所在地 : 愛知県名古屋市千種区千種通2-31(1953年・1955年・1958年・1960年)、愛知県名古屋市千種区千種通1-31(1963年)、愛知県名古屋市千種区千種通2-31(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年)
開館年 : 1952年3月
閉館年 : 1974年
『全国映画館総覧 1955』によると1952年3月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「アカデミー劇場」。1960年の全住宅案内図帳では「アカデミー劇場」。1964年・1965年の全商工住宅案内図帳では「アカデミー劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「今池アカデミー劇場」。1969年のデラックス住宅地図では「アカデミー劇場」。1997年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2019年2月28日開店の「セブンイレブン名古屋今池駅南店」。最寄駅は名古屋市営地下鉄東山線・桜通線今池駅。
1987年8月31日から10月24日前の55日間、千種区制50周年記念事業として「名古屋ちくさ映画祭」が開催される。会場は今池アカデミー劇場。1936年から1986年までの50年に公開された映画を連日上映するという催し。計54作品。『愛染かつら』や『ローマの休日』から、『ドラえもん』まで。
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1987年8月31日から10月24日前の55日間、千種区制50周年記念事業として「名古屋ちくさ映画祭」が開催される。会場は今池アカデミー劇場。ヘラルド映画会長の古川為三郎や、映画評論家の伊藤紫英らが千種区に住んでおり、今池は名古屋駅前に次ぐ映画街となっていることがきっかけで計画された。今池アカデミー劇場は2年前から空き家となっているが、映写機などがそろい、冷暖房が完備されている。
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1987年8月31日から10月24日まで、千種区制50周年を記念して55日間にわたる「ちくさ映画祭」が開催された。会場は「今池アカデミー劇場」であり、54本の名画が上映された。主催者である千種区役所の想定をはるかに超える約2万人が観賞し、立ち見客が出る作品もしばしばあった。『ローマの休日』と『バンド・ワゴン』(観客数1652人)、『哀愁』と『心の旅路』(観客数1300人)、『キネマの天地』と『鹿鳴館』(観客数1286人)が観客数のベスト3。婦人と年配者、高校生と大学生、OLらが多かった。
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1987年8月31日から10月24日までの55日間、千種区制施行50周年記念事業のひとつとして「ちくさ映画祭」が開催された。邦画31本、洋画23本の名作映画が上映されている。オープニングイベントとして、山田洋二監督が今池アカデミー劇場で講演会を行っている。
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1952年、会社社長の古川博三郎(66)が今池アカデミー劇場を開館させた。洋画の名作を上映する名画座として人気を集め、『第三の男』『エデンの東』などの上映時には行列ができた。1965年頃に客足が遠のきはじめ、邦画や成人映画も上映するようになったが、1974年に休館となった。建物はそのままであり、1989年には市制100周年記念名画祭で特別に開館した。休館から17年間後の1991年1月11日から15日までの5日間は、名古屋市内の小劇団「サクラガサイタプロデュース」の公演の会場としてよみがえる。
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名古屋市千種区今池の今池アカデミー劇場は映画館だったが、1974年に廃館となった。その後は地元の劇団に細々と貸し出されていたが、1999年7月には「ミステリーライブ」で多目的ホールとして復活した。劇場は125席。パチンコ屋や飲み屋などがある繁華街の路地裏にある。劇場を所有する古川博三郎は日本ヘラルド名誉会長の古川為三郎の次男。1952年に今池アカデミー劇場を開館させた。冷暖房や電気設備などに約2000万円を投じ、今回の復活につなげた。
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2001年9月1日、今池アカデミー劇場が大衆演劇の芝居小屋として開館した。名古屋市有数の繁華街である今池の中心部、サウナ店やパチンコ店やスナックなどに囲まれた一角にある。1952年3月、古川為三郎の次男である古川博三郎が27歳の時に開館させた。コンクリート造のモダンな建物であり、建畠覚造ら一流の芸術家が設計や内装を手掛けている。アカデミー劇場という名称は一般公募によるものであり、当時としては高額の1万円を懸賞金とした。洋画の二番館、のちに名画座として人気を集め、1953年にはクーラーを設置した。1994年10月には地元の会社社長が古川博三郎から建物を貸借して芝居小屋を開館させ、新聞にも取り上げられたが、わずか11カ月で閉館となった。この際には近隣の商店主らが約1000人分の署名を集めて存続を願ったが失敗に終わった。1999年には大規模改修を行って多目的ホールに転換し、観客参加型演劇「ミステリーライブ」、自主製作映画大規模上映会「今池インディーズムービーチャンピオンまつり」、大阪の劇団「維新派」の公演などが行われた。大衆演劇を扱う浜松市の芸能プロダクションなどが中心となって再興を企画し、古川博三郎が家賃を下げて貸し出したことで、大衆演劇場として再開した。
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2005年12月27日をもって今池アカデミー劇場は閉鎖され、建物は取り壊される予定。路地の途中に銭湯の看板があり、その突き当りに大衆演劇の劇場「今池アカデミー劇場」がある。入口の上部には演目のペンキ絵と提灯が掲げられ、カラフルなのぼりが風に揺れる。
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1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「アカデミー」として掲載されており、『不良番長 突撃一番』と『新網走番外地 吹雪の大脱走』を上映している。
*23 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「アカデミー」として掲載されており、『海軍横須賀刑務所』と『ヤングおー!おー! 日本のジョウシキでーす』を上映している。
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