閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。


横浜市中心部

中区

新光映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区山下町164(1960年・1963年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「新光映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

2012年9月29日から横浜市で横浜中華街映画祭が開催される。中華街大通りにある中華料理店同發(どうはつ)新館が会場。高い天井のホールは1960年頃まで「新光映画劇場」という映画館だった。『さらば、わが愛 覇王別姫』や『サンザシの樹の下で』など、中国・台湾・香港の計8本を上映する。*1
本牧劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区本牧町1-10(1960年・1963年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「本牧劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
野毛劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区野毛町2-73(1960年・1963年)
開館年 : 1951年6月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「野毛劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
ヨコハマ東映/横浜ニュー東映劇場/横浜第二東映
所在地 : 神奈川県横浜市中区長者町5-56(1960年・1963年)
開館年 : 1947年9月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿では「ヨコハマ東映」。1958年の映画館名簿では「横浜ニュー東映劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「横浜第二東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
マッカーサー劇場/横浜吉本映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区宮川町3-70(1963年)
開館年 : 1947年3月4日
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年の映画館名簿では「マッカーサー劇場」。1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「横浜吉本映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ウインズ横浜A館」建物南東部。

1949年3月3日の「マツクアーサー劇場」の開場3周年記念写真あり。1946年に野毛に建設され、1947年3月に開館した。マツクアーサー劇場という館名は公募された。(※3周年の1年前である)1948年に開館1周年を祝っている。*2
山手劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区大和町1-9(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1966年の住宅地図では「山手劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「M・S・山手ビル」。
麦座/横浜麦座
所在地 : 神奈川県横浜市中区麦田町3-93(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1966年の住宅地図では「麦座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はガソリンスタンド「コスモ石油マリンブルー横浜SS」。
日ノ出映画劇場/日之出東映/横浜日の出東映
所在地 : 神奈川県横浜市中区宮川町3-92(1966年)
開館年 : 1954年11月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1965年の住宅地図では「日の出東映」。1966年の住宅地図では跡地に「空地」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エクレール横浜一番館」。

1961年の横浜市中区宮川町にあった「日之出東映」の写真あり。「日之出東映」「東映日活封切豪華3本立」「最低の料金最高の番組」の文字が見える。『でかんしょ風来坊』『鳴門秘帖』『アマゾン無宿 世紀の大魔王』の看板が見える。建物前には2代のパトカーが停まっている。*3
横浜吉本映画劇場/横浜国際劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区宮川町3-70(1966年)
開館年 : 1947年5月5日
閉館年 : 1968年頃
Wikipedia : 横浜国際劇場
1966年の住宅地図では「横浜国際劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ウインズ横浜A館」建物中央東側。
グリンホール/横浜グリーンホール
所在地 : 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2-52(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1966年の映画館名簿では「横浜グリーンホール」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
オリオン座/横浜オリオン座
所在地 : 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2-51(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1966年の映画館名簿では「横浜オリオン座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
横浜宝塚劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区住吉町4-42(1966年)
開館年 : 1935年4月1日
閉館年 : 1969年9月
Wikipedia : 横浜宝塚劇場
1955年・1960年・1966年の映画館名簿では「横浜宝塚劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1986年9月27日開館の「横浜市市民文化会館関内ホール」。
横浜東急/横浜新東宝/横浜東亜劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区曙町1-3(1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1980年以後1982年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では「横浜東亜」。1980年の映画館名簿では「横浜東亜劇場」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「藤和伊勢佐木町ハイタウン」建物北側。
大勝館/横浜大勝館
所在地 : 神奈川県横浜市中区末吉町3-47(1980年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1982年以後1985年以前
1974年の住宅地図では「横浜大勝館」。1980年の映画館名簿では「横浜大勝館」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「トーカン伊勢佐木町キャステール」建物北側。
横浜千代田劇場/千代田劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区末吉町3-48(1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「千代田劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「横浜千代田劇場」。1974年の住宅地図では「千代田劇場」。1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「千代田劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「リベラル伊勢佐木町」。

昭和40年代の横浜市中区にあった映画館「千代田劇場」の写真あり。「横浜封切場」の文字が見える。*4
名画座/東映名画座/横浜名画座/横浜東映名画座
所在地 : 神奈川県横浜市中区若葉町3-51(1955年・1958年)、神奈川県横浜市中区若葉町3-50(1960年・1963年)、神奈川県横浜市中区若葉町3-51(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1952年12月25日
閉館年 : 1989年
Wikipedia : シネマ・ジャック&ベティ
1955年の映画館名簿では「名画座」。1958年の映画館名簿では「東映名画座」。1960年・1963年の映画館名簿では「横浜名画座」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「横浜東映名画座」。跡地でミニシアター「シネマ ジャック・シネマ ベティ」が営業。

1966年の横浜市中区にあった「横浜東映名画座」の写真あり。1952年、進駐軍の接収が解除された若葉町の飛行場跡地に「名画座」として開館した。1989年に閉館した。*5

『キネマ旬報』1976年8月下旬号、689号には、「われらの映画館 108回 横浜東映名画座」が掲載されている。*6
文化劇場/横浜文化劇場/横浜文化
所在地 : 神奈川県横浜市中区野毛町3-140(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1990年以後1992年以前
1966年の住宅地図では「横浜文化劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「横浜文化劇場」。1990年の映画館名簿では「横浜文化」。1992年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ウインズ横浜B館」建物南西部。
シネページ本牧・シネスイッチ本牧
所在地 : 神奈川県横浜市中区本牧原12-1 マイカル本牧5番街(1990年・1992年・1993年)
開館年 : 1989年4月30日
閉館年 : 1993年以後1995年以前
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1992年・1993年の映画館名簿では「シネページ本牧・シネスイッチ本牧」(2館)。1995年の映画館名簿には掲載されていない。
ヨコハマニュース劇場/ヨコハマニュース/横浜ニュース劇場
所在地 : 神奈川県横浜市中区花咲町2-57(1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1995年以後1998年以前
1974年の住宅地図では「ヨコハマニュース劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「ヨコハマニュース劇場」。1990年の映画館名簿では「ヨコハマニュース」。1995年の映画館名簿では「横浜ニュース劇場」。1998年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はコンビニ「ローソンストア100横浜桜木町駅前が入る「ミシナビル」。

『キネマ旬報』1977年4月下旬号、705号には、「われらの映画館 122回 ヨコハマニュース劇場」が掲載されている。*7
横浜大映劇場/横浜松竹/横浜松竹・横浜セントラル
所在地 : 神奈川県横浜市中区長者町8-119(1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1998年以後2000年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では「横浜松竹劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「横浜松竹」。1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「横浜松竹・横浜セントラル」(2館)。1998年の映画館名簿では鉄筋造1階、304席と308席、経営会社が清新産業株式会社、横浜松竹は松竹を上映、横浜セントラルは洋画ロードショーを上映。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「キコーナ伊勢佐木店」建物南側。
横浜ピカデリー劇場/横浜ピカデリー
所在地 : 伊勢佐木長者町6-88(1958年)、神奈川県横浜市中区長者町6-88(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1954年5月
閉館年 : 1998年
1958年・1960年の映画館名簿では「横浜ピカデリー劇場」。1963年の映画館名簿では「横浜ピカデリー」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「横浜ピカデリー劇場」。1976年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「横浜ピカデリー」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。マンション跡地は「グラン・アルベーラ横濱・関内」建物北側。

1998年7月31日の『神奈川新聞』には「横浜ピカデリー」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*8
オデヲン座/横浜東亜映画劇場/オクタゴンシアター/横浜松竹映画劇場/横浜オデオン座
所在地 : 神奈川県横浜市中区伊勢佐木長者町6-104(1958年)、神奈川県横浜市中区長者町6-104(1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、神奈川県横浜市中区伊勢佐木町3-98(1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1911年12月(オデヲン座)、1985年7月13日(横浜オデヲン座)
閉館年 : 1973年2月22日(オデヲン座)、2000年7月7日(横浜オデヲン座)
Wikipedia : 横浜オデヲン座
1911年12月オデヲン座開館。1942年横浜東亜映画劇場改称。その後横浜松竹映画劇場改称。1945年10月オクタゴンシアター改称。1955年11月横浜松竹映画劇場改称。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「横浜松竹映画劇場」。1973年2月閉館。1976年・1980年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。1985年7月横浜オデヲン座開館。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「横浜オデオン座」。2000年7月7日横浜オデヲン座閉館。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ドン・キホーテ伊勢佐木町店」。

横浜市初の常設活動写真館は、1908年12月30日に現在の伊勢佐木町4丁目付近に開館した「Mパテー商会活動電気館」である。1909年には「敷島館」に改称した。1911年には現在の伊勢佐木町1丁目付近に「横浜館」が開館し、フランス映画『ジゴマ』が上映された。1911年12月25日、ドイツ人貿易商のリヒアルド・ウエルデルマンによって、日本初の外国映画上映専門館である「オデヲン座」が開館した。木造2階建ての洋館であり、1階は椅子席、2階はじゅうたん敷席と椅子席だった。スクリーンの前にはオーケストラボックスがあった。ウエルデルマンは欧米で製作されたばかりのフィルムを輸入して上映した。オデオン座に隣接して「又楽館」(ゆうらくかん)が、現在の伊勢佐木町2丁目付近には東映会館の前身である「朝日座」があった。1914年に『オスカーの死』を上映中のオデヲン座の写真あり。1923年9月1日に起こった関東大震災ではオデヲン座も倒壊した。1931年には『モロッコ』が上映され、日本で初めて字幕入りトーキー作品を上映した映画館となった。1936年に鉄筋コンクリート造4階建てで新築されたオデヲン座の写真あり。戦後には進駐軍に接収されて「オクタゴン劇場」となったため、曙町に2階建ての新館を建設した。その後オクタゴン劇場の接収が解除されたため、元の建物を「横浜松竹劇場」として活動を再開した。1973年2月22日には閉館し、跡地に商業ビルを建設するために取り壊された。跡地には9階にオデヲン座が入る商業ビルが建設され、1985年7月13日にこのビルで営業を再開した。郷土映画史研究家の丸岡澄夫は、『オデヲン座物語』(六崎彰、1975年)や『かながわシネマ風土記』(かなしん出版、1993年)などの著書を持つ。*9

1957年の横浜市中区にあった映画館「オデヲン座」の写真あり。木下惠介も幾歳月』の垂れ幕が見える。戦後の1945年には進駐軍に接収され、進駐軍専用の「オクタゴン劇場」となった。1955年の接収解除で返還され、1955年12月に「横浜松竹映画劇場」となった。*10

1956年7月8日の横浜市の長者町にあった「横浜松竹映画劇場」(元オデオン座)の写真あり。「Shochiku」の文字が見える。『茶の間の時計 愛情の波紋』と『青春の音』の看板が見える。戦後の同館は米軍専用の「オクタゴン劇場」と呼ばれていたが、1955年11月に接収が解除された。*11

「オデオン座」を主題とする書籍に、郷土映画史研究家の丸岡澄夫による『オデヲン座物語』(六崎彰、1975年、1985年再版)がある。*12
横浜東宝会館
所在地 : 神奈川県横浜市中区住吉町5-59(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1956年3月27日
閉館年 : 2001年11月29日
Wikipedia : 横浜東宝会館
1980年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜スカラ座・横浜東宝シネマ・横浜東宝名画座」(4館)。1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「横浜東宝劇場・横浜東宝エルム・横浜東宝シネマ1・2・横浜スカラ座」(5館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。建物名は横浜東宝会館。跡地は「リッチモンドホテル横浜馬車道」。

1956年3月27日、横浜市中区住吉町に「横浜東宝会館」が開館した。同日には会館内の横浜スカラ座で開場式が行われ、東宝副社長の寺本熊俊、神奈川県知事の内山岩太郎、横浜市長の平沼亮三らが出席した。13時から4館そろって本興行に入った。鉄筋造、地上5階・地下2階建て。延床面積1999坪。4劇場が入っており、1階から3階が「横浜東宝劇場」、4階と5階が「横浜スカラ座」、地下1階と2階は「東宝シネマ」と「東宝名画座」。東宝の子会社である株式会社横浜東宝会館が経営する。*13

1956年頃の横浜市中区の住吉町方面の写真あり。中央奥に「横浜東宝会館」の看板が見える。1956年、住吉町5丁目に横浜東宝会館が開館した。地上4階・地下1階建てのビルである。*14

1959年の住吉町5丁目角にあった馬車道通りの映画館前の写真あり。「東宝劇場」「東宝名画座」「東宝シネマ」「スカラ座」が入っていた。東宝劇場では『私は貝になりたい』と『おしゃべり奥様』を上映している。東宝名画座では『インカ王国の秘宝』を上映している。東宝シネマでは『いたづら』を上映している。スカラ座では『底抜け慰問屋行ったり来たり』を上映している。*15

1964年頃の横浜市中区の馬車道の写真あり。現在の木下商事ビルから馬車道交差点越しに馬車道を眺めている。右奥には1956年開館の「横浜東宝会館」がある。*16

2001年11月30日の『神奈川新聞』には「横浜東宝会館」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*17

2001年11月29日、横浜市中区住吉町5丁目の映画館「横浜東宝会館」が閉館した。1956年3月に開館し、美空ひばりら主演の『ひばり・チエミ・いづみのじゃんけん娘』やソフィア・ローレン主演の『河の女』がオープニング作品だった。ひとつの建物に複数館が入っているのは画期的であり、当時はまだスタジアム形式の座席は珍しかった。*18
喜楽座/横浜日活館/横浜日活映画劇場/横浜日活劇場/横浜日活シネマ/横浜にっかつ劇場/横浜オスカー1・2
所在地 : 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町3-96(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)、神奈川県横浜市中区伊勢佐木町3-96 横浜日活会館4階・6階(閉館時)
開館年 : 1930年(喜楽座)、1935年(横浜日活館)、1945年12月(営業再開)
閉館年 : 2002年1月31日
1980年・1985年の映画館名簿では「横浜にっかつ劇場」。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「横浜オスカー1・2」(2館)。2005年の映画館名簿には掲載されていない。

2001年12月17日の『神奈川新聞』には「横浜オスカー」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*19
横浜かもめ座/かもめ座
所在地 : 神奈川県横浜市中区宮川町(1960年)、神奈川県横浜市中区宮川町2-36(1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 2002年12月
1953年・1960年の映画館名簿では「かもめ座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「かもめ座」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。2008年解体。跡地は有料駐車場「マストパーキング日の出町」。

1952年には横浜市中区の野毛の一角に映画館「かもめ座」が開館した。京急日ノ出町駅を出て狭い路地を大岡川に向かって2ブロック歩いた裏路地の先にあり、伊勢佐木町や野毛町に隣接していた。戦後に伊勢佐木町がアメリカ軍に接収されると、伊勢佐木町から流れてきた飲食店などで一帯がにぎわった。開館当初から洋画二本立て・三本立ての名画座であり、安価で何本も見られるのが人気だった。周辺には労働者向けの宿が点在しており、ピーク時の昭和40年代には西部劇などで観客席がわいた。観客数の減少に加えて建物の老朽化もあり、2002年末に閉館した。閉館から3年後の2005年12月26日、ファンらによってお別れイベントが開催される。*20

2008年3月18日の『神奈川新聞』には「かもめ座」の解体が進んでいるという記事が掲載されている。現物は未確認。*21
関内アカデミー/関内アカデミー劇場・関内アカデミー2/関内MGA MOVIE1・2
所在地 : 神奈川県横浜市中区羽衣町2-4-5(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1975年
閉館年 : 2004年1月20日
港町キネマ通り : 関内アカデミー
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の映画館名簿では「関内アカデミー」。1985年の映画館名簿では「関内アカデミー劇場」。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「関内アカデミー劇場・関内アカデミー2」(2館)。2005年の映画館名簿では「関内MGA MOVIE1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「福寿ビル」。

2006年3月3日の『神奈川新聞』には閉館した「関内MGA」跡地にダイニングバーが開店するという記事が掲載されている。現物は未確認。*22
横浜日劇
所在地 : 神奈川県横浜市中区若葉町3-50(1960年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1953年12月29日
閉館年 : 2005年2月18日
Wikipedia : 横浜日劇
1960年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「横浜日劇」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズ横濱伊勢佐木」。

2005年1月16日の『神奈川新聞』には「横浜日劇」が2月をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*23

2005年2月18日をもって、横浜市の映画館「横浜日劇」が閉館する。1957年に開館すると、封切りを終えた作品を二本立て・三本立てで上映してきた。探偵ドラマ『私立探偵 濱マイク』の撮影ロケ地にもなった。2004年には長年にわたって経営してきた中央興業からシティズン・シネマに経営権が譲渡されたが、収入が増えなかったことから閉館が決定した。横浜日劇と向かい合っている「シネマ・ジャック&ベティ」も同時にシティズン・シネマに譲渡されたが、横浜日劇と同時に閉館する。2004年10月には横浜駅西口で中央興業が運営していた「ヨコハマ・シネマ・ソサエティ」が、台風22号で浸水して機材が被害を受けて閉館している。*24

2007年3月17日と3月18日、横浜市中区若葉町3丁目の元映画館「横浜日劇」で最後の上映会が開催される。1950年代に開館し、洋画の二番館として2本立ての上映を行った。船員や船の荷運びを行う沖仲仕が多く訪れた。1990年代には映画『私立探偵濱マイク』のロケ地となり、映画館そのものが名所となった。2005年2月に閉館したが、建物が取り壊されることとなったことから上映会が企画された。ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』が上映される。*25
横浜東映/横浜東映劇場/伊勢佐木町東映/伊勢佐木町東映劇場・伊勢佐木町東映2/伊勢佐木町東映劇場1・2
所在地 : 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町3-107(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1972年
閉館年 : 2006年8月4日
Wikipedia : 伊勢佐木町東映
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の映画館名簿では「横浜東映劇場」。1985年の映画館名簿では「伊勢佐木町東映」。1990年の映画館名簿では「伊勢佐木町東映劇場」。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「伊勢佐木町東映劇場・伊勢佐木町東映2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「スーパーハリウッド伊勢佐木」。

1957年の横浜市中区にあった「横浜東映劇場」の写真あり。中村錦之助主演作『ゆうれい船』の上映中。右隣にはヨコチクレコード店があった。戦前は「朝日座」として、戦後の1946年11月から「横浜グランド劇場」として営業し、1956年12月に横浜東映劇場となった。*26

2006年7月21日の『神奈川新聞』には「伊勢佐木町東映」が8月4日をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*27

2006年8月5日の『神奈川新聞』には「東映」が閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*28

2007年9月22日の『神奈川新聞』には「横浜東映会館」が売却されるという記事が掲載されている。現物は未確認。*29
マイカル松竹シネマズ本牧/MOVIX本牧
所在地 : 神奈川県横浜市中区本牧原14番1号 マイカル本牧6番街(2000年・2005年)、神奈川県横浜市中区本牧原14番1号(2010年)
開館年 : 1996年6月29日、2004年4月30日(改称)
閉館年 : 2011年1月16日
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「マイカル松竹シネマズ本牧第1館-第8館」(8館)。2010年の映画館名簿では「MOVIX本牧1-8」(8館)。2015年の映画館名簿には掲載されていない。

2017年12月9日と12月10日、横浜市中区の「マイカル松竹シネマズ本牧」で上映会が開催される。1996年に開館し、2011年に閉館した。スクリーンや座席が取り払われているが、ホールは残っていることから、毎年本牧アートプロジェクトが開催されている。*30
テアトル横浜/ニューテアトル/横浜ニューテアトル
所在地 : 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2-8-1(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)、神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2-8-1 若林ビル地下1階(閉館時)
開館年 : 1955年4月20日
閉館年 : 2018年6月1日
Wikipedia : 横浜ニューテアトル
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「ニューテアトル」。2000年・2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「横浜ニューテアトル」。2020年の映画館名簿には掲載されていない。若林ビルは現存。

2018年6月1日をもって、横浜市中区の映画館「横浜ニューテアトル」が63年の歴史に幕を閉じて閉館する。支配人である長谷川善行(63)の体調不良などが理由。1955年に東京テアトルの直営館「テアトル横浜」として開館し、1972年に長谷川重行が買い取って横浜ニューテアトルとなった。1996年には長谷川善行が後を継いだ。2006年には全国で初めて『ヨコハマメリー』を上映し、連日100人ほどの行列ができた。ドキュメンタリー作品としては異例の6週間のロングラン上映となった。1980年代から90年代には年間約5万人の観客数があったが、ここ5年は年間1万人〜2万人にとどまっていた。2011年には長谷川善行が5か月間入院し、両耳が聞こえにくくなるなどの後遺症が残った。5月27日にはお別れイベントが開催される。片渕須直監督の『この世界の片隅に』と『マイマイ新子と千年の魔法』が上映され、横浜ニューテアトルをよく訪れた片渕監督が同館の思い出を語る。*31

2018年5月26日の『神奈川新聞』には「横浜ニューテアトル」が6月1日をもって閉館するという記事が掲載されている。現物は未確認。*32

2018年6月1日をもって、横浜市中区伊勢佐木町の「横浜ニューテアトル」が閉館する。1972年にテアトル横浜がリニューアルし、1996年には長谷川重行から息子の長谷川善行が経営を引き継いだ。長谷川は2011年に脳梗塞で半年間療養しており、体調悪化が閉館の理由。5月27日にはお別れイベントが開催され、片渕須直監督の『この世界の片隅に』と『マイマイ新子と千年の魔法』が上映された。最終上映作品は『ヨコハマメリー』。2006年には全国で最も早く上映し、連日約100人の行列ができた。*33
横浜光音座/光音座/横浜光音座1・2
所在地 : 神奈川県横浜市中区宮川町2-59(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1947年1月、1989年(改修)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 横浜光音座
1980年・1985年の映画館名簿では「光音座」。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「横浜光音座1・2」(2館)。成人映画館。

横浜市の映画館「光音座」の写真あり。「競馬全レース放映中」の看板が見える。横浜市では珍しい成人映画の専門館である。*34

「横浜光音座」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*35

倖田李梨と藤里一郎による写真集『タイガーリリー』には、「石巻パール劇場」(宮城県石巻市)、「宇都宮オークラ」(栃木県宇都宮市)、「新橋ロマン」(東京都港区)、「旧上野オークラ」(東京都台東区)、「横浜光音座」(神奈川県横浜市)「金沢駅前シネマ」(石川県金沢市)、「的場有楽」(広島県広島市)、「前田有楽」(福岡県北九州市)、「首里劇場」(沖縄県那覇市)、が掲載されている。現物は未確認。図書館には基本的に所蔵されていない。*36
横浜花月劇場/イセザキシネマ座/イセザキシネマ/横浜シネマリン
所在地 : 神奈川県横浜市中区長者町6-95(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1955年7月8日(横浜花月劇場)、1964年(イセザキシネマ座)、1989年(横浜シネマリン)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 横浜シネマリン
1980年・1985年の映画館名簿では「イセザキシネマ」。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「横浜シネマリン」。

2014年12月13日、横浜市の伊勢佐木町にある「横浜シネマリン」が再オープンする。運営会社は閉館を決めていたが、自主上映団体である横浜キネマ倶楽部事務局長の八幡温子(58)が運営会社を買収して映画館を存続させた。9月には改装工事を開始し、165席を102席に縮小。上映機材をデジタル化するとともに、35ミリ映写機を2台設置した。八幡は5000万円以上を投じており、本業の不動産賃貸業から資金を回している。もともとはビルの竣工と同時に吉本興業が「花月映画劇場」として開館させ、横浜市内の飲食店経営者が引き継いで「イセザキシネマ座」となると、1986年に現在の経営者に代わった。*37
シネジャック・シネベティ/シネマ ジャック・シネマ ベティ
所在地 : 神奈川県横浜市中区若葉町3-51(1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1991年12月21日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマ・ジャック&ベティ
横浜東映名画座の施設を利用して開館。1992年の映画館名簿では「シネジャック・シネベティ」(2館)。1992年の映画館名簿では経営会社が中央興業、経営者が福寿昌子、支配人が福寿祁久雄、いずれも鉄筋2階、114席と138席、いずれも邦画・洋画を上映。中央興業は関内アカデミー劇場や横浜日劇や西口名画座も経営。1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「シネマ・ジャック」と「シネマ・ベティ」(2館)。

「シネマ・ジャック&ベティ」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*38
県民共済シネマホール
所在地 : 神奈川県横浜市中区元浜町4-32(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1982年以後1985年以前
閉館年 : 営業中
1982年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「県民共済シネマホール」。1スクリーン144席。
ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい/イオンシネマみなとみらい
所在地 : 神奈川県横浜市中区新港町11 横浜ワールドポーターズ5階(2000年・2005年)、神奈川県横浜市中区新港2-2-1 横浜ワールドポーターズ5階(2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1999年9月10日
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい1-8」(8館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマみなとみらい1-8」(8館)。
横浜ブルク13
所在地 : 神奈川県横浜市中区桜木町1-1-7 TOCみなとみらい6階(2015年)、神奈川県横浜市中区桜木町1-1-7 コレットマーレ6階(2020年)
開館年 : 2010年3月19日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2015年・2020年の映画館名簿では「横浜ブルク13 シアター1-13」(13館)。

横浜市東部

西区

藤棚中央劇場/藤棚中央映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市西区西前町4-273(1953年・1955年)
開館年 : 1951年5月15日
閉館年 : 1959年4月27日
1953年の映画館名簿では「藤棚中央劇場」。1955年の映画館名簿では「藤棚中央映画劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「横浜信用金庫藤棚支店」。
富士館/浜富士館
所在地 : 神奈川県横浜市西区藤棚町1-14(1958年)、神奈川県横浜市西区藤棚町1-4(1960年・1963年)
開館年 : 1946年8月
閉館年 : 1965年8月15日
1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「浜富士館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
戸部映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市西区石崎町1-13(1969年)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

横浜西区史編集委員会『横浜西区史』「第三章 演芸場・映画館 第一節 劇場」横浜西区史編集委員会、1995年は横浜市西区にあった映画館に言及している。現物は未確認。*39
相鉄ムービル(初代)
所在地 : 神奈川県横浜市西区北幸町1-13-7(1980年)、神奈川県横浜市西区北幸町1-3-23(1985年)
開館年 : 1971年3月5日
閉館年 : 1988年11月7日
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の映画館名簿では「相鉄東宝劇場・相鉄映画劇場・相鉄国際劇場・相鉄文化劇場・相鉄中央劇場」(5館)。1985年の映画館名簿では「相鉄東宝・相鉄映画・相鉄国際・相鉄文化・相鉄中央」(5館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。5スクリーンの複合映画館。跡地はホテル「横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ」。
横浜ライオン座/ライオン座/洪福寺ライオン座
所在地 : 神奈川県横浜市西区浅間町5-389-2(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1954年4月14日
閉館年 : 1990年11月30日
1980年・1985年の映画館名簿では「ライオン座」。1990年の映画館名簿では「洪福寺ライオン座」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン横浜浅間町5丁目店」があるマンション「ナイスアーバン横浜天王町」。

1954年春のこのほど、横浜市浅間町5丁目に「ライオン座」が開館した。洋画各社の上映館。経営者は北原イト、支配人は村上一雄。木造2階建て、定員240。*40

田中小実昌『コミマサ・シネマ・ツアー』早川書房、1990年で言及されている。現物は未確認。*41
テアトルキッズ
所在地 : 神奈川県横浜市西区高島2-18-1 横浜そごう5階(1990年・1995年・2000年)
開館年 : 1985年9月30日
閉館年 : 2002年1月7日
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「テアトルキッズ」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。
横浜西口名画座/西口名画座/ヨコハマシネマソサエティ
所在地 : 神奈川県横浜市西区南幸1-10-1(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年)、神奈川県横浜市西区南幸1-10-18 中山ビル地下1階(閉館時)
開館年 : 1955年
閉館年 : 2004年11月20日
1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「西口名画座」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。中山ビルは現存。
よこはま西口にっかつ
所在地 : 神奈川県横浜市西区南幸2-1-7(1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1982年以後1985年以前
閉館年 : 2010年1月
1982年の映画館名簿には掲載されていない。1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「よこはま西口にっかつ」。2015年の映画館名簿には掲載されていない。
109シネマズMM横浜
所在地 : 神奈川県横浜市西区高島1-3-2 GENTO YOKOHAMA内(2005年)、神奈川県横浜市西区みなとみらい5-1-2 GENTO YOKOHAMA内(2010年・2015年)
開館年 : 2004年11月25日
閉館年 : 2015年1月25日
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2010年・2015年の映画館名簿では「109シネマズMM横浜1-11」(11館)。2020年の映画館名簿には掲載されていない。
ブリリアショートショートシアター
所在地 : 神奈川県横浜市西区みなとみらい5-3-1 フィルミー内2階(2010年・2015年)
開館年 : 2008年2月14日
閉館年 : 2017年12月2日
Wikipedia : ブリリア・ショートショートシアター
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年の映画館名簿では「ブリリアショートショートシアター」。2020年の映画館名簿には掲載されていない。

2017年12月2日をもって、横浜市西区みなとみらい5丁目の映画館「ブリリア ショートショートシアター」が閉館する。俳優の別所哲也によって、2008年2月に短編映画専門映画館として開館した。3000本を超える短編映画を上映し、観客数は10年間で26万人以上を記録した。建物の賃貸借契約が完了となることが閉館の理由。2018年2月からはインターネット上の仮想映画館「ブリリア ショートショートシアター オンライン」として再出発する。*42
相鉄ムービル(2代)/ムービル
所在地 : 神奈川県横浜市西区南幸2-1-22(1995年・2000年・2005年・2010年・2015年)、神奈川県横浜市西区南幸2-1-22 相鉄ムービル4階(2020年)
開館年 : 1988年11月12日
閉館年 : 営業中
1990年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「相鉄ムービル1-5」(5館)。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「ムービル1-5」(5館)。

1988年11月12日、横浜駅西口の南幸橋脇に映画館ビル「相鉄ムービル」が開館する。旧相鉄本社ビル跡地一帯の再開発によって、約40億円が投じられて鉄骨鉄筋コンクリート造6階建てのビルが建設された。現行の相鉄ムービル内の5館が移転するほか、演劇小劇場・相鉄本多劇場・ライブハウス・ジャズバーなども入る。映画館は2階と4階にあり、座席数は306席から598席。*43
シネマノヴェチェント
所在地 : 神奈川県横浜市西区中央2-1-8 岩崎ビル2階(2020年)
開館年 : 2015年2月7日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマノヴェチェント
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「シネマノヴェチェント」。1スクリーン28席のミニシアター。
kino cinema 横浜みなとみらい1・2・3
所在地 : 神奈川県横浜市西区みなとみらい4-7-1 みなとみらいミッドスクエア2階(2020年)
開館年 : 2019年4月12日
閉館年 : 営業中
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2020年の映画館名簿では「kino cinema 横浜みなとみらい1・2・3」(3館)。

南区

スバル座/日活スバル座/東宝スバル座
所在地 : 神奈川県横浜市南区弘明寺町259(1960年)
開館年 : 1952年11月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿では「スバル座」。1958年の映画館名簿では「日活スバル座」。1960年の映画館名簿では「東宝スバル座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

戦後、横浜市南区の観音様近くのアーケードを出た辺りには映画館「スバル座」があった。*44
横浜百万弗劇場/南座東映・中座/百万弗映画劇場・金港映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市南区井土ヶ谷中町129(1955年)、神奈川県横浜市南区井土ヶ谷町129(1960年)、神奈川県横浜市南区井土ヶ谷中町129(1963年)
開館年 : 1953年11月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』では1953年11月開館。1955年の映画館名簿では「横浜百万弗劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「南座東映・中座」(2館)。1963年の映画館名簿では「百万弗映画劇場・金港映画劇場」(2館)。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

戦後、横浜市南区井土ヶ谷中町には映画館「百万弗劇場」(百万ドル劇場)があった。*45
東亜劇場/弘明寺劇場/ひばり座
所在地 : 神奈川県横浜市南区中島町4-84(1955年・1960年・1963年)
開館年 : 1950年8月、1959年3月4日
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』では1950年8月開館。1955年の映画館名簿では「東亜劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「弘明寺劇場」。1963年の映画館名簿では「ひばり座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1962年から2017年までの跡地は「ピアゴ弘明寺店」。跡地は2020年竣工のマンション「クレヴィア横濱弘明寺」。

1959年3月4日、横浜市南区中島町4-84で休館していた「横浜ひばり座」が興和商事株式会社の経営となって開館した。松竹・新東宝・日活の併映館。*46

戦後、横浜市南区の弘明寺には映画館「東亜劇場」が開館した。2003年現在の跡地にはスーパーのユニーが建っている。*47
金美映画劇場/金美東映劇場
所在地 : 神奈川県横浜市南区南吉田2-17(1966年)
開館年 : 1953年11月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1966年の住宅地図では「金美東映」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ヴォーガコルテ横濱吉野町」。

戦前の横浜市南区南吉田町2丁目には映画館「金美館」があった。「オデオン座」の直営館であり、オデオン座で上映された作品が数か月後に上映される二番館だった。六ツ川や永田などに住む者が出てくる町といえば吉野町であり、買い物のついでに金美館で映画を見ることを楽しみにしていた。洋画と邦画の二本立てであり、鞍馬天狗シリーズやエノケンの喜劇などが上映された。戦時中には洋画の上映が禁じられ、地回りの歌舞伎を上演する芝居小屋「金美劇場」となった。戦時中の金美劇場の前には銭湯の福井湯があった。戦後には福井湯跡地に映画館「金美東映」として復活した。*48
春風座/横浜春風座
所在地 : 神奈川県横浜市南区中島町2-27(1969年)
開館年 : 1946年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年5月開館。1969年の住宅地図では「春風座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「Gsハイム蒔田」。

戦後、横浜市南区井土ヶ谷の鶴巻橋の近くには、映画館「ニュー浅草」が開館した。後にはストリップ劇場「春風座」となった。*49
有楽座/弘明寺有楽座
所在地 : 神奈川県横浜市南区弘明寺町144(1976年)
開館年 : 1953年11月
閉館年 : 1976年以後1980年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年11月開館。1969年の住宅地図では「有楽座」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は衣料品店「柳屋弘明寺2号店」が入る「水谷ビル」建物北側。

戦後、横浜市南区の観音橋のたもとには芝居小屋「銀星座」が開館した。後に映画館「有楽座」となった。*50

『キネマ旬報』1976年2月下旬号、676号には、「われらの映画館 96回 弘明寺有楽座」が掲載されている。*51
横浜銀座/横浜映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市南区真金町2-12(1980年・1985年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1985年以後1988年以前
1966年の住宅地図では「横浜銀座」。1980年・1985年の映画館名簿では「横浜映画劇場」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「まいばすけっと横浜橋店」西の「千万喜商会管理貸駐車場」。

戦後、横浜市南区の横浜橋通商店街には映画館「横浜銀座」が開館した。通称はヨコギン。*52

神奈川区

大口第一劇場
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区大口通28(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1957年の住宅地図では「第一センター 2階 大口通中央第一劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「大口第一劇場」。1962年の住宅地図では跡地に「パチンコ平和楼遊技場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「おおぐち通り整形外科」や「アーバン薬局」が入る「横浜大口アーバンビル」。
大口映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区大口通130-2(1969年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1968年の住宅地図では「大口映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「横浜信用金庫大口支店」。
子安曙劇場
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区大口仲町25(1969年)
開館年 : 1947年7月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年7月開館。1968年の住宅地図では「子安曙映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はドラッグストア「クリエイトS・D 横浜大口仲町店」。
白鳥座/横浜白鳥座
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区白楽124(1969年)
開館年 : 1951年5月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年5月開館。1968年の住宅地図では「白鳥座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静岡銀行白楽支店」。

1955年の神奈川区にあった映画館「白鳥座」の写真あり。「Movie HAKUCHOZA」「白鳥座」の文字が見える。『ロミオとジュリエット』の看板が見える。白楽西口駅前にあった。*53

1972年頃の横浜市神奈川区にあった映画館「紅座」と「白鳥座」の上映作品看板あり。いずれも東急東横線白楽駅近くにあった。*54
反町劇場/反町東映劇場
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区反町1-5(1973年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 1973年以後1976年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年4月開館。1968年の住宅地図では「反町東映」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「トップパルケ反町店」が入る「トーカンマンション反町佐藤ビル」。
ロマン座/反町ロマン座
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区反町2-14(1980年・1985年)
開館年 : 1951年1月
閉館年 : 1985年以後1988年以前
1968年の住宅地図では「ロマン座」。1980年・1985年の映画館名簿では「反町ロマン座」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「佐川印刷横浜支店」。
六角橋会館/横浜紅座/横浜べに座/紅座
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-1-10(1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1953年以前(六角橋会館)、1954年12月(紅座)
閉館年 : 1990年9月17日
1968年の住宅地図では「紅座」。1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「紅座」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「サンライズプラザ」(2020年5月31日閉店)建物廃墟北東部。

1972年頃の横浜市神奈川区にあった映画館「紅座」と「白鳥座」の上映作品看板あり。いずれも東急東横線白楽駅近くにあった。*55
西口シネマ/西口シネマ・西口ニューシネマ
所在地 : 神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町1-6(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1969年以後1973年以前
閉館年 : 2007年5月
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では「1階西口麻雀荘 2階西口シネマ」。1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「西口シネマ・西口ニューシネマ」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大橋ボクシングジム」南50mの工事用地。

鶴見区

銀映座
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区矢向町149(1960年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「銀映座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
ロマンス座/鶴見ロマンス座
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見町679(1955年・1963年)
開館年 : 1951年7月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』では1951年7月開館。1955年の映画館名簿では「ロマンス座」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「鶴見ロマンス座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1956年1月7日に鶴見の佃野商店街を回る鶴見鳶職組合の写真あり。毎年1月7日に行っていた出初式の様子である。背後は映画館「ロマンス座」。*56
鶴見レアルト劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見町675(1955年・1963年)
開館年 : 1948年3月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』では1948年3月開館。1955年の映画館名簿では「鶴見レアルト劇場」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「鶴見レアルト劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年頃の鶴見の佃野商店街にあった映画館「レアルト」の写真あり。「レアルト」の文字が見える。*57

時期不明の「レアルト劇場」の写真あり。1947年2月に佃野町に開館し、映画・演劇・コンサートなどに使用された。レアールつくのという商店街の名称はレアルト劇場に由来している。*58
富士館/生麦会館
所在地 : 神奈川県横浜市横浜市鶴見区生麦町47(1960年・1963年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿では「生麦会館」。1960年の映画館名簿では「富士館」。1963年の映画館名簿では「生麦会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
第三鶴見映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市横浜市鶴見区仲通3-188(1960年・1963年)
開館年 : 1952年9月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「第三鶴見映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
第二鶴見映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区潮田本町通4-178(1953年)、神奈川県横浜市鶴見区本町通4-178(1960年)、神奈川県横浜市鶴見区潮田本町通4-178(1963年)
開館年 : 1947年4月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「第二鶴見映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
つるみニュース劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区鶴見町1035(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「つるみニュース劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
末吉映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区下末吉町490(1966年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の住宅地図では「末吉映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「パレスコスゲ」西40mにある4軒分の民家。
旭映画劇場/鶴見東映劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区生麦町988(1969年)
開館年 : 1950年3月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年3月開館。1966年の住宅地図では「鶴見東映」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「花月園駅前公園」南東の路地や6軒分の飲食店。
鶴見映画劇場/第一鶴見映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区本町通4-171(1969年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年10月開館。1966年の住宅地図では「第一鶴映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ライオンズマンション鶴見本町通り」。
鶴見中央劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区仲通1-22(1969年)、神奈川県横浜市鶴見区仲通1-54-2(1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では「鶴見中央劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「アネックス鶴見第二」。
京浜映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区豊岡町29-4(1980年)
開館年 : 1951年3月
閉館年 : 1981年4月
1974年の住宅地図では「京浜映画劇場」。1980年の映画館名簿では「京浜映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「横浜信用金庫鶴見支店」南東70mにある「けいしん月極駐車場」。
鶴見文化/鶴見文化劇場
所在地 : 神奈川県横浜市鶴見区鶴見町1019(1980年・1985年・1990年)、神奈川県横浜市鶴見区鶴見町4-13-1(1995年)、神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央4-13-1(2000年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 2001年6月18日
1980年・1985年の映画館名簿では「鶴見文化劇場」。1990年・1995年の映画館名簿では「鶴見文化」。2000年の映画館名簿では「鶴見文化劇場」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2018年竣工のマンション「エクセレントシティ横浜鶴見」。

『キネマ旬報』1976年7月下旬号、687号には、「われらの映画館 106回 鶴見文化劇場」が掲載されている。*59

横浜市西部

保土ケ谷区

保土ケ谷文化劇場
所在地 : 神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町1-5(1960年)
開館年 : 1946年6月
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年6月開館。1960年の住宅地図では「保土ヶ谷文化劇場」。1962年の住宅地図では跡地に空白。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はドラッグストア「クリエイト横浜保土ヶ谷橋店」。
保土ケ谷ドラゴン座/ドラゴン座
所在地 : 神奈川県横浜市保土ケ谷区帷子町2-79(1976年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1974年の住宅地図では「ドラゴン座」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ライオンズマンション保土ケ谷ステーションプラザ」西すぐの英語学校「Lyceum of Alternative Education」。
保土ケ谷日活/永楽館/保土谷日活永楽館/保土ケ谷すばる座
所在地 : 神奈川県横浜市保土ケ谷区天王町2-119(1955年・1958年・1960年・1966年・1969年)、神奈川県横浜市保土ケ谷区天王町2-67-2(1973年・1976年・1980年・1985年・1990年)
開館年 : 1920年、1950年6月
閉館年 : 1990年4月
『全国映画館総覧 1955』によると1950年6月開館。1955年の映画館名簿では「永楽館」。1958年の映画館名簿では「保土谷日活」。1960年の映画館名簿では「永楽館」。1966年の映画館名簿では「保土谷日活永楽館」。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「保土ケ谷すばる座」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート横浜天王町店」が入る「第一増田ビル」建物南西部。

紡績工場の休業日には、映画館「永楽館」に女子工員が押し掛けた。永楽館は1920年に日活系の映画館として開館した。永楽館で活動写真を見て、ナンキンそばを食べて、今川焼をおみやげにするのが保土ケ谷の住人の定番だった。戦後に永楽館が開館した際の記念写真あり。「Eirakukan」の文字が見える。「新東宝映画」「SHIN TOHO」の文字が見える。岡晴夫の『憧れのハワイ航路』、高峰秀子の『処女室』の看板が見える。*60
天王町シネパック
所在地 : 神奈川県横浜市保土ケ谷区天王町1-6-2(1995年)
開館年 : 1991年10月15日
閉館年 : 1996年4月
1990年の映画館名簿には掲載されていない。1995年の映画館名簿では「天王町シネパック」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サテライトヴィラ天王町1」。

「特集 横浜映画館物語」『横浜市立図書館情報』第24号に掲載されている。現物は未確認。*61

戸塚区

テアトル戸塚
所在地 : 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町64(1969年・1973年)
開館年 : 1966年以後1969年以前
閉館年 : 1973年以後1976年以前
1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年の映画館名簿では「テアトル戸塚」。1974年の住宅地図では「テアトル戸塚」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三菱UFJ銀行戸塚支店」西の「加藤ビル」付近。閉館後の土地区画整理事業で道路区割りは大幅に変化しているので参考程度に。
戸塚松竹映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町92(1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1982年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1982年以後1985年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1982年の映画館名簿では「戸塚松竹映画劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三菱UFJ銀行戸塚支店」付近。閉館後の土地区画整理事業で道路区割りは大幅に変化しているので参考程度に。
戸塚劇場/東映会館/戸塚シネマ
所在地 : 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町36(1953年・1955年・1966年)、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町35(1969年)、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町36(1973年・1976年・1980年・1982年)
開館年 : 1937年10月
閉館年 : 1982年以後1985年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1937年10月開館。1953年・1955年・1966年・1969年の映画館名簿では「戸塚劇場」。1973年・1976年の映画館名簿では「東映会館」。1974年の住宅地図では「東映」。1980年・1982年の映画館名簿では「戸塚シネマ」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はホテル「相鉄フレッサイン横浜戸塚」西の道路付近。閉館後の土地区画整理事業で道路区割りは大幅に変化しているので参考程度に。
ダイエー戸塚ピット/ダイエー戸塚PIT
所在地 : 神奈川県横浜市戸塚区吉田町884(1985年・1988年)
開館年 : 1982年以後1985年以前
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1982年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の映画館名簿では「ダイエー戸塚ピット」。1988年の映画館名簿では「ダイエー戸塚PIT」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。ドライブインシアター。
ドリーム名画座
所在地 : 神奈川県横浜市戸塚区俣野町700(1980年・1985年・1988年)
開館年 : 1969年以後1973年以前
閉館年 : 1988年以後1990年以前
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年・1976年・1980年・1985年・1988年の映画館名簿では「ドリーム名画座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
ドライブインシアターMovix横浜
所在地 : 神奈川県横浜市戸塚区俣野町700 ドリームランド駐車場(1995年)、神奈川県横浜市戸塚区俣野町700 横浜ドリームランド駐車場(2000年)
開館年 : 1994年7月1日
閉館年 : 2000年以後2002年以前
1992年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・2000年の映画館名簿では「ドライブインシアターMovix横浜」。1998年の映画館名簿では150台、経営会社が松竹シネファイジャパン、経営者が三上哲男、支配人が寺尾拓、洋画を上映。2002年の映画館名簿には掲載されていない。

1994年7月1日、横浜市の横浜ドリームランドに隣接する駐車場にドライブインシアター「MOVIX横浜」が開館する。運営は松竹シネ・ファイジャパンであり、直営館とフランチャイズ館を合わせてMOVIXは13か所目である。収容台数は150台。スクリーンは横16メートル×縦8メートル。一日に2回上映する。最初の2週間は『マイ・ライフ』を、続いて『ペリカン文書』を上映する。*62

瀬谷区

三境すばる座
所在地 : 神奈川県横浜市戸塚区阿久和4618(1960年)※瀬谷区の発足は1969年
開館年 : 1954年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「三境すばる座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズマンション三ツ境」。

旭区

映画館名簿によると現在の旭区域には映画館が存在しなかったと思われる。

泉区

映画館名簿によると現在の泉区域には映画館が存在しなかったと思われる。

横浜市南部

港南区

港南映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市南区上大関町270(1969年)※港南区の発足は1969年
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の住宅地図では「港南東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は大規模商業施設「ウィング上大岡建物」北西部。
港南台シネサロン1・2
所在地 : 神奈川県横浜市港南区港南台3-1-3(1990年・1995年)、神奈川県横浜市港南区港南台3-3-1(2000年)、神奈川県横浜市港南区港南台3-3-1 港南台214ビル3階(2005年・2010年・2015年・2020年)
開館年 : 1987年9月15日
閉館年 : 営業中
1985年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「港南台シネサロン part1・part2」(2館)。

1987年9月15日、横浜市港南区の港南台センターに横浜市初のビデオシアターが開館する。港南台センターを管理運営する日本市街地開発が運営。最近封切られた邦画と洋画の名作を上映する。
TOHOシネマズ上大岡
所在地 : 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-18-5 mioka3階(2015年・2020年)
開館年 : 2010年4月16日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。2015年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ上大岡1-9」(9館)。

磯子区

磯子区の映画館
磯子区の映画館・芝居小屋として、「アテネ劇場」「映画座」「根岸シネマ」「杉田東映」「東洋劇場」「杉田劇場」の6館があった。アテネ劇場の場所は葦名橋、開館期間は1946年〜1950年頃、定員は280。映画座の場所は根岸橋、開館期間は1952年〜1959年、定員は332。根岸シネマの場所は根岸橋、開館期間は1954年〜1960年、定員は290。杉田東映の場所は聖天橋、開館期間は1953年〜1965年、定員は350。東洋劇場の場所は京急杉田駅前、開館期間は1948年〜1960年、定員は320。杉田劇場の場所は杉田新浜、開館期間は1946年〜1950年、定員は300。(※閉館時期はかなり不正確だと思われる)*63
根岸シネマ
所在地 : 神奈川県横浜市磯子区丸山町7(1960年・1963年)
開館年 : 1954年12月
閉館年 : 1960年5月
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「根岸シネマ」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「横浜信用金庫根岸橋支店」西北西50mにある民家数軒。

1954年暮れ、「根岸シネマ」が開館した。時期不明の根岸シネマの写真あり。大映の作品を軸として、新東宝や日活を付けた2本立てや3本立てだった。岩瀬商店街の客寄せの意味合いもあったが、テレビが急速に普及したため、1960年5月に閉館した。1993年現在の跡地にはガソリンスタンドが建っている。*64
東洋劇場
所在地 : 神奈川県横浜市磯子区杉田町148(1960年・1963年)
開館年 : 1950年7月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「東洋劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
杉田東映/杉田東映劇場
所在地 : 神奈川県横浜市磯子区磯子杉田町27(1958年)、神奈川県横浜市磯子区杉田町27(1960年)、神奈川県横浜市磯子区杉田町27(1966年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1965年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「杉田東映」。1966年の映画館名簿では「杉田東映劇場」。1967年の住宅地図では「杉田東映」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「デイズ新杉田店」。

1955年頃の磯子にあった映画館「杉田東映」の写真あり。杉田聖天橋の脇にあった。*65
アテネ劇場/磯子映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市磯子区浜1678(1953年)、神奈川県横浜市磯子区磯子町浜1687(1955年)、神奈川県横浜市磯子区浜1687(1960年)、神奈川県横浜市磯子区磯子町浜1687(1966年・1969年)
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1946年9月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「アテネ劇場」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「アテネ劇場」。1963年の住宅地図では「アテネ劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「磯子映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ナイスアーバン磯子」建物北東部。

「アテネ劇場」は木造の市場を改造した芝居小屋だった。取り壊し前の写真あり。当初は「磯子劇場」と呼ばれており、1946年9月には美空ひばりが初舞台を踏んだ。やがて映画を上映するようになり、一時期は作家の北林透馬が支配人をしていた。*66
映画座/横浜根岸映画座
所在地 : 神奈川県横浜市磯子区丸山町7(1955年・1958年・1960年)、神奈川県横浜市磯子区丸山町2-5-1(1966年)、神奈川県横浜市磯子区丸山2-5-15(1969年)、神奈川県横浜市磯子区丸山2-5-1(1973年・1976年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1976年以後1980年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「映画座」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「横浜根岸映画座」。1967年の住宅地図では「映画座」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「静岡中央銀行横浜支店」。

1952年、磯子区丸山2丁目の根岸橋の脇に「映画座」が開館した。かつて宇佐美サーカスが興行した場所である。1993年現在の跡地にはよこしんのビルが建っている。*67

金沢区

キリン座/金沢キリン座
所在地 : 神奈川県横浜市金沢区谷津町356(1955年)、神奈川県横浜市金沢区谷津町361(1958年・1960年)、神奈川県横浜市金沢区谷津町351(1966年)、神奈川県横浜市金沢区谷津町365(1969年・1973年・1976年)
開館年 : 1952年10月
閉館年 : 1976年以後1980年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年10月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「キリン座」。1958年の映画館名簿では「金沢キリン座」。1960年の映画館名簿では「キリン座」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「金沢キリン座」。1973年の住宅地図では「キリン座」。跡地は「谷津公園」すぐ南の「KHメディカルビル」。最寄駅は京急本線金沢文庫駅。
金沢シネマ/八景洋画劇場/八景中央劇場/八景アポロ座
所在地 : 神奈川県横浜市金沢区六浦町4516(1953年・1955年・1958年・1960年・1966年)、神奈川県横浜市金沢区六浦町4514(1969年)、神奈川県横浜市金沢区六浦町4514-12(1973年・1976年・1980年)、神奈川県横浜市金沢区瀬戸2-5(1985年)
開館年 : 1950年12月
閉館年 : 1985年以後1988年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1950年12月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1966年の映画館名簿では「金沢シネマ」。1963年の住宅地図では「金沢シネマ」。1969年・1973年の映画館名簿では「八景洋画劇場」。1976年の映画館名簿では「八景中央劇場」。1980年・1985年の映画館名簿では「八景アポロ座」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「クレヴィア金沢八景THE BAY」建物南西部。最寄駅は京急本線金沢八景駅。

栄区

映画館名簿によると現在の栄区域には映画館が存在しなかったと思われる。

横浜市北部

港北区

綱島クラブ映画劇場/綱島クラブ(東口)
所在地 : 神奈川県横浜市港北区南綱島876(1953年・1955年)、神奈川県横浜市港北区南綱島町876(1958年)、神奈川県横浜市港北区南綱島町876(1960年)、神奈川県横浜市港北区南綱島876(1966年)
開館年 : 1947年5月
閉館年 : 1966年(移転閉館)
『全国映画館総覧 1955』によると1947年5月開館。1953年の映画館名簿では「綱島クラブ」。1955年・1958年の映画館名簿では「綱島クラブ映画劇場」。1960年・1966年の映画館名簿では「綱島クラブ」。1964年の住宅地図では「綱島クラブ」。1966年の住宅地図では跡地に「パチンコラスベガス」。1966年に綱島駅東口から西口の綱島中央劇場跡地に移転。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三菱UFJ銀行綱島支店」。
綱島中央劇場/綱島クラブ(西口)/綱島クラブ映画劇場/綱島映画劇場/綱島映画
所在地 : 神奈川県横浜市港北区南綱島(1966年)、神奈川県横浜市港北区南綱島374(1969年)、神奈川県横浜市港北区南綱島町374(1973年)、神奈川県横浜市港北区綱島西2-7-24(1976年・1980年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1966年(綱島中央劇場)、1968年(綱島クラブ)
閉館年 : 2005年5月
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「綱島中央劇場」。1968年に綱島駅東口から綱島クラブが綱島中央劇場跡地に移転。1969年の映画館名簿では「綱島クラブ」。1973年の映画館名簿では「綱島クラブ映画劇場」。1976年の映画館名簿では「綱島映画」。1980年・1990年の映画館名簿では「綱島映画劇場」。1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「綱島映画」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

都筑区

109シネマズ港北
所在地 : 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央5-1 港北東急百貨店SC(2000年)、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央5-1 港北東急百貨店SC 6階(2005年)、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央5-1 港北東急百貨店SC(2010年)、神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎中央5-1 港北TOKYUS.C.6階(2015年・2020年)
開館年 : 1998年4月25日
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「109シネマズ港北1-7」(7館)。
TOHOシネマズららぽーと横浜
所在地 : 神奈川県横浜市都筑区池辺町4035-1(2010年)、神奈川県横浜市都筑区池辺町4035-1 ららぽーと横浜3階(2015年・2020年)
開館年 : 2007年3月15日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズららぽーと横浜1-12・プレミア」(13館)。
ワーナー・マイカル・シネマズ港北ニュータウン/イオンシネマ港北ニュータウン
所在地 : 神奈川県横浜市都筑区中川中央1-25-1 ノースポート・モール内(2010年・2015年)、神奈川県横浜市都筑区中川中央1-25-1 ノースポート・モール7階(2020年)
開館年 : 2007年4月21日、2013年7月(改称)
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「ワーナー・マイカル・シネマズ港北ニュータウン1-12」(12館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンシネマ港北ニュータウン1-12」(12館)。

青葉区

映画館名簿によると現在の青葉区域には映画館が存在しなかったと思われる。

緑区

中山映画劇場/ゆたか映画劇場
所在地 : 神奈川県横浜市港北区台村町(1958年・1960年)、神奈川県横浜市港北区台村町329(1966年)※緑区の発足は1969年
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「中山映画劇場」。1965年の住宅地図では「ゆたか劇場」。1966年の映画館名簿では「ゆたか映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパチンコ店「パチンコニューゆたかホール」。最寄駅はJR横浜線・横浜市営地下鉄グリーンライン中山駅。

1964年の横浜市にあった「ゆたか劇場」の1周年記念写真あり。勝新太郎主演『座頭市あばれ凧』のポスターが見える。国鉄中山駅前の中山商店街にあり、中山地区では唯一の映画館だった。*68

このページへのコメント

いつ閉館したかなどの情報はありませんが
40年ほど前に大船駅の仲通り商店街にオリオン座がありました。
手書きの映画看板の職人さんの仕事をよく眺めていました。

0
Posted by はじめての映画館 2021年10月04日(月) 11:59:26 返信数(1) 返信

「神奈川県の映画館」のページに(「オリオン座」ではなく)「大船オデオン座」について記しています。

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Posted by  hekikaicinema hekikaicinema 2021年11月17日(水) 04:51:47

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