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所在地 : 群馬県桐生市浜松町(1943年)
開館年 : 1911年
閉館年 : 1945年12月31日
桐生市浜松町2丁目の「桐生帝国座」。1900年3月22日、芝居小屋「新松座」が開館し、1911年には建物を改築して「帝国座」に改称した。1915年7月には活動写真専門館に転向したが、約3年後には再び芝居小屋に転向し、芝居の公演と映画の上映を半分ずつ行った。1945年12月31日に出火し、1947年に閉館した。*8
1915年7月、桐生町浜松町の芝居小屋「桐生帝国座」が活動写真専門館に転向した。約3年後には再び芝居小屋に戻り、活動写真と芝居を半々で興行する形を取った。*9
戦前の桐生市には映画館として、「電気館」、「能楽館」、「活動館」、「帝国座」、「常盤館」、「桐生キネマ」などがあった。帝国座は火災で焼失した。*10
1945年4月2日、桐生市の「帝国座」で井上正夫の劇団公演が催された。*11
1945年12月30日、桐生市浜松町の「帝国座」が焼失した。*12
開館年 : 1911年
閉館年 : 1945年12月31日
桐生市浜松町2丁目の「桐生帝国座」。1900年3月22日、芝居小屋「新松座」が開館し、1911年には建物を改築して「帝国座」に改称した。1915年7月には活動写真専門館に転向したが、約3年後には再び芝居小屋に転向し、芝居の公演と映画の上映を半分ずつ行った。1945年12月31日に出火し、1947年に閉館した。*8
1915年7月、桐生町浜松町の芝居小屋「桐生帝国座」が活動写真専門館に転向した。約3年後には再び芝居小屋に戻り、活動写真と芝居を半々で興行する形を取った。*9
戦前の桐生市には映画館として、「電気館」、「能楽館」、「活動館」、「帝国座」、「常盤館」、「桐生キネマ」などがあった。帝国座は火災で焼失した。*10
1945年4月2日、桐生市の「帝国座」で井上正夫の劇団公演が催された。*11
1945年12月30日、桐生市浜松町の「帝国座」が焼失した。*12
所在地 : 群馬県桐生市高砂町28(1963年)
開館年 : 1946年12月5日
閉館年 : 1963年頃
跡地はドラッグストア「クスリのアオキ桐生仲町店」駐車場北側。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1946年12月5日、桐生市に「セントラル洋画劇場」が開館した。*13
1946年12月5日、桐生市に「セントラル劇場」が開館した。12月には泉町に「電気館」が開館した。12月31日には「両毛劇場」が開館した。両毛劇場は「桐生東映」の前身である。*14
桐生市高砂町289の「セントラル劇場」。1946年12月5日に創業して新東宝の作品を上映し、1947年12月には「セントラル洋画劇場」に改称した。1948年3月にはセントラルダンスホールを設けた。昭和40年代にはセントラルダンスホールと事務所があったが、1970年に廃館となった。*15
桐生市高砂町289の洋画館「セントラル劇場」。1946年12月5日開館。1960年1月現在の代表者は吉田徹であり、株式会社である。収容人員は1300人。*16
1960年春のこのほど、桐生市高砂町の「桐生セントラル劇場」は田辺志代が所有者となって「桐生第二東映」に改称した。*17
開館年 : 1946年12月5日
閉館年 : 1963年頃
跡地はドラッグストア「クスリのアオキ桐生仲町店」駐車場北側。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1946年12月5日、桐生市に「セントラル洋画劇場」が開館した。*13
1946年12月5日、桐生市に「セントラル劇場」が開館した。12月には泉町に「電気館」が開館した。12月31日には「両毛劇場」が開館した。両毛劇場は「桐生東映」の前身である。*14
桐生市高砂町289の「セントラル劇場」。1946年12月5日に創業して新東宝の作品を上映し、1947年12月には「セントラル洋画劇場」に改称した。1948年3月にはセントラルダンスホールを設けた。昭和40年代にはセントラルダンスホールと事務所があったが、1970年に廃館となった。*15
桐生市高砂町289の洋画館「セントラル劇場」。1946年12月5日開館。1960年1月現在の代表者は吉田徹であり、株式会社である。収容人員は1300人。*16
1960年春のこのほど、桐生市高砂町の「桐生セントラル劇場」は田辺志代が所有者となって「桐生第二東映」に改称した。*17
所在地 : 群馬県桐生市旭町212(1970年)
開館年 : 1922年3月4日
閉館年 : 1971年1月26日
跡地は青果店「岩上商店」南東40mの「アサヒパーキング」。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
桐生市旭町212-4の「桐生活動館」。1922年3月4日に土澤亀三郎によって開館し、1932年には木造モルタル2階建てに改築した。『君の名は』や『喜びも悲しみも幾年月』では一日に2000人以上の観客を集めた。「桐生松竹館」の前身である。*18
桐生市仲町3丁目7-18の「桐生松竹映画劇場」。1922年3月4日に桐生活動館として開館した。土澤亀三郎社長の土澤興業社が経営し、大映・松竹の作品を上映した。1970年5月には松竹の上映権が桐生東映劇場に移行し、東日本松竹によって洋画再映館に転向したものの、1971年1月26日に閉館した。*19
1921年には桐生町宮本町に「常盤館」が開館し、1922年には旭町の「活動館」と浜松町の「桐生キネマ」が開館した。活動館は「桐生松竹館」の前身である。1926年には桐生キネマが火災で焼失した。「常盤館」の建物、「松竹映画劇場」の建物の写真あり。*20
1922年3月31日、桐生市に「活動館」が開館した。1971年1月26日に閉館した。*21
戦前の桐生市には映画館として、「電気館」、「能楽館」、「活動館」、「帝国座」、「常盤館」、「桐生キネマ」などがあった。仲町の活動館は後に松竹となった。*22
1949年12月、桐生市に寄席「旭座」(桐生映画劇場)が開館した。*23
1954年11月、桐生市旭町に「桐生映画劇場」が開館した。1972年5月31日、仲町3丁目の桐生映画劇場が閉館した。*24
桐生市旭町212の松竹上映館「松竹劇場」。1931年開館。1960年1月現在の代表者は土沢弘であり、合資会社である。収容人員は1500人。*25
1971年1月26日をもって、桐生市仲町3丁目の「桐生松竹」が閉館する。「能楽館」と並んで長い歴史を有する映画館である。1970年5月には松竹作品の上映権が「桐生東映」に移ったが、東日本松竹が洋画の再映を上映していた。1922年3月4日に「桐生活動館」として登記され、間もなく49年となる。*26
開館年 : 1922年3月4日
閉館年 : 1971年1月26日
跡地は青果店「岩上商店」南東40mの「アサヒパーキング」。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
桐生市旭町212-4の「桐生活動館」。1922年3月4日に土澤亀三郎によって開館し、1932年には木造モルタル2階建てに改築した。『君の名は』や『喜びも悲しみも幾年月』では一日に2000人以上の観客を集めた。「桐生松竹館」の前身である。*18
桐生市仲町3丁目7-18の「桐生松竹映画劇場」。1922年3月4日に桐生活動館として開館した。土澤亀三郎社長の土澤興業社が経営し、大映・松竹の作品を上映した。1970年5月には松竹の上映権が桐生東映劇場に移行し、東日本松竹によって洋画再映館に転向したものの、1971年1月26日に閉館した。*19
1921年には桐生町宮本町に「常盤館」が開館し、1922年には旭町の「活動館」と浜松町の「桐生キネマ」が開館した。活動館は「桐生松竹館」の前身である。1926年には桐生キネマが火災で焼失した。「常盤館」の建物、「松竹映画劇場」の建物の写真あり。*20
1922年3月31日、桐生市に「活動館」が開館した。1971年1月26日に閉館した。*21
戦前の桐生市には映画館として、「電気館」、「能楽館」、「活動館」、「帝国座」、「常盤館」、「桐生キネマ」などがあった。仲町の活動館は後に松竹となった。*22
1949年12月、桐生市に寄席「旭座」(桐生映画劇場)が開館した。*23
1954年11月、桐生市旭町に「桐生映画劇場」が開館した。1972年5月31日、仲町3丁目の桐生映画劇場が閉館した。*24
桐生市旭町212の松竹上映館「松竹劇場」。1931年開館。1960年1月現在の代表者は土沢弘であり、合資会社である。収容人員は1500人。*25
1971年1月26日をもって、桐生市仲町3丁目の「桐生松竹」が閉館する。「能楽館」と並んで長い歴史を有する映画館である。1970年5月には松竹作品の上映権が「桐生東映」に移ったが、東日本松竹が洋画の再映を上映していた。1922年3月4日に「桐生活動館」として登記され、間もなく49年となる。*26
所在地 : 群馬県桐生市仲町2-2-4(1979年)
開館年 : 1913年1月1日、1946年10月29日(移転)
閉館年 : 1979年1月31日
跡地は「泉町教会」北西40mにある駐車場。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1913年1月1日、桐生町に活動写真館「電気館」が開館した。*30
1913年1月1日、桐生町初の活動常設館「電気館」が開館した。12月31日から客入れが行われ、開館日には超満員となった。大正時代の桐生町では活動専門館が相次いで開館し、電気館のほかに「常磐館」「活動館」「桐生キネマ」もできた。電気館は終戦間際に取り壊されたが、1946年10月29日には仲町2丁目に移転して再開館した。昭和30年代前半の桐生市には7館もの映画館があった。*31
1913年1月、桐生町末広町にあった寄席「末広亭」を改築して桐生初の活動写真館「桐生電気館」が開館した。当時の活動写真は無声映画だったため、映画の説明や人物のセリフを話す活動弁士がおり、音楽を演奏する楽士もいた。桐生電気館の弁士と楽士の写真あり。*32
戦前の桐生市には映画館として、「電気館」、「能楽館」、「活動館」、「帝国座」、「常盤館」、「桐生キネマ」などがあった。電気館は割烹田中の前にあった。*33
1946年12月5日、桐生市に「セントラル劇場」が開館した。12月には泉町に「電気館」が開館した。12月31日には「両毛劇場」が開館した。両毛劇場は「桐生東映」の前身である。1979年1月31日、電気館が閉館した。*34
桐生市末広町の「桐生電気館」。1913年1月1日、末広町にあった「末広亭」を吉野喜代松が改築し、桐生市における初の活動常設館「電気館」が開館した。1946年10月29日には泉町251-5に移転し、同年12月に開館した。1978年に閉館し、2012年現在の跡地は駐車場となっている。*35
桐生市宮前町251の東宝上映館「電気館」。1946年12月開館。1960年1月現在の代表者は斎藤源作であり、株式会社である。収容人員は1300人。*36
開館年 : 1913年1月1日、1946年10月29日(移転)
閉館年 : 1979年1月31日
跡地は「泉町教会」北西40mにある駐車場。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1913年1月1日、桐生町に活動写真館「電気館」が開館した。*30
1913年1月1日、桐生町初の活動常設館「電気館」が開館した。12月31日から客入れが行われ、開館日には超満員となった。大正時代の桐生町では活動専門館が相次いで開館し、電気館のほかに「常磐館」「活動館」「桐生キネマ」もできた。電気館は終戦間際に取り壊されたが、1946年10月29日には仲町2丁目に移転して再開館した。昭和30年代前半の桐生市には7館もの映画館があった。*31
1913年1月、桐生町末広町にあった寄席「末広亭」を改築して桐生初の活動写真館「桐生電気館」が開館した。当時の活動写真は無声映画だったため、映画の説明や人物のセリフを話す活動弁士がおり、音楽を演奏する楽士もいた。桐生電気館の弁士と楽士の写真あり。*32
戦前の桐生市には映画館として、「電気館」、「能楽館」、「活動館」、「帝国座」、「常盤館」、「桐生キネマ」などがあった。電気館は割烹田中の前にあった。*33
1946年12月5日、桐生市に「セントラル劇場」が開館した。12月には泉町に「電気館」が開館した。12月31日には「両毛劇場」が開館した。両毛劇場は「桐生東映」の前身である。1979年1月31日、電気館が閉館した。*34
桐生市末広町の「桐生電気館」。1913年1月1日、末広町にあった「末広亭」を吉野喜代松が改築し、桐生市における初の活動常設館「電気館」が開館した。1946年10月29日には泉町251-5に移転し、同年12月に開館した。1978年に閉館し、2012年現在の跡地は駐車場となっている。*35
桐生市宮前町251の東宝上映館「電気館」。1946年12月開館。1960年1月現在の代表者は斎藤源作であり、株式会社である。収容人員は1300人。*36
所在地 : 群馬県桐生市宮前町2-7-1(1987年)
開館年 : 1946年12月31日
閉館年 : 1987年頃
跡地は「セブンイレブン西桐生駅前店」。最寄駅は上毛電気鉄道上毛線西桐生駅。
1946年12月31日、桐生市に「両毛劇場」(桐生東映)が開館した。*37
1946年12月5日、桐生市に「セントラル劇場」が開館した。12月には泉町に「電気館」が開館した。12月31日には「両毛劇場」が開館した。両毛劇場は「桐生東映」の前身である。*38
桐生市宮前町2丁目1の「チトセ劇場」。1946年12月31日に「両毛劇場」として開館し、後に「チトセ劇場」に改称した。さらに「桐生東映劇場」に改称し、戦後の第1回桐生市成人式会場にもなった。昭和30年代には時代劇が流行し、その後には渡世ものが受けたが、テレビの普及で衰退した。1981年に閉館してカフェとうえいとなったが、2012年現在の跡地にはセブンイレブンが建っている。*39
桐生市宮前町2-1713の東映上映館「東映映画劇場」。1946年12月31日開館。1960年1月現在の代表者は田辺志加である。収容人員は800人。*40
1976年11月29日、東興映画は「宇都宮ヒカリ座」、「桐生東映劇場・桐生東映プラザ劇場」の賃借して直営での営業を開始した。*41
開館年 : 1946年12月31日
閉館年 : 1987年頃
跡地は「セブンイレブン西桐生駅前店」。最寄駅は上毛電気鉄道上毛線西桐生駅。
1946年12月31日、桐生市に「両毛劇場」(桐生東映)が開館した。*37
1946年12月5日、桐生市に「セントラル劇場」が開館した。12月には泉町に「電気館」が開館した。12月31日には「両毛劇場」が開館した。両毛劇場は「桐生東映」の前身である。*38
桐生市宮前町2丁目1の「チトセ劇場」。1946年12月31日に「両毛劇場」として開館し、後に「チトセ劇場」に改称した。さらに「桐生東映劇場」に改称し、戦後の第1回桐生市成人式会場にもなった。昭和30年代には時代劇が流行し、その後には渡世ものが受けたが、テレビの普及で衰退した。1981年に閉館してカフェとうえいとなったが、2012年現在の跡地にはセブンイレブンが建っている。*39
桐生市宮前町2-1713の東映上映館「東映映画劇場」。1946年12月31日開館。1960年1月現在の代表者は田辺志加である。収容人員は800人。*40
1976年11月29日、東興映画は「宇都宮ヒカリ座」、「桐生東映劇場・桐生東映プラザ劇場」の賃借して直営での営業を開始した。*41
所在地 : 群馬県桐生市仲町2-5-29(1987年)
開館年 : 1956年7月13日
閉館年 : 1987年7月29日
跡地は有料駐車場「桐生国際駐車場」。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1954年7月13日、桐生市に「国際劇場」が開館した。*42
1956年7月13日、桐生市泉町264に大映封切館「桐生国際劇場」が開館した。総工費1000万円。木造モルタル平屋建て。建坪150坪。座席360。横20尺×縦14尺のワイドスクリーン。館内の壁面は音響効果を上げるために波状となっている。経営は蜂巣伊佐雄社長の桐生蜂巣興業。支配人は蜂巣和彦。*43
1956年7月13日、桐生市泉町に「国際劇場」が開館した。1987年7月29日、国際劇場が閉館した。*44
桐生市泉町264の「桐生国際劇場」。1954年7月13日に創業して大映作品を上映した。1987年に廃館となり、2012年現在の跡地は国際パーキングとなっている。*45
桐生市泉町264の大映上映館「国際劇場」。1954年7月13日開館。1960年1月現在の代表者は蜂巣伊佐雄である。収容人員は500人。*46
開館年 : 1956年7月13日
閉館年 : 1987年7月29日
跡地は有料駐車場「桐生国際駐車場」。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1954年7月13日、桐生市に「国際劇場」が開館した。*42
1956年7月13日、桐生市泉町264に大映封切館「桐生国際劇場」が開館した。総工費1000万円。木造モルタル平屋建て。建坪150坪。座席360。横20尺×縦14尺のワイドスクリーン。館内の壁面は音響効果を上げるために波状となっている。経営は蜂巣伊佐雄社長の桐生蜂巣興業。支配人は蜂巣和彦。*43
1956年7月13日、桐生市泉町に「国際劇場」が開館した。1987年7月29日、国際劇場が閉館した。*44
桐生市泉町264の「桐生国際劇場」。1954年7月13日に創業して大映作品を上映した。1987年に廃館となり、2012年現在の跡地は国際パーキングとなっている。*45
桐生市泉町264の大映上映館「国際劇場」。1954年7月13日開館。1960年1月現在の代表者は蜂巣伊佐雄である。収容人員は500人。*46
所在地 : 群馬県桐生市宮本町1-6-14(2002年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 2003年4月29日
跡地は「桐生第一高等学校職員専用駐車場」。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1889年11月25日、桐生町に芝居小屋「桐座」(オリオン座)が開館した。*47
1956年1月29日、桐生市の「桐生東宝」が「オリオン座」に改称した。*48
桐生市宮本町1316の日活上映館「オリオン座」。1947年開館。1960年1月現在の代表者は蜂巣伊佐雄である。収容人員は1500人。*49
2003年4月21日の『上毛新聞』には「桐生オリオン」が4月29日をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*50
開館年 : 1947年
閉館年 : 2003年4月29日
跡地は「桐生第一高等学校職員専用駐車場」。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1889年11月25日、桐生町に芝居小屋「桐座」(オリオン座)が開館した。*47
1956年1月29日、桐生市の「桐生東宝」が「オリオン座」に改称した。*48
桐生市宮本町1316の日活上映館「オリオン座」。1947年開館。1960年1月現在の代表者は蜂巣伊佐雄である。収容人員は1500人。*49
2003年4月21日の『上毛新聞』には「桐生オリオン」が4月29日をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*50
所在地 : 群馬県桐生市仲町1-12-40(2002年)
開館年 : 1911年2月
閉館年 : 2003年5月
跡地はアパート「レオパレスアルファ&ベーターコート」。矢野園シネクラブに一部の座席が移設(痕跡)。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1907年8月4日、桐生町に能舞台「能楽館」が開館した。*51
桐生町初の活動写真館「電気館」の成績がよかったため、1915年2月には「能楽館」(のうらくかん)が開館した。当初は能楽(のうがく)や能狂言などに用いられた貸席だったが、一部を改築して映画館となった。当時の桐生町では1日と15日と日曜が送電休止日であり、電気ではなくアセチレンガスを用いて映写を行ったため、ガス映写の際には画面が暗かった。1日と15日には工場が休業するため、職工慰安の為に入場料が割引となった。*52
桐生市仲町1丁目12-40の「能楽館」(のうらくかん)。能楽が盛んだったことで能楽館が建てられ、能楽や謡曲会の合間に興行を行った。斎藤庄平、森晋一郎、塚本武平、高橋準太郎、島田安太郎、松井仙太郎、前原良太郎らが出資した合資会社である。1915年2月5日に館内を改装して活動上映館となり、主として洋画を上映した。1996年には3館の映画館となったが、2003年に閉館した。2012年現在の跡地にはレオパレスが建っている。*53
桐生市泉町806の洋画館「能楽館」。1911年2月開館。1960年1月現在の代表者は福田猛であり、株式会社である。収容人員は800人。*54
明治期の桐生は織物業で好景気となり、江戸時代には武家が専有していた能の人気が高まった。1907年8月4日には能専用劇場「能楽館」の舞台開きが行われ、東京から小鼓幸清次郎が来演した。桐生の能楽は小樽・函館・金沢・東京・横浜などと並ぶ地盤を有するようになった。*55
2003年3月30日の『上毛新聞』には「能楽館」が5月限りで閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*56
2026年5月30日、桐生市本町の矢野園米蔵で映画上映会「矢野園シネクラブ」の第1回が開催される。きりゅうシネクラブが運営に携わっており、ホアキン・フェニックス主演作『カモン カモン』が上映される。2003年に閉館した映画館「能楽館」で用いられていた座席が移設されている。*57
2026年5月30日、桐生市本町2丁目の矢野園米蔵で映画上映会「矢野園シネクラブ」の第1回が開催される。2003年に閉館した映画館「能楽館」で用いられていた座席が移設されている。*58
開館年 : 1911年2月
閉館年 : 2003年5月
跡地はアパート「レオパレスアルファ&ベーターコート」。矢野園シネクラブに一部の座席が移設(痕跡)。最寄駅はJR両毛線桐生駅。
1907年8月4日、桐生町に能舞台「能楽館」が開館した。*51
桐生町初の活動写真館「電気館」の成績がよかったため、1915年2月には「能楽館」(のうらくかん)が開館した。当初は能楽(のうがく)や能狂言などに用いられた貸席だったが、一部を改築して映画館となった。当時の桐生町では1日と15日と日曜が送電休止日であり、電気ではなくアセチレンガスを用いて映写を行ったため、ガス映写の際には画面が暗かった。1日と15日には工場が休業するため、職工慰安の為に入場料が割引となった。*52
桐生市仲町1丁目12-40の「能楽館」(のうらくかん)。能楽が盛んだったことで能楽館が建てられ、能楽や謡曲会の合間に興行を行った。斎藤庄平、森晋一郎、塚本武平、高橋準太郎、島田安太郎、松井仙太郎、前原良太郎らが出資した合資会社である。1915年2月5日に館内を改装して活動上映館となり、主として洋画を上映した。1996年には3館の映画館となったが、2003年に閉館した。2012年現在の跡地にはレオパレスが建っている。*53
桐生市泉町806の洋画館「能楽館」。1911年2月開館。1960年1月現在の代表者は福田猛であり、株式会社である。収容人員は800人。*54
明治期の桐生は織物業で好景気となり、江戸時代には武家が専有していた能の人気が高まった。1907年8月4日には能専用劇場「能楽館」の舞台開きが行われ、東京から小鼓幸清次郎が来演した。桐生の能楽は小樽・函館・金沢・東京・横浜などと並ぶ地盤を有するようになった。*55
2003年3月30日の『上毛新聞』には「能楽館」が5月限りで閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*56
2026年5月30日、桐生市本町の矢野園米蔵で映画上映会「矢野園シネクラブ」の第1回が開催される。きりゅうシネクラブが運営に携わっており、ホアキン・フェニックス主演作『カモン カモン』が上映される。2003年に閉館した映画館「能楽館」で用いられていた座席が移設されている。*57
2026年5月30日、桐生市本町2丁目の矢野園米蔵で映画上映会「矢野園シネクラブ」の第1回が開催される。2003年に閉館した映画館「能楽館」で用いられていた座席が移設されている。*58

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