所在地 : 兵庫県明石市追手町1230(1950年)、兵庫県明石市追手町(1953年・1955年)、兵庫県明石市追手町1230(1958年・1960年・1963年)、兵庫県明石市大明石町1-6-6(1966年)、兵庫県明石市大明石町1-6-7(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年)
開館年 : 1947年11月、1966年(ビル化)
閉館年 : 2013年9月24日
港町キネマ通り :
明石東宝
『全国映画館総覧 1955』によると1947年11月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「明石山陽会館」。1953年の映画館名簿では「テアトル明石」。1955年・1958年の映画館名簿では「映画銀座」。1958年の全産業住宅案内図帳では「銀座映画館」。1960年・1963年の映画館名簿では「明石東宝」。1962年の全産業住宅案内図帳では「明石東宝劇場」。1960年の映画館名簿では経営者が柏木約吉、支配人が浜田収宝、木造1階冷暖房付、定員800、東宝を上映、電話が3722。1966年の映画館名簿では「明石東宝劇場」。1967年の観光と産業の明石市住宅地図では「神明ビル ダイエー明石店」(※明神ではなく神明は原文ママ)。1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「明石東宝」。1971年のゼンリン住宅地図では「明神ビル 3階明石東宝」。1974年のゼンリン住宅地図では「明石東宝」。1978年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者が柏木良一、支配人が柏木右一、鉄筋造1階冷暖房付、270席、東宝を上映。1988年の映画館名簿では経営会社が柏木興業、経営者・支配人ともに柏木良一、鉄筋造2階、270席、東宝を上映。2015年の映画館名簿には掲載されていない。明神ビル2階。跡地は複合商業施設「パピオスあかし」。最寄駅はJR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅。
1995年1月17日の阪神淡路大震災では阪神間にある映画館も大きな被害を受けた。1月28日には明石東宝が営業を再開した。この時点では神戸市の三宮地区の映画館のほとんどは、入居するビルそのものが使用不可の状態だった。
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2009年2月22日に第81回アカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』を上映する明石東宝では、1996年以来となる入場待ちの行列ができた。
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明石東宝は1966年にビルを新築した。1990年代の映画低迷期には、「明石シネマクラブ」が休館日の明石東宝のスクリーンを借用して定期上映会を行った。1997年にはシネマコンプレックスが登場し、明石東宝の観客数がいっそう減少した。
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明石駅南地区には戦前から芝居小屋があり、戦後には明石東宝・明石松竹・明石東映・白鳥座・明石日活館の計5館の映画館があった。1973年には明石東映と白鳥座が閉館し、明石駅南地区の一般映画館は明石東宝のみとなった。1967年頃の写真あり。明石東宝は1966年竣工の6-7階建てのビルに入居し、このビルの東側には明石東映と白鳥座が入るビルがあった。
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1953年に明石映画銀座として開館し、後に明石東宝に改称して東宝作品の封切館となった。1966年には複合商業ビルを建設してその中に入ったが、映画館の複合ビル化の先駆け的存在だった。1960年代には加山雄三主演の若大将シリーズなどが人気であり、1970年代以降はアニメ映画が人気だった。2001年には東宝との専属契約を解除し、自前での番組編成が可能となった。2013年の閉館時までデジタルシネマ化を行わず、35mmフィルムで上映を行った。2013年9月末に閉館する。閉館時点で東宝系では兵庫県唯一の映画館だった。270席。
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2013年9月24日、明石市大明石町の映画館「明石東宝」が閉館する。1953年に「明石映画銀座」の名前で開館し、東宝系の封切館になると明石東宝に改称した。全盛期の明石駅前には5館の映画館が並んでいた。森繁久彌の社長シリーズ、特撮怪獣映画ゴジラシリーズ、加山雄三の若大将シリーズなどが人気だったが、1970年代から観客が減少していた。
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JR明石駅/山陽明石駅前の国道2号沿いには、かつて映画会社直営の映画館が並んでいた。それ以外を含めると、映画全盛期の明石市には7館の映画館があった。1977年の明石東宝の写真あり。藤岡弘主演の『大空のサムライ』と森繁久彌主演の『喜劇 百点満点』の看板が見えている。この頃には3館に減っていた。
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