所在地 : 愛知県名古屋市中区蒲焼町4-11(1956年・1958年・1960年・1963年・1964年・1966年)、愛知県名古屋市中区錦3-24-3(1969年・1973年・1980年・1985年・1990年・1992年・1995年・2000年・2002年)
開館年 : 1955年7月21日
閉館年 : 2002年9月13日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年の映画館名簿では「名古屋東映劇場」。1960年の映画館名簿では「名古屋東映」。1963年・1964年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1992年・1995年・2000年・2002年の映画館名簿では「名古屋東映劇場」。1963年の名古屋市全商工住宅案内図帳では「名古屋東映 東映名画座 東映パラス」。1964年の映画館名簿では経営者が東映、支配人が植木正治、鉄筋造3階冷暖房付、定員1600、東映を上映。1971年の住宅地図では「名古屋東映」。1977年の住宅地図では「名古屋東映 東映名画座 東映パラス」。1980年の映画館名簿では経営会社が東映、経営者が岡田茂、支配人が畑中季喜、鉄筋造1階、962席、東映を上映。1983年の住宅地図では「名古屋東映」。1985年の住宅地図では「名古屋東映 東映名画座 東映パラス」。1989年の住宅地図では「名古屋東映 栄東映ホール・東映パラス」。1992年の映画館名簿では経営会社が東映、経営者が岡田茂、支配人が市村昇、鉄筋造1階、814席、東映を上映。1995年の住宅地図では「名古屋東映 2階東映パラス」。2000年の住宅地図では「名古屋東映 地下1階名古屋東映 2階東映パラス」。2003年の映画館名簿には掲載されていない。名古屋東映会館1階。跡地は「サンシャイン栄」建物北側西部。最寄駅は名古屋市営地下鉄東山線・名城線栄駅。
1952年には株式会社名古屋東映劇場が設立され、日本生命や大和銀行と折衝を開始した。地上7階・地下3階建ての構想であり、1953年4月に着工する予定。
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1955年7月21日、名古屋市に「名古屋東映」が開館した。1954年11月から総工費1億5000万円で建設が進められていた。東映の大川社長、小滝専務、マキノ専務、五島会長、桑原愛知県知事、伊藤松坂屋社長ら多数が出席して開館披露式が行われた。片岡千恵蔵、中村錦之助、東千代之介ら10数人のスターが舞台挨拶を行い、負傷する観客がいたり警官隊が出動整理に当たるほどの盛況だった。同劇場は定員102人の「大須東映」と定員400人の「東映地下劇場」の2館からなる。大須東映は「文明館」とともに東映封切館に、東映地下劇場はシネスコ封切館となる。東映中部支社は同劇場内に事務所を移転した。
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1955年7月21日、名古屋市の栄町に東映直営館「名古屋東映」と「地下劇場」が開館した。名古屋東映は定員1600人、東映系封切館。地下劇場は定員800人、シネスコ館。7月中には「福岡東映」も開館しており、東映は直営館を2館増やしたことになる。施工は竹中建設。
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1955年7月21日、名古屋市に新築によって「名古屋東映劇場」「名古屋東映地下」が開館した。鉄骨鉄筋コンクリート造地上3階・地下1階建て。名古屋東映劇場は1600人収容、名古屋東映地下は800人収容。1961年4月には名古屋東映地下が名古屋ニュー東映劇場に改称した。
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1959年7月2日、名古屋市中区蒲焼町4で「名古屋東映小劇場」の地鎮祭が行われた。東映第二系統のモデル劇場となる。鉄筋コンクリート造1階建て。客席200。冷暖房完備。11月に開館予定。
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1959年内に東映は全国に6直営館を開館させる。9月12日には「津東映」、10月10日には「釧路東映」、10月22日には「金沢東映」、11月3日には「名古屋第二東映」、12月12日には「八幡東映」、12月24日には「和歌山東映」が開館する。年末までに直営館は62館となる。
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1959年12月18日、名古屋市中区蒲焼町4に第二東映初の直営館「名古屋第二東映」が開館した。オープニングは『血太郎ひとり雲』、テレビ映画風小僧シリーズの『仇討あばれ獅子』の二本立。
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1956年5月の「名古屋東映劇場」の写真あり。1955年7月に現在の錦3丁目に開館した劇場であり、開館記念には東映スター19人が来館している。
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1956年頃の名古屋東映劇場の写真あり。名古屋東映、東映パラス(東映地下劇場)、東映小劇場(栄・東映ホール)の3館の併設。ニュースも映画も見られる特徴的な劇場だった。現在のサンシャイン栄。
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1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「名古屋東映」「東映パラス」「東映名画座」として掲載されている。
*164 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「名古屋東映」「東映パラス」「東映名画座」として掲載されている。
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1975年6月6日から、名古屋市の映画館「名古屋東映」は金曜のオールナイト上映を開始する。土曜夜のオールナイト上映も継続する。各映画館は土曜夜や日曜夜のオールナイト上映を行っているが、東映の直営館として金曜夜のオールナイト上映を行うのは全国初。週休2日制の会社が多くなったため。名古屋東映が成功すれば全国の直営館で実施することを検討しているという。
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2002年9月13日、名古屋市中区錦3丁目の映画館「名古屋東映」と「名古屋東映パラス」が同時に閉館する。直接の理由はビルの所有者との賃貸契約が終了するためであるが、郊外型複合映画館(シネコン)に大きく影響を受けたことも理由。東映中部支社も9月末に閉鎖され、業務は東映大阪支社に移される。東映作品は名古屋駅前の「グランド」などで上映される予定。名古屋東映は1955年に開館し、最盛期の1958年には1日で1万8700人を集めた。特に時代劇や任侠映画の人気が高かった。1992年には観客数の減少もあって閉館し、同一ビル内の旧・東映パラスを名古屋東映に改称、旧・東映名画劇場を東映パラスに改称して営業を続けた。なお、12月1日には納屋橋の「名宝会館」も閉館する。
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2002年9月13日、名古屋市中区の名古屋東映会館にある「名古屋東映」「名古屋東映パラス」が閉館する。経営は東映中部支社。ビルの賃貸契約期間が満了するため。
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