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三重県の映画館

三重県の映画館の歴史については久保仁『ローカル映画館史』(三重県興行環境衛生同業組合、1989年)が詳しい。ただし愛知県内の公共図書館には蔵書がない。三重県内では三重県立図書館、津市津図書館、四日市市立図書館、松阪市立松阪図書館、鈴鹿市立図書館、亀山市立図書館、名張市立図書館、伊勢市立伊勢図書館、鳥羽市立図書館、志摩市立図書館などが所蔵。つまり、桑名市立中央図書館や伊賀市上野図書館以外の主要館は所蔵している。

2001年12月12日の新聞記事
県内の映画館が大きく様変わりしている。95年に県内に登場した複合型映画館(シネコン)がスクリーン数で7割を占めるまでになった。一方、街中の既存の映画館は次々に閉館に追い込まれている。14日、かつては津市の洋画を独占していた津市八町1丁目の津東映シネマ(松本嘉正支配人)も閉館する予定だ。県内に映画館は14あり、スクリーン数は49.このうち、シネコンは95年に桑名市の「ワーナー・マイカル・シネマズ桑名」が最初で、現在5館。スクリーン数は34ある。ワーナー・マイカル系以外に大手スーパーのオークワ系や東急系もある。津市のワーナー・マイカル・シネマズ津は15日でまる1周年。9月、出資者の大手スーパー、マイカル(大阪市)が民事再生法の適用を申請し、経営続行を危ぶむ問い合わせもあったが、「営業状況は堅調です」(栗谷大輔支配人)。7つのスクリーンは客の入り具合によって毎週入れ替える。1日に封切られた正月映画「ハリー・ポッターと賢者の石」は4つのスクリーンで同時上映している。映写室が一続きになっている利点を生かし、1本のフィルムを滑車でつないで2つの映写機にかけ、隣り合う2つのスクリーンが約1分遅れで上映している。初日だけで約4600人が来場した。隣のスーパー「津サティ」と合わせて駐車場は約1800台収容可能で、一日平均1000人が訪れる。
閉館する津東映シネマは59年開館のしにせだ。県内で唯一の東映直営館。97年の「もののけ姫」では約3500万円の売り上げを記録した。だが98年10月、鈴鹿に、昨年末、津にもシネコンが開館し、直撃を受けた。東映中部支社によると、この夏の「パール・ハーバー」は津東映ワーナー・マイカル・シネマズ津で上映したが、興行収入は津東映の約100万円に対し、マイカルが約2700万円と決定的な差がついた。河村邦彰・東映中部支社社長代理は「この時、撤退せざるを得ないと思った」。既存映画館のスクリーン数は57年には143あったが、テレビやビデオに押され、89年は34に減った。そこへシネコンが追い打ちをかけた。
既存の映画館の中には、シネコンに対抗するためにチケットの値下げを検討するところも出てきている。これまでは配給会社との関係などから、横並びの価格にするのが普通だった。1916(大正5)年開館で県内ではもっとも古い世界館(伊勢市一之木2丁目)の中村比呂誌支配人は「入場料金を安くすることで、いい映画に何度も足を運んでもらいたい」と話している。*1


近年の三重県内の映画館の動向(カッコ内はスクリーン数)
●閉館
95年02月 四日市弥生会館(2)、四日市スカラ座(1)
97年02月 白子ジャスコファミリーシアター(2)
99年02月 鈴鹿MOVIXアイリス(1)
00年12月 津スカラ座(1)
01年04月 津東宝(1)
01年12月 津東映シネマ(2)
●開館
95年04月 ワーナー・マイカル・シネマズ桑名(8)
98年06月 ジストシネマ上野(4)
98年10月 ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿(7)
00年12月 ワーナー・マイカル・シネマズ津(7)
01年08月 109シネマズ明和(8)*2

1919年(大正8年)に津市に生まれた久保仁は、名古屋市や津市で新聞記者を務め、1953年から津市大門の曙座の支配人を務めた。1957年には三重県環境衛生同業組合の事務局長に就任すると、1967年には曙座が閉館して支配人をやめたものの、組合の事務局長は1989年現在も務めている。1974年から1987年には津市内の映画館で無料配布される月刊映画情報誌『映画仲間』を発行していた。12月1日に久保仁が刊行する『ローカル映画館史』によると、三重県初の映画上映は1897年5月26日に津市の泉座で行われたものであり、日本初の映画上映からわずか3か月後のことだった。地方の映画館の歴史をまとめた本は全国でも珍しいとされる。*3

北勢地方

桑名市

桑名楽天地劇場
所在地 : 三重県桑名市
開館年 : 1951年12月
閉館年 :
北勢映画界の重鎮であり四日市市の弥生館の館主である鈴木啓吉の指導と協力を得て、製材会社にいた松谷清は1951年に桑名市に一挙に3館を開館させた。1951年4月には旭ビル跡地に三重大劇を、5月には寿町に桑名劇場を、12月には楽天地に楽天地劇場を開館させたのである。1952年には松谷は三重興行KKを設立して代表となった。桑名劇場は1955年に桑名東映に改称している。1958年には松谷は三重興行KKを解散させ、愛知県半田市の大野久吉が3館の経営権を握り、松谷は役員として残った。1959年には桑名市議会議員の黒田正雄が楽天地劇場の経営権を握ったが、1971年3月の再開発で取り壊しとなった。1962年12月には三重大劇が、1965年には桑名東映が、1965年にはセントラルが閉館している。*4
桑名キネマ/桑名キネマ1・2
所在地 : 三重県桑名市畷町361(1969年・1976年)、三重県桑名市畷町301(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1966年以前
閉館年 : 1995年9月25日
桑名市最後の従来型映画館。跡地は「桑名市子ども・子育て応援センターキラキラ」。最寄駅は近鉄名古屋線・JR関西本線桑名駅。

1962年7月1日、名古屋市の中映株式会社社長である川瀬元一郎が、畷町に桑名キネマを開館させた。1975年6月には火災で焼失したが、複数館の建物を建設して経営を再開した。11月には桑名キネマ1が、12月には桑名キネマが営業を始めた。三重県初の1建物2館のミニシアターだった。*5
ワーナー・マイカル・シネマズ桑名/イオンシネマ桑名
所在地 : 三重県桑名市新西方1丁目35 イオンモール桑名3番街4階
開館年 : 1995年3月24日
閉館年 : 営業中
8スクリーン。東海地方初・三重県初のシネコン。

東海地方初のシネコンは、1995年3月に三重県桑名市に開館したワーナー・マイカル・シネマズ桑名。その後、愛知県豊川市、三重県鈴鹿市などに開館が続いた。岐阜県南部には、柳津町にシネタウン岐阜が、真正町にAMCリバーサイド16シンセイが、岐南町にシネマジャングルがあり、シネコン銀座とも呼ばれる。2000年時点では愛知・岐阜・三重の3県で約20施設のシネコンが存在する。*6

1995年3月24日、桑名市に大型複合商業施設「マイカル桑名」がオープンする。延床面積15万平方メートル、売場総面積6万平方メートルで、全国屈指の大型商業施設とされる。全国初の娯楽遊戯施設「ダイナレックス」、8スクリーンの映画館、ボウリング場なども入る。*7

2015年4月17日、イオン桑名ショッピングセンターがイオンモール桑名としてリニューアルオープンする。1995年3月にマイカル桑名店としてオープンし、のちにイオン桑名となっていた。*8

四日市市

四日市市の映画館
2001年刊行の『四日市市 第十九巻 通史編現代』には、映画黄金期の1960年(昭和35年)時点の四日市市で営業中の映画館として19館が挙げられている。ツバサ映画劇場、聚楽館、富田劇場、三重劇場、四日市映画劇場、四日市東宝劇場、弥生館、四日市宝塚劇場、松竹映画劇場、日活劇場、富田東映劇場、パラダイス劇場、ボタン劇場、諏訪劇場、近畿劇場、グランド劇場、シネマ劇場、塩浜劇場、四日市ニュース劇場。*9

四日市市立博物館は2016年、昭和30年代の中心市街地の風景を写真で紹介する『むかしのくらし読本2 四日市のまちかど 昭和30年代を中心に』を刊行した。1960年には中心部に10館あった映画館の写真などが解説文とともに掲載されている。*10
四日市弥生館・スカラ座
所在地 :
開館年 : 1935年
閉館年 : 1997年2月
弥生館は1921年(大正10年)に四日市市西新地に移転して芝居小屋として開館し、1935年(昭和10年)に映画館に転身した。伊勢市の世界館と並んで、弥生館は三重県でもっとも歴史のある興行館である。弥生館の定員は212人。現在は定員108人の弥生館2と定員270人の四日市スカラ座も同居。弥生館は東宝系のロードショー館であり、スカラ座は洋画中心である。1996年のスカラ座の観客数は約29,000人であり、前年比30%の落ち込み。他の2館も減少傾向。隣接する桑名市に1995年に開館したシネコンに客を奪われ、また1998年10月には鈴鹿市にもシネコンの開館が予定されていることから、弥生館・弥生館2・スカラ座は1997年2月末で閉館する。1996年9月にオーナーが死去して後継者が見つからないという事情もある。*11
四日市シネマホール/四日市中映シネマックス
所在地 : 四日市市安島1丁目(近鉄四日市駅前)
開館年 : 1984年8月
閉館年 : 2004年6月6日、2007年9月28日
Wikipedia : 四日市シネマホール
跡地は2010年開業のビジネスホテル「三交イン」。

1999年7月9日の新聞記事
四日市シネマホール支配人の伊藤靖男氏へのインタビュー記事。【業績について】98年は好調でしたが、苦しい状況に変わりないです。何といっても、95年に桑名市に、98年には鈴鹿市に、いわゆるシネマコンプレックス(複合型映画館)ができて、影響を受けました。桑名に約3割、鈴鹿に2割ほどの客を吸収されたのではないか、と推測しています。一方で、シネマホールの固定客もいて心強いです。座席指定がないことや比較的すいているので、ゆったり観賞できる点がいいとのことです。
【上映作品について】残念ですが、私たちに選ぶ権利はない。98年3月から、提携する興行会社が指定する上映作品を受け入れています。一昔前は、前評判が高くない作品でも、自分の感性で上映を決めて、予想通りヒットした時の喜びは格別でした。今はそれがなくて、映画館経営にかかわるものとしては少し寂しいですね。
【立地条件について】駅前が映画館の好条件というのは、5年以上前の話。今は、郊外で、しかも大きな無料駐車場があることが最良の条件。近鉄四日市駅周辺にも、駐車場は多いのですが、有料なのがマイナス点のようです。
【客の呼び戻しについて】立地条件や設備面では対抗できないので、ソフト面重視しかありません。「スタンプカードサービス」は、チケットを1枚購入するごとに、売り場でスタンプを1個押して、5個ためると1回分を無料にします。そして社員には、一人一人が映画好きになって、客と自然に映画の会話ができるように努力するように話しています。結局は作品次第という面もあります。最近は「タイタニック」、「もののけ姫」に安定して客が来ました。面白い作品がどんどん登場することを望みます。
【シネコンとの違い】昔ながらの「絵看板」を飾っていることでしょうか。縦3.5メートル、横3.2メートルの大きさで、劇場の入口を彩り、映画館らしい情緒を醸し出しています。確かに経営は楽ではありませんが、四日市の玄関でもある駅前の映画館の灯は消したくありません。四日市の芸術文化を支えているんだという自負を持って、頑張ります。
近鉄興業「四日市シネマホール」1984年8月、四日市市安島1丁目の近鉄四日市駅前に開館。劇場は星座の名前に因んだベガ(303席)とリゲル(253席)とスピカ(160席)の3館ある。社員は7人。*12


2004年6月6日、近鉄グループのレジャー事業再編の影響で四日市シネマホールが閉館する。前身の映画館を含めると半世紀近くの歴史を持つ駅前映画館だった。1957年に近鉄四日市駅東側に開館した近鉄直営の映画館が前身。1984年に近鉄四日市駅西側に移転し、227席のベガ、160席のスピカ、253席のリゲルの3館で営業していた。ピーク時の1993年には約20万人の観客数があったが、最近は1/4ほどになっていた。四日市シネマホールの閉館により、四日市市内の一般向け映画館は1館のみとなる。*13

2004年7月17日、近鉄四日市駅前に「四日市中映シネマックス」が開館する。6月に閉館していた「四日市シネマホール」の場所に四日市中映が進出した。旧シネマホールの1階部分に、227席のスクリーン1と160席のスクリーン2を設ける。『ポケモン 破空の訪問者』と『世界の中心で愛をさけぶ』などがオープニング作品。浜田町の四日市中映もこれまで通り営業する。なお、11月には近鉄四日市駅西側の松坂屋跡地に9スクリーンのシネコンが進出する予定。*14

鈴鹿市

鈴鹿市の映画館
1942年の鈴鹿市発足当時、旧神戸町と旧白子町にそれぞれ2館、計4館の映画館があった。神戸町には神戸劇場(大映・新東宝・外映系)と常盤劇場(東宝・松竹・外映系)、白子町には白栄座(東宝・外映系)と中座(松竹・大映系)である。常盤劇場はやがて萱町から矢田部町に移転してスター劇場に改称したが、1967年にはスター劇場が閉館。1965年には白栄座が閉館。1975年には神戸劇場が閉館。1980年には中座が閉館した。1963年に近鉄鈴鹿線が平田町駅まで延長して平田市街地が発展すると、1977年には鈴鹿市唯一の近代的な映画館として平田市街地に名画座・スカラ座が開館した。やがて洋画専門のスカラ座は閉館し、1989年の『鈴鹿市史 第三巻』刊行時点では名画座のみが営業している。*15
白栄座
所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡白子町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1963年
1971年の住宅地図では「ハクエイザ」。1963年に閉館したはずなのに住宅地図に掲載されている理由は不明。近鉄白子駅前から白子漁港に向かう大通りの中ほど。「第三銀行白子支店」のはす向かい。跡地は民家。2軒南東の和菓子店「亀屋」は当時からある。最寄駅は近鉄名古屋線白子駅。

近鉄白子駅の東側には戦前から白栄座があった。戦後には白子東映に改称し、神戸町の長谷川眞次が経営を行っていた。1963年に閉館した。*16
常盤座/スター劇場
所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡神戸町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1964年3月
最寄駅は近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅。

『保存版 鈴鹿・亀山の今昔』郷土出版社、2007年にはスター劇場の言及があるらしい。要確認。

開館時期は不明だが、神戸町十日市町の北部には寿座のほかに「常盤座」もあり、昭和初期には寿座と競合していた。1941年には映画館に転換した。戦後にはスター劇場に改称し、鈴鹿市議会議員の猪熊登が経営していた。1964年3月に閉館した。*17
寿座/伊勢神戸劇場
所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡神戸町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1975年
1971年の住宅地図では「神戸劇場」。跡地は「三重銀行鈴鹿支店」。最寄駅は近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅。

明治末期、神戸町十日市町に劇場の「寿座」が開館。戦後には「神戸劇場」に改称し、鈴鹿市議会議長の長谷川眞次が経営していた。1974年7月7日の七夕豪雨で大きな被害を受けて休館し、また都市計画により立ち退きを強いられたため、休館のまま閉館した。*18
中座
所在地 : 三重県鈴鹿市(旧・三重県河芸郡白子町)
開館年 : 1942年以前
閉館年 : 1980年
1971年の住宅地図では「中座劇場」。跡地は「漫画新聞社」西側。南隣の「寺村酒店」は当時からある。最寄駅は近鉄名古屋線白子駅。

1938年には白子町中町に中座が開館し、1939年に映画専門館となった。1980年12月に閉館した。*19
鈴鹿名画座/鈴鹿名画座・鈴鹿スカラ座
所在地 : 三重県鈴鹿市平田新町1654(1980年)
開館年 : 1977年
閉館年 : 1990年以後2000年以前
最寄駅は近鉄鈴鹿線平田町駅。

1977年12月、近鉄神戸線の終点である平田町に鈴鹿名画座が開館した。長野県飯田市で映画館を経営する堀きくが運営した。1982年10月には2階建てに改装し、2館目として鈴鹿スカラ座を開館させた。1989年現在も営業している。*20
ジャスコファミリーシアター白子シネマ1・シネマ2
所在地 : 三重県鈴鹿市江島本町26-25 白子ショッピングタウン・サンズ
開館年 : 1990年7月21日
閉館年 : 1997年2月
最寄駅は近鉄名古屋線白子駅。

1990年(平成2年)7月21日、鈴鹿市白子駅前の白子ショッピングタウン・サンズの一角にあるジャスコスポーツクラブ内に、ジャスコファミリーシアター白子のシネマ1とシネマ2が開館する。座席数は75席と104席。邦画は東宝、洋画はUIPから配給を受ける封切館である。ジャスコは「文化に接したいという市民のニーズに応えるため」、また「駐車場がある映画館の必要性を感じるため」に映画事業を行っている。鈴鹿市は人口で三重県第2位の都市(※1990年時点では四日市または津よりも多かったのか?)だが映画館が1館しかなかった。オープニング作品は邦画が『タスマニア物語』、洋画が『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』。1989年(昭和63年)秋には津市で1館が閉館し、1990年(平成2年)に入ってから伊勢市で計3館が閉館。現在は三重県で28館となっている。なお、新館の開館は1986年(昭和61年)春の松阪市の2館以来。*21
鈴鹿MOVIXアイリス
所在地 : 三重県鈴鹿市算所1丁目8番1号 鈴鹿アイリス屋上駐車場
開館年 : 1994年3月
閉館年 : 2000年2月27日
跡地はスーパーマーケット「ぎゅーとら ラブリー平田店」。最寄駅は近鉄鈴鹿線平田町駅。

2000年2月27日、三重県唯一のドライブインシアター「MOVIX鈴鹿アイリス」が閉館する。1998年10月に鈴鹿サティ内に開館したシネコンに客を奪われたのが原因とされる。ドライブインシアターは1994年3月に開館し、水曜日から日曜日の夜間に、100台収容の駐車場の壁面に映像を映して営業していた。*22
ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿
所在地 : 三重県鈴鹿市南玉垣町 鈴鹿サティ3階
開館年 : 1998年10月23日
閉館年 : 2002年8月31日
ワーナー・マイカル・シネマズ桑名に続いて三重県2館目(ジストシネマ上野を含めると3館目)のシネコン。7スクリーン。跡地は「アピタ鈴鹿店」。最寄駅は伊勢鉄道線玉垣駅。

1998年10月23日、鈴鹿市南玉垣町に大型ショッピングセンター「鈴鹿サティ」がオープンする。マイカルによる大型ショッピングセンターは、津市・桑名市に次いで県内3番目。3階には7スクリーン・計1014席の映画館がある。*23

マイカルが会社更生法により経営再建に入ったことで、2002年1月には不採算店舗である鈴鹿サティの閉鎖が決定した。4年前の1998年10月にオープンしたが、開業当初から売り上げは伸び悩んでいた。関連会社が経営する映画館やボウリング場の今後は未定。*24

2002年8月末の閉館を前に、鈴鹿サティの映画館「ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿」は8月24日から8月31日まで、『スタンド・バイ・ミー』『モンスターズ・インク』『レオン』『ニュー・シネマ・パラダイス』4作品の無料上映を行う。鈴鹿市唯一の映画館だった。*25

2002年8月31日、鈴鹿市の鈴鹿サティが閉店する。マイカルが会社更生法を適用して経営再建中のため。営業期間はわずか4年足らずだった。関連会社が運営する映画館やボウリング場も閉店し、鈴鹿市唯一の映画館がなくなった。*26
ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿ベルシティ/イオンシネマ鈴鹿
所在地 : 三重県鈴鹿市庄野羽山4丁目1番2号 イオンモール鈴鹿内
開館年 : 2003年7月12日
閉館年 : 営業中
8スクリーン。最寄駅は近鉄鈴鹿線平田町駅。

2003年夏、ワーナー・マイカルは鈴鹿市庄野羽山のイオン鈴鹿ベルシティに8スクリーンのシネコンを開館させる。同市内には南玉垣町の鈴鹿サティにワーナー・マイカルのシネコンがあったが、2002年8月に閉館していた。ワーナー・マイカルがマイカルグループ以外のショッピングセンターにシネコンを出店させるのは全国初である。スクリーン数は1スクリーン多くなり、座席数は約700席多くなる。*27

2003年7月12日、イオン鈴鹿ベルシティに「ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿ベルシティ」が開館する。2002年8月には鈴鹿サティに併設されたシネコンが閉館していた。スクリーン数は1つ多い8スクリーンとなり、座席数は656席多い1670席となった。*28

鈴鹿市南玉垣町の鈴鹿サティに併設されていた映画館は、2002年8月に閉館した。2003年7月12日、既存のイオン鈴鹿ベルシティにワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿ベルシティが開館。8スクリーン計1670席であり、三重県最大規模。オープニング作品として『ターミネーター3』など。年間目標観客数は旧館より12万人多い55万人。*29

2003年7月12日に開館。7スクリーンの旧館より1スクリーン多く、1014席だった旧館より656席多い。同社では初めてマイカルグループ以外のショッピングセンターへの出店である。*30

鈴鹿市南玉垣町の鈴鹿サティが2002年8月末で閉店するのにともなって、1998年10月に開館したワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿も閉館する。8月24日から8月31日までフィナーレ特別無料上映会を実施。『スタンド・バイ・ミー』や『モンスターズ・インク』など4作品を2劇場で上映。*31

亀山市

新町座
所在地 : 三重県亀山市本町3丁目(現在の住所)
開館年 : 1931年12月(劇場として)、1951年(映画館として)
閉館年 : 1964年3月
当初は大衆演芸場だったが、しばしば映画も上映した。亀山町長を務めた小亀衡一が経営者だった。名称は開館時の所在地が新町だったため。外観の写真、館内の写真あり。*32

1931年12月には亀山市東町(現・本町)に、三重県会議員に当選したばかりの小亀衡一によって劇場「新町座」が開館した。小亀は映画監督の衣笠貞之助(本名は小亀貞之助)の兄である。1951年には映画常設館となった。新町座は1964年3月に閉館した。*33

『保存版 鈴鹿・亀山の今昔』郷土出版社、2007年には新町座の言及があるらしい。要確認。
亀山劇場
所在地 : 三重県亀山市本町4丁目299(1969年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1969年以後1976年以前
1971年の住宅地図では「亀山劇場」。1973年の住宅地図協会住宅地図では「亀山劇場」。跡地は民家。

桑名郡木曽岬町

映画館名簿によると木曽岬町に映画館は存在しなかったと思われる。

員弁郡東員町

イオンシネマ東員
所在地 : 三重県員弁郡東員町大字長深字築田510−1 イオンモール東員3階
開館年 : 2013年11月23日
閉館年 : 営業中
2013年11月23日、員弁郡東員町に大型ショッピングセンター「イオンモール東員」がオープンする。広域の商圏を想定するイオンモールは三重県4か所目であり12年ぶり。シネコンの「イオンシネマ東員」は10スクリーン・1629席であり、三重県最大級である。ワーナー・マイカルとイオンシネマズが経営統合してから初の出店である。なお、隣接する桑名市のイオン桑名にも8スクリーンのイオンシネマ桑名がある。*34

三重郡菰野町

田光劇場
所在地 : 三重県三重郡菰野町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
菰野劇場/菰野映画劇場
所在地 : 三重県三重郡菰野町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前

三重郡朝日町

映画館名簿によると朝日町に映画館は存在しなかったと思われる。

三重郡川越町

映画館名簿によると川越町に映画館は存在しなかったと思われる。

中勢地方

津市

津市の映画館
2001年2月2日の新聞記事
昨年末、津市に複合型映画館「シネコン(シネマコンプレックス)」がオープンし、あおりで、市内のしにせ映画館が2館、相次いで閉鎖を決めた。県都に残る、従来の街の映画館は1館だけ。全国的に人気のシネコンが伸びる一方で、歴史ある街の映画館が、姿を消していく。昨年12月15日、同市桜橋3丁目の大型店「津サティ」北側に、シネコン「ワーナーマイカルシネマズ津」がオープンした。正月休み中は、スクリーンをフル稼働し、13作品を上映した。総座席数は1589席あるが、平常時の約4倍の客を集め、活況だった。シネコンは全国的に増え続けている。1995年に、桑名市に県内初のシネコンがオープンした。以降、鈴鹿、上野、津と、これで4カ所にできた。
一方、既存の街の映画館は大きな打撃を受けている。県興行生活衛生同業組合によると、95年以降だけで、従来の映画館10館が閉館(うち1館は閉館予定)した。県内の映画館の5分の1がこの5、6年で閉鎖したことになる。映画人口が伸び悩んでいるのに、大資本のシネコンが人気を集め、街の映画館を追い詰める構図だ。街の映画館は繁華街や駅前にあっても、駐車場も少ない。設備も古く、若者を引き付けにくいのだ。中心商店街の空洞化と軌を一にしている。津市では3館ある街の映画館のうち2館が閉館を決めた。ただ1館のこることになった「津東映」(津市八町1丁目)も「先はわからない状態」(支配人)。しばらくの間、競合する作品がないことと、配給元の東映が創立50周年記念の大作を近く出すことがせめてもの救い。
洋画を中心に上映していた「津スカラ座」(津市南丸之内)は1月21日に閉館した。シネコンと上映する映画が競合し、客を取られた格好だ。津市大門にある「津東宝」も、この春、閉館することを決めている。館主の小林賢司さんは「そろそろ潮時かなと思い、決めました」と話す。映画上映には、配給会社のフィルム焼き増し代だけでも最低約30万円がかかる。収入の6割は配給会社へ、残りで宣伝費や施設維持費などをまかなうが、数えるほどしか客が入らないことも多く、ここ数年は年間2、300万円の赤字が続いていた。「閉館後のことは決めていません。良質の映画を選んで単館上映することも考えています」。小林さんの映画館は、この春、子どもたちに人気の「ドラえもん」で43年の歴史に幕を閉じる。*35


2000年11月17日の新聞記事
広い駐車場を持つ郊外型の大型店と複数のスクリーンを持つ映画館が一緒になった複合施設「シネコン」(シネマコンプレックス)が12月15日、津市にオープンする。「街の活性化につながる」と歓迎する声がある一方で、地元の映画館が閉館を決めるなど、「中心市街地の空洞化に拍車がかかるのでは」と懸念する声も上がっている。オープンするのは「ワーナー・マイカル・シネマズ津」。全国に約40のシネコンを持つワーナー・マイカル(本社・東京都千代田区)が、津市桜橋3丁目の大型店「津サティ」北側に建設を進めている。完成すると、約4800平方メートルのスペースに7つの劇場が入る県内最大規模(1589人収容)の映画館となる。隣の「津サティ」と共用する駐車場は1800台の車が収容可能だ。複数の映画館が一つの建物に入ったようなシネコンでは、その場で好きな映画を選ぶことができる。家族でやって来て、別々の映画を見た後、併設されている店で買い物や食事を楽しむ。そんな利用法が若い世代に受け、全国各地で急速に数を増やしている。県内では1995年に桑名、98年に鈴鹿に同様のシネコンがオープンし、着実に業績を上げている。
中心街にある市内に3つしかない映画館は、いずれも直接影響を受けそうだ。中心街の大門にあり、43年の歴史を持つ映画館「津東宝」は来春、閉館することを決めた。ここ数年、客足が落ちていたところに今回のシネコン進出。経営者の小林賢司さんは「仕方ありませんね。これでまた中心街の人出も減る野かな。寂しいですね」と話す。同市八町1丁目の「津東映」も今後の方針が立てられない状況だ。東映本社が直営する同館には、今のところ閉館の話はないが、「近いうちに開かれる会議では当然(閉鎖をにらんだ)話も出るでしょうね」と支配人は話す。鈴鹿にシネコンができてから、洋画の話題作などでは3割ほど客の入りが減ったという。同館では正月の子ども映画以降の上映予定が決まっていないという。*36

共楽館/観音キネマ/享楽キネマ
所在地 : 三重県津市
開館年 : 1929年
閉館年 : 1945年以前?
1929年(昭和4年)には津観音の境内に共楽館が開館。「松竹キネマ株式会社直(営?)」の文字が見える。1931年(昭和6年)には観音キネマに改称し、1935年(昭和10年)には享楽キネマに改称している。昭和初期の写真あり。*37

津観音の境内には享楽キネマがあった。1921年(大正10年)に大正館として開館し、1937年(昭和12年)に享楽キネマに改称した。1937年頃の写真あり。*38
新世界
所在地 : 三重県津市
開館年 : 1921年
閉館年 : 1957年
津市初の常設映画館は1915年(大正4年)に開館した。世界館、大正館に続いて、1921年(大正10年)には丸の内本町に新世界が開館した。当初は日活作品を上映していたが、やがて松竹作品や洋画も上映した。太平洋戦争で焼失し、移転して営業を続けていたが、1957年(昭和32年)に閉館した。戦争以前の跡地には、1959年(昭和34年)に津パール劇場が開館した。昭和初期の写真あり。*39
津スカラ座
所在地 : 三重県津市南丸の内12-15(1990年・2000年)
開館年 : 不明
閉館年 : 2001年1月21日
2001年4月30日には津市大門の映画館「津東宝」が閉館する。2001年1月には津市南丸之内の映画館「津スカラ座」も閉館しており、市内の従来型映画館は津市八町の「津東映シネマ」のみとなる。*40
曙座/第一劇場/津東宝劇場
所在地 : 三重県津市大門32-3
開館年 : 1958年
閉館年 : 2001年4月30日
Wikipedia : 津東宝劇場
津観音境内と曙座の写真。昭和30年代の写真あり。曙座は劇場だったが映画も上映した。「AKEBONOZA」の文字が見える。*41

大門通りと津観音境内の写真。三華堂のある交差点も見えている。左奥の建物は曙座であり、のちに津松竹に改称した。*42
津東宝劇場/津東映劇場/津東映シネマ
所在地 : 三重県津市八町1-1-3(1990年・2000年)
開館年 : 1945年(津東宝として)、1959年(津東映として)
閉館年 : 2001年12月14日
1955年の映画館名簿では「津東宝劇場」。1958年から2001年まで営業していた津東宝劇場とは異なる。

戦後の津市でいち早く営業を再開したのは曙座と新世界である。戦後には新しく、近鉄津新町駅前に津東宝が開館した。津東宝の定員は500人だった。昭和20年代の写真あり。*43

1945年(昭和20年)には近鉄津新町駅前に津東宝が開館した。1950年(昭和25年)の写真あり。1955年(昭和30年)には津東映となった。*44

1959年に津東映劇場として開館。1965年前後には東映の仁侠映画がヒットし、週末夜などは満員となった。1998年から赤字となり、2000年末にシネコンのワーナー・マイカル・シネマズ津が開館したこともあって、2001年12月14日で閉館した。閉館時の観客数は最盛期の10分の1にまで減少していた。*45

2001年末には津東映シネマが閉館。2002年1月14日には建物の解体が始まり、2月中旬には終わる予定である。跡地は25台収容の駐車場として使用される。1959年に開館。近鉄津新町駅前にあった。1960年代から1970年代には時代劇や任侠映画などで人気を博した。*46
津大門シネマ
所在地 : 三重県津市大門32-3
開館年 : 2004年3月20日
閉館年 : 2009年7月20日
Wikipedia : 津大門シネマ
2009年7月20日付伊勢新聞に『津大門シネマきょう限り 不景気、新型インフル…閉館へ』という記事が掲載されているらしい。

かつては東宝の封切館だったが、観客数の減少で2001年に閉館し、大門商店街から映画館がなくなった。谷口嘉吉が施設を引き継ぎ、3年後の2004年にアート系のミニシアター「津大門シネマ」として開館させた。2007年時点で開館から3年足らず。2007年10月には『陸に上がった軍艦』(山本保博監督)を上映。『シッコ』や『夕凪の街 桜の国』なども上映した。*47

『4分間のピアニスト』を上映。津大門シネマの閉館により、三重県内のミニシアターは伊勢進富座のみとなった。*48

2009年7月20日に閉館。閉館の理由は支配人の谷口嘉吉(78)の健康上の問題に加えて、2008年以降の景気後退や新型インフルエンザの流行で観客数が激減したこと。最終上映作品は『大阪ハムレット』と『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』。*49
ワーナー・マイカル・シネマズ津/イオンシネマ津
所在地 : 三重県津市桜橋3丁目 イオンシネマ
開館年 : 2000年12月15日
閉館年 : 営業中
ワーナー・マイカル・シネマズ桑名、ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿に続いて、三重県3館目(ジストシネマ上野を含めると4館目)のシネコン。7スクリーン。

2000年12月15日、津市初のシネコンであるワーナー・マイカル・シネマズ津が開館する。津サティに隣接する。7スクリーン計1589席。ワーナー・マイカルグループとしては桑名市、鈴鹿市に次いで三重県3番目のシネコン。先に開館した2館には津市から訪れる観客も多かった。年間の来館者数の目標は40万人。*50

2000年12月15日、津市桜橋の津サティの北隣に、映画館「ワーナー・マイカル・シネマズ津」が開館した。7スクリーン・約1600席。1995年開館のワーナー・マイカル・シネマズ桑名、1998年開館のワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿、1998年開館のジストシネマ上野に続いて、三重県4番目のシネコンである。いずれのシネコンも同系列のショッピングセンターに併設して相乗効果を狙っている。*51

松阪市

松阪近代劇場・松阪近劇コニー/近代劇場・近劇コニー/松阪近代劇場
所在地 : 三重県松阪市日野町697(1969年・1976年)、三重県松阪市日野町14(1985年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1998年頃
1960年・1963年の映画館名簿では「近代劇場・近劇コニー」。1966年・1969年の映画館名簿では「松阪近代劇場・松阪近劇コニー」。1969年の映画館名簿では「近代劇場・近劇コニー」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「松阪近代劇場」。映画館の建物は善福寺が所有していたが、2007年に取り壊された。

2003年には松阪市観光協会が、松阪駅前の中心商店街であるベルタウン2階にある映画館跡地を多目的ホールとして、市民に対する貸し出しを始めた。映画館跡地は近くの寺院が所有しており、松阪市は年間70万円で借りる契約を結んでいる。*52

多気郡多気町

片野橋劇場
所在地 : 三重県多気郡勢和村(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
相可東映劇場/相可劇場
所在地 : 三重県多気郡多気町相可(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前

多気郡明和町

109シネマズ明和
所在地 : 三重県多気郡明和町中村1223 イオン明和
開館年 : 2001年8月
閉館年 : 営業中
8スクリーン。ワーナー・マイカル・シネマズ桑名、ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿、ワーナー・マイカル・シネマズ津に続いて三重県4館目のシネコンである。ジストシネマ上野はシネコンの定義から外れるが、ジストシネマ上野を含めると109シネマズ明和は三重県5館目となる。

多気郡明和町

映画館名簿によると明和町に映画館は存在しなかったと思われる。

多気郡大台町

下村座
所在地 : 三重県多気郡大台町(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
萩原会館/萩原館
所在地 : 三重県多気郡宮川村(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
宮川劇場/三瀬谷宮川劇場
所在地 : 三重県多気郡大台町(1963年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

伊勢志摩地方

伊勢市

伊勢市の映画館
1968年の『伊勢市史』には「現存する映画館」として、「伊勢東映」(曽祢町)、「帝国座」(一之木町)、「ひかり座」(一之木町)、「伊勢シネマ」(一之木町)、「世界館」(一之木町)、「パール劇場」(一之木町)、「いすず東映」(一之木町)の7館が挙げられている。主な閉館した映画館として、「平和松竹」(宮町)、「伊勢劇場」(宮後町)、「有楽座」(大世古町)の3館が挙げられている。*53
帝国座
所在地 : 三重県伊勢市一之木町354(1969年)、三重県伊勢市一之木2-9-2(1985年)
開館年 : 1920年
閉館年 : 1969年以降1976年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「帝国座」。1966年・1969年の映画館名簿では「伊勢帝国座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。

1906年(明治39年)に市制施行して宇治山田市が発足した際、一之木町の現在地には新北座があった。1911年(明治44年)10月にはその跡地に帝国座が開館し、芝居などの興行を行った。1920年には洋風に改築し、日活直営の映画館となった。*54
進富映画劇場/伊勢東映
所在地 : 三重県伊勢市曽祢町471(1969年)、三重県伊勢市曽祢2-8-7(1980年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1980年以降1985年以前
1955年の映画館名簿では「進富映画劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1976年・1980年の映画館名簿では「伊勢東映劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。

1906年(明治39年)の曽祢町(現・新町)には新福座があったが、1909年(明治42年)1月に焼失した。跡地に新富座を開館させ、芝居の興行を行っていたが、1945年(昭和20年)には太平洋戦争の空襲で焼失した。1953年(昭和28年)3月には進富映画劇場として再建し、主として映画を上映する劇場となった。後に伊勢東映に改称し、『伊勢市史』が刊行された1968年(昭和43年)時点では伊勢東映として営業中。*55
ひかり座・パール劇場・伊勢シネマ/パール劇場・伊勢シネマ/伊勢パール1・2・3
所在地 : 三重県伊勢市一之木町378(1969年)、三重県伊勢市一之木2-16-17(1976年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1966年の映画館名簿では「伊勢ひかり座・伊勢いすゞ東映劇場・伊勢パール劇場・伊勢シネマ」(4スクリーン)。1969年の映画館名簿では「伊勢大映劇場・伊勢いすゞ東映・伊勢パール劇場・伊勢シネマ」(4スクリーン)。1976年の映画館名簿では「ひかり座・パール劇場・伊勢シネマ」(3スクリーン)。1980年・1985年の映画館名簿では「パール劇場・伊勢シネマ」(2スクリーン)。1990年の映画館名簿では「伊勢パール1・2・3」(3スクリーン)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
第一世界館・第二世界館/第一世界館/伊勢世界館
所在地 : 三重県伊勢市一之木町(1968年)、三重県伊勢市一之木2-9-2(1976年)
開館年 : 1916年
閉館年 : 2000年以後2010年以前
Wikipedia : 世界館 (伊勢市)
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「第一世界館」。1966年の映画館名簿では「伊勢第一世界館」。1969年の映画館名簿では「伊勢世界館」。1976年の映画館名簿では「世界館」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「世界館・第二世界館」(2スクリーン)。2000年の映画館名簿では「世界館1・2」(2スクリーン)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

かつては浪曲寄席の蛭子座があったが、活動写真ブームが到来すると改築して映画館となった。1919年-1920年(大正8年-9年)にはさらに改築し、世界館に改称した。1929年(昭和4年)2月には新道に第二世界館を開館させ、オリジナルは第一世界館に改称した。第一世界館・第二世界館ともに、1945年(昭和20年)には太平洋戦争の空襲で焼失した。*56

後に映画監督となる小津安二郎は、1916年(大正5年)から宇治山田市(現・伊勢市)に下宿して三重県立第四中学校(現・三重県立宇治山田高校)に通った。同年に開館した映画館「世界館」に通ううちに映画に魅了された。小津の出身地である松阪市には、まだ映画館が存在しなかった。*57
進富映画劇場/伊勢東映劇場/伊勢東映劇場・伊勢ロマン劇場/伊勢レック機Ν/伊勢エクラン1・2/進富座/進富座1・2
所在地 : 三重県伊勢市曽祢2-8-7(1980年・1985年・1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1927年(芝居小屋として)、1953年(映画館として)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 伊勢進富座
1953年には進富映画劇場に改称して映画館化。1956年には伊勢東映に改称。1980年の映画館名簿では「伊勢東映劇場」。1982年には本館横に伊勢ロマン劇場を開館して2スクリーン化。1983にはレックに改称。1985年・1990年の映画館名簿では「伊勢レック機Ν供廖1997年には伊勢エクランに改称。2000年の映画館名簿では「伊勢エクラン1・2」。2002年に本館のみ進富座として営業を開始。2006年に進富座別館の営業を開始。2010年の映画館名簿では「進富座本館・別館」。

『シネマ・スクエア・レックをもう一度』(水野昌光・登重樹、新風舎、2002年)が刊行されている。

鳥羽市

大漁座
所在地 : 三重県鳥羽市答志
開館年 : 不明
閉館年 : 不明
映画館ではなく舞台。伊勢湾口に浮かぶ神島にあった。1967年の『鳥羽市住居表示案内図』では「大漁座」。跡地は「神島保育所」のグラウンドだと思われるが、『鳥羽市住居表示案内図』の地図がずさんなため正確な場所を判断できず。『三重県史 別編 民俗』の第5章には「神島町の舞台(大漁座)」の図が掲載されているらしい。

答志劇場/答志東映劇場
所在地 : 三重県鳥羽市答志
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
伊勢湾に浮かぶ答志島答志地区にあった。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「答志劇場」。1963年の映画館名簿では「答志東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の『鳥羽市住居表示案内図』では「答志劇場 稲葉文雄」。跡地は「民宿旅館しま」の南側だと思われるが、『鳥羽市住居表示案内図』の地図がずさんなため正確な場所を判断できず。

答志中央劇場
所在地 : 三重県鳥羽市答志
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
伊勢湾に浮かぶ答志島答志地区にあった。1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「答志中央劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1967年の『鳥羽市住居表示案内図』では「中央劇場 浜崎ミツエ 石黒」。跡地は「八百安」。

志摩劇場/鳥羽東映/鳥羽東映劇場
所在地 : 三重県鳥羽市
開館年 : 1952年
閉館年 : 1966年
1953年・1955年の映画館名簿では「志摩劇場」。1960年の映画館名簿では「鳥羽東映劇場」。1963年の映画館名簿では「鳥羽東映」。1966年の映画館名簿では「鳥羽東映劇場」。1967年の『鳥羽市住居表示案内図』では「鳥羽東映」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「フォーブルコスモ」。金胎寺の北側。近鉄志摩線中ノ郷駅前の百五銀行鳥羽支店から南西に80m。

1952年(昭和27年)には籾山氏によって志摩劇場が開館した。やがて鳥羽東映に改称している。鳥羽市が位置には芝居劇場の朝日座もあった。志摩劇場は1966年(昭和41年)に閉館。跡地はスーパー風車のある「主婦の店」に改装されたが、2002年現在は跡地にアパート「フォーブルコスモ」が建っている。*58

1954年(昭和29年)の志摩劇場の写真あり。鳥羽東映という通称でも呼ばれた。映画最盛期の鳥羽には朝日座と志摩劇場の2館があった。志摩劇場は1966年(昭和41年)に閉館し、朝日座は1972年(昭和47年)に閉館した。*59

扇座/朝日座/鳥羽朝日座
所在地 : 三重県鳥羽市鳥羽町1930(1969年)、三重県鳥羽市鳥羽2丁目(現在)
開館年 : 1928年(扇座)、1929年(朝日座)
閉館年 : 1972年
1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「朝日座」。1967年の『鳥羽市住居表示案内図』では「朝日座」。1966年・1969年の映画館名簿では「鳥羽朝日座」。跡地は民家。江戸川乱歩館(鳥羽みなとまち文学館)の南西110m。大里通りにある高山畳店の角から南に入る。

昭和初期の鳥羽に3館あった映画館の中心だったのが朝日座。歌舞伎も上演した。*60

1972年には映画館の「朝日座」が閉館した。*61

1928年には中世古松之助などが、閉業中の扇座を改装して扇座を新装開館させた。1929年には朝日座に改称。開館当初は歌舞伎などの興行が中心だったが、1935年頃から映画の上映が多くなった。1972年に閉館した。1955年頃の写真あり。*62

志摩市

浜島座
所在地 : 三重県志摩郡浜島町(1966年)、三重県志摩市(現在)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1968年
1950年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「浜島座」。志摩市立図書館でレファレンスしたところ、映画館の場所について知っている職員の記憶で和具パール劇場の場所が判明。跡地は2004年竣工の浜島集客交流拠点施設「わんさわんさ」。「わんさわんさ」は2016年12月から休館中だが2019年3月時点で建物は現存。

明治維新後には浜島にあった屋外舞台が取り壊され、村人の娯楽の場がなくなっていた。岩崎の埋め立てで浜島に入港する船舶が増えつつあったことから、1899年(明治32年)に有志によって字岩崎の海岸近くに浜島座が建設された。木造切妻造瓦葺き、2階建て。舞台上には廻り舞台があり、1階客席の両側に花道があり、2階には桟敷席があった。設計は伊勢市の新富座(当時の名称は進富座ではなく新富座)を参考にしたとされる。こけら落とし公演として、大阪の三桝源五郎一座が6日間興行している。娯楽施設や公会堂としての役割を果たした。戦後には映画上映がほとんどとなり、稀に演劇も上演された。昭和40年代にはテレビの普及で観客数が激減して閉館した。浜島町文化財調査委員会は民俗資料としての保存を検討し、三重県教育委員会文化課に調査を依頼した。費用面で保存が困難だったことから、愛知県犬山市の明治村への寄贈も検討されたが、移転費用の問題で寄贈は見送られた。その後、1970年(昭和45年)夏に建物が取り壊された。なお、戦時中の1945年7月に浜島航空基地が襲撃された際には浜島座に関する記録が焼失している。*63

浜島座は奥志摩地方最古の本格的劇場であるが、1968年(昭和43年)に閉館した。*64

浜島平和劇場
所在地 : 三重県志摩郡浜島町1971(1969年)、三重県志摩市(現在)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1970年
1960年・1963年の映画館名簿では「平和劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「浜島平和劇場」。跡地はスーパー「サンパール浜島店」(閉店済。2019年3月時点で建物は現存)。浜島本町通商店街にあり、公文式浜島教室やイネ屋商店の向かい。

1955年(昭和30年)の浜島平和劇場の写真あり。『赤線基地』の看板が見える。1965年(昭和40年)頃から観客数の減少が顕著であり、1970年(昭和45年)に閉館した。*65

1953年(昭和28年)には浜島町に平和劇場が落成。1955年(昭和30年)頃の平和劇場前でメンコ遊びをする子どもたちの写真あり。*66

ありそ俳句会の運営を担う井上博暁は、20歳だった1953年(昭和28年)2月に同会に入会した。入会当時の井上は御座村立御座小学校に勤務する教員であり、井上の生家は浜島平和劇場を経営していた。*67

和具劇場
所在地 : 三重県志摩郡志摩町和具(1969年)
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1969年以後1976年以前
1950年の映画館名簿では「和具劇場」。1955年の映画館名簿には掲載されていないが理由は不明。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「和具劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。志摩市立図書館でレファレンスしたところ、映画館の場所について知っている職員の記憶で和具パール劇場の場所が判明。職員の記憶によると日活作品を上映していた。跡地は「白帆堂」南側にある鍋島医院駐車場。向かいに和具パール劇場があった。『志摩町史』pp570-571には映画館の歴史について書かれているが、和具パール劇場や和具劇場を含めて具体的な館名は登場しない。

パール劇場/パール東映/和具パール劇場
所在地 : 三重県志摩郡志摩町和具(1985年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1955年の映画館名簿では「和具パール劇場」。1960年の映画館名簿では「パール劇場」。1963年の映画館名簿では「パール東映」。1966年・1969年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「和具パール劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。志摩市立図書館でレファレンスしたところ、映画館の場所について知っている職員の記憶で和具パール劇場の場所が判明。職員の記憶によると東映作品を上映していた。跡地は「ヤダヤ商店」南側の空き地。向かいに和具劇場があった。『志摩町史』pp570-571には映画館の歴史について書かれているが、和具パール劇場や和具劇場を含めて具体的な館名は登場しない。

1963年(昭和38年)頃の和具パール劇場の写真あり。萬屋錦之介主演の『男一匹道中記』、中村登監督作『続・愛染かつら』のポスターが見える。*68

浜島劇場
所在地 : 三重県志摩市浜島町浜島2793
開館年 : 不明
閉館年 : 2009年以前
映画館ではなくストリップ劇場であり、映画館名簿には登場しない。2009年時点で既に閉店。2019年3月時点で建物は現存。志摩市観光協会浜島案内所西側の通りを南に170m。カラオケ居酒屋「来い来い」の北側。
志摩国際劇場
所在地 : 三重県志摩郡阿児町鵜方2070(1969年)、三重県志摩郡阿児町鵜方(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1960年・1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・2000年の映画館名簿では「志摩国際劇場」。1995年のゼンリン住宅地図では「鵜方国際劇場」(※志摩国際劇場ではない)。志摩市(旧・阿児町)最後の映画館。近鉄志摩線鵜方駅西側の踏切のすぐ北東の建物。「中華あこや」の南側の建物。2019年3月時点で建物は現存。

1990年8月26日には阿児町商工会の30周年企画の第1弾として、国際劇場で子ども映画会が開催され、『魔女の宅急便』が無料上映された。*69

度会郡玉城町

田丸東映/田丸劇場
所在地 : 三重県度会郡玉城町佐田(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前

度会郡度会町

映画館名簿によると度会町に映画館は存在しなかったと思われる。

度会郡大紀町

春風劇場
所在地 : 三重県度会郡紀勢町錦(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
大宮映画劇場
所在地 : 三重県度会郡大宮町滝原(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
頓登座/頓登宝映劇
所在地 : 三重県度会郡大宮町滝原(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
阿曽東映
所在地 : 三重県度会郡大宮町阿曽(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
うしを座/潮座/錦潮座
所在地 : 三重県度会郡紀勢町錦(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
柏崎劇場
所在地 : 三重県度会郡紀勢町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前

度会郡南伊勢町

佐八屋劇場
所在地 : 三重県度会郡南勢町宿田曽(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
神前会館
所在地 : 三重県度会郡南島町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
南島劇場
所在地 : 三重県度会郡南島町贄浦(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
中島映画劇場
所在地 : 三重県度会郡南島町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
贄会館
所在地 : 三重県度会郡南島町贄浦(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
善屋座/田曽善屋座
所在地 : 三重県度会郡南勢町田曽浦(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
南勢劇場/南勢東映
所在地 : 三重県度会郡南勢町五ヶ所(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
五ヶ所劇場
所在地 : 三重県度会郡南勢町五ヶ所(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

伊賀地方

伊賀市

伊賀市の映画館
1961年現在の上野市には、上野日活、上野映劇、上野東映劇場、上野松竹劇場、US劇場と、市内に5つの劇場がある。*70
旭座/上野大映劇場
所在地 : 三重県伊賀市上野忍町
開館年 : 1883年(劇場として)、1921年(映画館に転換)
閉館年 : 1963年以後
伊賀地域でもっとも早く建てられた劇場である旭座は、1883年(明治16年)10月に新築落成して興行を開始した。こけら落とし公演には関西から役者を招いたという。旭座は演説会の会場にもなり、1893年7月には総理大臣の板垣退助一行が上野を訪れて旭座で演説を行った。1905年(明治38年)1月には日露戦争における旅順陥落の祝賀会が上野公儀会によって開催された。1913年(大正2年)4月には尾崎行雄らによる憲政擁護の大演説会が開催された。その後活動写真の普及すると、1921年(大正10年)には旭座が常設の映画館となった。1925年(大正14年)には時代劇の『国定忠治』や『鞍馬天狗』、現代劇の『クロスワード成金』や『神田の下宿』、洋画の『世界になる女』などを上映した。1930年(昭和5年)には相生町の相生館と提携し、日活・松竹の作品を交互に上映した。*71

明治10年代頃には忍町に旭座が創設された。明治末期には建物の老朽化のために改装し、さらに太平洋戦争後にも大改築されて上野大映となった。*72

伊賀市上野忍町。1927年の写真あり。1883年(明治16年)10月に竣工し、上野でもっとも早くに興行を開始した劇場。こけら落とし公演には関西から役者を招いた。後に映画館の上野大映劇場となった。*73
相生館/上野日活劇場
所在地 :
開館年 : 1920年
閉館年 : 1961年以後
1920年(大正9年)に相生館が創設され、1958年に日活の直営館となった。*74

伊賀市上野相生町。1927年の写真あり。実業家の廣栄太郎によって1920年(大正9年)に開館した。後に映画館の上野日活劇場となり、旭座とともに上野市を代表する映画館となった。*75
廣栄座(広栄座)
所在地 : 三重県阿山郡上野町丸之内(現在の上野郵便局東側)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1942年頃
1919年(大正8年)8月、上野町丸之内に実業家の広栄太郎によって広栄座が開館した。広栄太郎は奈良県山辺郡出身であり、上野では外堀の埋め立てに尽力した。広栄座を開館させたのは埋立地の繁栄を図るためである。芝居のある日には近隣の村落から観客が詰めかけた。広栄座は1942年頃に閉館した。*76

明治中期には天神の北裏の一角に菅原座があったが、明治31-32年頃に焼失した。その跡地には大江座が開館したが、明治41-42年頃に焼失した。その後、京屋の北向側に広栄座が開館したが、太平洋戦争中に閉館した。*77

伊賀市上野丸之内。1927年の写真あり。実業家の廣栄太郎によって1919年(大正8年)に開館した。現在の上野郵便局東側。*78
上野東映劇場/伊賀上野東映劇場
所在地 : 三重県上野市忍町
開館年 : 1955年8月1日
閉館年 : 1966年以後
1955年(昭和30年)8月1日には忍町に、東映の直営館である上野東映劇場が開館した。*79
上野文化ホール
所在地 : 三重県上野市
開館年 : 1958年
閉館年 : 1985年頃
跡地は「ハイトピア伊賀」。

1958年には上野市駅前に4階建ての上野市産業会館がオープン。3階の上野文化ホールは1985年頃まで映画館であり、『ベン・ハーなど』洋画・邦画を問わず上映した。4階には1958年生フィルム式映写機が置かれている。2012年3月31日で閉鎖され、建物を取り壊したうえで、跡地には「ハイトピア伊賀」がオープンする予定。*80
上野映劇/上野映画劇場/伊賀上野映画劇場
所在地 : 三重県上野市丸之内23(現・三重県伊賀市)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1990年
Wikipedia : 上野映画劇場
松竹映画専門館「上野映劇」。佐田啓二主演の『集金旅行』のポスターが写った1957年(昭和32年)頃の写真あり。オマケ上映の1本として1949年(昭和24年)封切りの『青い山脈』。*81
ジストシネマ上野/ジストシネマ伊賀上野(4スクリーン)
所在地 : 三重県伊賀市256-1 ジョイシティ伊賀上野店
開館年 : 1998年6月
閉館年 : 2018年2月20日
Wikipedia : ジストシネマ伊賀上野
4スクリーンであるためシネコンの定義には当てはまらないが、ワーナー・マイカル・シネマズ桑名に次いで三重県で2番目に開館したシネコン系映画館。

運営は和歌山市に本社を置くオークワのグループ会社であり、1998年6月の開館時から4スクリーンだった。映画館が入る商業施設「オークワ ジョイシティ伊賀上野店」の閉店にともなって2018年2月20日に閉館した。伊賀地域で唯一の映画館だった。*82

1998年6月、上野市(現・伊賀市)に開館。開館当初から閉館時まで伊賀地域唯一の映画館であり、開館当時は伊賀地域に8年ぶりに映画館が復活したことで話題となった。*83

上野市出身の呉美保(オミポ)監督作品や伊賀忍者に関する作品を上映するなど、地域に根ざした運営が特色だった。閉館前には、伊賀市を舞台にした『忍びの国』や伊賀市がロケ地となった『娚の一生』をリバイバル上映した。伊賀地域の伊賀市・名張市のほかに、京都府や奈良県からも観客を集めた。関係者によると後継館の具体的な計画はない。*84

名張市

名張銀映座/名張松竹
所在地 : 三重県名張市栄町
開館年 : 1952年
閉館年 : 1962年
名張市栄町の名張松竹。1952年(昭和27年)の開館記念写真あり。名張市では名張映画劇場の次に開館。やがて名張松竹に改称して松竹専門館となったが、1962年(昭和37年)に閉館。*85

名張市栄町。1952年(昭和27年)の開館記念写真あり。『目で見る伊賀の100年』と同じ写真。名張駅に近かった。1962年(昭和37年)に閉館。*86
鶯座/名張映画劇場/名張東映
所在地 : 三重県名張市元町
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1966年7月
名張市元町の名張東映は、前身は鶯座(うぐいすざ)という芝居小屋。1350席で三重県下有数の大劇場であり、舞台や花道もあった。やがて映画館に改修され、秋祭りや八日えびす祭の際には満員となった。小中学生が先生に連れられてくることもあった。名張には名張映画劇場のほかに、中町と駅前にも映画館があった。昭和30年代の写真あり。*87
名張大映
所在地 : 三重県名張市中町
開館年 : 1957年
閉館年 : 1973年1月
名張市中町の名張大映は、名張3番目の映画館として1957年に開館。1966年には名張唯一の映画館となったが、1973年1月に閉館。館主の梅田義守は映写機2台を市民会館に寄贈した。1968年の写真あり。*88

東紀州地方

尾鷲市

大盛座
所在地 : 三重県尾鷲市
開館年 :
閉館年 : 1963年以後1966年以前
磐館
所在地 : 三重県尾鷲市
開館年 :
閉館年 : 1963年以後1966年以前
喜楽館/尾鷲喜楽館
所在地 : 三重県尾鷲市
開館年 :
閉館年 : 1966年以後1969年以前
寿座/尾鷲寿座
所在地 : 三重県尾鷲市
開館年 :
閉館年 : 1966年以後1969年以前
日の出座/久鬼日之出東映劇場
所在地 : 三重県尾鷲市
開館年 :
閉館年 : 1966年以後1969年以前
大鷲館
所在地 : 三重県尾鷲市中井町1-13(1969年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1970年5月10日
1955年の映画館名簿では「大鷲館」。1960年・1963年の映画館名簿では「大鷲座」。1966年・1969年の映画館名簿では「尾鷲大鷲座」。1971年の住宅地図協会住宅地図では「大鷲館」。読み方は「たいしゅうかん」。館名に由来する大鷲館通りがある。跡地は「ドラッグセイムス尾鷲栄店」。

1970年(昭和45年)5月10日には45年間親しまれてきた映画館の大鷲館が閉館し、6月28日に「おもちゃと人形の店大鷲館」に生まれ変わった。*89

1970年(昭和45年)5月10日、大鷲館が45年間の歴史に幕を閉じて閉館した。同年6月28日には「おもちゃと人形の店大鷲館」となった。おもちゃ店時代の1972年(昭和47年)頃の写真あり。*90

1925年(大正14年)には尾鷲初の映画館として「大鷲館」が開館。現在の尾鷲市中井町にあった。松竹・大映・東映の第一封切館であり、東京や大阪と同日に公開された。「大鷲活動写真館」とも呼ばれた。大正末期の写真あり。*91
尾鷲ロマン座
所在地 : 三重県尾鷲市栄町6-17(1976年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1986年6月1日
1960年・1963年の映画館名簿では「ロマン座」。1966年・1969年の映画館名簿では「尾鷲ロマン座」。1971年の住宅地図協会住宅地図では「ロマン座」。1976年・1980年の映画館名簿では「ロマン座」。1985年の映画館名簿では「尾鷲ロマン座」。尾鷲市最後の映画館。2014年時点で映画館の建物は現存している。

1986年(昭和61年)には三重県尾鷲市に最後まで残ったロマン座が閉館した。2004年(平成16年)には市民ら十数人が「ロマン座シネマ倶楽部」を結成。同年6月から商店街の空き店舗を活用して、2カ月に一度の頻度で自主上映会を開催している。*92

尾鷲市栄町の尾鷲ロマン座は1955年(昭和30年)に開館し、最盛期には北牟婁郡海山町や北牟婁郡紀伊長島町からも観客を集めた。1986年(昭和61年)6月1日に閉館した。2004年(平成16年)1月上旬に「ロマン座シネマ倶楽部」が発足。閉館から17年を経た同年時点では建物はやや傷んでいるものの、スクリーンの状態は良好。2004年1月31日と2月1日には見学会を開催し、映画最盛期の街の様子を写した写真を展示する。*93

1986年には尾鷲ロマン座が閉館。2003年末頃には市民有志が『ロマン座』シネマ倶楽部を立ち上げ、清掃を行った後、2004年1月31日と2月1日には館内の見学会を行った。スクリーンは良好な状態で保存されており、映画の上映を目指している。*94

2007年4月20日・21日の例会をもって、尾鷲市の自主上映会「ロマン座シネマ倶楽部」が活動を休止する。2004年6月から商店街の空き店舗で活動を開始し、月1回程度の上映会を開催していた。徐々に客数が減少し、活動の休止を決定した。*95

熊野市

熊野市の映画館
熊野市の記念通りは、1940年(昭和15年)の皇紀二千六百年を記念して南牟婁郡木本町の勤労奉仕で造成された。JR熊野市駅の東側にある水田を埋め立てたが、造成当時は何もなかった。戦後には商店が並び始め、昭和30年代には映画館が数軒あった。1990年には記念通り商店街振興組合が『記念通り五十年誌』を出版した。*96

三重県南牟婁郡紀和町は瀞峡(どろきょう)や布引の滝で知られ、1978年閉山の紀州鉱で栄えた町である。戦後には人口が1万人を超え、2館の映画館があった。1996年時点の人口は約1900人。*97
紀州会館
所在地 : 三重県南牟婁郡紀和町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
惣房会館
所在地 : 三重県南牟婁郡紀和町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
入鹿銀映
所在地 : 三重県南牟婁郡紀和町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
丸山映画劇場/熊野丸山映画劇場
所在地 : 三重県熊野市木本町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「丸山映画劇場」。1966年の映画館名簿では「熊野丸山映画劇場」。
新鹿劇場
所在地 : 三重県熊野市新鹿町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「新鹿劇場」。
新明治座/熊野明治座
所在地 : 三重県熊野市木本町栄町(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1976年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「新明治座」。1966年・1969年の映画館名簿では「熊野明治座」。1970年の住宅地図では「新明治座映画」。記念通りの「スナック菲菲」の角から北西に70m。跡地は空き地。2軒南東の「ヤマト酒店」(当時は倭酒店)は当時から存在する。
熊の東映/熊野東映劇場
所在地 : 三重県熊野市木本町記念通(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1976年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「熊野東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「熊野東映劇場」。1970年の住宅地図では「熊野東映」。記念通りの跡地は「いこらい広場」(熊野市記念通商店街振興組合事務所)。

北牟婁郡紀北町

長島座
所在地 : 三重県北牟婁郡紀伊長島町
開館年 : 1931年秋
閉館年 :
1931年秋、北牟婁郡長島町の松本通りにある大正座跡地に洋館造りの長島座が竣工した。1939年には歌舞伎座、1951年には中央劇場、1952年には三河劇場、1958年には大洋館が開館し、長島町にはピーク時に5館もの映画館があった。竣工時の長島座の写真あり。*98

紀伊長島の松本通りには、映画館「長島座」があった。飲み屋が多かったため夜は歓楽街となり、「長島の上海」とも呼ばれた。1961年頃の松本通りの写真あり。長島座は写っていないと思われる。*99
相生座
所在地 : 三重県北牟婁郡相賀町(1950年)、三重県北牟婁郡海山町(1960年・1963年)
開館年 : 1929年6月
閉館年 : 1950年以後
1950年の映画館名簿では「相生座」。1960年・1963年の映画館名簿では「相生館」。

1929年6月、北牟婁郡相賀町に映画館「相生座」が開館した。こけら落としは岩井粂三郎・市川市十郎一座。*100
長島大洋館
所在地 : 三重県北牟婁郡長島町新田(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1976年以前
跡地は駐車場。「濱口熊嶽邸跡」の北側。最寄駅はJR紀勢本線紀伊長島駅。
長島中央劇場
所在地 : 三重県北牟婁郡長島町(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1976年以前

南牟婁郡御浜町

尾呂志会館
所在地 : 三重県南牟婁郡御浜町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
阿田和映画劇場/阿和田劇場
所在地 : 三重県南牟婁郡御浜町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前

南牟婁郡紀宝町

映画館名簿によると紀宝町に映画館は存在しなかったと思われる。

このページへのコメント

亀山劇場は1982年までは現存していました。
いまは駐車場になってます。

1
Posted by くまごろ 2019年06月18日(火) 13:54:01 返信

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