閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。

岡崎市・額田郡幸田町の映画館を扱います。

岡崎市中心部

岡崎市の映画館

1912年(明治45年)の「岡崎町市街図」には、演劇場として宝来座(大字六地蔵)・金升座(大字康生)・三銘座(大字伝馬)・常盤亭(大字伝馬)の4座が紹介されている。明治末期から大正期の岡崎にはこの4劇場以外にもいくつかの劇場があり、義太夫・浪花節・芝居・落語などの興行を行っていた。第一次世界大戦後に活動写真(映画)が普及すると、岡崎の各劇場も競って活動写真を上映するようになり、多くの劇場が映画館へ変わっていった。金升座は興行以外に不忘義団(旧岡崎藩士の会)の琵琶演奏会や講演会などの催し物も行い、1925年(大正14年)には改築して岡崎劇場となった。岡崎劇場は太平洋戦争の岡崎空襲で焼失したが、戦後にはいち早く映画館として再開された。宝来座は繁華街の伝馬に近い六地蔵に芝居小屋として建てられた。昭和には大衆劇場として芝居・映画・レビューなどが興行され、演説会や市民大会などの会場としても利用された。戦後は連尺通1丁目に移転し、洋画専門のタカラ劇場となった。

1988年の『岡崎商工名鑑』には映画館として以下が掲載されている。
映画劇場 「(株)岡崎劇場」
康生通南3丁目2、1945年創業、1954年設立、資本金60万円、従業員13人
常設洋画劇場 「新世界興業(株)」
井田南町6-7、1980年設立、資本金100万円、従業員5人 ※新世界興業ビル メトロ座・スカラ座
洋画映画劇場 「(株)宝劇場」
連尺通1丁目1、1946年設立、資本金2000万円、従業員5人
映画劇場 「中部興行(株)岡崎東宝劇場」
康生通東2丁目8、1951年創業、1955年設立、資本金3500万円、従業員6人
映画劇場 「筒井商事(株)」
康生通南3丁目26、1960年創業、1968年設立、資本金100万円、従業員9人 ※岡崎劇場系列
映画劇場 「筒井実業(株)」
伝馬通2丁目35、1956年創業、1969年設立、資本金100万円、従業員9人 ※岡崎グランド劇場系列
ヌード劇場 「(株)岡崎銀映」
鴨田南町1-18、1975年創業、資本金600万円、従業員4人 *1

かつて岡崎文教映画友の会の機関誌として月刊雑誌『映画タイムズ』が発行されていた。1956年8月10日創刊であり、1959年7月号(第74号)・8月号(第75号)・9月号(第76号)・10月号(第77号)・11月号(第78号)・12月号(第79号)の6冊が岡崎市立中央図書館に所蔵されている。上映作品紹介、読者が選ぶ年間ベスト10企画、読者の映画感想投稿などがあり、映画館による上映作品広告も多い。「タカラ・中劇・東宝・岡劇・大劇・東映・三銘・友楽・世界・南映・矢作劇・挙母劇・アート・昭和」と、岡崎市10館・豊田市4館の計14館の上映案内が掲載されている。1959年12月第1週の上映作品は、タカラ劇場が『北北西に進路を取れ』と『地獄に続く部屋』、世界館が『ソロモン王の宝庫』と『殺人鬼に罠をかけろ』、中央劇場が『人間の条件』と『剣風次男侍』、岡崎東宝が『日本誕生』、岡崎劇場が『密会』と『南国土佐を後にして』と『可愛い花』、岡崎大劇が『勝負師とその娘』と『善光寺黄金道中』と『裸女と殺人迷路』、岡崎東映が『緋鯉大名』と『ふたりの休日』と『恐るべき復讐』、三銘座が『姫夜叉行状記』と『激斗』と『上役下役ご同役』、友楽が『悪魔の最后』と『怒涛の対決』、南映が『実は熟したり』と『アイラブユー』と『戦場のなでしこ』、矢作劇場が『男性飼育法』と『江戸遊民伝』と『奥様三羽烏』、挙母劇場が『明治大帝と乃木将軍』と『三羽烏三代記』、アート座が『歌麿をめぐる五人の女』と『清水の暴れん坊』、昭和劇場が『千羽鶴秘帖』と『東京警部』と『陽のあたる家』。コピー機にかけるのをためらう保存状態なので注意。

1961年の『岡崎市重要転業別電話番号簿有名商店案内』は電話帳であり、業種別に店舗名・電話番号・おおまかな所在地が掲載されている。映画館としては、洋画のタカラ劇場(連尺通1-1)、岡崎大劇(六地蔵町)、各社特選上映 南映(国鉄駅前通り)、岡崎劇場(康生通)、岡崎東映(伝馬通)、岡崎東宝劇場(康生通)、岡崎日劇(康生通)、三銘座(伝馬通)、世界館(元能見)、中央劇場(康生通)、有楽劇場(元能見)、美合映画劇場(美合)、矢作映画劇場(矢作)、の13館が掲載されている。*2

岡崎第二東映友楽/岡崎友楽東映

所在地 : 愛知県岡崎市元能見町178(1960年・1963年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1963年以後1965年以前
1959年の全住宅案内図帳では「友楽映画劇場」。1960年の映画館名簿では「岡崎第二東映友楽」。1962年の全商工住宅案内図帳では「友楽映画劇場」。1963年の映画館名簿では「岡崎友楽東映」。1965年の住宅地図では「旧有楽アキヤ」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では跡地に「主婦の店」。現在の跡地は空き地。「特別養護老人ホームもとのみの里」の南側。1962年までは名鉄岡崎市内線が走っており、最寄駅として能見町電停があった。岡崎友楽の西側には松栄芸妓組合があり、その西側には芸妓稽古場があった。同じ商店街には「世界ミュージック」もあった。

世界館/世界ミュージック/岡崎世界ミュージック

所在地 : 愛知県岡崎市元能見町166(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1968年
1959年の全住宅案内図帳では「世界映画劇場」。1960年の映画館名簿では「世界館」。1962年の全商工住宅案内図帳では「世界映画劇場」。1963年の映画館名簿では「世界ミュージック」。1966年・1968年の映画館名簿では「岡崎世界ミュージック」。1965年・1968年の住宅地図では「世界ミュージックホール」であり、北東の交差点に世界館前というバス停があったことがわかる。1969年の映画館名簿には掲載されていない。愛知県道39号「能見不動尊前」交差点から西に100m。現在は5軒分の戸建住宅地。1962年までは名鉄岡崎市内線が走っており、最寄駅として能見町電停があった。同じ商店街には「岡崎松竹映画劇場」もあった。

大劇/岡崎大劇

所在地 : 愛知県岡崎市六地蔵町1-5(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1966年以後1968年以前
1959年の全住宅案内図帳では「大劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「大劇」。1962年の全商工住宅案内図帳では「大劇」。1966年の映画館名簿では「岡崎大劇」。1965年・1968年の住宅地図では「大映劇場」。1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の住宅地図で場所確認。1987年時点の跡地は1階に「ライン」と「友苑」が、2階に「ジャパンスタディセンター販売」がある商業ビル。現在の跡地は空き地。国道1号と愛知県道477号が交わる「島町」交差点の北西側。

岡崎セントラル劇場/中央劇場/岡崎中央劇場/岡崎松竹中央劇場

所在地 : 愛知県岡崎市康生町60(1955年)、愛知県岡崎市康生町66-1(1953年)、愛知県岡崎市康生通1-18(1960年)、愛知県岡崎市康生町66(1963年)、愛知県岡崎市康生通西1-18(1966年・1969年・1976年・1980年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1983年以後1985年以前
1953年・1955年の映画館名簿では「岡崎セントラル劇場」。1959年の全住宅案内図帳では「中央劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1962年の全商工住宅案内図帳では「中央劇場」。1965年・1968年の住宅地図では「中央劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「岡崎中央劇場」。1976年・1980年の映画館名簿では「岡崎松竹中央劇場」。1983年の住宅地図では「岡崎松竹中央劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の住宅地図で場所確認。1987年時点の跡地は駐車場。現在の跡地は駐車場。国道1号・康生通り・本町通りが形成する三角地帯。「康生北」交差点の南西のブロック。マンション「ミッドシティレジデンス岡崎康生」の西側。

三銘座/岡崎ピカデリー劇場

所在地 : 愛知県岡崎市伝馬町188(1953年)、愛知県岡崎市伝馬通3-41(1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1916年以前、1945年
閉館年 : 1983年以後1985年以前
1959年の全住宅案内図帳では「三銘座」。1960年・1963年の映画館名簿では「三銘座」。1962年の全商工住宅案内図帳では「三銘座映画館」。1965年・1968年の住宅地図では「三銘会館」。1966年・1969年・1976年・1980年の映画館名簿では「岡崎ピカデリー劇場」。1983年の住宅地図では「ピカデリー劇場」であり、同一施設にサンメイホールや暮らしのセンターや岡崎ダンス教室やニューおば娘があったことがわかる。1985年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は1995年竣工の商業ビル兼マンション「藤和シティコープ伝馬通」。「伝馬4丁目西」交差点南西側。1997年時点では1階に「プラザナイン」で3階に「岡崎ダンス教室」があった。

宝来座/宝劇場/岡崎宝劇場/岡崎たから劇場/岡崎タカラ劇場

所在地 : 愛知県岡崎市島町付近(宝来座時代)、愛知県岡崎市連尺町1-1(1963年・1966年・1969年)、愛知県岡崎市連尺通1-1(1976年・1980年)
開館年 : 明治時代
閉館年 : 1985年以後1987年以前
1959年の全住宅案内図帳では「タカラ映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「宝劇場」。1962年の全商工住宅案内図帳では「タカラ劇場」。1966年の映画館名簿では「岡崎宝劇場」。1965年・1968年の住宅地図では「タカラ劇場」。1969年の映画館名簿では「岡崎たから劇場」。1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「岡崎タカラ劇場」。1983年の住宅地図では「タカラ劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。1987年時点の住宅地図では跡地は「プレイランドタカラ」。現在の跡地は「タカラパーキング」。「本町通1丁目」交差点北東側にある。

六地蔵にあった宝来座は庶民の娯楽の中心として栄えた。六地蔵は伝馬などの繁華街に近く、寛政年間の初めに「れんにょさん」の開帳で有名な浄専寺が町の南端西側に移転したため、宝来座が当地に建設されたとされる。昭和初期には大衆劇場として芝居のほかに映画・レビューなどが上映され、演説会や市民大会などの会場としても利用された。戦後は連尺通1丁目に移転し、洋画専門のタカラ劇場として再開された。*3

1916年(大正5年)頃の宝来座の写真あり。当時の岡崎には宝来座のほかに金升座宝友座日出座があった。1908年(明治41年)にはすでに活動写真を上映した。*4

1936年(昭和11年)生まれの筆者は、小学5年生頃(※1947年頃? )に初めて映画館を訪れた。岡崎の「タカラ」洋画劇場であり、鑑賞した作品は『大平原』(※1939年公開)だったと思われる。*5

六地蔵町の宝来座の写真あり。現在は国道1号線沿いで空地となっている。*6

岡崎東宝劇場

所在地 : 愛知県岡崎市康生通東2-8(1960年・1963年・1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1993年
1959年の全住宅案内図帳では「岡崎東宝」。1962年の全商工住宅案内図帳では「岡崎東宝」。1965年・1968年の住宅地図では「岡崎東宝」。1960年・1963年・1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1993年の映画館名簿では「岡崎東宝劇場」。1991年・1993年の住宅地図では「岡崎東宝」。1994年・1995年の映画館名簿には掲載されていない。1999年時点の跡地は「コメダ珈琲岡崎康生店」。現在の跡地はコインパーキング「ザ・パーク康生通東」。「暴れん坊チキンブランペシェ」の東側。

金升座/岡崎劇場/岡崎劇場・岡崎国際劇場/岡崎劇場・岡崎国際劇場・岡崎日劇/岡崎劇場・岡崎国際劇場・岡崎日劇・岡崎シネマ/岡崎劇場1・2、岡崎日劇1・2/岡崎劇場1・2・3・4

戦前の岡崎劇場*7
1989年の岡崎劇場*8
所在地 : 愛知県岡崎市康生通716(1963年)、愛知県岡崎市康生通南3-2(2000年)
開館年 : 大正後期
閉館年 : 2001年2月1日
1959年の全住宅案内図帳では「岡崎劇場」。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「岡崎劇場」(1スクリーン)。1962年の全商工住宅案内図帳では「岡崎劇場」と「日劇」。1969年の映画館名簿では「岡崎劇場・岡崎国際劇場」(2スクリーン)。1976年・1980年の映画館名簿では「岡崎劇場・岡崎国際劇場・岡崎日劇」(3スクリーン)。1985年の映画館名簿では「岡崎劇場・岡崎国際劇場・岡崎日劇・岡崎シネマ」(4スクリーン)。1990年・1995年の映画館名簿では「岡崎劇場1・2、岡崎日劇1・2」(4スクリーン)。1997年・2000年の映画館名簿では「岡崎劇場1・2・3・4」(4スクリーン)。

岡崎は産業・経済の両面で西三河の中心地として発展した。岡崎劇場は現在の岡崎劇場日劇の場所にあった大型の演劇場で、大正後期に建てられた。今とは異なって北側に表玄関があり、花道や桟敷席を備え、歌舞伎や浪花節などの興行が行われた。この場所はそれ以前には金升座があった。他にも宝来座(六地蔵)、三銘座(伝馬)、神明座(元能見)、宝友座(柱)などの劇場が市内にあった。第二次世界大戦の空襲で焼かれた岡崎劇場は、戦後いち早く映画館として再開され、その後改築されて現在に至っている。同劇場を訪れた著名俳優や歌手は数多く、片岡千恵蔵、岡晴夫、美空ひばり、長谷川一夫など、それぞれの時代を代表するスターたちだった。54ページの写真は国道1号線に面している現在の岡崎劇場。55ページの写真は大正12、3年ごろの岡崎劇場金升座のあとに新築された入母屋造の岡崎劇場。歌舞伎座を模した造りで、衆目を浴びた。*9

1916年(大正5年)頃の金升座。現在の岡崎劇場付近に1923年(大正12年)まであった。1916年(大正5年)には川上貞奴が『お蝶夫人』などを上演した。*10

1925年(大正14年)頃の金升座岡崎劇場金升座のあとに、東京の歌舞伎座を模して新築された。花道や桟敷席を備えた風格ある劇場であった。*11

岡崎市立中央図書館が所蔵する「岡崎劇場嗟媾顱廚妨える岡崎劇場の全景。岡崎劇場は歌舞伎座風で、花道や桟敷席を備えた大型の演劇場だった。*12

1953年に岡崎劇場で開催された第1回歌謡ショーでは、灰田勝彦、宮城まり子、三浦滉一、市丸らが公演した。写真あり。*13

康生通南の岡崎劇場は「映画演劇の殿堂」がキャッチフレーズ。新作映画のほかに演劇や歌謡ショーなどの興行も行った。「希望音楽祭」(第1回歌謡ショー)では、灰田勝彦、三浦滉一、市丸、渡辺はま子、宮城まり子ら人気スターがステージに立った。*14

2001年1月14日の『東海愛知新聞』の映画上映案内。岡崎劇場1は『バトル・ロワイアル』を上映、岡崎劇場2は『エクソシスト』を上映、岡崎劇場3は『グリンチ』を上映、岡崎劇場4は『ホワット・ライズ・ビニース』を上映。*152001年1月16日の『東海愛知新聞』の映画上映案内。岡崎劇場1・2・3は休館中、岡崎劇場4は『頭文字D』を上映。*162001年1月31日の『東海愛知新聞』の映画上映案内。岡崎劇場1・2・3は休館中、岡崎劇場4は『頭文字D』を上映。*172001年2月1日の『東海愛知新聞』の映画上映案内に、岡崎劇場は1館も掲載されていない。*18

常盤館/岡崎東宝/岡崎東映/岡崎日活ロマン/岡崎ロマン劇場・岡崎グランド劇場/岡崎グランド劇場1・2

1989年のグランド劇場*19
所在地 : 愛知県岡崎市伝馬通2-35(2000年)
開館年 : 大正時代、1981年頃
閉館年 : 2004年10月25日
1959年の全住宅案内図帳では「岡崎東映」。1960年の映画館名簿では「岡崎東映劇場」。1962年の全商工住宅案内図帳では「岡崎東映」。1963年の映画館名簿では「岡崎東映」。1965年の住宅地図では「岡崎東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「岡崎東映劇場」。1976年・1980年の映画館名簿では「岡崎日活ロマン」(1スクリーン)。1983年の住宅地図では「ロマン・岡崎グランド」。1985年の映画館名簿では「岡崎ロマン劇場・岡崎グランド劇場」(2スクリーン)。1990年・1995年・1997年・2000年の映画館名簿では「岡崎グランド劇場1・2」(2スクリーン)。

岡崎市の伝馬通の遊郭は繁盛し、近くには常盤館が建てられて、1918年(大正7年)-1919年(大正8年)ごろには映画を上映していた。ここにはかつて本陣があった。かつては常盤亭といい、1911年(明治44年)に改築したとの記録もあるので、創設はかなり古い。近くには成瀬亭・遠藤時計・鍵屋旅館・備前屋などがあった。常盤館は戦災で焼失したが、1947年(昭和22年)に再開されると岡崎東宝となった。道路拡幅後はしばらくオープン劇場となり、1954年(昭和29年)から岡崎東映となった。1981年(昭和56年)に岡崎東映が火災に遭い、跡地にグランド劇場が開館した。*20

1953年(昭和28年)には伝馬通が拡幅されて歩道が整備された。西本陣跡の碑が建つ2丁目と1丁目の境辺りから西を望む。江戸時代の旧東海道はここで突き当りで左に折れており、この先の道が開かれたのは大正になってからである。右の建物は、戦後間もなくの3年間だけ営業していた映画館の岡崎東宝。閉館後、ここに銀行を建てる計画があったが、3時閉店でシャッターが下りてしまうことを嫌った商店街が後ろ盾となり、1954年(昭和29年)に岡崎東映が開館した。*21

1916年(大正5年)頃の常盤館は、伝馬の三銘座と並ぶ活動写真の専門館だった。*22

伝馬町で今も映画館のある付近。初めは常盤座(大正初期)と言っていた。*23

1955年(昭和30年)頃には、岡崎呉服組合が浴衣一反につき「映画ときものショー」の招待券をプレゼントした。岡崎東映にて「東京ファッションモデルクラブ」によるショーを開催した。映画もショーも盛況だった。岡崎市伝馬通。昭和30年頃。*24

1981年(昭和56年)に岡崎東映が火災に遭い、跡地にグランド劇場が開館した。*25

1954年(昭和29年)に開館した岡崎東映は、その後岡崎グランド劇場に変わり、2004年(平成16年)まで営業していた。現在はその跡地でミニストップが営業している。*26

岡崎市周縁部

豊富劇場

所在地 : 愛知県額田郡豊富村(1953年)、愛知県額田郡豊富村樫山新居野(1955年)、愛知県額田郡額田町樫山(1960年)、愛知県額田郡額田町樫山村(1963年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1963年
1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「豊富劇場」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1976年の航空住宅地図帳では跡地に「東海理化樫山工場」であり南側には豊富郵便局があった。跡地は「理化精機樫山工場」。最寄駅は名鉄名古屋本線本宿駅。

マルス劇場

所在地 : 愛知県碧海郡六ッ美村中島(1955年)、愛知県碧海郡六ッ美村字土島114(1963年)
開館年 : 1948年、1947年12月*27
閉館年 : 1964年
1960年・1963年の映画館名簿では「マルス劇場」。「〇」の中に「ス」が入った記号が用いられている年もある。1965年の住宅地図では跡地に空き地。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では跡地に「杉浦」や「内田与三郎」の民家。碧海郡六ッ美村にあった唯一の映画館。1959年までは六ッ美を通って岡崎と西尾を結ぶ名鉄旧西尾線が走っており、最寄駅として三河中島駅があった。

1948年(昭和23年)、杉浦製糸所の乾燥場に劇場「マルス劇場」が開館した。芝居を中心として、地元の舞踏会なども開催された。写真は1953年(昭和28年)の赤堀流舞踏会。*28

美合映画劇場

所在地 : 愛知県岡崎市美合町生田251(1963年)
開館年 : 1958年以後?1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1959年の全住宅案内図帳では後の映画館の位置に「本田カメラ」などがある。1960年・1963年の映画館名簿では「美合映画劇場」。1962年の全商工住宅案内図帳では「美合劇場」。1965年の住宅地図では跡地に「本田カメラ店」「末広すし」「美合市場」など複数の店舗がある。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図には跡地に「末広すし」や「杉浦●●店」(文字がつぶれてて読めない)など複数の店舗がある。愛知県道329号の東側の通り(裏通り)に面していた。最寄駅は名鉄名古屋本線美合駅。

現在の住宅地図で番地を確認するとキャッスルハイツ美合駅前の場所と思われる。1958年の住宅地図には「本田カメラ店」があり、まだ美合映画劇場は存在しない。1960年の映画館名簿によると美合映画劇場の経営者は本田準二であり、カメラ店から映画館に転換した可能性がある。地理院地図の空中写真で確認すると、1966年以前の閉館以後も1980年代前半まで建物が残っていたとされる。

羽根映画劇場/柱町東映/柱町東映劇場

所在地 : 愛知県岡崎市柱町東浦17(1953年)、愛知県岡崎市柱町17(1960年)、愛知県岡崎市柱町東浦17(1969年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後1976年以前
1958年の住宅地図で場所確認。1960年の映画館名簿では「羽根映画劇場」。1962年の全商工住宅案内図帳では「羽根映劇」。1963年の映画館名簿では「柱町東映」。1968年の住宅地図では「羽根劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「柱町東映劇場」。跡地は「レジデンシャル岡崎」であり「ファミリーマート岡崎柱6丁目店」にも被っていた。最寄駅はJR東海道本線岡崎駅。

矢作映画劇場

所在地 : 愛知県岡崎市矢作町中道73(1966年)、愛知県岡崎市矢作町中道3-41(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年
1959年の全住宅案内図帳では発見できなかった。1962年の全商工住宅案内図帳では「矢作劇場」。1968年の住宅地図では「矢作劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「矢作映画劇場」。1970年・1973年の映画館名簿には掲載されていない。矢作橋駅の北150m、国道1号の北側。跡地は「スズキアリーナ岡崎西店」。最寄駅は名鉄名古屋本線矢作橋駅。

岡崎銀映

所在地 : 愛知県岡崎市鴨田南町1-18
開館年 : 不明
閉館年 : 2001年
映画館ではなくストリップ劇場。

メトロ座・スカラ座/岡崎メトロ座・岡崎セブン座・岡崎スカラ座/岡崎メトロ座・岡崎メトロ2・岡崎スカラ座

所在地 : 愛知県岡崎市井田南町6-7(2000年)
開館年 : 1981年
閉館年 : 2001年5月31日
1985年の映画館名簿では「メトロ座・スカラ座」(2スクリーン)。1990年・1995年の映画館名簿では「岡崎メトロ座・岡崎スカラ座・岡崎セブン座」(3スクリーン)。1997年・2000年の映画館名簿では「岡崎メトロ座・岡崎スカラ座・岡崎メトロ2」(3スクリーン)。

日本映画製作者連盟が調査した映画館名簿を見ると、1986年時点で全国に約2,200館の映画館があり、うち30数人が女性である。人口28万人の岡崎市には13館の映画館があり、日本一の激戦地と言われる。1981年に開館した洋画系のメトロ座とスカラ座ほかの支配人は大橋千恵子支配人。国税局に勤務していた夫とともに東京から岡崎にやってきた。メトロ座とスカラ座の前身であるタカラ劇場でも支配人を務め、1986年時点で14-15年のキャリアを有する。浜松ハッピーエンドの近藤恵理支配人は22歳のピチピチギャルであり、ミス浜松となったこともある。ラジオのDJで映画館周りを行ったのがきっかけで、1986年6月に支配人に就任した。浜松ハッピーエンドの観客層は結婚前の女性であり、フランス映画などの名画特集や、各種イベントとのタイアップを行っている。*29

1999年12月1日21時55分頃、スカラ座とメトロ座が入る岡崎市井田南町6の新世界興業ビル4階の事務所から出火し、事務所20平方メートルを焼いた。メトロ座が上映中であり観客十数人がいたが、従業員の誘導で非難した。同ビルには2つの映画館が上下に分かれて入っている。*30

2001年5月末、岡崎市井田南町に集まる映画館「岡崎メトロ座」「岡崎メトロ2」「岡崎スカラ座」の3館が20年の歴史に幕を閉じる。3館の経営者は「新世界興業」(中村忍社長)。岡崎市では戦後すぐに映画の上映を始めた「岡崎劇場」が2001年1月に閉館したばかり。岡崎メトロ座は1981年(昭和56年)に2館体制でオープンし、アメリカ映画など洋画を中心に上映した。1993年(平成5年)にスカラ座を増やし、東宝の作品の上映も始めた。3館合わせて、約500席がある。ピーク時の1990年には3館合わせて年間約12万人が来場したが、それ以後は減少傾向にあり2000年には年間6万人を割り込んだ。市内の映画関係者によると、昭和40年代の岡崎市には15館前後の映画館があった。1月の「岡崎劇場」(同市康生通南)閉館(計4館)に続き、メトロ座の幕が閉じると、市内では「岡崎グランド劇場1・2」(同市伝馬通)、「岡崎南映劇場」(同市柱町)の計3館だけになる。*31

2001年5月25日の『東海愛知新聞』の映画上映案内。「岡崎メトロ座」が『ザ・メキシカン』を上映しており、「5月31日閉館」との記載がある。「岡崎メトロ2」が『名探偵コナン』を上映しており、5月25日閉館との記載がある。*322001年5月31日の『東海愛知新聞』の映画上映案内。「岡崎メトロ座」が『ザ・メキシカン』を上映しており、「5月31日で閉館します」との記載がある。「岡崎メトロ2」は空白の枠だけ設けられている。*33

南映/南映劇場/岡崎南映劇場

岡崎南映劇場の閉館を報じる新聞記事
所在地 : 愛知県岡崎市柱町東荒子46-6(2000年)
開館年 : 1956年10月10日
閉館年 : 2006年1月19日
1959年の全住宅案内図帳では「南映劇場」。1960年の映画館名簿では「南映」。1962年の全商工住宅案内図帳では「南映劇場」。1963年の映画館名簿では「南映劇場」。1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・1997年・2000年の映画館名簿では「岡崎南映劇場」。1980年頃から2006年の閉館まで成人映画館。シネコン以外では岡崎市最後の映画館。現在の「柱町上荒子交差点」北西側。区画整理でこの地域の街区は大きく変化しており、場所は参考程度に。最寄駅はJR東海道本線岡崎駅。

2001年1月5日頃の上映作品は、『絶倫義父の下半身』『ねっちゃり白衣』『私、潮吹きなんです』。毎土曜オールナイトとの記載あり。この時点の岡崎には岡崎南映劇場のほかに、岡崎劇場1・2・3・4、岡崎グランド1・2、岡崎スカラ座、岡崎メトロ座、岡崎メトロ2があった。*34

2002年12月28日頃の上映作品は、『息子いじり』『淫乱・巨乳・薄毛』『禁断不倫』。毎土曜オールナイトとの記載あり。この時点の岡崎には岡崎南映劇場のほかに、岡崎グランド1・2があった。*35

2003年12月28日頃の上映作品は、『引き裂かれた下着』『暴走下半身』『人に言えない性癖』。毎土曜オールナイトとの記載あり。この時点の岡崎にあった映画館は岡崎南映劇場のみであり、一般映画館は存在しなかった。*36

2004年12月29日頃の上映作品は、『美人保健婦 覗かれた医務室』『SM女医 巨乳くい込む』『スケベOL 感度良好』。毎土曜オールナイトとの記載あり。この時点の岡崎にあった映画館は岡崎南映劇場のみであり、一般映画館は存在しなかった。*37

2006年1月19日頃の上映作品は、『花と蛇2 パリ/静子』『しっとり熟女 三十路の昼下り』。毎土曜オールナイトとの記載あり。この時点の岡崎にあった映画館は岡崎南映劇場のみであり、一般映画館は存在しなかった。『東海愛知新聞』に掲載された最後の上映案内である。*38

2006年1月18日付の『東海愛知新聞』には岡崎南映劇場の閉館を伝える記事が掲載されている。住職のいなかった地蔵尊の跡地に映画館が誘致され、1956年10月10日に山田守(山田敏貴の父)によって岡崎南映劇場が開館した。1980年頃までは一般映画館であり、大映・東宝・松竹の作品を2本立てで上映していた。当時のこの地域には、日清紡戸崎工場、日清紡針崎工場、森永製菓岡崎工場などがあり、計数千人が工場などで働いていた。開館からすぐに繁盛し、開館を待つ行列が国鉄岡崎駅まで伸びたこともあった。開館時間前や休憩時間には周辺の商店街も活気づいた。映画人気が低下すると、一般映画と成人映画を交互に上映するようになった。息子の山田敏貴が経営を引き継ぐと、人気が上昇していた成人映画の専門館に転換した。50年間にわたって無休で営業し、週末のレイトショーも含めて“週8日”営業した。近年の観客数は全盛期の1/10ほどである。周辺地域で土地区画整理事業が行われ、行政から立ち退き通告を受けたため、閉館することとなった。閉館後すぐ、1月中には建物が取り壊される。閉館時の館主は山田敏貴(73)。*39

シネプレックス岡崎/ユナイテッド・シネマ岡崎

所在地 : 愛知県岡崎市羽根町小豆坂3 ウイングタウン内
開館年 : 2007年7月14日
閉館年 : 営業中
2007年7月14日、岡崎市羽根町小豆坂に複合映画館「シネプレックス岡崎」が開館する。市内では約3年ぶりとなる一般映画館の復活。角川シネプレックスが全国展開するシネマコンプレックス(複合映画館)の12店目。175席から426席までの9面のスクリーンを備えており、総座席数は1978席。各スクリーンともデジタル音響に対応しており、うち3スクリーンは反響を抑える特殊な吸音設備を有する音響システムを導入する。駐車場は1350台分を予定。チケットはパソコンや携帯電話からインターネットで購入できる。日時指定した事前購入は4日前から可能。岡崎市内には昭和40年代に15の映画館があったが、成人映画館を除けば2004年10月に閉館した伝馬通の岡崎グランド劇場が最後の映画館だった。*40

2007年7月14日、岡崎市羽根町のクラタ産業工場跡地にシネプレックス岡崎が開館する。9スクリーン計1978席。岡崎市にシネコンは初めて。岡崎市経済振興部商工労政課によると、かつて岡崎市には最大7館の映画館があったが、2004年1月に岡崎南映劇場が閉館してからは映画館がなくなっていた。角川シネプレックスにとって13館目のシネコンであり、中部地方では同社初のシネコン。*41

2007年7月、角川シネプレックスによってシネコン「シネプレックス岡崎」が開館した。175席から最大426席までの9スクリーンを備え、座席総数は1978席。1350台分の駐車場がある。チケットはパソコンや携帯電話から購入でき、日時指定の事前購入は4日前から可能。「スクリーン9つ 映画館オープン シネプレックス岡崎」『中日新聞』、2007年7月19日))

イオンシネマ岡崎

所在地 : 愛知県岡崎市戸崎町大道西20 イオンモール岡崎ショッピングセンター内
開館年 : 2008年11月28日
閉館年 : 営業中
2008年11月28日、イオンモール岡崎に娯楽の中心としてシネマ館が新設されてリニューアルオープンする。10スクリーン計1,500席のシネコンとゲームセンターが入る。商業施設面積は67,000平方メートルから95,000平方メートルに増える。商圏は豊田市や東三河地方も含めた車で50分以内の100万人を見込んでいる。*42

幸田町

幸田座(初代)

所在地 : 愛知県額田郡幸田村
開館年 : 1914年
閉館年 : 1944年
1914年(大正3年)、国鉄幸田駅前に劇場の「幸田座」が開館した。木造2階建て。建坪145坪。開館当時の幸田村にはまだ電気が通じておらず、ろうそくを照明に用いた。毎日興行するのではなく、盆・正月・農休みなどの際に興行を行った。当初は歌舞伎の興行が多く、大正末期ごろからは活動写真も上映した。太平洋戦争中の1944年(昭和19年)には空襲を恐れて取り壊された。*43

幸田座(2代)

所在地 : 愛知県額田郡幸田村(1953年)、愛知県額田郡幸田町(1955年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1955年以後1960年以前
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「幸田座」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。正確な場所は不明。

幸田映画劇場

所在地 : 愛知県額田郡幸田町芦谷字幸田33(1963年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「幸田映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年のアイゼン住宅地図では確認できなかった。1970年のゼンリン住宅地図では跡地に「コウダショッピングセンタードミープラザ」。1976年・1983年の航空住宅地図帳では跡地に「幸田ショッピングセンター」。1989年のゼンリン住宅地図では跡地に「コウダショッピングセンター 2階ドミープラザユーキチ」。跡地は「幸田駅前書店」東側の「幸田駅前銀座駐車場」。最寄駅はJR東海道本線幸田駅。幸田駅前アーケードの名称は「ファミリーショップビューレイ」。

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