小牧には大正期に2つの芝居小屋ができ、やがて映画館やパチンコ店に姿を変えながら、多くの市民が憩う場所として親しまれた。小牧に最初に誕生した芝居小屋は、大正元年(1912年)に現在の小牧市小牧にできた「小桜座」。近くに住む野村、舟橋、佐橋、木全、松田の5人が株主となって創業した。いずれも大地主や当時盛んだった蚕種業、桑問屋などを営む人たちだった。野村の孫で小牧食糧販売企業組合会長の野村重三(67)によると、小桜座が建てられた場所は、当時の小牧町の南端と北外山村桜井の境界線に近く「小牧」と桜井」の1字ずつを取ったのが座名の由来。「空き地があって、周囲には何もないまったくの町はずれだった。小桜座のオープンとともに、向かいに開店したのが婦人衣料を中心とした“百貨店”のコザワヤ。芝居小屋と百貨店の登場で、界わいは一気に華やかな雰囲気になっていった。コザワヤ2代目小沢正温(79)は当時を語る。「毎日の興行ではなかったが芝居、浪曲、奇術、漫才、歌謡曲、映画などが続いた。芝居の一座が来ると、下っ端の役者がちんどん屋になって町中を回った。子どもがのぼり旗を持ってついていくと、無料の札をもらえたもの」。切符売り場のことを「きてつ」と呼んだが「開演後は木戸銭(入場料)が割り引かれたので、皆、きてつの前で割引を待っていた」。1階はござ席と桟敷席、2階は畳敷きだった。入り口上の3階では、呼び込み太鼓も打ちならされた。野村は「近くに太鼓をたたく専門の男がいた。職に就いていない遊び人のような男なんだが、芝居のある日は父に『読んでこい』といわれた」と思い起こす。田端義夫や有名になる前の鶴田浩二なども地方巡業でやって来たという。
小桜座が人気を集める中、2軒目の芝居小屋として誕生したのが、現在の小牧市小牧2丁目、ハシモトカメラ西側にあった「甲子座」(きのえねざ)。大正13年ごろ、地元の大地主、穂積伊左衛門が開設した。2つの芝居小屋ができると、地元の人たちは座名を呼ばなくなった。甲子座は町の北部、小桜座は南にあったので『きょうは上(かみ)へ行くか、下(しも)へ行くか?』で通じた」(小沢)という。そんな芝居小屋も映画人気に押され、小桜座は昭和12年、どじょう問屋の三輪新吾が映画館にするために買い取り「小牧劇場」と改めた。甲子座はそのまま残ったが、昭和21年、火事で焼失。同26年、名古屋市の大曽根でカムカム劇場を経営していた坂徳弘が小牧に手を広げ、甲子座北東で映画館「カムカム劇場」を開いた。小牧は2つの映画館の時代に入った。
小牧劇場は松竹、東宝、日活系、カムカム劇場は東映、大映作品がそれぞれ見られる劇場だった。坂の孫にあたり、映写技師をしていたハシモトカメラ社長の橋本勇(66)は「正月になると、お客さんが列をつくって大変な騒ぎだった。この時だけは入れ替え制にしました。やくざ映画などがはやった昭和30年代が全盛期だったかなあ」。小牧劇場周辺も華やいでいた。「劇場の前は、コザワヤの照明もあって夜も明るかった。当時は映画の主題歌に合わせてお客が歌ったりしたもので、夜遅くまで中から声は聞こえるし、女の子は集まってくるし、劇場の入口に行くだけで楽しかった」と野村。
映画全盛期、フィルムの本数は少なく、引く手あまた。上映が終わると、フィルムはすぐに次の映画館に送られた。前の映画館での上映終了が待ちきれないケースもあり、「一巻(リール)終わるごとに犬山や古知野の映画館に自転車で運んだこともあった。逆に映画の途中で次の巻が届かず『フィルムが届いてません。お待ちください』と館内放送がかかることもあったが、だれも怒らなかったねえ」と、小澤は懐かしがる。
映画館といっても映画上映だけではなかった。小牧市桃ケ丘3の郷土文芸誌編集人百瀬正昭(69)はカムカム劇場だったと思うが、衆院選の立会演説会を聴きに行ったことがある」という。小沢も「選挙では映画館がよく使われた。小牧劇場で演説会がある時は、代議士らがうちの座敷で出番を待っていた。三木武夫、中曽根康弘、福田赳夫もいた」。選挙だけではなかった。「大きな体育館もなかったからボクシングの試合もやった」と野村。「舞台にリングをつくったものだからリングを客が囲めず、正面からしか見られない変なボクシング観戦だった」。
小牧劇場前の広場にはやがて板張りの小さなパチンコ店もできた。カムカム劇場は昭和37年(1962年)、一宮松竹と合併。こちらも1階でパチンコ店を始めた。42年からは中日本興業と合併し、1階を「ひかり劇場」、2階を「アサヒ劇場」としたが世はテレビ時代。映画は斜陽産業となっていた。両劇場は小牧劇場と共に47年(1972年)、廃業に追い込まれ、取り壊されたのだった。
1912年には下之町に小牧初の劇場である小桜座が開館した。小桜座に刺激されて1924年には上之町に甲子座が開館している。この2つの劇場が中心となって商店街が形成されていった。映画の人気が高まると芝居小屋の人気に陰りが見え、1936年には小桜座が売却され、1937年に映画館の小牧劇場が開館した。戦後の1946年には甲子座の建物が火災で焼失して廃業した。名古屋で映画館を経営していた人物が甲子座の跡地を購入し、1951年にカムカム劇場を開館させた。カムカム劇場は昭和30年代後半に建物を改修し、1階部分がパチンコ店、2階部分が映画館となっている。しかし複合施設化後には客離れが進み、映画館経営専門の企業と合併し、パチンコ部門を廃止した。その後、パチンコ店があった2階はひかり劇場として、カムカム劇場とは異なる映画会社から作品の供給を受けた。ひかり劇場は1972年まで存続した。
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大正期の小牧には、町の南北に劇場の小桜座と甲子座が開館した。昭和になると、それぞれが小牧劇場とカムカム劇場に改称し、映画を主として昭和40年代まで興行を続けた。
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