日活ビルディング」。跡地は2016年竣工のマンション「パラファーレ玉造」。最寄駅はJR大阪環状線玉造駅。
末広館/末広松竹
所在地 : 大阪府大阪市東成区中浜町(1934年)、大阪府大阪市東成区中浜町362(1936年)、大阪府大阪市東成区南中浜町1-362(1941年)、大阪府大阪市東成区中浜4(1943年)、大阪府大阪市東成区中浜町4丁目(1947年)、大阪府大阪市東成区中浜町(1950年)、大阪府大阪市東成区南中浜町4-2(1953年・1955年)、大阪府大阪市東成区南中浜町4-1(1960年)、大阪府大阪市東成区南中浜町4-2(1963年・1966年)
開館年 : 1930年5月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1930年5月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「末広館」。1960・1963年の住宅地図では「映画末広松竹」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「末広松竹」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「グルメシティ近畿森之宮リビング館」。最寄駅は大阪メトロ中央線・今里筋線緑橋駅。
緑橋東映/緑橋東映劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区西今里町1-256(1958年)、大阪府大阪市東成区西今里1-256(1960年・1963年・1966年・1967年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1967年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「緑橋東映」。1963年の住宅地図では「緑橋東映」。1966年・1967年の映画館名簿では「緑橋東映劇場」。1967年の住宅地図では跡地に「三菱銀行今里支店」駐車場。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2020年竣工のマンション「ローレルアイ緑橋」東の「三菱UFJ銀行今里支店緑橋出張所」とその南の建設用地。最寄駅は大阪メトロ中央線・今里筋線緑橋駅。
今里東映/今里劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里南之町1-45(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1945(1969年)
開館年 : 1954年8月
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「今里劇場」。1959年の住宅地図では「今里大映」。1960年の映画館名簿では「今里東映」。1963年の映画館名簿では「今里劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の住宅地図では「今里劇場」。1969年の住宅地図では「今里劇場」。1972年の住宅地図では跡地に「モータープール」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「オリックスカーシェア今里駅西」。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
神路東映/神路東宝
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里北之町5-83(1959年)、大阪府大阪市東成区大今里北之町5-79(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1969年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「神路東映」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「神路東宝」。1967年の住宅地図では「神路東宝」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東成警察署新道橋交番」北北東40mの住宅地。平野川分水路沿い。最寄駅は大阪メトロ千日前線新深江駅。
グリーン劇場/緑バシグリーン/緑バシグリーン劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区西今里町1-238(1955年・1960年)、大阪府大阪市東成区西今里1-238(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1954年6月
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年6月開館。1955年・1960年の映画館名簿では「グリーン劇場」。1963年の映画館名簿では「緑バシグリーン」。1963年の住宅地図では「グリーン劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「緑バシグリーン劇場」。1967年の住宅地図では「緑橋グリーン劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1975年竣工のマンション「岩本コーポ」。最寄駅は大阪メトロ中央線・今里筋線緑橋駅。
松栄映画館/松栄映画劇場/今里松栄映画劇場/今里松栄劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区今里(1947年)、大阪府大阪市東成区大今里北之町2丁目511(1950年)、大阪府大阪市東成区大今里北2(1953年)、大阪府大阪市東成区大今里北之町2-511(1955年・1960年・1963年)、大阪府大阪市東成区大今里北之町2-1(1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1945年10月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1945年10月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「松栄映画館」。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「松栄映画劇場」。1966年の映画館名簿では「今里松栄映画劇場」。1967年の住宅地図では「松栄映画劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「今里松栄劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ラフィーネ今里」。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
二葉館/今里二葉館
所在地 : 大阪府大阪市東成区大今里南之町1丁目153(1950年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1-1529-4(1953年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町71(1960年・1963年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1-7(1966年)、大阪府大阪市東成区大今里南之町1-71(1969年・1970年)
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「二葉館」。1959年の住宅地図では「映画フタバ館」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「今里二葉館」。1967年の住宅地図では「フタバ映画館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ヴィラタナカ」西の食料雑貨店「まつなが食品」。最寄駅は大阪メトロ千日前線・今里筋線今里駅。
深江座/深映座/フカエ座
所在地 : 大阪府大阪市東成区深江東5-15(1955年・1957年・1958年・1960年・1963年・1964年・1966年・1969年・1973年・1975年)、大阪府大阪市東成区深江南3-16-28(1978年・1980年)
開館年 : 1954年6月
閉館年 : 1980年
『全国映画館総覧 1955』によると1954年6月開館。1955年・1957年の映画館名簿では「深映座」。1957年の映画館名簿では経営者・支配人ともに清水敏弘、木造2階暖房付、定員200、東映・東宝・松竹を上映。1958年の映画館名簿では「深江座」。1960年・1963年の映画館名簿では「深映座」。1960年の映画館名簿では経営者・支配人ともに清水敏弘、鉄筋造3階冷暖房付、定員650、日活・東映を上映。1960年・1967年の住宅地図では「深映座」。1970年・1972年の住宅地図では「大阪実業株式会社」であり深映座の運営会社と思われる。1964年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「フカエ座」。1964年の映画館名簿では経営者・支配人ともに清水敏弘、鉄筋造2階冷暖房付、定員480、東映・松竹を上映。1978年・1981年の住宅地図では「映画館深映座」。1980年の映画館名簿では経営会社がフカエ座、経営者・支配人ともに清水由瑛、鉄筋造1階、400席、東映・にっかつ・成人映画を上映。1981年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「法明寺」南にある「ビューティサロン亜杏」や「香川接骨院」が入るビル。東成区最後の映画館。最寄駅は大阪メトロ千日前線新深江駅。

生野区

2016年に刊行された河内の郷土文化サークルセンターによる雑誌『あしたづ』18号には、「生野区は映画館の町だった」という論考が掲載されている。現物は未確認。*76
生野座
所在地 : 大阪府大阪市東成区生野町(1936年)、大阪府大阪市東成区北生野3-30(1941年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「生野座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
東天神倶楽部
所在地 : 大阪府大阪市東成区猪飼野西3-82(1936年)、大阪府大阪市東成区猪飼野町西3-82(1941年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1941年以後1943年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「東天神倶楽部」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
高砂劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区新今里町8-437(1941年)、大阪府大阪市生野区新今里町8(1943年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「高砂劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
御幸館
所在地 : 大阪府大阪市東成区猪飼町(1930年)、大阪府大阪市東成区猪飼野東3-1(1936年)、大阪府大阪市東成区猪飼野町東3-1(1941年)、大阪府大阪市生野区猪飼町東3(1943年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1930年の映画館名簿では「御幸館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「御幸館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
生野名画座
所在地 : 大阪府大阪市生野区南生野町3-23(1953年)、大阪府大阪市生野区南生野町37(1954年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1954年頃
『全国映画館総覧 1954』によると1951年10月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年の映画館名簿では「生野名画座」。1955年の映画館名簿には掲載されていない。
今里新地東映
所在地 : 大阪府大阪市生野区新今里町3-35(1959年・1960年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「今里新地東映」。1960年の住宅地図には掲載されていないと思われる。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
オデオン座/生野映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市生野区林寺町(1950年)、大阪府大阪市生野区林寺町86(1953年)、大阪府大阪市生野区林寺町1-47(1955年)、大阪府大阪市生野区林寺町1-86(1958年)、大阪府大阪市生野区林寺町2-86(1960年・1961年・1962年)
開館年 : 1949年9月
閉館年 : 1961年11月20日
『全国映画館総覧 1955』によると1949年9月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「オデオン座」。1953年・1955年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「生野映画劇場」。1961年の住宅地図には掲載されていないと思われ、林寺町2-86には数軒の民家がある。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1961年11月20日、大阪市生野区林寺町1-58の「生野映劇」が全焼した。原因は不明。*77
大友映劇
所在地 : 大阪府大阪市生野区大友町1-9(1959年・1960年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「大友映劇」。1960年の住宅地図では「映画館大友会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「生野小路郵便局」南東の住宅数軒。最寄駅は大阪メトロ千日前線小路駅。
昭和キネマ/昭和館
所在地 : 大阪府大阪市東成区(1930年)、大阪府大阪市東成区猪飼野町1022(1936年)、大阪府大阪市生野区猪飼野町中2-49(1941年)、大阪府大阪市生野区猪飼野中2(1943年)、大阪府大阪市生野区猪飼野中2-49(1950年)、大阪府大阪市生野区猪飼野中2-4(1953年)、大阪府大阪市生野区猪飼野中2-49(1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1930年4月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1930年4月開館。1930年の映画館名簿では「昭和キネマ」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「昭和キネマ」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「昭和館」。1960年の住宅地図では「昭和館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「タイムズ御幸橋第5」。平野川沿い。最寄駅はJR大阪環状線・近鉄大阪線鶴橋駅。
鶴橋館/鶴橋小劇場/鶴橋映画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区木野町(1930年)、大阪府大阪市東成区鶴橋本通り(1936年)、大阪府大阪市東成区鶴橋北之町2-173(1941年)、大阪府大阪市生野区鶴橋北ノ町2(1943年)、大阪府大阪市生野区鶴橋北之町2(1947年)、大阪府大阪市生野区鶴橋北之町2丁目173(1950年)、大阪府大阪市生野区鶴橋北ノ町2-137(1953年・1955年・1958年・1960年)
開館年 : 1938年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1938年開館。1930年の映画館名簿では「鶴橋館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「鶴橋館」。1947年・1950年の映画館名簿では「鶴橋小劇場」。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「鶴橋映画劇場」。1960年の住宅地図では「鶴橋映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「多民族共生人権教育センター」。最寄駅はJR大阪環状線・近鉄大阪線鶴橋駅。
ミナミ東映
所在地 : 大阪府大阪市生野区大瀬3-38(1959年・1960年・1963年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1963年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「ミナミ東映」。1960年の住宅地図では「ミナミ東映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「グランディール布施」北にある有料駐車場「SEIWA」。最寄駅は大阪メトロ千日前線小路駅または近鉄大阪線・近鉄奈良線布施駅。
有楽座/生野東映
所在地 : 大阪府大阪市生野区林寺町2-81(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「有楽座」。1960年・1963年の映画館名簿では「生野東映」。1961年の住宅地図では「生野東映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「万代田島店」。最寄駅はJR大和路線東部市場前駅。
桃谷第一映画劇場/桃谷東映
所在地 : 大阪府大阪市生野区東桃谷町3-176(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1952年4月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年4月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「桃谷第一映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「桃谷東映」。1960年の住宅地図では「桃谷東映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「インペリアル光南」西の月極駐車場「光南モータープール」。最寄駅はJR大阪環状線桃谷駅。
桃谷銀映
所在地 : 大阪府大阪市生野区東桃谷町1-94(1958年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「桃谷銀映」。1960年の住宅地図では「桃谷銀映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は銭湯「極楽温泉」東30mの民家。「弘陽薬品株式会社」西。最寄駅はJR大阪環状線桃谷駅。
スター映劇
所在地 : 大阪府大阪市生野区中川町4-86(1959年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1964年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「スター映劇」。1960年の住宅地図では「スター映劇」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「レトワール小路」。最寄駅は大阪メトロ千日前線小路駅。
桃谷東宝
所在地 : 大阪府大阪市生野区東桃谷町4-154(1959年・1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1964年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「桃谷東宝」。1960年の住宅地図では「桃谷東宝」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は介護老人保健施設「すこやか生野」。最寄駅はJR大阪環状線桃谷駅。
鶴橋シネマ
所在地 : 大阪府大阪市生野区鶴橋北之町1-137(1958年・1960年・1963年・1965年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「鶴橋シネマ」。1960年の住宅地図では発見できず。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
生野大劇
所在地 : 大阪府大阪市生野区南生野町(1959年・1960年・1963年)、大阪府大阪市生野区南生野町3-23(1965年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「生野大劇」。1961年の住宅地図では「生野大劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「児玉薬品株式会社駐車場」。最寄駅はJR大阪環状線寺田町駅。
別世界大映/田島寿映画劇場/田島寿映劇
所在地 : 大阪府大阪市生野区田島町3(1959年・1960年)、大阪府大阪市生野区田島町3-86(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1969年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「別世界大映」。1960年の映画館名簿では経営者は有本保之介、支配人は富永三郎、300席、邦画を上映。1961年・1968年の住宅地図では「田島コトブキ映劇」。1963年・1966年の映画館名簿では「田島寿映画劇場」。1969年の映画館名簿では「田島寿映劇」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「毎日新聞田島販売所」。最寄駅はJR大和路線東部市場前駅。
今里寿映画劇場/今里コトブキ映画劇場/今里寿映劇
所在地 : 大阪府大阪市生野区新今里町3-35(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「今里寿映画劇場」。1963年の映画館名簿では「今里コトブキ映画劇場」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「今里寿映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「生野新今里郵便局」西にあるガレージ。最寄駅は近鉄大阪線・近鉄奈良線今里駅。
今里大劇
所在地 : 大阪府大阪市生野区中川町1-1(1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「今里大劇」。1971年の住宅地図では「今里大劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西川診療所」北30mの住宅地。最寄駅は近鉄大阪線・近鉄奈良線今里駅。
幸楽館/猪飼野東映劇場/猪飼野東映
所在地 : 大阪府大阪市生野区猪飼野中5-18(1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年開館。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「幸楽館」。1960年・1963年の映画館名簿では「猪飼野東映」。1966年の映画館名簿では「猪飼野東映劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「猪飼野東映」。1971年の住宅地図では「イカイノ東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大阪聖和教会」北20mの月極駐車場「桃谷駐車場」。最寄駅はJR大阪環状線・近鉄大阪線鶴橋駅。
日の丸映画劇場/生野日の丸劇場/日の丸劇場
所在地 : 大阪府大阪市東成区猪飼野町中6丁目(1941年)、大阪府大阪市生野区猪飼野中6(1943年・1947年)、大阪府大阪市生野区猪飼野町(1950年)、大阪府大阪市生野区猪飼野中6-4(1953年)、大阪府大阪市生野区猪飼野中6-14(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1935年3月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1935年3月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「日の丸映画劇場」。1943年・1947年の映画館名簿では「日ノ丸映劇」。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「日の丸映画劇場」。1960年の住宅地図では「日ノ丸劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「日の丸劇場」。1966年の映画館名簿では「生野日の丸劇場」。1969年・1970年の映画館名簿では「日の丸劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン大阪勝山北5丁目店」北東70mにある長屋2棟。最寄駅はJR大阪環状線桃谷駅。

1935年の生野区にあった映画館「日の丸館」の写真あり。花輪が見え、「館丸の日」の文字が見える。現在の勝山北5丁目にあった。「東朝日」という映画館を買収して新たな映画館として開館した。生野区は就労人口の多さにもかかわらず、娯楽施設に恵まれない地域であり、当時の映画館は6館のみだった。しかし戦後には娯楽施設が急増し、最盛期には映画館・演劇館合わせて18館も存在した。*78
電気館/生野電気館
所在地 : 大阪府大阪市生野区南生野町1-58(1953年・1955年・1958年)、大阪府大阪市生野区南生野町1-68(1960年)、大阪府大阪市生野区南生野町1-58(1963年・1966年・1969年)、大阪府大阪市生野区南生野町1-68(1973年)、大阪府大阪市生野区生野西2-3-7(1975年・1978年)
開館年 : 1950年5月
閉館年 : 1978年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年5月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「電気館」。1961年の住宅地図では「映画劇場電気館」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「生野電気館」。1974年の住宅地図では「映画電気館」。1979年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「田中クリニック」。最寄駅はJR大阪環状線寺田町駅。
パーク劇場/生野パーク劇場
所在地 : 大阪府大阪市生野区南生野町37(1955年)、大阪府大阪市生野区南生野町3-23(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、大阪府大阪市生野区生野東1-13-25(1975年・1978年・1980年)
開館年 : 1954年3月
閉館年 : 1984年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1954年3月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「パーク劇場」。1961年・1974年の住宅地図では「生野パーク劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1984年の映画館名簿では「生野パーク劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ヤマト運輸舎利寺センター」駐車場。最寄駅はJR大阪環状線寺田町駅。
パレス座/今里パレス座/今里パレス/今里パレス・パレス名画座/今里パレス座・パレス東映/今里パレス1・2
所在地 : 大阪府大阪市生野区猪飼野中2-127(1953年)、大阪府大阪市生野区猪飼野東2-38(1955年・1958年・1960年・1963年・1966年)、大阪府大阪市生野区猪飼野東2-38と猪飼野3-28(1969年・1973年・1975年)、大阪府大阪市生野区中川2-1-4(1978年・1980年)
開館年 : 1951年4月
閉館年 : 1985年
『全国映画館総覧 1955』によると1951年4月開館。1953年の映画館名簿では「パレス座」。1955年・1958年の映画館名簿では「今里パレス座」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「今里パレス」。1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「今里パレス」と「パレス名画座」。1974年の住宅地図では「今里パレス座」。1978年の映画館名簿では「今里パレス・パレス名画座」。1980年の映画館名簿では「今里パレス座・パレス東映」(2館)。1985年の映画館名簿では「今里パレス1・2」(2館)。1986年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズマンション今里」。最寄駅は近鉄大阪線・近鉄奈良線今里駅。

平野区

平野区の映画館
現在の平野区域には多数の映画館があった。戦前からの老舗としては平野梅ヶ枝町の「平野弥生座」があり、松竹系の封切館だった。平野梅ヶ枝町には1956年開館の「平野東映」と東宝系封切館の「平野名画劇場」もあった。その他の地域には「文映」や「中央シネマ」、加美の「京町映劇」や「朝日劇場」があった。長原には戦前から昭和20年代まで「朝日座」があった。1977年頃の文映の写真あり。*79
島谷座
所在地 : 大阪府大阪市住吉区平野郷(1934年)、大阪府大阪市住吉区平野三十歩町8(1936年)
開館年 : 1930年以後1934年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「島谷座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。
平野館/平野映画劇場/弥生座/平野弥生座
所在地 : 大阪府大阪市住吉区平野梅ヶ枝町(1930年・1934年)、大阪府大阪市住吉区梅ヶ枝町(1936年)、大阪府大阪市住吉区平野梅ヶ枝町5-48・5-49(1941年)、大阪府大阪市東住吉区平野梅ヶ枝町(1943年・1947年)、大阪府大阪市東住吉区平野梅ヶ枝町5-48(1950年・1953年・1955年・1960年・1961年)
開館年 : 1930年以前、1950年12月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年12月開館。1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「平野館」。1953年の映画館名簿では「平野映画劇場」。1955年の映画館名簿では「弥生座」。1959年の住宅地図では「弥生座」。1960年・1961年の映画館名簿では「平野弥生座」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図では跡地に「平野中央モータープール」。跡地は立体駐車場「平野モータープール」北西側。最寄駅は大阪メトロ谷町線平野駅。

昭和30年代の映画館「弥生座」の写真あり。現在の平野区にあった。「大映・日活 封切 弥生座」「値下げ断行 大人170円、学生155円、小人140円」という看板が見える。*80

1961年現在の東住吉区平野梅ケ枝町5-49にある「平野弥生座」。1927年2月20日開設。1954年8月31日映画館化。定員555。松竹封切・新東宝封切を上映。*81

1961年から1962年のこのほど、「弥生座」は約1000万円をかけてスーパーマーケットに改装された。*82
平野東映
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区平野梅ヶ枝町5-49(1958年・1960年)、大阪府大阪市東住吉区平野梅ヶ枝5-48(1963年)
開館年 : 1956年12月27日
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「平野東映」。1959年・1964年の住宅地図では「平野東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は立体駐車場「平野モータープール」南西側。最寄駅は大阪メトロ谷町線平野駅。

1961年現在の東住吉区平野梅ケ枝町5-49にある「平野東映」。1956年12月27日開設。定員414。東映封切を上映。*83
朝日劇場
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区加美新家37-1(1959年・1960年・1963年)、大阪府大阪市東住吉区加美新家町37-1(1965年)
開館年 : 1956年6月9日
閉館年 : 1965年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「朝日劇場」。1964年の住宅地図では「朝日劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「株式会社ベルコシティホール加美」。最寄駅はJR大和路線加美駅または久宝寺駅。

1961年現在の東住吉区加美新家町37にある「朝日劇場」。1956年6月9日開設。定員347。邦画各種・番線外を上映。*84
平野名画劇場
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区平野梅ヶ枝町5-48(1960年)、大阪府大阪市東住吉区平野梅ヶ枝5-48(1963年・1965年)
開館年 : 1956年5月29日
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1964年の住宅地図では「平野名画劇場」。1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「平野名画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の住宅地図では「平野名画劇場」。跡地は立体駐車場「平野モータープール」東側半分。最寄駅は大阪メトロ谷町線平野駅。

1961年現在の東住吉区平野梅ケ枝町5-49にある「平野名画劇場」。1956年5月29日開設。定員308。東宝封切を上映。*85
京町映画劇場/京町東映
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区平野旭町5(1958年)、大阪府大阪市東住吉区加美旭町56(1960年・1963年・1964年)、大阪府大阪市東住吉区加美旭町5(1965年)
開館年 : 1954年3月1日
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「京町映画劇場」。1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「京町東映」。1963年の映画館名簿では経営者が森本清市、支配人が森本三郎、鉄筋造1階冷暖房付、定員470、東映を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1961年現在の東住吉区加美旭町5にある「京町映劇」。1954年3月1日開設。定員470。東映・番線外を上映。*86
中央シネマ/平野中央シネマ
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区平野本町3-18(1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年)
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央シネマ」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「平野中央シネマ」。1967年の住宅地図では「中央シネマ」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン平野本町店」北北西30mの民家数軒。最寄駅は大阪メトロ谷町線平野駅またはJR大和路線平野駅または加美駅。

1961年現在の東住吉区平野本町3-18にある「中央シネマ」。1906年に迷信亭として開設、1947年12月28日再開設。定員222。洋画・番線外を上映。*87
平野文映・平野京映/平野文映
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区平野京町1-85(1958年・1960年・1963年・1965年・1966年・1969年・1973年)、大阪府東住吉区平野京町2-10-18(1975年)、大阪府大阪市平野区平野市町2-10-18(1980年・1982年・1983年)
開館年 : 1955年12月25日
閉館年 : 1983年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「平野文映」。1963年の映画館名簿では経営者が森本清市、支配人が森本三郎、鉄筋造1階暖房付、定員385、日活を上映。1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「平野文映・平野京映」(2館)。1974年の住宅地図では「平野京映 平野文映」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「平野文映」。1982年の住宅地図では「平野文映」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。南西隣にパチンコ・麻雀・ビリヤードの文映会館が隣接していた。跡地はパチンコ店「BUN・EI」駐車場。最寄駅はJR大和路線加美駅。

1961年現在の東住吉区平野京町1-85にある「文映」。1955年12月25日開設。定員385。日活・東宝・番線外を上映。*88
平野ニュー京映/ニュー京映
所在地 : 大阪府大阪市東住吉区加美朝日町5(1969年・1973年)、大阪府大阪市平野区平野市町2-10-18(1980年・1982年・1984年・1985年・1986年・1987年)
開館年 : 1968年頃
閉館年 : 1987年頃
1968年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年の映画館名簿では「平野ニュー京映」。1972年の住宅地図では「ニュー京映」。1975年・1978年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1982年・1984年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「ニュー京映」。1987年の映画館名簿では経営会社が文映株式会社、経営者・支配人ともに森本勇、鉄筋造1階、95席、にっかつ・成人映画を上映。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「タウンハイツ加美」。平野区最後の映画館。最寄駅はJR大和路線加美駅。

このページへのコメント

失礼します。
大阪市中央区のミナミ千日前商店街から南に進んだ道具屋筋商店街北口の向かって右側に、千日前セントラルの遺構が残っています。周辺にグランド花月やドンキホーテ等の派手な建物があるため目立ってないのが残念です。
https://photos.app.goo.gl/6yG9AeokuQqK9ZAQ7
https://photos.app.goo.gl/tDvWT8HTupa1TSSK6
失礼しました。

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Posted by 名無し(ID:/+VGspmbvg) 2022年06月26日(日) 01:41:24 返信

城東区のテアトル城映

城東市場の二階にあった映画館。
前回の東京オリンピック(1964)頃が全盛期。

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Posted by masa 2022年05月31日(火) 11:21:28 返信

東淀川区淡路の情報について
・松鶴座
現在は「マンション『プリュネ淡路本町』」とありますが、そのマンションは隣接していた銭湯「本町温泉」の跡で、隣の駐車場が松鶴座の跡地となります。道路計画もあり、長らくモータープールとなっています。
・淡路東映/淡路劇場
こちらの跡地は厳密にはマンション「マリンズ淡路」の隣にあるマンションギャラリーが現在ある場所となっています。数年前まではモータープールに解体した建物の壁が一部残されていました。マンション側は長屋や文化住宅、UFJ銀行の駐車場はゴールデン街というう飲食店街でした。ゴールデン街にあった居酒屋「いづつ」さんは、駅の東側で現在も営業されています。

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Posted by 淡路の住民 2022年04月24日(日) 14:58:35 返信

ご指摘ありがとうございます。改めて住宅地図で確認してみます。

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Posted by  hekikaicinema hekikaicinema 2021年12月15日(水) 00:53:02 返信

関目東映 ですが、マンションのある所は、焼き肉屋で火災となったので取り壊されたと記憶しています。
その北隣に位置する 三井住友銀行関目支店(移転済み)の前身、さくら銀行関目支店、その前が 太陽神戸銀行関目支店の建物それ自体が 映画館であったと内部構造的に認識しておりました。国道側が観客席だったと聞いたような気がします。銀行としては変な建物でした。

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Posted by 名無し(ID:5kEocED1iQ) 2021年11月05日(金) 17:36:54 返信

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