所在地 : 京都市加佐郡新舞鶴町三条通(1934年)、京都市加佐郡新舞鶴町三条通229(1936年)、京都市東舞鶴市三条通海岸(1941年)、京都市舞鶴市三条通(1943年・1947年)、京都市舞鶴市三条(1949年)、京都府舞鶴市三条通(1950年)、京都府舞鶴市余部上3(1953年)、京都府舞鶴市三条大門地(1955年)、京都府舞鶴市字浜229(1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年)、京都府舞鶴市字浜239(1976年・1980年・1982年・1985年・1990年・1992年・1993年・1995年)、京都府舞鶴市浜229(2000年・2005年・2010年・2015年・2020年・2022年)
開館年 : 1930年以後1934年以前、1981年(ビル化)
閉館年 : 営業中
Wikipedia :
舞鶴八千代館
1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1949年の映画館名簿では「八千代館」。1950年の映画館名簿では「東舞鶴八千代館」。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「八千代館」。1966年の映画館名簿では「東舞鶴舞鶴八千代館」。1969年の映画館名簿では「東舞鶴八千代館」。1973年・1976年の映画館名簿では「八千代館」。1978年のゼンリン住宅地図では「劇場八千代館」。1980年の映画館名簿では「舞鶴八千代館」。1980年の映画館名簿では経営会社が東宝関西興行、経営者が松岡功、支配人が細田良介、木造1階、219席、邦画・洋画を上映。1982年の映画館名簿では「八千代館」。1982年・1986年のゼンリン住宅地図では「1階アトムボーイ、2階八千代劇場、4階アトムボーイ事務所」。1983年・1985年・1990年・1992年・1993年・1995年・2000年の映画館名簿では「舞鶴八千代1・2」(2館)。1983年の映画館名簿では経営会社が東宝関西興行、経営者が山田巌、支配人が井上浩三、鉄筋造2階、1が170席で東宝を上映、2が72席で邦画・洋画を上映。1992年の映画館名簿では経営会社が東宝関西興行、経営者が雨宮崇、支配人が明石充彦、鉄筋造2階、1が170席で東宝を上映、2が72席で東映・洋画を上映。1993年の映画館名簿では経営会社が舞鶴映興、経営者・支配人ともに野村正男、鉄筋造2階、1が170席で東宝を上映、2が72席で東映・洋画を上映。2005年・2010年・2015年・2020年・2022年の映画館名簿では「舞鶴八千代1・2・3」(3館)。2022年の映画館名簿では経営会社がシマフィルム、経営者が志摩敏樹、支配人が新城出、1が158席、2が72席、3が77席。最寄駅はJR舞鶴線・小浜線東舞鶴駅。
1948年11月、舞鶴市の「舞鶴旭座」と「八千代館」と「旭館」と「旭キネマ」が松竹との契約を解約した。
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2013年のこのほど、舞鶴市の「舞鶴八千代館」が3台目のデジタル映写機を導入し、2013年3月2日から3スクリーン全てがデジタル上映館となる。今年は開業から75周年の年であり、2月20日から3月8日には映画ポスター展と写真展を開催し、3月1日-から3月3日にはファン感謝デーとして入場料を1000円とする。八千代館は1938年に野村鎌太郎が開館させ、初回上映作品はトーキー映画の『河内山宗俊』だった。当時は1スクリーンであり、2階は畳敷きだった。野村鎌太郎は八千代館のほかにも浜に「旭座」、中地区に「旭キネマ」、西地区に「旭館」を運営していたが、戦後には順次閉館した。1981年に現在の建物に建て替えて2スクリーンとし、2000年からは3スクリーンである。2008年から「シマフィルム」(志摩敏樹代表)の運営に変わり、2010年と2011年にかけて2台の3Dデジタル映写機を導入した。1957年頃には朝6時までのオールナイト上映会も開催し、入館者を京都市内の東映撮影所に招待して俳優との食事会を行うファンサービスも行った。ポスター展は『ゴジラ』『日本沈没』『七人の侍』『戦場のメリークリスマス』」など約50点を展示する。
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2013年、舞鶴市唯一の映画館「舞鶴八千代館」が開館75周年を迎えた。1938年に現在地に開館したが、当時の建物は木造であり、スクリーン数は1面だった。1981年に現在の鉄骨造の建物に建て替えられ、スクリーン数は2面となった。2000年の増築でスクリーン数は3面となっている。今年2013年3月2日には、上映機材をフィルム映写機からデジタル映写機に入れ替えた。経営者の野村によると昭和30年代の舞鶴市内には8館の映画館があったが、1964年の東京オリンピックを機にテレビが急速に普及し、映画人口は減り続けた。現在の北近畿には八千代館のほかに福知山市に1館あるのみである。もともと八千代館は邦画専門だったが、周囲の映画館が閉館するにつれて洋画も上映するようになった。現在の八千代館の観客数は1日約100人。
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舞鶴八千代館は昭和初期に芝居小屋として開館し、今日では舞鶴市唯一の映画館である。取締役支配人の野村正男(61)は約30年前に上映した薬師丸ひろ子主演の『セーラー服と機関銃』が思い出深いと語る。この作品には長蛇の列ができ、わざわざスクリーンのある一室を待合室にしたという。2010年4月17日には立体映像(3D)の上映設備を導入し、洋画『アリス・イン・ワンダーランド』を上映中である。
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1986年3月の上映作品は、『ドラえもん』『おばけのQ太郎』『プロゴルファー猿』『ドン松五郎の生活』『アラハン』『キン肉マン』『キャプテン翼』『フラッシュマン』『ゲゲゲの鬼太郎』『テイク・イット・イージー』『タッチ』『北斗の拳』『ジャッキー・チェンの醒拳』
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東宝関西興行の前田幸恒は、1975年から1978年まで「舞鶴旭座」と「舞鶴八千代館」の支配人を務めた。前田幸常『映画興行師』(徳間書店、1997年)には舞鶴旭座と舞鶴八千代館に関する随筆が掲載されている。((前田幸恒『映画興行師』徳間書店、1997年))
女優の片桐はいりは「舞鶴八千代館」を訪れたことがある。片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』幻冬舎、2010年には舞鶴八千代館に関する随筆が掲載されている。
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「舞鶴八千代館」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。
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「舞鶴八千代館」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。
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2020年11月のこのほど、舞鶴市浜の映画館「舞鶴八千代館」では『劇場版鬼滅の刃 無限列車編』の公開に合わせて大江山の鬼伝説の特別展示を行っている。この映画は舞鶴八千代館と福知山シネマで公開されており、長い列ができる日もあるという。新城出(いずる)支配人。
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