所在地 : 愛知県名古屋市熱田区旗屋町283(1953年・1955年)、愛知県名古屋市熱田区旗屋町(1958年)、愛知県名古屋市熱田区旗屋町283(1960年)、愛知県名古屋市熱田区旗屋町(1963年)、愛知県名古屋市熱田区旗屋町281(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年)、愛知県名古屋市熱田区玉の井町8-21(1985年・1990年)
開館年 : 1951年8月
閉館年 : 1994年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「旗屋キネマ」。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1994年の映画館名簿では「旗屋シネマ」。1960年の全住宅案内図帳では「旗屋シネマ」。1965年の全商工住宅案内図帳では「旗屋シネマ」。1971年の全商工住宅案内図帳では「旗屋シネマ劇場」。1983年のゼンリン住宅地図では「旗屋シネマ劇場」。1989年の映画館名簿では「旗屋シネマ劇場」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はうなぎ屋「大和田」西隣にある複数の店舗用の駐車場。熱田区最後の映画館。1994年時点では140席の洋画上映館。最寄駅は名古屋市営地下鉄名城線神宮西駅またはJR東海道本線熱田駅。
「旗屋シネマ」。支配人は映画館の隣に料理屋を経営しており、劇場の廊下を歩くと鳥料理の匂いがする。1955年3月にはシネスコ設備を整え、『聖衣』や『円卓の騎士』がヒットした。客層はサラリーマン層が固定している。
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1960年代後半の旗屋シネマは二番館であり、洋画を3本立てで上映していた。その後成人映画専門の名画座となったが、1970年代には実演付興行を行うこともあった。舞台の中央から観客席に張り出した「でべそ」と呼ばれるステージがあった。1976年から1978年頃には、映画鑑賞団体のナゴヤシネアスト(後の名古屋シネマテーク)が旗屋シネマを利用することもあり、大島渚監督の特集上映、フランスのフランソワ・トリュフォー監督やフィリップ・ド・ブロカ監督の作品を観ることもあった。。やがて、旗屋シネマはストリップ劇場に転身し、1980年代半ばに閉館した。
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1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「熱田駅 旗屋」として掲載されており、『怒りの荒野』と『セックスライダー』と『女体テクニック全集』を上映している。
*11 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「熱田駅 旗屋」として掲載されており、『メカニック』と『性の処理法』と『エロチカ海賊』を上映している。
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「旗屋シネマ」に言及している雑誌記事として、「名古屋の窓口 第6回 旗屋シネマ(熱田区)」『名古屋タイムズ』1956年2月21日がある。
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「旗屋シネマ」に言及している雑誌記事として、「われらの映画館 24回 旗屋シネマ(愛知県名古屋市)」『キネマ旬報』1972年12月、595号がある。
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