所在地 : 愛知県名古屋市西区替地町12(1953年)、愛知県名古屋市西区替地町(1955年)、愛知県名古屋市西区替地町12(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1976年)、愛知県名古屋市西区那古野1-20-19(1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 2005年10月21日
『全国映画館総覧 1955』によると1951年11月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「円頓寺劇場」。1958年の映画館名簿では「東映円劇」。1960年・1961年・1963年の映画館名簿では「円頓寺東映」。1961年の映画館名簿では経営者が森寅三郎、支配人が森宗太郎、木造1階、定員300、東映を上映。1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・1997年・2000年・2005年の映画館名簿では「円頓寺劇場」。2005年の映画館名簿では経営会社が第一土地興業、経営者・支配人ともに今枝幹治、木造1階、80席、成人映画を上映。2006年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅。
1956年の写真あり。1952年、名古屋市西区那古野の専修寺の西隣付近に円頓寺劇場が開館。当初は洋画の上映館であり、世界的にブームを巻き起こした『ローマの休日』も上映したが、大スクリーン時代が到来すると邦画に特化するようになった。建物は2005年に解体されている。
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西区の円頓寺通は大須と並ぶ名古屋市の下町である。戦前には寄席が2軒、映画館が5軒もあった。現在は道路になっている江川端には、毎夜露店が出てにぎわった。
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映画文化の全盛期、西区の円頓寺には「あしべ館」「豊富館」「双葉館」と3館もの映画館があった。また、寄席の「開慶座」、芝居小屋の「寿座」もあった。
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1980年12月13日、名古屋市西区那古野1の「円頓寺映画劇場」がビデオ実験劇場を併設する。1979年6月にはマンガ図書館を併設して話題となった。大人料金700円か学生料金550円を支払えば、5本立てポルノ映画を見放題なだけではなく、マンガも読めて、ビデオで名作映画も鑑賞できる。大映・日活・東映など邦画を中心に約200本のビデオカセットを用意している。マンガ図書館の1階と2階にテレビを2台ずつを設置し、1台ごとに16個のヘッドホンを取り付けてある。ビデオ実験劇場では大映作品を中心に2本立てで上映する予定であり、12月13日からは阪東妻三郎主演の『無法松の一生』(1943年)と松坂慶子主演の『夜の診察室』(1971年)を上映する。上映作品は2週間ごとに入れ替えている。ビデオカセットには約1000万円、機材には約300万円を投資している。将来的にはマンガ図書館と同様なビデオ図書館にしたいという。マンガ図書館には2万5000冊の漫画をそろえており、映画を観ずにマンガだけ読みに来る客もいるという。成人映画館であるため子どもは入場できない。「当劇場へ御入場の御客様は映画とマンガとを何時間でも何冊でも又その両方を自由に御覧いただけます 当劇場は映画館の機能にマンガ図書館の機能を付加した全国最初の多機能劇場であります」と書かれた看板が見える。
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名古屋市西区の円頓寺商店街は東西230mある。1964年には高さ10mのアーケードが設置され、道幅は8mに広げられた。映画館「円頓寺劇場」は館内に4万冊の漫画を置き、全国で2番目のマンガ図書館を開設した。700円の入場料さえ払えば映画も漫画も見放題である。斜陽の映画産業を盛り返そうと意気込んでいる。
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1979年6月、名古屋市西区の円頓寺劇場は場内にマンガ図書館を設けた。1980年12月13日には「フィルム・ライブラリー」を目指して名古屋ビデオ実験劇場をオープンさせる。1979年から洋画・邦画を問わずビデオの収集を始め、1980年11月現在では160本を収集している。販売を目的としながらも、希望者には3台のビデオデッキで試写サービスを行う。岩崎支配人は「アメリカではビデオ販売が盛んだが、日本ではサウナや飛行機で利用されている程度」といい、全国初の試みだという。溝口健二監督の全作品、衣笠貞之助監督の『地獄門』、松坂慶子主演の『夜の診察室』、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』、『嘆きのテレーズ』、『アルジェの戦い』などがある。各映画会社との折衝を重ねているが、「フィルム・ライブラリー」の実現には「興行権や著作権などいろいろ難しい問題もあるので、時間がかかると思う」という。
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1980年12月13日、名古屋市西区の円頓寺劇場に「ビデオ実験室」がお目見えした。入場料は大人700円、学生550円。1階と2階のロビーに、ビデオテレビが2大ずつ置いてある。壁面はマンガ本で埋め尽くされている。1人分の入場料を支払えば、場内で35ミリ映画を鑑賞することもでき、ロビーのビデオで名作映画を鑑賞することもできる。円頓寺劇場は名古屋でも古い歴史を持ち、館主は中区や西区周辺に、堀川劇場やカスモリ劇場など、5-6軒の映画館を所有していたこともあるが、現在は円頓寺劇場のみである。1979年には2万3000冊のマンガを集めて「名古屋マンガ図書館」を設置し、今回は「ビデオ実験室」を設置。いずれも映画館に観客を呼び込むための工夫であり、埋もれた名作映画を堀だそうという狙いもある。1980年12月13日の開始週には、阪東妻三郎主演の『無法松の一生』を上映し、連日40人程度が鑑賞したという。約1週間ごとに上映作品を変える。
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一般的な成人映画館は女優名でプログラムを組むが、円頓寺劇場は監督名や作品性でプログラムを組む。遠方から円頓寺劇場に成人映画を見に来る観客も少なくない。円頓寺劇場には「日本初のレンタルビデオ店」とされる「名古屋ビデオ図書館」を併設している。古今東西の作品を所蔵しており、その在庫量は日本一といってもよいとされ、レンタル可能なのは日本でこの店のみという作品もあるという。映画ファンや映画関係者の間ではその資料的価値が高く評価されている。しかしその円頓寺劇場も、55年の歴史に幕を閉じた。
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1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「円頓寺劇場」として掲載されており、『セックスマル秘大全』と『愛の行為集』と『ボインと制服』を上映している。
*35 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「円頓寺劇場」として掲載されており、年内新春興行準備のため休館とある。
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円頓寺劇場は一日に5本から6本上映する名画座であり、東映作品・日活作品・ピンク映画など多様な特集上映が組まれた。1970年代末には映画館にマンガ図書館が併設され、1980年代にはビデオ図書館も併設された。このビデオ図書館はレンタルビデオ店の草分け的存在である。成人映画、アダルトビデオ、国内外の旧作、カルト作品まで、多様なジャンルのビデオを所蔵していた。所蔵作品は鑑賞することもでき、またビデオの販売も行っていた。
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2005年10月21日の『中日新聞』の映画上映案内。「円頓寺劇場」は「閉館番組」とあり『エロ将軍と21人の愛妾』『くの一淫法百花卍絡み』『続 色暦大奥秘話淫の舞』を上映。10月22日の映画上映案内に円頓寺劇場は掲載されていない。
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『名古屋街の事典 青春篇』(アワー・シティ、1982年)には円頓寺劇場の言及があるらしい。名古屋市鶴舞中央図書館が書庫に所蔵している。