所在地 : 静岡県磐田郡磐田町中泉(1947年)、静岡県磐田市久保(1953年)、静岡県磐田市中泉町1355-5(1955年)、静岡県磐田市中泉町1355(1958年)、静岡県磐田市中泉133-51(1960年)、静岡県磐田市中泉町1335(1963年)、静岡県磐田市中泉町1335-5(1966年)、静岡県磐田市中泉2235-5(1969年・1970年・1971年)
開館年 : 1946年12月25日? 1947年12月25日?
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年12月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「磐田スバル劇場」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スバル劇場」。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「磐田日活劇場」。1969年の住宅地図では「磐田日活劇場」。1970年の映画館名簿では経営者が太陽企業、支配人が中野成夫、木造2階冷暖房付、定員590、日活・成人映画を上映。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「中泉歴史公園」北東すぐの民家数軒。最寄駅はJR東海道本線磐田駅。
1960年3月1日には第二東映が発足し、各地で第二東映上映館への転向が相次いでいる。静岡県では熱海市の「名画座」、三島市の「三島中央劇場」、沼津市の「東海劇場」、吉原市の「吉原オリオン座」、富士宮市の「ロマン座」、富士市の「富士東映劇場」、焼津市の「ヒカリ座」、島田市の「太陽館」、掛川市の「中央劇場」、磐田市の「スバル劇場」、浜松市の「浜松国際劇場」などが第二東映に転向した。
*16
1963年9月1日、磐田市の日活系専門館「スバル座」を日活が賃借契約し、日活封切専門館「磐田日活」に改称した。経営は傍系の太陽興業。所有者は天野政一。定員588人。
*17
田町の久保川沿いの西側にあった。1946年12月25日、歌舞伎役者の沢村田之助や9歳だった美空ひばりを招いてこけら落とし公演を行った。こけら落としには長谷川一夫を招こうとしたが、出演料が高額すぎて断念している。1947年から1949年にかけて、藤山一郎、加藤大介、東海林太郎、岡春夫、ディック・ミネ、古賀正男、近江敏郎、市川右太衛門、柳谷金語楼、昔々亭桃太郎、小林旭、小暮美千代、松原操、高峰三枝子、月形竜之介、片岡千恵蔵など、そうそうたる役者を招いている。夏には22時過ぎからナイトショーが行われ、『蜘蛛の巣城』や『七人の侍』などを2本、昼間の半額で観ることができた。1963年8月には日活に貸与され、日活が10年間ほど興行した。
*18
1947年12月25日のクリスマス、磐田市に芝居小屋「スバル劇場」が開館した。東京のロードショー劇場「スバル座」(「劇場」ではなく「座」)と同じスバルを冠していた。社長は時事通信社出身の鈴木修次、副社長は新聞販売店主の松本文一。先代の中村吉右衛門一座の大歌舞伎がこけら落とし公演であり、スバル劇場は大入り満員となった。当初は歌舞伎・歌謡曲・軽演劇などの実演が多く、やがて映画上映館となった。磐田市政5周年記念式典、5ヶ村合併祝賀式典もスバル劇場で行われた。
*19
中泉座の跡地にはスバル劇場が建設された。磐田市が合併した際のスバル劇場の写真あり。『大砂塵』や『明日の幸福』や『めくら狼』や『赤い山』のポスターが見える。1965年頃、スバル劇場は磐田日活に改称した。「日活直営 磐田日活」の文字が見える。
*20