所在地 : 愛知県碧南市大浜町六供1(1953年)、愛知県碧南市大浜町六供(1955年)、愛知県碧南市大浜町六供1(1958年)、愛知県碧南市六供1(1960年・1963年)
開館年 : 1879年(劇場)、1902年(移転・改称)
閉館年 : 1963年6月30日
Wikipedia :
寿々喜座
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿々喜座」。1961年・1962年・1964年の住宅地図では「寿々木座」。1963年の映画館名簿では経営者が鈴木暉雄、支配人が鈴木宗雄、木造2階暖房付、定員590、東映・日活を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の住宅地図では「寿々喜座」。1969年のアイゼン住宅地図では跡地に「主婦の店」。1976年の航空住宅地図帳では跡地に「主婦の店碧南店」。読みは「すずきざ」。跡地は「碧南信用金庫碧南支店」。最寄駅は名鉄三河線碧南駅。
1963年6月いっぱいで碧南市の映画館「寿々喜座」が廃業し、主婦の店チェーンに身売りすることとなった。経営者は鈴木輝雄。1897年に林泉寺の近くに開館し、1900年に現在地の大浜六供に移転した。1934年の火災後に現在の建物を新築した。当初は劇場として芝居の上演などを行っていたが、戦後に芸人が少なくなったことから全面的に映画館化し、東映や日活の作品を上映していた。建物の建築年は古いものの、碧南市の映画館の中では最もしっかりした建物であり、まだ老朽化していないという。ただし、劇場として建てられたため客席は映画館的ではなく、冷暖房設備も有していない。
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1879年から1880年頃、碧海郡大浜村が村営の「蓬莱座」(後の「寿々喜座」)を開館させた。1887年には「新盛座」が開館した。1913年には無声の活動写真が制作され始め、寿々喜座や新盛座では弁士がついた上映が行われた。昭和初期にはトーキー映画も制作されるようになった。1928年には三河鉄道大浜港駅(現・名鉄三河線碧南駅)の南に碧南初の映画常設館である「碧南キネマ」が開館し、初めてトーキーの洋画を上映した。
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1879年、碧海郡大浜村の林泉寺の前に、村営の劇場として蓬莱座が開館した。これが大浜の劇場の始まりである。そののち民間に払い下げられ、1902年には鈴木喜三郎が字六供に新築移転し、寿々喜座と改称した。1932年には火災で焼失したが、1934年3月に営業を再開した。
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昭和20年代、大浜の「寿々喜座」は新川の「新盛座」と人気を競っていた。軽演劇を中心として興行し、漫談の柳家三亀松、歌手の伊藤久男、鶴田六郎、渡辺はま子らが来演した。1949年頃には秋の文化祭などで劇場が解放されることがあり、地元青年団や碧南高校演劇部の演劇なども行われた。2階の桟敷席は映写室の上にあったのが特徴である。昭和30年代には洋画専門の映画館に転換し、ゲイリー・クーパー、タイロン・パワー、ジェームズ・ギャグニーなどが主演する作品が上映された。
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1879年、大浜村が村営劇場として林泉寺前に「蓬莱座」が開館した。碧南市域初の劇場である。経営難から156円で鈴木喜三郎に売却され、1902年には移転して「寿々喜座」に改称した。浪花節が多く上演され、「浪花節は寿々喜座」と言われた。映画全盛期には邦画ではなく洋画が上映された。映画人気の衰退に合わせて、1963年に84年の歴史に幕を閉じた。跡地は碧南市の大浜本町通りであり、碧海信用金庫碧南支店のある場所である。
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1902年、碧海郡大浜町六供(現・碧南市)に寿々喜座が開館。1932年には火事で焼失し、2年後に再建されている。現在は跡地に碧海信用金庫が建っている。
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寿々喜座は1879年頃に開館し、1963年に閉館した。大浜村の村営劇場として、林泉寺の前に蓬莱座として開館。後には経営困難のために、民間人の鈴木喜三郎へ156円で払い下げた。1902年には本郷町(現在の碧南信用金庫の場所)に移築して、寿々喜座に改称した。大正から昭和初期には浪花節会の一流者の出演が続き、「浪花節は寿々喜座」と称された。その後は浪花節や芝居も上演したが、映画が主体となった。1950年頃から一時的に洋画専門館となったが、まもなく東映の時代劇映画に重きを置いた。1963年には時代の流れによって閉館。碧南で最古の劇場は80年の歴史の幕を下ろした。
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碧南市本郷町にあった劇場の寿々喜座。浪花節や軽演劇で人気を博した。1932年の火災で焼失し、再建されたときの写真である。戦後の映画の隆興期には洋画専門館として賑わい、長く大浜の人びとに親しまれた。
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1951年の碧南市本郷町にあった映画館「寿々喜座」の写真あり。1912年、林泉寺の前に大浜村営の蓬莱座として創立した。碧南市域における劇場や映画館の先駆けである。やがて民間に払い下げられて本郷町に移転し、寿々喜座に改称した。大正期から昭和初期にかけて、しばしば大物浪曲師が来館し、「浪花節は寿々喜座」と謳われた。戦後は洋画専門の映画館だったが、1963年に閉館した。2021年現在の跡地には碧海信用金庫碧南支店が建っている。
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