かつて存在した映画館についてのwikiです。事実上の個人サイトであり管理人「hekikaicinema」のみが編集可能です。

三重県の映画館の歴史については久保仁『ローカル映画館史』(三重県興行環境衛生同業組合、1989年)が詳しい。ただし愛知県内の公共図書館には蔵書がない。三重県内では三重県立図書館、津市津図書館、四日市市立図書館、松阪市立松阪図書館、鈴鹿市立図書館、亀山市立図書館、名張市立図書館、伊勢市立伊勢図書館、鳥羽市立図書館、志摩市立図書館などが所蔵。つまり、桑名市立中央図書館や伊賀市上野図書館以外の主要館には蔵書あり。

三重県の映画館

2001年12月12日の新聞記事
県内の映画館が大きく様変わりしている。95年に県内に登場した複合型映画館(シネコン)がスクリーン数で7割を占めるまでになった。一方、街中の既存の映画館は次々に閉館に追い込まれている。14日、かつては津市の洋画を独占していた津市八町1丁目の津東映シネマ(松本嘉正支配人)も閉館する予定だ。県内に映画館は14あり、スクリーン数は49.このうち、シネコンは95年に桑名市の「ワーナー・マイカル・シネマズ桑名」が最初で、現在5館。スクリーン数は34ある。ワーナー・マイカル系以外に大手スーパーのオークワ系や東急系もある。津市のワーナー・マイカル・シネマズ津は15日でまる1周年。9月、出資者の大手スーパー、マイカル(大阪市)が民事再生法の適用を申請し、経営続行を危ぶむ問い合わせもあったが、「営業状況は堅調です」(栗谷大輔支配人)。7つのスクリーンは客の入り具合によって毎週入れ替える。1日に封切られた正月映画「ハリー・ポッターと賢者の石」は4つのスクリーンで同時上映している。映写室が一続きになっている利点を生かし、1本のフィルムを滑車でつないで2つの映写機にかけ、隣り合う2つのスクリーンが約1分遅れで上映している。初日だけで約4600人が来場した。隣のスーパー「津サティ」と合わせて駐車場は約1800台収容可能で、一日平均1000人が訪れる。
閉館する津東映シネマは59年開館のしにせだ。県内で唯一の東映直営館。97年の「もののけ姫」では約3500万円の売り上げを記録した。だが98年10月、鈴鹿に、昨年末、津にもシネコンが開館し、直撃を受けた。東映中部支社によると、この夏の「パール・ハーバー」は津東映ワーナー・マイカル・シネマズ津で上映したが、興行収入は津東映の約100万円に対し、マイカルが約2700万円と決定的な差がついた。河村邦彰・東映中部支社社長代理は「この時、撤退せざるを得ないと思った」。既存映画館のスクリーン数は57年には143あったが、テレビやビデオに押され、89年は34に減った。そこへシネコンが追い打ちをかけた。
既存の映画館の中には、シネコンに対抗するためにチケットの値下げを検討するところも出てきている。これまでは配給会社との関係などから、横並びの価格にするのが普通だった。1916(大正5)年開館で県内ではもっとも古い世界館(伊勢市一之木2丁目)の中村比呂誌支配人は「入場料金を安くすることで、いい映画に何度も足を運んでもらいたい」と話している。*1

近年の三重県内の映画館の動向(カッコ内はスクリーン数)
●閉館
95年02月 四日市弥生会館(2)、四日市スカラ座(1)
97年02月 白子ジャスコファミリーシアター(2)
99年02月 鈴鹿MOVIXアイリス(1)
00年12月 津スカラ座(1)
01年04月 津東宝(1)
01年12月 津東映シネマ(2)
●開館
95年04月 ワーナー・マイカル・シネマズ桑名(8)
98年06月 ジストシネマ上野(4)
98年10月 ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿(7)
00年12月 ワーナー・マイカル・シネマズ津(7)
01年08月 109シネマズ明和(8)*2

桑名市

ワーナー・マイカル・シネマズ桑名(8スクリーン)

開館年 : 1995年4月
閉館年 : 営業中
三重県で初めて開館したシネコン。

四日市市

四日市市の映画館

2001年刊行の『四日市市 第十九巻 通史編現代』には、映画黄金期の1960年(昭和35年)時点の四日市市で営業中の映画館として19館が挙げられている。ツバサ映画劇場、聚楽館、富田劇場、三重劇場、四日市映画劇場、四日市東宝劇場、弥生館、四日市宝塚劇場、松竹映画劇場、日活劇場、富田東映劇場、パラダイス劇場、ボタン劇場、諏訪劇場、近畿劇場、グランド劇場、シネマ劇場、塩浜劇場、四日市ニュース劇場。*3

四日市市立博物館は2016年、昭和30年代の中心市街地の風景を写真で紹介する『むかしのくらし読本2 四日市のまちかど 昭和30年代を中心に』を刊行した。1960年には中心部に10館あった映画館の写真などが解説文とともに掲載されている。*4

四日市弥生館・スカラ座

開館年 : 1935年
閉館年 : 1997年2月

弥生館は1921年(大正10年)に四日市市西新地に移転して芝居小屋として開館し、1935年(昭和10年)に映画館に転身した。伊勢市の世界館と並んで、弥生館は三重県でもっとも歴史のある興行館である。弥生館の定員は212人。現在は定員108人の弥生館2と定員270人の四日市スカラ座も同居。弥生館は東宝系のロードショー館であり、スカラ座は洋画中心である。1996年のスカラ座の観客数は約29,000人であり、前年比30%の落ち込み。他の2館も減少傾向。隣接する桑名市に1995年に開館したシネコンに客を奪われ、また1998年10月には鈴鹿市にもシネコンの開館が予定されていることから、弥生館・弥生館2・スカラ座は1997年2月末で閉館する。1996年9月にオーナーが死去して後継者が見つからないという事情もある。*5

四日市シネマホール

所在地 : 四日市市安島1丁目(近鉄四日市駅前)
開館年 : 1984年8月
閉館年 : 1999年7月以降

四日市シネマホール

1999年7月9日の新聞記事
四日市シネマホール支配人の伊藤靖男氏へのインタビュー記事。【業績について】98年は好調でしたが、苦しい状況に変わりないです。何といっても、95年に桑名市に、98年には鈴鹿市に、いわゆるシネマコンプレックス(複合型映画館)ができて、影響を受けました。桑名に約3割、鈴鹿に2割ほどの客を吸収されたのではないか、と推測しています。一方で、シネマホールの固定客もいて心強いです。座席指定がないことや比較的すいているので、ゆったり観賞できる点がいいとのことです。
【上映作品について】残念ですが、私たちに選ぶ権利はない。98年3月から、提携する興行会社が指定する上映作品を受け入れています。一昔前は、前評判が高くない作品でも、自分の感性で上映を決めて、予想通りヒットした時の喜びは格別でした。今はそれがなくて、映画館経営にかかわるものとしては少し寂しいですね。
【立地条件について】駅前が映画館の好条件というのは、5年以上前の話。今は、郊外で、しかも大きな無料駐車場があることが最良の条件。近鉄四日市駅周辺にも、駐車場は多いのですが、有料なのがマイナス点のようです。
【客の呼び戻しについて】立地条件や設備面では対抗できないので、ソフト面重視しかありません。「スタンプカードサービス」は、チケットを1枚購入するごとに、売り場でスタンプを1個押して、5個ためると1回分を無料にします。そして社員には、一人一人が映画好きになって、客と自然に映画の会話ができるように努力するように話しています。結局は作品次第という面もあります。最近は「タイタニック」、「もののけ姫」に安定して客が来ました。面白い作品がどんどん登場することを望みます。
【シネコンとの違い】昔ながらの「絵看板」を飾っていることでしょうか。縦3.5メートル、横3.2メートルの大きさで、劇場の入口を彩り、映画館らしい情緒を醸し出しています。確かに経営は楽ではありませんが、四日市の玄関でもある駅前の映画館の灯は消したくありません。四日市の芸術文化を支えているんだという自負を持って、頑張ります。
近鉄興業「四日市シネマホール」1984年8月、四日市市安島1丁目の近鉄四日市駅前に開館。劇場は星座の名前に因んだベガ(303席)とリゲル(253席)とスピカ(160席)の3館ある。社員は7人。*6

津市

津市の映画館

2001年2月2日の新聞記事
昨年末、津市に複合型映画館「シネコン(シネマコンプレックス)」がオープンし、あおりで、市内のしにせ映画館が2館、相次いで閉鎖を決めた。県都に残る、従来の街の映画館は1館だけ。全国的に人気のシネコンが伸びる一方で、歴史ある街の映画館が、姿を消していく。昨年12月15日、同市桜橋3丁目の大型店「津サティ」北側に、シネコン「ワーナーマイカルシネマズ津」がオープンした。正月休み中は、スクリーンをフル稼働し、13作品を上映した。総座席数は1589席あるが、平常時の約4倍の客を集め、活況だった。シネコンは全国的に増え続けている。1995年に、桑名市に県内初のシネコンがオープンした。以降、鈴鹿、上野、津と、これで4カ所にできた。
一方、既存の街の映画館は大きな打撃を受けている。県興行生活衛生同業組合によると、95年以降だけで、従来の映画館10館が閉館(うち1館は閉館予定)した。県内の映画館の5分の1がこの5、6年で閉鎖したことになる。映画人口が伸び悩んでいるのに、大資本のシネコンが人気を集め、街の映画館を追い詰める構図だ。街の映画館は繁華街や駅前にあっても、駐車場も少ない。設備も古く、若者を引き付けにくいのだ。中心商店街の空洞化と軌を一にしている。津市では3館ある街の映画館のうち2館が閉館を決めた。ただ1館のこることになった「津東映」(津市八町1丁目)も「先はわからない状態」(支配人)。しばらくの間、競合する作品がないことと、配給元の東映が創立50周年記念の大作を近く出すことがせめてもの救い。
洋画を中心に上映していた「津スカラ座」(津市南丸之内)は1月21日に閉館した。シネコンと上映する映画が競合し、客を取られた格好だ。津市大門にある「津東宝」も、この春、閉館することを決めている。館主の小林賢司さんは「そろそろ潮時かなと思い、決めました」と話す。映画上映には、配給会社のフィルム焼き増し代だけでも最低約30万円がかかる。収入の6割は配給会社へ、残りで宣伝費や施設維持費などをまかなうが、数えるほどしか客が入らないことも多く、ここ数年は年間2、300万円の赤字が続いていた。「閉館後のことは決めていません。良質の映画を選んで単館上映することも考えています」。小林さんの映画館は、この春、子どもたちに人気の「ドラえもん」で43年の歴史に幕を閉じる。*7


2000年11月17日の新聞記事
広い駐車場を持つ郊外型の大型店と複数のスクリーンを持つ映画館が一緒になった複合施設「シネコン」(シネマコンプレックス)が12月15日、津市にオープンする。「街の活性化につながる」と歓迎する声がある一方で、地元の映画館が閉館を決めるなど、「中心市街地の空洞化に拍車がかかるのでは」と懸念する声も上がっている。オープンするのは「ワーナー・マイカル・シネマズ津」。全国に約40のシネコンを持つワーナー・マイカル(本社・東京都千代田区)が、津市桜橋3丁目の大型店「津サティ」北側に建設を進めている。完成すると、約4800平方メートルのスペースに7つの劇場が入る県内最大規模(1589人収容)の映画館となる。隣の「津サティ」と共用する駐車場は1800台の車が収容可能だ。複数の映画館が一つの建物に入ったようなシネコンでは、その場で好きな映画を選ぶことができる。家族でやって来て、別々の映画を見た後、併設されている店で買い物や食事を楽しむ。そんな利用法が若い世代に受け、全国各地で急速に数を増やしている。県内では1995年に桑名、98年に鈴鹿に同様のシネコンがオープンし、着実に業績を上げている。
中心街にある市内に3つしかない映画館は、いずれも直接影響を受けそうだ。中心街の大門にあり、43年の歴史を持つ映画館「津東宝」は来春、閉館することを決めた。ここ数年、客足が落ちていたところに今回のシネコン進出。経営者の小林賢司さんは「仕方ありませんね。これでまた中心街の人出も減る野かな。寂しいですね」と話す。同市八町1丁目の「津東映」も今後の方針が立てられない状況だ。東映本社が直営する同館には、今のところ閉館の話はないが、「近いうちに開かれる会議では当然(閉鎖をにらんだ)話も出るでしょうね」と支配人は話す。鈴鹿にシネコンができてから、洋画の話題作などでは3割ほど客の入りが減ったという。同館では正月の子ども映画以降の上映予定が決まっていないという。*8

津大門シネマ

開館年 :
閉館年 : 2009年7月20日

2009年7月20日付伊勢新聞に『津大門シネマきょう限り 不景気、新型インフル…閉館へ』という記事が掲載されているらしい。

かつては東宝の封切館だったが、観客数の減少で2001年に閉館し、大門商店街から映画館がなくなった。谷口嘉吉が施設を引き継ぎ、3年後の2004年にアート系のミニシアター「津大門シネマ」として開館させた。2007年時点で開館から3年足らず。2007年10月には『陸に上がった軍艦』(山本保博監督)を上映。『シッコ』や『夕凪の街 桜の国』なども上映した。*9

『4分間のピアニスト』を上映。津大門シネマの閉館により、三重県内のミニシアターは伊勢進富座のみとなった。*10

2009年7月20日に閉館。閉館の理由は支配人の谷口嘉吉(78)の健康上の問題に加えて、2008年以降の景気後退や新型インフルエンザの流行で観客数が激減したこと。最終上映作品は『大阪ハムレット』と『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』。*11

津スカラ座

開館年 : 不明
閉館年 : 2001年1月21日

津東宝

開館年 : 不明
閉館年 : 2001年4月

津東映シネマ

開館年 : 1959年
閉館年 : 2001年12月14日

1959年に津東映劇場として開館。1965年前後には東映の仁侠映画がヒットし、週末夜などは満員となった。1998年から赤字となり、2000年末にシネコンのワーナー・マイカル・シネマズ津が開館したこともあって、2001年12月14日で閉館した。閉館時の観客数は最盛期の10分の1にまで減少していた。*12

ワーナー・マイカル・シネマズ津(7スクリーン)

開館年 : 2000年12月15日
閉館年 : 営業中
WMC桑名、WMC鈴鹿に続いて三重県3館目(ジストシネマ上野を含めると4館目)のシネコン。

2000年12月15日、津市初のシネコンであるワーナー・マイカル・シネマズ津が開館する。津サティに隣接する。7スクリーン計1589席。ワーナー・マイカルグループとしては桑名市、鈴鹿市に次いで三重県3番目のシネコン。先に開館した2館には津市から訪れる観客も多かった。年間の来館者数の目標は40万人。*13

鈴鹿市

鈴鹿市の映画館

1942年の鈴鹿市発足当時、旧神戸町と旧白子町にそれぞれ2館、計4館の映画館があった。神戸町には神戸劇場(大映・新東宝・外映系)と常盤劇場(東宝・松竹・外映系)、白子町には白栄座(東宝・外映系)と中座(松竹・大映系)である。常盤劇場はやがて萱町から矢田部町に移転してスター劇場に改称したが、1967年にはスター劇場が閉館。1965年には白栄座が閉館。1975年には神戸劇場が閉館。1980年には中座が閉館した。1963年に近鉄鈴鹿線が平田町駅まで延長して平田市街地が発展すると、1977年には鈴鹿市唯一の近代的な映画館として平田市街地に名画座・スカラ座が開館した。やがて洋画専門のスカラ座は閉館し、1989年の『鈴鹿市史 第三巻』刊行時点では名画座のみが営業している。*14

白栄座

所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡白子町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1965年

常盤劇場/スター劇場

所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡神戸町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1967年

神戸劇場

所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡神戸町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1975年

中座

所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡白子町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1980年

鈴鹿名画座

所在地 : 三重県鈴鹿市平田新町1654(1980年)
開館年 : 1977年
閉館年 : 1990年以後2000年以前

スカラ座

所在地 : 三重県鈴鹿市の平田市街地
開館年 : 1977年
閉館年 : 1977年以後1980年以前?

白子ジャスコファミリーシアター

所在地 :
開館年 : 不明
閉館年 : 1997年2月

鈴鹿MOVIXアイリス

所在地 :
開館年 : 不明
閉館年 : 1999年2月

ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿(7スクリーン)

所在地 : 鈴鹿市南玉垣町 鈴鹿サティに併設
開館年 : 1998年10月
閉館年 : 2002年8月
WMC桑名に続いて三重県2館目(ジストシネマ上野を含めると3館目)のシネコン。

ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿ベルシティ/イオンシネマ鈴鹿(8スクリーン)

所在地 : 鈴鹿市
開館年 : 2003年7月12日
閉館年 : 営業中

鈴鹿市南玉垣町の鈴鹿サティに併設されていた映画館は2002年8月に閉館。2003年7月12日、既存のイオン鈴鹿ベルシティにワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿ベルシティが開館。8スクリーン計1670席であり、三重県最大規模。オープニング作品として『ターミネーター3』など。年間目標観客数は旧館より12万人多い55万人。*15

2003年7月12日に開館。7スクリーンの旧館より1スクリーン多く、1014席だった旧館より656席多い。同社では初めてマイカルグループ以外のショッピングセンターへの出店である。*16

鈴鹿市南玉垣町の鈴鹿サティが2002年8月末で閉店するのにともなって、1998年10月に開館したワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿も閉館する。8月24日から8月31日までフィナーレ特別無料上映会を実施。『スタンド・バイ・ミー』や『モンスターズ・インク』など4作品を2劇場で上映。*17

多気郡明和町

109シネマズ明和(8スクリーン)

開館年 : 2001年8月
閉館年 : 営業中
ワーナー・マイカル・シネマズ桑名、ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿、ワーナー・マイカル・シネマズ津に続いて三重県4館目のシネコンである。ジストシネマ上野はシネコンの定義から外れるが、ジストシネマ上野を含めると109シネマズ明和は三重県5館目となる。

伊勢市

伊勢市の映画館

1968年の『伊勢市史』には「現存する映画館」として、「伊勢東映」(曽祢町)、「帝国座」(一之木町)、「ひかり座」(一之木町)、「伊勢シネマ」(一之木町)、「世界館」(一之木町)、「パール劇場」(一之木町)、「いすず東映」(一之木町)の7館が挙げられている。主な閉館した映画館として、「平和松竹」(宮町)、「伊勢劇場」(宮後町)、「有楽座」(大世古町)の3館が挙げられている。*18

進富映画劇場/伊勢東映

所在地 : 伊勢市曽祢町(1968年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1968年以降
1906年(明治39年)の曽祢町(現・新町)には新福座があったが、1909年(明治42年)1月に焼失した。跡地に新富座を開館させ、芝居の興行を行っていたが、1945年(昭和20年)には太平洋戦争の空襲で焼失した。1953年(昭和28年)3月には進富映画劇場として再建し、主として映画を上映する劇場となった。後に伊勢東映に改称し、『伊勢市史』が刊行された1968年(昭和43年)時点では伊勢東映として営業中。*19

帝国座

所在地 : 伊勢市一之木町(1968年)
開館年 : 1920年
閉館年 : 1968年以降
1906年(明治39年)に市制施行して宇治山田市が発足した際、一之木町の現在地には新北座があった。1911年(明治44年)10月にはその跡地に帝国座が開館し、芝居などの興行を行った。1920年には洋風に改築し、日活直営の映画館となった。*20

第一世界館・第二世界館

所在地 : 伊勢市一之木町(1968年)
開館年 : 1919年-1920年
閉館年 :
かつては浪曲寄席の蛭子座があったが、活動写真ブームが到来すると改築して映画館となった。1919年-1920年(大正8年-9年)にはさらに改築し、世界館に改称した。1929年(昭和4年)2月には新道に第二世界館を開館させ、オリジナルは第一世界館に改称した。第一世界館・第二世界館ともに、1945年(昭和20年)には太平洋戦争の空襲で焼失した。

伊賀市(旧・上野市)

伊賀市の映画館

1961年の『上野市史』の刊行時の上野市には、上野日活、上野映劇、上野東映劇場、上野松竹劇場、US劇場と、市内に5つの劇場がある。*21

旭座/上野大映劇場

所在地 : 三重県伊賀市上野忍町
開館年 : 1883年(劇場として)、1921年(映画館に転換)
閉館年 :
伊賀地域でもっとも早く建てられた劇場である旭座は、1883年(明治16年)10月に新築落成して興行を開始した。こけら落とし公演には関西から役者を招いたという。旭座は演説会の会場にもなり、1893年7月には総理大臣の板垣退助一行が上野を訪れて旭座で演説を行った。1905年(明治38年)1月には日露戦争における旅順陥落の祝賀会が上野公儀会によって開催された。1913年(大正2年)4月には尾崎行雄らによる憲政擁護の大演説会が開催された。その後活動写真の普及すると、1921年(大正10年)には旭座が常設の映画館となった。1925年(大正14年)には時代劇の『国定忠治』や『鞍馬天狗』、現代劇の『クロスワード成金』や『神田の下宿』、洋画の『世界になる女』などを上映した。1930年(昭和5年)には相生町の相生館と提携し、日活・松竹の作品を交互に上映した。*22

明治10年代頃には忍町に旭座が創設された。明治末期には建物の老朽化のために改装し、さらに太平洋戦争後にも大改築されて上野大映となった。*23

伊賀市上野忍町。1927年の写真あり。1883年(明治16年)10月に竣工し、上野でもっとも早くに興行を開始した劇場。こけら落とし公演には関西から役者を招いた。後に映画館の上野大映劇場となった。*24

相生館/上野日活劇場

所在地 :
開館年 : 1920年
閉館年 : 1961年以後
1920年(大正9年)に相生館が創設され、1958年に日活の直営館となった。*25

伊賀市上野相生町。1927年の写真あり。実業家の廣栄太郎によって1920年(大正9年)に開館した。後に映画館の上野日活劇場となり、旭座とともに上野市を代表する映画館となった。*26

廣栄座(広栄座)

所在地 : 三重県阿山郡上野町丸之内(現在の上野郵便局東側)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1942年頃
1919年(大正8年)8月、上野町丸之内に実業家の広栄太郎によって広栄座が開館した。広栄太郎は奈良県山辺郡出身であり、上野では外堀の埋め立てに尽力した。広栄座を開館させたのは埋立地の繁栄を図るためである。芝居のある日には近隣の村落から観客が詰めかけた。広栄座は1942年頃に閉館した。*27

明治中期には天神の北裏の一角に菅原座があったが、明治31-32年頃に焼失した。その跡地には大江座が開館したが、明治41-42年頃に焼失した。その後、京屋の北向側に広栄座が開館したが、太平洋戦争中に閉館した。*28

伊賀市上野丸之内。1927年の写真あり。実業家の廣栄太郎によって1919年(大正8年)に開館した。現在の上野郵便局東側。*29

上野東映劇場

所在地 : 三重県上野市忍町
開館年 : 1955年8月1日
閉館年 :
1955年(昭和30年)8月1日には忍町に、東映の直営館である上野東映劇場が開館した。*30

上野映劇/上野映画劇場

所在地 : 三重県上野市丸之内23(現・三重県伊賀市)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1990年
Wikipedia : 上野映画劇場
松竹映画専門館「上野映劇」。佐田啓二主演の『集金旅行』のポスターが写った1957年(昭和32年)頃の写真あり。オマケ上映の1本として1949年(昭和24年)封切りの『青い山脈』。*31

ジストシネマ上野/ジストシネマ伊賀上野(4スクリーン)

所在地 : 三重県伊賀市256-1 ジョイシティ伊賀上野店
開館年 : 1998年6月
閉館年 : 2018年2月20日
Wikipedia : ジストシネマ伊賀上野
4スクリーンであるためシネコンの定義には当てはまらないが、ワーナー・マイカル・シネマズ桑名に次いで三重県で2番目に開館したシネコン系映画館。

運営は和歌山市に本社を置くオークワのグループ会社であり、1998年6月の開館時から4スクリーンだった。映画館が入る商業施設「オークワ ジョイシティ伊賀上野店」の閉店にともなって2018年2月20日に閉館した。伊賀地域で唯一の映画館だった。*32

1998年6月、上野市(現・伊賀市)に開館。開館当初から閉館時まで伊賀地域唯一の映画館であり、開館当時は伊賀地域に8年ぶりに映画館が復活したことで話題となった。*33

上野市出身の呉美保(オミポ)監督作品や伊賀忍者に関する作品を上映するなど、地域に根ざした運営が特色だった。閉館前には、伊賀市を舞台にした『忍びの国』や伊賀市がロケ地となった『娚の一生』をリバイバル上映した。伊賀地域の伊賀市・名張市のほかに、京都府や奈良県からも観客を集めた。関係者によると後継館の具体的な計画はない。*34

名張市

鶯座/名張映画劇場/名張東映

所在地 : 三重県名張市元町
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1966年7月
名張市元町の名張東映は、前身は鶯座(うぐいすざ)という芝居小屋。1350席で三重県下有数の大劇場であり、舞台や花道もあった。やがて映画館に改修され、秋祭りや八日えびす祭の際には満員となった。小中学生が先生に連れられてくることもあった。名張には名張映画劇場のほかに、中町と駅前にも映画館があった。昭和30年代の写真あり。*35

名張銀映座/名張松竹

所在地 : 三重県名張市栄町
開館年 : 1952年
閉館年 : 1962年
名張市栄町の名張松竹。1952年(昭和27年)の開館記念写真あり。名張市では名張映画劇場の次に開館。やがて名張松竹に改称して松竹専門館となったが、1962年(昭和37年)に閉館。*36

名張市栄町。1952年(昭和27年)の開館記念写真あり。『目で見る伊賀の100年』と同じ写真。名張駅に近かった。1962年(昭和37年)に閉館。*37

名張大映

所在地 : 三重県名張市中町
開館年 : 1957年
閉館年 : 1973年1月
名張市中町の名張大映は、名張3番目の映画館として1957年に開館。1966年には名張唯一の映画館となったが、1973年1月に閉館。館主の梅田義守は映写機2台を市民会館に寄贈した。1968年の写真あり。*38

尾鷲市

大鷲館

所在地 : 三重県尾鷲市
開館年 : 1925年頃
閉館年 : 1970年5月10日
1970年(昭和45年)5月10日には45年間親しまれてきた映画館の大鷲館が閉館し、6月28日に「おもちゃと人形の店大鷲館」に生まれ変わった。*39

尾鷲ロマン座

所在地 : 三重県尾鷲市栄町
開館年 : 1955年
閉館年 : 1986年6月1日
1986年(昭和61年)には三重県尾鷲市に最後まで残ったロマン座が閉館した。2004年(平成16年)には市民ら十数人が「ロマン座シネマ倶楽部」を結成。同年6月から商店街の空き店舗を活用して、2カ月に一度の頻度で自主上映会を開催している。*40

尾鷲市栄町の尾鷲ロマン座は1955年(昭和30年)に開館し、最盛期には北牟婁郡海山町や北牟婁郡紀伊長島町からも観客を集めた。1986年(昭和61年)6月1日に閉館した。2004年(平成16年)1月上旬に「ロマン座シネマ倶楽部」が発足。閉館から17年を経た同年時点では建物はやや傷んでいるものの、スクリーンの状態は良好。2004年1月31日と2月1日には見学会を開催し、映画最盛期の街の様子を写した写真を展示する。*41

熊野市

旧紀和町の映画館

三重県南牟婁郡紀和町は瀞峡(どろきょう)や布引の滝で知られ、1978年閉山の紀州鉱で栄えた町である。戦後には人口が1万人を超え、2館の映画館があった。1996年時点の人口は約1900人。*42

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