日本の映画館の総合データベースです。


金沢市

金沢市の映画館
金沢市で初めて映画が上映されたのは、1897年6月、香林坊の「福助座」でのことである。「騎兵の行進」、「仏国巴里市街の景況」、「海水浴の有様」、「仏国三美人の舞踊」のフィルムが上映された。金沢市に初めて常設映画館が開館したのは、1913年であり、香林坊下の菊水倶楽部である。菊水倶楽部の定員は700人だった。その他の常設映画館としては、尾張町に第二菊水倶楽部(後の昭和劇場)が、香林坊にスメル館が、下尾張町に大手館が、白菊町にキンシ館が開館している。1912年頃になると中央の資本が金沢市にも進出し、相次いで経営者が交代した。このころには香林坊に映画館が集中するようになり、香林坊に娯楽街が形成された。*1

1897年6月5日、金沢市香林坊の劇場「福助座」(現・松竹会館)において、石川県で初めて活動写真が上映された。1913年10月、香林坊下に金沢市初の常設映画館として「第一菊水倶楽部」が開館した。1914年6月には金沢市尾張町に「第二菊水倶楽部」が、7月には香林坊大神宮境内に「スメル館」が開館し、映画館は増加の一途をたどった。映画全盛期の1962年、石川県には73館の映画館があった。*2
立花座
所在地 : 石川県金沢市
開館年 : 不明
閉館年 : 1945年以前?
映画館名簿には掲載されていない。跡地は「香林坊東急スクエア」。
豊洲館
所在地 : 石川県金沢市香林坊境内(1930年)、石川県金沢市香林坊(1934年・1936年)
開館年 : 1927年以後1930年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前
1927年の映画館名簿には掲載されていない。1930年・1934年・1936年の映画館名簿では「豊洲館」。1941年の映画館名簿には掲載されていない。
帝国館/東宝館
所在地 : 石川県金沢市森下町(1925年・1927年・1930年・1936年)、石川県金沢市森下町101(1941年)、石川県金沢市森下町(1943年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「帝国館」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「帝国館」。1941年・1943年の映画館名簿では「東宝館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
帝国劇場
所在地 : 石川県金沢市高岡町新天地(1941年)、石川県金沢市長町川岸小路(1943年)
開館年 : 1936年以後1941年以前
閉館年 : 1943年以後1947年以前
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「帝国劇場」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。
金沢東宝映画劇場
所在地 : 石川県金沢市片町(1947年・1950年)
開館年 : 1943年以後1947年以前
閉館年 : 1950年以後1953年以前
1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「金沢東宝映画劇場」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。
金沢スメル劇場/スメル館
所在地 : 石川県金沢市香林坊(1925年・1927年)、石川県金沢市香林坊境内(1930年)、石川県金沢市香林坊(1934年・1936年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内(1941年)、石川県金沢市高岡町(1943年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-10(1947年)、石川県金沢市香林坊(1950年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内2(1953年)、石川県金沢市上藪ノ内1(1955年)
開館年 : 1914年7月
閉館年 : 1955年以後1958年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1913年12月開館。1925年・1927年・1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「スメル館」。1947年の映画館名簿では「金沢スメル劇場」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「スメル館」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年頃の「松竹座」と「スメル館」の写真あり。*3
大和劇場/金沢大和東映劇場
所在地 : 石川県金沢市片町71(1953年・1955年)、石川県金沢市片町(1960年)
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 1960年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「大和劇場」。1960年の映画館名簿では「金沢大和東映劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「片町きらら」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1953年7月4日、金沢市の「大和劇場」で北陸初のナイトショーが行われた。土曜・日曜・祝日とその前夜、21時30分から23時頃まで上映する。帰路は観客の家まで無料バスが運行される。*4

1959年10月14日、金沢市片町の東映封切館「大和東映劇場」が東映再映館に転向した。経営は北陸興業。10月22日に東映直営館「金沢東映」が開館するため。また、12月には「金沢日活」の開館も予定されている。*5

1962年頃の金沢市にあった映画館「大和劇場」の写真あり。「大和劇場」や「Daiwa Toei」の文字が見える。『銀座の若大将』や『流し雛』や『愛染かつら』の看板が見える。大和に併設されており、デパートでの買い物や食堂での食事とセットで楽しまれた。*6
第二菊水/第二菊水倶楽部/昭和劇場
所在地 : 石川県金沢市(1925年)、石川県金沢市尾張町84(1927年・1930年)、石川県金沢市尾張町(1934年)、石川県金沢市尾張町84(1936年・1941年)、石川県金沢市尾張町(1943年・1947年・1950年)、石川県金沢市尾張町84(1953年・1955年・1958年)、石川県金沢市尾張町(1960年)
開館年 : 1913年? 1916年4月?
閉館年 : 1961年4月5日
『全国映画館総覧 1955』によると1916年4月開館。1925年の映画館名簿では「第二菊水倶楽部」。1927年の映画館名簿では「第二菊水館」。1930年の映画館名簿では「第二菊水」。1934年・1936年の映画館名簿では「第二菊水倶楽部」。1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「昭和劇場」。1959年の住宅地図では「昭和劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「太陽生命金沢ビル」建物南側。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1938年の尾張町に開館した際の「昭和劇場」の写真あり。大正時代に開館した映画常設館「第二菊水倶楽部」の後継館である。*7

1951年の金沢市尾張町にあった「昭和劇場」の写真あり。「大映北陸封切場」の文字が見える。大映作品『源氏物語』の開場を待つ観客が写っている。*8

『尾張町のむかし、いま、これから』には1956年の金沢市住宅明細地図の尾張町部分が掲載されており、地図中には「昭和劇場」も見える。*9

1960年6月1日、金沢市尾張町84の「昭和劇場」は東映・第二東映の再映館に転向した。経営は石谷興行。*10

1961年4月5日、金沢市尾張町84の松竹封切館「昭和劇場」が休館に入った。不況のため。営業再開時期は未定。経営は石谷興行。*11
森本会館
所在地 : 石川県河北郡森本町(1955年)、石川県金沢市森本町吉原(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1952年7月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年7月開館。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「森本会館」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の住宅地図では発見できず。
金沢ヘルスセンター
所在地 : 石川県金沢市東御影町244(1960年)、石川県金沢市東御影町(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「金沢ヘルスセンター」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「卯辰山公園」の頂上付近にある「卯辰山見晴らし台」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

標高141mの卯辰山(うたつやま)には四季を問わず多くの市民が訪れる。金沢城まで約2劼閥瓩、場内の様子が手に取るようにわかるため、江戸時代には庶民の入山はご法度だった。1867年(慶応3年)には加賀藩第14代藩主の前田慶寧が方針を転換し、芝居小屋や神社などを整備する開発を進めた。1914年には金沢市が所有者となり、都市公園としての整備を進めた。動物園・水族館・映画館・大浴場などがあった「金沢ヘルスセンター」の跡地は「見晴らし台」となっている。金沢ヘルスセンターは1958年に開業し、石川県最大の娯楽施設としてにぎわったが、娯楽の多様化などで1993年に閉館した。*12
金沢文化ホール/文化劇場/金沢文化劇場/丸越劇場
所在地 : 石川県金沢市青草町 大和デパート(1950年)、石川県金沢市青草町34(1953年・1955年・1960年・1963年)
開館年 : 1948年11月
閉館年 : 1963年
『全国映画館総覧 1955』によると1948年11月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「金沢文化ホール」。1953年の映画館名簿では「文化劇場」。1955年の映画館名簿では「金沢文化劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「丸越劇場」。1963年の住宅地図では「丸越百貨店」(※映画館への言及なし)。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は商業施設「ル・キューブ金沢」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1960年春のこのほど、金沢市青草町34の「丸越劇場」が日活上映館に転向した。経営は丸越興行。*13

1963年4月から8月の間に、金沢市の「丸越劇場」が廃館となって百貨店売り場に転業した。*14
金沢名画座
所在地 : 石川県金沢市高岡町上藪ノ内1(1960年)
開館年 : 1959年2月25日
閉館年 : 1963年6月18日
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「金沢名画座」。1960年の映画館名簿では経営者が大映興行、木造2階、定員560、新東宝を上映。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

1959年2月25日、金沢市高岡町上ノ内にある大映直営館「金沢大映名画座」は「金沢名画座」に改称し、大映の再映館から新東宝の封切館に転換した。*15

1960年6月8日、金沢市高岡町上藪ノ内1の「名画座」は新東宝封切と大映再映館となった。経営は大映興行。*16

1963年6月18日、「金沢名画座」が閉館した。*17
金石東映
所在地 : 石川県金沢市金石浜町14(1958年)、石川県金沢市金石浜町(1960年・1963年)、石川県金沢市金石浜14(1964年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1964年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「金石東映」。1958年・1963年の住宅地図では「金石東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「本昌寺」北西170mにある「瀬川経木」倉庫。最寄駅は北陸鉄道浅野川線三ツ屋駅。

1956年頃の北陸鉄道金石線金石駅の写真あり。「金石東映」の看板が見える。*18
益美金石劇場
所在地 : 石川県金沢市金石味噌屋町36(1960年)、石川県金沢市味噌屋町(1963年)、石川県金沢市金石味噌屋町(1966年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1966年頃
1958年の住宅地図には掲載されていない。1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「益美金石劇場」。1963年の住宅地図では「金石劇場」。1966年の住宅地図では「映画館」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「専長寺」北西70mにある民家。最寄駅は北陸鉄道浅野川線三ツ屋駅。
シネマパレス/金沢シネマパレス
所在地 : 石川県金沢市寺町3-4(1958年)、石川県金沢市寺町1-8(1960年)、石川県金沢市寺町1-6-37(1966年)
開館年 : 1957年1月
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「シネマ パレス」。1960年・1963年の映画館名簿では「シネマパレス」。1966年の映画館名簿では「金沢シネマパレス」。1966年の住宅地図では「シネマパレス」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「川原けんこう歯科」。最寄駅は北陸鉄道石川線野町駅。

1957年1月に新築された金沢市の「パレス・シネコ」の写真あり。*19
ムービ菊水/ムービー菊水/金沢ムービ菊水
所在地 : 石川県金沢市森下町10(1953年)、石川県金沢市森下町101(1955年・1958年・1960年)、石川県金沢市森下町10(1966年・1967年)
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年5月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「ムービ菊水」。1955年・1958年の映画館名簿では「ムービー菊水」。1960年の映画館名簿では「ムービ菊水」。1963年の映画館名簿では「ムービー菊水」。1963年の住宅地図では「映画ムービー菊水」。1966年の映画館名簿では「金沢ムービ菊水」。1967年の映画館名簿では「金沢ムービー菊水」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東山観光バス駐車場」北東部。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。
玉木座/共栄館/ムサシ東映/ムサシ映劇/金沢ムサシ映画劇場
所在地 : 石川県金沢市横安江町103(1936年・1941年)、石川県金沢市横安江町(1943年・1947年)、石川県金沢市横安江町60(1950年)、石川県金沢市横安江町103(1953年・1955年・1958年・1960年)、石川県金沢市安江町一番18(1966年)
開館年 : 1934年以後1936年以前
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧 1955』によると1947年7月開館。1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「玉木座」。1947年の映画館名簿では「共栄館」。1950年の映画館名簿では「金沢共栄館」。1953年・1955年の映画館名簿では「共栄館」。1958年の映画館名簿では「ムサシ東映」。1960年・1963年の映画館名簿では「ムサシ映劇」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「ムサシ映劇」。1966年の映画館名簿では「金沢ムサシ映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金沢彦三郵便局」北西80mの立体駐車場「タイムズ金沢近江町市場前」建物北西部。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。
金沢文化劇場/金沢キャピトル劇場/金沢大映劇場(長町川岸)/第二スメル館/ロマン菊水/金沢ロマン菊水
所在地 : 石川県金沢市長町川岸9(1941年)、石川県金沢市長町川岸小路(1943年・1947年)、石川県金沢市長町川岸9-1(1950年・1953年)、石川県金沢市長町川岸9(1955年)、石川県金沢市長町川岸9-1(1958年)、石川県金沢市長町川岸(1960年)、石川県金沢市長町川岸9(1963年)、石川県金沢市片町2-7-20(1966年・1967年)
開館年 : 1913年12月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1913年12月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年の映画館名簿では「金沢文化劇場」。1947年の映画館名簿では「金沢キャピトル劇場」。1950年の映画館名簿では「金沢大映劇場」。1953年の映画館名簿では「第二スメル館」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ロマン菊水」。1966年の住宅地図では「第二東映」。1966年・1967年の映画館名簿では「金沢ロマン菊水」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「香林坊きららパーク」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1959年5月12日、金沢市大藪小路の日活封切館「日活ロマン」が「ロマン東映」に改称し、東映再映と東映テレビ映画上映館となった。館主は松本由。*20

1960年3月1日には第二東映が発足し、各地で第二東映上映館への転向が相次いでいる。金沢市長町川岸1-1の東映再映館「ロマン菊水」は「第二東映ロマン」に改称して第二東映上映館に転向した。*21
金沢小劇場
所在地 : 石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-36(1965年)、石川県金沢市香林坊2-14-15(1966年・1969年)、石川県金沢市香林坊2-1-5(1973年)、石川県金沢市香林坊2-14-15(1974年)
開館年 : 1964年頃
閉館年 : 1974年頃
1964年の映画館名簿には掲載されていない。1965年・1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「金沢小劇場」。1966年の住宅地図では「小劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「香林坊東急スクエア」中央部。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。
北国会館/金沢北国会館/金沢シネラマ会館
所在地 : 石川県金沢市並木町34(1958年)、石川県金沢市並木町74(1960年)、石川県金沢市並木町72(1966年・1969年)、石川県金沢市橋場町9-20(1973年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1975年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「北国会館」。1966年の住宅地図では「北国会館」。1966年・1969年の映画館名簿では「金沢北国会館」。1973年の映画館名簿では「金沢シネラマ会館」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「浅の川ハイム」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1962年3月15日、金沢市の「金沢市北国会館」が洋画専門の70ミリ劇場として新発足した。*22

1966年8月12日、金沢市の北国会館において『バルジ大作戦』の招待試写会が開かれた。北陸3県から中西陽一石川県知事ら約600人が招待された。8月13日には日本海沿岸唯一のシネラマ専門館「北国シネラマ会館」として再出発する。シネラマ専門館は東京・大阪・名古屋に1館ずつしかなく、全国で4番目のシネラマ専門館になるという。*23
尾山倶楽部/北国第一劇場/金沢北国第一劇場
所在地 : 石川県金沢市並木町74(1950年・1953年・1955年・1958年)、石川県金沢市並木町(1960年)、石川県金沢市並木町72(1963年・1966年・1969年)、石川県金沢市橋場町9-20(1973年)
開館年 : 1897年、1950年2月
閉館年 : 1975年
『全国映画館総覧 1955』によると1950年2月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「尾山倶楽部」。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「北国第一劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「金沢北国第一劇場」。1966年の住宅地図では「北国第一劇場」。1973年の映画館名簿では「金沢北国第一劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「パストラルハイム橋場」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

金沢市の浅野川の河岸に細長く伸びるのが並木町。1970年代以降にはマンションの建設が進んだが、かつては劇場や料亭が軒を連ねる市内屈指の繁華街だった。泉鏡花の出世作『義血侠血』でもにぎわいが描かれており、泉鏡花が好んで散歩した河岸の道は「鏡花のみち」と名づけられている。加賀藩3代藩主の前田利常の時代に、護岸工事のために松が植えられたことが、並木町という名称の由来。この松並木は石川県の天然記念物に指定されている。話題の映画が封切られると、街の端まで観客の行列が伸びたといい、映画鑑賞後の客で料亭や居酒屋がにぎわったという。1975年には映画館が閉館し、閉店する飲食店が相次いだ。跡地はマンションに変わっていった。1960年代の住居表示変更時には並木町が橋場町の一部となったが、その後は旧町名への変更運動が行われ、2006年に並木町という町名が復活した。*24

1957年3月17日、金沢市の「北国第一劇場」隣接地に新劇場が新築される。6月末までに完成する予定である。鉄筋造3階建て、250坪、冷暖房完備。総工費3500万円。現在の劇場は完成後に改築し、「北国会館」として各種催しに開放する予定。。*25

1975年には金沢市並木町の映画館「北国第一劇場」が閉館したが、赤土町の大畑雅則さん(75)宅で北国第一劇場の宣伝チラシ80点が確認された。北国第一劇場は洋画の封切館であり、欧米のファッションや文化の窓口だった。石川県興行生活衛生同業組合はコレクションを評価しており、大畑さんは依頼があれば博物館などに寄贈したいという。北国第一劇場の前身は戦前に建てられた芝居小屋「尾山座」であり、1948年に映画館となると、洋画の封切館としては金沢一の人気を誇った。*26
スカラ座/金沢スカラ座
所在地 : 石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-1(1958年・1960年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-1(1963年)、石川県金沢市香林坊2-1-15(1966年・1969年)、石川県金沢市香林坊2-14-15(1973年)、石川県金沢市香林坊2-1-5(1975年)
開館年 : 1896年
閉館年 : 1975年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スカラ座」。1966年の住宅地図では「スカラ座」。1966年・1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「金沢スカラ座」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「香林坊東急スクエア」南部。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1960年3月、金沢市高岡町の洋画再映館「スカラ座」が新東宝封切館と洋画再映館となった。支配人は黒田正広。*27

1960年6月1日、金沢市高岡町上藪ノ内1-1の「スカラ座」は洋画封切専門館となった。*28
パリー菊水/金沢パリー菊水/金沢パリー
所在地 : 石川県金沢市長町川岸9-1(1958年)、石川県金沢市長町川岸(1960年)、石川県金沢市大藪小路1-1(1963年)、石川県金沢市片町2-7-19(1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1979年)
開館年 : 1955年7月1日
閉館年 : 1979年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「パリー菊水」。1966年の住宅地図では「パリー菊水」。1966年・1969年・1973年・1976年・1978年の映画館名簿では「金沢パリー菊水」。1979年の映画館名簿では「金沢パリー」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「香林坊きららパーク」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1955年7月1日、金沢市の香林坊に「パリー菊水」が開館した。オープニングはFOX作品『帰らざる河』。経営は菊水チェーン。鉄筋コンクリート造4階建て。定員600人。50馬力の電気冷暖房装置を完備している。北陸地方初の本格的シネスコ専門館である。*29
スタア劇場/金沢スター劇場/金沢スタア劇場
所在地 : 石川県金沢市大音町21(1958年・1960年・1963年)、石川県金沢市石引町3-5-24(1966年・1969年・1973年)、石川県金沢市石引3-5-24(1973年・1980年)
開館年 : 1954年
閉館年 : 1984年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スタア劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「金沢スター劇場」。1980年の映画館名簿では「金沢スタア劇場」。1980年の住宅地図では「スター映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「松原病院」南東180mにある駐車場。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1982年の金沢市石引町にあった「スタア劇場」の写真あり。「スタア劇場」の文字が見える。洋画が中心だった。*30
テアトル東映/テアトルムサシ/金沢テアトル
所在地 : 石川県金沢市彦三八番丁(1960年・1963年)、石川県金沢市彦三町2-1-13(1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年・1985年・1990年・1992年・1994年)
開館年 : 1958年6月25日
閉館年 : 1993年
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「テアトル東映」。1963年の映画館名簿では「テアトル・ムサシ」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「テアトル東映」。1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年・1980年・1985年・1990年・1992年・1994年の映画館名簿では「金沢テアトル」。1994年の映画館名簿では経営会社が北陸興業、経営者が浅田恒二、支配人が町村正一、鉄筋造2階、298席、洋画を上映。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金沢彦三郵便局」北120mの有料駐車場「名鉄協商パーキング金沢彦三町第2」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1958年6月25日、金沢市に東映封切館「テアトル東映」が開館した。鉄筋コンクリート造3階建て。椅子席530。工事費4000万円。冷暖房完備。経営は北陸興業株式会社であり、同社のモデル劇場となる。*31

金沢市彦山町の賃貸マンション「彦三テアトルハイツ」の壁面には、『ベン・ハー』『ウエストサイドストーリー』『風と共に去りぬ』などのタイル画が描かれている。マンションの所有者は北陸興業であり、1958年から1993年までこの場所で映画館「金沢テアトル会館」を経営していた。*32
109シネマ
所在地 : 石川県金沢市香林坊2-1-1(1989年・1990年・1992年・1995年・1996年)
開館年 : 1988年頃
閉館年 : 1996年頃
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1989年・1990年・1992年・1995年・1996年の映画館名簿では「109シネマ」。1992年の映画館名簿では経営会社がTMD、経営者・支配人ともに楢原龍一、鉄筋造4階、103席、洋画を上映。1997年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。
松竹座/金沢松竹座/金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2/金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2・金沢シネマピカデリー
所在地 : 石川県金沢市香林坊(1925年・1927年)、石川県金沢市香林坊境内(1930年)、石川県金沢市香林坊(1934年・1936年・1941年)、石川県金沢市高岡町(1943年・1947年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-1(1950年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1(1953年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-1(1955年・1958年)、石川県金沢市高岡町上藪ノ内1-2(1960年・1963年)、石川県金沢市香林坊2-13-13(1966年)、石川県金沢市片町2-7-19(1990年)
開館年 : 1893年、1955年12月29日、1978年
閉館年 : 1997年10月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1937年6月開館。1925年・1927年・1930年・1934年の映画館名簿では「松竹座」。1936年・1941年の映画館名簿では「金沢松竹座」。1943年の映画館名簿では「松竹座」。1947年の映画館名簿では「松竹館」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「松竹座」。1966年・1969年の映画館名簿では「金沢松竹座」。1966年の住宅地図では「松竹会館」。1980年の映画館名簿では「金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2」(3館)。1990年・1995年の映画館名簿では「金沢松竹座・金沢シネマ1・金沢シネマ2・金沢シネマピカデリー」(4館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1955年頃の「松竹座」と「スメル館」の写真あり。*33

1955年12月に新装開館した金沢市の「松竹座」の写真あり。「新装開館12月29日大公開」の文字や『大江戸出世双六』や『君美しく』の看板が見える。*34

1997年10月31日、金沢市片町2丁目の香林坊シネマビルで最後の興行が行われ、19年の歴史に幕を下ろした。経営は金沢市の松本興行。特別なイベントなどは開催されていない。香林坊シネマビルにはシネマ1・シネマ2・シネマピカデリー・金沢松竹座の4映画館が入っている。1978年から松竹系洋画を上映してきたが、シネコンの開館などを機に閉館が決定した。週明けにも建物の取り壊し工事が始まり、1997年内には取り壊し工事が終了する予定。跡地について当面は有料駐車場となる。*35

1997年10月31日、松竹関西興行の「金沢シネマ1・2・ピカデリー」が閉館した。*36
金沢劇場
所在地 : 石川県金沢市片町10(1941年)、石川県金沢市片町(1943年)、石川県金沢市片町10(1953年・1955年・1958年)、石川県金沢市片町(1960年)、石川県金沢市片町10(1963年・1973年)、石川県金沢市片町1-7-23(1975年・1978年・1980年・1982年・1985年・1988年・1995年・1998年)
開館年 : 1936年11月
閉館年 : 1998年4月5日
『全国映画館総覧 1955』によると1936年11月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1985年・1988年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「金沢劇場」。1966年の住宅地図では「金沢劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金劇パシオン」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1962年の金沢市にあった映画館「金沢劇場」の写真あり。『吼えろ脱獄囚』や『南の島に雪が降る』の看板が見える。「いつも楽しい東宝映画」などの文字が見える。1936年に開業した。東宝の作品を上映した。2019年現在の金劇パシオンの場所にあった。*37

1998年1月13日、金沢市の北陸興業は片町1丁目の金劇ビルを取り壊して総合テナントビルを建設する計画を明らかにした。金劇ビルに入っている映画館「金沢劇場」は1998年4月5日をもって閉館し、4月中旬から取り壊し工事に入る予定である。1936年開館の金沢劇場は、石川県で営業中の映画館としては最も古い。1964年には現在の金劇ビルが竣工し、東宝系邦画を中心に上映していた。北陸興業は東宝系邦画の上映館を金沢プラザ劇場に移す予定である。新築する総合テナントビルは1999年4月完成予定であり、鉄骨造、地下1階・地上7階建。名称は未定だが「金劇」の2文字は残す予定である。*38

1998年4月5日、金沢市片町1丁目の映画館「金沢劇場」が閉館する。1936年に木造2階建て600席の映画館として開館。1964年に鉄筋コンクリート造5階建てのビルを新築した。1965年の『東京オリンピック』、1973年の『日本沈没』、1979年の『ああ野麦峠』、1980年の『天平の甍』などがヒットした。老朽化した建物は取り壊され、1999年4月には7階建てにビルに建て替えられる予定。*39

1998年4月5日、金沢市片町1丁目の映画館「金沢劇場」で最後の興行が行われた。61年の歴史に幕を閉じた。経営は北陸興業。4月4日までは「さよならフェスティバル」と称した特別企画を行っていたが、4月5日は通常のプログラムとして『ドラえもん のび太の南海大冒険』を上映した。春休み最後の日曜日であり、関内は親子連れでにぎわった。これから金劇ビルは取り壊され、1999年4月には総合テナントビルとして生まれ変わる予定。金沢劇場で上映されていた東宝系邦画は、香林坊映画街の金沢プラザ劇場で上映される。*40
日活館/金沢日活館/金沢日活/金沢日活劇場/金沢日活劇場・金沢プラザ劇場/金沢にっかつ劇場・金沢プラザ劇場/ロッポニカ金沢・金沢プラザ劇場/金沢プラザ劇場
所在地 : 石川県金沢市大藪小路(1947年・1950年)、石川県金沢市大藪小路4-2(1953年・1955年)、石川県金沢市大藪小路(1960年)、石川県金沢市長町川岸16(1963年)、石川県金沢市片町2-9-2(1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1985年・1988年・1990年・1992年・1995年・1998年・1999年)
開館年 : 1912年5月、1959年12月6日
閉館年 : 1999年11月29日
『全国映画館総覧 1955』によると1912年5月開館。1947年の映画館名簿では「金沢日活館」。1950年の映画館名簿では「日活館」。1953年・1955年の映画館名簿では「金沢日活館」。1960年の映画館名簿では「金沢日活」。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「金沢日活劇場」。1966年の住宅地図では「金沢日活」。1978年・1980年の映画館名簿では「金沢日活劇場・金沢プラザ劇場」(2館)。1982年・1985年・1988年の映画館名簿では「金沢にっかつ劇場・金沢プラザ劇場」(2館)。1990年の映画館名簿では「ロッポニカ金沢・金沢プラザ劇場」(2館)。1992年・1995年・1998年・1999年の映画館名簿では「金沢プラザ劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「ニュー香林坊パーキング」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1957年頃の「金沢日活館」の写真あり。「HOME OF AMERICAN MOVIE」の文字が見える。*41

1959年5月下旬、金沢市香林坊で「金沢日活」の地鎮祭が行われた。11月末に竣工する予定。*42

1959年12月6日、金沢市に日活直営館「金沢日活劇場」が開館する予定。定員650。日活はこれまで金沢市に直営館を持っていなかった。*43

1959年12月6日、金沢市香林坊に日活直営館「金沢日活劇場」が開館した。1959年6月から工費約1億円で建設中だった。ワンスロープ式、椅子席650。冷暖房完備。*44

1959年12月に開館した金沢市の「日活」に殺到する観客の写真あり。「Nikkatsu Theatre」「12月6日開場 歌う日活スターまつり 小林旭 浅丘ルリ子 筑波久子」の文字が見える。『黒幕は誰だ』『事件記者 深夜の目撃者』などの看板が見える。*45

1974年10月、日活直営館の「金沢日活」が休館を終えて再開館した。*46

1999年11月29日までに、金沢市片町2丁目の映画館「金沢プラザ劇場」での興行が打ち切られた。経営は金沢市で映画館3館を経営してきた北陸興業。シネコンの興隆による苦渋の決断だった。香林坊映画街の映画館数は、この10年で10館から4館に減ることとなった。金沢プラザ劇場の建物は、1959年に日活の直営館「金沢日活」として開館した。やがて劇場の所有権は東急電鉄に移り、1992年に北陸興業が建物の貸借契約を結び、東宝系の洋画と邦画を上映していた。ここ数年は興行成績が低迷し、建物の老朽化も進行したため、12月の契約更新を行わない決断を下した。1989年の香林坊映画街には10館の映画館があったが、1997年10月に香林坊シネマビルの4館が閉館するなどし、金沢プラザ劇場の閉館によって4館のみとなった。金沢プラザ劇場は座席数610席の平屋建て。日活時代には石原裕次郎の『銀座の恋の物語』や『黒部の太陽』などがヒットし、最近では『ドラえもん』の上映館として家族連れに親しまれた。上映は11月28日で終了し、11月29日には備品などの搬出作業が行われた。*47

1999年12月1日付『北陸中日新聞』金沢市版には、プラザ劇場の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。*48

1999年12月1日付『読売新聞』金沢市版には、プラザ劇場の閉館を伝える記事が掲載されている。現物は未確認。*49

1959年には金沢市片町2丁目に金沢プラザ劇場の建物が建てられた。地下1階・地上3階建て。1999年には老朽化により、金沢プラザ劇場が閉館した。2002年からは中心市街地活性化策として、学生の文化活動拠点「香林坊ハーバー」として利用されている。*50
駅前文化劇場/金沢文化劇場・金沢ロキシー劇場/金沢ニュー東宝1・2
所在地 : 石川県金沢市此花町6-10 金沢都ホテル地下2階(2000年)
開館年 : 1962年12月20日
閉館年 : 1992年頃(金沢文化劇場・金沢ロキシー劇場)、2001年2月28日(金沢ニュー東宝)
1960年の映画館名簿には掲載されていないと思われる。1963年の映画館名簿では「駅前文化劇場」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「地下 ロキシー座 文化劇場」。1966年・1969年・1973年・1980年・1990年の映画館名簿では「金沢文化劇場・金沢ロキシー劇場」(2館)。1992年頃に金沢文化劇場と金沢ロキシー劇場が閉館。その後金沢ニュー東宝が開館。1995年・2000年の映画館名簿では「金沢ニュー東宝1・金沢ニュー東宝2」(2館)。2001年2月28日に金沢ニュー東宝が閉館。2002年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は現存する「金沢都ホテル」地下2階。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1962年12月20日、金沢市に洋画封切館の70ミリ劇場「ロキシー劇場」が開館する。地上7階・地下3階建ての金沢ビルの地下1・2・3階を用いたスタジアム式の劇場である。収容人員461人。経営は瀬川朝秀社長の富山合同興業であり、6館目の直営館で初の県外進出となる。*51

2001年2月末をもって、金沢市此花町の映画館「金沢ニュー東宝1」と「金沢ニュー東宝2」が閉館する。両館を経営する東宝中部興行が1月19日までに決定した。外資系のシネコンに観客を場われた形。1993年12月、金沢都ホテル地下街の「ロキシー劇場」と「文化劇場」の跡地を利用して両館が開館した。座席数は金沢ニュー東宝1が309席、金沢ニュー東宝2が120席。東宝系洋画を中心として上映した。1997年10月以降には石川県に3施設のシネコンが開館しており、金沢ニュー東宝は徐々に業績が悪化していた。現在の石川県には33スクリーンがあり、スクリーン数は人口比では全国平均の1.5倍である。33スクリーンすべてが金沢市とその周辺に集中しており、金沢都市圏は全国屈指の映画館激戦区となっている。シネコン進出以前の金沢市中心市街地には13館があったが、金沢ニュー東宝が閉館すると半分以下の6館となる。金沢都ホテルを所有する近畿日本鉄道は、映画館跡地の活用方法について「現段階では答えられない」としている。*52

2001年2月28日をもって、中部興行が経営する「金沢ニュー東宝1・2」が閉館した。*53

2012年6月23日付『北陸中日新聞』金沢市版には、ロキシー劇場跡地がカナザワ映画祭の会場となることを伝える記事が掲載されている。現物は未確認。*54
金沢東映/金沢東映劇場/金沢東映劇場・金沢東映パラス劇場/金沢東映劇場・金沢東映2
所在地 : 石川県金沢市大藪小路(1960年)、石川県金沢市長町1-1(1963年・1964年)、石川県金沢市長町1番丁1(1965年)、石川県金沢市片町3-9(1966年・1969年・1973年・1974年)、石川県金沢市片町2-9-1(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1959年10月、1972年12月(2館化)
閉館年 : 2001年4月6日
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「金沢東映」。1963年の映画館名簿では「金沢東映劇場」。1964年・1965年の映画館名簿では「金沢東映」。1964年の映画館名簿では経営者が東映、支配人が青木二郎、鉄筋造4階冷暖房付、定員1200、東映を上映。1966年の住宅地図では「金沢東映」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「金沢東映劇場」。1966年の映画館名簿では経営者が東映、支配人が植木正治、鉄筋造3階冷暖房付、定員672、東映を上映。1974年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映パラス」(2館)。1976年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映パラス劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映パラス」(2館)。1985年・1990年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映パラス劇場」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「金沢東映劇場・金沢東映2」。2002年の映画館名簿には掲載されていない。東映劇場が1階、東映2が2階。跡地は駐車場。跡地は有料駐車場「ニュー香林坊パーキング」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1959年10月中旬、金沢市長野1-1に東映直営館「金沢東映」が開館する予定。延床面積1320平方メートル。鉄骨鉄筋造、地下1階・地上4階建て。冷暖房設備あり。収容人員1200人。*55

1959年内に東映は全国に6直営館を開館させる。9月12日には「津東映」、10月10日には「釧路東映」、10月22日には「金沢東映」、11月3日には「名古屋第二東映」、12月12日には「八幡東映」、12月24日には「和歌山東映」が開館する。年末までに直営館は62館となる。*56

1959年10月に開館した「金沢東映」の写真あり。『百万両五十三次』『天下の伊賀越 暁の血戦』の看板が見える。*57

東映の直営館を見ると、1972年12月に「金沢東映パラス」と「横浜東映」と「盛岡東映パラス」が開館し、1973年3月に「小倉東映パラス」と「黒崎東映パラス」が開館し、5月に「新宿名画座」が開館し、6月に「福岡グランド」と「浅草名画座」が開館し、7月に「富山東映パラス」が開館した。1972年7月には「鹿児島東映」が閉館し、1973年1月には「岩見沢東映」が閉館し、2月には「八幡東映」が閉館し、3月には「関西東映・関西小劇場」が閉館した。*58

1990年から1991年のこのほど、東映系の8劇場で名称変更があった。秋田東映パラスが「秋田東映シネマ2」に、新潟東映ミラノが「新潟東映パラス」に、横須賀東映パラスが「横須賀東映シネマ2」に、高知東映パラスが「高知東映シネマ2」に、鳥取東映パラスが「鳥取東映シネマ2」に、金沢東映パラスが「金沢東映2」に、富山東映パラスが「富山東映2」に、熊本東映パラスが「熊本東映シネマ2」に改称した。*59

2001年4月6日をもって、金沢市片町2丁目の映画館「金沢東映1・2」が閉館する見込みとなった。東映劇場管理部は、「採算が厳しい状態にある。まだ正式に決定していないが、閉館も選択肢の一つだ」としている。金沢都市圏への相次ぐシネコンの進出によって採算が厳しくなったため。1998年に10館あった香林坊映画街の映画館数は、金沢東映1・2の閉館によって2館のみとなる。*60

2000年4月のこのほど、東映直営館「新潟東映」「新潟東映パラス」「金沢東映」「金沢東映2」が閉館した。*61
金沢大映/金沢大映劇場/金沢グランド劇場/金沢グランド劇場・金沢グランドスカラ座
所在地 : 石川県金沢市大藪小路(1960年)、石川県金沢市大藪小路3-1(1963年)、石川県金沢市片町2-9-3(1966年・1969年・1979年・1980年・2000年・2002年)
開館年 : 1914年(金沢大映劇場)、1958年12月下旬(建て替え)、1979年頃(金沢グランド劇場)
閉館年 : 1971年(金沢大映劇場)、2002年9月1日(金沢グランド劇場)
1960年の映画館名簿では「金沢大映」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「金沢大映劇場」。1966年の住宅地図では「金沢大映」。1973年・1976年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1979年の映画館名簿では「金沢松竹座」。1980年の映画館名簿では「金沢グランド劇場」。1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「金沢グランド劇場・金沢グランドスカラ座」(2館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「グランドパーキング」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1958年12月下旬、金沢市に「金沢大映」の新館が開館する。7月から工費7400万円で新築中だった。現在の金沢大映は「大映名画座」に改称して邦画再映館に転向する。*62

2002年6月15日付『北國新聞』には、9月に金沢市の映画館「金沢グランド劇場」と「グランドスカラ座」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*63

2002年9月1日をもって、金沢市の映画館「金沢グランド劇場」と「グランドスカラ座」が閉館する。2001年2月から4月にはJR金沢駅前や「香林坊映画街」の4館が閉館しており、1913年に始まった「香林坊映画街」から映画館が消滅する。金沢市中心部の映画館は香林坊109のミニシアター「シネモンド」と成人映画館「駅前シネマ」のみとなる。金沢グランド劇場の観客数は2割にまで落ち込んでいた。*64

2002年9月1日をもって、金沢市の映画館「金沢グランド劇場」と「グランドスカラ座」が閉館する。8月31日には中高年を中心とする映画ファンが多数詰めかけた。8月24日からは「ザ・ラスト・ピクチャーショー」を開催しており、最終日の9月1日には西部劇『ワイルド・バンチ』が4回上映される。1913年に始まった「香林坊映画街」が消滅する。*65
駅前シネマ/金沢駅前シネマ
所在地 : 石川県金沢市鍛冶町(1960年)、石川県金沢市鍛冶町118(1963年)、石川県金沢市笠市町6-10(1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2018年・2020年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2020年3月31日
Wikipedia : 駅前シネマ
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「駅前シネマ」。1966年の北陸刊行社住宅明細図では「駅前シネマ」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「金沢駅前シネマ」。2020年の映画館名簿では経営会社が株式会社駅前シネマ、経営者・支配人ともに藤岡紫浪、224席。2022年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「乗善寺」南東40mの2020年竣工のマンション「グラスマティネ金沢」。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1988年の金沢市にあった「駅前シネマ」の写真あり。2019年現在も、別院通りから小道に入った場所で成人映画館として営業している。*66

JR金沢駅近くの住宅街にはピンク映画専門館「駅前シネマ」がある。1958年に開館した時から二番館だった。現在の支配人の藤岡紫浪(54)は高校生の時から編成を担当し、『網走番外地』や『不良番長シリーズ』やお色気作品などを中心に組んだ。藤岡は1947年生まれ。父は藤岡が生後間もなく家を出て、母は藤岡が中学1年生の時に家を出た。藤岡には両親がいなくなり、可愛がってくれる祖父母の元、進学校から現役で金沢大学に進んだ。金沢大学では映画研究会に入ったが、ヤクザ映画を称賛しても理解されなかったためすぐに退会した。大学卒業後に駅前シネマの支配人となり、1978年に「駅前シネマニュース」を創刊。2002年10月には「駅前シネマニュース」が創刊24年を迎える。月刊の4ページ立てであり、藤岡やフリーライターが映画批評などを行う。バブル期には200坪の土地に4億円の価格がついたが、藤岡は売る気がなかった。藤岡の著書には『映画館番外地』がある。*67

JR金沢駅東口から東別院に抜ける住宅街にある「駅前シネマ」は48年前から建っている。切符のもぎりは今も昔も金沢大学の男子学生である。売店にはアンパン、さきいか、バターピーナッツなどが並び、薄い壁を通して喘ぎ声が館内に響く。「駅前シネマニュース」は2006年2月で329号を数える。上映作品の紹介のほかに、映画を通じて世相を切り取る藤岡紫浪支配人(58)のコラムなどが人気であり、県外にも愛読者は多い。金沢大学が角間に移転したことで学生客は減少したが、50代以上の常連客は少なくない。*68

JR金沢駅近くには藤岡紫浪(64)が経営する映画館「駅前シネマ」がある。藤岡は石川県興行生活衛生同業組合で10年間にわたって理事長を務め、2011年には紫綬褒章を受章している。1958年には駅前シネマが開館。*69

JR金沢駅に近い路地裏には成人映画館「駅前シネマ」がある。1958年、現在の支配人である藤岡紫浪(71)の祖父が一般映画の二番館として開館させた。藤岡紫浪は金沢大学卒業と同時に経営を引き継ぎ、日活ロマンポルノの登場を機に成人映画に軸足を移した。最盛期には一晩で学生ら500人の観客があったという。現在の売り上げは最盛期の半分に満たない月200万円足らず。観客の大半は、年配の常連客と、非日常の装いや出会いを楽しむ人々である。ここ5年ほどは成人映画の封切りが激減したため、上映する作品の中心は10-20年前の旧作である。入場料は一般1500円、学生と60歳以上1100円。18歳未満は入場負荷。土曜日はレイトショーもある。*70

「金沢駅前シネマ」に言及している書籍として、高瀬進『ピンク映画館の灯 暗闇が恋しい都市の隠れ家』自由国民社、2001年がある。*71

「駅前シネマ」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*72

「金沢駅前シネマ」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。*73

「駅前シネマ」に言及している雑誌記事として、「大高宏雄のファイトシネクラブ 金沢『駅前シネマ』が閉館」『キネマ旬報』2020年4月15日がある。現物は未確認。*74

「駅前シネマ」に言及している雑誌記事として、「TEMPO スクリーン カチンコ閻魔帳 北陸最後の成人映画館」『週刊新潮』2020年4月9日がある。現物は未確認。*75

倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。*76
ルネス9シネマ/ユナイテッド・シネマ金沢
所在地 : 石川県金沢市高柳町1-70-1(1998年・2000年・2002年・2005年・2008年・2010年・2015年・2018年・2020年)
開館年 : 1997年10月11日
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1998年・2000年・2002年の映画館名簿では「ルネス9シネマ1-9」(9館)。1998年の映画館名簿では経営会社がUCIジャパン、経営者がアダム ガワー、支配人が西原繁樹、鉄筋造1階。2005年・2008年・2010年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ金沢1-9」(9館)。UCとしては日本第2号店。金沢市初のシネコン。9スクリーンのシネコン。最寄駅はIRいしかわ鉄道線東金沢駅。

1997年10月11日、金沢市高柳町1-70-1に9スクリーンの「ルネス9シネマ」が開館した。経営はUCIであり、「OTSU7シネマズ」に次ぐ第2号店である。*77
シネモンド
所在地 : 石川県金沢市香林坊2-1-1 香林坊109ビル4階(1999年・2000年・2002年・2005年・2008年・2010年・2015年・2018年)、石川県金沢市香林坊2-1-1 香林坊東急スクエア4階(2020年)
開館年 : 1998年12月19日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネモンド
1998年の映画館名簿には掲載されていない。1999年・2000年の映画館名簿では「シネ・モンド」。1999年の映画館名簿では経営会社が有限会社ユーロスペース、経営者が堀越謙三、支配人が土肥悦子、鉄筋造4階、103席、洋画を上映。2002年・2005年・2010年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「シネモンド」。2008年の映画館名簿では経営会社が有限会社シネモンド、経営者が土肥悦子、支配人が上野克、鉄筋造4階、90席、邦画・洋画を上映。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。

1998年12月19日、金沢市香林坊2の「KOHRINBO 109」4階にミニシアター「シネモンド」が開館する。かつて「ホール109」として自主上映やミニコンサートやイベントが行われていたスペースである。総支配人は自主上映団体シネモンドの代表だった土肥悦子であり、土肥はユーロスペースで配給に携わっていたこともある。1997年11月にはイランのアッバス・キアロスタミ監督を金沢に招いて上映会を開催した。ユーロスペースが出資し、法人化したシネモンドが運営を担当する。オープニング作品はインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』。*78

「シネモンド」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*79

「シネモンド」に言及している雑誌記事として、土肥悦子「2000年代日本映画ベスト・テン 00年代の記憶 土肥悦子(シネモンド代表)闘いと挫折、必死で突っ走った10年」『キネマ旬報』2020年7月15日がある。現物は未確認。*80
ワーナー・マイカル・シネマズ金沢/イオンシネマ金沢
所在地 : 石川県金沢市福久町6街区18番 金沢サティ3階(2002年)、石川県金沢市福久2-58 金沢サティ3階(2005年・2008年)、石川県金沢市福久2-58 イオン金沢店3階(2015年・2018年・2020年)
開館年 : 2000年4月21日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2002年・2005年・2008年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ金沢1-8」(8館)。2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ金沢1-8」(8館)。金沢市で2番目に開館したシネコン。最寄駅はIRいしかわ鉄道線森本駅。

2000年4月21日、金沢市福久町6街区18番 金沢サティ3階に「ワーナー・マイカル・シネマズ金沢」が開館した。8スクリーンを有する。*81
イオンシネマ金沢フォーラス
所在地 : 石川県金沢市堀川新町3番1号 金沢フォーラス7階(2008年・2010年・2015年・2018年・2020年)
開館年 : 2006年11月
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2008年・2010年の映画館名簿では「イオンシネマ金沢フォーラス1-9」(9館)。2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ金沢フォーラス シネマ1-9」(9館)。金沢市で3番目に開館したシネコン。最寄駅はJR・IRいしかわ鉄道金沢駅。
金沢コロナシネマワールド
所在地 : 石川県金沢市無量寺第二地区整理事業施行地内20街区(2010年)、石川県金沢市無量寺4丁目121番地1(2015年・2018年・2020年)
開館年 : 2008年11月
閉館年 : 営業中
2008年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「金沢コロナシネマワールド1-10」(10館)。金沢市で4番目に開館したシネコン。最寄駅は北陸鉄道浅野川線三ツ屋駅。

2008年11月、金沢市無量寺の大型商業施設「アピタタウン金沢ベイ」に大型レジャー施設「金沢コロナワールド」が開業した。シネコンの「金沢コロナシネマワールド」は、107席から346席の10スクリーン・計1489席。金沢市では10月に同様の施設を持つ「ルネスかなざわ」が閉館したばかりである。*82

2015年12月18日、金沢コロナシネマワールドに北陸地方で初めて体感型シアター「4DX」が導入される。スクリーンのアクションシーンなどに合わせて、座席が前後上下に動いたり、背中や尻の部分が振動したりする。壁面や座席から風・雨・シャボン玉・香りが出たりする。同日に公開される『スター・ウォーズ フォースの覚醒』が皮切り。*83

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